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情報スレッド
1
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/01/09(金) 17:39:51
日顕宗や顕正会の動向や情報、フェイク、石山だより、勝ち戦、同盟通信、新改革通信などの情報。
有志の皆様、宜しくお願い致します。
56
:
検証会議
:2009/03/21(土) 21:48:24
勝ち戦 第131 号
2009 年3 月21 日(土)
日顕宗、「選挙活動」優先の寺院
正願寺、民主党議員を支援
本妙寺、公明党看板探しに夜中に徘徊
日顕宗が支援する候補者は必ず落選し、哀れな末路を辿る―。
過去の実績を見れば明らかなことだ。宝浄寺(大田区)住職の大村日統、能安寺
(所沢市)住職の水島公正、妙光寺(品川区)住職の尾林日至、妙證寺(北区)住職の
石井信量ら、日顕宗の僧俗が支援した候補者はいずこの地でも見事に落選している。
そもそも、権力に媚び諂う悪侶と、『反学会』を掲げれば票を貰えるだろうという
卑しく姑息な候補者との不純な結託など実を結ぶはずがない。所詮、狐と狸の
化かし合いに他ならない。候補者の「藁にも縋る思い」は分かるが、縋る相手を
間違えたら一巻の終りだ。
千葉県八千代市の正願寺でも、去る二月八日の御講に民主党の黒田ゆう県会議員を
招き、挨拶をさせていた。
御講終了後、老講員が議員を紹介。「現在県会議員ですが、民主党公認で衆議院に
立候補されます。会う度に『慧妙』を先生に渡して読んで頂いてます」と言ってその場
で議員に慧妙を手渡し、議員は大事そうに上着の内ポケットにしまった。
周知の通り、議員が大事にしまった宗門の機関紙『慧妙』は、二月二七日、名誉を
毀損する虚偽の記事を掲載したことに関する裁判で、最高裁から上告を棄却され、
総額一九〇万円の損害賠償金の支払いを命じる判決が確定している。いわば、反社会・
反人権の象徴とも言うべきものだ。
その後、議員が挨拶。「こちらの選挙区から民主党公認で衆議院に挑戦をさせて
頂こうという立場で活動しています。(中略)先ほどは、ご住職さんから本当に心が
洗われるようなお教えのお話を聞かせて頂きました・・・」
この日の住職・鈴木信福の話は、実にくだらない内容だった。
「貧乏は確かに辛いものだって言いますけどね。まっ、僕はそんなに貧乏をしたこと
がないから分かんないですけど。『一杯のかけそば』なんていうのは、余りにも
美談過ぎる。お山に行ってる間は、やっぱりひもじいわね。与えられるものしか
ないし・・・」お世辞にも、「心が洗われるお話」とは言えない低俗な話だ。
最後に老講員が再び話し始めた。「彼が当選すれば、いま民主党で一番創価学会、
公明党に対して急先鋒で戦っている議員の後に続く人になって頂ける人です。
ご支援の方、宜しくお願いします」
茨城県土浦市の本妙寺では、今年の新年勤行会で副住職が、「大晦日に講員
四・五人が、我々が紅白歌合戦を見ている間に創価学会、公明党の看板がある家を
調べに夜回っていた」と、ドブネズミのような陰湿な行為をした信者達を称えていた。
日顕宗の悪事は、即摘発し、『袋のネズミ』だ!(コピー可)
57
:
検証会議
:2009/03/22(日) 19:09:29
フェイク 第1004号
(発行=09.03.20)
これでも"富士の清流"なのか?
邪宗・日蓮宗各派と謗法同座の日蓮正宗
大石寺法主が身延派管長の導師で勤行、記念撮影
日蓮正宗の坊主共は謗法まみれの大石寺門流を「富士の清流」と自讃し、以前の
信徒団体を「現代の一凶」と誹謗する。だが下の写真は坊主の妄説を木っ端微塵に
打ち砕く破壊力がある。
写真は前列右から顕本法華宗管長の本多日生、日蓮正宗管長の阿部日正、
日蓮宗管長の磯野日筵、本門法華宗管長の尾崎日翮で、後列は本門宗、法華宗、
本妙法華宗、日蓮宗不受不施派の各代表である。
つまり、大石寺第五十七世・阿部日正が日蓮宗各派の邪僧らと仲睦まじく記念撮影に
納まった謗法同座の動かぬ証拠写真である。
撮影は大正十一年十一月十三日。この日、阿部日正は身延派管長の導師で他の邪僧と
共に勤行・唱題した事実も記録に残っている。
日顕は、法主について「大御本尊と不二の尊体」「現代の大聖人様」等と、悦に入って
いるが、実態は宗開両祖に背く大謗法なのである。
さて、日蓮門下の各派管長は大正十一年九月、宗祖に対し天皇から「大師」号を
賜りたいと哀願。大聖人よりも、弘法大師のような大師号の方がよい、と願い出た
のだ。請願書に署名した各派管長は次の通り。
日蓮宗管長・河合日辰(署名後に死亡)、日蓮正宗管長・阿部日正、顕本法華宗管長
・本多日生、本門宗管長・瀬島日濟、本門法華宗管長・尾崎日翮、法華宗管長・
津田日彰、本妙法華宗管長・清瀬日守、日蓮宗不受不施派管長・釋日解、
日蓮宗不受不施講門派管長事務取扱・佐藤日柱。これに応えて宮内省か
らの通牒が同年十月十日に届き、日正は十三日、各派管長と参内。宮内大臣から
「立正大師」号を拝受し、その後、築地水交社に行って日蓮宗管長の導師で日正らは
読経・唱題したが、罰は厳然だった。
日正は大師号を請願した大正十一年の秋、舌癌が発生し翌十二年八月、口から悪臭を
放って死亡した。
◇ ◇
大石寺第第五十七世法主・
阿部日正が邪僧と記念撮影
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000648.jpg
58
:
検証会議
:2009/03/23(月) 01:32:38
フェイク 第1005号
(発行=09.03.21)
大石寺は模造本尊の謗法の山
「白蓮華」に掲載の本尊織込純金襴の広告
ニセ本尊を「天下一品」と称し法華講員に販売
日蓮正宗法華講の機関紙「大白法」(平成二十一年三月十六日付)の「異流義破折」欄
を粉砕する。同欄では日寛上人書写の御本尊を「ニセ本尊」
「魔性が入った堕地獄本尊」等と誹謗し、学会の戸田第二代会長の指導を歪曲して、
学会は勝手に本尊を作ったと批判。そして「正境」とは本門戒壇の大御本尊であり、
法主が書写した本尊だと述べて、「本年、本宗僧俗は挙って総本山に参詣し、
大御本尊に御報恩申し上げて、大功徳を積むことができる」と、登山を誘う戯言を
述べているが、笑止千万!
学会が授与している御本尊こそ、ニセ法主の日顕・日如が模写した「ニセ本尊」とは
違って日寛上人御書写の正しい御本尊なのである。
さて、左に掲載した「日蓮上人御眞筆御本尊織込純金襴」の広告の写しは
驚愕ものだ。大聖人の御真筆の御本尊を純金襴の下地に織り込んで作ったという
模造本尊の広告である。
この広告は大正二年発行の「白蓮華」第八巻第十号以降、計八回も掲載されていた。
同誌の発行人は日顕の父・阿部法運(後の第六十世日開)であった。
この模造本尊は縦約五十センチ、横約十六センチ。「一枚の紺地純金襴へ緻密巧妙に
織り現はしたり」と記しているところから、この偽造本尊は、金糸を散りばめた紺色の
地に、文字を金糸で織り込んだ奇妙なものであった。
広告文に「我宗祖日蓮上人」との記述があり、掲載誌が機関誌であることから、
日蓮正宗の法華講員を対象にしての広告であることは言うまでもない。
織物の「模造本尊」業者は「御本山用達」を名乗り、偽造の本尊を「天下一品」と
称して販売していた。
しかも「一幅特價金貳圓」という、当時としては高価な代物だが、計八回も広告を
出したのは売れたからだろうが、開眼はどうした?
宗門の狂った感覚
改めて「大白法」の「異流義破折」欄を担当している坊主に問う。この「日蓮上人
御眞筆御本尊織込純金襴」は大謗法であるが、宗門では謗法でないとの見解か?
ニセ法主の模写本尊を「正境」という狂った感覚の宗門は日開の当時から織物の
「模造本尊」も「正境」と感じていたのか?
業者が大謗法行為で儲けた金を宗門は広告料として貰っていたわけだ。
この他、大石寺には今も昔も「戦勝守護の御本尊」「未来大曼茶羅」、「謹刻」と
称して写真撮影した模造、偽造本尊、ニセ法主の模写本尊などが山ほどある。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000649.jpg
59
:
検証会議
:2009/03/25(水) 12:07:55
越 洋
平成21年3月24日
「シアトル事件裁判」は終わっても、「シアトル事件」は終わらないと
前号で書いた。
思えば、ヒロエ・クロウさんは、シアトルでの事件を30年間も一人で悩み、
阿部信雄の秘密を守り、一切口外することをしなかった。
それをいいことに、日顕はいい気になって、ヒロエ・クロウさんを嘘つき呼ばわり
したのである。
30年も快楽主義者の下らない男のことを、言うに言えず悶々とされていたことを
思うと胸が痛む。アメリカ広布のために必死に戦ってこられたクロウさん、そして
日顕を助けたクロウさんに対して、なんという傲慢無礼。恩を仇で返した「人間」と
して絶対に許せることではない。シアトル事件を起こした日顕には、時効はない。
その後の日顕の所行を見れば、反省や懺悔などしない一闡提の増上慢である。
還著於本人で3度も東京地検に出廷し、弁護士から徹底してシアトル事件の真相を
曝かれて、これ以上ないという赤恥をかいた。そのうえ世界中に"花和尚日顕"の醜態が
報道され、物笑いにされた。日顕の汚名は永久に消えない。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000651.jpg
60
:
検証会議
:2009/03/25(水) 12:13:25
新改革通信 第98号
平成二十一年三月二十四日発行
"死ぬに死ねない"日顕の事情(三)。
「血脈信仰」を自ら破壊した日顕のせいで、本山の存在価値は下がり、日顕の死後、
新たな離脱が起こる?
宗門では「立正安国論正義顕揚七百五十年」と銘打って、三月から、本格的な登山が
始まったが、同じこの時に、不況も本格化している。
電機業界では世界同時不況により、各社の業績は急速に悪化。ある大手企業は、
三月期は営業損益が二千八百億円の赤字となる見通しである。
●世間では、不況が本格化
宗門の坊さんたちは、世間のことなど無関心で、自分たちの生活のことしか考えて
いない。しかし、世間は「百年に一度」と言われる深刻な不況で、「不況自殺」の
増加が問題になっている。
昨年末、ある男性は、寮も追い出され、東京に出て安いホテルなどを転々としながら
仕事を探したが見つからない。所持金もなくなり、自殺しようと、富士山のふもと、
青木ケ原樹海へと入ったが死にきれず、警察に保護された。
「全国クレジット・サラ金被害者連絡協議会」は、自殺者が多い樹海に、借金の相談
を呼びかける看板を設置し、すでに多くの相談が寄せられているという。
これは他人ごとではない。このままいけば、宗門でも、登山や供養が檀徒の生活を
圧迫し、生活苦に追い込まれる者が続出するかもしれない。
●登山のことより、自分の死後を気にする日顕
宗門の中で、唯一、登山のことを気にしていない者がいる。それは日顕だ。日顕に
とって、登山は日如の仕事であり、自分には関係ない。あえて言えば、失敗しても
自分のせいではないと無責任な高みにいる。
日顕にとって、一番の気がかりは、自分の死後である。前号で述べた通り、
「相承箱」の問題や後継者の問題が、日顕を死ぬに死ねない状況に追い込んでいる。
まず、信彰以外の者が次期法主になった場合、自分の死後、その法主が宗門の衰退の
原因を日顕のせいにして、六十七世・日顕を歴代から削除する可能性が大である。
また、信彰が法主になったとしても、日顕の死後、「相承箱」を持つ者が名乗りを
あげ、その者に宗門の主導権を握られる可能性がある。最悪の場合は、"日顕は相承を
受けていない"と裁定され、六十七世も六十八世も帳消しとなり、再度、
正統・六十七世が就任することも充分考えられる。
61
:
検証会議
:2009/03/25(水) 12:13:44
●日顕のせいで始まった「離脱」
この他にも、日顕の死後に、あることが起こる可能性がある。それは宗門からの
「離脱」である。
日顕は、本門の戒壇たるべき正本堂を破壊し、大御本尊を偽物扱いした。また、
初の海外渡航での不埒な所業で、宗門の尊厳を損なった。"こんな人間が受けたという
血脈に、如何ほどの価値があるのか"と誰もが思っている。
今までの宗門では、「離脱」などということは誰も考えたことがなかった。
いわゆる「血脈信仰」から言えば、宗門を離脱することは、自ら血脈を断ずる
自殺行為と考えられていたからである。
ところが、平成になって、日顕の「C作戦」という謀略が発覚し、多くの寺院・
僧侶が、日顕を糺すために、宗門を離脱して、創価学会と行動を共にした。
●保田・妙本寺の離脱は宗門に衝撃を与えた
また、それとは別に、日顕に愛想を尽かして、独立するために、離脱する寺院も出て
きた。その代表が、保田の妙本寺である。
保田・妙本寺は、昭和三十二年に日蓮宗を離脱して、日蓮正宗に帰属した。当時の
富士日照住職が、創価学会の勧めにより日蓮正宗への帰一を決意したのである。
しかし、鎌倉日櫻能化は、この日顕の問題で、平成七年に日蓮正宗からの独立を
決行した。
この妙本寺の離脱は宗門に衝撃を与えた。なぜなら、改革同盟等とは別な、
"宗門からの独立"という第三の路線が出来たからである。
そして、宗門が恐れていた通りに、この第三の路線を選んだ寺院が出てきた。
それが、千葉・報恩寺であった。報恩寺の笠松住職は、宗門の「ノルマ地獄」と
「法主独裁」を批判して離脱し、独自に活動をしている。
●独立のための離脱という、新たな選択
これらの寺院の離脱が証明しているように、「日蓮正宗」というブランドの
価値はもう、ないに等しい。"本山から離れたら地獄だ"などという脅し文句も効力が
ない。
いくら「日蓮正宗」という看板を掲げていても、檀家が増える保証はない。
それどころか、無理なノルマを押し付けられ、上納金まで取られる。そして、いつ
左遷されるかも分からない。
こんな不満が、日顕の死後、爆発し、墓地などをもっている寺が自分たちの財産や
地位を守るために、独立する可能性は高い。
他宗派では実際にそういう動きが始まっており、一定の収入基盤を持つ寺院が
単立化し始めている。
そして、日顕が「血脈信仰」を破壊したために、いよいよ宗門でも同じことが起こる
かもしれない。すべては日顕の責任である。(編集部)
62
:
検証会議
:2009/03/25(水) 23:25:34
顕正会短信
2009-03-26
そろそろ5万人の大会やろうぜ、浅井クンよ!
顕正会では去る3月20日、横浜市中区の「神奈川産業ホール」で
「神奈川幹部集会」を開催した。浅井昭衛は、車でも楽に来れるであろうこの集会に
「メッセージ」を寄せたようだが、果たして同日に本部会館で行われた「春季彼岸会」
には出たのだろうか。ちなみにこの会場の二軒東隣に、学会の神奈川文化会館が
あるのだが、当日、そこに押しかけた顕正会員はいなかったようだ。もちろん浅井の姿
もなかった。日頃「学会員を救いたい」と豪語するわりには“慈悲”のない、口先だけ
の集団だ。
さて、この席上、二つの発表があった。一つは来年建設予定の会館名を
「神奈川会館」とし、もう一つは来年、二万人の「神奈川大会」を開催する、
というものだった。
まず、「神奈川会館」について浅井は「西に小田原会館、中央に相模会館、東に
神奈川会館とそろえば盤石」などとはしゃいでいるが、別に「横浜会館」でもいい
だろう。重要なのは、どの会館も一度は警察の家宅捜索を受けている(相模会館は
前身の藤沢事務所が)魔窟であるということだ。予定では四階建てということだが、
これは茶寮機能もすべて集約するためで、実際の運営規模は現在の三階建ての場合と
変わらないはず。つまり、勢力的にはほとんど変化がないのだが、浅井が移転を急ぐ
のは、度重なる会員逮捕と家宅捜索で近隣の目が厳しくなったためであろう。
そして「二万人の神奈川大会」だが、東日本のみならず、北海道や関西地方にまで
声をかけて「ほ〜ら、二万人でござい」とやるのが関の山。また会場は、外部の視線を
遮断できる「横浜アリーナ」しかあり得ないが、どうせなら日産スタジアムに五万人
集めて「幹部大会」をやってもらいたいものだ。
そもそも顕正会の実働数は、毎月の班長会出席者の倍程度といわれ、平均的な
参加者数は男子三千五百、女子五千、婦人四千、壮年一千であるから、足して倍に
したら二万六千。仮に同数の組長がいても五万二千。全員が活動家であるはずがない
ので、実際にはこの数字以下だろう。しかし、性別を超えた五万人大会は可能だ。
さあ浅井よ、満天下に顕正会の実数を公表する勇気はあるか?今年は5月の
「女子一万結集」といい8月の「男性三万結集」といい、度重なる結集地獄とそれを
補うための勧誘地獄で、後半の顕正会はボロボロになっていることだろう。号令を
かける者だけが元気な組織は崩壊必定だ。
ところで、ある県の公安・検察が、顕正会についての情報収集を行っているとの
情報を入手した。ともあれ勧誘に絡む「逮捕監禁」が頻発している団体は顕正会以外
ない。団体としての常習性を鑑みると、もう「起訴猶予」や「不起訴」では
済まされない段階にきているはずだ。さて、第一号の「起訴」は誰だ?
63
:
検証会議
:2009/03/26(木) 12:12:33
越 洋
平成21年3月26日
次の事項は、昭和53年2月7日Tホテルで、当時教学部長だった阿部信雄
(日顕)が"影の総監・裏猊下"といわれた河辺慈篤に語った内容である。
戒旦之御本尊之件
「戒旦の御本尊のは偽物である」種々方法の筆蹟鑑定の結果解った。
(字画判定)多分は法道院から奉納した日禅授与の本尊の題目と花押を模写し、
その他は時師か有師の頃の筆だ。日禅授与の本尊に模写の形跡が残っている。
日禅授与の本尊は、初めは北山にあったが北山の誰かが売りに出し、それを
応師が何処で発見して購入したもの。(弘安三年の御本尊)(河辺メモから)
宗祖日蓮大聖人の出世の御本懐である戒壇の御本尊を、こともあろうに、
教学部長という立場にあった人間が、宗旨の根幹である御本尊を偽物と言った
のである。無信心の大バカ者である。大御本尊否定、先師否定、相承箱不明、
昭和53年4月15日に達師から相承されたと言うも証人無し。達師が、阿部を
次期法主にするなら何故、能化にしなかったのか? 散々、河辺を利用して
おきながら、『偽物発言は河辺の「記録ミス」』と言って責任を河辺に押しつけた。
悪事を人のせいにしてきた。日顕は法主詐称をして26年間、宗門を破壊し、
全ての僧俗を欺き続けてきた。こんな法滅の坊主を「隠尊」などと持ち上げ、
未だに世田谷と蓮葉庵に居させていいのか? 河辺が「アレは除歴しなきゃならん。
67世はいない」と指摘したのは、日顕の命の本質を知りすぎているからだ。
唯一残された道は除歴しかない。日顕よ!早く白山寺の墓へ帰れ!
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000654.jpg
64
:
検証会議
:2009/03/27(金) 00:50:49
同盟通信 No130
2009-03-23
=相承箱問題、ついに法廷へ。
京都地裁、山口法興師の上申書を受理。住本寺占拠問題は、審理入りへ! 宗
内僧俗大ショック。審理の行方や、いかに? =
3月3日、京都地裁321号室は、午前10時30分過ぎには、すでに超満員となった。
11時から始まる、京都市(東山)住本寺、現住・山口師に対する、宗門側からの
寺院建物明け渡し請求等の裁判の第1回審理を傍聴しようとしてきた両者側の人達で
ある。宗門側の方が大分多い。
これまでは、正信会系寺院の住職が死去すれば、例外なくすべてその寺院は
明け渡され、宗門側のものとなってきたので、今回も当然、同結果となるはずであり、
山口師一派の所行もムダな抵抗に終わるはずである、と宗門側の者達が思ったのも無理
からぬ。
裁判官、両者側の弁護士のやりとりによって審理が進められるに従って両者側の明暗
が次第に分かればじめ、審理開始後約30分、審理終了時には、はっきりとなった。
裁判長は、山口現住の提出した上申書中の「相承箱」に大きな関心を示し、
審理を継続とし、次回は、4月20日、多くの傍聴人を収容できる法廷で行うと告げた。
裁判所が山口師側の主張を却下し、住本寺は本山側に明け渡されることを期待して
いた宗門側僧俗は、ショックと不安の面持ちで、或る者は声もなく、或る者は
日顕前法主のごとく裁判官を誹謗し、また、或る者は必ず勝つなどと言いながら
立ち去った。
山口師側は、喜色、確信、満面の体で、今後の決意を話し合いながら地裁を後にした。
日顕の法主詐称、また、相承箱が大石寺にないことは同盟の厳しい追及によって
すでに明白であるが、今後の法廷の審理によって世間にますます知れ渡ることに
なろう。「相承箱は総本山御宝蔵より一歩も出ていない(日顕前法主)」などと
言い張っても、もはや説得力はゼロであり、4月の虫払会にでも相承箱を
出さなければ、宗内僧俗は到底、心中納得せず、やはりないから出せないのだ、
と思わざるを得まい。今後の推移に注視したい。
(憂宗護法同盟員より)
65
:
検証会議
:2009/03/27(金) 23:51:47
顕正会短信
2009-03-28
他団体の昔の発言ばかり使う顕正会員は
浅井の過去の発言をじっくり読んでみよ!①
今に始まったことではないが、顕正会員は、昭和30年代の「大白蓮華」などから
「国立戒壇」という文言を拾い集めて「昔は国立戒壇と主張していたではないか」と
得意げに話す浅井の弁舌に酔わされている。しかし「国立戒壇」のルーツが邪教
「国柱会」田中智学の「本化妙宗式目」であったことは、今や広く知られている
ところだ。田中の言う「国立戒壇」建立の条件は「天皇の帰依」「勅宣」
「国民大勢の入信」そして「御教書」がセットになっている。これはまさに顕正会の
いう「国立戒壇」と同じではないか。浅井は田中の弟子だったのか?その事実を
ひた隠して、浅井昭衛は自著の中で繰り返し「歴代上人も国立戒壇と言っている。
そのものズバリではないが意は明らか」などと意味不明な主張を繰り返している。
中には明治以前の「本門戒壇」に関する言辞を「国立戒壇」と解釈しているものまで
ある。浅井の脳味噌は腐っているようだが、このように刷りこまれた顕正会員は、
この意味不明な解釈を振りかざして対論をして返り討ちに遭い、却って浅井のペテン師
ぶりを知らされ、浅井に愛想を尽かすのだ。
ではなぜ浅井がペテンだと知ることになるのか。それは、顕正会員が知らない
顕正会の歴史を顕正会員以外が詳しく知っていることへの疑問と、顕正会にいては
決して知ることのできなかった浅井の過去の「請願破り」の変遷を知ることになる
からだ。
有名なところでは昭和57年、「妙信講」から「顕正会」に改称した総会での
「あと25年で広宣流布できなければ核戦争によって日本も世界も滅ぶ」というもの。
すでに予言から25年を過ぎたが、世界が核戦争で滅びたという報道は為されて
いない。ちなみに、人類滅亡関係では、平成6年9月に「残された時間はあと20年
(平成26年)」と修正をしたが、いい加減なものだ。
そして平成の世に顕正会を風靡した「100万達成」期限の変遷はさらにいい加減
だった。昭和62年に「あと9年(平成8年)」と宣言したのが平成2年に「断じて
平成10年までに」とし、更に平成7年に「平成14年までに断じて」と延ばし
続けて、とうとう平成14年には達成できなかった。結局、翌平成15年11月
(旧暦10月13日)には間違いなく達成できると計算し、3度目の期限延長を行い、
やっと公称100万を達成したのだ。その際に建てられた「百萬達成」と刻まれた
「大標識タワー」は平成18年に予告もなく撤去されてしまった。
(②に続く)
66
:
検証会議
:2009/03/28(土) 11:23:27
大石寺短信 第458号
平成21年3月27日(金)
日顕宗の動き
1.「7万5千」のずさんな実態 次々と浮き彫りに
残りわずか4カ月と迫った7万5千結集(7月26日)。今、そのずさん極まりない計画の
実態が次々と浮き彫りになっている。
新たに明らかになったこととして宿泊場所の問題がある。「雨さえしのげればよい」
とばかりに、搭中坊の建て替え時に建てた粗末なプレハブ小屋も使うという。しかし、
本山内の建物だけではまかなえず、妙蓮寺、下之坊など周辺の寺を使うことに
なったが、宿泊させられる参加者は気の毒だ。たとえば妙蓮寺から本山までは徒歩で
30分もかかり、下之坊からも40分はかかる。当日は多くのバスが本山周辺に集まる
ため、交通渋滞は必至で、タクシーを呼ぶことなどできない。参加者は長い距離を
歩いて本山を目指さなければならないのだ。
3月18日付「創価新報」でも紹介されている通り、日顕宗執行部は、7万5千総会に
貸切バスで参加する末寺に対し、バス乗務員へのアンケート調査を行うよう命じた。
要するに、警察から「開催日が迫っているというのに、バスの運行計画があまりに
ずさんだ」と叱られ、あわてて調査に乗り出したというわけだが、このことに象徴
されるように、無謀な結集を強行する割には準備があまりにいい加減。警察の目の
届かないところでは、ずさん極まりないことが行われているのだ。
今回同様、夏場の昼間に開催して事故が続発し、多くの病人、死人が出た15年前の
「6万登山」。あの時の失敗の教訓は全く生かされていない。無能、無責任、無慈悲の
極みの日顕宗に信じてついていくと、ろくなことはない。
2.日顕の“盗座問題”法廷で検証へ
憂宗護法同盟発行の「同盟通信」によると、正信会坊主・山口某に対し日顕宗が
起こした寺院建物明け渡し請求の裁判で、裁判長が、山口が提出した上申書に
出てくる「相承箱」に大きな関心を示しているという。この裁判は、正信会の前住職が
死んだ後、寺に居座っている山口に日顕宗が明け渡しを求めているもの。これまでの
事例では、正信会坊主が死んだ後、寺は日顕宗に返還されることになっており、今回も
すんなり返還命令が下されると思われていた。しかし、日顕が日達法主から受け取って
いなければならない「相承箱」の存在に注目した裁判長が、審理の継続を決めたと
「同盟通信」は報じている。
簡単に勝訴できると踏んでいたところに、思わぬ「待った」をかけられた日顕宗
関係者はショックを受けているという。が、それ以上に衝撃を受けたのは日顕だ。
自身の"アキレス腱"である相承問題が白日のもとにさらされようとしているからだ。
この問題が検証されたなら、日達法主から相承を受けていない事実が公になって
しまう。まさに戦々恐々といったところだろう。「同盟通信」は「4月の虫払会にでも
相承箱を出さなければ、宗内僧俗は到底、心中納得せず、やはりないから出せない
のだ、と思わざるを得まい」と手厳しい。
愚息・信彰の暴力事件に続く、自身の盗座問題への追及。日顕は夜も眠れぬ日々を
過ごすことになろう。
67
:
検証会議
:2009/03/28(土) 11:29:25
フェイク 第1006号
(発行=09.03.28)
金のため謗法も容認した日蓮正宗
大石寺は宗開両祖の御精神が完全に消滅
祈祷や呪術の本、仏像の広告も機関誌に掲載
日顕の父・阿部日開が発行責任者であった日蓮正宗機関誌「白蓮華」に
「織物御本尊」の広告を掲載していた驚くべき謗法行為を本紙前号で紹介した。
すると、慌てた間抜けな法華講員が「破折」と称して的外れな戯言を述べていた。
「このような広告を是としていたわけではない」「日蓮正宗が単独に認められたのは、
大正元年であるが、今だ時代背景は過去を引きずっておった」と珍妙な弁解。
これは破折になっていない。「あの広告は謗法」と認めているのと同じである。
この「今だ」は「未だ」の間違いだが、低レベルの講員は、大正年間は日蓮正宗と
して独立してから日も浅いため、邪宗日蓮宗の謗法の過去を引きずっていたので
謗法広告は見逃してほしいと哀願しているようだ。
こんな宗門の謗法体質を改革したのが昭和五年に誕生した創価学会であった。
また、この愚かな講員は「本山御用達とは、一体どの本山なのか?邪宗であろう!」
とも述べている。邪宗の「本山御用達」の広告を宗門機関誌が掲載したから問題視して
いるのだ。
左の不気味な広告も「白蓮華」に掲載されたものである。この他、衆生救済の書と
謳った「祈祷秘要録」という祈祷・呪術の本、説法のタネ本「説教百座要集」、
各宗派の位牌、過去帳の類、仏像、木魚や仏具の広告も載せていた。
これも日蓮宗他派と日蓮正宗を「同門」とみなしていたから掲載したと弁解する
つもりか?
