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避難用作品投下スレ3

505十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:41:27 ID:2LxlvcbQ0
 
知らず振り向いた蝉丸の、その表情が固まる。
見上げた視線の先に、異物があった。

僅か数十メートル先、神塚山山頂。
そこに、何かが突き立っていた。

天空から下ろされた一本の蜘蛛の糸のような。
或いは天へと伸びる果てしない塔のような。
限りなく細い何か、紅色と桃色と鈍色が考えなしに混ざり合ったような、醜悪な何か。
それが、神塚山の山頂、その中心へと突き立てられていたのである。

「……、」

そこにいた筈の、青年へと移り変わる途上のような顔をした、少年の名を、蝉丸が口にするより早く。
ひどく耳障りな雑音交じりの、しかし不気味によく通る声が、天空から響いていた。

「待っていましたよ―――この瞬間を」

それは遥か蒼穹の高み、突き立った細い糸のような何かの上から、降りてきた。
最初は芥子粒のような、しかし瞬く間にその大きさを増していくそれは、異様な姿をしていた。
人のような、しかし決して人にはあり得ないシルエット。
三対六本の腕、瘡蓋の下に張った薄皮のような桃色の、巨大な翼。
人と蟲と蝙蝠を、止め処ない悪意によって混ぜ合わせたようなフォルム。

かつて長瀬源五郎と呼ばれた人間の成れの果てが、そこにあった。

506十一時二十分(2)/散文的に、時には詩的に:2008/04/15(火) 21:42:00 ID:2LxlvcbQ0
 
 
 
【時間:2日目 AM11:23】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ融合体】

→916 962 967 ルートD-5

507十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:52:48 ID:CaxMWfFA0

それは、雨であった。
鋭い鋼鉄の穂先を大地へと向け、穿ち貫かんと落ち来るそれを、雨と呼ぶならば。

それは、槍であった。
天空より間断なく流れ落ち、地上へと等しく降るそれを、槍と呼ぶならば。

雨の如く降り注ぐ、桃色と鈍色の入り混じった無数の槍。
遥か高みより降る凶刃が終わらせたのは、たった一つの命である。

その、命であったものの名を、久瀬という。
最初の一筋が脳天を貫いた瞬間に、久瀬少年の命は終わっている。
何かを掴もうと伸ばされた指がびくりと震え、そして、それが最後だった。
直後、幾筋も幾筋も降り注いだ槍が貫き通したのは、少年の骸である。

人の形をしていた少年が、赤い液体と無数の欠片へと解体されたその場所へ、降り立つ者があった。
返り血と思しき赤黒い斑模様で纏った白衣を最早そうと呼べぬまでに汚し、背には肉色の翼。
肩の辺りから生えた四本の鋼鉄の腕をやはり血で染め上げ、はだけた胸からは断末魔の如き表情をした
女の顔が二つ、埋め込まれているのが見えた。
人、と呼ぶにはあまりにもヒトとかけ離れたその姿を目にして、声を漏らした者がいる。
急ぎ駆け戻った男、坂神蝉丸であった。

「長瀬……源五郎……!」

名を呼ばれ、悪夢を具現化したかの如き姿の男が、にたりと笑った。
歯茎を剥いた、怖気が立つほど醜悪な笑い。

「司令、と呼び給えよ、坂神君。いや……坂神脱走兵、というべきかね?
 副社長におかれても、ご機嫌麗しく」
「……何故、久瀬を殺した」

触れれば斬れるような声音。
口臭の漂ってきそうな笑みにも、血の海に倒れ伏す来栖川綾香を見下した視線にも委細構わず、
蝉丸はそれだけを口にする。

「……何故? 何故と問うのかね、君は?」

そんな蝉丸へと視線を戻すと、長瀬はくつくつと笑う。
肺病やみが咳き込むような、痰の絡んだ笑い方だった。

508十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:53:21 ID:CaxMWfFA0
「特段の理由などないよ。ただ私の道具を取りに来た、そこにたまたま彼がいただけさ」
「道具……だと」

言われて初めて、蝉丸が気付く。
長瀬の足元、のたうつ肉色の槍に隠れるようにして、小さな影があった。
広がる血の海の中で暴れることもなく、じっと蹲っている影を、長瀬の鋼鉄の腕が掴んで引きずり起こす。
久瀬少年の血に塗れながら表情一つ変えず、眼鏡の奥で焦点の合わぬ瞳を光らせる少女を見て、
蝉丸が呻くような声を漏らした。

「貴様、それは夕霧の……」
「演算中枢だよ、坂神君。私はこれを取りに来ただけだ。ずっと君の目が光っていたから、少しばかり難儀したがね」

見せ付けるように、片腕で夕霧を吊り上げる長瀬。
その身体から伸びた、ケーブルとも槍ともつかぬ金属製の管が、まるで触手のように夕霧の身体を這い回る。

「迂闊だったねえ、坂神君。君が目を離したりしなければ、私もこれに近づけなかった。
 ……久瀬大臣の愚かな御子息も、死なずに済んだかもしれないなあ」
「―――黙れ」

激昂も見せず、あくまでも静かに、蝉丸が口を開いた。
転瞬。

「―――!」

銀弧が閃いた。
音もなく駆けた蝉丸が、一気に間合いを詰めると手の一刀を振るったのである。
それを、

「おっと」

おどけるような仕草と共に、長瀬が飛び退って避ける。
強い風が、蝉丸の頬を叩いた。
長瀬は文字通り、肉色の翼を羽ばたかせて飛んでいたのであった。

509十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:53:46 ID:CaxMWfFA0
「貴様……!」
「おお、怖い怖い。君といい光岡君といい、強化兵の近接戦闘能力は驚愕に値するからね。
 正面からやりあう気などないよ」

刀の届かぬ高度でゆっくりと羽ばたきながら、長瀬が肩をすくめる。
鋼鉄の腕には砧夕霧を抱えている。
その血に濡れた身体の上には、やはり触手のような管が何本も這い回っていた。

「……うん、これではよくわからないな」

一人呟いて首肯する。
と、夕霧の身体を這っていた管の束が、唐突にその動きを変えた。
夕霧の纏った質素な服の上を這っていたものが、一斉に襟を、裾を、袖を目指して蠢く。
瞬く間に衣服の下へと潜り込んだ管の群れが、ぞろぞろと布地を持ち上げる。
宙吊りにされた少女が無数の蛇に肢体をまさぐられているような、それは淫靡な光景であった。

「どうだい、ミルファ、シルファ。私の可愛い娘たち。解析は終わりそうかい」

鳥肌の立つような猫撫で声で長瀬が語りかけたのは、その胸に浮かぶ人面瘡の如き二つの顔である。
よく見れば、ケーブルの束は断末魔を写し取ったようなその顔の、口腔の奥から伸びているのだった。
時折、びくりと夕霧が震える。
薄い布地の向こう、襟から潜った管が小さく盛り上がった双丘を舐る。
袖から腕、脇を通って背筋をまさぐる管もあった。
スカートの裾から入り込んだ管は下腹部から尻の辺りを取り巻いていた。
濡れた音がするのは、如何なる行為によるものか。

「下種が……!」

押し殺したような怒声と共に飛んだ針のようなものを、長瀬が翼の一振りで悠々と躱す。
虚しく弧を描いて落ちるのは、真紅の細刃。
先刻の交戦で斬り飛ばされた、来栖川綾香の鬼の爪であった。

「そう急かないでくれ給えよ、坂神君。焦らなくとも、もうすぐ……おや、終わったのかい、娘たち」

蝉丸への嘲るような声音とはうって変わった、気色の悪い甘い声。
見れば、びくりびくりと震えていた夕霧の肢体がだらりと弛緩している。
それを目にして満足げに頷く長瀬。

510十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:54:33 ID:CaxMWfFA0
「うん、それじゃあ……始めようか」

言葉と共に、びり、と音がした。
布の裂ける音。夕霧の纏っていた、質素な服が引き裂かれていく音である。
陽光の下、白い肌が惜しげもなく晒されていく。
瞬く間に、その肢体を覆っていた布地がすべて取り払われた。
乳房の先に覗く桃色も、下腹部を薄く覆う翳りもすべて、その上をのたくる管の群れと共に曝け出されていた。
長瀬の鋼鉄の腕によって両腕を拘束され、吊り下げられるような姿勢のまま裸体を隠すこともできず、
しかし夕霧はぼんやりとした瞳だけを眼鏡の奥に光らせたまま、表情を変えない。
そんな夕霧を後ろからかき抱くようにして身体を寄せると、長瀬がその感情のない顔に手を伸ばした。
肩から生えた鋼鉄の腕ではない。長瀬源五郎の、生身の手である。
ゆっくりと撫でるようにして、長瀬の手指が夕霧の頬を這う。
痩せこけた血色の悪い唇を、ごつごつと骨ばった長い指がなぞる。
白い首筋からこびり付いた血の乾き始めた耳の辺りまでを嘗め回すようにしていた長瀬が、その耳元に囁いた。

「私と一つになりなさい、失敗作」

同時。
ぞぶり、と嫌な音と共に、ケーブルの先端、槍の穂先のように尖ったそれが、夕霧の裸体に突き刺さっていた。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
首筋に、背に、脇腹に、太腿に、二の腕に、薄くあばらの浮いた肢体に、何本も刺さっていく管の群れ。
その度にびくりと震える夕霧の身体からは、しかし奇妙なことに血が流れ出さない。
それどころか、まるで刺さったケーブルを取り込むかのように、破れた皮膚が再生し、薄皮が張っていく。

「成る程、成る程、成る程。余計な感情を溜め込んだものだ。余分なノイズを取っておいたものだ。
 こんなものは―――消してしまえばいい」

目を細め、長瀬が独り言じみた呟きを漏らした途端、夕霧の身体が一際大きく跳ねた。
激しい痙攣が二度、三度と続き、そしてすぐに静かになった。

「さあ、これで綺麗になった」
「……ッ!」

歯噛みしながら見上げていた蝉丸が、思わず絶句する。
頷いた長瀬がひと撫でした夕霧の顔は、先刻までとはまるで異なっていた。
何の感情も浮かべていなかったその顔に、一つの明確な表情が刻まれていた。
即ち―――、絶望。

「貴様……!」

そこにあったのは、苦痛でも、悲嘆ですらなかった。
この世に存在する希望という希望を絶たれ、怨嗟に塗れ、生を呪う、それは亡者の表情。
それはまるで、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔をそっくり写し取ったような、顔であった。

511十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:00 ID:CaxMWfFA0
「何を……一体、何をしたッ……!」
「ん?」

地上で叫ぶ蝉丸の存在を、まるで今思い出したとでもいうように長瀬が見やる。
にやにやと見下ろすその視線には、何らの特別な感情は浮かんでいない。

「何、と言われても……道具をフォーマットしただけさ。雑念が煩かったからね」
「外道が……!」

曇った眼鏡を拭いただけ、とでもいうようなその口調に、蝉丸が手の一刀を握り直すとほぼ同時。

「ぬ……!?」

蝉丸が跳んでいた。
僅かに遅れて、立っていたその場所に突き立つものがある。
上空を飛ぶ長瀬の身体から伸びた、肉と鉄の入り混じった槍であった。
その足元に広がっていた、乾きかけた血の海がべしゃりと撥ねた。
ざっくりと裂けた右足から真新しい紅の珠が飛ぶのにも、蝉丸は眉筋一つ動かさない。
天空の高みから次々と迫り来る槍を的確に躱していく。
しかし、

(……?)

おかしい、と蝉丸は己の直感が告げるのを感じていた。
次々に降り注ぐ槍は確かに鋭く、速い。
しかしその位置、照準、タイミングがあまりにも粗雑に過ぎた。
長瀬が戦闘に関して素人であると言ってしまえばそれまでなのかも知れない。
しかし、それだけでは片付けられない何かを、蝉丸の研ぎ澄まされた勘は嗅ぎ取っていた。
降り注ぐ槍には何か別の狙いがある、と。
蝉丸がそこまでを思考したのを読み取ったかのように、天空からの攻撃が、止まった。
大地に張り巡らされた蜘蛛の巣のように無数の槍を突き立てておきながら、蝉丸には未だ傷一つつけていない。
それが唐突に止まっていたのである。
思わず見上げた蝉丸の耳朶を、

「さあ、食事の時間だ」

長瀬の声が打ったのと、時を同じくして。
ぞぶり、と音がした。
音は、一つではない。
それは蝉丸の周囲、四方八方のあらゆる方向から、無数に響いていた。

512十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:21 ID:CaxMWfFA0
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。
ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり、ぞぶり。

まるで挽き肉を捏ね回すような、或いは鍋に満たした湯の沸き立つような。
ひどく耳障りなその音は、蝉丸のすぐ側、或いは手の届かぬ遠く。
地面に突き立った無数の槍の、その中から、響いているようだった。

ごぼり、と泡立つような音がして、見れば突き立てられた槍の穂先が、濡れていた。
赤く濡れたそれの周りにはしかし、鮮血など存在しない。
否、砂を染めた血痕が、そこに血の流れていたことを示している。
そこかしこに積み上げられた夕霧たちの躯から流れ出たはずの、それは血だまりの痕だった。
それが、なくなっている。

「……飲んだ……のか……!」

険しい表情のまま見回せば、山頂のいたるところを染め上げていたはずの、乾きかけた血の海が、
まるで潮が引いたように小さくなっている。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がした。
ぞぶり、と音がするたびに、血だまりは小さくなっていく。

「……ッ!」

衝動のままに一刀を振るえば、硬い感触と共に槍の一本に亀裂が入る。
ごぼり、と噴き出した粘性の高い血液が、蝉丸の手を汚した。

「長瀬……! 貴様、どこまで……!」
「おいおい、人の食器を傷つけないでくれよ」

天空を睨んだ蝉丸の視線にも、長瀬はただにやにやと笑いを返すのみ。

「君だってあまり人のことは言えた義理ではないと思うがね。
 土嚢代わりに使うのは死体の血を吸うより高尚な行いなのかい?」
「……!」
「こんなものは、単なる資材でしかない。君と同じさ。
 もっとも、私が本当に使うのは―――生きた方、だがね」

生きた方、という言葉の意味が、染み渡っていく。
と、何かに気がついたように、蝉丸が辺りを見回した。
ぞぶり、という音は、止まっていた。
咀嚼音が止まり、静寂が落ち、しかし―――静かすぎる。
北側と西側では戦闘が続いていたはずだった。
久瀬の死によって命令系統は混乱しているだろう。
僅かな間に戦線は崩壊したかもしれない。
しかし、閃光も、騒音も、何もかもが止んでいるのは、異常だった。
生きた方、という言葉がもう一度、蝉丸の脳裏に甦る。

513十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:42 ID:CaxMWfFA0
「まさか……!」

蝉丸が弾かれたように長瀬を見上げた、その刹那。
長瀬の身体が、爆ぜた。
否、爆ぜるような勢いで、膨れ上がったのである。
白衣が、スーツが、その布地の限界まで張り詰め、裂けた。
その下から無数に飛び出したのは、肉色の槍である。
それが生えていたのは、長瀬の胸に埋め込まれた二つの顔からではない。
腕といわず腹といわず、隙間を埋め尽くすようにして、その醜く蠢く管は
長瀬の肉体のいたるところから奇怪な腫瘍の如く飛び出していた。
その数は先刻に倍し、太さに至っては一本一本が人の腕ほどもある。
そんなものに埋め尽くされた長瀬は、まるで空に浮かぶ磯巾着か何かのようにすら見えた。
が、そう見えたのも一瞬。
無数の管が、凄まじい勢いで伸びていた。
目指すのは大地。

「……!」

瞬間、蝉丸は己の危惧が的中したことを知る。
長瀬の身体から伸びた無数の管はそのすべてが、山頂ではなく、そのすぐ周辺。
北側と西側の山道へと、向かっていたのである。
天頂を境とした空の半分を覆い尽くすように、肉色の管が巨大な天蓋を形作る。
測定を拒むが如き数の管が伸びるその先には、きっかり同数の影が、佇んでいた。
影、砧夕霧と呼ばれる少女達の群隊は抗う様子も見せず、迫り来る管をぼんやりと眺めている。
矢のように伸びた管の群れが、その速度の一切を殺すことなく、夕霧たちへと突き刺さった。
否、刺された少女たちからは、一滴の血も流れない。傷すらも、できてはいなかった。
故にそれらは、突き刺さったというべきではなかったかもしれない。
それらは単に、少女達へと貼り付き―――呑んでいたのである。

514十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:55:59 ID:CaxMWfFA0
ぞる、と先刻の血液を咀嚼する音にも倍して奇怪な音が響くたび、少女達が歪んでいく。
誇張でも比喩でもない。
管の貼り付いた部位を中心に、骨格を無視し人体構造を無視して、少女の身体のその全体が、
奇妙に捻じ曲がっていくのである。
同時に、音が響くのと歩調を合わせて、その肉体そのものが小さくなっていく。
ぞる。少女の腹が、べこりと落ち窪んだ。
ぞる。少女の胸が、片方の乳房を残して、捩じくれた。
ぞる。少女の腕が、肘まで肩に埋まった。
ぞる。少女の腰が、臓腑ごと競り上がった。
ぞる。少女の脚が、胸の下から、覗いていた。
ぞる。少女の首が、管へと吸い込まれていた。
ぞる。少女の、全部が消えた。

少女を呑み尽くした管は、まるでフィルムを逆回しにするように天空へと巻き取られていく。
巻き上げられた管の根元が、ぼこりと膨らんでいる。
それは紛れもない、少女の体積。
ぞる。ぞる。ぞる。
音と共に、少女が管に呑まれ、管が巻き上げられ、その根元が、ぼこりと膨らんでいく。
ぞる、ぞる、ぞる。
ぼこり、ぼこり、ぼこり。
それは、ヒトのカタチをしていたモノが、ヒトならざるモノの中に、吸い上げられていく音であった。
およそこの世のものとは思えぬ悪夢の光景の中心に、笑う顔がある。
長瀬源五郎であった。
肉腫の如く膨らみ続ける体の中心に、長瀬源五郎の顔が浮かんでいた。
すぐ下には三つの断末魔。
イルファ、シルファ、そして砧夕霧の中枢体が、悪夢の象徴のように並んでいる。
巨大な肉腫は重なり合い、互いを覆い隠すように拡がっていく。
七千にも及ぶ生体が、融け合って膨れ、崩れて肉腫となり、やがて何かを形作っていく。
それは、受精卵の細胞分裂を繰り返す様を、偏執的な悪意で塗り潰していくような。
そんな印象を見る者に与える光景だった。

515十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:56:20 ID:CaxMWfFA0
どこまでも長く感じられる、しかし実時間にしてほんの数十秒の内に、
それは、この世に姿を現していた。
身長、およそ三十メートル。体重にして二百七十トン。
神塚山、北西側の山肌から、山頂の台地へと手をかけるようにしてへばりついたそれは、
途方もなく巨大な少女―――砧夕霧であった。
天頂へと迫りつつある陽光を受けてぎらぎらと額を輝かせながら、

「―――」

るぅ、と啼いたそれは、長瀬源五郎と同じ顔で、嗤っていた。


.

516十一時二十三分/軛、解き放つ:2008/04/26(土) 02:56:56 ID:CaxMWfFA0

【時間:2日目 AM11:26】
【場所:F−5】

坂神蝉丸
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(6314体相当)】

来栖川綾香
 【所持品:各種重火器、その他】
 【状態:全身裂傷、筋断裂多数、出血多量、小腸破裂・腹腔内出血中、鼻骨骨折、
      顔面打撲、頚椎打撲、腰椎打撲、ドーピング限界】

→968 ルートD-5

517(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:58:27 ID:WLKNz3/g0
 海のほとりにある、ごく小さな一軒屋。
 明るく輝く太陽の光とは対照的に、カーテンで閉ざされた室内はほの暗く、物の輪郭を僅かながらに、色彩を僅かながらにしか映し出しているのみ。
 けれども、そこの動く一つの影――小牧郁乃――の瞳は今にも燃え出しそうなくらいに爛々と輝いて、殺戮と絶望が飛び交うこの島においてもなお、不屈の意思を秘めたものを持っていることを示していた。

「……ふぅ、大分……動けるようになった」
 額につく、僅かな汗を袖で拭いながら郁乃は一息つく。

 ここ数時間で郁乃が歩行した距離は僅かに数キロにも満たない。遅すぎるほどの速度。
 だがそれでも郁乃は、自分が確実に歩けるようになっていることを確信していた。
 走ることはまだ叶わないが、少なくとも人の手を煩わせずに移動することができる。もう少し時間があれば様々な行動を取れるようになるだろう。
 もう、足手まといにはなりたくない。

 負けず嫌いとも自責ともいえるその一念が、郁乃を衝き動かしている。元来そのような性分だとは理解してはいたが、ここまでしていることに自身でも感心するくらいだ。
 姉……いや、病院の中だけだった狭い世界だったのが、七海を始めとして様々な人間に触れ、いかに郁乃自身が小さいものだったのかを思い知った結果かもしれない。事実、今まで郁乃はそこまで劣った存在ではないと思っていた節があったのだから。

 情けない話だ。
 経験して、叱責されて、ようやくそれに気付けたのだから。それもそうだが、それ以前に。
(……あいつに言われて、ってのがどうしても気に入らない)
 高槻と名乗ったその男。

 美形とは言い難いし、性格は最悪。すぐ調子に乗るし、スケベだし、ロリコンだし、ホラ吹きだし、天パだし。
 その上私の唇を奪おうとした。なんか告白まがいのことまでしてきたし。
 なんというか、ムカツク。そんな奴に指摘されて気がつくなんて。
 でも……いつの間にか、あいつのことを考えていたり。どこかで頼りにしていたり……違う違う! あいつの顔があまりに印象的すぎるだけ!
 というかなんで私はドキドキしてるわけ!? ありえない! だから最悪なのよあいつは!

「あの、小牧さん?」
 高槻の事を考えるあまり(本人はそう思ってはいないだろうが)頭を抱えたり腕を振り回したりしていた郁乃に不安を感じたのか、ほしのゆめみが手に水の入ったペットボトルを持って差し出していた。

518(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:58:54 ID:WLKNz3/g0
「少し、休憩なされた方がよろしいかと思います。小牧さん、顔が赤いですし……体温の上昇が見受けられます」
「て、照れてなんかないわよ!」
「はい?」

 要領を得ないゆめみの表情に、そういう意味で言ったのではないとようやく悟った郁乃はげんなりして、「……ごめん、勘違い」と水を受け取り、ボトルのキャップを開く。
 久々に感じる水分の潤いが郁乃には心地よかった。色々考えていたのがアホらしく思えてくる。

「はぁ……ねぇ、ゆめみ」
「はい、なんでしょう」

 いつもと変わらぬ調子で応えるゆめみ。こういうとき変な勘繰りをしてこないことが、郁乃には都合がよかった。
「あいつ……高槻のことは、どう思ってるの?」
 別に深い意味などなかったが、何となく聞いてみたくなったのだ。高槻の事を考えていたから、他の人間は(ゆめみはロボットだけれども)どのような評価を下しているのか純粋に気になった。

「そうですね……行動力のある方だと思います」
 へえ、と郁乃は目を丸くする。郁乃の印象ではお調子者で間抜けな人間像だっただけに。
 気になったので、さらに追及する。

「どういうところが?」
「例えば……申し上げにくいことだとは理解していますが、宮内さんが殺害されたときに、真っ先に現場に直行して、確かな推理をなさっていましたし、わたしたちが襲撃されたときもわたしたちを守るために積極的に戦って下さいました。小牧さんを助けるために、海へ飛び込んだことも。模範となるべき人間像だとも考えます」

「……」
 過大評価でしょ、と郁乃は言いたくなった。
 確かにそういう場面もあったけど、模範と言えるかどうかと問われれば……絶対違う。
 というか、あいつは絶対自分のためだけに行動してるでしょ。うん、私には分かる。

519(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:19 ID:WLKNz3/g0
「そ、そうなんだ……うん、まぁ、そういう見方もあるわよね」
 藤林杏や折原浩平、立田七海に再会できたときにはそっちに意見を聞いてみよう、と郁乃は思うのであった。

「ふぅ……」
 何はともあれ、少しは休憩した方がいいだろうと考えた郁乃は椅子を引いてそこに腰掛ける。ごく自然な動作だったが、それは郁乃の努力の賜物、というべきものであった。
 無論、郁乃本人はまだそれに気がついていないのであるが。
 頬杖をつき、どのくらい時間が経っているのだろうとふと気になったので時計を探してみる。
 が、置いていないのかそれとも死角に隠れているのか、どこを見渡しても時計らしきものは見当たらない。散らかっているくせに、なんと物のない家なんだ、と郁乃は息をつく。

「どうされました?」
「ああ、うん、時間が気になって」
「それでしたら、現在は日本時間の16:30を回ったころになります」

 再び郁乃は周りを見回す。どこにも時計のようなものはない。どうして分かるの? と尋ねるとゆめみは明朗に、
「わたしには体内時計機能も内蔵されておりますので。壊れていなければ、いいのですが……ここが世界のどこに位置するのか分かりませんので、調整しようにも出来なくなっているんです。申し訳ありません……」
 ああ、なるほどと納得する。確かに元がメイドロボであるHMXシリーズのOSを使っているのならそれくらいはあってもおかしくはない。

 しかし、もう夕方のだったのかと郁乃は時の流れの速さに驚かずにはいられない。病院にいたころには一日はあまりにも長く感じられたのに。
 そしてこの間にも人はどんどん死に絶えている。一体何人が命を落としたのだろうか。姉は無事なのだろうか。離れ離れになったみんなはどこにいるのだろうか。様々な不安が郁乃の中に蓄積されていく。それで何が変わるでもないと分かっていながらも、考えずにはいられないのだ。

 いや。今こそ行動を起こすべきなのではないだろうか。ゆめみも高槻もどちらかと言えば積極的に動くのは反対意見だ。当てのないまま動いても人を見つけられないという意見は、確かに郁乃も理解はできる。

520(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 16:59:44 ID:WLKNz3/g0
 だがそれは大人の見方ではないのか。黙っていてどこそこに誰々がいる、という情報が入ってくるとでも言うのか。
 結局、自分の足で動かなければ情報は得られない。例え、それが徒労になるものだとしても。
 何より――今の自分には足があるじゃないか。

 しかしそれを提案したところでゆめみはともかく、高槻は首を縦には振らないだろう。
 高槻の目的はあくまでも脱出。悪く言ってしまえば自分が生き残れればそれでいいという自分本位の考え方だ。恐らく優先順位としては杏、浩平、七海を探すことよりも岸田洋一の残している可能性のある船を探すことの方が上のはずだ。
 分かっているのだ。高槻の言葉の裏に、郁乃を始めとして他の仲間たちをそれほど重要視していないというのが見え隠れしているということを。
 郁乃には、分かっていた。人の顔色を見ることは、得意だったから。
 しかし一方で、度々郁乃を守り、かばってくれた高槻の姿もまた真実である。それが、高槻の自己満足的な行動だったとしても、だ。
 だからこそ、郁乃は高槻に対する思いを決められずにいたのだ。彼の『善意』を信じるか『悪意』を信じるか。

 とかく、初めての経験が多すぎた。誰かに相談しようにも、ゆめみはそこまで人の心に通じてはいない(ゆえに郁乃は話しやすいと考えていたのであるが)。まだ、それを決められるほどには、郁乃は大人ではなかったのだ。
 そして、大人ではなかったがために――彼女は、迂闊な決断をしてしまったのだ。

「ゆめみ、ちょっとお願いがあるんだけど」

     *     *     *

521(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:11 ID:WLKNz3/g0
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」
「北海市場!激安食品販売店です!食費が今の半分になります!」

 何故かその台詞が連呼される夢を見ていた俺様が目覚めたのは、日の傾きかけたころだった。
 ああ、よく寝た。思えばこの島にやってきてからというもの、ついぞ寝た覚えがなかったな。さっき寝てたって? バカ、あれは気絶って言うのさ。大体犬の王子様のキッスで起こされるなんて最悪だ。お前らもそう思うだろ?

 ……つーか、やけに静かじゃねえか。よくよく見れば郁乃もゆめみもいやしないじゃないか。なんだ? これはビックリドッキリ企画か?
 ハハア。どうせポテトあたりでも使って何か良からぬ企みでもしているんだな? バカめ、そうそう俺様が引っかかるか。
 俺様はすっと立ち上がると実に久々の、初めてポテトと出会ったときのように拳法の構えをとってポテトの奇襲に備える。

 ……と、そこまでしたところで、今は殺し合いの真っ最中だということに気付いた。よく考えてみりゃいかに毒舌女王様の郁乃とボケの大魔神ゆめみ様と言えどもそんなことをするわけがない。
 ならどうして誰もいないんだ? 一言も言わずにここから出て行った、とでもいうのか?
 郁乃も、ゆめみも、ポテトもか?

 見捨てられた。
 そんな言葉が俺様の頭を過ぎる。
 ……まさか。郁乃もゆめみも、そんなことをする奴らじゃない。そんなわけがないだろ、常識的に考えて……

 待て。
 どうして俺様は動揺してるんだ?
 いつものことじゃないか。どこでだって俺様は嫌われ、罵られ、怨嗟をぶつけられてきた。その自覚もあったし、人の道を外れた行為なんていくらでもしてきたじゃないか。
 いつものこと。せいせいして、また一人になれて気楽気ままになったと喜ぶ。それが俺様じゃあないのか?
 なんだよ、まるで、自分が自分でないみたいじゃないか。ムカツクな……もやもやとしやがる。

522(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:00:38 ID:WLKNz3/g0
「クソッ」
 悪態をつき、床に唾を吐く。それでも収まりがつかなかった。
 もういい。もうどうでもいい。適当にしてりゃいずれ分かる。またいつも通りにやればいいんだ。
 再び床に座り込み、二度寝に入ろうと俺様が目を閉じたときだった。

「ぴこぴこ、ぴこーーーーっ!!!」

 懐かしい、とさえ思ってしまうくらいに、実に久々に聞いたような、そんな声(というか鳴き声な)が耳に飛び込んできて、俺様は反射的に身を起こす。
 暗い家屋を照らす、一条の光。
 僅かに開けられた扉から、俺様を導くように……いや、叱咤するように、そいつは出てきた。
「ポテト……? てめえ、今まで何を」
 その時は、僅かに嬉しかったのだ。何故うれしかったのかなんて分かるわけがなかったから、またムカついたのだ。再会に感動する、なんて俺様のキャラでは考えられないからな。
 だからとりあえずいつものようにお仕置きでもしてやろう。そんな風に考え、俺様はポテトに駆け寄った。

 だが。何故か、どうしてか、ポテトの体は土に汚れ、弱弱しく俺様を見上げていたのだ。
「おい、なんだよ、それ」
 またもや訳がわからない。ポテトが何か悪戯でもして、郁乃あたりにでも投げ飛ばされたか?
 はは、ざまねえな。俺様ならこんなヘマはしないってのによ。

「ぴこ……っ!」

 何をやっているんだとでも言うように、ポテトは力を振り絞って吠えやがる。なんだよ、この必死さは。
 まさか……
「ぴこ!!!」

 いや、分かっていたはずなのだ。ただ、その可能性を認めたくはなかったのだ。
 在り得る可能性としての、郁乃とゆめみがいない理由。
 それは――

「クソッタレめ!」

523名無しさん:2008/04/27(日) 17:00:58 ID:xYL3nTsE0
.

524(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は認めたくなかったのだ。目の当たりにしたくなかったのだ。
 弾かれるように走る。外へ、砂浜へと向かって。
 否定するために、ポテトの必死な目線が悪戯なんだと証明するために。
 しかし――嘘つきな俺様は、とうの昔に神様に見捨てられていたらしい。
 そこに、そこにあったのは――

     *     *     *

 その場所には、民家が立ち並んでいた。
 多少の違いはあれど、基本的には似たような作りの日本建築の家。
 普段であれば掃除機の五月蝿いモーター音、子供達が騒ぐ声、あるいはギターをかき鳴らす音色があるかもしれない。
 だが、そこには一つとして音はなかった。ただ一つ、気だるそうに、徒労に引き摺られるようにした足音があった。

「クソッ、骨が何本か逝ってやがる」
 防弾アーマー越しながらもごわごわと感じる自身の異常に、岸田洋一はイライラしていた。
 たかが、女二人にここまでの手傷を負わされたのだから。
 戦利品は申し分ない。狙撃銃のドラグノフ、89式小銃、二本目の釘打ち機(ただし釘だけ抜き取ってしまったが)。攻撃力は二度目の高槻の敗北の時と比べると月とスッポンである。

 だが、それでもなお残留する鈍痛という事実が彼の心を満たしはしなかった。とかく、また誰かを殺害――それも坂上智代と里村茜などとは比べ物にならないくらいの凄惨な殺し方でなければ気がすまない。
 いや、それでさえも彼の心は満足しないだろう。最終的な目標は、あくまでも岸田をコケにするように見下してきた高槻という男への復讐。
 奴の取り巻きどもを目の前で無残に殺し尽くし、憎悪をむき出しにして殺し合いを挑んでくる高槻を下し、絶望的な敗北感を味わわせる。
 これこそが極上の美食であり、最上の贄。岸田は早くそれに舌鼓を打ちたくて仕方がなかった。
 お腹が空いたと食べ物をせがむ、無邪気な子供のように。

「しかし、止むを得なくなったとは言え高槻から遠のいてしまったかもな」
 七瀬彰、七瀬留美、小牧愛佳が駆けていった方向とは逆に、岸田は移動していた。いくら岸田が強靭で逞しく、戦闘経験が豊富とはいえ傷ついた体で全力の戦いを何度も続けられるかと問われれば、岸田本人でさえ首を横に振るだろう。
 ある程度の休息が必要だった。それでもまだ十分に戦える状態ではあったのであるが。

525(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:33 ID:WLKNz3/g0
 民家の森を抜けた岸田に、思わず目を細める光景が映る。
 海と砂浜。寄せては返す波の群れが彼を出迎えていた。場所こそ違えど、海は岸田の出発点でもある。
「そうだ、あのクソ忌々しい女もいずれブッ殺す必要があるな……」
 この島において初めて出会った人間にして、隙をつかれ苦汁を舐めさせられた女。笹森花梨の存在を、岸田は改めて思い返していた。
 高槻ほどではないが、花梨の存在も岸田には腹立たしかった。彼の辞書に敗北の文字は許されるはずがなく、汚点を残した花梨は全力で殺すべきだと認識を新たにする。

「まあいい。しばらくは海沿いに歩いてみるとするか。考えてみれば島の内陸部ばかり歩いていたからな」
 正式な参加者でない岸田に地図は支給されていない。道沿いに行動しては出会ってきた人間を襲うばかりだった。
 探索を楽しむのも一興と、砂浜へと向けて歩みだそうとした、その足がピタリと止まる。

 ある種の喜悦というものを、岸田は感じた。宝物を見つけた少年の瞳の如き輝きを、同じくその目に宿している。
 これまでの徒労が、憤怒が、花火のように弾け飛んで笑いという形で飛び出しそうにさえなった。

 誰かが言っていた。
 一度目は偶然。
 二度目は必然。
 三度目は運命。

 まさしくそうである、と岸田はそれを言った人物を褒め称えたくなった。
「そうか、そういうことなのだなぁ?」
 まるで無邪気な声ながらも、その内に潜む残忍さと冷徹さが、声のトーンとボリュームを下げる。
 柄にもなく、岸田洋一はワクワクしていた。

 そう、これはパーティの開演。
 全てが岸田洋一という一人のためだけに作り上げられた会場。
 この状況を、彼ならば何と言い表すだろう?
 決まっている。一声に、狼煙は上げられた。
「サプライズ・パーティー……開幕だっ!」

     *     *     *

526(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:01:56 ID:WLKNz3/g0
「はい、何でしょう」

 お願いがある、という小牧郁乃の言葉に、ほしのゆめみはこれまでのように応える。わたしに可能な事柄でしたら、と付け加えるが。
「少し、外に出たいんだけど。ほら、こんな狭いところばかり歩き回ってても仕方ないじゃない? 少しは凹凸のあるところで訓練したいんだけど」

 郁乃の本音は、少し違う。単に訓練だけではない。拠点である民家の周りを歩き回って僅かでも仲間の探索を行いたかったのである。
 高槻の真意は、今でも推し量れない。馬鹿でお調子者だが大人であるがゆえの冷徹さを持ってもいる。
 いや、それも演技であるかもしれない。考えてみれば郁乃を助けてきた理由も、共に行動している理由も曖昧に誤魔化されたままだ。
 分からない。結局、分からない。
 信じるにも信じないにも、不確定要素が多すぎるのだ。

「それは……わたしは反対です。危険だと考えます」
「あいつが……そう言ったから?」
「それもあります、が状況から判断しましてバラバラに行動するのは好ましくありません。特に小牧さんは、まだ本調子ではないようですし」
「大丈夫よ。それに、一人で行くなんて言ってないでしょ。ゆめみにサポート役としてついててもらいたいんだけど……それでもダメ?」
「……高槻さんは、どうなされるのですか?」

 未だに高槻はすやすやと静かな寝息を立てて(郁乃には意外だったが)眠っている。寝ている人間を放置して出かけるのはそれも危険だと、ゆめみは判断したのだが郁乃はあまり心配していないような口調で答える。

「少しの間だけだから。それにこの家の周りをちょこっと歩くだけだから起きても探しに来るでしょ? ……そうだ、ポテト」
「ぴこ」

 高槻の隣でじっと待機していたポテトが、郁乃の呼びかけに応じてぴこぴこと寄ってくる。

「もしあいつが起きたら、私たちに知らせに来て。すぐに戻るから」
「ぴこ……ぴこ?」

527(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:20 ID:WLKNz3/g0
 頷きかけて、ゆめみの方を見上げる。意見を伺っているかのようだった。
 ゆめみはそれならば、とようやく納得したように頷き、
「分かりました。ではわたしがお供します。ポテトさん、高槻さんをよろしくお願いしますね」
 恭しく頭を下げるゆめみに、任せろとでも言うようにしっぽを動かすポテト。

 実に奇妙な光景である。普段の郁乃なら思わず突っ込みを入れる場面だろうが、このときの彼女はとにかく外に出られるのならという気持ちで一杯になっており、そちらに意識が傾いていたのでそれをすることはなかった。

「決まりね。なら早速行きましょ」
「あ、少しお待ちください」

 玄関の方へ移動しようとする郁乃の後ろでゆめみがデイパックを抱える。万が一を想定して、武器類を持っていくことにしたのである。
 その準備の時間すら、郁乃には長く思えて仕方がなかった。
「……先に出るわ。ま、遅いからすぐに追いつけるはずだけど」

 結局、郁乃は先に出ることにする。とにかく、早く外に出たかった。
 恐らく、この場に第三者がいれば、明らかに郁乃が焦っているということは手に取るように分かったことだろう。
 歩行訓練のときはまったく意識していなかった時間という言葉が、重く圧し掛かっていたのである。
 これまでの仲間だけでなく、姉の愛佳や、他の知り合いも……
 ひょっとしたら危機に立たされているのではないか。そう考え始めると、それを考えないようにするのは不可能だった。
 幾分かの慢心にも近い、油断のようなものも無意識の内にあった。
 数時間前までとは違う。今はそれなりに行動でき、多少は戦える。そんな思いが。
 訓練に集中していたときに考えなかったことが、今一気に噴き出してきた、その結果だった。
 加えて、高槻へのほんの些細な疑心と反発。
 少しずつ、少しずつ。
 要因は、積み重なっていた。

 それが――
「では、わたしも行ってきますね。ポテトさん、高槻さん」
 寝ている高槻からは返事はない。ポテトだけが「ぴこ!」と元気に返事しようとした、その瞬間だった。
 たん、と何かが弾けたような、そんな感じの形容しがたい音が響いてきた。
 ――最悪の、状況を導き出すことになった。

528(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:02:53 ID:WLKNz3/g0
「え……?」

 何の音か理解できなかったゆめみが呆然とそれを聞いていたのと対照的に、ポテトが玄関へと向けて走り出す。
 その白い姿で、ようやく我を取り戻したゆめみがそれに続くように駆け出す。
 いや、正確にはあの音が特別に危険な代物であると、コンピュータが推測したからだった。
 そう、その音は、銃声に、酷似していたのだ。
 ゆめみとポテトが乱暴とさえ言える勢いで外に出る。
 玄関の扉を開けた、すぐ前の砂浜で……

「小牧さんっ!」
「ぴこっ!」

 小牧郁乃は、うずくまるようにして、白い砂浜を赤く染めていた。
 そして、その真横に悠然と、されど傲慢に立つ男。
「……なんだ、奴はいないのか? まぁいい、前座にはぴったりだ。そうだろう、ロボットに糞犬」

 岸田洋一、その男が笑っていた。

「ぴこーーーーーーーっ!」

 その言葉を聞き終えるが早いか、ポテトは真っ直ぐに岸田へと猛進していた。
 小牧郁乃から離れろ。彼女を汚すな。ポテトの目はそう語っていた。
 地面を蹴り、砂を巻き上げるその脚力はポテトの小柄な姿からは想像もできないくらいに力強い。あんな小さな犬と侮っていた人間ならまずその速度に驚愕し、牙による一撃を腕か足か、どちらかに受けていただろう。

529(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:16 ID:WLKNz3/g0
 だが今の岸田にはそれはお遊戯程度でしかなかった。
 軽く身を捩って躱し、そればかりか飛び掛かって空中にいたポテトの頭を掴むと、そのまま近くの木の幹へと投げ、叩きつける。
 したたか打ち付けられたポテトが力なく落ち、痙攣を繰り返す。
「犬如きが、何をできると思った!? 図に乗るなッ!」
 恫喝するその声は、もはや無学寺での面影はない。殺人鬼の名称ですら相応しくない、まさに狂戦士の姿である。

 ふん、と侮蔑にも満ちた視線で一瞥すると、次はそれをゆめみへと向け――鉈を取り出した。
「小牧さんから……離れてください!」
 まるで予測していたかのように、ゆめみが忍者刀を振り下ろしてくるのを、岸田はあっさりと受け止めていた。

「ほぅ、以前よりはマシになっているじゃないか……だが、そんなもので俺が満たせるかッ!」

 力任せに押し戻すと、岸田はバランスを崩したゆめみに向かって思い切り前蹴りを見舞う。
 モロにそれが直撃したゆめみは砂浜を転がりながらも、すぐに起き上がる。そこに岸田が間髪入れず、鉈を振り下ろす。
 プログラムによって運動能力が向上していたゆめみは、それを間一髪ながらも避ける。もしも以前のままであれば頭部のコンピュータごと唐竹のように割られていただろう。代わりに散ったのは、長く、美しい浅黄色の髪の一部。

「せあっ!」

 再び、刀で岸田目掛けて切りつける。やや単調な攻撃ではあるが、早さだけ見るならそれは並大抵の男よりは十分に早い攻撃だ。
 しかし事もなげにそれを防御し、そればかりか受け止めつつ左フックを顔面目掛けて放つ。
 首を捻ってそれを回避したかに思えたゆめみだが、またもや体勢の崩れたところを今度は膝蹴りで吹き飛ばされる。
 人口皮膚を通してパーツの一部がギシッ、と悲鳴を上げたのがゆめみには分かった。

 背中から砂浜に打ち付けられ、砂が服の中に入り込むが、それをどうこう感じるようなゆめみではない。もとよりそのような機能は備わっていない。
 ただ、かつて郁乃を傷つけたばかりか沢渡真琴を殺害したこの男を放置しておくのはあまりにも危険だと、そう考えるが故に。
 ゆめみは、立ち上がり続ける。

「まだまだ……わたしは動けます!」
「ポンコツの癖に、粋がるなッ!」

530(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:03:44 ID:WLKNz3/g0
 三度、ゆめみの刀と岸田の鉈がぶつかる。
 力では勝てないと経験則で判断したゆめみは手数で攻める。
 あらゆる方向から薙ぎ、どこか一箇所でも傷をつけようと攻めを繰り返すも、躱され、受けられ、流される。
 それでも繰り返せば当たると、そう判断するゆめみは斬撃を続ける。それでもなお攻撃は当たるどころか、掠りさえしなかった。

「ふん、貴様、それで俺を殺すつもりなのか」
 その最中、岸田が口を開く。
「さっきから腕や足ばかり狙いやがって……俺を殺すつもりがないのか! 殺すなら、突いてみろ! 俺の胸を! 切り裂いてみろ! 俺の喉をッ!」
 胸を指し、顎を持ち上げて無防備にも喉を見せる岸田だが、ゆめみは手を変えようとはしない。あくまでも腕や足を狙うのみ。

 何故か?
 それは、彼女が……ゆめみがロボットだからだ。
 ロボット三原則。
 ロボットは人間に危害を加えてはならない。また、その危険を看過することによって、人間に危害を及ぼしてはならない。
 今ゆめみがしている行動は、矛盾している。
 人間に危害を及ぼさないために、別の人間に危害を及ぼそうとしている。本来ならエラーを起こすくらいの重大な問題ですらある。
 だが、今回は特別であった。岸田洋一という男を放置しておけば、よりたくさんの人間に被害を与える。そう判断できたからだ。
 しかし、それでも、人間を殺害するというその行為だけは、ゆめみにはできなかったのだ。
 岸田洋一もまた、人間であるために。

「殺しません……殺さずに、小牧さんを助けてみせます!」
「殺さない!? 殺さないと言ったか! そんな中途半端なことで……俺が負けるわけがあるかッ! だから貴様はクズなんだよッ!」

 一瞬、岸田の姿が大きくなったように、『ロボットであるのに』ゆめみは錯覚した。
 錯覚という事象を判断できず、ゆめみの動きが数瞬、停止する。岸田がそれを逃すはずはなかった。
「今ここで貴様をぶっ壊すのはやめだッ!」
 岸田の放った鉈の一撃が、ゆめみの手から刀を奪う。続けてゆめみを蹴り倒すと、起き上がらせる間もなく岸田はゆめみを足蹴にし続ける。
「貴様も! 小牧郁乃も! 高槻の目の前で殺してやるッ! バラバラに砕いて、絶望に慄く姿を見ながら、楽しみながらな! 貴様のような、貴様のような! 口だけの甘ったれが! 戦いの場に出てくるんじゃないッ!!! 大人しく死んでいれば……いいんだよッ!!!」

531(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:04 ID:WLKNz3/g0
 一際強く、ゆめみの頭部を蹴り飛ばす。あまりの勢いで体ごとその体が吹き飛ぶ。
 そして、それ以降、ゆめみの体は動かなくなった。
「……こんなのにも耐えられないとはな。所詮、ゴミクズはゴミクズか」
 吐き捨てる岸田。その背中に、かかる言葉があった。

「ひどい……なんて、ひどいことを……!」
 足をドラグノフで狙撃され、そのまま倒れこんでいた、小牧郁乃の声だった。
 撃たれた足からはじくじくと血が流れ出し、赤で砂浜を染め上げている。
 岸田は不敵に笑いながら、憎々しげに見上げる郁乃の頭を、砂浜にめり込ませるかのように踏みつける。ぐっ、と短い呻きが漏れる。

「どの口がそんなことをほざく? 貴様さえここにいなければあの犬もあのガラクタもああならずには済んだのかもしれないじゃないか? ん、どう思う小娘」
「何よ、他人事みたいに……!」

 強気な口調ながらも、心の底では岸田の言葉を、郁乃は否定しきることができなかった。
 『また』。また、自分のせいで誰かが傷つき、倒れる。
 沢渡真琴が骸と化したあの光景が、郁乃の頭に描き出される。
 しかし、今回も、『また』、そうなのか?

「違う……! 私が、私がみんなを……助けるんだ!」
 周囲の音全てをかき消す怒声に気圧され、岸田のかけていた圧力が弱まる。郁乃はその機を逃さず岸田の踏み付けから逃れ、ごろごろと転がりながらあるものを掴み取る。
 岸田は身軽に戦うため、自分のデイパックを砂浜に放り出していた。また、その時にふと零れてしまったのか、拳銃(ニューナンブM60)が転がっていたのだ。

 郁乃が取ったのは、まさにそれだった。
「形勢逆転よ! あんたが走ってもこの距離なら外さない!」
 ニューナンブの銃口が、岸田の真正面に立つ。予想外の反抗に、岸田は苦虫を噛み潰したような表情になった。
 装備は手持ちの鉈だけ。伏せているこの体勢ならばそうそう外すことはない。
 勝った、と郁乃は思った。

532(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:26 ID:WLKNz3/g0
「……威勢はいいようだが、撃てるのかな? 人を殺したことはないんだろう? だいたい、本当に撃てるならとっくに撃ってるはずだからな。どうした、そら、撃ってみろよ」
 岸田は必死に虚勢を張るが、明らかに動揺しているのが見て取れる。哀れみにも似た感情を、郁乃は抱いた。
「それじゃあ、お望みどおりにしてあげる……あんたの罪を、ここで償えっ!」

 躊躇うことなく、郁乃はトリガーを引いた。
 ぱん、という軽い音と共にそれが岸田の真正面に命中する。
「……ほ、本当に……撃ちやがった……」
 がくりと膝を落とす岸田。このまま体の上半身も倒れ、そのまま骸となるのだろう。
 これがあの殺人鬼の最後なのだろうか。あっけないものだ――

「なぁんてな」

 腹を抱え首を垂れていた岸田が顔を上げたのは、郁乃がそう思った瞬間だった。
「え……っ!?」
 気が緩みかけていた郁乃に、再びニューナンブを構えるだけの時間はなかった。
 いや、構えようとしたときには、岸田は既に郁乃に向けて全力の蹴りを放っていた。
 どん、という鈍い感触と共に、郁乃の体は宙に浮いていた。まるで、サッカーボールのように。

「か……はっ」
 ニューナンブを奪いに行ったときよりも数倍の勢いで転がる。その勢いに圧され、ニューナンブは郁乃の手から離れてしまっていた。
「く……な、なんで……?」
 止まったときには仰向けであった。目に映るのは一面の空だけ。ひどく綺麗だった。
 体中に痛みを感じながら、郁乃はそんな疑問を漏らす。

「なんだ、もう忘れたのか」
 影が差すように、空を遮って岸田の顔が現れる。その表情は喜悦に満ちていた。
「まったく、学習能力がないなお前は。忘れたか? 俺が着ているものを」
「あ……っ!」

533(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:04:48 ID:WLKNz3/g0
 そうだ。どうして忘れていたのだろう。
 岸田は、防弾アーマーを着ていたということを。
 愕然とした郁乃の顔を見た岸田が、さらに嗤う。

「仲間を助けるんだとか言って、自分に酔いしれていたんじゃないのか? 笑わせるな、小娘」
 郁乃は息を詰まらせる。そんな、そんなはずはない。
 しかし失念していたのは確かだ。愚かなのには違いなかった。
 歯噛みする郁乃を見てひとしきり顔を歪めると、一転して表情が不機嫌なものへと変わる。

「……しかし、今のは痛かったぞ。ごわごわするんだ……ああ、肋骨の一本でもイカれたかもしれない。そこだけは、やってくれたな」
 身も凍りつくような、とはまさにこれだと郁乃は思った。
 視線の先から滲み出る悪意。それに射られただけで体がすくんで動けない。
 カチカチ、と音が鳴っている。それが理解できたのは、岸田が振り上げた鉈の刃に移る自分の姿を見たときだった。
 震えているのだ。そう思ったときには鉈が郁乃の足に振り下ろされていた。
 めきっ、と何かがひび割れるような感触があった。それに続いて、今まで感じたことのないような熱さと痛みが、足から這い上がりたちまち郁乃の全身へと広がった。

「ぅあああああっ!」
 悲鳴を上げ、砂浜でのたうつ郁乃。
 奇妙なダンスだった。何かを求めるように、手が空をさ迷う。苦痛を和らげるものがないか、探すかのように。
「くくく、はははははっ! どうだ、大切な足をザックリやられた感想は!? せっかく歩けるようになったのに、これでまた車椅子生活だなぁ? まったく、無駄な努力になってしまったなぁ!」

 郁乃の努力を、生き方を嘲笑うように岸田は嗤い続ける。
 郁乃は苦痛に喘ぎながらも、悔しくてたまらなかった。怒りを感じていた。
 自分のミスにも、岸田の冒涜するような行いにも。

「はっはっは……さて」
 まだまだこれからだ、とでも言わんばかりに岸田はまた鉈を振り上げ、今度は反対の方の足へと鉈を振り下ろす。
 また嫌な音がしたかと思うと、苦痛が倍になって襲い掛かってくる。いや、倍などという生易しいものではなかった。累乗と言っても差し支えない程の痛みが、郁乃を苦しめる。自分の悲鳴すら、今の郁乃には届いていなかった。

534(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:19 ID:WLKNz3/g0
「いい鳴き声じゃないか。そら、もっと鳴いてみろ。そら」
 傷口を直接、岸田は足でぐりぐりと擦りつける。100万ボルトの電流を流されたような痛みが追加され、郁乃は気を失いそうになる。
「あ……がっ……この……外道……!」

 ほぅ、と岸田は感嘆にも似た声を漏らす。絶対に屈しないという意思を集約したかのような目で、郁乃は抗い続けていた。
 ますます愉快そうに、岸田は嗤った。簡単に堕ちるようでは贄の役割は務まらない。無駄な抵抗を踏み躙る事こそ器を満たす液体。
「光栄だな。では、ご褒美だ」

 三度目の鉈。今度は手のひらの中心へと刃が落ちた。
 続けて四度目。さらに反対の手のひらにも振り下ろされる。
 既に、悲鳴はなかった。朦朧として霞む意識で、郁乃は耐え続けるしか抵抗する術はなかった。

「くく、これで物も満足に握れなくなったってワケだ。さしずめ達磨さんといったところかな……そうだ、どうせなら切り落としてやろうか? どうだ、ん?」
「……か……」

 勝手にしろ、という言葉すら痛みにかき消されて出てこない。意識を繋ぎとめるだけで精一杯なのだ。
「潮時か。まあ、お前はよく頑張ったよ。まだ見えているなら、俺があのポンコツを壊す様をじっくりと見てるんだな」
 岸田の興味は、既に倒れているゆめみに向けられている。蹴られたときの衝撃でシステムがダウンしているのか、ぴくりとも動かない。

 いけない。まだだ、まだ注意をこちらに向けさせないと――
 激痛を必死に堪えて、口を開く。
「……!」

 岸田の体の向きが、変わる。
 やった、また、注意を向けさせることができたのだ。大量の失血により薄れゆく意識の中で、郁乃はそう思っていた。
 しかし、違った。郁乃は結局、声を出せなかった。岸田が引き付けられたのは、郁乃の声にではない。

535(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:05:44 ID:WLKNz3/g0
「……来たか。待った、この時を待ちかねたぞ……!」

 そこに、一人に男が駆けて来たからに他ならない。

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

 そして、二人は同時に叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

     *     *     *

 ゆめみが転がっていた。
 郁乃が倒れていた。
 何故二人が外に出ようとしたのかなんて、俺様には分からない。だが、今の状況を作った原因が、奴のせいだということはすぐに分かったさ。

 三度目だ。奴とこの島で会うのは三度目。
 三度目の正直とはよく言ったもんだ。二度逃がした結果が、これか。
 くそっ、畜生!
 何で俺様はこんなに頭にきてるんだ?
 郁乃もゆめみも、赤の他人じゃねぇか。別にどうなろうと知ったこっちゃない。そう思ってたってのによ。ああもう、分からん。

 俺様が、俺様を分からない。
 だが、これだけは言える。
 奴だけは……岸田洋一、奴だけは絶対に許さん!

「高槻ッ!」
「岸田ァ!」

536(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:06 ID:WLKNz3/g0
 俺様は懐にあったコルト・ガバメントを抜きながら叫んだ。

「「ブッ殺してやるッ!」」

 ちっ、ハモるとはますます気分が悪くなるぜ。
 俺様はまず一発、発砲する。奴の武器は鉈だ。なら距離を取って戦えばいい。
 だが岸田はそれを予測していたようで、身軽な動きでサイドステップしてこちらに迫る。

「飛び道具はつまらんぞ! せっかくの決闘に、そんなものを持ち込むなッ!」
「うるせぇッ! お前も今までさんざ使ってきたじゃねえか!」

 円を描くように振り回される斬撃の応酬を、俺様も飛び跳ねながら避ける。クソッ、あいつ、今までより動きが良くなってやがる!
 銃を構えようとしても照準を向ける前に鉈が迫ってくる。赤い鉈が。
 だが奴だっていつまでも振り回し続けられるはずがない。疲れて動きが鈍ってきたところに、一発叩き込んでやる! 今度はヘマはしねえ、ドタマをブチ抜く!

「どうした、避けてばかりいないで反撃してみたらどうだ!」
 言われずともそうしてやるさ。奴の攻撃もだんだん大振りになってきた。次を躱したときが……チャンスだ!
「っ、さっさと当たれ!」
 岸田が大きく鉈を振りかぶる動作をする。よし、今だ――!?

「フェイントだッ!」
 ニヤリ、と岸田は笑ったかと思うと、目にも留まらぬ勢いで鉈を振ってきやがった! 疲れていたように見せていたというのか!
 俺様はギリギリで反応し、体に当たることだけは防いだ、が、運悪くガバメントに鉈の刃が当たり俺様の手から弾け飛んで遠くへと放物線を描いていってしまった。
 ぐっ、と手を押さえる俺様に、岸田はトントンとてめえの頭を指しやがる。

「俺を、今までの俺だと思うな、高槻」

 何か言い返したくなるところだが、確かに奴は今までとは違う。何かが洗練され、研ぎ澄まされたような感じだ。……そういえば。野郎、俺様のことを名前で呼ぶようになってやがる。今までクズだのカスだの言ってたくせによ。は、ここにきてようやく人間に格上げですか。そりゃまあクソありがたい事ですね。

537(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:37 ID:WLKNz3/g0
「さぁ、お遊戯は終わりだ。そこの刀を取れ、高槻。極限の状況、互いが互いの殺意を向け合う決闘では、肉体と死の感触を得られる格闘戦こそ相応しい」

 岸田が、まるで用意されたかのようにあった、俺様のすぐ横にある忍者刀(だったかな)を鉈で指す。どうも奴はこだわりがあるようだ。
 冗談じゃない、奴のこだわりとやらに付き合う暇も、余裕もない。……しかし、アレ以外に、近くに武器がないのも、確かなことだ。
 だったら、奴の決闘ごっこに付き合いつつ、銃を拾い、こっちのペースに持っていくしかない。
 俺様が刀を握るのを見届けた岸田が、ようやく満足そうな笑みを浮かべる。クソッ、気に入らない。

「そうだ、それでこそ、あの贄どもの意味も出てくるというものだ」
「贄……?」

 オウム返しのように、その言葉の意味を尋ねると、岸田はさも愉快そうに説明を始める。

「あぁ。愉しかったぜ、必死で抵抗するあの小娘の四肢を切り刻んでやったのはな……見せてやりたかったぞ高槻。あいつは、せっかく歩けるようになったというのに、この俺の手で二度と立てないようにしてやったんだからな! いや、ひょっとしたらあのまま死んじまったかもな、はっはっは!」
「な……に?」

 あいつは、歩けるようになるまで、必死に頑張っていたというのか? 俺様が寝ている間の、何時間という間を。
 それを、こいつは、その何十分の一という時間で、全部台無しにしやがったってのか?
 小賢しい知恵が、俺様の頭から吹き飛んでいく。代わりに流れ込むのは憤怒。どうしようもない思いだった。

「ついでに手も切ってやったしな。これであの小娘は一人じゃ何にも出来なくなったってワケだ。悔しそうだったぜ、あの時の顔は」

 郁乃の、ほんのささやかなプライドすら……野郎は、踏み躙ったってのかよ?
 ……許せねえ。
 何が許せないか? 岸田もそうだが、それ以前に……

「まぁ、あえて文句を言うならあそこでみっともなく助けでも求めてくれれば――」
「――黙れ」

538(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:06:57 ID:WLKNz3/g0
 それ以前に。『俺』の、俺自身のあまりの小ささが、矮小さが、許せなかった。

「ん? 何か言ったか? 聞こえんぞ?」
「黙れェェェェェェェッ!!!」

 刀を持ち、俺は真正面から突撃していった。今までにない感情に、押し出されるようにして。
 岸田は一瞬驚いたような表情になって、俺の斬撃を受け止める。金属同士がぶつかり合う甲高い音と一緒に、互いの力と力が激突する。

「貴様……貴様だけはッ!」
「ぐっ……! だが、いい顔になったぞッ! それでこそ俺が殺すに相応しい男だ!」

 全くの同じタイミングで弾いて距離を取ると、今度は岸田が先手を撃って横薙ぎに鉈を振るう。
 俺はしゃがんでそれを躱すと、岸田の足に向かって斬りつける。
 だが岸田もそれを飛んで回避すると、落ちるときの、落下の勢いを加えた振り下ろしで攻撃してくる。
 鉈の重たい斬撃は、俺の刀では到底受け止められない。転がってそれを避け、立ち上がる。同時に、岸田も体勢を立て直していた。

「いい動きだ高槻! そうだ、これこそ決闘! これこそ殺し合いだッ!」
「ほざけッ!」

 俺が斬撃を繰り出せば、奴がそれを受け止める。
 奴が鉈を振りかぶれば、俺は避けてその隙を突こうとする。
 そんなことの繰り返しだった。ただ悪戯に時間を消費していくだけだが、どういうことか俺様も、岸田も体力が減ったような気がしない。
 まるでそこだけ時間が止まったように。

539(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:23 ID:WLKNz3/g0
 岸田の十数度目の一撃。今度は小さく飛び跳ねるように、僅かな放物線を描くように飛び掛かってきた。
 小さくバックステップしてギリギリ、射程の外に移動する。――が、更に追撃をかけるように奴はその長身を生かした蹴りを俺に放つ。
 切磋に腕でガードして直撃だけは免れたものの、ジンジンとした痛みが腕に残った。
 さっきから、幾度となく攻防を繰り返しているのにまるでパターンというものが見受けられない。
 どれもこれも予測もつかないような攻撃ばかりだ。本気を出した岸田洋一という男の、実力がこれだと言うのか。クソッ、悔しいが、強い。

「どうした高槻! それが貴様の殺意か!? そんな憎しみでは、憎悪では、俺は殺せんぞ! 否定してみろ! 俺の全てを!」
「憎悪だと――!?」
「そうだッ!」

 岸田が、まるで舞踏会のように、華麗に、あらゆる方向から鉈を振り回してくる。
 俺はそれを受けつつ、時に避けつつ、反撃の機会を待った。

「俺は貴様が憎いッ! 惨めにも貴様の前から敗走を繰り返し、背中を見せ、しっぽを巻く羽目になった! 俺のプライドを! 貴様はズタズタに切り裂いたんだッ! しかも、貴様のような、貴様のような、悪党の癖にヒーローを気取ってやがる気障な野郎にだッ!!!」

 斬撃の直後、俺が避けた後の僅かな隙を突くように。岸田は肩からタックルをかまし、俺の体勢を無理矢理崩した。
 よろめく俺に、岸田の放った拳が俺の顔を衝く。強烈すぎる圧力に、鼻が曲がりそうになった。

「だから、貴様は完膚なきまでに叩き潰す! 俺の全力を以って、正々堂々と、真正面からな! 何をしても、絶対に俺には敵わないんだということを思い知らせてやる! 俺の鬱憤はそうしないと晴らせないんだよ!」

 再び顔を潰そうと、奴の拳が迫る。だが二度目はねえ!
 空いた方の手で岸田の拳を受け止める。押し切る事が出来ず、ならばと振り上げた鉈は下ろす直前、俺の刀に阻まれる。

「高槻も同じはずだ! 仲間とやらを一度ならず二度までも襲われて、貴様もプライドに傷がついたはずだ。我慢する必要はない。本能のままに、いがみ合い、奪い合い、憎しみ合えばいいんだ。それが人の本性なのだからな。そして、それが美しくもある……だから見せてみろ! 貴様の憎悪という『芸術』を! 俺がそいつを粉々に打ち砕いてやるッ!」
「――違う。岸田よぉ、お前こそ、少しも分かってない」

 憎悪。それが全くのゼロかと問われると、そうではないとは言い切れない。だが、奴の言っていることは明らかに見当違いだ。
 俺が本当に憎んでいるのは、岸田じゃない。いや正確には、岸田以上に憎んでいるのは。

540(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:07:47 ID:WLKNz3/g0
「分かってない、だと」
「けっ、教えて欲しそうだが、教えるかよ。俺はお前が大嫌いなんだ」

 ここにきて、ようやく自分の心と向き合えたこと。
 つまり……沢渡や郁乃を犠牲にするまで、向き合おうともしなかった自分の情けない心が、憎いのだ。

「まだ……まだ、ヒーロー気取りか! だから貴様には苛々するんだ!」
「奇遇だな! 岸田の存在にはこっちが苛々するんだよ! そろそろ、決着と行こうぜ!」

 互いの拳と、得物を弾き、もう一度距離を取る。
 その間は……大体5メートルってところか。次の一閃。そいつで決める。
 俺は刀を両手で握り、ありったけの力を篭められるように神経を集中させる。
 岸田もこれが最後と、俺を待ち受けるようにドシンと構えてやがる。

 寄せては返す、波の音が聞こえる。そのお陰だからか、体はこんなにも煮え滾っているのに頭ん中はとても静かだ。
 今なら、なんだって出来そうな気がする。
 俺は、静かに笑った。

 ――勝つ。絶対にだ。

「行くぜッ! うらぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」
 駆ける。俺の人生の中で、最速の疾走。そこに、剣先にありったけの力を――!?
「馬鹿だな、やはり、貴様は」

 岸田が地面を、いや、砂浜を蹴り上げる。
 そこに舞うのは砂塵。大量の粒が俺の目に侵入してきやがった! 野郎! 目潰しとは!
 まともに喰らった俺は、その場で動きを止めてしまう。

「クソッ! 正々堂々じゃなかったのかよ!」
「ふん、『正々堂々と』策を用いたまでだ! もう何も見えまいッ!」
 見えずとも、分かった。岸田の野郎は、嬉々として鉈を振り上げているのだろう。

541(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:11 ID:WLKNz3/g0
「猿(モンキー)が人間に追いつけるかッ! 貴様は! この岸田洋一にとっての猿(モンキー)なんだよ、高槻ィッ!」
 畜生……! ここで、ここで俺は終わりなのか!?
「終わりだッ! 死……」

 そんなとき。ぱん、と何か軽い、ひどく乾いた音がした。
「あ……ガッ? こ、これ、は……ぐっ……!」
 僅かに、視界が開けてくる。そこには、足を押さえてうずくまる岸田と――

「……バーカ……」

 血まみれで、しかし必死に拳銃を構えて、呟いていた、郁乃の姿があった。

「こ、小娘ェッ!!! 貴様ァ、殺してや」
「死ぬのはそっちだ、岸田洋一」
「!? しまっ……」
 視界はあやふやなままだったが、関係ない。てめぇのその馬鹿でかい声で丸分かりだ。それが……命取りだッ!

