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素朴な疑問

1093犀角独歩:2003/12/03(水) 18:38

―1092からつづく―

わたしはこの書の『むすび』を何度か紹介した記憶があるのですが、いまは探せません。慈善活動を仏教と分ける人に是非とも読んでいただきたく、紹介します。

「仏教は日本人に何を教えたか。積極的な面では、人々を愛し、助けあい、すべての生命を尊重すべきことを教え、人間が自己完成すると同時に、他の人々を幸福にすべきであるという理想を示した。道登がはじめて宇治橋を架けて以来、多くの仏教者は黙々として道を作り、橋をかけ、池を作り、川を修め、樹をうえた。空海は庶民のために学校(綜芸種智院(しゅげいしゅちいん)を作り、教授と生徒の完全給食を実施した。忍性は病院を建て、ライ患者を助け、馬の病舎を作った。鉄眼は毎日1万人の災民に食事を与えた。こうした例はまだ他にも沢山ある。生命の尊厳を教えて肉食の習慣をやめさせたのも仏教であった。早い時期に死刑制度を廃止させたのも仏教である。人と人との結びつきを教え(袖振れ合うも多生の縁)、人生と自然との和合を示してくれたのも仏教であった。要するに今日ヒューマニズムとよばれるところのもの、それをわれわれは主として仏教から学びとったのである。
 しかし、宗派としての仏教、形式的な宗教儀礼、器械的な僧侶の思考動作は、日本人の生命ある宗教活動を枯渇させてしまった。…
 宗派宗門を主体とし、形式儀礼にこだわる中世的仏教は本当の仏教精神を掩いかくしている。現在でも、一方に老いこんで無力になった既成教団があり、他方には無知で暴力的な信仰疑似宗教がわめいている。自由な立場で仏教を求める人たちは何ものも見いだすことができない。…
 好きなものが集まって説教まがいの講演を聞くと言うだけの組織は、本当の仏教活動にとってはむしろ有害でさえある。なぜかというと、利他の実際活動を伴わない聞法だけで仏教運動に参加しているような錯覚をおこすことによって、上求菩提下化衆生の実践をないがしろにする結果を生むからである」(同 P209)

同書が発刊されたのは1958年1月25日、既に半世紀前に鳴らされた警鐘は少しも生かされることなく、現代の問題になっています。殊、日蓮本仏圏ではその様相は顕著である。わたしは以上の指摘を真摯に受け止める故に素朴な疑問として、慈善活動の問題を俎上に挙げた次第です。


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