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素朴な疑問
1109
:
犀角独歩
:2003/12/04(木) 17:31
―1108からつづく―
> 電車で席を譲る…小さくとも立派な菩薩行
そうですね。ここのところの議論で、通仏教でいう「本来の菩薩」がなんであるか、そんな指摘があったわけです。
けれど、わたしは菩薩から慈善活動を考えたわけではないのです。
そうではなく、菩薩界、菩薩道、菩薩行という視点からです。
十界論という教義をわたしはさほど重視しません。しかし、そのなかで菩薩界を己心に観じるという点、そして、そこから、一体、自分が何をしようとするかという視点は重要であると思っています。それが菩薩道、あるいは菩薩行へと発展するか否かという点です。
蓮師との対峙で語られる忍性師はその慈善活動の故に忍性菩薩と崇められたわけでした。わたしはそのような観点が本来の民衆の受容であると思うわけです。それが仏教集団的、あるいは教学的な見地から菩薩とは言い難いというのも別段、異論を唱える気はありません。しかし、一般社会・民衆は、教学解釈より、実践のなかに菩薩を見てきたのでしょう。そんなのは間違った仏教理解である、それもそうかもしれません。しかし、正しい仏教理解であれば、何もしなくてもよいのかという問題が残ります。
教義として正しいか間違っているかは実践の現場ではまるで意味はなしません。支援を必要とする人に何をしているのか、ただそれだけが意味を持つのでしょう。各人が解釈する菩薩道、菩薩行として、実践されたかどうか。仏教徒である支援救済の実践者をつかまえて、「あなたのやっている慈善活動は、教学的な解釈からすれば、菩薩とはいえない」という批判がいったい何の意味を持つのでしょうか。わたしなど、実践者などと言える人間ではありませんが、実際のボランティアの現場で、「あなたのやっていることは菩薩とは言えない」と言われれば、「そうです。わたしは菩薩じゃありません。それがどうかしましたか」と応えるだけです。わたしの知る実践者もまた、同様でしょう。そんなレッテルはどうでもよいことです。重要なことは「何をしているか」ということです。
ここで愚鈍凡夫さんがご指摘くださった点について、再度、賛同の意を表しておきます。わたしは、そのようなことをやらない人を差別する気持ちも、強制する気もありません。ただ、本当に資金と人的資源の不足はどうにもならない現実があるのは事実です。強制することも、市内人を批判する気もありません。けれど、一人でも多く目覚め、それが仏教からでも、キリスト教からでも、一般道徳からでも、哲学でもよい、ともかく、実践される尊い方々が増えることを念願せざるにはおられません。ただそれだけなのです。
> 菩薩道とは何なのか。このことを、やっぱり考えてみたいと思う
ええ、わたしも同様に思います。
以上、漏れた部分はまた、pundarikaででも、大いに語り合いたいと思います。
もちろん、こちらでも引き続きよろしくお願いいたします。
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