「がは……ッ!!!」
 岸田の背中に、防弾アーマーの少し上を行くように、刀が突き立てられる。恐らくは、綺麗に、墓標のように。
 血反吐を撒き散らしながら、岸田は断末魔の声を上げる。

「クソ野郎……! 貴様、貴様だけは、俺が……」

 まるで縋るように、岸田は俺へと向き、手を伸ばす。しかしそれは俺に届くことなく、途中で落ちた。

「そのまま地獄に落ちやがれ、ゲス野郎」

 俺がそう吐き捨てると同時に。岸田洋一という悪党の生は、そこで途絶えた。

     *     *     *

542(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:30 ID:WLKNz3/g0
 ゆめみが、目を覚ました(正確には、プログラムの復帰だが)ときには、既に決着がついていた。
 忍者刀を突き立てられた岸田洋一と、それを見下ろす高槻。そして、その先に血まみれで倒れている、小牧郁乃。
 ああ、また間に合わなかったのだ、とゆめみは思った。

「ぴこ」
 その隣に、疲れたように鳴く、ポテトの姿があった。
 返答など得られないと知りながらも、ゆめみはポテトに話しかける。

「わたしは……また、お役に立てなかったのでしょうか」
「ぴこ……」

 分かっているのか、いないのか、しかし首を横に、ポテトは振った。
 痛みは全くなく、強いてあげるとすれば僅かにパーツが軋むくらいだったが、概ね行動に支障はない。
 なのに、ゆめみは起き上がることすらできなかった。

「申し訳ありません……申し訳、ありません」
 罪悪感のような意識が、ゆめみを苛んでいた。ポテトがいくら、その肩を叩いてもゆめみはそう呟くばかりだった。
「おい、郁乃……」
 その先で、高槻は郁乃に話しかけていた。まるでいつものように。

「……遅いのよ、いつも、いつも」
「……悪い」

 歯切れの悪い会話。原因はいくつもあった。それを吐き出すように、郁乃がか細い声で呟く。もう、彼女の中に残る命は殆どなかった。

「何よ、らしくないじゃない……怒ってよ、今回は、私が……悪かった、のに」
「……チャラにしてやるよ。さっき、助けてもらったしな」
「そりゃ、どうも……は、ざまみろって感じ、よね」

543(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:08:50 ID:WLKNz3/g0
 郁乃の手には拳銃を繋ぐように、赤い布が巻かれている。握れないのなら、無理矢理にでも握らせてやる、とでも言うように。
 それは、文字通り郁乃の命を削って生み出された、最後の一撃であることを示していた。

「ね、ゆめみは、無事なの?」
 話題に出されたゆめみの思考が、一瞬停止する。倒れたまま、どうすればいいのか分からなかったゆめみだが、ポテトが叱咤するように顔を舐める。
「はい、わたしは、大丈夫です」
 言葉以上に弱い足取りで、ゆめみは立ち上がった。高槻も少し驚いたように、「良かったな、ピンピンしてやがるぜ」と言った。

「そう……なら、良かった……私……何も守れなかったわけじゃなかったんだ……ゆめみ、どこ?」
「何言ってんだ、すぐ近くに」

 そう言い掛けて、高槻は郁乃の異変に気付く。既に、彼女の瞳は虚ろだった。
「はい、わたしは、ここに……」
 見ているほうが泣きそうなくらいの表情で、ゆめみは郁乃の手を掴む。その温度は、暖かさは、薄れてしまっている。
「ゆめ、み。自分を……責めないで……すごく、立派だったから……ここの、誰よりも」
 誰もが誰かを殺そうとしていた中、最後の最後まで不殺を貫いていたのはゆめみだけだった。例え、それがプログラムによるものだとしても、その意思は、何より気高いものには違いなかった。

544(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:09 ID:WLKNz3/g0
「……光栄です」
 それを否定するのは、郁乃の思いも否定することになる。そう判断したゆめみは、震える声で、応えた。
「……高槻。ごめんなさい、少しだけ、疑ってたの。最終的には、私たちを見捨てるんじゃないか、って。でも、やっぱり私が間違ってた。……ヒーローだった。誰がなんと言おうと、あんたは私のヒーローだった……は、気付くのが、遅いのよね、馬鹿みたい、私」

 高槻は応えない。黙って、郁乃の言葉に耳を傾けていた。あるいは、何か思うところがあるのかもしれないと、ゆめみは思った。
「だから、さ、さいご、まで、あんたは、あんたのしんじる、み、み……ち、を……すすん、で……」
 やっとの思いで、言葉を吐き出した郁乃の目は、そこで、閉じられた。

「小牧、さん……」
「……畜生」

 高槻が、空を見上げる。その空はどんよりと曇っていて、今にも泣き出しそうな空だった。
 どうして、晴れにしてくれないんだよ。
 そんな呟きが、空しく吸い込まれていった。

545(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:09:38 ID:WLKNz3/g0
【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】

覚醒した男・高槻
【所持品:忍者刀、日本刀、分厚い小説、ポテト(光一個)、コルトガバメント(装弾数:6/7)予備弾(6)、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:激しい疲労、左腕に鈍痛。主催者を直々にブッ潰す】
【備考:忍者刀以外の所持品は民家の中。ガバメントは海岸に落ちている】

小牧郁乃
【所持品:ニューナンブM60(3/5)、写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:死亡】
【備考:ニューナンブ以外の所持品は民家の中】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上】

岸田洋一
【持ち物:ニューナンブの予備弾薬4発、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、ドラグノフ(0/10)89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2】
【状態:死亡】


【その他:鎌石村役場二階の大広間に電動釘打ち機(0/15)、ペンチ数本、ヘルメットが放置】
→B-10

546(飲酒運転)/Fight it out!:2008/04/27(日) 17:16:23 ID:WLKNz3/g0
うあ、時間ミスってる

【時間:2日目・15:30】
【場所:B-5西、海岸】



【時間:2日目・17:30】
【場所:B-5西、海岸】

ということで…

547今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:35:24 ID:6dCcGcdg0
 全ての人に墓を掘る、
 俺達七人で墓を掘る、
 男も女も老人も子供も、
 全ての人に墓を掘る。

 佳乃の墓を掘っていたらふとそんなフレーズが頭に浮かんだ。
 俺達二人で墓を掘る。
 道具もなくひたすらに。
 中々にこの世界も地獄じゃないか。
 近しい者を集めての殺し合い。
 騙し騙され殺されて。
 全ての人は墓の下。
 佳乃と同じく墓の下。
 佳乃が死んだ。殺された。
 その最後は当然眼に焼き付いている。
 が、頭の一部ではもう冷静に状況を判断している。
 目の前で泣きながら墓を掘っている少女のように純粋には泣けていない。
 素直に泣くには俺は死に触れ過ぎている。
 佳乃の最後の誓いを忘れたわけじゃない。当然守るつもりでいる。
 だけどやはり頭のどこかで醒めたまま考えている。
 守ること以上に主催者を皆殺しにすることを。
 恐ろしい魔法使いを倒す為に、少年もまた恐ろしい魔法使いになったのでした。
 全く因果な職業だ。
 糞主催者共よ。
 貴様等は一体何がしたい?
 俺やリサ、エディに醍醐、挙句篁まで連れ出して。
 命? ないな。んなら最初にやられてるだろうしな。
 金? 馬鹿げてる。篁一人無傷で拿捕できる実力ありゃいくらでも稼げる。
 酔狂? 在り得ねえ。それでこの面子集められる奴がいたらとうに世界は崩壊してる。
 トップエージェントの抹殺? 無関係な人間巻き込みすぎだがやる奴には関係ないだろうな。だけど結局命と同じ。最初に捉えられた時点で終わり。大体そんなことが出来る奴がいたらエージェント抹殺する必要すらない。それだけで世界最強だろ。
 しかしそれ以外に俺が狙われる必然も思いつかない。
 狙われたのが俺じゃなかった? 他の119人に目的があった。同じだ。回りくどすぎる。大体無関係な人間を捕まえる必要もない。俺やリサが目的じゃないんなら捕まえる必要なんてないはずだ。捕まってから一日。篁が消えて俺が消えてリサが消えたこの状況。アメリカも篁財閥もエージェントも。時間が経てば必ず動く。無用なリスクが多すぎる。
 糞。想像もつかねえ。
 エディがいてくれれば……な。
 エディ……何で死んじまったんだよ……
 如何しようもねえ馬鹿餓鬼一人ほっぽりだしてあの世で楽しくやってる場合かよ。
 無茶苦茶小僧が馬鹿みてえにつっこまねえように後ろで手綱握っててくれよ。
 糞……糞……畜生……
 ……――
「誰だ」
「へっ?」
 千客万来。
 運命の女神様は酷だねぇ。リサに乗り換えたのを根に持ってるのかね。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 沈黙。
 風のそよぐ音と古河の身動ぎだけが伝わってくる。
「宗一さん……勘違いじゃ……」
 それはない。確実にいる。
 幸いにして既にある程度墓穴は掘れている。最悪撃たれたら古河をここに押し込めば当たる事もそうないはずだ。
 むずがる古河を手で制し、気迫を眼光に乗せて睨み付ける。どう出る。
「出て来い」
「それは出来んな。うー」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。

548今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:04 ID:6dCcGcdg0
 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。うー」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

549今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:31 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「るーの番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。るー。るーの名前はルーシーマリアミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。るーの……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

550今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:36:55 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
「るー」
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「るーのたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「るーもそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「るーはハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「るぅ……」

551今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 11:37:30 ID:6dCcGcdg0
【時間:二日目15:00頃】
【場所:G-2】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 0/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、中度の疲労、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。[死んだら弔われるべし]と言う渚の希望により綾香の死体も埋葬。最優先目標は宗一を手伝う事】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、包丁、SPAS12ショットガン0/8発、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、疲労大、食事を摂った】
【目的:佳乃の死体を埋葬。渚の希望により綾香の死体も嫌々埋葬。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン、予備弾薬8発(SPAS12)+スラッグ弾8発+3インチマグナム弾4発】
【状態:強く生きることを決意、疲労小、食事を摂った。お米最高】
【目的:るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、疲労小、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

B-10

552今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:38:47 ID:6dCcGcdg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「うーの正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全てのうーの墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。うーってのが分からんが……少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「うー達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探しているうーがいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「うー達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

553今日は金曜日/Deathrarrle:2008/04/30(水) 23:39:22 ID:6dCcGcdg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、このうーのそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。うーるりの為にうーイルを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


以上。訂正終わり。

554今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:25:50 ID:0rBBkFcg0
「それは出来んな。少年」
 数瞬の間を置いて、抑揚のない女の声が返ってきた。


 耳を劈く炸裂音。轟く大きな爆発音に分校跡に向かっていた二人は反射的に木陰に隠れる。
「なぎー。今の」
「はい。爆弾か何かだと思います」
 破裂音の発生源に眼を向ける。
 その先からは薄く煙がたなびいていた。
「るーさん。どうしますか?」
 問われた少女は、溜息を以って答えた。
「仕方あるまい。ハンバーグは後回しだ」


 木陰や茂みに身を隠しながら慎重に進む二人の少女。
 赤い制服を着た薄桃色の髪の少女が黒光りする無骨な銃を抱え先行する。
 割烹着を着た漆黒の髪の少女が自動拳銃を持ち背後を警戒する。
 そうしていつしか二人は爆源地まで辿り着いた。
 木の陰に隠れてそこに眼を向けると。
 二人の少女の視界に、爆発の中心らしき跡地と。
「あれは……」
「穴掘り?」
 二人の男女が穴を掘っている姿が入る。
 素手を地面に突き刺して、掻き上げ土を放り出す。
 黙々とそれを繰り返す。
 片方は泣きながら、片方は表情を凍て付かせ。
 延々とそれを繰り返す。
「落とし穴……」
「を彫ってるようには見えませんね」
 口付けるほどに顔を寄せ、互いが聞き取れるかの僅かな声量で遣り取りをする。
 していた。はずなのに。
「誰だ」
「!!」
 男の誰何が飛んでくる。
 瞬間二人は身体を強張らせ、直後一切の動きを止める。
 薄桃の髪の少女は呼吸を鎮め体の力を抜き、眼を閉じて気配を探ることに集中する。どの道木の陰にいる以上互いに互いを見る事は出来ない。
 割烹着の少女はただ動きを止めたまま手元の銃に意識を集める。発砲せずに済む事を祈りながら。
「今俺はムカついてる。敵ならさっさとかかって来い。そうじゃねえなら両手上げて出て来い」
 男の挑発が通り過ぎる。
 少女達は動かない。相手が動いた時即座に対応する為に。
 沈黙。
 風のそよぐ音と押し殺した目の前の少女の息遣いだけが伝わってくる。
「出て来い」
 殺気が言葉に乗って飛んでくる。
「限界……か」
 薄桃の髪の少女が自分にすら聞こえない声で呟き、割烹着の少女に掌を向け無言で押し留める。
 ――ここにいろ、と。
「それは出来んな。少年」
 故意に一人気配を振りまき、茂みを蹴り木の陰から相手を視認して返答した。

555今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:26:10 ID:0rBBkFcg0
 漸く会話に乗ってきた。女性か。木の陰に隠れてこちらを見ているのが見える。
「ほう……何故だ?」
「お前の正体も分からぬまま投降しろと? ふざけるな」
 まぁ当然か。さてこいつは。敵か、味方か。
「じゃあどうする? このままいるわけにもいかないんじゃないか?」
「……聞かせろ。何をしていた」
「見ての通りだ。穴を掘っていた」
 天下のナスティボーイが化かし合いとは。似合わないこと山の如し。
「何の為にだ」
「次はこっちだ。何故ここに来た?」
「……爆音だ」
 当然か。あれはここ一帯に響いただろうし。故はどうあれ見過ごす事は出来ないだろう。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「いや。まだ浅い。何故ここに来たかきっちり答えろ。爆音が響いただけで理由になるか」
「……爆音が響いたから、戦闘があったんだろうと思って来た」
 ち。逃げられたか。
「私の番だ。なぜ穴を掘っていた?」
「死んだ仲間の墓にするため」
「! 宗一さん!」
 隣で古河が叫ぶ。今ので名前が知れた。一つ質問失ったか。
「次。何故戦闘がある場所に来る?」
「戦闘区域には人がいるからだ」
 やりにくい。
「何故墓を掘っている。この島で全ての人間の墓を掘るつもりか?」
「二つだな。仲間を埋葬する為だ。少なくともそっちの奴のを掘る気はない。この糞ゲームの主催者達のもな」
「お前達は」
「三つ目か?」
「……」
「次。何故人を求めている?」
「……探している友がいる」
「じゃあもう一つ。そいつに逢ってどうするつもりだ?」
「頼み事がある。それを頼むつもりだ」
 こいつは……嘘はなさそうだが……
「お前達は」
 どうするか……俺だけならともかく失敗したら古河も巻き込む。
 疑心暗鬼になっているだけかもしれないが、あいつらに騙されたのが未だに尾を引いている。
 エディー。助けてくれー。
「主催者を、どうするつもりだ?」
「ぶっ倒す」
 ぶっ殺す。古河には言わないが。
「お前はその知り合いに何を頼むつもりだ?」
「……」
 答えない。出ていた顔を引っ込める。そこに鍵があるのか。さっきからの質問を鑑みるに、こいつは対主催者……味方と考えていいんだろうか。
 郁未達と違って具体的な行動をしている。多分頭もいい。情けないな俺。トップエージェントの名が泣く。じゃねえ。んなもんどうでもいい。
 ブラフ? だったら大した役者だ。
「答えないのか?」
「……その前にもう二つ、答えてくれ」
 言いながら、薄桃色の髪をした女の子が木の陰から出てくる。両手は上に伸びていた。
「……何だ?」
「お前は、非戦闘民をどうする気だ?」
「守る」
 あいつとの約束だ。可能な限り守る。
「……ならもう一つ。私の名前はルーシー・マリア・ミソラ。仲間が一人、ここにいる。今は主催者に対抗するための戦力を集めている。私の……仲間にならないか?」
 そう言って女の子は上げた両手で大きく伸びをする。
 どうするか。古河を見る。頷き返される。
 仕方ない。万一こいつが優勝狙いだとしても俺がずっと古河に張り付いていればいい。
「お受けしよう。お嬢様」

556今日は金曜日/Deathrarrle:2008/05/01(木) 00:27:03 ID:0rBBkFcg0
 などと思っていた自分を恥じた。
 ルーシーと遠野の話を聞いてそして読んで海より深く反省。俺やっぱ冷静にはなれないよエディ。感情に支配されるようじゃエージェント失格だっていつも言ってたのにな。
 二人ともに相当な修羅場を潜っている。その上で尚も折れていない。
 分かっている。この上また騙される可能性だってゼロじゃない。それは十分に分かってる。
 それでもこの二人を疑う事は俺にはもう出来なかった。
 それに、偶然だがエディと皐月の事も知れた。
 全てが最悪に等しいタイミングで訪れ、皐月はエディを撃ち抜いた。
 その時のあいつの絶望は如何ばかりのものか。想像するもおこがましい。
 エディを失ってからこのCDを手に入れたのもまた皮肉。
 きっちゃない顔してたが腕は一流の上に超が二つも三つも付く最上のナビ。
 あいつがいればハッキングなんざ痔の時の糞より簡単にやってくれただろうに。
 俺もできないこたないけどやっぱ不安は残る。つーか機械任せだし。良くないなー。帰ったらちゃんと自力で出来るようになっとかないと。
 りさっぺならいけるだろうか。あの腕なら……多分、大丈夫だよな?
 ああでもそう言えばこの二人誰かを探してるっつってたか。
 ハッカーの当てでもあるのかね。
「そういや二人は尋ね人がいたんだよな。誰を探してたんだ?」
 CDが知れているならまぁこの位なら大丈夫だろう。それにあまりに情報隠し続けると気付いてる事に気付かれる。
「私のたこ焼き友だちだ」
「は?」
 ルーシーが頭をこつこつと叩く。
「姫百合、珊瑚だ。確か、この星のそういう事に関しては得意だと言っていたはずだ」
「得意って……んな素人の自称程度……待て」
 姫百合? それってあれか。来栖川エレクトロニクスの秘蔵っ子。世界最先端のメイドロボの第一人者。年齢に見合わない異常な天才振りから表に出すと危険だからって存在自体が秘匿されてるあの姫百合か?
 とんだ鬼札じゃねえかよ!? 俺やリサなんかじゃ問題にもなんねえ。エディをして規格外と言わしめる化け物がなんでこんなとこに。
『ルーシー、それってメイドロボのあの姫百合か?』
『そうだ。瑠璃の為にイルファを作り上げたと言っていた』
 確定だ。個人の為にメイドロボ作り上げる奴が二人もいるか。
「却下だ。やっぱどう考えても素人の自称よかエージェントのがマシだ」
『その娘、探すぞ。戯れに衛星から大統領のノーパソまでハック出来る奴以上のプロなんざ他にいるとも思えねえ。その娘以上の適任はない』
「エディがいてくれたら任せたかったんだが……俺の知る限り、リサが一番いいと思う。性根も戦闘力も申し分ない。あいつを探そう」
 周囲を見渡す。現状これ以上の策はない。と思う。まぁリサにせよ姫百合と言う娘にせよ歩かなきゃ見つけられないんだけど。
「わたしは宗一さんに従います。宗一さんがそう決めたのなら、そうします」
「私も構いません。いい案で賞。進呈」
 ぱちぱちぱち、とか言いながら何か渡される。紙? お米券? なんでこんなもの持ってんだ。
「私もそれでいい。が、その前に……」
 む。何か見落としてたか? 俺の気付かない穴があったのか。
「私はハンバーグが食べたい。食材調達にいかないか」
「却下」
「むぅ……」


次こそは。

557少女世界:2008/05/01(木) 18:49:14 ID:997LS.yM0


ぜぇ、と響く音は喘鳴に等しく、鉄の臭いに満ちていた。
それが己の肺腑から立ち昇るものか、それとも周囲に転がる肉塊の撒き散らすものなのか、
既にその区別もなく、湯浅皐月は立っている。

ひ、と引き攣るような音は呼吸音と呼ぶにはあまりにか細い。
折れ砕けた頚椎の中で神経信号が散逸している。
びくびくと痙攣しようとする身体を精神力で統御しながら、柏木楓は立っている。

他に動くものとて残っていない閑静な住宅街、その一角を赤と褐色とに染め上げた少女二人、
ただ相手を斃すという、その意志だけが、死を超えて肉体を支えていた。
周りを取り囲んでいた砧夕霧の群れの姿は既にない。
大多数は東へと行軍し、残りは死に尽くした。

「―――ぁぁ……ッ!」

闘える、という事象が唯一の生の定義となった空間で、先に動いたのは楓である。
ふうわりと飛んだ、その軽やかとすら見える跳躍はしかし、傍らのブロック塀へと足をつくや一転。
引き絞られた剛弓から解き放たれた矢もかくやという突撃と化した。
鏃は真紅の爪。幾本もが折れ、或いは欠け、当初の美しさの見る影もなくなったそれは、
だが鋭さという一点においては今だ健在であった。

「―――ォォ……!」

正確に正中線を狙うその紅矢を、皐月は躱そうとしない。
既に余すところなき濃赤色となった血染めの特攻服をはためかせた仁王立ちのまま、
代わりとばかりに突き出されたのは左手である。掌には見るも無惨な貫通創。
同時に右の拳は腰溜めに引かれていた。堅く握られたそちらとて、乾いた血の中に垣間見えるのは
剥き出しとなった中手骨である。

「―――!」

558少女世界:2008/05/01(木) 18:49:39 ID:997LS.yM0
交錯に声はない。
幾つかの硬い音だけが残った。
アスファルトに転がったのは楓である。
すぐにゆらりと立ち上がるが、その青黒く腫れ上がった顔には新たな痣が増えていた。
吐き出す歯は、果たして何本めであったか。

「……いいかげ、ひぅ……ひぅ、死に、ませんか」
「あんた、こそ……がぁ……っ、何度、殺せ、ばぁ……っ、く、たばる、のさ」

短いやり取りすら、既に言葉にならない。
互いに咥内はずたずたに裂け、折れた歯の欠片が食い込み、舌は深く切れている。
楓の持つ治癒ですら傷の多さ、深さにまるで追いついていなかった。

「どぉ、して……くれんだぁ……、これ……ぇ。け、っこん……しきとかぁ、が、はぁっ……!」

咳き込んだ拍子に真っ赤な飛沫を散らしながら、皐月が左手を掲げてみせる。
その手首から先は、既に人の手と呼べる状態ではなかった。
骨の代わりに挽き肉を詰め込んだような掌はまるで巨大な螺子回しで捻られたように渦巻状に折れ曲がり、
その先にあったはずの五指は既に、それらしきものの残滓が覗くのみであった。
先刻の突撃を受けきった、それが代償である。

「だいじょう、ぶ……です、心配……はぁ、するのは……お葬式の、は、手配……だけ……」

返した楓とて、腫れ上がった顔の中、片目は白く濁ってあらぬ方を向いている。
折れた眼窩骨の突き刺さったものであった。
皮膚を裂き、肉を分けて骨を抜き去らねば、いかな鬼の力とて眼球を回復することは叶わない。
痛みはない。ただ脳を焼き鏝で掻き回されるが如き感覚の雑音が、楓を麻痺させていた。
延髄の損傷と合わせ、楓の脳機能に深刻な障害が生じていることは間違いなかった。
その場に倒れこみ、泣き叫びながら反吐の海でのた打ち回っても何ら不思議はない肉体を
今だ支えているのは、ただ矜持である。
鬼としてのそれではない。人鬼の境など、この闘いはとうに超越していた。

559少女世界:2008/05/01(木) 18:50:00 ID:997LS.yM0
楓を支えていたのは、眼前の相手のすべてよりも自身が優越しているべきだという、
少女としての矜持である。
それは肥大した自我の産物であり、愚かな片意地であり、視界の狭小なエゴイズムに他ならない。
だがそれは同時に、思春期に至った少女すべてが紛れもなく己のうちに飼っている、
この世で最も美しく猛々しい獣であった。
その獣の噛み合いこそが、少女という世界のすべてである。
柏木楓はその存在のすべてをもって、湯浅皐月を打ち倒す、そのためだけに立っていた。
そうしてそれはまた眼前の少女とて同じだと、楓は確信している。
少女の矜持は常に死を超越し、世界に君臨する。
矜持の故に少女は死なず、ならばその優越を粉砕し、蹂躙し、淘汰してようやく、楓は勝利できる。
血を流し、拳を砕き、その遥か先で心の折れ果てるまで、闘争は続くのだ。

だから、楓に散る赤は少女、湯浅皐月の流した血と、楓自身からの返り血の更に撥ねたものと、
その二つの交じり合ったものであるべきだった。
そうでなければ、ならなかった。
決して、決して、脳漿と、頭蓋の欠片と脳細胞と、血液と髄液と眼球と頬と舌と唇と、
そんなものの入り混じった何かであっては、ならなかった。

560少女世界:2008/05/01(木) 18:50:33 ID:997LS.yM0
半ば呆然と、その頬に飛んだ何かを拭おうとして、己の爪で小作りな顔に新たな一文字の傷をつけ、
流れ出すどろりとした血がその何かを洗い流してくれるような気がして、楓は、膝から崩れ落ちた。
ゆるゆると視線を上げた先に、湯浅皐月が、否、湯浅皐月であったものが、立ち尽くしていた。
それは既に、ひとのかたちをしていない。
両の肩が平らな線で結ばれ、その上は存在しない。そんな人間など、ありはしなかった。
湯浅皐月と呼ばれていたものは既に、此岸の存在ではなくなっていた。
それでもなお倒れず仁王立ちのままでいたのは、それが少女のあり方であったからだろうか。

「……、あ……」

震える手を伸ばし、物言わず立ち尽くすその姿に触れようとした、刹那。
湯浅皐月であったものが、薙ぎ払われた。
誇り高い骸がくの字に曲がり、抗う術もなく大地に叩きつけられ、汚れた地面を転がる様を、
楓はその眼で見ていた。

「どう……、して……」

掠れた声は、決して深手の故でなく。
浮かぶ涙は、決して苦痛の故でなく。

「どうして、」

軋んだ叫びは、

「……千鶴、姉さん……!」

決して愛慕の故でなく。

561少女世界:2008/05/01(木) 18:50:53 ID:997LS.yM0
 
 【時間:2日目 AM11:23】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:満身創痍・鬼全開】

湯浅皐月
 【所持品:『雌威主統武(メイ=ストーム)』特攻服、支給品一式】
 【状態:死亡】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→736 769 ルートD-5

562終焉幻想:2008/05/01(木) 18:51:42 ID:997LS.yM0
 

ぽたり、と垂れたのは血の雫だった。
拡がる血だまりに落ちて、小さな真紅の王冠を形作った。

のろのろと手を伸ばし、指を浸した。
冷たくて、粘ついていて、気持ち悪い。
血はいつだって、こんな風に気持ちの悪いものだった。

私の中を流れる血。
私から出ていく血。
おりものと一緒に染み付いたそれを見るとき、私は無性に体を掻き毟りたくなる。

呪われた血。
穢れた血。
鬼の血。
鮮血。
血。

私の体を流れるものは呪われていて、だから私は呪われていて。
この体を裂いてみても、傷はすぐに塞がってしまう。
呪いを閉じ込めるように、穢れを溜め込むように、私の体はできている。
それが疎ましくて、それが悔しくて、私は何度も私の体を傷つけた。
今ではもう、痕すら、残っていない。

563終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:01 ID:997LS.yM0
「どうしたの? 楓」

声が聞こえる。
優しげな声。優しげで、冷たい声。
懐かしくて、耳障りで、親しげで、何故だかひどく気持ちのざわつく、声。
だから私は返事をしない。
ただ粘つく指先を弄ぶように、ずっと俯いたままでいた。
喪われたものを、いとおしむように。

「……そう、ならそのままでいいわ。聞きなさい」

ああ、この人はいつだってそうだ。
家長として、鶴来屋の代表として、いつだってこういう風に物を言う。
正しくて、息が詰まりそうなくらい正しくて。
なのにいつも女の匂いをさせて、それが嫌いだった。
この人が男と交わる姿を想像して吐いたのは、もう何年も昔のことだったけれど、
その頃から何一つ、変わっていない。
化粧の臭いと、糊のきいたスーツ。
それが血化粧と、真っ赤に染まった服に変わっても、この人は変われないのだ。
この人の中の女は、もう凝り固まっている。

564終焉幻想:2008/05/01(木) 18:52:19 ID:997LS.yM0
「私と一緒に来なさい、楓。こんなところにいる必要は、もうないの」

何かを言っている。
聞こえない。聞かない。
聞きたくない声は、聞こえない。

「もうすぐ世界は終わってしまうの。だからこんな、下らない争いに意味なんてないのよ。
 だけど安心して。私は力をもらったの。世界の終わりから、あなたを守ってあげられる」

よく動く唇には口紅がさされている。
血みどろの世界でも、この人はそういう、女の準備を忘れないのだ。
ぼってりとしたそれは、もぞもぞと蠢く紅い芋虫みたいだった。
あの芋虫を噛み潰せばきっと、甘い匂いのする汁が出てくるのだろう。
たくさんの男がそれを嘗めとろうと、この人の唇に吸い付くのだ。
背筋の真中、心臓の裏辺りに冷たい針を差し込まれたような感覚に、私は想像を打ち切った。

「ね、私がずっと守ってあげるから。だから、一緒に行きましょう」

話が、終わったらしい。
目の前に差し出された手は白く、指は細くて、気味が悪いほどに艶かしかった。
整えられた爪は塗られていない。
鬼の手のことがなければ、きっとくらくらするような色で彩られるのだろう。
ひらひらと舞う南国の蝶のように。
紅い芋虫が脱皮して、きっとこの人の指になるのだ。
宝石で飾られた芋虫の成れの果て。
そんなものが目の前にあった。
だから私は、それを振り払う。
それが潰れて、怖気の立つような匂いを振りまいてしまわないように気をつけながら。

565終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:04 ID:997LS.yM0
「……っ! 楓……!?」

我慢の限界だった。
同じ部屋の中で、涙が出るくらいに立ち込めた化粧の臭いの中でご飯を食べてきた。
ごちそうさまをした後で、トイレに駆け込んで吐いていた。
同じ家の中で、媚びたような視線が男たちに向けられるのを見てきた。
叔父さんが、耕一さんが、何か汚い汁をかけられて、嫌な臭いのする色に染まっていくような気がして、
あの人たちの服を擦り切れるくらいに洗った。
もう嫌だった。

「楓、あなた……」

いつの間にか、爪が出ていた。
黒く罅割れた手は、私の中の暗くてどろどろした水が染み出しているようで、心地よかった。
この人を見ていると、そういうものが湧き出してくる。
これは嫌なものだ。これは私をざわつかせる。
だからそういうものが私から出て行くように見えるのは、気持ちのいいことだった。
振れば黒い水が飛び散るような錯覚。

「楓……!」

一歩を下がるそのうろたえたような声が、私を加速させる。
いつも偉そうなことばかり言う口が、こんなときだけ許しを請うような響きを帯びる。
それが、小気味いい。
それが、苛立たしい。
相反する二つは私の中で矛盾なく暴れ回る。
突き動かされるように爪を振った。

「……っ!」

たまらず飛び退ったその目が、私を睨んでいた。
薄く朱に染まった瞳。
私を殺したくてたまらないのを抑えているのだろう。
必死に自制しているのが、ひどく滑稽だった。
この人はずっとそうだった。
薄皮一枚の向こう側に怒りと憎悪を押し込めて、私達に笑顔を向けていた。
だから私もずっと、軽蔑と嫌悪を押し込めて笑顔を返していた。
家の中では、ずっと。
もう、無理して笑う必要なんてない。

566終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:32 ID:997LS.yM0
「……そう」

手を押さえながら呟いたその瞳は酷薄で、笑顔はやっぱり、消えていた。
私の向けた嫌な気持ちが感染したみたいな、嫌な顔だった。
家の中ではごくたまに、それもほんの一瞬しか見せなかった顔が、私をじっと見つめていた。

「なら、いいわ。無理にとは言わない。……少し落ち着くまで、時間も必要でしょう」

言って踵を返した背中を、私はもう見ていなかった。
どこか目に付かないところに行ってくれるというのだから、辟易したような声も気にならない。
嫌な臭いが遠ざかっていく。
大きく深呼吸すると、私の中の嫌な気持ちも小さくなっていった。

「だけど……これだけは聞いて、楓」

立ち止まったような気配に、嫌な気持ちが黒雲のように湧き上がってくるのを感じて、
私はしゃがみ込む。抱えた膝は温かい。
乾いた血がぱりぱりと落ちていくのを眺めていた。
もう、あの人の声は聞きたくなかった。

「私はずっと、待っているから。家族はもう……この世でただ一人、あなただけなのよ」

だから、その言葉の意味が、すぐには理解できなかった。

567終焉幻想:2008/05/01(木) 18:53:51 ID:997LS.yM0
家族はもう、たったひとり。
たったひとり。
梓姉さんは死んだ。知っている。
初音も死んだ。知っている。
だけど、それはおかしい。
たったひとりに、なるはずがないのだ。
私の家族は、柏木の家には、あの息苦しい、化粧の臭いのする家には、もうひとり。
もうひとりの家族が、いるのだから。
たったひとりに、なるはずがない。
なるはずがない。
だから、それは、おかしいのだ。
柏木耕一は、柏木耕一という人は、私の家族なのだから。
たったひとりなんかに、なるはずがない。

「待っ……、」

待って、と言おうとして顔を上げたときには、もう誰もいなかった。
嫌な臭いも、嫌な声も、何もなかった。
鳥の声もしない、静かな紅い住宅街の真中で、私は今、独りだった。

568終焉幻想:2008/05/01(木) 18:54:07 ID:997LS.yM0
のろのろと、周りを見渡す。
何かを考えれば、何かの結論が出てしまいそうで、だから何も考えたくなかった。
立っているのが億劫で、ぺたりと座り込んだ。
ほんの、すぐ傍に転がるものがあった。
顔のない、躯だった。

手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。
手を伸ばした。
届かない。

手を伸ばして、届かずに、ようやく私は、座り込んだその場から一歩も動いていないことに気がついた。
立ち上がろうとした。
手を伸ばそうとした。
目の前が、光に埋め尽くされていた。
指先の、ほんの少し向こう側の全部が、白く染まっていた。

熱い、とは思わなかった。
光はほんの一瞬で、何かを思う前に消えてしまっていた。
手を伸ばしたその先の、何もかもを巻き込んで。

そこには、もう何もなかった。
ぐずぐずに融けたアスファルトと、黒く煤のついたブロック塀と、立ち昇る陽炎だけがあって、
他にはもう、何もなかった。

はらはらと、舞い落ちるものが見えた。
燃え落ちた布きれの、焼け焦げた切れ端だった。
金糸の刺繍がただ一文字、燃え残って眼に映った。

 ―――風、と。

伸ばした手はもう、届かない。

569終焉幻想:2008/05/01(木) 18:57:53 ID:997LS.yM0
 

 【時間:2日目 AM11:29】
 【場所:平瀬村住宅街(G-02上部)】

柏木楓
 【所持品:支給品一式】
 【状態:喪失】

柏木千鶴
 【所持品:なし】
 【状態:復讐鬼】

→972 ルートD-5

570東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:12 ID:dNXD8tIY0
 日が傾きつつあった。
 しかし一日目は燃えるように真っ赤な夕日だったそれは、二日目の今は雲に覆われ、暗さを増して夜を早めているようであった。

 ああ、今晩くらいから雨が降るのかもしれない、と篠塚弥生は空を見上げながら思った。
「なんや、ぼーっと空を見上げたりたりして、なんかあるんか」
 話しかけるのも苦しそうに、けれども本来は誰かと会話したりするのが好きなのだろう、神尾晴子が横から口を出していた。

 今一時的にとはいえ同盟を結んでいるこの二人。
 あの決戦の後、寝転がりながらいくらか情報交換や自己紹介を通して、少しばかり体力は回復したもののまだまだ好調というわけでもなく、効率的に傷を癒せる場所を探そうという弥生の提案に晴子も従い、荷物をまとめた後、現在は山を下って無学寺方面へと歩みを進めている。
 弥生は、ゆっくりと首を振って返事する。

「いえ、特に理由は」
「……はぁ。頼むでホンマ。お互いにボロボロやから手を組もう言い出したのはアンタやで。ウチだけに仕事させんで欲しいんやけど」

 咎めるように晴子は口を尖らせる。仕事、というのは周囲の警戒のことだろう。別にそこまで気を逸らしていたわけではないのだが、確かにそうであったので、弥生は律儀に「申し訳ありません」と謝罪しておくことにする。

「……ま、ええけどな。万事そんな調子で堅っ苦しくされても疲れるだけや、そういうヘンなところで人間くさいの、ウチは嫌いやないけどな」
「まるで私が人間ではないように言いますね」
「第一印象がそんな感じやったからな。喋り方も考え方も理詰めの計算ずくだけか思てたけど、ちょっとしたところで綻びが見えて、今ではそうでもなくなってきた」

 かったるそうな口調ではあるが、晴子の観察力には目を見張るものがある、と弥生は感心していた。
 直情怪行のきらいは随所に散見されるものの、基本的には冷静で目的を見失ったりしない。裏を返せばそれだけ娘という、神尾観鈴のことが大切なのだろう。
 その部分では森川由綺のために戦い続ける弥生とも意見は一致している。
 もう少し早くに出会っていれば、もっと多くの参加者を殺害できたのかもしれない、と思った。それほどまでに相性はいいと弥生は考えていた。

571東方行進劇:2008/05/01(木) 23:10:42 ID:dNXD8tIY0
「貴女こそ、意外と計算高いところがありますわ。先程の戦いでも、機を見計らったような登場でした」
「まぁな。足りへん知恵絞って色々苦労してるねん。頭脳労働は嫌いなんやけどなぁ……なーんにも考えずに、暴れて殺しまくったろ思てたんやけど……上手くいかへんさかい、しょーがなくこうせざるを得なくなった、ちゅう感じやな」

 苦笑い、といった様子で晴子は笑う。要するに、難しく考えるのが性に合わないのだろう。
 しかし目的の為なら考えを改め、様々に考えながら行動する。臨機応変を本人も意識しないうちにやっている。
 これが母親というものなのだろうか、そう、弥生は思う。
 弥生の人生はそこまで深くはなく、森川由綺との出会いでようやく転機を迎えるかもしれない、そんな段階であった。
 いや、そんな段階だったからこそ、それを奪ったこの殺し合いが憎くあり、それ以上に由綺を渇望している弥生自身にも気付けた。
 それはある意味では、幸福とも言えたのかもしれない。

「けど、一番信じられへんのが、アンタがこのゲームの主催とやらが言う、『優勝者には願いを叶える。死者を蘇らせることでさえ可能だ』なんて言葉を信じてることやな。そんな絵空事、どうして信じるんや?
 言いたかないんやけど、アンタの大切な人……森川由綺っちゅうアイドルはもう死んでしもとるんやろ?
 死者は蘇らへん。当たり前のことやんか。そんな魔法みたいなことができると、アンタは本当に考えとるんか?」
「確証に近いものはあります」

 即答にも近い弥生の返答に、晴子は目を丸くする。加えて、弥生の言い方がひどく真面目だったから、尚更であった。
 晴子が呆気に取られているのにも構わず、弥生はその根拠を告げる。

「勿論、魔法だとか呪術だとかの類は私も信じてはいません。『生き返らせる』も、それは本来と別の意味だと考えています」
「どういうこっちゃ?」
「クローン、という技術は神尾晴子、貴女にも分かりますよね」
「ああ、あのテレビなんかでよくやっとる……って、アンタ、まさか」
「その通りです。恐らくは、クローンによる『複製』こそが『蘇生』の正体だと、私は考えます。そして、私の願いはそれで由綺さんを生き返らせることです」
「そりゃ、まあ、それやったら信じられへんこともない……確かに、技術的には可能だと、散々言われとるしな……」

 盲点をつく発想だったのか、晴子は唸りながらうんうんと頷いている。
 弥生は更に続ける。

572東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:13 ID:dNXD8tIY0
「加えて、これだけの殺し合いを開催できるくらいの資金力、人材、技術。どれをとっても世界でトップレベルであることは間違いありません。あの篁財閥の総帥たる人物でさえ、この殺し合いの参加者なのですから。……もっとも、既にこの世の人ではなくなっていますが」
「篁財閥……詳しいことはウチも知らんけど、確か世界でもトップの企業、やったか? そいつも参戦してるのなら、間違いないんやろうけど……」
「唯一分からないのはこの殺し合い自体の開催理由です。わざわざこんな面倒にする意図が掴めません。金持ちの酔狂だと言えばそれまでですが」

 弥生からしてみれば、ただ殺し合いをさせたいのなら、闘技場(コロシアム)のように逃げも隠れもできないような場所で各々好きにさせればいい。
 武器だってハズレのようなものを割り当てるより全員に銃器などを行き渡らせた方が効率がいいに決まっている。
 不可解なことばかりだ。
 それとも、恐怖に怯え、逃げ惑う人間の姿を見て楽しもうとでもいうのだろうか。いや、それなら島のあちこちに監視カメラを仕掛けている。
 しかし注意深く見渡してみても小型カメラがある様子さえ見受けられない。それとも、衛星カメラか? だとすると、このような森の中での戦闘はどのように中継する? 殺し合いを楽しむような狂人どもが見たくないと思うわけがない。
 いくつか推論を立ててみても、結局は決め手に欠ける。こればかりは弥生にも判断しようがなかった。

「は、金持ちなんてみんな頭おかしいもんやろ? 大方あの映画の再現でもしてみよう考えたに違いあらへん。まあそれはええわ。それよりもアンタ、それでええんか?」
「……それでいい、とは?」

 晴子の問いがよく分からず、聞き返してしまう弥生。晴子は、「うーん、まぁ、感性の違いなのかもしれへんけど」と前置きしてから言った。
「いくら姿かたちが一緒やからって、クローンはクローン。オリジナルやない。ここに来る以前のアンタと一緒やった『森川由綺』とはちゃうねん。それでもアンタはええんか」
「……」

 晴子の言わんとしていることは分かる。そう、どんなに精巧なクローンだとして、それはまがい物。決して本物ではないのだ。
 可能ならばあの由綺と、アイドルを目指して頑張っていたあの由綺と過ごしたい。
 だが、それが叶わぬ願いだというのは十分に理解している。現実を受け入れまいと子供のように足掻くには、大人である弥生には無理な話だった。

「構いません。たとえ本質的に偽者であっても、この世に一つしかなければそれが本物です。そう、私は考えます」
「……なるほど、な」
「神尾晴子。貴女こそ、もし……もしも次の放送で神尾観鈴の名が呼ばれたとき、きっとそう考えるはずです」
「観鈴は死なへん」

573東方行進劇:2008/05/01(木) 23:11:52 ID:dNXD8tIY0
 きっぱりとした拒絶の意思。僅かな敵意が晴子から滲み出ていた。弥生はなるべく興奮させないように、慎重に言葉を選びながら、
「可能性として提示しただけです。ただ、もしもその時になったら……貴女も、きっと私と同じ考えになります。何故なら……本質的に、貴女と私は同じなのですから」
「……忠告だけ、受け取っとくわ。やけど、ウチは観鈴を絶対に生かして帰す。それだけはアンタもよう覚えとき」

 それきり、二人の間に会話が生まれることはなかった。
 ただ黙って、歩き続ける。
 ますます日は傾き、夜のとばりが姿を現そうと準備を始めたころに、その目的地は見えた。








【場所:F-09 無学寺前】
【時間:二日目午後:17:30】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済みだが悪化)、全身に痛み、弥生と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、全身(特に腹部と背中)に痛み、晴子と手を組んだ】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

→B-10

574名無しさん:2008/05/05(月) 17:10:19 ID:rjytJX2E0
今回、かなり長くなったので2分割させていただきます。まとめの人、度々ですみませんが、よろしくお願いします
では、投下いきます

575Trust:2008/05/05(月) 17:10:52 ID:rjytJX2E0
「……ここまで来れば」
 平瀬村で自らが起こした惨劇の後、逃げるように村から南下し十分に距離を取れたと判断した藤林椋は弾む呼吸を抑えるようにゆっくりと道なりに歩き出し、これからの方針について計画を立てることにした。

 基本は姉の藤林杏を守り、二人だけで生き残ること。まずは杏を探す事が大前提になるが中々見つからない。運が悪い、というとそれまでになるがとにかく探し出さねばならない。この島には恐ろしい殺人鬼どもがうようよしているのだから。
 そして、そんな奴らと杏を遭遇させないためにも片っ端から殺していく必要がある。とにかく信用などならない。仲間仲間などとほざいてはいるが実のところ皆利害関係でくっついているだけだ。役立たずになれば、窮地に立てば平気で見捨てる。殺す。裏切る。危うく椋自身も殺されそうになった。
 だから、もう信じない。裏切られる前に裏切る。殺される前に殺す。見捨てられる前に見捨てる。

 やらなきゃ、やられる。

 お守りを握り締めるようにぶつぶつと繰り返しながら思考を移す。
 真っ直ぐ南側に逃げているが、このまま進んでしまってよいものだろうか。
 道なりに進むと次は氷川村に辿り着く。以前椋と、殺害した長瀬祐介が滞在していた場所であり、椋の出発点とも言うべき地点である。
 それが問題だった。

 あの長瀬祐介には一応共に行動していた人間がいるようだったし(柏木初音と、こっちは知っているが宮沢有紀寧)、今頃は祐介が死んだと感づいているはず。あるいは椋が知らぬだけで既に現場を目撃されている可能性だってある。
 さらに上手く騙して殺害した倉田佐祐理と行動していた柳川裕也は今頃椋を探して奔走しているに違いない。常識的に考えて各地の村を探し回っているはず。あの神社と氷川村は比較的近い場所であるからして、今まさにここに柳川が潜んでいることは十分に考えられた。

 つまり、ここに逆戻りするのは非常に危険を伴う。さりとてここで平瀬村に戻ったところであの惨劇の生き残り達と鉢合わせし、一対多数の戦いを強いられることすら考えられる。つまり、椋は逃げ道を間違ったせいで進退窮まってしまったのだ。
 残された道はこの中間地点である平瀬村−氷川村にある民家、あるいは山中に隠れ耐え忍ぶかしか思いつかない。
 ただこの辺りに民家があるとしてそれはかえって目立つ施設となりかねないし、村を捜索し終えた連中が道すがらそういうところを尋ねてくるかもしれない。極力、隠れようとするならそういう場所にいてはいけないのだ。
 となれば、もう山中、すなわち地図で言うならH-4の地点に隠れるしかないのだが……

576Trust:2008/05/05(月) 17:11:15 ID:rjytJX2E0
「私に、登れるんでしょうか……」

 山の方は切り立った崖のようになっていて行こうとするならよじ登る、即ちロック・クライミングの要領で登らなきゃならないし、それだけならいいがデイパックのこともある。これを抱えて登れるか、と問われると残念ながらノーと言わざるを得ない。運動は苦手なのだ。
 崖の高さは精々5メートルほどなのだが……この時ばかりは杏の運動能力が心から羨ましくなった。
 結局のところ、あの山に入れる場所を探してこのまま歩くしか当面の解決策はなかった。しかもそれで道が見つからないものなら……
 慎重派の椋にとってはとかく安全策がないと不安で仕方ないのだ。

(お姉ちゃんなら、きっとこんな時でもどーんと構えているんだろうなあ……)

 何とか姉のことを考えることで不安を晴らそうとするが、やはり気分は曇り空のように晴れない。一人、というのもあった。
 そう思い始めるとどっ、と疲れが押し寄せてきて椋の体が重石を載せたようになる。それはある意味当然である。
 祐介殺害以降慣れない行動、運動の連続で肉体的には既に限界を超えている。それに眠ってもいないし、食事すらしていない。

「……ちょっと、疲れました」

 ここまで緊張感で抑え込まれてきたものが一度に噴き出してきたのだ。休憩したいとの誘惑に負けてしまうのも無理からぬことだった。ふらふらと目立ちにくいと思われる岩陰に隠れ、腰を下ろす。途端、何とも言えぬ脱力感が椋の足先から全身に駆け上がり、はぁ……とため息をつかせる。
 これが柔らかい布団であるならどんなに良かったことだろうと椋は思ったが文句よりも先に食欲の方が催促を告げる。誘われるようにして椋の手がデイパックに伸び、いくらかくすねていた携帯食を取り出し、元気のなくなった小さな口で咀嚼する。

「美味しい……何でこんなに美味しいんだろ」

 普段なら何とも思わない味であるのに、抑えられた僅かな甘味が絶妙に身体に浸透し、疲れた体を癒していくようだ。
 支給品である水もまるでアルプス山中から直に取ってきたもののように喉から沁み込んで体全体を潤していく。
 はぁ、と先程の脱力感から来るものとは違うため息が椋の口から漏れた。
 そのまま今度は、強い眠気が襲ってくる。こんなところで寝てしまえば襲われて死ぬかもしれないというのに――既にその欲求に、体は降参しかけていた。

(ちょっとだけ……ちょっとだけなら)

 誰にともなく言い訳するように、椋の瞼が、少しずつ閉じられていった。

     *     *     *

577Trust:2008/05/05(月) 17:11:39 ID:rjytJX2E0
「で、腹の調子はどうよ、相棒」
「まあまあだな。つかお前、なんか俺が腹を下してるみたいに言ってねぇか?」
「なに、違うのか?」
「おい」
「はっはっは、冗談だって。だから殺虫剤を向けない。俺は害虫じゃないぞ」
「……楽しそうだね」
「にはは、仲良しが一番」

 氷川村の南から迂回するようにして、相沢祐一、藤田浩之、神尾観鈴、川名みさきはD-6にある学校へと続く街道をゆっくりと歩いていた。傷が塞がっていない観鈴と、怪我をしている浩之に配慮してのことだ。
 浩之が怪我をしている都合上、祐一がずっと観鈴を背負って歩いている(もっとも、浩之がみさきと手を繋いでいることもあったが)。道は診療所に行くときと違って平板な道だったので祐一には割りと余裕もあったし、そもそも観鈴が軽いのでしばらくは問題ない。むしろ問題なのは浩之だ。

「で、本当大丈夫なのか。無理すんなよ? 血ぃ吐いたんだからな」
「ああ、まあ、見た目ほど怪我は酷くない。気分が少しばかり悪いだけだ……あの戦闘で」

 腕を曲げたり首を左右に動かしたりしながら、浩之は体の調子を確かめているようであった。表情などに変化はなく、概ね好調のようである。
 急ぎたいのはやまやまな祐一ではあるが強行軍はリスクが伴う。ただでさえボロボロだというのに、これ以上の危険は避けたい。
 それは皆も同じだろう。だからこそゆっくり進もうという意見に賛同してくれたのだと、祐一は思っていた。
 もうこれ以上、誰も危険な目に遭わせる訳にはいかない。

(五体満足に近いのは、俺だけだからな……俺が神尾や川名を守らないと)
 頼れる『大人』である緒方英二のいない今、男として皆を守っていかなければならない――そんな責任感のようなものが、祐一の肩に深く、強迫観念のように圧し掛かっていた。今はデイパックにあるワルサーP5を、常に持っていないと不安に感じるくらい。

「ところでさ、神尾はどうなんだよ」
 そんな風に考える祐一の後ろで、浩之が声を掛ける。そうだ、忘れてはならないが、依然として神尾観鈴も重傷である。いや、それは既に十分理解していることであるが、怪我の度合いはどうなっているのだろうか。少しはマシになっているのだろうか。
 まあ、同じ怪我人の浩之に心配されるのはどうなんだろうな、とも思わないでもなかった祐一だが、そこには触れないようにすることにしておく。

578Trust:2008/05/05(月) 17:12:01 ID:rjytJX2E0
「にはは、イタイけど、たぶん大丈夫」
「「……」」
 顔を見合わせる二人。恐らくはまだ完治どころかズキズキと痛むのだろう。しかし耐えられないほどの苦痛でもなさそうだ、ということでまだ背負って歩いた方がいいだろう、と意見を(無言だけれども)一致させる。

「しかし、まぁ、俺もお前も、不運と言えば不運だな。一体何度襲われたよ?」
「確か……えーと、四回くらいは戦闘に巻き込まれてるかもな。よく覚えてない」

 考えてみれば、気の休まるときがなかった気がする。行く先々で戦闘に巻き込まれてきたのだ。それはもう、疫病神がついているのではと疑いたくなるくらいに。

「四回……お、多いね……」

 みさきが心配そうな視線……らしきものを二人に向ける。先の戦闘を除けば、みさきと浩之は以前のチームをバラバラにされた巳間良祐との戦いだけしか遭遇していない。だからこそ雄二とマルチのコンビに苦戦したと言えばしているのだが。

「全くだ。しかも、仲間を何度も殺されて……何度も逃げる羽目になって……俺の力のなさを痛感させられたよ」
「ごめんなさい、わたしのせいで……」
「神尾のせいじゃないさ。原因は全てあいつなんだからな……」
「……」

 観鈴を撃った人物であるまーりゃんこと朝霧麻亜子に憎悪に近い感情を抱いているであろう祐一を前にして、観鈴は複雑な気持ちになる。
 環はまだ麻亜子は同じ時を過ごした仲間であり、説得できる余地も残っていると考えていた。なるべくだって人が死ぬのを避けたい観鈴も、説得できるならそれに賛同したい。
 しかし祐一があのように考えることも当然だろうと理解していたし、たとえ説得に成功してもわだかまりは残るだろう。
 それでも、時間さえかければある程度は緩和されるだろうし、何よりもここから脱出するためにはいがみあっている場合ではない。
 しかし、そんな先のことを考えたって仕方がないのは観鈴にも分かる。今はとにかく霧島聖を探し出すことが先決だ。

579Trust:2008/05/05(月) 17:12:25 ID:rjytJX2E0
「ところで、あの時は色々ドタバタしてて深く聞けなかったが、この三人について何か少しでも知っていることはないか?」
 観鈴がそんな風に考えていると、祐一がポケットから診療所にあった例の置き手紙を改めて三人に見せる。

「あぁ、確かナスティボーイってのが世界一のエージェントなんだっけ? 俺もよくは知らないけど……」
「うーん、後は確か『ポテトの親友一号』と『演劇部部長』……だったかな? 私の知り合いに演劇部の部長さんはいたけど……もう、雪ちゃんは」
「……みさき」

 既に鬼籍に入ってしまった深山雪見のことを思い出しているのか、みさきが肩を落とす。場が少しばかり重い空気になりかけたところで、ほぐそうとするように観鈴がわざと明るく言った。

「あ、あの、わたしにも見せて欲しいな。ほら、観鈴ちん、こっからじゃちょっと遠くてよく見えないから」
「あ、ああ。そうだな。ほら」

 それを察して、浩之が手紙を回す。改めて観鈴はしばらくそれを食い入るように、署名された三人の名前を見つめていたが、時折首を捻ったりするばかりで知っていると思われる人物はいなさそうであった。

「心当たりはないか?」
 少しでも会話を挟むべきだと思った浩之が尋ねると、「うーん」と靄の晴れない表情で言った。

「ポテト、って名前は往人さんが何回か口にしてたんだけど……わたしには分からないかな。往人さんなら知ってるかも」
「そうか……」
「ごめんなさい……」
「ああ、いいんだ。おまけみたいなものだしな。どうせ、先に行くのは学校だ。それに、もうそいつらだって移動してるかもしれないしな」

 素性が少しでも分かればより味方かどうかの判断がつく。安全性を高める上で限りなく重要な情報ではあるのだが、そこまで心配するほどでもないだろうと考えた結果である。

580Trust:2008/05/05(月) 17:12:52 ID:rjytJX2E0
「やっぱこんなところか……」
 若干の失望を残す祐一の声に、悪いな、力になれなくて、と浩之が告げる。みさきがそれに口添えするように、仕方ないよ、私こそ雰囲気悪くしてごめんね、と謝る。しかし浩之はいやいやと首を振って、
「そんなことはないって。あの反応は当然だ。俺がみさきでもそうするさ」
「……うん、ありがとう」

 言ったかと思うと、今度は何やらいい雰囲気になっている。ぴったりと手を繋いでくっついているその姿は、誰だって言わずとも分かる。

「バカップルだな……」
「うん、バカップルさん」
 うんうんと、二人は納得していた。

「あ、そうだ……えっと、祐一さん、ちょっといいかな」
「ん? どうした?」
 少し遠慮した物言いだったが、なるべく気さくに祐一は返事する。観鈴はその雰囲気に少し安心したように続ける。

「えっと、その……わたしのことは、観鈴、って呼んで欲しいな……にはは、ダメ、かな」
「……ああ、そんなことか。別に構わないぞ。もっと早く言ってくれても良かったのに、『観鈴』」
「……ありがとう」

 嬉しそうにはにかむ観鈴。今まで癇癪持ちで、同世代の人間から名前で呼ばれることがあまりなかったから……本当に嬉しかったのだ。

「もういいのか? 何だったら俺のことは『祐一お兄ちゃん』って呼んでくれてもいいぞ」
「もういいよ。早くいこっ、祐一くん」
「……スルーっすか」

 見事なスルーの観鈴と、肩を落とす祐一。その後ろではいい雰囲気の浩之とみさき。
 今は幸せな四人。
 そのもう少し先からは、一人の人物が忍び寄ってきていた。

     *     *     *

581Trust:2008/05/05(月) 17:13:32 ID:rjytJX2E0
 藤林椋が目を覚ましたのは、既に夕方近い時刻になっているときだった。
「!?」

 その時になってから、ようやく椋は自分が浅くはない眠りに落ちていたことに気がついた。
 果たして眠っていたのは数十分か、数時間か?
 いや、いずれにしろこんなところに居ては危険が大きい。

(とにかく、はやくどこかに逃げないと)
 どこか? どこに? 果たして逃げるところはあるのだろうか。
 そんな疑問を持ちながらも、とりあえずこれまでのように、南へと移動していく。

 その道中で、ゆっくりと移動している四人組を発見する。遠目なのでよく分からないが、何やら怪我をしているようにも見受けられる。
 さて、どうする。
 まだ相手がこちらに気付いていないことを生かして奇襲か、それともこれまで通り内部から切り崩していくか。
 このままぼーっと突っ立っていても良いことは何もない。それこそ、今にでも後ろから迫っているかもしれないあの生き残りどもが拳銃を向けて――

(し、仕方ないです……!)
 下手に討って出てそれが柳川裕也のような戦闘力のある人物でも困るし、万が一仕留め損なって逃げられると後々厄介なことになる。何せ敵は大人数だ。
 やはり安全策に出た椋ではあったが、結果的にそれは椋も、そして遭遇する祐一、浩之、観鈴、みさきの四人にとっても取り敢えずは命を繋ぐことになった。

「あ、あの……」
 こそこそと様子を窺うようにして出てきた椋に、浩之と祐一が思わず身構えた。
「わ、わ……ご、ごめんなさい」

 萎縮するように身を縮こませる椋に対して、警戒心を高めていた二人、そして背中にいた観鈴も、戸惑いの雰囲気を感じ取ったみさきも顔を見合わせる。
 見れば目の前の少女はいかにも大人しそうでそればかりか怪我をしているようにも見受けられるではないか。どうしてこんなところに、一人で?
 四人にそんな疑問が浮かんでくるのは当然だった。目の前の椋は「あの、あの……」とおどおどするばかりで話そうとはしない。仕方なく、という風に浩之が質問を投げかける。

582Trust:2008/05/05(月) 17:13:52 ID:rjytJX2E0
「……あの、そんなに警戒しなくてもいいぜ。俺達は殺し合いに乗っているわけじゃない。それより、どうしてこんなところにいるんだ?」
 構えを解いてなるべく、といった風だが優しく話しかける浩之に、椋は未だびくびくしたように、しかし心中では「しめた」と思いながら事情を説明し始める。

「実は……私はさっきまで、ここから少し先にある村にいたんです。けど……」
「けど?」
「そこで……この殺し合いに乗ってる人たちに襲われて、無我夢中でここまで逃げてきたんです。この傷もその時に負って……」

 ぐっ、と血の滲んだ左腕の包帯を押さえる。もちろん言っていることの大半は嘘だ。本当のことなど言えるわけがないし、この連中が平瀬村に向かっているとしたならばこのまま向かわせるわけにはいかない。あそこの生き残りと鉢合わせしたら椋自身の立場が危うくなるからだ。
 嘘に嘘を重ねて……引き返させる必要があった。

「何とか逃げ切ることができて、包帯を巻いたまでは良かったんですけど……その時に人を見つけて……」
「それが俺達、ってわけか」
「はい……」

 四人が顔を見合わせる。この先の平瀬村に、乗った人物『たち』がいるという事実。椋の喋り口からして嘘とは考えにくかったし、あのような目立つ場所ではそのような人物がうようよしている可能性も高い。
 幸いにして、四人の目的地は平瀬村ではない。事前に情報を手に入れられたのは、幸運だった。
 祐一たちは半ば安心したように、椋に言った。

「……そうだったのか。それは助かった。そっちには気の毒だと思うが……」
「いえ……」

 一方の椋は、平瀬村に行っていないというばかりか、こちらの言葉を鵜呑みにしてくれたことはチャンスだ、と考えていた。
 上手くいけば平瀬村の連中を敵視させ、共倒れにすることだって可能かもしれない。
 それに、椋は殺し合いに巻き込まれた哀れな被害者であり、無力な人間ということを証明する材料になる。
 つまり、それはこの集団における油断を誘う結果となり、内側から切り崩すのを容易くしてくれるということだ。
 他の連中と争そわせ、疲れたところを椋で止めを刺す。そうすれば一気に四人、あるいはそれ以上も倒す事が出来る。
 彼らと行動した先で柳川が潜んでいる可能性もあるが、その時も椋ではなく彼らに戦わせれば被害は最小限で済む。危なくなれば逃げればいいのだ。

583Trust:2008/05/05(月) 17:14:17 ID:rjytJX2E0
「……そうだ、この三人について心当たりはないか? あだ名、みたいなんだが」

 祐一は観鈴を背負ったまま器用にポケットから例の手紙を取り出して椋に渡す。
 書かれていた内容は全然信じる気のない椋だったが、署名していた三人のうち、一人は見当がついた。
 演劇部部長――つまり古河渚。何度か演劇部には出入りしていたので彼女については知っている。とは言えど信用などできるわけがない。普段の渚と、ここにいる渚が同じなわけがないのだ。生き残るために平気で他人を裏切るに決まっている。

「……知ってます。この人は。ですが……」
 またもや口を濁す椋に不安を感じる四人。若干の間をおいて、椋が『演劇部部長』の文字を指でなぞりながら続ける。
「この人たちに、襲われたんです。古河渚、っていうんですけど……」
「な、なんだって……!?」

 信じられないとった驚き方に椋は内心ほくそ笑む。そうだろう。書かれた内容とは裏腹に、裏切って襲ってきたというのだから。
「この、渚って人とは知り合いだったんですけど、私が平瀬村についたときに話しかけてきて……あ、私は吉岡チエさんと観月マナさんって人と行動してたんですが、その時に近づいてきたと思ったらいきなり包丁で刺そうとして……その時の傷が、これです」

 左手の傷を見せられ、次々と明かされる椋の『真実』に不安の色を強めていく四人。
 ……だが、観月マナの名前を聞いた祐一が椋に質問する。

「ちょっと尋ねたいんだが……観月マナ、って奴は結構前に、ちょっと話をしたくらいなんだけど、会ってたことがある。で、そいつと……河野貴明って奴が一緒にいたんだが、それは知らないか?」
「……いえ、それは知らないです」

 マナと貴明は一緒に行動していたが、ここは嘘をついておく。どうせ分かりっこないとはいえ、保険はかけておく。チエとマナと行動していた、と言ったのは椋の目で死亡を確認できたのがその二人だからだった。死者は何も語らず。
 無論、連中の誰かが生きていて、椋の嘘をばらしてしまうことも考えられたが普通に考えればあのスープの一件で椋を除く七人が殺しあっていたとすれば一人しか生き残らないのが定石である。
 さらに戦闘で傷ついていたのだとすればそこを更に誰かに襲われ死亡することも考えうる。現に渚を含む三人が平瀬村に向かった、というのだから。
 故にチエとマナと行動していた、というこの嘘はバレにくい。

584Trust:2008/05/05(月) 17:14:46 ID:rjytJX2E0
「途中で離れ離れになったのかな……向坂に伝えてやりたかったが……あ、悪い。それでここまで逃げてきたのか? ……その、残りの吉岡と、観月は?」
「……」
 黙って首を振る椋。その仕草に、話を聞いていた浩之が毒を含んだ声で吐き散らす。

「ふざけんな……! じゃあ、あれは、あの手紙は俺達を騙して殺すためのものだったってのか!? 何だよ、それ……!」
「ひ、浩之君……おちついて」

 祐一の怒りを手から直に受け止めていたみさきが、宥めるように肩を叩く。
 それで椋が少し怯えているのを見てとった浩之が、「……すまん」とだけ言って、それでも怒りの気配は隠しもせずに俯いていた。

「いや、謝るべきは俺だ……手紙の内容をストレートに伝えていなかったからってあっさり信じ込んだんだからな……こいつがいなかったら、また……」
「祐一くんも……が、がお、わたしも同じなんだけど……あ、そうだ。自己紹介してなかったよね? わたし、神尾観鈴。仲良くしてほしいな、にはは……」

 沈んだ雰囲気を何とかすべく観鈴が必死に笑顔を振り絞って椋に笑いかける。ちょっと苦痛に歪んでいるのはご愛嬌だが。
 椋にはその笑顔を信じる気もなかったが、まずは溶け込むことに成功したので返事をしておくことにする。

「ふ、藤林椋です。こちらこそ、よろしく……」
「ん、藤林……?」

 椋の名字を聞いて、反応を示した祐一にまさか、と考えた椋が祐一に詰め寄る。

「ひょっとしてお姉ちゃんを知っているんですか? お姉ちゃんの名前は杏、っていうんですけど、探してて……」
「あ、ああ。そうだ、杏だ。大分前に俺達と行動しててな。妹を探す、って出てったきりなんだが……と、俺の名前は相沢祐一だ」
「お姉ちゃん、どの辺りに行ったか知りませんか?

