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90検証会議:2009/04/17(金) 00:00:30
越 洋

平成21年4月16日

 日顕はかって「長時間唱題すると身体に良くない」といっていた。今年に入り、
鳴物入りで4月1日(水)から始まった思いつきとこじつけ「七百五十億遍唱題行」が、
宗門を窮地に追い込んでいる。というのも「百年に一度の経済危機」の中で登山に行く
費用も捻出できない講員の負担もさることながら、そこに追い打ちをかけるのが今回の
「唱題行」である。

 寺に行く機会が増えれば、その分毎回"御供養"と"交通費"が必要になってくるから
法華講員もたまったものではない。今回の"唱題行"が、かえって寺離れを加速させて
いる。そもそも、法華講が15万と計算しているが、分母が違いすぎるのではないか?
死亡と行方不明が多いので、せいぜい6〜7万だと実態をよく知る末寺住職の声。

 そんな"唱題行"の最中の今月4日、香川県福成寺の住職・堀寿奘が亡くなった。
体調を崩して支院長も降りたが、享年60歳の若さであった。(宗務広報発表)丁度、
本山で6・7日と"虫払い法要"が行われ、8日には全国支院長会議のため通夜と告別式は
9・10日で行われた。

 "登山をすれば願いが叶う""最後の登山に功徳を積もう"と謳い文句を並べて、登山を
煽っているが"一番御開扉も受けているはずの住職がなぜ"という福成寺講員の素朴な
疑問は晴れない一方である。

 かつて昭和五十五年十月、北海道で故森田理事長が唱題と折伏で乗り越えた父親の
癌克服の体験を日顕に話した時、日顕が信じられないような顔をして聞いていたことは
有名な話である。学会員には日常的に語られている話も「大御本尊のは、偽物である」
と御本尊を信じられず、信仰体験を持たない日顕には、功徳の体験談はよほど
珍しかったようだ。

 日顕は平成六年二月、全国支院長会議の席上、"信者のほうが本当の体験というほう
から、この大聖人の仏法に入ってきている。僧侶は、むしろそこが弱い"などと語って
いた。そもそも、「長時間唱題すると身体に良くない」「坊さんが唱題をしていると
何か悩みがあるのかと信者に誤解されてしまう」と宗門は、唱題をすることも"学会員
みたいなマネをするな"と言い放って馬鹿にし、題目を上げることも信者のする修行と
して蔑視をしてきた。

 結局「五十万総登山」では本山が潤い、「七百五十億遍唱題行」では末寺が潤い、
法華講員は骨の髄まで搾取される場に過ぎない。


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