ところが、京都・本願寺が推奨する「薬」の広告もある。「六神丸」の薬屋は
「大谷派議制局ヨリ賞讃書賜」とか「本派本願寺事務所」
「本山本法寺貫主伊藤日修猊下」から称賛されたことを謳い文句にしている。
これを機関誌に掲載した宗門は日蓮宗他派に加えて「念仏無間」の害毒にも
浸かっていた。これが学会出現以前の宗門の姿であった。
謗法広告を追及されて困り果てた某講員が
「広告欄は他宗の本尊の宣伝をしてもよい」と遁辞を述べていたが、能天気な野郎だ。
奴らは金のためなら謗法にも迎合する狂った感覚で、破折の精神は微塵もない。
学会が決別した現在の日蓮正宗からは、宗開両祖の御精神が完全に消滅しているので
ある。
…………………
「白蓮華」に掲載された邪宗・邪師の広告
68
:
検証会議
:2009/03/28(土) 22:10:49
顕正会短信
2009-03-29
他団体の昔の発言ばかり使う顕正会員は
浅井の過去の発言をじっくり読んでみよ!②
更には平成10年秋の「環御を祝う集会」とやらでの「一千万を誓い奉る」発言だ。
この際、浅井は「顕正会会長として謹んで大聖人様に誓い奉る。一千万は
あと15年、平成25年までに必ず成し遂げる」と東京国際フォーラムホールを
埋め尽くして紅涙咽ぶ会員らの前で宣言したのだが、これが大嘘だったことは、
この集会の模様を収録した映像でハッキリとわかる。浅井はこの「宣言」の直後に
ペロッと舌を出していたのだ。まるで「な〜んちゃって♪」とでも言わんばかりの
タイミングの良さで舌を出したものだ。youtubeでも見ることができるのでお探しあれ。
極めつけは、この発言から6年後の平成16年8月、横浜国際会議場で行われた
「幹部大会」の席上、突如「三百万をあと10年(=平成26年)で」とブチ上げ、
場内から沸き起こったおよそ11分という長い拍手を受けて悦にいった浅井は
「自ら拍手を制止した」と報じられたが、拍手の本音は「あと10年で一千万なんて
できっこないじゃん。これで厳しいノルマから解放される」という会員らの安堵
だった。しかし今、期限があと五年と迫ってきたにもかかわらず未だ百三十万弱。
しかも期限の平成26年には人類滅亡阻止のため広宣流布・国立戒壇建立を成し遂げて
いなければならないはずだが、たった三百万でいいのか?そもそも、この「三百万」
すらどこから捻り出してきた数字なのか説明がない。しかし思いつくとすれば、
浅井の学会コンプレックスの激しさか、よほど遥か昔に学会が三百万を成し遂げたこと
が羨ましく、真似たく思っているのだ。
しかし、期限どおりに三百万達成できると考えているのは浅井昭衛だけ……
いや、浅井は本気でそう思っていない。第一、浅井の存命中に三百万などできない
ことは今までの誓願破りの経験から、浅井自身が良く知っている。
だからオヤジの思いつきに踊らされて会員にハッパをかけ続けなければならない
次男坊や娘婿らが哀れだ。さぞ毎月の「請願」とやらに追いまくられる末端の会員は
おろか、すぐ下の幹部連中らからも相当な恨みを買っているはずだ。
顕正会では「請願」を2回破ると降格となる。では浅井はいままでに何度「請願」を
破り、先延ばししてきただろうか。すでに除名させられてもいいぐらい「請願」を
破りまくっているではないか。
と、ここまでの説明を対面で懇切丁寧にしてあげると、たぶん顕正会員にもわかって
もらえるだろう。ただし相手が聞く耳を持っていればの話だが。
(③に続く)
69
:
検証会議
:2009/03/29(日) 22:12:38
顕正会短信
2009-03-30
他団体の昔の発言ばかり使う顕正会員は
浅井の過去の発言をじっくり読んでみよ!③
さて、いまや顕正会内部ではタブーとさえ言われている「一千万」だが、筆者が
顕正会員と対話したときにこの話題を切り出すと10人中8人は話を遮り「あなたには
罰が出ますよ」などと脅迫まがいの言葉を吐いて席を立つ。それだけ痛い話なのだ。
その「一千万」に関する平成9年8月の浅井の与太話。このとき顕正会は公称五十万。
「顕正会の歴史において、不思議なことに二十倍の折伏が。過去2回とも18年
かかった。だから一千万になるのは今から18年後(平成27年)。」
過去2回とは一回目が昭和36年から昭和54年までの18年間で1250から
二万五千に、二回目が平成9年までの18年間で二万五千が五十万になったということ
を指す。しかし昭和54年以降、特に平成になってからの中身のない数字の積み上げの
中で入信してきた者の教科書は、切り文の御書を都合よく引用し、歴代の日蓮正宗法主
の本門戒壇に関する発言を「国立戒壇の意明らか」などと我流に解釈して喧伝する浅井
の駄本である。その駄本にはいまでも「一千万を誓い奉る」と掲載されているが、いつ
削除されるか楽しみである。その駄本ですら年末年始に丸暗記して1月の試験で吐き
だせばカラッポとなるような教学しか得られず、浅井の軍事評論と地震予知、そして
お決まりの「誓い奉る〜」に煽られ、いうがままの拡大路線をひた走らされついて
いけなくなり、どんどん脱落しているのが実情。公称会員数は浅井のメタボ腹のように
膨らんでいるが、それを支える実働数は20倍になったどころか公称会員数の
「20分の1」ではないか。呵呵大笑。
続けて浅井はこうも勇ましい発言を残している。
「今度ばかりは18年もかける気は毛頭ない。日本には時間がない。ゆえにあと
15年(平成24年)」今年は平成21年だからあと3年で一千万にならなければ
ならない。しかし今の顕正会は3年後の一千万はおろか三百万すら不可能だ。不思議な
ことに過去2回、18年で20倍の弘通を成し遂げてきたと語った浅井だったが、今回
の18年ではせいぜい3倍にしかならない。このペースでは果たして一千万はいつ達成
できるのか。間違いなく浅井が生きている間には不可能だ。三百万すら不可能だ。
ところで、前総合女子部長は3月度総幹部会の壇上に座っていただろうか。一部には
脳梗塞との情報もあるが、彼女こそ35年連れ添った浅井の側近中の側近、度重なる
予言の変遷について、ぜひ感想を聞いてみたいものだ。
70
:
検証会議
:2009/03/31(火) 12:32:10
フェイク 第1007号
(発行=09.03.30)
功徳なし、体調崩す人や死亡事故
五十万総登山の参加者に渦巻く不平不満
一度の登山で三回も御開扉を受けるケースも
日顕宗の五十万総登山は法華講員に経済的にも肉体的、精神的にも過重負担を
強いているため不平不満が噴出、事故も相次いでいる。
講中幹部は「無理に誘って来たが誰も喜んでくれない」と嘆き、ある登山者は
「布教講演会に出たが『学会員を折伏しろ』と命令口調で言われて、全然、面白く
ない。一度聞いただけでウンザリだ」と話していた。
妊娠中の婦人が、記念展を見学して「ものすごく疲れた」と言い、足の不自由な
講員も「宝物殿へ行ったが、見るべき物は何も無かった。もう二度と行かない」と
憤慨していた。
また、早瀬日如が下手な字で書いた「立正」の色紙とか袱紗を貰うが、これがまた
評判が悪い。「こんな物は要らない。何度も登山するから同じ記念品ばかりで処分に
困る」と不評なのである。その同じ袱紗が赤ん坊にも渡されていた。
どうやら赤ん坊の名前で親に供養させて安物の袱紗を渡しているようだ。
ここにきて面白い現象も見られる。九州や北海道など遠隔地からの登山の場合、
着山した日に御開扉を受け、翌日の午前中にも二回目の御開扉を受けてから下山する
パターンは定着してきたが、一度の登山で三回も御開扉を受けるケースも出始めた。
こんな手を使わないと、各支部ともノルマを達成できないのである。
また、人気のない宝物殿の見学は、先日から支部の裁量に任されるように変わった
せいか、売店にくる登山者の数も少し増えてきた。
しかし、今年は十回前後も登山しなければならないため、旅費の負担が家計を圧迫
し、売店で買う土産物も三百十五円のお茶とか、三百円の羊羹一本、二百六十円の
味噌飴を一袋というように単価の低い物ばかりで、せいぜい一人で千円前後の買い物が
ほとんどのようである。
二十八日から「千円走り放題」の高速料金の大幅値下げの政策の恩恵を受け、
自家用車で登山した講員もいた。
一方、四国からバスで登山した支部は土曜日に四国を出て、バスの中で一夜を
明かして、大石寺には翌朝、着山した。
ところが、御開扉を受けた後、そのままバスで下山という無謀なスケジュール。
健康な若者でも体力を消耗する長距離バスでの往復である。高齢者や車椅子の人が多い
登山者は体調を崩すに違いない。
事実、福島県いわき市の妙法寺の婦人講員が登山帰りのバスの中で頭上の荷物を
取ろうとして倒れ、意識不明になり、死亡した。
この婦人は心臓に持病があり、家族からは無理して登山するなと言われていた。
家族の忠告を受け入れておけば死なずに済んだものを登山したため、気の毒にも命を
落としてしまった。
登山しても功徳はない。不幸と悲劇の根源である。
………………………
連れ出された登山者の中に高齢者、車椅子の人が目立つ
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000657.jpg
71
:
検証会議
:2009/03/31(火) 22:03:07
勝ち戦 第132号
2009年3月31日(火)
法導院に天魔・日顕が来る!
総監の寺、折伏達成率6%!
過半数の信者が「寝ている状態」「退転状態」
法道院(豊島区)第三代主管・早瀬日慈の第一七回忌法要が六月三日に行なわれる
が、これには日慈の息子・日如と、隠尊・日顕が出席することになっている。
「風を呼ぶ男」天魔・日顕の出仕とあれば、突然の雹や雷雨に見舞われる恐れが
あるため、注意が必要だ。
副講頭の矢澤は、三月八日の御講で、「折伏を忘れた私達であっては、この
六月三日を心から晴れて迎えることは出来ない」と、折伏を忘れた集団と化した
法道院の信徒にはっぱをかけていた。三月十六日現在の法道院の折伏成果は、目標
三一七世帯に対し、たったの二二世帯。達成率六%と未だに一桁台を彷徨っている。
まさに、「折伏を忘れた集団」というネーミングがぴったりだ。
法道院の折伏の低迷は、日如が主管の時代から顕著であったが、八木が主管に
なってからは、更に坂を転げ落ちるように低迷を極めている。
過去五年間の推移を見れば、「これが総監の寺の成果か・・・」と、全国の
末寺住職はある種の安心感を覚えるだろう。
年間目標五百世帯に対し
* 平成十六年(日如)・二一八世帯、達成率四三%。
* 平成一七年(日如)・一七八世帯、達成率三五%。
* 平成一八年(八木)・一一〇世帯、達成率二二%。
* 平成一九年(八木)・五九世帯、達成率一一%。
* 平成二〇年(八木)・一二三世帯、達成率二八%。
(平成二〇年は、目標を四三六世帯に下方修正)
低迷の原因が八木の指導力不足であることは誰の目にも明らかだが、本人は
その自覚すらない。
昨年十二月の総幹部会で八木は、
「今年の折伏成果は昨年と同じですか?(所化に確認)昨年の成果と?(声を荒げて)
大ざっぱでいい!『躍進』とまでは言えないです。『進』ぐらいかな(失笑)。
そういうことであります」
と、まるで他人事だ。
結集状況も最悪で、寺離れが加速している。
三月一日の広布唱題会で八木は、同月二二日の支部総登山の結集について
「三千名の目標を達成しなければ、我々の本年の八千三百六名の目標は達成
できません」と危機感を煽ったが、結果は大幅未達。八木の宣言通り、年間目標を
達成出来ないことが確実になった。
また、「我が講中は一体どのくらいの人達がいるかご存知ですか?七千名いるん
ですよ。そうは思えない?周りを見て。それはやっぱりねぇ、寝ている人が多いと
いうことですよ。その内、千名の人が内得信仰で退転状態です」と悲惨な内情を暴露。
必死に足掻いても三千名集まらないのが実状。四千名以上の信者が「寝ている状態」
「退転状態」ということだ。
全国の末寺が同様の衰退ぶりだ。宗門全体の崩壊、元凶は天魔・日顕だ!(転載可)
72
:
検証会議
:2009/04/01(水) 17:25:09
同盟通信 No.128 2009.3.2
=得成寺に前触れもなく乗り込んだ渉外部長たちの非常識。
機能不全に陥った宗務院に宗会はどう出るのか。=
阿部庶務部長から査問の末、暴行を受けた里内信徳師が住職を務める網走・得成寺に
秋元捗外部長ら4名が突然訪れたのは1月20日のことだった。事前に何の連絡もなく、
しかも夕勤行のさなかに、だ。これだけでも非常識極まりない行動である。そのうえ、
約3時間も里内師に寺院の会計について問いただしたという。まず、なぜ渉外部長が
出向いたのか。末寺の担当は庶務部ではないのか。滅多にお出ましにならない渉外部長
が2名の部下を従えて北海道の果てまで出張し、揚げ句何日も滞在せざるをえなかった
背景には愚息の危機を思いやる隠尊の影が見え隠れしている。
当の里内師は2月15日に行われた釧路・興徳寺での布教区の広布推進会に姿を
見せた。事件の方は、警察から検察の手に渡ったと伝えられている。有罪の可能性が
高まっている。もし、庶務部長に有罪判決が下れば、宗規第235条の「6 本宗僧侶と
しての品位を失うべき非行を犯した者」「7 その他本宗僧侶として相応しくない
言動をした者」に照らして、当然、庶務部長は懲戒処分となるだろう。
今回の事件には総監も同席しており、当事者の一人としてかかわっている。こうした
異常事態下では、事件への対応を宗務院がすることはもはや無理である。幸い、4日
から宗会が開かれる。先日の記念局の会議では三門の塗装工事の予算額の多寡について
勇気ある発言があったと伝えられたが、宗会でも事件への対応について活発に議論して
もらいたい。宗会の会期は3日間、時間はたっぷりあるはずだ。宗会は去年も隠尊夫人
のマンション疑惑問題を避けて通った。今年、もし唯々諾々と予算を原案どおり可決
するのみで、宗内焦眉の懸案である庶務部長の傷害事件について何のコメントも
出せず、宗務院に何の勧告も出せないようなら、宗会はもはや御用宗会と譏られても
しかたあるまい。
73
:
M95599
:2009/04/01(水) 19:15:26
こんにちは!
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74
:
検証会議
:2009/04/02(木) 00:25:17
同盟通信 No129
2009-03-18
="援助寺院"でない得成寺が問題にされたのは財政破綻。
次の標的は百数十の援助寺院か!?=
今、注目の得成寺が宗務院から問題にされているのは財政破綻だという。
ところが財政破綻とされる当の得成寺は宗務院から援助はうけていない。
北の果て北海道・網走でがんばっているのだ。
一方、宗内には百数十の援助寺院がある。本年も宗会で予算が検討されたが、宗費が
約6億円であるのに対して、援助寺院への補助金が約4億円、大学科への補助が約1億円
となっている。
宗費の殆どが援助寺院と法教院に流れているわけだ。宗門の二つの大きなお荷物に
宗務院予算が費やされる構図は、この数年変わっていない。今年、寺院への賦課金の
1箇口は増額になるようだ。
これは、等級の上の方の寺が下位に下がっていったのに伴い、その分のしわ寄せが
賦課金の増加につながったものだ。援助予備軍の30等寺院はますます増えつづけ、
全寺院の半数に迫る勢いだ。なんのことはない、腹のすいたタコが自分の足を食って
当座の飢えをしのいでいる図である。
先日、7万5千総会のバス乗務員のアンケートの依頼があったが、あの文面をよく
読むと、警察当局から指導があったことがうかがえる。警察などからの外圧がないと、
宗門は変わることができないのか。
庶務部長の傷害事件に対して司法の厳しい判断が下った時の宗務院の対応が見もの
だ。
最後に一言。宗務院から援助金を戴いている寺院の住職の皆さん、得成寺が問題と
されているのは財政破綻。しかし、得成寺は援助はうけていない。
すでに破綻している援助寺院は当然処分の対象になりますので、ご注意を!
でも、今日の宗門全体の窮状を招いたのはそもそも誰だったのですかね?
(憂宗護法同盟員より)
75
:
検証会議
:2009/04/02(木) 13:06:32
フェイク 第1008号
2009年(平成21年)4月1日(水)
寛尊書写の御本尊に功徳は厳然
三宝を破壊した日顕宗のデマビラを粉砕
「法主の開眼」は不要、過去の在り方が証明
日顕宗が最近、性懲りもなく学会批判のデマビラを東京都内などで撒き散らして
いる。
ビラは三種類で、内容は既に学会側に破折され尽くしたものばかりだが、このうち
二種類の片面は、いずれも日寛上人書写の御本尊を誹謗したもので看過できない。
なかでも「妙教」編集室が作成したビラには「ニセ本尊は不幸のもと」と大書きし、
「相伝のないニセ本尊」と非難したうえ、御本尊に「魔仏」と落書きした写真まで
載せている。
別のビラにも「ニセ本尊は不幸の根源!」と書いて「開眼がない魔の住処」等と
悪口を書き連ねている。これは御本尊不敬であり、三宝を破壊した日顕宗ならではの
大謗法のビラである。日顕宗の僧俗がいくら誹謗しても、寛尊書写の御本尊には厳然と
功徳がある。
また、過去の御本尊授与の在り方を見ると「法主が開眼した」というのは真っ赤な
ウソである。御本尊の功力は法主の開眼、許可とは何の関係もない。
学会が出現した昭和初期以降、御本尊授与の実態は次のようになっている。
昭和の初期
◇戦前・戦後を通して東京周辺の主要寺院で、例えば、妙光寺は五十五世日布、
法道院は五十六世日応、常在寺は五十七世日正というように有縁の法主の御形木を
開眼しないで授与していた。
◇遠隔地の信徒の場合、御本尊を印刷した和紙をそのまま授与し、信徒が自分で
表具店に出して表装する場合もあった。昭和三十年代前半(日淳法主の時代)
◇東京・豊島区池袋の法道院で日寛上人御書写の御本尊の授与書きを削って印刷。
◇付き合いのある表具店をもつ末寺は、表装前の和紙の状態の御本尊を、基本的には
百枚一束で法道院から購入し、表装に出していた。
◇専属の表具店をもたない末寺は、法道院から表具店に出してもらい、表装済みの
御本尊を発送してもらっていた。昭和三十年代後半(日達法主の時代)
◇法道院で印刷した日寛上人書写の御本尊を法道院が表具店に出し、表装済みの
御本尊を法道院から各末寺へ開眼せずに発送していた。昭和四十年代〜五四年
(日達法主の時代)
◇日達法主書写の御本尊を法道院で印刷。法道院が表具店に出し、表装済みの御本尊
を法道院から各末寺へ発送していた。昭和五四年以降(日顕の時代)
◇本山に御本尊を取り扱う内事部第三課を設置してからは、富士宮市内のK印刷で
ニセ法主の日顕が模写した偽造本尊を印刷していた。
◇印刷会社から第三課に届いた模造本尊は、第三課の坊主が印刷状態と枚数を点検
し、状態の悪いものは破棄していた。
◇その後、群馬県のO表具店など幾つかの表具店に出して表装していた。
◇表装された御本尊は再び第三課に返送されて納品される。第三課では検査の後、
別の段ボールに詰め換えて末寺の入金に応じて宅配便で配送していた。
☆ ☆
以上の通り、法主もニセ法主も開眼はしていない。「(法主によって)御開眼され、
総本山より下附されてきた」(平成五年九月七日「宗門文書」)は真っ赤なウソなので
ある。
76
:
検証会議
:2009/04/04(土) 22:53:44
越 洋
平成21年4月2日
最近、また宗門は性懲りもなく「正本堂裁判」について盲信者達を使って
ビラを配り、騒ぎ立てている。この裁判は、800万信徒の真心を踏みにじり、
達師が訓諭で「本門事の戒壇」と仰せになった「正本堂」を破壊するという日顕の
狂乱に対して、御供養に参加した会員有志が裁判を起こしたものである。
本質的な問題はどこにあるのか、それは、かって日顕自ら、「正本堂は事の戒壇」で
あると言っておきながら、状況が変わって、今度は自分の嫉妬から正本堂を壊したく
なり、正本堂にイチャモンをつけたのである。裁判では、鋭く見抜かれ「自語相違で
ある」と嘘つきの本質を指摘され、判決の上に確定しているのである。
日顕はじめ宗門は、信徒の信心の真心を全く感じない輩である。その体質こそ、
日顕らが反大聖人であり、天魔の証左なのである。
五十億円近くを要した解体費用。その時、大草は業者を紹介し、甘い汁を吸ったと
いう噂が飛び交っていた。そして、哀れにも解体業者は倒産。
ともあれ、裁判云々というなら、日顕が昭和五十三年四月十五日に日達法主から
「内付嘱」を受けたと言っている日顕の重要証拠の「日記」を出してから言え!
「相承箱」は作れても中身は作れないのだ!
77
:
検証会議
:2009/04/04(土) 23:59:15
フェイク 第1009号
(発行=09.04.02)
「布施ばかり欲しがる乞食坊主」
戸田二代会長の「寸鉄」に見る坊主の堕落 ①
「御僧侶と坊主の違いは、その信心で計る」
四月二日は創価学会の第二代会長・戸田城聖先生の祥月命日である。戸田会長は
昭和三十三年、大石寺に大講堂を建立寄進され、広宣流布の後事を池田室長に託して
霊山へ旅立たれた。
その後、戸田会長の遺言、構想は第三代会長に就任された池田先生によって悉く
実現されたのである。
今号では、戸田会長の命日に因んで、同会長執筆の「寸鉄」の中から主なものを
以下に紹介する。
戸田会長は宗門外護に撤し、日亨上人のような僧侶とは親しく懇談されていたが、
その一方で、腐敗僧、堕落坊主には実に厳しかった。若い頃の日顕も叱責されたとの
ことである。
戸田会長を尊敬するという大草一男ら妙観講員、それに日顕宗の僧俗は、戸田会長
執筆の「寸鉄」を肝に銘じるべきである。
◇
一、世間の評判を気にする坊主は生臭(なまぐさ)坊主だ。
一、折伏もしないで折伏する信者にケチつける坊主は糞(くそ)坊主だ。
一、尊敬される資格もないくせして大聖人の御袖の下にかくれて尊敬されたがって居る
坊主は狐(きつね)坊主だ。
一、御布施ばかり欲しがる坊主は乞食(こじき)坊主だ。
一、神本仏迹論なんて言う坊主は化物(ばけもの)坊主である。
(昭和二十六年五月十日付)
◇
一、化物坊主と寸鉄居士の大喝でおこった坊主があるげな。寸鉄居士その坊主を呼んで
曰く「第六天坊主」と。
(昭和二十六年七月一日)
◇
一、宝のもちぐされということがあるが、どこの寺のことだ。
一、立宗七百年が来る。大聖人様はどんな事を喜ばれるであろう。なに!梵鐘を作れば
よいと、火事が起こってから半鐘を作って間に合うか。
一、軍部におどされて梵鐘を取り上げられ、軍部が消えたら又作り出す。奥さんの前で
ヘイヘイして、居なくなればつまみ食いする女中のような坊主だ。
一、日興上人の遺誡置文を守って居られる方は御坊様、守らん僧侶は坊主、邪宗の僧は
高等乞食というんだ、よくおぼえておけ。
(昭和二十六年七月十日付)
◇
一、御山でゴシュ(御酒)は作ってもゴショ(御書)は作れぬ坊主が居るってね。
一、御盆廻りで忙しい坊主も居るし、折伏廻りで忙しい信者も居るし、全く世の中は
さまざまだ、アア――。
一、御盆廻りって何の事かね、檀家の先祖を供養する事かね。それとも供養される事
かね。
(昭和二十六年七月二十日付)
◇
一、寸鉄居士よ御僧侶を坊主などと呼ぶと地獄へ堕ちるぞ!
一、寸鉄居士答えて曰く「御僧侶を坊主と言った覚えなく、坊主を僧侶と呼んだおぼえ
はない」。
一、坊主が御僧侶の衣をつけたのと御僧侶が坊主の姿に見えるのとは皆信心のはかりで
はかるんだよ。
(昭和二十六年八月二十日付) (つづく)
78
:
検証会議
:2009/04/05(日) 10:36:50
フェイク 第1010号
(発行=09.04.02)
宗門は供養の多寡で扱いに差別
戸田二代会長の「寸鉄」に見る坊主の堕落 ②
寺は信心の弱い屑を拾い集め講頭や総代に
戸田二代会長の「寸鉄」を前号に引き続き紹介する。
◇
一、信者はお寺のお客か御本尊様のお客か。
一、一体お客様と云うのはどういうわけか、相手を儲けさせるからお客様か。
一、お寺のお客様ならお寺繁盛のため一人でもいいはずだ。
一、そう云ってしまったら身も蓋もない、御本尊様の客だと申し上げれば誠に
聞こえがよい。しかし腹の中ではお寺の客だと思うから供養の多寡によって扱いに
上下がつく。
一、信者は御本尊様の客じゃない。子供で弟子で家来だ。
(昭和二十六年十二月十日付)
◇
一、宗会の決議では我等の会長が登山止めだそうな、物騒な世の中になったものだ。
一、忠義を尽して謗法を責めて御褒美あるかと思ったに、おほめはなくて「登山まかり
ならん」とおしかりさ。弟子共一同「俺達も一緒に登らんわい、フン」だってさ。
一、何が「フン」だい。決ってるじゃないか、日本全国の信者の声だってさ、
嘘もよい加減にしろ、折伏も出来ず、御衣の権威で偉ばること許りを知っとる坊主の
学会に対するやきもちだからさ。
一、寸鉄居士会長先生に御伺いをたてたら「あんまり騒ぐなよ、こんな目出度いこと
を」とニヤリさ。
一、寸鉄居士ニヤリとして日く宗会議員の諸公は三類の敵人中、第二類か第三類か、
ニヤリ。
(昭和二十七年七月十日付)
◇
一、正宗信者に信心が足りない、旧信者は特に足りない、僧侶の中に特別に足りぬ者が
いる様に見える、国家の救済をどうする気だ。
一、僧侶が世法の事と政治的な考え方ばかりにとらわれているのは信心がないからだ。
一、僧侶は政治家になるべきではないから政治的工作はよせ。
一、僧侶は商売でお寺をやっているんではない、喰うために寺があるなんて考える奴は
風上にも置けんやつだ。
一、布施にまよってはならぬ、山程積んである御本尊の功徳を一日も早く悩める民衆に
施せ、和尚さん面して奥に引っこんで威張っているのは能ではない。
(昭和二十七年九月十日付)
◇
一、信心の弱い信者ばかり集めたがっている坊さんがいる、そんな坊主は学会くずれを
拾って喜んでいる。
一、それぢゃその坊さん屑買いじゃないか、そんな屑集めて何になる。
一、その屑がね、総代になったり副講頭になったり婦人部の幹部になったりしている
よ。
一、学会の屑っていう者は偉いもんだな。屑でないのはすごいたろうね。
一、凄い所か、真金だよ、火にも焼けず水にも漂わず、教学に折伏に大童わだ、
天晴れなものだ(昭和二十七年十月二十日付)
◇
一、旧信者相手にいばってるくせを学会の人々にお出し下さるな、空いばりには驚かぬ
のが学会魂だ。
(昭和二十七年十一月二十日付)
(つづく)
79
:
検証会議
:2009/04/05(日) 10:37:25
フェイク 第1011号
(発行=09.04.02)
「坊主は喰って寝て豚同様の動物」
戸田二代会長の「寸鉄」に見る坊主の堕落 ③
「魔僧は僧衣を脱いで速やかに地獄へ行け」
戸田二代会長の「寸鉄」を前号、前々号に引き続いて紹介しよう。
◇
一、山規法規とやかましいが謗法には手ぬるいね。
(昭和二十七年十二月一日付)
◇
一、仏様でもないくせに仏様のような顔をして威張る坊主が気に入らない。
(昭和二十七年十二月十日付)
◇
一、坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた事が
あるのか。
一、人の死んだ時にお経を上げるのは何のために上げるのか知っているか、お布施
もらうためか死人の供養のためか。
一、死人への供養のためとすれば、ちっとも供養にならないと云う事を知っている
のか、喰ってねて豚同様の動物と云う事を自覚せよ。
(昭和二十八年一月十日付)
◇
一、けれども禿人業と云って坊主商売の奴には責任はないらしい。
一、禿人業でない御僧侶は一体日本に何人いるのかしら名乗り出てもらいたい。
(昭和二十八年四月一日付)
◇
一、御僧侶たりとも、信心および折伏の指導に誤りありと思わば直ちに会長に報告
すべし。(昭和二十八年五月一日付)
◇
一、世に尊敬さるべき方は、大御本尊様唯御一人である事を固く胸に刻め。
一、御僧侶に望む。現時の御僧侶は尊敬さるべき何物も持合せていないと思う。
若し、尊敬を受けたら自ら御自身に言い給え「衣の功徳と御本尊の御威光である」と。
一、焼餅や利慾や自分がいばりたい為に、御殿女中のような争はしてはならぬ。
もっともみっともない事である。
一、時折もれ承れば御僧侶間に御殿女中の様な感情があるそうな、恐るべき事である。
かゝる事ありたる方は自ら卑しみ給え。
(昭和二十八年六月一日付)
◇
一、御僧侶に大法弘通の力がないのは、学問が無いのだとばかり思っていたら信心が
無いからだと判ってびっくりぎょう天。
(昭和二十八年七月十日付)
◇
一、僧侶にして信心なしと云わば毛のなき猿が衣をつけた様なものである。
(昭和二十八年七月二十日付)
◇
一、僧の罪とはいずれより起こりたるか、寸鉄居士断じて曰く「信心なきがゆえに」
と。
一、信心なき坊主は御上人様どころか御下人様である。
一、寸鉄居士曰く「信心なき坊主は見つけ次第速やかに放逐せられん事を」
(昭和二十八年九月十三日付)
◇
一、なげかわしきかな魔の僧侶よ、大御本尊様は大慈大悲の大聖人様が凡夫マル出しの
その凡夫に賜わった事を知らざるか、僧衣をぬいで速かに地獄へ行け。
(昭和二十八年十一月二十二日)
(この項 終り)
80
:
検証会議
:2009/04/07(火) 13:58:43
フェイク 第1012号
(発行=09.04.05)
大石寺への参詣は堕地獄の因
学会員を登山に誘う「慧妙」の駄文を嗤う
宗門は魔僧の巣窟、登山は与同罪に
日顕宗の僧俗に嫌われている「慧妙」が三月十六日付で学会員を登山に誘おうとの
魂胆から愚劣な記事を載せている。それは「創価学会員の皆さんへ」と題して
「御登山の功徳を思い出しましょう」と呼びかける愚かな内容である。
その台詞が実に滑稽だ。「かつては『魂のふるさと』と称して恋い慕っていた」
「春の桜をはじめ、ツツジ、ハス、木犀、紅葉など四季折々の花木が咲き誇り」等と、
まるで昔の恋人への誘いの手紙のような文面である。妙観講の大草一男にしては少し
出来過ぎの感がある。おそらく女性を騙した経験が豊富な堕落坊主が書いたもので
あろう。
学会員に対して「信徒資格は喪失」と言っておきながら、五十万登山の達成が不可能
なため、学会員を登山させようという下心が丸見えの文だが、もう一つの「慧妙」の狙い
は早瀬日如への媚び諂いである。
日如が大草らの妙観講を「親の仇」として憎み、「俺の目の黒いうちに妙観講を
潰す」と言ったことは本紙で再三、取り上げた。
そんな大草や妙観講の奴等が中心になって作っている「慧妙」を日如が毛嫌いしている
のも事実。創刊に関与した日顕が死んだ途端に「慧妙」は廃刊、大草の大講頭解任も
間違いない。そこで日顕が生きている間に日如に取り入ろうとする大草が、学会員への
登山を呼びかけているのだが、こんな「慧妙」の駄文に騙される学会員はいないと断言
する。
さて、学会員が大石寺へ絶対に登山しないのは「大謗法の山」「魔僧の巣窟」と
化しているためである。「慧妙」が「御登山の功徳を思い出しましょう」と書いても、
功徳があったのは二十年前までの話で、今年だけでも初登山で大講頭の石毛が倒れ、
その後も登山者の死亡や行方不明など事件、事故が頻発している。これは功徳がない
証拠だ。
今の大石寺は「大御本尊は偽物」と誹謗した日顕が尊い広宣流布の団体を破門した
うえ、日蓮大聖人、日興上人に違背する五老僧の末流・身延派と頻繁に交流を重ねる
など富士の清流は完全に途絶えてしまった。
家庭の御本尊が大聖人の御精魂
そんな「大謗法の山寺」にノコノコと登山しようものなら「無始以来の謗法の罪障が
消滅し、福徳を積む」どころか、大罰を受ける。
特に、大聖人は「邪宗教に対する布施を止めよ」と戒められ、広布破壊の悪僧共に
供養することを厳しく禁止されているのである。
謗法への供養を戒められている御書は幾つもある。例えば「まことの心なれども供養
せらるる人だにも・あしければ功徳とならず、かへりて悪道におつる事候」と
仰せられている。
善意で真心からの供養をしても、供養を受ける相手が謗法であれば、功徳どころか、
与同罪となり、謗法の共犯者になって堕地獄の因を積む結果になる。
日達法主は「あなた方の各仏壇に安置するところの御本尊様が、大聖人様の御精魂で
ある」(「大日蓮」二〇三号)と述べていた。
登山して謗法の与同罪を受けるような愚かな行為を止め、各家庭で勤行・唱題を
実践し、広布の活動に励むことが肝心なのである。
81
:
検証会議
:2009/04/09(木) 01:51:26
越 洋
平成21年4月6日
前号の「正本堂裁判」については、多くの方から反響を頂いた。もっと日顕の
正本堂破壊の悪行を徹底して、糾弾してほしい等の要望があったので今号でも
取り上げる。
正本堂は、本門戒壇の大御本尊を永久に御安置するために建てられた。1967年に
着工、延べ1万人の方が工事に関わった。そして1972年10月に完成し、当時の金額に
して355億円の浄財で建立された。現在では2000億円を投じても建立出来ないのでは
ないかと専門家は分析している。
特に正本堂で使われた大理石は現在、手に入れようとしても手に入いらない希少な
ものが使われた。「妙・法・蓮・華・経」の五字を象徴した五本の大円柱は、
ギリシャ・ペンテリコン産の白大理石で“ディオニスホワイト”と呼ばれ二千四百年
ほど前、アテネ・アクロポリスの丘に建てられたパルテノン神殿と同じ種類の石が
使われた。また大御本尊が安置された須弥壇の床には、世界でもその数の少ないことで
有名な“オニックス・ローゼモロッコ”というモロッコ産の赤大理石が用いられた。
正本堂設計者の横山公男氏が「正本堂破壊を問う」との副題で1999年1月に『痛哭』
というパンフレットをだされたが、この文章は宗教界のみならず建築業界にも多大な
反響があった。日本建築家協会(JIA)HPでも横山氏の『痛哭』にふれ「早速読んだ時の
驚きは大きかった」と。
JIA時代、副会長を勤めた横山さんの人望に触れ、「そのような建築家の作品の
ほとんどが破壊されているとは何たることか」とコメントを掲載している。
(
http://www.jia.or.jp/topics/kenchikuka/dat/yokokimi.htm
)
日顕が教学部長時代、昭和51年刊『本門事の戒壇の本義』という本の中では「戒壇の
本尊おわします所、直ちに事の戒壇であるから、昭和四十七年建立の正本堂が現実の
事の戒壇である」と明確に言っていた。その釈明もないまま正本堂破壊の日顕の蛮行
は、未来永劫ご破算にすることはできない!!今日、明日は虫払い。害虫・日顕を早急に
駆除せよ!
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000668M.jpg
82
:
検証会議
:2009/04/10(金) 16:33:52
越 洋
平成21年4月9日
本山の桜は満開だが、淋しい。古の先人が「桜切るバカ、梅切らぬバカ」と名言を
残した。昭和46年、大御本尊を荘厳するため大聖人が愛された桜を池田会長(当時)
が池田山に数万本を植樹。それはそれは美事に咲いた桜花は万人の目を楽しませた。
事もあろうに、超馬鹿者の日顕は、男の醜い嫉妬で桜は剪定しないのに数万本の桜を
切ってしまった。今や、大石寺の桜は塔中と潤井川沿いの桜のみになってしまった。
池田山の桜を全て伐採した。日達上人が「わが寺の 心を花に たとえれば 富士を
背に咲く 池田山桜」(昭和46年4月28日 池田山桜植樹祭の砌)と詠まれたが、
今はその桜もない。以前、航空写真を撮るため上空から見た大石寺は富士と正本堂と
桜が大自然にマッチして、壮観だったとカメラマンは語っていた。
今や正本堂も桜もない。登山者もチョボチョボ、増えたのは駐車場のみだ。
今年、『クラブツーリズムの旅』3月号(埼玉・茨城西南版)に「日帰りで行く
桜名所」と題し"三嶋大社・身延山久遠寺・富士宮「大石寺」の三大しだれ桜"と紹介
されていた。「大石寺は5000本のソメイヨシノ、150本のしだれ桜を楽しめます」との
見出しである。大石寺の観光地化に拍車がかかっている。
過去にも何度も企画宣伝されていたが、それに踊らされて来た観光客は大石寺の
少なくなった桜を見て「なーんだ、たいしたことないじゃないか」とがっかりして
いた。プロのカメラマンも「こんなに桜が少なくなったんじゃ、絵にならない」と
嘆いていた、今年の紹介の写真は"身延山久遠寺のしだれ桜だった"
こうした企画も大石寺の全面協力なしでは出来ないことだが、もはや「50万登山」の
達成を諦めて観光で来た人達の数も入れて帳尻あわせをすることは目に見えている。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000669M.jpg
83
:
検証会議
:2009/04/10(金) 21:50:02
石山だより
平成二十一年四月十日
一、毎月、地獄のような布教区ごとの推進会を開催している。展望もない、
希望もわいてこない"まるで生き地獄そのもの"であると参加者は嘆いている。
まず八木、信彰、水島、柳沢、石毛、永井の面々。
彼らは第一に傲慢。第二に元々やる気がない。第三に指導力もない。第四に魅力も
ない。第五に実績もない。いくら指導会をやっても折伏が推進されないのであるから
当然である。要するにマンネリなのである。
指導する側が、智慧がないのだから、当然受ける方はやる気がわいてくるハズが
ない。推進会をやればやるほど後退していく推進会も珍しい。即刻止めるべきだと
思うが、皆さんいかがでしょうか?
