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死刑制度についてひと言お願いします
1
:
boro
:2003/03/16(日) 14:16
死刑制度については他のサイトとかで
さんざんやってきたテーマだと思いますが
そのときの犯罪事情によっても意見が
違ってくると思います。そういう意味で
いま現在、どのように思っているかを
簡単でかまわないので意見をきかせてください。
場合によってはテキストを書く上で参考にさせて
いただくかもしれません。よろしくお願いします。
1808
:
Ken
:2008/06/21(土) 15:57:07
というわけで
1800>>絞首刑・電気椅子・薬殺・・・ですか?これらの死刑の違いも考慮に入れてデータを読み込む余地は、尚も残されているかも知れません。「死刑が執行された」という事実の中には、そのような個別の事実も入っているのですから。
シェパード教授が用いた1977年以降のデータはほとんどが薬殺(注射)ですね。
一部電気椅子も含まれていますが...。絞首刑はほぼゼロです。
http://en.wikipedia.org/wiki/Image:Methods_of_executions_in_the_United_States.PNG
1809
:
flower
:2008/06/21(土) 16:26:35
>>1806
モンロー主義の原理的な部分は原理的な部分としてあり、
時を経るにしたがってモンロー主義の解釈に変遷が起こっていた、ということがこの件の事実関係だと思います。
1810
:
無精髭
:2008/06/21(土) 21:18:22
Ken様へ
>さすがに誰か一人でもまじめに読んでいたらおかしいのに
>気づいたのと違いますかね。
東浩紀著『郵便的不安たち♯』(朝日文庫)からの引用になりますが、
「(前略)ソーカル事件の背後にはダナ・ハラウェイをめぐる学会政治的な確執があった
と言われており、また、『ソーシアル・テクスト』の編集者であるアンドリュー・ロスは、
実際にはソーカル論文に一度リテイクを出したとも言われている。」
東氏はこの事件に加えて、その後ソーカルがジャン・ブリクモンと共に著した『「知」の欺瞞』
に於ける、所謂ポストモダニズム批判の意義は条件付き(※1)で認めていますが、日本論壇
(学会ではない)がそれを無条件に持て囃す事に対してはそれは鈍感であるとしています。
東氏によれば、「そもそも日本では、アメリカと異なり、ポストモダニズムが人文科学の主要な
勢力となったことなど一度もない。」のだそうです。つまり、日本に限りその受容母胎は
アカデミズムではなくジャーナリズムであったという事です。日本に於ける翻訳知の問題は、
無論学会に帰属するものですが、これを槍玉に挙げる伝統(※2)を有していた文芸評論壇の方が、
今度は足を掬われる格好になった訳です。
※1 かなり以前から批判はあったのと、ソーカルの批判の仕方が不公正である事。
※2 小林秀雄による西田幾多郎批判。
老婆心様
お初にお目にかかります。
>>1802-1803
について、すぐにもお答え致したいのですが、
実は小生が使っているPCは家族共有のものでして、
今は都合により返信ができませんので、どうかご了承下さいませ。
1811
:
無精髭
:2008/06/21(土) 21:23:25
>>1808
>シェパード教授が用いた1977年以降のデータはほとんどが薬殺(注射)ですね。
>一部電気椅子も含まれていますが...。絞首刑はほぼゼロです。
意外でございましたね。より残酷な刑が多いかと思っておりました。
1812
:
無精髭
:2008/06/22(日) 01:11:50
Ken氏ご指摘の研究については、Wikipediaの「死刑存廃問題」の項でも触れられているようですね。
(皆様多分既にご存知の事かと思われますけれども。見事、小生は乗り遅れましたな)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AD%BB%E5%88%91%E5%AD%98%E5%BB%83%E5%95%8F%E9%A1%8C
特に「2.1.1 統計的観点からの死刑制度の犯罪抑止力 」の箇所には、
「残忍化(brutalization)効果」という言葉も見えます。小生は「野蛮化」でも「野獣化」でも、
或いは意訳して「欲望解放化」でも、この際何でも好いと存じますけれどもね。
しかしまぁ、大部な記事でございますなぁ。身を入れて読もうなどとしたら大変です。
自らの問題意識に関わる所だけに目を留めるよう心がけて、他は真に受けずにさらりと読み流す
のが得策でございましょう。
Wikipediaの日本語版は夙にKen氏もご指摘していらっしゃる様に、記事の内容を全面的に
信用する訳には参りません。煩わしいと思われるかも知れませんが、ノートの部分にも
一応目を通しておいた方が良さそうです。記事の公平性を探るよりも、公平に記事を読む
為に、ですね。
しかし、どれだけ長くなるのでしょう、この項目はw
ところで、Wikipediaは本当に便利でございます。このスレで5年以上も議論を重ねて、
漸く蓄積されて煮詰まった考えが、いとも容易くそこに纏められているのですから。
Wikipediaだけを読んで訳知り顔で議論を仕掛けてくる様な新参者が今後出て来るような事
にでもなれば、このスレで議論を重ねる事で御自分の持論を地道に固めて来られたご常連の
方々にとっては、正に由々しき事態となりましょう(小生が申すのも可笑しいですが)。
ですが、自ら考える事と人から教わる事が、仮に同じ結論を導き出したとしても、
それに至るまでの過程の長さ・苦しみによって、更に先の結論へと論を推し進める原動力に
両者の間で差が出るのは自明かと思われます。前者の方がその逆境に強い事は言わずもがな、です。
冗談抜きに、私たちの敵は死刑廃止論者或いは存置論者ではなく、Wikipediaのような
巨大な雑学体系・大衆知の権化なのかも知れませんよ。
1813
:
無精髭
:2008/06/22(日) 21:29:47
>>1802
老婆心様へ
あちこちのスレに駄文を書き散らしておりましたので、返信が遅れました。
謹んでお詫び申し上げます。
>また、日本国憲法以下の法体系では、「死刑」という「刑罰」は(中略)
>憲法違反になりうる、という点については、どのようにお考えなのでしょうか。
このご質問につきましては、小生は意見がないと申しますか、今の所は興味が全くございません(笑)。
ただ、「残虐」という言葉は憲法の条文に載せるのには、それを読解するのに主観的材料を必須とせざるを
得ませんので、抹消せよとまでは申しませんけれど、もっと客観的な言葉に替えた方が宜しいかと存じます。
一々と事例を挙げるのは、小生の語彙がややお粗末な為に敵いませんが、大雑把に申して例えば医学・科学用語
を駆使して置き換えるとかすれば宜しいかと思われます。無理に置き換えなくとも、「残虐」と言う言葉を
それらの用語で定義し直すのも宜しいですね。それを「野蛮」とも関連付けるのなら、Ken氏も
>>1495
>>1807
等で
仰っていらっしゃる様に、その語の意味は同時代では文化相対的ですし、歴史的にも絶対的な決まりがある訳
ではなく、寧ろ啓蒙主義者が侵略・統治を正当化付ける為に相手側をそう呼んだという、その言明・表出行為
にこそ存するのです。そういう事実が現在に至るまで尾を引いている訳でございますね。余談ですが「啓・蒙」
と言う漢字も随分と差別的な言葉でございますよね。「野蛮」という言葉でさえも、その意味を忌避するのは
正しいのですが、それを現実の(「野蛮」と呼ばれる)事象と対応付ける事で一緒に忌避すると言う行為も、
その言語を使用していると言う正にその事によって、差別・偏見を無意識裡に肯定しなければ出来ない事なのです
から、余り多用すべきではないのかも知れません。
ウィキペディアの情報もご参考になされば、尚ご理解が深まる事かと存じ上げます。
野蛮
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%87%8E%E8%9B%AE
因みに、「犯罪に対する態度について〜」スレでこの件に関するKen氏と小生のやり取りがございますので、
ご参照戴けましたなら光栄至極にございます(小生のレスは72番、73番辺りでその後訂正が続きます。Ken氏のレスは
76番でございます)。
>「刑罰」に関連して、「残酷」と「残虐」という言葉が使用されていると思いますが、
>「残酷」と「残虐」の意味の違いなどを含め、両者の「定義」は可能でしょうか。
上記のご質問につきましては、時間を置いて再度レス致したく存じます。
1814
:
無精髭
:2008/06/23(月) 10:06:24
>>1801
またまたKen様へ
あんまりこの問題に拘泥するとスレ趣旨に反してしまう虞がございますけれど、
面白いので続けさせて頂きます。と申しても、これでラストかも知れません。
ご興味のない方はスルーの程、お願い申し上げます。
ソーカル事件はご存知でなく、アイアンマウンテン報告書をご存知でいらっしゃったのには
正直吃驚致しました。Googleで検索をお掛けになればお分かりのように、Hit件数の違いは
歴然としております。小生はアイアンマウンテン報告書には全く無知でしたし、おそらく
翻訳者の山形浩生氏を知らなければ、日本でそれを知っている者はかなり限られてくるので
はないかと思われます。因みにこの山形氏、とんでもなくユニークな御仁だそうですね。
YAMAGATA Hiroo Official Japanese Page
http://cruel.org/jindex.html
山形浩生(Wikipedia)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%B1%B1%E5%BD%A2%E6%B5%A9%E7%94%9F
何だかこの人、Ken氏の毒舌鋒スタイルを更に凝縮させて・無理矢理純度を高めたかの如き文章を
書きますよね(にしても扱う対象に対して軽妙洒脱に過ぎる感も致しますが)。
後、驚く程、知的関心が旺盛で仕事の射程範囲が広い。福田和也や宮崎哲弥と等しく、手当たり
次第に何でも読む人なのでしょう。プロフィールも異色ですし。
『「知」の欺瞞』に関連して浅田彰氏に絡んでます。と言う事は無論ソーカル事件にも言及して
いるでしょう。ご興味がおありでしたら覗いて見て下さい。
P.S 雑談&連絡スレッドで僭越ながらも色々と勧めておりますけど、無視されても構いません。
ただ、「東浩紀」に関しては本当に知って置いても損はないと存じます。
1815
:
無精髭
:2008/06/23(月) 10:15:52
>>1802
ちょっと脇道に逸れますが、老婆心様へ
>Kenさんと無精髭さんの議論は、専門的な知識をともない、話のないようもむずかしく、正直
>わたしの頭ではついていけない思いでした。
大変にご迷惑をお掛け致しまして、誠に申し訳ございませんでした。ですが貴殿が仰るように
別段テクニカルな議論を致しておる訳ではないのは、Ken氏も小生も共通に認識していると思う
のですけれどもね。要は興味の問題なのだと思うのです。Ken氏は例外的に議論の許容範囲が
広いようですが、小生はと申せば「戦争、政治犯罪、国家犯罪などについて」スレでのKen氏の
それを含む一連のお書き込みには全く食指が動きません。老婆心様も雑談&連絡スレッドの
2033番で以下やや厳しい語調で戒めていらっしゃったでしょう?
>何か、最近、無限回廊で、頻繁にやりとりあるコメントは、
>「差別」「国家」「戦争」などといった「個別の事件」とは関係性のない
>テーマについてであったり、「事件」がらみのコメントでも、「犯人の
>人間性」がどうたらこうたら、というものが多すぎるような気がしますね。
>「無限回廊」の本来の趣旨にそって、純粋に、「未解決事件」の解明を
>試みるものや、刑事捜査の手法を考えるテーマなどについて、才智ある
>人たちの考察を望みます。
貴殿の過去を穿り出してしまい恐縮です。上記のように仰る貴殿に於かれましては、この度の
Ken氏と小生のやり取りは詰まらないものだったとお察し致します。逆に小生においても、貴殿
のご関心の的である「未解決事件の解明」や「刑事捜査の手法を考える」といった一連のテーマ
にすら余り食指が動きません次第。しかもそれを取るのだったら「犯人の人間性どうたら」を
テーマに論じた方が未だ増しだと思ってしまう性分ですので(笑)、この度の一件はこれはもう
致し方なく存じ上げます。ですが貴殿のお書き込みに全く興味がないという訳でもなく、例えば
雑談スレでのよう子氏とのやり取り(特に2073番)などは興味深い内容かと思われるのです。
実は小生、こちらのスレッドでの話題、死刑制についての議論なども正直余り本質的な問題だと
思われません。現実問題に絡める議論の進め方は、それぞれ現実とは何かと言う定義を順次的に
問うて行けば、何も法解釈や判例だけを中心にして論じるものと規定する必要は無い訳ですが。
小生が死刑について考える事に小生なりの意義を見出せるのは、それが刑罰の一部でありまた
それとは異質・若しくは刑罰と復讐(報復)との臨界点に位置するという見方も出来、それが
裸一貫・観念のみで以って考えて行けもするからです。
貴殿の
>>1748
のレスはその方面に全くの無知である小生にも大変に興味深く感じられます。
1816
:
行きずりの男
:2008/06/23(月) 13:23:19
ここのスレは凄いですね。
外国文献を読むのに四苦八苦していた大学時代を思い出して、
ちょっとブルーにさえなってしまいます。
紫煙狼様から、強盗致死(殺人)と死刑の抑止力についての
レスをいただきました。
ご承知のとおり、少し前までは死刑判決は
強盗致死(殺人)関係に集中していたので、この罪に沿って
抑止力を考えるのはたしかに当然のことだと思います。
強盗は割にあわない犯罪だと言われます。
強盗犯の利得は極めて少ないと言われていますし、
一方で刑罰は、被害者を殺傷した場合は「無期懲役」が原則
(全くの初犯などの場合は重い有期懲役)場合によっては死刑となります。
つまり、冷徹に利害の考量をするプロの犯罪者なら、
捕まって刑罰をうけることは絶対に避けることを最優先に考える。
もし被害者家族が複数いて、ひとりを殺害してしまったら、
無期懲役はほぼ確実。この場合、冷徹なプロの犯罪者は
1 もうひとり殺したら死刑だからここで止めよう
2 ひとり殺しているから捕まったら無期。いつ出て来れるか判らない。
隠蔽のため家族全員殺害しよう
のどちらの思考を働かせるでしょうか。2の例は高名な
カポーティ「冷血」のように、数限りなく例がありますが、
1の例は聞いたことがありません。
思いがけずに強盗現場で人を殺害してしまい、
動転して逃げ出すという例は散見しますが、それは「動転」であり、
死刑を意識したわけではありませんね。
死刑ではなく、無期懲役までだったら逃げなかったとは言えないでしょう。
この犯罪についても死刑が抑止として働く場面は
全く想像しにくいと思います。
一言で言えば、犯罪者にとって、無期懲役刑は大変な「抑止力」であり、
「無期懲役ならいい」と思えるような刑罰ではおよそないからです。
以前の日本の判決は、強盗殺人事件で、被害者1人は無期、
2人は死刑の可能性が出てきて、3人なら死刑確実と明確だったので、
複数の殺人を抑止する可能性が理論上はまだあったかもしれません。
「たった一例」と言われる死刑の抑止力の例は、たしかに
このケースに関するものだったと記憶しています。
ただ、厳罰化の傾向が進み、今では強盗殺人は被害者一人でも
死刑になる可能性が高くなりましたので、
むしろ、前述した2の方向に働く可能性が高くなり、
この種の抑止力も完全に消失することになるでしょう。
1817
:
無精髭
:2008/06/23(月) 19:17:39
>ここのスレは凄いですね。
>外国文献を読むのに四苦八苦していた大学時代を思い出して、
>ちょっとブルーにさえなってしまいます。
元々このスレは議論の高さは別にしても、諸賢の皆様方全員が、非常に
良く調べ・良く考え、そして良く練った文章をご投稿されていらっしゃる
様な場所ですからね。中々こういう議論掲示板は他にありませんよね。
ただ貴殿が上の様にお感じになる原因の半分は、多分小生の一人のせい
だと存じます(苦笑) 小生の懐疑癖にお付き合い戴けているのがKen氏
一人なのを見れば、自ずと知れるでしょう。単にスレ違いな議論を
しているだけですよ。
後、小生がどうしても横道に入る或いは議論を複雑化してしまうのには、
無限回廊的な知識・教養に欠けると言う点を補う為に、小生の畑違いな
雑学体系を総動員(?)しようと企てているからです。そうやって皆様の
知識・教養を議論を通して実践的に覚え込む為に、搦め手から攻める
みたいな愚行を繰り返している訳です。皆様の知識なり論法を無理矢理
引き出している訳ですね。小生は記憶力が本当に悪いので困り者です。
ただ議論の為に議論している訳ではないと言う事は、どうか誤解なさら
ないで戴きたく存じ上げます。小生は小生自身の為にここに書き込んで
おりますが、その利益は皆様にとって無益であっても有害にはならない
筈です。その利益は自分だけの価値にしかならないような性質なので。
小生は誰も論破なんかしたくないのです。ただ構って欲しいだけですよ。
皆様、今後とも宜しくお願い致します。
1818
:
行きずりの男
:2008/06/23(月) 19:21:10
あとで確認したら、紫煙狼さんのレスと
微妙にずれてることに気づきました。すみません。
ただ、答えとしては、以上述べたことで
結果的には意を尽くしているかと思います。
ところで、ここ10年の日本の殺人発生率は
著しい都市化にもかかわらず、1200件前後で安定しています。
多少感覚的にものをいって恐縮ですが、
歴史的にみても、国際比較の点からみても、
現在日本の殺人発生率は極端に低く、
これ以下はなかなか想定できないほどであり、
いわば「底値安定」というとこではないでしょうか。
死刑実施の数は戦前は著しく多く、戦後もしばらくは多かった。
その間は犯罪発生率はそこそこ高かったわけです。
したがって、死刑制度の存在、その実施が、
現在日本の例外的とも言える犯罪発生件数の低さの
決定的理由でないことはたしかでしょう。
一方、アメリカの犯罪発生率の高さは群を抜いて凄いです。
で、何がいいたいかというと、
率直にいって、そうした実情にあるアメリカの研究を、
例外的とも言える犯罪状況の日本に当てはめるのは、
ちょっと違うように思うのですが、どうなんでしょう。
また、欧州では依然として「死刑の抑止力の根拠なし」は
一般的見解でもあります。アメリカの研究は
無視されているようにも思えますが、なぜなんでしょう。
1819
:
行きずりの男
:2008/06/23(月) 19:36:31
無精髭様と前後して無関係なことを書いてました。
冷静に死刑の議論をしているスレなんて、
ホントここだけじゃないかと思います。
数年前のことですが、同業者団体で死刑問題の議論をして、
あとで酒宴になったら、罵り合いの喧嘩になってしまったのを
思い出しました。
1820
:
無精髭
:2008/06/23(月) 19:53:33
>>1818
Ken氏の詳細なる回答を待った方が宜しいかと思われますけど、
それに関連して小生なりの意見を。
犯罪抑止力の実証というのは、その研究与件として犯罪発生率を
絶対必須としなければ、そもそも成り立たない方法なのだと思います。
つまり簡単に申してしまうと、「アメリカの犯罪発生率の高さは群を
抜いて凄い」から、犯罪抑止力についても実態あるものとして言説可能
