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素朴な疑問

1管理者:2002/02/20(水) 13:44

1 名前: 管理者 投稿日: 2002/01/28(月) 18:47

スレッド立ち上げの要請がありましたので、立ち上げます。皆様、気軽に御発言ください。要請文は以下の通りです。

>私の場合、皆様のように難しい事はわかりませんが、いわゆる「素朴な疑問」は
>あります。そのような質問でもよろしいでしょうか?
>もしくは、そのようなスレがあればいいのですが・・・

924犀角独歩:2003/11/19(水) 09:31

福田さん自身が三宝を立てる必要がないという個人的な主観を懐くことは、もちろん、自由です。
わたしが記すのはあくまで蓮師の祖意はどうあるかという点で記すばかりです。

925犀角独歩:2003/11/19(水) 09:39

報恩抄には三宝の恩を言います。それが必要ないと言えば、蓮師の教えに違背します。
蓮師の教えと違う考えを立てて、本尊を拝むことを己義偏執というのではないでしょうか。

926空き缶:2003/11/19(水) 12:08
横レスです

関師の所論には、「久遠元初自受報身如来」とは「法」であって「人」ではない、とありました。
また「末法とは無佛の時代」ともあったと記憶しています。

もし、日蓮聖人が御本仏であれば「末法」=「日蓮仏の正法時代」ということになりませんか?

法然上人は何故称名念仏を提唱したのか、それは「末法とは無佛の時代」だからだと思います。

そこで、あえて末法の三宝を考えた時に先の書込みのような結果になったのです。

927犀角独歩:2003/11/19(水) 13:07

空き缶さん:

関師の所説はわかりました。が、それが蓮師の考えでしょうか。
この点については、異論があります。

まず、久遠元初自受報身如来が蓮師教学であるとはどのような根拠に基づくのでしょうか。
次にもし関師の所説の如く久遠元初自受報身如来が法であれば、人法一箇の教学系において蓮師は法ということになりますが、蓮師は法ではなく、通日蓮教学では菩薩“僧”であり、日蓮本仏圏では仏・聖人です。また寛師の下種三宝説では 仏:日蓮・法:板漫荼羅・僧:日興 として人(仏)法(板漫荼羅)一体を論じます。この説とも、また、異なります。

以上、二重の論点からしても、関師の所説はその謂われを知りません。
また、関師が自受用身が法であるというのは、どのような根拠に基づいてのことでしょうか。ご教示願えますか。


なお、法然師が無仏である説を採ることと蓮師とどのような関係から論じられるのでしょうか。

また、無仏であると言いながら、蓮師を本仏とし、いまをその正法(時代)とすれば、日蓮本仏・有仏となり、無仏とは言えず、関師、仏僧不要論は矛盾を来すことになりますが、この点はどのようにお考えになりますか。

もとより、空き缶さんご自身のお考えというより、関師所説を援用して記されたことであろうとは拝察しますが、解説いただければ有り難く存じます。

928空き缶:2003/11/19(水) 13:42
犀角独歩さん

まず関師の所論と、私の自論は相違しています。私は関師の考えを参考にはしましたが、三宝のとらえ方一つとっても違いがあることをご確認下さい。

その上で、関師は「末法は成仏ではなく、成菩薩を目指す時代」(趣旨)といいます。これは、釈迦仏法でいうところの「成仏」と比較しての表現ですが。
また、日寛教学を「誤り」だといいます。どこが誤りかといいますと、先に書き込みましたように自受報身如来を「人仏」とした点であるといいます。(もしかしたらこれは、同じ法華堂の倉光師の見解か?)
この根拠については、再度書籍に目を通して見ますね。

929犀角独歩:2003/11/19(水) 14:08

空き缶さん:

早々のご返信、有り難うございます。
空き缶さんは妙本寺御影信仰のお立場ですから、相違しているであろうと思いました。

わたし自身法華堂の主張を勉強もせずに述べるのは不謹慎ですね。
しかし、レクチャーをしていただけると、やや概観が掴めます。
できましたら、よろしくお願いします。

930空き缶:2003/11/19(水) 20:39

ん・・

「自立」を再読しましたが、該当部分がみつからない。

福田さん、私の勘違いでしたか?自受報身如来=法仏(趣旨)ってありませんでしたっけ?

931福田里敏:2003/11/19(水) 22:55
犀角独歩さん

報恩抄は、関師も重要視されている遺文ですので、学んでみます。釈尊を蓮師は、尊敬されています。だからこそ、随身仏として、所持されていたのでしょう。しかし、己義になりますが、成仏するのに、三宝が必要でしょうか?誤った三宝(念仏・真言等)は、いけませんが、蓮師が、絶対なる三宝をたてられたでしょうか?あくまでも、妙法に帰依する事により、安穏な国土をめざし、成仏していける!との、万民が簡単に修業できる、題目行を唱えられたのでは、ないでしょうか?僕は、そう理解していますが…

932福田里敏:2003/11/19(水) 23:01
空き缶さん

自受用報身如来=法仏
という考え方は、なかったと思います。出版されていない、論文等も、見てみます。以前、南無妙法蓮華経仏を、関師に尋ねた事がありますが、そういった考え方は、ないとの事でした。今月、個人的に関師を訪ねようと、考えていますので、聞いてみます。

933空き缶:2003/11/19(水) 23:21
独歩さん

すみません。私のトンチンカンな勘違いのようです。

しかし、どなたかの所論にあったと記憶しています。(うーん、気になる誰だろう)

934犀角独歩:2003/11/20(木) 10:40

空き缶さん:

どなたが仰ったんでしょうか。かえって興味がわきました。

935犀角独歩:2003/11/20(木) 10:40

福田里敏さん:

> 関師も重要視

関師が、どうお考えになるか、ではなく、「自分が」がです。
当板は当人の自覚に基づいて議論をする場です。特定集団・個人の代理発言をする場ではありません。ですから、福田さんのお考えをお聞きしたいと思います。もちろん、「○○はこう言っている。それに対して、自分は考証の末、こう思う」ならば承ります。

> 釈尊を蓮師は、尊敬

尊敬していたのではなく「南無」していたのです。これは日蓮本仏論者にも同様に申し上げたいことですが、蓮師の漫荼羅を拝しながら、何故、その図示と相違したことを口にするのか、わたしはこれを三業不一致と責めるわけです。漫荼羅には、明らかに「南無釈迦牟尼仏」と記されています。「南無妙法蓮華経」と同様、帰命を意味する冠頭語です。尊敬というレベルではありません。また、一体仏の生涯随身は、帰命を表してのことでしょう。

> 成仏するのに、三宝が必要でしょうか?

そもそもこの遮難ははじめの一歩で躓いていませんか。三宝の要不を言うのではなく、蓮師は“報恩”という視点から三宝を仰ぐのでしょう。
「仏家」という言葉があります。たとえば子が親と同居しているとします。その子が「家と食事があれば、親は要らない。家を建てたおじいさんはもう死んでしまったから不要」と言ったら、その不知恩、忘恩は非難されるところとなるでしょう。
仏教集団とは釈迦牟尼仏に始まる一切の教法と集団を言います。蓮師もそれ故、「南無釈迦牟尼仏」と漫荼羅に明示されるのでしょう。僧に就き蓮師は「伝持の人無ければ、猶お木石の衣鉢を帯持せるが如し」と言い、経法流布が僧侶によってなされたことを言われます。それにも関わらず、釈尊を祖とし、それを伝持した尊い人々のお陰をもっていま我々が仏法に縁することができているにもかかわらず、何として「仏・僧は不要」と言えることができるのでしょうか。要不で論じるのではなく、その報恩の念から仰ぐのではありませんか。さらに申し上げれば、「成仏するのに、三宝が必要」かと問われれば、仏僧なくして、祖も伝持もない故に、わたしは「必要」と応えるものです。

> 蓮師が、絶対なる三宝をたてられたでしょうか?

先に記したとおりです。

> 万民が簡単に修業できる、題目行を唱えられた

蓮師の唱題行はそれ以前の釈尊に始まる一切の仏教と対立した形で立てられたものではありません。その行法、教法も台家を踏襲しています。仏家である蓮師が三帰を廃するわけはありません。

『守護国家論』「仁王経に云く_…三宝を滅破せんこと師子の身中の虫の自ら師子を食うが如くならん。外道に非ざる也。多く我が仏法を壊り、大罪過を得、正教衰薄し、民に正行無く、漸く悪を為す」
『顕謗法鈔』「三宝を破るが故に、則ち世間の正見を破す」
『太田入道殿御返事』「大涅槃経に…三宝を供養するが故に地獄に堕せず」
『道場神守護事』「設ひ科有る者も三宝を信ぜば大難を脱れんか」
『富木殿御書』「賢慧菩薩の法性論に云く…三宝清浄の信、菩提功徳の業なり」
『兵衛志殿御返事』「四季にわたりて財を三宝に供養し給ふ。いづれもいづれも功徳にならざるはなし」

936犀角独歩:2003/11/20(木) 15:12

福田さんへの追伸

935において「関師が、どうお考えになるか、ではなく、「自分が」がです」と記しましたが、福田さんは931に「学んでみます」と記されたわけでした。私の杞憂には及ばないことであると読み返して思いました。この点、訂正させていただきます。

937愚鈍凡夫:2003/11/20(木) 19:59

蓮祖に関する謎を箇条書きにしたものを見つけましたので転載します。皆さんは、これらの謎をどう解釈されますか?

「法住山要伝寺 質問箱 №099」より転載

**********************************************
Q:Q&A95・96のように、日蓮聖人には、まだ解明されていない「謎」があるようですが、ほかにはどのようなものがありますか。
----------------------------------------------
A:日蓮聖人にまつわる「謎」について、参考までに以下に列挙します。なお、これらについては、若干の回答が出されているもの、あるいは様々な推測がなされているものもあり、全く判っていないというわけではないことを付言しておきます。

(1)なぜ貫名兄弟のうち日蓮だけが出家を許されたのか。
(2)なぜ日蓮の両親は貴重な労働力である10代の我が子を出家させたのか。
(3)なぜ一介の漁師の子が鎌倉遊学・京畿遊学をするための資金を出してもらえたのか。
(4)なぜ当時の鎌倉には学ぶべき寺院が少なかったにも関わらず、日蓮は4年間も鎌倉に遊学していたのか。
(5)なぜ日蓮は、釈迦の聖日である4月8日ではなく、4月28日に立教開宗したのか。
(6)なぜ日蓮は、道善房の持仏堂の南面などという場所で立教開宗したのか。
(7)なぜ立教開宗の当初から富木常忍ら有力檀越の外護を得られたのか。
(8)なぜ千葉氏に関する記述がみえないのか。
(9)なぜ日蓮と名付けたのか。
(10)なぜ弟子に日号を引き継がせたのか。
(11)なぜ不動・愛染の感見について、その後の日蓮は黙秘しているのか。
(12)なぜ日蓮は一切経閲覧のために、安房国国分寺や相模国国分寺ではなく、わざわざ駿河国岩本実相寺まで向かったのか。
(13)なぜ大学三郎・安達泰盛など幕府内にも太いパイプをもっていたのか。
(14)なぜ漁師の子供で泳ぎも達者なはずの日蓮が、伊豆流罪の際、俎岩から対岸に泳いで渡れなかったのか。
(15)なぜ三位房だけが比叡山に遊学できたのか。
(16)なぜ龍口法難で助かったのか。
(17)なぜあれほど特異な龍口の光り物の奇跡を『種種御振舞御書』の中でしか語らないのか。
(18)なぜ日蓮は、流罪に処せられるにあたって、法然房源空のように還俗させられなかったのか。
(19)なぜ日蓮は、歴代の佐渡流罪者の中で唯一赦免されているのか。
(20)なぜ佐渡流罪を赦免された後、甲州方面に向かったのか。
(21)なぜ三大秘法のうち本門の戒壇について言及しないのか。
(22)なぜ遺文中に「大曼荼羅」「大曼荼羅本尊」という用語を用いていないのか。
(23)なぜ大曼荼羅に不動・愛染が勧請されているのか。
(24)なぜ保田妙本寺の万年救護本尊以外に大曼荼羅の讃文中に「本尊」という記述を用いていないのか。
(25)なぜ日蓮は大曼荼羅に虚空蔵菩薩を勧請していないのか。
(26)なぜ大曼荼羅に金剛界・胎蔵界の大日如来を勧請したものがあるのか。
(27)なぜ大曼荼羅の授与書きにみえる人物の大半に関して、遺文中には記述が一切ないのか。
(28)なぜ主要な檀越に与えられた大曼荼羅がほとんど伝存しないのか。
(29)なぜ大曼荼羅は4月に多く図顕されているのか。
(30)なぜ『一代五時鶏図』(日蓮の自題になる真蹟現存の図録)は「鶏の図」なのか。
(31)なぜ数十人いる多くの弟子の中から六老僧だけを直弟に定めたのか。
(32)なぜ僧侶であった日蓮の遺品に刀があるのか。
(33)なぜ、日蓮在世中に、日蓮について言及している教団側の資料(内部史料)は多く存在するのに対して、日蓮について言及している教団外部の資料が少ないのか。

**************************************************

尚、(32)の刀は尼崎本興寺所蔵の「数珠丸」のことだと思います。

「数珠丸由来」
http://homepage2.nifty.com/honkoujipriv/juzumaru.htm

「法住山要伝寺 質問箱」
http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/contents4.html

938アネモネ:2003/11/21(金) 04:43
>937愚鈍凡夫さん

私、法住山要伝寺のことはほとんど知らないのですが、しかしここに転載された謎とするいずれの項目も、大変興味深いですね。
(1)〜(7)と、さらに、とりわけ(8)の千葉氏との関係と、そして(13)の大学三郎・安達泰盛に関わるところなど、個人的にとても関心を持つところです。

確か、安達泰盛は北条得宗化家の縁戚の家柄で、またさらに北条時宗の正室は泰盛の妹ですね。
竜ノ口の法難のとき、時宗の正妻(安達泰盛の妹)の懐妊という理由によって斬首から流罪に赦免されたという、>856で独歩さんが紹介してくださっていた内容に深く関連しているかと思われます。
その部分を抜粋させて頂きますと、

********************************
このように、斬首に処そうとする意図があったにもかかわらず、結局は死刑は免ぜられ、流罪に処せられたのは、北条時宗の妻の懐妊によると考えられる。事実、この歳、貞時が誕生している(辻善之助『日本仏教史』中世篇之一)。これに関連して、日蓮が「大がく(学)と申す人は普通の人ににず、日蓮が御かんきの時身を捨てゝかたうど(方人)して候(そうらい)人」(『大学三郎御書』平遺784頁)と、大学三郎の行為について述べていることに注目したい。大学三郎については、伝承を除けば、ほとんど未詳だが、ただわずかに、大学充(だいがくのじょう)という日蓮の檀越の子息であったろうこと、書に秀で、書を好んだ安達泰盛(あだちやすもり)と書を通じての交りをもっていたことがわかる程度である。ところで、大学三郎と親交があった泰盛はほかならぬ時宗の舅(しゅうと)、つまり、時宗の妻の父であり、懐妊した子(のちの貞時)の祖父に当たる人である。この関係と日蓮の大学三郎についての叙述を重ね合わせれば、大学三郎が泰盛に働きかけ、泰盛は婿(むこ)時宗に孫の懐妊中における日蓮の刎頸注視を進言したのではなかろうか。「身を捨ててかたうど」した意味を、右の関係のなかに置いてみることは十分に可能である(増補改訂『日蓮』高木豊著 株式会社太田出版 P90)
******************************

余談ではありますが、この『日蓮』(高木豊著 株式会社太田出版)は私も読みました。日蓮の実像に迫る、大変参考になる一冊だったかと思います。

平頼綱の正妻は北条時宗の嫡男・貞時の乳母であり、北条時宗の死後、「乳母夫」と「内管領」という権力を手にした頼綱は、得宗家の「外戚」として力を持つ安達泰盛と衝突し、遂に、貞時に讒言して安達一族を葬り去ります。(『霜月騒動』)。
ところが、その平頼綱一族も、後に北条貞時によって滅ぼされるわけです。(『平禅門の乱』)

私は、大雑把な歴史しかわかりませんが。千葉氏、安達氏、そして大学三郎のラインは、日蓮研究の上でも、特に外せない重要なところではないかと、私としても最も知りたい大変興味深いところであります。

939愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 12:17
アネモネさん、レス有り難うございます。
さすがですね。 (^_^)v
安逹義景の娘(堀内殿、後の覚山尼)に関する資料を見つけたので投稿します。

『駆込寺 東慶寺史』より抜粋

**************************************************

1 堀内殿

 開山覚山尼は秋田城介(じょうのすけ)安達義景(よしかげ)〔1210〜53.44歳〕の女(むすめ)、母は北条時房〔1175〜1240.66歳〕の女、時房は尼将軍政子〔1156〜1225.70歳〕の弟、いずれも鎌倉の名門である。建長四年(一二五二)七月四日、鎌倉長谷甘縄の安達邸で生まれた。『吾妻鏡』には、この日の条に、

天晴、午刻秋田城介義景妻、女子平産云々、号堀内殿者也。

 とある。日本女性史上の代表的人物となる覚山尼こと堀内殿の誕生を祝うがごとき晴天であった。のちに夫となる時宗は、この前年五月十五日に同じこの安達の邸で生まれたのである。
 堀内殿には兄泰盛〔1231〜85.55歳〕以下八男三女の兄弟姉妹があるが、この翌年父が逝き、兄泰盛が城介となり父代りとなる。『徒然草』にも出てくる障子の切り貼りをして、世を治むる道、倹約を本とすとわが子時頼に教えた松下禅尼は安達義景の妹であるから、堀内殿には叔母であり、後に時宗夫人となっては外祖母になる人であるが、同じ甘縄の邸内に住んでいたから、少女時代に訓育感化をうけたことであろう。
(中略)
 建長五年〔1253〕六月三日、堀内殿が満一歳にもならぬ前に父義景は四十四歳で死んだ。この年十一月に建長寺が落慶した。この寺は時頼の本願で、建長三年十一月起工、開山は宋から渡来の蘭渓道隆〔1213〜78.76歳〕である。
(中略)
 弘長元年(一二六一)の四月二十三日に、時宗十一歳、堀内殿十歳で結婚、安達邸から時宗邸に移った。早婚であり、近親結婚であるが、当時は珍らしくない。堀内殿から見れば時頼は従兄弟であるが、ここで舅と嫁の間柄となる。北条家の若君、後の執権となるべき時宗の妻として、その家柄、その人物最も適格の者として松下禅尼の推挙したものであろう。
(後略)