一、五十万総登山のための、支部登山が行われている。二泊三日の登山者は、
着山した日と翌日にも御開扉を受けている。そのため、日如さんの袱紗「立正安国」を
その都度もらうので、何枚も貯まってしまう。登山者曰く、「袱紗は何枚も要らない。
日如さんは字が下手で、飾るに飾れない。記念品を別なものにかえればいい。内事部の
連中はそんなことも気がつかないのか!」テレビ番組の「笑点」は座布団十枚で賞品が
貰える。いっそ袱紗十枚ためた講員を登山会に招待したら、登山者も少しは経費が
助かる。
一、御影堂の御本尊の前で、未曾有の大檀那のことを悪口罵詈していた尾林日至と
大村日統。尾林はパーキンソン病で、頭は働いているが、身体は筋肉が萎縮していく。
法務は出来ず入院中。大村は、脳腫瘍を患い、腫瘍の三分の二を切除。今は、コバルト
治療中。
日顕の言いなりでやってきた尾林と大村。日顕に従順に仕えてきた者が病で倒れて
いる。「法主は大御本尊と不二の尊体」と汚れた顕チャンを奉ってきたつけが回って
きた。
(信彰の暴力事件について宗内に箝口令をひく鬱病総監八木。衰退する宗門に
いても、いつ住職になれるのか?夢も希望もない無任所鼠)
84
:
検証会議
:2009/04/10(金) 21:50:40
フェイク 第1013号
(発行=09.04.09)
大石寺、数万本の桜に続き杉も伐採
地球温暖化を加速させる日顕宗は人類の敵
花見客は失望、環境破壊の愚挙に怒り
熔けていく氷河、海面上昇、異常気象、自然生態系への悪影響――地球温暖化は
刻一刻と進行している。
特に、深刻な海面上昇は、主に陸上の氷河や氷床に貯蔵されていた氷が融けて海へと
流れ込んで海水の量が増え、また、水温上昇による海水の膨張も原因といわれている
が、その地球温暖化は現在の想像をはるかに超える深刻な事態が待ち受けているとも
言われている。
温暖化の最終的な結末は、海水が全て蒸発して地球が熱球になって、人類はもとより
生物は悉く死滅するという説もある。
この地球環境問題への対応は人類共通の最重要課題になっており、温暖化を止める
には大植林をして森林を復旧するしかないということは、小学生でも知っている。
ノーベル平和賞受賞者のワンガリ・マータイ博士は「緑の木がなければ人間も生きて
いけない」と述べて、今年末までに七十億本を植樹するという目標を掲げて「環境破壊
の敵とは銃ではなく木で戦う」と植樹を訴え、この呼びかけに応じて植樹する
メキシコ、トルコなどの国も見られる。
我が国でも「緑による環境創造」を提唱している横浜国立大学の宮脇名誉教授の地道
な活動が知られており、植樹に取り組む学校・団体も増えている。
これと逆行する邪教が日顕宗である。北山本門寺から大石寺の三門へ向かう道路の
両側に大石寺所有の杉林があり、その杉の枝が道路に少しはみ出ているとの理由で、
駐車スペースができる程、大々的に切り倒している(写真上)。
これまで数万本の桜を伐採した大石寺は、桜の名所として知られていた池田山も閑散
としている(写真下)。
花見客からは失望の声が聞かれ、地域の人々からは、生命を慈しむ心をもたない
極悪僧の環境破壊に怒りの声が寄せられている。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000671.jpg
85
:
検証会議
:2009/04/11(土) 01:12:02
大石寺短信 第459号
平成21年4月9日(木)
日顕宗の動き
1.大不評の「750年」記念展示
「立正安国論正義顕揚750年」を記念して大石寺の宝物殿で展示が行われている。
しかし、鳴り物入りで始まった割りには、特筆すべき展示物はなく、全国の各支部の
紹介パネルをだらだら並べてお茶をにごしている。当初、登山者は必ず見学することに
なっていたが、「スケジュールが窮屈すぎる」との苦情が出て、早くも「見学するか
しないかは支部の自由」とのお達しが出た。その途端、見学者は激減。一方、
混み始めたのは、それまで閑古鳥が鳴いていた売店である。結局、お座なりのつまらぬ
展示など誰も見たくないのだ。
宗内関係者は語る。「大石寺には『重宝』などほとんどない。毎年のお虫払法要
でも、めぼしい物はどれも末寺から借りてきた物だよ」。大石寺に「宝物(・・)殿」
はふさわしくない。この際、「ガラクタ(・・・・)殿」とでも改称したらどうか。
2.聞いて呆れる「大石寺は常寂光土」
日顕宗では上から下まで登山キャンペーン一色。供養を集めるために、一泊登山で
2回も御開扉に参加させたりしているが、何度も登山させられる法華講の不満を抑える
ために、珍説法をして脅かしている。「大白法」3月16日号では、九州大支院長の
斎藤善道が登場し、「総本山は不思議な霊地」との見出しで、登山をアピール。斎藤
いわく「総本山は『即是れ不可思議にして仏の境界真実の常寂光土』であります。
かかる不思議な所に登山参詣させていただけるのだと感謝し、だからこそ成仏できるの
だと肝に銘ずべきであります」。しかしこれは、「像法決疑経」という経典の文を
こじつけて、勝手に「総本山大石寺は常寂光土」と言っているに過ぎない。
無論、大石寺は「常寂光土」などではない。大聖人とは全く無縁の坊主たちが占拠
している今、日興上人が離山した身延同様、「魔の山」と化している。登山しても
功徳を受けられないどころか、かえって罰をこうむるのである。
斎藤は結びに、「本年は、登山推進に、今生一生の思い出になるような華々しい
精進を」と書いているが、日顕宗の口車に乗せられて50万登山や7万5千総会に参加した
なら、文字通り「一生忘れることのできない悲惨な思い出」が残ることは必定である。
3.委員長・柳沢の話は支離滅裂
最近、法華講連合会委員長の柳沢喜惣次が機関紙「大白法」に出てきて講釈をたれて
いるが、これが全く支離滅裂な内容。質問と答えがかみ合っていない「禅問答」のよう
な代物なのだ。たとえば4月1日号で柳沢は、「私が何を危惧しているのかと言います
と、一人ひとりの持つ我見と己義の問題です」と言いつつも、延々と大聖人が受けた
法難の説明を。ひと段落ついた頃、質問者がしびれを切らしたかのように「先ほど
おっしゃった己義と我見と今のお話はどう関係するのですか」と聞くも、柳沢は
「判っていないのに判ったような気になることを我見と言っているのです。そして、
理屈を言いながら己義を構えて怠けている」と返答。まるきり質問の答えになって
いないのである。
また柳沢は、法華講の若い世代が育っていない原因として、「年輩者に信心の魅力が
ないから」(「大白法」2/16付)と他人事のように言っているが、「年輩者」であり
法華講の責任者である柳沢自身が、こんないい加減な与太話をたれ流している限り、
老若を問わず誰も信心に励もうとは思わないだろう。柳沢は今年で86歳。委員長の後任
はいないのか。法華講関係者がため息混じりに言う。「副委員長の石毛さんも750年
結集委員の永井さんもダメ。それに続く世代もいない」。どこを見渡しても、終末の
様相を呈している日顕宗である。
86
:
検証会議
:2009/04/13(月) 21:34:09
フェイク 第1014号
(発行=09.04.11)
「浅井昭衛はテレビ狂の大バカ者」
定額給付金に関する見当違いの戯言を粉砕
日曜勤行で無知な顕正会員に捏造話
顕正会・浅井昭衛の毎度の与太話に付き合う暇はないので、これまでは捨て置いて
きたが、今月五日の日曜勤行での戯言は看過できない。まず、浅井が「聖愚問答抄」
講義の中で述べた捏造話の骨子を紹介する。
浅井は、生活支援の定額給付金を公明党が党利党略で提案したかのような暴言を
吐いて「次の選挙を有利にしようというんで福田さんに対して押し付けた。福田さんは
その屈辱に耐えかねて投げ出しちゃったんですね。要するに、やりたくない事を
やらせるという事が屈辱だと言って投げ出しちゃった訳でありますが、今になって
みて、あの定額給付金というのは、みんなに評判が悪いでしょう」
この邪見は浅井流の的外れ地震予知と同じで、公になっている事実すらも全く
踏まえていない。
福田首相が退陣を表明した理由は、首相自身が会見で述べたように「緊急経済対策や
消費者庁設置などを実現するため、体制を整えた上で国会に臨むべきだ。新しい布陣の
もと、政策の実現を図っていかないといけないと判断し、辞任を決意した」もので
あった。
定額減税の問題とは全く無関係の話だ。
首相辞任の真意が「新体制による局面打開」にあったことは、朝日新聞の詳細な
「辞任検証」記事(昨年九月七日付)でも裏付けられている。
そもそも「定額給付金」については、マスコミや野党の政治家が批判しているだけ
で、受け取る国民の間では歓迎する声が大半だ。産経新聞(一月十三日付)の調査
でも「給付が決まれば受け取る」が八十五%を占めた。
評論家の田原総一朗氏は「野党やマスメディアが盛んに批判したために、少なからぬ
国民が、給付金には胡散臭さを示さないと具合が悪いと思っている」と指摘
(『週刊朝日』一月二十三日号)。
北村晴男弁護士もテレビ番組で「マスコミのミスリードが大きいので、気をつけて
もらいたい」と苦言を呈していた(十一月九日「ザ・サンデーネクスト」)通りで
ある。
浅井の今回の話は、まさしくマスコミにミスリードされた姿を露にした形だ。
その当の浅井は、先の「講義」の後半でマスコミ批判も展開している。いわく。
「マスコミは大衆迎合主義だ」「テレビを見て、みんなバカになってきた」と。だが
「毎日、テレビの見過ぎでバカになっている」のは浅井自身である。
顕正会では「テレビをみるな」「マスコミを信じるな」と、普段から会員への目隠し
に躍起だが、浅井自身はテレビ狂である。会員が暴力勧誘に狂奔している間、自分は
時代劇やお笑い番組に夢中になっている。その浅井が講義の中で矛盾を晒けだして
しまったのだ。
こんな与太話を有り難がって拝聴させられる末端会員こそ、いい面の皮である。
それにしても「聖愚問答抄」講義で、浅井の「愚者マル出し」の姿。聖人と愚人の
問答ならぬ、愚者と愚者の「グシャグシャ問答」になっていた。
この日の勤行会を後にした参加者が帰途で話していたことも印象深い。「今日の
ご指導だと、浅井センセイ、定額給付金は受け取らないんだろうね」
87
:
検証会議
:2009/04/15(水) 01:24:04
フェイク 第1015号
(発行=09.04.15)
〝供養地獄の獄卒"大講頭・河原が死去
「日顕への奉仕は無益」を証明した腰巾着
「赤ん坊にも供養させろ」等と講員を苦しめる
日顕宗法華講の大講頭で京都・平安寺講頭の河原昭太郎が十四日、京都市内の
第二日赤病院で死亡した。享年八十歳。五年以上前から糖尿病の悪化で歩行困難に
なっていたが、同病院の心臓血液センターに入院。心臓手術で足の動脈を心臓の
バイパスとして移植したが、腎臓も機能していなかった。体は水膨れ状態で、足の
傷口は裂けて悲惨な症状だった。
河原は東京の柳沢と同様、日顕の腰巾着で、四十年以上にわたって従属し、
北近畿地方部長や連合会理事を歴任。六人いる大講頭(他の五人は石毛寅松、
永井藤蔵、渡辺定元、石渡秀男、大草一男)の中でも日顕と最も親しい関係であった。
日顕との付き合いが長い河原は、日顕を喜ばせるためには供養を集めることだと
知り尽くしていた。
そのため、平安寺の講頭、総代として講員から供養を搾り取って日顕に奉仕すること
に専念。御講や班長会でも口を開けば「御供養せよ」と叫び続けていた。
例えば、昨年九月の御講で「供養する者は福十号とある。供養は御法主様の言葉を
信じて供養することで、仏様の言葉を聴くことだ。だから全員がやろう」と支離滅裂の
檄を飛ばしていた。
十一月の御講でも座ったままで「十二月に慶祝御供養がある。猊下をしっかり守る、
それは仏様への供養です」と語るなど「仏様」を悪用しての収奪である。
特に、平成十七年五月七日の平安寺の班長会で河原は「供養した者の名前は猊下に
届いて、どこの寺の誰か、ということが分かる。だから赤ちゃんでも、供養させて
いただく」と赤ん坊にも供養をさせろ、と強要していた。
講員は悲鳴を上げていたが、これこそ河原が「供養地獄で責め立てる獄卒」と
呼ばれた所以である。
また昨年、平安寺の前住職・椎名の葬儀の際、河原は「平安寺の建立当時から学会は
寺に嫌がらせをしていた」と暴言を吐いていた。
法華講の何千・何万倍も供養した学会への嫉妬だが、昭和三十八年に同寺を建立寄進
した学会が、嫌がらせをする筈がないではないか。
「鳥インフルエンザ騒ぎ」 の責任から逃避
平成十六年には「鳥インフルエンザ騒ぎ」があった。この時、河原は鶏肉小売店や
卸業者が加盟する「全国食鳥肉販売業環境衛生同業組合」の会長という業者側の責任者
であったが、何の手も打たず、マスコミの取材から逃げ回り、日顕宗の寺に身を隠して
被害を拡大させた張本人である。
また、同年三月八日付「赤旗」で河原が共産党府議団に「店に客が来ない」と、
泣きついたと報道された。(当時の写真、左側が河原)
河原の哀れな人生は極悪僧の日顕に奉仕し、精一杯、尽くしても何一つ功徳がない
ことを証明しただけに終わったことである。合掌。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000673.jpg
88
:
検証会議
:2009/04/16(木) 01:56:07
勝ち戦 第133号
2009 年4月14 日(火)
大講頭・河原昭太郎が死亡!
『もうボロボロです…』
日顕宗は「生も換金・死も換金」だ
本日、日顕宗・大講頭で、北近畿地方部長の河原昭太郎が死亡した。
通夜は一五日(水)一八時。本葬は一六日(木)一三時。平安寺(京都市)で執り行われる
予定。
河原は長年、天魔・日顕の狂信者として、仏法破壊・広布破壊を企て、破和合僧に
狂奔した極悪人である。晩年は、堕落した贅沢三昧の生活が崇り、重度の糖尿病を
患って一人で立ち上がることも歩くことも出来ず、車椅子での生活を余儀なくされて
いた。
平成一六年四月の地方部総会では、目が不自由で手術をした上に、足を六ヶ所骨折
するという見るも無惨な姿で登壇し、「もうボロボロです。一年もつか分かりません」
と、泣きっ面で弱音を吐いていた。
同年十月の御会式でも、「三日間四〇度の熱が続き、病院へ行ったら肺炎ということ
で即入院。病院へ入ったら鉄格子がはまってるんですよ。まるでブタ箱にいる
みたい・・・」と、肺炎に罹って入院したことを告白した。他の信者達は、「何故
これほど一生懸命宗門に尽くしてきた人が、こんなに苦しく、不幸な目に遭わなければ
ならないのか」と愕然としていた。
河原はかつて、京都府丹波町で鳥インフルエンザ騒動が起きた時、
『京都府食鶏肉販売業生活衛生同業組合理事長』という立場にあり、連日マスメディア
からその社会的責任の追及と釈明を求められていた。だが、河原は理事長としての責任
を果そうともせず、日顕宗寺院の妙清寺(京都市)に泊り込み、姑息にも身を隠していた
のである。その後、社会不安は増大し、二名の自殺者を出すまでに至った。一般の
マスメディアからは逃げ回っていた河原も、何故か当時の『しんぶん赤旗』には、
共産党議員二名と共に写真入りで登場し、苦しい胸の内を告白していた。
「いつが昼か夜かわからない毎日」「返済の見通しがなければ融資も利用できず、
客の意見を聞こうにも客が来ない」「一二〇年続く私の店は毎日八〇〜百人いた客が
一〇人も来ない状況」まるで罰の体験発表だ。
昨年三月、僧俗指導会で、河原は興味深い話をしていた。「ちょっと面白い話を
しましょうか。平安寺で私が法華講つくってね、十年近く葬式が無かった。お寺にね、
お葬式が無いというのはね、これお寺さん、商売あがったりなんですよ。住職申し訳
ない。『誰か死ぬもんないか』そのくらい申し訳ないこと」
話の途中で司会の石井栄純(横須賀・法照寺住職)が話を強制終了させ、河原は石井を
鬼の形相で睨み付けていた。長年宗門の実態を見てきた河原の証言は重い。河原始め、
法華講員は、『生も換金・死も換金』だ。哀れ!
89
:
検証会議
:2009/04/16(木) 02:59:01
フェイク 第1016号
(発行=09.04.16)
日顕は焼香にも来ない冷淡さ
大講頭・河原昭太郎の通夜にみる僧俗差別
参列者は本堂に入らず下駄箱付近で焼香
日顕宗・法華講大講頭の河原昭太郎が、去る十四日に死亡(本紙一〇一五号参照)。
その通夜が十五日午後六時から京都市内の平安寺で行われた。玄関の下駄箱付近には
焼香台が設けられて、参列者は靴を脱がなくても焼香できるようになっていた。これは
苦しみ抜いた末、遂に息絶えた故人の堕地獄の相を一般の参列者に見せたくないための
処置ではないかと囁く人もいた。
本堂には遺族や法華講幹部が集っていたが、本来ならば、真っ先に駆けつけるべき
阿部日顕の姿が何処にも見当たらなかった。
前日、日顕が来るらしいと噂していた関係者は落胆して「御隠尊猊下(日顕)は
冷たいな」「講頭さんは、あれほど猊下様に御奉仕されたのにね」と、ヒソヒソ
囁きあっていた。
というのも、河原は法華講の大講頭に加えて、平成十八年四月には立正安国論正義
顕揚七百五十年記念局委員、地涌倍増大結集推進委員会委員にもなっており、日顕、
日如が来るのが世間の常識だ。だが、どんなに役職があっても、信徒に冷たいのが
日顕宗である。
死んだのが、もし末寺住職であれば、ニセ法主や総監、宗務院の正副部長らの役僧が
ゾロゾロ集まって来るのに、日顕に尽くしぬいても信徒だと焼香にも来ない――これが
日顕宗坊主の信徒に対する余りにも冷淡な態度なのである。
六人の大講頭の中でも、河原は特に日顕との関係は深い。日顕が平安寺にいた頃から
の腐れ縁である。
日顕が平安寺住職になったのは「シアトル買春事件」直後の昭和三十八年四月、当時
は教学部長だったが、僧階は権僧都、遊び盛りの四十代前半だった。日顕の遊興は東京
の本行寺時代から派手であったが、平安寺に移ってからの遊びは一段とエスカレート
していた。
昨年の暮れに死んだ山崎正友は、日顕の道楽について昭和五十六年二月十二日号の
「週刊文春」に次のように書いていた。
「日顕自らが、若い頃より知らぬ人のない遊蕩児であった」「(父親の日開が死んだ
時も)日顕は、吉原に居続けていた」「熱海に愛人が出来て、女房と離婚して一緒に
なると騒いだことがあった」「金がなくなると、先輩の寺に朝早く来て、門前で無心
して行った。離れた所の電柱のかげで、女がかくれて待っていた」
更に「京都の平安寺にいる間も、神戸の福原、大阪ミナミのピンクサロン、生駒の
岡場所などへ毎日のように繰り込んでいた」
ここまで暴かれた日顕が、執筆した山崎に「嘘つきと言って悪かった」と謝ったほど
だから「週刊文春」に載った日顕の酒色狂いは、真実ということになる。
この日顕の遊興三昧を支え続けた一人が河原であった。
平成四年十一月、古巣の平安寺へ出向いた日顕は、昔を振り返り、こう言った。
「(河原は)入信して以来、常に折伏、折伏ということを述べて、自行化他に精進を
しておられた姿が今でも眼に浮かびます」
日顕は自分の恥部を知り尽くした河原に対する最大の賛辞を呈していたが、通夜に
顔も見せない。
これでは講員に「供養、供養」と叫んで、縛り取っては日顕に差し出していた河原も
浮かばれないだろう。
90
:
検証会議
:2009/04/17(金) 00:00:30
越 洋
平成21年4月16日
日顕はかって「長時間唱題すると身体に良くない」といっていた。今年に入り、
鳴物入りで4月1日(水)から始まった思いつきとこじつけ「七百五十億遍唱題行」が、
宗門を窮地に追い込んでいる。というのも「百年に一度の経済危機」の中で登山に行く
費用も捻出できない講員の負担もさることながら、そこに追い打ちをかけるのが今回の
「唱題行」である。
寺に行く機会が増えれば、その分毎回"御供養"と"交通費"が必要になってくるから
法華講員もたまったものではない。今回の"唱題行"が、かえって寺離れを加速させて
いる。そもそも、法華講が15万と計算しているが、分母が違いすぎるのではないか?
死亡と行方不明が多いので、せいぜい6〜7万だと実態をよく知る末寺住職の声。
そんな"唱題行"の最中の今月4日、香川県福成寺の住職・堀寿奘が亡くなった。
体調を崩して支院長も降りたが、享年60歳の若さであった。(宗務広報発表)丁度、
本山で6・7日と"虫払い法要"が行われ、8日には全国支院長会議のため通夜と告別式は
9・10日で行われた。
"登山をすれば願いが叶う""最後の登山に功徳を積もう"と謳い文句を並べて、登山を
煽っているが"一番御開扉も受けているはずの住職がなぜ"という福成寺講員の素朴な
疑問は晴れない一方である。
かつて昭和五十五年十月、北海道で故森田理事長が唱題と折伏で乗り越えた父親の
癌克服の体験を日顕に話した時、日顕が信じられないような顔をして聞いていたことは
有名な話である。学会員には日常的に語られている話も「大御本尊のは、偽物である」
と御本尊を信じられず、信仰体験を持たない日顕には、功徳の体験談はよほど
珍しかったようだ。
日顕は平成六年二月、全国支院長会議の席上、"信者のほうが本当の体験というほう
から、この大聖人の仏法に入ってきている。僧侶は、むしろそこが弱い"などと語って
いた。そもそも、「長時間唱題すると身体に良くない」「坊さんが唱題をしていると
何か悩みがあるのかと信者に誤解されてしまう」と宗門は、唱題をすることも"学会員
みたいなマネをするな"と言い放って馬鹿にし、題目を上げることも信者のする修行と
して蔑視をしてきた。
結局「五十万総登山」では本山が潤い、「七百五十億遍唱題行」では末寺が潤い、
法華講員は骨の髄まで搾取される場に過ぎない。
91
:
検証会議
:2009/04/17(金) 00:35:27
フェイク 第1017号
2009年(平成21年)4月17日(金)
閑静な住宅地、騒音に似た下手な読経に苦情
平安寺で涙も哀悼の言葉もない河原の告別式
葬儀の挨拶で登山推進を訴え顰蹙
日顕宗・法華講大講頭の河原昭太郎(十四日に死亡)の告別式が十六日
午後零時五十分から、京都市内の平安寺で行なわれた。前日の通夜には、本堂に三百人
ほどが集まっていたが、この日の告別式には場内に僅か百人そこそこ、また場外にも
少しばかりの講員らが集まっただけであった。
隠居した日顕、ニセ法主の日如は共に、昨夜の通夜、そして告別式に最後まで姿を
見せることはなかった。
葬儀は河原が代表取締役を務めていた会社(株式会社・鳥米)の「社葬」として、
厳粛かつ盛大に執り行う予定であったが、高僧も来ないし、参列者も少ない葬儀に
なってしまった。
昨年二月に死んだ同寺の前住職・椎名日澄(法英)の葬儀に際しては、日顕も火葬場
まで行ったといわれているが、死んだ河原は同寺の講頭で、しかも大講頭でも
あったが、通夜・告別式に日顕は顔を出さない。
死んだのが坊主と信者では、日顕ら坊主共の対応は大違いなのである。
日顕は、しばしば瞬間湯沸かし器を沸騰させて「信者の分際で何を言うか!」と暴言
を吐いていたが、法華講のナンバー2の地位にある大講頭といえども、坊主から
みれば、単なる「信者の分際」に過ぎないと、蔑視していると思われる。
さて、導師は平安寺住職の高野法雄が勤めた。ところが、同寺は閑静な住宅地に
建っていることもあって、読経が始まって間もなくの頃、近所から「うるさいッ」
「もっと葬儀らしく厳かにできないのか?」という苦情が寄せられたということだ。
確かに、修行を積んだ僧侶の朗々たる読経の声の響きであれば、信仰していない人が
聴いても清々しく、うるさくは感じない。
しかし、高野みたいに夜遊びが過ぎて、アルコールで喉を痛め、割れ鐘のような声で
の下手な読経は騒音にしか感じない。近隣の人から苦言を呈されても仕方ないだろう。
読経・唱題はバラバラ
会場のマイクの音量を急きょ、絞った。すると、参列者にマイクの声が聞こえなく
なった。導師と参列者の読経・唱題の声が合わなくなってバラバラ。大講頭の死を悼む
厳粛さは、全く感じられなかった。
葬儀らしくない雰囲気を、より一層、強くしたのが挨拶に立った柳沢喜惣次(法華講
総講頭)、畑十三男(平安寺副講頭)、河原昭雄(喪主・昭太郎の長男)の三人で、
哀悼の意を表す言葉は殆ど聞かれなかった。
「総登山を頑張って推進しよう」と僧俗指導会か広布推進会で檄を飛ばすような口調
でハッパをかける挨拶に皆、ウンザリした表情だった。副講頭の畑に至っては
「(河原が)五十万総登山を前に死んだのが残念だ」とヌケヌケと言い放っていた。
大講頭も登山要員の一人にすぎないのだ。
そういえば、河原は以前、「担架に担がれて登山する姿に感動した」と述べていた
こともあるが、河原本人は担架や車椅子でも登山できないまま逝ってしまった。
不揃いの読経、総登山を推進せよ、との「お別れの挨拶」を聞いて、涙ぐむ者など
いる訳はない。告別式は終始、シラけた雰囲気に包まれていた。
92
:
検証会議
:2009/04/18(土) 01:49:10
フェイク 第1018号
2009年(平成21年)4月18日(土)
日顕自慢の富士学林大学科は不要
花野充道、学位取得の挨拶で日顕を愚弄
「信徒に号令かけるだけでは布教は進まぬ」
日顕宗の中で唯一人の論客を自認する花野充道が、日顕の作った法教院の
「富士学林大学科での教養課程は不要」という持論を再び、宗内で吹聴している。
これは長年の夢が叶って、早大で「文学博士」の学位を取得した花野が、自慢のために
宗内外の関係者に送った挨拶文に記したものである。
法教院は日顕の見栄から作った偽装学校で年間一億円以上も浪費している。
宗門の中でも「日顕嫌い」の代表格の花野は挨拶状の中で「これでようやく日達上人
とのお約束を果たすことができた」「日如上人にお目通りをしてご報告申し上げ」
「日淳上人は早稲田大学と竜谷大学で学ばれ」と六十五世、六十六世、六十八世、
観妙院、大東院の名前を挙げて縷々述べているが、六十七世を詐称する日顕については
一切、触れていない。
そればかりか、「信徒に布教の号令をかけるだけではなく」云々と、八木、信彰、
水島ら無教養の役僧共が、やれ僧俗指導会だ、広布推進会だと各地を回って法華講に
檄を飛ばすだけで、坊主自身は折伏もできない現状を指弾。その後で「世法に明るい
僧侶(法律のわかる僧侶)、外国で法を説くことができる僧侶(語学に堪能な僧侶)、
世間から評価される僧侶(博士号をもった僧侶)等々、多士済済の人材がいた方が
よい」と述べている。
今の宗門には日顕をはじめ役僧も皆、無能坊主ばかりだと言いたいようだ。
また「学問を身につける努力を怠ってはならない」とも強調。現在の富士学林では
学問など何一つ身に付かないし、富士学林大学科の不要論に同調する僧が多いと述べて
いる。
この花野は平成十六年、同人誌「道心」に「僧侶主導の広宣流布を考える」という
タイトルの論文を載せ、日顕を痛烈に罵倒した。
この「僧侶主導」云々は日顕が言い出した妄言だが、花野は「口では僧侶主導の
広宣流布と言いながら、宗門僧侶全体が自ら破邪顕正の手本を示さないで、信徒に
『やれ、やれ』と言っても無理である」と非難した。
日顕は「井の中の蛙」
また、建設的な提言も「批判」として封鎖する宗門の教団運営の在り方を
「オウム真理教と変わらない」とも糾弾していた。
更に、花野は「法主本仏論」を否定し、「訓詁注釈をしているだけで、はたして
世界広布ができるだろうか」「井の中で自己満足しているだけでは大聖人の公場対決の
御精神を継承する正系門下とは言えない」等と鋭く指弾、日顕を「井の中の蛙」と
断じていた。
そして、日顕が作った富士学林大学科(法教院)に対して皮肉たっぷりに揶揄。
宗門の大学科で学んでも世間には通用しない旨、述べていた。
「単に自身の教団の宗学さえ知っていれば、世界広布ができると思っていたのでは
大間違い」と、日顕の所化教育の間違いを憂慮し、日顕のような遊蕩坊主を指して
「単なる法衣を着けた人形、儀式執行における異形者でしかない」と痛烈に愚弄して
いた。
五年前、花野は日顕の逆鱗に触れて、訂正文を書かされ、左遷された。今回は
どうなるのか、注目したい。
93
:
検証会議
:2009/04/20(月) 10:06:10
フェイク 第1019号
(発行=09.04.19)
顕正会は暴力体質の危険な邪教
浅井昭衛、また日曜勤行で支離滅裂の講義
顕正新聞は半年前の行事を捏造して報道
紙屑入れに放置されていた顕正新聞(四月十五日付)を一瞥して呆れた。一面トップ
の記事が去年十月五日の日曜勤行での浅井昭衛の御書講義だったからだ。
浅井は顕正会による広宣流布を急がないと日本が亡ぶとか、人類が滅亡する、隣国が
侵攻してくると会員に恐怖感を植え付けている半面、半年前の記事を今頃、トップで
報道するとは、余りにも間の抜けた新聞作りだ。「急がないと」「時間がない」等と
煽っているのが大ウソである証拠でもあろう。こんな屑新聞が一部二百円とは詐欺と
同じだ。
同会の内情に詳しい人の話では、浅井の終末思想、妄想の類の講義内容がマンネリの
ため、教学力も文章力もない編集陣が四苦八苦して半年がかりで加筆し、修正したとの
ことである。
さて、先週の日曜勤行(四月十二日)で浅井は「乙御前御消息」を教材に、またもウソ
八百を並べていた。
顕正新聞に任せると、この講義の報道も年末になるだろうから、本紙が代わって浅井
の戯言を紹介する。
浅井の御書解説は二言、三言で、後は国立戒壇の我見と、学会が御遺命を破壊したと
いう十年一日の邪説を述べただけであった。
浅井は、どんな御書を講義しても結局、内容は同じだから、聞かされる会員も辟易
している。
その中で今回、浅井が語ったウソは供養と暴力の話。「学会は法主をはじめ宗門
僧侶を、カネで誑かすだけでなく、暴力で脅かしていた」という虚言である。
学会は真心からの御供養を続けたが、それは「誑かす」ためではない。
学会出現前の大石寺は寂れ果て、坊主共の生活は困窮していた。その山寺に学会は
百万坪以上の用地を寄進し、登山者は延べ七千万人、全国に建立寄進した寺院は
三百五十六ヶ寺、その末寺での各種法要の際の供養や塔婆供養など供養総額は数兆円
にものぼる。
宗門は、その赤誠の外護に応えようとはせず、坊主共は堕落し、学会の御供養を
悪用しては遊蕩三昧に耽るようになったのである。
次に、暴力体質についての浅井の話は捏造で、特に、的場正順を川に投げ込んだと
いうのはデマである。
昭和三十三年三月、学会が建立寄進した大講堂落慶の慶祝登山の際、所化頭の的場は
酔っ払い、小学生の所化の頭に大きな鈴を被せて鈴棒で激しく叩くなど苛めていた。
その後、的場は近くの飲み屋で泥酔していたため、渡辺慈済が潤井川に連れて行き、
顔を洗わせた。これの何処が、学会の暴力体質なのか?