なのです。これは国民側から研究者側からも優れて相互補完的な環境
ですよね。
欧州が貴殿の仰る様な状態なのは、おそらくアメリカとの犯罪発生率の違い
が原因として考えられますが、違うかも。アメリカは連邦制ですから、
中々欧州にそれを当て嵌められないというのは? 無視されていると言うのは
ちょっと信じられません。
本当の所は、死刑制廃止の先進国ですから、そこから更に独自の研究を進める
必要性を感じている為、アメリカの研究を過去のものと見做しているのかも。
死刑を廃止する位の国ですから、犯罪発生率に問題が無ければおそらく研究は
余り進展しないのじゃないかと思いますけど。既に研究が熟していたからこそ
国民の多くの反対を押し切って(?)死刑を廃止できたともいえるのかも知れ
ません。でも移民問題も深刻ですから、アメリカを参考にしても良さそうです
けどね。アメリカなんて・・・と言うプライドもあるのかも知れません。
雑な意見で面目ありません。
>>1819
困ったものですね。
1821
:
無精髭
:2008/06/23(月) 20:02:31
>>1816
>思いがけずに強盗現場で人を殺害してしまい、
>動転して逃げ出すという例は散見しますが、それは「動転」であり、
>死刑を意識したわけではありませんね。
>死刑ではなく、無期懲役までだったら逃げなかったとは言えないでしょう。
鋭い切り返しですね。それをも死刑の抑止効果とまで言えるか否かと言う議論も
続ける事は可能ですが、それですと多分抑止効果は威嚇効果ではなく、心理的抑止効果
(先頃知りました)とかいうもっと主観的で訳の分からないものになってしまいますね。
その効果までも例外的効果として扱われる危険(?)はございますが、それでは本末転倒
というもの。なぜなら、同時に宅間死刑囚のような犯罪者を抑止力の働かぬ例外者という
存在を認めてしまうのなら、犯罪抑止力自体に具体的な程度の差があるという一方の仮説が
宅間死刑囚のような例外者を、「抑止力が働かぬ人間」ではなく「何故か犯行時の情況に
限って抑止力が効きにくかった際の事例の一つ」として一般化してしまう虞がございます
から。否、別にそれでも好いだろうと皆様から突っ込まれるかも分かりませぬが、小生
にはまだまだ突き詰めて考える余地がある問題だと思われてなりません。
何はともあれそこでは犯罪抑止効果は万人に万遍なく波及すると考えられている訳です
から、それが及ぶ対象である人間の方に個人差があるとされるのはさもありなんと頷け
ますが、当の効果の方にも欠陥が存するとまで付け加えるとなると、犯罪抑止効果が実態
的として存するという一時的仮定は成立困難なものになりましょう。
何度繰り返しても惜しくはないので繰り返させて戴きますが、犯罪抑止効果と刑罰制度
を実態としてイコールさせる事は、法文がしている事ではなく、人間の認識による誤認
であると言った方がスマートなのだと言うことですかな。人間は常に利害を念頭に生き
ていますから、犯罪についても同じ事が言える訳でして、犯行を自分の意志で思い止ま
ったのか、無意識下に於ける何らかの刷り込みで思い止まったのかは、その人間の利害
に関わる個人的な問題なので、情況とか供述によって予想は立てられるけど、中々確か
な事を言うのは難しい。犯行時でさえ観念的に刑法・具体的に刑罰が念頭にあったとし
ても、その犯人の内なる損得勘定ではなく、外的な抑止力を冷静になって想像するのは、
今正に犯行をするって時にですよ! ちょっと無理なのではありませんかね。
死刑でも何でも犯罪抑止効果について底の底まで考え続けると、どうしても個人の心の
問題にまで降りて行ってしまうのですよね。そうなると不思議な事に、犯罪抑止効果の
有無を最終的・究極的に確かめようとする方法領域は、死刑判決と執行までの期間に於ける
改心・更正問題と考察の次元と非常に似通って来ます。後者に関しては懐疑的・否定的
な人たちが、前者に対しては刑罰と心の次元を客観的事象として一緒に取り扱ってしまう
のには、小生はとても疑問なんです。しかし、「同情」というキーワードを徹底的に考え
れば、もしかしたら客観的立証云々ではない確かめ方が、犯罪抑止力(効果)にも更正・
改悛の事実にも有効なのではないかと、小生は一人思い込んでいる訳です。小生が心とか
主観に拘るのもこのような事情が理由の一つになっています。
1822
:
無精髭
:2008/06/23(月) 20:11:27
>>1821
助詞の使い方が不味い所が多々ございますがご了承下さい。
後々、もうちょっと平明に解説致したく存じ上げます。
1823
:
無精髭
:2008/06/23(月) 20:14:55
>>1821
心理的抑止効果→心理的抑圧効果
1824
:
無精髭
:2008/06/23(月) 21:07:03
>>1191
紫煙狼氏のお考えはとても参考になります。
>>1821
は別段反論でもなんでもなく、とりあえず急ぎ滅茶苦茶な順番で雑感を書き連ねて
後々、論理的文章に偽装させたものなので、ホント今では後悔しております。
まぁ、文法的に可笑しな所を何とか我慢してお読み戴ければ、小生の申し上げたい事も
自ずとお分かりになるかと存じます。
ちょっと小生は今、老婆心氏へのレスの事や他のスレでのレスの事で頭が一杯で、少し
仕事の配分に対する集中に欠けておりますので、文章が雑でもいいや、なんていい加減に
投稿しているようです。自分で申すのも何ですが、睡眠も上手く取れておりませんので、
へんちきりんな文章を読み返すのも億劫でございます次第。ご容赦下さいませ。
>>1190
についてもレス致したかったのですけど(今更レスされても紫煙狼氏もさぞお困り
になるかと思われますけど)。あえて詳しい理由に言及せず小生の意見を申し上げますと、
>死刑廃止論者の端くれなら、それを実現させる方法を考えてください。
というお言葉がございましたよね? この前後の文もとても重要なのですが、
まぁそれはともかくと致しまして、案外死刑を廃止させるのに最も効果ある手段は、
しげる氏が
>>1345
で仰ってる如き、プロパガンダ(紫煙狼氏の仰る感情抜きの論理
的弁説でなく)によって国民を扇動する事なのかも、と不用意にも思ってしまいました。
建設的議論よりもソフィスト的手段による議論解体(無論体制側の)の方が余程実現性が
あるのかも、と。まぁ小生はどちらかと申しますと、死刑制存廃の結論を先に主張に
持って来るよりも、紫煙狼氏が瑣末だと仰る問題の一つ一つに反省を加えて、その後
そのバラバラの考えを体系化する努力をした方が宜しいかと存じます。その努力の果てに
自ずと結論が浮かび上がっても参りましょうし、そうやって厭になるまで考え続けた事
というのは容易には捨てられない持論となりますから、結論も確固たる物となるでしょう。
自分の考えに自信を持つと言う事でございますね。自身は、良く考えた後に持つべきもの
ですから議論を始める前には持ってはならぬもの、小生なんか現時点では全然自信ないです。
あと、Ken氏が「野蛮」について触れていらっしゃるレスについてですが、
先に挙げたものより以前のものがございました。
>>1227
頭が疲れているのに、過去レス探るのはしんどかったです。。。(何せあの展開ですから)
1825
:
無精髭
:2008/06/23(月) 21:15:51
>>1825
本当は冒頭の部分に
>>1821
で申したい事が書かれてあったのですが、
見事にコピペをミス致してしまいました。
しかも、その原稿(メモ帳)も捨ててしまいましたので、
後から投稿することもできません。
まぁ大した事も書いておりませんでしたし、このままでも
読むのに支障はないかと思われますので、訂正は致しません。
とりあえず、この日・月の二日間、小生の仕事休みでしたが
色々と調べ・考えて、且つ睡眠も余りとっておりませんので
とても疲れました。もう寝ます。
1826
:
Ken
:2008/06/24(火) 05:15:35
無精髭さん、お疲れ様です。以前の投稿も読んでもらえてうれしいです。でも...
>>1812
Ken氏ご指摘の研究については、Wikipediaの「死刑存廃問題」の項でも触れられているようですね。
もっと早く言ってよ!「残忍化」という訳語がすでに定着してるようですね。
私、日本語版は読む価値がないと思い込んでましたけど、この項目は英語版よりも
充実してますね。なおかつ、典拠も充実していて日本語版にありえないクオリティ。
やはり先入観は戒めねば。英語版ではシェパード教授の議会での証言が典拠に
挙げられています。
1827
:
行きずりの男
:2008/06/24(火) 13:20:50
無精髭さまのレスを読んで、自分の立っている場所に
気付かされました。
実は私、何の躊躇も疑問もなく、「動転」と書いたのです。
考えてみれば、死刑制度単体で抑止力を考える
という私の思考自体がすでに一定の傾向を示している。
犯罪を犯そうとしている人間の意識に働きかけるものは、
広く言えば、その人のそれまでの人生のすべてであり、
刑罰制度の抑止力もそのひとつで、それは、
特定の個人の精神に投影されたトータルな刑罰制度の幻想と
それに対する個人の意識であると思われます。
死刑単体の抑止力を考えること自体、しょせん無い物ねだり。
それを要求する段階で、すでに否定にむけたベクトルが
はっきり立ち上がっているのでしょう。
私の言説の隠された核心部分は、
「死刑判決、死刑執行をこれまで以上に拡大しようと言うなら、
『死刑があったからこの殺人(強殺)が防げた』という明確な
実例のひとつでも欲しいものだ」ということにあるようです。
「明確」「はっきりとした」を要求する時点で、
「実例」はすべて否定されることがあらかじめ予定されている。
「動転に過ぎない」などという
半ば決めつけ的な「切り返し」が出てきたのもそのためですね。
無精髭さまのレスを読んでいて、それに気がつきました。
客観的になるというのはホント難しいことです。
1828
:
無精髭
:2008/06/25(水) 23:30:34
まだ少し精神的に参っておりますので、短文になりますが、レスを。
「刑法の知識と判例=刑罰の犯罪抑止効果」とは簡単に参らないのが、難しい所です。
言わばこの「」内を認識した上でも、まだ人間には自由意志によって犯罪を犯すか・犯さぬか
という二者択一の権利(?)が保たれていますから。
犯行を発想する事・犯行計画・犯行直前・犯行時(犯行最中)・犯行の最終段階・犯行の成就
犯行の推移とは、大まかに申して上に書いた様なものでございましょう。この段階を逐一精査し、
犯罪抑止効果がどの段階でどう心理的に現れるのか、また客観的に犯罪抑止力がどの段階でどう
行動規制として現象すると言えるのか、これが難問なのです。これを言葉でどう表現できるのか。
犯罪主体を記述すると言う事は、本当に困難な事でございますね。
・・・老婆心様へのレスは、精神がもう少し癒えましてから。
1829
:
無精髭
:2008/06/26(木) 00:02:08
犯罪を犯した人間は、「刑法の知識と判例」を認識できなかった、
或いは、その認識が不足していたのであると、半ば自動的に事後決定されてしまう。
こういった言説が存在するのです。
そこでは犯罪者における、刑罰に関する知識・情報の多寡、その認識力の強度こそが問われます。
但し、問題なのは行きずりの男様が仰った、「刑法の知識と判例」に詳しい様なプロの犯罪者は、
どうやって犯罪抑止力を免れるのか、と言う事です。
犯行を実行する事によるリスクと犯行から得られる利得を計算する、
それらを天秤にかける、と言うのは話が別です。これらは自由意志の問題で、犯罪抑止力はそもそも
自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。
発覚の危険性を認識する、「ばれる」「ばれない」も犯罪抑止の問題とは違いますよね。
これはもっと情況的な・犯罪空間的な問題です。犯行をし得るのかどうかという問題は、
その犯罪が(外部からの)何かによって抑止されるのかどうか、という問題とは異なります。
かと申して、犯罪がその行動主体の内側から規制される場合を抑止力の実例とする為には、
どんな客観的な実証方法がございますでしょうか? そこからは蓋然性・信憑性しか得られないのでは
ないでしょうか。つまり心理的規制の実例はそもそも実例足り得るのでしょうか?
・・・続けられれば良いのですが。
1830
:
無精髭
:2008/06/26(木) 00:33:58
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。
ここで、また循環論法が浮上しそうです。
つまり、刑罰を認識すると言う事、判例や刑法を知るという事は、
私達が意識的に勉学に励めば出来る事で、それは自ずと明確に
認識されて(示されて)来るものなのだ、と。ですが、
そうお思いになった方は
>>1829
の冒頭をもう一度お読み下さい。
刑罰を初めて知った時点で、より正確には刑罰の意味を初めて知った時に、
犯罪抑止効果は、ある種人間のタブーとして潜在意識に刻まれると致しましたら、
その後、事ある毎に、刑罰を意識する事自体、刑法をおぼろげにも思慮する事自体に、
犯罪抑止の兆候を、外側にある(潜在意識にあるものではなく)刑罰の
犯罪抑止力の効果を、認められるのでしょうか? それはどの次元で認められる
のでしょうか?
・・・分からない事が多過ぎます。
1831
:
老婆心
:2008/06/26(木) 22:28:29
kenさんと無精髭さんには、だいぶ前のコメントで、わたしの質問にご丁寧にお答えいただきまして、ありがとうございました。
お礼のコメントもなしに、申し訳ありませんでした。
無限回廊内の各スレッドのおける応酬の速度は速く、いつの間にか、間があいてしまいました。
今回、不精髭さんのコメントの中に書かれていました、「刑法」「自由意志」といった言葉に反応し、コメントさせていただきます。
「自由意思」は、「事前の意思決定」における「選択可能性」を意味するとも思えますが、
刑法上の原則である「罪刑法定主義」は、ある刑法が法律として成立していても、その刑法について「知らない」人もいるはずですので、「罪刑法定主義」は、その刑法についての「認識可能性」さえあればよい、という、ある意味「フィクション」の上にあると思えます(もちろん、「殺人、強盗、強姦」といった、「倫理的に許されない行為」は、法律としての刑法の有無にかかわらず、「やってはいけない」ということは、通常人ならわかるはずだ、という前提はあるとは思いますが)。
さらに、仮に、「刑法」が法律として存在し、「六法全書」に書かれていて、その条文を読んだ人がいたとして、その人は、その「刑法」により、どのような「行為」が「犯罪」となり、「自分が考えている(内心の)行為の計画」を「現実に実行」したとき、「刑法上」罰せられるのか、ということが、本当に「わかる」のか、という点もあると思います。
「殺人」と「傷害」を例に、具体例でいいますと、
Aという人が、ある動機で(動機なしでもいいのですが)、Bという人を「ナイフで刺す」ことを「内心で思い」、その通り、「現実に実行」し、「Bが死亡した」とします。
この場合、「殺人罪」や「傷害罪」の成立と「Aの内心」との関係はどうなるのでしょうか。
殺人罪が認められるためには、「Bの死の結果」に対する「Aの殺意(=殺人の故意)」が必要となりますが、そのときの「Aの内心」として、
①Bをナイフで刺せば、Bは「死ぬかもしれない」という「死の結果」に対する「認識」
があった。
②Bが「死んでもかまわない」という、Bの「死の結果」を「認容していた」(受け入れていた)
③Bに「死んで欲しかった(殺したかった)」という、「Bの死の結果」を「意欲していた」(積極的に望んでいた)
という①〜③の状態が考えられますが、
「Aの内心」が、
①のみの場合、Aは「過失致死罪」となることはあっても、「殺人罪」は不成立となり、Aに「殺人罪」が成立するためには、③の「意欲」まではいらないが、少なくとも②の「認容」までは必要とされます(いわゆる「未必の故意」)。
そして、「AがBをナイフで刺す行為」が、正当防衛や緊急避難等にあたらず、「
違法性」があるとしても、Aに「殺人罪」が成立するためには、さらに、Aの「責任」が問題となります。具体的には、刑法上「心神喪失者の行為は、罰しない」とありますので、Aが「心神喪失の状態」になかったかなどの「Aの責任能力」の有無が問題となります。
「責任能力」が認められるには、行為者に「事物(物事)の是非・善悪を判断でき、その判断にしたがって自分の行動をコントロールできること」が必要とされます。
Aは、「Bをナイフで刺す行為」が、「悪いこと」であることを知っていて、「刺すことを止めようと思えば、やめられたのに、『あえて』それをしてしまった」という「内面(内心の状態)」が必要となると思います。
その根拠は、「近代刑法」の「責任主義」により、「道義的」に「非難」できない「行為」については、「反規範的な人格態度」を認められず、そのような「人格・内面」の人間に、刑法を適用しても、「刑法によるコントロール」は無意味となり、「抑止力」も働きようがない、という考え方があると思われます。
上記のように、刑法における「人間の自由意思」に関し、「認識」「認容」「意欲」「善悪の識別と制御」という問題がからむと思われます。
最近の疑問は、上記の「近代刑法」の「責任主義」を国民感情が否定して、「責任能力のない人」(心神喪失にある責任無能力の人)の「行為」も「犯罪」となるような「刑法改正」を行った場合、「責任主義」は「ドグマ」であるとして、多数決の前に、撤退しなければならないのか、ということです。
1832
:
老婆心
:2008/06/26(木) 22:32:54
すみません、上記の1831で、
≫①のみの場合、Aは「過失致死罪」となることはあっても、〜
と書きましたが、
『①のみの場合、Aは「傷害(致死)罪」「過失致死罪」となることはあっても、〜
と訂正いたします。
1833
:
無精髭
:2008/06/26(木) 23:04:22
>>1831
まだ、老婆心様のご質問に完全にお答え致した訳ではございませんので、
それよりも先に小生がレスを戴くのは大変に恐れ多い事でございます。
次の休みを使ってお答え致す心算でございます。小生自身にとっても忽せに
出来ぬ問題ですので。
ところで、一日経ってから今更訂正致すのも気が引けるのですが、
>>1829-1830
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみればありえない事だと分かる筈です。
この部分を前後の文脈と照らし合わせると、明らかにおかしいと分かりますので、
>犯罪抑止力はそもそも自由意志の領域まで支配の手を伸ばし得ないのは、
>私達が各々内観してみれば自ずと分かる筈です。
と訂正させて戴きたく存じます。
文意が逆になってしまいましたが、これが本来の形でございます。
御見苦しい所を晒してしまいまして、誠に申し訳ございませんでした。
1834
:
紫煙狼
:2008/06/27(金) 01:54:44
>>1831
責任主義というのは近代刑法の根幹的重要な概念であると思いますが…。
実は私は刑39の2と併合してかつ刑42条のように司法裁量とするべきでは
ないかと思います。つまり「心神喪失者または心神耗弱者の行為は、
その刑を軽減することができる。」が妥当かな、と思うのです。
現状の刑39は言い換えると
1.心神喪失者は無罪としなければならない。
2.心神耗弱者は罪を減じなければならない。
という意味になり、1に関しては司法裁量は認められていません。
しかし、実際は鑑定人によって鑑定結果がかなり変わってきますよね?