 3 日蓮の法難と時宗夫人

 これより先、日蓮〔1222〜82.61歳〕は『立正安国論』を著わして時頼にささげたが、彼は黙殺した。文永五年、蒙古の来状を聞いて日蓮は時宗に書状を送り、建長寺の蘭渓、極楽寺の忍性〔1217〜1303.87歳〕にも書状を与えて挑戦したが、誰も返答しない。文永八年〔1271〕六月、幕府は忍性に雨を祈らせた。これを日蓮は猛烈にやじった。ついに九月十二日、竜ノロで首の座に引据えられた。この時、刀が折れたとか、奇蹟があったとかで、日蓮宗では「竜ノ口の御法難」と称するほど有名な事件であるが、事実は時宗夫人の懐妊のゆえに、俄(にわ)かに死罪を赦されて佐渡に流罪となったのである。

「なにとなくとも頸を切らるべかりけるが、守殿(相模守時宗)の御だい所の御懐妊なればしばらく切られず」(「種々御振舞御書」)

 と、日蓮自身がのべているとおり確かなことで、これについては辻善之助博士も『日本仏教史』に詳論され、すでに学界でも定説となっている。ともかく時宗夫人のお蔭で、日蓮はあやうき命を助けられたことになる。

 この年十二月二日に、貞時〔1271〜1311.41歳〕が生まれた。夫人二十歳の時である。

*****************************************************

関連資料(HP内それぞれの青色書籍名をクリックすると関連部分が閲覧できます)

「『北条時宗』 参考文献」
http://www2.justnet.ne.jp/~jingu/tokimune-sankobunken.htm

940ガンコ:2003/11/21(金) 19:20

素朴な雑感

空き缶さんのおっしゃる
>法然上人は何故称名念仏を提唱したのか、それは「末法とは無佛の時代」だからだと思います。

あれれ? 称名念仏って、阿弥陀仏に南無することではないかと思うのですが、そうすると有仏では? あるいは、阿弥陀は西方十万億土の教主であって、此の娑婆世界には居らないってこと?
しかし、阿弥陀はともかく、すでに独歩さんが指摘されているように、常住此説法・・・あるいは、「本地久成の円仏は此の世界に在せり」ですから、このあたりの整合性をもう少しつけていただきたいと思います。
まあ、おそらく、無仏というのは仏滅後を言うのでしょう。あるいは仏の出現以前を。雪山童子の時代は無仏だったようですし・・・

独歩さんは、
>尊敬していたのではなく「南無」していたのです。
>尊敬というレベルではありません。

とおっしゃいますが、
「夫一切衆生の尊敬すべき者三つあり。所謂、主・師・親これなり。」
大聖人が開目抄にて御使用になっていらっしゃることからして、尊敬もあながち捨てたものじゃないのでは?

もっとも、尊敬が(そんけい)なのか、(そんぎょう・そんきょう)なのかでぜんぜんちがうのでしょうけど・・・

941空き缶:2003/11/21(金) 20:48
ガンコ さん

私は念仏については、詳しくわかりません。
これまでの日蓮門下からみた(教えられた)範囲の狭い知識です。
しかし、末法が「無佛の時」だとすると、「称名念仏」による救済思想という発想にも頷けます。
法然上人の説は、それなりに的を射たものなんでわないかと思ったりします。

→「阿弥陀は西方十万億土の教主であって、此の娑婆世界には居らないってこと?」

その通りだと思います。

それに対して日蓮聖人は、「無佛」でも「釈尊が仏になった法がある」、末法は「仏」に南無するのでは無く、「法(経)」に南無する時、すなわち「南無仏」(南無阿弥陀仏)ではなく「南無経」(南無妙法蓮華経)の時なんだ、と主張されたんではないかと思ったりします。
この考えは、法華堂の考えに近いはずです。(そうですね福田さん)

942愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 20:50
今日の読売新聞夕刊の1面にこんな記事が掲載されていました。

*********************************************
日蓮の指紋?
 直筆「曼荼羅」に 静岡・沼津の寺
 静岡県沼津市の妙海寺に伝わる日蓮宗開祖、日蓮(1222〜82)真筆の「大曼荼羅本尊」から、日蓮本人とみられる左手の指紋が見つかったことが21日、わかった。揮ごうの際、乾ききらない墨跡に触れたらしい。宗祖の"存在の証し"に笹津海道住職(37)は「聖人の体温が伝わるよう」と話している。
 死去2年前の1280(弘安3)年5月の作。縦1㍍横55㌢で、中央に「南無妙法蓮華経」の題目を大書。周囲に諸仏や菩薩の名を配し、法華経の救いの世界を表している。
 指の跡は修理中に見つかり、日蓮研究の第一人者の中尾堯・立正大名誉教授(日本仏教史)が確認。題目の左下に書かれた四天王の一人「大増長天王」の字の「天」「王」に約十か所あり、指紋もあった。署名と花押をする際、神を押さえた左手が触れたらしい。
 直筆の曼荼羅は「立正安国論」で"予言"した元寇が14年後に実際に起きたため、九州北部の警備につく武士が御守りとして求めることもあったという。
 中尾名誉教授は「略字や欠字が多く速書とみられていたが、指紋を残すほど先を急ぐのは正確を表しており興味深い」と指摘する。

2003(平成15)年11月21日読売新聞夕刊1面より
******************************************

943愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 20:57
訂正

誤→神を押さえた左手が触れたらしい。

正→紙を押さえた左手が触れたらしい。

です、悪しからず。 m(_ _;)m ゴメン!!

944愚鈍凡夫:2003/11/21(金) 21:05
>>942:
またまた訂正です。

誤→中尾名誉教授は「略字や欠字が多く速書とみられていたが、指紋を残すほど先を急ぐのは正確を表しており興味深い」と指摘する。

正→中尾名誉教授は「略字や欠字が多く速書とみられていたが、指紋を残すほど先を急ぐのは性格を表しており興味深い」と指摘する。

です、m(_ _;)m ゴメン!!

945福田里敏:2003/11/21(金) 21:49
空き缶さん
>日蓮聖人は、「無佛」でも「釈尊が仏になった法がある」、末法は「仏」に南無するのでは無く、「法(経)」に南無する時、すなわち「南無仏」(南無阿弥陀仏)ではなく「南無経」(南無妙法蓮華経)の時なんだ、と主張されたんではないかと思ったりします。

その通りです。法華堂の考え方です。

946犀角独歩:2003/11/22(土) 00:44

「無仏の時代」という考えは、元来、弥勒信仰に係るものでしょうね。
釈尊滅後、無仏の時代に入り、56億7千万年後に弥勒の次の仏として現れるまでの時を言うのでしょう。この無仏の時代にその代わりをなすのが地蔵菩薩で、路傍の地蔵信仰はここからきたのでしたね。

これと法蔵比丘でしたか、四十一願の記述が、どう関わるのか、わたしは詳しくありません。

それにしても、無仏思想と法華経が関係があるとするのは意外です。
何を根拠とするものなのでしょうか。

947犀角独歩:2003/11/22(土) 00:50

940 ガンコさん:

わざと外したコメント、ガンコさんらしい。

わたしは漫荼羅に記される「南無釈迦牟尼仏」について、記したのです。
尊敬・習学の指標を示す真跡について記したのではありません。

948福田里敏:2003/11/22(土) 01:01
犀角独歩さん

>漫荼羅に記される「南無釈迦牟尼仏」について

では、多宝如来や、四菩薩や、他の菩薩にも、南無としるされていますが…

949犀角独歩:2003/11/22(土) 09:46

福田さん:

> 多宝如来や、四菩薩や、他の菩薩にも、南無

ええ、もちろんでしょう。日蓮上行を言う人からすれば馴染まないでしょうが、日蓮は一介の僧として四菩薩に南無していたのでしょう。そして、もしや自分は地涌の流類かも知れないという襟度をもって書かれるのが真跡です。まず四菩薩が現れ、そして、久遠釈尊仏像を通して見仏を示す、所持の法は妙法です。この証明をなすのは多宝如来ですから、帰命の対象でしょう。ここに蓮師の三宝観はしっかりと看取できます。

また、漫荼羅によっては一切の諸尊聖衆に南無を冠するいわゆる「総帰命」と称される漫荼羅図示もあります。これはすなわち、釈尊在世、その許の有縁の衆は過去五百塵点、あるいは三千塵点已来の結縁の基づいて参集した尊い衆生であるという見地によると拝せるのだと思います。

法華経では釈尊は久遠五百塵点に成道し、その寿命はその数に倍して残っている。心清く柔らかく信心堅固の人には、その仏と見(まみ)えることができるというのがその骨子です。無仏どころか、この娑婆世界に常に住し説法教化し続ける仏を説き表すのが法華経です。

南無妙法蓮華経と唱えるとき、その妙法蓮華経を流宣する四菩薩、その四菩薩の師仏・久遠釈尊への南無を意味します。南無妙法蓮華経は単なる南無経(法)ではなく、南無仏・南無僧(四菩薩)、すなわち三帰の意義を含めた唱題であるというのが蓮師の立場であると拝せます。

950空き缶:2003/11/22(土) 13:08

犀角独歩さん

「総帰命」本尊といえば、万年救護本尊や佐渡始顕本尊などもそうですね。

ところで、「仏滅後二千二百卅余年之間一閻浮提之内未有大曼陀羅也」は一般的な御本尊の讃文ですが、「釈尊滅後、この世界の中で未だあらわされることが無かった大曼荼羅である」と解しまして、何が「未だあらわされなかった」のかということになります。
この点を法華堂では、「南無法」の御本尊こそが、「仏滅後二千二百卅余年之間一閻浮提之内未有」であるといいます。
つまり、歴史上「南無仏」の本尊は曼荼羅形式・仏像形式にて、日蓮聖人以前にも多々造られてきた。しかし「南無法」つまり「仏」ではなく、「法(経)」そのものを本尊としたのが「仏滅後二千二百卅余年之間一閻浮提之内未有」の出来事であるというのです。

私はさすが「興風談所」の初代所長だと、思いました。なかなかの着眼点だと思います。

951愚鈍凡夫:2003/11/22(土) 14:22
横レス失礼します。

「法灯明」の教えは原始仏典にありますし、法華経に於いては、最も強調されている事ですよね。

「汝舍利弗。尚於此經。以信入得。況余聲聞。其余聲聞。信佛語故。隨順此經。非己智分。(汝舎利弗、尚お此の経に於ては信を以て入ることを得たり。況んや余の声聞をや。其の余の声聞も仏語を信ずるが故に此の経に随順す。己が智分に非ず。)」(妙法蓮華經譬喩品第三)

「我爲佛道。於無量土。從始至今。廣説諸經。而於其中。此經第一。若有能持。則持佛身。(我仏道を為て、無量の土に於て、始より今に至るまで広く諸経を説く。而も其の中に於て此の経第一なり。若し能く持つことあるは則ち仏身を持つなり)」(妙法蓮華經見寳塔品第十一)

とあります。「法華経」を信じ持つことが最も重要であるとのことですね。そして、

「諸譱男子。如來所演經典。皆爲度脱衆生。(諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり)」(妙法蓮華經壽量品第十六)

仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものであるとのことですよね。
仏法は経典から導き出されるものですから、古より「法」を柱とする精神は変わらないのではありませんか。

「若有受持讀誦。正憶念。修習書寫。是法華經者。當知是人。則見釋迦牟尼佛。(若し是の法華経を受持し読誦し正憶念し修習し書写することあらん者は、当に知るべし、是の人は則ち釈迦牟尼仏を見るなり、)」(妙法蓮華經普賢菩薩勸發品第二十八)

ここにも、法華経を中心とした仏道修行の重要性が説かれていますね。一言で言えば、「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁すると言うことでしょうか。

952ガンコ:2003/11/22(土) 15:16

このところの議論は、わたくしにとってもたいへん興味深い議論ですので、素朴な疑問をいくつか書いておきます。

「弥勒菩薩は兜率の内院に籠らせ給ひて五十六億七千万歳をまち給うべし。」

撰時抄の冒頭にありますこの御文、大聖人は単にたとえとしておあげになられたのか、それとも本当にそう御考えであられたのか? ちゃんと聞いたことはありませんけど、顕正会では「弥勒はたとえに過ぎない」と考えているようです。(ちがっていたらお知らせください、モトミナさん・ワラシナさん等)

同じく撰時抄に、
「彼の大集経の白法隠没の時は第五の五百歳当世なる事は疑ひなし。但し彼の白法隠没の次には法華経の肝心たる南無妙法蓮華経の大白法の、一閻浮提の内に八万の国あり、其の国々に八万の王あり、王々ごとに臣下並びに万民までも、今日本国に弥陀称名を四衆の口々に唱ふるがごとく、広宣流布せさせ給ふべきなり。」
あるいは、
「この念仏と申すは双観経・観経・阿弥陀経の題名なり。権大乗経の題目の広宣流布するは、実大乗経の題目の流布せんずる序にあらずや。心あらん人は此をすいしぬべし。権経流布せば実経流布すべし。権経の題目流布せば実経の題目又流布すべし。」

前にも書きましたが、もっとも素朴な疑問は、なんで南無阿弥陀仏に対して南無釈迦牟尼仏ではないのか・・・なのです。

「例せば神力品の十神力の時、十方世界の一切衆生一人もなく娑婆世界に向かって大音声をはなちて、南無釈迦牟尼仏・南無釈迦牟尼仏、南無妙法蓮華経・南無妙法蓮華経と一同にさけびしがごとし。」

この御文の背景として、「彼は一品二半、此は但題目の五字なり。」があるように思えます。つまり、釈尊在世には南無釈迦牟尼仏、滅後・・・ことに末法においては「但題目の五字」が肝要であって、じじつ大聖人御図顕の御曼荼羅は題目を中心にえがかれているわけです。

953ワラシナ:2003/11/22(土) 21:56
ガンコ様へー「宗祖本佛論的素朴な疑問」ーについて。

0、
>大聖人は単にたとえとしておあげになられたのか、それとも本当にそう御考えであられたのか? 
>ちゃんと聞いたことはありませんけど、顕正会では「弥勒はたとえに過ぎない」と考えているようです。

私もわかりません。大体宗祖の引用文全てにおいて「単にたとえとしておあげになられたのか、それとも本当にそう御考えであられたのか?」はっきりつかめないところが多いと思う。 宗祖の物事の捉え方の特徴をケースごとにその差異としてつかみたいと思っております。今後の遺文研究の姿勢としてそうやりたいと言う抱負としてですが。
(、、、しかし、この「思っております、思っております」の言い回しに触れるたびに浅井会長の口癖だった「思って・お・り・ま・す、思って・お・り・ま・す」を思い起こすものです。)


1、さて、下の二行の問いの関連こそ私も極めつけに重大な問題だと思う。

>もっとも素朴な疑問は、なんで南無阿弥陀仏に対して南無釈迦牟尼仏ではないのか・
>ことに末法においては「但題目の五字」が肝要であって、じじつ大聖人御図顕の御曼荼羅は題目を中心にえがかれているわけです。

1−0、これについては、自分も死ぬまでには、この問題だけは(他の仏教学は解らんでもいいから)心の底から「なぞが解けた!」という瞬間を持ちたいと願って長い間思索し続けてきました。

1−1、で、大変生意気ですけど自分なりの謎解きができまして(どこか見当はずれでしょうけど)「現象佛と内面佛の二重内面」(5)(6)(7)辺りで自分の考えの下書きを出す予定です。

954空き缶:2003/11/23(日) 01:19
独歩さん、福田さん

久遠元初自受由身は『法』であるとする説、みつけました。確かに関師の書いた書籍でしたが、松戸氏の書いた本の概要を述べた部分なので、該当諸説は関師のものではなく、松戸氏のものですね。

955空き缶:2003/11/23(日) 10:45

続き

法華叢書1「発想の転換」−日蓮正宗法華堂 関 慈謙
書評・松戸幸雄著『人間主義の「日蓮本仏論」を求めて』を読んで

上記の中に、『久遠元初自受用報身は法である。これを、「人」とするところに寛師の誤解の始まりがある。』との文言が出てきます。
しかしこれは関師の所論ではなく、松戸氏の所論を関師が要約して示したものであります。
このところを、私が誤解していたようです。

956犀角独歩:2003/11/23(日) 11:51

954,955 空き缶さん:

有り難うございます。

> 久遠元初自受由身は『法』である

しかし、この解釈は二重におかしな考えであるとわたしには思えます。
法であれば「報身」ではなくて「法身」でしょうし、また、三身であれば、人ではなく、仏でしょう。また、自受用身が法であれば、凡夫(人)本仏自体成り立ちようがないことになります。

さらに言えば、そもそも蓮師真跡上にただ一度も「久遠元初」も「自受用身」も表れないのであってこの点をまったく考証の対象にしないのは、学的に不誠実であるとわたしは思います。

957ガンコ:2003/11/23(日) 12:00

ワラシナさん、どうもです。

>長い間思索し続けてきた・・・自分なりの謎解きができた・・・

これはたいへん楽しみです。お待ちしております。

しかし、「現象佛と内面佛の二重内面」ってとっても難しいですね。わたくしのあたまではほとんど理解できないんだもの。

958犀角独歩:2003/11/23(日) 12:46

950 空き缶さん:

漫荼羅中、法は「妙法」の二字ですね。
しかし、『本尊問答鈔』では「末代悪世の凡夫は何物を以て本尊…法華経の題目を以て本尊」でした。では、ここで蓮師がいう法華経題目は“法”なのか、という問題が提示されます。その答えは次下にあるとわたしは読みます。すなわち、

