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素朴な疑問
1107
:
アネモネ
:2003/12/04(木) 15:53
私は、蓮祖の諌暁という行動にみられる精神からいっても、宗教は、人の苦しみを生んでいる社会問題について向き合って、取り組んでいくとき、はじめてそこにその教えや思想が実社会に息づき、生かされるものだろうと思います。そのひとつの形が慈善事業なのだろうと思うわけですね。
独歩さんと、pundarikaで議論してきたところの共通の認識がそこにあったと思います。
http://jbbs.shitaraba.com/study/3050/pundarika.html
#3
ここでの議論は、一時休止状態にはなっておりますが、法華経は何を訴えたかったのか、そして法華経からは何を学ぶことができるのか、真の菩薩行ということは何かということが次なる議論としてあがってきていたところです。
私の八年間の法華講組織を振り返ってみても、菩薩行が何であるのかを、素朴な疑問からはじまって考え直してみることは、ほぼはじめてのことであり、とても新鮮なことに思えました。つまりそれだけ、法華経が何を説いているのかということが、組織内の指導や説法や法話のなかで、きちんと押さえられていなかったように思うのです。私個人の不勉強ということもあるかもしれませんが、しかし教導する立場の聖職者は、たった一行の経文を通してでも、全体の思想を知らしめることに尽力すべき責務があると思いますし、もっといえば、言葉はなくても、その人の存在そのもので示すことも求められるものだと思いますね。
まさにそれが、独歩さんのレスにある、
>浅見定雄師の「何を信じているかではなく、何をしているかで宗教の真価が問われる」という点
に関わることだろうと思います。しかし残念ながら、そのような啓発を受けるような方は、私の法華講8年の中では、ひとりもお見受けできませんでした。
独歩さんのレス
>1088
>「わたしが人間を考えるとき、その基本には、障害者として過ごした姉があり、喝采のない家の中で、姉を介護する母の後ろ姿がありました。
人を愛するとか、慈悲の精神などと、心地よい言葉を吐くことはた易いことであると思います。しかし、そんな心地よい言葉だけでは何も変わりません
大衆の前で説教を行い一身に尊敬を集める人よりも、汗まみれ・汚物まみれになって働く無名の一人が尊い。わたしの眼にはそう映ります」
この文章は、掲示板参加当時に既に読ませて頂いた文章ですが、正直なところ私はショックを受けました。これが正しいと鵜呑みにしてきたことで、なにかもっと大事なことを忘れかけていたんじゃないだろうかと思ったものです。
今の議論は、私にとっては既にこのときから始まっていたといえるかもしれません。
菩薩道とは何なのか。このことを、やっぱり考えてみたいと思うのです。
そこに宗教の目指す方向が見えてくるようにも思いますし、もしもロムされている方の中に、組織信仰の葛藤のなかにいる人がいるならば、尚更、この議論は有意義なのではないかと思いますね。
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