無罪になるのと、軽くても罰を受けるのでは大違いなので、もっと明確に
科学的数値データとして喪失度、耗弱度が算出できなければ、鑑定人の
あたりはずれができてしまう。これは大きく正義に反すると思うのです。
ならば、いっそのこと、心神喪失者も心神耗弱者も一律、罪を減じる
ことができるとし(逆に、一律、刑罰を受けてもらうとし)、その軽減の
度合いを司法判断に委ねるのが良いのではないかと思うのです。
逆に…鑑定結果が必ずしも軽減の根拠となり得ないとする事で、
「俺は精神病だから罪にはならない」とタカをくくって凶悪犯罪を引き起こし、
結局、厳罰に処される馬鹿も減るだろうし、少しでも刑罰を軽くしたいがために、
精神を病んでいる状態を詐病する被告も減るのではないでしょうか?
(まぁ軽減される可能性がある限り詐病も減らないかもしれませんが。)
1835
:
無精髭
:2008/08/01(金) 22:38:47
先刻、お断りいたしましたように「秋葉原通り魔事件」スレッドの議論を
こちらに接続させて戴きます。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1212904531/99-102
何か、勝手に仕切っているようで恐縮なんですが、私には余りにも
興味津々な内容なので、つい。ですが、これ以上、仕切るつもりは
ございませんので、私のことなど一向に構わず、諸賢におかれましては、
どうか活発な議論をなさって下さい。この時間が、誰にとっても有意義な
ものとなりますことを、切に願っております。
1836
:
Ken
:2008/08/01(金) 23:57:29
髭さん、冴えてますねえ。突き詰めると死刑を支持する理由は同害報復しかないのかなあ、
とかちょうど考えていました。
それで、最初に紫煙狼さんに答えておきますけど、米国の薬殺刑はチオペンタール(麻酔薬)→
パンクロニウム(筋弛緩剤、麻痺薬)→塩化カリウム(心臓停止)というふうに
進みます。
それで、私ちょっと前にチオペンタールによる全身麻酔を受けたのですが、ああ
腕に入ってきたなと思った瞬間にすとんと意識がなくなりました。手術が終わって
ガーゼをとってはじめて傷を確認したときすんごく切ってあって「おい、切りすぎ
ちゃうんか!」と思ったのですが、手術中はとにかく意識がなくて苦痛どころか
自分の体に何が起きたのかまったく覚えてないです。あのとき何かの手違いで
死んでいたらおそらくこれ以上ないくらい安らかに逝っちゃってたんだろうな、
と思いました。
1837
:
Ken
:2008/08/02(土) 00:06:14
>>であるならば、「死刑になれば安楽に死ねる」という前例は誰のためになりますか?
>>やりたい放題やって死にたい人間にとってはこの上ない福音です。
>>これって社会のためになりますかね?
理屈としてはありえるとは思いますが、米国で主要な処刑法がすんなりと薬殺刑に
切り替わったことから考えると、そういう心配はしなくてもいいのと違いますかね。
紫煙狼さんがいつも言うように死刑判決を受ける人のうち「やりたい放題やって
死にたい人間」というのは例外的じゃないですかね。死刑にとって本質的な問題だとは
思えないです。あと、髭さんが言うように、薬殺刑が実現するとしたらその前提として
安楽死がすでに合法化されてるでしょうね。
1838
:
Ken
:2008/08/02(土) 00:17:52
それで、同害報復というのが私にはどうしても解せないのです。第一に現行では
日本の死刑制度は同害報復に基づいていないですよね。一人殺してもめったなことでは
死刑判決が出ないですから。「二人以上+何からの凶悪性」というのが死刑判決の
要件になっています。もちろん同害報復論者はそうなってないからこそ厳罰化を
唱えるのでしょうが...。あと、瑣末なことですが、理論的には人を殺さなくても
死刑になりえますよね。Ex.内乱罪、外患誘致剤、現住建造物等放火罪
それで、私の最大の疑問は何ゆえに殺人だけが同害報復なのか、ということなのです。
同害報復というのはもともとは「目には目、歯には歯」ですよね。ただ、これだと
あまりにもえげつないので今では傷害罪とひとくくりにして懲役何年とかになります。
つまり、傷害の場合、それがたとえ死ぬ一歩手前だったとしても、「同害報復だぁ、
リンチにしろ!」と叫ぶ人はいないですよね。何でなんですか?やっぱりそれだと
あまりにもえげつない、野蛮だからじゃないのですか?何で殺人だけ同害報復なの?
1839
:
key→入江
:2008/08/02(土) 16:53:29
Kenさんと混同しそうなので改名(笑)しました。
こちらに移ってきながら恐縮ですが、
>「やりたい放題やって死にたい人間」というのは例外的
って、まさに秋葉原の事件の加害者はこれだったわけで、宅間もそうですよね?
で、その例外的な加害者って、やることが通り魔だったり
無差別殺人だったりと、被害者が突出して多いのが特徴的です。
例外とくくって無視するのは余りに危険ではないでしょうか。
日本の刑制度は現在ほぼ完全に教育刑だと思います。
で、なぜ死刑だけは同害報復かと考えるに、怪我や金は時間で取り返せても
命は取り返せないからだと思っています。
>内乱罪、外患誘致剤、現住建造物等放火罪
これらはもし被害者が出たら一人や二人じゃすまないので
>二人以上+何からの凶悪性
の要件を確実に満たすためでしょう。
>「同害報復だぁ、リンチにしろ!」
叫びたいですよ?というより、それが当然だとすら思う。
でもそれやったらこの日本では自分も同罪ですから
やむなく、泣く泣く司法に引き渡しているだけです。
加害者が無期懲役になったときの遺族の会見、ご覧になったことありますよね?
まず納得しない。なぜ一人殺しただけでも死刑にしてくれないのかと嘆きます。
傷害じゃ叫ぶ人が多すぎてニュースにならないだけでしょうね。
1840
:
紫煙狼
:2008/08/03(日) 01:00:34
同害報復の論拠って何でしょうね。
正直な話、同害報復の目的がわからない。これ、積年の疑問なんですよ。
入江さん、お忙しいところ恐縮ですが、私にも判る様にご説明願えますか?
1841
:
紫煙狼
:2008/08/03(日) 01:12:29
kenさん
私も数年前に全身麻酔で手術を受けたことがあります。
確かに、あっと言う間に意識を失って、次に起きた時には
既に手術も何もかんも終わってて、その間の記憶も当然無いし、
切られた瞬間も痛み一つ感じませんでした。そりゃそうだ(笑)
手術中に心停止なんてのは、よく聞きますよね。
私自身、心停止で病院に運ばれたことがあります。
意識を失うまでは苦しかったですけど、確かに意識を失ってからは
苦痛は感じていないんです。目の前が暗くなって、それで終わりって
感じでは有りました。でも、本当に死んだわけではないので、
死ぬ瞬間に訪れる苦痛ってものは、やはり想像付きません。
どのみち、死ぬ瞬間に訪れる苦痛と言うのが変わらないのであれば、
せめて死ぬ瞬間までの間に味わう苦痛が少ないほうが良い…。
そういう考え方はアリでしょうね。
1842
:
紫煙狼
:2008/08/03(日) 01:48:09
>で、その例外的な加害者って、やることが通り魔だったり
>無差別殺人だったりと、被害者が突出して多いのが特徴的です。
>例外とくくって無視するのは余りに危険ではないでしょうか。
確かに、この例外的な人間が最近は増えている感じも受けますし、
放置看過できる問題ではないように感じます。
では「やりたい放題にやって死にたい人間」に犯罪を思い
とどまらせるにはどうすれば良いのでしょうね?
やりたい事をやらせて頂けるなら、死はもとより残虐な刑罰をも
何をか恐れん者を想定してみませんか?いわゆる刺し違える覚悟の者、
犯罪を成就させるためにはいかなる犠牲をも問わぬ者を前提とすれば、
厳罰化も刑罰の残虐化も、何ら意味を持たないでしょう。
と、すれば、被害者(遺族)の感情慰撫のために厳罰化するのでしょうか?
国民感情や被害者感情を充足させるために刑罰を残虐化させることは
正当化されるのでしょうか?例え相手が犯罪者であっても、感情論で
多大な苦痛を与えたり生命を奪うことが許されるのでしょうか?
(感情慰撫を目的とする以上、それは感情論ですよね?)
1843
:
入江
:2008/08/03(日) 16:28:34
>いわゆる刺し違える覚悟の者、
>犯罪を成就させるためにはいかなる犠牲をも問わぬ者を前提とすれば、
>厳罰化も刑罰の残虐化も、何ら意味を持たないでしょう。
全くそう思います。今まではそういう人が大多数だったために
厳罰化は意味を持たなかったと考えています。
ですので、同害報復の論拠はちょっと後に回しますね。
今私が主張しているのは、法を犯す前と後で境遇に大きな変化がない、
むしろマシになると考える犯罪者の存在が確実に増えているのではないか?と言うことです。
日本の自殺率は先進国内で最悪です。日本は伝統的にそれこそ切腹だの自決だの
といった自殺を褒め称える風習があるし、減りそうにないと言うのが個人的見解です。
さて、ここに「怖くて自殺なんて出来ない」小心者が居たとしましょう。
彼は睡眠時間3〜4時間で毎日激務、でも先の見通しはつかない派遣社員です。
クビ切られたら、明日から食べるところも住むところもなくなります。
日本では、少なくても3人殺せばまぁ確実に死刑になれる。俺は痛くもかゆくもない!
勤務時間は9時5時保証、死ぬまでの間の衣食住にいっさい心配がありません。
殺され方は最も確実だし、踏ん切りつかなくても強制的にやってくれる。
彼女?今も居ないし将来も出来ないだろ。
こんな人は、殺されるときものすごく痛いし怖いってわかったら、
犯罪より自分で死ぬのを選ぶでしょう。
だって怖いんだもん。
1844
:
入江
:2008/08/03(日) 16:44:14
同害報復の論拠は、結構シンプルです。
「口で言っても判らない愚か者には、身体で判らせるより他ない。」
反論はこうなるでしょう。
「口で言って判らせるのは文明社会の基本、身体で判らせるなど現代においては野蛮極まりない。」と。
私は再反論します。
「目の見えない人に色を説明して理解を得ることが、現代においては可能なのか?」と。
このたとえは差別的だと言われるかもしれませんがお許し下さい。
これ以上に明確なたとえを思いつかなかったのです。
言葉でなく体験でしか理解できないこともあるのです。
自分が他人の権利を侵害したら、自分も同等の権利を失う。
現代の文明がどうであろうと、同害報復は最も効率的な教育刑だといえます。
ちなみに日本は一人殺したらほぼ死刑にはなりませんので
厳密には同害報復の論理に沿っているとは思えません。
1845
:
紫煙狼
:2008/08/03(日) 17:19:24
AにはBという子とCという親がいます。またDにはEという子とFという親がいます。
DがAを凶悪な方法で殺害した場合、BはAを殺され「親を奪われる悲しみ」を味わい、
また、CはAを殺され「子を奪われる悲しみ」を味わっています。
さて、同害報復の主体は被害者であるべきですね。
Aは自分自身が殺されたのだからDが死ぬことを望む権利があるとして、
Bの被害は「親を殺される被害」ですから、Dに対しては「Fを奪われる悲しみ」を
また、Cは「子を殺される被害」ですから、Dに対しては「Eを奪われる悲しみ」を
以ってのみ同害報復の原理が成り立つのではないでしょうか?
となると、先にEとFを処刑し、その悲しみ苦しみをDに存分に味あわせた後、
D自身を処刑しAの悲しみ苦しみを味合わせなければ同害報復とは呼べないですよね?
しかし、事件に全く無関係なEとFを処刑することが倫理的に許されるわけがありません。
と、なれば「同害報復可能な被害者」と「同害報復不可能な被害者遺族」は
司法上の扱いにも要求できる権利の範囲にも差異が生じるのは当然ではないでしょうか?
つまり、被害者Aの感情を慰撫するためにDが処刑される同害報復を許容するとしても、
被害者遺族の感情を慰撫するために、もしくは事件を知った第三者国民感情としての
正義感を充足させる目的のためにDを処刑することは許されないはずです。
それは既に同害報復ではなく、嫌悪に基づく駆除欲です。単に自己に内在する駆除欲を
正当化するために同害報復という原則原理を都合よく利用しているに過ぎず、ひいては、
自己の駆除欲を正当化するために被害者Aを利用しているとさえ言えるかと思います。
100歩譲って、被害者遺族が駆除欲を露にする事は誰にも批難できないとしても、
事件による直接的被害を受けていない第三者が「同害報復の原理原則」と「被害者」を
言葉巧みに利用して駆除欲を充足させることが許されるものでしょうか??
うん、完全に地雷を踏んだ自覚がある。批難轟々だな。どうせコテンパンにやられるなら
自爆を恐れず言ってしまおう。「第三者の振りかざす同害報復原理なんてのは安っぽい
正義感でしかない。感情論を正当化するのに都合よい理論を利用しているに過ぎないんだ」と。
1846
:
紫煙狼
:2008/08/03(日) 17:48:02
>>1844
同害報復のご説明、ありがとうございます。入江さんが投稿してくださっていることも
つゆ知らずに、地雷を踏みまくっている紫煙狼でございます(^^)
>「口で言っても判らない愚か者には、身体で判らせるより他ない。」
なるほど、仰ることは一見正しいかに見えます。
しかし、それは方法論の話であって、目的を見失っていませんか?
口で言って解らせる目的、体で解らせる目的が無に帰しています。
目的を持たない方法論ほど馬鹿馬鹿しい物はないわけで、死刑が究極的な
教育刑であるという主張には「教育する目的が欠如している」と思わざるを得ません。
以前も示したと思いますが、古紙回収再生で置き換えれば容易く理解できると思います。
古新聞を回収して、溶解して、漂白して、再生紙にして、燃やす。どうせ燃やすので
あれば溶解も漂白も再生も不要のはずです。溶解・漂白・再生(古新聞への再教育)は
その後「紙として利用する」目的を前提としなければ全く無意味です。
まして、再生したことを確認してから燃やすわけでもないですよね?
結局、死刑に教育的側面を求めつつ減刑の可能性を残さないのは、燃やすことに対する
罪悪感を減じようと、さも教育していて効果があるかのように詭弁を弄しているに過ぎず、
結果として、教育目的を見失うという最大のミスを犯しているように思えて仕方ないのですが
いかがなものでしょう???