「法華経の第四法師品に云く「薬王在在処処、若説若読、若誦若書、若“経巻”所住之処、皆応起七宝塔極令高広厳飾。不須復安舎利、所以者何、此中已有如来全身」等云云」

です。蓮師が言う「題目」とは法ではなくて“経典”です。わたしはここのところ、何度も繰り返してきましたが、蓮師は題目本尊論者なのでしょう。そして、この題目は法華経“経典”を指しているわけです。では、これを漫荼羅に「南無妙法蓮華経」と記し、奉掲する理由は、と問われれば、同鈔の次下に(一句飛ばします、後述します)

「天台大師の法華三昧に云く「道場の中に於て好き高座を敷き法華経一部を安置せよ、亦必ずしも形像、舎利並びに余の経典を安ずることをもちいざれ。唯だ法華経一部を置け…法華三昧を以て案ずるに法華経を本尊」

ということから、題目は法華経典の指標であり、その題目を図し、奉掲して法華道場の荘厳たらしめたと見えます。

では、しかし、この題目=経典は、論理展開としてここで畢っているかと言えば、そうではなく、そこに“法”をしっかりと看取されます。すなわち、先に飛ばした一句です。

涅槃経の第四如来性品に云く「復次迦葉、諸仏所師所謂法也、是故如来恭敬供養以法常故諸仏亦常」(復次に迦葉諸仏の師とする所は所謂法なり是の故に如来恭敬供養す法常なるを以ての故に諸仏も亦常なり)

です。諸仏は法を師とするという記述です。この点から言えば、法が師である、…ここのところの議論で言われる「南無法」…ではないのかと、なります。
けれど、法が師なのだというのは即断であるとわたしは思います。何故ならば、「諸仏の師とする所は所謂 法」という一句は「末代悪世の凡夫…法華経の題目・本尊」と対句をなしているからです。すなわち、諸仏は師とするところはたしかに法であるけれど、末法衆生が本尊とするところは題目経典であるという対比です。

ですから、法は諸仏が師とするところであるけれど、末法衆生が本尊とすべきは題目(法華経典)であるというのが、この鈔の脈絡です。この点を落として、末法無仏・本尊は法としては、蓮師の本尊観と相違するというのがわたしが言いたいことなのです。

959アネモネ:2003/11/23(日) 13:22
横レス失礼いたします。

>951愚鈍凡夫さんのレスを拝見いたしまして、少し私にはわからないところがあるのです。
ここのところの教学的議論の流れは、私にはとても高度でわからないことだらけなのですが、ここは素朴な疑問ということで、レスをお許しください。

>「法灯明」の教えは原始仏典にありますし、法華経に於いては、最も強調されている事ですよね。…とあります。「法華経」を信じ持つことが最も重要であるとのことですね。

ここなのですが、いわゆる「原始仏典」に記される、釈迦牟尼仏が説いた「法灯明」の教えとは、「法華経」を信じ持つということだったのか。つまり、「法灯明=法華経を信じ持つ」といえるのか。もしくは、法灯明=南無妙法蓮華経ということなのかという素朴な疑問です。

>仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものであるとのことですよね。

素朴な疑問なのですが、法華経は仏の教えを説いているものなのでしょうか。
うまくいえませんが、法華経には確かに「仏の教えを説いた経典は、衆生を成道に導くためのものである」と書いてあるとしても、その「仏の教え」が何であるかという具体的な内容に触れてあるものなのかなあという疑問が私にはあります。
もっといえば、先の疑問にも関連して、「仏の教え=法華経」なのか。「仏の教え=南無妙法蓮華経」なのか。もしくは、「仏の教え=法華経を信じ持つ」ことなのかという素朴な疑問です。

>仏法は経典から導き出されるものですから、古より「法」を柱とする精神は変わらないのではありませんか。

法を柱とする精神はそうだと思うのですが、その「法」とは何かということについて具体的に書かれている経典がまさに法華経といえるものなのか?という疑問があります。

>法華経を中心とした仏道修行の重要性が説かれていますね。一言で言えば、「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁すると言うことでしょうか。

法華経を通して釈迦牟尼仏を拝謁するということは、恐らく法華経という経典を成立させた人々の信仰観だっただろうなあということは想像できるのですが、しかし、逆にそれが拝謁する釈迦牟尼仏の教導せんとする成道の姿といって間違いなのか?という素朴な疑問が出てきました。

すみません。私、よくわかっていませんので、トンチンカンな疑問かもしれません。
要するに、法華経という経典を信じ持つことが、釈迦が説いた法灯明の教えであるのかどうかという疑問ですね。もっと平たく言えば、法華経という経典=法灯明の法、つまり法華経=法なのかという疑問でもあります。
まあ、日蓮の信念と教えはそうだったのかもしれませんけれども…。

960犀角独歩:2003/11/23(日) 13:59

951 愚鈍凡夫さん:

横レスへの横レスです。

> 法灯明

単に法灯明ではなくて、「自灯明・法灯明」が対になっています。
「自らを灯明となし、自らをよりどころとして、他人をよりどころとせず、法を灯明となし、法をよりどころとして、他をよりどころとせず、すすめよ」でした。

在世のシャキャムニが、自分のことを拝ませたか? そんなことはなかったでしょう。
ですから、ここで拠り所とされたのは、愚鈍凡夫さんが言うとおり、ダルマ(法)であった、しかし、その法を拠り所とする前提は自分自身が正しく道(どう)を歩むという前提にあったのでしょう。道とはまさに法なのであろうと思います。

滅後、仏教徒である指標とは三帰五戒であって、ここに三宝帰命が仏教徒である証となっていったわけですね。この段階で自灯明の精神が損なわれたかと言えば、わたしにはそう思える節もあります。殊に教団信仰へ転落すればするほど、自己評価を貶めることによって集団・指導者への依存度を増すという“操作”がそこに看取されます。ここでは自灯明というシャキャムニの遺言は影を潜めてしまっています。これではいけないと思うわけです。

> 法華経

『六法全書』を例に採ります。これは法律をまとめたものですが、法律そのものではありません。法律をまとめた本です。
同じように法華経は正法(羅什師が言う妙法)に基づく本ですが、法そのものではありません。経典です。

愚鈍凡夫さんが引用された三品、譬喩品では「此經」、寳塔品では「此經」壽量品では「經典」となっています。“法”ではなく、経典です。実はこの点が重要なのだとわたしは思います。

> 「法華経」を通して「釈迦牟尼仏」を拝謁する

この視点に賛同します。これが要するに「見仏」ということなのであろうとわたしは思います。

少し横道に逸れますが、わたしが法華梵本直訳を読んでいちばん驚いたのは、全編を通じて記されていないことが二つあった点でした。一つは正法と言いながら、その法が何であるのか記されていない、もう一つは仏が「この上なく完全なさとり(阿耨多羅三藐三菩提)に到達したとしながら、このさとりがどのようなものであるの記されいないという二点です。

これを羅什師は諸法実相九如としますが、これは意訳でした。また、智邈師はここを十如三千で湛然師が一念三千としてこれが法であるといいますが、これが羅什師から智邈師、最澄師を経って蓮師受け継がれる台学の有様でした。この系譜にはわたしは大いに異論はあるのですが、ここでは蓮師の素意を考えますので、この異論はさておきます。

梵本法華経で、強調されるのは経典崇拝という一点でした。法華経典を通じて如来を見(まみ)えるという見仏思想です。そして、経巻崇拝はまた菩薩道のなかに摂取されます(法師品「若有得聞是經典者 乃能善行菩薩之道」

ところが羅什師が九如の意訳をなし、ここに新たな教学運動が起こるとそれは一念三千という法華経そのものにはまったくない教学解釈が添加されていくことになります。法華経の中でどこが一番大事なのかという部分論が展開されていきますね。八品だ、一品二半だという話です。さらにそれが題目だと言ったのが蓮師でした。そして、その理由は『本尊鈔』「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」と言い、その題目が大切なのは仏がこの五字に一念三千の珠を裏(つつ)んだからであると蓮師は言って、ここに題目本尊が成立していくのであろうと思います。これまた、余談ですが、漫荼羅は本尊であるというより、その首題・妙法蓮華経の五字が本尊であるというのは押さえるべき点でした。

ここで疑問に挙げるのは、何故釈迦本尊ではなく、題目本尊なのかという点なのでしょう。『本尊問答鈔』が果たして真跡か、という大きな問題は残りますが、「南無妙法蓮華経」は動かし難い事実です。わたしはしかし、福田さんに投げかけた問題点は漫荼羅には明確に「南無釈迦牟尼仏」と記されている、これまた動かし害対事実である、それなのに、なぜ富士門徒はこの点を等閑にするという点でした。

この点は、日蓮本仏論者は避けたい議論のようで、どうも皆さん、議論を横道に逸らしてしまいますね。残念です。

961空き缶:2003/11/23(日) 14:37

犀角独歩さん

→そもそも蓮師真跡上にただ一度も「久遠元初」も「自受用身」も表れないのであってこの点をまったく考証の対象にしないのは、学的に不誠実であるとわたしは思います。

関師もこの点を指摘していました。


→ですから、法は諸仏が師とするところであるけれど、末法衆生が本尊とすべきは題目(法華経典)であるというのが、この鈔の脈絡です。この点を落として、末法無仏・本尊は法としては、蓮師の本尊観と相違するというのがわたしが言いたいことなのです。

法=題目で、どうなのでしょう?それから関師は「自立」の中で独歩さんと全く同じ個所の「本尊問答抄」を引用されています。

松戸氏の所論には、同感できる部分も多いといった評価ですが、全面的に賛同しているわけではなさそうです。

962犀角独歩:2003/11/23(日) 14:51

アネモネさん:

横レス失礼します。

“法”ということなのですが、どなたが、どの著述で明言していたことなのか失念したのですが、読書で頷いたことがあります。

それは仏法と仏道は同じ意味であるということでした。
つまり、法は道(どう)であるというのでした。

まあ、インドなどでいうダルマ(ダンマ)は実に多義に亘る意味を凝らした語であって、上述の限りではないですし、それは中国から日本への伝播、三国における内観分析や、羅列主義とも映ずる論の展開でますます煩瑣の度合いを増していきました。

こうなってくると、法とは何なんだか、わけがわからなくなってきます。
法華経で言う、正法(サ・ダルマ)、妙法などと言い出すとますますわかりませんね。
960にも記したとおり、それが何であるのか、まるで説かれていないと見えるのが法華経だからです。

けれど、法と道、より正確に言えば、法の実践が道なのではないのかと、わたしは考えて見ることにしました。こうなると、法は道(実践)のなかでしか見えませんから、そもそも別に論じること自体意味をなさないことになりますね。

この視点で、もう一度、法華経を読み直します。すると、法華経の中にまざまざと浮かび上がる“法”があります。何でしょうか。おわかりになると思います。「菩薩道」です。つまり、法華経の中に説かれる正法とは菩薩道であると見ると、この経典が元来、言おうとしていた意味が初めて見えてくるとわたしには思えるわけです。

難信難解だというのは、法をこねくり回し、わけをわからなくしてきた解釈にその原因があったのではないのか、遮蔽物となっていたのは一念三千という解釈にあったのではないのかというのが、最近、夙に思うところです。

963犀角独歩:2003/11/23(日) 15:11

961 空き缶さん:

> 法=題目

そうですね。
でも、蓮師は末法衆生は題目が法であることがわからない前提で題目本尊を立てていると、わたしは指摘したわけです。繰り返しになりますが、「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」です。

一念三千を教学的に勉強してくると、これがどうやら法のことらしいというのは誰しも考えるようになります。でも、本当に一念三千の意味がわかる人がいるのでしょうか。もっと言えば、蓮師の立場は一念三千という法は末法衆生にはわからない、だから題目だということではないでしょうか。

だから、諸仏は法を師とできるけれど、末法衆生には題目であるという相違を、蓮師は言っているとわたしは拝しているわけです。

964ガンコ:2003/11/23(日) 15:40

>わたしはしかし、福田さんに投げかけた問題点は漫荼羅には明確に「南無釈迦牟尼仏」と記されている、これまた動かし害対事実である、それなのに、なぜ富士門徒はこの点を等閑にするという点でした。

>この点は、日蓮本仏論者は避けたい議論のようで、どうも皆さん、議論を横道に逸らしてしまいますね。残念です。

いやいや、独歩さん、そんなことありませんよう。
だいたい、富士門徒の中には、何を血迷ったか、大聖人の御曼荼羅にイエスが認められても問題ない・・・みたいなことを言う人だっているんですから、順番から言えば釈尊が筆頭であって、それは「動かしがたい事実」でしょうし、べつに避けているわけではないと思います。
問題はいわゆる造像にあるわけで、曼荼羅正意の立場から申せば、それだけは避けたい・・・仏像は拝みたくないわけです。
遥拝勤行はべつとして、じっさいに御本尊の御前で勤行するばあい、まさか、南無釈迦牟尼仏だけ見ないようにする・・・というか、もう、そうなると、御本尊自体拝めなくなっちゃうわけですから、それはおかしな話でしょう。まさか、文字通りの題目本尊・・・つまり、南無妙法蓮華経だけ認められた御本尊を拝む・・・って、こうなると大石寺の御本尊を否定することになってしまうし・・・ですから、べつになおざりにはしていないのです。

おそらく、
「法華経の寿量品に云はく『或は己身を説き或は他身を説く』等云々。東方の善徳仏・中央の大日如来・十方の諸仏・過去の七仏・三世の諸仏、上行菩薩等、文殊師利・舎利弗等、大梵天王・第六天の魔王・釈提桓因王・日天・月天・明星天・北斗七星・二十八宿・五星・七星・八万四千の無量の諸星、阿修羅王・天神・地神・山神・海神・宅神・里神・一切世間の国々の主とある人何れか教主釈尊ならざる。」(日眼女抄)

とあるし、また、開目抄には、
「華厳・観経・大日経等をよみ修行する人をば、その経々の仏・菩薩・天等守護し給ふらん。疑ひあるべからず。」(切り文)

とありますから、極論すればイエスもあり? なんでしょうかね。ご本人に聞いてみないとわかりませんが・・・

965空き缶:2003/11/23(日) 16:18
犀角独歩さん

恐らく、関師の諸説は独歩さんも共感されることと思いますよ。

→でも、蓮師は末法衆生は題目が法であることがわからない前提で題目本尊を立てていると、わたしは指摘したわけです。繰り返しになりますが、「不識一念三千者仏起大慈悲五字内裏此珠令懸末代幼稚頸」です。

はい、この通りだと思います。つまりわからなくても問題ないということなんだと思います。

福田さんにメールで問い合わせましたが、関師や法華堂の出版物は現在「私の中の仏」「自立」「発想の転換」「法華思想の再生に向けて」「信ずるということ」の5冊のみです。
5冊とも30Pから100Pほどの書籍です。したがいまして、この中だけで判断すると矛盾も多くみられますが、書籍になっていない部分も含めれば恐らくそれなりの理論構築は出来ていると思われます。
この辺は、やはり法華堂信仰者の福田さんからの情報に頼るしかないと思います。

966犀角独歩:2003/11/23(日) 16:32

964 ガンコさん:

引用している「日眼女抄」とは板漫荼羅が造立されたとなっている弘安2年に記された『日眼女釈迦仏供養事』の御文ですね。

「三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立の檀那日眼女…教主釈尊をつくりまいらせ給ひ候へば、後生も疑ひなし…女人の中の第一也」

と釈迦仏像を造ったことを蓮師が褒めちぎる書です。ですから、引用される箇所も、漫荼羅の記述ではなくて、その結論部は「釈尊一体を造立」に掛かっています。つまり、仏像についての記述です。それで、

> 仏像は拝みたくないわけです

たとえ、蓮師の真跡であっても、仏像は拝みたくない、祖師の教義を枉げてもそこまで言いますか。考えさせられるところはあります。

ガンコさんとは関係ありませんが、この書の記述は、像非派は信仰のない日眼女に方便で仏像を認めて書いたものなんて、解説しています。ここまで自分の祖師を愚弄した話もないと呆れるわけです。

参考にお聞かせいただきたいのですが、ガンコさんには「南無釈迦牟尼仏」の帰依があって、漫荼羅を本尊と拝んでいらっしゃるのでしょうか。この点が、わたしの福田さんに投げかけた質問の焦点です。また、なぜ仏像を拝みたくないと自分は考えているのか、いつそのように刷り込まれたか、その経過はどんなあんばいであったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせください。

967犀角独歩:2003/11/23(日) 16:34

空き缶さん:

> 恐らく、関師の諸説は独歩さんも共感される

そうですか。わたしは読みもしないで記しているだけですからいけません。
機会があれば、関師のものは読んでみようと思います。

有り難うございます。

968ガンコ:2003/11/23(日) 17:54

独歩さん

>と釈迦仏像を造ったことを蓮師が褒めちぎる書です。ですから、引用される箇所も、漫荼羅の記述ではなくて、その結論部は「釈尊一体を造立」に掛かっています。つまり、仏像についての記述です。

これですが、わたくしは曼荼羅だと考えたんです。ちょっと前に独歩さんがおっしゃっていた総帰命の根拠がこれではないかと。

で、仏像を嫌う理由ですが、この半年ばかりいろいろ考えてきて、わたくしは“大聖人の御意に叶う仏像本尊は存在しないし、今後も出現しない”というしかないと思っております。
つまり、「一閻浮提第一の本尊」ははたして造立されたのか? もし、造立されなかったのであれば、もはや大聖人がましまさない以上、どうしようもない、ということです。
それこそ、四菩薩に相当する人が出てこないとムリですし、もっといえば、わたくしは四菩薩とて仏像本尊は造れない、と考えました。

「我が弟子之を惟へ、地涌千界は教主釈尊の初発心の弟子なり。寂滅道場にも来たらず双林最後にも訪はす、不孝の失之有り。迹門の十四品にも来たらず本門の六品には座を立ち、但八品の間に来還せり。」