 祐一の名前などどうでもよかった。とにかく、杏の行方が心配で仕方ない椋は続けざまに聞く。
「いや、目的地は告げずに出て行ったからどこにいるかは分からないんだが……悪いな」
「そうですか……」

585Trust:2008/05/05(月) 17:15:08 ID:rjytJX2E0
 役立たずめ、と心中で罵りながら椋は落胆する。せっかく杏を知っていても居場所を知らないのでは意味がないではないか。
「……俺もいいか? 俺は藤田浩之。まぁ、色々あってボロボロだが、よろしくな」
「あ、どうも……」

 無意識のうちに、椋は浩之から距離を取っていた。あの態度――あの怒りの表情は、殺人も躊躇わないような、そんな雰囲気に椋は感じたからだ。
 とはいえ、かつていきなり襲ってきた向坂雄二と違ってまだ彼女には椋を殺す気はなさそうだった。ならそれでいい。
 最終的に生き残ればそれで勝ちなのだから。

「最後だけど、私は川名みさき。よろしくね」
「……ええと、失礼なんですが、その、あなたは……」
 みさきの目を見た椋が、躊躇いながら尋ねようとする。しかしみさきが先手を打つように言った。
「うん、私は目が見えないよ。でも大丈夫、浩之君がいるから」
「はぁ……」

 目が見えないという椋の憶測は、間違ってはいなかった。なら、さしたる脅威にはならない。殺害する優先順位は下だろう。
 いや、むしろ生きててもらっていた方がいい。その方がいざこの四人を殺害するときに有利だからだ。
 逆にどうしてこんな人間が人が疑い、殺しあう中で生きていられるのかが気になったが……上手く取り入ったのだろうか? ひょっとすると思いも寄らぬ知識を持っているのかもしれない。あるいは……体でも売ったか。
 ともかく、今しばらくは殺す必要もないだろう。

「相沢さん、ともかくここに留まるのは危険だと思うんです。ひょっとしたら私を襲ったあの三人組がまた来るかもしれませんし……」
「そうだな……この手紙が信用できなくなった、ってか嘘だったって分かった以上もう平瀬村に行く義理はないぞ」
「うん……わたしもそう思う。でもまずは学校に行く事が先だよね?」
「学校……?」

 首をかしげる椋に、みさきが説明する。
「うん……実は、私達の仲間の一人が危険な状態で……学校にお医者さんがいるから、呼んでこよう、ってことになって」
「……どうして、そんなことが分かったんですか?」

 学校といえば、ここからは結構遠いはずだ。そんな遠くにいる人間の位置が、何故分かるというのか。それとも、また情報に踊らされているのか?
 疑念の声を上げようとする椋に、浩之が補足する。

586Trust:2008/05/05(月) 17:15:25 ID:rjytJX2E0
「いや、実は限定的だが参加者の位置を掴めるものを持ってるんだ。詳しいことは実物を見せりゃ分かるが……パソコンがないと使えなくてな。まあ、そいつで医者が学校にいることが分かったってわけだ」
「……そうだったんですか。それは、別にパソコンに詳しくなくても使えるんですか?」
「まあな。ちょっとした操作手順は必要だが」

 その言葉を聞いて、心中で椋はほくそ笑む。参加者の位置が分かるという代物。
 生き残りを図るには最適。姉の位置を知らないといったが、中には掴めないものもあるのだろう。それならそれでいい。見つかるまで探せばいいだけのこと。
 それよりも、是が非でもこれを手に入れなければ。
 ……いや、その前に、氷川村に向かわせよう。ルート的に神社方面から向かうのは柳川達に遭遇する危険がある。
 なるべくなら、安全策をとるべきだ。

「そうですか……あの、なら、いきなりで差し出がましいようなんですが……怪我人もいらっしゃるようですし、山から行かれるのは」
「ああ。それは分かってる。今から氷川村を通ってなるべく負担がかからないように行くつもりだ。……急がなきゃ、いけないんだけどな」
「うん……ごめんね、祐一くん」

 背中の観鈴が、しょんぼりという様子でうな垂れる。それは椋にとってはどうでもいいことだったが、誘導する必要がなくなった分、それはありがたいことではあった。
「なら……その、これからも、お、お願いしますね」
 ぺこりと頭を下げ、偽りの仲間入りを果たす椋。その悪意にも気付かず、四人はそれを快く出迎えた。

 それがまた、一つの運命を、変えることになる。

587Trust:2008/05/05(月) 17:15:57 ID:rjytJX2E0
ここまでが前半です。
次からが後半になります。

588Trust:2008/05/05(月) 17:16:27 ID:rjytJX2E0
「それで、どこに行くの? 柳川おじさん」
「……氷川村だ」
 おじさんじゃない、という言葉をぐっと堪えて、先を行く柳川裕也は言った。別に年齢云々ではない。いくら言っても無駄であったからだ。

「氷川村には、確かわたし達がいました。柳川さんの言う藤林椋、という人は見てないですが……」
 後ろから懸念するように言うのは、宮沢有紀寧。彼女にしてみれば殺し合いに乗った人物が徘徊しているかもしれない集落にいくのはなるべく避けたいところだ。

 既に柳川という屈強な盾は手に入れているのだ。方針としてはこの面子で終盤まで逃げ回り、最後に残ったグループと柳川に激突してもらい、全てが終わった後に有紀寧が止めを刺す……それが理想だ。
 しかしここで意見したところで明確な反対理由もない以上あまり強くは言えない。忠告程度が関の山だろうと、有紀寧は考えていた。
 それでも言わないよりはマシだろうと、一応言ってみたが、柳川はすぐさま反論する。

「お前達がそこを出たのは朝だろう? 今は昼を過ぎている。あの女は集団の中に紛れ込むのを得意としている。そして奴は集団を探すため平瀬村か、氷川村にいるに違いない。奴だけは絶対に放置しておくわけにはいかないんだ」
「それは……確かに……ですが……」
「……お前達は人が良すぎる。この島では、危険人物は排除しなければ後々面倒なことになるんだ。気は進まないかもしれないがな」
「……うん」

 有紀寧も初音も、柳川の正論には頷くしか(有紀寧は演技だったが)ない。現に柏木初音の家族である柏木楓は殺され、共に行動していた長瀬祐介も殺害されている。加えて、祐介はこの殺し合いは乗っていなかったにも関わらず、というのも柳川の言葉に重さを持たせている。
 まあ、初音はともかく、無闇に人を信じないという点では柳川は使えると、有紀寧は思っていたのだが。

「……もうそろそろだな。見ろ、家が見えるだろう?」
 山を下ってきていたからか、あまり進んでいる感覚のなかった二人だが、木々の向こうに見える民家を見て、もう戻ってきたのか、という風に驚きの目を見せていた。

「いいか、俺から離れるな。少しでも何か気配を感じたら言え。徹底的に、だ」
 凶暴な気配を見せ始めた柳川の様子に、二人は黙って頷く、というか頷くしかなかった。

「有紀寧お姉ちゃん、あれじゃあその藤林椋って人も逃げ出すんじゃないかな……何と言うか、その、オーラが」
「ええ、分かります……わたしだって逃げますね、あれは」

589Trust:2008/05/05(月) 17:16:47 ID:rjytJX2E0
 ひそひそと話す二人を咎めるように「何をやっている」と柳川がお叱りの言葉を飛ばす。それに素早く反応して「はいっ!」とついていく二人。
 まるでカルガモの親子だった。二人とも(特に有紀寧は)不本意であったが。
 そうして、氷川村の捜索は始まった。

     *     *     *

 数時間後。
 結局、全くと言っていいほど成果らしき成果は得られなかった。
 柳川はともかく、初音と有紀寧も与り知らぬうちに、起こった戦闘から難を逃れるために、ここにいた人物達はもう他方へと逃走していたからである。
 彼らが見つけたものはといえば、民家の一つに惨たらしい姿で放置されていた天野美汐の遺体と、争いがあったことを思わせる診療所の惨状くらいであった。
 しかも既に診療所からはあらかた消毒薬や包帯などの即席で使えそうな医療器具は持ち去られており、柳川達の捜索は文字通り無駄足ということになる。
 荒らされた診療所の中で、柳川は一つ息をついた。

「ちっ、遅かったのか、あるいは他の奴らがやりあっていたのか……ロクに物がない」
「でも、その、誰の……もないから、誰も死ななかったんじゃ、ないかな?」
「……だと、いいがな」

 癒しの地にはびこる、むせ返るような死臭に心を痛めた表情をしながら、初音は思いを馳せていた。
 一体何人の人間がここで助けを求め、そして戦いに巻き込まれていったのだろうか。もしかすると、その中には耕一や梓、千鶴の姿もあったかもしれない。
 そう考えると、今すぐにでも外に駆け出し、一刻も早く家族を見つけ出したい――そんな衝動に駆られるが、すぐ近くにいる有紀寧の姿がその考えを思い留まらせる。
 長瀬祐介が死んで、その悲しみを受け止めてくれた有紀寧を放っておいてまで勝手な行動を取ることは、心優しい初音には出来なかった。
 それに、今は親類と名乗る柳川もいる。なんだかんだ言いながらも初音を守ってくれている彼の好意を無視することもまた、初音には出来ない。
 きっと、どこかで無事であるはず――そんな根拠のない憶測を、今は信じるしかなかった。

(役に立ちそうなものは、見当たりませんね。まぁ、こんな民間の医療機関に期待するのも浅はか、ですね)
 一方の宮沢有紀寧は、薬だけでなく、毒薬や解毒剤のようなものがないかと、残されたビンなどを調べていた。
 けれども収穫はまるでなく、あったものはといえば風邪薬や胃腸薬、そんな類のものばかりである。
 ないよりはマシかとデイパックに詰め込んだものの、使う機会が想像できない。それとも、風邪を引いた人間に処方してやって、信頼度でも高めるか?
 考えて、すぐにその浅はかな案を打ち消した。風邪を引くような、そんな人間はとっくに殺されているに違いない。
 まあ、重荷にはならないと判断して、結局有紀寧はそのまま持っておくことにする。世の中何が役に立つか分からないものだ。

590Trust:2008/05/05(月) 17:17:13 ID:rjytJX2E0
「柳川さん。そちらのほうは何かありましたか?」
「いや、目ぼしい物はなにもない。……率直に聞きたい。例えば、ここで戦闘が起こったとする。それも結構大きな騒ぎだ。その場合、逃げるとしたらどうする?」

 聞いて、これは今後の指針を決める質問に違いないと、有紀寧は目を細める。さて、どう答えるべきか。
 有紀寧にしてみれば今は人が少ないこの村に留まることは、安全でもないが危険なわけでもない。寧ろ危険性だけで言えばここから移動を開始する方が明らかに危険だ。
 仮に動くとしても平瀬村方面に行くのは避けたいところだ。
 何故なら、平瀬村に通じるルートはいくつか存在し、分岐点も多い。即ち人の往来もまた多い、ということだからだ。
 現状のメンバーだけで十分だと考えている有紀寧にはこれ以上の接触は困る。動くにしても、人がいなさそうな方向へ上手く誘導できればいい。
 少し考えて、有紀寧は口を開く。

「……わたしなら、東の方角に逃げます。人が多いところで襲われたのなら、また人が多い村の方面に行こうとは思わないので……
 ですが、もし一人だったとしたら、一人で行動するのも危険ですし、不安になります。
 ですから、そんなに目立たないところで、でも少しくらいなら人がいそうなところ……例えば、灯台とか、神社とかに行きます。
 事実、わたしはそう考えて神社の方へと向けて北上していましたから」
 ふむ、と柳川は眼鏡の微妙なズレを直しながら、有紀寧の意見について考えているようであった。
「成程な」

 柳川が尋ねたのは、実質藤林椋がどこに逃げるだろうかということについて他ならない。見たところ大した力もなさそうな宮沢有紀寧とは、ある意味で同種だと考えたからだ。
 集団に襲われたら逃げ切れる確率は低くなる、が一人くらいなら振り切れる可能性は高い。共に行動するにしても大人数よりは少人数の方が裏切られる可能性は少なくなる……藤林椋も、そう考えるだろう。『微妙に人間がいそうな方向に逃げる』とはそういうことだ。
 結論を出した柳川は、こう告げた。

「灯台の方向へ向かおう。神社から下ってきて、誰とも会わなかった……なら、誰かいるとすればそこかもしれない。少々遠いが、そっちはまだ大丈夫なのか。もう夜近くなっているが」
「まあ、そこに行けるくらいには……」
「有紀寧お姉ちゃんが大丈夫なら、私も大丈夫だよ」

591Trust:2008/05/05(月) 17:17:36 ID:rjytJX2E0
 賛同を得る事が出来た柳川は、満足したように頷いて歩き出した。か弱そうに見えるが、案外タフであることが分かってきたのは、柳川にとっても嬉しいことであったからだ。まあ、やや平和主義者に見えるのはいかんともしがたいところではあるが――
 そう思いながら診療所から一歩、外に出たとき。

 遠目ながら、柳川はある集団が歩いてくるのを目にする。
 普段の柳川であれば、少々警戒しつつそちらに接触しようと考えたことだろう。
 だが、このときばかりは違った。柳川の記憶に新しい、あの倉田佐祐理を殺害した人物、まさにそれが集団の中心にいたからだ。

「あの女……! ぬけぬけと……!」
 柳川を理解してくれていた、数少ない人間――それを殺した人物を、柳川は許すつもりは、毛頭なかった。
 怒りを殺気に変えながら、柳川は、走り出す。
 その背中に、彼の突然の行動に動転した宮沢有紀寧と柏木初音の声がかかる。

「や、柳川さん!? どうしたんですか!?」
「あいつを……藤林椋を見つけたっ! お前らは診療所にいろ! すぐにカタをつける!」
「待って! お、おじさん!」

 追いかけようとした初音を、有紀寧が押しとどめる。

「有紀寧お姉ちゃん?」
「初音さんは、危ないですから隠れててください。わたしが柳川さんを追いかけます」
「で、でも」
「大丈夫です、すぐに戻ります。初音さんを、一人にはしませんから」

 にこっ、と微笑むと、有紀寧も柳川の背を追って走り出した。
 一人にはしない――その言葉を受けた初音が動くことは、できなかった。

     *     *     *

 その男が溢れんばかりの殺気をむき出しにしながらこちらへと走ってくるのに、祐一達もまた動転していた。
 何せ村に入った瞬間いきなりこちらに向かってきたのである。

592Trust:2008/05/05(月) 17:18:12 ID:rjytJX2E0
「お、おい、あいつは前に会ったことがあるんだが、何だよありゃ!? なんか銃構えてるぞ!」
「……なんか知らんが、とりあえず観鈴と川名、藤林は後ろに下がってろ! 俺と浩之で前に出るぞ!」
「お、おう!」

 手で下がらせるようにしながら、祐一がワルサーP5を、浩之が包丁を持って備える。

「あ、ああ、あの人!」
 後ろに下がった椋が、怯えたような声を上げる。「ど、どうしたの?」と観鈴が聞く。

「き、気をつけてください! あ、あの人、殺し合いに乗ってるんです! 前に一度襲われたことがあって――」

 椋が言いかけている途中で、柳川が叫んだ。

「そこをどけっ! 後ろにいる女は、殺し合いに乗っている! そいつのせいで――」

「倉田佐祐理が殺されたんだっ!」「倉田佐祐理さんが、殺されたんです!」

 まるで示し合わせたかのように、二人が、佐祐理の死を告げた。しかし相反する物言いに、観鈴は「え?」と混乱するばかり。
 みさきと浩之は困惑したように顔を見合わせる。

「ひ、浩之君、あの人は……」
「確か、前に会ったはずだが……全然様子が違う。楓とかいう女の子のために泣いてた、あの時とはな……嘘、だったのかよ?」
「そんな……あの涙が、嘘だったなんて、思えないよ」
「俺もそう思うが……けど、別れてから大分経つし……くそっ、判断できねえ」

 二人が思案している中、ただ一人、祐一だけは違った。
 真実を知っているわけではない。『倉田佐祐理の死』を知らされたことが、そして同時に『二人のうちどちらかが嘘をついている』ことが怒りを呼び、彼の頭を真っ白に消去していく。

593Trust:2008/05/05(月) 17:18:32 ID:rjytJX2E0
「お前……それは、どういう事だっ! 佐祐理さんが、殺されたっていうのかよ!」
 祐一の怒りは、柳川に向けられた。ワルサーP5の銃口が、真っ直ぐに、しかし若干震えながら、柳川の胴体を捉えている。

「……そうだ。残念ながらな。だがやったのは俺じゃない、やったのは、今まさに嘘をついているあの女だ!」
 柳川の指差した先。そこにいる椋が、「ひっ」と短い悲鳴を上げる。祐一の鋭い視線が、今度はそちらに向けられる。

「そ、そんな、わたし嘘なんかついてません! 殺したのはこの人です! 本当に殺されそうになったんです!」
「貴様、まだ口から出任せを……! どけ! 邪魔さえしなければ手出しはしない! こいつは嘘をついて内からお前らを殺そうとしている!」
「信じて下さい! みなさん、わたし殺してなんかないんです!」

 涙を浮かべ、必死に無実訴える椋の顔と、悪鬼ともとれる柳川の形相。

「悪いが……俺はあんたを信じない。いきなりやってきて、佐祐理さんを殺したって……ふざけるなよ、佐祐理さんはこんな殺し合いを望むような人じゃない。藤林だってそんなことをするような人間じゃない。どう見ても、罪を擦り付けようとしているのはアンタだっ!」
「待て祐一! 俺とあの人は前に会ったことがある。その時は殺し合いに乗ってるようには見えなかったんだ! 早まるな!」

 押し留めようとする浩之だが、祐一はそれがどうしたと反論する。

「前は前だろっ!? 心変わりするなんていくらでもある事じゃないか! 俺はそのせいで何度も裏切られて、こんな目に遭ってきたんだ! それとも浩之、お前は藤林が殺し合いに乗った奴に見えるのか!?」
「それは……そうだが……」
「俺だって殺し合いはしたくない。だからアンタ、今回は見逃してやる。さっさとどっかに行けよ。俺だけは、アンタが信用できないからな」

 再び、祐一は銃口を柳川に向ける。今まで朝霧麻亜子や向坂雄二など、幾度となく裏切りの様子を目の当たりにしていたことと、これ以上仲間を犠牲にしたくないと思いつめていた祐一は、気が昂ぶっていた。メンバーの中でまともに戦えるのが祐一だけだというのも、それに拍車をかけていた。だが……

「断る。藤林椋、貴様を放置しておいては災いの種になる。悪いことは言わない、後悔したくなければどいていろ。邪魔をするというのなら……貴様らも殺す」

594Trust:2008/05/05(月) 17:18:56 ID:rjytJX2E0
 ゆっくりと、柳川はそう告げる。その目は脅しなどではなく、本気だった。
 それがかえって、浩之とみさき(みさきは雰囲気で感じ取っていた)の疑心を刺激する。
 少なくとも、あの時の柳川ならこんな言葉は言わなかっただろうからだ。
 柳川から見れば数少ない理解者であった佐祐理を殺害し、卑怯な手口で殺害して回る椋をここで逃がすわけにはいかない。退けないのは当然の心理である。
 本人は気付いていないが、それほどまでに佐祐理は柳川の心の大部分を占めていたのだ。それを切実に訴えれば、あるいは祐一の心を動かせたかもしれない。
 しかし、不幸なことに、柳川はそのような会話が苦手であった。だからこそ、今まで佐祐理がフォローしていたのは大きかった。
 それを説明する術を、今は持たない。
 そしてそんなことを知らぬ浩之やみさきからとってみれば、祐一の言うとおり、心変わりしたとしても納得がいく。今までの放送で『願いを叶える』などという言葉も出ている。あるいはそれを信じてしまったのかもしれない……そんな考えさえ浮かぶほどに。
 急速に、天秤は椋の方向へと傾きつつあった。言葉の選び方、一つで。

「そうはいかない。こっちにだって守りたいものがあるんだよ……お前こそ、後悔したくなければどっか行けよ」
「……そうか、なら、もういい。忠告はしたぞ」

 柳川が身構えるのに合わせて、祐一も身構える。浩之とみさき、観鈴は未だどうするか迷っているようだった。
 それを知っている祐一は、意識を柳川に向けたまま浩之たちに告げる。

「浩之、お前は観鈴達を連れて逃げろ。どうせその様子じゃ戦ってもすぐに倒されそうだしな」
「祐一……おい、その言い方は」
「まだ迷ってんだろ? ……悪いが、どうしても俺はあいつを信じる気にはなれない。だから時間稼ぎだ。安全なところに逃がすまで、俺が時間を稼ぐ」

 迷っていることを言い当てられ、浩之は苦虫を噛み潰したような表情になる。祐一は少し笑みを漏らしながら、続けた。
「少しはカッコつけさせろよ」
 浩之は、もう何も言えなかった。躊躇いがちに頷き、残りのメンバーを誘導する。

「浩之君……」
「逃げるぞ。時間はかけたくない。走れるか、観鈴」
「う、うん。少しなら……でも……」

595Trust:2008/05/05(月) 17:19:17 ID:rjytJX2E0
 祐一の方を気にしている観鈴であったが、割り込める雰囲気でないというのは、観鈴自身が十分に理解していた。
 少し間を置いて、やがて、意を決したように「ううん、大丈夫。藤林さんは、観鈴ちんが守るから!」と意気込んで、その手を取る。
 椋はまだ柳川に怯えているようであったが、それでも、その手をしっかりと握り返す。

「逃がすと思うか」
 逃げ出そうとする雰囲気を察知した柳川が、動き出す前にコルト・ディテクティブスペシャルを構える。
 しかしそれより早く動いていたのは祐一だった。

「こっちの台詞だ!」
 当身を喰らわせ、そのままごろごろと柳川と共に転がる祐一。
 柳川の凶暴な気配が滲み出ていたこと、そして戦闘経験を積んでいたからこそ、出来たことである。
「……! 邪魔をするな!」

 しかし流石は鬼の一族の末裔とも言うべき柳川である。圧し掛かられていたにも関わらず、体のバネ一つで祐一を押し戻す。
 押し戻された祐一は転がりつつ、素早く体勢を立て直す。横目で、浩之達が無事に逃げて行くのを確認しながら。
 幸いにして、既に拳銃では届きそうもない距離まで、逃げ切っているようだった。
 自分の反射神経もまだまだ捨てたものじゃないな、と祐一は心中で笑う。
 この場に残されたのは、柳川と祐一の二人のみ。二人の手には、それぞれ一丁の拳銃。
 距離は約4メートル程。撃つも殴るも、微妙な距離である。まさに一瞬の判断が命取りになりそうであった。

「貴様……これが最後だ。ここを通せ。これだけ言っても分からないか」
「やなこった。力づくで通ってみろよ」
「ならば、押し通るまでだ!」

 踏み込んだのは柳川だった。格闘戦に持ち込もうというのだろう。その瞬発力、そして二の腕から繰り出される速さと重さを併せ持つ拳が祐一に迫る。
 祐一はワルサーP5を持ち上げることも、殴りかかることもしなかった。
 大きくバックステップしながら、器用に空中でデイパックを開き、もう一つの武器を取り出し、持つ。

「うらぁっ!」
「む!」

596Trust:2008/05/05(月) 17:19:45 ID:rjytJX2E0
 それは包丁だった。踏み込んだ直後の柳川に向けて斬り付けるが、軽々と躱した柳川は舌打ちをしながら自らも出刃包丁を取り出す。
 すぐに追撃を仕掛けてくるだろうと踏んでの行動だったが、果たしてそれは正しかった。続けざまに伸ばされる包丁を、柳川が弾いて止める。

「甘い」
「……っ!?」

 攻撃の方向を逸らされたかと思った瞬間、繰り出された蹴りが祐一の横腹を裂く。
 横倒しになると同時に、柳川がディテクティブスペシャルを構える。しかし祐一とて何もしないわけではなかった。
 撃たれるのを覚悟で、祐一も倒れたままワルサーP5を向ける。今更回避行動をとっても遅いという判断だった。
 もっとも、半ば仲間の為に死んでも戦うという思いがあったというのもあるのだが。
 だが、この時は運命の女神が悪戯でもしたのだろうか。ワルサーを向けられたことに少し動揺し、僅かながらに逸れた柳川の銃口が、そして遮二無二向けた祐一の銃口は――

「うお!?」
「ぐっ……!」

 それぞれのもう一つの得物、即ちお互いの包丁の刃を貫き、見事にそれぞれの刀身を粉砕していた。
 驚きながらも、祐一は銃弾に当たらなかったということを認識し、距離を取るように立ち上がる。
 それと同時、祐一の倒れていた場所に銃弾が突き刺さっていた。冷や汗を感じつつ、祐一も下がりながら発砲する。
 こちらも軽々と躱されたが、動きを止めるには十分であった。
 さらに一発発砲して、木々の間へと隠れる。

「クソッ、残り何発だ……?」

 一々マガジンを取り出して確認している暇はない。が、多く見積もって1、2発というところだろう。以前の戦闘でも何発か発砲していたのだから。
 柳川も無駄撃ちを避けているのか、これ以上の発砲をしようとしない。
 暫くの膠着。それは時間にすれば十秒と満たない間だった。
 残り少ない弾薬で導き出す勝利の策。それを考え出した祐一が、飛び出る。
 だが、それを待っていたかのように、柳川の銃口が祐一にロック・オンされる。

597Trust:2008/05/05(月) 17:20:14 ID:rjytJX2E0
「迂闊だ!」
「そうかよ!」

 ロック・オンされたと同時。絶妙のタイミングで、祐一は柳川の真正面に向かって、着ていた制服を、視界を遮るように投げ入れる。
 これが祐一の作戦だった。
 視界を遮られ、何も見えなくては照準を定めることなど出来はしない。頭は狙いを変えようと、体の動きを変えろと命令を下すはず。
 しかし人間の体はそう都合よく出来てはいない。続けざまに命令を与えられ、混乱した体は僅かな間であろうとも、動きを止めるだろう。
 そこを、俺の銃弾が仕留める――!
 ……そのはずだった。

 真横に飛んで、硬直した『はず』の柳川がいる場所。そこでは、
「だから、迂闊だと言った」
 まるで何事も無かったかのように、柳川の銃口が、祐一に向けられていたのだ。

 何故だ、と呆気に取られると同時に、どん、どん、どん、と、音と同時に、祐一の体が小刻みに揺れた。
 手から、するりとワルサーが抜け落ちる。
 ああ、駄目だ。手放しては駄目だ。
 あれが無ければ、俺は、皆を、守れない――
 完全にワルサーが祐一の手から離れ、それに連動するかのように、彼の意識は、途絶えた。

「……所詮、お前では『鬼』は殺せない。いや、殺すつもりもなかったかもしれんがな」
 目を見開いたまま赤い水溜りを広げていく祐一を見下しながら、柳川はそう言った。
 所詮は素人の考えだ。
 何度か運に助けられたからといって、それで勝てると思い込む。
 殺し合いで運を信用してはならないのに。
 結局は、場数を踏み、より実戦慣れしている俺が勝った。
 ――つまらないな。

 ふぅ、と一つ息をつき、戦利品のワルサーP5を拾い上げたとき、一つ、声が登場した。

598Trust:2008/05/05(月) 17:20:35 ID:rjytJX2E0
「やはり、貴方はそういう人だったんですね、柳川裕也さん」
「宮沢……か?」

 振り返った先で、気味の悪い、蔑んだような笑顔を浮かべながら立っていたのは、宮沢有紀寧だった。
 わずかに不快感と、その言葉の意味を尋ねて、柳川が喋る。

「どういう事だ」
「分かりませんか?」

 相変わらず嘲笑するような笑みの有紀寧に眉を顰めて柳川が返事を返す。
 すると有紀寧は、やれやれ、と物分りの悪い子供に言うように肩をすくめる。

「ですから、貴方はやはり殺人を楽しむような、そんな人間だったという事です」
「何だと」
「違いますか?」
 今までとは明らかに違う有紀寧の雰囲気に敵意を持ち始めながらも、柳川は殺人鬼と形容する有紀寧の言葉を否定しようとする。

 だが有紀寧は何を今更、と言わんばかりの表情で、
「わたしはずっとあの様子を眺めていましたが……あれは明らかに暴力に訴えていたじゃないですか。何故話し合いをしようと思わなかったんです?」
「話し合いも何もない。奴は殺し合いには乗っていないと嘘を吐き、卑怯にも倉田を殺した、そんな奴だ。生かす理由が無い」
「では、藤林椋、という人とやらが本当にその倉田さんを殺した証拠でもあるんですか? ここに来るまでにその話を聞いてましたが、貴方の話を聞いている限り、戻ってきたときには殺されていた、それだけでしょう? 本当に彼女が殺したかどうかなんて、分からないじゃないですか」
「だがそれなら俺がいくら探しても出てこなかったのは何故だ。奴が殺し合いに乗っていることの証拠だ」
「そうでしょうか? 襲いかかる真犯人から逃げるために、そうせざるを得なくなったのかもしれないかもしれません。確かな証拠がない以上、柳川さんの言っていることは憶測なんですよ」
「……何が言いたい」

 回りくどい言い方に痺れを切らした柳川は、トーンを上げながら真意を尋ねる。
 せっかちですね、と全く調子を変えぬまま、有紀寧は続ける。

599Trust:2008/05/05(月) 17:21:07 ID:rjytJX2E0
「つまり、貴方は倉田佐祐理さんの死を免罪符にして、殺し合いを楽しんでいる。別に犯人が誰かなんて関係ないんです。ただ殺し合いを正当化する理由を求めていただけなんですよ」
「ふざけるなっ! そんな事が」
「違うとでも? では何故そこの男の子を殺したんですか」
「何を……藤林椋を追いかけるのを、妨害したからに決まっている」

「だからといって、殺す必要性はありましたか?
 見たところ実力差ははっきりしているようでしたし、戦闘不能に持ち込むくらいは容易いはずでした。
 なのに貴方は無常にも殺した。それも銃弾を三発も撃って。そして極めつけは、『つまらないな』ですか。
 そもそも、本当に藤林椋さんを殺したいだけならさっさと戦闘を切り上げて追いかければよかったんです。
 なのに貴方は戦闘に拘った。本当に、ええ、本当に楽しそうな表情でしたよ、殺し合いを楽しむ貴方の顔は」

 殺し合いを楽しむ、そう言った有紀寧の顔には見下すような色が篭められている。
 有紀寧は決して糾弾しているわけではない。
 ただ、殺し合いに抗うと言った人間が殺し合いを楽しんでいる、その姿が浅ましいように見えたのだ。
 ――もっとも、目的は別にあったが。
 一方、まったくの正論に、柳川は言葉を返せない。確かに、方法論としてはそうするべきだった。だが、それでも、まだ否定しなければならない部分がある。

「……お前の言う事も一理ある。だが、俺は殺し合いを楽しんでなどいない! それは事実だ!」
「は、まだ言いますか? まったく、貴方の偽善者ぶりには呆れます」

 侮蔑したように言う有紀寧だが、「どうしてそんな倫理にこだわっているのですか?」と、まるでうってかわったように優しい口調に変わる。
「貴方は殺人に快楽を求める人間なんですよ。とどめを刺したときの貴方の顔を見ていれば分かります。
 ですが、それがどうしたんですか? 楽しめばいいじゃないですか。
 ここは殺戮が許される場所……いくら人を殺したって、裁かれることはないんです。
 本能のままに身を任せ、存分に殺しあえばいいんですよ。本当は、他人なんてどうでもいいんでしょう?
 まあ、家族くらいは別でしょうが……人を殺す理由が欲しいんですよね?」

600Trust:2008/05/05(月) 17:21:28 ID:rjytJX2E0
 ゆっくりと柳川に向かって歩きながら、全てを受け入れるかのような有紀寧の言葉に、今度は否定の言葉を返すことができなかった。
 そう、ここに来るまで、柳川は日々苛む殺人の衝動に耐え、それでも耐え切れずに何人もの人間を殺害している。
 しかしそれは鬼の本能のせいだ。ここに来て以来、殺人を自発的にしようとは、思わなくなっているではないか。
 これが本来の柳川だ。そんな、血を好むような、悪しき人間であるはずなどが、ない。

「――違う!」

 だから、理由などなくてもいい。柳川は、否定し続けることを選んだ。
 自分は、決して殺人鬼――いや、快楽殺人鬼などではないと。
「俺は、そんな人間ではない! 誰が、何と言おうと……! だから、俺は、貴様を否定する……!」

 ワルサーP5を、有紀寧へと向ける。ディテクティブスペシャルは既に弾切れだった。
 何発入っているかは分からないが、目の前に立ちはだかり、誘惑したこの悪魔を斃すには十分だろう。
 ご丁寧に近づいてきてくれたお陰で、この近距離だ。避けられるわけがない。
 けれども、有紀寧は焦るどころか、苦笑いを浮かべ、余裕綽々という風に首を振った。

「全く、偽善者というものは度し難いですね……でも、貴方にわたしは殺せませんよ?」
「は、貴様は死なないとでも言うのか」
「まあ、違いますけど。正確には、貴方の家族が死んでしまう、ですかね」
「……何?」
「見てください」

 そう言うなり、有紀寧がポケットから粉末のようなものを取り出す。
 それを軽薄に、さらさらと揺らしながら、有紀寧は言う。

「これは遅効性の毒……支給品な訳ですが、ということは当然、解毒剤もある訳ですよね? さて、毒は誰に使ったと思います?」
「……! 貴様、初音に――」
「ええ、まあ。貴方が走り出した直後くらいにですが。もって24時間というところでしょうか。勘のいい貴方なら、もうわたしの言いたいことは分かりますよね?」
「……」
「解毒剤はわたしにしか分からないところに隠しました。つまり、わたしの命は初音さんの命という事です。この場でわたしを殺しても構いませんが、大切な家族の初音さんを見殺しにはできないですよね? ああ、それとも『偽善者』なんですからやはりわたしを殺しますか? いえ、『殺人鬼』でしょうか?」
「……何人だ」
「ふふ、物分かりがいいですね。取り敢えず貴方はとても強そうですから、5人程お願いしますね。ああ、それと――」

601Trust:2008/05/05(月) 17:21:52 ID:rjytJX2E0
 カチッ、と音が鳴った。続いて、柳川の首輪が赤く点滅を始める。
 何事かと有紀寧を睨み付ける柳川に、ひらひらとリモコンを取り出しながら有紀寧は告げる。

「今、24時間後に首輪爆弾を作動させるリモコンのスイッチを押しました。当然解除方法はわたししか知りません。下手なこと、しようなんて思わないでくださいね?」
 ギリッ、と歯噛みし、己の不覚を恥じながら、柳川は一つ尋ねる。

「……ということは、当然これは――」
「ええ、初音さんにも作動させてあります。解毒剤だけ見つけても無駄だということですよ。分かりましたか?」
「貴様……」
「殺したいですか? そうでしょうとも、殺人鬼なんですから、貴方は。さ、早く行った方がいいですよ。時間は、待ってくれませんからね」

 己の絶対優位を確信した有紀寧が、暢気に空を見つめる。
 まったく、柳川裕也も甘い人間だ。
 本当は毒なんて嘘で、首輪爆弾も実際には初音には起動していないというのに。
 それこそ確証のないことを信じる柳川という人間は、やはり救えない、と有紀寧は思っていた。
 柳川は血がでそうなくらいに拳を握り締めながら、聞く。

「く……一つ、最後に一つ、聞きたい。貴様……殺し合いに、乗っているんだな?」
 すると有紀寧は、何を当たり前のことを、と言って、続ける。
「ええ、そうですが? これで乗っていなければそれこそジョークです」
「……だろうな。何故、乗った」

 答えるのも面倒臭そうな様子で、有紀寧は返答する。
「決まってますよ。……死にたくないからです」
 その一言で、柳川は言うか言わまいか決めかねていた言葉を、発する。
「なら、決まりだ。貴様は……必ず、殺す」
「……楽しみにしていますよ、柳川さん」
 背を向ける柳川に向ける有紀寧の視線は、また蔑むようなそれへと戻っていた。

602Trust:2008/05/05(月) 17:22:20 ID:rjytJX2E0
     *     *     *

「もう、ここまで来れば……!」
 祐一と柳川のいる場所から少し離れた、民家の影。大きく息をついている三人を見ながら、浩之はそう言った。
 背後には、柳川の気配はない。ということは、祐一の足止めは成功しているということだ。それは彼が未だに戦い続けているということでもあったが。
「……」

 それも理解している以上、このまま突っ立っているわけにはいかない。デイパックから武器になりそうなものを取り出し、元いた方向へ一歩を踏み出そうとした浩之の裾を、みさきの手が掴む。
「浩之君……」
 不安に震える、みさきの腕。あまりに切実な感情。だが、それでも、浩之は優しくみさきの手を解かねばならなかった。
「みさき。俺は、祐一の助けに行かなきゃいけない。あいつを助けてやれるのは、俺だけなんだ」
「……悔しいよ」
 違う。みさきの手は、不安で震えてなどいなかった。

「目が、見えてれば、良かったのに」
「……」
「みさきさん……」

 観鈴と椋が、複雑な表情を浮かべる。その心中は、察するにあまりあるものだった。
「我侭だよね。……ごめんなさい、浩之君」
「……みさきにだって、守れるものはあるさ。安心だ。みさきがいるだけで、俺は安心できる。だから、待っててくれよ、笑顔で戻ってこれるようにさ」
 肩を叩きながら、浩之は笑う。その雰囲気を感じ取ったのか、みさきも笑った。

「行って来る。観鈴、二人を頼むぜ」
「う、うんっ。観鈴ちん、ふぁいとっ」
「頑張ってね、浩之君」
「……おう!」

603Trust:2008/05/05(月) 17:22:38 ID:rjytJX2E0
 最後に、かけられたその声に、力を貰ったように、浩之は駆け出し、あっという間にその背中は小さくなっていった。
 二人が、その背をいつまでも見つめている間に、もぞもぞと動く人間が、一人だけいた。

「浩之君、大丈夫、だよね?」
「大丈夫だよ。うん、心配しなくても浩之くんは大丈夫。強いし、丈夫そう。にはは」
 観鈴の笑い声に釣られるようにして、みさきも笑う。

「みさきさん、やっぱり笑ってた方が可愛いよ。その方が、浩之くんも喜んでくれるよ」
「……? どうして、浩之君の名前が出てくるの?」
「えっ? だってみさきさん、浩之くんの彼女さんじゃないの?」
「え……そ、それって……ち、違うよ〜、私と浩之君は、別に……」

 顔を真っ赤にして、俯くみさきだが、遠慮を知らぬ観鈴は追い討ちをかける。
「違うの? でも、好きなんだよね、みさきさん」
「それは、えーと、その……」

 ごにょごにょとどもるみさき。観鈴は返事を待っているのか、何も尋ねてこない。
 しばらく悩んで、同性の観鈴になら、と意を決したみさきが、顔を上げる。
「……うん、その、好き……だけど」
 ……が、観鈴から返事はない。いつまで待っても、返事はない。
「あの、観鈴ちゃ――」

 ガツン、と、何かで強烈に頭を叩かれる。そんな感覚がして、平衡感覚を失ったみさきが倒れる。
 同時に、べちゃ、という何か生ぬるい液体に触れた感覚が伝わった。
 何だろう、この生ぬるい液体は。

「……やっぱり、これくらいじゃまだ死なないんですね」

604Trust:2008/05/05(月) 17:23:08 ID:rjytJX2E0
 そんな風に考えるみさきの頭上から、ひどく冷たい声が降りかかった。
「椋、ちゃん?」
「うん、やっぱりあなた達、邪魔です。死んでください」

 理解できなかった。この声は、確かに藤林椋のそれだ。
 殺し合いなどとても望んでいるとは思えない、椋の声そのものだ。なのに、何故、あんなことを言っているのか。
 混乱するみさきに、更に声がかかる。

「ですけど、せめて楽に殺してあげます。観鈴さんのようにすぐに楽になりますから、安心してください」
「――え? 観鈴ちゃんが、あなたに」

 それがみさきの言いえた、最後の『まともな』言葉だった。
 腕にチクリとしたものが走ったかと思った瞬間、猛烈な吐き気――いや、苦しみがみさきを襲う。
「あ、あ、あああ、か……!」

 声にならない声を上げながら、血溜まりの中をのたうち、みさきは苦しむ。
 命が吸い取られていく感覚の中で、彼女は彼女のもっとも大切な存在へと、手を伸ばす。
 浩之君、浩之君、浩之君! 助けて、苦しい、苦しい、苦しいよ……!
 ひろゆきくん、たすけ……

「――」

 思いすら、最後まで言い切れないままに――川名みさき。神尾観鈴は、裏切った藤林椋の前で、無残に死んだ。
「……ふぅ。一時は、どうなることかと思いましたけど」
 みさきが完全に死ぬのを確認した椋は、額についた汗を拭いながら己の幸運を噛みしめる。

 演技が功を奏したらしく、この連中は椋の言葉を信じてくれた。
 お陰で、柳川から逃げることができたし、また二人も殺せた。
 それに柳川は強敵だ。相沢祐一はともかく、藤田浩之も無事では済まないだろう。いやこのまま死んでくれるのが望ましい。
 ともかく、ここからは離れよう。
 デイパックから使えそうなものを奪取し、観鈴殺害に使った包丁を引き抜こうとする。

605Trust:2008/05/05(月) 17:23:25 ID:rjytJX2E0
「ん〜……!」

 が、体に深々と突き刺さり、心臓まで貫いている包丁を抜くことは出来なかった。伝説の勇者でもないと無理だろう。ああ一般人は切ないです。
「まあ、いいです。包丁くらい」
 それよりも一番の収穫は参加者の人数が分かるという道具。
 結局どれかははっきりしなかったが、このフラッシュメモリが怪しい。
 パソコンに繋げば、結果は分かる。
 楽しみで仕方なかった。早く、早く姉の居場所を知りたい。
 荷物を仕舞った椋は、ふんふんと鼻歌を鳴らしながら、その場を後にした。

     *     *     *

「……クソッ、一歩、遅かったってのかよ」

 立ち尽くす浩之の前には、相沢祐一だった男の遺体が転がっている。
 無念を押さえきれぬかのように、目が見開かれている。
 既に、この場には誰の姿もなかった。あの男は、今も椋を探して走り回っているのだろうか。
 戻らなければならないと思いつつ、それでも祐一をそのままにしておくことができずに、浩之は祐一の体を整えなおし、目を閉じてやった。
 敵を、とってやると心に誓って。

「祐一、やっぱ、俺は間違っていたのか……?」

 そう呟く浩之の耳に、ひどく不快な雑音が響いてきた。
 それは、放送――
 新たな絶望の火を灯す、悪夢の時間だった。

606Trust:2008/05/05(月) 17:23:48 ID:rjytJX2E0
【時間:二日目18:00】
【場所:I-6】
【当面の目的:聖を連れ帰る】

藤田浩之
【所持品:珊瑚メモ、包丁、殺虫剤、火炎瓶】
【状態:呆然。守る覚悟。腹部に数度に渡る重大な打撲(手当て済み)】

相沢祐一
【持ち物:支給品一式】
【状態:死亡】


【時間:二日目18:00前】
【場所:I-6、南部】

藤林椋
【持ち物:ベネリM3(7/7)、100円ライター、包丁、参加者の写真つきデータファイル(内容は名前と顔写真のみ)、フラッシュメモリ(パスワード解除)、支給品一式(食料と水三日分。佐祐理のものを足した)、救急箱、二連式デリンジャー(残弾2発)、吹き矢セット(青×5:麻酔薬、赤×1:即効性の猛毒、黄×3:効能不明)】
【状態:マーダー。上機嫌。左腕を怪我(治療済み)、姉を探しつつパーティに紛れ込み隙を見て攻撃する】

川名みさき
【所持品:包丁、ぼこぼこのフライパン、支給品一式、その他缶詰など】
【状態:死亡】

神尾観鈴
【持ち物:なし】
【状態:死亡】

607Trust:2008/05/05(月) 17:24:19 ID:rjytJX2E0

【時間:二日目18:00前】
【場所:I-7、北西部】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(4/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:柳川おじさんに少しなついた。目標は姉、耕一を探すこと】

柳川祐也
【所持品:ワルサーP5(3/8)、コルト・ディテクティブスペシャル(0/6)、支給品一式×2】
【状態:左肩と脇腹の治療は完了、ほぼ回復。椋を見つけ出して殺害する。他の参加者を五名殺害する】
【備考:初音が遅効性の毒にかかっていることと首輪爆弾のカウントに入っていることを信じている(実際は嘘)】
【備考2:柳川の首輪爆弾のカウントは残り24時間】

【その他:有紀寧のコルトパイソンは初音には存在を知らせてない。スイッチも同様】

→B-10

608アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:24:22 ID:MN3neXwE0
 
葉鍵ロワイアル3/ルートD-5
BLサイド・終章「アイニミチル」




******

609アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:24:38 ID:MN3neXwE0




 ―――違うよ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。




******

610アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:25:10 ID:MN3neXwE0


「……ここも、久しぶりですね」

地の底まで続くかのような、長く薄暗い洞窟の中に、静かな声が反響する。
点在する灯火の揺らめきに照らされるその瞳は少女らしき容貌に似合わず、
朝霧に煙る湖面の如き妖しい静謐を湛えていた。
背後には、ぼんやりと淡い光を放つ巨大な何かが二つ、存在している。
まるで従者の如く少女の歩に合わせて動くそれは、色硝子によって作られた十字架のようであった。
十字架とは元来、聖の象徴ではない。冷厳たる磔の道具である。
内部から淡い真紅の光を放つその十字架にもまた、磔刑に処されたかのような影が、あった。
ぐったりと俯いたまま動かない姿は十字架と同じ、二つ。
淡い光に浮かんだシルエットは、どちらも女のようであった。

「―――貴女がいつ、ここに足を踏み入れたというのですか、パーフェクト・リバ」

かつ、と革靴の岩肌を食む音と共に声がした。
薄闇の向こうから現れた姿は、やはり少女。
たっぷりとした長い髪を二つに編みこんで肩から垂らしている。
しかし儚げな雰囲気を漂わせるその小さな体に、不釣合いといえるものがあった。
声と、瞳である。
触れれば斬れそうな鋭さと、底知れぬ冷たさを秘めた声。
瞳はといえば、夜の森の深奥に咆哮を上げる獣のそれと同じ色の光が浮かんでいる。
場にそぐわぬ分厚い本を手にしたその姿を認めて、赤光の十字架を連れた少女が足を止めた。

「先回り、ですか。ご苦労なことですね、里村さん」

皮肉めいた言葉と共に僅かに会釈するが、名を呼ばれた編み髪の少女、里村茜は
ただ厳しい視線を向けるのみで、挨拶を返そうともしない。
無表情に近い顔の中、瞳にだけ怒気を浮かべて口を開いた。

611アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:25:56 ID:MN3neXwE0
「贄を返してもらいましょうか、パーフェクト・リバ」
「私には天野美汐という名があるのですけれど」

十字架の少女、美汐が苦笑気味に呟く。
委細構わず、といった風情で茜が一歩を踏み出した。

「貴女は私たちに与することを拒んだ。……ならば、その贄を連れまわすことも、
 この場に足を踏み入れることも赦しません。贄を引渡し、早々に立ち去りなさい」
「それも、『黙示録』の定めた事象ですか?」
「……!」

微かな笑みを浮かべて漏らされた美汐の呟きに、茜の顔色が変わる。
瞳の奥に蠢く獣が、牙を剥いて唸るかのような視線。
美汐の視線は茜の手にした分厚い本に向けられていた。

「……貴女にその名を呼ぶ資格はありません、パーフェクト・リバ」
「それを棄てた女の言葉には腹が立ちますか、やはり」

薄笑いを浮かべた美汐の言葉が、空気を一段と刺々しいものにしていく。
いつの間にか、茜の持つ本が淡い光を帯びている。
それは美汐の連れた十字架の放つものと同じ系統の、赤い光であった。
明るく澄んだ十字架のそれと比べ、茜の本から漏れ出すそれは暗く澱み、酸化した血液を想起させる。
流れ出た血の色の光をその手に纏わせて、茜がさらに一歩を踏み出す。

「素直に引き渡さないというのであれば、あまり望ましくない手段を採らざるを得ません」

言いながら歩を詰めるその眼は、既に害意に満ちている。
本から漏れ出す光が次第に強くなっていく。

「……『黙示録』はあなたの勝利を告げているのですか」
「黙りなさい」
「言葉を変えましょう。……その『黙示録』とやらに、私の名は刻まれていますか」
「黙りなさい、と言っているのです」

612アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:26:13 ID:MN3neXwE0
刃の如き言葉と同時、茜の手から光が伸びた。
垂れ落ちる血のような光が、まるで粘性の体を持つ生物であるかのようにのたくりながら美汐へと迫ったのである。
光は瞬く間に美汐の腕に絡みつく。

「……赤の力で私が止められると、そう思っているのですか」

自由を奪われた腕を、しかし表情を変えずに煙るような瞳で見やりながら、美汐がつまらなそうに告げた。
対する茜は美汐の言葉に、不敵な笑みを返してみせる。

「ええ、一時しのぎにしかならないでしょうね」
「なら―――」
「一時しのぎにはなる、と言ったのですよ、私は」

言うが早いか、茜の手から新たな光が伸び、形を成していく。
新たな光は美汐の腕を捕らえた粘性のそれとは違い、硬質な印象を与える。
伸びていく光が、人の二の腕ほどの長さでその伸長を止める。
赤光で作られたそれはまるで刃―――短刀のようであった。
一瞬の内に、茜の手には赤光の短刀が握られていた。

「また、器用な真似を」

苦笑する美汐に、ぎらりと光る刃が向けられる。
表情一つ変えぬその顔に突き込まれるかと見えた刃は、だが美汐ではなく、狭い洞窟の天井を指し、止まる。

「貴女にも―――贄となっていただきましょう」

刃を天へと翳した茜が、それを振り下ろす。
何もない中空を斬った刃が、光の粒となって消える。
奇妙な行動の成果は、奇怪となって表れた。
赤光の刃が通った軌跡、その空間が、黒く染まっていたのである。
否、空間が黒に染まったのではない。空間に、黒が染み出していた。
美汐の十字架の放つ淡い光も、点在する灯火も、茜の手にした本から漏れる赤光も、黒を照らすことはない。
光という概念を否定するかのような、それは厳然たる黒であった。

613アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:26:39 ID:MN3neXwE0
一瞬の間を置いて、黒の中に色が現れた。
蠢く、桃色。
人の皮膚を裂き、真皮を剥ぎ取った向こうに見えるような、脈動する肉の色であった。
うぞうぞと蠢く肉色が、黒を侵食するように増えていく。
清廉な黒を腫瘍が侵していくような、そんな醜悪な光景。
肉色に隠されて、次第に黒が見えなくなっていく。

ぞる、と怖気の立つような音を引きずりながら実体を持った肉色の塊がその頭を覗かせたのは、
黒が覆い尽くされて間もなくのことだった。
茜の赤光が斬ったその空間から、肉色の不気味な塊がぞるぞると這い出してくる。
絶え間なく涎を啜るような音を立てながら次々と現れたそれは、巨大な蚯蚓か、蛞蝓を連想させる。
人の腕ほどもある太さの胴は長く、そのところどころに醜い凹凸を持つ、眼も口もない蚯蚓。
全身を得体の知れない粘液でぬらぬらと照り光らせ蠢くそれは、まさしく悪夢の産物であった。

「パーフェクト・リバ……極上の餌に、この子たちも喜んでいるようです」
「……」

肉色の蚯蚓が、ぞろりと舌なめずりをするように動いた。
見やる美汐の目に恐怖の色はない。
ただどこか光を照り返さぬようなところのある瞳が無表情に、蠢く蚯蚓の群れを眺めていた。

「贄……ですか。これまで一体、幾人を捧げてきたのでしょうね」
「知ってどうします? これから蟲に犯され、呑まれる方が」
「こんなものを喚び出して、贄を捧げていれば……次第に境界が歪んでいくというのに」
「……」
「このこと……あの方はご存知なのですか?」
「答えるつもりはありません」

淡々と交わされる言葉の端々に、棘が覗く。
棘にはたっぷりと毒が塗りつけてある。
人の肉ではなくその内側を傷つけ、やがては死にまでも至らしめる、それは悪意という猛毒であった。

「……そう、ですか」
「ええ。さようなら、パーフェクト・リバ」

言葉を合図に、茜の足元に蠢いていた蚯蚓が、その鎌首をもたげた。
半透明の粘液が、どろりと糸を引いて地面を汚す。
ぞるぞるとのたくる眼球もないそれらが一体どのような器官をもってか、一斉に美汐の方を向き―――

「……あなたは少し、ご自身でも痛い目を見られた方が宜しいでしょう」

―――その動きを、止めた。

614アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:27:05 ID:MN3neXwE0
「……っ!?」

茜が眼を見張る。
一瞬の間を置いて、蚯蚓の群れがその動きを取り戻していた。
茜が、一歩を退いた。
蚯蚓の群れは、そのどろどろと粘液を排泄する頭を、一斉に茜の方へと向けていたのである。

「……!」

さらに一歩を退いた茜の革靴の踵が、何かに触れる。
ぶよぶよとした感触。
思わず振り向いた、その眼前。
息のかかりそうな間近に、蚯蚓の肉色があった。
悲鳴にも似た吐息が漏れるよりも早く、茜の手首に濡れた感触が走る。
白く細い手に、醜い肉の蚯蚓が、まとわりついていた。
どろりとした粘液が茜の掌に垂れる。

「……っ!」
「―――怖ろしければ叫んでも構わないのですよ、哀れな贄のように」

必死に悲鳴を押し殺したような茜の吐息に、美汐が微かに笑う。
いつの間に解いたものか、その腕を拘束していたはずの赤い光は既に影も形もない。

「これ、は……どういう、ことですか……、パーフェクト・リバ……!」

睨むような視線にも、美汐は意に介した風もなくそっと肩をすくめてみせる。
その仕草にあわせたように、新たな蚯蚓が茜の身体へと迫っていく。
べたりとした粘着質の柔らかいものが、茜の肉付きの悪い脛に巻きついた。
圧迫されたふくらはぎがその形を歪める。
寄せられた肉がぷっくりと膨らむところに、嫌な臭いのする粘液が塗りたくられた。
嫌悪感に表情を強張らせる茜を面白そうに眺める美汐。

615アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:27:22 ID:MN3neXwE0
「少し、講釈をしましょうか……『先輩』として」
「……くぅっ……!」

茜のハイソックスの内側に、蚯蚓が入り込んだ。
踝を嘗め回されるような、鳥肌の立つ感触。
白い布地の内側から粘液が染みて、その色を変えていく。
既に声など聞こえていないようだった。
構わず言葉を紡ぐ美汐。

「―――GLは憧憬。凛と立つ百合に添う薄暮の茜」

謡うような節回し。
細い美汐の声が、このときばかりは凛々しく張り詰めたものとなっていた。

「あなたの手にしている書の、冒頭に記された言葉です。
 GLの概念を示したものと伝えているはずですね」
「……ぁ……っ!」

まとわりつく蚯蚓を払おうと振り回されていた、茜の空いた方の手が、数匹の蚯蚓によって捕らえられた。
白い二の腕についた柔らかな肉を食むように、蚯蚓が這い回る。
その通った跡に残る粘液が淡い赤光を反射して、てらてらと煌いた。

「ちなみに、BLの使徒が持つ書の冒頭には、こう記されています。
 BLは幻想。麗しき薔薇の咲き誇るを飾る蒼穹の風、と」

両の手を押さえられ、制するもののなくなった茜の身体に、蚯蚓が我先と這い上がっていく。
ベージュのベストの裾が捲り上げられた。

「どうしてそんなことを、とでも言いたげですね。
 何故BLの書に記されていることを知っているのか、と」

茜は美汐の方に視線を向ける余裕もない。
ベストの下に纏った白いシャツのボタンが、ぷつりと弾けて飛んだ。
臙脂色のスカートの上、ほんのりと薄く紅潮した肌が外気に晒される。

616アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:28:01 ID:MN3neXwE0
「驚くにはあたりません。何せGLにせよBLにせよ、二冊の書は私が……、
 いえ、『私たち』が、書き記してきたのですから」

一瞬だけ、茜の視線が美汐を射抜いた。
しかし臍の周りを舐るように這う蚯蚓の感触の前に、すぐに俯いてしまう。

「それにしても『黙示録』とは、随分と大仰な呼ばれ方をしていますね。
 我々の頃はそう……単に『覚書』と呼び習わしていたものですから、
 図鑑、というBL側の呼称の方が余程馴染みます。……話を戻しましょうか」

臍の胡麻を嘗め取るように、執拗に穴の奥まで頭を押し付けていた蚯蚓が、ようやくにして離れる。
息をつく間もなく、そのずるずると粘る感触が茜の胴を這い上がっていく。
荒い呼吸の度に浮かび上がる肋骨の隙間を一本、また一本と堪能するかのように、蚯蚓が群がる。
終わりなく続く怖気の立つ感触に、茜の目尻にはうっすらと涙が浮かんでいるようだった。
そんな茜の様子には委細構う風もなく、美汐は淡々と言葉を続ける。

「各々の書に記されたBLとGLの概念。これは私たちが、恣意的に歪めたものです。
 より正確に伝えるならば……たとえばこんな風に言い表すべきでしょう」
「……っ!」

茜の身体が、弓なりに反った。
臍を嬲っていた蚯蚓どもが、今度は茜の白く細い脇と背筋を責めていた。
くすぐったさと薄気味の悪さ、粘液の冷たさと蚯蚓の肉の生温さ、それらが相まった、
ひどく異様な感覚であった。

「青は認める力。あり得べからざるを肯んずる心に湧く清水。
 赤は拒む力。認め得ぬ来し方、行く末の悉くを灼く想いの焔。
 相克の両儀も根は一つ。即ち―――意に沿わぬ『いま』の変革。
 青は『在る』を認め―――赤は『無き』を拒む、と」

ぷつり、ぷつりとシャツのボタンが飛んでいく。
胸元まで捲り上げられたベストの下、白く簡素な下着が見え隠れしていた。
その間にも、蚯蚓は背筋をそろそろと這い上がる。
脇を責めていた群れは、とうとう腋の下へと到達していた。

617アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:28:34 ID:MN3neXwE0
「―――それが、『私たち』が永い時の果てに見出した答えです。
 分かりますか? ……青も赤も、その根源には性など介在しないのです」

汗ばんだ腋に生えるものはない。
ただぷつぷつと毛穴だけが盛り上がっている。
そこに浮かぶ玉の汗を丁寧に掬い取るように、蚯蚓が触れては離れ、離れては触れる動きを繰り返す。
びくり、びくりと茜の身体が跳ねた。

「BLと呼ばれる青、GLと呼ばれる赤、各々が性の昂ぶりに呼応する力。
 ……そう、確かに力は性を奉ずる時、その威を増す。
 ですがそこに、明確な理由は見出せないのです。
 力の根源に性はなく、我々の使うこの力はただ、想いによって顕現する」

言った美汐の両手には、それぞれ違う色の光が宿っていた。
右には青い光。寄せては返す、南の島の波の色。
左には赤い光。夜闇を照らし、揺らめく炎の色だった。

「表裏を成す絶対具現の力―――無限を繰り返す私たちにすら、掴み得ぬ神秘」

両手を合わせると、光は一瞬だけ紫電を放ち、消えた。
後には何も残らない。

「私は、私たちには……この力で為すべき宿願があるのですよ。
 あなたもまた、そうであるように」

蚯蚓はいまや、茜の全身にまとわりついていた。
簡素な下着の上から、押しつぶすようにして茜の上体を締め上げるものがあった。
執拗に背筋を上下するものがあった。
膝から太腿にかけてを、何度も何度もねぶるものがあった。
編みこまれた豊かな髪を粘液で汚すものがあった。
白く細い指の一本一本に巻きつき、擦るものがあった。

「御機嫌よう、GLの使徒。私の可愛い後輩にして哀れな歴史の道化」

声を上げぬよう歯を食いしばって堪える茜に、最後にそう声をかけると、
美汐は暗い洞窟の奥へと歩き出す。
二つの赤い十字架もまた、滑るようにその後へと続いた。

「……っ!」

伸ばされた茜の手を、蚯蚓が引きずり戻す。
肉色の海の中に、濡れた音だけが響いた。


.