入江さん以外の方へ、もう少し別の観点から…。
「仏にして殺す」とか「殺すことで仏にする」という論法と
「ポアして高次の存在に昇華させ救う(Byオウム)」という論法の差もわからないです。
1847
:
入江
:2008/08/04(月) 11:53:49
定義を調べようと思って検索しました。yahoo辞書from大辞泉です。ネットって便利。
応報刑主義
刑罰の本質は犯罪に対する応報であるとする考え方。
教育刑主義
刑罰を科する目的は、受刑者を改善して社会生活に同化するよう
更生させるための教育をすることにあるという理論。
目的刑主義
刑罰の本質を、犯罪人から社会を防衛するため、あるいは犯罪人を教育して
社会復帰させるための手段として考える立場。
この定義から行くと、死刑は教育刑だというのは誤りです。大変失礼いたしました。
そりゃ当人を教育しても今さら遅いですよね。
訂正します。現在日本の死刑は目的刑だと考えます。
応報刑:一人殺したら死刑
教育刑:何人殺しても教育で更正できるよ!
目的刑:複数で凶悪ならさすがに「社会防衛の為」死刑、そうでなければ社会復帰もアリ
という認識で今後記します。間違い等ありましたらご指摘お願いいたします。
凶悪犯罪を犯したら、社会防衛のために取り除く必要がある。
取り除く理由を理解させる対象は、犯罪者当人ではなく社会に生き残っている我々です。
ということは、現在のヌルい死刑制度では誰も反省してくれないとしたら?
どうせ燃やすなら焼却炉よりキャンプファイヤーの方が断然目立ちますよね。
燃やすという目的は同じなわけですし。
1848
:
入江
:2008/08/04(月) 11:54:32
1845で仰っておられた報復方式は、同害報復ではなく過剰報復ですね。
倫理的に、というのは現代の話で、過去には当然のように行われていたやり方ですよね。
一族郎党皆殺しなんてよくある出来事でした。
もちろん過去OKだったからといってそのまま現代にもってくれば
仰るように司法の壁が立ちふさがります。
本当はそうでもしなければ反省などしやしないと私は思いますが、
犯罪者に同じように親や子がいるとは限らないので、誠に残念ながら汎用性がありません。
家族という単位はますます小さくなっているので今後も汎用性は低く、実運用には向きません。
正直どのへんが地雷なのかわからないけれど、論拠の一点だけどうにも頂けないので
コテンパンに出来るかはわかりませんが、紫煙狼さんに以下の反論を致します。
社会の成員を殺されるという事件に対して我々は本当に「第三者」なのか?
直接被害を受けなければ我関せずとそっぽを向くことは是とされるのか?
他人事なら犯罪犯してる人がいたって放っておけばいい。
いつか我が身に降りかかったら困るから捕まえるわけでしょう?
中途半端なことして犯罪を拡大再生産したら本末転倒です。
やるなら徹底的に、じゃないですか?
安っぽい正義感なんてどうでもいい。私は通りすがりのバカなんかに殺されたくはない。
嫌悪に基づく駆除、全くその通り!蚊に刺されるかもしれないなら蚊取り線香を焚くのは自明の理です。
むしろ被害者が訴える同害報復は、得てして過剰報復に繋がる。
それこそ一族郎党皆殺しなんてことが起きうる。
正しく客観的な目で加害者当人にのみ報復を行うことが
加害者の家族に対する私的な報復の抑止にも繋がると思います。
1849
:
入江
:2008/08/04(月) 11:55:08
あと、私以外って言われてるのについ追記。
「仏にして殺す」とか「殺すことで仏にする」という論法と
「ポアして高次の存在に昇華させ救う(Byオウム)」という論法の差は
私にもわかりません。イコールに見えます。
本人が納得してるかしてないか、だけかもしれません。
連投申し訳ありませんでした。
1850
:
紫煙狼
:2008/08/04(月) 12:56:12
>>1847
>目的刑:複数で凶悪ならさすがに「社会防衛の為」死刑、そうでなければ社会復帰もアリ
もういちど定義を読んでみると気づかれるかと思いますが、
「犯罪人から社会を防衛するため」というのは永久隔離(完全終身拘禁)によって達成し得る
ものでありますから、目的刑主義においても死刑を直接的に正当化する論拠は挙げられません。
現在の日本の刑罰は「完全終身拘禁が存在しない」点と「死刑が存在する」という点で、
「応報刑主義」と「教育刑主義」の折衷と解釈するのが通説らしく、日本の現行刑罰において
唯一「応報刑主義」を論拠に存在しているのが「死刑」となるようです。
刑法総論(刑罰論)について私が知っている範囲(恩師数人の解釈を統合したもの)で解説すると、
最初に「応報刑主義」が形成され、それに対する理想論として「教育刑主義」が生まれました。
しかしながら、教育刑の最終目標は「必ず更生させて社会復帰を促す」なので実際問題として
どのような教育方法を用いても更生しない者の存在により教育刑主義の崇高な思想根底が否定
される問題を現実に即して解決できる解釈として「目的刑主義」が発生した。
皆さんご存知のように、完全終身刑を導入している国は極めて稀です。終身刑の存在する国の
殆どにおいて減刑、仮釈放の可能性が残されています。これは実は日本の無期懲役と変わらない
のですが、上記に該当する諸外国における仮釈放の基準は、日本のそれより非常に厳しく、
結果的に「完全終生拘禁」となってしまう可能性が極めて高い、というのが実情です。
また、予め「完全終生拘禁するために」人間の生物としての寿命をはるかに越える年限での
有期懲役が存在するというのも、私が知る範囲では、ほぼ共通していると思います。
つまり、上記のような国では「終身刑」より「有期懲役」の方が重い刑罰足りえるということですね。
1851
:
紫煙狼
:2008/08/04(月) 14:09:31
>>1848
>社会の成員を殺されるという事件に対して我々は本当に「第三者」なのか?
既に発生してしまった事件に関しては「第三者」の域を出ません。ここで当事者と呼べるのは
直接被害にあった当人と、治安を維持するという憲法上の責務の行使を阻害された国家のみです。
(国民の総体としての国家ではなく、司法立法行政機関としての国家)
しかし、今後発生するであろう事件に関して「第三者」でありつづける確証はありません。
>いつか我が身に降りかかったら困るから捕まえるわけでしょう?
>直接被害を受けなければ我関せずとそっぽを向くことは是とされるのか?
>他人事なら犯罪犯してる人がいたって放っておけばいい。
は一行目は正しく、残りは誤っていると思います。事件に関して第三者である者としては、
1.(治安維持の目的により)被害の拡大を防ぐために逮捕拘禁する。
2.(犯罪者の人間的尊厳のため)これ以上罪を重ねさせないため逮捕拘禁する。
3.(目的刑主義に従い)社会復帰を前提として再犯防止のために教育として刑罰を与える。
4.(教育刑主義と現実の空隙補填のため)更生するまでは刑期満了でも出獄させない。
5.(教育効果向上のため)生命を維持するのに最低限な環境で更生を促す。
という観点で犯罪者の処遇を考えるのが望ましいのではないでしょうか?つまり現在逃亡中の
犯罪者が新たな被害を生まないため、その被害に自分自身が合う可能性をなくするために
逮捕拘禁教育する必要がある。放置するなんて、とんでもない話です。
もちろん、上記は現行の刑法や司法行政運用のままでは実現不可能なものです。
その点は入江さんも「もっと残酷に!」と現状では実現不可能なことを言っているし、
そもそも「死刑廃止論」自体が現状の運用に対する改善(改悪?)提案なので、
方向目標の一つであるとご認識ください。特に4に関しては死刑云々より急務であると考えます。
1852
:
無精髭
:2008/08/04(月) 14:31:06
横レス、申し訳ございません。
遅れ馳せながら、ここで
>>1836-1846
までに関連した投稿を致したく存じます。
1847番以降から現時点までの、入江さんとシェンロンさんのお書き込みに、かなり
重複する内容がございますが、ご了承下さい。やたら括弧が多くて読みにくいかと
思いますが。。。折角書かせて戴きましたので、この度の暴挙の如き、長文連投を
どうかお許し下さいませ。
1853
:
無精髭
:2008/08/04(月) 14:31:45
(以下、本文です)
Kenさん、シェンロンさん、全身麻酔による手術を受けられたとのこと、現在の
御身体の程、大丈夫なのでしょうか? 私はいたって健康なのですが、以前、
私の父がやはり全身麻酔を受けた時の印象を、御二方と同じように語っておりました。
父曰く「死なんてそんなものだ」そうですが、私は、それでもシェンロンさんのように
懐疑的にならざるを得ませんでした。ただ、私の場合、死の瞬間に苦痛はあるかどうか
という問題より、自分がこの世からいなくなる、ということが不思議でして、全身麻酔
から醒めた時に初めて、意識がなくなっていた間も自分が生きていたという事実が
事後追認的に確かめられる訳ですから、結局、麻酔で意識を失っても、死を体験したこと
にはなっていないのです。ウィトゲンシュタインが『論理哲学論考』で、「死は人生の
出来事ではない。人は死を体験しない」と言っておりますが、私たちは己の意識の外に
己の肉体を所持してはいない、ということを念頭にして読めば(本当はこういう読み方
は正しくないでしょうし、あまり好ましくないのですが)、私は死刑が残酷であるという
理由は、苦痛の存在を否定できないから、というものではなく、それが当人の意思決定に
一切関わらないどころか(その意味で死刑以外の刑罰はKenさんの仰るように野蛮性を拭い
去れません)、その意思そのもの(世界を構成することでそれと同等である中核的自己)
を消し去ってしまうからなのです。シェンロンさんがご指摘なさったことに似てくるの
ですが、現行法で死刑に相当する囚人に自決権が認められなければ、どんな死刑だって
他者に強要されるものである以上は、残酷なものであることに変わりはないでしょう。
死刑囚に合意を求めるというのも同等でしょうね。否、上記を考慮すれば、死そのものが
残酷であるという見方すらできるのですから、結局他人に殺されても、自分で死んでも、
残酷であるのは同じという結論が導かれてしまいしょうか。この先については、私も
考えあぐねていることがあって、今すぐには詳論できませんので、勝手ながら保留と
させて戴きたく存じます。
1854
:
無精髭
:2008/08/04(月) 14:32:08
>>1845
実は、私も同じようなことを考えたことがございます。ご指摘がなかったら言おうと
思っておりましたが、先に言われちゃいましたね(笑)。同害報復の理念を突き詰めて、
忠実に実践しようとすれば、シェンロンさんの仰るような不具合・不整合が出てくるのは
当然。ただ、私の場合、「同害」判定の困難さ(基準の重点をどこに置くか、等)が
難問として残ることから、結局、完全な同害報復など原理的に不可能なのではないか
との疑いが強かったので、どうしても本質論的な構えに陥りがちで、シェンロンさん
のように、倫理や社会秩序維持の面での考察を深める事が出来なかったのですけど。
あと、同害とは何か、色々と考えてはいるのですが。難しすぎます。
>同害報復の主体が被害者であるべき(以下略)
シェンロンさんの論理は、実に明快かと思うのですが、多分上記のように規定して
しまいますと、「同害報復」じゃなくて「過剰報復」でしょう・私たちゃあそんなこと
言っとりませんぜ・ダンナ。と反論されるでしょうね。もちろん、論理的帰結としては、
シェンロンさんの仰ってることで大方間違いないと思いますが、「同害報復の主体」云々
の前提そのものが同害報復論者の間で異なっている可能性はあり得ますよね(というか、
そもそも「同害報復」の定義付けが一つしかないなんてことは、ちょっと考えられません)。
私は、「同害報復の主体は国家であるべき」こそが前提だと思っておりましたので、寧ろ、
シェンロンさんとは異なり、加害者本人を殺すだけで充分、という方が同害報復の理念に
適っているのではないかと思うのですが。こう仮定した場合、国家が代行する報復の主体は
国家以外の誰であるかは前提に反しますから、問題にはならないかと思われます。国家の
見地からしてみれば、こちらに断りもなく勝手に国民の命を奪ったのだから、そんな損害を
出す野郎は放っちゃおけねぇということで、そ奴の命を取り上げることで万事を済まそう
というだけ(?)なのですから。但し、それでは何故、殺人だけが同害報復の対象となるのか
(換言すれば、死刑だけが同害報復として正当化されるのか)という、Kenさんの疑問に
応えることにはならないでしょう(取り返しが付かないから? なら、今更もう一人殺そうが
生しておこうが、何やったって同じですよね? 国家的見地にそのような視点はありえない
と思います、所詮国民同士のいざこざですから、替りは国民の中に幾らでもいるでしょうね。
国家って何考えているのだか、一国民には全く以って分からないですね。)。
1855
:
無精髭
:2008/08/04(月) 14:33:50
ところで、シェンロンさんが仰っている同害報復では、法によって認められた遺族感情慰撫
が社会道徳に反してしまうという難題が浮上するばかりではなく、更に報復主体を拡大して、
恋人や友人の持つ「大事な人を亡くした・そのことによる怨恨」感情さえ当然慰撫される
べきではないか、といった発想が生まれるのも必至ではないかと考えられます。否、これは
行き過ぎであるとして退けるとしても、たとえ遺族とはいえ「事件に無関係な加害者家族」
を自らの感情慰撫の為に(間接的に)殺すとなれば、今度は加害者家族に繋がりのある人
たちが黙っていないでしょう。とどのつまり、報復連鎖に陥るのは火を見るよりも明らか
でして、果たしてこの事態を国家が収拾できるか、或いは、これを被害者側による一度の
報復で終わらせる事ができるかに、国家権力全体の手腕が問われる訳なのですが。
然しながら本当は、シェンロンさんが好例を出して説明して下さったように、被害者側と
加害者側の家族構成の一致が原理・原則的には望ましい訳で、もしこれが不一致であれば、
どうにか同質・同害として一致するように司法権力が決めなくてはならないでしょう。
その場合、裁判は罪刑法定主義など無視して、ただ犯罪と刑罰の均衡のみを審議すれば
事足りる訳で、検察や弁護といった相対する二つの立場は必要がなくなるような気が。。。
まあ、もともと「完全な同害報復論」自体が極論なので、裁判が今まで通りの規律や慣習で
なされるとは、とても思えないということが申したいだけなのですが。
同害報復の原理って良く分からないので、私はこちらの議論を気にしながら、ネット上の
言説を色々と調べてはおりますけれども。いやはや、難解晦渋極まりないです。
1856
:
無精髭
:2008/08/04(月) 14:35:47
>>1846
死刑に教育効果がない、というか、あっても殺しちゃうんだから意味がない、というのは
分かりますが、それだと一律終身刑※1でも同じような気が致しますね。刑罰の教育効果が
発揮できる環境が刑務所にあればいいのですが(独居房に閉じ込めて二度と出さないだけだと
したら、死刑同様、教育刑としての意味がない)、本当はもう一度社会に戻してやるのが
理想でしょう。無論、政府のお墨付きで(再犯した場合は、国も責任を取らなくてはならない
でしょうが)※2。教育(刑)の目的って、(娑婆であろうが刑務所内であろうが)社会貢献
できる人間を育てることとしか思えませんのでね。
※1 閉じ込めるだけで教育効果が期待できる刑罰ってありますかね?
※2 教育効果を見込んだ上での恩赦のようなものですから、再犯があった場合は、教育刑
の内容に不備があったことになりますよね。
それは宗教観とか死生観の問題ではないですかね。シェンロンさんは無神論者だということ
ですから、ただ殺すこととこの世ならぬものにして殺すこと・死んで神聖化することの違いに
あまり意義を感じられないのかも知れませんね。そういう私もその口なのですが。。。
シェンロンさんが例に挙げた二つの論法に本質的な違いはないと思います。オウムを悪の
カルト集団と決めたのは、それより強い権力を持った国家だったというのが全てで、結局は
権力の差がものをいうのでしょうな。オウムがポアの名の下で粛清を正当化していた(とはいえ
外部の人間による見方ですが)ように、国家も死刑制度の名の下で様々な理由・論拠を
引っ張ってきては反社会的な異分子を排除している訳です。別にそれはそれで構わない気も
致しますがね。。。
シェンロンさんが仰るような論法で以って死刑を正当化するのは、国民にそのイマージュを
押し付けているともいえる訳で、憲法36条の問題をはるかに逸脱して、憲法20条の「信教の自由」
に違反する可能性が濃厚なんですけどね。
1857
:
無精髭
:2008/08/04(月) 14:37:08
はい。終わりました(笑)。それではROMに戻ります。
1858
:
紫煙狼
:2008/08/04(月) 15:16:43
>>1855
>ところで、シェンロンさんが(中略)必至ではないかと考えられます。
必ずしも直系血族のみが悲しみや苦しみを背負うわけではないですからねぇ。
しかし、被害者遺族としての権利を主張できる範囲は規定しなければなりません。
江戸幕府は敵討ち(仇討ち)に関して法整備をしていましたね。
敵討ちができるのは直系卑属のみであり、重敵討は禁止であったそうです。
被害者遺族の権利を行使できる人に適合する範囲を規定し、その被害者遺族としての
権利にも一定の規制が必要であることが、残虐な刑罰や拷問などが当たり前に許されて
いた江戸時代でさえ報復連鎖の阻止(言い方を変えれば過剰報復の防止)のためにも
必要であった。いわんや、現在においてをや。と考えます。
でね、実は、
>>1845
の投稿前の推敲段階で削除したのですが、
(大体、私は最初に書いた量の5分4くらいは推敲で削除しています。)
私は被害者遺族の範囲をどのように解釈し規定するべきかという問題に対して、
「相続権の及ぶ範囲」と限定するのが法的に妥当かな?と考えています。
1859
:
無精髭
:2008/08/04(月) 16:54:21
>>1853
を読み返していていましたら、おかしな部分がありました(何でこうなったんだか...)。
以下、訂正致します。
誤>一切関わらないどころか(その意味で死刑以外の刑罰はKenさんの仰るように野蛮性を拭い
正>一切関わらないどころか(その意味で死刑を含め全ての刑罰からはKenさんの仰るように野蛮性を拭い
>>1858
同害報復と犯罪被害者救済って、法運用においては受け手の立場が違うだけで、
それ以外は奇妙に一致していますね。いずれも、被害感情慰撫が目的だからでしょうが。
1860
:
Ken
:2008/08/05(火) 07:32:11
大仰なこと書いて心配させちゃったみたいですけど、手術自体は良性の脂肪腫を
取り除くための単純なものでして、入院もしなかったです。今では手術前とまったく
同じ生活に戻ってます(本当は切ったところの痺れが取れてない)。
1861
:
Ken
:2008/08/05(火) 07:40:52
>>さて、ここに「怖くて自殺なんて出来ない」小心者が居たとしましょう。彼は睡眠時間3〜4時間で毎日激務、でも先の見通しはつかない派遣社員です。クビ切られたら、明日から食べるところも住むところもなくなります。
>>日本では、少なくても3人殺せばまぁ確実に死刑になれる。俺は痛くもかゆくもない!勤務時間は9時5時保証、死ぬまでの間の衣食住にいっさい心配がありません。殺され方は最も確実だし、踏ん切りつかなくても強制的にやってくれる。彼女?今も居ないし将来も出来ないだろ。
というような問題に対して
>>こんな人は、殺されるときものすごく痛いし怖いってわかったら、犯罪より自分で死ぬのを選ぶでしょう。
というのも一つの解決策だとは思いますが、それ以外にも対応の仕方はいろいろと
あると思います。労働条件を改善するとか、セーフティ・ネットを整備するとか
番える機会を増やすとか、番わなきゃならんという圧迫感を緩めるとか。まあ要するに
誰もが希望をもって生きていけるような社会にするということですね。死刑だけに
絡めて議論するような問題だとは思えないです。
1862
:
Ken
:2008/08/05(火) 08:04:30
Ken>>「同害報復だぁ、リンチにしろ!」
入江>>叫びたいですよ?というより、それが当然だとすら思う。でもそれやったらこの日本では自分も同罪ですからやむなく、泣く泣く司法に引き渡しているだけです。
この部分が私には激しくダウトなんですけど...。同罪にならないのだったら
(それが合法であるのなら)本当に誰かをリンチにする度胸があなたにはあるのですか?