地涌千界は久遠の弟子であって、久遠実成の釈尊にまみえる時間はそれこそ長遠であったろうから、その方たちがお出でになって仏像を造れば、印度の釈尊ではなく、法華経の中の釈尊をお造りになられるかもしれません。しかし、それは“仏”のすがたではなく、じつは“法”なのではないか・・・という風に考えるのですが、未だじぶんのなかでじゅうぶんにまとまっていません。まだまだ、時間がかかりそうです。
少なくとも、大聖人は守護国家論で「今は法華経の中の仏を信ず」と仰せであって、御自らはもっぱら御文字でもって御本尊を御認めであられます。よって、それを法華経の中の仏と認識しております。当然、南無釈迦牟尼仏に異論はありません。

なお、日眼女抄の問題は、半年ほど前に考えをまとめようとしていたのですが、途中で挫折しました。(本仏論のスレッドに無残な記録が残っています)

969愚鈍凡夫:2003/11/23(日) 19:22
うわっ! 知らんまにレスが進んでる。 (;^_^A アセアセ…

アネモネさん、説明不足のようでした。
単に「法灯明」と記したのは、釈迦牟尼自体が「法」を重要視したということを言いたかったからです。
「法華経」は、蓮祖に最も関係深い経典なので引用しました。
言いたかったことは、「法華経」を含む経典に説かれる「法」こそが「柱」である。ということです。

「諸譱男子。如來所演經典。皆爲度脱衆生。(諸の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり)」(妙法蓮華經如來壽量品第十六)

犀角独歩さんのレスと重複しますが(犀角独歩さんレス有り難うございます)、
この一節に、釈迦牟尼仏亡き後の、弟子たちの想いを感じます。というより、ここの部分が「此の経」ではなく、「経典」とあることに、好意を持ったと言ったほうが正確でしょうか。
この「経典」とは、「法華経」のみを指すのではないと思います。
先のにも述べましたが、「仏法」は「経典」から導き出されるものだと思うので、「経典」の中に仏陀を観じ、「経典」の指南を仰いで仏道を求めるというのが仏教のスタンスではないかと思います。

970犀角独歩:2003/11/23(日) 19:26

968 ガンコさん:

『日眼女釈迦仏供養事』の該当部分は間違いなく、仏像についてです。

> 「一閻浮提第一の本尊」ははたして造立されたのか

これは造立ではないでしょうね。「可立」です。

> 法華経の中の仏

ここでもガンコさんは勘違いしているでしょう。
「法華経の中の仏」とは権大乗を簡んで、本門寿量仏を言うわけです。
法華経が文字で書かれているから仏は文字で、法であるなどということではありません。蓮師はこれを本門本尊と言い表した。その相貌は文字であれ、仏像であれ、意味するところは同じです。寿量品の意義を具えた仏格をとらえるかどうかにあるわけでしょう。

> 四菩薩とて仏像本尊は造れない

この根拠は何ですか。
一つ、しっかりと富士の勝手な言い分を一つ、わたしは指摘しておきたいと思います。
仏の相貌は文字でしか表せないというのは勝手な憶測です。
わたしは文字ですら表せるはずはないと思いますよ。
絵像、彫像にはたしかに表現の限界があるでしょう。けれど、文字も同様です。
我々は漢字文化圏の人間だから漢字で書かれた漫荼羅の諸尊・聖衆のだいたいの意味はわかります。しかし、漢字がわからない文化圏の人からすれば、絵よりさらに漢字で書かれた漫荼羅は何がなんだかわからないのです。

あと、一点、蓮師の教学を考えるうえで、絶対に落としてはいけないことがあります。それは「結縁」ということです。例えば、法華経がある。法がある。それがあれば、衆生が成仏するかと言えば、しないわけですね。もっとも必須条項があるわけでしょう。それが結縁です。たとえば、極楽でも法華経の説法は阿弥陀如来はするでしょう。でも、その阿弥陀如来の説法を我々が聞いても成仏しない。何故か。それは阿弥陀如来は娑婆世界の我々とは無縁の仏だからです。我々と有縁の仏は釈迦如来のみです。ですから、釈迦如来との結縁を得て、釈迦如来の法華経を聞き、結縁の次第を覚知しなければ我々は成仏しないというのが蓮師教学の根幹です。「念仏無間」とは、そのような結縁の次第から他仏へ情を寄せる過ちを突いたものであるわけです。法だけでは成仏はありえない。そこには結縁の仏とその導き手の菩薩(僧)が必要である。ここのところの議論は、この「結縁」という重大事が欠落しているとわたしは思うわけです。まあ、この点はガンコさんに記すところではないかも知れません。福田さんに申し上げたいことでした。

971ガンコ:2003/11/23(日) 20:49

>一つ、しっかりと富士の勝手な言い分を一つ、わたしは指摘しておきたいと思います。

あら、うれしい。わたくしって、けっこう富士の立義にかなっているみたい。

972ガンコ:2003/11/23(日) 21:02

>なぜ仏像を拝みたくないと自分は考えているのか、いつそのように刷り込まれたか、その経過はどんなあんばいであったのでしょうか。差し支えなければ、お聞かせください。

話が前後しますが、顕正会においては入信のおり、会長の指導が読み上げられます。(前にどなたか書いていました)
で、その中に、「一念三千を識らざる者には・・・」の御文があって、ようするに、ここで言う仏は日蓮大聖人であり、大聖人が御本尊を我々に与えてくださる、言うような意味に捉えるわけです。
それ以外はすべて謗法であると・・・
まあ、こういうことを教わってしまうと、特に若いうちは一般教養もありませんので、そのとおりに受け取ってしまうでしょう。
わたくしだって、つい数年前までは、まったく疑うことはありませんでした。
これを刷り込みというのであれば、まあ、そうなんだろうと。

973愚鈍凡夫:2003/11/23(日) 21:31
ガンコさん。
以前、ガンコさんと「本尊」について議論したことがありましたよね。
その時、川蝉さんや問答迷人さんから御指南を受けました(この場を借りてもう一度お礼申し上げます。有り難うございました)。

その時、小生は蓮祖の「本尊」に3通り(仏像・絵曼陀羅・文字曼荼羅)の可能性があると言ったと思いますが、その考えは今も変わっていません。
実は、この考えを小生に与えたのは「本尊集」です。同じ人が顕した漫荼羅であるのに、それぞれ相貌が違うのは何故だろう・・・・・、これが最初の一歩でした。
そして辿り着いた結論が、蓮祖はその時々の想いに任せて曼陀羅図顕したのではないだろうか・・・・・、ということです。このことは、蓮祖が本尊の形に拘っていなかったのではなかったかとの考えを小生に与えました。
もし「勧請」という言葉が許されるのなら、「法華経の題目」がその本尊に勧請されているのか? ということが蓮祖にとって重要だったのではないでしょうか。仏像に法華経を添えるのはまさにその意義だと思います。

現状の考えを率直に言えば、「法華取要抄」にある

「問て云く、如来滅後二千余年竜樹・天親・天台・伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや。答て云く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり。」

とは、所詮「題目の五字」に集約されるのではないかというのが現時点での結論です。

974ガンコ:2003/11/24(月) 03:03

愚鈍凡夫さん

ひじょうに難しいところでして、わたくしも考えを改めないといけない点がたくさんある、と思ってますけど・・・

まあ、お説にそって申すならば、大聖人の御曼荼羅はそれぞれ相貌が異なるといえども、あくまで南無妙法蓮華経が中心であるってことでよろしいかと思います。
しかし、取要抄のいわゆる三大秘法のご教示はどうなんでしょうかね。題目の五字に集約されるとおっしゃるけど、これを本門の題目に集約・・・と言い換えると、ちがうのでは?っていう気がします。
ここで、本尊問答抄の「題目を本尊」とする旨のご教示が入ってくるとわけがわからなくなる・・・ようするに本尊というのは“仏”だという考えがやはり有力だからなわけで、これが本尊問答抄を疑う理由かもしれません。
まあ、わたくしはこうした煩瑣なことをひっくるめて曼荼羅正意としてしまうのがわかりやすいと思うのですが、まだまだいろいろ考えなければならないところがあるようです。

話は変わりますが、愚鈍さんって、おふざけの時とまじめの時のギャップが大きい。

975犀角独歩:2003/11/24(月) 03:20

ガンコさん:

本尊は仏、ぜんぜん有力ではありません。大いに勘違いです。

976犀角独歩:2003/11/24(月) 13:21

本来であれば「つぶやき」に書くべき内容ですが、資糧手放しで少しだけ。

○題目本尊は真跡か?
 法勝人劣ではない経勝劣仏は蓮師説か?

『本尊問答鈔』に「本尊とは勝れたるを用ゆべし」といい、ここに“法華経勝釈迦劣”を明記されています。これは法華経は“父母/釈迦は子”という対比でもあります。(法勝人劣ではなく、あくまで法華“経”勝釈迦劣)
同鈔は本当に蓮師の真筆なのか、わたしはいまだに決し難いところはあります。

その直後、禄内『千日尼御前御返事』(第四書)(青鳧書)にも「仏は子也、法華経は父母也」という一節が見られ、ここでも法華は父母/仏は子という考えが記されています。

両書ともたしかに禄内であって、その信憑性は真跡存に匹敵すると考えられるところですが、『本尊問答鈔』が記されたとされる弘安元年以降の、蓮師の本尊に関する記述を追うと、しかし、法華経勝釈迦劣を殊更論う記述に当たることができない不釣り合いを感じるのは事実です。

ただ例外的に真跡『上野殿母尼御前御返事』弘安3年(1280.10・24)「諸仏の御本尊とし給ふ法華経」という記述は一カ所見られます。けれどここでは馬鳴の故事を挙げるこの記述は 法華経は父母/諸仏は子 というに留まります。真跡で見る限り、題目本尊という線はまるで浮かんできません。

なお、『本尊問答鈔』で記される法華経題目本尊とは“蓮師の本尊観ではなく、あくまで天台宗の本尊観”として記されている点に、殊更わたしは着眼しています。

なぜ、着眼するかと言えば、智邈/灌頂/湛然など中国天台宗の文献には、そもそも「本尊」語の使用がまったく見られないからです。それにもかかわらず、その台家道場に置く法華経を「本尊」という記述は史実に違反すると見えるからです。

わたしが何より題目本尊に疑問を懐くのは、三つの法門(本門本尊/本門題目/本門戒壇)において、本尊と題目を分け立てているのに、なぜ題目を本尊というのか、という疑問でもあります。題目が本尊であれば、この三つは分けて論じる必要はないことになるからです。

また写本遺文で見ると実に早い時期から題目本尊が記されている“ことになっています”。例えば、『唱法華題目鈔』では文応元(1260.05・28)の時点で「本尊は法華経八巻、一巻、一品、或は題目をかきて本尊と定むべし」また、『妙法曼荼羅供養事』文永10(1273)「妙法蓮華経の御本尊供養」、『本尊供養御書(報南条平七郎書)』建治2(1276.12)「法華経御本尊供養」、『法華初心成仏鈔』建治3(1277)「我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ」などと『観心本尊鈔』の寿量仏・久遠釈尊本尊観を跨ぎながら、題目本尊観が散りばめられていきます。

いわば、題目本尊観は、むしろ写本遺文、殊に真偽未決書に見られる特徴のように思えます。

しかし、以上のように記せば、ガンコさんが挙げた疑問の如く、ではなぜ漫荼羅は題目を中心に図示されているのか、中心が題目であれば題目本尊ではないのかという反論は当然、起こることになるでしょう。

この時点で、わたしは像非家が常に見ないようにする点、すなわち蓮師の一体仏随身の事実を挙げることになります。

『清澄寺大衆中』に「日蓮が御本尊の手にゆい(結)つけていのり」という場合の本尊は間違いなく釈迦仏像を言うものでしょう。

977犀角独歩:2003/11/24(月) 13:22

―976からつづく―

○本尊は仏とは限らない

真跡を具に見ると、蓮師は本尊という語を仏に限って使っているわけではありません。

「此れ等の人々を絵像木像にあらわして本尊と仰ぐ」開目抄
「智証大師の本尊慈氏菩薩」報恩抄

この点は写本遺文においても同様です。

「達磨大師を本尊とする」諸宗問答鈔
「畜類を本尊として男女の愛法を祈り」是名五郎太郎殿御返事
「漢土の道士悦をなして唐土の神百霊を本尊としてありき」四条金吾殿御返事
「儒家には三皇、五帝を用て本尊とする」本尊問答鈔
「達磨を本尊」新池殿御消息

そして、その類型の一つとして法華経本尊という特異な記述も見られることになります。しかし、なぜか日蓮本仏圏では本尊といえば仏、本仏であるという暗黙の決めごとに存しているように見受けます。

これはまた、有師などの日蓮“本尊”論の誤謬とも大いに関連していると、わたしは観察するわけです。
有師が「当宗の本尊の事、日蓮聖人に限り奉るべし」というとき、蓮師を仏と言っているわけではありません。それは次文を見れば明らかです。「未断惑の導師を本尊とする」と明らかです。

ところが、勝れた、それも仏を本尊とするという刷り込まれた固定観念がある場合、元来、日蓮本尊は、ただちに日蓮本仏と解釈されることになります。これしかしながら、まったく短絡です。有師の脈絡は人師本尊から日蓮本尊を言っているものでした。

以上の誤謬は、いわゆる凡夫本仏論にもたしかに踏襲されているとわたしは見ます。
ここで凡夫本仏と言わず、“凡夫本尊”を言うのであれば、元来の富士教説と矛盾を来すことはなかったように見えます。

本尊といえば、仏、それもいちばん勝れた仏・本仏という論法が、人法一箇・日蓮本仏論を生んでいった躓きであったとわたしは観察しているわけです。

978ガンコ:2003/11/24(月) 14:49

相変わらず難しいですなあ。

ところで、清澄寺大衆中の「御本尊」は虚空蔵菩薩のことであるって、どこかで読んだ気がするのですが、う〜ん、いかがでしょうか?

いま、該当部分を大急ぎで読んでみたけど、よくわからない。はっきりしているのは、曼荼羅ではないこと。(当たり前か)

979犀角独歩:2003/11/24(月) 15:18

愚鈍凡夫さん:

横レス失礼します。

> 「法華経の題目」がその本尊に勧請されているのか

というより、法華経題目を証明(しょうみょう)
するために勧請の意を籠めて諸尊聖衆をそこに列挙したとは見られませんか。

980犀角独歩:2003/11/24(月) 15:41

ガンコさん:

清澄寺の本尊は不思議法師が彫った虚空蔵菩薩像ではありませんでしたか。
それが虚空蔵求聞持法を蓮師が修したとき、生身(しょうしん)で現前し、智慧の宝珠を賜った、こうなっていくのでしたね。

像に刻まれた菩薩様は、生身(なまみ)で現れる、ここら辺のコンセプトが仏教説話であると思うわけです。

981ガンコ:2003/11/24(月) 16:53

あっ、いやいや独歩さん。

わたくしの申し上げたかったことは、清澄寺の本尊ではなく、独歩さんがお引きなさった清澄寺大衆中の本文に出てくる「日蓮が御本尊の手にゆいつけて」云々は、釈尊像ではなく虚空蔵菩薩像ではなかったか・・・ということなんです。
確信があるわけではないですが、そのような記述をどこかで見たような見ないような・・・

982れん:2003/11/24(月) 18:20
横レス失礼します。

独歩さん。問題の「本尊問答抄」は日興上人と実相寺日源師の写本が現存します。日興上人の書写のものは重須本門寺蔵で、「法華本門本尊問答抄 日蓮撰」と記されています。御筆写真が「図録日蓮聖人の世界」に掲載されています。興師写本に日蓮撰と明記されているので、本尊問答抄が蓮師の著作であることは動かしがたい史実と私は考えます。

983れん:2003/11/24(月) 19:05
あと、唱法華題目抄ですが、蓮祖真筆の「南条兵衛七郎殿御書」の第二紙・第三紙に日興上人が細字で行間に唱法華題目抄を書写されており(日蓮聖人真蹟集成第四巻所収)、唱法華題目抄も、蓮祖真撰で間違いないでしょう。以上討論のご参考までm(__)m

984愚鈍凡夫:2003/11/24(月) 19:37
うわっ!!また置いて行かれてる・・・・・。ヾ(;´▽`A``アセアセ

>>974:ガンコさんへ。

「問うて云く如来滅後二千余年竜樹天親天台伝教の残したまえる所の秘法は何物ぞや、答えて云く本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(「法華取要抄」 学会版P336)
の一節について、何故「題目の五字」に集約されるとの結論に達したかといえば、

「在世の本門と末法之初めは一同に純円なり。但し彼は脱、此れは種也。彼は一品二半、此れは但題目の五字也」(「観心本尊抄」 昭定P715)
「日蓮は広略を捨てて肝要を好む所謂上行菩薩所伝の妙法蓮華経の五字なり」(「法華取要抄」 学会版P336)
「権経流布せば実経流布すべし権経の題目流布せば実経の題目も又流布すべし」(「撰時抄」 学会版P284)
「日蓮が法華経の肝心たる題目を日本国に弘通し候は諸天世間の眼にあらずや」(「諫暁八幡抄」 学会版P582)
「一部八巻二十八品を受持読誦し随喜護持等するは広なり、方便品寿量品等を受持し乃至護持するは略なり、担一四句偈乃至題目計りを唱えとなうる者を護持するは要なり、広略要の中には題目は要の内なり」(「法華経題目抄」 学会版P942)
「今は既に末法に入つて在世の結縁の者は漸漸に衰微して権実の二機皆悉く尽きぬ彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり、而るに今時の学者時機に迷惑して或は小乗を弘通し或は権大乗を授与し或は一乗を演説すれども題目の五字を以て下種と為す可きの由来を知らざるか」(「曾谷入道殿許御書」 学会版P1027)

これらの文証に題目の重要性が説かれているからです。
これらの文証から推察すると、蓮祖は題目の流布を主眼に置いていたのではないでしょうか。現在では、創価学会の戸田さんの影響か、「一家に一台。幸福製造機」といった感じで、漫荼羅流布が主眼のようにされていますが、これは、蓮祖の考えではないと思います。
勿論、紙を入手しにくい時代であったから、信者全員に漫荼羅授与できなかったという事情もあるでしょうが、やはり先の文証を読み返すと、主眼は漫荼羅授与ではなく、唱題行の流布であったと思えるからです。

