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素朴な疑問

1098アネモネ:2003/12/04(木) 03:42
横レスすみません

犀角独歩さん

>日本人にとって1000円はわずかな金額です。しかし、その1000円でこれだけのことができるのかとわたしは感嘆しました。
…ある日蓮宗のお坊さんが…冗談じゃない。この賽銭箱で集められたお金で、経済的支援が必要な世界の国に学校を建てて寄進しているんだ」。あまり知られていない話だと思います。

1000円といえば、賽銭箱のない日蓮正宗では、ご祝儀袋に入れなければならないとされていて、結局、暗黙のご供養最低金額だったなあと思い返されます。袋には住所や名前と金額まで明記するのが通例でしたね。私もそれなりに、参詣のときには必ずご供養を包んだものでしたが、お寺の実態を目の当たりにするにつけ、納め続けたお金が、どのようなことに使われているのかに疑問を持つようになったものです。そして独歩さんの掲示板のレスを通して教団の裏事情など真実の一端を知るようになってからは、つくづく無駄な散財をしたものだと思いました。

ところが慈善活動の実践がどんなに尊いことなのかはわかっていても、いざ自分が実践的にやり始めるとなると、なんだかんだと腰が重いものです。いかに自分のことしか頭にないか、いかに自分ばかりが可愛いか、そんな情けなくも狭い心を自分の中に見ます。
自分のためと思って励む宗教活動には、それこそ万難を排す勢いで時間や資金を投入することができるというのに、いざ自分以外の人の為の実践的な慈善活動となると、なんだかんだと理由をつけては、結局わずかばかりの時間もお金も割けなかったりするものです。
法や組織の為には、何万円も何十万円も、いや何百万円だって、それが自分に返ってくるとなれば、全く惜しげもなくつぎ込むというのに、本当に助けを必要としている人たちのための、わずか1000円の援助や寄付が煩わしかったり面倒だったりと思ってしまうものですね。
私は、そんないやーな狭い心も自分の中に見るものですから、だからこそ慈悲の実践活動に身を投じる人を知ると、少しでもどこかで、何かの形で近づきたいと思ったりもするのです。とても同じような真似は出来ないけれど、でも少しでも何かの形で近づきたいと思うのです。

>むしろ、宮沢賢治が「東に病気の子供があれば 行って看病してやり  西に着かれた母あれば 行ってその稲の束を負い  南に死に人あれば 行って怖がらなくていいと言い  北に喧嘩や訴訟があれば つまらないからやめろと言い…」と記した人に、法華・日蓮を意識しながら、「そういう者にわたしはなりたい」と思います。

私は、小学校五年生の頃、宮澤賢治の童話をたくさん読みました。「風の又三郎」「銀河鉄道の夜」「セロ弾きのゴーシュ」…、どの作品も独特な世界に没頭して読みふけっていました。その当時の私は、一番熱心に教会に通っていた頃でもあったわけですが、実はなぜか彼の童話の世界にキリスト教精神のメッセージのようなものを感じて読んでいたんですね。宮澤賢治が国柱会の信者であったということは当時の私は全く知らず、そのことを知ったのは、法華講に入ってからのことです。
私の中では、キリスト教と法華経とは、目指す精神性が完全に融合してしまっているといってもいいかもしれません。それが正しいか間違っているかの教義的検証には、根拠をもって答えられるだけの知識は持ち合わせていませんから、これはまるで根拠のない、完全に私の感覚的なところでの話ですが、私の中では融合しているわけです。日蓮の中にイエスを見たり、イエスの中に日蓮を見る、そんな思いが私の個人的リアリティとして確かにあります。
そのことにおいて私にとっては宮澤賢治も、法華経の不軽菩薩の精神とキリスト教の博愛精神が根底的に融合している人のように思えてならないんですね。
確か宮澤賢治は、どこかでキリスト教と関わっていたのではなかったかという、わずかな記憶がありまして、それを頼りに検索してみましたところ次のようなサイトがありました。
http://www.hico.jp/sakuhinn/4ta/donnguri.htm
驚いたことに宮澤賢治は、日蓮も取り上げられているあの「代表的日本人」を書いた、クラーク博士の弟子である無教会主義派の内村鑑三の、その直弟子たちと深い交流があったようですね。そこでキリスト教の博愛精神を学んでいるのだろうと想像できます。もしかしたら、農業改革のバックボーンの一端もここで培われたのかもしれません。


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