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素朴な疑問

1101三吉:2003/12/04(木) 07:24
私が法華経をそのまま読めば、
みんなから馬鹿にされていた一人の菩薩が、部派仏教の徒に対して「君らは、将来大乗を行じて、作仏する方たちだ。なむぅ」と「礼拝讃歎」行を実践し、その功徳によって、死ぬ間際、法華に出会えた。法華に出会った功徳で、「六根清浄」を得て、寿命が延び、法華を説法するものとなった。法華の説法を聞くことで、部派の出家在家みなともに、信伏随従し、悟りを得た、と。

常不軽菩薩が救ったのでも、信伏随従という自由意志が救ったのでもなく、救った浄因は、法華経じゃあないだろうか。「法華の功徳は六根清浄」だよがテーマだと思うが。
一つの線として、「馬鹿にされてた者」が「法華」を得れば、一転して尊敬されるという展開になっているので、「法華ってすごいんだぜ」というのも大きなテーマだと思います。

ちなみに私の先の文は不軽菩薩を「迷惑の代表」として書いていますので「救済」に触れていません。恐らく「大乗の菩薩道などに無関心な、とある部派仏教勢力のものたち」に対して、「あなたたちは菩薩道を実践して作仏する」などと言うのは、念仏の徒に題目、題目の徒に念仏で救われるというのといっしょくらい迷惑ですね。「虚妄の授記」という批判は真っ当です。
他教の文脈で実践された人を「菩薩」と賛嘆するのが、「失礼」「迷惑」ならば、法華自体が、あるいは仏教の発想に根深く「失礼」「迷惑」があるといえるのではないかと思います。釈尊もかなり失礼で、阿含を見ますと「火を拝んでる敬虔な信者」「沐浴している真面目な人々」に向かって、「生天したいなら、そんな馬鹿げた努力してもしゃーないやん。正しい実践したほうが効果的よん」と仏教の実践を勧めます。迷惑で失礼な話です。


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