985愚鈍凡夫:2003/11/24(月) 19:47
>>979:犀角独歩さんへ。

> というより、法華経題目を証明(しょうみょう)
> するために勧請の意を籠めて諸尊聖衆をそこに列挙したとは見られませんか。

捉え方が逆だということですね。
小生の場合、仏像も蓮祖の本尊構想の中にあると思っていますから、先のようなレスになりました。
御教示有り難うございます。

986犀角独歩:2003/11/24(月) 20:32

981 ガンコさん:

そうですか。
これは迂闊な発言をわたしはしましたね。
もう少し、詳しく記していただけませんか。

987犀角独歩:2003/11/24(月) 20:33

982,983 れんさん:

有り難うございます。
ロムをいただいていたどうか存じませんが、昨年の夏から冬に掛けて、『本尊問答鈔』の真偽問題は大いに涌いた話題のひとつでした。そのなかでわたしは、興師写本自体に疑義を立てました。理由は、れんさんも記された『唱法華題目抄』にしても、なぜ興師に係るところで題目本尊論が展開されるのかという点からの疑問でした。これは日蓮上行論をはじめて載せると思われる『頼朝陳状』がまたそうでした。すなわち、富士義となる題目本尊、あるいは日蓮上行は興師写本から導き出されるのはなぜか、極端な話、興師の偽託の可能性も視野に入れるべきではないのかというのがわたしの主張したことでした。もちろん、その主張にしがみつこうというものではありません。
以下、当時、『本尊問答鈔』について、輝師『本尊略弁』から議論が生じ、それについて、現時点さんが以下のような資料を提示してくれたことが際だっておりましたので、転載させていただきます。

*** 以下転載 ***

『日有上人による石山教学の展開』

52 名前: 現時点 投稿日: 2002/08/04(日) 11:51

「日蓮聖人の本尊観について」において、元初仏・先仏等の重要な議論が展開中ですので、「本尊問答抄」の位置づけに関して、ここに記します。

望月歓厚師「日蓮聖人の本尊について」から

「本尊問答抄は、法本尊のもっとも明瞭な依文である。特に、仏本尊を否定して「教主釈尊を本尊とす、法華経の正意にはあらず」といい、「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり〜ゆえに、能生をもって本尊とするなり」とて、諸仏所師所謂法なりの義である。本抄は、古来紛々の論議を重ねて対告は清澄の浄顕房義城房等なるによって所論は権実相対の重に止まり、未熟の機である真言教徒に対して、しばらく権仏に対して法本尊を示したるのみと会通するは「本尊略弁」である。しかるに、本抄に先だち建治二年七月同じく清澄の大衆に示して、道善御房の墓前に一遍読み、その後は度々読み合わせよと教示された「報恩抄」の明瞭な仏本尊との相違をいかに解釈すべきか。同一授与者に二年後には全く反対な指示を与えたとは考えられないではないか」と記述されています。

『日蓮聖人の本尊観」

68 名前: 現時点 投稿日: 2002/08/03(土) 07:44

独歩さん

本尊問答抄について 少々

浅井要麟師は「日蓮教学の研究」で、p138に「聖人は自ら建立された本尊の実体を説明して、本尊抄、報恩抄、開目抄等には「寿量品の仏」といい、「本門の教主釈尊を本尊とすべし」等といって、明らかに人格的仏陀として解説されている。

しかるに本尊問答抄には徹頭徹尾「法華経の題目をもって本尊となすべし」といい、明確に法格的本尊なることを断言されている。

p117で「優陀師は、この背反関係について、対告衆である浄顕坊、その機いまだ生しきがゆえに、ただ権実相対の一辺を示して、真言諸家の本尊を破し、通途の天台法華の法相を述べたまう。要するに浄顕坊に対する誘引の意図に成ったものという会通できある。」

「私はその会通上の理論においてにわかに首肯しがたいものである。
浄顕坊は機根未熟なりといわれるが、これより先建治2年には同じ浄顕坊に対して報恩抄を送られている事実がある。その中に「本門の教主釈尊を本尊とすべし」と、明らかに聖人本懐の本尊観が指示されているのである。それより3年後に同じ浄顕坊に送られた本尊問答抄において、機根未熟のゆえに法本尊観を説かれたとは領解に苦しまざるを得ないのである。」

とあります。ご参考まで。

本尊問答抄について  小林是恭師 大崎学報
「本尊問答抄にはその筆述の年次が記されていない。先師の所説は概略以下のごとくだ。
建治元年7月13日  久遠成院日親の本尊相承抄 本尊論資料2の18
弘安元年       諸註書、諸目録、諸板本
弘安5年       日尊写本奥書=日蓮宗年表  常師筆跡
縮冊遺文の本抄末に岩本実相寺に正応3年(聖人滅後9年)7月15日に転写したという  日源
日興上人の写本が重須本門寺にあるという *** 転載おわり ***

988犀角独歩:2003/11/24(月) 20:34

985 愚鈍凡夫さん:

> 仏像も蓮祖の本尊構想の中にある

このお考えにはわたしも賛成です。

989愚鈍凡夫:2003/11/24(月) 22:38
横レス失礼します。
ガンコさんこんな資料がありますよ。

「小櫃川源流と清澄寺」
http://guncyan.k-server.org/iitoko-kiyosumikouyou.htm

「日蓮聖人「立教開教」と虚空蔵・妙見尊の関係」
http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/9-8-1.html

「日蓮聖人「立教開宗」における 妙見尊と虚空蔵菩薩の関係」
http://www.d1.dion.ne.jp/~janis/kenkyu1.html

「鉱山と深い関係 妙見尊、虚空菩薩 祀る寺社」
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/paper/1998/98080101.htm

990アネモネ:2003/11/25(火) 02:31
またまた横レス失礼いたします。

>962 犀角独歩さん

レスありがとうございます。

>仏法と仏道は同じ意味であるということでした。つまり、法は道(どう)であるというのでした。…法華経の中に説かれる正法とは菩薩道であると見ると、この経典が元来、言おうとしていた意味が初めて見えてくるとわたしには思えるわけです。

正法の体感や体現ということになると、なにか捉えどころがなく、仮に「悟った」といったところで、どことなく眉唾ものに思えてなりません。
しかし、仏道ということになると違ってきますね。個人の解脱に留まらないという「菩薩道」を志して実践するところに「正法」があるということであるならば、私は信じたいという気持ちにもなります。

実は、この掲示板に参加したとき、独歩さんがしきりに菩薩という言葉をレスされていたことが、とても印象的に感じました。ところがお寺での説教を振り返ると、菩薩ではなく、むしろ凡夫という語彙のほうがよく聞かされていたように思うのです。
また、何が仏道(菩薩道)なのかということにおいても、お寺では、この法を広めること、つまり折伏(勧誘活動)が仏道(菩薩道)だと教えられていたように思いますね。
pundarikaでも書いたことですが、私はそのことがやはり釈然としないんです。

正法は仏道であると言える。そして、法華経の中に説かれる仏道とは菩薩道のことであり、つまり正法とは菩薩道であるともいえる。
しかしお寺の教えにのっとって、菩薩道は正法を広めることといえる…となれば、菩薩道は菩薩道を広めることという、なんだか堂々巡りに思えてしまいます。
菩薩道の実践=菩薩道の広報宣伝と、置き換えられていいものなのか、ここも素朴な疑問ですが、法華経に説かれてることとは、結局そういうことなのでしょうね…。
なんか、ここにある種の限界を感じてしまうところです。
法とは何かがわからないのと同じく、菩薩道とは何かがはっきりしていないようにも思えるところです。

991アネモネ:2003/11/25(火) 02:45
愚鈍凡夫さん

ご返信ありがとうございます。

>言いたかったことは、「法華経」を含む経典に説かれる「法」こそが「柱」である。ということです。

いずれのお経も、また釈尊の教説においても、「法」を拠り所とすることが柱になっているということなのでしょうね。
しかし、その「法」っていうのが、なんだかよくわからないんですよね。せいぜい私に理解できるところは、自然の摂理くらいのもので、そんなことを感じる中に、不思議とも思える「法」らしきものを考えることはありますが、だからといって法を悟ったなどと思えるものではありません。
唱えていれば、それが悟れるというのも、よくわからない。(←これは、私のつぶやきです)
確かに日蓮さんは悟ったのか、戸田さんが悟ったのか、池田さんが悟ったのか、それだってわからないことですね。悟った気になっているだけかもしれません。
ただし、やっぱり悟っていようが悟っていまいが、菩薩道に目覚めた姿には、仏をみる思いがするだろうなあと思います。日蓮さんに菩薩や仏を見る思いがするのは、まさに法華経を通して「菩薩道に目覚めた姿」を感じるからなのだろうと思います。
もはや私とて、日蓮さんの限界も認めているところですが、菩薩道に目覚めた人であっただろうなあと今でもそこは敬慕するところです。

>この一節に、釈迦牟尼仏亡き後の、弟子たちの想いを感じます。というより、ここの部分が「此の経」ではなく、「経典」とあることに、好意を持ったと言ったほうが正確でしょうか。

なるほど。
独歩さんのレスにもありましたが、「見仏」への思いが、法華経全体に通じるコンセプトなのかもしれませんね。それが、菩薩道への発心となるものなのかもしれません。
そのあたりの心情について、法華経を成立させた人々の切なる思いに心を合わせてみると、法華経が示す独特の強い精神性というものも想像できます。
なにより、仏を讃嘆し求める思いの強さにおいては、ものすごいものが感じられますね。

>先のにも述べましたが、「仏法」は「経典」から導き出されるものだと思うので、「経典」の中に仏陀を観じ、「経典」の指南を仰いで仏道を求めるというのが仏教のスタンスではないかと思います。

確かに仰る通りなんでしょうね。
だけど、私には、やっぱり素朴な疑問がまだ少し残るのです。
仏を求めるが故に、経典の指南を仰ぐことは決して間違いではないでしょう。
しかし言葉をかえて、仏法とは経典からしか導き出されないものなのでしょうか。経典が仏法の全てなのかという疑問でもあります。
お釈迦さまは、自分の肖像はもちろんのこと、説いたことさえも文字として残すことを認めていなかったとも聞きます。
もちろん、結果的にはお釈迦さまの意に反して、多くの教えが文字に記されたことで、現代に生きる私たちもその心を探ることが出来ているわけですが、しかし本当に拠り所とすべきは、経典そのものではないんじゃないのかなあって思うんですね。
お釈迦さまが説いていないことまでも、釈迦の名によって記されたものもあるようですし。
その正邪を判断する自分というものが、しっかりしていなければならないだろうと思います。それが、自灯明ということでしょうか。

また、間違っているかもしれませんが、愚鈍凡夫さんも尊敬されているマザー・テレサですが、恐らく経典を全く知らないはずなのに、私としては、彼女の行動こそ菩薩道そのものではなかったかと思えてしまうんですね。きっと愚鈍凡夫さんも同じように感じていらっしゃることと拝察いたします。

議論を飛躍させて申し訳ありません。また本題から横道にそれてしまって恐縮ですが、これも素朴な疑問ということで、お許しください。

992犀角独歩:2003/11/25(火) 12:39

990 アネモネさん:

このスレッドは「素朴な疑問」。当然の決めごととして了解してきたけれど、実は解けていない素朴な疑問にこそ、実は自分の信仰の落とし穴が潜んでいたのではないのかと思う昨今です。

> 菩薩道は正法を広める…菩薩道は菩薩道を広める…堂々巡りに思えてしまいます

堂々巡りですか。そう見えるかも知れませんね。けれど、法華経では五十展転随喜は重要なテーマでした。絶えざる精進の道を歩むことなので、堂々巡りになっては、むしろいけないのでしょう。

> 菩薩道の実践=菩薩道の広報宣伝

広宣流布という言葉はいまで言えば、広告宣伝にいちばん近い言葉かも知れません。もちろん、商業的な意味合いを抜いた場合です。ですから、類似語である広報宣伝…広く報じて宣(よ)く伝える…意味も準じているとわたしも考えます。

ただし、法華経のなかで弘法は大きなテーマですが、それだけではありません。
六度(布施・持戒・忍辱・精進・禪・智)が具体的な道として示されています。
布施とは自分の功徳を我が菩提の資糧とせず、衆生に施すことでした。それは戒を持(たも)ち、堪え忍び、精進し、深い禅定と智慧を修することによって実践されるということでした。この布施行のなかにこそ弘法が含まれるのであるとわたしは思えます。
いまの時代、ボランティア、福祉、社会還元などという考えは一つも新しいものではなく、既に実践されていることです。けれど、いまから2000年昔、このような福祉が既に主張され、実践されていたことにわたしは驚きを禁じ得ないのです。

ここのところ、蓮師三宝義を論じるに、仏(釈尊)・法(妙法)・僧(四菩薩)と、僧は菩薩という伏線で記してきました。これしかし、法華経成立当時、菩薩は上座部その他の寺院に籠もる僧侶を意味したのではなく、在俗の実践者であったのでしょう。法華経創作者もたぶん、在家の実践活動家であったのではないのかと想像できます。法華経は法華経創作をした集団に限って、書かれていますから、法華経を広めるテーマが大きく、そこに菩薩道が摂取される憾みがあります。そして、他の経典を排斥するとすれば、結局、それが法華経の限界そのものを意味することになるのでしょう。この点でアネモネさんの杞憂と同一の思いをわたしも懐きます。

> 法華経に説かれてることとは、結局そういうこと

法華経そのものに内在する法華経そのものへの極端な賛美、まさにもっとも問題にされる点でした。法華経のなかに繰り返し記述される迫害の物語は、創作者集団が「自分たちだけが正しい」とする偏狭さを持っていたために起きた事実を記したものであったかも知れません。そして、2000年を経ていまに至るまで法華経によってもたらされる人格形成はその点から脱却していないようにも見えます。

> ここにある種の限界を感じてしまう

そうですね。わたしも同様に感じます。
しかしもし、法華経を信奉する実践者=菩薩道を目指す人と集団が、その限界を越えようとするとき、それは補完されるのではないのかとわたしは楽観的な予測を立ててはいます。否むしろ、法華経信奉者は、その偏狭な信仰姿勢から、文字通りの大乗精神に漕ぎ出す必要があると思います。

> 法とは何か…菩薩道

菩薩としての生き方、道としての法。それを法華経のみに呪縛したとき、アネモネさんが仰るような堂々巡りに陥ることになるのだと思います。

偏狭な一経主義に法華経創作者が陥った過ちを2000年を経たいま、超克することができれば、アネモネさんの疑問はあるいは解消されるかも知れませんね。

愚鈍凡夫さんへの問いかけで「マザーテレサは菩薩道」と記されていましたが、まったく仰るとおりであろうと思います。法華経のなかに菩薩道は記されています。しかし、法華経がはじめて菩薩道を説いたわけではありません。菩薩道は善意の実践のなかに、その遡型があるのでしょう。菩薩道実践の人がいたからこそ、菩薩道をテーマにした経典が創られたという時系列です。法華経もその一つです。その意味からすれば、法華経を知らずとも菩薩道を歩む尊い人々がいることはなにも不思議なことではないと、わたしには思えるわけです。

過去数千年前に興った救済者思想の継承者であり、菩薩精神もまた、同じ源から生じた勝れた人間精神であったのであろうと思います。それはたぶん、イラン・ミトラ教のミトラを遡型とするミトラ信仰が、ミシュラン、メシヤ、マイトレーヤ(ミロク)と姿形を変えながら新約世界ではイエス・キリストとなり、大乗経典郡では弥勒菩薩を濫觴とする救済者=菩薩思想へと展開していった源を同じくする救済者思想であったというのがわたしの結論です。それを一教一宗派に封じ込めることこそ愚かなことであると思うわけです。

993愚鈍凡夫:2003/11/25(火) 18:49
アネモネさん、レス有り難うございます。

マザー・テレサの言葉にこういうのがあります。

『教皇パウロ6世がくださった1台の車を、ボンベイで、くじの賞品にさせてもらい、集まったお金でハンセン病者のための大きなセンターを建て、それを「平和の街」と名づけました。
 ヨハネ23世賞でいただいたお金で、もう1つのリハビリテーション・センターをつくり、それには「平和からの贈り物」と名づけました。
 ノーベル平和賞でいただいたお金では、貧しい人たちのために、いくつかのホームを建てました。というのも私はこの賞を、貧しい人々の名においてのみ受けたのですから』

これって、経典に説かれるままの布施行ですよね。
またこういう言葉もあります。

『ガンジーは、キリストのことを知った時、興味を抱きました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。』

理想と現実のギャップは、どの宗教も同じなのですね。
またこうも言っています。

『キリスト信者であるためには、キリストに似た者でなければならないと、私は固く信じています。
 ガンジーがかつてこう言いました。「もしもキリスト信者たちが、その信仰に忠実に生きていたら、インドにはヒンズー教を信じる者たちは一人もいなくなってしまっただろう」と。
 人々は、私たちがキリスト信者らしく生きることを期待しているのです。』

これは、富士門系在家教団に言えることでしょう。そして、これが広宣流布の理想型なのでしょうね。

「人々は、私たちが菩薩らしく生きることを期待しているのです。」 (^∧^) 合掌

994問答迷人:2003/11/25(火) 23:29

愚鈍凡夫さん

>「人々は、私たちが菩薩らしく生きることを期待しているのです。」 (^∧^) 合掌

愚鈍凡夫さんのお考えに全面的に賛同します。

法華経は「教菩薩法」として説かれています。マザーテレサの実践は、法華経を信ずる僕自身が目指すべき姿なんだと感じます。法華経の経典作者が言いたかった事を、マザーテレサは、身を以って実践し、人のあるべき姿を人類に語り掛けているのだと思います。