報道やら裁判やらで話題になる加害者というのは面識もない赤の他人ですよ?
それで中には自分は無実だとか訴える人がいるわけでしょ。もちろん中にはそういう
趣味があるとか、正義感、使命感が強いとか、赤の他人に暴力を加えることを
ためらわない人もいるとは思いますが、緊急避難、自己防衛でもないのに罰として
抵抗ができない状態の加害者に暴力加えるというのは私には正気の沙汰には思えないのです。
日本の処刑方法もそうですよね。いちおう、血がどばっと出るとかえげつないのは
避けてますよね。それで絞首刑では執行人は3人同時にボタンを押すとか、できるだけ
良心の呵責を感じなくても済むようになってますよね。いくら死刑囚が極悪人だと
頭では理解していても人を殺すことには相当のためらいが伴うと思うのですが。
暴力が日常的ではない社会では今の処刑方法が許容限度ではなかろうかと思うのですが。
1863
:
無精髭
:2008/08/05(火) 22:37:15
うむう。同害報復に関するここ一連の議論に新たな切り口を見つけたいと思い、過去ログ
(特に、序盤の方)をボケーっと読み返していたのですが、特に人権氏の書き込みには、
はっとさせられるものがございました。「被害者に<同情>できない」とする私にとっては
、何かときつい論調・受け入れ難いお考えでもあるのですが、死刑存置論者としては骨の
ある・筋の通った御仁だと思います。しかも、現状維持派ではなく、しっかりと犯罪被害者
の立場に立った(その権利拡張の為の)改革派なのですからね。「同害報復」のテーマに
おいても、絶対に無視できない重要な存在だと思います。
虫食い状態なんですけど、人権氏のお書き込みを挙げておきますね。
>>68
,
>>111
,
>>144
,
>>148
,
>>173
,
>>198
,
>>200
,
>>269-270
,
>>275
,
>>284
,
>>330
,
>>344
一々おクグりになるよりも、頭から読み返された方が宜しいかも知れません。こんなことを
致すのも、私にとっては、初心に返る為と申すか、もっと議論を深めたい為に餌を探している
という感覚からなのですが。
ところで、人権氏の御主張では、加害者の死が<償い>になる、という考えは、応報刑主義
ではないのだそうです。私には判然としないのですが。。。多分、これも私が得意の誤読に
よるのでしょう。
とにかく、このスレの初期のお書き込み群は、様々な視点からの議論百出で、各人の論旨を
一つ一つ追うのがつらいし、また議題も絞られていないということで、全体的に読み難い印象
がございますが、まだまだ、考察を加える余地のあるコメントが沢山ございますようで。
余談ですが、シェンロンさんって初期の頃と比べますと、論点が物凄く絞られてますね。
推敲の成果もあるのでしょうが、これはもうちょっとやそっとでは反駁しようがないほど、
洗練されているような印象がございます。反論される前からその内容を予測して、自説を
練り上げていらっしゃるような。いずれにしても、御自身の中で何度も問題に対するお考え
が反復された結果、現在のシェンロンさんがあるのでしょうね。
一方、Kenさんはというと、死刑廃止の論拠としては素朴といわれても仕方がないほど
シンプルで、初期の頃も現在も、主張に変化が見られない(笑)。大方、私の読解力不足
がそう見させているというのが、真実なのでしょうけど。でも、シンプルだからこそ
議論の中軸がぶれないというか、しっかりした芯が保てるのかも知れません。ともあれ、
いつまでも若々しい感性をお持ちでいらっしゃるのには、本当に羨ましい限りです。
入江さんは、過激なところがあってちょっと私にはきついなぁ、と思ってしまうのですが、
実を申しますと、本心から「ガンバッテ!!」と申し上げたい気持ちなんです(笑)。
差し出がましいことは百も承知の上で申し上げますが、入江さんからは、色々と熟考を重ねた
上での、両氏に対する冷静なご返答がありますことを期待致します。最終的に納得したり、
論破されてしまうことなどないのですから。それは本人の自由ですからね。議論では大した
問題にはならないかと思われます。シェンロンさんのお言葉を借りれば、議論では「どれだけ
人に学べたか」が肝要なのです。まぁ、わざわざ入江さんに申し上げるのは、正に釈迦に説法
なのですが。。。
1864
:
無精髭
:2008/08/05(火) 22:52:42
sageたのは意図したものではございません。
議論に関係ない話ですが、私が以前拘っておりました死刑の犯罪抑止効果については、
瀬田氏の
>>374
に詳しいですね。
>>585
「それはそれで仕方ないよね刑」
再読しても妙案かと思われますが、これと「安楽死」って、どちらが野蛮でしょうか(笑)
それと、
>身内から犯罪者が出たからといって、家族がその点で苦しむ必要はありません。
これは無理な相談ではないですか? 刑の目的が違うと言われても、世間様の風当たりは
相も変わらず(不当に)激しいものかと思われます。
でも、
>>588
>注射器ひとつにしても、使い道によっては大変な凶器になります。(後略)
確かに、「安楽死」(今のところは薬殺刑)には問題点がございましたねぇ。
・・・節操なくて御免なさい。
1865
:
紫煙狼
:2008/08/05(火) 23:54:21
>>1864
どちらが野蛮かって、どちらでしょうね(笑)
凶悪な犯罪を犯した者であっても、生きて罪深さを悔い続けて欲しいと願う人の心あれば、心ある限り生き延びる
可能性が残され、皆が早々と死ねばよいと願うなら、遠くない将来飢えて衰弱死する。もし、この刑が実際に採用
されたならば、その刑は世間の真の野蛮さをそのまま具現するでしょう。死刑より野蛮かもしれないし、死刑より
穏やかな刑罰かもしれない。。。
ただ…どんな犬嫌いであっても、道端の段ボール箱に捨てられた子犬の前を素通りするのは気が引けるように、
「日に日に飢えて衰弱していく元凶悪犯罪者を映し出すモニター」の前を幾人が素通りできるでしょう。
私は世間様の冷たさ厳しさと同時に、人間の愛や優しさを信じていますので、どんな凶悪犯罪者でも天寿を
全うできるものと信じています。(ごめん、半分ウソ。)
身内から云々に関しては、犯罪者の生活費を身内に負担させること(犯罪者の身内の経済的負担が増えること)
に対して「見捨てる自由選択権」を与え、ゆめゆめ経済的負担を強要するものではないと言う意味でした。
世間様の「犯罪者と、その身内」に対する冷たい目に関しては、おそらく未来永劫変わらないでしょう。
でも、今の私なら「身内の金銭的援助は一切これを認めない」という案の方が、しっくりきますね。
富豪の身内は世間の優しさなしに生き延びることができて、天涯孤独の犯罪者は早々にお迎えが来る…では、
あまりに不均衡に過ぎます。(と、いうように穴だらけの案ですよ。あれは(笑))
ただ、凶悪犯に理解できるかどうか甚だ疑問ではあるものの「殺されない」と言うことと「生かされている」と
いうことは全く別であって、その差を理解できるに至った犯罪者は「生かしてもらっている」限り「贖罪」という
言葉の意味と、それを具現する方法を模索する日々を送り続けることだろうと思います。
(生かして貰っている事に胡坐かけば、数日後、数週間後には衰弱死が待っていますから。)
1866
:
Ken
:2008/08/06(水) 00:28:21
>>1863
たまに昔の投稿を読み返してみて、俺っておんなじこと書いてんなあって気づく
ことあります。書いたこと自体忘れてるんですね。
この人権さんの書いてることは示唆に富んでると思いますね。死刑反対派は被害者・
遺族を軽視しているととられないようにしなきゃ賛同は得られないと思いますね。
ただ、日本の被害者・遺族の対応はずいぶん遅れているわけで、その状態で死刑だけに
頼って被害者・遺族の感情を慰めようとするのはどうかと思います。裁判で意見を
述べられるようにしたり(これは実現されましたが)、裁判の結果や刑務所での
様子を被害者・遺族に知らせるといった施策は当然あって然るべきでしょうね。
死刑の存否にとって被害者感情は重要だとは思いますが、本質的には二つの異なる
問題なんじゃないですかね。
1867
:
無精髭
:2008/08/06(水) 20:21:23
>>1865
へのレスとしてはちょっと、と申すか、かなり内容がずれますけど。。。
>もし、この刑が実際に採用されたならば、その刑は世間の真の野蛮さをそのまま具現するでしょう。
もしかしたらシェンロンさんがあの刑をご提案されたのは、それが一方では
自分たちの社会に根差す蛮性を映し出す鏡となるからだったのではないか、と
考えておりましたところ、上記のようなお答えを戴きましたので、非常に
安堵致しております。
>>585
には二重の意味があるようで、死刑存置論者を含め、
私たち社会成員の無自覚な冷酷さに対する批判(実に皮肉の利いたそれ)
であるとも捉えることができますね。
確かに現実的な運用となりますと、空想的すぎる分、色々と折り合いをつけ
なければならない箇所が多い為、まるごとの実現は難しいかと思われます。
ここから先は冗談ですが、刑務所内の様子を映し出すモニターはどこに設置
したら良いのでしょう? そのモニターを見るのに年齢制限はないのかな?
公共の電波で流すというのはどうでしょうか? と、まぁ下らないことしか
思いつかん訳ですが。あと、逆にそれを見て、瞬時(?)に終わる人道的な
処刑として、死刑を復活せよとの声が上がりそうな気も致しますね。もちろん、
そういう輩はシェンロンさんがこの刑に託したメッセージを汲み取れぬほどに
鈍感な訳ですが、然しながら、死刑と死と隣り合わせの終身刑のどちらが残酷
な刑罰であるのかは、神のみぞ知ることなのかも知れません。
本心からこの刑を実現したいと思うのであれば、国際情況さえ考慮に入れなければ
ならないでしょうね。北朝鮮の収容所とはどこがどう違うのかといった、実に
単純なことから、最終的に人道的であるか否かを巡った高度な議論を展開して、
各国を説得し、その合意を得なければなりますまい。この時点で、この刑が野蛮
であるかどうかはあらかた決まってしまっていることでしょうから、仮に各国の
理解を得られたとしますと、この刑の制定後には、再度国民がそれを問い・自ら
にも反省的に蛮性を認める機会など訪れないかも知れませんけれども。
然しながら、国際的に孤立した国には住みたくないのが、私の本音です(笑)。
1868
:
無精髭
:2008/08/06(水) 21:17:36
>ただ、凶悪犯に理解できるかどうか甚だ疑問ではあるものの「殺されない」と言うことと「生かされている」と
>いうことは全く別であって、その差を理解できるに至った犯罪者は「生かしてもらっている」限り「贖罪」という
>言葉の意味と、それを具現する方法を模索する日々を送り続けることだろうと思います。
>(生かして貰っている事に胡坐かけば、数日後、数週間後には衰弱死が待っていますから。)
なるほど、と思いました。
でも、「許す」ということがよくわからない私としては、凶悪犯に贖罪を求める必要は
感じられません(社会・他の人はいざ知らず)。まぁ、一言で申すと、贖罪を強要する
刑罰※は、果たして教育刑と呼べるのかという、単純な疑問があるのです。極端に申すと、
これは「改悛か洗脳か」といった、教育刑の目的に対する方法上の違いなのかも知れませんがね。
それともう一つ。上記の刑では、パンのみを得るためでしたら、労働は認められないもの
でしょうか。 失業者に対して、それだと不公平であるとのお考えもあるからでしょうか。
私としては、贖罪よりも世の為・人の為にしっかりと働いて戴きたいのですが
(無論、強制労働といった過酷なものを囚人に科したいという意味ではございません)。
※シェンロンさんご提案の刑では、「生かされている」という事実を知った後、それを認める
(つまり贖罪を行う)だけでなく、拒むことも同時に認められるような気が致しますけれどもね。
ただ、どうやって贖罪を行うのか、どうやってモニターを見ている人々に自らの改悛の証を示す
のかといった方法的問題が、単なるパフォーマンスによって解決するものとならなければよいのですが。
そこでも、人を騙すのが上手い・下手といった個人差が影響するかも知れません。或いは、
一切を拒絶して餓死に至ったことで、一部の人々から英雄視される者も現れるかも知れません
(その社会的影響は如何?)。
・・・以上、どうでも好いことが思い浮かびました。
>>1866
ははっ。私なんか新参者なのに、もう初めの頃の書き込み内容を忘れつつありますよ。
健忘症にはお互い気をつけたいものですね。でも、忘れるって必ずしも悪いことではなく、
むしろ好いことだってあると聞きますから。もちろん自分にとって都合の「好い」、
という意味ではなく。
1869
:
無精髭
:2008/08/06(水) 22:24:16
>>1868
>でも、「許す」ということがよくわからない私としては、凶悪犯に贖罪を求める必要は
>感じられません(社会・他の人はいざ知らず)。まぁ、一言で申すと、贖罪を強要する
>刑罰※は、果たして教育刑と呼べるのかという、単純な疑問があるのです。極端に申すと、
>これは「改悛か洗脳か」といった、教育刑の目的に対する方法上の違いなのかも知れませんがね。
つまり、自らが受けている刑罰に対して囚人が反抗する(反抗的姿勢を見せる)余地のあるような
刑罰は教育刑として成立しうるのか、ということですね。
ご提案の刑って、既存の刑罰と比べると、結構精神的には自由な感じが致しますからね。
うーん。馬鹿な質問で済みません。あと、「改悛か洗脳か」という箇所は
自分でもちょっと分かり難い言い方でした。重ねてお詫びいたします。
1870
:
無精髭
:2008/08/06(水) 22:31:45
度重なる連投、申し訳ございません。訂正ですが。
>>1869
>それともう一つ。上記の刑では、パンのみを得るためでしたら、労働は認められないもの
>でしょうか。 失業者に対して、それだと不公平であるとのお考えもあるからでしょうか。
上記「失業者に対してそれだと不公平」を
「失業者に対してそうじゃないと不公平」に置き換えてお読み戴ければ幸いです。
1871
:
無精髭
:2008/08/06(水) 22:32:24
度重なる連投、申し訳ございません。訂正ですが。
>>1869
>それともう一つ。上記の刑では、パンのみを得るためでしたら、労働は認められないもの
>でしょうか。 失業者に対して、それだと不公平であるとのお考えもあるからでしょうか。
上記「失業者に対してそれだと不公平」を
「失業者に対してそうじゃないと不公平」に置き換えてお読み戴ければ幸いです。
1872
:
無精髭
:2008/08/07(木) 08:41:22
boro様へ
二重投稿してしまいました。お手数ですが、削除をお願い致します(これも含めて)。
紫煙狼様へ
教育刑と呼べるかどうか云々の件、私は何か勘違いしておった次第。
些末な事にまで首を突っ込んだみたいで、もしご気分を害されたのでしたら、
誠にお詫び申し上げます。私のレスなど、忘れてしまって構いません。
最近、また妙なところで懐疑癖がよく出るのです。
文章がへんちきりんなのは元からですが、この所の猛暑の為かは知りませんけど、
異様に、意識がボーっとすると申すか、何かおかしいのです。
読み難い文章ばかり書いて、申し訳ございません。
まあ以上、醜い言い訳に過ぎませぬが、軽くスルーしちゃって下さいませ。
しかし、本当にお怒りでしたら、御免なさい。
1873
:
紫煙狼
:2008/08/07(木) 13:40:37
>>1872
私の場合、不愉快に思っていたら「内心穏やかではない」と
ちゃんと意思表示しますのでご安心ください(^^)
1874
:
無精髭
:2008/08/07(木) 19:55:26
>>1873
お返事を戴けたので、安心致しました。
なんか、シェンロンさんには謝ってばかりですね(笑)。面目ないです。
私が誰かにレスをつける場合、その人の主張や考え方にケチをつける気など毛頭なく、
単に自分の理解力不足を露呈しているだけなのです。恥を忍んで―――否、
厚顔無恥に自分の疑問をつい口に出してしまい、やっぱり止めておけば良かったと
後々後悔する質です。疑いの念からふっと我に返り、自分を客観視してみますと、
「俺ってなんかピントがずれているというか、何本かネジが足りない感じなんだよなぁ」
と、しみじみと思えてきます。書いたものなんかを見返しても、同様です。そんな
自分を楽しんでいる、もう一人の自分も確かにいるにはいるんですけど。もちろん、
人の反応を見て面白がっているということではありません。全てにおいて、それとは逆です。
私は、他人の考えは無条件に尊重されるべきものであると考えております。その上で
レスをつけさせて戴いておりますことを、是非とも皆様には知って戴きたく存じます。
そもそも、食指の動かぬものに関しては、私は非常に冷淡な人間ですので、自分にとって
無価値であると思われたコメントには絶対にレスをつけません(他にもひとえに私の
力量不足が原因で、レス困難なケースなどもございますが)。
きっとネット以外でも、空気の読めない奴だと思われているのでしょうねぇ。当人の方は
至って能天気なんですがね(笑)。普段は、のほほ〜ん、としておるつもりなんですが、
他人から見れば、すっごく無愛想に見えているのかも知れません。難しいな、人間関係。
あと、意識についてどうたらこうたらと言い訳がましいことを申しましたが、これを話すと
長くなるので省略させて戴きます(皆様にとってはむしろ好都合でしょうし、私にとっても
恥ずかしいことなので)。意識には自己においてしか実例が存在しない為に、他人のそれと
比較しようがないことも忘れて、ああだこうだと、全く御見苦しい限りです。どうも申し訳
ございません。
この度の私の不祥事で、過去、シェンロンさんにやたら絡んでいた何某さんを思い出しました。
すると、その人と自分がごく自然に重なりまして、性格だけでなく意思伝達を目的とした文章力
についても、色々と反省すべき点が多いな、と思いました。何かにつけ、すぐに感情を荒立てる
お方だったようですが、私は決してそんなタイプではないのですが、すぐにくよくよする所
なんざ、どっちが感情的やねん、と自分で自分に突っ込みたくなりました(笑)。
大体私の文章が乱れるのは(元々、へっぽこなんですが)、著しく思考が混乱している時です。
そのせいで、議論の眼目などを見失うことがよくあります。或いは、これまたその時の意識の
問題なのですが、思考停滞に陥った際に、無理矢理文章をひねり出すことで思考を押し進めよう
とすると、どうも文章がイかれてしまうことが多いようです。
と、まぁ、私は上に申し上げたような人間なので、適度に距離をとってお付き合い戴ければ、
人畜無害であること請け合いですので、もしまた私がうっかり気に触るようなことを仕出かしたり、
しつこいまでに食い下がったり(?)、突拍子もないことを抜かしたりしても、余り気に
なさらず(情況によっては無理な相談かも知れませぬが)に、どうぞ道化が一人下手な芸をして
悦に入っているとでも見做してやって下さいませ。微笑ましく見守って戴けましたら幸いです。
・・・ほんと、付き合いにくい人間で御免なさい、です。
1875
:
無精髭
:2008/08/07(木) 20:04:05
我ながら、言い訳が長いですねぇ。お返事戴けたので、調子に乗ってしまいましたよ。
このまま調子に乗り続けて、疑問を垂れ流したり自説を展開したりしては、
シェンロンさんの当惑する顔が目に浮かびますので、差し当たり私の個人的な意見は封印致します。
急かすようで悪いのですが、今は入江さんのレスを待ちましょう。
因みに、
>>1870
の訂正の指摘箇所ですが、アンカーつけ間違えてます。
正しくは
>>1868
です。
1876
:
紫煙狼
:2008/08/07(木) 20:22:10
少し遡りまして…。
私が「同害報復」の原則を徹底するとこうなる!という例を
>>1845
で提示しましたところ、
「それは過剰報復である」というご指摘を頂きました。。。が、なぜそれが「過剰報復」なのか
の理由に言及されたものがありません。それが「やりすぎ」なのは自明でしょうが、
自明を噛み砕かないことには、同害報復と過剰報復の境界線は見えません。境界線よいずこ?