618アイニミチル (1):2008/05/10(土) 15:29:01 ID:MN3neXwE0


 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

里村茜
【持ち物:GL図鑑(B×4、C×無数)】
【状態:GLの使徒、危険】

霧島聖
 【所持品:なし】
 【状態:気絶中、元BLの使徒】

巳間晴香
 【所持品:なし】
 【状態:気絶中、GLの騎士】

→856 912 ルートD-5

619Like a dream:2008/05/10(土) 21:05:36 ID:2rboGYVg0
 ――どうすればいいのだろう。

 そんな考えだけが、川澄舞の思考にあった。

 ――どうして、こうなってしまったのだろう。

 そんな感情だけが、川澄舞の頭で渦巻く。

 悲劇は、防げたはずだった。
 武器を収め、きちんと話し合えば、犠牲者は最悪でも一人……吉岡チエだけに留めることができたはずだ。

「……私が、喋るのが苦手だったから……」

 もっと上手い言葉で説得できていれば。
 もっと穏やかな言葉で話し合っていれば。
 もしも、あの時、ああできれば。そんな後悔だけで、時間は経過していく。

「……佐祐理……私は、どうすればいいの」

 自分の最もよき理解者であった、倉田佐祐理に向けて、助言を求める。しかし返事はなく、空虚に言葉は吸い込まれていくばかりで。
 返ってくるのは、沈黙と言う名の罵倒。生き残ったほうが罪だ。そうとでもいうような。
 そう感じるのも、無理からぬことだった。たった一人の舞に、言葉を投げかけてくれる者はいない。
 加えて、元来舞は自己犠牲の精神が強い人間でもある。
 自殺すら、舞の脳裏には選択肢として存在していたくらいだ。
 それをどうにか押し留めているのは、未だ出会えぬ親友の佐祐理の存在があるからこそであった。
 その細すぎる一本の線だけを頼りに、舞はぶら下がっていた。

620Like a dream:2008/05/10(土) 21:06:04 ID:2rboGYVg0
「……」

 少し、顔を上げれば、そこには涙の跡を残しながら、無念の表情で散っていった河野貴明の姿がある。
 その近くには、自らの死さえ理解できずに死んだ久寿川ささらが。
 隣では、憎しみに顔を歪めた長岡志保が。
 その少し先に、へらへらと奇妙な笑いを浮かべている、住井護が。
 そして、ここからでは見えないが、ぐちゃぐちゃになった頭で、恐怖の表情を浮かべたままの、観月マナの遺体があるのだろう。

 それは、いずれも生を渇望してやまなかった人間の姿である。
 濃密な死の匂いと一緒に、その思いが今も伝わってくる。
 どう応えればいいのだろう。彼らの思いは、どこで報われるのだろうか。
 知っているのは、舞ただ一人だった。

「知らせ、ないと」

 彼ら、或いは彼女らの友人に、知り合いに、知らせなくてはならない。
 そして、贖罪をせねばならない。
 罪人は、罰を受けるべきなのだ。
 うわ言のように、その言葉を発しながら、舞は貴明の遺体を外へと運ぶ。

 一人ずつ、埋葬する。
 それが生き残ってしまった者の勤めだと、舞はそう考えたのだ。
 鎖につながれた囚人のような、鈍すぎる足取りで、まずは貴明を外に出す。
 白い腕が、赤の化粧でみるみるうちに染まっていく。
 彼女が着ている赤を基調とした制服と合わせて、言わば紅の喪服。
 それは図らずも、彼女の沈痛な気持ちをよく表していた。

 貴明を地面に寝かせたところで、舞は道具が足りない事に気付く。
 地面を掘り返す道具がなかったのだ。
 ふらふらと立ち上がると、幽鬼のような面持ちでスコップ、或いはそれに準じる物を探す。
 物置。家の中。棚。押入れ――しかし、何故だろうか、地面を掘るのに適した道具は一つも見つからなかった。
 そこで、舞が選んだ方法とは――

621Like a dream:2008/05/10(土) 21:06:33 ID:2rboGYVg0
     *     *     *

 どこか遠くで、小さな音が聞こえる。
 銃声だろうか、断続的に聞こえてきて、しかし大まかな場所すら特定できず、国崎往人は眉を顰めるしかなかった。
 平瀬村に入ったはいいものの、日も暮れかけている上に天候も芳しくない。その上早速死体を二つほど見つけたところだ。
 男と、女が一人。笹森花梨が言っていた北川潤と、広瀬真希という人物の特長には一致する。
 だとすると、その片割れの一人である遠野美凪の安否が気にかかるところではあるが……考えて、往人は美凪が殺し合いに乗っている可能性は、と思考を切り替える。

「……まさかな」

 あの超絶天然ボケ天文部部長が拳銃握り締めて殺し合いをしている姿など、どうしても往人には想像できなかった。
 そもそも、あの田舎町でみちると遊んでいた姿を見れば分かる。
 柔らかな物腰の奥にある、全てを包み込むような母性の瞳。
 あの優しさだけは付き合いの浅い往人でも分かる。あれだけは、何があっても揺ぎ無いものであると。

「……みちる」

 だからこそ、彼女の死が、恐らく美凪にとっては家族以上の存在である、みちるの死がどれだけ辛いものであるかは、往人でさえ察するに余りある。
 そう、だから自分が敵討ちを、引いては殺し合いに乗った人間の排除をしなくてはならないのだ。
 既に、往人は殺人鬼とはいえ人を一人殺してしまったのだ。
 大義名分があろうとも殺人には変わりない。いつか、大きなしっぺ返しを喰らうかもしれない。一人寂しく死んでいくのかもしれない。

 しかしそれでも、最悪でも自分の知り合いだけは。
 傲慢かもしれないが、観鈴も、美凪も、佳乃も、他の知り合いも。
 守れる限りは、俺が守ってみせる。

622Like a dream:2008/05/10(土) 21:06:53 ID:2rboGYVg0
 新たに手に入れた、38口径ダブルアクション式拳銃(よく確認したところ、コルト・ガバメントのカスタムバージョンだということが分かった。別にガンマニアではない往人はどうこう思わなかったが)を決意を込めて握り締める。
 それまで持っていたフェイファー・ツェリスカはあまりに重過ぎることと、撃ってみて反動が半端ではなかったので少しでも扱いやすい拳銃を選ぶことにしたのだ。
 とはいえ、デイパックの中に入れていてなお存在感を放つその重厚感は、頼りになるのには違いなかった。

「そういえば……」

 ポケットの中から、伊吹風子にもらったスペツナズナイフの柄を取り出す。お守りにともらったものなのだが、役に立つとは思えない。
 かといって、ポイッとデイパックに仕舞えるほど往人は冷たい男でもない。往人は人情に熱い男なのだ。目つきは最悪だが。

「ふむ」

 どうにかして穴を開けて、紐を通して首からかけておけばいいだろう。おお、お守りらしいじゃないか。
 以前観鈴の家で見た戦争映画の、兵士がつけているドックタグを思い浮かべながら、往人は満足そうに頷いた。

「となれば、まずはどこかで穴を開けるものを探さないとな。キリがベストだ」

 幸いにして柄の部分は木製だ。まあ金属製の部分もあるだろうが、力技で開ければいい。往人は力の一号なのだ。目つきは最悪だが。
 これまたテレビで見ていた、『大脱走』のテーマを鼻歌で鳴らしながら(音程が滅茶苦茶だったが)往人はそれっぽいものがありそうな民家を探して平瀬村を進んでいく。

623Like a dream:2008/05/10(土) 21:07:19 ID:2rboGYVg0

 さく、さく。


 そうだ、探すといえば、人形も探さないとな。いつまでもパン人形のままでは人形遣いの名がすたる。
 一番いいのはずっと労苦を共にしてきたあの人形なんだがな、とぼやきながら往人は歩き続ける。


 さく、さく。


 待てよ、こんな殺し合いを開催した人物があの人形を捨ててやしないだろうか。恐らく持ち物は没収されているのだろうし。
 いや、別に汚いと言っているわけじゃないぞ。ただあれは相当な年代物だからな。なにしろ何代も前の代物らしいし。


 さく、さく。


 考えてみればあれもガキに蹴られたり犬に持ち逃げされたり、不憫だ……ずっと一緒にいると妙な愛着があるんだよな。
 相棒というか、古女房というか。うーむ、ますます捨てられてないか不安になってきたぞ。


 さく、さく。


 ……それにしても、さっきから聞こえるこの不規則な音はなんだ?
 気のせいだと思っていたが、僅かに何かを引き摺るような、擦るような音がする。


 さく、さく。

624Like a dream:2008/05/10(土) 21:07:48 ID:2rboGYVg0

 空を見上げる。雲が見え始めてきたコーラ色の空から、したたるように聞こえる小さな違和感。
 まとわりつかれるような、そんな不気味さを含んでいる。


 さく、さく。


 いや、それは呻きだった。
 生者、死者を問わず搾り出される、怨嗟の悲鳴だ。


 さく、さく。


 濃密な死臭。いつの間にかそれが自分の周りを取り囲んでいることに、往人は気付いた。
 そこにいるだけで、どんな意思をも奪いそうな。


 さく、さく。


 ふわりと舞い上がった匂いが、撫でるように往人の頬を通る。
 それが自分を暗闇に引きずり込む腕のような気がして、往人は逃げ出したくなった。


 さく、さく。


 だが、と思い直す。
 これが幻聴でないのならば、その先には、同じように死の気配に囁かれる、人がいるのではないだろうか。

625Like a dream:2008/05/10(土) 21:08:12 ID:2rboGYVg0

 さく、さく。


 もしも、それが観鈴であったなら――
 振り払わなければならない。この匂いが帯びるモノを。
 次の音が聞こえる前に、往人は返しそうになる踵にしっかりしろと鞭打って、前進させた。


 さく、さく。
 さく、さく。
 さく、さく。


 音の正体は、やはり、人であった。
 しかし、それは囚人、奴隷、亡者か、いずれその類に違いない。
 そう思わせるほどに、目の前の光景は異常だった。
 往人は言葉にできなかった。

 目の前に居座る人間が、穴を掘り返している。
 近くには死体。
 恐らく、墓でも作ろうとしているのだろうか。
 その程度の察しはつく。
 だが、目の前の人間は、少女は、何も持ってはいなかった。

626Like a dream:2008/05/10(土) 21:08:36 ID:2rboGYVg0
 病的なまでの動作で、手を用いて穴を掘り返している。
 さく、さく。と、爪を地面に突き刺し、ブルドーザーのように土を削り取ろうとして、けれども失敗。
 僅かに土を払うばかりで、一向に穴は大きくならない。
 いや、そもそも人の手で墓を作れるほどの穴を掘れるわけがないのだ。
 まるで、おままごとだった。そしてそれ以上に、作業は永遠であった。

 ここは、どこなのだ?
 そんなわけの分からない疑問が、立ち尽くす往人の頭に浮かぶ。次いで、すぐに状況を表すべき言葉が浮かぶ。
 殺し合いの場ではない。ましてや平和な世界でもない。
 そう、地獄なのだ。咎人が果て無き贖罪を繰り返す、牢獄だった。

 往人は眩暈で倒れそうになる。
 人の赴く場所ではなかった。引き返し、すぐにでも新鮮な生を帯びた空気を吸い込まねばならない。
 こんなところにいては、気がおかしくなってしまう。
 それに目の前の人間は一目見るだけで観鈴ではないと分かる。

 引き返せ、引き返せ。それは逃避ではないのだと、往人の本能が告げる。
 往人の呼吸が荒くなる。胸が苦しくなり、汗が吹き出す。
 これ以上毒気に当たってはならぬ。国崎往人、お前の目的はここに来ることではないはずだ。つまり。目の前の『モノ』は、


 見捨てろ――


 往人の内の声が、そう囁くと同時か、少し遅れて、背後の気配に気付いたのか、虚ろな様子で振り向いた。

 色こそ違えど、腰まで真っ直ぐに伸びている流麗な髪。
 土や血の朱が汚していてもなお、輝きを失わない白い肌。
 深遠を閉じ込めたような、自然を映す瞳。
 少女ではなく、それは、女の子だった。

 身体を絡め取られた往人を一瞥すると、女の子が、口を開く。

627Like a dream:2008/05/10(土) 21:09:00 ID:2rboGYVg0
「――」

 声は小さすぎて、何を言っているのか往人には判別できなかった。
 だが声を聞いた時、いや女の子……川澄舞のその瞳を見た瞬間、往人はまとわりついていた己の内の全てを振り払って、彼女に駆け寄っていた。

『助けて――』

 実際は違うだろう。間違いなく違うと、そう言えるだけの自信が往人にはある。
 恐らくは、言った本人でさえどうでもいいことを呟いただけなのだろう。
 しかし、それでも、虚ろで悲しいその目は、往人を確実に動かしたのだ。
 また、助けたいというその意思は、往人が望んだものでもあったから。

「何をしてる!」

 一瞥しただけで、また作業に戻ろうとした舞の腕を往人が掴む。
 どこでこびりついたのだろう、爪は土の色以上に血まみれで赤いマニキュアと化していた。

「やめろっ! 何があったのか知らないが、お前、血だらけじゃないか!」
「……放して」

 しかし、舞が示したのは拒絶だった。
 舞にとっては、これは墓作りであり、贖い。それをしなければ、地獄に落ちる資格すらないと彼女は思っていたのだ。
 弱々しく振り払おうとする。しかし一層強く、往人は舞の腕を……いや、手を握った。まるで包み込むように。

「……放して」

 うわ言のように、繰り返す。そこに意思は感じられなかった。往人は黙って首を振る。

628Like a dream:2008/05/10(土) 21:09:22 ID:2rboGYVg0
「墓を作るなら、手伝ってやる。だがお前がそんなんじゃ作業にもならない。墓なんて、いつまで経っても作れないぞ」
「……」

 まずは、この無意味な行為を止めさせなければならなかった。終わりの無いメビウスの輪を、断ち切らなければならなかった。
 手を握りながら、真摯に舞へと向き合う。例え目の前の舞の瞳が往人を映していなくとも、きっと見えるようになるはず、そう信じて。

「まずお前の手当てだ。指がボロボロだしな。他に怪我はないか」
「……」

 返事はない。だが手を引っ張っても抵抗する様子は見られない。とりあえず納得はしてもらえたようだ。
 見たところ血まみれだが特に怪我などは見当たらない。そこは大丈夫そうだった。
 まだそこまで頑なではない舞に、多少ホッとしつつ、往人は舞の手を引いてすぐ近くにあった民家の中へと入る。

 ……しかし、その家の中は、さらに死の匂いで満ちていた。
 死体。死体。死体。死体。死体――計五つ。
 外に置かれていた一人など、まだその一人に過ぎなかったというのか。
 舞の手が震えているのを、往人は感じた。

 これだけの人間の死を、一手に受け止めたであろう少女。その絶望は、果たしてどれほどのものであったのだろう。
 何度か死を間近に捉えたことのある往人でさえ、想像も及びつかない。
 そして、このような状況になるまでには、さらに深い惨劇があっただろう。
 恐らくは、誤解、憎悪、怨嗟、悲鳴、殺戮。負という負の言葉を全て織り交ぜた光景が広がっていたのだろう。

「……ここは、まずいな」

 ここで治療を施すのは、往人でも躊躇われる。幸いにして(現実的に考えれば当たり前であるが)、部屋は複数あるし、襖で境界もある。
 隣の部屋あたりで行うのが一番であろう。

「行こう」
「……」

 手を引く。反抗は、なかった。

629Like a dream:2008/05/10(土) 21:09:40 ID:2rboGYVg0
 隣の部屋に座らせ、往人は包帯なり絆創膏なり、とにかく治療できる道具を探すことにした。
 一応それなりの心得は旅を続けるうちに身につけていたし、霧島聖の診療所でバイトをしているときに教えてもらった経緯がある。
 そうでなくとも、これくらいのことは誰だってできる。

「絆創膏はあったか……だが消毒液が見当たらん」

 一箱ほどそれを入手したものの肝心の消毒剤がない。
 とはいえ、それで死ぬということもないだろう。……恐らく、ではあるが。
 うん、感染症にかかったりはしない……ことを願おう。
 なんとなく不安になりつつ、手の傷口を洗い流すために近くにあったデイパックから水を拝借する。

「悪いな、借りてくぞ」

 往人が拝借したのは、かつて会話したことのある観月マナのものだった。
 脳を打ち抜かれたマナは、ぽかんと口を開けて己の死さえ気づいていないようだった。恐らく、誤射か何かで運悪く頭に命中してしまったのだろう。

「……あいつは、俺が助けてやる」

 脳漿のこびりついているマナの顔をゆっくりと拭ってやり、永遠の安息を願い、目を閉じてやった。
 閉じた後、マナの顔はひどく安心しているように見えた。

「悪い、待たせた――」
 往人がそう言って、舞のいる部屋へ入ろうとしたとき。
 家の中にまで響くような大音量で、例の放送が入った。

630Like a dream:2008/05/10(土) 21:10:14 ID:2rboGYVg0
【時間:2日目午後18時00分頃】
【場所:G−1】


国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:まずはこの先の平瀬村に向かう、観鈴ほか知り合いを探す、マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:岸田洋一に関する情報を入手】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:絶望、祐一・佐祐理ほか知人・同志を探す。両手に多少怪我】

その他:家の中にあるそれぞれの支給品に携帯食が数個追加されています。

→B-10

631アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:08:45 ID:Iuv4GIu20
 
どこまでも続くかのような狭い洞窟は、その深奥で様相を一変させる。
そこは巨大な空間であった。
薄暗く、息の詰まりそうな狭苦しい通路を延々と歩いてきた者の目には、
実際よりも更に広く映っていたかもしれない。
しかしそれを差し引いてもなお、その空間の持つ容積は圧倒的であった。
辺りを煌々と照らす幾つもの灯火も、遥か高い天井までは届かない。
上方の視界は薄闇に溶けて、まるで永遠に明けぬ夜のようでもあった。

そんな空間はしかし、ひどく装飾に欠けている。
剥き出しの岩肌には彫刻の一つもなく、地面もまた床と呼べるほどに磨かれることもなく、
ただ自然のままに捨て置かれているといった風情である。
故に、その奥まった一角は、周囲の風景からひどく浮いていた。
そこにあるのは一脚の椅子である。
否、機能の面から言えばそれは椅子であったが、その本質を呼び表すにはより相応しい言葉があった。
玉座、である。

地の底までも続くような洞穴を抜けた先、巨大な空間の奥にあったのは、荘厳華麗な玉座であった。
精緻な黄金細工の施された枠組みに、真紅の天鵞絨が張られている。
豪奢な装いを揺らめく灯火に照り輝かせるその重厚な威圧感は、唯一つそれだけで
この寒々しい空間が宮殿と呼ばれる、王たる存在の君臨する場であることを誇示していた。
そして今、身に纏うものもなく絡み合う、二人の女性を模した流麗な黄金の肘掛けに
もたれるようにして、一つの影があった。
王と言い表されるべきその影が、静かに口を開く。

「……随分と、懐かしい顔ですね」

穏やかな声の先、薄暗がりの向こうから音もなく現れたのは少女、天野美汐である。
その背後には淡く赤光を放つ二つの十字架と、磔刑に処されるような格好の影が寄り添っていた。

「お久しぶりです、秋子さん。……今は赤の盟主、シスターリリー、でしたか」
「秋子で構いませんよ。その呼び名は些か気恥ずかしくもありますし」

玉座に座る影が、頬に手を当てて微笑んだ。
見る者の胸に穏やかな春の風を運ぶような、暖かい笑みであった。
水瀬秋子という女性の、それは歩んできた道の果てに得た、達観であったのかもしれない。


***

632アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:09:41 ID:Iuv4GIu20
 
それにしても、と頬に手を当てたまま秋子が呟く。

「こういう場合、私はどういう反応をすればいいのでしょう。
 一度は誘いを断った方が、私たちの大切なゲストを連れて儀式の場まで侵入している、なんて」

困ったような口調だが、その目は笑っている。
悪戯じみた気安さが浮かぶ言葉に、美汐もまた微笑んで軽口を返した。

「悪の女帝が正義のヒロインを迎え撃つのです。
 ここは大仰な演説から、最後は高笑いで戦闘に突入するシーンではないでしょうか」
「困りました、スピーチの内容を考えていません」
「手下の幹部に命令するのも手ですね」
「あなたが連れてきて下さったのが、その幹部ですよ」
「困りましたね」
「ええ、困りました。……あとは戦闘、でしたか」

そこまでを言い合って、互いに視線を交わすと、二人は破顔する。
静かな、しかし温かな笑い声。
まるでうららかな陽射しの下でティータイムを楽しんでいるかのような、和やかな空気が流れていた。
やめておきましょう、と笑みを収めぬままに言ったのは美汐である。

「秋子さんの力は私に通じない。私の力もまた、秋子さんには届かない。
 お互い、嫌というほど判っていることです」
「そうですね。……それを理解するまでに何度『繰り返した』か、今では思い出すこともできませんけど」

ふと漏らしたようなその言葉は、笑みの延長線上にはない。
岩肌に沁み入るような細い声は、確かな翳を帯びていた。

633アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:10:09 ID:Iuv4GIu20
「……もう、私たち……三人だけになってしまいましたか」

答えた美汐からも、笑顔が消えている。
どこか遠い空に思いを馳せるような、足場の不確かな表情。
強く揺さぶれば霞となって消えてしまいそうな、ひどく危うい、それは風情だった。

「ええ。最近は、最後の一人が残るまで続くこと自体がありませんし……」
「この戦いの生き残り……世界の終わりの見届け人、ですか」

ぼそりと呟く美汐。
頷いて、秋子が言葉を引き取る。

「……見届け人の得る、『繰り返し』を認識する力。前の世界を覚えていることのできる力。
 近頃では、こんな風にすら思ってしまうんですよ。
 それは褒賞などではなく、罰なのではないか……と」
「罰……ですか」
「ええ。私たちの悉くは、人類の最後の一人として生を全うせず、死を選んできた。
 それは世界の終わりの引き金を引く、大罪です。だから、その罪には罰が下される。
 ……そういう考え方は、おかしいでしょうか」

微かに乾いた笑いを漏らす秋子の問いに、美汐は答えない。
揺らめく灯火が、ただ静かに、二人の影を岩肌に映している。

「アロウンさん、ティリアさん、なつみさん……。
 残っていた方々も、終わりなく繰り返される日々の中でいつしか、
 生まれてくること自体を拒むようになってしまいましたから。
 名雪ももう……限界が近いように、思います。そうなれば、私も……」

自嘲に満ちた表情は、水瀬秋子という人物を知る者が見れば驚くに違いなかった。
そこには、いかなるときも余裕のある笑顔を絶やさない女性の面影は存在しなかった。
昏く、老いの色濃い顔だけがあった。
重い溜息に世界を澱ませる毒をすら含む、それは醜悪な、一匹の怪物であった。
深い泥沼の底に落ち込んでいくかのような翳を断ち切ったのは、美汐の言葉である。

「……そうなる前に、終わらせるのでしょう。
 こんな大掛かりな仕掛けまで用意したのは、その為のはずです」

顔を上げた秋子の目に映ったのは、いつも通り静かに佇む美汐の、決意だった。

「神を討つ―――その為の」


***

634アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:10:34 ID:Iuv4GIu20
 
さて、と重い沈黙を破った秋子の表情は、既にいつものそれに戻っている。

「年寄りが二人、茶飲み話でもないでしょう。……真意を伺っても?」
「女の歳は肌で数えるものです。私は永遠の思春期ですよ」

軽口を叩く美汐が、秋子の穏やかな視線にじっと見つめられ、苦笑を浮かべる。

「……旧い戦友の宿願が果たされるのを見届けにきたのですよ」
「茜さんの件は」
「若い人には苦労でもさせておこうかと」
「……」

秋子の無言に、美汐がその霧に煙るような瞳を細める。

「……少し、得体の知れないものを感じましたので。
 これまでの『繰り返し』に、あの人の存在がこれほど大きくなったことはありません。
 精々がところ、何人かを道連れに散るのが限界だったはずです。『繰り返し』の資格もない。
 それが今回急に、世界の根幹にまで関わろうとしている。……それが不気味です。
 大切な儀式の前ですし、不安定な要素はできる限り排除しておくべきでしょう」

言い切った美汐の口調に何を感じたものか、秋子は目を閉じて表情を消すと、ただ頷いた。
僅かな間を置いて再び開かれたその瞳には、強い光が宿っている。

「わかりました。それでは儀式を―――私たちの『繰り返し』の終わりを、見ていてください」
「贄は」
「その二人で充分でしょう。茜さんが神を肥え太らせてくれていたようですし」
「……この、」

と美汐が視線を向けたのは、背後に聳える赤光の十字架である。
その一方に架けられた波打つ髪も豊かな少女の、ぐったりと項垂れたまま動かない肢体を見やって、
美汐が意外そうな顔をする。

635アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:10:59 ID:Iuv4GIu20
「この方も、贄に?」
「そのつもりで連れてきていただいたのではないのですか」
「……いえ、それはそうですが……、貴女は情の深い方ですから」
「私が、」

美汐の言葉を遮るような秋子の声は、一転してひどく重い。
涙はなく、震えはなく、しかしその口調に滲むのは、鮮明な悲哀であった。
水瀬秋子らしからぬ感情の起伏の激しさは、それほどまでに因果からの解放に
期するところが大きいということの証明であっただろうか。

「私たちがこれまで、どれほどのものを切り捨ててきたと思っているのですか」
「……そう、でしたね」

返す美汐の声には力がない。
小さく首を振ると、深い溜息をついた。

「つまらないことを聞きました」
「いえ」

短く答えて立ち上がろうとした秋子を、美汐が手振りで抑える。
疑念を浮かべた秋子に、美汐は片眉だけを下げるような笑みを向けた。

「お詫びの印に、少しお手伝いをさせてください」
「……それは」

戸惑うような秋子の口調。
押し留めるように、美汐が言葉を継いだ。

「手段は違えど、目指すところは同じはずです。……せめて露払いくらいはさせてください。
 貴女にとって大切なのは、この後なのですから」

言った美汐の手からは既に、紅い光が湧き出している。

636アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:11:15 ID:Iuv4GIu20
「貴女は、そこで見ていてください」
「……」
「儀式の担い手は、動かずに悠然と構えていなくてはいけません」
「……」
「それが、今の貴女の役目です。……赤の盟主、シスターリリー」

最後には冗談めかして言った美汐に、秋子の表情が苦笑じみたものに変わる。

「……わかりました」

それが、承認であった。
確認するように、美汐が深く頷く。

「では、はじめましょう。―――我々の、儀式を」
「……はい」

秋子が頷きを返したのを合図とするように、美汐の手から伸びた赤光の鎖が、
磔刑に処された二人の女へと絡みついた。


.

637アイニミチル (2):2008/05/13(火) 14:12:02 ID:Iuv4GIu20
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

水瀬秋子
 【状態:GL団総帥シスターリリー】

霧島聖
 【状態:気絶中、元BLの使徒】

巳間晴香
 【状態:気絶中、GLの騎士】

→661 976 ルートD-5

638(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:20:03 ID:kJC83fK60
 暑い。

 なんとなく、まーりゃんこと朝霧麻亜子はそう思っていた。
 山頂で怪物と戦った際にしたたか打ち付けた部分が熱を帯び、頭もまだぐらぐらする。

 咳は出てない。お医者さんにかかる必要なし。
 すんごく痛くもない。手術する必要もなし。
 人は……殺せてない。

 はぁ、と麻亜子はらしくもないため息をつく。巳間良祐を殺害して以降、全く戦果が上げられていない。
 愛を語る男女(芳野祐介と長森瑞佳)には逃げられる。柏木兄妹も、実質的に殺害した(可能性がある)のは篠塚弥生。
 そもそも、山中を練り歩いていたからかもしれないが、人に出会えてない。

「ぬーん」

 首を捻りながら、麻亜子は己の不調を考える。
 ――誰かに不運でも移されたかな?
 そう言えば、と巳間良祐は途中から返り討ちにされることが多くなった、と言っていたのを麻亜子は思い出す。

「ティンときた」

 間違いない。奴の不運を貰ってしまっているのだ。

「ふんっ! 亡霊のタタリごときにこのまーりゃんが屈すると思ったか! 退かぬ、媚びぬ、省みぬー! ……あいてて」

 気合を入れようとしても空回りになってしまう。日常でもありえるような鈍痛の連続が、麻亜子の気を削いでしまう。
 銃傷や、刺傷ではないのだ。本来とは別な意味での『リアル』な痛みが否が応にも麻亜子に日常を思い出させる。
 ただ馬鹿をやって、笑って、楽しかった日常。殺し合い、なんて考えるはずもなかった。
 ふと、麻亜子は疑問を持つ。

639(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:20:27 ID:kJC83fK60
 どうして、殺し合いに参加しちゃったんだろ?
 考えてみれば開始当初はあれだけの人数がいたのだから、ひょっとすると協力し合えば脱出への道が開けたかもしれない。
 加えて、自分の実力不足を実感する。
 今までは奇襲や急襲だったからこそ、あれだけ戦えた。しかし、正面きって戦ったとき……事は上手く運ばなかった。

 残っている参加者は有数の実力者ばかりのはず。それを相手に正々堂々と戦わざるを得なくなったとき、果たして自分一人で勝てるのか?
 いやそれならまだしも、河野貴明や久寿川ささらがそれを相手にして、生き残れる保障はあるのか?

「……やっぱ、馬鹿だね、あたしは」

 殺し合いなんて、ゲームの世界と同じで、簡単に終わるものだと思っていた。
 だが違った。これは単なる暴力の延長だ。
 戦争のように、ドタバタと死んでいつの間にか全滅していた。そんなものではない。
 例えば、激しく揉み合った末につい押し倒してしまい、運悪く頭を石にぶつけてそのまま死んでしまったような、そんなつまらない争いの連続なのだ。
 そこに運不運はない。ないとは言い切れないが、それでも最終的にモノを言うのは実力だ。
 自分はそれを分かっていなかった。

「そうだよ、あたしは馬鹿だ。だから……馬鹿だから、こんなのに乗り続けなきゃいけないんだ」

 これくらいのことを思いつけないからこそ、こうするしかなかった。
 脱出の手段なんて、思いつけるわけがない。
 仲間なんて、集められるわけがない。
 それに、ここで萎えていては今までに殺してきた人たちは一体何のために死んだのかわからなくなる。

「そうだ、あたしが絶対にさーりゃんと……たかりゃんを生かして帰すんだ。絶対……」

 頭に降りかかる疑念、雑念を必死に払うように麻亜子は頭を勢いよく振る。そのせいでぐらぐらしていた頭が更にぐらぐらしてきた。
 ごちんっ。
「い、痛い……が、がお」
 ぶんぶん頭を振っていたせいで足取りがふらふらとなり、近くにあった木にしたたか額の部分をぶつける。事あるごとに誰かの台詞を真似ているのにはこの際言及すまい。

640(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:20:49 ID:kJC83fK60
「……ん」

 ごしごしと瞼をこすって、眼前の風景を見据える。
 そこには目指していた平瀬村の風景がある。とにかく、誰か見つけて殺害しなければ。
 ……その前に、どこかで休息を取らねばならない、と考えてはいたが。

「湿布薬が欲しいよねー。うん、乙女の身体には本当はプロの手によるマッサージが一番なんだけどさ。まー贅沢は言えないっしょ」
 コキコキと首の骨を鳴らしつつ、一番手近にある民家にそそくさと近づいていく。

「はいよー、こんにちはー。嫁入り新聞の者ですけどー、三ヶ月でもいいんで取って頂けないですかねー?」
 ボウガンを片手に構えつつ、玄関の戸を叩く。もちろん暢気に誰か出てきたら射ち殺すつもりであった。
 返事はない。悪意のある気配も、暢気な平和ボケした気配も感じられない。

「むう。開け〜、ヘソのゴマラー油っ!」
 誰もいないと確信した麻亜子はヘンな呪文を唱えながら家屋へと侵入する。
 正直なところ、また戦闘になれば今のKO寸前な麻亜子では取り逃がす可能性が高いと自己分析していたので誰もいないのは寧ろありがたい、と思っていた。
 当然、それは口に出すわけがなかったのであるが。

「ん〜……」
 まるでアメリカの家のように遠慮なく土足で侵入する。
 殺し合いの最中に行儀よく靴を脱ぐ必要はない。それに、玄関に靴を置いていたら侵入してきた人物に誰かがいると気取られる。
 一応注意深く足跡などがないか確認してみるが、どこにも土の欠片などは見当たらない。よし、完璧に無人。

 無人、という自身の思考からなんとなく、昔やっていたCMを思い出しながら和室へと潜入する。
 まだある程度新しい部屋なのか、外の殺伐として泥臭い匂いに慣れてしまったからなのか、鼻腔に広がる藺草の香りが妙に心地よい。
 一眠りする分には持ってこいだろう。そう考えた麻亜子は一つ頷くと押入れを開け、中を見渡す。

「あったあった」

641(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:21:11 ID:kJC83fK60
 果たして予想通り、そこには綺麗に折り畳まれた布団一式が揃えられてあった。
 見たところ、張りは柔らかそうで、それに包まれる者に安息を与えようとする雰囲気がありありと出されている。

 いそいそと引っ張り出し、畳の床に広げて睡眠準備に取り掛かる。
 きちんと枕まで敷き、ゴマを擂る商人のように両手を揉みながら布団に入ろうとしたところで――麻亜子はまだ靴を履いていたことに気付く。
 ありゃ、と忘れていた自分に、照れたように頭を掻き、しばらく思案した末結局脱いで布団に入ることにした。
 足をゆっくりと差し入れる。靴下越しであるが、ふわふわとした心地よい感覚が伝わってくる。見た目通りだった。

「ではでは、おやすみ〜。さよなら三角また来て四角、っと」

 久々に感じる布団の感覚に、ふと麻亜子は何故だか不安を感じた。
 日常の欠片に触れた瞬間に、何か大切なものをなくしてしまったような、そんな感覚だった。
 いや、ただの違和感だ。布団の中に入る機会なんて、この島ではなかった。
 殺し合いという異常な環境下で普段そこにあったものに触れたから、そのような思いを茫漠と抱いただけに過ぎない。
 そんな風に考えながらも、やがて襲ってくる睡魔に屈した麻亜子は、ゆっくりと目を閉じていった。

     *     *     *

 走っている。
 延々と続く闇の中の闇を、ただひたすらに走り続けている。

 何かに追われていた。
 ひた、ひたと少しずつ大きくなっていくその音が、麻亜子の恐怖を煽る。

 それは漆黒から自分を追う、追跡者だった。
 麻亜子は後ろを振り向く。
 そこには深淵すら浅い底無しの黒が広がっていた。そこに自分を追う、追跡者は見当たらない。

 いや、人ではないのだ。例えるなら、無数の手が伸びてきて、いきなり四肢を掴みそのまま引きずり込むような、そんな存在だ。
 つまり、麻亜子は『恐怖』そのものに追われている。

642(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:21:33 ID:kJC83fK60
 何故自分は恐怖しているのか。
 そんな疑問を浮かべる間もなく、麻亜子は走らなければならなかった。
 とにかく、自分を掴もうとする何かが怖かったのだ。引きずり込まれると、もう二度と戻れないような、そんな気がして。

 先へ、先へ走る。
 するとその目の前に……いきなり現れた人影が、麻亜子の逃避を妨げる。

「……」

 息を呑む。それは、この島にきて麻亜子が最初に殺した人間。名前も知らぬ、一見すればどこにでもいそうな中年の男が、ただじっと麻亜子の瞳を覗いている。
 そこに意思や主張はない。ただ漫然と見ているだけだった。ただ、黙って。

「……っ!」

 しかし、背後に迫る恐怖感と、不気味に映る男の視線に耐えられずに麻亜子は別の方向へと逃げ出す。
 そのすぐ先にも、また別の人間がいた。

「……」

 こちらの人物は、麻亜子も知っている。
 巳間晴香。
 麻亜子が謀略で騙し、背後から襲い、殺害した人物だ。先ほどの男と同じように沈黙しながら、腕を組んでいる。

「なに、さ……」

 最後に見せた晴香の表情は、麻亜子も知っている。憎悪と怨嗟に満ちたあの表情を忘れるわけがない。
 なのに。
 あれほど憎しみに満ちた目をしていたのに。

643(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:22:01 ID:kJC83fK60
「なんで、そんな目なんだよっ……」

 その目は、何もなかった。
 先ほどと同じく。
 空虚に、見つめるだけ。
 鏡だった。
 姿を変え、己を映す鏡――そんな風にさえ思える。

「何か、言ってよっ!」

 痺れを切らし、麻亜子は叫んだ。
 反論しようがないのだ。言い訳すら、できない。
 しかし、晴香も微動だにしない。言葉はそのまま、麻亜子へと反射する。

「あたしは……」

 いつものように言えば良かった。「あたしは自分のために殺し合いに乗っているんじゃない」と。
 一番分かっていることではなかったのか。これ以外に方法はない。全員殺すことでしか、あの二人を生き残らせる方法はないと。
 二人?

「あた、しは……」

 いつの間にか、気付かぬ間に、麻亜子は色々な人物から見下ろされていた。
 殺してきた人物だけではない。
 宮内レミィ。巳間良祐。長森瑞佳。柏木耕一、柏木梓。相沢祐一。観月マナ……他、数え上げればキリのないほどの人間がそこにいた。
 しかし、皆に共通するのは――やはり一様に黙り、ただ見つめているということだけだった。
 四方八方から、麻亜子の姿を余すところなく映すようにそれぞれの瞳が覗いている。

644(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:22:24 ID:kJC83fK60
 何も言えない。
 矛盾、そう、決定的な矛盾に、彼女は気付いてしまったのだ。
 生き残れるのは二人ではない。殺し合いは最後の一人になるまで続く。
 残ったとして……最後に、あの三人で残ったとして。
 『誰が、誰を殺して、誰を生き残らせるのだろうか』?
 否、殺せるわけがない。『誰も殺せない』のだ。

 手にかけられるわけがない。かけがえのない友人を、その手で引き裂くことなど……あの学校で共に過ごしてきた時間を忘れて、手にかけることは……麻亜子でさえ、殺人を犯してきた麻亜子でさえ想像を絶する。
 たとえ殺す事ができたとして、その先に待っているのは孤独と絶望だ。
 友人を殺害して、死体を前にしながら優勝が決まる。その光景を想像しただけでも、麻亜子の心は壊れそうになる。
 自分でさえこうなのに、それよりも優しいささらと、貴明がそんなのに耐えられるはずがない。

 どの道、待ち受けているのは――破滅なのではないか?

「ぁ――」
 違う、そんなことはない。
 考えるな。朝霧麻亜子……いや、まーりゃんはやるべきことをやればいいだけなのだ。
 二人の為に、殺す、殺す、殺――
 ――殺して、それからどうなるというのだ?

 一度辿り着いてしまうと、もうその考えを打ち崩すことはできない。
 頑なに現実を拒もうとするほど、麻亜子は子供ではいられなかった。
 大人にならなければ、殺し合いに加担することはできなかった。
 故に……朝霧麻亜子は立ち止まる。
 殺し合いを進めることは、破滅だと気付いてしまったから。

「でも、そしたら、あたしは……」

645(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:22:48 ID:kJC83fK60
 一体何のために人を殺し続けてきたのか。
 人が人を殺すという、途方もない罪を背負ってまで知りえたものは破滅だけだというのか。
 麻亜子とて、殺し合いがしたくてこんなことをしているのではない。

 これしか考えられなかった。
 二人を想った、最善の選択がそれだと思った。ただ二人のことを考えて、考えて、たどり着いた結果だ。
 罪悪感を己の道化で隠し、慄く心を冗談で必死に誤魔化し、常に自分を殺しながら血を浴びてきた。

 最初に襲った……無防備な岡崎直幸でさえ、殺すのには時間がかかった。
 ナイフで一太刀、一太刀浴びせていくごとに失われていく人の命を見るのは……余りにも苦痛だった。
 麻亜子は破天荒だが、人としてやってはいけないことだけは分かっていたし、人と人の繋がりがいかに大切かということも分かっていた。
 襲い掛かる前に何度も繰り返した。

 ごめんなさい。ごめんなさい……

 時折ふざけた様に殺してきたのも、罪悪感に駆られ殺し合いを止めたくなる心を必死に抑えるため。
 一人殺したその瞬間から、麻亜子は冷酷な殺人鬼であり、赦されるわけにはいかなかった。そうでなければ、何人も殺しつくせるわけがないと思っていた。
 そうやって、いくつも罪を重ねた。
 ここで殺し合いを放棄したとして、二人が生き残れる保障はどこにもない。

「……でも、あたしは」

 続けなくちゃいけない。それが朝霧麻亜子の運命で、約束なのだ。
 今更元には戻れないし、戻れる資格もない。
 しかし、どうすればいいのだろう?
 どこを目指せば、二人は救われるのだろう?

 まるで分からないのだ。
 この、周りに広がる真っ暗闇のように。
 いつの間にか、麻亜子を取り囲む人間はいなくなっていた。

646(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:23:12 ID:kJC83fK60
「やらなくちゃ……いけないんだ、やらなくちゃ」

 殺人だけは、やめてはならない。
 そんな脅迫じみた思考だけを頼りに、麻亜子は俯けていた顔を上げようとする。

「……あ、……」

 そこには、二人の人間がいた。

「さーりゃん、たかりゃん……」

 闇に薄く、薄く溶けるように、二人は並んで麻亜子を見つめている。
 しかし、その気配は今までとは違った。
 悲しみだ。
 悲哀に満ちた眼が、麻亜子を射抜いている。

「ち、違うよ、そうじゃ、ないんだ……」

 まるでそれが、麻亜子を責めているように感じて……いつの間にか口を開いていた。
 視線は変わらない。今までと同じだった。


「あたしは……殺し合いなんか――!」


     *     *     *

 ひどい徒労感が、麻亜子の身体を駆け巡っていた。
 それだけではない。体中に汗がべっとりと張り付き、額には玉のような汗が滲んでいる。

647(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:23:36 ID:kJC83fK60
「……夢」

 声に出して、ようやくそれを実感する。
 けれども弱々しい声だった。
 年相応の女の子の声である。

 違う。あたしはこんな弱くなんかない。

 己にまとわりつくものを取り払うように、麻亜子は布団を乱暴に撥ね退ける。
 幸いにして、侵入者の気配はない。

「ん、もう夕方か」

 空が曇っているせいであまり分からなかったが、世界の色が橙を基調としたものに塗り変わっていることから、それくらいの考えはつく。
 あの夢は、なんだったのだろうか。
 思い出すのも憂鬱な、果てのない暗黒。
 そして責めるでも諭すでもない、掴めない人々。

「……分かんないよ」

 最後に、自分はなんと言おうとしたのだったか。
 夢は最後のあたりを覚えているものなのに、全く思い出せない。あるいは、思い出したくないのかもしれない。

「ボヤボヤしてる暇、ないよね」
 十分に休憩はとった。精神まで万全とは言いがたいが、一応頭に残っていたズキズキとした痛みはなくなっている。
「……今は、今しか考えられないよ」

 とにかく、ささらと貴明に迫る脅威を排除するのが課せられた役目だ。
 何故か言い訳のように言って、デイパックを背負おうとしたときだった。

648(さむいっス)/Song of tundra:2008/05/17(土) 07:24:15 ID:kJC83fK60
「あ……」

 麻亜子は気付く。それが久方振りの、例の時間だということに。
 耳障りな雑音が、周囲を満たす。


 もう、この時既に――彼女は、楽園から追放されていたのだ。





【場所:F-02、北部】
【時間:二日目午後:18:00】

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:マーダー。鎖骨にひびが入っている可能性あり。現在の目的は貴明、ささら、生徒会メンバー以外の排除。最終的な目標は自身か生徒会メンバーを優勝させ、かつての日々を取り戻すこと(迷いが生じつつある)。スク水の上に制服を着ている。精神的疲労】

→B-10

649雅史アフター:2008/05/27(火) 23:43:17 ID:T.XnXA1I0
(椋さん、大丈夫かな……)

行われた第二回目の放送、藤林椋はそこで最愛の肉親を失っていたことを知る。
ひっと小さな悲鳴を上げた後、手で顔を被い泣き伏せる彼女に佐藤雅史はかけられる言葉が思いつかなかった。
朝焼けが差し込む海辺に位置する小屋の中の温度は、少し低い。
そんな中で身を縮める椋を一人置いてきたことに、雅史は今になって胸を痛めた。

独りを望んだのは椋だ。
俯く彼女に何か言葉を投げかけようとした雅史を、椋は頑なな態度で拒む。
そこに雅史が付け入る隙は、なかった。
自然に伸びた雅史の手、しかし空を切るだけで椋には届くことがない。
雅史の優しさも、それが椋のもとへと届かなければ何の意味も無くなってしまう。
一人の時間を望む椋が、雅史を受け入れる気配はなかった。
椋を残し小屋を後にする雅史の耳が、背後から漏れた声を拾う。
その時助けを呼ぶかの如く椋が呼んだ人物の名前は、雅史のものではなかった。





第一回目の放送が行われた午後六時、そこで欠けた身近な人物がいないことに椋ははかなりほっとしていたようだった。
精神的な疲労も大きかっただろう。
放送後すぐの眠りについた椋の安らかな寝顔を横目で見ながら、雅史は一晩過ごした。
第一回目の放送。上げられた人数の量は、雅史の想像を遥かに越えていた。
また椋とは違い、雅史の場合はその時点で知人を亡くしている。
特別接点がある子ではなかったが、友人間で名前くらいは聞いたことがある少女のものだった。
……悲しいことである。
悔やんでも、悔やみきれないだろう。
しかし雅史は、椋の悲しむ様子を見なくて済んだという事実、そちらの方に安心を覚えていた。
不思議な気持ちである。雅史も、そんな自分に違和感を持っていた。

650雅史アフター:2008/05/27(火) 23:43:47 ID:T.XnXA1I0
(……まるで、前に椋さんに泣かれたことがあるみたいだよね)

漏れた雅史の苦笑いはどこか暖かみが含まれたものだった、しかし。
朝。行われた第二回目の放送が、そんな雅史の心に刃を突き刺す。

(浩之、君ならもっと上手いやり方でりょうさんを宥められたのかな……)

砂浜を蹴るように歩く雅史の脳裏に、懐かしい面影が甦る。
藤田浩之。雅史の幼なじみである、今は亡き少年である。
椋と同じく、雅史も第二回目の放送で大切な人間を亡くしていた。
それが彼だった。

普段はぐーたらしていても、肝心な時に動ける浩之は雅史にとってヒーローそのものだった。
しかしヒーローは、もういない。この世には存在しない。
告げられた放送は信じがたいものであるが、それが虚位である可能性の方が今は低いだろう。

(ロボットのセリオも……志保にレミィ、琴音ちゃんまで……信じ、られないよ……)

それに柚月詩子から会った際の言付けを頼まれていた、里村茜の名前もそこには含まれていた。
痛む心に目を細めると、雅史は足を止め海の方へと目を向ける。
思えば、それなりの距離を進んでいたようだ。
吹きさらしの砂浜、その真ん中に位置する雅史に眩しい朝日が照り着けてくる。
潮風で短い髪が揺らされながら、入り込む砂に目を細め雅史は辺りを見渡した。

広がる砂浜にぽつんと佇む海の家らしき小屋、どこか椋と一晩を過ごした物に酷似しているようにも思えるものが一軒。
それ以外は、特に何もないように思えた。
砂の存在感だけが異様にある地。
……そんな場所に落ちていた異物に雅史が気がついたのは、その時だった。

651雅史アフター:2008/05/27(火) 23:44:19 ID:T.XnXA1I0
「……っ!」

海風に混ざる生臭さ、雅史の鼻をツンとさせるそれが彼の目に映るものの意味を物語っているだろう。
白い砂を汚す赤黒いもの、何が砂達に色を与えていたのか。
砂の上に横たわるものが、見れば分かるだろうと雅史に現実を突きつける。
早足で近づき、雅史は前のめりに倒れこんでいる少女と思われるものの様子を覗き込んだ。
触れた温度に熱は全く無い。既に少女は、絶命している。

「ひどいな……」

彼女を死に追いやった傷口はうなじの辺りで、何度も抉られているためかかなりグロテスクなものになっていた。
傍らには何故か布が落ちている。
拾い上げ確認する雅史、それはどこにでもある普通のタートルネックだった。
……飛び散る血飛沫模様が、異様さを物語ってはいるが。
何故衣服が落ちているのか、その意味を雅史が分かるはずもない。
痛ましげな少女を隠すよう、雅史は元は骨白だったと思われるタートルネックを少女の首元にかけてやる。
静かに手を合わせ、雅史は気が滅入りそうになるのを何とか堪え再び歩を進めた。

しかし、そこに追い討ちをかけてくるモノがあった。
そこからまた少しだけ雅史は南に下って行ったのだが、それが間違いだったかもしれない。
雅史は、特に場所を決めて歩を進めている訳ではない。
今雅史が取っている行動は、ただ椋に時間を与えるための暇つぶし以外の何物でもない愚行である。
雅史は、散歩を続けたことを後悔した。
正直この展開を、雅史が予想できるはずもない。
仕方ない。それで済むことかもしれないが、雅史にとってはたまったものではないだろう。

652雅史アフター:2008/05/27(火) 23:44:56 ID:T.XnXA1I0
雅史は、また見つけてしまったのだ。
しかも今度は二つ。
倒れこむ二人は服装や体格から少女であると窺えるものは、少し前に雅史が発見した悲惨な姿になってしまった少女と変わりないものである。
一人は椋と同じ制服を身に着けていた。
もしかしたらこの子が椋の姉である少女なのだろうかと、雅史は慌てて近づきその容貌を確認する。
だが椋から聞いていたものとは大分かけ離れていたため、その可能性は低いとすぐの答えを出す。
少女の遺体は散々だった。
先ほど発見した少女と同じように前のめりに倒れているのだが、彼女の場合は背中に何度も鋭利なものを当てられた痕があった。
おかげでオフホワイトのブレザーは、いまや見る影もなくなってしまっている。
それは、もう一人の少女も同じだった。
血に塗れた少女達の惨状に、雅史は込み上げる嘔吐感を必死に堪えながらもう一人の少女を見やり、そして……愕然とする。
もう一人の少女は、雅史にとっても身近な制服を着用していた。
その上よく見ると、その少女自身も雅史にとっては身近な人間であることがすぐに分かった。

「琴音、ちゃん……」

浩之を介し知り合うことになる、一学年下の少し内気な少女の名前が雅史の口からポツリと漏れる。
海風に晒された彼女の特徴でもあるゆるやかなウエーブは、いまや見る影も無いほどぱさついたものになっている。
勿論、彼女も既に絶命している。
彼女の死自体は放送にて知らされていたが、このような形で見せ付けられるなんてと雅史は悔しそうに顔を歪めた。
鼻につく異臭がせつない。しかし、雅史が彼女にしてやれることは何もない。
埋葬に使える道具も所持していない雅史は、せめてもと少女達の瞳を閉じさせる。
先ほどの少女の時のように何か二人を隠すことができる布でもないか、雅史は周囲に目をやった。

(上着があればそれをかけてあげられたんだけど……昨晩眠っている椋さんにかけて、そのままにしちゃったんだよね……)

653雅史アフター:2008/05/27(火) 23:45:27 ID:T.XnXA1I0
むしろ先ほどのように、服が落ちているという方が珍しいのである。
勿論この場に、そのような気の効いたものが見当たるはずも無く。
それでも雅史は周囲に目をやり、必死に「何か」を探し始める。
ふとその時、雅史は椋と同じ制服を身に着けていた少女の近くに見覚えのあるデイバックが放置されているのに気づいた。
全員に支給されているそれ、中身を確認すると雅史にも配られた共通の物等に揉まれる形で拡声器が姿を現す。
メガホン上の拡声器は、学校の避難訓練などで教師が手に持つそれと変わりない姿をしている。
機能も恐らく同じだろう。
これが少女のランダム支給品だとしたら、運がないにも程がある。
雅史に与えられた金属バットと違い、これで身を守るというのは難しい。

(……でも、何か役には立つかもしれない。)

拡声器をデイバッグの中に戻し、雅史は自分の肩に二つ目となるそれをしょいこんだ。
そしてまた、静かに手を合わせる。

(何もして上げられなくて、ごめん。でも僕は、これからも生き残っていかなくちゃいけないんだ)

心の中で小さく懺悔し、雅史はこの場を跡にした。





雅史が椋のいる小屋に戻ってきたのは、かれこれ小一時間以上過ぎた頃だった。
ほんの数分のつもりが想像以上に遠出しまっていたらしい、椋はどうしているかと雅史は駆け足で戻ってきた。
何より、死と直面した今の雅史は生者の暖かさを求めていた。
精神的に椋が落ち着いているかは分からない。だが、雅史は彼女とのふれあいを求めていた。
そこに癒しを、雅史は見ていた。

654雅史アフター:2008/05/27(火) 23:45:59 ID:T.XnXA1I0
見覚えのある小屋が視界に入り、雅史の鼓動が走っていることとは別に跳ね上がる。
一つ一つの動作が愛らしい少女、優しい雰囲気を持つ同世代の女の子。
もうすぐ会える。話せる。
さっき見つけた子達とは取ることが出来ない、交流が取れる。
雅史の目元が、溢れる期待で緩みそうになった。
その、異変に気づくまでは。

「……え?」

今一歩という所で雅史が足を止めたのは、ここにあるはずの臭いが周辺に充満していたからだった。
鼻につくそれは、雅史も少しは嗅ぎ慣れてしまったとも言えるだろう生臭く気分が悪いものである。
つい先ほど嗅いだ、それ。
そう。ここに、この場所に、椋の待つこの場所にはあるはずのない、臭い。

雅史の鼓動が、椋に会えるという期待とは別に跳ね上がる。
嫌な予感が頭をかすめ、雅史はそこから動けなくなった。
そこで察した人の気配、小屋から一人のものと思われる足音が漏れる。
椋のものだろうか。
雅史の冷や汗は頬をつたい、ちょうどそれが顎に達した所で小屋から人が姿を現す。

それは、少女だった。
椋ではない。しかし、椋と同じ制服を身に着けている。
ということは、椋の知人という可能性もある。
だが少女に続く形で椋が出てくる気配はない。
また、少女の外見が雅史にさらなる嫌な予感というものを植え付けていた。

「まだ他にもいたのか。ちょうどいいな」

655雅史アフター:2008/05/27(火) 23:46:39 ID:T.XnXA1I0
佇む雅史に気づいた少女の口調は、さっぱりしていた。
そこに温度を感じることができず、雅史は絶句するしかない。
少女の表情も、雅史が怯んだ理由だろう。
細められた瞳に宿る意志は強く、彼女が何かしらの覚悟を決めていることが簡単に窺える。
いや、だがもっと分かりやすい要素が、少女には他にも存在していた。

先ほど述べた少女の外見だ。
少女が身につけている制服は椋と同じもののはずなのに、どこか違っている。
それはどこか……ずばり、色だ。
オフホワイトなはずの少女の上着には、赤の絵の具が勢いよく引っかけられたかのような跡があった。

反芻する記憶、つい先ほどの風景が雅史の脳裏に甦る。
背中をずたずたにされた名も知らぬ琴音の傍で絶命していた少女も、今目の前の彼女と同じ制服を身に着けていた。
そして同じように、制服を深紅に染めていた。
勿論それは絵の具なんていう生易しいものではない。
「傷」という分かりやすい形が、亡くなっていた少女には目に見えるものとしてつけられていた。

では、今雅史の目の前にいる少女はどうだろうか。
ピンピンしている。彼女が重傷を負っているようには、到底見えないだろう。
しかし彼女が被ったものは、決して絵の具なはずではない。
臭いの時点で雅史にも理解できるはずだ、いや。
理解しなければ、いけないことだ。

よく見ると目の前の彼女の手には、年頃の少女が持つにはごつい作りの斧が握られている。
それから滴っている液は、恐らく少女の衣服に付着しているものと同じだろう。
可能性は、二つ。
砂浜の上、絶命していた彼女は「被害者」だった。
傷をつけられた側の人間だ。彼女の制服を濡らしているのは自身の血液だろう。
目の前の少女の制服は、彼女の血液だとは思えない。
それならば誰の血か。
彼女は「被害者」に見えない。
それならば、彼女は何なのか。

656雅史アフター:2008/05/27(火) 23:47:21 ID:T.XnXA1I0
「……佐藤雅史、か」

そこに、決定打が雅史の心を打ちつける。
斧を脇に抱えた少女が、どこか左手を庇うようにしながら一冊のファイルを取り出したのだ。
ぱらぱらとめくり、雅史の顔とファイルを交互に見ながら少女は何かを確認する。
少女が口にしたのは、雅史の名前である。勿論雅史は、彼女に名乗った覚えなど無い。
少女が雅史の名を知ることができたのは……彼女の手にする、ファイルによる情報に他ならない。
そんなファイル、雅史が知る限りでは一つしかないはずだった。

―― 小屋の中にいるはずの、椋が持つ参加者の写真つきデータファイルだ。

何故、彼女がそんなものを持っているのか。
雅史の鼓動がさらに加速度を上げる。
増幅した嫌な予感が、雅史に警告を吐き続ける。
雅史の嗅覚がそこに信憑性をさらに上乗せし、必死に何かを伝えようとしていた。

真っ赤な少女。
漂う匂いの正体。
いまだに小屋から出てくる気配のない、椋。
その答えは。

「うわああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!」

フラッシュバックするは三つの遺体、温度の消えた少女達の面影が全て椋に塗り替えられる。
雅史は意図することなく、目の前の少女から逃げるよう方向など考えることなく走り出した。
死にたくないというただ一心、雅史の胸中を満たす思いはそれに他ならない。
背後を振り返ることもなく、とにかく前だけを見て雅史は足を動かした。
……心の中で、ひたすら椋に謝りながら。

「ふん、逃がすものか」

657雅史アフター:2008/05/27(火) 23:47:59 ID:T.XnXA1I0
雅史の背中を睨みつけながら、赤く染まった少女も動き出す。
サッカー部の雅史も確かに足は速いが、少女も自分の身体能力にはかなりの自信があった。
何より少女の仲には、目的を遂行するために持つ意志の強さが存在している。

「全員、天沢郁未も含め……この手で消しきって、みせる!」

地を蹴りながらデータファイルを自身のデイバックにしまいながら、坂上智代は改めて斧を持ち直し雅史にとどめを刺すべく行動を開始した。
小屋の中に取り残された椋を置き、こうしてこの場所から人気が消えていく。
小屋の中、既に絶命している椋の手には雅史の学ランがしっかりと握られていたが……雅史がそれを知る術は、今や無きに等しかった。



【時間:2日目 午前8時過ぎ】
【場所:F-09】

佐藤雅史
【持ち物:金属バット、拡声器、支給品一式×2】
【状態:智代から逃げる、学ラン脱ぎ済み】

坂上智代
【持ち物:手斧、フォーク、参加者の写真つきデータファイル、支給品一式×2(茜の分)】
【状態:左手負傷。ゲームに乗る】

藤林椋 死亡

椋の支給品一式は小屋の中に放置

(関連・246・266・321・398)(B−4ルート)

658危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:30:19 ID:JAFbCA0g0
(あの子……どこに行ったのよ)
 役場を脱出した七瀬留美は、相楽美佐枝を誤射で殺害してしまった小牧愛佳を探して奔走していた。

 ――本当に、自分は正しいのか。

 戦いの場にいたという理由だけで七瀬は全てを敵と見なし、抹殺しようとした。
 実際、全員が全員手に武器を取って戦う姿は七瀬にとって殺し合いに乗っていることの証明に思えたし、それを裁くのは自分だと思っていたことはある。

 ……だが、実際は違ったのではないか?
 積極的に攻撃を仕掛けていたのは岸田洋一や七瀬彰であり、里村茜、坂上智代、相楽美佐枝、そして小牧愛佳はやむを得ず応戦していただけなのではないか?
 正当防衛は殺し合いに乗ったことを意味しているわけではない。それは七瀬にも理解できる。

 しかし愛佳はともかくとして、他の三人……いや美佐枝は既に死亡している以上今は二人、については未だ確証は持てない(しかしその二人ももはや生きてはいないのであるが)。どんな形であろうとも、戦い、殺し合いに対する憎悪は深く七瀬の中に根付いていたのだ。
 だから七瀬は確かめねばならなかった。

 殺し合いには乗っていないのか……と。
 それはある意味では七瀬留美という人物の正当化でもある。
 殺し合いに乗ってない人物を積極的に襲ったのではないという事実を証明することで、自分のそれまでの考えは決して間違っていないというものだ。
 事実、七瀬が交戦したのは彰だけであり愛佳や茜たちとは交戦してない。
 誤解は解く。しかし自分の考えは変えない。

 それは意地のようにも思えるが、つまるところ自己正当化に過ぎない。
 何故なら自分の考えを変えてしまえば、それはこれまでの自分が殺し合いに乗っていることになる。
 殺し合いを憎悪しているが、それに乗ったつもりはない、というのがあくまでも七瀬の考えである。

 ……その考えが既に、狂気という領域に足を踏み入れつつあることを、彼女は自覚できるはずもない。
 ともかく、現在の第一目標を愛佳の捜索に切り替えた七瀬はしらみつぶしに鎌石村を歩き回る。
 別に誰と出会ってもいい。殺し合いに乗っているなら殺し、乗っていないなら保護するだけのことだ。

659危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:30:44 ID:JAFbCA0g0
 そんなことを考えながら、七瀬は顔を上げて僅かに血の匂いが入り混じる空気を感じつつ静謐に満ちた鎌石村の風景を見回す。
 生きている、という気配はなかった。
 どこもかしこも、人の生活を感じさせる明かりや電化製品の動く音、そういったものは微塵もない。
 例えるなら映画に用意された舞台のセットというところだろうか。

 ご覧下さいませ、本日のショーは乙女の殺人遊戯です――

 胸糞が悪くなる。このような饗宴、いや『狂』宴を催した人物には罰を下さねばならないと七瀬は思った。
 死刑は確定だ。人が人を殺すようなものを計画しておいてそうしない理由がない。
 次はその方法。死刑といっても首吊りや電気椅子程度ではここに散っていった者達の無念は晴れるべくもない。
 特に冬弥の、彼があれほど惨く、目を覆いたくなるような殺され方をしたのに普通に死を迎えさせるなど言語道断だ。

 そうだ。どうせなら彼と同じ苦しみを味わってもらおう。
 腹を割き、臓物を引きちぎり、骨を砕き、踏み潰して上半身と下半身を綺麗にお別れさせてやる。
 生きながらじっくりと、じっくりと。
 どれほどの痛みを受け、どれほど生が尊いものか、時間をかけて刻んでやるのだ。

 くくっ、と七瀬は微笑を浮かべる。
 ごりごり、ぐちゃぐちゃ、ぐちゅ、と体を潰される悪魔の姿を思い想像しただけで可笑しくてたまらなくなったのだ。
 そう、それは僅かな笑い声だ。だがそれは隠れていた、怯えるウサギを追い立てるには十分だった。

「ひい……っ!」

 裏返った声が聞こえたか、と思うとその目の前を、自然の色を基調とするこの村では比較的色鮮やかな、赤い服装の少女が駆け抜けていく。
 まるで小動物のような素早い動きで七瀬から逃げ出すその少女は――彼女が探し求めていた小牧愛佳、その人に他ならなかった。
 いきなり民家の物陰から出てきたので切磋に反応する事が出来なかったが、数秒の後にそれが愛佳だと判断するに至り、慌てて七瀬はそれを追って走り出した。

「待って! ねえ、ちょっと、待ってよ!」
「こないでっ、こないでえぇぇー!」

660危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:31:06 ID:JAFbCA0g0
 静止をかける七瀬の声を、髪を振り乱しながら拒絶し、絶叫を上げながら愛佳は逃げ続ける。

 美佐枝をわざとではないとはいえ射殺してしまった愛佳は役場を離れた後、近くにあった民家の陰にずっと潜んでいた。
 ガタガタ、と震えながら彼女は小さく縮こまっていた。
 元来、よく言えば優しく。悪く言えば小心者である愛佳が人を殺したという罪悪感、そして人の死を見てしまったという恐怖に耐えられるわけもなく、怖い、それ以外のことは何も考えられなくなっていた。

 それと同時に、今度は自分が殺される番ではないのか、とも。
 人を殺した罪人は裁かれる。目には目を。歯には歯を。
 古来からあるその言葉が指し示すように、殺人を犯してしまった人間が許されることがあるはずがないのだ。
 人殺しはこの場に不要だ。

 美佐枝の死体を前に冷たく見下す智代や茜、そして友人の面々が各々裁きの道具を手にしている光景がずっと彼女の頭の中にあった。
 彼らは口々にこう糾弾する。

『人殺し』
『人殺し』
『人殺し』……

 違う違う、あたしはそんなつもりなんかじゃなかった、あれは美佐枝さんを助けたい一心でやっただけだった――そんな言い訳は通用しない。
 何がどうあれ、愛佳が人を殺したという事実は厳然としてそこにあった。
 いやもう、最早既に逃げ出した愛佳を殺人鬼として認識し、各地に伝聞されているかもしれない。

 現実は残酷。

 あいつが相楽美佐枝を殺したぞ。
 あいつは凶悪な殺人鬼だ。
 あいつを許すな。
 あいつを殺せ。
 殺せ――

661危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:31:28 ID:JAFbCA0g0
 殺される。そう考えると恐怖が一気に侵食を始めた。
 それは真っ黒な水が綺麗なカーペットをあっという間に染めていくかの如く。
 愛佳の頭の中には未だに頭の上半分がなくなった美佐枝の姿がこびりついていて、伸ばした手が愛佳の方へと向いている。
 返して。あたしの人生を返して。そう言っている。

 ぷしゅーぷしゅーと、呼吸代わりに血を噴出させ、勢いは怒り猛るように凄まじく。
 あんな姿になりたくない。あんなのは嫌だ。嫌だ、死にたくない死にたくない――
 罪悪感より、恐怖が上回り始めて己の生のみを懇願する寸前、声が聞こえた。


 クスッ。


「――!?」
 嗤った。誰かが、殺人犯の自分を見つけた。
 その瞬間、罪悪感はぷちんと切れた。

 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される
 殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される殺される――!