995アネモネ:2003/11/26(水) 01:40
犀角独歩さん

>このスレッドは「素朴な疑問」。当然の決めごととして了解してきたけれど、実は解けていない素朴な疑問にこそ、実は自分の信仰の落とし穴が潜んでいたのではないのかと…

お寺にしろ組織しろ、その中で自分の居場所を求めるとなれば、質問そのものが憚られるというものでした。そんな疑問が素朴に投稿できる掲示板は、やはり貴重な存在だとつくづく思います。

>絶えざる精進の道を歩むことなので、堂々巡りになっては、むしろいけないのでしょう。

菩薩道の随喜がなんであるのか、そこから学び知ることが大事なことなのではないでしょうか。しかしそれも菩薩道の実践のなかに本当に知ることが出来るものなのでしょう。だけど、その菩薩道が完全に組織勧誘や供養や財務といった行為に置き換えられてしまっているといえるわけですね。これも確かに実践活動ですから、菩薩道だと信じて実践し、その上成果も出れば、随喜となるわけでしようね。

>布施とは自分の功徳を我が菩提の資糧とせず、衆生に施すことでした。

このことは、とても重要なことだと思います。
衆生に施すということ。このことを私は、お寺で一度も聞いたことがありませんでした。
組織に対してご供養や財務をすることは、仏法に対する供養と称した布施行とされてしまっています。
ということであるならば、そのような名目で集金をしている組織は、供養した信徒になり代わって、集めた資金を広く衆生に対して施すことをしなければならないと思うのです。そうでなければ、個々の信徒の供養の厚意を無にしているといえるでしょうね。

私は、信仰に入る人というのは、その大半は人を救いたくて入るのではなく、自分が救われたくて入るものだと思うんですね。創価学会が破竹の勢いで躍進した時代背景を考えてみても、多くの民衆は戦後の貧しさの中、明日をも知れぬ生活不安を抱えていた時代だったわけですから、むしろ社会的にも施しを必要としていた人々といってもよかったといえるでしょう。そのような人々が、社会や他人からの施しを当てにせず、自力で生き抜くための拠り所として、信仰を求めたものだろうと思うのです。そのことは、在家の立場で信仰を求める志として、何も間違いではないですし、何もとがめられることでもないでしょう。
だけど、聖職者の立場となると話は違ってきますね。自分が救われる為に聖職者となることすれば、その志は邪なものといえるものでしょうし、本来的には菩薩精神にのっとり、自分の成仏を捨てても他(民衆)を済度する志で聖職者とならなければならないものだと思うのです。
つまり、組織的に供養や財務を集めている聖職的立場の人たちは、布施行を託している信徒に成り代わって、その集めた資金を広く衆生に施す責任の立場にあるのではないかと思うのです。
施すべき衆生とは、救いを求める「不信の人」ですね。それをしなければ、救いを求めて布施行を託した「信の人」も救われないものでしょう。

>この布施行のなかにこそ弘法が含まれるのであるとわたしは思えます。

済度を目的とする弘法なのでしょうね。
ところが、いずれの組織も済度の名を借りた我田引水といえます。
しかし、まあ、私がレスをすると、どうしても組織批判になってしまいますね。長らく、組織を離れているのでそんなに感情的になることもないのですが、こうして書いているうちに、ついつい苛立ちを覚えます。

996アネモネ:2003/11/26(水) 01:41
(つづき)
>これしかし、法華経成立当時、菩薩は上座部その他の寺院に籠もる僧侶を意味したのではなく、在俗の実践者であったのでしょう。法華経創作者もたぶん、在家の実践活動家であったのではないのかと想像できます。

ここでもまた素朴な疑問ですが、いわゆる法華経成立の時代、法華経創設者のいうところの「菩薩道の実践」とは、一体何だったのでしょう。
何を菩薩道として何を具体的に実践したのかということに、私としては興味をもつところです。
それが、いわゆる今日でいうところの慈善事業やボランティア的なことだったのか。それとも、仏像建立や経典創作、または建造物の建立だったのか。
実践といってもいろいろあると思うんですね。

>そして、他の経典を排斥するとすれば、結局、それが法華経の限界そのものを意味することになるのでしょう。
>華経のなかに繰り返し記述される迫害の物語は、創作者集団が「自分たちだけが正しい」とする偏狭さを持っていたために起きた事実を記したものであったかも知れません。

そのことが事実だとするならば、なぜ、そのようなことになったのか、その背景を知りたいと思いますね。

>法華経を信奉する実践者=菩薩道を目指す人と集団否…法華経信奉者は、その偏狭な信仰姿勢から、文字通りの大乗精神に漕ぎ出す必要があると思います。

菩薩道の実践とは何であるのかということが重要だと思います。その菩薩道が、宗教的観点、つまり宗教的精神性において心から随喜を感じることが出来るとき、広める価値がある教えといえるのではないでしょうか。
法華経が説くという不軽菩薩の精神でいうならば、人を敬う心のこと、つまり人を差別することなく遍く思いやる心を培うことではないかと思うんですね。
法華経が広めるべき心とは、信心ではなく、不軽心ではないかと私は思うのです。
法華経を読みもしない私が、偉そうに言ってはいけませんが…。

>愚鈍凡夫さんへの問いかけで「マザー・テレサは菩薩道」と記されていましたが、まったく仰るとおりであろうと思います。

マザー・テレサの行為というのは、きっと聖職者として、もしくは宗教家として、実は当たり前のことなのかもしれません。
世間に名が出ることのない一介の人の中にも、マザー・テレサのような慈愛の実践者はいらっしゃることと思います。このことは、私などより、愚鈍凡夫さんや独歩さんのほうがはるかに実感として体感されていらっしゃることと思いますし、まさに実践者でもいらっしゃること、私は一目置いております。

>菩薩道は善意の実践のなかに、その遡型があるのでしょう。菩薩道実践の人がいたからこそ、菩薩道をテーマにした経典が創られたという時系列です。

ここは重要なところではないかと思います。

>法華経もその一つです。その意味からすれば、法華経を知らずとも菩薩道を歩む尊い人々がいることはなにも不思議なことではないと、わたしには思えるわけです。

世界中に、古の時代から信仰者はいるわけですが、ほとんどが経典も聖典も読めない文盲の信徒が多かっただろうと思います。
最近知って驚いたことですが、あの宗教裁判にかけられて処刑されたジャンヌ・ダルクも全く字が読めなかったといいます。しかし、ジャンヌ・ダルクは、自分が戦いが終わると、自陣の戦死者はもちろんのこと、戦った相手の亡骸をも抱きしめ涙していたとのこと。
文盲でありながらも、「汝の敵を愛せよ」というイエスの心を理解していたことに、私は驚きました。

997アネモネ:2003/11/26(水) 01:42
(つづき)
私は、法華経をはじめとする経典や聖典を否定するものではありません。だけど、「経典信仰」ということになると、違うのではないかなと思うのです。その意味では、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教のあり方にも大きく疑問を持ちます。と同時に、キリスト教、ユダヤ教、イスラム教が持つ聖典信仰のあり方に、法華経信仰の姿が酷似していることも気になるところでもあります。成立した時期や地域が近いことからも、その親和性みたいなものがうかがえるものでもあります。
私も、もともとはクリスチャンですから、聖典信仰のその思想性は非常に理解できるところでありますし、事実、法華講入信のときは、仏像信仰ではない、法華経信仰というスタンスに対してまるで違和感を感じなかったものでもあります。
ただし、御本尊下付から、なにか偶像崇拝(器物崇拝)ではないかという疑義を感じたのも事実でした。
恐らく、今、ここで議論されてきた本題の流れとは、何が本尊であるのかということだったのだろうと思うのですが、私に限っていえば、「本尊」という言葉そのものが馴染めないところなのです。
たぶん、本尊=偶像崇拝(器物崇拝)と感じてしまうのでしょう。
ただし、もっと突き詰めれば、偶像や器物を立てるまでもなく、聖典信仰そのものが究極の偶像崇拝ではないだろうかと、そんな思いももっています。
それは、決して聖典を否定するものではないのですが、聖典そのものを信仰の対象や本尊と崇めるといった宗教観に対して、私は疑義をもっています。
なにより、聖典を読んでいる人よりも、聖典も読めない人に、聖典の心を理解している場合があるという事実を知るからです。

>それはたぶん、イラン・ミトラ教のミトラを遡型とするミトラ信仰が、ミシュラン、メシヤ、マイトレーヤ(ミロク)と姿形を変えながら新約世界ではイエス・キリストとなり、大乗経典郡では弥勒菩薩を濫觴とする救済者=菩薩思想へと展開していった源を同じくする救済者思想であったというのがわたしの結論です。

非常に感覚的なところでの見解ですが、私は最初はキリスト教から宗教を知り、そして成人してから日蓮仏教によって法華経に触れたわけですが、聖書のいわゆる救世主信仰と、法華経の済度思想は、非常に似通ったものだと感じました。本当に感覚的に、そう思いました。

>それを一教一宗派に封じ込めることこそ愚かなことであると思うわけです。

私もそう思います。
法華経成立の背景というものも、概ねわかってきているわけですね。同時に、聖典の限界も見えてくるわけです。決して絶対的なものではないということを認めることも、仏教精神にかなったことではないでしょうか。
だからといって、完全否定するものではありません。絶対的、信仰の立場も否定の立場もとらないで、学ぶべきところを自らの判断で掴むということが求められるところだと思いますね。

998アネモネ:2003/11/26(水) 01:42
愚鈍凡夫さん

>マザー・テレサの言葉にこういうのがあります。
…これって、経典に説かれるままの布施行ですよね。

私は実は、キリスト教徒だったとき、今ほどマザー・テレサに対して強い思いを抱くことがなかったのです。むしろ、キリスト教を離れて仏教徒の立場になってからのほうが、彼女に対する強い憧憬と敬慕の思いを持つようになりました。
しかし、法華講信徒の中には、マザー・テレサは謗法であり地獄に落ちたなどと言い切る人もいたりしましたから、仏教徒の愚鈍凡夫さんから、マザー・テレサの具体的な菩薩道についてこうして教わることは、とても新鮮なことと感じます。

>『ガンジーは、キリストのことを知った時、興味を抱きました。しかし、キリスト信者たちに会って、がっかりしたそうです。』

私もガンジーのことは、心から敬愛し憧れてもいます。こんな表現は不適切かもしれませんが、ガンジーの中に日蓮をみるような思いもあるくらいなのです。
また、ご紹介くださってガンジーの言葉、とても納得するものがありますね。

>ガンジーがかつてこう言いました。「もしもキリスト信者たちが、その信仰に忠実に生きていたら、インドにはヒンズー教を信じる者たちは一人もいなくなってしまっただろう」と。

いろんな意味があるんでしょうね。ここでいうキリスト信者とは、インドを植民地としたイギリス人のことを意味しているのでしょうか。
私は、キリスト教の嫌いなところは、植民地政策における思想戦の道具であったところです。
しかし、近代の列強国に侵略されるたいていの国々は、当然、近代化に遅れた国であり、国内事情としては貧富の差が著しく激しいわけです。皮肉なことに、侵略してくる列強の思想戦の道具であるキリスト教が、その博愛精神に基づいて、貧しい人々を癒し慰め励ましていくわけですね。
マザー・テレサがそのような構造に組み込まれた人とは全く思ってはいませんが、仏教発生の地でありながら、インドの最下層の人々を実践的に救ったのは、インドを侵略した国の異教の宗教家であったということが、いかにも皮肉に思えてしまうところです。
大乗仏教が発生した歴史的背景というものにも、似たようないきさつがあるのではないかと想像してしまうくらいです。

>「人々は、私たちが菩薩らしく生きることを期待しているのです。」

菩薩らしく生きることに、心から随喜できたときはじめて、五十展転の菩薩道(仏法)の弘法精神があるのかもしれませんね。
ところで、またまた、素朴な疑問ですが、仏教徒として菩薩らしくあるって、どういうことの実践だとお考えになられますか?

999アネモネ:2003/11/26(水) 01:44
問答迷人さん

お久しぶりですね。

>法華経は「教菩薩法」として説かれています。

もしも法華経に「教菩薩法」の象徴的な経文があるならば、ぜひ教えてください。

>法華経の経典作者が言いたかった事を、マザーテレサは、身を以って実践し、人のあるべき姿を人類に語り掛けているのだと思います。

素朴な疑問として、お許し頂きたいのですが、本当の本当にそうなのでしょうか。
もちろん、問答さんの個人的な思いの範疇でのレスかもしれないとも拝察いたしますが、そう思う根拠みたいなところの経文があるならば、ぜひ教えて頂きたいと思います。

私としては、むしろこうした法の捉え方のほうが、しっくりくるんですね。だけど、かつて所属していたお寺では全く聞かれることのなかった解釈ですから、いわゆる文証みたいなものがあるといいなあと期待するところなのです。

1000問答迷人:2003/11/26(水) 08:05

>もしも法華経に「教菩薩法」の象徴的な経文があるならば、ぜひ教えてください。
>そう思う根拠みたいなところの経文があるならば、ぜひ教えて頂きたいと思います。

やはり、「二十四文字の法華経」として、蓮祖がご自身の行動の規範とされた不軽品の一節に尽きると思います。

「最初の威音王如来、既已に滅度したまいて、正法滅して、後像法の中に於いて、増上慢の比丘、大勢力有り。爾の時に一りの菩薩の比丘有り、常不軽と名づく。得大勢、何の因縁を以ってか常不軽と名づくる。是の比丘、凡そ見る所有る、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して、是の言を作さく、『我深く汝等を敬う。敢えて軽慢せず。所以は何ん。汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし』と。而も是の比丘、専らに経典を読誦せずして但礼拝を行ず。乃至遠く四衆を見ても、亦復故に往いて礼拝讃歎して、是の言を作さく、我敢えて汝等を軽しめず。汝等皆、当に作仏すべきが故にと。(妙法蓮華経常不軽菩薩品第二十 )

1001アネモネ:2003/11/26(水) 10:18
問答迷人さん

早速ありがとうございます。

>増上慢の比丘、大勢力有り。

自省の念も含めて、考えさせられるところです。

1002アネモネ:2003/11/26(水) 10:19
>995の自己レス
>しかし、まあ、私がレスをすると、どうしても組織批判になってしまいますね。長らく、組織を離れているのでそんなに感情的になることもないのですが、こうして書いているうちに、ついつい苛立ちを覚えます。

私の舌足らずな拙文で誤解があってはいけませんが、苛立ちを覚えるのは、宗教教団の組織に対してのことです。
菩薩行の本当の意味するところが何であるのかを、私は組織で指導として教わることがなかったと振り返るんですね。
菩薩行がなんであるかを、考えることさえも、停止させられていたのではないかと思います。
問答さんに示して頂いた不軽菩薩の姿にしても、組織勧誘(折伏活動)に置き換えられて教えられていたと思いますね。今でこそ、そこに大きな疑問を持ちます。今も組織活動を信じている人には、その疑問、菩薩行とは何であるのかということを、立ち止まって考えてみてほしいなあと思うところです。

1003愚鈍凡夫:2003/11/26(水) 14:02
問答迷人さん、ご賛同頂きまして有り難うございます。
アネモネさん、菩薩の在り方ですか・・・・・。一言で言うのは難しい。 (゜ペ)ウーン

ハードディスクを検索したら、こんな資料がありました。
**************************************************

Ⅰ、大乗仏教以前の菩薩
①、釈迦菩薩の登場→菩薩の登場は紀元前2世紀頃の部派仏教時代であろうといわれている。菩薩の始まりは釈迦菩薩である。即ち、仏陀の成道までの修行時代を菩薩ということから始まっている。歴史上で言えば、釈尊の出家した29才から成道した35才までの修行時代の6年間を菩薩といったのである。
②、仏伝・ジャータカの菩薩→信仰に基づく宗教上の仏伝やジャータカの世界の菩薩は歴史事実上の世界の菩薩とは別のものである。例えば、ほぼ紀元前2〜1世紀のものとされるバールハットの彫刻では釈尊のマーヤー夫人への入胎は「世尊入胎」と、また、アショーカ王の建てたルンビニー園の碑文も「世尊誕生」となっているという。ここでは、釈尊は生まれた時から既に仏陀となっていたのである。従って、釈迦菩薩は前世ということになる。しかし、文献上では「世尊入胎」は「菩薩入胎」、「世尊誕生」は「菩薩誕生」となっているという。平川彰著作集第3巻236頁で「当時はまだ菩薩の用語は一般に通用していなかったといわれる。」ごとく菩薩となるべきところが世尊となったのであろうか。また中村元選集[決定版]第21巻104頁にも「原始仏教や伝統的保守的仏教では、前世、またはさとりを開くまでの釈尊を菩薩と呼んでいる」と述べている、この「前世」は「釈迦菩薩は前世」と同じであろう。

************************************************** (※1)

菩薩とは、仏教史の上から見るとこういうことなのでしょう。さらに、
**************************************************

白衣・居家の維摩詰→白衣は世俗の人の着物で、修行僧は色のついた衣を着ていた。『方便品』には「白衣を着けた世俗の人であるけれども修行者の清浄な戒律の行を奉持し、在家の人であるけれども欲界・色界・無色界の三つの迷いの世界に執着していない。妻子ある姿を示しているけれども、常に清らかな行を修している。」と。即ち、維摩詰は妻子のある家にいて自ら生計を営む世俗の人であった。
(中略)
維摩詰は菩薩 →「娑婆という名の世界がある。仏は釈迦牟尼と号す。今現在、五濁の悪世において、小さな教えを願う衆生の為に教えの道をひろめている。そこに、維摩詰という名の菩薩がいる。不可思議解脱の立場から、諸々の菩薩の為に法を説いている。」(『香積仏品』)

************************************************** (※1)

とあります。このことから言えば、出家・在家に関係なく「菩薩」という用語は使えるようですね。仏法を拠り所として、衆生を悟りの道に入らしむる人を菩薩というと言えるでしょうか。

ところで、小生の手元に「女子パウロ会」出版の「マザー・テレサ 愛の言葉」という絵本があります(カトリック信者の友人から贈られたものです)。
この中に、
「人は一切れのパンではなく 愛に、小さなほほえみに 飢えているのです。