むしろ、顕正会こそが暴力体質の危険な邪教である。
正本堂御供養に参加した後、主導権が学会にあるため嫉妬に狂い、建立の意義に難癖
をつけて「流血の惨も辞さず」と時の法主や学会を脅し、無知な青年部を扇動して
学会本部を襲撃させた(本紙第八七八号参照)のは、浅井自身であった。
浅井は今も暴力勧誘を煽り、警察沙汰を続けている。
94
:
検証会議
:2009/04/24(金) 00:14:58
越 洋
平成21年4月21日
広宣流布の主導は在家である。これこそ宗祖大聖人の魂である。
御書には「阿仏房しかしながら北国の導師とも申しつべし」(阿仏房御書)、
「其の国の仏法は貴辺にまかせたてまつり候ぞ、仏種は縁に従つて起る是の故に一乗を
とくなるべし」(高橋殿御返事)と仰せである。僧侶主導とは、日顕が言ったことで
ある。ところが日顕は広宣流布を主導するのではなく、芸者も衆生だから、一切衆生を
救うためと称して遊蕩三昧、供養の金を湯水の如く使い、鼻の下を伸ばしスケベ丸出し
の顔で芸者衆を主導してきた。そんな日顕は、破壊と遊興の日顕宗という汚名を世界に
流布しただけである。
今、花野充道の『学位取得の御挨拶』が宗内で物議を醸している。
「去る三月十四日、早稲田大学から文学博士の学位授与を受けることが出来ました」と
始まる挨拶文には「これでようやく日達上人とのお約束を果すことができた」と自身の
心情を吐露し、3月16日には日如上人に目通りして報告し、日達上人の墓参もしてきた
と述べている。どうやら日顕を無視して報告もしていないようだ。
今回の挨拶文では「私は、これからの僧侶主導の広宣流布を考える時、大学科に
おける教養課程は不要である。僧侶が自ら外部に向かって布教をするためには、むしろ
一般大学を卒業させて、さらに大学科で大学院のような専門課程を学ばせた方が価値的
であると信じている」と宗門行政を批判している。
法教院は、日顕が、自分の名を残すために名聞名利で作ったに過ぎない。だから、
文部科学省の認可も取れず、卒業生は何の資格も得られず、4年間通っても高卒のまま
である。だから、学生も勉強意欲がわく訳けがなく僧侶の質は落ちる一方である。
因みに、明治37年の内務省の調査によれば、日蓮宗富士派の信徒数は
14,369人だった。昭和30年3月の文部省の調査による信徒数は
349,620人。実に24倍、33万人増加している。これは、昭和26年、
戸田第二代会長が就任して創価学会による本格的な広宣流布の前進があったからで
ある。
さらに昭和35年、池田第三代会長の就任から、わずか50年足らずで、世界
192ヶ国・地域に1,000万を超える大聖人直結の信徒が誕生したのである。
創価学会という仏意仏勅の在家主導の教団なればこそ成し得た壮挙なのである。
腐敗堕落の坊主が何人いても、広宣流布は、百年、千年待ったとしても、不可能なので
ある。
まず僧侶主導を叫ぶ前に、僧侶として少欲知足、不惜身命、死身弘法を旨として、
誰からも尊敬される「人間」になってからでなければ、信徒は誰も今の宗門について
いきはしない。
95
:
検証会議
:2009/04/24(金) 20:16:24
大石寺短信 第460号 平成21年4月23日(木)
日顕宗の動き
1.7万5千総会の前泊者の起床は午前2時
7月26日に大石寺で行われる7万5千総会の詳細が明らかになった。
当初、午前4時20分の予定だった当日の御開扉の開始が午前3時30分に繰り上がった。
以降、御開扉は午前10時からの総会を挟み、50分ごとに延々14回も行われるが、境内は
順番待ちの参加者に埋め尽くされることになろう。
当日は午前0時から参加者の受け入れが始まるため、前日からの宿泊者は午前2時に
起床させられる。さらに塔中エリアの宿泊者については、起床後すぐに暗闇の中、
総坊エリアまでゾロゾロと移動させられるというのだから気の毒この上ない。
また、前泊希望者が超過したため、客殿、大講堂等も宿泊場所として使用することに
なったという。しかし、3千人は収容できる客殿には何とトイレがない。近くの大講堂に
でも駆け込めというのだろうか。あるいは我慢しろというのか。いずれにしても、昨年
のプレ大会の時のような"トイレ地獄"が起こることは必至である。
加えて、食事に関する徹底も極めて無謀。“約2000台のバスと特別に許可された
約1500台の自家用車が大石寺に集結して富士宮市内の道路が混雑するから”との理由で、当日からの参加者は、地元などから食料を持参することになった。しかし、食中毒が
発生した場合、だれが責任をとるのか。
開催日が近づくほどに、次から次へと噴き出す問題の数々。しょせん、信徒の安穏、
幸福など微塵も考えてない、無責任で能天気な日顕、日如の思いつきから始まったこと
ゆえ、当然の結果ではある。
法華講員の間では、「夏の盛りに何万人も集めるのなら、冷房の効いたドーム球場
などでやればいいじゃないか」「生きて帰れるだろうか」といった、不満や不安の声が
あがっている。
2.“金食い虫”の法教院で卒業式
先月、法教院(東京・渋谷区)の卒業式が行われた。1988年(昭和63年)に
見栄っ張りな日顕の肝いりで、所化小僧の教育機関としてつくられたこの施設。別名
「富士学林大学科」などと、もっともらしい看板を掲げているが、文部科学大臣の認可
を受けていない単なる「私塾」にすぎない。式の席上、日如が“これまで338人が卒業
した”と自慢していたが、入学者の4人に1人にあたる97人が卒業できず脱落していった
事実は伏せられている。
実態は散々である。授業中にマンガを読みふける者。堂々と寝入る者。それでも授業
に出るならまだましで、授業に出るふりをして渋谷の繁華街に繰り出す者もいる。その
ため毎年「精励賞」と称して、出席率が高かっただけで生徒を表彰している始末だ。
宗内からも、「そんなもの作って、だれが行くんだ」(高野日海)「単に自身の教団
の宗学さえ知っていれば、世界広布ができると思っていたのでは大間違い」
(花野充道)等、批判の声があがるこの施設には、毎年1億円以上が宗務院予算から
充てられている。本山からカネを吸い上げられる一方の末寺坊主たちにしてみれば、
「金食い虫の無用の長物など、つぶしてしまえ」と怒りの声のひとつでもあげたくなる
だろう。
3.宗内人事
香川・福成寺住職の堀寿奘(前・香川布教区支院長)が今月4日に60歳で死亡した
ことに伴い、後任住職に香川・龍王寺住職の後藤道睦(42)が、龍王寺の後任には
東京・妙光寺在勤の吉田道常(43)が入る。
4.5月の予定
3日(日) 広布唱題会(本山)
10日(日) 御講(末寺)
96
:
検証会議
:2009/04/24(金) 21:16:55
フェイク 第1020号
(発行=09.04.22)
宗門が定額給付金の搾取を狙う
埼玉布教区・合原歓道の話に講員が猛反発
広布推進会で「一万二千円を登山に使え」と
埼玉県の法華講有志から宗門を糾弾して欲しい旨、次のような要望が、このほど
本紙編集室に寄せられた。
「広布推進会で定額給付金を総登山のために使おう、と徹底されましたが、その
呼びかけに強い憤りを感じました。給付金を何に使おうが個人の自由だと思います。
給付金の使い方まで指導される覚えはありません。今迄は言われるままに登山も折伏も
御供養も続けて、プレ大会にも参加しました。だが、もう我慢の限界です」
しかも、この法華講有志は、家族で話し合い、登山には二度と行かないと決めたと
いうことである。
折伏・登山・結集を煽る狙いで、今年も地涌倍増大結集推進僧俗指導会の終わった
後、講員に檄を飛ばすための布教区別の広布推進会を開いている。最後の悪足掻き
だったが、これが裏目に出たのである。
法華講が糾弾したい坊主の一人は、去る二月十九日、所沢・能安寺での埼玉布教区の
広布推進会に、わざわざ奈良県の仏覚寺から来た地域担当員の合原歓道である。まず、
合原の暴言から紹介する。
「埼玉の春日部には、クレヨンしんちゃんの家族がいるそうです。
クレヨンしんちゃんの家族には定額給付金は、いくらおりるのでしょうか?」
「さあ、皆さん、(定額給付金の)一万二千円、どうせ、くれるなら登山に
使いましょう」
これが日顕宗の重要行事として布教区別に開催している広布推進会での担当坊主の
指導なのだそうだ。
広布推進会のテーマは、「下種折伏の実践」。式次第は開会の辞、合唱、体験発表、
地方部幹部の激励、妙乗寺の光久顕道と合原歓道の指導、支院長・藤本信恭の挨拶
並びに指導、閉会の辞となっていた。
参加者には終始、笑顔は見られず、沈痛な面持ちで坊主の話を聞いていたが、
歓喜もないし、勇気も出ない最悪の会合だったという。
お粗末な布教講演と記念展が功徳?
合原は、ギャグアニメの「クレヨンしんちゃん」を話題にすることで、笑いを誘おう
としたが、場内には白けムードが漂うばかり。そして「定額給付金を登山のために
使え」と強要したため、参加した講員から強い反発を招いたというわけである。
この定額給付金については、地元の商店街で使って欲しいという趣旨から割り増しの
商品券を発行する等、さまざまな工夫を凝らしている自治体も多い。
それを登山に使え、と一方的に呼びかける坊主に対し、怒りが込み上げるのは当然だ。
今年は百年に一度と言われる大不況にもかかわらず、十回から二十回も登山せよ、と
強要されている講員は、経済的に苦しんでいる。
その上、宿坊の建て替えだの、御影堂の大改修工事だのと、特別な振り込め供養を
むしり取られ、しかも、今度は折角の定額給付金まで搾り取るという。
日顕宗は一体、どこまで信徒を苦しめるのか?
合原はまた「今年の登山の功徳は格別であると申します」とも言っていた。
その功徳とは、聞くに堪えない布教師の下手な講演と、お粗末な記念展だそうだ。
愚弄するにも程がある。
98
:
検証会議
:2009/04/27(月) 16:19:59
勝ち戦 第134 号
2009 年4 月27 日(月)
妙光寺、住職も講中も『死に体』
折伏は史上最低、所化は逃亡!
執事・内海「早く御住職と呼ばれた〜い」
日顕宗の七月の大結集に、早くも陰りが見えてきた。際限の無い供養の取立て、
無謀な登山の強要、手本も示さないし付けの折伏ノルマ等々、信者は心身ともに
疲れ果てている。
三月二五日、東京第二地方部・信徒激励会で地方部長の金子は、「二月末現在の
地方部の折伏成果は、達成ペースとして一八% が必要ですが、成果は八%です・・・」
と、すでに挽回不可能な数値を発表。
四月に入ってからも低迷続きだ。中でもひどいのが、学会の本陣で萎縮する大願寺
(新宿区)、住職と信者が不仲な妙声寺(町田市)、住職不在の妙光寺(品川区)の三ヶ寺
だ。
四月二二日現在、大願寺は目標六三世帯に対し六世帯(達成率九%)。妙声寺は目標
四〇世帯に対し二世帯(達成率五%)。妙光寺は目標二三〇世帯に対し一二世帯(達成率
五%)と、三ヶ寺とも達成率が未だに一桁台だ。
妙光寺は、住職の尾林日至が現在危篤状態との噂が講中に流れ動揺する者もいるが、
導師席に設置してあった尾林用のスロープも外され、住職は既に『帰らぬ人』扱いだ。
ある講幹部は、「葬儀が七月の大結集と重なれば、すべてが台無しだ」と、尾林の容態
より葬儀のタイミングを心配する。
尾林の娘婿で執事の内海雄幸が住職の代行を務めているが、内海は小心者で気分屋、
講員からの信頼も薄く指導力もないため、住職不在の講中は廃れ、最早『死に体』だ。
四月五日の広布唱題会で内海は、「先日私は、受付で学会の婦人部に、『あなたの顔
は地獄の釜の蓋を開けたような顔だ』と誹謗された。なんのためらいもなくニッコリ
笑って言っていました」と、学会婦人部に一喝されたと講員に泣きつき、己の小心ぶり
を晒していた。
更に、「妙光寺の在勤者は、一時減っちゃって大変なことになっちゃった」と、
昨年、執事との確執から、二名の所化が寺から逃亡した事実にも言及。内海の指導力
不足は誰の目にも明らかだが、平成一五年の会合では、「私の同期生は全員住職に
なっている。私だけが遅れている。別に悪いことしちゃって遅れた訳ではない。
早く『御住職』って言われてみたい」などと、出世欲と遅れをとっていることへの
焦りを露わにしていた。最近は、「妻が義父・尾林の介護のために妙光寺を離れたがら
ない。親の心配もいいが、俺の人生はどうなるのか」と、周囲に愚癡をこぼしていると
いう。三月度・広布推進会で地方部長の金子は、「『ホップ・ステップ・ジャンプ』と
なるか、あるいは『ホップ・ステップ・腰砕け』になるか、まさに今が正念場」と
訴えたが、『ホップの前に腰砕け』が東京第二だ!(爆)
編集部(転載可)
99
:
検証会議
:2009/04/27(月) 22:24:50
越 洋
平成21年4月28日
建長5年(1253)4月28日、日蓮大聖人は全世界の民衆の苦悩と宿業の鉄鎖を
断ち切らんと立宗を宣言された。宗旨建立から756年が経過した今日、『御義口伝』
の「大願とは法華弘通なり」(御書736ページ)との御本仏の仰せ通り、
池田SGI会長の指導のもと世界192ヵ国・地域に拡大されたSGIの
1000万メンバーは、世界平和と各国の繁栄を願って自行化他の唱題行に励み、御書
を拝し、信行学の正道を堅実に進んでいる。大聖人の「立宗の魂」は学会にこそ正しく
受け継がれているのである。
昭和26年5月3日、第二代戸田会長の会長推戴(すいたい)式が行われた。
戸田会長は「日蓮大聖人立宗宣言あって七百年――その日を明年にひかえて考うるに、
創価学会のごとき団体の出現が、過去七百年間に、いったいどこに、どの時代にあった
でありましょうか。大いに誇りをもっていただきたいのであります。私の自覚に
まかせて言うならば、私は広宣流布のために、この身を捨てます!
私が生きている間に、七十五万世帯の折伏は私の手でいたします。願わくは、
それまでに宗門におかせられても、七十五万だけやっていただきたいものである。
もし私のこの願いが、生きている間に達成できなかったならば、私の葬式は出して
くださるな。遺骸(いがい)は品川の沖に投げ捨てなさい! よろしいか!」
(人間革命第5巻「烈日」)との気迫と一念によって大聖人の仏法が現代に蘇り、
世界広布のドラマは幾重にも広がっていった。
戸田会長は「宗門においても75万だけやっていただきたい」と仰せられた。
あれから間もなく58年も経つが、宗門は弘教を放棄し、坊主達は“我々は摂受の中の
折伏をしている”と訳の解らない理由を付けて遊興に耽る。まさに観念と形式だけの
日顕宗である。
日顕は平成14年、宗旨建立750年の記念法要として3月28日に「開宣大法要」
を行った。その時、日顕は宗門の古記録には立宗の日として3月28日と4月28日の
両方が残されているとした上で、3月の方は「内証開顕の題目」、4月の方は
「外用流通の題目」などという立宗宣言に「内証」「外用」の区別があるなど、
宗開両祖も近代の先師方は誰も言っていない妄説を言い出した。日顕は、ニセ相承、
戒壇の御本尊偽物発言、シアトル裁判、芸者裁判、正本堂・大客殿の破壊等々の追求で
追いつめられ、ニッチモサッチも行かなくなって宗内外の眼をそらすために珍説を
述べたにすぎない。その後、毎年3月28日には『内証宣示報恩会』と称して早瀬日如
の代になっても法要を行っているが、鳴物入りで始まった法要も年々参詣者が減って
いる。「仏法を修行せんには人の言を用う可らず只仰いで仏の金言をまほるべきなり」
と。遊蕩ニセ法主日顕の妄言に惑わされてはならない。何が内証だ。何が外用だ。
碩学・日亨上人も、日顕の余りの愚かさに慨嘆のことだろう。
100
:
検証会議
:2009/04/28(火) 00:04:13
フェイク 第1021号
(発行=09.04.27)
坊主は遊行、信徒は功徳なき苦行
日顕宗 「七百五十億遍の唱題行」の不可解
達師「唱題の数に偏執するは本宗の信仰ではない」
「一遍も少なからず、百万遍も多からず、これが本宗の昔からの教えです」とは
日蓮正宗の最後の法主・細井日達師の指南である。
ニセ法主の早瀬日如は、日達法主の「題目は数ではない」との指南を知らないのか、
或いは知っていて逆らうのか、七百五十億遍の唱題を宗内に命じた。
日顕宗・法華講の機関紙「大白法」四月十六日付が「百日間の唱題行始まる」との
見出しで、全国の末寺で唱題の声が響いている、と書いている。だが、これは虚報で、
現実は「唱題行は出来ない」という講員からの苦言が相次いでいる。
その主な声を紹介すると「法華講員は皆、仕事をしている。一日に二時間も唱題は
無理だ」「活動も仕事もしていない坊さんが拝めばいい」「私達は拝んでばかりじゃ、
仕事も活動も出来ない」等と辛らつである。
事実、講員が一人も参加していない末寺もある。
なかには「『七百五十億遍題目塔』を建立すると言い出し、また特別供養を集めるの
ではないのか?」という不安の声もある。
日如が狂ったように突然、一日二時間の唱題を命じたのは三月十日だった。
記念局通達の第三七〇号によると、四月一日から七月九日までの百日間で、七月の
「七万五千名大結集」のための唱題なのだそうだ。
この通達では「日本国内の法華講員約十五万人が、一人一日五千遍(二時間)の唱題
を百日間(合計七百五十億遍)」行ない」云々、と謳っている。だが、国内の講員の
実数は、この半数もいない。従って、七百五十億遍にするには、少なくとも全講員が
一日四時間以上の唱題をする必要がある。
一日二時間でも出来ない講員に、その倍の唱題は絶対に不可能である。
それにしても、日顕宗ほど数字に偏執する邪教は他にない。
折伏は倍増と言い、登山は五十万人、結集は七万五千人、供養は口実を設けて、
たとえば平成十年には「客殿」の建て替えで四十億円、平成十四年の「奉安堂」では
二百億円、今回の「御影堂」などで百七十億円というように金額を決めて法華講に供養
ノルマを押し付けるのが日顕宗の手口だ。
唱題嫌いな日顕、日如
話題を唱題に戻すと、日顕はニセ法主在任中、夜の勤行をしたのは、たったの一度
だけだった(本紙五六一号で詳述)。その日顕が平成六年一月一日から合計六百億遍の
唱題を僧俗に命じたが、大失敗に終わった。
日顕の愚行を真似て、この度、唱題命令を出した日如は、日顕と同様、勤行・唱題が
大嫌いなのである。
大願寺住職や法道院主管の頃、勤行の導師は首の曲がった執事や所化が代行して
いた。こんな日如が今更、命令を出したところで真剣に受け止めて唱題を実践する者は
いない。
唱題について、日達法主は次のように「数ではない」と繰り返し指南していた。
「私は百万遍唱えたとか、十万遍唱えたとかと自慢する人がおりますが、それは本宗の
信心ではない」「信心なくして何万遍唱えてもしようがない」
日如は、日達法主の指南を胸に刻み、信徒らに唱題を命ずる前に、己の信心を確立
することこそ先決だ。
102
:
検証会議
:2009/04/30(木) 19:36:53
同盟通信 No131
2009-04-23
"速報"
=里内師、住職を罷免さる=
昨22日、夕刻4時40分頃、庶務部の斎藤副部長、渉外部の梅屋副部長、北海道
第三布教区の渡辺支院長、小口副支院長ら計8名が事前に何の連絡もなく突然得成寺を
訪れ、里内信徳師に対し、得成寺住職の罷免を通告した。5月15日までに寺から退去
すること、後任住職は川瀬某であることが告げられたという。
"ついに"というべきか、"やはり"というべきか、隠尊ファミリーに刃向かった結果の
報復人事と言わざるを得ない。「立正安国論」執筆から750年目の慶祝行事の最中の血も
涙もない措置である。まるで"独裁社会"だ。
罷免の理由はおいおい明らかになるだろうが、庶務部長が暴行を働き、それに抗議
したこと以外に里内師が罷免される本当の原因は見当たらない。もしも、寺院経営が
行き詰まったことを罷免の理由とするならば、里内師の前に罷免されなければならない
僧侶は掃いて捨てるほどいる。この点について、宗務当局は明快なる説明をすべきで
ある。庶務部長はいうまでもなく、隠尊の子息である。以前から人事に始まり、
さまざまな点でファミリーが優遇されているとの指摘が横行してきた。世田谷の善福寺
に入った木村信龍のお手盛り人事はその象徴だった。
そうしたファミリー本位の宗門の私物化が今回の措置をもたらした。宗務当局は、
これまで多くの僧侶を不祥事で擯斥にしてきたが、庶務部長が傷害を働いた事実を擁護
するのならば、その根拠を示すべきだ。
次の標的は、宗務院から補助を受けている寺院だ。
宗祖曰く「百日・一年・三年・七年が内に自界叛逆難とて此の御一門どしうち
(同士打)はじまるべし」
(憂宗護法同盟員より)
103
:
検証会議
:2009/04/30(木) 19:37:17
同盟通信 No132
2009-04-27
=里内師につづく次の犠牲は誰か=
里内信徳師の住職罷免の理由は、宗規第180条第2項であるという。それは「管長は、
宗務上必要と認めるときは、住職、主管及びそれらの代務者並びに事務取扱者を免ずる
ことができる」というものだ。これでは何の説明にもなっていない。要するに、楯突く
者は管長の権限で情け容赦なくクビを切れるということか。
一方の庶務部長はいまだ検察で起訴・不起訴の狭間にいる。これまでの数々の乱暴な
査問から考えて、よもや無罪ということはありえまい。
ところで、徳川幕府は260年余にわたり、平和を維持した。幕府の要職には関ヶ原の
戦以前から仕えてきた譜代の大名たちが充てられたが、領分は少なめに抑えられた。
名誉は与えても財は最低限にとどめたのである。それに比べ、今の宗門は一部の閨閥
が地位も金もすべて独占して少しも顧みない。これではうまくいくはずがない。行く末
が思いやられる。
宗門の財政状況からして、末寺はいずれ現在の3分の1に整理されていくだろうと
言われて久しい。そうなれば、まず整理されるのは宗務院から補助を受けている百数十
の寺院である。それらの寺院は早急に自衛策を講ずる必要があろう。それも自分の寺
だけでの防衛策では簡単に切り崩されるにちがいない。肝胆相照らす有志が連携を
図り、生き残りを策すことが唯一の道である。
「ベルリンの壁」が崩壊して東西冷戦が終結したのは、西側世界の情報がラジオ等を
通して東欧はじめ東側世界の民衆に広まり、その結果、あっけなく東側世界が崩壊した
ためといわれる。情報の流通が決め手だった。
宗内には執行部に対して不満をもち、将来に不安を抱く向きも多い。査問に
苦しめられた住職の数は3桁にのぼるとも言われている。しかし、実名で批判の声を
あげたら最後。里内師の例に明らかである。ここに一つの方策を提案したい。今は
ネット時代。宗内の声なき声をネット上に匿名で結集していってはいかがか。多くの
情報を共有することで宗門の民主化は可能になるはずだ。
最後に注意事項を一つ。それは渉外部の動きに注意せよ、ということである。渉外の
連中がスパイもどきの情報収集に血道をあげているとの噂を軽視してはならない。明日
は我が身である。
(憂宗護法同盟員より)
104
:
検証会議
:2009/05/01(金) 03:23:27
フェイク 第1022号
(発行=09.04.30)
大阪の末寺で法華講員の奪い合い
妙輪寺 (坊主・坂田正法) の地区長会を笑う
ノルマに苦しみ、疲れ果てた日顕宗の信者達
折伏や結集に行き詰まり、追い詰められた日顕宗の末寺が、他寺の講員を横取り
しようと画策し、紛糾している。なかでも大阪・妙輪寺が他寺の講員を勉強会に誘う
などして取り込もうとした怪しげな動きが布教区内で問題になっていた。他の坊主から
激しく反撃された妙輪寺の坂田正法が、地区長会で次のような泣き言を洩らして失笑を
買った。
「他の講の人を誘うのは、もう止めよう。止めてください。あちこちの支部、坊さん
から苦情がくるんです。『何やってるんだ』と。あっちこっちの寺の僧侶はそれぞれの
考え方がありますからね。『どうしてくれるんだ』とか激しく抗議されますから、
他支部の思惑もあるでしょうからね。折伏です。三十世帯。はい」
煽ったり、制止したりの坊主に踊らされる講員が大変だ。講員は疲れ果て、会合など
も空転している。
そんな状況が浮き彫りになった三月一日の妙輪寺の地区長会をダイジェスト版で報告
する。講頭が「日蓮正宗を折伏して」「住職の話を聞き流す」と語り、講頭と司会の
言う人数も違う。だが、誤植ではない。地区長会自体が滅茶苦茶なのだ。
◇ ◇
講頭 地区長会は妙輪寺の法華講の方だけ残って、他の人は法要の時に来て
いただければ結構です。司会を青年部にお願いします。
司会 まず先日、折伏責任者会がありまして、副責任者のKさんが出席されたので、
レポートしていただきます。
K 前年は大阪地方部の支部の半分ほどが折伏できなかったが、今年に限っては
一世帯か二世帯、成就した状況です。
司会 平等寺での広布推進会に行かれた方? Tさん、何かあれば……お願いします。
T えー、副青年部長の話がよかって、信心だけじゃなく沢山の本を毎月読んで
いると言ってた。
司会 他にGさん、ちょっと簡単なことでも。
G あの〜すいません。ほとんど寝てました。
司会 Hさんも行かれたんで、ちょっとレポートを。
H 私も聞いてなかったんですけど、Tさんの言われた副青年部長の話が
よくってね。家に帰って娘達に、一ヶ月二十冊、本を読んでいこうと話した。
(読書会の報告のようだ)
講頭 広布推進会を作っていただいていますが、僕らもしんどいし、眠いし、大変
なんですが、これが日蓮正宗の信心だと思います。日蓮正宗を折伏していくこと
になりますね。丸岡尊師は神奈川のどっかの住職だが、平等寺に来て教えて
頂きました。私達も日頃、住職の話を聞き流しながらやってます。三月は
支部総登山があります。今のところ六十七名も足りません。
司会 講頭の言葉通り、まだ目標に六十二名が足りていません。三月二十一日は
彼岸法要ですが、五月の支部総登山二期の申し込み締め切りになっています。
あと虫払いの登山ですね。納金は唱題行の終了後です。七月の大結集総会の
御開扉は朝四時半です。
講頭 高齢で止めとこうという人も登山するのです。
司会 最後に御住職の御指導をお願いします。
坂田 昨日から体調崩して話す事は何もありません。
(締りのない地区長会だ)
105
:
検証会議
:2009/05/02(土) 01:46:14
越 洋
平成21年5月1日
「初の新型インフル疑い患者=横浜の男子高校生」厚生労働省は1日未明、国内で
新型インフルエンザの感染が疑われる患者が見つかったと発表した。横浜市に住む
17歳の男子高校生で、感染の疑い事例が明らかになったのは初めて。
(中略)舛添要一厚生労働相は1日午前1時半、緊急に記者会見し、「高校生の接触者
らの調査を進める」と述べた。
同省などによると、この高校生は4月10日から25日まで、修学旅行でカナダ西部
のブリティッシュコロンビア州に滞在。30日に医師の診察を受けたところ、簡易検査
でA型の陽性反応を示した。(中略)舛添厚労相は「万が一に備え、自主的に判断して
ほしい」とした上で、イベント自粛や学校の臨休校などについても言及した。
(「時事通信」より抜粋)
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2009050100021&j1
4月1日(水)から始まった思いつきとこじつけの「七百五十億遍唱題行」の成果も
なく、4月29日にはインフルエンザA(新型豚インフルエンザ)の世界各国の感染状況に
ついて、世界保健機関(WHO)は、警戒レベルを「フェーズ4」から、大流行
(パンデミック)の兆候があることを示す「フェーズ5」に引き上げた。その矢先
5月1日に、日本でも感染の疑いのある国内初の患者の発表を行った。
「立正安国論」に云く「国土乱れん時は先ず鬼神乱る鬼神乱るるが故に万民乱る」
(御書一九ページ)まさにここで説く『鬼神』のごとく我々の生命自体を奪う働きを
みせる今回のインフルAは、世界の人々を巻き込みその猛威を奮っている。
本山では、こうした状況にもかかわらず5月30・31日と海外からの信徒を呼び寄せ
わざわざ登山会を行うことを発表している。全世界で渡航の注意が出されるなか、
海外からの登山会を即刻中止にすべきである。
今まさに宗門では自界叛逆難と他国侵逼難の2難が競い起こっている。他国侵逼難は
まさに今回のインフルAである。自界叛逆難とは、昨年の里内氏の刑事告訴に端を
発した問題である。今回のことは、宗内を巻き込んで大きな波紋を起こしている。
宗内では日顕の弟子以外の40歳以上の住職は今回の問題に触れ"もっとやれやれ"と
同調する住職が後を絶たない。住職解任という処置をとったことによって、更なる波紋
が起こることは必定である。いずれにしても、親バカ日顕譲りの信彰の暴力は
許されない。
「如(し)かず彼(か)の万祈(ばんき)を修せんよりは此の一凶を禁ぜんには」
(同24ページ)こうした一切の根本原因は、日顕はじめ日顕宗の一凶に他ならない。
今こそ「悪侶(あくりょ)を誡(いまし)めずんば豈(あに)善事(ぜんじ)を
成(な)さんや」(同21㌻)との御金言を今こそ実践すべき時である。
106
:
検証会議
:2009/05/02(土) 12:01:59
大石寺短信 第461号 平成21年4月30日(木)
日顕宗の動き
1.阿部信彰に暴行受けた里内が住職をクビに
憂宗護法同盟による「同盟通信」によると、得成寺(北海道網走市)の里内信徳が
住職をクビになったという。 昨年11月、信徒の投書によって大石寺に呼び出された
里内は、総監・八木、日顕の息子で庶務部長・阿部信彰に吊し上げられた挙げ句、
信彰に暴行を受けた。全治2週間の打撲を負った里内はその後、富士宮警察署に告訴状
を提出した。
「同盟通信」によると、今月22日、庶務部の斎藤栄順、渉外部の梅屋誠岳、
北海道第3布教区支院長・渡辺慈順ら8人が得成寺に押しかけ、里内に住職罷免を
通告したという。
同通信は、「隠尊(=日顕)ファミリーに刃向かった結果の報復人事と言わざるを
得ない。『立正安国論』執筆から750年目の慶祝行事の最中の血も涙もない措置である。
まるで"独裁社会"だ」と糾弾した上で、「庶務部長が暴行を働き、それに抗議したこと
以外に里内師が罷免される本当の原因は見当たらない。もしも、寺院経営が
行き詰まったことを罷免の理由とするならば、里内師の前に罷免されなければならない
僧侶は掃いて捨てるほどいる。この点について、宗務当局は明快なる説明をすべきで
ある」と主張。「以前から人事に始まり、さまざまな点でファミリーが
優遇されている」「そうしたファミリー本位の宗門の私物化が今回の措置を
もたらした」と指摘している。
この傷害事件について、信彰本人も日顕宗執行部もダンマリを決め込んでいるが、
例えば一般社会において、会社の上司が部下に傷害を負わせたとなれば、不問に
付されることはありえない。その上司が何らかの処分を受けない限り、誰も納得しない
だろう。信彰を処分してせめてもの面目を保つか、処分せずに後世まで笑いものに
