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素朴な疑問

1106ガンコ:2003/12/04(木) 15:21

素朴な連想

五月雨さんの1094〜1095は、全体として何をおっしゃっているのかわかりませんが、いろいろ思うところがありました。

>人が善い行いをすることは大切だと思いますが、それを殊更に菩薩道と絡めて強調することは必要なことでしょうか。仏教徒だから、菩薩道があるから「善行」をする、しなくてはならないというような論調は、本末転倒しているように感じるのです。仏教徒でなくても、菩薩道を知らなくても、人としての「善行」があるべきではないでしょうか。人として、人を思いやる気持ちの中でそれは自然と自ずから施せると思うのです。

わたくしはこのところ、法勝人劣とか法前仏後とか考えてきたのですが、ようするに仏法ってほとけが出現する以前からあったのだと。それでいくと、上記のお考えはなるほどそのとおりだと思います。いわゆる十界論の、わたくしの認識が正しいかどうか・・・恥を覚悟で書けば、菩薩だとか声聞だとか、その名称は後天的なものだけれど、その中味は先天的なもの・・・つまり、十界論の示すところは制度的なものではなく、本然的なもの・・・十界本有常住っていうのはこのことかなあと。

>そして、その人を救う菩薩の常不軽に自らの姿を重ねながらの考え方は、これは富士門系で言う“地涌の菩薩”を“常不軽菩薩”に置き換えているだけではなかろうか
>私たちは学会から石山から、信者は地涌の菩薩の眷属なんだという誇りを植えつけられて、その気にさせられ、無理な折伏をし、どれほど多くの一般の人々に多大な迷惑をかけてきたことでしょう。

まあ、じぶんなんかも、地涌の流類だなんて、ずいぶんとおだてられたものだなあって、思うことありますものね。

>“常不軽の菩薩道”が“地涌の菩薩の眷属”と同じ轍を踏むのではと、私はとても不安な思いに駆られるのです。

う〜ん、同じ轍を踏む・・・ですか。確か今年の春ごろでしたか、わたくしが法華講に移るようなニュアンスを漏らしたところ、おっしゃいましたね。・・・所属教団をサーフィンしたところで何にも変わりやしない、と。
もしかしたら五月雨さんは、掲示板での議論じたいに、限界のようなものを感じ取っていらっしゃるのではないでしょうか?


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