おそらく、直接被害者以外に間接被害者が受けた害まで同害で報復しようとしている点が、
やりすぎなのではないでしょうか?つまり「同害報復の主体は被害者(サイド)」ではなく、
同害報復の主体は「直接被害者に限定」しなければ過剰報復となるのでしょう。
ならば「直接被害者VS加害者」の構図で裁判をする限り間接被害者の感情が充足される訳がない。
まして実際の刑事裁判は「直接被害者(の代弁者)VS加害者」ではなく「国家(の代弁者)VS加害者」
なのですから、この判決で直接・間接の被害者感情が充足されないとしても、至極当然の理でしか
ないのではないでしょうか?それが解っているから被害者(サイド)は、せめて国家が下すだろう
加害者への処罰が少しでも重いだろうことを願い、そこに自己の恨みを投影させるより他に
道は残されていないわけです。こんな歪な有様を「同害報復の原理」で説明するのは無理でしょう。
そう考えると、たとえ加害者に死刑が言い渡されたとしても、それは同害報復の原理に基づくもので
はありえないし、また、そうであってはならないわけです。
1877
:
無精髭
:2008/08/07(木) 20:59:52
>>1876
つまり、入江さんは御自身の信念に反して、同害報復論者ではないということですか...(絶句)。
私も、入江さんは普通の意味で同害報復論者かと思っておりました。
多分、Kenさんもそうなんじゃないかな。
・・・「同害報復」については、まだ色々と調べる必要がありますね。
1878
:
入江
:2008/08/08(金) 10:59:14
すみません、時間がなくて読み込めないので少しだけ。
同害報復は相手を一人殺したら自分一人が殺される、
相手の親と子を殺したら自分の親と子が殺される、という状態で
それ以上を望んだら過剰報復となると思います。
そういう意味では私は過剰報復論者になるんでしょうか?
無精髭さんに絶句されてるのはスタンスが怪しいせい???
しばしば感情と論理をごっちゃにするのが私の悪い癖なので
いっぺん長考してきます。
ただし、被害者の「恨み」っていうのはどうなんでしょう?
被害者にしてみれば奪われた人権の回復がそもそもの切なる願いなわけで。
回復不可能ならせめて加害者の人権も同じく奪われなければ不公平だと思う、
そのシンプルな考えが「恨み」などというマイナスイメージそのものの言葉で
括れるものだとは思いません。
1879
:
紫煙狼
:2008/08/08(金) 12:11:57
(昨日は途中で力尽きて寝てしまいました(笑))
「入江さんは同害報復主義者ではない」は半分正しいですが、半分正しいでしょう。
処罰するための同害報復主義を厳密に「全く同じ被害を与える」と考えれば、
加害者の関係者に累が及んでしまう点で第三者を巻き込む過剰報復となるでしょう。
おそらく入り江さん自身の解釈から言えば「(全く)同(じ被)害」を与えることは汎用
的ではなく不可能な場合も多いので「同(程度の被)害」を与えることで代替する…。
という理論なのだと思います。実際、過剰報復との指摘を下さったのは入江さん
ご自身ですから。
つまり「被害者サイド被害の総和と同程度の害を加害者に報復として与える」が
過剰報復を防ぎつつ「加害者処罰によって善と悪の平衡を保つ」という方法論なワケです。
そうしますと、人間一人が受け止めきれる被害の量には限度がありますが、人間一人が
与えうる被害の量には限度がありませんから、発生した被害の総量と同程度の害を
加害者に全て受け止めさせることは不可能です。それ故、加害者の死だけでは平衡が
保たれない事を理由に、少しでも加害者が受ける害の総量を増やすために「絞首刑では
生ぬるい!」とか「残虐な苦痛を与えてから殺せ!」という発言が出るわけです。
一言で言えば「いかなる方法によって少しでも多くの苦痛を加害者に与えるか?」が
「同程度害報復」の課題であり目的であるわけです。
そして「そのような考え方自体が残虐で非人道的ではないか」という批判をかわし、
自己の罪悪感を軽減する手法として「目的刑論の一般予防論説」を利用するのです。
それが「刑罰による犯罪抑止効果の有無を問う」という論争を巻き起こすのです。
1880
:
紫煙狼
:2008/08/08(金) 12:56:19
しかし、それはあくまで「被害者感情に根ざすと苦痛を与える事が重要に成る」のであり、
国家は必ずしもそのような視点で加害者を処罰するわけではありません。国家が加害者を
処罰する最大の目的は「治安の維持」ですから、国家が加害者に与える苦痛を増やすと
すれば、それは感情論よりは単純(純粋)に治安の維持を容易にすることを目的とする
「一般予防論説的犯罪抑止効果期待型厳罰化指向」と考えられるでしょう。
従って、国家は死刑を存続させることが必要であり、犯罪者に対する罰を厳罰化することに
吝かではないが、刑罰の残虐化には同調できない。なぜなら「残虐な刑罰を禁止する」という
憲法上の定めは「犯罪被害者という一部の人」の要求ではなく「国民の総意」としての要求で
あり、それは尊重し守る義務を負うものであるからです。そのためなら、諸外国から死刑廃止を
迫られたところで、無視を決め込む覚悟もあるし、死刑存続が国民大多数の要望であることを
理由に「日本国民は死刑がなくなれば凶悪犯罪を容易く発生させる国民性を持つ」という
誤解が生じることも厭わない訳です。
ある意味、国民思いで好感をもてますね(^^)
私自身も諸外国云々が日本国内の法制度を変更させるとしたら「内政干渉」だと感じるし、
死刑を廃止する理由が「世界諸国の流行」だとすれば「ミーハーではない!!」とむしろ
怒りを感じます(笑)死刑が廃止されるとすれば国民の大多数が死刑に懐疑的になった結果
でなければ、一度は目的が達成されても「世界各国の流行」を理由に死刑を復活させる可能性が
排除できませんからね。。。
1881
:
紫煙狼
:2008/08/08(金) 15:17:17
さて、同類犯罪の発生を予防する目的を除外して(つまり既に発生してしまった犯罪に限定して)
加害者の処遇を考えるならば、「治安維持」を目的とする国家は「加害者の無力化」に成功すれば、
「同一加害者による被害拡大の防止」さえ可能であれば、それ以上の目的を刑罰に織り込む必要は
全くなく、終身拘禁で用は足りるわけです。(故に死刑囚も、みだりに執行されたりしない。)
従って、実際に死刑が宣告され、執行される理由、執行する理由を国家側から見ると、
むしろ「防止・予防効果」以外に死刑を積極的に採択する正当な理由はないのですね。
本来的に被害者感情慰撫充足という側面は国家が下す刑罰には含まれないわけです。
これを不適切な表現に置き換えるなら、国家は防犯キャンペーン、防犯アピールのために
加害者を殺害し「みせしめ」にするわけです。「みせしめ」以外の理由はないのです。
これを前提とすると「みせしめ」は「処刑」の正当な理由足り得るか?と疑問に感じます。
同類犯罪発生予防のために「みせしめ」が必要ということは「同類犯罪発生助長未遂罪」ですよね?
「同種の犯罪が発生した」と言えない限り、これは未遂罪でしかない。また同種の犯罪が発生しても、
かならずしも、影響の有無を明確に因果関係付けることは不可能であるにもかかわらず、
犯罪者の命を奪う事を正当化する唯一の理由が未遂罪というのは行き過ぎではないでしょうか?
1882
:
紫煙狼
:2008/08/08(金) 15:55:25
>>1878
>相手の親と子を殺したら自分の親と子が殺される
これが即ち過剰報復であると入り江さんがご指摘くださった状態ですよ(^^;
加害者は自分ですが、自分の親と子は犯罪と無関係な人間であり、
この犯罪と無関係な人間を処刑することが「過剰報復である」わけです。
だいたい、相手の親と子を殺したら、殺した張本人の自分ではなく、
自分の親子を殺されるということは自分の罪に対する罰を親と子に
肩代わりしてもらえるということで、もはや「報復」ですらあるのやら怪しいです。
あと、被害者の切なる願いであれ何であれ、自分以外の他者が不幸を味わう事を
願う気持ちは全て「恨み」という言葉に私は一括します。そして「恨み」という
言葉を使わざるとしても「不平」や「不満」でしかありえません。
どちらにせよ本質に変わりはありませんので、謝罪撤回をするつもりはありません。
しかし、私が納得いく言葉で、あなたも納得できる言葉があるなら、
表記を変更することにこだわりはありません。ご一考ください。
1883
:
無精髭
:2008/08/08(金) 22:17:03
入江さん
>>1878
無精髭さんに絶句されてるのはスタンスが怪しいせい???
入江さんのスタンスを怪しんだつもりはございませんよ。絶句と申したのは、
シェンロンさんのご明察に蒙を啓かれた思いがしたからです。他意はございません。
入江さんは「恨み」という言葉をマイナスイメージに直結させて理解していらっしゃるようですが、
たとえ「人権回復への切なる願い」といった感情発露の根底に「怨恨感情(ルサンチマン)」が
行動原理として働かざるを得ないのだとしても、別にそれはそれで認めてしまっても好いのでは
ないかと思います。それが反社会的・非道徳的な感情であったとしても、事件の被害者であるのは
他の誰でもないこの私であるということを宣言する、その根本の動機となるものであることに変わり
はないのですから。「何故他の誰でもなくこの私が犯罪被害に遭わなければならなかったのか?」
という思いは、シェンロンさんの
>>614
にある、
>憲法とは国民が国に対して要求したものであり、憲法13条には生命の権利が明記されています。つまり、国民は生きる権利を国に要求し、国はこれを守る義務があるわけです。
>ここで、殺人事件が発生した場合、本来なら憲法13条の生命の権利を侵す行動を許した責任が国にはあるのです。従って、国は「国が義務を履行するのを妨害した」犯人に対し、訴訟を起こすのです。
>(検察官は国家の代理人であり、被害者の代理人ではありません。)そして、憲法99条の通り、国民の要求を尊重するために、憲法13条の「公共の福祉に反しない」範囲内で死刑を執行し、生命の権利を危険から擁護するわけです。
という国家的見地・若しくは国民総体的な立場からは説明できないし、捉え切れるものではありません。
つまり、それは端っから第三者的言説によっては到底含み込めないような、人間存在の暗部についての
(例えば不特定多数の社会成員の内で偶然に犯罪被害に遭ってしまった人などがする)代弁に他なりません。
ですから、そのような怨恨感情をそもそも人類は克服できるかどうか(大げさですが)が問題なのでして、
入江さんは一貫してそれに「NO!」を突きつければ宜しい訳です。怨恨感情はその意志が向かう本当の目標が
成就されなければ、断じて克服されない(消失しやしない)のだ、と。この現実を無視した死刑廃止論など
無意義・無意味であり、砂上の楼閣である、と言い切れば宜しいのです。絶対に、そういったスタンスを変えては
ならないでしょう。でなければ、同害報復論者の名が廃る、というものです。
日野OL不倫放火殺人事件スレッドで、Jackal氏に執拗に食い下がった入江さんなら、必ずやシェンロンさんに
一泡吹かせてくれるだろうと(失礼っ)信じております。
因みに、こちらの過去ログを読み返せば分かりますが、Jackal氏も「同害報復論者」のようです
(ちょっと特殊なんですけどね)。
1884
:
無精髭
:2008/08/08(金) 22:20:28
シェンロンさんも御自身の経験から、決して自らの力では「恨み」を克服できないと悟ったが故に、
制度的にそれを乗り越えようという意図を以って、色々と模索されていらっしゃるのだと思います。
加害者の家族についての考察に関しては、別スレですが、
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1211686553/60
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1211686553/65
が参考になります(シェンさん。無断転載の程、ご勘弁)。
これを見ればお分かりになりますように、仮にシェンロンさんが犯罪被害者となった場合、
その怨恨感情が向けられる先は、専ら加害者本人に限定されると言います。いわば、
加害者の家族までその対象に含む同害報復の原理とは方向性が逆でして、加害者の家族や
恋人や知己の立場になって考えることで想定された、加害者を中心とした関係者間の愛が、
自らの怨恨感情を相殺するように意図的に仕組まれるのです。しかし、それでも怨恨感情が
解消される訳ではなく、心の中には相も変わらず渦巻いてはいるのですが、シェンロンさん
にとって公におけるその発露を禁じるという正にそのことが、法的・公的な「赦し」という
別の側面を私たちに見せるのです。
1885
:
無精髭
:2008/08/08(金) 22:22:11
シェンロンさん
一言で申して、
>>1879-1881
には「ドラマ」を感じました。死刑制度の是非を問う者たちは、
立場の別なく、お互いの立たされているのがどんな場所であるのかを、その大作を読んだ後
では一人残らず思い知らされることでしょう。如何に、脆弱且つ不安定な足場で議論をして
いるということを。死刑廃止論者を偽善者と罵る阿呆は、こぞって自らの毒気に当てられる筈。
>>1879-1881
はリアルタイムで接したシェンロンさんの書き込みの中では、
最大級の感動を呼び起こしました。(まぁ、熱しやすく冷めやすいのが私の欠点でもありますが...)
