したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

素朴な疑問

1091犀角独歩:2003/12/03(水) 18:36

わたしがここで呈示する素朴な疑問は、なぜ日蓮本仏論者は具体的なボランティア、人道支援、社会還元等の慈善活動に無関心なのかという点です。

それは宗祖、蓮師に関連することなのか、それとも、その解釈によるのか、天台、または法華経そのものによるのか、あるいは現代の日蓮本仏を語る集団と指導者に起因することなのかという疑問です。

少し長い引用をさせていただきます。
渡辺照宏師は

「仏教者にかぎらず、およそ宗教家としての評価の基準は、その精神的体験の深さとともに、対人間的にどう行動したかという点にあると考えられる。単に信者の喜びそうな文句を綴るとか、、ハッタリで人をおどしつけるだけでは本当の宗教家とは言われない。たとえ後世たまたま大宗教家の開祖と仰がれる幸運を荷ったとしてもこのことに変わりはない。道元の言葉として「仏家には教の殊劣(勝劣)を対論することなく、法の浅深を選ばず、ただし修行の真偽を知るべし」とあるが、その修行の真偽は対人関係においてはじめて識別されると言ってよかろう。わずかに信者の仕送りによって余命をささえながら、口先だけの指導をしていた親鸞や日蓮が仏教者の典型であるとは少なくともわたしには納得できない」(『日本の仏教』岩波新書 P42)

最後の一文を読めば、親鸞・日蓮信者は眉をひそめるけれど、わたしはこの渡辺師の指摘に耳を傾けたい。親鸞師のことは、ここ富士門ではさておきます。
蓮師の対する厳しい批評はさらに続きます。

「日蓮自身の言葉…その表現において自己意識過剰であると同時に、内容から見ても、ただ自分一人のみが『法華経』によって日本を救うことができると主張しているのである。彼はまた「此国は神国なり」といい、「国土の泰平、天下の安穏」をねがっているのであるが、自分の言うことを聞かないから『これ偏(ひとえ)に日本国の上下万人、一人もなく法華経の強敵(ごうてき)となりて、年久しくなりぬれば、大禍つもり、大鬼神の各々に身に入る上に蒙古国の牒状に正念をぬかれて狂ふなり』。
 日蓮がいくらりきんでも、彼の声は結局のところ幕府の下層官吏の耳までしか届かなかったし、彼自身の国家観は現実味の乏しい観念的なものにすぎなかった。国家が彼の言うとおりに『法華経』の信仰を唯一の正しいものと認めて、他のすべての宗派を禁止すれば、日本国は栄えるし、そもなければ、国は滅びる他ないというのである。言いかえれば、自分の宗派を唯一の国教として認め、他のすべてを弾圧せよというのである。仏教史全体を通じて、他に類例のない独善主義であって、仏教の寛容の精神から見て、まったく非仏教的な態度と言わなければならない。これは日蓮が『日本第一の智者となし給へ』と幼少の時より虚空蔵菩薩に願を立てた(空海と同じである)というのにもかかわらず、仏教の基礎的知識を欠いているためである。日蓮は志を得ず不遇のままに死去したが、このような独善主義は、後世もしばしば他宗派との間に物議をかもした。日蓮の主張する国家主義は明治以降に復活された。明治13年に田中智学の創始した蓮華会(のちの立正安国会、国柱会)がその著しいものであ、この会は政治家や軍人にも影響してファシズムを鼓舞した。日蓮宗系統の信仰疑似宗教団体には単に個人の救済を標榜するものが多いが、日蓮正宗の外郭団体である創価学会はこの宗派をもって日本の唯一の国教と定め、他のすべての宗教の禁圧を目標とするものであるから、日蓮の国家主義の現代版といえる。ただし日蓮自身は生涯不遇であったから、ただ主観的な構想のみにとどまり、活動が具体化されることはなかったのである。日蓮ないし日蓮の流れをくむ人の考え方は、自分の宗派を国家権力と結びつけ、思想や言論の統制を図ろうとするものであるから、この点、注意すべきである」(同 P50)


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板