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情報スレッド
91
:
検証会議
:2009/04/17(金) 00:35:27
フェイク 第1017号
2009年(平成21年)4月17日(金)
閑静な住宅地、騒音に似た下手な読経に苦情
平安寺で涙も哀悼の言葉もない河原の告別式
葬儀の挨拶で登山推進を訴え顰蹙
日顕宗・法華講大講頭の河原昭太郎(十四日に死亡)の告別式が十六日
午後零時五十分から、京都市内の平安寺で行なわれた。前日の通夜には、本堂に三百人
ほどが集まっていたが、この日の告別式には場内に僅か百人そこそこ、また場外にも
少しばかりの講員らが集まっただけであった。
隠居した日顕、ニセ法主の日如は共に、昨夜の通夜、そして告別式に最後まで姿を
見せることはなかった。
葬儀は河原が代表取締役を務めていた会社(株式会社・鳥米)の「社葬」として、
厳粛かつ盛大に執り行う予定であったが、高僧も来ないし、参列者も少ない葬儀に
なってしまった。
昨年二月に死んだ同寺の前住職・椎名日澄(法英)の葬儀に際しては、日顕も火葬場
まで行ったといわれているが、死んだ河原は同寺の講頭で、しかも大講頭でも
あったが、通夜・告別式に日顕は顔を出さない。
死んだのが坊主と信者では、日顕ら坊主共の対応は大違いなのである。
日顕は、しばしば瞬間湯沸かし器を沸騰させて「信者の分際で何を言うか!」と暴言
を吐いていたが、法華講のナンバー2の地位にある大講頭といえども、坊主から
みれば、単なる「信者の分際」に過ぎないと、蔑視していると思われる。
さて、導師は平安寺住職の高野法雄が勤めた。ところが、同寺は閑静な住宅地に
建っていることもあって、読経が始まって間もなくの頃、近所から「うるさいッ」
「もっと葬儀らしく厳かにできないのか?」という苦情が寄せられたということだ。
確かに、修行を積んだ僧侶の朗々たる読経の声の響きであれば、信仰していない人が
聴いても清々しく、うるさくは感じない。
しかし、高野みたいに夜遊びが過ぎて、アルコールで喉を痛め、割れ鐘のような声で
の下手な読経は騒音にしか感じない。近隣の人から苦言を呈されても仕方ないだろう。
読経・唱題はバラバラ
会場のマイクの音量を急きょ、絞った。すると、参列者にマイクの声が聞こえなく
なった。導師と参列者の読経・唱題の声が合わなくなってバラバラ。大講頭の死を悼む
厳粛さは、全く感じられなかった。
葬儀らしくない雰囲気を、より一層、強くしたのが挨拶に立った柳沢喜惣次(法華講
総講頭)、畑十三男(平安寺副講頭)、河原昭雄(喪主・昭太郎の長男)の三人で、
哀悼の意を表す言葉は殆ど聞かれなかった。
「総登山を頑張って推進しよう」と僧俗指導会か広布推進会で檄を飛ばすような口調
でハッパをかける挨拶に皆、ウンザリした表情だった。副講頭の畑に至っては
「(河原が)五十万総登山を前に死んだのが残念だ」とヌケヌケと言い放っていた。
大講頭も登山要員の一人にすぎないのだ。
そういえば、河原は以前、「担架に担がれて登山する姿に感動した」と述べていた
こともあるが、河原本人は担架や車椅子でも登山できないまま逝ってしまった。
不揃いの読経、総登山を推進せよ、との「お別れの挨拶」を聞いて、涙ぐむ者など
いる訳はない。告別式は終始、シラけた雰囲気に包まれていた。
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