だれからも受け入れられず だれからも愛されず 必要とされないという悲しみ
これこそがほんとうの飢えなのです。

愛を与え 愛を受けることを知らない人は 貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。」
との言葉があります。「心の貧しさこそが、本当の飢え」であるとの意味だと思いますが、不軽菩薩の礼拝行とは逆説的な意味で興味深いです。
不軽菩薩は人々の中に「仏性」を観じ、それを礼拝した。マザー・テレサは人々の心の中に飢餓を観じ、それを救済したいとの思いに駆られた。ということでしょうか。
しかし、「救済」という結果から見れば同じことなのかもしれません。
結局、「助けを必要とする人」の手助けをする行為全般が、菩薩行と言えるのではないでしょうか。

※1 『 「維摩経」の研究レポート (1)、「維摩経」の菩薩』
http://www5.ocn.ne.jp/~ono13/page59.html

1004犀角独歩:2003/11/26(水) 16:28

アネモネさん

> 素朴に投稿できる掲示板は、やはり貴重な存在

同感です。その意味でも、この掲示板を用意される管理人・問答名人さんに改めて敬意を表します。

> 菩薩道の随喜

菩薩が随喜するという意味で、わたしは記したわけではありません。
菩薩は随喜させる側であって、その心中が随喜、あるいは感動に満ちているかといえば、必ずしもそうではないと思います。しかしこれは本題とずれますから、いまは記しません。

> 組織に対してご供養や財務…仏法に対する供養・布施行とされてしまっています

そうですね。わたしが3年間言い続けてきたことの一つです。

> 集めた資金を広く衆生に対して施すことをしなければならない

わたしが法華講に入ったばかりの時、本山役僧でもある住職は「供養は元来、個人が仏様に対してするものであって、集団が行うべきものではない」と言っていました。もっともな意見であると思いました。しかし、直ぐに反故になりました。
そもそもシャキャムニはサンガの蓄財そのものを禁止していました。
元来、サンガは法の修行場であったからでしょう。
その後、100年にして、この戒律はその後、大乗教団と発展していくと目される側で破られ、現在に至っています。いまとなって教団の蓄財を咎めたところで意味もなしません。しかし、アネモネさんが仰るように、襟度があるべきであるとわたしも思います。
何のために金銭を集めるのか、単に集団・指導者・構成員のためであれば、ただの商売です。名誉勲章のためであれば名聞名利です。仏に成り代わり衆生済度のために使えば仏使・菩薩の行となるのでしょう。

> 施すべき衆生とは、救いを求める「不信の人」ですね。
> それをしなければ、救いを求めて布施行を託した「信の人」
> も救われないものでしょう。

まったくこの意見には賛同します。
「不信の救済」、布施の意味と併せ、わたしが申し述べてきたをこのように総括いただいたことを嬉しく存じます。
大乗といいながら、集団・指導者・自分たちの本尊を信じなければ救えないのであれば、それは自分たちが小乗と貶称する教義より、さらに劣った乗り物に過ぎません。
不信の救済こそ、真の大乗であるということもまた、わたしが主張してきたことでした。

1005犀角独歩:2003/11/26(水) 16:29

―1004からつづく―

> ところが、いずれの組織も済度の名を借りた我田引水といえます。

よく引用しますが、浅見定雄師が「何を信じているかではなく、何をしているかで集団の真価が問われる」と仰ったのはこの点です。「世界平和はヒットラーも言っていた」と、その非を突いた人もいました。
集団が何をやっているのかを見れば、我田引水の仏法教義利用の商売であるか、衆生済度を目的にしているかは一目瞭然殊です。自己集団の対社会に向けた功績が論じられなければ商売に過ぎないという批判に甘んじるしかないことになります。

> 組織批判

組織批判、大いにけっこうではないでしょうか。
批判を真摯に受け止め、前向きに是正を繰り返すことを健全な運営といいます。
批判を許さない独裁主義は、日本では昭和20年で終わりを告げました。ところがいまでもそんな独裁主義を繰り返している集団があれば、むしろ断固、糾弾されるべきですね。

> 法華経成立の時代、法華経創設者のいうところの「菩薩道の実践」とは、
> 一体何だったのでしょう。

重要な点です。
ボーディサットバとは愚鈍凡夫さんが引用くださったように、ジャータカ(本生譚:シャキャムニの前世物語)における修行者のシャキャムニを指す言葉でした。
その後、大乗経典郡創作の時代にはいると無数の菩薩達が登場するようになります。この濫觴が弥勒菩薩であったようです。このころから、仏の担い手として衆生済度に当たる菩薩は、シャキャムニ一人から無数の求法者として宛われていくことになるのでしょう。
これはたぶん、ミトラ(ミスラ)と菩薩思想の習合の結果であるとわたしには思えます。いずれにしても、菩薩は釈尊一人から拡大解釈されるにいたり、救済者としての性格を色濃く持つようになるのでしょう。

現存する多くの菩薩像は、裕福な服装をした在家、、すなわち、王族・豪商の姿で創られています。わたしはこのことから、そのような社会的に裕福な人々が仏教信仰に基づいて救済活動をする姿に人々は菩薩を見ていった経過を看取します。

その場合、菩薩の与える物は衣食住薬などが主立った救済の糧であったと想像できるわけです。しかしながら、全知全能の神に紛う性格を与えられた永遠の存在として仏に使者として菩薩は、その様相を異にします。彼らが与えるものは仏の教えであったのでしょう。そして、その弘法こそ、菩薩の使命となっていると見えます。

ここからがアネモネさんの疑問に掛かるところですが、単に仏使として法を弘めることを菩薩道と言えるかと問われれば、わたしは断固、「否」と応えます。
では法華経の菩薩はいかばかりかと一瞥するとき、残念ながら法を弘める菩薩の側面ばかりが見えるわけです。わたしは敢えてこの点を欠陥と認めることにします。そして、この欠陥を積極的に補完する方途を法華信奉者はいまこそ真剣に考えるべきであると主張するわけです。

> 法華経…迫害の物語…創作者集団が「自分たちだけが正しい」
> とする偏狭さを持っていたために起きた事実を記したもの
>> そのことが事実だとするならば…その背景を知りたい

法華経に記述される物語はその創作者(集団)のその性格を反映しているというのは学者一般の見解でした。
岩本師が「この経典(『法華経』)を捨て去る災難を数えあげるとすれば、いくら数えても最後に達しないだろう」という。この脅しの言葉はまさにインフェリオリティ・コンプレックスの表現そのものであり、あたかも小児が竹棒を持って強がりをいうのに類すると言っても言い過ぎではない。『法華経』のこの態度は日蓮に見られ、さらにその流れを汲む宗教団体に受けつがれていることは、よく知られていることである」(『佛教入門』中公新書 P167)と記すのはまさにこのことです。同様の記述は渡辺照宏師の著にも見られます。

1006犀角独歩:2003/11/26(水) 16:29

―1005からつづく―

法華経の創作者(集団)とは、一体如何なる人々であったのか。その確実な研究をわたしは知りません。しかし、譬喩品をはじめ、そこに書き連ねられる脅しの言説は、実に見苦しく、そして、差別的です。この差別は、岩本師が言うように被差別側であった怨恨から生じたものである可能性もあるでしょう。しかし、反面、問答名人さんが引用される如き不軽精神の如き、その点を止揚した側面もたしかに看取することはできます。怨恨から不軽への精神的向上の流れをそこに看取できるわけです。この昇華はしかし、高く評価されるべきですね。アネモネさんが「不軽心」といった点にわたしは大いに賛同するものです。その特徴を余すことなく、示すために差別、恫喝の教説をわたしは潔く捨て去ることにしたわけです。


> 「経典信仰」…聖典信仰

この比較は実に重要な意味を持つと思います。
法華経は大乗経典のなかでも特異の聖典信仰の“影響”によって創作された経典であると思えます。梵本のテキストはありませんので、妙法華で「法華経」という語彙を検索したところ、実に97回も出てくるわけです。

また、そのなかで、「吾於過去 無量劫中 求法華経(吾過去無量劫の中に於て法華経を求めし)」(提婆達多品)と経典が過去無量劫から存在していたことを示唆する一節まであります。つまり法華経典は量り知れない過去から存在していたものであるという神話がここに織り込まれているわけです。
このような特異な聖典信仰は他の大乗経典に見られない特徴であるとわたしには思えます。この極端な経典賛美で特徴づけられる理由は、アネモネさんも記されるように、当時の東西文化のなかで勃興していった聖典信仰の影響を法華経創作集団が受けていたからではないのかと、わたしは想像します。

> 本尊=偶像崇拝(器物崇拝)

仏像の出現はたぶんにギリシャ神像彫刻の影響を受けたものでした。
わたしもその意味から、本尊が「生身(しょうしん)の日蓮大聖人」などと言われれば、まさに偶像崇拝という批判を遁れがたいと思えます。しかし、元来の仏像・漫荼羅は、たとえばキリスト者が十字架を用いることに、むしろ近いものであると思える向きもあります。

> 偶像や器物を立てるまでもなく、聖典信仰そのものが究極の偶像崇拝

わたしも、もちろん、同様に感じます。
わたしが「経典は法ではない」というのも同様の意味からです。
題目の五字に一念三千の意義を籠めるのは是であるにせよ、五字そのものが一念三千であるといえば、いわば偶像化に類似をなすと思えます。
しかしながら、ここで、キリスト圏の他教批判の言を費やす必要はありません。
「一切法空」から仏像・漫荼羅を見る視点があれば事足りることでしょう。

> 聖典…信仰の対象・本尊と崇める…宗教観…私は疑義をもっています。

偶像崇拝というキリスト者側の批判からではなくて、大乗仏教の「空」から見ても、この点は再考されなければならない点であろうと存じます。

> 聖書のいわゆる救世主信仰と、法華経の済度思想は、非常に似通ったもの

東西文化比較論では、夙に指摘される点でした。

> 学ぶべきところを自らの判断で掴むということが求められる

この点も大いに賛同します。
日本人といわず、すべての信仰者は、集団信仰を卒業する時機が到来しているのだと、つくづく思う昨今です。

1007愚鈍凡夫:2003/11/26(水) 21:15
>>1003: 注

たぶん、お気づきだとは思いますが、

『方便品』には「白衣を着けた世俗の人であるけれども修行者の清浄な戒律の行を奉持し、在家の人であるけれども欲界・色界・無色界の三つの迷いの世界に執着していない。妻子ある姿を示しているけれども、常に清らかな行を修している。」

との記述がありますが、これは「法華経」ではありません。「維摩経」です。
悪しからず。

「あの〜っ・・・・・。レスが1000を超えてしまいましたが・・・・・。」(独り言) (^_^;)

1008アネモネ:2003/11/27(木) 01:17
愚鈍凡夫さん

レス、大変勉強になります。ありがとうございます。

>仏法を拠り所として、衆生を悟りの道に入らしむる人を菩薩というと言えるでしょうか。

やはり、そういうことなんですね。
私は、図書館である本に菩薩について書かれていたわずか一行の説明に目が釘付けになりました。それは、「自分の成仏を捨てて衆生の済度に生きる」一字一句正確というわけではありませんが、そんなような言葉だったと思います。
私はこのわずか一行に、ジーンとてしまいました。

キリスト教が説く神の愛は、報われることを一切期待しない「無償の愛」だといわれ、イエスの生涯にもなぞらえ、自己犠牲の精神が伴うことを意味しているといわれます。
愛することに報いを期待した時点で、それは本当の愛ではないとなってしまうといえるでしょう。
菩薩が、自分の成仏を捨てても衆生を救わんとする心は、まさにキリスト教が説いた無償の愛と同じ精神性だと私は感じます。

しかし、頭ではわかっていても、その実践となると、ぜんぜん駄目です。
どうしても、報われる愛を求めてしまうものです。
ですから、信仰という場の修行も実践も供養も弘法も、全て自分が報われるためにしてしまうと、それは本当の意味での菩薩道にはならなくなるのではないかと思うころです。

>「人は一切れのパンではなく 愛に、小さなほほえみに 飢えているのです。
だれからも受け入れられず だれからも愛されず 必要とされないという悲しみ
これこそがほんとうの飢えなのです。
愛を与え 愛を受けることを知らない人は 貧しい人のなかでも もっとも貧しい人です。」

涙が出てしまう言葉ですね。

>「不軽菩薩は人々の中に「仏性」を観じ、それを礼拝した。マザー・テレサは人々の心の中に飢餓を観じ、それを救済したいとの思いに駆られた。ということでしょうか。

イエスの山上の垂訓はご存知でしょうか。
その冒頭には、「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」という一説が語られています。
きっとマザー・テレサも不軽菩薩と同じように、心の貧しい人の中に神やイエスを見、そして神やイエスに仕える気持ちで貧しい人々に接していらしたものと思われますね。

>結局、「助けを必要とする人」の手助けをする行為全般が、菩薩行と言えるのではないでしょうか。

そうなんでしょうね。他を利するとは、人に尽くすことであり、それが喜びと感じられるとき、それが菩薩行となっているのではないのかなあと思います。

1009アネモネ:2003/11/27(木) 01:18
犀角独歩さん

>そもそもシャキャムニはサンガの蓄財そのものを禁止していました。

キリスト教においても、イエスは自分の弟子になる者に対して、自分の財産を貧しい人々に施してから弟子になるようにと戒めていたようです。

私の想像ですが、蓄財とは、あくまで自分の為の行為だと思われますね。しかし、いわゆる義に生きる道を選ぶとき、それが菩薩道であるならば、他に尽くす(利する)為に、自分を捨てる(自己犠牲)から始めなければならないものなのでしょう。
菩薩の道で、蓄財を禁止することは、基本中の基本なのかもしれませんね。

>元来、サンガは法の修行場であったからでしょう。

またまた、素朴な疑問ですが、法の修行とは、何のために行うことなのでしょう。
ちょっとこれまた舌足らずな変な質問かもしれません。
具体的にいえば、修行とは、自分の為の行なのでしょうか、それとも他者の為の行なのでしょうか。もしくは、他者の為の自分…となる為の行なのでしょうか。

>仏に成り代わり衆生済度のために使えば仏使・菩薩の行となるのでしょう。

本当にそう思います。
くどいようですが、菩薩行が何であるかの次に、衆生済度とは何であるかということも問題となりますね。
法華講でいわれていたことは、正確な言い回しではないかもしれませんが、仏法を持たせることだといわれていましたし、そしてそれが本尊を持つことということでもありました。しかし今にして思えば、それはどうも仏法の解釈に飛躍があるんじゃないかと、素朴に思うわけです。
折伏の名を借りた組織勧誘は、弘法という菩薩行に解釈されていること、これが法の歪曲であるならば、ことは深刻だと思いますね。

>大乗といいながら、集団・指導者・自分たちの本尊を信じなければ救えないのであれば、それは自分たちが小乗と貶称する教義より、さらに劣った乗り物に過ぎません。

やはり、本尊という概念そのものこそ、カルト問題で指摘される「象徴の病」という落とし穴に思えますね。これも、かつて独歩さんに教えて頂いた言葉ですね。
しかし、そもそもお釈迦さまの直説では、本尊というものは、どのように説かれていたのでしょう。恐らく、本尊という語彙は使われていなかったと思われますが、それこそ自灯明、法灯明ということでしょうか。
キリスト教では、やはり天地創造の全知全能の絶対神が、本尊ということになるのでしょう。これも、まったく観念的な世界のいわば象徴の病ではないかと、元クリスチャンの私も、今ではそう思っております。

>不信の救済こそ、真の大乗であるということもまた、わたしが主張してきたことでした。

独歩さんに、まさにご自身の体験を通して教えて頂いたことでした。
不信の救済。私も宗教に関わった者のひとりとして、このことを考え続けていきたいと思います。

不軽菩薩は、法華経不信の人にも礼拝されたのでしょうか。そうだとしたら、この経文からは、そこを読み取ることが肝要なのかもしれませんね。
マザー・テレサは、キリスト教を信じないインドの最下層の人々を救済しようとしたわけですが、そこが、イエスの山上の垂訓にかなった実践的行いといえるのだろうと思います。

>浅見定雄師が「何を信じているかではなく、何をしているかで集団の真価が問われる」と仰ったのはこの点です。

自分の信仰する教団が、実際に何をしているのかということを見ようとし、そのことを考えてみようとするということは、正法とは何か、成仏とは何か、菩薩道とは何か…といったことを考え直してみることに通じるものだと思われますね。

1010アネモネ:2003/11/27(木) 01:23
(つづき)
>そのような社会的に裕福な人々が仏教信仰に基づいて救済活動をする姿に人々は菩薩を見ていった経過を看取します。

キリスト教が広まった本当の背景には、中世の裕福な階層の人々の存在があったようです。なにせ、「貧しき者は幸いなり」という、貧しい者こそ神の国に行けるのだというイエスの言葉により、富裕層の人々は裕福故に神の国に招かれないのではないのかという不安や恐れがあったわけですね。そうした富裕層の人々が、死後に神の国に行きたいと願いによって信仰に励んでいった背景によって、キリスト教は拡大していったといったことを何かの本で読んだことがあります。そしてその富の一部を神の名において慈善事業に使うようになったともいわれていますが、その点、法華経成立の背景もどこか似ているようにも思われますね。
ただしキリスト教のこの場合は、人を救いたいという無償の愛というよりは、自分が救われたいがためにという我欲からの信仰心なわけですが、しかし、最初はそうであっても、やがて真の博愛に目覚めていった人も多くいただろうと思います。

>では法華経の菩薩はいかばかりかと一瞥するとき、残念ながら法を弘める菩薩の側面ばかりが見えるわけです。わたしは敢えてこの点を欠陥と認めることにします。そして、この欠陥を積極的に補完する方途を法華信奉者はいまこそ真剣に考えるべきであると主張するわけです。

なるほど。ということは、法華経では、不軽菩薩の精神は説かれてはいるものの、全編にわたって主題としての強調はみられないということなのでしょうか。

>「…『法華経』のこの態度は日蓮に見られ、さらにその流れを汲む宗教団体に受けつがれていることは、よく知られていることである」(『佛教入門』中公新書 P167)

