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素朴な疑問

1069三吉:2003/12/02(火) 19:31
②大乗の菩薩は、誓願の菩薩

大乗の菩薩の特徴は、「仏になることを約束されてない菩薩」である。
個人的には仏となることは約束されてはいないが、でも約束されている存在という意味で菩薩なのであるが、その仏教的根拠は、自性清浄心である。これは部派では大衆部あたりが主張し、法華では、あらゆる人を蔑視しないという不軽菩薩の姿が象徴している。
その後、如来蔵思想や仏性思想になり、この板では評判の悪い天台本覚思想へと完結していくのだが、「伝統的な仏教解釈」は常に変化してきているし、同時代でも立場により菩薩を巡って対立しているし、「新しい仏教解釈」をそれぞれが出し、自分の一番うなづける解釈、ぴんとくる解釈を磨けばよいのではないかと思う。
ある人は、「智慧」がキーワードになるのだろうし、ある人には「善意の実践」なのであろうし・・・。私からすれば、「結果的に仏道に導くハタラキをする者、みな菩薩」だし・・。
ちなみに誓願の菩薩が問題になるのは、大乗の菩薩からであり、発生史的には最初期ではない。最初期は厳密に言っても仏になることを誓うだけで、四弘誓願などは起こさないし、煩悩の断滅も、大乗あるいは部派からであり、初期仏教は小欲知足でokなので、有余無余涅槃を言わない。(釈尊は悟ったと弟子を認めまくる。マハーカッサパは弟子入り後、八日目で悟っている。釈尊自体もたった六年間の修行で悟っている。菩薩という観念は釈尊になかったと思うが、マザーテレサの実践を見て、その宗教的な実践を見て、素晴らしいと感じたものが菩薩という語でテレサを賞賛して何の問題があるのかわからない。仏教語の解釈など元よりバラバラである。)

簡単に言えば(中村元選集。平川彰著作集。杉本卓州「菩薩−ジャータカからの探求」あたりの情報が根拠)、「菩薩」の人間像は、①未熟者②勇猛精進のツータイプに分かれる。
大乗初期には、情けない「退転の菩薩」も説かれるし、パーリジャータカに至っては、犯罪者の菩薩(菩薩が盗賊の首領になり追いはぎして生計をたてた話)すらいる。一方で、自らの財産のみならず、家族や自分の体まで「捨」し、「悟り」を究めんとする極端に勇ましい菩薩まで幅があるのだが(法華の代表的な菩薩はこの路線にいる)、「未熟」と「勇猛精進」という矛盾したものを内包しつつ、その概念は様々に解釈されるのだが、「他者に対する菩薩と言う賞賛」は、賞賛された人よりも賞賛している人にとって仏教的意味あるいは意義を持つのではないだろうか・・・以下略。


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