「……っ!」
 首筋に銃口を押し当てられたような感覚が、愛佳を逃避の道へと奔らせた。

 そしてそんな愛佳の心情が、自分勝手な思考になりつつある七瀬に理解できるはずもなく。
 臆病なウサギと傲慢な狩人の追いかけっこと相成り申した。

662危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:31:52 ID:JAFbCA0g0
「ああもうっ、埒があかないわね! 聞きたいことがあるの! 話聞いてよ! 襲ったりなんてしないから!」
「イヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤイヤ! 来ないで来ないで来ないでぇーーーーーっ!」
「な、ちょ、早くなった! そんなにあたしが怖いかおんどりゃーーー!!!」
「いやああぁぁああぁぁ! 殺さないで殺さないで殺さないでーーー!」

 全く以って会話になってない会話である。
 そもそも七瀬は役場において愛佳とは敵対する立場であり、ここまで愛佳が錯乱していなくとも逃げるのは当然だ。
 よく言えばおっとり、悪く言えば鈍な愛佳も流石に全力を出さざるを得ない。
 小動物の全力を発揮して全速力で逃げる愛佳に、自称乙女も本気を出す。

「なめないでよ、七瀬なのよあたしは!」

 何が何でも話を聞いてもらい自分の正当性を主張しなければならない七瀬が、疲労の溜まった体を押して走る。
 ついでに、こんな調子で殺人鬼と誤解されたらたまらない。
 七瀬はあくまでも弱者の味方であり、この島からの脱出を目指す正しく乙女(本人談)なのだ。
 今現在の彼女の第一目的である弥生殺害が正しく乙女なのかどうかはこの際気にしないということにしておこう。

「っ、それにしても……目が疲れる……まだチカチカする」

 七瀬彰の放った最後っ屁による視力へのダメージはまだ影響を及ぼしていた。
 愛佳の姿は捉えているものの左右への視界がぼんやりとしていて注視できない。これ以上距離を空けられると見失う恐れが出てくる。
 そうは問屋が下ろさない。元々は運動をしていたので同じ年齢、同じ体格の人間での持久走なら七瀬に分がある。
 とりあえず、言葉ではどうあっても届かないと判断した七瀬は機を見計らってまずは捕まえることにした。それまでは適度に追い続ければいい。

 何事かを喚きながら逃げる愛佳。
 目的を達成するがために半ば冷酷に算段を立てる七瀬。
 逃げる愛佳は七瀬を殺人鬼と見なし。
 追う七瀬は殺人鬼ではないと主張するために。

663危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:32:20 ID:JAFbCA0g0
 狂気と、本能と、欲望をかき混ぜながら。

 二人は、坂道を駆け上がっていく。
 ――長い長い、ホテル跡への坂道を。

     *     *     *

「……」

 七瀬彰は、いかにも奇妙な二人(七瀬と愛佳の逃走劇。仲がよろしいことで)が横切っていくのをじっと見据えていた。
 ……さて、どうする。
 灯台もと暗し、の言葉があるようにあえて役場から近い物陰に身を潜め、動向を窺っていた矢先の出来事であるが……

 はっきり言って、体力が回復しきっていない。
 おまけに左腕の損傷がひどく、服を裂いて縛り、一応の処置は施してはいるものの付け焼刃に過ぎない。
 左腕は今の状況下では使い物にならないだろう。利き手ではなかったのが不幸中の幸いか。

(なんで、僕は痛い思いをしてまで、こんなことをしてるんだろうな)

 彰は自嘲する。
 痛いのは嫌だ。死ぬのはもっと嫌だ。
 確かに自分は平凡な学生に過ぎないが、それでも将来を望んでいないわけでもないし、もっともっと生きて面白い小説を読みたい。
 もう一度読みたかったなあ、長いお別れ。フィリップ・マーロウは格好いい。いや渋い。まさしくハードボイルドだった。
 僕も、あんな人になれたらこの殺し合いに抗っていたんだろうか。

 そう考えて、彰はまた笑った。
 そんなわけあるか。所詮は夢想。ただの子供が夢見る憧れに過ぎない。
 なるほどなるほど。つまり僕は、七瀬彰は小説一冊のために美咲さんを裏切るような人間だったのかもしれなかったわけか。

664危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:32:44 ID:JAFbCA0g0
 耽るな、七瀬彰。

 現実を見据えろ。今できることをやれ。
 問題は生き返らせる、という主催者の言葉だ。本当にそんなことが、可能なのか。

「いや、できなくてもやってもらうさ……させてみせる」

 殺し合いに追い込んだ手前、責任はきっちりととってもらう。
 こんな馬鹿げた真似ができるのだから、できるはずには違いない。
 もしできないなどと言い張ったときには……道連れに殺すまで。

「……よし」

 彰は気を取り戻して、先程の出来事と合わせてこれからの動向を考える。
 分析したとおり、体力的にも全力では戦えない。なれば正面から突撃するのは愚策。それは先程の戦闘が証明している。
 武器が強いからといって無策で挑むのは蛮勇だ。イングラムとM79を持っていることで慢心したのかもしれない。

 考えろ。狙うなら相手が万全のときではなく、疲弊した瞬間だ。混乱に乗じ、獲物を狙い打ちにする方法は?
 そうだ、あの二人はどの方向へ走っていった? 来たことがある道ではなかったか。あの緩やかな勾配。そうだ、あちらはホテル跡だ。
 ホテル跡には……見逃してやった、誰かがいなかったか? いた。二人いた。誰かは知るべくもないが、この自分にさえ怯え、逃げ惑っていたような人間だ。
 もし、未だに留まっているとするなら……あそこで一悶着起こしてもらえればこちらとしては与しやすくなる。

 計画はこうだ。
 あの走っていった二人を追い、ホテル跡に飛び込み、残っていたあの二人組とかち合わせしたところで乱入。そして一網打尽。
 単純な計画だが、それだけに効果は高いはず。シンプル・イズ・ベスト。
 一応、いつでも逃げられるようにそれなりに時間を空けてから行ったほうがいいだろう。もう少しここで休憩をとっておくのがベターか。

 ふう、と隠れている民家の塀に背をもたれ掛け、左腕から湧き上がってくる痛みを感じながら、彰は息を吐く。
 ついでにと下ろしていたデイパックから水とパンを取り出し、口に挟む。クソ不味いが、空腹だったのもまた事実。
 もしゃもしゃと味のないパンを噛みながら、彰は遠くで「クソッタレが!」と誰かが叫ぶ声を聞きつける。

665危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:33:09 ID:JAFbCA0g0
 聞き覚えがある。確か役場で意気揚々と殺し合いに乗っていた長身の男ではなかったか。
 様子を見る限り不利になって脱出してきたのだろう。あの叫び方からしてさほどダメージは受けていなさそうだが、ざまあみろと彰は罵倒する。
 それに殺人狂ではない彰からすればさして興味もなく、関わり合いにもなりたくない男だったので黙って見過ごすことにした。
 幸いにして彰がこれから向かう方向とは間逆に行っているようだ。無理はしなくて済む。
 ぱさぱさしたパンの欠片を水で流し込みながら、彰はすっかり馴染んできたイングラムを見据えていた。

     *     *     *

「というわけで、第一回ミステリ研定例部会をはじめまーす! はい拍手」

 ぱちぱちぱち、とどことなく白けた感じの拍手がホテル跡の寒々しい空間に広がる。
 昼間においてもなお薄暗いロビーと、かつての豪勢さを示していたのだろう明かりのついていないシャンデリアがそれに拍車をかけている。
 先程元気に宣言した笹森花梨を初めとして、急遽部員に任命された伊吹風子と十波由真が座っているソファも、所々中身が出ていて粗大ゴミに出されていてもおかしくない一品と化している。しかも座る前までは埃が積もって汚い有様であった。
 壁にかけられている安っぽい絵も額縁が傾き、プラスティックの部分には罅が入っており、見られたのであろう優美さは綺麗に損なわれてしまっている。

 要するに、みすぼらしい図である。あるいは子供の秘密会議か。けれどもそんな体裁などまるで気にするわけもない花梨は陽気に、テーブルの上に乗った青い宝石をびしぃっ! と指差して続ける。宝石はここに来る以前より、輝きを増しているようにも見えた。

「まあこれはね、私がここで拾ったものなんだけど、どうも、何かを開く『鍵』らしいんよ」
「……鍵、ですか」

 しげしげと宝石を手にとって見つめる風子。まるでその輝きに見覚えがあるように、彼女にしては珍しく集中して眺める。

「鍵、というと……どこかにはめるとか? 冒険映画みたいに」
「うーん、それも考えたんだけど、なんか、ちょっと違う気がするんよ」

 手に入れた当初こそ由真のように考えていた花梨だが、度々目にする『光』を存在を確認したときから、その考えは違うのではないかと思い始めていた。
 ただ、それを説明するのは少しばかり難しく、またその『光』はどうやって入手すればいいのか分からない。
 何より、『光』を集めたとしてどこで使うのかが分からない。そして、その効果の程も。
 分かるのは、同時に手に入れたメモから主催者連中が躍起になって奪おうとするほどの代物であるということだけだ。

666危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:33:34 ID:JAFbCA0g0
「なんというか、その、これは『光』があるんよ」
「光? 確かに綺麗だとは思うけど……」
「そうじゃなくって、うーん、どう説明したらいいのかな……」
「想い……だと思います」

 上手く言葉にできない花梨をフォローするように、風子が声を上げる。
 その響きはいつものように奇天烈で、気まぐれな風子のものとは思えないほどの真剣な声である。

「ふわふわ漂ってて、やさしい匂いがするんです。でも、痛みや悲しみのような、怖い匂いもあります。だから、匂いです。ひとの匂いなんです」
「そーそーそー! そんな感じ! いいよいいよキミ! 名誉部員に認定するっ!」
「結構です。そもそも部員になった覚えはありません」
「ぐぁ……」

 きっぱりと退部届けを突きつける風子に花梨が少なからぬダメージを受ける。ここらへんの切り返しの速さは流石風子、としみじみ思う由真だが、その前に納得できないことがある。

「想い、って言うけどさ、そんなものがあると思うの? そりゃ、話を聞いてたら何か重要なものだ、ってのはわかるけど……あたしには信じられない、そういうの」
「ちっちっち、世の中には科学では説明できない不思議がたくさんあるのだよ十波クン。ミステリ研名誉会長の私が言うんだから間違いないんよ」
「そう。この世界には本当に不思議なことがたくさんあるんです」
「おー! やっぱり話が分かるねキミ! ねね、私の助手になってみない?」
「結構です。一人でやっててください」
「ぐぎゃ……」

 思い切り凹んだ花梨を横目にしつつ、意外と毒舌なんだな、と由真は思った。
 全く意に介する風もなく、風子は冷静に言葉を紡ぐ。

667危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:33:56 ID:JAFbCA0g0
「風子自身を例に出すと……風子は、事故で何年間も眠り続けていたそうです。風子が一年生なのは、それが理由です」
「……」

 明かされる意外な事実に、由真は驚きを隠せない。いかにも年下そうなのに年上だった。その裏にはこんな事情があったというのか。

「お姉ちゃんの話を聞いた限りでは……風子は一生目覚めなかったのかもしれなかったそうです。そうでなくても、本当ならもっともっとたくさんの時間がかかっていた……って言っていました。だからお医者さんも、風子が目覚めたときにはすごく驚いたそうです。すごく回復が早かったのにも」
「それって……」
「風子の周りの人はみんなこう言いました。『奇跡だ』……と。風子にはそんなつもりはありませんでしたし、本当にそうなのか分かりませんが……でも、ちょっとした不思議や、ほんの少しだけありえないことはあるんだと思います」
「……そう、ね。うん、大げさに考えてたかも、あたし」
「だから、この宝石もきっと、ほんの少しだけ不思議なことを実現するのかもしれません。ヒトデが陸地に生息できるようになるとか」
「いや、そりゃほんの少しってレベルじゃないでしょ」
「失礼です! ヒトデが二足歩行で道路を闊歩してちゃいけませんか!」
「いや、そういう問題じゃないから」

「……というわけで! 宝石がただの宝石じゃないと分かったので今度は『光』を集める方法について模索したいと思いまーす!」

 ヒトデ論争に発展しかけたところで、復活した花梨が元気に次の議題を述べる。立ち直りだけは早いのは流石は花梨といったところか。
 タフだなあと由真は思いつつ、まだ興奮している風子を座らせ、まずは花梨に話を窺う。

「その、『光』……なんだけどどこで手に入れたの? 事例から検証していくのが一番手っ取り早いと思うけど」
「いや、それもね……なんというか、場合がバラバラなんよ。気がついたら増えてた、って場合もあるし」
「条件は一定じゃない、か……」
「十波さん、えらく真面目な言葉を使いますね。眼鏡が似合いそうです。いやなんとなくですが」

 失礼な。あたしはいつだって真面目よ、と言おうとした由真だが、普段の自分の態度を省みると、そう思われても仕方ない。
 そもそもその観点で文句を言えば風子が真面目なのにだって文句が出るはずだ。
 ふふん、と余裕な態度を見せつつ由真は風子に言った。

668危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:34:21 ID:JAFbCA0g0
「まああたしは元々真面目なのよ。じゃあ、歩き回ってるうちに集められてた、ってことか……意外と、歩き回るだけで集められたりして」
「万歩計みたいです」
「お、ナイスな発想。そういう風に言ってくれると会話が膨らむよ」
「風子、ミステリ研には入らないです」
「……ううぅぅぅぅ……」

 まだ勧誘するつもりだったらしい。鋭く見抜く風子も風子だが、諦めない花梨も花梨らしいというか……
 半分呆れ返りながら由真は話をまとめに入る。

「とにかく、ここでじっとしてても光は集められないってことよね。ちょっと持ち物は心許ないけど、外に出て行くしかないと思うわ。花梨は今まで北の方にいたんでしょ? あたし達もまだ西の方しかうろついていないし……一旦南から島を一周するように歩いてみるってのはどうかな?」
「私もここでじっとしてるつもりはなかったけど……ちょっと足がねー……車があったらなぁ」
「笹森さん、免許持ってるんですか?」
「ううん? でも別に無免許くらい大丈夫でしょ。警官、ここにいないし」
「いや、そういう問題? ……まあ、確かにそうなんだけど。つか、運転できるの?」
「ふっふっふ、科学の申し子である私に車を運転することなんて朝飯前なんよ。一度も運転したことないけど」
「はいっ。事故になりそうなので風子は遠慮させてもらいます」
「はいっ。同じく事故に遭いたくないのであたしも一抜けた」
「そんなに信用できんかー!」
「だって、ねえ?」
「笹森さんですし」

 示し合わせたように頷きあう二人によよよと泣き崩れる花梨。
 ああ悲しきかな。現実は無常也。
 そもそもこの近辺に車なんてないし、よしんば発見したとしてもキーがなければ使えないのであるが。
 そんな風にトリオ漫才をしていて、気が抜けていたのか。ロビーに入ってくる人間の存在に、三人は気付かなかった。

「……ちょっと、いいかしら?」
「っ!?」

669危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:34:44 ID:JAFbCA0g0
 振り向いた三人の視線の先。そこには両手に花と言わんばかりに両手に拳銃を持った天沢郁未が睨み付けていた。
 鋭い目線が、三人に動くなと無言ながら命じている。流石にこの状況でバカをしているわけにもいかず、三人は手を上げて戦意のないことを示す。
 三人の顔をそれぞれ眺め回し、郁未が尋ねる。

「ここに人がいるなんて意外だったけど……何をしていたの?」
「……特に何も。しいて言うならこれからどこに行くかってことを考えていただけです」

 なるべく疑われにくくするように、風子が言葉を選んで伝える。

「ふうん、作戦会議、か。ずっとここに?」
「いや。離れ離れになっていたけど合流して、その矢先。もっとも、あたしと伊吹さんはこの近辺しか動き回ってないけど」
「……あなたは?」
「私は北の方から……まあ、色々と出会いと別れは繰り返したけど」

 その言葉に、郁未は目を細める。何事かを考えているように見えるが、何を考えているかは伺い知れない。とにもかくにも優勢なのは郁未で、最悪このまま殺されかねない。だからこそあまり刺激しないように三人は言葉を選んでいた。

「じゃあ、あいつらの存在は知らないか……那須宗一と古河渚、この二人を知ってる?」
「渚さんですか? それなら風子のお友達なのですが」
「……友達、なんだ」

 含みがあるような郁未の物言いに、どういうことですか、と風子が尋ね返す。すると郁未は目を伏せながら、

「残念だけど……その子、殺し合いに乗っちゃってるのよ。さっき言った、那須宗一って男と一緒にね」
「……信じられません。風子、渚さんの人となりについては知っているつもりです。渚さんはそんなことをする人じゃないです」

「確かに、今までならそうだったかもしれないわね。でも彼女は、親御さんを殺されているのよ。
 そればかりかあの子は私の前でこう言った……
 『お父さんとお母さんを生き返らせるためなら、わたしは人殺しだってしてみせます』ってね……
 それで戦闘になって、しかも仲間も殺されてここまで逃げてきたってわけ。
 あなたたち、そのこと知らないみたいだったから、知らせておこうと思ったのよ」
「……」

670危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:35:13 ID:JAFbCA0g0
 今ひとつ納得のいっていない風子に対して、由真と花梨は俄かに同情の様子を見せている。
 風子と違い、渚の人となりを知らない二人にとってみれば郁未の心情は察するに余りあるし、むしろ危険人物の存在を知らせてくれた在り難い存在でもある。
 しかも放送で古河姓の人物は二人読み上げられているし、親を殺されようものなら復讐に走るのはある意味当然の言葉と言える。

「……っと、悪かったわね、銃なんて向けちゃって。でも、今の状況じゃちょっと簡単には信用できなくて」
「いや、その気持ちは分かるわ。こっちこそお礼を言わせて。ありがと」
「いいわよ、そんなの。で、どこに向かうつもりだったの?」
「んーと、南から島をぐるっと回ってみようかなと」

 花梨の言葉に「ならなおさら伝えといてよかった」と郁未は安心したように付け足す。

「気をつけて。そっちにはまだ那須宗一と古河渚が潜んでいるかもしれないから」

 未だに郁未の言葉を疑っている風子は警戒したままだったが、由真と花梨はうん、と頷く。

「……あなたは、一緒に来ないんですか」

 まるで他人事のように忠告した郁未に、指差しながら風子が問いかける。すると郁未は首を横に振って、
「いや、私は少しここを探索するわ。生憎、銃は持っているんだけどこれ、弾切れなのよ。だからさっきのは牽制だったの。冷や冷やしたけどね」

 くるくると銃を手で弄びながら、郁未はここに残ることを告げる。
 勿論銃が弾切れなのも、宗一と渚が殺し合いに乗っているということも嘘。

 作戦は煽動。
 見たところ殺し合いには乗っていないと判断した郁未だったが、かといって貴重な隠れ場所で騒ぎを起こしては元も子もない。
 再確認する。郁未の目的は生き残ることであり、無用な戦闘は控えたい。加えて、一対三では取り逃がす可能性が大きい。
 一見平和主義者の能無しに見えても窮鼠猫を噛むこともある。渚がいい例だ。それにこれから外に出て行くというのならそれを引き止める必要はない。
 偽情報を流したのは宗一と渚に合流されるのを恐れたため。
 嘘を嘘と見抜かせないコツは、嘘の中に真実を散りばめておくこと。
 実際、二人と戦闘したのは事実だし、仲間が殺された(まあ、信用できない仲間だったが)のも事実だ。例外は一人だけいたが、世の中多数決だ。
 強硬に主張はしていない。あくまでも懐疑的なだけだ。

671危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:35:30 ID:JAFbCA0g0
(ま、演技も疲れるものね。本当なら八つ裂きにでもしてやりたいけど、あの女じゃあるまいし)

 来栖川綾香のようなヘマはしない。郁未もまた、ままならぬ中着実に失敗から成長を重ねてきていた。
 とにかく、隠れながら動向を窺う。昼の時点で死者は29人。もっと死者が増えているなら自分が手を出す必要性は薄くなっていく。
 見極めは、放送以後だ。それまでは大人しくしておいてやろう。

「そうですか……なら、別に構わないです。風子も無理にとは言いません」
「……そうね。確かに、安易に大人数で行動するのもね。じゃあここに残るなら、後でここに来る人とかに伝言を頼みたいんだけど」
「まあ、別にそれくらいは……」
「それじゃあ、名前を――」

 由真が郁未の名前を尋ねようとする。
 その時に、事件は起こった。

「イヤイヤイヤイヤイヤイヤ、やめてぇっ! 来ないでぇぇぇっ!」

 空気を引き裂く、女の悲鳴。

「っ!?」
「今の声、ひょっとして……愛佳!?」
「……」

 花梨と風子は何事かと驚き。

 由真は気が気ではなく。

 郁未は鬱陶しそうに。



 風が、殺戮の匂いを運んでくる――

672危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:35:55 ID:JAFbCA0g0
【時間:二日目午後17:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する、仲間を守る。郁未に懐疑的】

十波由真 
【持ち物:ただの双眼鏡(ランダムアイテム)、カップめんいくつか】
【状況:仲間を守る。郁未の情報を信じている】

笹森花梨
【持ち物:特殊警棒、海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、青い宝石(光二個)、手帳、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6、ステアーAUG(7/30)、グロック19(2/15)、エディの支給品一式】
【状態:光を集める。仲間とともに宝石の謎を明かす。郁未の情報を信じている】
ぴろ
【状態:花梨の傍に】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(6/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、中度の疲労、マーダー】
【目的:ホテル跡まで逃亡、人数が減るまで隠れて待つ。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

673危険のはだざわり:2008/06/01(日) 04:36:19 ID:JAFbCA0g0
【時間:二日目午後17:00】
【場所:E-4 ホテル外】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、極度の精神的ダメージ+錯乱】

七瀬留美
【所持品1:手斧、折りたたみ式自転車、H&K SMGⅡ(26/30)、予備マガジン(30発入り)×2、スタングレネード×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、一時的な視力低下、激しい憎悪。自身の方針に迷い。愛佳を追っている】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(16/30)、イングラムの予備マガジン×4、M79グレネードランチャー、炸裂弾×9、火炎弾×10、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、疲労大、マーダー。留美と愛佳を離れた位置から追跡中】

→B-10

674Left alone:2008/06/02(月) 23:09:41 ID:iNSwEiiU0
 復讐、という言葉についてリサ=ヴィクセンは考えていた。
 これまでリサが生きてきたその理由を占める大部分であり、そのためにかなぐり捨ててきたものは数知れない。

 例えば、女の子らしい生活。
 例えば、友達。
 例えば、恋愛。

 本来誰もが普通に手に入れられるであろうものを、リサは自ら手放してきた。
 両親を謀略によって殺害した篁総帥、その人を殺すという一点についての目的のために。

 そのためならどんな厳しい訓練も乗り越えてきた。
 どんな知識だって吸収してきた。
 どんなに汚いことでも、人の道に外れると看做されても仕方のないことだって、やってきた。

 その結果が――これか。

 一回目の放送で、篁の名前が呼ばれた。
 世界最高の権力者とも言われるあの強大な篁が。
 これまでの人生を棒に振ってまで倒すと決意していたのに、あっさりと死んでいた。
 それこそ、道端の通り魔に刺されて死にました――それくらいの感覚で。

 軍人の習性からか、始めこそ情報として受け入れていたが……時間が進むにつれて空しさばかりがリサの心を満たしていく。
 分かっていたことではなかったか。
 復習を果たした人間の結末。目的を達成した後の結末などありふれている。
 ハッピーエンドなんてありえない。そんなことは百も承知していたはずだったのに。
 全部、無駄になってしまった。

 行き場を失ってしまった復讐心は、もはや誰に向けるべきかすら分からない。
 主催者か? 篁を殺した人物か? あるいは、その人物を殺した人物か?
 どれも違う。いや、もう既に全部、空っぽになってしまっているのだ。
 簡単に言えば……生きる目的がなくなった。

675Left alone:2008/06/02(月) 23:10:05 ID:iNSwEiiU0
 これからどうする。
 主催者を倒し、脱出……或いは、(ありえないことだが)殺し合いに乗り、優勝したとしても、その先で何をする。

 戻るべき日常なんて存在しない。

 帰るべき場所もない。

 何もない。

 今、リサが生きているその理由が……美坂栞、その人と一緒にいるから、ということだった。
 始めは、弱い人間を守るという使命感に駆られてのことだった。
 実際栞は内気で脆く見えたし、身体能力に関しても男どころか同世代の女の子にすら劣る。
 篁が死んだ後も栞には自分がついててやらねばならない、という優越感にも近いような感情があった。

 ……今は、どうだ?
 強くなっている。美坂栞は、確実に人間としての強さを兼ね備えている。
 友達を殺され、そればかりか家族を殺されているというのに。
 気丈に、めげず、迷いそうになりながらも、しっかりと自分の道を、苦しみながらも必死で模索している。
 リサのように、復讐に奔ることもなく。

 弱い。栞は弱い。まだまだ弱い。そのことをしっかりと認識し、なら出来ることは何かと考え、戦う道を選んだ。
 誰かの役に立ちたい。その一心で。
 自分勝手なリサと比べて、なんと強い意思なのだろう。

 だからこそ、それに縋っていたい。
 もっと強くなってほしい。
 あのときあったもう一つの可能性、未来を、見せてほしい。
 ああ、なんと自分勝手なのだろう。復讐心に猛っていたあの頃より自分勝手になってしまっている。

676Left alone:2008/06/02(月) 23:10:20 ID:iNSwEiiU0
 これからどうする。
 主催者を倒し、脱出……或いは、(ありえないことだが)殺し合いに乗り、優勝したとしても、その先で何をする。

 戻るべき日常なんて存在しない。

 帰るべき場所もない。

 何もない。

 今、リサが生きているその理由が……美坂栞、その人と一緒にいるから、ということだった。
 始めは、弱い人間を守るという使命感に駆られてのことだった。
 実際栞は内気で脆く見えたし、身体能力に関しても男どころか同世代の女の子にすら劣る。
 篁が死んだ後も栞には自分がついててやらねばならない、という優越感にも近いような感情があった。

 ……今は、どうだ?
 強くなっている。美坂栞は、確実に人間としての強さを兼ね備えている。
 友達を殺され、そればかりか家族を殺されているというのに。
 気丈に、めげず、迷いそうになりながらも、しっかりと自分の道を、苦しみながらも必死で模索している。
 リサのように、復讐に奔ることもなく。

 弱い。栞は弱い。まだまだ弱い。そのことをしっかりと認識し、なら出来ることは何かと考え、戦う道を選んだ。
 誰かの役に立ちたい。その一心で。
 自分勝手なリサと比べて、なんと強い意思なのだろう。

 だからこそ、それに縋っていたい。
 もっと強くなってほしい。
 あのときあったもう一つの可能性、未来を、見せてほしい。
 ああ、なんと自分勝手なのだろう。復讐心に猛っていたあの頃より自分勝手になってしまっている。

677Left alone:2008/06/02(月) 23:11:03 ID:iNSwEiiU0
 リサは卑小な人間だ。
 勝手な妄想を、欲望を、自己満足のために押し付けるような事をしている。
 理解している。理解していてもなお、栞にはそう在ってほしかった。

 そのためなら……守る。何が何でも、守る。
 今の空っぽの、リサ=ヴィクセンに出来ることはもう、それしかなかった。

     *     *     *

 銃を撃つ訓練。
 そんなことをひたすら繰り返しながら、私は私の弱さを次々と認識せざるを得なかった。
 分かってる。他の子に比べても、私の体が弱いなんてことは。
 でも知ったかぶりだった。そこまで差があるだなんて考えてもみなかった。

 私、バカですから。

 その言葉すらあまりにも分かっていないのだということを、思い知らされた。
 重たい。銃が、途方もなく重たい。
 映画や、漫画だと軽々と振り回しているのに、私には精々抱えて持ち上げることくらいしかできない。
 しかも、銃を撃つときには反動があるという。
 もちろんその存在くらいは知ってるけど、リサさん曰く、『最も一般的な9mmパラベラム弾を用いる小口径の拳銃でも女性が扱うにはそれなりの体力を必要とする』と言ってた。
 リサさんがM4って言ってたこのアサルトライフルっていうのがどれくらいか分からないけど……軍隊の人がよく使ってるっていうくらいだからそれなりに体力がないと扱えないのかも。

 だったら……私が、それを使うことはできるのかな……
 見よう見まねで訓練だけはしてるけど、実際に発砲はしてないからどうなるのか、分からない。
 可能性が、私に想像させる。

678Left alone:2008/06/02(月) 23:11:35 ID:iNSwEiiU0
 殺し合いに乗った人が襲ってきて、しかもその人は強くて、リサさんは苦戦する。
 助けられるのは私だけ。
 私は銃を構える。撃とうとする。
 でも失敗。失敗。失敗。
 そんなことをしているうちに――リサさんは、死んでしまった。

 頭をよぎる度に、こんなことを、こんな自分勝手なことにリサさんを付き合わせてしまっていいのだろうか。そう思う。
 私は、役立たずだ。

 リサさん一人ならもう次々と殺し合いに乗っている人たちを倒して、この島を脱出する算段を練っている段階なのかもしれない。
 なのに、私はずるずるとしがみついて……我がまま言って、また、時間を浪費しているんじゃないか。
 あんなこと、本当なら言わなければ良かったのかも。

 ……でも。
 それでも。
 役に立ちたい。
 リサさんの役に立ちたい。
 守ってもらうだけなんてもういやだ。
 こんなの自分勝手だって分かってる。……でも私は……
 いつまでも、胸を張ってリサさんの傍にいたいから。

 だから……
 今は、進むしか、ない。
 それが間違いではないと……信じて。

 お姉ちゃん。
 ずっと会えなかったお姉ちゃん。

 今は、多分私が頑張ってるかどうか、見てるよね?
 私は今、自分の足で歩こうとみっともなく頑張ってる。
 今度は違う。
 受け身だったあの冬の日々とは違う。

679Left alone:2008/06/02(月) 23:12:04 ID:iNSwEiiU0
 横に並びたい。
 立派に、自分の足で歩いてるリサさんの横に並びたい。

 それで、聞いてあげたい。
 私が苦しみや悲しみを打ち明けたように、リサさんにもそうしてもらいたい。
 傲慢かもしれないけど、リサさんはそれくらい大切な人だから。

 だから、その日が来るまで……
 私を、見てて。

     *     *     *

 一通り訓練が終了したときには、既に時刻は夕方近くなっていた。
 栞は未だにぶつぶつとそれまでに教え込まれたことを反芻していたが、リサが軽く頭を叩く。

「根を詰めすぎ。気持ちは分からなくもないけど、少しは気持ちに余裕を持ちなさい。精神的に余裕があるとないとじゃ命中精度も変わってくるんだから」
「あ、はい……そうですね」

 言われて、ようやくそれに気付いた栞はM4を下ろすと、ほっと一息つく。
 終わってみればもうくたくただが、それなりに構えは形になってきている。

 飲み込みの早さはリサも認めるくらいであった。
 それに特筆すべきは姿勢の維持精度。
 殆どブレがなく、伏せ撃ちの体勢のときはまるで石のように微動だにしない。

「じっとしているのは、得意なんです」

 とは栞本人の弁であるが、恐らくは天性の才覚だろうとリサは考えていた。
 恐らくは、もっと射撃経験を積めば狙撃手の片鱗を見せることは間違いない。惜しむらくはスナイパー・ライフルが手元にないことだ。
 職業柄、どのライフルが栞に合うかどうか考えてしまっている自分に、リサは苦笑する。

680Left alone:2008/06/02(月) 23:12:30 ID:iNSwEiiU0
「どうしたんですか?」
「……いいえ、つまらないことよ。気にしないで」
「……そうですか」

 そう言うと、栞はM4をリサに差し出す。

「これ、お返しします」
「ん? いや、差し支えなければ栞が持ってて構わないわよ。流石に手ぶらは危険だと思うから。それとも……重たい?」
「……いいえ? もう慣れましたよヴィクセンさん? あはははは」
「……フフフフフ」

「えへへへへへ……」
「ンフフフフフ……」

 何となく気持ちの悪い笑顔を交し合う二人。
 ちょっとした意地の張り合いである。
 栞はこれくらいはできて当然ですよと言いたげに。
 リサは無理しなくていいのよという目線で。

「まあ、冗談は置いといて……本当に大丈夫です。貸してくれるのなら、大切に使います。ありがとうございます」
「使わないのが本当はベストなんだけど……ね。まあ、どういたしまして。でも本当に無理はしないで。約束」
「そうですね、約束です」

 すっ、と栞が小指を差し出す。けれどもリサはというと、その意味が分からずしばし首を傾げる。

「あれ? 指きりげんまん、って知らないんですか」
「ごめんなさい、ちょっと、初耳」

681Left alone:2008/06/02(月) 23:12:59 ID:iNSwEiiU0
 困ったように目を泳がせるリサに、栞は「んー」としばし考える仕草を見せ、やがて「じゃあ、私のように小指を出してください」と伝える。
 これでいいの、と小指を出すリサに、すかさず栞が小指を絡ませる。
 しっかりと繋がる二つの小指。小さな体温が、お互いに浸透していく。

「ゆーびきりげーんまん、うそつーいたらはりせーんぼんのーます……ゆびきったっ」

 そして、指が離れる。
 リサは少し呆気にとられながらも、これが『約束の証』なのだと理解する。

「嘘をついたら、針を千本飲まされるのか……ふふ、そこらの拷問より恐ろしいわね」
「ええ、とっても怖いんですよ? でも私にとっては辛いものを口に詰め込まれる方が恐ろしいですけど」

「栞は辛いものが苦手なの?」
「はい」
「わさびは?」
「見るのも嫌です」
「からしは?」
「名前を聞くのも嫌です」
「タバスコは?」
「人類の敵です」
「……なるほどね」

 くっくっ、とかみ殺して笑うリサ。すると栞は頬を膨らませながら言う。

「ふーんだ、どうせ私は辛いものが苦手ですよー。というか、指切りは知らないのにわさびとかからしとかは知ってるんですね」
「ん、まぁ日本料理は嫌いじゃないからね。最近は海外でも人気が出てきているし」
「あ、確かに最近テレビでよくやってますもんね」
「……とまぁ、栞の弱点を確認したところで」
「じゃ、弱点……」

682Left alone:2008/06/02(月) 23:13:25 ID:iNSwEiiU0
「……出てきてもらいましょうか、そこで隠れてるの」
「え?」

 いきなり目つきを変え、扉の外へと向けて言葉を放つリサに、栞は困惑する。
 だが慌てながらもM4を栞も持ち、教えられた通りに膝立ちで構える。
 本人は気付いていないが、栞の行動は迅速で既に教えられたことが身につきつつあった。
 二人の緊張が俄かに高まろうとしていた、が――

「鋭いね。でもレディが簡単に牙を見せるのは、感心しないな」

 あっさりと白旗を上げて、気配の主は扉を開け、姿を見せた。
 手は頭の後ろで組み、デイパックは足の裏に隠れるようにして置かれている。
 限りなく戦意はゼロである、と声高に主張するような態度だ。
 あまりにも分かりやすい態度に、かえってリサは「騙す気はない」と判断した。
 栞にM4を下ろすよう言い、リサは一歩前に進み出て返答する。

「あら、ごめんなさい。でも世の中も物騒になってきたから、ね」
「なるほど。でも僕は雌の狼よりは、雌狐の方が好きなんだ」
「へえ……どうしてかしら?」
「同じかみ殺されるなら、美しく、優雅な方をと思ってね」
「……いいわ。手を下ろして。貴方は大丈夫そうね」

 いつの間に敵意を解いているリサに栞は状況が理解できない。
 目をぱちくりさせている間に、リサと話していた男は部屋の中に入ってくる。

「あ、あの、リサさん、いいんですか……?」
「大丈夫よ、敵じゃないわ」
「ど、どうして……ですか?」
「勘」

683Left alone:2008/06/02(月) 23:13:50 ID:iNSwEiiU0
 ええ、と納得いかなさそうに口を開ける栞に、男が人懐っこく笑みを浮かべる。

「どうもよろしく、お嬢さん。僕は緒方英二。少しわけあって、ここまで来させてもらったよ」
「は、はあ……美坂、栞です。よろしく……」
「あら、私には挨拶なし?」
「おっと、失礼。忘れていたわけじゃないさ。見たところ軍事関係者と見たが……」
「いい勘ね。まあその筋の人間だと考えて貰えれば。リサ……リサ=ヴィクセン。よろしく、緒方プロデューサー」
「プロデューサー?」

 何のことか分からず、きょとんとする栞に、英二は参ったな、とぽりぽりと頭を掻く。

「売れっ子アイドルを輩出している名プロデューサーよ。割と有名な話、気付かないとでも?」
「……そこまで有名とは思っていなかったんだけどね」
「そんな人が……」

 初めて知ったのかしきりに感心している栞をよそに、リサは壁にもたれ掛けながら英二に話しかける。

「で、どうしてここに?」
「おおよそ、君達と目的は一緒だと思う。情報を集めにね」

「……続けて」
「ここに来るまでにも色々いざこざがあったんだが……かいつまんで話すと、僕……いや、僕とその仲間は診療所にいた。仲間の治療のためにね。
 だが肝心なところで殺し合いに乗った連中に襲撃されて、やむを得ず僕たちはバラバラに散開せざるを得なくなった。
 僕は東、仲間は……恐らく西の方面に逃げて、幸いにも上手くいったわけだが、これからどうしようかと思案していたところでね。
 それで後々のために少しでも情報を仕入れておこうと、ここにやってきたというわけだ。
 パソコンでもあれば、何か分かるんじゃないかっていう楽観的な考えなんだが、ね」

 軽く笑う英二だが、本当にそのような軽い考えで来ているわけではない。
 忽然と消えたマルチの動向がしばらく気になって、一時は氷川村に戻ろうかと考えていた英二だったが、マルチには向坂雄二以外の別の仲間がいて、彼女を引き止めたのかもしれないし、あるいは向坂環との戦いに敗北し、ほうほうの体で逃げていく雄二に付き従って離脱したのかもしれない。

684Left alone:2008/06/02(月) 23:14:19 ID:iNSwEiiU0
 無論環が敗北したという可能性も、英二の誘導に気付いて祐一達の襲撃に向かったという可能性も無きにしも非ずだが、環はともかくとして祐一達が襲撃された可能性は低いだろう、と英二は考える。
 何故なら現在位置と地図を照らし合わせて考えてみた結果、道の作りから考えて少なくともH-8地点まで誘導に成功していたことは間違いないと判断。
 しかも戦いながらの誘導だから、英二が出てすぐに祐一達が逃げたのだとすれば相当に距離を空け、見つかりにくいところに隠れおおせているはず。
 無論推測に過ぎないが、確率としては絶対に高い。

 以上の点から考えて、氷川村に戻るよりもその後の展開を考えて、各地で情報を集め、首輪の解除、もしくは主催者の位置を割り出せないかと考え、そしてそれを行いそうな人物がどこにいるか、ということを推測してみる。
 首輪の解除、もしくは主催の位置を割り出そうと考えるなら、それなりの設備が整っていて、かつ通信設備があるのが望ましい。
 加えて、それが未だに殺し合いに乗っている人物から目をつけられにくい場所であることも望ましい。

 通信設備を必要とするのは首輪を解除するために必要な材料があり、もしも外でそれを入手した場合、連絡を取れればいくつか無駄足を踏まずに済む。
 またこのような首輪……電子機器の扱いにはパソコンが必須であろう。
 それらの条件を満たしているのが……灯台であると、英二は考えた。

 案外灯台は島の端にあって目立ちにくいし、いくつか通信設備などもある。
 それらが使えるかどうかは分からなかったが、とにかく行く価値はあると判断したのだ。
 そして、その先で……英二がリサ達と出くわした。

「ふうん……仲間の元に、戻ろうとかそういうことは考えなかったの?」
「さっきも言ったように、僕たちは東西バラバラに逃げた。もう距離的には大分離れているし、探しに戻るよりは今後のことを考えて、脱出に有益な情報を集めておけばいつか、再会したときに役立つだろう? そう思ってね」
「……大人の、考え方ね。もしその道中で、その仲間がまた別の人間に襲われて、死んでしまう――そういうことは考えなかった?」
「それは……確かに、その可能性もある。頭ごなしに否定するつもりはないさ。……でも、僕にはこうするのが最善だと思えた。ちっぽけな僕には、これが精一杯だった……言い訳、かもしれないが」

685Left alone:2008/06/02(月) 23:14:39 ID:iNSwEiiU0
 そう話す英二の目には、苦悩の表情が見て取れる。恐らくは、悩んだ末の結論だったのだろう。
 不確かな未来のために、不確かな選択を取る。しかしどうすれば最善の未来に導けるか、最善の結果に結びつけるか、英二なりに必死に考えたに違いない。
 それが、大人の考え方だったとしても。

「分かった。なら、これ以上は何も言わないわ。こっちは……まあ、貴方が考えてるような用件で来た訳じゃないんだけどね」
「そうなのか?」
「はい……ちょっと、私が体調を崩してしまって」

 ふむ、と英二は栞を一瞥する。
 普通の女の子よりも、栞は細く見えるし、M4を向けられていたときも笑ってしまうくらいに不釣合いな印象を受けた。

「まあ、無理はするなよ。診療所にいたくせに薬は一つも持ってないんだが……それはすまない。仲間の方に預けてきてしまってね」
「ということは、診療所にはもう目ぼしいものはないってこと?」
「ああ。それ以前にも誰かが使っていたようで、もう殆どないと言っていい。もしこれから村に行くつもりだったのなら……謝るよ」

 そう言って頭を下げる英二に「いや、いいのよ」と言って頭を上げるようにリサは言った。
 今のところ栞の体力については問題なさそうだし、何より無駄足を踏まずに済んだ。
 となると、氷川村に行く目的がなくなった以上、問題は今後の方針についてである。
 予定では夜の10時に平瀬村分校跡で柳川と合流する予定なのだが……今から出発したとして、大幅に遅れる可能性が高い。
 どうにかして、伝えられればいいのだが……

「……そうだ、英二、ここに来る途中、電話のようなものは?」
「ん? ああ、宿直室にそれらしいものがあったが、使えるかどうかは試してみないと……それが?」
「いや、こっちも別れた仲間がいるんだけど、分校跡で合流する予定があってね。ただ今から行っても間に合わない可能性が高いから連絡を取ってみようと……最悪、伝言だけでも残せればいいし」
「分かった、そういうことなら僕が案内しよう。美坂君は、ついてこれるか」
「へっちゃらです。もう、リサさんも緒方さんも……心配のしすぎです」

 不満げな栞に、悪かったよ、と笑いながら英二が頭を撫でる。

686Left alone:2008/06/02(月) 23:15:01 ID:iNSwEiiU0
「連絡自体は私がするわ。ひょっとしたら誰かに盗聴されてるかもしれないけど……言葉は選ぶから、安心して」
「よし、なら行こう。善は急げ、だ」

 英二が先陣を切るのに続いて、リサと栞も続く。
 さて、彼らの思いは届くのだろうか。

 運命は、また少し変わる。

687Left alone:2008/06/02(月) 23:15:53 ID:iNSwEiiU0
【時間:2日目午後17時30分頃】
【場所:I-10 琴ヶ崎灯台内部】

リサ=ヴィクセン
【所持品:鉄芯入りウッドトンファー、支給品一式】
【状態:平瀬村分校跡に電話をかけに行く。栞に対して仲間以上の感情を抱いている】
美坂栞
【所持品:M4カービン(残弾30、予備マガジン×4)、支給品一式】
【状態:やや健康。リサから射撃を教わった(まだ素人同然だが、狙撃の才能があるかもしれない)。リサに対して仲間以上の感情を抱いている】
緒方英二
【持ち物:ベレッタM92(15/15)・予備弾倉(15発)・支給品一式】
【状態:健康。首輪の解除、もしくは主催者の情報を集め、いずれ別れた仲間と合流する】

→B-10
と、>>676はミスです。申し訳ない

688アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:16:37 ID:6nsg70320
 
それはあまくてにがいゆめ。
終わってしまった、ゆめのかけら。


***


銀色の月が見える。
夜空を覆いつくすような、大輪の銀華。
精緻な細工物のように煌めくその月を見て、私は自分の見ているものが、過去の記憶だと気づく。
間違えることなどあろうはずもない。
それは、私の人生でいちばん綺麗な夜の記憶だった。

銀色の月を背に、影が立っている。
青い外套と、月光を掬い取ったような大きな銀の杖。
振るわれる杖から伸びる透き通った青い光が、私に迫っていた怪物を、消し去っていた。

音もなく、影が降り立つ。
微笑みと労わりの言葉と、差し出された優しい手。
そっと重ねたその手は、やわらかく、温かかった。

それは私、霧島聖と『青』の邂逅。
その、始まりの記憶。


***


幾つもの夜、私は街を巡った。
あの微笑みに、もう一度会いたかった。


***

689アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:17:02 ID:6nsg70320
 
再会は、やはり月華の晩だった。
街灯の切れた暗い公園。
無数に蠢くおぞましい怪物の群れと、目の醒めるような青色が、月の光に照らされていた。

閃く銀の杖。
数を減らしていく怪物たち。
その戦いを物陰で見ていた私に、しかし怪物の一匹が気づく。
立ち竦む私。
瞬く間に迫る、桃色の触手。

そして、私の手から立ち昇る、青い光。
再会の夜は、私の戦いが始まる夜でも、あった。


***


私の生活は一変した。
『青』と共に戦いに明け暮れる夜が続いた。
異形の者どもを滅し、街の平和を守る戦い。
命がけの、怖ろしい、堪らなく刺激的な、それは戦いだった。
『青』と背中を合わせて戦う限り、負ける気はしなかった。
私の中に満ちる力は戦いを経るごとに大きくなっていたし、経験は私自身を強くもしていた。
昼間の生活など、退屈で仕方がなかった。
早く夜にならないかと、教室ではそればかりを考えていた。


***

690アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:17:27 ID:6nsg70320
 
『青』と私。
月の輝く夜に、星の瞬く夜に、嵐の吹きすさぶ夜にだけ、出会う関係。
太陽の下では、結局最後まで、私は『青』を見ることがなかった。

時に窮地を救い。
時に強敵を倒し。
時に避けられぬ悲劇を超えて、私たちは共に戦った。

ふたり。
そう、それはふたりだけの戦いだった。
異形は尽きることなく、果てることなく現れるように思えた。
それでもいいと思えた。
ずっとふたりで戦えるのなら、それでもいいと。

たとえ、うららかな陽射しの下で紅茶を楽しむことができなくとも。
たとえ、手を繋いでショーウインドウを見て回ることができなくとも。
たとえ、何気ない一言に揺れ、枕を涙で濡らすことがなくとも。

私たちには、心躍る月下の邂逅があった。
閃く銀弧と、迸る青の光があった。
背中を合わせる温もりと、肌のひりつくような昂ぶりがあった。

たとえそれが、恋と呼べるものでなくとも。
私は、幸せだった。


***


そして。
幸福な時間は唐突に終わりを告げるのだと、私は知ることになる。

門を閉じる、という『青』の言葉は、私を奈落の底に突き落とした。
それは、この戦いの終わりを、意味していた。

―――門。
それが正確にはどういったものであるのか、私は知らない。
『青』は何かを知っていたのか、それも今となっては分からない。
分かっているのは、ただ一つ。
それが、異形の者が涌き出る、その大元だということだった。

戦いが終わる。
突きつけられたその現実は私を苛み、刃を鈍らせた。
密かに進行する病のように、それは私を蝕み続けていた。


***

691アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:17:54 ID:6nsg70320
 
終わりの晩。
無数の異形を退け、道を切り開き、私たちはようやくその場所へと、辿り着いていた。

門。
それは空に口を開けた、巨大な穴。
そこから零れ落ちるように、数え切れないほどの異形が涌き出していた。
そのすべてを押し返し、門を閉じることなど不可能であるように、思えた。

―――いや、そう思いたかったのだ。
勝利は、永遠に続くふたりの時間の終わりを意味しているように、私は感じていた。
それが少女めいた傲慢と視野狭窄の産物と理解するには、その頃の私は幼すぎた。

迷いは焦りを生み、焦りは躊躇と失態を連鎖させた。
それまでの一生分よりも多くの大過と仕損じと遺漏とをほんの数時間で繰り返した私が最後に得たのは、
届かない背中だった。

その背は、傷を負っていた。
私のミスが、敵を斬れない刃が、異形を仕留められない光が、『青』の背に負わせた、それは傷だった。
美しかった外套も、見る影もなかった。


***


ここから先のことを、私は何度も、何度も夢に見た。
悲鳴と共に目を覚ました晩も数え切れない。
それほどに、その光景は私を責め苛んでいた。

古ぼけた映写機によって映される擦り切れたフィルムの映像のように、私はもう何十、いや、
何百度目になるかも分からないその光景を、じっと見つめる。

そうだ。
私がいくら叫んでも、『青』は振り向かない。
振り向かず、ただ歩くのだ。
私の悲鳴は届かない。
私の問いは届かない。
私の恋は、届かない。

『青』はただその身に燃え立つような蒼い光を纏って、門の向こうへと消えていく。
門は燃え、『青』は燃え、何もかもが、燃え尽きて。

後には何も、残らない。


******

692アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:18:13 ID:6nsg70320
 
目を見開き、飛び起きようとして、痛みに顔を顰める。
身体が、動かなかった。
金縛り―――否、手首に感じるのは冷たく硬い感触。
どうやら拘束されているようだった。
何が起こった。一体どうなっている。私は私に問いかける。
『青』が、違う、それは夢だ。過去の悪夢だ。思考が混濁している。
ぼんやりとした視界が次第にクリアになっていくのを待つ一秒がもどかしい。
状況を整理し思考を展開し現状を把握しろ、と自分に言い聞かせる。

思い出せ。
頼りない記憶の糸を手繰る。
美佐枝の血。紅い雨。
その光景を思い浮かべた瞬間、嫌な汗が全身からじくじくと沁み出すのがわかる。
晴香。巳間晴香。仇敵。
べったりと張り付いた肌着が冷たい。
蒼の世界。命の燃える色。マナ。
断片的な映像だけが、ぐるぐると脳裏を渦巻いている。

「―――お目覚めですか」

乱れた思考の麻を断ち切るような、怜悧な声。
まだはっきりとしない目を向ければ、そこには赤い光に照らされた、影二つ。

「……あま、の……?」

ひりひりと痛む咽喉からは、掠れた声だけが出た。
ぼやけた視界の中、捉えた顔には見覚えがあった。
天野美汐。強いGLの力を持ちながら、GLに与しない女。
重く雲の垂れ込める曇天の如き瞳が、弓のように細められて私を射貫いている。
微笑の形に歪んだその唇から、薄い舌がちろりと伸びた。
天野の舌が嘗め上げたのは、淡い曲線を描く肉付きのよい身体。
それが、びくりと震えた。

693アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:18:31 ID:6nsg70320
「なに、を……」

そう、赤い光に照らされる影は二つ。
天野と、彼女に抱きすくめられるようにしてだらりと投げ出された、巳間晴香の裸身だった。
晴香の柔らかい双丘を揉みしだく天野の手は匂い立つほど扇情的で、くらくらと私の脳を揺らす。
桃色の先端が、爪で軽く掻かれるように舐られる。
甘い吐息を漏らして、晴香が裸体をくねらせた。

まとまりかけた思考が、クリアになりかけた視界が、むせ返るような女の臭いに薄ぼんやりとしていく。
いけない、と思った。
目を閉じ、硬く歯を食いしばる。
深く吸う息が身体の隅々にまで酸素を運ぶ様をイメージする。
吐く息は脳と血管にこびりついた老廃物をこそげ落とし、廃棄するイメージと共に。
そうして二度、三度と深呼吸を繰り返すうち、意識がはっきりとしてくるのを感じる。

目を、開いた。
眼前には赤い光に照らされた、絡み合う二人の女。
裸身の巳間晴香を、天野美汐が一方的に嬲っている。
状況だけを確認し、意識的に視界を他へと移す。

辺りを見回せば、そこは相当の広さを持つ薄暗い空間。
灯火が揺らめく壁面は岩肌のようだった。
巨大な地下洞、あるいはそれを模して作られた建造物か。
私自身はといえば、巨大な十字架を背にするように手首と足首、そして腰周りをぐるりと赤い鎖のようなもので
締め付けられている。
淡く発光しているところを見れば、どうやら十字架も鎖も天野のGL力によって作り出されたものらしい。
わざわざ磔のような格好を強いるその拘束はいかにも趣味的で、下卑たセンスに唾を吐きかけてやりたいくらいだった。
からからに乾いた口の中には吐き出す唾もなかったが、代わりに強く舌打ちをしてやった。
予想外に強く反響したその音に、私は内心で一つ頷く。
そうだ、いつもの調子が出てきたじゃないか。
後は思考を展開しろ。危機を打破するための策を練れ。
ようやっと自分が霧島聖であることを思い出したかのように、私の頭脳が回転を始める。

694アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:18:55 ID:6nsg70320
何故、巳間晴香が嬲られているのかは分からない。
どうして天野美汐がここにいるのかも分からない。
分析には情報が足りず、推論には手がかりが少なすぎた。
故にその方面の思考は打ち切る。
考えても仕方のないことを考えているほどの余裕はない。
ならば、と思考を巡らせたとき、最初に思い浮かんだのは童顔の少女。
観月マナの顔だった。

そうだ、と私の記憶中枢がなけなしの情報を絞り出し始める。
巳間晴香との決戦の最中、相討ちを狙った私の前にマナが現れたのだ。
BL図鑑の声を聞いたマナは私の蒼を抑え、そして―――そこで、私の記憶は途絶えている。
意識を失った、その後が分からない。
だがもしもマナが敗れていれば、私がこうして目を覚ますことはなかっただろう。
巳間晴香はそれを許す相手ではなかった。
ならばマナが勝利したのか。
しかしそれにしては、天野が目の前にいるのも、こうして拘束されていることも不可解だ。
そもそもここは何処で、何のために私はこうして連れられてきたのか。
何か、手がかりになるようなものはないか。
そう考え、もう一度辺りをぐるりと見回して、

「……、え……?」

時が、凍りついた。


***

695アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:19:17 ID:6nsg70320
 
そこにあるのは、夢の続き。
終わったはずの夢の、悪夢のような、終わりの先の物語。


***


声が、出ない。

そんな、と。
どうして、と。

言葉は身体いっぱいに溢れているのに、出てこない。
気持ちがついてこない。
取り戻したはずの霧島聖が、ばらばらに砕け散っていくような感覚。
拾い上げて、組みなおして、いくつかのパーツが足りなくて。

だから、きっと。
見えるはずのないものが見えるのは、そのせいだ。
違う。
順序が違う。
見えるはずのないものが見えて、だから私はおかしくなっている。
おかしくなる前の私が、霧島聖が見たのだから、見えるはずのないものは、確かにそこにいるのだ。
嫌だ。
そんなのは、嫌だ。
駄々をこねる子供のような声は、私の中でいちばん素直な心の声だ。

困惑が、混乱を助長する。
混乱が、混沌を加速する。

見えるはずのないもの。
そこにいるはずのないもの。
いては、ならないもの。

闇に慣れた私の目に映った、煌めき。
黄金と真紅に彩られた、巨大な装飾物。
そこに座る、人影。
静かに、穏やかに、座っている人。

存在するはずのない人、存在してはいけない人の存在が、私の内側を蝕んでいく。
磔にされていなければ、私はとうに膝から崩れ落ちていただろう。
代わりにふるふると首を振って、私は一言、たった一言だけを口にする。

「―――『青』……姉さま―――」

それはきっと、少女時代の私が零した、涙の残り香。
心の奥底に仕舞い込んだはずの、今もじくじくと血を流す傷の、名前だった。

696アイニミチル (3):2008/06/05(木) 15:19:53 ID:6nsg70320
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

霧島聖
 【状態:元BLの使徒】

水瀬秋子
 【状態:GL団総帥シスターリリー、『青』】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

巳間晴香
 【状態:GLの騎士】

→978 ルートD-5

697第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:09:49 ID:LhuPflQU0
 そう表現するのが正しい、白色と僅かな光の中に彼はいる。

 安っぽい蛍光灯が明滅を繰り返す中、少年――久瀬と呼ばれている人間――は疲れきったようにうつ伏せになっていた。
 いや、実際彼は疲弊している。
 何十人もの死を黙って見届けるのは、健常者である彼からすれば拷問にも等しい。

 何か手立てはないものか。
 苦悩し、頭や壁を掻き毟っても命が零れ落ちていく速度は変わらない。むしろ加速していっている。

『君の大切な倉田さんがお亡くなりになったのにねぇ』
『参加者の数が半分を切ったどころかもうすぐ40人になりそうなんだ』

 昼……つまり、前回の放送から6時間が経過した時点でこの人数。さらに6時間経過しているとあれば最早生き残っている参加者は40人どころか30人近くになっているのではないか?
 なんと、無力な。

 久瀬は僅かに顔を上げ、拳を今は真っ黒なモニタに叩きつける。
 このまま突き抜けて中に現れるウサギ(悪趣味な主催者のことだ、クソ)を殴り飛ばせたらいいのに。
 普段ならば暴力的だと一蹴しているのに、これほどまでに悪意を持ったことはない。

 ――もう、限界だ。
 いかに久瀬が殺人とは無縁の世界で、黙っていればしばらくは無事であろうとも、これ以上手をこまねいて見ているのは吐き気がするくらいに嫌だ。
 恐怖がないわけではない。

 いや逃げ出したいくらいだ。
 このまま黙って、この出来事をなかったことにできればどんなに幸いだろうか。
 一学生として、生徒会長の座に居座って踏ん反り返っていれば、どんなに楽だっただろう。

698第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:10:12 ID:LhuPflQU0
 しかし、久瀬という、英雄でも戦士でもない少年にも、一介の矜持というものがある。
 それは復讐心にも似ている。
 恋心……とまではいかなくても、既に鬼籍に入っている倉田佐祐理に好意を持っていたのは確かで、その死を嘲笑うかのように振舞っていた主催者の男だけは許せない。
 憎い。恐らくは、倉田佐祐理を殺害した人物よりも。

 実際に殺害の現場を目撃したわけではないし、殺害した人物の姿を見ていないからそう思っているのであろうが、胸の内に暗く、燃え盛る炎があるのも事実だった。
 だが、武器があるわけではない(持っていたらとっくに反乱してますか、そりゃそうだ)。出入り口はこれまでに食事やタオルなどを持ってきた、主催者の秘書らしき人物が出入りする、壁の色と同じ扉一つのみ。
 当然ながら鍵はかかっており、こちらからはどうすることもできない。久瀬には針金もなければ、ピッキング能力すらない。

 しかし、久瀬には他の参加者と決定的に違う点が一つだけある。
 首輪がない。そう、本来命を握る大切な手綱であるはずの首輪爆弾が、久瀬には付けられていない。
 舐められたものだ。
 個室に閉じ込めているから、いや主催の本拠地だからといってこれでは飼い犬を野放しにしているようなものである。

 いいだろう、ならばその喉元に一気に噛み付いてやる。
 何かの配慮か、単に都合がいいだけなのだろうか、持ってくるのは常に放送の直前だ。
 ……狙うとするなら、扉を開けた瞬間。
 体当たりをかまし、そのまま部屋の外に逃走すればよい。
 部屋を爆発させるとか何とか言っていたが、その部屋から脱出さえしてしまえばどうにでもなる。
 それまでの計二回あった放送でも何ら抵抗はしてこなかったのだから、敵も油断しているはず。
 ……後は、逃げ回りながら参加者の首輪を管理している場所まで潜入し、解除してしまえば人数の多いこちらのものだ。

 次々と浮かぶ自身の発想に、久瀬は上手くいくと確信を得ながらも、どうして今まで行動を起こさなかったのだろうと後悔する。
 いや、既に原因は分かっている。
 怖かったのだ、死ぬのが。
 死の苦痛に怯え、みっともなく燻っていた負け犬だった。
 それ以上の地獄が、外の島では展開されているというのに、久瀬は己の事情しか考えなかった。
 鞭を打ってくれたのは、倉田佐祐理だ。
 皮肉なことだが、彼女の死が、彼女が死んだからこそ、久瀬は立ち上がろうと思えたのだ。

699第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:10:34 ID:LhuPflQU0
 やはり敵わないな、と久瀬は思う。
 恐らく、彼女は最後の最後まで人格者であったのだろう。
 誰かに思いが伝わると信じて散っていったに違いない。
 ならば遅かれどもそれに応えよう。
 ありったけの怒りを、主催者にぶつけてやろう。
 許されるとは思わない。許してもらおうとも思わない。
 これは、久瀬のための、久瀬自身の戦いだ。

 部屋に立てかけられている時計を見る。
 ――5時50分。
 来る。そろそろ、来る。
 体の向きを扉へと向け、石のように硬く拳を握り締める。

 チャンスは一瞬。
 距離から考える。飛び出すタイミングは開けてから数瞬の後がベスト。
 肩から飛び込め。何も考えさせるな。後は走れ。

 唇が堅く結ばれる。

 心臓が早鐘を打つ。

 腰が浮きそうになる。

 落ち着け、落ち着け、落ち着け落ち着け――
 繰り返し、繰り返しながら久瀬は時を待つ。

 そして……
 きぃ、と。
 扉が開いた。

700第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:10:55 ID:LhuPflQU0
(今だ……!)

 勇気の、矢は――

     *     *     *

『やれやれ、ですね。とんでもないことになりました……そうですよね?』
 はい、と女は頷く。

 女の視線の向こうには、モニタに移るウサギの姿。声はいつものような合成音声ではなく、編集をかけていない……デイビッド・サリンジャーの声。
『まぁ、こうなっては致し方ないですね。代わりにやっちゃいましょう。リストは覚えているな』
 はい、と女は頷く。

 サリンジャーの声はひどく落ち着いている。まるでそのことを予期していたかのように、自然な声だった。
 それどころかスピーカーの向こうからはコーヒーを啜る音さえ聞こえてくる。
『あぁ、そうだ。例の件、付け足しておけ。どのように伝えるかは任せる』
 承知しました、と女が頷く。

 そのまま女はモニタの近くにあるマイクを手に取ると、あまりにも似つかわしくないような、朗らかな声で告げる。

701第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:11:21 ID:LhuPflQU0
「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します。
1 相沢祐一
5 天野美汐
12 岡崎朋也
16 折原浩平
17 柏木梓
19 柏木耕一
20 柏木千鶴
25 神尾観鈴
26 神岸あかり
29 川名みさき
30 北川潤
31 霧島佳乃
34 久寿川ささら
36 倉田佐祐理
37 来栖川綾香
40 向坂雄二
41 上月澪
42 河野貴明
43 幸村俊夫
44 小牧郁乃
46 坂上智代
47 相楽美佐枝
49 佐藤雅史
50 里村茜
52 沢渡真琴
55 少年
58 春原陽平
59 住井護
64 橘敬介
65 立田七海
71 長岡志保
73 長瀬祐介
74 長森瑞佳
83 雛山理緒
87 広瀬真希
88 藤井冬弥
96 保科智子
98 マルチ
101 みちる
102 観月マナ
103 水瀬秋子
106 巳間良祐
113 湯浅皐月
114 柚木詩子
117 吉岡チエ
 以上、45名となりますが、他特別な事情を含めました特殊参加者の方も含めますと46名となります。

702第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:11:55 ID:LhuPflQU0
 それと、人数の減少に伴いましてルールを変更させて頂きます。
 まずは、放送の間隔をこれからは6時間ごとに行いたいと思います。
 これはより早く参加者の皆様が情報を把握できるように、そしてより円滑にゲームを進めたいとの意向によるものです。
 続きまして、最終生存者の増加につきましてお知らせ致します。
 現在は一人しか生き延びる事が出来ません。参加者の皆様方には大切な方、大切な家族の皆様がいらっしゃることでしょう。
 ですがご安心ください。そのご心情を踏まえまして、運営陣の方でルールが変更なされ、残り二人になった時点でゲームを終了することになりました。
 もちろん、優勝者の願いを叶えるという約束も違えることはありません。ゲームが終了した暁には、お二人とも、その願いを叶えて差し上げます。
 ですから安心して、今後もゲームを続けてなさって結構です。皆様の健闘を、我々も期待しております。
 ――では、神のご加護が皆様にあらんことを」

     *     *     *

 女の声による放送が終了するのを、サリンジャーは満足そうに聞いていた。
 声に聞き惚れていた、というのが正しいだろうか。
 やはり美しい、と一人ごちる。

 それはさておき、放送でのルール追加を決定したのはサリンジャーである。というよりは、実質運営を行っているのがサリンジャー一人しかいないからなのであるが、一応そこには狙いがある。
 放送の間隔を縮めるのは、放送でもあった通りより円滑に進めるため。
 そして最終的に生き残れる生存者の数を増やしたのは徒党を組んでいる連中を瓦解させるため。なるべくならバラバラに、小競り合いで少しずつ減っていってほしいというのも狙いとしてある。
 しかし何より、二人生き残れるという現実的なルール変更にすれば、より乗る人間が増えるかもしれない。
 そうなれば……愉快だ。

「ふふふふふ……まぁ、期待はしないでおきますか。それにしても――何を考えて、あんなことをしたのですかね、久瀬君は。用済みでしたし、いい機会ではあったのですがね」

703第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:12:09 ID:LhuPflQU0
 モニターの隅に映る、じわじわと広がりつつあるそれを、サリンジャーは汚らしいものを見るような目で見つめる。

 それは真っ赤な池。
 中心には、ひどく折れ曲がった肢体が横たわっている。
 頭部は砕かれ、脳漿がどろりと零れ落ち、眼球には割れた眼鏡の破片が突き刺さっている。
 明らかに、人の力によるものではなかった。
 久瀬は、床に頭から強烈に叩き付けられ頭部を割られたことにより、即死していた。
 床にある罅割れは、その証明でもある。

 ここで問題。
 果たして、女がこのような怪力を出せるものであろうか?
 否。
 では、彼女は何者なのか。

「どうでもいいですね。おい、配置に戻れ。任務を続行しろ」

 モニタの向こうにサリンジャーが呼びかけると、女は頷き、身を翻して軽やかに去っていく。
 そのとき、彼女の着ている修道服が、ふわりと揺れた。
 深くスリーブの入ったスカート部分から艶かしい足が覗く。男であれば、思わずそれに目を奪われていたことだろう。

 ――だが、そこには刻印があった。
 太腿の内側にある『acht neun』。そしてその下には『01』という数字が刻まれてあった。
 それはタトゥーなどではなく。
 彼女の『番号』であり。
 ドイツ製、最新鋭の自動人形(ロボット)――『アハトノイン』という名の死神の姿であった。

 久瀬は気付かなかった。
 彼女がロボットだということも、勇気の矢は、既に折られていたのだということも。
 血溜まりを残して、殺し合いは変わりなく、続く。

704第三回定時放送(B-10):2008/06/07(土) 17:12:53 ID:LhuPflQU0
【場所:高天原内部】
【時間:二日目午後:18:00】

デイビッド・サリンジャー
【状態:殺し合いの様子を眺めている】
久瀬
【状態:死亡】
アハトノイン(01)
【状態:高天原内部の警備に戻る】

【その他:放送が6時間間隔に変更。生き残れる人数を二人に変更】

→B-10
そして、wikiの死者リストを作ってくださった方に最大の感謝を

705永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:43:52 ID:e2cva8jo0
 どん、という鈍い音が聞こえた。
 手にしていたペットボトル(支給品の水)は足元に落ちたはずなのに、随分と遠くの音のように思えた。
 12時間ぶりの、三回目の放送。

 ――どこかで、呼ばれるはずがないと思っていた。
 佳乃、霧島佳乃と、
 あの観鈴が。
 神尾、観鈴が……その名前が呼ばれた。

 ……嘘だろ?