なるか。日如ら執行部の動向が注目される。
2.再三の本山招集に法華講幹部の不満噴出
「もう、いい加減にしてくれ!」「本山は地方の大変さが分かっているのか!」。
今、法華講幹部の間から不満の声が噴き上がっている。
先ごろ、各末寺に1枚の宗務院文書が届いた。それによると、本年8月2日に大石寺で
「講頭・副講頭指導会」が行われることになったという。しかし大石寺では、
7月15・16日に「立正安国論750年」の記念法要が行われ、26日には「7万5千総会」が
行われる。ということは、各末寺の講頭・副講頭はわずか3週間足らずの間に3回も登山
しなければならなくなったわけだ。もちろん旅費は自前。加えて、7月半ば以降は
交通各社が定める「繁忙期」に入るため、運賃が上がる。遠隔地からだと飛行機、
電車、その他の経費を引っくるめて1回で10万円以上も散財しなければならない
ところもあるのだ。そうでなくても、無謀な「50万」のために、年に何回もの登山を
強要され、なおかつ供養も取り立てられる。これでは悲鳴が上がるのも当然であろう。
この8月2日の指導会について文書には、「7万5千名大結集総会における御法主上人
猊下の御指南に基づき、万全の態勢で大折伏戦を展開し、もって新たなる御命題に
向かって前進するため」とあり、開催時間はたったの2時間だという。ならば、
わざわざ後日に開催しなくても、「7万5千総会」の終了後にでも講頭・副講頭を
集めれば済む話ではないか。信者の苦しみなど全くお構いなし、無慈悲・冷酷の
日顕宗執行部だ。
ちなみに記念法要も、7万5千総会も、この講頭・副講頭指導会も、出席する坊主には
旅費が支給される。片や、旅費をはたいて本山に着くたび、供養まで搾り取られる
法華講。これを「僧俗差別」と言わずして何というのか。
この夏は、これまで日顕宗の理不尽さに我慢に我慢を重ねてきた信者にとっても、
決断の時となるだろう。
107
:
検証会議
:2009/05/02(土) 19:16:57
フェイク 第1024号
(発行=09.05.03)
厚田墓園の桜が「絶景第一位」に
北海道の旅行雑誌で紹介 道内随一の名所
「不可能」を「可能」にした努力と忍耐の戦い
北海道の厚田戸田墓地公園の桜が「北海道の絶景桜30」の「絶景スポット第一位」
に輝いた。これは旅行雑誌「北海道ウォーカーGW号」に掲載(写真参照)されている。
毎年春になると八千本のソメイヨシノが満開になり、道内随一の桜の名所となって
いたが、この度、旅行雑誌で大きく紹介されたことで地元の人々の喜びも大きい。
戸田記念墓地公園の開園は昭和五十二年で、約三十年の歳月を経て名誉会長の恩師・
戸田二代会長への熱い思いが、また一つ、文字通り大きく「花開いた」と言えよう。
昨年五月の本部幹部会での池田名誉会長のスピーチが蘇る。
「当時、この厚田の一帯では、桜のなかで最も親しまれているソメイヨシノの品種を
目にすることはなかった。(中略)しかし、私には願望があった。『戸田先生の墓園を、
先生がお好きであったソメイヨシノの桜で荘厳したい!』それは弟子としての一つの
願いであった(中略)私の心を心として、全身全霊で桜の育成に取り組んでくださった方
がいた。いわゆる桜守として有名な、わが同志の佐々木忠さんという方である。(中略)
努力の人が偉い。忍耐の人が勝つ。こうして十年間にわたって佐々木さんは改良を
続けた。ついに、「不可能」が「可能」となった。夢にまで見た満開の桜が、墓園を
彩ったのである」
名誉会長の打つ手は一つ一つが数十年を経て見事に結実する。佐々木さんが育てた
本山の桜は伐採されて無用の駐車場になっているが、北海道では間もなく、桜花爛漫の
季節を迎える。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000693.jpg
108
:
検証会議
:2009/05/02(土) 23:06:51
フェイク 第1023号
(発行=09.05.02)
「人混みの登山会が最も危険」
新型インフルエンザの警戒は「フェーズ5」に
無為無策の宗門、「海外登山は中止せよ」の声
世界中で今、騒がれている「新型インフルエンザ」について世界保健機関(WHO)
は警戒レベルを遂に「フェーズ5」まで上げた。世界的な大流行になる恐れが高まる
なか、成田空港などでの水際対策は自衛隊の医官を含む医師の派遣など態勢が強化
され、患者が運ばれる可能性のある病院では準備が進められている。
麻生首相、舛添厚労相は警戒感を強めつつ「正しい情報に基づいて的確な対応を」と
呼び掛けている。
こうしたなか、大石寺の関係者や登山者の間では「新型インフルエンザ」の話題で
持ちきりである。
大石寺は登山しろと言うだけで、インフルエンザの対応など何一つ考えていない。
そのため「海外登山は最も危険だ」「登山して感染しても宗門は責任もとらない
だろう」「感染すると『信心が足りない』といわれるのが関の山だろう」等と
語り合っている。
なかには「五月の海外登山を中止するべきだ」との声も出始めている。
かつて「鳥インフルエンザ」流行の際、責任ある立場にいながら責務から逃げた
大講頭の河原昭太郎も先日死んだが、感染した鳥は一日〜二日で百%死んでしまう
恐るべきものだった。
これまでにも稀に鳥から人への感染の例も見られたが、真の脅威は今回のように
人から人へと感染する新型インフルエンザの発生である。
WHOが「フェーズ5」に警戒レベルを引き上げたのは「複数の国で人から人への
感染が進んで、世界的な大流行の一歩手前」という状態である。
残るフェーズは、現実に世界的に大流行している、という「フェーズ6」で、これは
世界戦争が始まったような状態を指すのである。
新型インフルエンザの危険度は「感染力」と「毒性」である。現在の情報からみる
と「感染力」は相当強い。新型であるが故に、ウイルスに対する抗体を持っている人が
いないため、感染者の数が拡大しやすいのが懸念される。
大流行が危険視される五月〜七月間の登山会
今回のウイルスはメキシコで発生したと推測されてから極めて短時間のうちに、
世界の多くの国で感染者を出している。しかも、メキシコへの渡航歴のない人にも
感染している。
短時間で世界各国に広まった強い感染力を考えると、早かれ遅かれ水際対策を
潜り抜けて日本国内にもウイルスが侵入する危険性は十分に考えられる。
そのため、うがいと手洗いの励行、マスクの着用が訴えられている。確かに、
インフルエンザウイルスは、空気感染はしないが、飛沫感染する。ウイルス入りの
唾液飛沫などを避けるのにマスクは有効であり、うがいと手洗いを習慣にすることも
忘れてはならない。
そして、何よりも重要なことは「五十万総登山」のような人混みには絶対に行かない
ことである。
特に、肉体的に抵抗力の衰えた高齢者、それに小学生のような子どもは、死に直結
する危険性も極めて高いから要注意である。
とりわけ、大流行が危険視されているのは、五月から七月頃にかけての期間で、
その間の登山が特に危ない。
109
:
検証会議
:2009/05/02(土) 23:07:58
新改革通信 第99号
平成二十一年四月二十八日発行
「僧俗差別」を説く日顕らは、大聖人を迫害した者たちと同じ立場にある。"民主化"
という時代の波に逆行する、法主独裁の宗門は、前世紀の遺物でしかない。
建長五年(一二五三年)四月二十八日、日蓮大聖人は清澄寺で、南無妙法蓮華経こそ、
末法の民衆を救済する唯一の正法であると宣言された。
しかし、念仏を厳しく批判した大聖人に対し、念仏の強信者であった地頭・東条景信
は激しく憤り、大聖人の身に危害を加えようとした。
すなわち、立宗は長く続く迫害の幕開けとなったのである。
●今の宗門は大聖人を迫害した側と同じ
大聖人が戦った相手は、衣の権威で民衆の自由を奪っていた僧侶たちであった。彼ら
は僧俗差別を説いて民衆の地位を貶めていた。
どんな人にも最高の生命境涯である仏界がある。しかし、当時の僧侶たちは、誤った
教えと僧俗差別によって、その仏性を封じ込めたのだ。
今の宗門も同じである。彼らは"成仏にも差別がある"という。すなわち僧侶の成仏と
信徒の成仏とは違うというのだ。それは、信徒は、どんなに努力をしても僧侶を超える
ことができないという意味である。
彼らにとって差別は自分の立場を守るための装置である。しかし僧俗差別を説くと
いうことは、宗門は宇宙大の生命境涯である仏界に差別を設けただけでなく、仏界を
矮小化するという、反仏法の教えを説くことになるのだ。
●宗門事件は試金石だった
宗門事件というのは、宗門が僧俗平等の大聖人の教えを受け継ぐのか、それとも
檀家制度の弊害でもある僧俗差別の道を選ぶのか、その選択を迫られた試金石だった
とも言える。
もし、宗門が衣の権威・出家の慢心を打ち破ることができていれば、宗門は、
僧俗平等を貫く、真の日蓮門下の僧侶集団として、生まれ変わっていたかもしれない。
しかし、日顕にはそれができなかった。「目通りかなわぬ身」という言葉に象徴
されているように、出家の慢心に取り憑かれた日顕は、独裁者の道を選んだ。
そして、他の宗門僧侶たちも日顕につき従い、カトリック教会が自分たちの立場を
守るために、地動説を唱えたガリレオたちを迫害したように、宗門をあげて、
池田名誉会長を非難し、僧俗平等を唱える創価学会を異端として、破門した。
110
:
検証会議
:2009/05/02(土) 23:08:12
●「下からの近代化」「民主化」に逆行する宗門
第二次世界大戦後、世界はあらゆる分野で「下からの近代化」が進んでいる。
日本の各宗派も、この数十年で教団の体制の民主化を進めている。具体的には、
教義の裁定権を持つ「法主」と、宗内行政のトップである「管長」を分離している。また、
宗議会の独自性が保証されているところも多い。
しかし、宗門の場合、法主が管長を兼ね、宗門における全権力を持っている。
また、日達法主の時代までは宗会が法主の辞職勧告を決議することもできた。現に、
大正十四年十一月二十日、宗会は五十八世日柱法主の不信任案を成立させ、辞職勧告を
決議している。
ところが日顕は宗制宗規を変更し、宗会を無力化してしまった。今や、悪法主が
出現しても、宗門には自浄する手立てがない。
●絶対的権力は絶対的に腐敗する
歴史学者J・E・アクトンは次のような名言を残している。
権力は腐敗する。絶対的権力は、絶対的に腐敗する。
すなわち、専制的な権力を握った者は、すべてが自分の思いのままになるものと
錯覚して、必ず腐敗するが、それを止めることはできないということだ。
多くの先進国は、このアクトンの法則を防ぐために「三権分立」という政治制度を
つくりあげた。
一切の権力を手中に収めた日顕は、この法則の通り、宗内には綱紀自粛を徹底させ、
その裏で自分だけは豪遊を繰り返し、腐敗の姿を晒した。そして、末寺が経済苦で
喘いでいる中、女房の政子と娘の百合子が高級マンションを所有していることも
発覚した。阿部ファミリーだけが栄華をきわめていたと言っても過言ではない。
今の宗門は前世紀の遺物である。僧侶主導で広宣流布をしょうという発想自体が
ナンセンスである。
日淳法主は既に大正十二年『講中制度について』と題する論文の中で、次のように
述べている。
当門の如く講頭或は役員に対して教師とせず、単に世話人の意味にのみ解して居ては
充分活動してゆくことができません。従て目醒(めざ)ましい発展を来たすことは
できないのであります。(日淳上人全集)
日淳法主は、僧侶主導の布教の限界を指摘し、現代の大衆社会において広宣流布を
進展させるには、"信徒に「教師」の資格を与えよ"と言われているのだ。信徒も僧侶と
同じ資格も僧侶と同じ資格を持って布教をリードするという、今の宗門の僧俗関係を
根本から変革する提案である。
この日淳法主の願いは、創価学会の出現によって実現された。三代会長の不惜身命の
戦いは、僧分を超越し、未来の広布の道を開いたのだ。
(編集部)
111
:
検証会議
:2009/05/05(火) 23:24:11
顕正会短信
2009.05.05
埋蔵人材の宝庫だが発掘できない顕正会(笑)
顕正新聞4月25日号で面白い記事を見付けた。女子部の班長の活動報告なのだが、
つい最近までNHKでキャスターをしていたというのだ。NHKといえば「国営放送」
という印象を持たれているが、なるほど、「国立」にこだわる顕正会らしいネタだ(笑)。
記事によれば、この班長は8年越しの夢が叶いNHKに採用されたようだが、他の
顕正会員の例に漏れず、放送局内で勧誘を始めたところ怨嫉の大合唱が起こり、番組を
突如降ろされたりもしたようだ。
当たり前だ。仮にも放送・報道という立場にいる者が、偏向した思想を前面に出す
ことがどれだけ現場に不利益を与えるか、視聴率・広告主至上の民放ならいざ知らず、
NHKが気にしないはずがない。
万一、放送中にその偏向した思想に基づく発言があった場合、大問題となることは
必定で、その危険性を回避するべく、番組を降番させることがあっても不思議では
なく、むしろ現場を監督する立場からすれば一般的な措置であろう。
まさかとは思うが、「神社や寺や教会には取材には行きません」とか「祭りは謗法
ですから取材には行きません」とでも主張したわけではないだろう。しかし彼女が
こうした措置に対して異議を唱えて戦ったとか、番組復帰を勝ち取ったなどという発言
はしていない。
そして記事は、自身が1日に4回も事故に遭ったという大罰の現象を語り、事故を
起こした際に関わった修理屋の社長を勧誘してどうのこうのと、NHKとは関係のない
部分に入っていくので割愛するが、この班長、実は「契約アナウンサー」で、単に
一年契約が切れただけのことなのだ。ただし、「契約アナウンサー」が皆、一年契約と
いうわけではなく、長期間画面に登場する人も多い中、この班長はすでに放送局のHP
から写真や経歴が削除され、この「女子アナブーム」の最中でも、ネット上ではごく
僅か、過去に神戸のインターネットTVに出ていた程度の情報しか拾えない。
局内で宗教勧誘をあからさまにするような人物に対し、契約を更新するような企業が
どこに有ろう。せいぜい経営者が顕正会員の企業ぐらいのものだ。
そういえば、昨年秋にリーマン日本法人を解雇された女子部や、大手新聞社を
辞めて(辞めさせられて?)「顕正新聞論説委員」になった男子部など、意外と顕正会
には“人材”が潜んでいるようだ。それが「解雇」「契約解除」「退職」の後でないと
発覚しないのは、なかなか“人材”を発掘できない幹部の能力のなさか。
もっとも、在職中に“人材”として顕正新聞に掲載されようがものなら、公安調査庁
がマークする「特異団体」の構成員だと宣言するようなものだから、オファーが
あっても、「いまは立場があるから載せないでくれ」と懇願しているのかも知れない。
辞めた後なら何とでも言えるだろうからなあ(笑)。
112
:
検証会議
:2009/05/08(金) 20:01:12
同盟通信 No 133
2009-05-07
=庶務部長の「お詫び文書」の不可解=
4月29日付けで阿部庶務部長が全国の住職・主管に宛てて「お知らせとお詫び」と
題する文書を出した。内容は昨年の里内師に対する不適切な行為について猊下から
「厳重な御注意」と「十日間の職務停止」を命じられたという"処分"に関するものと、
「かかる事態を招来したことは、ひとえに小職の軽率な行為によるものであることに
重々思いをいたし、深く反省し」「深くお詫びいたします」という"お詫び"である。
不可解な文書である。まず第一に、タイトルがおかしい。この文書は
「宗務院庶務部長阿部信彰」名で書いてあり、宗内においては公的な文書となる。
公式文書で自分自身に対する「処分のお知らせ」を書く団体・社会がどこにあるか。
普通、「処分のお知らせ」は監督責任のある上位役職者が出すべきもので、
この場合、猊下か総監が出すべきである。庶務部長は「お知らせ」する立場ではない。
タイトルはたんに「お詫び」であるべきなのだ。
次に、処分の中身だが、里内師の「住職罷免」に比し、庶務部長の「休職十日」は
あまりにも差別的である。そもそも今回の問題の発端は庶務部長がいうところの
「不適切な行為」である暴行が引き起こしたもので、里内師は被害者である。宗門は
被害者が罰せられて、加害者が大目に見られる世界なのか。そうだとしたら、まことに
恐ろしい世界であるといわざるをえない。
さらに、庶務部長には弁解の機会が与えられたが、当然、里内師にも弁明の機会を
宗務院は提供すべきではないのか。もしそれができないならば、不公平・不公正な
宗務行政といわれても仕方ないだろう。
最後に、今回の庶務部長の「処分」は、「大日蓮」誌に掲載されなければならない。
在勤者や御信徒たちにも周知すべきだ。連休のどさくさまぎれに住職たちだけにそっと
通知して済まそうとする前時代的な体質とはもうそろそろ決別したほうがいいと忠告
しておく。
(憂宗護法同盟員より)
113
:
検証会議
:2009/05/08(金) 20:01:31
石山だより
平成二十一年五月八日
阿部信彰よ 即刻、庶務部長を辞任せよ!
一、庶務部長・阿部信彰が、四月二十九日付けで「お知らせとお詫び」と題し、
北海道の得成寺・里内信徳師に対して不適切な行為に及んだとして、日如さんから
「十日間の職務停止」を命ぜられたと自分で発表した。こんな文書は前代未聞だ。
「人にキビシーク、自分にアマーイ」信彰のバカさ加減が滲み出たものである。
「小職としては身に覚えのない点はあるものの」と反省などさらさらしていない
言々句々を並べ、宗内の感情を更に煽り、事態を悪化させている。里内師に
言わせれば「冗談じゃない。そんなことで告訴などするか!」と言うだろう。
一層、火に油を注ぎ、里内氏に加勢するものを増やすことは間違いない。
信彰の暴力については、親譲りの血脈とも言える遍歴がある。埼玉・能持寺そして
ブラジル・一乗寺時代には、女房の信子の髪の毛をつかんで十メートルも引きずり、
信子が「ごめんなさい、ごめんなさい」と言っていた。「すみません」「申し訳
ありません」というのが信子の口癖だったようだ。所化や子供に対しても瞬間湯沸器
そのもので、弱い者に対して暴力を振るってきたのは日常茶飯事のことである。
目上の者にはペコペコ、目下の者には傲慢無礼、畜生そのものだ。在勤したものの中
には、恨み辛みを抱いているものは数知れない。「十日の職務停止」程度で
誤魔化すな!宗内僧侶の大半が待ち望んでいる声は、断固「庶務部長辞任!」である。
一、東京・妙縁寺住職の光久日康師が
①「宗門の疲弊を招いたのは学会破門が原因」
②「宗門トップは学会に謝罪し話し合うべきだ」
と言ってから、早いもので二年が経過する。光久師としては、本当のことを
言ったのに、宗門執行部は異常な反応を示した。あの時、光久師は大支院長と支院長を
クビにされた。日顕が裏で糸を引き、特に八木、信彰から強要されて教師講習会の席上
で他人が用意した謝罪原稿を無理矢理読まされたことは生涯許せない屈辱だろう。
光久師の処分と信彰の今回の処分には格差がありすぎ。所詮、親の権威で成り上がった
信彰は庶務部長の器に非ず!即刻、男らしく辞任せよ!
(散々、信彰から暴力を受けてきた恨み骨髄の所化鼠)
114
:
検証会議
:2009/05/09(土) 12:17:05
フェイク 第1025号
(発行=09.05.09)
坊主丸儲け、出費続きの信徒は丸損
真夏の総会を外部でなく大石寺で開く狙い
総登山で十億、大結集で一億五千万の御開扉料
大石寺の無謀極まる五十万総登山の参加者は強要された高齢者が多い。病弱な人も
いる。塔中の表参道では脇にある石のブロックに手を着いてハアハアと苦しそうな呼吸
をしていた老講員が「もう歩けない」と立ちすくんでいた。また、駐車場でも地べたに
しゃがみ込んでいる老婦人もいた。近くには整理・誘導の役員らしき者もいたが、
ボケーッとしていて、お年寄りに声を掛けようともしない。
何のために着任しているのか分からない。法華講員か妙観講の盲信者かは
分からないが、人間性のかけらも感じられない役員の態度である。無駄な駐車場ばかり
造成しても運営面は杜撰(ずさん)なものである。
こんな調子で七月の大結集総会を強行したら、事故が多発し、病人が続出して、
死人も出る危険性が極めて高く、悲惨な結果になることは明らかだ。
法華講の幹部が次のような話をしていた。
「七月には七万五千名の大結集をするが、何でこんな交通の便の悪い大石寺でやる
のか?大結集をしたいのであればドーム球場か国立競技場でも借りてやればよい。
五万人でも十万人でも集めることが出来る」
「真夏に屋外での集会とは信徒を何だと思っているのか?冷房完備の会場で行なう
べきだ」「大石寺では大結集のために今、お金をかけて駐車場を造っている。大結集が
終わったら、その後、一体、何に使うつもりか。お金がもったいないし、自然を壊す
ことになる。『立正安国論』を利用した金儲け以外の何ものでもない」
この法華講幹部の疑問は、実にもっともだが、ドーム球場などを借りて総会を開いて
も宗門には御開扉料が入らないから大石寺境内で強行するのである。
一人二千百円の御開扉料が七万五千人分も入ると、一億五千万円以上が儲かる。
それに対し、外部の会場を借りれば、御開扉料が入らないうえ、莫大な会場費が必要
になる。
坊主共の狙いは金儲けであり、五十万総登山の御開扉料は、実に十億円以上で、日如
らは笑いが止まらない。
また木々を伐採して無駄な駐車場の工事
現在、本山周辺で道路拡張や駐車場の工事をしているが、常灯ヶ峰でも敷地内の木々
を伐採して、新しい道路を造っている(写真)。
ここはバスの出入口だそうだ。また樹木を伐採して駐車場も造っている。宿坊を次々
と壊しては建て替え、やたらと駐車場ばかりを増やしている大石寺。こんな様子を
見て、近隣の人達は呆れている。
「この不景気な時に大石寺は工事ばかりやっているが、その費用は全額、信者が負担
させられるのだろう。坊主丸儲け、信者は丸損だな。ずっと大石寺の近くに住んで
いるが、今まで駐車場が満車になったためしがない」と嘲笑していた。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000698.jpg
115
:
検証会議
:2009/05/12(火) 00:37:20
フェイク 第1026号
(発行=09.05.11)
富士学林長の大村日統が死去
宝浄寺寄進の願主を誹謗、広布破壊の極悪僧
宗内には死を悼むより、飛び交う後任の噂
日顕宗の富士学林長で権僧正の大村日統(前教学部長、大田区・宝浄寺)が十一日
午前三時過ぎ、入院先の東京都内の病院で死亡した。享年七十五歳。大村は昭和八年
十月十三日生まれ、同十六年十一月に得度。妙海寺・宝相寺・法栄寺の住職を経て、
昭和三十九年十二月二十一日、学会が建立寄進した大田区内の宝浄寺住職になった。
一昨年八月、教師講習会で登山した時に倒れて入院。検査の結果、脳腫瘍と診断
され、手術をしたが腫瘍の三分の二しか切除できず、コバルト治療を続けていた。
今年三月頃からは黄疸の症状も見られるようになり、今月八日に再び倒れて緊急入院
したものの、遂に帰らぬ人となった。
大村は金の亡者で宗門問題が表面化した平成三年の初頭、それまで学会員に塔婆を
強要して集めた供養の金を約十一億円も溜め込んでいたことが露見した。そして東京・
目黒区内にある入会金一千万円の超高級医療クラブのメンバーにもなるなど、色々と
健康にだけは留意していたが、仏罰には対処法がなかったのだ。
宗内に「大村死去」の訃報が流れた十一日午前、その大村の死を悼む声よりも
「次は裕福な一等寺院の宝浄寺に誰が入るのか」という憶測が飛び交い、渉外部長の
秋元広学(世田谷区・宣徳寺)が「序列からも次は俺だ」と思い込み、早くもソワソワ
しているという様子も伝わってきている。
一方、秋元は闘病中なので、以前、宝浄寺にいた梅屋誠岳(藤沢市・寿照寺)が有力
ではないかとの噂もあるが、宗内の有力情報によると、早瀬日如の思惑は全く違う
らしい。
日如は、暴力事件を起こしたため、「停職十日間」の処分に付した阿部信彰を宝浄寺
に異動させることで日顕の顔を立て、その信彰の後の妙国寺には新潟にいる自分の長男
の道寧(聞正寺)を入れる魂胆らしい、とのことである。
宝浄寺に秋元、宣徳寺に小川只道を移し、妙観講を分断する案も
また、秋元広学を宝浄寺に入れて宣徳寺には理境坊の小川只道を移し、父親の仇で
ある妙観講を各末寺に分散させる案も日如はもっている、とも言われている。
それにしても死んだ直後、葬儀の段取りも決まらないうちに後任の噂でもちきり
とは、大村自身の身から出た錆とはいえ、何とも呆れ果てた邪教団である。
大村は学会から受けた多大な恩を「盗作」という仇(あだ)で返した忘恩の輩で
あり、女性用下着を箪笥一杯に集め、少女の胸に触り、衣の袖には避妊具を忍ばせる
など変態坊主としても知られていた。
ゴルフの腕前とカラオケ道場で鍛えたノドだけが自慢だった。得意な歌も
「愛の讃歌」や映画「マイ・ウェイ」の主題歌など数多い。
宝浄寺の落慶入仏式で御供養目録を奉呈した池田会長(当時)に請書を渡した
日達法主は「立派な寺院を御寄進して頂きまして有り難うございました。今後は
寺檀和合して日本一の寺院とするよう励んでまいります」と感謝の言葉を述べた。
この日達法主の意に反した大村は、僧俗和合を破壊し、謗法の限りを尽くして、
その生涯を閉じた。
116
:
検証会議
:2009/05/13(水) 16:22:04
石山だより
平成二十一年五月十三日
一、宝浄寺住職・富士学林長大村日統の葬儀が十三.十四日に行われる。
享年七十五歳。合掌
昭和十六年十一月二十八日、八歳で出家得度して六十七年になる。幼くして出家した
苦労はさぞかし大変だったろう。
戦後の宗門は、農地解放のため、本山の土地が五万坪までになってしまった。
そして、まともに食べることさえ出来なかった。本山では、坊の裏はみんな畑になって
いて、そこを耕し、米、野菜を栽培して細々と生活していた。当時は、みんなが
貧しかった。建物は老朽化し、絹衣を着するなんて考えられない時代だった。貧しい
時は、僧も俗もなく、日昇猊下でさえ坊に来て一緒に食事をとった。時には、僧も俗も
一緒に畑仕事をした。そんな困窮した本山の実情を憂い、登山会を提唱してくださった
のが第二代戸田会長であった。老僧は「今の若い者に、戦後の大変さが解るか」と
しみじみ語っていた。
一、思い返せば、第三代池田会長が就任後、海外広布の伸展により昭和三十八年三月
初の海外出張御授戒が行われた。その際アメリカに行ったのが、日顕と大村だった。
この時、宗史の汚点となったあのシアトル事件が起きた。
日顕とは、この時以来の悪縁となった。昭和三十九年十二月二十一日、弱冠三十一歳
で大世帯の宝浄寺の住職に任命された。落慶入仏式から間もなく、四十五周年になる。
何かに付け、絶大なる配慮をしてくださったのが、池田名誉会長なのである。大村に
とっては、大恩人の大檀那だった。
その大恩を仇で返した。かずかずの忘恩の所行は、仏法の因果の理法に法り厳罰と
なって顕れた。
大村は、よく「マイ・ウエイ」を歌ったが、自分の信念を持って生きればよかった
のに、余りにも極悪の日顕の言いなりになりすぎたことが、人生最大の誤算だった。
(悪侶出来せば親近す可からざる事・在勤鼠)
どうやら妙光寺・尾林日至が、今朝5時過ぎに亡くなったとのこと。最近、見る影が
なかった。
117
:
検証会議
:2009/05/13(水) 16:22:24
フェイク 第1027号
(発行=09.05.13)
続く訃報! 尾林日至も死亡
学会の海外組織の破壊を画策した極悪坊主
能化二人の相次ぐ死に肩落とす日顕と日如
日顕の陰謀に加担した能化が相次いで死亡――権僧正の尾林日至
(前宗務院海外部長、東京・妙光寺住職)が十三日午前五時過ぎに死去した。
享年七十一歳。
きょう十三日は大村日統(十一日に死亡)の通夜だが、二人の能化の死に日顕は憔悴
しきっており、日如の落胆ぶりも激しい。
尾林は海外の学会組織の撹乱、シアトル事件の隠蔽工作、御本尊不敬、杜撰な納骨
など悪逆の限りを尽くした極悪坊主の一人である。
尾林は昭和六十三年八月、前川慈肇の後を受けて海外部長に就任。この海外部とは
極悪ペテン師・山崎正友が学会の海外組織を破壊する目的で昭和五十三年に作った
謀略機関である。
日顕が「C作戦」を強行した直後の平成三年三月十五日、尾林は学会宛に無礼千万の
通知を送り付けた。
「従来、海外信徒の指導をすべて池田SGI会長に一任し、海外においてはSGI
以外の信徒組織は認めない方針をとってまいりました。しかし今後は諸般の事情に
より、この方針を廃止する事に致しました」
池田SGI会長の指揮の下、約三十年間にわたって営々と築き上げてきた世界広布の
組織を一片の紙切れで奪い取ろうという腹黒い魂胆であった。
それは日達法主が「私は世界の仏法流布という平和文化運動の実践運動をインター
ナショナル日蓮正宗創価学会会長池田大作先生に一切お願いいたしております」との
基本方針を真っ向から否定するものである。
ところが、アルゼンチンでは坊主の問題発言で法人登録の抹消、ブラジルでは一乗寺
乗っ取り裁判で敗北、韓国では偽装寺院や不法布教で相次ぎ断罪、インドでは所化二人
の大学院への不正入学が発覚するなど尾林の海外工作は全て失敗した。
そのうえ、海外での山田容済、中本代道の不倫までも露見したのである。
また尾林は、クロウ夫人の告白によって日顕のシアトル事件が露見した際、シアトル
に急行して現場の確認作業を行ったが、これも徒労に終わった。
大恩を忘れ日顕に追従、腰は曲がり悲惨な現証
尾林自身、平成十七年の一月頃から文字が書けなくなり、四月の虫払いの後には腰の
激痛に苦しんだ。背中の第十二胸椎、腰椎からいうと六番目の骨が圧迫骨折していたの
だ。この年の五月の広布唱題会の当日から声も殆ど出なくなり、七月には声帯に腫瘍が
できた。
その後、公の場から姿を消したが、パーキンソン病も患って平成十九年四月、久々に
同寺の御講に現れた姿は無惨だった。腰は「く」の字に曲がり、車イスで現れた尾林は
所化に担がれ、ようやく導師席に座ったが、鈴棒を持つ手は震え、勤行の声も弱々し
かった。
尾林がいた妙光寺は以前、貧乏寺で墓地に植わっていたシキミを切り取り、それを
売って食いつないでいた。
柿沼広澄がいた昭和三十九年三月、鉄筋コンクリート造りの本堂・庫裏が完成した
が、それは当時の池田会長が願主になり、費用の殆どを学会が負担して建立したので
あった。
その後も学会の外護で守られた大恩を忘れ、日顕に追従して広布破壊のお先棒を
担いだ現証は悲惨だった。
118
:
検証会議
:2009/05/14(木) 14:45:24
勝ち戦 第135号
2009年 5月12日(火)
大村日統の死相に絶句!
『題目で病気は治せない』と暴言
今年は、日顕宗『葬登山』の年だ!
