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素朴な疑問

1075みかん:2003/12/03(水) 00:44
他宗教の人に、●●さんは菩薩だ、とか菩薩のようだというのは失礼だと思いますよ。
それは、クリスチャンが、釈迦や日蓮や親鸞を、キリスト教の文脈で預言者だとか、聖者だとか福者だとかいうのが失礼なのと同様です。
なぜなら、他宗教の宗教的尊厳や、文脈を無視していて、無神経な行為だからです。
殉職した自衛官の妻が、夫を靖国神社に神として合祀されることに反対する訴訟を起こしたことがありますが、アレを想像して頂ければ、多少はわかるんじゃないですか。それでもわからないのであれば、語る余地はないですね。

それはさておき、キリスト者で菩薩とよばれるにふさわしい人というと、わたしはマイスター・エックハルトを思い浮かべるのですが。
マザーテレサはまったく思い浮かばなかったので、大変、マザーテレサが菩薩だとか菩薩に近い人だという言説には、奇異な印象を受けます。

マザーテレサが菩薩だという方は、仏教の根本的な救いなるものがピンと来てないんじゃないかと思います

これはなんとも言ってますが、仏教は「覚る」「成仏する」以外の、救いのコースを用意していないんですよ。
(浄土門でもそうです。往生して西方極楽浄土で成仏のための修行をするのです。また、親鸞においては、信心決定して大乗正定聚の数に入るというのは、開悟とほぼ同義です。)
だから、菩薩の善行は、他人を覚らせる、度脱指せる、彼岸にわたす、以外の者ではないのです。

ですので、菩薩の善行ってのは、相手を目覚めさせる、きづかせることだけです。
気づかせるためにあらゆる事(方便を含む)をするのです。(あらゆることってのがピンとこないんでしょうが、それはまた次回)
だから、宅間スレへのわたしの回答はたった一つです。宅間が本尊を持っていようといまいと、宅間が、こころから懴悔し、開悟し成仏すれば救われます。成仏しなければ、救われません。それだけです。

>アネモネさん
仏教と社会の関係については、三種類ぐらいの関係がありますが、(反社会・脱社会してのパーソナルな救いを求めること(釈迦の時代)、悲田院などの慈善事業、鎮護国家)
日蓮が選んだのは、3番目の鎮護国家と、1番目のパーソナルな救いの二種類だけです。日蓮は悲田院を立てるような慈善事業には携わりませんでしたし、批判的だったようです。
後の日蓮門下は悲田院を立てる寺もありましたけどね。身延山久遠寺とか。
これについてもまた次回。


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