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情報スレッド
88
:
検証会議
:2009/04/16(木) 01:56:07
勝ち戦 第133号
2009 年4月14 日(火)
大講頭・河原昭太郎が死亡!
『もうボロボロです…』
日顕宗は「生も換金・死も換金」だ
本日、日顕宗・大講頭で、北近畿地方部長の河原昭太郎が死亡した。
通夜は一五日(水)一八時。本葬は一六日(木)一三時。平安寺(京都市)で執り行われる
予定。
河原は長年、天魔・日顕の狂信者として、仏法破壊・広布破壊を企て、破和合僧に
狂奔した極悪人である。晩年は、堕落した贅沢三昧の生活が崇り、重度の糖尿病を
患って一人で立ち上がることも歩くことも出来ず、車椅子での生活を余儀なくされて
いた。
平成一六年四月の地方部総会では、目が不自由で手術をした上に、足を六ヶ所骨折
するという見るも無惨な姿で登壇し、「もうボロボロです。一年もつか分かりません」
と、泣きっ面で弱音を吐いていた。
同年十月の御会式でも、「三日間四〇度の熱が続き、病院へ行ったら肺炎ということ
で即入院。病院へ入ったら鉄格子がはまってるんですよ。まるでブタ箱にいる
みたい・・・」と、肺炎に罹って入院したことを告白した。他の信者達は、「何故
これほど一生懸命宗門に尽くしてきた人が、こんなに苦しく、不幸な目に遭わなければ
ならないのか」と愕然としていた。
河原はかつて、京都府丹波町で鳥インフルエンザ騒動が起きた時、
『京都府食鶏肉販売業生活衛生同業組合理事長』という立場にあり、連日マスメディア
からその社会的責任の追及と釈明を求められていた。だが、河原は理事長としての責任
を果そうともせず、日顕宗寺院の妙清寺(京都市)に泊り込み、姑息にも身を隠していた
のである。その後、社会不安は増大し、二名の自殺者を出すまでに至った。一般の
マスメディアからは逃げ回っていた河原も、何故か当時の『しんぶん赤旗』には、
共産党議員二名と共に写真入りで登場し、苦しい胸の内を告白していた。
「いつが昼か夜かわからない毎日」「返済の見通しがなければ融資も利用できず、
客の意見を聞こうにも客が来ない」「一二〇年続く私の店は毎日八〇〜百人いた客が
一〇人も来ない状況」まるで罰の体験発表だ。
昨年三月、僧俗指導会で、河原は興味深い話をしていた。「ちょっと面白い話を
しましょうか。平安寺で私が法華講つくってね、十年近く葬式が無かった。お寺にね、
お葬式が無いというのはね、これお寺さん、商売あがったりなんですよ。住職申し訳
ない。『誰か死ぬもんないか』そのくらい申し訳ないこと」
話の途中で司会の石井栄純(横須賀・法照寺住職)が話を強制終了させ、河原は石井を
鬼の形相で睨み付けていた。長年宗門の実態を見てきた河原の証言は重い。河原始め、
法華講員は、『生も換金・死も換金』だ。哀れ!
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