天魔・日顕と共に仏法破壊、広布破壊に狂奔した、極悪の邪僧・大村日統(大田区・
宝浄寺住職)が十一日、厳しき仏罰の姿を晒して死亡した。
葬儀は、通夜が十三日(水)十九時から。本葬が一四日(木)十時から行なわれる。
日顕、日如が来る予定だ。
十二日(火)には十九時から仮通夜が行なわれたが、読経の後、大村と
「最期のお別れ」をしようと参列者が順番に棺の中を覗き込んでいた。
日顕宗の葬儀ではよくある光景だが、大村の死相を見た誰もが絶句。「エッ?」
口を押さえたまま固まる者もいた。大村の顔はまっ黄色に変色。その死相はまるで
クレヨンで黄色く塗ったかのようであった。
日顕宗の葬儀では、紫色やドス黒い顔、歪に変形した顔など、他宗では見られない
独特の死相を現じることが多いが、さすがにまっ黄色には驚かされたようだ。
大村は一昨年、脳腫瘍で倒れて手術をしたが完治せず、苦しい闘病生活を余儀なく
されていた。
四月十二日の御講には出席していたが、片足を引きずりかなり衰弱している様子
だった。自分の罰の現証は省みず、学会への誹謗・中傷を繰り返していた。同月二六日
に行なわれた支部総会には欠席し、講中に大村の容態悪化説が流れ、一気に講中に動揺
が広がっていた。五月三日の広布唱題会と、十日の御講も欠席し、十一日に死亡した。
大村は、昨年四月の御講で自らの闘病生活について告白し、「『患者』の『患』と
いう字は、『串』という字を書いて下に『心』を書くわけですが、つまり病を得た人は
心に串が刺さったような、そういう状況にあるわけです」と、自身の心境を「心に串が
刺さったような苦しみ」と激白していた。
また、「大聖人様も、お題目で病を治しなさいなんて仰せになっていない。
必ず病は、お医者さんで治せるということを仰せなされておられるわけですから。
お題目で自分は治すなんていうふうに、ま、頑張る方もおられますけども、お医者さん
によって治すというのが常識であろうと思います」と発言し、驚くべき無信心ぶりを
露呈した。
御本仏大聖人曰く、「南無妙法蓮華経は師子吼の如しいかなる病・障りをなすべきや」
「病を身にうけさせ給う・心みに法華経の信心を立てて御覧あるべし」「阿闍世王は
法華経を持ちしかば悪瘡も平癒し寿をも四十年延べたり」大村の発言は、御本仏大聖人
の仰せを否定し、信心、題目を否定するとんでもない邪義である。
大村は、三月の御講で、「本年、総登山に行かないと無間地獄に堕ちる」と信者を
恫喝した。結局、エセ登山を強要した大村が、無間地獄に堕ちた。
編集部(転載可)
119
:
検証会議
:2009/05/14(木) 23:29:18
同盟通信 No.134
2009-05-13
"急告"
=尾林能化も死去、俄然注目される人事の主導権争い=
大村能化の通夜の日に尾林能化が亡くなった。
尾林能化は、隠尊のもと、17年間にわたり、海外部長を務め、頓挫が確実な数々の
海外工作に着手させられてきた。享年71歳。平均寿命には届いていない。その意味では
早い死だった。
大村能化が亡くなって宗内の関心は直ちに後任住職の人事に集まった。都内の
有力寺院で預貯金は潤沢なうえ新築から間もないとあって、阿部庶務部長はじめ、
梅屋渉外部副部長、水島教学部長、笠原海外部主任らの名前が取り沙汰されている。
妙光寺は名刹であり、人事の行方は宝浄寺以上に注目される。妙光寺の後任は
土居崎宗会議長が大本命と目されている。
宝浄寺にせよ妙光寺にせよ、人事の決定に当たって、隠尊の影響力を尻目に猊下が
主導権を発揮できるか否かに宗内の関心は集まっている。
昨年、67世の誕生を告げた椎名元重役が亡くなり、教学部長だった大村能化、
海外部長だった尾林能化が相次いで去った。46年前、隠尊と共に第1回海外出張御授戒
のため、訪米した大村能化は、「シアトル」の件の真相を知る人でもあった。文字通り
67世の時代は幕を閉じようとしているが、67世本人は今もしたたかに生き続けている。
(憂宗護法同盟員より)
120
:
検証会議
:2009/05/15(金) 11:05:29
大石寺短信 第462号
平成21年5月14日(木)
日顕宗の動き
1.大村日統、尾林日至が相次ぎ死亡
日顕宗の前教学部長で富士学林長の大村日統(東京・宝浄寺)が11日、死亡した。
享年75。大村は一昨年、脳腫瘍を患い、術後、療養していた。また、2日後の13日には
前海外部長の尾林日至も死亡した。享年71。尾林も数年前に体調を崩し、以降、腰が
「く」の字に曲がったまま介助される姿が見受けられていた。
日顕が“盗座”した昭和54年(1979年)から、退座した平成17年(2005年)まで
教学部長を務めた大村。「エセ法主」にふさわしい「エセ教学部長」ぶりを発揮した
26年間だった。度々、盗作による原稿で講演を行ったかと思えば、学会機関誌に載った
イギリスの「ガーター勲章」に「十字架だから謗法」と的外れの言い掛かりをつけて
世間の失笑を買った。2年前の新潟県中越沖地震の際は「法華講員の墓石はきちんと
立っていて、その他の学会員の墓石が倒れた」と笑止千万のデマを吹聴し、「日顕宗の
坊主は大ウソつき」との定評をさらに強固なものとした。また、学会寄進の大寺院で
せっせと蓄財にふけりながら、口汚い学会批判に明け暮れるなど、「不知恩」を絵に
描いたような畜生坊主だった。
尾林も、昭和63年(1988年)から17年間にわたり、海外部長として日顕の海外工作の
お先棒を担いできた。しかし、各国で次々と違法行為が摘発・断罪され、脱講が進む
など、「日本がダメなら海外で」との日顕の目論見は完全に破綻した。一方、自分の寺
の成果も毎年低迷続き。苦し紛れに学会批判の「手紙」を作って講員に配らせたが、
かえって地元学会員に破折され、尾林のメンツは丸つぶれとなった。また、坊主にした
一人息子を若くして亡くすなど、私生活でも不幸に見舞われていた。
昨年の椎名日澄以降、3人の能化(=日号がつく坊主)が死んだことになる。この他、
福岡・法霑寺の秋山日浄の容体も厳しいとのこと。先月4日には香川布教区前支院長の
堀寿奘が60歳で死んだ。
「立正安国論750年」の記念行事までわずか2カ月。執行部は、思いつきの唱題行を
始めるなどして、雰囲気を盛り上げようと躍起になっているが、その思惑とは裏腹に、
宗内には暗く陰鬱とした空気が漂うばかりである。
2.「停職10日」の信彰が不可解な「お詫び」
昨年11月、北海道・得成寺の住職・里内信徳に暴行を働いた庶務部長・阿部信彰に、
ついに処分が下った。処分の内容は「10日間の職務停止」。各末寺に配信された文書
は、「4月29日」付けの「庶務部長 阿部信彰」名で「お知らせとお詫び」と題した
もの。文書には、里内への「不適切な行為」について「本日、御法主上人猊下より、
厳重なる御注意を賜るとともに、十日間の職務停止を命ぜられました」とあり、
さらに「かかる事態を招来したことは、ひとえに小職の軽率な行為によるものである
ことに重々思いをいたし、深く反省し」「深くお詫びいたします」とある。
これを、憂宗護法同盟の「同盟通信」が手厳しく糾弾している。同通信は、まず、
「公式文書で自分自身に対する『処分のお知らせ』を書く団体・社会がどこにあるか。
普通、『処分のお知らせ』は監督責任のある上位役職者が出すべきもの」とし、法主の
日如か総監の八木が出すべきとしている。また、「里内師の『住職罷免』に比し、
庶務部長の『休職十日』はあまりにも差別的」と指摘。さらに、「(信彰の処分を)
在勤者や御信徒たちにも周知すべきだ。連休のどさくさまぎれに住職たちだけにそっと
通知して済まそうとする前時代的な体質とはもうそろそろ決別したほうがいいと忠告
しておく」と痛撃している。
被害者・里内が信彰を刑事告訴してもなお、ダンマリを決め込む執行部への批判が
強くなってきたゆえの今回の処分というところだろうが、またまた、「日顕宗の常識は
世の中の非常識」という事実を宣伝する結果となった。
121
:
検証会議
:2009/05/15(金) 11:05:59
越 洋
平成21年5月14日
隠尊夫人の政子が赤坂の一等地に時価1億数千万円の“隠しマンション”を所有して
いる事実が発覚し一年と二ヶ月が過ぎた。未だに日顕を始め関係者からなんらの説明も
ない。説明責任があるのに、災難が通り過ぎるまでダンマリを決め込んでいる。
娘の百合子は百合子で、売りに出したとはいえ麹町に“時価7千万円”は下らないと
いうマンションを持っていた事実も露見。日顕ファミリーとその取り巻きだけが
贅沢三昧をしている現状は、毎月の生活費さえ困窮している末寺住職・寺族にとって、
許し難い事実だ。その怒りは頂点に達していた。ましてや、百合子は未亡人なのに、
高級車を乗り回し、本山所化に今でも、カウンセリングをやって、過分の手当を
もらっている。
そんな中、日顕に盲従していた大村(11日)と尾林(13日)の急死の報が入った。
多くの住職達は“やっぱり厳しき現罰がでた”と仏意仏勅の広宣流布の団体を誹謗する
ことの現証を目の当たりにしたのである。
大村日統(75歳)は、一昨年8月に本山で倒れ脳腫瘍の手術をしたが、腫瘍が
三分の二しか取れず、コバルト治療をしていた。海外部長だった尾林日至(71歳)は、
パーキンソン病で頭は働いているが、身体は筋肉が萎縮していく奇病で、法務は出来ず
病院で療養していた。治療の甲斐もなく、両氏ともほぼ時を同じくするが如く突然の
急死である。誰もが、仏法の厳しき因果律からは逃れることは出来ないことを思い知る
ことになった。
教学部長という立場で支え続けた大村、また海外SGIの破壊と檀徒作りに奔走し続けて
来た尾林の二人を失った日顕。宗門事件発生から19年目の本年、令法久住・広宣流布
そっちのけで、日顕一族が栄耀栄華を目論み、自分たちだけの享楽にふけってきた時代
の終焉の時を迎えた。
122
:
検証会議
:2009/05/15(金) 11:06:28
フェイク 第1028号
2009年(平成21年)5月14日(木)
「能化が死ぬと法主も死ぬ」
宗内に不吉な予感 関心事は葬儀より人事
「妙光寺住職に阿部信彰」の噂に早くも非難
日顕宗内では能化の相次ぐ死について「不吉な予感」だと受け止めている者もいる。
以前から宗内では「能化が死ぬと相前後して法主も死ぬ」というジンクスがある
からだ。例えば、昭和三十四年、管長代務者を勤めたことのある品川・妙光寺の
中島日彰(僧正)と第六十五世・堀米日淳法主は殆ど同時期の他界だった。
また、第六十六世・細井日達法主の死去は漆畑日広(昭和五十四年七月に追叙 僧正)
の直後であった。
昨年は日顕の相承詐称の片棒を担いだ平安寺の椎名日澄が死に、今月は大村日統と
尾林日至が立て続けに死亡した。
そこで、宗内には「いよいよ次は御隠尊が……」という予感が広がっているのである。
同年代の人の葬儀は相当にショックなのが人情だが、まして、日顕にしてみれば自分
よりも十歳以上も年下の者の死から受けるダメージは大きいに違いない。
それはともかく、大村日統の通夜が十三日夜、早瀬日如の導師で行われたが、参列者
の関心事は、大村に続いて尾林の死による住職の後任人事であった。
最も注目されるのが妙光寺住職の後任である。ここは常在寺、常泉寺と並んで
「能化寺」とも言われ、日顕宗の中では格式も高い。
やがて法主になるかもしれない坊主の出身寺としては申し分ない。そんな理由から
日如は、この寺に本命の土居崎慈成を外して阿部信彰を入れることで日顕を黙らせ、
あとは思い通りの人事を断行するのではないだろうか、との噂もある。
それにしても、末寺の平坊主にケガを負わせた信彰は、本来ならば庶務部長をクビに
なるべきなのだが、僅か「停職十日間」の処分を受けたと自己申告しただけで、何の
咎(とが)めも受けないばかりか、一等寺院の妙光寺に入るのではないか、との噂に
早くも非難の声が聞かれ、この人事は難航が予想される。
次に関心が高いのが宝浄寺である。宗務院の五部長の一人である秋元広学という案が
濃厚と見られている。一部には大村の女房の弟・田島寛応ではないか、という声も
あるが、否定的な見方が強い。梅屋誠岳の線は立ち消えたようだ。
宣徳寺は小川只道か?
興味深いのは宣徳寺で、本山から小川只道が異動になるとの噂が高まってきた。
日如は小川を本山から追い出したいというのが本心である。理事としては古株の小川
がいなくなれば、佐藤慈暢も主任理事としての仕事がやりやすくなる。
しかも、小川のあとの理境坊に佐藤を入れ、その後の百貫坊には宮野審道を入れて脇
を固めるのが日如の腹づもりと言われている。
この宣徳寺に小川を入れる案に日顕も同意している向きもある。宣徳寺は日顕が
私物化している等々力の豪邸にも近いし、いつ倒れても不思議ではない日顕に万一の
ことがあっても、日顕の提灯持ちの小川が直ぐに駆けつけられるからだ。
日如は、宗内の注目を妙光寺、宝浄寺、宣徳寺の後任人事に集めておいて、妙国寺
には長男の道寧を入れたいのが狙いである。
こんな日如の思惑通りに人事が運ぶかどうか、日如の手腕に注目したい。
123
:
検証会議
:2009/05/17(日) 21:16:31
勝ち戦 第136号
2009年 5月17日(日)
尾林日至も堕地獄の相!
広布破壊で一族が崩壊!
七月の大結集は中止!
五月十三日に死亡した、前海外部長で妙光寺(品川区)住職・尾林日至の通夜が、本日
十七日十九時から行なわれる。告別式は十八日十時から。
十七日は当初、毎年恒例の『虫払法要』が行なわれる予定だったが、急遽、尾林の
葬儀に変更。長年妙光寺に寄生して法を蝕んできた害虫を駆除する、本当の意味での
『虫払法要』だ。
本日、日顕と日如は十八時に妙光寺に到着する予定だが、突然の暴風雨に注意したい。
日顕は十三日にも枕経に訪れているが、自らの手駒としてSG I破壊工作に狂奔した
尾林の凄まじい死相を見て、さぞかし「ギョッ!」としたことだろう。
尾林の死相は、肉は削げ落ち、ガリガリに痩せこけ、頬骨と目の周りの骨が浮き出て
骸骨そのもの。下顎は引っ込み上顎が突き出し、口は全開。目の周りは黒ずみ、生前
つぶらな瞳だった尾林の目は驚くほど大きく見開き、目玉は上を向いていた。まるで、
奈落の底に堕ちていく人が上に向かって助けを求めているような形相だ。これを堕地獄
の相と言わずして何と言おうか。
平成三年、妙光寺庫裏の応接間で、学会青年部員と尾林が約二時間会話した内容の
記録がある。
青年「SGI破壊工作を企んでいるのか」
尾林「SGIを壊すようなことはしない。檀徒も作らない」
(応接間の電話が鳴り尾林が応対。海外での脱会者の対応を指示)
青年「やっているではないか!」(声に驚いた女房と息子が駆けつける)
尾林「いや、これは違う」
青年「今後、SGIの破壊を画策するようなことがあれば、尾林さん、あなた自身が
必ず無間地獄に堕ちる。奇病になって苦しみぬいて死ぬことになる、いいですね!住職
だけではない、このご家族も同様です!」
尾林「もしやればね、分かりました」
平成十三年、息子・信正は奇病で死亡。そして尾林は、平成十七年から奇病に苦しみ、
仏罰の無惨な姿を晒して死亡した。
仏法の厳しい因果からは、誰人も逃れることは出来ない。大村、尾林の死は、日顕宗
の悪侶共に鉄槌が下る瑞相と知れ!
十六日、仮通夜に坊主が五十人程来ていたが、法類代表の藤原広行はなぜか
大はしゃぎ。妙光寺信徒とも談笑し、自分こそが次期住職と言わんばかりの振る舞い
だった。
また、坊主らの会話は、「七月二六日の大結集は、新型インフルエンザの影響で中止
が確定した」との話でもちきりに。日本での感染が確認された以上、当然のことだ。
大結集の中止で、日顕、日如の求心力は急落し、宗門は一気に衰退するだろう。
日顕には仏法の厳しき裁きがあるのみだ!
124
:
検証会議
:2009/05/19(火) 02:38:40
フェイク 第1029号
(発行=09.05.17)
日如・日顕のお経は供養にならず
邪宗の能化・大村と尾林は堕地獄の悪相
「死相に背筋がゾッとした」と語る関係者
大石寺では十七日(日)、朝から雨が降るなか登山してきた法華講員は皆、濡れて
寒そうにしていた。午後からは突風が吹き、濃霧が発生して視界が悪くなり、車は
ヘッドライトを点けて走行していた。
そんな中、早瀬日如は御開扉の後、東京へ向かい、夜は尾林日至の通夜の会場の
品川・妙光寺に現れた。
大講頭の河原昭太郎が死んだ先月、約四十年間も奉仕させておきながら、その通夜、
告別式には姿を見せなかった薄情な日顕が坊主仲間の葬儀には宝浄寺にも、妙光寺にも
顔を出す。この日の異様な強風と雨は日顕のせいだと言う人もいる。
導師の日如は疲れきった表情をしていたが、表情といえば、法華講員によると、去る
十一日に死んだ大村日統、この日に通夜の尾林の二人とも目を剥き、大口を開けるなど
死相が余りにも酷く「棺を見て背筋がゾッとした」と語っていた。
人の死相について、とやかく書きたくはないので詳しい描写はしないが、周りの者も
たじろぐ程で、関係者が「こりゃ酷い。(他の人には)見せられないな」と小声で
囁きあっていた。
そういえば、昨年二月に死んだ平安寺の椎名日澄も堕獄の相だった。
大村は今年三月頃から黄疸の症状が出ていたので黒い筈の死体は真っ黄色に変色して
いたが、椎名も尾林も骸骨が黒い皮を着たようだったということである。
日蓮大聖人は「報恩抄」に「『今畏の遺形を観るに漸く加(ますます)縮小し黒皮隠隠
として骨其露(あらわ)なり』等云云、彼の弟子等は死後に地獄の相の顕われたるを
しらずして……人死して後・色の黒きは地獄の業と定むる事は仏陀の金言ぞかし」と
記されている(御書三一六ページ)。
これは善無畏の弟子達の無知を指摘されている文で、善無畏三蔵の遺体を見ると、
次第に体が小さくなって、黒皮に覆われて骨が露われていると書いているが、それは
死後に無間地獄に堕ちた業相である旨、教えられているのである。
大村、尾林、そして椎名も善無畏三蔵と同じような堕地獄の姿であった。
日顕宗の坊主は「僧侶の導師でないと成仏しない」「友人葬、家族葬では
成仏しない」「僧侶が引導を渡す必要がある」等と言うが、その引導を渡す僧、しかも
能化が堕地獄の悪相で死んだのだから話にならない。
「坊主は自分自身の成仏を考えよ」
戸田第二代会長の「寸鉄」に鋭い指摘がある。
「一、坊主の仕事は衆生を成仏させる事だが、自分が成仏出来るかどうか考えた事が
あるのか。
一、死人への供養のためとすれば、ちっとも供養にならないと云う事を知っている
のか、喰って寝て豚同様の動物と云う事を自覚せよ」(昭和二十八年一月十日付)
寺族同心会からは五百万円、日顕と日如は百万円の香典を包んだそうだが、
「倍返し」の習慣で遺族は日顕に二百万円、日如には三百万円を供養したようだ。
それだけの多額の供養を懐に入れた法主と称する日如が導師を勤めて引導を渡し、
隠居した前法主の日顕が同座しても、大村と尾林の堕地獄の悪相はそのまま、変化は
見られなかった。
125
:
検証会議
:2009/05/20(水) 11:46:55
フェイク 第1030号
(発行=09.05.19)
やはり早瀬道寧が栄転、応顕寺へ
大村・尾林の後任、日顕に配慮した日如人事
妙光寺に土居崎慈成、宝浄寺は舟橋義秀
大村日統と尾林日至の二人の能化の相次ぐ死去に伴い、日顕宗内の関心を集めていた
後任の住職人事が十九日に決まった。
大田区・宝浄寺の大村の後任に舟橋義秀(六十九歳)、品川区・妙光寺の尾林の後任に
土居崎慈成(七十二歳)、この土居崎の後任の鎌倉・土居崎慈成護国寺住職に榎木境道
(五十七歳)、そして舟橋の後任の応顕寺には早瀬日如の長男・道寧(四十六歳)が決定
した。
今回の人事は日如が主導権を発揮したようにみえるが、実際は日顕にも十分、配慮
したものである。
ただ、本紙第一〇二八号舟橋義秀で予想した阿部信彰、秋元広学の人事案は難航し、
二人は涙を呑んだ形になった。特に、秋元は大村の訃報が伝えられている最中、早々と
宝浄寺入りを期待して、ソワソワと落ち着かない素振りを見せていたが、束の間の
ヌカ喜びに終わった。
また、信彰は暴力事件を起こして刑事告訴されたことが響いて栄転が見送られた
ようだ。小心者の日如は波紋が広がるのを恐れて、大々的な人事が出来なかったの
だろう。
妙光寺に移ることになった土居崎は、同寺の第六代住職をしていた故・柿沼広澄
(日明)の弟子である。その意味では妙光寺系列の坊主の中では穏当な人事とみられては
いるが、細井珪道(常在寺)を煙たく思っている日顕の後押しで、細井を押し退けて
宗会議長にしてもらった土居崎。この度の異動も、日如が日顕に配慮した人事だと
いえる。
億単位の個人資産を所有していた大村の後任として宝浄寺に入る舟橋は、
昭和二十三年八月に得度。日如の父親・日慈の弟子で日如とは兄弟弟子の間柄で
あり、早瀬系の中心的な坊主。この舟橋が住職をしていた横浜の応顕寺は、日慈が
昭和五十八年十二月に神奈川教会を再興して応顕寺と寺号公称したものである。
故・大村は法道院系で姉は吉田日勇の女房、日勇は日慈の盟友であった。その意味で
早瀬系が宝浄寺を死守した格好になった。
榎木は同三十八年に得度。日達師の弟子で衛三坊、仏法寺を経て倉敷の宝清寺に
いた。以前、日顕に法教院について質問し「お前は花野と同じか」と嫌われていたが、
日如に救われた。
特筆すべきは道寧(写真)の栄転だ。日如は長男を新潟の聞正寺から大都市・横浜に
異動させた親バカ人事で長年の願いが叶い、さぞ満足だろう。
それにしても、死後一週間も経たないうちに、もう引越しの準備をしなくては
ならない遺族は、夫や父親の死を悲しむ暇もない。
せめて、二七日、三七日が過ぎてから、とも思うが、それも日顕宗が血も涙もない
冷酷無比な体質だから仕方がないのか――。
http://userimg3.teacup.com/userimg/8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000708.jpg
126
:
検証会議
:2009/05/23(土) 12:20:28
フェイク 第1031号
(発行=09.05.21)
登山を拒否する法華講員が増加
寂しい各種法要、妙観講総会も目標の八割
客殿での唱題行は常にガラ空きの「空念仏」!
功徳も歓喜もない日顕宗の五十万登山に参加する法華講員が減ってきている。
「たとえ坊主と喧嘩になっても登山しない」「昨年のプレ大会は、参加者が足りない
から、と頼まれて長時間、バスに乗って行ったが、疲れただけだった。お金と時間を
かけて行くところじゃなかった。今年は登山に誘われているが、もう絶対に行かない」
これらの人達は登山・供養・結集・倍増だと煽られているのは、坊主に騙され、利用
されているだけだと、やっと気付いたのである。「今年になって既に十回、家族三人で
三十回も登山したが、もう懲りた」と言う講員もおり、登山を拒否するようになって
いる。
先月の妙観講総会も大草らが無理な結集を煽っていたが、結集は目標の約八割に
過ぎなかった。
今月一日の南條時光の祥月命日に行われた「大行会」の参加者も塔中の坊主、及び
渡辺定元、土橋昌訓ら大石寺総代のほか、法華講など僅かで、昭和初期の山寺に逆戻り
した感じの法要だった。この凋落ぶりを大行尊霊も嘆いているだろう。
日達法主が「池田先生は大篤信の偉人」
大行尊霊といえば、日蓮正宗の最後の法主・細井日達師の言葉を思い起こす。
同法主は昭和四十九年三月、妙蓮寺で南条時光を「大篤信の賢人」と称え、当時の
法華講総講頭・池田会長(現名誉会長)を「大篤信の偉人」と次のように称賛していた。
「大行尊霊去りて六百四十二年 昭和四十九年今また大行尊霊に継ぐ大篤信の偉人
ありそれ法華講総講頭池田大作なり 今や此の人により宗門は総本山を初め各本山及び
末寺に到るまで廃れたるを起し 新寺を建立し信徒は日々に増大し一躍大宗門の名に
より世界に周知せらるるに至る」
名誉会長の功績は本山用地百万坪以上の寄進、末寺約三百五十ヶ寺の建立に
とどまらず、全世界への妙法流布の軌跡は仏法史上、未曾有の大偉業と言ってよい。
大石寺での七日の日興上人、十三日の大聖人御報恩御講の参加者も地元の法華講が
百人そこそこだった。
更に「七百五十億遍唱題行」は毎日、客殿で行ってはいるが、場内はガラ空き状態
で、しかも、塔中坊は唱題行をやっている気配がない。これでは七百五十億遍の
十分の一にも満たない。実行の伴わない口先だけの宣伝の「空念仏」である。
特に、日顕は昔から唱題嫌いだが、今も蓮葉庵に泊まっていても唱題行には
出てこない。十六日付「慧妙」が「唱題行に功徳がない」と学会が批判している旨、
書いていたが、この「慧妙」の記事は、いつもの歪曲で、「宗門は功徳のあるような
唱題行を実践していない」と指摘するものである。
末寺の坊主も能天気だ。大阪市・妙輪寺の坂田正法は「二時間の唱題行でございます
が、家庭には色々な事情があります。一時間なら何とかできる人もいる。その人が茶碗
を洗いながら、大根を切りながら題目を唱えることが大切です」「私も若い頃に二時間
の唱題行をやったこともあるが、そりゃ、もう大変です」
今では坂田のように全然、ヤル気のない坊主が多いのが実情なのである。
127
:
検証会議
:2009/05/23(土) 22:40:39
石山だより
平成二十一年五月二十二日
一、昭和三十二年八月三十日に日蓮宗から帰一した日向本山・定善寺の住職であった
小原日悦師が次のように述懐したことがある。「帰一する前は、檀家だけが集まって
きたが、勤行できる者が全くいなかった。ところが、学会員が寺に来るようになって
から、私の読経に続いて私の声に和するではないか。
私にとって驚きであり、感動であった。学会員は皆、勤行がうまい。帰一できたのも
全て学会のお陰です。本山が発展したのも、末寺が興隆したのも、池田会長、学会の
お陰なんです」そして「本山が疲弊した時も戸田会長が登山会を提唱してくれた。末寺
が困っていた時、池田会長が御講を提案してくれた。だれが、宗門の将来を考えて
くれたのか。戸田会長・池田会長以外誰もいないじゃないか」と。小原師の率直な心情
が滲み出ている。宗門の緇素一同、耳を傾けるべきだ。
それを、貧乏をしている時は頭を下げて、金が貯まってきたら横柄傲慢になり、広布
の努力もせず、汗も流さず、号令ばかりで、自分たちがやってきたことを反省も
しないで、難癖を付けて謗法呼ばわりする。宗門の歴史の中で大石寺が、どれだけの
謗法をしてきたのか、みんな知っている。
一、大村日統と尾林日至の葬儀の模様が伝えられたが、大村の死相は黄疸のためとは
いえペンキを塗ったように真っ黄色。尾林は、目が落ちくぼみ誰にも見せられない
ひなびた骸骨状態。身内親族だけのお別れだった。二人とも、自称法主日顕の言いなり
になり、学会批判を口汚くやってきた。大聖人曰く「此の十四誹謗は在家出家に亘る
べし恐る可し恐る可し」(松野殿御返事)と。御文の如く仏罰の現証は厳然である。
一、今回の宗門事件は、学会を破壊しようと最初から日顕が仕組んだことである。
「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ日蓮一人の苦なるべし」(御義口伝)の御金言
のご精神が少しでも解れば、正本堂・大客殿を破壊したり、一千万信徒を破門する
なんて出来る筈はない。あまりにも修行を怠り、遊びほうけた天魔だからこそ、無慈悲
な行為を平気でしたのだ。日顕の終焉の相がいかなるものか全世界が注目している。
(有史以来の大謗法の親分・日顕の終わりが近いと直感する元奥番鼠)
128
:
検証会議
:2009/05/24(日) 04:59:50
フェイク 第1032号
(発行=09.05.22)
「水と乾パン持参で登山せよ」と
大石寺での真夏の大結集は「決死の覚悟」で
仮眠場所もなく駐車場での休憩で熱射病に
大石寺で七月の炎天下に開催する七万五千人大結集総会について「大白法」
五月十六日付に、その概要を掲載し、宗門は参加者に「持ち物リスト」を配布した。
それらを見ると、参加者は決死の覚悟が必要になる。
まず、今月十日の京都・平安寺の御講で高野法雄は「大結集総会は、もう目前に
迫っています。だが、決して楽な登山ではありません」「腹を決めて参加するように」
と厳命。また、運営の副主任になったT氏に辞令を渡しながら「これからは子供や
奥さんには構わないで任務に頑張ってください」と申し渡していた。
そのあと、高野は本山に仮眠場所もなく、バスの中でも休憩はできない旨、
次のような説明をしていた。
「六万登山の時はバスの中でクーラーをつけて休憩できたが、今回はバスが
止まったらクーラーも止めなければならないから休憩もできません。仮眠場所もない。
駐車場にテントを張るなど対策を練っていますが、寝具を敷く場所はない」
桜を伐採して乱造した駐車場(本紙九七一号など参照)が休憩所とは熱射病になる人が
続出するだろう。死に物狂いの大結集になる。
虫除けスプレー、日焼け止め、絆創膏、薬も
宗門が配布した「持ち物リスト」を見て「これじゃ、まるで昔の歩兵のようだ」と
苦笑する人もいる。荷物を入れるバッグの大きさも決められて、四十五センチ×
三十五センチ以内。大き目のバッグは厳禁で、リュックサック(背負袋)が良い、
としている。その背負袋に入れて持参する物としては食料と水のほか、
虫除けスプレー、日焼け止め、絆創膏、服用中の薬、雨具等とされている。
それも富士宮市内の道路が混雑するから水(ペットボトル)も食べ物も大石寺周辺
では買わずに出発時に用意せよ、とのことである。
食料は少なくとも二食分の用意が必要だが、季節柄、傷みやすいので日持ちの良い
乾パン等を勧めている。
戦時中じゃあるまいし、今は自衛隊でも乾パンを余り食べないそうだ。
坊主は、ご馳走を食べて、冷房の効いた部屋で休む。片や、信徒は水と乾パンで仮眠
もできず、休憩もできないとは差別も甚だしい。
雨具も「総本山の傘は足らない。各自で持参」となっている。この雨具について、
本山の関係者が「前は『雨日顕』と言われて雨が降ることが多かったが、日如さん
だから多分、降らないと思う」と説明、雨天の場合の対応策は何もない。こんな予感が
大結集総会の運営準備の基準になるとは、無責任で能天気なものだ。
一方、大石寺では七万五千人の受け入れ準備として、大書院の濡れ縁の水洗いと
ワックス掛け、三門周辺の石畳のメジの修理を行なっているそうだ。
まさか、登山者を大書院の濡れ縁や石畳で休憩させるつもりではあるまい。
こんな場所の掃除、修理より優先すべきは登山者の仮眠場所、休憩所、待機場所などを
準備することである。
いずれにしても、法華講に登山せよ、と命令するだけで、その安全や健康のことなど
は何一つ考えていない。体調を崩して倒れたり、死にたくなかったら、大石寺へ
登山しないに限る。
129
:
検証会議
:2009/05/28(木) 20:51:57
越 洋
平成21年5月25日
「立正安国論」に云く「旅客来りて嘆いて曰く近年より近日に至るまで天変地夭・
飢饉疫癘・遍く天下に満ち広く地上に迸る牛馬巷に斃れ骸骨路に充てり死を招くの輩
既に大半に超え悲まざるの族敢て一人も無し」と。新型インフルエンザの世界的な蔓延
といい、100年に一度と言われる世界的不況。そして国連の高官は「2009年には
飢餓人口は10億人を突破するだろう」と語っている。こうした現状のなか世界では毎日
3万人の子供達が餓死しているといわれている。
今まさに日本も世界も750年前の様相を呈している。
750年前、大聖人は一切衆生を救わんと身命を賭して国家諫暁を行った。その時、
建長寺道隆・極楽寺良観ら鎌倉仏教界を代表する「邪法の僧」たちは、豪華な袈裟衣を
身にまとい、大きな伽藍に住み、民衆を救う気持ちもなく遊興に耽っていた。そして
国家権力と結びついて、大聖人と弟子を抹殺しようとしたのである。
日寛上人は「立正安国論」の文段で「蓮祖上人は只これ東西馳走して諸宗を折伏し、
未だ塔寺に安住せず」(日寛上人文段集)。大聖人は、席の温まる暇もなく諸宗を折伏
されていたのであると述べられている。
750年後、日顕は二百万円以上の特注の袈裟衣を身にまとい、東京の渋谷区松涛、
世田谷区等々力の大豪邸に住み、衣食住にわたって贅沢の限りを尽くしてきた。その姿
は「邪法の僧」そのものである。「立正安国論」750年の今こそ平成の妖怪僧日顕。この
"一凶を止める"時である。
質素な暮らしが偲ばれる大聖人の狭い草庵跡と日顕が建てた松濤と世田谷の豪邸
出張所
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000712.jpg
130
:
検証会議
:2009/05/28(木) 20:52:24
越 洋
平成21年5月29日
"世界の空気が読めない"指導者に従っている組織や団体が今、正に没落の一途を
辿っている。環境問題にも無頓着・無関心、反社会的宗団「日蓮正宗大石寺」こそ最も
象徴的な団体である。その元凶は天魔日顕である。
平成5年に総坊前の約280本の桜を切ったのを皮切りに、なんと切った桜は数万本。
同じく杉の木は数え切れない。その空き地に車が停まりもしない駐車場を何ヶ所も
作った。駐車場が利用されるのは、せいぜい年数回。アスファルトで空き地を覆った
ため、生態系が変化して、生物の成育に多大な影響を与えることは間違いない。
自然環境を無視した木の伐採は、必ずや将来、大きな障害となり大石寺に災厄を
もたらすだろう。
"地球温暖化は従来の予測をはるかに超えるペースで進んでいる"という衝撃的な
研究成果が今年2月14日、米イリノイ州シカゴで開かれた米国科学振興協会の
シンポジウムで発表された。今や世界は地球温暖化が加速し、環境問題に各国は敏感に
対応し始めている。今年、国連環境計画(UNEP、本部ナイロビ)は世界規模で
1年間に10億本の苗木を植える「10億本植樹キャンペーン」を推進している。この
運動はノーベル平和賞受賞者であるワンガリ・マアタイ女史などと連携して、各国で
多くの子供たちが積極的に参加をするなど世界的規模で確実に広がっている。
平成5年3月24日、初代環境庁長官の大石武一氏が地元の環境保護団体の要請に
応じて大石寺の桜伐採現場を視察。その時大石氏は「宗教は生命を大事にするものじゃ
ないのか」と何度も何度も「かわいそうに」「もったいない」と怒りを露わにして
いた。アフリカの大地に3000万本の苗木を植樹したワンガリ・マアタイさんも
大石寺森林伐採を目の当たりにしたら必ず"MOTTAINAI"と言うだろう。マアタイさんが
提唱する『もったいない』の考え方は「そのものの価値が生かされず、無駄になるのが
惜しいという自然への畏敬の念」が込められている。自然への感謝の心を忘れた日顕を
はじめ宗門は世界から環境破壊の張本人との烙印を押されることは間違いない。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000713.jpg
131
:
検証会議
:2009/05/29(金) 00:38:39
フェイク 第1033号
(発行=09.05.27)
日顕の悩乱で頻発する大災害
新型インフルに関する「慧妙」の愚論を破す
六千五百人の人命を守った池田会長の即断