1886
:
紫煙狼
:2008/08/09(土) 00:15:11
>>1885
最大級のお褒めのお言葉、素直にありがたく賜ります(^^;テレ
ただ、ここまでの
>>1879-1881
を以って即刻、死刑を廃止しなければならない理由になるかと言うと、
これは全然別の問題であって、あくまで刑事裁判において被害者は第三者の立場であると言うことを
明確にしたつもりです。
現在の刑事裁判は「国家の代理人である検察官」と「加害者の支援者である弁護人」の言い分を、
これまた「国家の代理人である判事が裁定する」という被害者不在の形態であり、制度上第三者の
立場である被害者は国家が復讐を代行してくれるものと依存せざるをえないという実状を浮き彫りに
する意図で、読みやすくも面白くもない文章を長々と書き連ねたわけです。
では、なぜ刑事裁判において被害者は第三者の立場であるか…。
(この状態が歪であると言う論拠による国民の声が被害者参加制度を実現させるわけですが)
被害者が刑事裁判で第三者に過ぎない本当の理由は「個人VS個人」の係争は民事裁判によって
解決しなければならない。というのが司法制度の根本であるからなのだと私は解釈しています。
加害者が被害者に与えた被害の補償は民事裁判によって解決しなければならない。
つまり被害者は「加害者に下される刑事罰の重軽」ではなく「被害者と加害者の直接対決」である
民事裁判の判決によって感情慰撫されなければならない。刑事罰はあくまで「犯罪を犯したと言う
行為=国家に対する暴挙」を咎めるための物であり、それは必ずしも被害者が存在するか否かさえ
必要としないものなのです。
一例として挙げるのであれば、児童ポルノ漫画が判りやすいと思います。児童と思しきキャラクター
の露骨で過激な性描写がある図画を販売すると「猥褻図画領布等」という罪状で刑事処罰の対象と
なりますが、見たいと言う人にだけ見せて両者合意の価格で販売しても、購入者がそれに触発されて
現実世界で妄想を実現させようと犯罪行為を犯さない限り、被害者は居ないはずでしょう?
それでも猥褻図画の販売は即ち刑事罰の対象となるのです。
1887
:
紫煙狼
:2008/08/09(土) 01:04:08
このように、民事裁判と刑事裁判は本来的には全く別個のものとして扱われなければならないのです。
その証拠に時折「刑事無罪・民事敗訴」というのがあります。刑事罰には問われないが民事賠償を
言い渡されるケースも平然と存在するのです。
つまり、被害者は最初から刑事裁判に期待してはいけないのです。被害者の感情は民事裁判によって慰撫
されるべきものであり、刑事裁判は犯罪を犯すと言う「国家に対する暴挙」を国家が断罪するための手続き
なのです。これを勘違いするから「日本の司法は被害者に厳しく加害者に甘い」というトンチンカンな
発想がわきあがるのです。
もちろん、民事裁判は結局「お金で解決」ですからね。「お金なんていくら積まれても許せない」と言う
感情が残るのは私も激しく同意いたします。しかし、だからと言って民事においても刑事においても
被害者は当事者、中心核であると言う認識は幻想か勘違いに過ぎないのです。被害者が刑事判決の重軽に
一喜一憂するのは感情的には理解できますが、それでもやはり間違いなのです。それを突き詰めると、
「刑事罰は国家による復讐の代行である」という認識は蜃気楼に過ぎず「同害報復」という言葉を
刑事裁判に持ち込むこと自体「前提の時点で既に論理的に間違っている」のです。
被害者が「加害者が未来永劫苦しみますように」と願うのは勝手ですが、被害者が「加害者に死刑を」と
要求する権利は、我々のように事件とは全く無関係な第三者と同じレベルでしか許されないのです。
「民事訴訟による損害賠償の請求権を国家に阻害されない限り」被害者は刑事裁判において証人以上の
存在足りえないのです。
従って、刑事裁判の判決理由に「社会に与えた影響、著しく大きく」は正当な理由足りえても、
「被害者を苦しめた事まことに許しがたし」は「なぜか通用してしまっているが理由として不適切」と
結論付けることができます。これはただ「国家が被害者を利用している」に過ぎないのです。
(加害者に重罰を与えてくれるなら、利用されることを厭わない被害者の心理につけこんでいます。)
こうなると、本来終身拘禁で用足りるはずの刑事罰を「みせしめ」として利用するために、
「被害者感情」まで持ち込んで「一般威嚇効果」のために命を奪われる加害者も、
元はといえば自分が悪いとはいえ、人身御供、イケニエでしかないではないですか。
それゆえ、まず最初に私は死刑制度自体を「正義ではなく、国家による偽善」と考えるわけです。
1888
:
Ken
:2008/08/09(土) 06:34:49
民事事件の判決は強制力がないですよね。そこんところも刑事罰と違うと思いますけど。
1889
:
無精髭
:2008/08/09(土) 21:19:13
>>1888
確かに判決自体には強制力がないですね。でも、強制執行という手があるようです。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%9F%B7%E8%A1%8C
http://www.courts.go.jp/sendai/saiban/tetuzuki/kyoseisikko.html
http://ja.wikisource.org/wiki/%E6%B0%91%E4%BA%8B%E5%9F%B7%E8%A1%8C%E6%B3%95_%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E7%AB%A0_%E5%BC%B7%E5%88%B6%E5%9F%B7%E8%A1%8C
手続きはめんど臭そうですけれども。
上のように、一々基礎資料的なソースを挙げるのは、正直申して気が引けるのですが...。
それで、私が暗に申し上げたかったことは、判決の強制力が債権者の申し立てによって国家に
発生するとき、民事裁判の対立構図が刑事裁判のそれに酷似して来やしないか、という
ことなのです。今の法律って、こんなんで大丈夫なんですかね? ちょっと心配気味。
1890
:
無精髭
:2008/08/09(土) 21:32:49
>>1889
いやあ、やっぱり大丈夫かも(笑)。たとえ犯罪被害者サイドが、あらかじめ民事判決の
強制力が法的に確保(確約)されているという事実を念頭に置いて、民事訴訟を起こすの
だとしても、
>民事裁判の対立構図が刑事裁判のそれに酷似して来やしないか
という疑問は、とんでもなく的外れであること甚だしく、我ながら正気の沙汰ではないですね。
刑事罰に、ほんのちょっと似るって程度ですか?
まあ、何はともあれ、
>>1889
は早計でしたよ。前言撤回いたします。
1891
:
無精髭
:2008/08/09(土) 22:14:33
刑事と民事、同害報復などについてシェンロンさんの議論にかなりの部分で重なる理論を展開している人がいました。
http://209.85.175.104/search?q=cache:sXmOOh5RZScJ:www.gifu.shotoku.ac.jp/kkura/anarchic_society4.htm+%E6%B0%91%E4%BA%8B%E8%A3%81%E5%88%A4%E3%80%80%E5%90%8C%E5%AE%B3%E5%A0%B1%E5%BE%A9&hl=ja&ct=clnk&cd=4
↑元のページが無くなっていて、キャッシュしか残っていません(と言う風に言ってしまっても良いのですか?)。
スクロールする際、非常に読み難いです。
で、ちょっと引用。
>被害者が犯罪者から損害賠償を受けるには、法廷外の示談による和解か、あるいは上述のように民事紛争としての
>不法行為法に基づく金銭請求をする必要がある。これは上記の刑事手続きとは基本的に独立したものであり、
>被害者の立場は国家によって行われる刑事裁判に対して後回しにされている。そしてこの事実は、多くの被害者の
>もつ刑事裁判制度への不満を生み出しているのである。
>これを受けて2007年には、フランスやドイツで実施されている附帯私訴の制度の導入がなされた。附帯私訴は、
>現在は刑事事件の被害者の訴訟負担を軽くするために、犯罪者への損害賠償の民事訴訟を刑事訴訟と同時に行うことに
>なる。これによって、警察の収集した証拠の利用や、被害者の証言などを民事訴訟に利用することができるのである。
とまあ、ざっとご覧になれば、現在こちらのスレで取り上げているテーマについて非常に興味深いことが書かれて
あるのが分かります。ハッキリ申して、結論部分はどうでも好いのですが、ここ最近のシェンロンさんのお書き込みを
噛み砕く(?)のに、参考資料程度にはなるかと思われます。
最後に、上に挙げました論考に言及したブログのエントリも挙げておきます。
http://libertarian.seesaa.net/article/49020924.html
1892
:
紫煙狼
:2008/08/10(日) 00:35:01
>>1891
私が次に打つ手を先読みされていましたか(苦笑)
現状では民事訴訟での「金銭による被害回収(復権)」に大きな限界があり、それを解決しないことには、
被害者不介入の構図で、あくまで治安の維持のために言い渡される刑事罰で溜飲を下げるしかない。
この状況下で死刑は間違っていると言ったところで、他に被害感情を慰撫する方法が残されていない。
従って、加害者に下す刑事罰以外の方法で被害者感情を慰撫する制度の導入がなされないことには、
被害者は加害者を憎み、加害者の不幸・苦痛・死を願わずには居られない。たとえ相手が鬼畜にも劣る
凶悪犯罪者だとしても「他人の死を願い、それが成就されたことに喜びを見出す」のは強烈な業ですよ。
被害者にそこまでの業を背負わせる司法制度に問題が無いとは言わせないよ、と。
そこで、目的は少々異なるが附帯私訴を日本でも導入するべきではなかろうか?と思うのですね。
しかもこの場合の附帯私訴、つまり、刑事事件に関連する民事訴訟に関しては法的強制力と即効性を
与えるべきではないか…と思うわけです。具体的には、上記民事訴訟によって認められた賠償額は
「国家が一時的に立替」て即時に被害者側に支払う。そして国家は加害者から立替た分を国家権力を
動員してでも取り返すべきであると提案したかったわけですね。
なるほど、加害者が高齢で支払い能力が著しく低い場合などは、国家と言えども回収不可能でしょう。
そこにはやはり税収を割り当てるしかないと思いますよ?税収を割り当てるということは、
事件とは何ら関係ない人々に負担させると言うことですよね?反発を食らうのは目に見えています。
でも、その反発の正体って何だろう。「加害者を死刑にせよ!」と正義感という刀を振りかざし、
「被害者の気持ちを考えよ!」と叫ぶような「被害者思いの人道派」も、被害者を救済するために
税収が増えることには反対しますか?「加害者を死刑にするから金銭的補償は諦めろ」と言いますか?
ほらね、偽善が見えてきたでしょう?結局、被害者の気持ち云々を語って加害者の死刑を望む人々も、
金銭的に助け合う精神はございませんか。と、まぁ、私なんかは妄想しただけで腹立たしいです(笑)
では、国家が可能な限り加害者から立替え分を回収するには、加害者を殺してしまってはいけないのです。
生かして社会奉仕させなければならないのです。これを「強制労働」と表現されるのであれば私は
「一定条件下での強制労働に賛成します」だいたいね「懲役刑」が「強制労働ではない」なんて
「おためごかし」ですよ。だったら懲役囚にも「働かない自由」を認めるべきでしょう?そんな本末転倒
甚だしいことが許されるわけが無い。「犯罪者は労働を強制されて当然の立場」なんですよ。ええ。
労働を強制してはいけないのに生命は強制してもオッケーですか?それこそ、おかしいですやん。。。
と、まぁ、こういう風に締めくくりたかったわけですよ(苦笑)
1893
:
無精髭
:2008/08/10(日) 17:56:17
>>1892
私が次に打つ手を先読みされていましたか(苦笑)
何をおっしゃるw 貴殿は私などより、何歩も先を行っておられるではありませんか。
>>1886-1887
を読んで、民事裁判と刑事裁判の対立構図の違いを再認識させられた後ですからね、
別に先を読んだという訳ではなく、シェンロンさんがそこで被害者は自身の復讐感情を自身の責任で・
社会倫理に沿った上で・合法的に成就すべきという趣旨のことを仰っていて、やや被害者サイドを
突き放したかの観がございましたから、さてどうしたものだろう、と思い、その前提を踏まえた上で、
民事訴訟を犯罪被害感情慰撫の手段とする為の具体案について、ちょっと調べてみたに過ぎません。
まあ、Kenさんの短いお書き込みに触発されたというのが、実際のところです。
現行の民事訴訟の枠組みでは、被害者側の感情を完全には吸収し切れずにそれが漏れ出すことで、
結果として死刑存置論者(特に同害報復論者?)が正当化しつつ主張するところの、現状の刑事裁判に
おける被害者側の人権軽視に対する反発から、その権利拡張としての直接的介入を求める風潮が生まれて
くる訳ですが、今申し上げたような事情を鑑みれば、被害者感情慰撫という被害者主体の問題は刑事裁判で
扱えないから民事でやれ、という正論では、民事訴訟における現実的な問題点を解決してからでなくては、
死刑廃止も含め、とてもか弱き国民の理解を取り付けはしないでしょう。
被害者側やそれを擁護する立場であれば、何とか民事と刑事の両裁判を一本化できないものだろうか、
という妥協案が出てくるのは当然かと思われます。しかし、やはり被害者主体の改革となりますと、
両裁判の法的な垣根を取る事でそれを同一化するのか、それとも付帯私訴のようなもので複雑化するのか
(両者並行的に行うのか)ということが問われずに混同されたまま、国民の不満を充足してしまう
のではないかと思われます。すると、せっかくシェンロンさんにご指摘戴いた(そして以前より口を
酸っぱくして仰っている)刑事裁判と民事裁判の目的上の区別もまた曖昧になってしまうものと
思われるのです。その結果、死刑制度は何にも増して被害者サイドの感情慰撫の為にある、という
誤謬が再浮上・再肯定されてしまうこととなりましょう。となれば、今まで積み上げた議論が振り出しに
戻ってしまうのは避けられないと思います(もっと始末の悪い事態になるかも)。
これが私が
>>1889-1890
で申し上げた疑問、元い愚問です。
しかし、
>>1892
を拝見致しましたところ、シェンロンさんはやはり一貫して民事と刑事の区別を
厳守した上で付帯私訴導入を検討に入れておられるようだから、シェンロンさん個人の場合は
特に問題ないでしょう(こんな事申すのも偉そうで何ですが)。
まあ、付帯私訴制度導入については色々と批判があるようですが、それはまた別の問題ですね。
1894
:
無精髭
:2008/08/10(日) 17:56:55
Googleの検索結果を見ますと「付帯私訴」についての言及って意外に少ないんですね。
http://www.google.com/search?hl=ja&rls=DAJP%2CDAJP%3A2006-42%2CDAJP%3Aja&q=%E4%BB%98%E5%B8%AF%E7%A7%81%E8%A8%B4&lr=
死刑存廃について考える上でも看過できぬ要素ですので、両方の立場からもっと活発な議論が
行われていても良さそうなのですが。
1895
:
紫煙狼
:2008/08/10(日) 23:30:26
巷では「犯人が捕まった」という表現をよく耳にしますが。実は捕まった時点では「容疑者」でしか
ないわけですよね?もちろん現行犯や罪状を争わない刑事裁判は別ですが、その容疑者が事件の犯人で
あるか否かは刑事裁判の判決を待たなくてはわからないし、そうでなくてはなりません。
けどね?現実はどうなっているでしょう。初公判が行われる前に、既に被害者の憎しみの対象は容疑者に
向けられていませんか?そして、罪状を全面的に争う姿勢を容疑者側が取ろうものなら、盗人猛々しいと
ばかりに怒りを募らせていませんか?「まだ犯人と決まったわけではありませんから」とか
「真実は裁判の中で明らかに」なんていう冷静な被害者は非常に少ないと思われませんか??
もちろん、検察側だって犯行を実証できるだけの証拠なしには起訴しませんから、1000件中999件
以上の割合で「被告=犯人」なのでしょう。でも、刑が確定するまでは推定無罪の原則が貫かれるべき
ですから、この被告を相手取って民事訴訟を起こすというのは危険極まりないですね。付帯私訴のように
民刑同時進行で審理をするのは、こういった危険性を孕む訳です。
しかし、犯罪事件において最優先されるべきは被害者救済復権だとは思いませんか?
ならば、いっそのこと刑事事件に付帯する民事訴訟は「被告不詳」で行うことを提案します。
被害者が原告となって「犯人何某」を被告として民事訴訟を先に起こしてしまう。もし、犯人が何か
言いたいのであれば自首して口頭弁論で何でも主張すれば良いし、自首しないなら、民158,民159に従って
原告側の主張がそのまま認められ、国家は即時その判決に従い賠償を立て替える。
刑事罰以外に、自分が名乗り出ない間にとんでもない額の借金を背負わされることになりますし、
それを国家権力の監視下の下、強制的に徴収されることになりますが、この強制的な徴収は何も別に、
労働で支払う必要は無くて、大金持ちなら(支払い能力があるなら)金銭で支払うことを妨げません。
少なくともこれが「死刑以上に加害者の人権を蹂躙するもの」とは思えませんがいかがでしょう?
1896
:
無精髭
:2008/08/11(月) 00:52:02
>>1896
実に妙案ですね。
>民事訴訟を先に起こしてしまう。
という発想が素晴らしい。附帯私訴(日本の場合は「損害賠償命令の申立て」)制度を
本気で導入する気があるのならそれを出発点にして調整すべきですね。
附帯私訴
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%84%E5%B8%AF%E7%A7%81%E8%A8%B4
>>1894
Googleの検索結果を見ますと「付帯私訴」についての言及って意外に少ないんですね。
「付帯私訴」よりも「附帯私訴」の方が、もっと検索件数が少ないです(多分)。
「損害賠償命令の申立て」なんかが完全一致する件数などは言わずもがな、です。
閑話休題。
にわかに話題が「同害報復」から外れてきてますけど...(笑)。
入江さんからレスがあるまではあまり議論を進めたくはないですし、
かといって入江さんを待つだけで議論を休止するのも何だか惜しいので、
このように脱線しておりますけれど...、アリですよね?