 そんな僅かな否定の言葉すら出ないくらいに、往人は呆然としていた。
 同時に襲い掛かってくのは、何とも言えない無力感。
 自分のこれまでの行動を、一蹴された。

 ――何のために、殺したんだ?

 たった一人、それも殺人鬼だとしても、往人は人を殺した。
 この島に巣食う殺人鬼どもを駆逐していけば、結果的に守りたい人たちは守れる……そう信じていた。

 なのに、無駄だった。
 死んでしまった。
 いなくなって、しまった。
 ……最初から、探していれば良かった。
 つまらないプライドや虚栄心に拘って、ただ探して、走り続けていれば良かった。
 ガキのように、がむしゃらに……
 後悔しても、遅すぎた。

 往人の脳裏に浮かんでくるのは、診療所での面白可笑しい日常。
 それもあった。しかし、それ以上に浮かんできたのは、
 神尾家での日々。

706永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:44:18 ID:e2cva8jo0
『こんにちはっ。でっかいおむすびですね』
『疲れは、とれましたか? 今日は、暇ですか?』

 あの田舎での、往人の最初の知り合い。
 いつ、どこでだって、彼女は往人の味方であってくれた。
 いつも上手くいかない人形劇。
 俺の代で法術の力は終わりだ。人形劇もそれっきりかもしれない。
 そんなことを言っていた往人に、観鈴は言った。

『往人さん、笑わせられるよ。子供たち』
『純粋に心から笑わせること、できるよ』

 本当に、いつだって、どんな時でも……
 どこの馬の骨とも知れない往人に、よくしてくれた。
 そうして、いつしか……観鈴も笑わせてあげたかった。
 自分の本当の人形劇で、楽しんでもらいたかった。
 口に出さないだけで、心の底ではずっとそう思っていたのに。

 どうして、もっと早く。
 もっと早く、それに気付けなかったんだろう。
 もう、できない。
 もう、笑わせることができない。

 ――届かない。
 ――届かないんだよ、ここからじゃ。

 ……どうする。
 これから、どうする。
 観鈴のいなくなったこの島で、どうする。
 何を目的に、生きていけばいい。

707永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:44:41 ID:e2cva8jo0
 放送時間の変更。
 生き残れる人数が増えたこと。
 全部、どうでもよかった。
 往人にとっては何もかもが意味を為さなかった。

 ……いや、取り敢えず、目の前の少女の治療だ。
 吐き捨てたい思いをなんとか押し留め、まずはそうしようと考えた。
 川澄舞の治療が終わればその場を去り、観鈴の遺体を探して埋める。
 まだ何人か知り合いはいるが、どうせ観鈴がいなくては意味もない。
 それどころか後でどうにでもなれと自暴自棄に殺し合いに乗ることさえ考えた。

「――佐祐理、祐一、今行く」

 が。
 往人の目の前の舞はそんな心情など知ったこっちゃないとでも言わんばかりに。
 刀を、自らの腹部へと向けて。

 突き刺せ――
「やめろ……っ!」
 ――なかった。

 往人の手は、ギリギリのところで舞の刀を打ち払い部屋の隅へと押し飛ばしていた。
 やってから、どうしてこんなことをしているのだろう、と往人はまるで他人事のように思った。

 どうして反射的に手を伸ばした?
 放っておけばよかったのではないか。往人とは何の関わり合いもなかった舞が死のうが、関係ないではないか。
 死なれると名目上の目的ですら果たせなくなるからか?
 それとも、人としての良心がそうさせたのか?
 何を、今更。
 こんなにも愚かで無力な自分が何かをしたところで、どうなると……

708永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:45:02 ID:e2cva8jo0
「……どうして、邪魔するの」

 往人のそんな思考を止めたのは、またもや舞だった。
 吹けば飛びそうなくらいの弱々しい声で。
 表情からはそれまでにないほどの絶望を溢れさせ。
 泣いていた。ぽろぽろと涙を流して、泣いていた。

「佐祐理も、祐一も」
「貴明も、護も、チエも、志保も、マナも、ささらも」
「みんな、いなくなった」
「……どうして」
「どうして、私だけ生きてるの?」

 舞が顔を上げる。
 悲しみに満ちた瞳が、往人を真っ直ぐに見つめる。
 それは路頭に迷った子供のようで。
 ひどく、往人に似ていた。

 往人は思う。
 もしも、翼のある、空にいる少女がいたとしたらきっとこんな表情なのだろう、と。

 ああ、そうか。
 だから、止めたのだ。
 いつか、どこかで。
 笑わせてみたい。確かにそう思ったはずだった。

709永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:45:32 ID:e2cva8jo0
 目の前にいる少女が旅で探し続けてきた翼の少女だとは思わない。
 だが、その悲しみの深さは同等か、それ以上なのだと思う。

 だから。
 仕事だ。

 自分のことなどどうでもいい。それは今も変わらない。
 しかし、せめてこの瞬間だけは。
 この少女のための国崎往人でありたいと、そう思った。
 終われば、どうにでもなればいい。

 故に全力。
 故に必ず。
 笑わせてみせる。人形劇で。

「……見て欲しいものがあるんだ」
「……」

 いつもの人形はない。あるのは、この島で作った仮初めの相棒。
 旅の道連れ。
 手を触れずとも動き出す、古ぼけた人形ではない。

 お粗末にも食べ物で作った、今の往人に相応しいパンの人形。
 既にカチカチになっている。錆付いてしまった機械のように。
 それでも構わない。それで、必ず目的を果たしてみせる。
 パン人形を置くと、往人は再び、この前口上を告げる。

「さあ、楽しい人形劇の始まりだ」

710永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:45:51 ID:e2cva8jo0
 手をかざし、パン人形に力を込める。
 法術。
 往人の力である、モノを動かす異能。
 日銭を稼ぐために使ってきたこの力を、今は舞一人のためだけに使う。

 人形が立ち上がる。
 カチカチになっているせいで上手く関節を曲げられないが、力技だ。
 半ば無理矢理感が漂うが、一生懸命に歩いているようにみせる。
 一歩。二歩。三歩。

 始めの方こそぎこちない動きだったが、そのうちに本来の動きを取り戻していく。
 ぴょこぴょこと、滑稽な動き方ではあるが、中々にユーモラスな動きで舞の目の前を動く。
 それは本来往人が使っている人形と、レベルだけなら遜色ない。

 ――しかし。

「……」
 表情に変化はない。
 見てはいるが、ただそれだけ。

 笑わない。
 いや、どうこう思ってすらいない。
 不思議とも、驚きとも。
 馬鹿にしていた町の子供達でさえ、そう思っていたのに。

 届かない。
 届いていないのだ。

 それでも一生懸命に往人は力を込め、動かす。
 たとえ力が尽きようとも、たとえこの場で襲われたとしても。
 動かし続ける。
 だが、しかし……

711永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:46:15 ID:e2cva8jo0
「……」
 どんなに頑張っても、どんなに精一杯面白そうだと思える動きをさせても。
 変わらない。
 何も、変わらない。

 ない頭を振り絞って、考えに考えて動かしても楽しんでいるという雰囲気はおろか、興味すら持たれていない。
 見ろ、と言われているから見ているだけ。
 それでは意味がないのに。

 知らず知らずのうちに、往人の体が震える。
 疲労のためではない。
 何も届いていないということが、悔しかった。

(……俺の力は、こんなものなのか?)

 あかりは笑わせる事ができたのに、出来ないはずはないのに。
 なけなしの力を振り絞ってでさえ。
 無力さを呪う。
 心が、折れかける。
 ガラガラと、崩れ落ちていく舞の心を掴む事が出来ない。

(……ダメなのか)

 燃え盛る炎は、次第に蝋燭に灯る小さな火に。
 萎んでいくのが分かる。
 人形も動かなくなっていく。
 諦めの感情が湧き出てきているのが理解出来てしまう。

712永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:46:48 ID:e2cva8jo0
 もう、いいじゃないか。
 所詮、無くなりかけた国崎往人の力はこんなものなのだ。
 二人で闇に落ちればいい。
 そうすればもう、苦しまずに済む。
 観鈴にだって会いにいけるかもしれない。
 既に往人が生きる意味は殆ど失われてしまっているのだから。

 往人は目を閉じる。
 永遠の眠りにつくように、深く、ゆっくりと。

 けれども。
 見えるのは、深淵の真っ黒な闇ではなかった。
 一面の空だ。
 雲が所々に点在し、ふわりとして涼しそうな青の色。

 懐かしい声がした。

『一緒にいく?』

 誰の言葉だっただろうか。
 思い出す。
 ……母の言葉だ。
 もう一度、声を耳に傾ける。
 往人の意識が、少しずつ昔を手繰り寄せていった。

     *     *     *

713永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:47:39 ID:e2cva8jo0
 鳴り止まない歓声。

 夏の匂い。

 人だかりの中で踊る様々な小道具。

 その中心にいたのが、母だった。
 実際に俺が母と行動していたのは僅か一年足らずに過ぎない。
 それまでは母は俺を寺に預け、行方知れずとなっていた。

 もう何年前だっただろうか。
 芸を終えた母は俺の前にやってくると、こう言った。

「この人形はね、ひとを笑わせる……楽しませる事ができる道具」

 人形を俺に差し出して、動かすように言った。
 唐突に現れ、母だという女性。
 何を言われてもまるで実感はなかったし、感動することもなかった。
 だから、当然人形も動かす事ができなかった。

「思えば通じる。思いは通じるから」
「けど、動かしたい思いだけじゃなくて、その先の願いに触れて、人形は動き出すの」
「往人は、人を笑わせたいと思ってる?」

 最初は何を言っているのかさっぱり分からなかった。
 一ヶ月経っても何も変わることはなかった。
 人形を動かす必要性が、分からなかったからだ。

714永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:48:04 ID:e2cva8jo0
 けれども、母は一生懸命だった。
 一生懸命、俺に人形を動かさせようとしていた。
 何かを教えようとしていた。
 その思いはよく伝わってきた。
 だから、母に付き合って人形を動かそうとした。
 心のどこかで、いつかこれが人を笑わせる事が出来るようになるのだろうか。
 もし出来るなら、すごいことだし、そうしたい。そう思いながら。

 しかし、何も成果はなかった。
 そうしているうちに、母は出立するときが来てしまったらしい。
 荷物をまとめながら、母は俺に旅についてくるかどうか尋ねた。

 人を笑わせるのが、わたしの生きがいで、生業だから。

 その表情は誇らしげで、でも寂しそうだった。
 旅についていくことは強制ではなかった。
 今まで往人を放っておいたわたしにそんな権利はないから、そう言って。

 けれども、俺は母についていった。
 母についていくことで、一人きりだったあの頃から何かが変わるかもしれないと思っていたからだ。

 それからは、ひたすら母の背中を追う日々が続いた。
 町を転々としては道すがら小道具を広げ、大道芸を始める。

 大人も子供も目を輝かせていた。
 笑っている人もいた。
 喝采を浴びる母を、俺も誇らしげな目で見つめていた。

715永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:48:29 ID:e2cva8jo0
 初めての家族。
 自慢の家族。
 共に歩む昼。
 寄り添って眠る夜。

 暇があるときは、母が人形劇を教えてくれた。
 母は根気強く教えてくれた。

 俺もそんな母に応えたかった。
 笑わせたかった。
 初めて、人を笑わせたいと思うようになっていた。
 そうしてある夜、努力が実ったのか、はたまた『思いが通じた』のか人形が動き出した。手を触れることなく。

「うまくできたね」

 頭を撫でてもらったときの感触がひどく優しかったのを思い出す。
 初めての充足感だった。
 こんなにも胸が躍るのは、生まれて初めてだった。
 もっと笑う顔が見たい。
 それだけを願って人形を動かし続けた。

 だが……
 母はいなくなった。
 俺をひとり残して、忽然と消えてしまった。

 その直前まで、母が何を語っていたのかはおぼろげにしか思い出せない。
 ただ教えられた言葉の欠片は断片的に残っていた。

716永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:48:48 ID:e2cva8jo0
 空の向こうに、翼を持った少女がいる。
 彼女は終わらない悲しみの中で泣き続けている。

 なら、その子を笑わせてみたいと思った。母と同じように。
 母を探す旅は、いなくなってしまったことを受け入れたときに、それに変わった。
 今度はそれを目的に歩き始めた。

 いや……正確には違う。
 幸せにしたかったのだ。
 自分の力で、誰かに笑い続けてもらって、幸せになって欲しかったのだ。

 なのに。
 いつからか、俺は自分のことばかり考えるようになって……
 ただ日銭を稼ぐばかりで、人を笑わせようなんて考えなくもなって……

 俺はいつだって気付くのが遅すぎる。
 観鈴のことばかりだけじゃなく、目の前のこの少女も。

717永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:49:06 ID:e2cva8jo0
 ただ笑わせるんじゃない。
 真摯に向き合わなくちゃいけないんだ。
 もう失うわけにはいかない。

 彼女は翼の少女じゃないが……
 悲しみを抱えているのなら、俺が、笑わせる。
 俺は、そうやって……生きる!

「人形に心を篭めなさい」
「思いは、必ず通じるから」
「頑張って、往人」

 意識を戻す寸前、そんな母の声が聞こえたような気がした。

     *     *     *

718永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:49:29 ID:e2cva8jo0
 明らかな変化を、往人は感じていた。
 パン人形から、まるで生きているかのような脈動を感じる。
 暖かい。
 人形の手足の感覚が、まるで自分のもののようだ。
 今ならどんな動きだって出来そうだ。湧き水のように自信が生まれてくる。

(けどそれだけじゃダメなんだ)

 もう一度、言葉を反芻する。
 人形に心を篭める。
 思いの先の願いに触れて、人形は動き出す。

 往人の脳裏に一瞬、観鈴の笑顔が浮かぶ。
 見つけることも守ることもままならないうちに、観鈴はいなくなってしまった。
 ひょっとしたら最後まで往人のことを案じてくれていたのかもしれない。
 あるいは大切な仲間を見つけて、その人を庇って殺されたのかもしれない。
 推測しても結論は出ない。

 だが、観鈴の思いが今もそこに残っているのだとしたら。
 頼む、もう一度だけ、力を貸してくれ。

 一つ呟くと、往人は人形を動かす。
 イメージは観鈴。
 危なっかしく動き回り、よく失敗もするが、それでも一生懸命に頑張る。
 可愛らしい仕草をする。優しげな仕草もする。そして、何より……笑う。
 それを精一杯表現する。

719永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:49:48 ID:e2cva8jo0
 今の人形劇の動きと、観鈴の楽しげな雰囲気があれば、必ずいける。そう信じて。
 人形は、思いを乗せて動き続ける。

 『分からないんです、でも、何だかおかしくって……本当に面白かったんです』

 この島で初めて人形劇を見せた、神岸あかりの声を思い出す。
 今にして思えば、その先には続きがあったのかもしれないと考える。
 だから、それでもっとたくさんのひとを元気付けてあげてください。そんな言葉が。
 そのあかりも、放送で呼ばれてしまっている。
 切欠を与えてくれた彼女にもう会えないのかと思うと、往人も悲痛な気分になる。

 だが今はそれも、自分の力になっている……そんな気がする。
 痛みも悲しみも、味方に変えながら。

(よし……大技だ。決めるぞ)

 程よいタイミングと感じた往人が、一際強く力を込める。
 ふわり、と人形が浮き、飛ぶように舞った。
 まるで、大空にはばたく鳥のように。
 そして、空中を自由に泳ぎ回った人形がすとん、と着地を決める。

 ――しかし。
 地面に降り立った瞬間、よろよろと大袈裟によろけ……べちん、と顔から倒れる。
 優雅だと思わせ、締めは滑稽に。

 所謂ギャップを狙った芸だ。
 そう、国崎往人はあくまで芸人だった。

720永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:50:14 ID:e2cva8jo0
「…………ふふ」

 小さな声が、届いた。
 舞の身体が小刻みに揺れている。

「……どうして、私は笑ってるの?」

 まだ僅かにだが、笑いを漏らしながらそんな疑問が舞の口を突いて出る。
 自分がそんなことをしているのが信じられない、そんな感じだった。
 しかし、往人はなんだそんなことかとでも言わんばかりに朗らかに即答する。

「決まってるさ。俺の芸が面白いからだ」

 なんでやねん。
 合いの手を入れるようにパン人形が往人の体を叩く。
 その挙動がまたツボに入ったのか、今度こそ舞は思い切り表情を変えて笑い出した。
 ――ぽろぽろと、涙を流しながら。

「ダメ……笑っちゃ、ダメなのに……みんなの、責任を取らなきゃいけないのに」

 泣き笑いだった。
 そう、舞の中では何も結論は出ていない。人形劇は切欠に過ぎない。
 往人は力を解くと、舞の肩を掴んで自分の方へと向かせる。

「責任か。……それは何なんだ? 死ぬことか」
「……分からない……でも、私が生きていても」
「俺はそうは思わない。……いや、さっきまではお前と同じ考えだったかもしれない」
「……」
「見ただろ、さっきの人形劇。俺はあれを生業にして生きてきた」

721永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:50:35 ID:e2cva8jo0
 往人の傍らに佇む人形を見て、舞が頷く。
 元は人形ですらないのにその一挙手一投足は確かに舞を笑わせた。楽しませていた。

「……金を稼ぐためにな。生きていく上では仕方なかったとは言え、俺はそのためだけに人形劇をしていた。誰が何を思おうなんてどうでもよかった。金を貰って、飯にさえありつければよかった。ひとに楽しんでもらうということを、忘れていた」

 にわかには、舞は信じられなかった。今までの往人がそんな目的のためにあの人形劇をしていたなんて。

「思い出したんだ」

 舞から手を離し、往人が見上げる。そこには暗くなりつつある天井しかなかったが、そうではなくその先の、空を見上げているようであった。

「ある町で、知り合いになった人間がいた。神尾観鈴って奴でな……もう、さっきの放送で死んでしまったが」
「大切な、人だった……?」
「ああ。いつも笑っているようなアホな奴だった。……殺されていいような奴じゃなかった」

 舞は申し訳なさそうに頭を下げる。
 悲しみに沈んでいたのは往人もだった。そんなのは分かりきっていたことだったのに、悲しみの中にいるのは自分だけだと舞は思い込んでいた。
 その愚かさぶりには呆れるしかない。

「そいつのいた町にはしばらく滞在していたんだが、その少し前くらいからどうにも劇が振るわなくてな。
 そこでは特に振るわなかった。一時期は人形劇をやめてしまおうかとも思った。
 でもあるとき、そいつが……観鈴が言ってくれた。
 子供達を純粋に心から笑わせる事が出来るよ、ってな。
 そうやって、いつだって俺を支えてくれていたんだ。
 俺は無意識のところで、観鈴に応えたいと思っていた。
 そんなに応援してくれていた観鈴にも、俺の最高の芸で笑ってほしいとも思っていたんだ。
 でも、バカだったよ俺は。それに気付いたのが……ついさっき、あいつが死んだと聞かされたときだったんだからな。
 俺は、本当は、あいつのために人形劇を続けたかったんだ」

722永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:51:01 ID:e2cva8jo0
 少しだけ、自嘲するように往人は笑う。
 失ってから初めて気付くもの。それは舞にも分かる。
 舞も無くしかけていたから。
 どう言えば言いのだろうと迷っていたが、しかし往人はすぐに表情を戻し言葉を続ける。

「俺はバカだ。今更気付いたところでもうどうにもならない。観鈴も戻ってこない。
 でもだからといって俺は人形劇をやめる気はない。みっともなくても続けていく。お前のように笑ってくれる人を探すためにな。
 それはあいつが望んだことだと思うし、俺もそうしたい。
 誰かが笑ってくれれば、俺は幸せなんだと気付けたから……俺は今の自分を受け入れて、あいつが死んだことも受け入れて、生きていく。
 お前は……自分が死ぬことが、誰かを幸せにすると思うのか?」

 往人の真っ直ぐな目が舞の瞳を捉える。
 どんな真実でも見抜いてしまいそうな、濁りのない目。
 知らず知らずのうちに、舞は自分が思ったことを正直に話していた。

「……違う。それは違う。だけど……どうすればいいか、分からない」
「何をすればいいのか、か……悪いが、それについては俺はなんとも言えない。それはお前自身が決める事だからだ」
「……」
「だが、助言くらいはしてやれる。お前がその足で立って、歩いていくのなら」
「私は……」

 まだ分からない、という風に首を振る。
 けれども、その目は自殺しようとしたときのように暗くはなかった。
 僅かながらも瞳の奥には光があった。夜空にぽつんと輝く星のように。

「でも、一つお願いしたいことがある……聞いてほしい」
「何だ? ……ああ、そう言えば治療もしなきゃな。……で、頼みって?」
「……側に、いて」

723永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:51:28 ID:e2cva8jo0
 舞は往人の隣に移動し、寄りかかるようにしてもたれる。
 生きる気力を何とか取り戻したとはいえ、つい先程まで精神的に参っていたのだ。まだ、舞には時間が必要だった。

「そうだな。ついでに絆創膏と、自己紹介もしておくか。手を出してくれ」
「……ん」

 手を差し出す舞に、まずは傷口を水で洗い流す。特に痛そうな表情ではなかったので、やはりそれほど深くはなかったようだ。
 続いてそこを適当にあったタオルで拭き、残った汚れを落とす。しかる後に絆創膏を張りながら往人がまず自己紹介する。

「随分と紹介が遅れたが、俺は国崎……国崎往人だ。好きに呼んでくれて構わない」
「往人……うん、分かった。私は、舞……川澄舞。舞で構わない」
「舞か……いい名前だ。覚えやすくていい」
「……ありがとう」

 紹介を終えると同時に絆創膏も張り終わり、舞が手を開いたり閉じたりして調子を確かめる。概ね支障はなさそうだった。
 往人は治療が終わっても特に何もせず、そんな舞の姿を眺めていた。

「……佐祐理と祐一は」

 そうしてしばらくじっとしていると、どこからともなく舞が切り出した。

「私の親友だった。あまり人付き合いが上手くない私に仲良くしてくれた。……私には、勿体ないくらいに。
 だから絶対に守りたいと思った。でも……結局会えなかった。何も出来なかった。
 そればかりじゃない。一緒にいたはずのみんな……ここにいるみんなでさえ、私は守れなかった。
 何も出来ずに、ただ見ているだけで……怖いとさえ思った。口だけだった……だから、あの時は死んでしまおうと思った。
 私なんて生きている価値もない。約束も守れない。誰にも許されない。お前みたいな役立たずが何で生きているんだ……そんな風に考えて。
 でも……違うと思った。貴方の人形劇を見て」

 そう言うと、舞は往人が動かしていたパン人形を手に取り、優しく、そして敬意をもって見つめる。
 その先に、何か大切なものがあるかのように。

724永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:51:45 ID:e2cva8jo0
「最初はぎこちなかった。すごくみっともなく動いてるように見えて、それでも必死に動いて、繰り返して、最後に大きく跳んで成功したように見えたけど……結局失敗して、転んで、また立ち上がって……ずっと繰り返し。みっともないと思ったけど、でも私はそれ以下だった……みっともないことさえ出来なかった」
「……まさか、面白くなかったのか?」

 慌てたように聞く往人に、そうじゃない、と僅かに笑いながら舞は否定する。

「本当に往人の芸は面白かった。みっともなかったけど、頑張れば誰かを楽しませることができる。笑わせることができる。
 ……それを教えてくれた。それに、佐祐理や祐一がやろうとしていたことも思い出させてくれた。
 少しずつ努力すれば、きっと私だって認めてくれる。私も普通の女の子なんだって、そのために色々奔走してくれていたことを。
 あれと同じ。上手くはいかなかったけど、でも、少し大きくなれたような気がした。
 ……どうして、私は忘れていたんだろう。分かっていたのに」

 往人はああ、やはり同じだ、と思った。
 分かっていたはずなのに、本当に大切なことを忘れてしまった。
 気付いたときには、応えることもできず。
 出会って数時間も経っていないのに、まるで自らの半身のような親近感を往人は覚えていた。

「私は頑張れるのかな、往人……私のような、どうしようもないダメな子でも何か出来る……? まだ、どうすればいいのか分からないけど」
「……ああ。俺が保障する」

 そう言って往人はぽん、と舞の頭に手を乗せる。
 舞は特に嫌がることもなく、往人の行為に身を任せていた。

 どうしたら、いなくなってしまった人たちに応えられる生き方ができるか。そんなことを考えて。

 今はただ、お互いの暖かさを感じながら――

725永遠の旅人:2008/06/11(水) 20:52:06 ID:e2cva8jo0
【時間:2日目午後19時00分頃】
【場所:G−1】


国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:岸田洋一に関する情報を入手。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている】

その他:家の中にあるそれぞれの支給品に携帯食が数個追加されています。
(家の中にある武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:4本)

→B-10

726アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:11:02 ID:Xipg5AMk0
 
「―――聖」

そう呼ぶ声は、記憶の中にあるものと寸分違わず。
じわ、と浮かぶ涙を霧島聖は堪えきれない。

「姉、さま……!」

言葉はそれしか出てこない。
今この時において医師としての、あるいは成熟した女性としての霧島聖は存在していなかった。
そこにいたのは、青の戦士として戦っていた、一人の少女である。
戸惑いと、懐かしさと、悲しさと、寂しさと、嬉しさと、辛さと、喜びと、色々なものがない交ぜになって、
その中にあったはずの疑念は混沌に磨り潰されて消えていた。

「姉さま、姉さま、姉さま……!」

何度もその名を呼ぶ。
それはまるで、空白の日々を埋めるように。
あるいはまるで、空白の日々など存在していないかのように。
霧島聖は、無垢な少女のように、恋焦がれる相手の名を、呼ぶ。

その目には、たった一人の姿しか映っていない。
すぐ眼前で濃厚な女の臭いを立ち昇らせる裸体も、それを嬲る女も、それらを照らす赤い光も、
ゆらゆらと揺れる灯火も、そのたびに貼り付いた影が形を変える岩壁も、聖の視界には映らない。
ただ豪奢な玉座に腰掛ける、かつて『青』と呼ばれていた人物だけを、潤んだ瞳で見ている。

「―――聖」
「姉さ、」

聖の言葉が途切れた。
座る人影が、口元の微笑を消していた。

「……『青』はあの夜、門の向こうで死んだのですよ、聖」
「え……?」

細められ、聖を真っ直ぐに射抜く瞳に、温度はない。
突き放すような冷たい視線に、聖が表情を凍らせる。

727アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:11:44 ID:Xipg5AMk0
「―――そこにいるのは、『青』ではありませんよ」

声は、聖の眼下から。
救いを求めるように目をやれば、そこには天野美汐の霧に煙るような瞳があった。
巳間晴香の唇を吸っていた美汐が、たっぷりと時間をかけて顔を離す。
糸を引いて垂れる唾液を薄い舌で舐め取って淫蕩に笑む美汐が、楽しげに言う。

「ご紹介が遅れて申し訳ありません。
 ……そちらにおわす方こそ、赤の力を持つ者の王―――『認めぬ者』たちの首魁」

晴香の白い肌の上を滑らせるようにして、美汐の指が玉座を指す。
紅潮する晴香の耳朶に差し込まれた美汐の舌が告げたのは、

「水瀬秋子―――またの名を、GL総帥・シスターリリー」

ただのそれだけである。
それきり口を閉ざし、美汐は晴香への愛撫へと没頭し始めていた。

「……」
「……」

声が、出ない。
ねちゃねちゃと、粘液質な音だけが広い洞穴に微かに響いていた。
双丘の頂にある桜色の突起を音を立てて吸い、秘裂に差し入れた指を
ゆるやかに動かす美汐の愛撫に、晴香が熱い吐息を漏らす。

728アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:12:18 ID:Xipg5AMk0
「聖、あなたが……」

口火を切ったのは、秋子である。
はっと顔を上げた聖に向けられる表情は僅かに翳を帯びているようにも見えた。

「あなたが青の力を以て戦う、名もなき戦士であった頃から……どれほどの時が流れたか、覚えていますか」
「……」
「そう、『青』が門の向こうに消えた夜の先にも、戦いはあった」

聖は言葉を返さない。
ただじっと、秋子を見つめている。

「それは、あの異形たちとは違う敵……異形を遣う赤の力を持つ者たち」
「……」
「戸惑うあなたの前に、とある組織が現れた。
 青の力を束ねるという触れ込みであなたに近づいたその者たちが称して―――BL」

何故そんなことを知っているのか、と聖は問わない。
秋子の―――否、聖の知る『青』の語り口は、ある種の確信を持っている人間のそれであった。
そこには論拠と、そして何らかの事実があるのだろうと、思う。聖の思考はそこで止まっている。
感情が状況の分析を拒み、判断の取捨選択を放棄させていた。
成人女性としての霧島聖はどこかへ消えてしまったかのようだった。
ただ情動に突き動かされるままに世界と対峙していた頃のように、溢れる感情に理性と思考が押し流されていく。
それを自覚することすら、今の聖にはできなかった。
独白じみた秋子の言葉は続く。

「彼らは赤の力の遣い手をGLと呼び、あなたの敵だと説いた。
 『青』を喪ったあなたは失意と混乱のままに彼らの言葉を受け入れ、その日から新たな名を得た。
 名もなき青の戦士、聖ではなく―――BLの使徒、聖と」

ほんの少しだけ、秋子が笑ったように、聖には見えた。
だがその笑みに『青』の温かさは存在しない。
どこまでも酷薄な、それは微笑だった。

729アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:13:03 ID:Xipg5AMk0
「BLの使徒となったあなたは、一冊の本を手にGLとの抗争に身を投じた。
 『青』との絆を胸に数々の難敵を退け、ついにはその、晴香さんとの決戦に勝利した」

その、と区切られた言葉の合間に向けられた視線の先には、汗に濡れた裸体がある。
柔らかい尻に伸ばされた美汐の細い指に菊門を撫でられ、びくりと身体を震わせる晴香は、
口元から垂れる唾液を拭うこともせずに快楽に身を任せている。

「総帥と呼ばれる人物の足取りは杳として掴めずにいたものの、BLは大幹部の敗北に動揺するGLの隙をついた総攻撃を開始。
 GLという組織は事実上、壊滅した」

淡々と語る秋子は、その眼前で繰り広げられる痴態にも眉筋一つ動かさない。

「……それから十数年。壊滅したはずのGL残党が動き出したとの情報を得て、BLは再びあなたを戦いの場へと
 送り出そうとした。しかし……」
「……」

意味ありげに言葉を止めた秋子の視線を受け止めきれず、聖は思わず目を逸らす。
一度は止まった涙が、再び溢れ出ていた。
まるで『青』を慕っていた少女時代に戻ったように涙を流し、しゃくり上げる。
そんな聖の様子に小さく息を漏らすと、秋子は言葉を続ける。

「聖、あなたは既に青の力を失っていた。GLとの決戦……いいえ、それよりもずっと以前から。
 『青』を喪った夜から、あなたの中の青の力は薄れ続けていた」
「……」

聖は顔を上げない。

「小さくなっていく力をBL図鑑と呼ばれる『本』の力で補って、あなたはGLに勝利した。
 けれど、時を経て完全に青の力を喪失したあなたは『本』の声を聞くことすらできなかった。
 残念です、聖。……青の本質を、結局あなたは見出せなかったのですね」

微かに首を振った秋子の表情を、聖は見ていない。
顔を伏せ、ぼろぼろと涙を零しながら、突き刺さるような言葉に必死に耐えていた。

730アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:13:56 ID:Xipg5AMk0
「……戦う術を失ったあなたには、GL残党を抑えることすら難しくなっていた。
 それでも『本』に記された危機はまだ先の話と考えていたあなた方は、急な状況の逼迫に焦りを覚えた。
 かつての戦いでは現れなかった、GLの使徒と名乗る者の存在が確認されたことも、それに拍車をかけたのでしょう。
 もう一人の使徒の出現は、『本』に記された危機の予兆だったのですから。
 ……そう、神の復活が間近に迫っていると、その事実は告げていた」

そこまでを言い切って、秋子は僅かに息をつく。

「……ですが、おかしいと思ったことはありませんか」

静謐なその瞳に、ゆっくりと色が宿っていく。
底知れぬ精神の深奥で渦を巻く、それは風の色。
いずれ来る嵐を予感させる、雨の匂いのする風の色だった。

「BLという組織には、いくつもの不可解な点があったはずです。
 青の力を束ねると称するにもかかわらず聖、あなた以外に青の力を使う者は存在しない。
 BL図鑑、青の力を秘めるという『本』とは一体何なのか。
 彼らの敵、GLはどうして異形を遣うのか。もしも異形が彼らの敵であるというのならば、
 ならば何故―――『青』の戦いに、彼らは現れようとしなかったのか」

ゆらゆらと灯火に照らされる秋子の姿が、奇妙な形の影を玉座に落とす。

「答えは簡単です。彼ら……BLと称する彼らは聖、あなたと『青』が戦っていた頃には、
 そもそも存在していなかったのですから」

淡々と告げられるそれは簡素で、事務的に響くその内には何らの感情も存在しない。
それは疑いようのない事実を語る言葉だけが持ち得る、乾いた重さだった。
ただデータを読み上げるような秋子の声にも、聖は口を挟めない。
鼻の奥がつんと痛む、その感覚に耐えるのが精一杯だった。
しゃくり上げる聖の精神は既に飽和している。
雄々しく、余裕に満ちた霧島聖の姿はそこにはない。
自身の許容量を超える事態、その認識を聖の理性は拒絶していた。
理解を拒み、情報を遮断し、退行を模倣することで自己の安定を図るそれは卑劣で、
同時にひどく素直な、霧島聖という人間の精神構造だった。

731アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:14:28 ID:Xipg5AMk0
「急ごしらえにしては頑張ってくれました。BLも……それから、GLも。
 戦いの中で生み出され、空に融けた沢山の青と赤の力。
 それらは『私たち』の計画の下地として申し分のないものでした」

俯き、時折声を漏らしながら涙を流すだけの聖を、既に秋子は見ていない。
湿った風の吹き抜ける空のような瞳は、赤光に照らされる眼下の痴態に向けられていた。

「……『在る』を認める青、『無き』を拒む赤。
 空に融けたそれは凝集し―――変革の火種となる」

独白は、濡れた音に紛れる。
天野美汐が、巳間晴香の両性具有の証をその口に含んだ音だった。
秘裂の上に屹立する、赤黒い異形の肉棒。
その槍の穂先を丹念に擦り上げるように、美汐の薄い舌が熱い肉を嬲る。
異様に長い竿には、白い指が絡み付いていた。
熟した果実に蛇が巻きつくように、肉棒をゆっくりと締め上げていく美汐の指。
空いた手は秘裂の入口を円を描くように愛撫している。

「世界は変わらねばならない―――神の軛から解き放たれなければ、終末は何度でも繰り返される。
 繰り返す歴史の末に見出した、それが『私たち』の結論」

いつからだろうか、赤い光が晴香の全身から立ち昇っていた。
ゆらゆらと、ゆらゆらと煙のように立ち昇るそれは舞い上がると、中空へと消えていく。
赤光に塗れたその裸身が、びくりと跳ねる。
美汐の小さな犬歯が、槍の穂先に広がる肉の平原を甘噛みしていた。
跳ねた拍子に秘裂へと潜り込んだ親指を、美汐はそっと動かしていく。
柔らかい粘膜の感触を楽しむように、時に細かく震わせ、時に擦り上げるようにしながら歩を進ませる。
その度に晴香が甘い声を上げ、小さく身体を跳ねさせる。

732アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:14:58 ID:Xipg5AMk0
「神はかつて交合より生まれた……ならば人の持つ業、肉欲への執着そのものが、神の力の根源」

もぞ、と内股をすり合わせる晴香の仕草に、美汐が笑む。
雁首を舌先で突付くようにしていた口を離すと、肉棒から下へ伝うように指を這わせた。
下腹部、濃い茂みの辺りを撫でるようにすると、晴香の表情が変わった。
快楽一色のそれから、ある種の苦痛と、それに耐える快楽の入り混じった倒錯の表情。
眉を顰めたその表情に笑みを深くすると、美汐はおもむろに晴香の唇を吸う。
舌を割り入れれば、その歯列は堅く食いしばられている。
唇の裏側と歯茎とを味わうように動かすと、晴香の瞳に切なさの色が濃くなっていく。
同時、秘裂に差し入れた指と、下腹部を撫でていた手の動きを強くする。
と、晴香の目が見開かれる。
舌を抜いた美汐が、晴香の耳元で何事かを囁いた。
驚いたように美汐を見ると、首を振る晴香。
焦るように内股をすり合わせるその表情が、苦痛の度合いを強めていく。
薄く笑った美汐が、晴香の耳朶を掃除するように、その紅い舌を閃かせる。

「相克の両儀の根源に性は介在せず、しかし性は両儀を加速する。
 ならば―――性を加速する両儀もまた、性を変質するが道理」

小さく首を振る晴香の目尻に、涙が溜まっていく。
熱い吐息を漏らした晴香が、肺に酸素を取り込もうと口を開いた瞬間。
美汐が晴香の下腹部、黒い茂みの上を掌で潰すように、押した。
秘裂に差し入れた美汐の指が強く締め上げられるような感触を覚えた、次の刹那。
水音が、響いた。
小さな水音はやがて勢いを増し、止まらない。
温かな液体が、美汐の腕を濡らす。
ほんのりと湯気を立ち昇らせるその液体は美汐の白い腕を汚しながら床へと伝い、泉を広げていく。
やがて水音が、やんだ。
排泄液に濡れた指を、美汐がそっと晴香の眼前に掲げる。
潤んだ瞳で首を振る晴香の唇に、美汐の指が触れる。
紅を注すように丹念に擦り込むと、その汚れた唇を、美汐は舐める。
口を堅く閉ざした晴香にも、鼻から漏れる吐息に混じる甘さは隠せない。
美汐の手が、動く。
秘裂の奥へと進む細い指は肉芽の裏を探り当てるように這い回り、温かい液体に濡れた手は
再び晴香の肉槍へと巻き付き、速いリズムで扱き上げる。
裏筋に当てられた指の爪が時折雁首を掻き、痛みにも近い快楽を与えていく。
唇、秘芯、肉槍。
三箇所の粘膜へ与えられる快楽が、晴香を融かしていく。
比喩ではない。
ゆらり、ゆらりと立ち昇る光が、晴香の嬌声と共に強くなっていた。
そして強い光が漏れるたび、晴香の裸身、汗に濡れたその裸身が、次第に輪郭を失っていたのである。

「究極の青と赤、両儀の合一は世界を変革する―――愛が、肉欲を喪失する地平」

秋子の眼前、晴香が大きく一度、跳ねた。
高らかに声を上げ、絶頂を迎えたその表情は、人の持つ業の集成であるかのように悦びを湛え。
透けるような裸身が目映いほどの赤光を立ち昇らせ―――、

「業の祓われた新世界に、神は神たる能わず」

そして、光と共に。

「神座なき世界は、終末の先へと進む―――」

巳間晴香も、消えた。

「……それこそが、真のレズビアンナイト計画」

唱和するような声は、天野美汐。
全身にまとわりつくような赤光を、腕の一振りで中空へと払う。

「その為の贄、その為の大仕掛け……BL、そしてGLの、それが存在の意味」

733アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:15:18 ID:Xipg5AMk0
笑む美汐が、一歩を踏み出す。
その先には、すべてを拒絶するようにただしゃくり上げる姿。
霧島聖の磔刑に処される、十字架があった。
聖がどこまで二人の言葉を聞いていたのか、それは定かではない。
あるいは認識していたのかもしれない。
しかし、そこに理解はなかった。
自身の半生の否定を許容することを、聖の精神は許さなかった。
故に、美汐の歩を進める先にあるのは、無力という言葉の意味だった。
霧島聖に抗う術はなかった。
抗うという選択をすら、聖は拒絶していた。

「貴女も……悦楽の果てに導いてさしあげましょう」

美汐の笑みを、俯く聖を、秋子はじっと見つめている。
底知れぬ色を湛えたその瞳が、微かに揺れる。
美汐が、歩を進める。

「―――天野さん」

言葉に、美汐が足を止める。
振り向くことはしない。
その冷たい背中は、情や躊躇の一切を断ち切れと、雄弁に語っている。
だが、続く秋子の言葉はその天野をして、振り返らせるに充分なものだった。

「どうやら……最後のお客様が、いらしたようです」

言って静かに目を閉じた、その表情に安堵が混じっているように見えたのは、
揺らめく灯火の加減であっただろうか。

「……」

天野美汐の振り返った、視線の先。
薄暗い洞穴の、その闇の向こうに光るものがあった。
目の覚めるような、それは青。
赤に満たされた世界を吹き抜ける青を纏った、それは少女。
少女を迎える玉座の主が、静かに終景の開幕を告げる。

「―――ようこそ、青の使徒」

観月マナは、そこにいた。

734アイニミチル (4):2008/06/12(木) 00:15:40 ID:Xipg5AMk0
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

水瀬秋子
 【状態:GL団総帥シスターリリー、『青』】

天野美汐
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

霧島聖
 【状態:元BLの使徒】

観月マナ
 【所持品:BL図鑑・ワルサーP38】
 【状態:BLの使徒Lv4(A×1、B×4)、BL力暴走中?】

巳間晴香
 【状態:消滅】

→929 983 ルートD-5

735空 〜うつろ〜:2008/06/15(日) 03:12:11 ID:YkFQ.Zto0
姉が死んだ。
生まれてからずっと一緒の、掛け替えのない存在だった。
その全てを、柏木初音はこの一日で失った。

見上げれば、青い空。
初音の心とは裏腹に晴れ渡るそれは、まるで沈んだ彼女の心を嘲笑っているかのようである。
強い日差しに痛みを感じ、初音は少しだけ目を細めた。
しかし、そんなものは些細なものである。
ふと瞼を閉じれば甦る、大好きな笑顔が初音にはあった。

『初音』
『初音!』
『……初音』

初音に向かって手を振る姉達は、みな眩い笑みを浮かべていた。
初音の思い出は、姉達の暖かさで溢れている。
優しい時間がたくさんあった。
つらいこともあった。
面倒をみてくれていた叔父の死、はちきれんばかりの痛みに初音は一人の夜を泣き腫らして過ごすこともあった。

しかし今回の件は、それ以上のものだった。
本当に悲しい時は、もう何も考えられなくなってしまうということ。
初音は今、それを実感している。
そして告げられた甘い誘惑、初音の拳に力が篭められた。
今彼女の肩から下げられているデイバックは、初音に支給されたものではない。
中には一丁の拳銃が、長瀬祐介に支給されたはずのものが入っている。

736空 〜うつろ〜:2008/06/15(日) 03:12:53 ID:YkFQ.Zto0
―― ごめんなさい。大丈夫。大丈夫だよ……
―― 少し、外に出るね。外の空気が吸いたいんだ。大丈夫、すぐ戻ってくるから……

そう言って祐介と宮沢有紀寧を一晩休んだ民家に残し、初音は一人外に出てきていた。
心配そうな二人の瞳に、初音の小さな胸に鈍痛が走る。
初音はいい子でいなければいけなかった。
初音は、皆が求める可愛い妹でなければいけなかった。
しかし。

「千鶴お姉ちゃん、梓お姉ちゃん、楓お姉ちゃん……」

きっと姉達は初音がこれから取ろうとする行動に対し、悲しむことはあっても喜ぶというのは決してないだろう。
それでも初音は、前に進むつもりだ。
大切な存在を取り戻せるチャンスを与えられた今、初音は覚悟を決めるしかなかった。

「ごめんなさい……耕一、お兄ちゃん」

初音に残された最後の家族。
だが失った姉達を取り戻すには、彼をも最後は手にかけなければいけないだろう。
初音の傍らに存在した、頼りがいのある彼をも初音は消すしかない。
……いや、どうせ最後は「生き返らせれ」ばいいのだ。それならば問題ないだろう。
全ては、最愛の家族を取り戻すために。

「――ねえ、祐介お兄ちゃん。わたしは今度会う時、祐介お兄ちゃん達にどんな顔をすればいいのかな……?」

初音の呟き。
泣き出しそうな表情なのに、その声はどこか空ろな雰囲気を醸し出していた。
初音の決意が既に固まっているという、その証でもあるかのように。





柏木初音
【時間:2日目午前6時半】
【場所:I−6上部】
【持ち物:コルト・パイソン(6/6) 残弾数(19/25)・支給品一式・包帯・消毒液】
【状態:殺し合いに乗ることを決意、優勝し姉達を生き返らせる】

(関連・485b・520)(B−4ルート)

737全き人:2008/06/15(日) 21:08:02 ID:d8Tu4ljw0
 雨が降り始めていた。
 最初はぽつぽつとだったのが、今はざあざあとした激しいものに切り替わっている。

 空は灰色のキャンパス。
 時刻から考えればまだ日は見えていてもおかしくはないというのに、元気をなくしたかのようにその姿は皆目掴めない。
 そんな雨の降る空を、高槻はぼんやりと見つめていた。両腕に、小牧郁乃の遺体をお姫様抱っこの要領で抱えながら。

 郁乃の顔はひどく穏やかだった。まるで眠っているかのように満足げな表情。
 先程の戦闘でついていた泥や血糊も、今は雨が綺麗に洗い流してくれている。雨はそのために用意されていたかのように絶妙なタイミングで降っていた。

「高槻さん、そろそろ雨宿りなされては……お体が、冷えます」

 その後ろで同じく雨に濡れながら話しかけるのはほしのゆめみ。
 ゆめみはロボットであったから寒さなど感じることはなかったのだが、雨の中でじっと佇み続ける高槻を見かねてなのかおずおずと声を掛ける。

「……ヒーロー、か」

 白くなった息が吐き出される。その言葉には自嘲するようなものが含まれていた。

「そんなつもりじゃなかったんだがな……」

 踵を返すと、高槻は無言でつい先程までいた民家へと向けて歩き出す。
 ゆめみはその言葉の意味が分からず、後ろをついていきながら疑問を投げかける。

「そんな、高槻さんは……わたしが言うのもおこがましいかもしれませんが、小牧さんを始めとして色々な方を助けてこられました。お世辞でもなんでもなく、わたしはそう思っています。間違ってはいないと……そう考えます」
「そうじゃない。本当にそんなつもりじゃなかったんだよ」

 高槻は玄関の扉を開けると、濡れた格好のまま郁乃を寝室へと運んでいく。
 ゆめみは高槻の言葉に未だ戸惑ったままだったが、今やるべきことを必死に思考して、こう提案する。

738全き人:2008/06/15(日) 21:08:22 ID:d8Tu4ljw0
「あの、体を拭くタオルを探してきましょうか。今のままでは風邪を召されてしまいますし」
「そうだな。郁乃もこれ以上冷える前に暖かくして寝かせてやりたい。早くしろ」
「分かりました」

 ゆめみは一つ頷くと、高槻から離れてタオルを探しに行った。
 一方の高槻は寝室に入ると、郁乃をそこにゆっくりと横たえ、服などを綺麗に整えなおそうとしていた。
 桜の花びらのような淡い色合いの制服は血に染まり、所々裂け、無残な姿を晒している。出会ったときには新品同然だったというのに。
 一通り、不器用ながらも直し終えた高槻はゆめみが戻ってくるまで待つことにして、その横にあぐらをかいて座る。

「ぴこ」

 その膝の上にポテトが座る。雨に濡れてもこもこしていた身体はガリガリに……何故かならずに、いつものようにふわふわとした毛並みのままだった。
 どうあってもこの畜生の謎は解明できないだろうなと高槻は思った。NASAでも無理だろう。間違いない。

「お前がいなけりゃこんなことにもならなかっただろうによ」
「ぴこぴこ?」

 さあ何のことやら、と大袈裟な仕草でポテトは首を傾げる。
 高槻がここに来てからの行動はおおよそポテトに拠っていた。支給品が彼(?)でなければ恐らくは殺し合いに乗り、女を犯そうと企んでいたかもしれないし、増してや誰かと行動を共にすることなど考えもしなかった。
 それどころか、こうして生き方さえ変えようとしている。犬がその原因だということは多少なりとも高槻には癪であったが、逆にそれが相応しいのかもしれない、とも思った。

「お待たせしました」
「おう、意外と早かっ……」

 タオルを持ってきたのであろうゆめみの方に振り向いた高槻が唖然とする。それもそのはず、ゆめみの顔はこれでもかと積まれたタオルの山に隠れて見えなくなっていたからだ。一体どこからかき集めてきたのだろうと逆に感心するくらいだ。

「申し訳ありません、どれくらい持ってきたらよいものか分からなかったもので……あっ」

739全き人:2008/06/15(日) 21:08:52 ID:d8Tu4ljw0
 何かに躓いたのであろう、ゆめみの体がぐらりと傾く。それだけなら被害を受けるのはゆめみ一人だけだし、微笑ましい光景なのでよしとしよう。
 が、今ゆめみが抱えているのは大量のタオル。そしてその先には高槻が。

「ちょ」

 後はお約束。タオルの山に埋もれる高槻と、必死に頭を下げるゆめみ。そしてその横でやれやれだぜとぴこぴこ言っているポテトの姿があった。どうしてポテトだけ脱出に成功したのかはこの際問わないで頂きたい。

「申し訳ございませんっ、誠に申し訳ございませんっ」
「いや、もういい……だからさっさと片付けてくれ」

 ぺこぺことしがないサラリーマンのように平謝りするゆめみに、散乱したタオルを拾いつつ高槻はそう言った。既に慣れてきてしまっている自分が悲しくなるくらいに。

「それとポテト」
「ぴこ?」
「逃げたろ」
「ぴ、ぴこぴこっ」
「オーケイ、バスケ確定な」

 言うなり、高槻はポテトの首根っこを引っつかむ。

「左手はそえるだけ……」
「ぴ、ぴこぴこー!」
「シュート」
「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜……」

 情けない声を上げながらゴミ箱の中へとダイブするポテト。ぽすっ。ナイスシュート。

740全き人:2008/06/15(日) 21:09:20 ID:d8Tu4ljw0
「あ、あの……」
「気にするな。アフリカではよくあることだ」
「はぁ、そうなのですか」

 ポテトの悲惨(?)な扱いに疑問の一石を投じたゆめみではあったが高槻の一言ですぐに納得してしまった。もっとも、ポテト自体も既にもそもそと何事もなかったかのように這い出てきていたのであるが。

「……でだ、早いところ郁乃の身体を拭ってやろうぜ。くだらないことで時間を潰している場合じゃない」
「そうですね……では高槻さん、お願いします」
「俺がやるのか? いや、確かにもう文句も飛んでこないだろうが……」
「わたしがするのは、筋違いだと思いますから……人間の、血の通ったひとがするのが礼儀だと思うので……」

 高槻は言葉を失う。そんなことをゆめみが考えていたとは思いも寄らなかったからだ。それだけではない。死者の弔いは生者がするべきだという、あまりにも人間らしい思考をしているというのに、それを考えているのがロボットだということも、そんな考えなど及びもつかなかった高槻自身の浅ましさにも嫌気が差したからだ。


 お前の方が、全然人間らしいじゃないかよ。


 その言葉は辛うじて飲み込んだ。
 ゆめみとて本当はしたかったに違いない。しかし彼女は、あまりにもロボットとしての分をわきまえ過ぎていた。
 どこまでも愚直で、正直で、純朴で、やさしい。
 人間よりも、人間らしいというのに。
 ゆめみの下した判断は額面どおりのものではないはずだった。
 ロボットなりの葛藤もあったのだろう。
 それでもなおロボットとしての立場を貫くゆめみの意思を軽んじることは、今の高槻にはできなかった。
 それに、ここで引き下がってはまた逃げてしまうことになる。
 頷くと、改めて高槻は郁乃へと向き合う。

741全き人:2008/06/15(日) 21:09:48 ID:d8Tu4ljw0
「……さて、何を言うべきなのかね。ま、とりあえずこれだけは言っておくか。俺はお前が望んだようなヒーローでも、お前が想像していたようなヒーローでもない」

 水分をたっぷりと含んだ髪の毛をゆっくりとタオルで拭いながら、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ。
 まるで懺悔のように。

「本当にどうでもよかったんだ、何もかも。
 最初にお前を助けたときだってただの気まぐれだったし、あまつさえいつか雌奴隷にしてやる、なんて考えてたくらいだからな。
 お笑いだろ? お察しの通りアメリカン・コミックヒーローなんて出任せさ。
 その後だってただの偶然。ポテトに振り回されてたらたまたまお前が襲われてた現場に遭遇しただけだし、助けたのだって成り行きさ。
 いや、今までだって全部そう。成り行き任せで、俺の意思で何かをしてきたことなんて一つもなかった。
 でもそれでいいと思ってたよ。実際事は上手く運んでたしな。何も難しいことは考えずに済んだ。
 このまんま流れに身を任せてなんとなくこうしてりゃハッピーエンドになるんだって考えてたよ。
 は、結果がこのザマだ。放送でも七海や折原が死んじまってたしな。別れた久寿川もあのチビガキも、貴明って奴も」

 雨が降り始める前に放送があった。40人以上もの人間が12時間の間に命を落とした。それ自体は別段何の感慨も沸かなかったが、かつての仲間が次々と呼ばれていったことについては別だった。
 既に、この島で出会った高槻の仲間はゆめみと杏だけになってしまっていた。無学寺ではあんなにたくさんいたというのに。

「なあ、おい。そんなことを知った上で、しかも戦っているときでさえ必死なんかじゃなかったんだって知ったら、お前はどう言うよ?
 ……ああ、俺は面子のためだけに戦ってた。とりあえずは『ヒーロー』っていう役職を演じるためだけにやりあってきたんだ。
 別にお前らを守るためにやってたわけでもない。なんとなくだ。たまたま勝ててただけで、もし負けそうになったら逃げ出してたかもな。
 プライドなんてハナクソほどもありゃしなかった。俺だけが生き延びられればいいって、本気でそう思ってたんだからな。
 別に罪悪感もなかった。お前は知らないだろうが、ここに来る前にも俺はたくさん人を殺してきたし、女を犯しだってした。
 とてもヒーローのすることじゃないな。精々が三流悪役ってところだ。まあその自覚はあったし、別に何とも思わなかった。
 根性は昔っからひん曲がってたしな。……いや、それすらも演技だったかもしれないがな。
 そうしていたときだって立場上そうすることが出来て、そういう仕事だった。だからその役割を果たしていた、それだけだった。
 要は単純労働さ。命じられたことをやればいいだけ。考えて何かをすることなんて、俺の人生ではありゃしなかったんだ。
 そうしなくても勝手に時間は流れていってくれたしな。後は適当に欲に身を任せて貪っていればよかった。
 まあ最悪な人間だわな。自分で言ってて、ますます嫌気が差してきたぜ。
 あの岸田の方がよっぽど有意義な人生だったかもな。下衆野郎だったけどな。同族嫌悪って奴には違いないが」

742全き人:2008/06/15(日) 21:10:15 ID:d8Tu4ljw0
 口に出されるのは今まで意図的に隠してきた高槻という人間の姿。堰を切ったように避け続けてきたことを話し続ける。
 今更遅すぎるということは高槻にも分かっていた。それでも尚語りかける。
 最後に己の心情を吐露してくれた、そして信頼してくれた郁乃に応えるために。

「そんな奴だからよ、自分で何もかもを決めなきゃいけないこのクソッタレた島で何をすりゃいいのかなんて分かるわけもなかった。
 いつものような決まった仕事もない。おあつらえ向きの役割もない。それより何より、怖かった。
 自分のしたことが責任を伴うのが怖かった。誰のせいにも出来ない、責任転嫁ができないことが怖かった。
 誰かと出会って、信頼されて、それに応えることが出来ないのが怖かった。追及されるのが怖かったんだよ。
 そうして、居場所を無くすのがな。だからのらりくらりと適当に関係を作って、役割を作り上げようとした。
 無責任でいたかった。人を背負うのが嫌だったんじゃない、その重圧が嫌だったんだ。何かに対して『責』を負うことがな。
 だからバカなことを言って、『俺様』なんて虚像を作り上げて、ちょっとオチャメなナイスガイ、なんて役割を演じようとした。
 いや逃げようとした。人の想いを背負うことが怖くてたまらなかった。
 だから、ヒーローなんかじゃないんだよ。それ以下の、薄っぺらいチンピラ以下さ。
 お前らが、必死にそれを教えてくれようとしてたっていうのによ。……気付いたのが、今更さ」

 誤魔化して、嘘をついて、逃げ続けてきた人生。それが高槻という男の人生だ。
 考え直せば、そこから更生する機会は何度もあったというのに。
 全てを不意にした結果がこの有様だった。こんなちっぽけなことすら理解するために支払ったものはあまりにも大きすぎた。
 小牧郁乃という少女のウェイトは、いつの間にか高槻の中では大きなものを占めていたのだ。
 それは男女関係などというものではなく、敬愛の念に近く。
 いつだって必死に何かを考え、責任を真正面から受け止めてきた彼女の生き方が、本当に尊敬すべきものだと考えていた。
 それを、見ないようにしてきただけで。

「……今だって、そんなに考え方は変わっちゃいない。別にどこで誰が死のうが俺には関係ないし、涙を流せるほどお人よしになれない。
 だが、俺の目の前にいる奴らが、俺が逃げてしまったせいでこんな結果になるのは真っ平ご免だ。
 そんなのは他人任せの人生だ。人に責任を押し付けて、それでバタバタ死んでいくのを黙って見過ごせるほど、俺は根が腐っちゃいない。
 いや、もうそうしないと決めた。俺は俺に拠って立っていたい。お前ほど小気味良い生き方には出来ないがな。
 ヒーローになんてなれなくてもいい。今度こそ俺は自分の果たすべき責任を全うしたい。『生きる』って責任をな」

743全き人:2008/06/15(日) 21:10:41 ID:d8Tu4ljw0
 喋り終えたときには、作業は終わっていた。心なしか郁乃の顔には幾分かの温かさが戻ったかのように見える。
 高槻はもう一つタオルケットを取ると、それを丁寧に郁乃の身体へとかけてやる。永遠の安息を願うかのように。

「……それだけだ。何か言う事はあるか、ゆめみ」

 立ち上がった高槻が一歩下がり、ゆめみのためにスペースを空ける。
 ゆめみは一歩進み出ようとして、しかし何かを思いなおしたのか踏みとどまり言葉だけを告げる。

「わたしは……失敗ばかりです。どんなに動けるようになってもいつも誰の安全をお守りすることができません。
 ロボットとしては、欠陥品なのだと思います。本当はもっと早くにこわれるはずだったのかもしれません。
 ……でも、今はまだこわれていないのなら、それは、小牧さんの仰られた『成長』なのだと考えます。
 努力して、間違って、少しずつ。そう、認識します。
 皆様に誇れるロボットになれるとは思っていませんが、小牧さんに誇れるロボットでありたいと、そうするつもりです。
 ですから、もう少しだけ……わたしを赦してください」

 両手を組み、慈悲を請うかのようにゆめみは跪く。
 なんとなく、高槻も理解する。ゆめみは郁乃を尊敬し、敬愛している。
 不幸な時代だ。愚か者だけが取り残されている。いや違う。神様は善人を好む。だから近くに置こうとして、連れて行ってしまうのだ。
 どこかの本でそう読んだことがあるが、すぐにバカバカしいと高槻は思い直した。

 善人なんかいるわけがない。勝手に郁乃にそういう思いを抱いているだけだ。客観的に見れば郁乃の方こそ愚か者と見る人間だっているに違いない。
 だがそんなこともどうでもいい。郁乃は死に、自分達が生き残った。事実はそれだけだ。その事実を踏まえ、どうするべきなのか。
 それが新たに課せられた責務だった。

744全き人:2008/06/15(日) 21:11:08 ID:d8Tu4ljw0
「ゆめみはどうする」
「……?」
「いや、訳分からんって顔されても困るんだが。つまりだ、俺はこれから何が何でも生き残らなきゃいけない。
 とりあえずはこのクソ忌々しいゲームの主催者を潰す必要があるな。元々気に食わなかったがな。
 なら、そのためにはまずはコイツを、首輪をなんとかしなきゃいけない。とは言っても俺は科学者であって技術者じゃない。
 よってそっちに関しては役立たずだ。しかしこの島から脱出するには足も必要だよな。例えば船。もしくは飛行機などだ。
 で、だ。俺はそちらを探そうと思う。役割分担ってやつだ。まぁ見当はつかんから直感頼りになるんだが……
 俺はそうするつもりだが、お前はどうする。ここからは自由意志だ。無理に付き合う必要もない。
 ゆめみはゆめみの目指す生き方をすりゃいい。俺は俺の生き方を全うする」
「ぴこ」
「……ああ、忘れてねえよ。お前もいたな」

 ぴこ、と満足そうにポテトは頷いた。高槻にとってもポテトは初めて組んだパートナーであり、コンビネーションもしっかりしている。犬だが。

「いえ、わたしも高槻さんにお供させていただきます。小牧さんが信じていた高槻さんを、わたしも信じさせてもらいます」
「俺の正体、聞いてて分かったろ? 今までお前らを騙し続けていた奴だ、どうしてついてくる気になった」
「ですが、今は違いますよね? ご自分の間違いにも気付いておられました。なら、それだけで十分です」
「……好きにしろ。自分の身は自分で守れ。俺はヒーローでもなんでもないんだからな」
「ありがとうございます」
「ぴこぴこ」

 何かを耳打ちするように、ポテトがゆめみの足を叩く。
 あいつの口の悪さは気にするな、と言っているようであった。

「はい。分かっています。ポテトさんも、よろしくお願いしますね」
「ぴこぴこっ」

745全き人:2008/06/15(日) 21:11:22 ID:d8Tu4ljw0
 腰を下ろしつつポテトと握手するロボットと犬。異種族の美しき友情が生まれた瞬間である。人類の調和はそんなに遠くないのかもしれない。

「おい、荷物をまとめるぞ。さっさと手伝え。それとポテト、俺をツンデレだとかほざきやがったな? ちょっとこっちに来い」
「ぴ、ぴこ?」
「とぼけても無駄だ」

 再びポテトの首根っこを掴む。

「左手は、そえるだけ」
「ほっ」
「ぴこ〜〜〜〜〜〜〜〜……」

 情けない声をあげながら、ポテトはゴミ箱の中に突っ込んでいった。

746全き人:2008/06/15(日) 21:11:50 ID:d8Tu4ljw0
【時間:2日目・19:30】
【場所:B-5西、海岸近くの民家】

天才バスケットマン高槻
【所持品:日本刀、分厚い小説、ポテト(光二個)、コルトガバメント(装弾数:6/7)予備弾(6)、鉈、カッターナイフ、投げナイフ、電動釘打ち機12/12、五寸釘(10本)、防弾アーマー、ドラグノフ(0/10)89式小銃(銃剣付き・残弾22/22)、予備弾(30発)×2、ほか食料・水以外の支給品一式】
【状況:やや疲労、左腕に鈍痛。船や飛行機などを探す。主催者を直々にブッ潰す】