盲信者の妙観講が作っている「慧妙」五月十六日付一面に、またも愚劣な記事を
載せている。現在の新型インフルエンザの発生は、学会の「悪法」によるという愚にも
つかぬ言い掛かりである。仏意仏勅の団体が流布している法を非難するのは、
日蓮大聖人の妙法を貶すのと同じ大謗法である。
仏法に無知な「慧妙」の脱線記事は今に始まったことではない。平成十三年九月の
ニューヨークの同時多発テロを謗法による罰だとの暴論を載せ、現地のマスコミや
各方面から激しく糾弾されたのは記憶に新しい。
「慧妙」に限らず、宗門の錯乱を端的に物語る事例が近年の地震、津波、テロ、事件・
事故から不況に至るまで全て日顕に対する誹謗が原因であるとの変な現証論を
振りかざすことである。
例えば、日顕宗は平成二年の雲仙・普賢岳の噴火、同五年の奥尻島の津波、同七年の
阪神大震災なども全て学会の謗法によるという根も葉もない的外れの非難をしていた。
また、中越や九州の大地震、JR福知山線の列車事故までも学会のせいだと暴言を
吐いた坊主もいた。このように何事も感情的に学会の悪口を言うのが日顕宗だが、実は
日顕の悩乱こそが大災害、疫病等の根本原因である。
その実例の一つが、平成十六年十二月のスマトラ沖大地震である。
地震発生は日顕が「インドネシアへ行きたい」と言い出した直後のことだった。
巨大地震と大津波による被害はインドネシアをはじめマレーシア、タイ、ミャンマー、
インド、スリランカなど広範囲に及び、死傷者は実に三十五万人以上にものぼった。
日顕は翌年早々、インドネシアへ見舞いではなく供養集めに行ったが、帰国後、
体調を崩して約一ヶ月間、表に出られなかった。これが罰の現証なのである。
日顕は大惨事の度に笑みを浮かべながら「法華講は一人も死んじゃいない」と言う。
だが、もともと信徒のいない地域だから犠牲者もいないのが当然である。
災害の度に正義の団体を非難する宗門だが、被災者を救う行為は何もしない。
学会は被災者を救い、
閉め出す日顕宗の寺
昭和四十六年八月、富士山麓の朝霧高原で実施中のボーイスカウトの大野営大会
(世界ジャンボリー)が台風の暴風圏に巻き込まれたことがある。この時、大石寺への
避難要請を宗門は「寺が汚れる」と嫌ったが、池田会長(当時)が緊急事態を知って
「受け入れるのが、人間として当然だ」と即決。学会の夏期講習会の行事を変更し、
大講堂や大化城なども空けて収容を決めた。
会長自らタオルを買い集め、毛布やパンなどの救援物資を用意し、かがり火を焚いて
約六千五百人のボーイスカウト大会の参加者を迎え入れた。温かいシャワーを使える
ようにしたのも池田会長の配慮であった。
会長は全身、雨に濡れながらも、ボーイスカウトのメンバー全員が寝たのを見届けて
雪山坊に戻ったのは深夜の零時近くだった。
現在も宗門の寺は地震などの際、被災者を閉め出すのが常だ。一方、学会は災害等の
度に救援対策本部を設置して、救助に全力を尽くしているのである。
132
:
検証会議
:2009/06/02(火) 00:21:13
新改革通信 第101号
平成二十一年五月二十七日発行 発行元:日蓮正宗改革同盟
“死ぬに死ねない”日顕の事情(四)。
日如の真の狙いは“法道院の奪還”。生き残りをかけた派閥の争いが静かに始まって
いる。
大村と尾林が亡くなり、宝浄寺と妙光寺に誰が入り、どのように人事が動くのか、
様々な憶測が宗内に飛び交った。
誰かが死ぬということは、住職のポストが空くという意味であるから、いつも本山の
無任所教師たちがソワソワする。
しかし、今回は、東京の一等地にあり、元役僧の寺のポストが空くということで、
中堅の住職たちが色めき立った。
宗門では、東京の寺院に入ることが、住職としての出世コースである。日本の中心で
あり、何よりも金がある寺院が多いからだ。現に、宝浄寺も妙光寺も億単位の預金が
あるといわれている。
また、今回の人事の結果で、日顕と日如の力関係がわかるという意味でも注目を
浴びた。そしてフタを開けて分かったことは、明らかに日如の色が濃い人事であると
いうことだ。これは同時に日顕の影響力が弱くなっていることを意味する。
日如が今回の人事で、真っ先に考えたのが長男の早瀬道寧のことであろう。道寧が
入る応顕寺の一番のメリットは収入が安定していることである。応顕寺の檀徒はその
ほとんどが法道院の神奈川方面の檀徒を譲ったものである。だから、新潟と違って収入
が安定している。
日如からすると、たとえ出来は悪くても、唯一の跡取りであるから、日顕にならって
東京近郊で、なおかつ経済的に楽な寺に入れたかったに違いない。すでに娘(國島道保
の女房)は府中にいるから、これで家族は安泰である。
おそらく舟橋義秀は七十近いから、今さら動きたいとは思っていなかったかも
しれない。裕福な宝浄寺だから、と言って説得したに違いない。また、宝浄寺を
法器会以外の者に渡したくないという思惑もあったであろう。
日如は早瀬家の長男として、法器会存続の責任がある。土居崎は高齢だから長くは
ない。その後に法道院系を入れるかもしれない。宗門が駄目になっても、法器会だけは
生き残れる体制を作るのが日如の野望である。
しかし、日如の真の狙いは、「法道院」の奪還である。八木の後にどうやって法器会
の者を入れるか、日如は思惑をめぐらしているであろう。このままでは、法器会に宗門
を牛耳られる。信彰の出番がなくなる。――日顕が一番恐れていることだ。だから、
日顕は死ぬに死ねない。
(編集部)
133
:
検証会議
:2009/06/02(火) 08:52:15
大石寺短信 第463号 平成21年5月28日(木)
日顕宗の動き
1.どさくさ紛れの“息子優遇”にくすぶる不満
大村日統(東京・宝浄寺)、尾林日至(東京・妙光寺)の死亡に伴い、人事が
行われた。大村の後の宝浄寺住職に神奈川・応顕寺の舟橋義秀(69)が、尾林の後の
妙光寺住職には宗会議長で神奈川・護国寺の土居崎慈成(72)が就くことになった。
これに伴い応顕寺には新潟・聞正寺の早瀬道寧(46)が、護国寺には岡山・宝清寺の
榎木境道(57)が入り、聞正寺には兵庫・浄福寺在勤の大塚正範(36)が、宝清寺には
本山・大坊在勤の米丸良慧(31)が入る。また、大村の後任として、富士学林長には
重役で東京・常泉寺の藤本日潤(79)、布教師会会長に京都・平安寺の高野法雄
(71)、監正員に本山・大坊の高木伝道(69)が就いた。
注目は、この大型人事のどさくさに紛れた“ファミリー優遇”。参詣者数十人の
新潟・聞正寺から、300人近くが供養を運んでくる、神奈川県ではトップクラスの
応顕寺に栄転となった「早瀬道寧」とは、日如の長男である。
道寧が住職を務めてきた聞正寺では昨年も折伏目標が達成されなかった。日如ら
執行部は日ごろから末寺に対し、折伏や結集を煽っては「結果が出なければクビだ」
などと脅しておきながら、一方ではこうした掟破りの身内優遇人事をやってのける。
結果を出している坊主たちはどのように思っているのか。「なぜ道寧が栄転なんだ」
「栄転どころか、結果が出せないドラ息子を真っ先にクビにしろ」といった怒りの声が
噴き出しても仕方あるまい。
日如にしてみれば、わざわざベテランを差し置いて道寧より一回りも若い大塚や米丸
を同時に登用し、息子の優遇人事をカムフラージュしたつもりだろうが、そんな
子ども騙しの手法で宗内の目をごまかせると思ったら大間違いだ。
学会と別れて以降、信者は増えず、寺も増えず、衰亡の一途をたどる日顕宗。
援助寺院の住職やあふれかえる無任所教師たちは、「俺たちに夜明けはない」と
投げやりな気分になっているが、このような露骨な不公平人事を見せつけられたなら、
ますますやる気を無くすだろう。
2.法華講・柳沢の噴飯ものの与太話
「大白法」5月1日号が、またまた法華講委員長・柳沢の与太話を載せている。柳沢は
7月の7万5千総会について、各末寺に結集責任者を置くこととし、人選にあたっては"
正直な人で"と注文をつけている。わざわざ“正直な人で”と言わなければならないと
いうことは、裏を返せば法華講員に「正直な人」が少ないということ。実際に、各地で
折伏や結集の成果の「ごまかし」が平然と行われているのだ。
仕方があるまい。日顕宗はまさに「ウソ」から始まった教団だからだ。30年前、
日顕は、「実は相承を受けていた」とウソの自己申告で猊座を盗み取った。以降、
表では学会を賛嘆しておきながら、裏に回れば誹謗中傷。さらに広布破壊の「C作戦」
を企てておきながら、「C作戦など、考えたことも、実行したこともない」ととぼけて
いた。このようにトップが大ウソつきなのだから、信者は「正直」を強いられる筋合い
ではない。
そして、この柳沢も日顕同様、大ウソつきである。柳沢は話の中で「7万5千総会」の
登山計画について触れ、「何も心配はありません」と言っているが、何をかいわんや。
開催2カ月前の今になって問題が次々と噴き出しているではないか。バス輸送計画も、
食事や宿泊の態勢も、すべてボロボロ。警察からは厳しい指導が入り、坊主の間から
は「死人が出るかもしれない」との声が出る始末だ。
日顕宗は、「正直」とはおよそ正反対の、ウソで塗り固められた教団である。
3.6月の予定
7日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
14日(日) 御講(末寺)
134
:
検証会議
:2009/06/02(火) 16:47:24
同盟通信 No.135(2009.5.29)
=里内信徳師、損斥処分に。刑事告訴された庶務部長はどうなるか。=
ついに里内信徳師が擯斥処分に付された。4月の住職罷免からわずか1か月、素速い
処分である。庶務部長の「謹慎10日」の処分との落差は対称的である。
里内師の擦斥処分を急がせた背景には何があったのか。ここに注目すべき文書が
ある。それは網走・得成寺の総代・講頭名で全国の末寺住職および法華講役員あてに
送られたものである。そこには、今回の経緯が時系列に記され、宗務当局の理不尽な
措置が縷々暴かれている。そのなかで2月23日、宗門側弁護士から得成寺財政について
話し合いたいとの打診が里内師にあり、3月10日、里内師が東京に出向いた際の宗門側
弁護士とのやりとりが記されている。「当日、居るべきはずの宗務役僧はおらず、
宗門側弁護士より言われたのは、刑事告訴を示談にしなければ財政の話などないと
いうことです。つまりは示談交渉が主たる目的だったのです」との下りがある。
この一文は極めて重要である。「つまり示談交渉が主たる目的」とあるように、
隠尊周辺は寺の会計に事寄せて里内師を脅す一方で、庶務部長に対する告訴取り下げを
狙っていたことを表明するものだからだ。
実は宗門首脳は庶務部長の傷害事件の雲行きが悪いことをよく承知している。
庶務部長は富士宮署で事情聴取された際、庶務部長の傲岸不遜な態度に刑事が怒りを
露わにする場面があったり、検察も“悪質”と見ていることが隠尊周辺を不安がらせて
おり、その焦りが里内師に刑事告訴の取り下げを迫らせたのだ。
もとより里内師は擯斥処分は覚悟の上。宗務当局の不公正さを指弾し、宗祖の心に
かなった宗門の立て直しに微力を捧げたいとの思いのようだ。
検察から“悪質”と見られた庶務部長の犯罪、いかなる結末になるか。目が離せない。
135
:
検証会議
:2009/06/02(火) 16:47:46
フェイク 第1034号
2009年(平成21年)6月1日(月)
驚愕!日顕は「題目否定論者」
宗門「百日唱題行」の参加者は目標の約一割
「唱題は罪障を積み、弊害あり、仏界は得られぬ」
早瀬日如の命令で唱題行がスタートして二ヶ月になるが、全体的に沈滞している。
唱題行を実行していても、全講員が集っている末寺は殆どない。大石寺でも一応、
午前と午後に各一時間、唱題はしているものの、参加者は少なく、せいぜい百人ほどに
過ぎない。
法華講の機関紙「大白法」五月十六日付は、いかにも唱題行を全末寺が活発に持続
しているような記事を掲載しているが、これは全くの欺瞞である。
唱題行の期間は四月一日から七月九日までの百日間。目的は七月に七万五千人を強引
に集めるためだという。
宗門は「日本国内の法華講員約十五万人が一人一日五千遍(二時間)の唱題を百日間
続け、計七百五十億遍の唱題になる」というが、これは単なる夢物語である。
まず「講員約十五万人」というのが真っ赤なウソ。実際は八万人にも満たない。
そのうち、日頃から唱題している講員は僅か一握り。講頭クラスでも勤行できない
のがゴロゴロいる。日如の「唱題命令」も馬耳東風で、参加は目標の約一割だ。
しかし、唱題行に参加していない講員を責めるつもりは毛頭ない。日顕も日如も唱題
が嫌いなのだから、講員に唱題行を強要すること自体が無理なのである。
大願寺や法道院では勤行をサボってばかりいた日如も「ニセ法主二世」の立場上、
今は渋々、導師を勤めているが、隠居した日顕は蓮葉庵に滞在していても唱題行には
参加していない。
この日顕は唱題が嫌いというより、「題目否定論者」である。昭和五十九年八月の
行学講習会で自分勝手な修行を止めよ、と述べて「お題目を唱えることによって、
むしろ罪障を積んでいる」「(三十分位の唱題は構わないが)それ以上は多すぎること
になっても、かえって弊害があります」
更に、平成十六年の夏期講習会では「題目を唱えたからといって、直ちに九識の境涯
を得ることができたなどということは、おそらくないと思います」 これは日蓮大聖人の
仏法を真っ向から否定する大謗法発言である。
日顕は三大秘法を破壊
御聖訓には「我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱うる胸中の肉団に
おはしますなり、是を九識心王真如の都とは申すなり」(日女御前御返事)等と随所に
教えられている。
真剣に唱題し、我が身の「九識」つまり、仏の生命が湧現するとの仰せである。
真剣に唱題した経験のない日顕に、その功徳が分からないのも無理はない。
日顕は大御本尊を鑑定して「偽物」と断定したばかりか、「本門の戒壇」の正本堂を
破壊した。そのうえ、「本門の題目」までも否定する大謗法の坊主である。
これで日顕は、宗旨の根幹たる「三大秘法」を悉く破壊した訳だが、当の本人に、
その罪の意識もない。
それは日顕が「御本尊を信じられない」と平山広篤に洩らした
(本紙第六四八号参照)ように、信仰心そのものが欠落しているからである。「今でも
本当に信ずることができない」とも語っていた。
日顕の題目否定の考えが宗内に蔓延し、今の唱題行の七百五十億遍は絵空事で、その
十分の一以下である。
136
:
検証会議
:2009/06/04(木) 15:19:56
フェイク 第1035号
(発行=09.06.02)
法観寺住職、飲酒運転で事故・逮捕
生臭坊主・山田雄勉の酒色狂いの本性暴く
兄は容済、兄弟そろって駆け落ちの前歴
日顕宗の法観寺(熊本県八代市)住職である山田雄勉(六〇歳)が去る五月三十一日
午後、飲酒運転で事故を起こし、熊本県警八代署に道路交通法違反で逮捕された。
八代警察署、及び地元紙の報道によると、山田は同日午後十時二十分頃、寺の近くの
市道で酒を飲んで乗用車を運転して、緩やかなS字カーブの所で道路左側の電柱に激突
した。
また、その反動で横向きの状態になって道路をふさぎ、対向の軽乗用車とも衝突する
事故を起こしたため、現行犯逮捕されたのである。
道路交通法では、酒酔い運転と酒気帯び運転の二段階に分けられているが、山田が
緩やかなS字カーブも曲がりきれなかったということは「アルコールの影響により正常
な運転ができないおそれがある状態」に該当する悪質な「酒酔い運転」と思われる。
免許の取り消しに加えて、どのような刑罰が科せられるか、また、宗務院として、
どんな処分をするのか、今後の成り行きが注目される。
山田は昭和三十四年十月に得度し、当時は「山田立済」と名乗って、同四十六年には
一等学衆になった。
だが、神奈川県平塚市の大経寺に在勤していた昭和四十七年当時、夏季休暇中に一人
の女性と深い関係になり、坊主がイヤになって駆け落ちして還俗した。
ところが厳しい娑婆世界では生きていけず、昭和五十六年には青年得度として、名前
も「山田雄勉」に変えて再び僧籍に復帰した。
いくら名前を変えても酒色に溺れる生臭坊主の本質は変わらなかった。
復帰後の岡山在勤当時、既に妻子もありながら複数の女性と次々に淫らな交際を
重ねていた。注意した先輩もいたが、その後も複数の女性との関係はやめられず、前妻
とは離縁し、交際していたうちの一人の女性と再婚した。いかにも好色の日顕の弟子
らしい。
この雄勉は、金髪女性との逢瀬を目撃されて有名になった山田容済の弟である。
兄弟とも遊蕩坊主
兄の容済も駆け落ちの前歴がある。特に、スペイン・妙昌寺の住職だった平成十二年
三月、イタリアを訪れて深夜、金髪女性と密会。その現場写真が公表されて、弁明の
甲斐もなく、住職をクビになり、日本に召還された遊蕩坊主である。
実に、容済と雄勉は酒色狂いの兄弟なのである。
雄勉は衛一坊勤務(昭和六十三年八月)、法観院の二代目主管(同年十月)、そして
平成四年の寺号公称に伴って法観寺の住職になった。
法観院主管としての最初の法務は某信徒の通夜であったが、御本尊を忘れて来ると
いう醜態を晒した。
遺族や参列者がア然とするなか、機転を利かせた男子部メンバーが急きょ、寺へ
走って御本尊を届けたので、ようやく通夜を行なうことができたが、当初から山田に
対する不信感が信徒の間に渦巻いていた。
雄勉は「C作戦」が表面化する以前から学会批判を口にしていたが、平成二年八月
二十一日、宗内に綱紀自粛の通達が出る直前、改革同盟の串岡雄敏氏に電話で
「池田名誉会長を切る。宗門はそれで決まった」との陰謀を伝えた。反学会の急先鋒の
坊主の一人である。
137
:
検証会議
:2009/06/05(金) 08:24:04
フェイク 第1036号
(発行=09.06.04)
腰が「く」の字の日顕を囲み酒宴
早瀬日慈の十七回忌法要と日顕の魔の通力
音響は不備、警告灯が誤作動、ボヤ騒ぎも
早瀬日慈の十七回忌法要が三日、東京・池袋の法道院で行われた。日慈とは、今の
ニセ法主・日如の父親で法道院の主管であった。
日顕の先輩格にあたり、日達法主の下で長年にわたってナンバー2として権勢を
誇り、総監、重役を歴任。日達法主の後釜を狙い、自分では登座できると思い込み、
記念品も用意していた。
ところが、昭和五十四年七月、日達法主の死の直後、日顕が先手を打って「昨年
(昭和五十三年)四月十五日、総本山大奥において、猊下と自分と二人きりの場に
おいて、猊下より自分に対し内々に御相承の儀に関するお言葉があり、甚深の御法門の
御指南を賜った」と自己申告したため、日慈は後継争いに敗れた。
【日顕への日慈の怒り】
若い頃から酒豪だと自慢し、御講の後も五分も経たない内にウイスキーの水割りや
ビールを口にすることが多かったが、法主の後継レースに負けたことが余程、
悔しかった様子。その後はヤケ酒を呷るようになり、晩年は酒に飲まれていた。
日慈を良く知る人の話によると、日顕に対する憎しみも激しいものがあったという。
平成五年六月二十日、失意のうちに八十三歳で死亡。その訃報を日顕は親教先の金沢
で知ったが、その死を悼むどころか、山中温泉の高級旅館へ行って、坊主仲間と酒宴に
興じた。
翌日午後一時五十分頃、日顕が法道院に到着。と同時に、法道院上空に黒雲が
わき上がり、アッという間に真昼の東京が真夜中のような暗黒に包まれた(写真)。
日顕に対する日慈の怒りを感じた、と語る人もいる。
風が強まり、大粒の雨が降り始め、稲妻が走り、雷鳴がとどろき渡った。
更に、約一センチ大のヒョウまでも落ちて、浸水の被害や死亡事故も起こる異常な
天候だった。
【法要はトラブル続き】
日顕が腰を「く」の字に曲げて十七回忌法要に来た。前日までの好天は一転、
池袋周辺には強風が吹き荒れ、日顕、日如が到着した午後二時半頃までは集まってきて
いたカラスの群れも強風に吹き飛ばされ、何処かへ避難したようだった。
法要といっても、供養集めが目的なのだが、そうとは知らない講員は万単位の供養を
包んで参集。なかでも婦人講員は結婚式の時のような派手さはないものの、着飾って
集っていた。
宗門行事にトラブルは付き物。この日も音響設備に不備があり、三階の警告灯も
誤作動。役員らが青くなって走り回っていた時、近所でボヤ騒ぎもあり消防車数台が
出動、騒然となった。
法要の後、日顕と日如らは客殿で酒宴を催して談笑。池袋周辺だけに降り始めた
雨の中、飲酒運転で帰路につく坊主もいた。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000719.jpg
138
:
検証会議
:2009/06/08(月) 12:44:46
勝ち戦 第137号
2009年 6月 8日(月)
大結集への申込み者数、大幅不足!
大宣寺は五百名不足!
重役・藤本日潤は成果を偽装!
七月二六日の大結集に白旗を揚げる寺院が、各地で続出している。
参加申込み締切日の六月七日現在、能化・菅野日龍が住職を務める大宣寺(国分寺市)
では、結集割当六七〇名に対し、申込み者数が約五〇〇名も不足し、講中あげての
「参加拒否」「ボイコット」ではないかと疑われている。
大阪布教区でも反人道的な無謀な結集に参加を拒否する講員が続出し、散々な
状況だ。
四月一九日の大阪布教区広布推進会で、本説寺(吹田市)住職・武安力道は、
「七万五千名の割当に関して極めて深刻な状況です。記念局と致しましても、極めて
懸念していると聞き及んでおります」と、大阪だけでなく、全国的な結集不足に記念局
が頭を抱えていることを暴露していた。
日顕宗・重役の藤本日潤が住職を務める常泉寺(墨田区)でも、割当六二四名に対し
申込者数が三四〇名と、二八四名も不足している状態だ。当然布教区で最下位だ。重役
の寺がこのザマでは、全国の末寺に悪影響を及ぼすことは必至だろう。
常泉寺は、折伏も極端に低迷し、講中全体が急速に衰退している。折伏は、
目標八〇世帯に対し、四月一五日現在、たったの四世帯だ。達成率は僅か五%と、目も
当てられない低調ぶりだ。当然全国最下位だ(笑)。だが、藤本は姑息にも成果を不正に
水増しして申告している。
折伏成果は当然のことながら本尊下附の件数だが、藤本はそこに勧戒六と内得五を
加えて成果を偽造し、一五世帯と発表している。こんなインチキ坊主が富士学林長に
なれば、益々日顕宗のインチキ体質が増長するばかりだ。信者の高齢化も進み、
年金暮らしが大半のため、講費の納入率も低下する一方だ。五月十日の支部総会で、
会計担当の稲崎は、「講費の納入がだいぶ少なくなっておりまして、講費の納入を
お忘れの方等がいるのではないか」と、皮肉を交えて講費を要求していた。常泉寺が
急速に衰退しているのは、信者間の怨嫉、いがみ合いが原因で講中が分裂している
からだ。執事長の小林雄勝は、「全国の寺で『うちの住職はしょうがない』
『早く替えてもらいたい』と、宗務院や猊下に訴えたりしています。
常泉寺講中で如何なる不本意なこと、不愉快なことがあっても『見ず、聞かず、
言わず』でなければ異体同心は築けない。常泉寺は今は良い講中ではありません」と、
講中の乱れた実状を激白していた。だが、『見ざる、聞かざる、言わざる』では、
日光東照宮のサルと一緒ではないか(爆)。それで異体同心とは呆れた話だ。
大結集は、申込み者数大幅未達!次はキャンセル殺到で大失敗だ!
139
:
検証会議
:2009/06/09(火) 01:58:10
新改革通信 100号
平成二十一年五月二十三日発行
日顕をはじめ、「破和合僧」である「C作戦」加担者たちの末路は無間地獄。
その悪行は永遠に歴史に刻まれる!
日顕らは「C作戦」という謀略で創価学会の破壊を目論んだ。仏意仏勅の広宣流布の
団体・創価学会を破門することは五逆罪のうちの「破和合僧」の大罪であり、その報い
は無間地獄であると説かれている。
その謀略に加担したのが、当時の宗門役僧たちである。破和合僧を犯した者の悪名は
永遠に歴史に刻まれ、取り消せないのだ。それこそ、無間地獄の姿とも言える。
日顕に加担したのは、西片会議や御前会議に出席していた藤本日潤(当時の総監)、
早瀬日如(当時の庶務部長)、八木日照(当時の主任理事)、河辺慈篤、関快道。
そして、その他の役僧の尾林日至(当時の海外部長)、大村日統(当時の教学部長)、
秋元広学(渉外部長)、長倉教明(財務部長)などである。
このうち、河辺はすでに亡くなっているが、大村が五月十一日、尾林がその二日後の
十三日と、相次いで亡くなった。
彼らは、破和合僧の大罪を犯した者として、ユダヤ人大虐殺を行ったナチの戦犯と
同じように、亡くなったとしても、その罪は永遠に許されない。
第一次宗門事件と今回の第二次宗門事件に共通しているのは、信徒を蔑む
"出家の慢心"である。
宗門僧侶が池田名誉会長と創価学会を批判する正当な理由などない。ただ
「信徒の分際で」という僧俗差別から来たものだ。僧侶なら許されるが、信徒にはその
権限がないというのだ。
彼らは、「学会も供養を受ける資格がある」、「会館や研修所は現代の寺院」ということ
を問題であるとしたが、僧俗平等の大聖人の仏法から見て、何の問題もない正論である。
裏を返せば、自分たちが供養を独占したい、供養する信徒を確保したいという卑しさ
と狡さの現れである。
また、「信心の血脈は創価学会に受け継がれている」ということに関しては、まさに
その通りである。牧口会長、戸田会長が軍部に屈せず、命を賭して信心の血脈を守った
のであり、その信心で宗門は守られたのである。ところが、日顕らは大恩ある創価学会
を破門し、その命脈を自ら絶ってしまった。日顕らは死んだ後も、破和合・忘恩の者と
して、極楽寺・良観らと同じく、天魔の系譜に永久に刻印されることになるのだ。
(編集部)
140
:
検証会議
:2009/06/13(土) 14:22:33
大石寺短信 第464号 平成21年 6月11日(木)
日顕宗の動き
1.阿部信彰に暴行受けた里内が坊主をクビに
昨年11月、本山に呼びつけられて査問を受ける中、庶務部長・阿部信彰に暴行を
受けた北海道・得成寺の里内信徳が、このほど擯斥処分(僧侶資格の剥奪)になった。
里内はこれに先立ち、4月に得成寺の住職を罷免されていた。「同盟通信」によると、
日顕宗首脳が里内に傷害事件の刑事告訴を取り下げるよう迫ったものの、これに里内が
応じなかったため、今回の処分となった模様だ。
暴行の加害者である信彰への処分は「停職10日」という軽いもの。しかも停職期間は
ゴールデンウイークの休日にまたがっており、「実質的に『処分無し』と同じ」との
指摘もある。片や、被害者の里内は、いわば「追放」という極めて重い処分だ。
日顕宗首脳のこうした一方的なやり方に対して、得成寺の総代、講頭を始めとした
信者らは憤慨しており、事の真相を告発する文書を全国の末寺に送付するなど、
抗議行動を激化させている。
今後、宗内の混乱の新たな火種になるだろう。
2.日顕宗坊主が飲酒運転で事故
熊本・法観寺住職、山田雄勉(60)が酒を飲んで車を運転、交通事故を起こして逮捕
された。
5月31日夜、熊本県八代市の市道で、山田が運転する車が電柱にぶつかった後、
反対車線の軽乗用車と衝突。呼気1リットル当たり0.6ミリグラムのアルコールが検出
された山田は、酒気帯び運転容疑で逮捕された。山田からは、酒気帯び運転基準値の
4倍ものアルコールが検出されたことになる。
この山田雄勉という坊主。もともと「山田立済」を名乗っていたが、昭和47年
(1972年)に女性と駆け落ちして還俗。その後、同56年(1981年)に復帰して現在の
名前になった。ちなみに山田の兄は、かつて外国人女性との不適切な関係が問題と
なり、スペインの寺の住職をクビになった山田容済(岩手・感恩寺)である。
飲酒運転が社会問題化するなか、企業や自治体では飲酒運転をして捕まった社員、
職員は懲戒解雇、懲戒免職になり、監督者も責任を問われるのが通例。それに
ならえば、山田の「坊主クビ」は当然のこととして、山田のような不届き者を坊主に
復帰させた日顕、指導・監督を怠った日如も責任を取って然るべきであろう。今後の
成り行きが注目される。
3.「7万5千」直前に住職入れ替えのドタバタ
このほど、2件の住職入れ替え人事が発表になった。
岡山・妙霑寺の長谷川章道(58)と京都・妙清寺の菅原信了(73)が住職を
入れ替わり、同様に徳島・妙眼寺の森永雄隆(50)と三重・蓮昌院の吉松雄英(58)も
交代する。
長谷川は、寺の法華講の金銭にまつわるトラブルを適切に処理しなかった責任を
問われた模様で、大規模寺院から信者数が半分以下の寺に飛ばされることになった。
これまで東中国布教区支院長だったこの男は13年前、当時の支院長・秋山義道
(鳥取・専修寺)が「大客殿は壊すべきではなかった」と発言したとして宗務院に
コソコソ密告。その結果、秋山は支院長を更迭され、長谷川がその座を奪った。
今回の長谷川の左遷人事に周囲は、「今度は信者に自分の失態をチクられて
飛ばされた」「因果応報。いい気味だ」などと囁いているという。一方、森永も寺の
女性法華講員から多額の供養をむしり取ったことが問題となり、現在の寺の1割程度の
規模の寺に行くことになった。
「ご命題」の7万5千総会まで、ひと月半と迫った時期のドタバタ人事。総会後に
落ち着いてから行えばよいものを、慌てて住職をすげ替えなければならないほど、
事態は切迫していたと言えよう。
上も「カネ、カネ」、下も「カネ、カネ」の日顕宗坊主がいるところ、いつまで
たっても金にまつわるトラブルが絶えない。
141
:
検証会議
:2009/06/13(土) 14:22:58
フェイク 第1037号
2009年(平成21年)6月12日(金)
中国副大支院長・長谷川章道を左遷
宗内に絶えない金銭トラブルと投書の波紋
日顕が阿部法胤に億単位の遊興費を無心
日顕宗の役付き坊主が、またも法華講の投書で左遷された。クビが飛んだのは
中国大布教区の副大支院長、東中国布教区支院長で岡山市・妙霑寺住職の長谷川章道
(五八歳)である。これは金銭トラブルが原因だと言われている。
実は、平成八年十二月にも突然、中国大布教区と東中国布教区のトップ人事が発表
され、その時に長谷川が抜擢されて、前任の秋山義道が解任された。これは長谷川が
秋山について「大客殿解体に関して猊下を批判した」旨、宗務院に告げ口したためで
あった。
まるで戦国の世の下克上だが、因果応報!この度、解任された長谷川はセクハラ坊主
で「お金にも汚いが、信心も言動も最低で勤行もしない」との評判である。この長谷川
は京都・妙清寺に移り、代わって妙霑寺に入るのは、これまで妙清寺にいた菅原信了
(七三歳)に決まった。
つまり、長谷川と菅原が入れ替わる訳だが、本号では岡山の妙霑寺から京都の妙清寺
への異動が、何故、左遷になるのかを説明する。
妙霑寺は昭和三十一年八月、学会が建立寄進した大規模な寺院で同五十一年十一月に
現在地に移転。信徒数も他の寺に比べると多く、供養も相当額が集まる。
片や、妙清寺は同五十七年十一月に宗門が建立した安普請の寺。信徒も少なく、供養
も集まらない。この寺にいた菅原は日顕の弟子で、高齢でも隠居せず、裕福な寺に移る
日顕人事である。
妙清寺に限らず、京都の檀家は一般的に多額の供養をしない、というのが日顕宗内で
定評になっている。
その点について関係者の一人が「京都の檀家は供養を坊主が遊興費に浪費するのを
知っているため、余り供養しない」と語る。
というのも、以前、日顕が京都・平安寺にいた頃、供養を湯水の如く浪費して遊蕩に
耽っていた事実を見聞しているためだというのが専らの見方なのである。
それに対して、妙霑寺の法華講は渋々ではあっても、それなりに供養する。妙霑寺
には「上客」が多いのだ。
金で決まる宗門人事
金遣いの荒い日顕は平安寺時代、豪遊の費用を貰うため、神奈川・持経寺にいた
兄弟子の阿部法胤の所へ頻繁に足を運んでいた。事情通によると「億を超える金を無心
した」という。
また、日顕は「盗座」後も、この兄弟子に貢がせていた。元奥番の僧は
「昭和六十二年、持経寺住職の阿部法胤氏が段ボール箱を持って日顕に目通りに来た。
住職が帰った後、その箱を運んでいたところ、日顕が『一億円だ』と箱の中身を教えて
くれた」と衝撃的な証言をしていた。
この法胤は既に他界し、息子の義雲は横浜の法運寺にいるが、これが札付きの悪侶。
始末に負えない大酒飲みの乱暴者である。その弟の阿部信光は日顕を罵倒して正信会に
走った。
こんな義雲の悪行を宗務院に報告しても、お咎めは一切なし。それは父・法胤が日顕
に億単位の金を提供したからだ。
無謀な総登山と大結集のノルマに苦しんでいる最中、坊主は投書されないように
法華講のご機嫌伺いに神経をすり減らすか、ニセ法主に大金を貢か、どちらかだ。
142
:
検証会議
:2009/06/18(木) 00:25:10
越 洋
平成21年6月13日
世界800万人の信徒の赤誠の御供養により建立された正本堂。中に入ると余りの
厳粛さ、荘厳さに命が清められる感を覚えたものだ。無始以来の罪障消滅と
世界広宣流布の祈りを捧げたのは延べ7千万人に及ぶ。
平成10年4月5日、客殿の落慶法要の際、突然、大御本尊の遷座と正本堂解体の
発表があった。そして6月23日には正本堂の解体を開始した。それから早や11年が
たった。"正本堂破壊"は三大秘法の破壊である。しかし、坊主は誰一人反省を語る者が
いない。日顕の毒気に染まり宗門全体が宗開両祖の御遺戒と先師に背いた罪は、
未来永劫許されざる大罪である。
宗門は正本堂解体の理由として「総本山における、仏法を歪曲した謗法の遺物を徹底
して駆逐し、もって破邪顕正の洋々たる広布の未来を開くことこそ、最も緊要のこと」
と言う。それを誤魔化すために当初、「耐震性のため」とか「老朽化」「腐触」
「赤さび」「亀裂」等々とウソを並べ立てていたが、本音は学会への憎悪、嫉妬なので
ある。
「学会寄進の建物が謗法の遺物」ならば、学会が寄進した356カ寺は
どうなるのか?戦後、本山の土地は農地解放で5万坪になっていた。それを127万坪
にまで広げたのは学会だ。学会が御供養した122万坪は謗法の土地になるでは
ないか。それなのに学会寄進の寺から一人として出ていった坊主はいない。また、本山
を明け渡して日顕宗は出て行かなければならないではないか。この矛盾を宗門はどう
説明するのか?未だに宗門はその返答も出来ず、学会寄進の土地や寺に居座り、虚勢を
張っている。
世界にあまねく知らしめた"正本堂破壊"という「暴挙」。このことは人類史に刻印
され、永久に語り継がれていくことは絶対に間違いない。
最後に念告する、正本堂・大客殿を破壊し、桜を数万本も伐採し、無数の犬・猫・鳩
を殺戮した日顕が、一千万の信徒を破門した罪は、永遠に堕地獄である。
143
:
検証会議
:2009/06/18(木) 00:25:35
フェイク 第1038号
(発行=09.06.15)
迫る大結集、末寺は地獄の苦しみ
妙輪寺の坊主・講頭の話は酔っ払いの戯言
「老人、病人も駆り出せ」、犬猫を預けるのが仏智?