1897
:
無精髭
:2008/08/11(月) 02:06:55
>>1896
アンカーを付け間違えました。正しくは
>>1895
。
一応、私の現在の立場から希望を述べさせて戴きますと、
死刑制度廃止か、死刑(執行等)一時停止案か、の二者選一って
感じですかね。後者の場合は、国連決議に従うとかそういうこと
ではなく、日本が自発的・自律的に実行するという想定でお願いします(誰にだ?)。
どうしても死刑制度存置、これは譲れない、というのならば、当然
安楽死を指向したものでなければなりません。苦痛を極力排除することを
目的とした段階的投薬による死刑ですが、薬物の適正な選択と同時に
死刑用薬物の研究開発も行われるべきです。苦痛に対する心身の耐性に
関しての研究も大事ですね。それと見過ごされてはならないことに、
死刑執行前の段階における受刑ストレスとでも称すべき、精神的苦痛
(死への恐怖)が考えられますから、これを取り除く努力を怠っては
ならないでしょう。
もしかしたら、薬殺刑よりもっと苦痛の少ない手段だってあるかも
知れません。例えば過去に雑談スレでシェンロンさんは、脳科学の
成果を刑罰に活かそうといったご提案をしておられるようだし。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1047995308/920
私見では、科学なんだから野蛮というのはなんかミスマッチな印象が
ありますが、脳を弄るのはちょっとね...むごいような気も致しますが...。
脳科学がもっと進歩して実用化されれば、刑罰の意味合いもがらりと
変わるかと思われます。
まあ、以上のようなことまでしても、死刑存置に拘泥する以上は、
人道的であるどころか、断じて偽善と言う謗りは免れるものではないし、
専ら善良な市民が国家による合法的殺人に加担することからくる罪悪感を
打ち消す為だけに、あれやこれやと試行錯誤しているに過ぎぬ訳なのですが。
最後に笑い話なんですけど、
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%97%9B%E3%81%BF%E3%81%AE%E5%9F%BA%E6%BA%96%E3%81%AF%E3%83%8F%E3%83%8A%E3%82%B2
なんてのもありました。不思議と現在でも記憶に残っております珍事。
1898
:
紫煙狼
:2008/08/11(月) 15:49:51
犯罪者に対する脳外科手術を罰と考えるか治療と考えるかで
受け取り方はずいぶん違うと思います。基本的にこのような手法は
行われるとしても当面、性犯罪に対しての適応すべきと思います。
例えば、宮崎某のように幼児への性愛癖が嵩じた結果、凶悪な犯罪に発展した…。
この幼児絵の性愛癖は責任能力の有無を別として明らかに病的なものです。
コレに限らず、性犯罪者の再犯率の高さは性欲を理性で抑制できないという
病気であると私は認識しておりますので、教育や罰としてではなく治療という
側面から脳外科手術もやむなしと考えます。
無論、性犯罪者から性欲全てを取り除くことが正しい姿かというと、必ずしも
そうではないかもしれません。人並みの性欲を残したまま、理性で抑えきれなく
なるほと激化しやすい性欲傾向を抑える事が可能であればそれが一番「治療」と
いう言葉にしっくり来ると思います。
ロボトミー手術による悲劇を繰り返さないためにも、また精神医学会の宣言の如く
精神異常に対する外科手術は導入には慎重を期すべきであるというご指摘には
全面的に同意するものであります。従って、脳神経回路の仕組みがより明確に解明
されるまでは、むしろ導入には反対であるというスタンスもご理解願います。
1899
:
無精髭
:2008/08/11(月) 19:15:58
>>1899
委細了解致しました。詳細なご回答の程、誠に感謝致します。
>犯罪者に対する脳外科手術を罰と考えるか治療と考えるかで
>受け取り方はずいぶん違うと思います。
全く仰る通りです。実は
>>1868-1870
では教育刑について、罪を自覚させたり社会的良心を芽生えさせたりする
―――最終的に社会への適応力を身に付けさせるというような解釈の下で科される(正当化される?)刑罰が
受刑効果を発生するのだとしても、結局、囚人における態度の変化は、洗脳と改悛のどちらによるものなのかが
分からない、というような趣旨のことを申し上げたかった訳でして、この度のシェンロンさんとのやり取りで
扱われた問題とも深く関わる問題であると思われました。幸いにもこれからの思考にとって大きな後押しとなる
であろうシェンロンさんのご意見を賜ることが出来ましたので、この件に関しては何とか、あながち私一人の
自己満足的な問題でもないという信念を持てましたし、思考停止を免れることも出来そうです。改めて、
お礼申し上げます。
洗脳というのは、刑罰が受刑者の内心を捕縛した上でコントロールするプロセスをも含んでいるという意味でして、
その教育効果も外部的に囚人の心理に働きかけることで得られるというふうに理解するわけです。私の場合。
改悛というのは、受刑者が自分の受けている刑罰の意味を理解し、現状はどうあれ刑罰に対して積極的に自分の
自由な意志との関わりを持たせ、全てにおいて受動的に責任を感じ取るという程の意味でして、受刑過程を通して
見ても刑罰の効果が受刑者においてまずは自己内発的に生じているというふうに理解するわけです。これも私の場合。
刑罰とはそもそも強制的なものであるべきですし、事実そうであることは百も承知なので、そういったこととは
また別のことを申したい訳です。
まあ、上記も「完全より程度の問題」に当て嵌まるでしょうから、現実の運用面を無視してあまり突き詰めて
考えてしまうというと、非常にナンセンスな訳ですが。教育には、ある種の洗脳的なものが手段として切り離せない
という背景もある(というか、必須)でしょうし。
この件に関しては、私自身、早くも執着心が薄れつつあることなので、あのまま等閑に付しておこうと決めていた
のですが、今回、チャンスとばかりに思い付きを書かせて戴きました。ご容赦下さいませ。
1900
:
無精髭
:2008/08/11(月) 19:20:26
>>1899
何か前後で、一見矛盾したことを申しておるようですが。。。それとまたアンカー付け間違えました。
今回の件には全く関係ありませんが、シェンロンさんのお考えは(死刑廃止論者にしては)ダブルスタンダードである
とのいわれなき(?)非難をされることが時折ございますようで。上でも誰かがそのように批判していたようですしね。
まあ、私に判断できることではございませんし、たとえそうだとしても、どうも私は節操がない為か、ダブル
スタンダードでも両面内包でも何でも好いやんけ、これって特に問題あるのかなあ、と思う訳ですが。簡単に申して、
物事を複眼的に捉えることや問題のレベルを区別することって、とても重要ではないかと思います。
>(前略)精神異常に対する外科手術は導入には慎重を期すべきであるというご指摘には
>全面的に同意するものであります。(後略)
私はこんなだいそれたこと思っちゃいませんよ(苦笑)。でも、
>例えば過去に雑談スレでシェンロンさんは、脳科学の
>成果を刑罰に活かそうといったご提案をしておられるようだし。 (
>>1897
)
これはどうにも書き方が悪かったな、と思っております。お許しを。
1901
:
無精髭
:2008/08/11(月) 20:03:35
>例えば、宮崎某のように(後略)
私の宮崎理解は、だいぶ大塚英志氏に毒されておりますから。。。あまり公言できるものではないです。
シェンロンさんはご存知のように、別のスレでは変なこと申した為に、ある方から顰蹙を買いましたからね。
大塚氏は吉本隆明氏との対談本『だいたいで、いいじゃない。』(文芸春秋刊)で宮崎勤に触れています。
boro氏の当事件に関するページを見ても分かりますが、大塚氏は一審の弁護側証人も努めたほど、宮崎と彼が
起こした事件に入れ込んでいる(?)人です。で、長いんですが(しかも対談なので言い回しがちょっとくどい)
ご参考までに引用させて戴きますと、
たとえば「殺意なき殺人」みたいな言い方ばかりされたんだけど、宮崎勤と付き合っていて思ったのは、
検察側が一所懸命あの事件を性犯罪にしようとしたっていうことなんですよ。宮崎事件がある意味で奇妙な公判
になったのは、弁護側と検察側が性犯罪か否かだけを争った点なんです。宮崎勤に性的欲望はあるのかないのか、
と。鑑定医がこだわったのだってその一点で、彼が多重人格だとか、初期分裂病(統合失調症)だとか、こんな
ことは法廷戦術上の問題であって、弁護側としてはおそらく分裂病あたりが裁判官向けの言語としては落とし
どころだろうみたいな。そういうところは、僕なんかには醒めた感じで見てとれた。むしろ弁護側がこだわって、
検察側もこだわったのは、彼には性的欲望があったのか、なかったのか、なんですよ。
(中略)
宮崎が主張したのは、たぶんその一点なんです。自分には性的な欲望というのがないんだ、分からないんだと。
でも、彼がそれは性犯罪じゃないといくら主張したところで、彼の情状酌量にはまったく影響しないわけです。
つまり彼は、殺したこと自体は認めているわけです。だから性犯罪であろうがなかろうが、もしかしたら欲望も
なしに殺してしまったほうが、もっとひどい犯罪ととられて、量刑がひどくなる可能性のほうが高いわけですよ。
けれども、彼が唯一執着したのはその一点で、とにかく欲望が分からないんだと。
たしかに男の子だから、彼も性的な欲望がなかったとは言わない。ただ、その欲望のあり方とか向き方という
ものが、検察側がつくってきた、つまり成人女性に対して欲望を抱くんだけれども、その欲望を成人女性が受け
入れてくれなくて仕方ないので幼い無力な女の子に向け、その欲望を満たすために殺して、殺したあとでそれを
陵辱したと、そういう性的な欲望と具体的な素材を前提としたストーリーに対しては、彼は一所懸命違和を唱える。
その違和のあり方というものが、なにか僕には非常に重要・・・・・・と言うのは変なんだけど、大事な問題だという
気がして、そこが彼の問題なんだろうと思うわけです。そこの問題が分かんないと、何で首を絞めたんだとかが
分からないと思うし、さらにその上で、女の子を殺してはいけないんだという場所に彼が至るためには、余計に
彼の中で欠けている欲望の問題を一回通過しないとだめなんだという気がしてしようがない。
因みに上掲書は、単行本が2000年7月に出たようです。
1902
:
無精髭
:2008/08/11(月) 20:19:38
>>1899
>改悛というのは、(中略)全てにおいて受動的に責任を感じ取るという程の意味でして、
「受動的」ではなく「能動的」と書いたほうが良かったかも知れませんが、
寧ろそういう意味を持たせる為に書いた訳ではなくて、全てをあるがままに
受け入れるスタンスを保って、強制されることに対しては一切反抗心を起こさない
ということをそこでは言いたかった訳でして、「無抵抗(に)」とか「反省的に」
と書いた方が良かったかも知れません。「能動的」に責任を感じ取る、という
イメージが浮かび難かったもので。
1903
:
紫煙狼
:2008/08/12(火) 00:03:12
えーー。わたくし、ウソをついておりました m(_ _)m
自分の記憶を頼りに、昔の書き込みを探していたら「別のハンドルネーム」で投稿していました(爆笑)
先日、サブハン・ダブハンはしていないと言いましたが、どうも別のハンドルネームで投稿した事が
あるようです。紫煙龍だけではないですね。(で、このリブラなる者が私なのですけれど)
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1050423679/157
スレッドのメインテーマは幼児虐待でして、終盤、虐待と体罰の差に話が伸びています。
「悪いことをしたら罰を受ける」という認識に、そもそも大きな誤りがあるのではないか?と思います。
「体罰を受けたから、自分の行いが悪いことだと気づいた」という人は、本当に、そんなに多いのですか?
自分が親なり教師から説教を受ける中で、自分の行いが悪いことだと判ったのではないですか?
そして一つの区切りとしての体罰を「当然のこと」と受け入れることに納得しただけではないですか?
もし、自分が体罰を受けて痛い目にあって、それがイヤだからもうしない…のであれば、その体罰を行う
親なり教師なりが居ない世界では、同じ過ちを繰り返しますよね?無人島で自分より非力なものと二人きり。
貴方を罰するものは他にいない。それでも、皆さんは体罰が怖いからではなく、善悪の区別が付くから、
非力な相手をかばい、守りこそすれ、いじめ殺したり(異性であったなら陵辱したり)しないですよね?
大切なのは「その行い」と「悪いこと」のリンク付けであって、苦痛を与えることではないはずです。
罰の内容にもよりますが、罰を受けること自体は贖罪にも何にもならないのですよ。
たしかに、取り返しの付かない過ちは多数存在しますが、それでも、何とかして何らかの方法で、
自分の謝意を行動で人々に伝えようとする、それが悔恨であり反省であり償いなんですね。
永久に許されることのない罪であっても、それは永久に報われない努力であっても、
自らの罪を償うと言う意思の下、自ら行動を起こさなければ、そこには意味はないのですよ。
その気持ちを起こさせる教育があれば、罰(苦痛)は必要ないのですよ。その気持ちが起きないのであれば、
どんなに罰を加えても、誰の心にも安らぎは訪れないし、取り返せる過ちも取り返せないのですよ。
無精髭サンの言いたいことと言うのは、多分、そういうことなんではないでしょうかねぇ。
1904
:
Ken
:2008/08/12(火) 05:36:04
実際的には紫煙狼さんの案はうまく行かないんじゃないですかね。
刑事事件の被害全体をお金に換算するとすごい額になるんじゃないでしょうか。
それでそのお金を「犯罪者」から取り立てるわけでしょう。無理があるような。
刑務所の作業って金額にすればたいしたことないですよね。必然的に国庫負担が
非常に大きくなると思います。足りなくなったら増税して補填。
考え方としては犯罪被害の保険みたいな感じですかね。みんなで保険料積み立てといて
被害に遭った人に保険金を支給する、みたいな。不幸をみんなで分かち合うというのは
悪くはないと思いますが。
1905
:
紫煙狼
:2008/08/12(火) 14:55:31
>>1904
>刑事事件の被害全体をお金に換算するとすごい額になるんじゃないでしょうか。
>それでそのお金を「犯罪者」から取り立てるわけでしょう。無理があるような。
はい、私もさすがに無理がないとは思いません。しかし、それでは刑事訴訟後の
民事訴訟でも同様のことが言えますよね?つまり、被害者の復権は刑事裁判判決に
よってもたらされるべきという解釈でしょうか?それとも、被告不詳・被告不在で
先行して行ってしまうことが問題でしょうか?そのあたり、もう少し詳しくご指摘
頂ければ、私も考え直すべき点が明確になりますので、ご教授ください。
>刑務所の作業って金額にすればたいしたことないですよね。必然的に国庫負担が
>非常に大きくなると思います。足りなくなったら増税して補填。
刑務労働は教育の一環として行われるので、金額的に小額であるのは必然と思います。
ただ、国家に対する借金を返すための労働に関しては、教育の一環ではないので、
重労働でも何でもかまわないと思います。もちろん、最終的に完済できる例の方が
絶対的に少ないでしょうね。
どちらにせよ、被害者の復権をいち早く可能にすることを目的とするものですので、
他によいアイデアがあればお知恵をお貸しください(^^)
それにしても…なんだい?忙しいのかい?Kenさんにしては切れ味が鈍いなぁ。
遠慮しないでガンガンご指摘いただいていいのよ?その方がブラッシュアップできるから。
期待しているんだからね?>Kenさん(^^)
1906
:
無精髭
:2008/08/12(火) 21:43:43
>>1903
「幼児虐待死」スレッドでのご指摘のコテハンによる最初の投稿は
「2004/10/09(土) 」ですから、死刑制スレッドで「紫煙狼」が初登場
するよりも前ですね。内容はとても面白かったです。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/2776/1213957664/32
↑「学校教諭を養成する学校で教育学を学んだ」という過去をお持ちの
シェンロンさんを相手に、教育について議論を戦わそうなどという気は
全然ないです(笑)。
>>1903
は、私へのレスとしては読解力1800%じゃ
ないですか。私の書き込みなんざぁ、文章力20%で好いです。
>>1905
いや、Kenさんは誘惑に負けてオリンピックを見てしまったので、
深慮する時間が足りなかったものと思われます(冗談)。
死刑廃止論者が存置論者を説き伏せる為には、死刑制度のデメリットを
指摘するだけでなく、死刑制度に替わる具現的な施策をも打ち出せなくては
ならないのかも知れませんね。死刑廃止論の多くが終身刑導入論に繋がる
のにも、そういった事情があるのでしょう。・・・まあ、何と申すか、
私にはよくわからない傾向です。
>>1904
みんなで保険料積み立てといて被害に遭った人に保険金を支給する
「不幸をみんなで分かち合う」と仰いましたが、こういう発想もなしに、
やれ存置だ廃止だと息巻いても、私はどうしようもない虚しさを感じますよ。
「被害者の身になって考えてみろ」とか仰る死刑賛成派の方が、被害者に
対して行為を伴わない(実質的でない)同情をするばかりで、実は物質的な
援助には躊躇していることも考えられますし、他方で死刑反対派の方が
犯罪被害者救済で異様にコストが嵩んでしまうことを知って、死刑賛成派に
鞍替えするなんてこともありそうです。存置(死刑制度)と廃止(終身刑)の
どちらがコストがかかるのかは、自明であるどころか、容易に答えが出ない
問題だと思いますけれども。
1907
:
無精髭
:2008/08/12(火) 21:51:00
>>1906
おかしな箇所が若干ございますが、お見逃し下さい。
私も、特に忙しいというわけではないのですが、集中してものを考える時間があんまりないです。
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