結局この掲示板で私は、宗門や教団批判をしてきましたが、そのルーツを遡れば、結局は、法華経にたどりついてしまうということになるわけですね。
こうなると、やはり経典に対する絶対信仰を考え直してみなければならないでしょうね。

>譬喩品をはじめ、そこに書き連ねられる脅しの言説は、実に見苦しく、そして、差別的です。この差別は、岩本師が言うように被差別側であった怨恨から生じたものである可能性もあるでしょう。

やはり、法華経信奉者は、どうしてもここを克服しなければならないでしょうね。そのためには、どうしても経典信仰の限界を考えることではないでしょうか。
法華経=正法という錯覚が今日的にもあることが否めないとするならば、そこから紐解いていかなければならないでしょうね。

>怨恨から不軽への精神的向上の流れをそこに看取できるわけです。この昇華はしかし、高く評価されるべきですね。

怨恨と不軽は、相反する心のように思われます。しかしそこは、法華経全編を通して昇華と読み取ることが、創作者の意図するメッセージであるといえるのでしょうか。
ややこしい質問ですみません。

>妙法華で「法華経」という語彙を検索したところ、実に97回も出てくるわけです。

これは、奇怪というか奇妙というか、他のお経はもちろんのこと、一般的な本としても、とても特異なことですね。

1011アネモネ:2003/11/27(木) 01:24
(つづき)
>経典が過去無量劫から存在していたことを示唆する一節まであります。

なんだか、昔観た、「ネバーエンディングストーリー」という映画のことを思い出します。
私の想像ですが、書き手の術中に嵌るとでもいいますか、不軽菩薩の精神がというよりは、むしろこのミラクルストーリーこそ読み手の心を掴んで信者とならしめているのではないでしょうか。
宗教的な精神の観点からいえば、不軽菩薩の精神こそ強調されなければならないはずなのに、実際の力点はミラクルなところに置かれているわけですね。

>当時の東西文化のなかで勃興していった聖典信仰の影響を法華経創作集団が受けていたからではないのかと、わたしは想像します。

聖典信仰といえば、キリスト教のバイブル、ユダヤ教のトーラー、イスラム教のコーラン、いずれも法華経が創作された中東の信仰観に共通しているものですね。

アメリカでは、大統領や州知事が就任するとき、聖書に手を置いて宣誓がなされている様子が報道によって確認できますが、民衆に対する宣誓を神に誓うという儀式の形が色濃く残っているものなのでしょう。
また、イスラム教ではコーランそのものが特に神聖なものであり、信徒でない人はコーランに決して触れることは許されないといったことも聞きます。
神の言葉が記されたそれらの書物は、神聖なものとして、私たちがいうところの「本尊」のように扱われているといえるかもしれません。
キリスト教もイスラム教も、ユダヤ教から派生したものであり、もともとは神との契約から始まっているともいえるわけで、契約の証が聖典につながって大切にされていったのなのかもしれませんね。

>しかし、元来の仏像・漫荼羅は、たとえばキリスト者が十字架を用いることに、むしろ近いものであると思える向きもあります。

象徴と捉えていいのでしょうね。
キリスト教でもいろいろあるわけですが、かつて私が通ったプロテスタントの教会では、十字架は掲げられていなかったんですね。ですので、かえって聖典信仰の傾倒が非常に強かったと思います。

>わたしが「経典は法ではない」というのも同様の意味からです。
題目の五字に一念三千の意義を籠めるのは是であるにせよ、五字そのものが一念三千であるといえば、いわば偶像化に類似をなすと思えます。

もともとここのスレッドで議論されていた「本尊が何であるか」ということの主題も、ここだったのだろうと思います。

>偶像崇拝というキリスト者側の批判からではなくて、大乗仏教の「空」から見ても、この点は再考されなければならない点であろうと存じます。

言葉足らずの表現になるかもしれませんが、結局、たとえ目に見えない神や仏の存在であっても、それを絶対的な信仰対象としたとき、偶像崇拝というものの範疇、つまり象徴の病というものにうなっていくものだろうとなんとなく思うのです。
偶像崇拝は、何かの像を拝むことを意味するわけですが、目に見えない絶対神の存在も、それが観念的なものである以上、それは人間の頭の中で創造された偶像だと思いますね。ですから、久遠の釈尊や、本仏にしても、観念的存在であるならば、それは偶像といえるでしょう。また、それが経典や聖典という言葉や文字であっても、それが法に代わる象徴であるならば、それは紛れもなく偶像崇拝というるものになってしまうと思いますね。
言葉足らずで、私の意図するところは、非常にわかりにくいかもしれませんが。
観念上の像を信じることはもちろんのこと、言葉や文字や絵や像によって正法を象徴的に据えて信じることも、いずれも結局は偶像崇拝だと思いますね。

1012みかん:2003/11/27(木) 05:03
菩薩には
1、ジャータカなどに登場する、釈迦の前生。修業時代。
2、四弘誓願をし、修行する衆生。
3、観音菩薩、弥勒菩薩のような超越的な存在。
の三種類が、おおざっぱに言って分けられると思いますが、
とりあえず、生身の実在の衆生・人間である2について考えます。

菩薩はボディサットバ(菩提を求める衆生)の略であり、
第一義的には「覚りを求める修行者」のことです。
菩薩は「上求菩提・下化衆生」であり「上求菩提」をし、
覚り、開悟、成仏を求める存在です。

また、四弘誓願(菩薩の総願。すべての菩薩に共通する願)に、
衆生無辺誓願度
煩悩無尽誓願断
法門無量誓願学
仏道無上誓願成

とあるように、煩悩の断滅、仏道の成就を目指し、成仏を求めているのです。

また、「下化衆生」「衆生無辺誓願度」と言ったときの、衆生への教化、度脱は、「世俗的な意味の善行」ではありません。
自らが、覚りを求め、開悟・成仏を目指すのと同様に、衆生に開悟・成仏を目指させるように働きかけるのです。それが菩薩行道です。
善意の人、善行の人、善行に一生をかけた人が菩薩であるというわけではありません。
他人を覚らせようとし、自信も覚ろうとする人が菩薩なのです。

ですので、私は、伝統的な仏教解釈に則るならば、異教徒であり、菩提・覚りを求めた訳ではない「マザー・テレサ」は菩薩ではないと言わざるを得ません。

(わたし個人は伝統的な仏教解釈とは別の菩薩観(智慧の一分を開いた人、ダンマの一分を見た人が菩薩である)を持っているので、マザーテレサが菩薩であるという可能性はゼロではないとは思いますが、可能性は高くないだろうと思います。)

1013みかん:2003/11/27(木) 05:16
菩提心についての言及がすっぽ抜けていました。

菩提心を起こしていない人は菩薩ではありません。

菩提心についての解釈はいろいろありますが、
「覚りたいと望むこと」が菩提心では
"ありません"。(往々にそう誤解されていますが)

菩提心はそう簡単に起こせません。
菩提心を起こせれば、ある意味では覚ったも同然、という宗派もあります。

いずれにせよ、わたしが強調したいのは、
世俗的な善行を行う人が、菩薩だというのは、誤解であるということです。

菩薩は、他人を覚らせようとし、自分も覚ろうとする衆生のことです。
世俗的な意味の善行をする人のことではありません。
それがどれほどかけがえのないことであっても、です。
世俗的な善行をする人は、世俗的な善行をする人として
高く評価されればいいのであって、「菩薩」という
間違ったレッテルを貼る必要はないと私は思います。

1014愚鈍凡夫:2003/11/27(木) 06:11
皆さん、お早うございます。

たぶんアネモネさんがいっている「山上の垂訓(山上の説教)」とは以下の文のことだと思います。
「マタイ伝 5」より引用
**************************************************

1 この群衆を見て、イエスは山に登り、おすわりになると、弟子たちがみもとに来た。
2 そこで、イエスは口を開き、彼らに教えて、言われた。
3 心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
4 悲しむ者は幸いです。その人は慰められるからです。
5 柔和な者は幸いです。その人は地を相続するからです。
6 義に飢え渇いている者は幸いです。その人は満ち足りるからです。
7 あわれみ深い者は幸いです。その人はあわれみを受けるからです。
8 心のきよい者は幸いです。その人は神を見るからです。
9 平和をつくる者は幸いです。その人は神の子どもと呼ばれるからです。
10 義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。
(後略)

**************************************************

富士門の掲示板で新約聖書を引用するのは不思議な気分ですね。
マザー・テレサは「貧しい人たち」について、次のように述べられています。

「貧しい人々の中で最も貧しい人々は、私たちにとってキリストご自身、人間の苦しみを負ったキリストに他なりません。」(「愛と祈りのことば」 PHP研究所)
「私たちの食物、衣服、何もかも貧しい人々と同じようでなくてはなりません。なぜなら、貧しい人々はキリストご自身なのですから。」(「愛と祈りのことば」 PHP研究所)

「マタイ伝5-3」の意味は、マザー・テレサが「心の貧しい人」といっている意味とは違うように思うのですが、いかがでしょうか。
何故なら、女史は「貧しい人」と「心の貧しい人」とは区別されているように思うのです。女史の言う、「心の貧しい人」というのは、「忘れ去られた孤独の中の住人」のことではないでしょうか。または、「心に深い傷を負った人」のことではないでしょうか。

「山上の垂訓 山上の説教から」
http://www.hiroshima-cdas.or.jp/home/jm4kdv/sanjyou.htm

1017犀角独歩:2003/11/27(木) 09:28

みかんさん:

質問です。

世俗的な善行と衆生の教化はどのように違うのでしょうか。
教化とは具体的に何をすることでしょうか。
開悟・成仏とはどのようなことでしょうか。

この三つ、ご説明願えませんでしょうか。

1018犀角独歩:2003/11/27(木) 09:42

みかんさんは、ひとつ誤解があると思います。

みな「マザーテレサが菩薩である」というレッテルを貼っているわけではありません。

マザーテレサの尊い行動と精神に、菩薩の姿を見るという趣旨で話が進んでいるだけです。そこから、菩薩道とはなんであるのかを再考しようという流れになっているということです。

それは単に、菩薩戒を受け、勤行に四弘誓願を口ずさみばかりの僧、あるいは仏教集団といいながら、商業集団としか映じない宗教法人などより、よほどマザーテレサのほうに菩薩を見るという前提で話が進んでいます。異教徒であるマザーテレサのほうにこそ、なぜ菩薩を見るのかが重要な点です。ご呈示いただいた菩薩については、もちろん認識したうえで議論が進んでいるところをお読みとりください。

1019犀角独歩:2003/11/27(木) 10:12

少しくどいですが、もう一点だけ。

蓮師は『本尊鈔』に

「無顧悪人慈愛妻子 菩薩界一分也」
((悪事を行っても)顧みることの無い悪人も妻子を自愛する 菩薩界の一分なり)

と記しています。この場合の悪人は菩提心があるわけでもなく四弘誓願も立てません。
しかし、蓮師は菩薩界一分と言います。
以上のようですから、マザーテレサに菩薩界を見ることは、蓮師の菩薩観から推しても外れているものとは思えません。

1020みかん:2003/11/27(木) 14:01
> 世俗的な善行と衆生の教化はどのように違うのでしょうか。

全く違います。
衆生の済度、教化とは、衆生の「智慧を開かせる」ための行為です。衆生の智慧を開かせるために
自分の能力と、相手の能力を知った上であらゆる事をします。それが衆生済度・教化のための行為です。


> 教化とは具体的に何をすることでしょうか。

あらゆること、です。文字通りあらゆる事、あらゆる方法を採ります。
生身の人間であるところの仏・菩薩とは、自分が生きる姿をもって、
相手の智慧を開き、智慧の眼を開かせる人間です。
あらゆる方法を用いることが、仏・菩薩の慈悲でしょう。
あらゆる方法とは、文字通り、あらゆる方法です。
行住坐臥、すべてで伝法します。言語にもよるでしょうが、
言語のみによるわけではありません。
また、仏・菩薩が衆生を開悟させられるわけではありません。
開悟するかどうかはあくまでも衆生の機縁の問題です。

> 開悟・成仏とはどのようなことでしょうか。

智慧の眼を開くこと、縁起を知ること、そして煩悩を滅することです。
私がなぜ私であり、世界がなぜこのような世界であるのか、
直感によって、直下に分かることです。
問題のある表現を敢えて使うなら「諸法の実相」を
我、我が身の上にありありと体験することです。
生身の人間が煩悩を完全に滅することは不可能なので、
(煩悩がないと、死にます)生きている限り、完全に
成仏することは不可能でしょうね。

> もちろん認識したうえで

菩提を求める衆生が、菩薩であるという視点が欠けているように見えましたが。
世俗の善行と、仏道の衆生済度、衆生教化が異なるという視点も欠けているよ
うに見えましたが。

> 「無顧悪人慈愛妻子 菩薩界一分也」

譬喩表現だと思いますが。あくまでも菩薩界一分であり、菩薩ではありません。
また、わたしは日蓮信者じゃないので、日蓮がこう言っているから、と
いわれても、ああ日蓮はそういっているのですか、それは仏教一般の
考え方とは違いますね、ということしか言えないですね。

1021犀角独歩:2003/11/27(木) 14:15

みかんさん:

菩薩界の一分と菩薩は違うと言うことですが、何がどのように違うのでしょうか。
また、一分ではなく、十分の菩薩とはどのようなものを言うのでしょうか。
生きた人間の例で引用するとのことでしたが、十分の菩薩とは具体的にはどのような人ですか。

また、智慧を開かせるということですが、では智慧とは何でしょうか。
智慧が開くとどうなりますか。

それにしても、たしかみかさんは「仏教信者ではない」と自称されていましたね。
日蓮信者でないから、日蓮が言っていることはそう言っているという範囲に留まるというのであれば、仏教信者でないみかんさんが引用する菩薩の説明は何の意味を持ちますか。

1022犀角独歩:2003/11/27(木) 14:27

そうそう、みかんさん。一つ書き忘れました。
みかんさんが日蓮信者ではなく、哲学者の立場から仏教一般の用語説明をされているのでしょう。
わたしは社会活動という実践の立場から菩薩の在り方を考えています。
ですから、仏教一般の説明の正確さをここに競っているわけではありません。

1023犀角独歩:2003/11/27(木) 15:07

アネモネさん:

いつもながら長文のレス、有り難うございます。

> イエス…財産を貧しい人々に施してから弟子

仏教では、財産を教団にすべて寄進して弟子になるなどという話を聞いたことがあります。この点をたしかオウム真理教も模倣していました。それに比し、イエスの姿勢は実に立派であると感服するものがあります。

> 菩薩道…他に尽くす(利する)為に、自分を捨てる(自己犠牲)

この点が菩薩道を考えるうえでネックになると思います。
愚鈍凡夫さん、みかんさんが菩薩の変遷について、やや記してくださいましたので、その線に沿ってやや考えたいと思います。

まず結論から言って、わたしは菩薩道は後期になるほど“堕落した”と見ます。
堕落という言葉が悪ければ、歩み方向を間違えたと言い換えてもよいかと思います。
超人化し、加護、祈祷の対象になった菩薩は、もはや菩薩道とは関係のない崇拝対象でした。
では、法華経の菩薩はどうか、ここが焦点になります。
先にも記したとおり、この菩薩達は艱難辛苦をよく忍び、軽んじられながら、その相手を礼拝し続ける人々でした。それは見仏を求め、弘法を誓った人々でもあったわけでした。換言すれば経典(聖典)崇拝者でもあったわけですね。
わたしが注視するのはこの点です。これら菩薩は仏と法のために身を捨てていく人々であったわけです。反面、法を弘める相手から害される覚悟を持って臨んでいます。
このような弘教の精神は法華持経者の模範とされるところです。

しかし、わたしはこの菩薩の在り方に、敢えて疑義を立てます。
本来の菩薩精神は違うと異論を述べようと思います。
その根拠は本生譚(ジャータカ)です。シャキャムニの前世物語として綴られる菩薩も、たしかに仏・法を求める人でした。しかし、そこで展開される菩薩行は法華菩薩とは格段に違っています。

著名なところで、法隆寺に遺る国宝・玉虫厨子に描かれた物語を例を挙げます。
「捨身飼虎」と称される飢えた虎の親子に自分の身を捧げる“菩薩”行を図したものです。ここで着目したいのは菩薩が身を捧げたのは、仏・法ではなく、畜生界の虎であったという点です。もちろん、その志は仏法を求めてことでした。しかし、その菩薩が身を布施したのは畜生に対してです。ジャータカを注意して読むと、その物語はほぼそのような有様で、仏法を求める菩薩は、我が身を十界論でいう六道の衆生に与えることによって行にしています。わたしは、ここに菩薩道の遡源を見たいと思うわけです。

ところが現在の信仰者は、菩薩道と言いながら、その布施を捧げるのは、仏・法、あるいは教団、指導者に対してです。不信の人々にはただ法を弘めてそこで終わってしまいます。

みかんさんが「世俗の慈善事業は菩薩道とは無関係」と記された。しかし、わたしはそのようには思いません。いかなる慈善行為のなかにも菩薩道は生きていると考えます。前世のシャキャムニが六道の衆生に身を捧げたように、アネモネさんの言葉を借りれば自己犠牲と見える行を通じて利他を実践する、その利他を慈善の実践をする心に、わたしは菩提心を見ます。神仏を求め、あるいは求めずとも、悩める人・苦しむ人のために、実際の行動をしようとする心が菩提心の原型になっているという意味です。それが仏教の菩薩道であれば発菩提心と呼ばれ、マザーテレサは「貧しい人にイエスを見る」というも、そのように衆生を自愛する心象こそ、現世人類が生物として到達した秀でた精神状態なのだという点こそ、重視されるべきであると思うわけです。

その観点から、菩薩道の実践は衆生救済、具体的には世俗の慈善事業の場でこそ、実践されるべきでものであるとわたしは思うわけです。
教団・指導者に自分の利益を願って散財をするより、支援を必要とする人々に、その罪過を手向けることのほうが、わたしはよほど菩薩の精神に適うと思うものです。


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