ほしのゆめみ
【所持品:忍者刀、忍者セット(手裏剣・他)、おたま、ニューナンブM60(3/5)、ニューナンブの予備弾薬4発、写真集×2、S&W 500マグナム(5/5、予備弾7発)、ほか支給品一式】
【状態:左腕が動かない。運動能力向上。高槻に従って行動】

→B-10

747彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:08:13 ID:Oe33YDa20
「有紀寧お姉ちゃん!」

 戻ってきた宮沢有紀寧を目にするやいなや、柏木初音は待ちかねていたように駆け出し有紀寧の胸に飛び込んだ。
 中々帰ってこない(とは言っても精々数十分の間なのだが)有紀寧に、初音は心細くて仕方なかった。
 何せ丸二日以上経過しているのに家族にはまるで会えないのだ。

 柳川裕也という親類には出会えたものの正直に言えば初音には縁の薄い関係であったし、彼の持つ人を寄せ付けない雰囲気にも少々戸惑いを感じていた。
 むしろ、まるで本当の姉のように振る舞ってくれる有紀寧の方に初音は信頼を寄せていた。彼女といた時間が長かったというのも理由の一つではあったのだが。

 とにかく、家族に会えない不安を有紀寧がいくらか緩和してくれていたのは事実であった。
 初音は抱きついたまま、飛び出していった柳川の行方を尋ねる。

「おじさんは……どうなったの?」
「すみません、見失ってしまったんです。足が速くて……」

 肩を落としながら謝る有紀寧に、初音は慌てたようにフォローしようとする。
「責めてなんかないよっ、だって」

 そこでハッとしたように口をつぐむ初音に、「だって?」と先を促す有紀寧。
 が、言えるわけがない。柏木家が鬼の血を引く一族だということは軽々しく口外してはならないことであるからだ。
 柳川が親類であるのなら、当然鬼の力はあるはずだ。それも白状するわけにもいかない。

 初音はしばらく「あー、うー……」と口を濁しながら言い訳を考え、適当にでっちあげることにした。
「え、えっと、おじさんは男の人だし、それにわたし達の家族ってみんな運動神経がいいんだよ。あ、別に有紀寧お姉ちゃんが運動オンチって言ってるんじゃないよ? あははは……」

 元々正直者である初音は嘘をつくのが下手だったが、有紀寧は「そうなんですか、道理で……」とあっさり納得してくれた。
 ホッとため息をつきながらも、それでも柳川とはぐれてしまったということはまた不安の一つになった。

748彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:08:34 ID:Oe33YDa20
「……それで、どうするの? 有紀寧お姉ちゃん」
「とりあえず、診療所で待ちましょう。一時間経っても戻ってこなかったらそのときはまたどうするか考えるべきです」

 うん、と初音は頷く。
 一応戻ってくると柳川は言ったのだから大人しく待っているのが筋というものだろう。
 やはり同じ意見を持っていてくれていると思うと、少し嬉しい。

「さ、外は危険ですから早く中に入りましょう――」
 そう言って診療所に行くことを促そうとしたときだった。

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します」

 悪夢は、突然舞い降りてきたのだ。

     *     *     *

 計画は上手くいった。
 柳川をリモコンと口車で操り、殺し合いに乗らせることに成功し、対策も万全には近い状態にした。
 『盾』を失ったのは仕方がない。元より攻撃的な性格であろうことは伺い知れる。善人の振りをして誘導するのは困難であっただろうから、この判断は概ね間違ってはいないと言える。

 ここで犯してはならないミスは初音と柳川に合流されることだ。嘘がバレてしまえば孤立無援となることは明らかだし、よしんば二人から逃げることに成功しても自分が殺し合いに乗った者だと情報が伝わってしまう。それだけは阻止せねばならなかった。
 故にあの時は余裕ぶっていたが実は焦り半分でもあり、初音が動かずに診療所にいてくれたのはこれまでに積み重ねたものの勝利と言える。

 こうして決定的に主導権を握れたのだから。
 さて、ここからどう行動したものか。まずは隠れつつ様子を窺って……と考えていた矢先。有紀寧自身でさえも忘れていた、放送が始まったのだ。

749彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:08:58 ID:Oe33YDa20
「う……そ……」

 虚空に向かってそんな声を漏らしたのは初音だった。
 ぱくぱくと金魚のように口を開きながら、しかし言葉とは裏腹に視線が定まることはなく、身体が震えていた。

「うそだよ、うそだよ、こんなの、うそ……」
 頭を抱え込んだかと思うと、初音はへたりと地面に座り込み、「うそ」という言葉を何度も吐き出し続ける。
 そう、放送では柏木梓、柏木耕一、柏木千鶴の三人の名前が呼ばれていた。つまり、例外である柳川を除けば初音の親類は全て死に絶えてしまったということである。

 これは有紀寧にとっても痛手であった。初音と行動を共にし、信頼を重ねていたのも要は残りの柏木家の人間を盾にして生き延びようとする算段があったからだ。つまり、最早初音と共にいる理由もなくなったということだ。
 殺してもいい。もう有紀寧にとっても初音は用済みであるはずだった。寧ろ生かしておくとリスクが高くなる一方である。

 何らかの方法で柳川の情報が伝わっても困るし、戦闘能力に関しても柳川ほどの期待は持てない。利点はと言えば精々柳川のときのように無力で無害な人物を印象付けられることくらいだが、この局面でそうする必要性は薄くなりつつある。
 第二回目の放送では生き残りは確か70人前後。今回の放送では40人以上が呼ばれているらしいから、実質30人ほどとなっている。
 そろそろ動くべき時期だ。リモコンを有効に使い、参加者を操り、自らも強力な武器を入手し、優勝へと向けて動くべきなのだ。
 いつまでも弱者を演じていては攻勢に出る機会を失ってしまう。
 だから初音は切り捨てるべきだった。

 だが……有紀寧の脳裏には自分を慕ってくれる初音の姿があった。
 嘘偽りの自分だったとはいえ、まるで家族のように接し、時には無力なりに守ろうとさえしてくれた。
 重なるのだ。かつての兄との、家族との幸せな日々が。
 半ば自分の過ちにより、永久に兄と会話する機会を失ってしまった。

 しかし今、目の前には初音という形で家族が姿を為している。
 偽りで、儚い幻だということくらい有紀寧には当然理解出来ている。今でも理性はかなぐり捨てろと声を上げ続けている。
 だがそれでも――損得だけで切り捨てることの出来ないものが、有紀寧にもあった。
 後悔しているからこそ、取り戻したかったものがあったのだ。

750彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:09:19 ID:Oe33YDa20
 故に――

「初音さん、二人で、優勝しましょう」
「……え?」

 急に言葉をかけられたからか、予想だにしない言葉が飛び出してきたからか、鳩が豆鉄砲を食らったように呆けた顔で、初音が有紀寧を見た。
 今までのような作り物でない笑顔を見せながら、有紀寧は続ける。

「ご家族は亡くなってしまわれましたが……手立てがないわけではありません。優勝すればいいんです。優勝して、褒美の『何でも願いを叶えてもらう』……これで生き返らせれば大丈夫です。わたしも協力します。二人で、全員殺して……取り戻しましょう、家族を」
「……ゆきね、おねえちゃん……でも……」
「先程の放送でも、生き残れるのは二人になりました。だから最終的に初音さんとわたしが残っていればいいんです。何も心配することはありません。それに、初音さんだって家族を殺した人間に何も感じてないわけではないでしょう?
 ……初音さんは優しい人ですから、言い出せなかったのは分かります。でも何よりも大切なものを奪った人を……妹同然の初音さんの家族を殺した人を、わたしも許せません。だから、二人で殺しましょう?」

 半分は嘘。半分は本当。
 初音となら生き残ってもいい、そんな感情を持ちながらも自分がまず生き残りたいという思いもあった。
 実際に、初音を殺し合いに乗せるために心にも思ってないことをベラベラと言ってのけているのだから。
 結局は利用しているのに過ぎないのかもしれない。しかし、それで自分達が生き残れるのなら、いくらでもそうする。いくらだって嘘をつく。
 それで、幸せになれるのなら。

「わたしが初音さんを守ります、何があっても」
「……お姉ちゃん」

 迷いを含んでいた初音の瞳から、それがだんだん抜けていっているのが、有紀寧には分かった。
 代わりに、その色が黒く、闇に染まってきているのにも。

「……いいの? それで、いいの? わたし、止まらないよ? 止まらないかもしれないよ?」
「じゃあ、もう一度聞きます。初音さん、あなたの家族を殺した人たちが……憎くないんですか」
「憎いよ」

751彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:09:37 ID:Oe33YDa20
 答えが返ってくるまで、一秒となかった。それも、有紀寧でさえも震え上がるようなおぞましく、唸るような低い声で。
 拳を握り締めながら、凶暴な歯を覗かせながら初音は感情を吐き出す。

「憎い。千鶴お姉ちゃんも、梓お姉ちゃんも、楓お姉ちゃんも、耕一お兄ちゃんだってみんなみんな大好き。
 なんで殺されなきゃいけないの? なんで私たちだけ悲しまなきゃいけないの?
 悪い人だけがのうのうと生きてるなんて、許せない。
 理由なんて知らない……どんな事情があったって、私にはとてもかけがえのないものなのに。
 人は殺しちゃいけないって分かってるけど、もう我慢できない。
 そんなことをされて笑っていられるほど、私は残酷じゃない。殺したい。
 でも、それに有紀寧お姉ちゃんを巻き込みたくない……」
「初音さん……いいんです。わたしは初音さんのお姉さんですから。本当のお姉さんじゃないですが、気持ちは分かります。足手まといになるつもりはありません。見てください、これを」

 有紀寧は懐から、姫川琴音を死に追いやった原因でもあり、今さっき柳川を修羅の道へと歩ませた原因たる、爆弾起動のリモコンを取り出して見せる。
「これはわたし達がつけている首輪の爆弾を起動させるリモコンです。一度起動したが最後、24時間後には爆発してあの世行きです。わたしは、これを使いました。さっきに、です。さて、誰だと思います?」

 隠していたものを見せ始めた有紀寧の表情に少々面食らいながらも、別段咎めることもなく、「わかんない」と先を促す。知りたがっているようにも思えた。
 ふふ、と有紀寧はここで、初めてあの悪魔の如き笑顔を向けた。まるで子供がやってはいけない悪戯をしているかのような。

「あなたのおじさん……柳川さんにですよ。偽善者ぶっている、あの人にね。初音さんの家族と出会っておきながら保護することもしてくれなかった、あの馬鹿な人にです」
「あ、あは、あは、あはははははは! 本当!? 有紀寧お姉ちゃん、あの人が私の親類だって分かっててやったんだ!?」
 けらけらと、予想もしなかった事実に初音は狂ったように笑う。……いや、すでに彼女はおかしくなっていた。まともな人間の反応ではなかった。

「ええ、だって、そうでしょう? 初音さんを放って飛び出していくような人に家族を名乗るような資格はないと思いましたから、制裁を下したんですよ」
「そうだね……考えてみれば、そうだよね。梓お姉ちゃんと会っていたっていうのに、放り出してここまで一人で来てたんだもんね。
 仲間が殺されたからだって言ってたけど、それって家族よりも見ず知らずの他人の方を優先したってことだよね?
 酷いよね、どうして気付かなかったんだろ……うん、あんな人を信じかけてた私がおかしかったんだ。
 それを有紀寧お姉ちゃん、私なんかよりも早く気付いてたんだ……すごいなあ」

752彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:09:53 ID:Oe33YDa20
 尊敬に満ちた眼差しで、初音は有紀寧に語りかける。
 通常ならば在り得ない思考である。しかし崩落しかけていた初音の精神には、彼女をおいて飛び出していったという些細な事実でさえ裏切ったという事に置き換えられるのは容易かった。
 初音の心は、既に真っ黒に塗り潰されている。世界への憎悪が、そのまま個々人への憎悪に結びついていた。
 有紀寧に信頼を寄せれば寄せるほど、彼女はそれ以外のものを信じられなくなっていた。何故なら、ここまでに有紀寧以外のもの全てが彼女から何もかもを奪ってきたのだから。
 長瀬祐介も、初音の家族も、全て。

「ですから、わたしも初音さんの力になります。わたし達は非力ですが、力を合わせれば優勝だって不可能ではありません。初音さんが、わたしに力を貸してくれるのなら」
「そんな、当たり前だよっ。だって、有紀寧お姉ちゃんはお姉ちゃんだもん。有紀寧お姉ちゃんのためなら私は喜んで何でもするよ」
「初音さん……」
「お姉ちゃんがいてくれて良かった……こんなことを相談出来るの、有紀寧お姉ちゃんだけだもん。だから、大好き、有紀寧お姉ちゃん」

 それは耕一が『天使』と評した笑顔。
 だがその翼は黒く濁っている。憎悪によって染められてしまった彼女の羽は……『堕天使』と呼ぶに相応しいものになっていた。

「行こう? みんな殺して、私達で優勝しようよ。それで、願いを叶えてもらうんだ」
「……そうですね、やりましょう。わたし達なら出来ます」

 お互いにくくっ、という鬱屈した笑みを漏らしながら、彼女達は奇妙な繋がりを確かめ合うように並んで歩き出す。
 一方は思う心と利用しようとする心の狭間で、矛盾を抱えながら。
 一方は壊れた心の内で、歪んだ愛情と憎しみを携えて。

 何かがおかしくなった二人が、何もかもがおかしいこの島で。
 『家族』を演じようとしていた。
 空が、雨を伴って泣き出す。

753彼女達の流儀:2008/06/21(土) 04:10:12 ID:Oe33YDa20
【時間:二日目19:00】
【場所:I-7、北西部】

宮沢有紀寧
【所持品:コルト・パイソン(6/6)、予備弾×19、包帯、消毒液、スイッチ(4/6)、ゴルフクラブ、ノートパソコン、風邪薬、胃腸薬、支給品一式】
【状態:前腕軽傷(完治)、強い駒を隷属させる(基本的に終盤になるまでは善人を装う)、柳川を『盾』と見なす。初音と共に優勝を狙う】

柏木初音
【所持品:フライパン、懐中電灯、ロウソク×4、イボつき軍手、折りたたみ傘、鋸、支給品一式】
【状態:精神半分崩壊。有紀寧に対して異常な信頼。有紀寧と共に優勝を狙う】

【その他:19:00頃から雨が降り始めています】

→B-10

754Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:11:43 ID:hDv2p4Go0
「愛佳っ!」
 真っ先に飛び出したのは十波由真だった。
 小牧愛佳のものと思われる悲鳴を聞いた瞬間、弾かれたように飛び出していた。
 愛佳は由真の親友とも言える存在であったし、元々心根の部分が正義漢である由真が黙っていられるはずもなかったからだ。

 鉄砲玉のように駆けていく由真を、慌てて追う伊吹風子と笹森花梨の二人。
「ちょ、ちょっとー! 武器も持たずに、危ないんよー!」
 聞く耳持たぬかのように由真の速度は変わらない。危ないからと言って立ち止まっていては手遅れになるかもしれないではないか。
 それに由真には、岡崎朋也とみちるを見殺しにしてしまったという罪悪感もあった。

 あの時、勇気を持って行動さえしていれば。
 恐らくは無残な姿に成り果てているのであろう二人の姿を想像すると、自分の惨めさが悔しくてたまらなかった。
 だから今度こそ、と由真は誓う。
 過ちは犯させない――!

 心中での叫びと共に、由真は勢いよくホテルのドアを開け放つ。そうして状況を考える間もなく叫んだ。

「愛佳! こっち!」
「っ!? ゆ、ゆま……?」

 走っていた愛佳は、ホテルのすぐ横を通り過ぎようとしていた。恐らくは由真が飛び出さなければ気付くこともなかっただろう。
 また新たなる敵対者かと一瞬怯えた愛佳ではあったが、それが今や数少ない友人である十波由真だと確認するやいなや、そちらの方へと、まさしく脱兎のごとく、涙目になりながら走り出した。

「ゆま、ゆま! お願い、たすけてっ、あの人が、あの人が!」
 こくりと由真が頷いたときには、既に眼前の敵――七瀬留美へと格闘の構えをとりながら、距離を測っていた。
「ホテルの中に入ってて! そこなら安全だから!」

 遅れて到着してきた花梨と風子が、必死に走ってきた愛佳に指で示す。
 それを分かっていたかどうかは判断できなかったが、一目散に愛佳は二人の横を抜けてホテルの中へと入っていく。
 残されたのは、対峙する七瀬と由真、花梨、風子。七瀬は既に警戒するようにSMGⅡを構えていた。

755Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:12:02 ID:hDv2p4Go0
「……あなた、何のつもりなの? よくも私の親友を襲うような真似をしてくれたわね」
「違うわ、誤解よ! つか、それを解くために追っかけてたの。あたしはあの子は襲ってない。殺し合いをしない人を襲う理由なんてないでしょ?」
「誤解って、あなた何をしたのよ」
「と、十波さん。どうどうです。喧嘩腰はよくないです。ヒトデのようにクールに話し合いましょう。ということでそちらもその危なっかしいものを下ろしてくれると風子的に少しは安心できるのですが」

 牙をむき出しにして敵対心を向ける由真に、風子がぽんぽんと肩を叩きながら宥める。なぅ、とそれに乗じるように、今までずっと花梨にぴったりとくっついていたぴろが器用に由真の肩に乗り、落ち着けとでもいうように身体を寄せる。
 動物にまで諭されるのは流石に血が上りすぎかとようやく判断した由真が「分かった」と構えを解く。
 ならば七瀬もそうしないわけにはいかず、SMGⅡを下ろす。
 七瀬としては誤解を解きたいので、下手にその友人と思われる人間を刺激して泥沼になるのは避けたい。
 将を射んと欲すればまず馬から。愛佳がこれ以上逃げられる場所はないのだからまずは周りを味方につけるべきだ。そう考えてこれまでに起こったことの説明を始める。

「ちょっと前に、役場の方で争いがあってね……そこで殺し合いに乗った奴らと交戦してたの」
「それで、あなたが戦ってる姿を見た愛佳が殺人鬼と勘違いして逃げていた……と?」
「そこまで単純な話じゃないけど。大筋はそうかもしれないわね。……でも、多分そこが一番の理由じゃないかもしれない」
「どういうこと?」

 追及する由真に、言っていいものかどうか迷うように頭を悩ませる七瀬だが、特に自分が悪いわけでもなければこの場にはトラウマを刺激しそうな愛佳の姿もない。隠す理由はないだろうと考え、話を続ける。

「ある外道のせいでね……あの子、多分仲間だった人を間違えて撃ち殺しちゃったの。わざとじゃなかったと思うんだけど」
「仲間って……だ、誰を?」
「みさえさん……とか言ってたけど、聞き覚えはある?」

 確認する七瀬に、しかし三人とも首を振る。あれほどショックを受けていたのだから大事な仲間だったのだろうと推測し、できればその知り合いとも話を持ちたかったのだが、いないのでは仕方ない。次に重要なことはそれを画策した人物が誰かを伝えることだった。

756Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:12:27 ID:hDv2p4Go0
「その外道……名前は分からないけど、凶悪な奴で特徴的だったからよく姿は覚えてる。長身で、男にしては髪が長くて、後ろでお下げみたいに結ってたわ。後は……目つきが最悪」
「え? それって……ひょっとして……花梨?」
「……うん、多分間違いないんよ」
「知ってるの?」

 尋ねる七瀬に、二人が何とも言えないようなため息をつく。
 直接二人を分断した理由であり、特に花梨は散々追い回されたので苦い記憶になっている。

「名前は分からないんだけど、前に襲われて、その時まで由真とは一緒だったんだけど、そいつのせいでバラバラになっちゃって。雌豚ー、とかクソアマー、みたいなこと叫んでなかった?」
「……それに近しいことは。あなた達も災難だったわね……」
 はぁ、とため息をつく三人。こんなところで被害者に会うとは思っていなかったので、図らずも親近感を覚えてしまう。それに、そういう事実があったのなら少なくともこの二人は敵ではない、と七瀬は判断する。

「と、忘れてた。もう一人交戦してた奴がいるのよ。そいつも名前は分からないけど、そいつは割りと女顔で、マシンガンやらグレネードランチャーやら持った危ない男だった。あたしもそいつに一杯食わされてね……あいつも容赦ないわよ、気をつけて」
「マシンガン……」

 その単語に反応したのは、風子と由真だった。
 朋也とみちる、二人の命を奪った、あの「タイプライター」の音を忘れるわけがない。そして七瀬の上げた特徴にもおおよそ一致する。

「ひょっとしたら違うかもしれませんが、そちらには風子と十波さんが襲われた可能性があります。その人も、ぱらららって音のするマシンガンを持っていました」
「ウソ、そっちも? ……はぁ、なんというか、奇妙な縁と言えばいいのかしら……?」

 花梨や由真のみならず、風子までも共通した部分があることに七瀬は驚きを隠せない。
 袖振り合うも他生の縁、というものだろうか。なんとなくではあるが運命を感じずにはいられない。
 いっそのこと被害者の会でも結成したらいいかもしれない、などと思いながら七瀬は一方で坂上智代と里村茜などを襲ったことについては棚に上げながらうんうんと頷いていた。

757Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:12:50 ID:hDv2p4Go0
「ええと、話を戻すようで悪いけど、察するに愛佳は仲間を間違えて殺しちゃって、それでパニックになってここまで走ってきた……のかな?」
「うん、それで間違いないと思うわ。よほどパニックだったみたい。見かけられただけで逃げ出されちゃったんだから……でも、これでもう大丈夫ね。あなた達がいるから。改めて言うようだけど、あたしは殺し合いに乗っている奴以外と戦うつもりはないわ。それと……ヘンに疑ってごめんなさい。自己紹介するわ。あたしは七瀬、七瀬留美」
「いや、こっちこそ誤解してたようでごめん。愛佳と一緒に居てくれようとしてたんでしょ? 礼を言うのはこちらの方よ。……あ、私は十波由真って言うの。よろしく」
「円満に解決したようで何よりですっ。風子の仲裁術は世界一ですね。ということで伊吹風子と申します。名刺もありませんが、お見知りおきを」
「あんまり出る幕がなかったけど……よろしく。笹森花梨でーす。で、由真。さっき行っちゃったあの子、なんて言うんだったっけ?」
「ん? ああ、あの子は小牧愛佳っていう名前よ。普段はあんなのじゃないんだけど……少し落ち着いてもらうのを待った方が良さそうね」

 傍目から見ても、愛佳の精神状態は察するに余りある。時間をかけて徐々に落ち着きを取り戻してもらうほかないだろう。
 そしてそれは必然的に、彼女らのここからの出発を遅らせることを意味していた。
 それは風子も花梨も理解していて、同じく納得もしていたので「待つよ」という旨の言葉を伝えてホテルに戻ろうと告げる。

「ありがとう……助かるわ。で、七瀬さん、あなたはどうするの?」
「まぁ誤解は解けたと思うし、それにこっちは仲間が欲しかったところだから……よければ、あなた達に同行させてもらえないかしら?」

 それは構わない、と三人は喜んで頷く。境遇を同じくする人間であったから、妙な連帯感があったというのも快諾した一因だった。
 七瀬にしても、善人を守る正義の味方という体面を得る事ができるのは願ってもないことだったので三人の返答を素直に喜んだ。

「そうだ、ホテルの中にはもう一人いるんだけど……あれはどう説明したらいいのかな?」
「……すれ違っただけの人でいいと思います」

 天沢郁未のことを言う花梨に、風子は不機嫌に応じる。
 どうも風子からすれば郁未は胡散臭く、いまいち信用ならなかった。
 無論そこに主観が入っているということは風子にさえ分かってはいたのだが、なんとなく風子の中にある何かが警鐘を鳴らすのだ。

758Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:13:12 ID:hDv2p4Go0
「伊吹さん……その、気持ちは分かるけど……」
「分かってます。でも、渚さんに会えるまでは風子は信じません。渚さんはそんな人じゃないって、今だって風子思ってますから」
「……? 何の話?」
 話が見えないことに首を傾げる七瀬だが、
「それは後々本人から聞いてもらうわ。多分まだホテルの中にいるでしょうし」
 と由真が言ったのでとりあえずは納得してついていくことにする。言葉から察するに、ホテルの中にいるというもう一人は三人にとって敵でも味方でもないような人物なのだろう。

 七瀬としては殺し合いにさえ乗っていなければいい。三人が無傷であることから見るとその危険性はなさそうだが、信用はしないほうがいい。
 そう結論付けてホテルに入っていく三人に、七瀬も続いた。

     *     *     *

「はぁ、それで逃げてきたってこと」
「は、はい……もうなんというか無我夢中で」

 四人が外で会話を交わしているころ、そろそろ行こうかと思っていた郁未の前に現れたのは混乱しきっていた愛佳だった。
 別に外の騒ぎに興味も関心もなかったのでさっさと探索に移ろうかと思っていた矢先の出来事であり、面倒臭いことこの上なかったが放送までは迂闊な行動を取るまいと心に決めていたので話くらいはしてやるかと声をかけた。腕時計を見る限り、どうせ放送までは後一時間もないから時間を潰すには丁度いいだろう。

 ひぃひぃ言って逃げてきたのだから大した話は期待できないと考えていたが、愛佳の顔を見た瞬間その思いはすぐに吹き飛んだ。
 顔面には裂傷が走っており、身に纏っている服は塵や埃で汚れきっている。ざっと見回しただけでも彼女がただ単に怯え、逃げ惑っていただけではないのが分かる。

(へぇ、中々面白いことをしてきたのかな)
 渚のような人物は吐き気を催すほど気に入らない郁未であったが、愛佳に対しては多少の好感を持っていた。もっとも、話の内容次第ではすぐにそんな印象など変わってしまうかもしれないが。
 最初は郁未にも怯えきってロクに話もできない状態の愛佳であったが、郁未が辛抱強く話しかけていたからか次第に落ち着きを取り戻し、質問に答えてくれるようにはなってくれた。

759Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:13:40 ID:hDv2p4Go0
 やはりというか、郁未の予測は当たっていて、一度交戦状態になって熾烈な戦闘を生き抜いたことに関しては郁未はそれなりの評価を下していた。
 なんだかんだと理由をつけて戦うまいとする善人ぶった奴よりは、死の危険を避けるために応戦するような人物の方が好感は持てる。
 まぁ、何かにつけて誤射で撃ち殺してしまった仲間のことで自分を責めていたのには辟易したが、気持ちは分からなくもない。郁未でも葉子や晴香を間違って傷つけてしまったら気に病むだろう。戦闘からまだそれほど時間も経っていないのであれば尚更だ。

 とにかく、一通り聞いた話によると愛佳を含む四人が役場で殺し合いに乗ったのであろう人間たちと交戦。そのうちの一人が今さっき愛佳を追いかけていた人物であり、残りの二人も凶悪な殺人鬼であるという。
 先程までパニックに陥っていた人間の言う事なので話半分くらいに聞いておいたほうがいいだろうが、少なくとも郁未以外に三人もこの殺し合いに乗っていた人間がいると分かったのは収穫である。やはり殺し合いを肯定し、戦っている人間は大勢いる。

 ならば言うまでもなく、動かずにもう少し人数が減るのを待つのが上策だということは目に見えている。
 外にいる人間との交戦は避けたいところなので銃声も悲鳴も、何も聞こえてこない以上説得を行い、成功しているのだろうかと予測はできるが万が一のことを考え、逃げる算段だけは立てておくことにしよう。

「さて、私は少しここに用事があるからそろそろ行くつもりだけど……愛佳はどうするの? ここで待っとく?」
「え? あ、あたしは――」

 おろおろする愛佳がどう答えようかと迷っていると、騒がしい声と共に由真たちが戻ってきた。
 『先程まで愛佳を追っていた七瀬留美と一緒に』。

「――っ!?」

 何事も無かったかのように平然と一緒に歩いている四人に、愛佳の精神が再びパニックを起こす。
 大慌てで、愛佳は立ち上がると郁未の服裾を引っつかみ、彼女の影に隠れようとする。

「ちょ、ちょっと! どうしたってのよ!」
「だ、だって、あの人は、あの人は!」

 異常としか思えない反応だった。交戦していて敵対関係だったにしろ、この怯えようは大袈裟過ぎる。
 それは愛佳が七瀬を目撃したときの、あの獲物を見つけたかのような表情が半ば脚色されてそうなったのであるが、そんな愛佳の心情など郁未は知る由もない。ひたすら鬱陶しいだけである。
 とは言っても公衆の面前で無下に引き剥がすこともできずどうしたものかと考えていると、愛佳を落ち着かせるように由真が駆け寄ってくる。

760Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:14:08 ID:hDv2p4Go0
「愛佳、大丈夫だから! この人は愛佳を襲うつもりなんてなかったんだって。ただ話がしたかっただけなんだって!」
「ゆ、ゆま……で、でも、でも……」

 愛佳は目の前の親友の顔と、遠くで不安そうに見つめるツインテールの少女の顔を見比べる。
 怖い。怖い。まだ怖い。近くにいたくない。逃げたい。でも由真は大丈夫だと言ってくれている。
 信と不信の間で愛佳は揺れ動く。脳裏に焼きついた七瀬のあの凶暴な笑いがどうしても忘れられない。

「大丈夫、愛佳、私を信じて。もう平気だから」
 そんな愛佳の不安定な心を読み取ったかのように、柔らかい笑みで由真が応える。
 それは普段の彼女にあった、どこまでも信頼できる表情。親友が、大丈夫だと言ってくれている。
 にゃぁ、と、それまでずっと花梨の傍にいたぴろが慰めるように愛佳に擦り寄る。
 そのせいもあり、はっ、はっ、とまだ呼吸を荒くしながらも、愛佳の身体の震えは少しずつ収まってきていた。

「ほ、本当に、だいじょうぶ……?」
「当たり前じゃない。私はウソをつかないわよ。知ってるでしょ?」
「……うん、知ってる……」
「あの、もうそろそろ手を離してくれないかしら」

 機を見計らったのように、未だに裾を掴んでいる愛佳に郁未が言った。
 とりあえず目の前で友情劇を見せ付けられるのは鬱陶しいことこの上なかったので一刻も早く離れたかったのだ。

「あ、ご、ごめん……」
 ようやく気付いた愛佳はそろそろといった調子で手を離す。ようやく開放された郁未は一つ息をついて、髪をかき上げる。
 まったく、どうしてこうも人が集まってくるのか。
 幸いにして皆が皆好戦的な人間ではなかったからいいものの、下手すれば隠れるどころの問題ではなくなっていた。
 先見性がないのかなあと肩を落とすしかない。これなら神社に留まっていた方が遥かに一目につかなかったかもしれない。
 代わりにいくらか情報を入手できたのは在り難いことだったのだが。

 ……まあ、結果が良ければいいかと何とか思いなおし、郁未は七瀬の方へと向く。
 愛佳が異常に怯えを見せていた人間。油断はならない。観察はじっくりとしておくに越したことはない。

761Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:14:32 ID:hDv2p4Go0
「ふーん、あんたが愛佳を追っかけまわしてた奴か……ま、確かに逃げたくなるのも分かるわ」
「どういう意味よ、それ」
「オーラ。ヒグマも素手で倒しそう」
「フツーの女子高生にんなことが出来てたまるかっ!」

 大声を出す七瀬にヒッ、とまた愛佳が身体を震わせる。一方の郁未はまるで動じることもなく、七瀬に言葉を続ける。
「まあ冗談はともかくとして、あんた、愛佳の仲間とやりあってたんでしょ? そこんとこどうなの? どうしてあんなことをしたの?」
 郁未の口から開かされる新たな事実に、そんなことは聞いていなかった風子、花梨、由真が一斉に目を向ける。
 七瀬の表情が強張るのが、郁未には分かった。別に糾弾しているわけではなかった。ただ事実がどうなのか確かめ、脅威の度合いを測ろうとしているだけだ。どうやらあの三人にはそれを話しているわけではなかったようだが。

「それは……事実よ。でもあの時は既に戦闘状態で、誰が殺し合いに乗ってて誰が乗ってないのか分からなかった。あたしもその時は頭に血が上ってて……全員殺し合いに乗ってるんだと思い込んで、皆殺そうとした。でもしばらく後になって、間違いだって分かったから、小牧さんに話を聞こうと……」
「……なるほど、殺し合いに乗ってる奴は皆殺し、か。良かったわね、間違えて殺さずに済んで」
「……」

 七瀬の口ぶりから考えておおよそ真実だろう。下手な言い訳は表情に出る。七瀬からはそれが感じられなかった。
 そして、その人間性も大体は掴めた。
 殺し合いに乗っている……即ち、危険人物は即座に排除するという危険思想の持ち主だ。典型的な独善思考の人間だろう。
 まぁ偽善者よりは数百倍マシだ。敵にならないように行動してさえいればいい。

「ともかく、挨拶くらいはしておくわ。七瀬留美……覚えておいて」
「どうも。そう言えば、まだ私は名前も言ってなかったか。全員に言っとくか。天沢郁未。よろしく」

 いくみ。
 その言葉の響きに、何かの違和感を花梨は覚える。なんだったっけと思索しようとしたときだった。
 ジャリッ、と砂と泥が踏まれる音が、背後から聞こえた。

762Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:14:54 ID:hDv2p4Go0
「……」

 そこに殺意が、ドス黒いものが一瞬で満ちていくのが、全員に伝わった。それほどの禍々しいものが、背後の人物から溢れ出していた。
「逃げてっ!」
 七瀬が叫ぶと同時、いつの間にかホテルの中に侵入していた、空虚と狂気の闇に飲まれた少女――水瀬名雪――が持ち上げたジェリコ941を発砲していた。

 花火のように弾けた弾丸が空間を引き裂く。七瀬の声に応じて素早く動いていたお陰で、それが当たることはなかった。
 撃たれたという事実を真っ先に把握した七瀬が、SMGⅡを構え、名雪に向かって弾丸を撒き散らす。

「このっ! 何様のつもりよっ!」
 しかし反撃を予測していた名雪は素早く柱の影に隠れ、掃射を回避する。
 明らかに戦闘に慣れている、と七瀬は判断した。それは着ている割烹着が血まみれであることからも予測がつく。ならば、間違いない。
 彼女は100%、敵だ。

「皆は逃げてっ! ここはあたしが引き受ける! 殺人鬼は、あたしの敵よ!」
「七瀬さん!?」

 驚きの声を上げる由真に、七瀬はSMGⅡを柱にチラつかせながら応える。
「そっちは小牧さんのことがあるでしょ? お詫びってわけじゃないけど……こんな奴、あたし一人で十分! ケリをつけたらすぐに合流するから、行って! 多分他にも出入り口はあるはずだから!」
「……分かったわ! でもあまりに遅かったら戻ってくるからね! 約束!」
「オーケイ! 約束よ!」
 親指をグッと立てて、七瀬は再会を誓う。その背中に、花梨や風子からも声が飛ぶ。

「戻ってきたら手伝って欲しいこともあるから! 早くしてよね!」
「あまり無理はしないで下さい。すみません、先に行きますっ!」
 奥へと消えていくメンバーを横目で見送った後、七瀬は慎重にSMGⅡを構えながら語りかける。

763Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:15:15 ID:hDv2p4Go0
「さて、これであんたとあたしの二人っきりね……さっさと続きを始めましょ」

 一歩、七瀬が踏み出す。その瞬間、名雪もまた飛び出し空中を、跳ねるようにしてジェリコを数発発砲。
 油断なく身構えていた七瀬はダッキングして難なく回避。お返しとばかりにSMGⅡを向け、ありったけの弾を撃ち込む。
 だが名雪の運動能力もまた七瀬の予想を超えていた。小刻みにサイドステップを繰り返し銃弾の雨をすり抜ける。
 やがて弾を全て吐き出し終えたSMGⅡは空しい弾切れの音を鳴らす。

 それを名雪が見過ごすわけがない。
 素早く両手で狙いを定め、これでもかと言わんばかりに名雪は連射を開始する。
 直感で狙いは正確だと判断した七瀬は、とっさに持っていたデイパックの中から折りたたみ式の自転車を放り投げる。
 果たしてその直感は正しかった。七瀬の心臓を守るように立ち塞がった自転車に次々と弾丸が命中し、フレームに損傷をつけつつ、それでも弾き返しながら七瀬を守った。

 ガシャン、と自転車が床に落ちたときには、名雪のジェリコも弾切れを起こしていた。
 七瀬もSMGⅡのマガジンを交換する暇がなく、ならばと落ちた自転車を乗り越え、拳を握り名雪へと突進。勝負を格闘戦に持ち込む。

「はぁっ!」
 素早く繰り出される右フックを避けきることが出来ず、左肩に重さの乗った一撃を叩き込まれる。
 くっ、と名雪が痛みに顔をしかめる。

「初めて表情、変わったじゃない! 次行くわよ!」
 格闘ゲームのコンボさながらに次々と繰り出される拳の群れに、名雪は回避することでしか応じることが出来ない。
 陸上部の部長を務めている名雪のフットワークは評価すべきものがある。しかし格闘に関しては別だった。
 剣道部の経験から上半身を使うことに七瀬は慣れていたが、名雪の所属する陸上部ではどちらかというとそんなに上半身を用いることがない。
 故に応じ手を打とうとしてもその暇が与えられず、なおかつ効果的な攻撃を繰り出せる自信がなかった。
 防御や回避のみでは戦局は変えられない。反撃できない名雪は次第に壁際へと追い詰められていく。

「どりゃぁっ!」
 防御を続ける名雪へ、気合の入った前蹴りが名雪へと迫る。
 ガードはしたものの勢いまでは殺しきる事が出来ず、勢いに圧されて数歩、下がってしまう。そしてその場所は、壁だった。

764Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:15:48 ID:hDv2p4Go0
「もう逃げ場、ないわねっ! 観念しなさい!」
 とうとう追い詰められたのだ。これで終わりだ、とでも言うように七瀬は裂帛の気合と共に顔面へとストレートを放つ――
「!?」
 ――はずだった。一歩踏み込もうとした七瀬の視界の端に、ちらりと人影が見えたのだ。

 それは退避した四人の誰かではないことは明らかだった。正面玄関から入ってくるはずがないし、何より、マシンガンを持っている!
 切磋の判断で、七瀬は大きくバックステップしてその場から離れる。
 一瞬の後に、ぱらららららららら、とタイプライターを叩くような音が響き、空間を貫いた。

「……!」
 二人纏めて攻撃するつもりだったのだろう。発射された弾の群れは七瀬のいた場所と、そして逃げられなかった名雪を蹂躙した。
 頭部に命中することこそなかったものの、体の中心部に弾丸が何発も命中し、ぐらりと名雪が倒れる。
 明らかに決定打だった。あれでは生きていたとしてもそう長くは持つまい。

「くっ、あんた……!」
 新たなる闖入者へと、七瀬は敵意の篭もった視線を向ける。そこにはかつて、いやつい先程交戦していた、もう一人の七瀬の姿があった。
「くそっ、相変わらず反応だけは鋭いな……さっさと倒れていればいいのに」
 七瀬彰が、苦々しげな顔をしながらそこに佇んでいた。

 愛佳と七瀬を追ってはきたものの、追いついたときには既に相手方で和解が成立しており、とても襲撃をかけられるような雰囲気ではなかった。
 これでは当初の計画が台無しであり、かといって尻尾を巻いて引き下がるのも彰としては頂けない。
 どうしたものかと離れた場所で思案していたのだが、そこに一人の少女がふらりと現れた。
 それはホテル跡までやってきた水瀬名雪だった。最初のうちはこいつをターゲットにでもするか、と思った彰だったがどうも様子がおかしい。
 しきりに様子を窺っているし、それに何度か手に持っていた拳銃を威嚇するようにこちらに向けてきたのだ。
 ただの偶然だろうかと彰は思っていたが、それを何度も繰り返されたのでやがてそれが偶然ではないということを理解せざるを得なかった。
 どのようにして彰の居場所を掴んでいたのかは定かではないが、恐らくはレーダーの類としか思えない。

765Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:16:12 ID:hDv2p4Go0
 しかし狙い撃つには距離が遠すぎたのか、銃は向けられるだけで撃ってはこなかった。
 一応安全を期して後方へと引き下がった彰に、逃げたと判断したのか、名雪は再び手元にある何かを確認すると、ホテルの中へと入っていった。
 残された彰は、名雪の一連の行動から賭けを打つことにした。
 もしもあの少女が中でドンパチをやらかしてくれるのなら、今度こそそこに乱入して皆殺しにする。
 一斉に反撃される可能性もないではないが、無謀な突撃を仕掛けるより勝算は遥かに高い。雲泥の差だ。
 しかしもしも何事も起こらなければ、もう退却するしかない。これ以上合流されては本当にどうしようもないからだ。
 そうして、じっと彰は機会を待った。乱入できる最善のタイミングを待ったのだ。半ば祈るような気持ちで。
 そして――

「まあいい。一人は倒せたんだ。後はあんた一人だけ……一思いに葬ってやる!」
「ほざきなさいっ! あんたも地獄送りよ!」

 七瀬はSMGⅡのマガジンは既に交換済み。七瀬のSMGⅡと、彰のイングラムが交錯する、が。
 カチ。
「なッ、弾切れ!? こんなときに!」

 慌てて武器をM79に切り替えようとする彰だが、時既に遅し。七瀬の指はトリガーにかけられている。
 後は、引き金が引かれ、不運に見舞われた彰に銃弾を撃ち込むだけだった。
 ――しかし、不運だったのは彰だけではなかった。

「ぅぐっ!?」
 ぱん、ぱんという二つの音が聞こえたかと思うと、七瀬が左肩を押さえる。そこには血がべっとりと付着していた。
「う、撃たれた……? 誰に!?」
 痛む肩を必死に押さえながら、七瀬は急いで柱の影へと隠れる。
 一体誰が? また乱入者なのか? そんな疑問を持ちながら向けた視線の先には、驚きべき人物が立っていた。

「ウソ……!?」
「バカな、ちゃんと当てたはず……」

 驚いたのは七瀬だけではなかった。彰も目の前の事実を信じられないかのように目を見開いている。
 そう、二人の間に悠然と立ち塞がっていたのは……

766Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:16:41 ID:hDv2p4Go0
「……」

 水瀬名雪、その人だった。どろりとした、濁った視線を相変わらず携えながら。
「防弾チョッキか!? くそっ、これは計算外だぞ……!」
 今度はジェリコの銃口が彰へと向けられる。彰は素早く反応すると七瀬同様に柱の影に隠れ、辛うじて発砲から身を躱す。
「防弾チョッキですって……? 厄介なもの着てるわね……?」

 七瀬彰の存在。厄介な装備を持つ水瀬名雪。どうしたものかと思案していた七瀬の耳に、息つく暇もなく、次のハプニングが耳に飛び込んできた。
 それは由真たちが逃げたはずの、ホテルの奥から聞こえてきた。
「っ!? 何、今の……銃声!?」
 聞き違いでなければ、それは確かに銃声であった。パァン、という残響音がまだ少し残っている。まさか……向こうでも誰かが襲われているのか!

「ああもう! 次から次に! 何とかして早く決着をつけないと!」
 苛立ちながらSMGⅡを構え、三者三様の戦闘に早期の決着をつけるべく、痛みを押して立ち上がる七瀬。

「くっ、結局上手くはいかないか……だが、勝つのは僕だ……!」
 イングラムにマガジンを装填し、M79に火炎弾を装備する彰。彼は執念の元に。

「……」
 腹部に残る衝撃から自身のダメージを考え、どう動くべきか模索する名雪。

 地獄の三つ巴の戦いが、第二幕を飾ろうとしていた。

767Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:17:26 ID:hDv2p4Go0
言い忘れてました。ここまでが前半になります。
ここからが後編です。

768Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:18:01 ID:hDv2p4Go0
 予定外だ。
 これでは計画が台無しだ。
 天沢郁未は先頭に立って他にホテルから脱出できるところはないかと探し回っている由真や風子、花梨の姿を眺めながらそう思った。
 こっちが我慢に我慢しているというのに、勝手にドンパチを始めて、騒ぎ立てて……
 幸い、矢面に立ってくれた人物がいたから良かったものの、もうホテルは安全圏ではない。
 また一からやり直さねばならないのだろうか。

(……癪ね)
 イライラが自分の中で澱みを成しているのが分かる。どうせなら誰かに一泡吹かせてから逃げ出したいところだ。

(いっそ、こいつらを一気に……)
 考えかけて、まだ早計だと思い直す。
 流石にここまで生き延びてきただけはある。愛佳以外の誰もが冷静に眼前の事態に対処し、脱出路はないかと連絡を適度にとりあいながらまとまって行動している。

 一方愛佳はまだ恐怖が残っているのかいつの間にか懐いていたぴろを撫でながら郁未の近くでぼんやりとしている。
 今ここで武器を持って本性を見せたとして、すぐに殺害できるのは未だ不安定なままの愛佳だけだろう。
 まだこの状況では一つとして怪我は負いたくないし、何より脱出路が定まってない。
 とにかく何をするにも、まずは様子見だ。

「あーもう、こっちも行き止まりか……非常口の一つや二つないわけ? 不親切な設計ね……」
「だから潰れたんじゃないのかな、このホテル」
「なるほど、納得です」

 考えを巡らせている郁未の前では、三人が顔を合わせて意見を言い合っている。
 最初の方は七瀬が残った方角からいくらか銃声が聞こえてきていたが、今は静まって何も聞こえない。
 もう決着がついたのか、あるいは白兵戦にもつれ込んでいるのか。
 七瀬はまだ戻ってきていない。どうなっているのか、全く分からない。
 唯一分かることは、時間はあまり残されていないであろうということだ。
 急がなければならない。特に前の戦闘でトラウマが残っている愛佳は早く逃がさなければ。

「仕方ない、ここは一旦戻って別の道を探しましょ。愛佳、まだ大丈夫?」
「……うん」

 少しは気力が戻ってきているのか、愛佳は返事もはっきりしてきたし、自分でしっかり立って歩いてきている。
 ひょっとしたら、単に疲れていただけなのかもしれない。そんなに心配するほどでもなかったか、と由真は苦笑いする。

769Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:18:26 ID:hDv2p4Go0
「戻るなら、結構ロビーの近くまで戻ることになるんよ。だから危ないことになるかもしれないと思うから……由真と風子ちゃんに、これ貸しとくね」
 花梨はそう言うと、風子にグロック19を、由真にステアーAUGを渡す。
 初めて手に圧し掛かる、重たい銃の感触に息を呑みながらも、二人はそれをしっかりと受け取る。

「でも弾は殆ど入ってないと思うから、万が一使うとしても、気をつけて。あくまでも護身用と考えてほしいんよ。……それと、風子ちゃんには、これも」
 銃の中身について説明すると、続けて花梨は風子にポケットからあの青い宝石を取り出し、風子に手渡す。

「預けとくね。私より風子ちゃんが持ってた方がいいと思うから、これは」
「……どうしてですか? 見つけたのは笹森さんです。笹森さんが持つべきだと思うのですが」
「いや、何となくだけど。……んー、私より、これについては分かってると思ったんよ。あのときの話を聞いてね」
「あれは風子が思ったことを言っただけです。あてずっぽうです」
「まーそう言わずに。それに、風子ちゃんなら大事に扱ってくれそうだし」

 無理矢理手に宝石を握らせる花梨に、
「……仕方ないです。そこまで言うなら風子が責任をもってお預かりします」
 と受け取って制服のポケットの中に仕舞う風子。

「よろしい。素直な子は私好きだな〜。ということで」
「ミステリ研には入りません」
「……」

 花梨はうなだれるが、すぐに顔を上げると「ま、いつかね」と勝手に納得して来た道を歩き始めた。
 まだ諦めてなかったんだなあ、とそんな様子を見ていた由真はその根性に感心していた。ついでに、きっぱりと容赦なく断り続ける風子の姿勢にも。

(っと、んな悠長に構えてる場合じゃなかったか)
 今の状況を思い出し、そんなことをしている暇はないと己に言い聞かせ、花梨に続こうとしたときだった。
 廊下の向こうから、反響音と共に由真と風子にとっては忘れられるわけもない、あの『タイプライター』が聞こえた。

770Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:18:50 ID:hDv2p4Go0
「あの……音は!」
 体を駆け上がる戦慄と共に、由真の頭にも血が上る。
 仲間を奪い去った、あの悪夢。その根源たる人物が、再びこの場に現れたというのだ。
 銃という『力』を手に入れたこともあり、それにあの相手だけに対しては逃げたくない、という思いを抱えていた由真はギリッと歯を食い縛ると一直線に銃声の聞こえた方へと向かって走り出そうとした。

「あ……! と、十波さん! いけませんっ! 待ってください!」
「っ! 行かせてよ! あいつに岡崎さんとみちるちゃんがやられたのに! 黙って見過ごせっての!? それにあいつが来たってことは、七瀬さん、一対二じゃない! 援護に行かないと!」
「そ、それは、そうですが……」

 風子としてはまずは皆を無事に逃がすことを第一の目標としていたが、見捨ててはおけないという由真の意見にも同調はできる。
 しかし正面から突っ込むのはあまりにも危険だと考える風子は簡単に行かせるわけにもいかない。

「で、でも一人で行くのは危険です。もう少し考えて……」
「じゃあどうしろって――」

 口論になりかけた二人を遮ったのは、銃声だった。

 それは先程のような廊下の向こうから聞こえてきたものではなく。

「……え?」

 すぐ近く。
 天沢郁未の持っているM1076の銃口からは硝煙が。
 そして――その真正面にいた、笹森花梨の胸からはおびただしい量の血が、噴き出していた。

「あ――」
 ぐらりと、花梨の体が傾き、広がっていた血の海に沈む。直前、花梨は郁未にあった違和感の正体を思い出していた。

 ――そっか、天沢、郁未……国崎さんが、芳野っていう人から聞いてた、危険な人の名前……あは、国崎さん、私、やっぱりバカだ――

771Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:19:11 ID:hDv2p4Go0
「花梨っ! あ……あんた……っ!」
 突然の裏切りに、由真は怒りも露に郁未に向き直る。元々熱くなりやすい彼女は、さらに加熱していた。
 対照的に郁未は冷徹に、血に沈んだ花梨を見下ろしながらふん、と鼻を鳴らす。

「そろそろ潮時だと思ってね。いい加減逃げるのにも嘘をつくのも飽きたわ。やっぱり人間、正直に生きないと」
「――っ!」

 まるで当たり前のように言った郁未の言動に、ついに由真の堪忍袋の緒が切れた。
 勢いもそのままに、由真は郁未へと掴みかかろうとする。
 だが郁未は余裕たっぷりに由真の突進を回避すると、素早く羽交い絞めにして頭部へと銃口を突きつけた。

「うぐっ!」
「は、勢いだけでどうにかなるとでも思った? バカよね、まだそこのチビの方が評価できるわ。……さて、見りゃ分かると思うけど、こいつは人質にさせて貰ったわ。二人とも、大人しく武器を置いてもらいましょうか」

 銃口を突きつけながらも同時に首を絞めて抵抗する暇を与えない。
 郁未は完璧に由真の影に隠れるような位置に陣取っており、盾にもしている。風子はとっさにグロックを構えていたものの、撃てるわけがなかった。
 残された愛佳も急変した事態にまるで対応できずおろおろとするばかり。
 ぴろも毛を逆立てて唸っているが、猫など問題外だ。

「ど、ど、どうして、こんな……ゆ、由真を放して!」
「嫌よ。だって放したらそこのチビに撃たれるかもしれないじゃない。そういうわけだから、ね、早くこっちにその銃を投げなさい」
「……お断りです」

 えっ、と愛佳は風子の反抗的な発言に愕然とする。それは、見捨てるということなのに?
 郁未も予想していなかったのか、少々驚いた様子ではあったが、それでも有利なのは自分だとでも言わんばかりにぐりっ、と銃口を由真に押し付ける。

「死んでもいいってわけ? あんた、意外に冷たい人間なのね?」
「違います。どうせ捨てたところで風子たち全員を撃ち殺すつもりでしょう? そんなこと、させません」
「……いい度胸してるじゃない。なら撃ってみなさいよ。撃てないでしょ? プロならともかく、素人が私だけを狙えるとでも思ってるの?」
「伊吹……さん!」

772Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:20:13 ID:hDv2p4Go0
 由真が苦しそうな表情を向ける。
 風子は極限の緊張の中にいながらも、銃の構えは解かなかった。

「お、お願い! やめて! 由真に当たっちゃう!」
「……」

 愛佳の悲痛な叫びにも、風子は首を振る。
 風子とて当てられる自信はとてもじゃないが、ない。だがらと言って郁未に服従するつもりもない。
 本気で狙うわけじゃない。郁未は撃てるわけがないと高をくくっているが、威嚇射撃であろうとも発砲すれば驚き、由真を手放すだろう。
 そこを突いて、由真と愛佳を引き連れて逃げる。

 花梨を失ってしまったのは風子にもショックだった。
 お姉さんとして、皆を守る。そう誓ったのに。
 しかしこれ以上の犠牲を出すわけにはいかない。殺させるものか。
 気負いと共に、トリガーを引こうとしたときだった。

「ま……だ! 死んでいないん……よっ!」
「ふにゃぁっ!」
「なッ!?」

 突如、郁未の足元から花梨が起き上がり、掴みかかった。
 更にぴろが郁未の顔面へと向かって飛び掛かる。
 全くの不意打ちに対応できず、郁未は由真を放してしまったばかりか押し倒されてしまう。
 そう、花梨は死んでいたわけではなかった。
 確かに胸を撃たれ、半ば致命傷であったものの残された命の欠片を振り絞って動けるだけの気力はまだあったのだ。
 風子と同じように、これ以上死人を出してたまるか。そんな一念の元に機会を窺い、そして飛びついた。

773Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:20:32 ID:hDv2p4Go0
「三人とも! 逃げて!」

 郁未を押し倒しながら花梨が叫ぶ。
 由真は息を苦しそうにしながらも走れるだけの体力は残っていたようで、風子の方に走ってくる。
 良かった、これでいける……そんな一瞬の緩みが風子の中に生まれた。

 ――それが悲劇の引き金になった。

 一瞬の緩みがもたらした、手にかかる力の弛緩。それが下ろしかけていた、グロックのトリガーにかかった。

「……!」
 ドン、という衝撃が由真の胸を貫いた。
 何が起こったのか分からず、ゆっくりと由真は自分の体を見下ろす。

「あ、れ……」

 血が出ている。ドクドク、ドクドクと。花梨と同じように。
 そして、衝撃は前からかかってきた。それが意味する事実。その根源を、由真はのろのろと見つめる。

「あ、あ、あああ……っ!」
「……い、ぶ……」

 風子が、目の前の由真の姿に絶望の呻きをあげていた。そう、撃ってしまったのだ。
 風子が、由真を。思いも寄らぬ形で。

「――いやぁぁああぁぁあぁあぁああぁあーーーーーーっ!!!」

 響き渡る絶叫。愛佳が狂乱の叫び声を上げていた。
「こ、こまきさ、風子は、風子は……!」
 のそりとした視線を向ける風子に、愛佳は再び、怒りや憎悪よりも、恐怖を覚えていた。

774Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:20:57 ID:hDv2p4Go0
 ――殺した!
 ――敵じゃないと思っていたのに!
 ――みんな、みんなあたしを裏切って殺そうとする!
 ――天沢さんも、この子も!
 ――イヤ、イヤ! 殺されたくない、死にたくない、死にたくな……

「皆様、いかがお過ごしでしょうか。大変心苦しい事とは存じ上げますが、どうか心を鎮めてお聞きください。
 ――では、第三回目の放送を、開始致します」

 恐慌する場にそんな声が響いてきた。それが、愛佳の精神にとっての決定打となった。何故なら。

「44 小牧郁乃――」

「……え、いく、の……?」
 それは愛佳にとっても最愛の、大切な家族。妹。
 妹が……死んだ? 殺された?
 あたしが みさえさんを 殺しちゃったから ?


『そうだよ。   殺人鬼   』


 侮蔑する声。殺そうとする人たち。いなくなった妹。
 広がる血の海。そこに投げ落とされるあたし。引きずり込む幾人もの人の手。
 むしりとられるあたしの皮。肉。骨。べちょべちょと笑いながら頬張ってる。
 あははは。あははは。あははは。あははは。
 ひひひひ。ひひひひ。ひひひひ。ひひひひ。
 けらけら。けらけら。けらけら。けらけら。
 死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、死ぬ、いやだ、いやだいやだいやだいやだいやだ!!!!!!

775Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:21:25 ID:hDv2p4Go0
「ひっ、ひ、ひふっ、い、い、いいいいいい、いくのいくのいくのいまいくのぉぉォォォォォオォーーーーーーーー!!!!!」

 愛佳は狂った叫びを上げながら、デイパックから今まで危険だからと収めていた火炎放射器を取り出す。

「あはっあはははははあははははははははははははあはははははははははははははは!!!!!!」

 愉快そうに愛佳は笑う。
 正気どころか、判断する頭脳さえない。
 まさに死人。本能のままに人を襲う、哀れな怪物に成り果ててしまった人間の崩壊した姿がそこにあった。

「燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろ燃えろモエロモエロオォォォォーーーーー!!!」
 愛佳は火炎放射器の矛先を、残っている連中へと向け、文字通り丸焼きにしようとする。
 しかし焼き尽くそうと向けた視界の中で、僅かに動き、静止をかける人間がいた。

「ま、なか……! なに、やってるのよ……!」
「っひぃ!?」

 それは人殺しの風子によって致命傷を与えられ、倒れたはずの由真の姿だった。
 未だにドクドクと湧き出てくる血を、申し訳ばかりに手で押さえながら、凶行に及ぼうとする親友を見咎めるように睨む。
「ひ、こ、こないでこないでこないでしぬしぬしぬしぬぅぅぅぅ!!」

 崩壊した愛佳にとって既に由真は死人。生き返るはずがなく、ただのモノであるはずだった。
 つまり、這いずってでも自分に手を伸ばそうとするこの女は……死神。
 恐怖に駆られた愛佳は、火炎放射器で攻撃こそしなかったものの、それを背負ったまま反対方向へと逃げようとする。
 するとそこに。

「ちっ、手こずらせてくれたわね……まさか猫にまで歯向かわれるとは計算外だったわよ」
「っ、こい、つ、もう……!」

776Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:21:44 ID:hDv2p4Go0
 顔面を散々に引っかかれ、服を花梨の血で塗らした郁未が反対側に立ち塞がる。
 足元には、今度こそ息絶えた花梨と、同じく惨殺されたぴろの死体を伴って。
 右手にはM1076。左手には血濡れの鉈を持ち。

「へぇ、撃たれてるじゃない……そこのチビも優勝狙いだったってワケか……いいわ、そういうの、嫌いじゃない」
「っ、ち、違います、ふ、風子は……」

 何が違うのか、と首を傾げる郁未の前。
 愛佳の前に立ち塞がるように、今度は戻ってきた女がいた。

「な……これは、どういうことなの!」
 疑問ではなく、騙されていたのだという絶望と怒りを携えて、七瀬留美が戻ってきていた。

 守るはずだった味方が、目を離してみれば皆が皆殺し合いをしているではないか。
 血濡れの鉈と銃を持った郁未。
 血の海に落ちた由真の近くで拳銃を持っている風子。
 火炎放射器を持って逃げようとしていた愛佳。
 動かない花梨とぴろ。
 状況から七瀬が叩き出した結論は一つだった。

「そう、結局みんな殺し合いに乗ってたってことか……バカにされたもんね、あたしも……もういい。もう誰も信じるもんか……皆殺しよ! 全員! ブチ殺して地獄に沈めてやる!」
 七瀬は手斧を取り出し、悪鬼羅刹を思わせる瞳で全員を見据える。

「……く、なんで、こんなことに……!」
 由真はまだ辛うじて動ける状況にあった。
 血は流れ続けているが幸いにして銃弾が肺を貫くことはなかった。半ば下方向きに風子が撃ったお陰だ。

 ま、誤射だけどね。……今更事実に文句を言っても仕方ないか。

777Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:22:05 ID:hDv2p4Go0
 由真はこっそりと手を伸ばし、ステアーAUGを手に取ると、風子を逃がす算段を立てる。
 もうこの状況と傷では助かるまい。その諦めがかえって由真に冷静さと覚悟を引き出していた。

(もう、せめて伊吹さんだけでも……! 私の、最後の意地……!)

 由真の中の命の蝋燭が、激しく炎を立てて燃え始めた。

     *     *     *

 それより少し前。時間は七瀬がホテルの奥の銃声を聞きつけたころに遡る。
 早急に銃声の事実を確かめねばならない七瀬にとっては、最早こんな戦闘などさっさと抜け出すべきだった。

 最大の問題は背中を見せた途端二人から一斉に射撃を浴びることだ。
 だが七瀬にはスタン・グレネードという目くらましにはもってこいの代物がある。
 後はいつこれを使うかということだけ。
 ポケットの中にそれを仕舞いなおした瞬間……七瀬彰が、真正面にM79を構えていた。

「燃え尽きてしまえっ!」

 彰が構えているのがイングラムではないと判断した瞬間、七瀬は大きく飛び跳ねてできるだけ距離を取るように離れる。
 ここでも七瀬の直感は正しかった。
 少し外れ、柱に命中した火炎弾が、盛大に炎を巻き上げ火の粉を降り注がせる。
 間違いなく、その場にいたら煽りを食っていただろう。

 SMGⅡを即座に構えようとした七瀬だったが、今度は彰が何かに気付いてごろごろと床を転がる。
 直後、二発ほど銃声が聞こえた。七瀬からは死角になっていて分からなかったのだが、名雪が彰を攻撃したのだ。

 名雪にとっての優先事項はとにかく武器の豊富な相手を狙うことだった。
 銃は二つ持ってはいるがどちらも拳銃であるし、残弾数も心許なくなってきている。
 彰の装備はサブマシンガンにグレネードランチャー。単純に攻撃力としてはかなりの高レベルである。
 無論隙さえできれば七瀬を狙うつもりでもあったが、優先して狙っているのは彰だった。
 彰も名雪の狙いに気付いていたようで、舌打ちをしながら回避に専念する。

778Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:22:45 ID:hDv2p4Go0
「ち、防弾チョッキさえなければ……」

 彰は迂闊にイングラムを撃てない。防弾チョッキで無効化されてはまさしく弾の無駄遣いだ。
 既にマガジンの残りは半分を切ってしまっている以上慎重に使わねばならなかった。
 彰は走り回りつつ、ロビーの奥……受付のカウンターの奥に隠れ、篭城戦の体制に入った。
 名雪は続けて銃弾を撃ち込もうとするがそれを阻む人間がいた。

「このぉっ! いくら防弾チョッキを着てたって!」

 狙いを切り替えた七瀬が名雪へと向けてSMGⅡを乱射する。
 その目標は頭部。そこに一発でも撃ち込んでしまえばどんな人間だろうが即死する。
 下手な鉄砲数撃ちゃ当たるを信条とする七瀬には残弾など関係なし。とにかく撃ち続ける。

「……」

 名雪も彰同様、走り回りながら七瀬の掃射を回避していく。
 格闘戦でこそ遅れをとった名雪だが、走り回ることに関しては七瀬の比ではない。
 蛇行して走りながら、名雪は懐から携帯電話を取り出す。

「何? 電話なんかで何をしようって……?」
 何かを入力したかと思うと、名雪はそれを七瀬へと向かって放物線上に投げる。
 投擲してぶつけるだろうかとも思ったが、山なりに投げるのはおかしい。
 三度、七瀬は己の直感に従って携帯から離れようとした。が、僅かに遅かった。

「っ!? 電話が、光っ――!?」

779Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:23:09 ID:hDv2p4Go0
 名雪が投げたのは時限爆弾機能入りの携帯電話。数字を入力することでその秒数後に爆発を引き起こすといった仕組みだった。
 セットしたのは一般的な手榴弾と同じ五秒後。
 閃光と爆風が七瀬を襲う。
 爆薬量が少なかったのと至近距離ではなかったお陰で致命傷を負うことこそなかったものの、爆風で吹き飛ばされ床に体をしたたか打ち付ける。
 そのまま床を転がりながら、七瀬は不覚と体勢を立て直そうとする。

 しかしその隙を見逃すわけがない。名雪は立ち上がろうとする瞬間を狙ってジェリコを構えるが、目論みはまたもや失敗に終わる。
 カウンターから飛び出してきた彰が、M79を構え、炸裂弾を発射していた。

「……!」
 彰の狙いは走りながら撃ったせいか、僅かに逸れていたものの、本来炸裂弾は爆風よりもそれにより撒き散らされる破片での攻撃が主なダメージソースである。
 小規模な爆発と共に飛び出した榴弾の破片が次々と名雪を襲う。
 避けきれないと悟った名雪は顔面へのダメージを防ぐべく両手で顔を隠し、防御体勢をとったが、流石にそれ以外への攻撃まではどうしようもない。
 ある破片は浅く、ある破片は深く。手足、身体を問わず切り裂かれ、少なからぬダメージを名雪が受ける。
 だがただやられている名雪ではなかった。相沢祐一のために全てを抹殺する、その目的を達成するために全てを捨て去った少女はそれくらいでは突き崩せない。膝をつくとばかり思われていた名雪は、しかし倒れることなく踏み止まり、あまつさえ彰に反撃の一発を見舞ったのだ!

