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死刑制度についてひと言お願いします
1845
:
紫煙狼
:2008/08/03(日) 17:19:24
AにはBという子とCという親がいます。またDにはEという子とFという親がいます。
DがAを凶悪な方法で殺害した場合、BはAを殺され「親を奪われる悲しみ」を味わい、
また、CはAを殺され「子を奪われる悲しみ」を味わっています。
さて、同害報復の主体は被害者であるべきですね。
Aは自分自身が殺されたのだからDが死ぬことを望む権利があるとして、
Bの被害は「親を殺される被害」ですから、Dに対しては「Fを奪われる悲しみ」を
また、Cは「子を殺される被害」ですから、Dに対しては「Eを奪われる悲しみ」を
以ってのみ同害報復の原理が成り立つのではないでしょうか?
となると、先にEとFを処刑し、その悲しみ苦しみをDに存分に味あわせた後、
D自身を処刑しAの悲しみ苦しみを味合わせなければ同害報復とは呼べないですよね?
しかし、事件に全く無関係なEとFを処刑することが倫理的に許されるわけがありません。
と、なれば「同害報復可能な被害者」と「同害報復不可能な被害者遺族」は
司法上の扱いにも要求できる権利の範囲にも差異が生じるのは当然ではないでしょうか?
つまり、被害者Aの感情を慰撫するためにDが処刑される同害報復を許容するとしても、
被害者遺族の感情を慰撫するために、もしくは事件を知った第三者国民感情としての
正義感を充足させる目的のためにDを処刑することは許されないはずです。
それは既に同害報復ではなく、嫌悪に基づく駆除欲です。単に自己に内在する駆除欲を
正当化するために同害報復という原則原理を都合よく利用しているに過ぎず、ひいては、
自己の駆除欲を正当化するために被害者Aを利用しているとさえ言えるかと思います。
100歩譲って、被害者遺族が駆除欲を露にする事は誰にも批難できないとしても、
事件による直接的被害を受けていない第三者が「同害報復の原理原則」と「被害者」を
言葉巧みに利用して駆除欲を充足させることが許されるものでしょうか??
うん、完全に地雷を踏んだ自覚がある。批難轟々だな。どうせコテンパンにやられるなら
自爆を恐れず言ってしまおう。「第三者の振りかざす同害報復原理なんてのは安っぽい
正義感でしかない。感情論を正当化するのに都合よい理論を利用しているに過ぎないんだ」と。
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