日顕宗では記念局委員会を六月九日、宗務院会議室で開き、無謀な大結集総会の
推進状況を確認し合った。席上、「胸突き八丁」の意味も知らなかったニセ法主の
早瀬日如が、辞書で調べて、こんな話をしていた。
「辞書によりますと、胸突き八丁というのは富士登山の時に使う言葉だそうで、
頂上まであと八丁、今で言えば約八百メートルという意味で、そこが一番大事で、
一番大変なところだと、こういうことでありまして(中略)まさに今、我々は、この
胸突き八丁に来ているのではないかと思う」
能天気な日如だが、末寺の坊主や法華講は「胸突き八丁」どころか、
「地獄の三丁目」を徘徊しているのが現状である。末寺の苦悩の例を大阪・妙輪寺の
地区長会(六月七日)で見ることが出来る。
同寺の坊主・坂田正法や講頭の園部正勝らは四月の低調な地区長会の様子が本紙
一〇二二号で紹介されたのが相当な痛手だったらしい。今月は青年部の決意発表や
婦人部の体験二題など内容も充実しているように印象付けようと苦心惨憺し、
くだらない話でも無理に拍手をしていた。
だが、結集も出来ずに地獄の苦しみに喘ぐ状況を講頭の園部が露呈。高齢者を登山
させ、病気も理由にならない等々と息巻いていた。
また、地区長会にスパイが潜入していると勘違いし、意識過剰になって酔っ払いの
戯言のような支離滅裂で、意味不明の話をしていた。
園部 来月に迫りました七万五千の大結集ですが、私とこだけではないんですが、
まだまだ、えー、この中に学会の人、ですね、えー、あのー、ですね(薄ら笑いで)、
えー、あのー、来られておりますが、えー、大変な状態になっております。えー、
これも二・三日後の「フェイク」に載ると思います。我々の心も最初は意気込み
良かったんですが、もう十四年も前になりましたら、その時の心意気が薄れてきて
います。
妙輪寺も百二十五円の心を持った私たち一凡夫が、三億円ものロボットよりも尊い心
を持った私たちが、えー、登山する値打ちも何も無いなんて、誰か言うてましたね。
色々ありますが、私達は難儀しております。
その「フェイク」に書いて欲しいんですが、まだまだ私達の目標とする数字に至って
おりません。
高齢者も私は絶対に行く、行かせてくださいということで、妙輪寺では、そういう人
を優先させ、もう随分、前から申し込みをさせております。
もう病気がどうの、体がどうの、車がどうの、バスがどうのというような話の段階
ではありません。(意味不明のため以下略)
坂田 妙輪寺では今、七万五千の登山をやっておりますね。登山を。それで、
いろんな問題が出てくると思うんです。犬や猫を飼っている、生き物を飼ってるから
夫婦で登山はできないと。答えは簡単です。仏智を頂きなさいと。仏の智慧を
頂きなさいと。一日だけ猫、犬、動物を預かるホテルもあるでしょう。そんなホテルに
犬や猫を預ける仏智を頂くのです。(バカバカしいので以下略)
日如は胸突き八丁を乗り越えよ、と檄を飛ばさずに、無謀な大結集総会など即刻、
中止するべきである。
144
:
検証会議
:2009/06/22(月) 13:16:58
勝ち戦 第138号
2009年 6月21日(日)
妙光寺・土居崎慈成、入院式で亀裂!
『尾林ショック』で講中ガタガタ
尾林家は、一家離散の仏罰!
妙光寺(品川区)新住職の座替式・入院式が、六月一三日に行なわれた。
新住職に就任した宗会議長の土居崎慈成は、尾林よりも高齢で生命力もなく、また
何時葬式になるか分からない不安感を漂わせている。土居崎には寺を隆盛させる意欲も
なく、「ここが俺の終の棲家か」といった程度の意識レベルだ。
妙光寺は単なる老僧の墓場であり、地獄への入口に過ぎないのだ。
土居崎は赴任に際し、日如から「妙光寺はまだ目標を達成していない。お前、行って
頑張るように!」と、喝を入れられたそうだが、そのプレッシャーと先行き不安のせい
か、入院式では顔をこわばらせ、挨拶の時も「厚く御礼申し上げます」と一礼するや頭
がマイクに激突。「ゴン!」という音が場内に響き、笑うに笑えない状況だった。
また、入院式早々「地涌倍増の御命題もまだ、妙光寺支部、正道講支部共に成果が
あがっていない!」と講中のダメ出しをして失笑を買った。
翌一四日の会合でも、前任寺院の護国寺(鎌倉市)が目標達成間近であることを自慢
し、「(護国寺の)みんなと手を取り合って頑張っていくっていう時に異動。何か前に
つんのめりそうな感じです」と、暗に妙光寺を小馬鹿にする発言をして、またもや
失笑。スタートから信者との深い溝ができた。
初めての御講には、参加者が約一五〇人と、いつもより約五〇人少ない人数しか
集まらなかった。また、「第九代住職となりました。宜しくお願いします」との住職の
挨拶にも誰一人拍手せず、異様な雰囲気が流れていた。
御書講義の際も、尾林は御書を全員で一度読み、その後に題目三唱して講話を始めて
いたが、土居崎は一人で御書を読み、唱題もせずに講話を始めたため、「今までと勝手
が違う。ついていけない」と、信者は不満タラタラだ。
土居崎の赴任により一層講中が分裂し、壊滅的危機に瀕するのが目に見えている。
前住職の尾林が見せた罰の凄まじさに、日顕宗の信仰に動執生疑を起こした信者は
想像以上に多く、現在もその「尾林ショック」の後遺症が尾を引いている。
壮年部長の萩原は会合で、「二時間唱題をやっているのは、壮年部五〇〇人中、
一〇人以下です。これが実態です。また四月以降、家庭訪問もピタッと止まりました」
と、講中の実状を暴露した。
「尾林ショック」は地方部にも波及している。六月一七日に行なわれた、
東京第二地方部・広布推進会で、地方部長の金子は、「(尾林の)突然の不幸に頭の中が
真っ白になり、しばらく自己喪失のような状態になりました。地方部は、四月、五月と
あまり成果があがっていません」とまるで、葬式で弔辞を読んでいるような話しっぷり
だった。
尾林は堕地獄、息子も奇病で死亡、娘婿で執事だった内海は住職になれずに
落ち込み、挨拶もせず夜逃げ同然で本山に赴任。尾林の女房・操江は、「しばらく一人
で生活します」と独居生活。尾林の遺骨を持ってトボトボ寺を去っていった。仏罰無残!
編集部(転載可)
145
:
検証会議
:2009/06/23(火) 20:11:00
越 洋
平成21年6月23日
時の経過が事実を明らかにする。あれから19年。全世界に日蓮正宗大石寺の恥を
晒した日顕! 人間の顔をした畜生・忘恩・変態・未生怨・卑怯者のニセ法主。心血を
注いで誠心誠意、広宣流布に励み、宗門興隆に尽くした純真な信仰者を騙し、裏切り、
破門した外道坊主である。
平成2年7月16日に大石寺東京出張所(西片会議)で創価学会を切るために謀議。
翌々日の18日にも大石寺大書院で再び謀議(御前会議)。そして日顕が「C作戦」
と命名した。
平成2年12月27日に臨時宗会を開き、宗規を改変して名誉会長の総講頭を罷免。
「C作戦」を断行したのであった。
その半月前、日顕は「短くていいですか」と学会首脳に念を押し、「大白蓮華」の
1月号に「新年の辞」を書いた。「法のため、民衆のため世界平和貢献のために」との
タイトルで、総講頭罷免を胸に秘めながら、すっとぼけて名誉会長を賞讃。
『特に、池田先生の指揮において大書すべきは、戦後の世界的な移動交流のなかで、
各国に広まった信徒の方々を組織化した、世界広布への大前進が図られたことで
あります』と歯の浮くような心にもない讃辞を並べていた。
この「大白蓮華」が配られる頃、突然、総講頭罷免のニュースが新聞・テレビで報道
された。聖教新聞が休刊になる年末を狙っての陰謀だった。姑息で狡い手口だ。
その一方で、日顕は着々と目黒区八雲に地下プ−ル付きの超豪邸計画を実行に移して
いた。予算は実に20億円。自分と政子、一族だけのことしか考えない無慈悲な日顕。
超豪邸計画が露見した途端、3月13日付の内事部通達で建設計画の「取り止め」を
発表した。
平成3年1月6日の教師指導会で日顕は「『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき
身にて候』私はもうこの御文を拝したときに涙がですね……(嗚咽)粥をすすっても」
と、全国の住職・寺族を前に泣き真似までして狡猾に騙した。
日顕・政子がいつ粥をすすったのか?粥をすすっているのは地方の坊主・寺族では
ないのか!以来19年。隠尊になった今も曲がった腰をかばいながら、ベンツに
ふんぞり返り、バカ息子・信彰の登座を夢見て豪邸と蓮葉庵を往復している。かつて
達師夫人は長男の寺に身を寄せ、先月死んだ大村・尾林の未亡人も豪華マンションを
買うという話はない。日顕一族だけが勝手放題。政子・百合子の億ションは沈黙した
まま。与同罪恐るべし!!
146
:
検証会議
:2009/06/24(水) 14:38:14
フェイク 第1039号
(発行=09.06.22)
魔の大結集は人命軽視の暴挙
大石寺で雨の中、登山地獄に備え任務研修会
「にわか仕立ての役員に総会の運営は無理」
大石寺では大結集総会を約一ヶ月後に控えた二十日と二十一日の両日、
全国総本山任務研修会を行なった。これは立正安国論正義顕揚七五〇年記念局が法華講
青年部に働きかけて実施させたもので、総会の予行演習となる研修。参加者は大規模な
行事の運営など全く経験のない者ばかり。二十日は二十〜三十人がグループになって、
境内で担当者の説明を受けていた。
説明する者も、聞く側もズブの素人。「こんな研修で本当に大丈夫か?」と心配する
声も聞かれた。
二日目の二十一日は「実践研修」と称して、御開扉の運営などの研修だったが、この
日は雨で時々曇り。総会当日は暴風雨の悪天候になる可能性もあるので、雨天での研修
は意味があったのかも知れない。
それにしても、七万五千人の大結集総会の運営を俄(にわか)仕立ての役員で無事に
出来ると考える早瀬日如をはじめ記念局委員長の八木日照、総会運営責任者の
佐藤慈暢、小川只道らの感覚が狂っている。
信者数が僅か数万に過ぎない邪教が七万五千の結集総会を開くこと自体、無謀で
あり、大失敗は目に見えている。永栄義親や宮野審道らが書く下手な原稿を早瀬日如が
棒読みするだけという、くだらない総会に行くのに命がけとは、日蓮正宗の歴史の中で
最悪の愚挙というべき行事である。
本山関係者でさえも任務研修会の様子を見て、次のように語っていた。
「登山者やバス、乗用車などで本山は満杯になって、動きが取れなくなるだろう。
にわか仕立ての役員で無事故の運営が出来る訳がない。大勢の人の命を預かるのだから
一年間かけて訓練しても不安である」
大結集総会は信徒のことなど全然、配慮しない宗門の非道な体質を物語る人命軽視の
催しで、命が惜しい人は、大石寺に近づかない方が賢明だ。
しかも、七月下旬といえば灼熱の炎天下、或いは宗門の行事だから豪雨になることも
考えられる。そんな時に高齢者から小学生まで強引に集めるというのだ。
当日は強行スケジュールによる睡眠不足、空腹・渇水、トイレ不足、過労に加えて、
無残にも桜を切り倒して広場にした木陰もなく、熱したフライパン状態の所に
七万五千人もの人を密集させるとは理解できない。
強烈な日差しが照りつけ、日射病、熱中症、脱水症状などで倒れる人が続出する
だろう。死人が出る危険性もある。しかも、日照対策や飲み水、食料の乾パン類も個人
が事前に準備せよ、と宗門の対応は冷たい。
道路は大渋滞で塞がっていて救急車も走れないうえ、医薬坊も破壊(本紙第九八一号
参照)。急病人が出るのは間違いない。どう対応するつもりなのか。登山者に「死ね」
と言っているようなもので「現代のインパール作戦」と言ってよい。
☆ ☆
「インパール作戦」
インパール作戦とは日本陸軍が昭和十九年三月に開始し、七月まで継続した
インド北東部のインパール攻略を目指した作戦のこと。食料、弾薬等の補給を無視した
杜撰な作戦で、飢餓と病気のため、地獄絵図を現出し、悲惨な歴史的敗北を喫した。
死傷者数は約七万二千人。無謀な作戦の代名詞として使用される。
147
:
検証会議
:2009/07/01(水) 23:32:40
石山だより 平成21年6月28日
一、人間を人間と思わない連中が、真夏の七月二十六日に七万五千人を集めて、
炎天下で総会をやること自体、考えられない狂気の沙汰だ。参加者のことなんか
何にも考えていない。最近は温暖化の影響で七月下旬になると各地で三十五度Cを
超え、四十度Cを超えることもある。高齢者が大半で心疾患、高血圧、糖尿病の人など
は熱中症にかかりやすい。その上、長時間バスに揺られて疲れ切って登山してくる
高齢者は体力が衰弱している。万が一、死亡者が出たら誰が責任をとるというの
だろうか?
一、そもそも主催する委員長が鬱の八木日照じゃ指揮が執れるわけがない。
器が小さく、日顕の弟子だけあって人の心が分からない冷血人間である。自分勝手で
人の意見を聞こうとしない。何でも分かった顔をして何にも分かっていない。八木に
少しの信心と常識があったら、今日の廃れた宗門にはなっていない。日顕の陰に隠れ、
自分で物事の判断が出来ない。今まで日顕にベッタリで100パーセント、言いなりに
なってきた。 人材を育てることが出来ず、手を汚して人のために尽くしたことがない。
孤独を好み、寂しさを楽しむ変わり者の引き篭もり坊主なのだ。八木に光久日康ほどの
批判力があったら、日顕の暴走を阻止できたはずだ。
一、大型バスが二千台の予定だそうだが、夏休みに入って初めての日曜日だから
一般の観光客が大勢繰り出し、大混雑になることは目に見えている。富士宮警察と
しても、七万五千の総会を大迷惑と思っている。
(運営委員長は口より手の方が早い佐藤慈暢、副運営委員長は狡くて意地汚い
カメレオンの小川只道じゃ運営なんてムリムリと囁かれている。大事故が起きる前に
中止した方が賢明と思う大坊鼠)
148
:
検証会議
:2009/07/02(木) 00:22:31
越 洋
平成21年6月27日
富士宮市は近年、年間の観光客数500万人を超える観光都市である。観光資源として
市北部に富士山の恩恵を受けた自然資源があり、市中心部は富士山本宮浅間大社などの
歴史的建造物があり、湧玉池などの名所もある。また御当地人気料理特選とされる
「富士宮やきそば」がメディアに取り上げられ有名になっている。『Google』で
“富士宮 富士宮やきそば”で検索すると458,000件とその人気ぶりが窺える。
ちなみに“富士宮 日蓮正宗”で検索するとガクンと減り、“富士宮やきそば”の
百分の一の件数だ。
7月26日の“7万5千名大結集総会”まで丁度一ヶ月。それなのに本山の状況は駐車場
の整備だけはせっせとしているが、肝心の運営の方は不安だらけで、登山者の休憩場所
もない。特に、大石寺の敷地に一気に7万5千の人を集めるのに、地元の人々への説明も
無く、住民の不安は募る一方である。
登山者は7月25日の深夜から26日の明け方にかけて着山する。大石寺側では、あまり
迷惑はかけないと言っているが、地元の人達の心配を考えもしない言動だ。夜の
就寝時刻から大型バスが続々と大石寺に集まって来て、住民の安眠を妨害する。
特に、地元住民の心配は、総会が終わってから下山する時間帯の大渋滞である。
夏休みに入って初めての日曜日にあたっており、富士宮市には“富士宮やきそば”を
目当てに大勢の観光客が来る事が予想される。(“富士宮やきそば”を目当てに観光客
は年間約60万が来ている)また、朝霧高原周辺はキャンプ場やゴルフ場が多い。
そうした観光客が大石寺の登山バスや乗用車のために渋滞に巻き込まれ、“二度と
富士宮には来るもんか”と思われたら年間の観光客数500万人を超える観光業界に
大打撃である。しかも、7万5千人も集めても潤うのは日如と日顕の懐のみで、富士宮市
には何一つ、経済効果をもたらさない。こんな総会は、即刻、中止すべきである。
149
:
検証会議
:2009/07/02(木) 00:22:56
大石寺短信 第465号 平成21年6月25日(木)
日顕宗の動き
1.寺院明け渡し裁判で日顕宗が敗訴
不法に寺院を占拠しているとして、元正信会坊主の山口法興を相手取り、日顕宗が
起こした寺院建物明け渡し裁判で、京都地方裁判所は15日、日顕宗の請求を棄却する
判決を下した。
この裁判は、京都・住本寺の藤川某なる正信会坊主が昨年4月に死亡して以降、寺に
居座り続けている山口に対し、日顕宗が立ち退きを求めたもの。これまで、宗門を擯斥
された坊主が居座る寺は、その坊主が死亡した段階で日顕宗に返還される慣例になって
いた。しかし、今回の判決でこれが覆されたことになる。
日顕宗は判決を不服として控訴したが、今後、山口側の「相承を受けていない
ニセ法主の指示に従う必要はない」との主張に沿って、法廷での日顕の相承問題の
検証が予想される。これまで「相承を受けた」と言うだけで、その証拠を何ひとつ
出していない日顕は、枕を高くして眠れぬ日が続くことだろう。
2.「7万5千」のずさんな説明会に怒り噴出
去る14日、7月26日の7万5千総会開催にあたり、大石寺側から地元の町会関係者への
説明会が行われた。
開催ひと月前の今ごろになってからの説明会。しかもその内容はいい加減そのもの。
書類も配布せず、口頭で済ませようとしたところ、参加者からは「地域に徹底したい
ので、文書ぐらい作って送ってくれ」との要望があがった。
また、総会前日と当日、参加者を乗せたバス2000台と乗用車2000台が押し寄せる
周辺道路の整理・誘導を大石寺から依頼された近隣住民もおり、不満の声があがって
いる。
さらに、夏休み最初の日曜日となる総会当日は、富士宮市の名物「富士宮焼きそば」
を求めて多くの観光客がやって来ることが予想される。観光業者は「焼きそばを
食べようと車で向かったはいいが、大渋滞に巻き込まれて『富士宮には二度と行く
ものか』となったら大変」と心配顔だ。一方、市の観光協会も「大渋滞が予想されます
ので、26日は避けたほうがいいかもしれませんね」と言う。
この大迷惑の元凶は、何の考えもなしに、メチャクチャな結集大会を思いつき、強行
しようとしている日顕、日如に他ならない。
3.飲酒運転坊主の後任住職が決定
先ごろ、飲酒運転で交通事故を起こして逮捕された熊本・法観寺住職の山田雄勉
(60)の後任に、宮崎・寿正寺住職の柏熊信乗(41)が就くことになった。寿正寺の
後任には、日顕の運転手をしていた本山・大坊内の土屋正博(37)が入る。
山田は住職を下ろされたが、僧籍は残されるという。飲酒運転が社会問題化し、
厳罰化が進むこのご時世、一般の会社や自治体では懲戒解雇、懲戒免職が相当であり、
本来なら僧籍剥奪となる「擯斥」などの厳しい処分が妥当。こんな甘い処分で
ごまかそうとする日顕宗は、世間から「非常識教団」と厳しく指弾されるに違いない。
4.7月の予定
5日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
12日(日) 御講(末寺)
15日(水)・16日(木) 立正安国論750年記念大法要
26日(日) 7万5千大結集総会
150
:
検証会議
:2009/07/02(木) 13:49:02
フェイク 第1040号
(発行=09.06.24)
妙峰寺住職の孫、詐欺で逮捕!
日蓮正宗の僧俗に続発する事件と事故
背景に宗門の荒廃、虚言の横行、精神の腐敗
日蓮正宗の妙峰寺(北海道富良野市)の坊主・布施谷雄治の孫である布施谷正俊
(二三歳)が十七日午後四時十六分、北海道警・稚内署に逮捕された。地元紙の
「日刊宗谷」「稚内プレス」等の報道によると、布施谷は市内居住の知人Aさん
(二三歳)に「大腸ガンの手術を受けることになった」などとウソを言って、手術代と
して二十五万円を騙し取った。
更に、布施谷は同じような手口で、Aさんから数回にわたって合計約百万円を詐取
したと見られており、現在、裏付け捜査中。布施谷は大金を騙し取った事実を認め、
遊興費に使ったと供述しているという。
詐欺事件としては寸借詐欺、結婚詐欺など色々あり、近年ではオレオレ詐欺、
振り込め詐欺が横行し、発生件数も増える一方だ。
最近では還付金詐欺とか悪徳医師による診療報酬詐欺、警察官を装った詐欺など
多種多様の悪質な手口がある。
だが、自らが大病の患者を装い、知人の同情心、親切心を悪用して百万円もの大金を
騙し取ったうえ、その金を遊興費に充てていたとは、いかにも日顕一派の坊主の家族
らしい許し難い悪行と言わねばならない。
この詐欺事件に限らず、宗門では僧俗間の確執、金銭トラブル、暴力沙汰、飲酒運転
など事件・事故が多発している。その背景には宗門の荒廃、精神の腐敗、虚言の横行、
教育の喪失、末寺の困窮が挙げられる。
この度の布施谷の逮捕は、宗門の暗澹たる荒廃を象徴する事件といえよう。
逮捕された容疑者の祖父に当たる坊主の布施谷雄治(大講師、俗名は富治)は
昭和五十八年五月の一般得度。平成五年十一月、現在の妙峰寺に入った。
また、正俊の父親・布施谷治人は稚内市・法清院(主管は屋比久信如)の法華講に
所属し、講頭、総代を歴任するほどの狂信者である。
しかし、布施谷が講頭時代の平成九年、父親が住職をしている妙峰寺の夏期講習会
登山の結集割れを防ぐため、法清院の講員を「妙峰寺枠」で参加させようと画策した
ことがあった。
その策謀が当時の法清院主管・渡辺寧道にバレて大喧嘩。そして法清院の講員全員が
登山をボイコットするという大騒動もあった。
ところで、詐欺事件で忘れられないのは、埼玉県所沢市の能安寺(水島公正)で
副講頭、壮年部長を歴任し、本堂・庫裏新築の際の建設委員長を勤めた肥沼正男の
巨額詐欺事件である。
日顕が一億円の塔婆詐欺、
巨額詐欺事件を起こした
能安寺の講幹部
警視庁に逮捕された肥沼は伊藤忠商事系列の大手総合リース会社に架空の契約を
持ちかけて三億八千万円を騙し取ったが、当時、詐取した総額は百四十七億円にも
のぼると見られ、テレビや各紙で空前の巨額詐欺事件として大きく報道された
(本紙第九号を参照)
更に、絶対に許せぬ詐欺は日顕が十万本分の塔婆料一億円を受け取って、実際は塔婆
を立てず、書きもしなかった塔婆詐欺だ(本紙第六一六号を参照)。
これは信仰心を利用した悪質な詐欺事件として徹底して糾弾し、末永く語り継いで
いかねばならない。
151
:
名無しさん
:2009/07/02(木) 14:56:29
これが日蓮正宗の実態だ!偽装教団 『大石寺』!
http://seigi716.blog54.fc2.com/
里内住職を兵糧攻めにする目的で「ご供養するな」の策謀運動を張り巡らす連中が網走支庁管内に出没。
日蓮正宗が嘘捏造をもって財政破綻の汚名を着せ、里内住職を攻撃するなどは社会正義に反する犯罪行為としか言いようがない。
本尊偽造・教義血脈偽装・史実改竄を教団維持のために脈々とやり続けてきた日蓮正宗大石寺に、宗祖日蓮大聖人の正義は全無である。
http://seigi716.blog54.fc2.com/blog-entry-5.html
152
:
検証会議
:2009/07/04(土) 01:04:06
新改革通信 102号
平成二十一年六月三十日発行
死ぬに死ねない"日顕の事情(五)
尾を引く"信彰問題"日顕親子の過剰な反応がかえって致命傷となり、信彰の次期法主
の可能性は限りなくゼロに!
"何としても信彰を次期法主に"という日顕の我欲の業報ゆえか、信彰が法主になる
可能性がどんどん低くなっている。
信彰が得成寺の里内を査問した際に暴力を振るった、"信彰問題"。きちんとした対応
をしていれば、大きな問題にならなかったかもしれないが、事件は急転し、里内が
「擯斥処分」になった。
暴力を振るった加害者の信彰が「停職十日」で、暴力を受けた被害者が「擯斥処分」
とは、誰にも説明できない話である。
宗門側は、里内が信彰を「告訴」したことを問題にしているが、そもそも、信彰が
きちんと里内に謝罪をして、それなりの処分を受けていれば、当然、告訴にまで発展
しなかっただろう。
加えて、信彰は宗内外の批判を封じるために、自分の処分を自分で宗内に知らせると
いう異常な手段を使った。しかも、その処分が「停職十日」という非常に軽いもので
あった。その十日も、ゴールデン・ウィークをはさんでおり、実質的には数日のもので
しかない。
普通なら、役職辞任が妥当であろう。なぜ、このようなことになったのか?そこには、日顕の意向が働いているとしか考えられない。何としても信彰を次期法主にしたい日顕
からすると、信彰の役職辞任は絶対にあってはならないことだ。
なぜなら、かつて、日顕の父・日開がある事件で能化から降格され、法主候補から
はずれ、時間かせぎに堀日亨上人を法主に仕立てたことがある。だから、絶対に
そういう事態は避けたいのだ。
また、信彰には"自分は元法主の息子だから、何をしても許される"という、傲慢さが
ある。だから自分の処分を自分で発表するという、社会性を全く欠如した行為に走る
のだ。
今回、日如は日顕親子の意向を受けた形にしておきながら、結果として、日如の思う
壷である。なぜなら、こういう不公平な処分をすれば、"信彰問題"はさらなる話題に
なり、信彰を次期法主候補からはずす言い訳となるからだ。日如は巧みに日顕親子を
自爆の方向に誘導したことになる。
いよいよ、日顕親子と日如のかけひきが激しくなるであろう。今回の問題で信彰は
致命傷を受けたことになる、その状況を如何にして変えるか。もちろん、簡単なこと
ではない。だから、日顕は死ぬに死ねない事情がまた一つ増えた。
(編集部)
153
:
検証会議
:2009/07/04(土) 12:49:20
フェイク 第1041号
(発行=09.07.03)
師弟の道を踏み外し、晩節汚す反逆者
忘恩の矢野絢也、伊藤弘らの哀れな末路
戸田会長「三代会長を支えれば広布は出来る」
広宣流布に生きる人生は師弟の絆で強く結ばれている。その師を見失うと退転の坂を
転げ落ち、反逆の牙を剥き、晩節を汚して醜悪な敗残の人生に終わる。
元公明党委員長の矢野絢也が一日、民主党など野党議員を前に大恩ある学会を批判
したが、民主党は「政治と宗教」を心配するより、自分達の「政治と金」の釈明こそが
急務ではないのか。
また、矢野は師弟の道を踏み外した我欲と不知恩の腹黒い男の典型である。
矢野のように師から離れて信心の原点を喪失した時、広布の大目的を忘れ、己のエゴ
と虚飾に固執し、罰と敗北の人生を彷徨(さまよ)う。これは個人も団体も同じで
ある。日蓮大聖人御在世当時の五老僧、学会の最高幹部などで退転・反逆して学会を
裏切った者達は皆、師弟を忘れて転落した。
近年では日顕宗が血脈の断絶によって師弟の道を失い、大聖人に敵対する邪教団に
なってしまった。
去る六月二十二日に伊藤弘という反逆者がガンのため死亡した。享年六十九歳。師恩
を忘れて転落し、晩節を汚した哀れな男である。
伊藤は昭和二十七年二月に入会し、工業高校を卒業後、電気関係の会社に勤務して
いたが、三十六年八月に学会職員になり、聖教新聞社、小金井会館、立川文化会館、
富士美術館の準備室、日本図書と転々と異動し、何処でも満足な仕事ができなかった。
こうして世話になった学会の恩を忘れ、平成十六年八月に脱会、大宣寺の法華講に
成り下がった。その直後、伊藤は肺気腫を患うなど罰が直ぐに現れたが、平成十七年
八月十四日、大宣寺での壮年部大会で体験を発表。その中で学会を「第六天の魔王」と
罵倒した。
以来、学会員を脱会させようと狂奔していたが、各地で反撃されて成果は上がらず、
大宣寺講中の役職も貰えないまま、ガンを発症し、帰らぬ人になった。
人間の真価は最終章で決まる。晩節を汚すことで、過去の努力も実績も水泡に帰して
しまう。
退転者に共通する
自己正当化の口実
この伊藤や矢野、竜年光、藤原行正、福島源次郎、石田次男、原島嵩らの反逆・
退転者、それに脱会した大草一男(妙観講)らに共通する点は傲慢、金銭・異性問題の
ほか戸田会長を利用する口実である。
例えば「戸田先生の頃は良かった、三代会長になって学会が変わった」という戯言で
ある。これは己の退転の理由を三代会長に責任転嫁するもので自己正当化の口実に
他ならない。
学会は創立以来、一貫して広布の路線に変わりはない。三代会長を守り支えよ、と
いう戸田会長の厳命を、ここに確認しておこう。
「三代会長は青年部に渡す、牧口門下には渡しません、何故かといへば老人だから
です。ゆづる会長は一人でありますが、その時に分裂があってはなりませんぞ。今の
牧口門下が私をささえる様に三代会長を戸田門下がささえて行きなさい。私は広宣流布
の為に身を捨てます。その屍が品川の沖に、また何処にさらされようとも三代会長を
ささえて行くならば絶対に広宣流布は出来ます」
(昭和二十七年三月一日付の聖教新聞より)
154
:
検証会議
:2009/07/11(土) 10:17:55
フェイク 第1043号
(発行=09.07.08)
台風下の人命救助を「慧妙」が愚弄
ボーイスカウト代表が学会に感謝状と楯
陣頭指揮の池田会長、宗門の役僧は覗いただけ
創価学会が昭和四十六年八月、約六千五百人のボーイスカウト大会参加者を救援した
事実を紹介した本紙一〇三三号に「慧妙」七月一日付が難癖を付けている。
「慧妙」は「『フェイク』の五月二十七日付には、まことに興味深いことが書かれて
いた。少々長くなるが引用してみる」と前置きし、朝霧高原で実施中のボーイスカウト
の大野営大会(世界ジャンボリー)が台風の暴風圏に巻き込まれた際、大石寺への
避難要請を宗門は「寺が汚れる」と嫌ったのに対し、池田会長(当時)が緊急事態を
知って「受け入れるのが、人間として当然だ」と即決。講習会の行事を変更し、大講堂
や大化城なども空けて、会長自らタオルを買い集め、毛布やパンなどの救援物資を
用意し、かがり火を焚いて約六千五百人のボーイスカウト大会の参加者を迎え入れた。
そして、池田会長が雪山坊に戻ったのは深夜の零時近くだった、との本紙の記事を長々
と転載している。
そのあと「慧妙」は人命救助を「抱腹絶倒」と愚弄し「当時在勤していた方に伺って
みると、事実は全く違っていた」「脚色しすぎ」と難癖をつけている。
更に、鼓笛隊演奏を侮辱し、陣頭指揮を執った池田会長が深夜まで遊んでいたと暴言
を吐き、「雉も鳴かずば打たれまい」と悦に入っている。
まず「慧妙」が聞いたという、その何も知らない在勤者の氏名を明かせ!
ボーイスカウトの避難について「それは困りますね。彼らが来ると(建物が)
汚される」「学会に任せる」と言った当時の渉外部長・吉田日勇(義誠)に聞けば、
本紙の記述が正確だと回答したはずだ。何故、吉田に取材しなかったのか?
本号では当時、コミッショナーとして参加した北九州市在住の沖田さんの声を紹介
する。
「台風に備えていた私達ボーイスカウトは、びしょ濡れで空腹でした。そんな私達に
池田会長を中心とした創価学会の皆さんは夏季講習会の会場を避難先として提供して
くださり、タオル、パン、牛乳等を頂戴するなど真心の応援をしていただきました。
(中略)噂や週刊誌の情報などだけで、また、表面を見るだけでは真実は
分かりません。実際の姿にふれて初めて真実が分かると思いました。私は会員では
ありませんが、それ以来、機会あるごとに学会の素晴らしさについて語っています」
(平成十六年五月二十五日付の聖教新聞より)
この時は高等部講習会で会長の指揮の下、輸送班が誘導(写真)し、高等部の
語学委員会有志が通訳。また「音楽隊、鼓笛隊の演奏に勇気づけられた」との感謝の声
も多かった。宗門の役僧は救援の様子をチラッと覗きに来ただけであった。
後日、ボーイスカウト日本連盟の理事長は、学会本部を訪問、池田会長に感謝状と楯
を贈ったのである。
155
:
検証会議
:2009/07/11(土) 10:20:18
>>154
訂正
誤 第1043号 → 正 第1042号
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