「何っ!? がっ……!」
 半ば無茶苦茶に乱射したので急所に命中することはなかったが、数発が彰の肩や脇腹を抉る。
 大した被害ではないが、慌てて彰はサイドステップして回避行動に移る。
 彰が先程までいた場所には、更に数発の銃弾が撃ち込まれていた。
 冷や汗が流れ落ちるのを感じながら、それでもダメージは向こうの方が大きい、ケリをつけるなら今とイングラムに装備を切り替え、思い切り乱射する。

「倍返しだっ!」
 撃ち返す彰だが、名雪も怪我を負ったとはいえ脚力は健在であった。イングラムの掃射を彰の周りを円を描くようにして走り、回避していく。
 彰もじっとして撃つだけでは撃ち返されると踏んで動きながらイングラムを撃ち続ける。
 そこに、ようやく起き上がった七瀬が苦々しい顔をしながら、スタン・グレネードを取り出していた。

「このっ……やってくれるじゃない……けど、コイツを投げられる状況にしてくれてありがとう!」

780Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:23:29 ID:hDv2p4Go0
 ピンを引き抜くと、七瀬は思い切りそれを二人の間へと向け、投げつける。
 ころろろ、と転がってきたスタン・グレネードに気付いた二人は慌てて爆風から逃れようと飛び退いたが、それは普通のグレネードではない。
 爆風と破片による攻撃ではなく、スタン・グレネードは閃光と爆音によって視覚と聴覚を奪い、敵を無力化するものである。
 当然そんなことを知るわけがない二人はまともにその影響を受ける。

「!!」
「ぅぁっ!?」

 凄まじい音響と閃光。
 目をつぶり、耳を塞いでいた七瀬でさえ頭がクラクラするほどであったのだがら、二人は何をいわんや。
 視界とバランスを失い、よろよろと動き回る。
 七瀬はしばらくして、頭に感覚が戻ってきたのを確認すると、自分のデイパックを回収して奥へと駆けていった。
 どれくらい時間が経っているのか分からない。あれからも断続的に向こうから銃声のような音が聞こえてきたような気もする。
 戦闘が起こっているのだろうか。既に被害者が出ているのかもしれない。

「お願い、無事でいてよ……!」
 そう願いながら、七瀬は全速で走る。
 願いは叶うことなく、また彼女を修羅の道に堕とすことになるとも知らずに――


「っ、クソ……!」
 悪態をつきながら、彰は柱に背中をもたれさせ未だ定まらぬ視界に四苦八苦していた。
 名雪の気配は既に消えうせている。スタン・グレネードを投げた七瀬から逃げるためなのか、彰を攻撃してくることもなかった。
 それは不幸中の幸いと言える。こちらも早く体勢を立て直さねば。
 何だか閃光が走った直前からくらいに何かぶつぶつ声が聞こえていたような気もするが、聞き逃した。まあどうでもいいが。

 ズルズルとそのまま床に座り込みつつ、彰はこれからの戦術を模索する。
 襲撃は失敗に終わった。予想外の事態により倒せたはずの相手も殺し損なった。
 やはりまず、とどめはきっちりと刺さなければならない。頭部を破壊するまで、相手は死なないものと仮定したほうがいい。
 それと回避行動は素早くだ。
 数回の戦闘を経てようやく効果的な弾の躱し方が身についてきた気がする。
 円を描くように回った方がより当りにくい。広い場所で戦うときはこの戦法をとるべきだろう。

781Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:24:06 ID:hDv2p4Go0
 最後に攻撃法。
 復活したらあの女(七瀬留美)を追うのが普通だろうが、ホテルというフィールドを利用しない手はない。
 まず階段などを使って上の階へ移動し、回り込んで不意打ちを仕掛ける。
 概ね方針としてはこうだ。悪くはないはず。問題は同じように考えたもう一人の女(水瀬名雪)と鉢合わせすることくらいだが……そこは慎重に行動することで何とか会わないようにするしかない。

「……よし、今度こそ」

 再び自分に喝を入れ直し、彰はゆっくりと立ち上がる。
 その目は、もはや戦士と呼べるに相応しい顔つきになっていた。

     *     *     *

 以上、これが七瀬がやってくるまでの事のあらましであった。

 とにもかくにも今の七瀬は怒り心頭どころかこの世の全てを悪と見なさんばかりに鼻息を荒げつつ、ぎろりと愛佳を睨む。
 怯えて逃げ惑っていたかと思えば、今度は放火魔か。要するに、あのときは自分に勝てないと思って逃げていただけだったのだ。
 弱者だけを狙い、強者には媚を売って延命を図る。最低の愚図だ。死ねばいいのに。いや、殺す。

「まず、あんたからよ……」
「ひ、ひひ、あ、あんたは怖くない怖くない怖くないぃぃぃぃんだからぁああぁあぁあ!」

 愛佳は火炎放射器を向けると、今度は躊躇いなく七瀬へと紅蓮の炎を撒き散らす。
 燃え盛る炎の腕が七瀬を包み込まんとするが、戦闘慣れしている七瀬にはそう簡単に通じはしない。
 熱風に顔をしかめつつ、七瀬は手斧を振り上げる。

「あっち! 乙女の肌に黒コゲにする気!? 小麦色ならちょっと歓迎するけど!」
「ひゃはっ!?」

782Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:24:30 ID:hDv2p4Go0
 とっさに放射器の向きを変えようとするがそれより斧の方が早かった。
 炎の暑さに僅かに狙いが逸れたか、手斧は愛佳の服を浅く切り裂いたのみで手傷を負わせるに至らなかった。

「いいいいいたいのいたいのとととんでけぇぇえぇぇええぇ!」

 トリガーを引き続けたまま放射器を振り回したので炎は鞭と化し、七瀬を薙ぎ払う。
 荒れ狂う炎の勢いに接近を拒まれ、さしもの七瀬も近づく事が出来ない。
 だが、炎で燃えるのは人間だけではない。飛び散った炎が壁材や床のカーペットに引火し、瞬く間に群れを為して火災の様相を呈し始めた。
 機能を失ってしまっているホテルには火災報知機もスプリンクラーもない。消火器さえあるかどうか怪しかった。

「あは、燃える燃える燃えるるるるる! もっともっともっともっとぉぉぉぉおおぉぉぉぉお!!!」

 オレンジ色の光景に愛佳は狂笑を浮かべながら傍にあった階段を駆け上ろうとする。
 七瀬は熱風にたじろぎながらも目ざとくその姿を見つけ、追おうとする。

「待ちなさい! この放火……」
 途端、再び紅蓮が降り注ぐ。愛佳が階段上から階下へ向けて火を放ったのだ。
 今の愛佳に残る思考はただ一つ。「しにたくないから、ぜんぶもやす」これだけだった。
 燃えてしまえば何も怖くはない。そんな子供じみた考えの下に。

「くあっち! あーもう! 乙女の髪の毛をアフロにする気かぁ!」

 地団駄を踏みつつ、七瀬は火の粉を追い払いながら、既に二階へと消えた愛佳を追って駆け上がった。


「……ちっ、やるだけやってトンズラとはね。熱くって仕方ないわ」
 パチパチと焦げ臭い匂いと揺らめく炎の舌の中、郁未は髪をかき上げながら、腹を押さえつつステアーAUGを持って立ちはだかる由真を前にしながら、悠然と呟いた。
「……殺し合いに乗っていた割には、やけに好戦的じゃないわ、ね……けほっ、それに、私達もすぐに襲ってこなかったし」

783Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:24:56 ID:hDv2p4Go0
 こほこほと咳き込みながら、由真は未だショックから抜け切れてない風子を横目にしつつ、郁未に問いかける。
 血の味が口に広がっている。どうやら煤と煙のせいだけではないようだ。時間は残り少ない。
 一歩、前に踏み出す。

「まぁね。無駄な争いは避ける方が賢いって気付いたのよ。倒せるなら弱者から。如何にリスクを少なく、リターンを大きく出来るかが、この殺し合いの鍵だってこと」
「っとに、性質の悪い……けほっ」
「……さっさと死んでればよかったのに。苦しいでしょ?」
「……どうも。でも、この島には山ほど貸しがあるの。借りは、返すのが礼儀でしょ……?」

 ほぅ、と郁未は感心したように由真を見やる。
 初めて同調できる意見を他者に見たからだ。立場、目的こそ違えどその精神は郁未が持っているものと同質のものだ。
 殺すには惜しい。いや、こんな状態で戦うのが惜しい。
 お互い万全で殺しあえればよかったのに、と郁未は思った。

「じゃ、最後に一つ言っとくか……あんた、自分を撃った奴を守ろうなんておかしいわよ? ひょっとしたら今まで仲間ごっこを演じてただけかもしれないってのに」
「……伊吹さんを馬鹿にしないで。あんないい子、誰が疑うってのよ……それに、分かりやすい敵が、目の前に、いる……」

 そこまで言ったとき、視界が一瞬揺らぐ。暑さと血が足りなくなってきているせいだ。まだ折れるわけにはいかない。
 少し腰を落とすと、由真はステアーAUGを構える。

「それに、意地ってものがあるでしょ、女の子にもッ!」

784Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:25:15 ID:hDv2p4Go0
 一声叫ぶと、由真は思いっきりステアーの引き金を引き絞る。
 しかし花梨が注意したように、ステアーには殆ど残弾がなかった。僅か一秒にも満たない間に、ステアーから弾が途切れる。
 郁未は飛んでそれを回避していた。弾が少ないということは郁未も知っている情報だった。入れ替わるようにして鉈を振り下ろす。
 もちろん由真はそのことを承知済みだった。腰を落としたのは理由がある。
 花梨が撃たれたとき、彼女はデイパックを落としていた。その中身も零れ出ている。
 そう、腰を落としたとき、由真は同時に花梨の『遺物』をすぐ拾えるようにしておいたのだ。由真が手に取ったのは――

「貰ったッ!」
「っ、甘いっ……!」

 特殊警棒が、郁未の鉈を弾く。金属製であるそれは硬度で言うなら互角の能力を有している。
 一歩、ダッキングして郁未は距離を取った。

「ちっ、やる……」
「けほっ、まだまだよっ!」

 咳き込みながら、由真は警棒を持って追撃。体力のあるうちにありったけ力を入れておかないとまずい。そう判断していた。

「伊吹さん! 聞いてる!?」
「……っ、はっ……」

 鉈と警棒がぶつかり合った瞬間、怯えたように、弾かれたように風子が反応する。由真からは確認できなかったが、その目は罪悪感に満ち満ちていた。
 だが構わず、由真は言葉を続ける。

「私は、別に気にして、ないから……伊吹さん、わざとやったんじゃないって、分かってるから!」
「無駄口が多いわよ!」

 郁未の切り返しの一撃。それが由真の肩を深く切り裂く。
 悲鳴を上げたくなったが、根性で堪える。というより、痛すぎて悲鳴があげられなかったのだ。

785Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:25:30 ID:hDv2p4Go0
「だから、行って! それでも申し訳ないって思ってんなら、体勢を立て直して、私のカタキを討ってよ! かはっ、岡崎さんと、みちるちゃんと、花梨のカタキ、討ってよ! お姉さんなんでしょ!!!」

「っ!!!」

 お姉さん、という言葉が風子の瞳に正気を取り戻させる。一歩、風子が下がる。
 後一押しと言わんばかりに、由真は渾身の叫びを放った。


「走れえぇえぇぇぇぇぇぇえぇえ!!!!!!!」


 意識したのかそれとも偶然か、その言葉は朋也が最後に由真と風子に向けて言ったものと全く同じだった。
 風子は、もう振り返らなかった。炎の中へと突進していく。流星のように。

「残念だけど、逃がしゃしないわよ!」
 さっさと倒そうと、郁未は喉を切り裂かんと鉈を横に薙ぐが、由真は素手で鉈を受け止めた。
 手から感覚が零れ落ち、命がまた流れていく。

「っ、なら頭を!」
 M1076で頭部を狙おうとするが、今度はもう片方に握っていた警棒を捨て、無理矢理銃口を押し下げる。
 だが引き金を止めることまでは出来ず次々と発射された弾丸が由真の内臓をぐちゃりと押し潰す。

「っぁ、……勝っ、た、わ……!」

 命が完全に尽きる寸前、由真は勝利の笑みを浮かべた。
 伊吹風子を逃がすという、命の代償を支払った勝負に。
 それが証拠に、目の前の郁未は悔しそうに顔を歪めていた。

 だから。
 最後に、由真が握った拳は天を高く衝いていた。

786Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:26:14 ID:hDv2p4Go0
【時間:二日目午後19:00】
【場所:E-4 ホテル内】

伊吹風子
【所持品:サバイバルナイフ、三角帽子、青い宝石(光四個)、グロック19(1/15)、支給品一式】
【状態:泣かないと決意する。全力で逃げる。仲間の仇を必ず取る】

十波由真 
【持ち物:特殊警棒、ステアーAUG(0/30)、ただの双眼鏡(ランダムアイテム)、カップめんいくつか】
【状況:死亡】

笹森花梨
【持ち物:海岸で拾ったピンクの貝殻(綺麗)、手帳、セイカクハンテンダケ(×1個&4分の3個)、S&W、M10(4インチモデル)5/6、エディの支給品一式】
【状態:死亡】
ぴろ
【状態:死亡】

天沢郁未
【持ち物:S&W M1076 残弾数(2/6)とその予備弾丸20発・トカレフ(TT30)銃弾数(5/8)・ノートパソコン、鉈、薙刀、支給品一式×3(うちひとつは水半分)、腕時計】
【状態:右腕軽症(処置済み)、左腕と左足に軽い打撲、腹部打撲、顔面に細かい傷多数、中度の疲労、マーダー】
【目的:由真に敗北感。ホテル内の人間を全て抹殺。最終的な目標は、優勝して生き延びる事】

小牧愛佳
【持ち物:火炎放射器、缶詰数種類、他支給品一式】
【状態:中度の疲労、顔面に裂傷、発狂。目の前の全てを燃やし尽くす】

787Human Warrior(berserker):2008/06/24(火) 00:26:41 ID:hDv2p4Go0
七瀬留美
【所持品1:手斧、H&K SMGⅡ(13/30)、予備マガジン(30発入り)×1、何かの充電機、ノートパソコン】
【所持品2:デザートイーグル(.44マグナム版・残弾6/8)、デザートイーグルの予備マガジン(.44マグナム弾8発入り)×1、支給品一式(3人分)】
【状態:弥生の殺害を狙う、邪魔する者も排除、中度の疲労、右腕打撲、肩に銃傷、激しい憎悪。参加者全員を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

七瀬彰
【所持品:イングラムM10(6/30)、イングラムの予備マガジン×3、M79グレネードランチャー、炸裂弾×8、火炎弾×9、クラッカー複数】
【状態:右腕負傷(かなり回復。痛みはほぼ無し)。左腕に打撲、左腕に切り傷、肩や脇腹にかすり傷多数、疲労大、マーダー。ホテル内の全員を抹殺。放送は戦闘の影響で聞き逃した】

水瀬名雪
【持ち物:ワルサーP38アンクルモデル8/8、防弾性割烹着&頭巾、IMI ジェリコ941(残弾7/14)、予備弾倉×1、赤いルージュ型拳銃 弾1発入り、青酸カリ入り青いマニキュア、支給品一式】
【状態:肩に刺し傷(治療済み。ほぼ回復)、全身に細かい傷、マーダー、祐一以外の全てを抹殺。ホテルのどこかに逃亡。放送は戦闘の影響で聞き逃した】



【その他:折りたたみ式自転車はロビーに放置(多少傷アリ)。ホテルの一部で火災発生。現在も燃え広がっています】

→B-10

788アイニミチル (4):2008/06/26(木) 03:31:51 ID:I4YEtknU0
 
暗い洞穴を明るく照らすものがあった。
光。青い光である。

そこに海があった。
深い、深い滄海の湛える色があった。
そこに空があった。
果てなく高い、透き通るような天の色があった。

空と海とが交じり合い、絡まり合って、ひとつの光となっていた。
観月マナという少女の発しているのは、そういう光である。

その中心にいるはずの少女はしかし、空と海とに挟まれて薄ぼんやりと、
影のような輪郭だけを光の中に浮かべている。

あ―――、と。

音が、響いた。
それが少女、マナの発した声であるとその場にいた者たちが気づいたのは、
その音が急激にボルテージを上げ、岩窟全体をびりびりと震わせはじめてからである。

―――ぁぁぁぁああああああアアアアアアアアアアァァァァァぁぁぁぁぁ―――

鼓膜を裂くように高く、臓腑を抉るように低く、少女が哭いていた。
到底ヒトの声帯から生み出されるものとは思えない、それは常軌を逸した音量と音程の、絶叫である。
唐突に現れた光と音が、観月マナという少女が、岩窟という狭い世界を瞬く間に塗り替えていた。
囁き声も、すすり泣く声も、淫臭も、水音も、赤い色も、すべてが蹂躙され、その存在を押し流されていた。
そんな目を灼くような光と耳を劈くような音の波の中で、笑む者がある。

「唸れ、滾れ、美しき青の子―――」

天野美汐であった。
堪えきれぬといった風に笑みを浮かべ、誰にも聞こえ得ぬ声を漏らす。

「定命の身に収めきれぬ青を振り撒き―――神を喚ぶ餌となりなさい」

―――あ、と。
呪詛のように呟かれた美汐の言葉に引きずられるように、マナが吼えた。


***

789アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:32:26 ID:I4YEtknU0
 
刹那にも満たぬ青がある。
久遠すら足りぬ青がある。

青は光であり、波であり、色であり音であり、声だった。
そのひとつひとつに、世界があった。

幾多の世界がもたらす青の中で、観月マナであったものは漂っている。
生とは思考であり、行動であり、主体である。
その意味で観月マナと呼ばれる少女は、既に死んでいた。
圧倒的な情報の渦に磨耗し、打ちのめされ、一つの死を迎えたマナの精神を更に石臼で挽くように、
青い波がマナであったものへと執拗に打ち寄せる。

マナであったものを囲むいくつもの世界に遍在するものがあった。
声である。認めろ、と叫ぶ、それは無数の声だった。

―――認めろ。
―――我を認めろ。
―――我を肯じろ。
―――我を赦せ。
―――我の在るを赦せ。
―――我の在るを、肯じろ。

それは、怨嗟の声だった。
この世にあり得べからざるすべての存在の、声なき声。
在るを認められぬものたちの、存在を切望する声。
それがマナであったものの周囲に押し寄せ、ひしめき合っていた。

彼らは欲していた。
彼ら自身の意味を。
彼ら自身の存在を。
彼ら自身の認識を。

存在の承認を、彼らは欲していた。
あり得べからざるすべてのものが、マナであったものにそれを求め、叶わず、怨嗟の声を上げていた。
マナであったものは引き裂かれ、踏み躙られ、食い散らかされ、既に物言わぬ躯となって尚、侵され、
求められ、そして恨まれていた。
マナであったものを囲むすべてのものが、マナを欲していた。
自らの声を聞ける唯一の存在を、彼らは彼らのすべてを以って希求し、その結果として焼き尽くしていた。

観月マナと呼ばれた少女は、温かな肉体の中で、既にして朽ちている。


***

790アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:33:14 ID:I4YEtknU0
 
絶叫とも、咆哮ともつかぬ観月マナの声が岩窟の大広間を震わせている。
時にふっつりと止み、再び唐突に響きだす、それはどこか壊れたスピーカーから鳴る、
ノイズ混じりのラジオを思わせる。
岩窟の遥か高い天井までを照らすような青い光の柱を前に、水瀬秋子は焦燥を覚えていた。
知らず、内心の声が漏れる。

「次代の使徒……まさか、これほどとは……」
「―――ええ。儀典場たるこの空間に溢れ、融けていく青が多すぎる」

いつの間に近づいていたのか、天野美汐の姿に秋子が微かに眼を見開く。
薄笑いを浮かべたようなその表情が、どこか癇に障った。
見慣れた微笑ではない。
それは皮一枚の下に悪意を隠した、紛れもない冷笑であるかのように、秋子には見えた。

「……何か、可笑しなことでもありますか」
「いいえ、……いいえ、とんでもない」

刺々しい秋子の言葉にも、美汐の薄笑いは消えない。
くつくつと、今にも声を漏らして嗤い出しそうな顔のまま、言葉を継ぐ。

「両儀の合一は青と赤、双方の調和を以って成立する……このままでは、些か赤が弱いように思えますが、
 ただこの状況も想定の内だったかのかと思いまして」
「言われるまでもありません。……十年余りとて、私たちには瞬きするほどの時間。
 あの失敗も、昨日のことのように覚えています」
「失敗……ああ、あの日のことですか。……懐かしい、若気の至りとでも言いましょうか」

薄暮の湖を覆う霧の如き瞳が、弓形に細められる。

「貴女が……いえ、私たちが『門』を開いたあの日も、こんな風に青が溢れたのでしたね。
 実に懐かしい、神の欠片を始末しきるまで随分と手間がかかりましたが、今となっては
 それもいい思い出でしょう」
「……何が、思い出なものですか」
「おやおや、可哀想なこと」

言って口元に手を当てた、美汐の眼は泣き崩れる磔刑の女、霧島聖を横目で見ている。
粘つく視線を断ち切るように、秋子が口を開く。

791アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:33:29 ID:I4YEtknU0
「―――いずれにせよ、使徒を放っておくわけにはいきません。
 合一を前に再び『門』が開くことがあってはならない。今ならまだ抑えられます」
「私は嫌ですよ」
「……」

しれっと言ってのけた美汐を、秋子が睨む。
どこ吹く風と薄笑いを続ける美汐の相手をしていても仕方がないと思ったか、秋子が溜息をついて
小さく首を振った。

「あなたにそこまで頼もうとは、思っていません」
「……私は、嫌だと言ったのですよ、秋子さん」

妙に強く言い切られたその声音に不可解なものを感じて、玉座から腰を上げかけた秋子が
美汐を見やった、その瞬間。

「―――動くな」

時が、静止した。


***

792アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:33:54 ID:I4YEtknU0
 
「―――」

時が静止していた。
身体が、腕が、指の一本に至るまでが動かない。
声も出ない。時が、静止していた。

「おや……どうかされましたか、秋子さん」

否―――薄笑いと共に、美汐の声が聞こえる。
事ここに至って、秋子はようやく気づく。
静止していたのは、時ではない。
水瀬秋子、自身であった。

「―――」
「どうしたんです、秋子さん。……それではまるで、声も出せないみたいではありませんか」

天野美汐の浮かべる笑みは、既に薄笑いと呼べるものではない。
にたりにたりと秋子をねめつけるその表情には、明確な悪意が宿っていた。
この異常が、美汐の手によるものであることは明らかだった。
それを追求することも叶わぬ秋子の凍りついたような身体を、美汐の指がそっと這う。

「何をしたのですパーフェクト・リバ。……そんなところでしょう、仰りたいのは。
 いいえ、いいえ。それは筋違いというものです、シスター・リリー。
 貴女は大変な思い違いをしている」

青の光柱と化したマナの、悲鳴の如き咆哮は続いている。
びりびりと臓腑を抉るような大音声の中、美汐の声は不思議と秋子の耳に染み渡る。

「赤と青を操るもの、攻受自在のパーフェクト・リバ。
 ……そうですね、この戦いの、貴女の戦いの文脈ではそうなるのでしょう。
 ですが秋子さん、貴女は忘れている。あまりにも『繰り返し』がすぎて、大切なことを見落としている。
 この夢を見る島は、人に力を与えるのですよ。……尋常ならざる、異能の力を」

美汐の整えられた爪が、秋子の唇へと忍び寄ると、その柔らかい感触を楽しむかのように止まる。

793アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:34:27 ID:I4YEtknU0
「私は言ったはずです、秋子さん。……貴女はそこで見ていてください、と。
 動かずに、悠然と。それが、貴女の役割だと。そして貴女は、それを承認した」

かり、と。
美汐の爪が、秋子の唇を掻いた。
淡い口紅と控えめなグロスに彩られた唇に、朱の珠が浮かぶ。

「教えて差し上げましょう、秋子さん。『今回』の私に与えられた力、異能を」

浮かんだ珠を弄ぶように秋子の唇に広げていく、美汐の白く細い指。

「―――『遊戯の王』。ゲームと名のつくものに、支配の因果を持ち込む力。
 ルールの説明と承認がその合図……既にゲームは始まっていたのですよ、秋子さん。
 ……動かずに、悠然と、その玉座に座り続けることを、貴女は誓約した。
 それ以外のすべてが、貴女の敗北を意味している」

薄化粧を施された目元を、美汐の指がそっと拭う。

「何故、と問いたいでしょう。何故このようなことを、と。答えは簡単ですよ、秋子さん。
 勝手に神を祓われては、困るからです。ええ、それだけのことですよ」

隠しきれぬ小皺を愛でるように、美汐が嗤う。

「何故といって、神は……私が、滅するのですから。
 そうでなくては、真琴の仇が取れないじゃあ、ないですか」

真琴、という名。
美汐の口にしたその名の不可解さに、秋子が内心で眉を顰めた、次の瞬間。

「―――」
「さようなら、秋子さん」

794アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:34:42 ID:I4YEtknU0
秋子の全身が、激烈な拒否反応を示していた。
神経信号に走る圧倒的なノイズ。
体組織を侵食する膨大な異物。
痛覚が、触覚が、異物を排除せよと身体に命じる。
しかし身体は動かない。
痙攣一つ起こせない。
眼を見開くことも、悲鳴を上げることも、痛みに崩れ落ちることも許されない。
水瀬秋子を、その豪奢な玉座に縫い止めたもの。
文字通り、身動き一つ取れない秋子の腹部に、深々と突き立っていたもの。
それは、垂れ落ちる鮮血をその身に纏わせてなお赤い、煌く光の刀であった。

「もう、『次』でお会いすることもないでしょう」

美汐の手から伸びた赤の光刀が、貫いた秋子の腹をもう一度抉る。

「私が神を討ち滅ぼせば、時は巡りを止めるでしょうから。
 ……ごきげんよう、秋子さん。長い間、ご苦労様でした」

ぶつり、と何か太いものが千切れる手応えに、美汐が光刀を引き抜いた。
それを合図に束縛から解き放たれたものか、秋子の身体が巨大な玉座に凭れ掛かる様に、
ずるりと崩れ落ちた。


***

795アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:35:09 ID:I4YEtknU0
 
眼前の光景が、悪夢であればいい。
手も足も赤光の十字架に囚われて動かせずに、だから私はただ、息を呑んだ。
ずるりと崩れたその身体から赤黒い液体が溢れ、ぽたぽたと垂れ落ちて、
それで夢などではないと気づかされ、初めて悲鳴が漏れた。
姉さま、と叫んで。
叶わぬと知りながら伸ばした手は、眼前にあった。
疑問に思う余裕など、なかった。
手が動く。足が動く。それだけで、その事実だけで十分だった。
走る。突き出た石に、平らでない岩場に何度も躓きそうになりながら、走る。
ぬるりと滑る血に足を取られる。
音が遠い。胸が苦しい。見えるすべてが薄っぺらい。
あらゆる感覚が火傷しそうなほどに熱くて、同時に作り物じみていた。
姉さま、姉さま、姉さま。
針の飛んだレコードみたいな悲鳴だけが、他人事のように響く。
腕を伸ばして、届かず。
手を伸ばして、届かず。
指の先までを懸命に伸ばして、それから一歩を踏み出して、ようやく触れた、その白い手は。
ひんやりと、まるでもう、生きてはいないみたいに、冷たかった。

いやだ、と首を振る。
むしゃぶりつくようにその手を抱き寄せて、その腕を手繰り寄せて、その肩を、抱きしめた。
細く、軽く、それでやっぱり冷たいその肩を抱きしめて、すぐ近くにある耳に、叫ぶ。
ねえさま、ねえさま、ねえさま。
わたしはここにいます、ひじりはここにいます、ねえさま、ここにいます。

どれだけ叫んでも。
どれだけ、喉を痛めて叫んでも。
声なんて届かないみたいに、その眼は、どこか違うところを見ていて。
いつまでも、私を、見てはくれない。

796アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:35:29 ID:I4YEtknU0
けれど。
ずっとずっと叫んで、咳き込んで、涙が出るほど咳き込んでようやく、私は気づく。
紫色に染まった、血のついた唇が、微かに震えていた。
何かを、言おうとしていると思った。
必死に耳を寄せる。どんな言葉でもよかった。
その声を、その言葉を、覚えておこうと思った。
私に向けられる、本当にたいせつなことば。
それがどういうものであれ、私はそれだけを覚えておこう。そう思った。

 ―――つぎは、きっと、かみを。

意味が、分からなかった。
いくつもの疑問符が私の頭に浮かんでは、泡のように弾けて消えていく。
分からない。分からないからきっと、これは最後の言葉じゃない。
私に向けられる、たいせつなことばなんかじゃない。
だから、こんな言葉なんかじゃなく、私は、私の姉さまは、私に、言葉をくれるんだ。
本当に大切な言葉。
本当に大切な言葉、本当に大切な言葉、私に向けられる、ほんとうにたいせつなことばは。
いつまで待っても、やってこない。

その目は、何も映さない。
その口は、何も話さない。

その目はもう、私を映さない。
その口はもう、私に何も、話さない。

その目は最後まで、私を見なかった。
その口は最後まで、私に言葉をくれなかった。

本当に、最後の最後。
事切れるまで、私は、待っていたと、いうのに。
名を呼ばれることすら、なかった。

ごめんなさい、と。
ありがとう、と。
それだけで、それだけで救われたのに。

たった一言さえを、遺さずに。
私のたいせつなひとは、いってしまった。

そんなことが。
そんなことが、あっていいはずが、なかった。
あってはならないことが、目の前にあるのなら。

―――間違っているのは、目の前の光景のほうだ。


***

797アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:35:53 ID:I4YEtknU0
 
水瀬秋子の亡骸にすがりつく女の全身が、燃えるような朱色の光を放ち始める。
背後に青光、びりびりと震える青の柱、正面に燃え立つような朱の光。
その二つの輝きに挟まれて、ひとり呵う女がいる。

天野美汐。
目も眩まんばかりの光を睥睨するように見比べて、呵う。

「哭け、嘆け、哀れな人形たち!」

光柱の中の観月マナを、既に物言わぬ骸と化した水瀬秋子を、それに取り縋って泣く霧島聖を、嘲う。

「赤々と咲け、愚かな道化!」

聖の背に突き刺さるような言葉と視線。
何の反応も返さず、聖の全身からは目映い朱色が立ち昇っている。

「その命を燃やすとき青が蒼穹を映すように、赤もまた、己を灼いて紅蓮を生ずる、
 爆ぜろ、爆ぜろ、喪失を拒んで燃え上がれ―――!」

嘲う女が、くるくると回る。

「記し手の死を以って青の書は蓄えた力を解き放ち―――」

いまや爆発的な勢いで輝きを増しつつある青の光柱へと手を差し伸べ、踊る。

「青は神を喚ぶ門となり―――」

青の光が、融けていく。

「赤は彼岸と此岸とを繋ぐ懸け橋となる―――」

赤の光が、融けていく。

「両儀を糧に、今こそ神の降る刻―――」

くるくると舞い踊るような女の周りで、赤と青が融けていく。
果てなく広がるような岩窟を隙間なく埋め尽くすように、光が拡がっていく。
その中心で、ただひとり、呵い、踊る女がいる。

798アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:36:12 ID:I4YEtknU0
「使徒の青はあり得べからざるの在るを肯んじ―――」

あり得べからざるもの。
この世に在ってはならぬもの。
ないはずのものが、存在を肯定され、顕れようとする。
それは、光柱の中にいたはずの少女をばらばらに分解し、滅茶苦茶に繋ぎなおしたような、おぞましい何か。
怖気立つような何かが、その大きさを増していく。
大きさが増すにつれ、少女だった何かはその形を失くしていき、やがて、消えた。
代わりにそこにあったのは、四角く巨大な、黒の一色だった。
厚みもなく、色以外の何もなく、それは存在していた。
見上げるほどに大きなそれを慈しむように美汐が哄う。

「そして愚かな道化の赤は、あり得べからざるの無きを拒む―――」

あり得べからざるもの。
この世に在ってはならぬもの。
ないはずのものが、非在を拒絶され、顕れようとする。
亡骸に縋り、朱く燃えるような光を放っていた女が、ついには一柱の光となって、消えた。
光は空に融けず、音もなく存在する黒に吸い込まれていく。
染み渡るような朱に、巨大な黒が静かに震えだす。
それはまるで、長く埃を被っていた古い機械に、時を越えて電気が通ったかのように。
小さな振動は、やがて目にも明らかな震えとなって辺りを揺るがし始める。
それは奇妙な光景である。
音もなく厚みもないその黒い何かの震動が、確かな重みをもって辺りを揺らしていたのだった。

「ついに門が―――開く」

799アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:36:30 ID:I4YEtknU0
震え、軋み、今にもばらばらに砕け散りそうな、その巨大な黒い何かの前に、美汐が立っている。
その表情は歓喜に満ちていた。
それは哀れな草食動物の、湯気を立てる臓物を前にした肉食獣のような。
或いは愚かな落第生の、試験用紙を前に苦渋するのを見下ろす教師のような。
絶対の確信と、抑えきれぬ情動の漏れ出すような、それは歓喜の笑みだった。

その両の手には光と、本があった。
右手には青の本。
門と化して消えた少女の持っていた、青く輝く書物。
左手には赤の本。
赤の使徒を名乗る少女を悦楽の地獄に突き落として奪った、赤く煌く典籍。
両の手に光と書とを宿し、天野美汐は哄う。

「二つの書は幾多の時を巡り、終に貴女方を超える力を蓄えるに至った……!
 さあ……姿を見せなさい、神の名を持つ化け物ども―――!」

その眼前で、『門』が、開いた。

800アイニミチル (5):2008/06/26(木) 03:37:06 ID:I4YEtknU0
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B−2 海岸洞穴内】

天野美汐
 【所持品:青の書・赤の書】
 【状態:異能パーフェクト・リバ、元GLの使徒、遊戯の王】

水瀬秋子
 【状態:死亡】

霧島聖
 【状態:消滅】

観月マナ
 【状態:消失】

→986 ルートD-5

801走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:16:10 ID:3HLWBWUQ0
 ボタンは激怒した。
 必ず、かの邪智暴虐の主催者を除かなければならぬと決意した。
 ボタンには殺し合いをする理由がわからぬ。ボタンは、藤林杏の飼い猪である。笛を吹き、人間と遊んで暮して来た。
 けれども邪悪に対しては、人(?)一倍に敏感であった。
 きょう正午ボタンは出発し、野を越え山越え、十里(くらい。本人の感覚で)はなれたこの鎌石村にやって来た。

「……やれやれ。杏の姉御もどこに行ったものやら。無事だといいのだがな」(※ボタンの声は翻訳されています)

 高くそびえ立ち、威嚇するように自分を見下ろしている民家群の中を移動しながら、ボタンはそう呟いた。
 ちなみにやたらとハードボイルド風味なのは仕様である。

「しかし、何の匂いも……いや、『ニンゲンの』匂いはあるか。……以外は何も匂わんな。犬どもや猫どもの匂いが微塵も感じられん。それだけじゃない、植物や建物も新しすぎる。言っちゃなんだが、温室栽培、って感じだ」

 違和感。それはどいつもこいつも「天然物」ではないということだ。
 それは即ち、全部が作り物ということを意味している。
 ボタンとて人間の世界に住まう以上、人工物には幾度となく触れてきたし、所謂養殖物と言われる食べ物が現在の主食だ。
 だからと言って、この世界は異常だ。全てが人工物であるなど在り得る訳がない。

 そう、島をまるごと一つ作り上げるなど。
 しかもかかる費用が莫大過ぎる。埋め立てるならともかく、どことも知れぬ海上に一から建設し、その上電気、水道などの管理施設まで用意するとすればそれは娯楽の範疇を超えている。
 加えて土地の問題もある。いきなり島一つ建てられるわけがない。時間は必ずかかるはずなのだ。だとすれば、その途中で必ず権利問題などが生じるはず。そこをどうやって切り抜ける?

 今のうちに解説しておくが、ボタンが博識なのはいつも杏の膝の上でテレビを見てたり床に置いてある新聞を眺めたり近所のおばちゃんの世間話を聞いたりしていたお陰である。人間バンザイ。

802走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:16:29 ID:3HLWBWUQ0
 それはさておき、こんな催しを開催するとすれば国家単位でやっているという可能性が一番大きい、がリスクが大きすぎる。
 人間界の情報は驚くほど早く、正確だ。マスコミならともかく、国家単位で行う諜報のレベルからすると、とてもではないがこんな催しを隠しきれるわけがない。並大抵の国家なら全世界から非難を浴びて大爆撃の喝采は確定だろう。
 ……そう、権力と圧力が必要なのだ。殺し合いを開催するのであれば、その非難すらも押し潰す圧倒的な権力が。
 アメリカ。権力の大きい国家としては世界でも随一だ。その線もある。だが如何にアメリカとて軽々しくそのような行いができるはずもない。それくらいの理性はある。
 だとすれば、可能性はもう一つ。もうそこしか見当たらない。

「……篁財閥。ここ最近、一気に有名になった、全世界に影響があるとすら言われる巨大企業……」

 テレビから得た情報でしかないが、それくらいはボタンも知っている。
 全世界に影響を及ぼす、などという言葉があるくらいなのだから開催すること自体は可能だろう。
 問題は巻き起こるであろう、全世界からの非難をどう回避しているかということだ。
 金だけで倫理や道徳は踏み潰せない。国家に手出しをさせないためには絶対的な恐怖と、脅威が必要だ。
 そう、今やっているこのバトル・ロワイアルのように。

「……まさか、な」

 ボタンの中に一つの可能性が浮かぶ。
 核兵器。それを篁財閥が所有しているという可能性だ。
 核の抑止力は有効性が薄れつつあるとは言え、現代においてもその効力はまだまだ十分に力を発揮している。篁財閥ならばそれを手に入れるのも容易いことだろう。いや手に入れるだけでなく、発射する手段すら確保できると言っても過言ではない。
 篁財閥はあらゆる事業に手を出していると耳にしたことがある。それこそ、食品販売から武器兵器の売買にまで。その上で太いパイプを持っているとするならば、おおよそ不可能ではない。
 ……放送で、篁、という人物が呼ばれていたのが気にかかるが……同姓の別人であろう。トップが現場に出てくることなど在り得ない。

 オーケイ。ならば篁財閥がこの殺し合いを開催したとしよう。
 その目的は何だ?
 こんな非人道的なことを無理矢理させるのに意味があるとは思えない。
 単に殺し合いをさせるだけならそれこそ闘技場のようなところに集めて一斉に戦わせればいい。その方が高尚な悪趣味を持っておられる方々もお喜びになるでしょう、ええ。

803走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:16:47 ID:3HLWBWUQ0
 それに自由度を持たせているということは、それだけ参加者に抗う手段を持たせているということに他ならない。
 ちょこっとしか見てないが、USBメモリなんてのはその典型だろう。他にも何かを解除できるスイッチなんてのもあった。
 時間もかけすぎている。こんなものは誰かに気付かれ、妨害をされる前に手っ取り早く終わらせたほうがいいに決まっている。無駄に時間をかけても遊戯としての面白みも薄れる(参加しているこっちは全然面白くもありませんが、クソ)だろう。それこそ首輪に時間制限を設けて短期決戦にした方が早い。
 それに参加させられている面子も、この間まで普通に学生していたような連中や、普通の人間ばかりだ。
 恐怖を煽り、疑心暗鬼から来る人間の醜さでも演出したいのだろうが、だとしたら尚更短期決戦に……という結論にしかならない。

 まるで素人だ。いや、単純に殺し合いという枠の中に放り込んだだけのようにすら見える。
 そこに合理性や目的は見えない。それなりの形にさえなればいい、という意思すら見え隠れする。
 いや、まさにそれだとしたら?

「人が減った後にでも……何かを仕掛ける気なのか」

 何度も繰り返すようだが、ボタンがここまで賢いのは日々の努力と彼の明快なる頭脳のお陰である。
 つまり、ボタンは天才なのだ! それはともかく。

 だとして、何を仕掛ける? わざわざ殺し合いをさせるという手間をかけてまで、それに誰が生き残るかも分からない状況で、特定の人物だけが生き残るのを期待するのはほぼ不可能だ。
 つまり、生き残る人間自体は誰でも良くて、その上で殺し合いに勝ち残り、肉体的にも精神的に変貌した人間を集める。

 怯え、逃げ惑うだけの人間。
 狂気に駆られ、殺戮の波に飲み込まれた人間。
 理想だけの非現実主義者的な人間。

 これらの人物はここまでに淘汰されている可能性が非常に高い。そして生き残るのは……
 鋼の如き心を持った、芯の強い、屈強な人間だ。
 それが殺し合いに乗っているいないに関わらず。

804走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:17:09 ID:3HLWBWUQ0
 ……そして考えられるのは、強くなった連中を「何か」と戦わせることだ。
 殺し合いという異常な環境を通して強くさせる。恐らく、ではあるがどんなに精神的に強固になったとして、その根底にあるのは「生き残りたい」という思いであろう。そこに服従といった主催者に従わせる意思は多かれ少なかれ失われていくはずだ。
 最初から主催者の手駒にする気など毛頭ない。その代わりに何かと戦ってもらう。もしくはその力を何かに試す。実験台として。
 弄ばれ、モルモットにされている……そうであるかもしれないと思うと、ボタンのはらわたが燃えるように煮えくり返っていた。

「ちっ、杏の姉御をそんな実験台にさせてたまるか」

 己の主人であり、絶対的な忠誠心を捧げている杏のことを思えば尚更であった。
 路頭に迷っていた自分を優しく抱き上げ、暖かさで接してくれて、今日まで大事にしてもらった恩義を忘れたことなどありはしない。
 ボタンは情の猪であった。ボタンは仁義の世界に生きる猪である。ぶふー、と獰猛な鼻息を吐き出しながら更に考えを進める。
 そう、仮にこの説が正しかったとして何の実験にするのか。

 鬼ヶ島の鬼退治か?
 世界に誇る最強軍隊の実戦練習?
 それとも未知の超兵器との対決?

 どれもありえそうだから困る。何せ相手は篁財閥なのだ。
 ……しかし、これだけははっきりしている。
 この殺し合いに優勝はない。参加者に待ち受けているのはお互いに殺しあっての死か。
 或いは今後待ち受ける主催者の実験台にされての死か。

 まともに戦っているなら、運命はこの二択しかない。
 無論伊達や酔狂で、上層部の人間たちの悪趣味でこんなことをした、という可能性もある。
 ボタンの考えはあくまでも推測でしかなく、真実など分かりようもない。
 ならば運命に逆らうしかない。真実を知るためには、反逆の道を選ぶしかない。

805走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:17:25 ID:3HLWBWUQ0
 そうだ、考えろ。この殺し合いは過程だとするなら。過程だからと高をくくっているのなら。
 抜け道はどこかにあるはず。どんなに包囲網を厳しくしようともそれを考え出すのは人間。ならばどこかに必ず穴がある。
 その穴の一つが、ボタンだ。

「……俺には首輪がない。ポテト……いや、マスター・オブ・裏庭にもな。獣だからと、舐めてかかったな」

 参加者には必ずある首輪。それは絶対的な拘束力であると同時になければもはや縛る要素はないと言っても過言ではない。
 そう、それが自分達にはない。つまり、本来の参加者が入れないところにもボタンやポテトは入れるはずなのだ。
 突くべきはそこ。だが、その入れる場所の、そこが分からない。そこだけは人間の力を借りる必要があった。

「杏の姉御が第一目標だが……他の人間とも接触を試みてみるか……賢そうな奴がいい」

 幸いにして、自分は人間に可愛がられやすい姿である。無闇に攻撃はされまい。

「……ま、ボチボチやってみますか……ん!?」

 ふと、風に乗って何やら焦げ臭い匂いが鼻につく。
 ふごふごと鼻を鳴らしながら、ボタンはその根源を探る。犬ほど利かぬとは言え、これでも獣の端くれだ。
 探りを入れつつ辿ってみれば、その大元は今差し掛かっている坂の上から来ていることに気付く。

「ドンパチか……ちっ、どうする、行くか……?」

 考えかけて、ふと主の杏ならばどうするだろうと想像してみる。

806走れ獣よ、お前は美しい:2008/06/29(日) 04:17:52 ID:3HLWBWUQ0
『行くに決まってるじゃない! もしあそこで誰かが助けを求めているなら……放っておけないでしょ!?』
「……ああ、そうだな、杏の姉御ならそうするか!」

 威勢のいい掛け声と共に、想像の杏が華麗に、真っ直ぐに、しなやかな足を振りかざしながらボタンの眼前を駆けて行く姿が見える。
 ならば、それに従わぬ理由はない。
 時既に遅し、かもしれないが。行かぬよりはマシ。
 言葉通りの猪突猛進で、ボタンは坂を駆け上がっていくのだった。

「……あいてっ!」

 ……時折、くねった道を曲がりきれずに木に激突したりしていたが。








【時間:二日目午前18:50】
【場所:D-3】

ボタン
【状態:杏を探して旅に出た。火災元(ホテル跡)へ直行。主催者に怒りの鉄拳をぶつける】
→B-10

807アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:54:21 ID:qK9RljSM0
 
ずるり、と。
『門』から出てきたそれを一言で表現するならば、醜悪だった。
それが姿を現した途端、まず辺り一面に漂ったのは猛烈な悪臭である。
饐えた牛乳と海産物を乱暴にかき混ぜて煮詰めたような、生理的な嫌悪感を催す臭いを撒き散らしながら
地響きを立てて降り立ったのは、見上げるほどに巨大な、ぶよぶよとした丸い塊だった。
脂ぎった体表面のそこかしこから、うぞうぞと蠢く肉の突起が飛び出している。
それが醜悪であったのは、その悪臭と形状のみではない。
そのおぞましい巨塊はまだもう一つ、見る者に吐き気を催させるような要素を備えていた。
目。鼻。耳。
人が、ヒトの顔として認識するために必要なパーツを、それは持っていた。
二対の目は互い違いの方向を睨み、二つある鼻は汚らしい色がついているかのような吐息を漏らし、
四つある耳の内側にびっしりと生えた肉の突起は秋の麦穂のようにざわざわと蠢いている。
ヒト二人分の顔の造作が不気味な肉饅頭の中に散乱している、悪夢の光景。
腐り果てた蜜蝋の塊に、人の目鼻らしき形を適当に埋め込んでその表面を火で炙ったような、
それは醜悪で粗悪で劣悪な、ヒトの顔のまがい物であった。

『私を―――』『私たちを喚んだのは―――お前、なの―――?』

ごうごうと、洞穴を吹き抜ける風のような低くおぼろげな声。
醜悪な巨塊の放った、その声は二つ。
もごもごと震えた巨塊に口らしきものは見当たらない。
ぶよぶよと震動する肉そのものから、声は発されているようだった。

「……そうですよ、化け物」

猛烈な悪臭も不気味な容貌も、圧倒的な体躯の差にも臆した様子なく、静かに言い放ったのは
巨塊の正面にたたずむ女、天野美汐である。
赤と青、二色の光が渦を巻くようにその両手から立ち昇っている。

『性なる神を前に―――』『化け物呼ばわりとは、いい度胸なの』

808アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:54:44 ID:qK9RljSM0
ごぼごぼと、粘液質の泡がいくつも弾けるような湿った声。
痰の絡んだようなその声が収まるや、巨塊に生えた無数の肉突起が蠕動を開始。
その内の数本が目にも止まらぬ速さで伸びると、美汐へと一直線に迫る。
佇む美汐を無惨にも貫くかに見えた触手群は、しかしその目標へと到達することすらなく、消えていた。
霧のかかったような瞳の女がしてみせたのは、ただその手を打ち振るうことである。
手の一振りで、その左手に宿った赤い光が壁のように立ちはだかっていた。
赤い光の壁に触れた途端、触手の群れは消え去っていたのである。

「非在の拒絶による具現、存在の拒絶による消滅……」

低く呟かれた美汐の言葉に憤るように、巨塊がぶるぶると震えた。
互い違いにあらぬ方を見ていた二対の瞳が、美汐を捉えて怒りの色を浮かべる。

『小賢しいの―――』『そんな力、所詮は私たちの餌でしかありません』

ぶるぶると震えていた巨塊が、唐突に消えた。
否、その姿は空中、青と赤の光に照らされてなお薄暗い岩窟の広間の高みに存在していた。
一瞬にして数メートルを跳ねたのである。
その巨躯に似合わぬ、恐るべき敏捷性であった。

『しゃぶり尽くしてあげますよ、その力』『―――おいしそうなの』

中空、放物線の頂点で静止した一瞬。
巨塊に、びきりと巨大な罅が入り、次の瞬間、割れ、爆ぜた。そのように、見えた。
が、巨塊はまだ、一つの塊である。
割れ爆ぜたように見えたのは、その球形の塊を縦の真一文字に裂くように開いた、巨大な割れ目の故であった。
その裂け目から、ぼどぼどと粘液質な液体が滲み出している。
内側に見えるのは、ざわざわと蠢く、まるでイソギンチャクを思わせるように密集した肉突起の群れ。
そしてその中心に位置するのはひときわ巨大な、桃色の肉塊。
表面を細かな疣に覆われながら、蛞蝓のようにぐねぐねと不気味に蠢くそれは、紛れもない、舌である。
してみると薄黄色に汚れた岩石の如きものは、歯列であろうか。
がばぁり、と。
縦一文字に割れ開いた、肉の裂け目は。
巨塊に散りばめられた人の顔の要素に足りなかった、最後の一つ。
だらだらと涎を垂らす、それは巨大な口腔であった。

『私たちの舌技、味わう間もなく潰れなさい』『―――いただきまぁす、なの』

その重量と位置エネルギーとを膨大な運動エネルギーに変えながら、巨塊が落下を開始する。
ごうごうと風を巻きながら、ぼろぼろと涎を散らしながら、落ち行く先はただ一点。
赤と青の光に包まれた、天野美汐である。
迫り来る巨塊、その大きく開かれた汚らしい口腔に、為す術もなく呑み込まれるかに思われた美汐の表情は、
しかし微塵も動かない。
そこには恐慌も、恐怖も、絶望も、寸毫とて存在していなかった。

809アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:56:15 ID:qK9RljSM0
「いい加減に……理解していただけませんか」

彼女が漏らしたのはただ、冷笑である。
応えるように、右の手に持った分厚い書物が青い光を強めていく。
刹那の間に直視できぬまで強くなった青の光が、弾ける。
瞬間、胃の腑を抉る重低音が幾つも重なって響くような、名状し難い音が岩窟を揺るがしていた。

『……ぐ、ぅ……!』『か、はぁ……!』

苦しげに呻いていたのは、中空から落下を始めていたはずの巨塊の方だった。
美汐の細い体を押しつぶさんと迫っていた巨塊が、止まっていた。
その球形の巨躯を中空に縫い止めていたのは、光の柱である。
水晶を思わせるような、硬質な輝き。
大地に立つ美汐を包み込むように聳えた青光の柱が、その先端で貫くように、巨塊を受け止めていた。
限界まで開かれた口腔一杯に野太い光柱を突き立てられた巨塊がぶるぶると震えるが、青光はこ揺るぎもしない。
がっちりと光柱を咥え込んだその隙間から白く泡立った唾液が落ちて、辺り一面に刺激臭を撒き散らした。

「どうしました? ……見せてくださいよ、ご自慢の舌技」

嘲笑に満ちた美汐の声に、巨塊の表面から突き出た肉突起がざわざわと蠢く。
その内の何本かが苦し紛れに美汐へと迫るが、青い光の壁に阻まれて届かない。

「ええ、貴女方は全能にして無敵ですよ、『神様』。……貴女方の世界においては、ね。
 貴女方は存在するだけで世界を狂わせる。青の加護を持たぬ者は正気を保つことすらままならず、
 ただ無作為に歩き回るだけで人々は色に狂い爛れて死んでいく。
 そのまま世界を滅亡させることだって容易いでしょう」

見開いた眼窩に泥を擦り込むような、ねっとりとした悪意を込めて、神という単語が紡がれる。
美汐の冷笑は自身の表情すらも凍りつかせてしまったかのように動かない。

810アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:58:32 ID:qK9RljSM0
「貴女方の世界、貴女方の宇宙、貴女方の時間。その狭い世界で、貴女方は確かに神と呼ばれるに相応しい。
 こちら側に出てきてなお、その力は人のそれを遥かに凌駕している。
 無限に近い力、ですが―――それは決して、無限そのものでは、ありません」

淡々と呟く美汐。
その身を包む青い光の中で、今度は左手から立ち昇る赤い光が次第に強くなっていく。

『ほの、ぉ……いんげん、ふれいがぁ……』『あに、お……らまいひら、ころお……らろおぉ……』

ぶるぶると震える巨塊が何事かを喚き散らそうとするが、口腔に光の柱を詰め込まれた状態では
それもままならぬのか、紡がれる言葉は明瞭なものにはならない。
代わりに大量の唾液が飛び散って辺りを汚した。

「無限に近い有限。ならば……それを凌ぐことは、可能なのです。
 一度の生で超えられぬ限界ならば、二度。二度で駄目ならば、三度繰り返せばいい。
 そうして繰り返せば、いつか私は、繰り返し続ける『私たち』は……貴女方を超える」

つんと鼻をつく、乳製品の発酵臭に近い臭いの漂う中、顔色一つ変えずに美汐は続ける。

「その為の『書』、その為の器。『私たち』の経てきた幾星霜が―――ここにある」

掲げた両の手に、二冊の書。
右の手には青い本。
あり得べからざるを肯んじる、青く輝く書。
左の手には赤い本。
あり得べからざるの無きを拒む、赤く煌く典籍。

「青は貴女方の撒き散らす害悪を相殺し―――そして赤は、貴女方の存在そのものを否定する。
 この二冊に込められた、時を越えて集められた力が……『神』を討つのです」

見据える先には、神を名乗る醜い巨塊。
涎を垂らし、野太い柱を銜え込んだ、それは醜悪なヒトのまがい物。

811アイニミチル (6):2008/07/04(金) 00:59:19 ID:qK9RljSM0
「……沢渡真琴を、覚えていますか?」

徐々に強くなる赤い光を左手に宿しながら、美汐が口を開く。
何気なく呟かれたその言葉は、無色。
透明、と呼べるものではない。あらゆる感情の色、正も負も入り混じった、数限りない感情が
無数に押し込められたが故、特定の色を判別できぬが故の、混沌の無色であった。

「貴女方に犯され、引き裂かれて、無惨に殺された……私の、大切な友人です」

ぎり、と鳴ったのは噛み締めた歯であっただろうか。
混沌の無色をその瞳に宿し、怒りや憤りや悲しみやそういうものですらない、同時にそういうすべてが
蓄積され醸造され蒸留されたような、ひどく歪な表情を貼り付けたまま続けられた美汐の言葉に、
光柱に突き刺されたままの巨塊がぷるぷると震える。
無作為に蹴散らされたかのようにバラバラに配置された二対四つの眼が、不可解な色を浮かべていた。
何を言われているのか理解できぬ、とでも言いたげなその様子に、美汐が口の端だけを上げて嘲う。

「……でしょうね。今の真琴がどう生きてどう死んだのか知りませんし、興味もありませんが……。
 きっと、貴女方とは関わりないのでしょう。ええ、私が言っているのは昔のことです。
 ずっと、ずっと……もうどれくらい昔だったのか、それすら思い出せないほど『以前』の、こと。
 ―――私の覚えている、最初の真琴」

眼を閉じて、大きく息を吸う。

「貴女方は繰り返しの元凶であるだけ……その存在が時を歪める、ただそれだけの異物。
 『以前』のことを覚えてなど……いないのでしょうね」

その左手に宿った赤い光が、分厚い本を中心にして渦を巻くように集まっていく。

「だからこそ―――許せない。
 だからこそ―――赦さない」

凝集した光が、一つの形を成していく。
細く、長く、先端は鋭く。
それは目映く煌く、赤光の槍。
槍の中心には赤の書が埋め込まれ、延びた穂先は真っ直ぐに巨塊の方へと向けられている。
長大な槍を手に、美汐が結審の言葉を紡ぐ。

「滅しなさい、永劫に」

振りかぶったその手から、赤光の槍が解き放たれた。
爽、と風を切り裂いて、滅神の槍が飛ぶ。
煌く赤光の軌跡を残しながら中空、青の光柱を咥え込んだ肉の巨塊へと一直線に。

812アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:00:05 ID:qK9RljSM0
『ぉ、ぉお―――』『―――ぁ、あぁ、……!』

身動きもとれず、ただ白く泡立つ唾液を撒き散らしながら、巨塊が震える。
こ揺るぎもしない青の光柱に捕らえられ、為す術もなく自らを滅する赤光の槍を見つめる巨塊。
長大な穂先が、そのぶよぶよとした肉を突き刺し、貫こうとした、正にその瞬間。
滅神の槍は、消えていた。

「……、……え?」

美汐が、言葉を失う。
槍は音もなく、前触れもなく、ただ、消えていた。
僅かな赤光を残して、まるで宙へと融け去るように。
その中心にあったはずの、赤の書ごと、消えてなくなっていた。
状況が、掴めない。何が起こったのか、分析できない。
悠久を繰り返す天野美汐をして、それは理解の範疇外にある出来事だった。
ただ呆然と、自らが解き放った槍の軌道を見つめる、その背後で。

 ―――ぱち、ぱち、ぱち。

小さな音が、響いた。
驚愕と混乱に頭脳は普段の半分も回転していない。
それでも反射的に振り向いた美汐の眼に映ったのは、小さな人影。
役者の労をねぎらう演出家のように微笑んで。
閉じゆく幕を惜しむかのように手を叩く。
それは、少女の影。

「どうし、て……」

呟く美汐の声は、老婆の如くしわがれている。
まるでその精神相応に老いたように力なく、見つめる眼前、佇む影の名を、紡ぐ。

「……里村、茜……」

肉色の海の中へと没した筈の、それは少女の名だった。


***

813アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:00:40 ID:qK9RljSM0
 
「―――お久しぶりです、パーフェクト・リバ」

歩む少女の衣服に乱れはない。
厭らしく照り光る粘液も、白い肌を這い回る蚯蚓の痕跡も、残ってはいなかった。

「どうしました? 不思議そうな顔をして」

言って微笑んだその顔に邪気はない。
ただ、底知れぬ悪意だけがあった。

「愚かな赤の使徒は神の贄に捧げられ、異界に引き込まれたはず、とでも?」

蜂蜜色の豊かな髪に顔を埋めるようにしながら、少女がくるくると喉の奥で笑う。
すると奇怪なことに、その足元に伸びる影、ゆらゆらと揺れる灯火に伸びた影が、唐突に形を変えた。
伸び上がり、縮み、丸まり、厚みのないはずの影が膨らんで、貼り付いていた地面から身を起こす。
一瞬の後、そこにいたのは笑い声を漏らす少女と瓜二つの、生まれたままの肢体だった。
赤く透き通るような輪郭を持つ、影から生まれた少女がほんの少しだけ、首を傾げる。
す、と掲げた手で己の乳房を揉みしだき、空いた指を薄い茂みに隠された秘裂へと潜り込ませて
淫蕩に笑んだ影の少女が、

「―――」

ぱちん、と。
まるで一杯に膨らんだ水風船が弾けるように、消えた。
僅かな赤光だけが、後に残って漂っていた。
それはまるで、滅神の槍と、赤の書のように。

「本当に、本当にお疲れ様でした」

幾度も深く頷いて、少女が口を開く。
美汐が奪い、そして宙へと融け去ったはずの赤い典籍を、その手に持ちながら。
時折、白く粘つく液体が少女の周りに落ちて嫌な臭いを立てる。
中空の光柱に縫い止められた、それは巨塊の漏らす唾液だった。

814アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:01:13 ID:qK9RljSM0
「仰る通り、貴女の仰る通りです、パーフェクト・リバ。
 青の力を持たない者は、神に近づくことすら叶わない」

青の光柱に身を包んだまま、呆然と自らを見つめる美汐を、少女は哀れむように見返す。
それはどこか、水瀬秋子と天野美汐によって交わされたやり取りの、逆回しのようでもあった。
同じ脚本で俳優だけを変えた、ダブルキャストの舞台のような。

「ですから、待っていたのです……この瞬間を。
 青の力が神の力を相殺し、貴女と神が共に無力な姿を晒すこの瞬間を、ずっと」

ならば、と美汐は思う。
脚本が同じならば、結末もまた、変わらない。

「もっとも私としては、神を封じるのはどなたでも構わなかったのですよ。
 貴女と共に繰り返しの寸劇を演じる水瀬の頭首でも、恋に破れた哀れな魔法使いでも、
 勿論壊れた青の器でも、どなたでも」

配役だけが、違う。

「赤は拒んでいるのです。在るということ、ここに存在していること、それ自体を」

結末は、変わらない。

「それが貴女たちには分からない。『今』を拒むだけのあなた方には所詮、真なる声など聞こえない。
 だから赤に見限られたのですよ。赤の切なる願いを聞き届けられない貴女たちには、赤の加護は届かない。
 私こそが赤の代行者。積層する時と世界を拒絶する、真なる赤の代行者」

ならばこの舞台で天野美汐に割り振られるのは、

「私は拒絶する。今を生きることを、明日を思うことを、昨日に縋ることを。
 思考を、思索を、思慕を、想像を、想念を、夢想を、希望を、絶望を、私は拒絶する。
 それこそが、唯にして一なる私の願い。私の求める―――永遠の世界」

―――死体役だった。


***

815アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:03:54 ID:qK9RljSM0
 
ずる、と崩れ落ちる天野美汐の躯から赤の刃を引き抜いた里村茜に降り注ぐ、声があった。
中空、光柱に縫い止められてぶるぶると震える巨塊の、声にならぬ声。
茜の手にした本からは、既に先刻の美汐が放ったそれにも倍する大きさの、斧とも槍ともつかぬ赤光の刃が形成されている。
巨塊の声は、恐怖に怯えるようでも、手酷い裏切りに憤るようでもあった。

『―――ろぉぉ、しれぇぇぇ……』『ぉぉおわえぇぇわぁぁ、わらしぃぃ、らちおぉぉ―――』

どうして、と。
どうして、お前は私たちを、と。
幾多の贄を捧げながら、何故このような暴挙に出るのか、と。

「どうして、といって……」

見上げた茜が、不思議そうに首を傾げる。
返す答えには差し挟む余地のない、純粋な事実の響きだけがあった。

「屠殺する家畜は、肥え太らせるものでしょう?」

それが、最後。
かつて、歪んだ時の幕の向こうで、一之瀬ことみと、あるいは藤林椋と呼ばれていたものの、それが最後に聴いた言葉だった。
一切の躊躇なく、何らの変哲もなく。
長大な赤光の刃が、巨塊を両断した。
神と称されたものの滅する瞬間は、ひどく飾り気なく。
それはただ、肉から成るものが肉へと帰ったという、それだけのことだった。
その事実に、何らの一文も付加することなく。
神は、死んだ。


***

816アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:04:09 ID:qK9RljSM0
 
二度、三度、四度。
刃が、既に滅された巨塊を切り刻む。

五度、六度、七度、八度、九度、十度。
寸断され、断裁されて、神であったものが無数の肉塊に過ぎない何かとなり、飛び散って岩窟を汚す。

十一度、十二度、十三度、十四度、十五度、十六度、十七度。
十八度十九度二十度二十一度二十二度二十三度二十四度二十五度二十六度二十七度二十八度二十九度。

巨塊を突き刺していた青の光柱が徐々に薄れ、やがて完全に消えた頃には、巨塊であったものは既に、
辺り一面に散らばった汚らしい肉片でしかなくなっていた。

いつしか、灯火が消えていた。
巨塊の欠片が覆って消えたものか、神を切り刻む刃の風圧に消されたものか、それは判然としない。
確かなのは、広い岩窟を照らすものは何もなくなったということだけだった。

灯が消え、命が消え、神が消え、青が消えた岩窟。
すべてが終わった祭儀場の中心で、唯一つ光るものがある。
赤光。
声もなく笑う少女の持つ、赤の典籍であった。

「流れ込む、この力―――私と真なる赤とに溢れる神の力」

否。
呟く少女は、それ自身が光を放っている。

「何もかもを拒んだ先にある、静かで穏やかな世界―――」

どくり、どくりと。
脈動するように、明滅する少女。

「何も生まれることのない世界―――」

少女の足は、大地を踏みしめてすらいない。
暗闇の中、浮かび漂う少女は、まるで世界から切り離されて在るように。

「私の導く、それこそが―――本当の、永遠の世界」

久遠の孤独に、初めて満ち足りたように。
少女が、笑う。



***

817アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:04:36 ID:qK9RljSM0
 
 
灯が消え、命が消え、神が消え、すべてが終わって。
だが、それでも、青はまだ絶えてはいない。



***

818アイニミチル (6):2008/07/04(金) 01:04:56 ID:qK9RljSM0
 
 
 【時間:2日目午前11時半すぎ】
 【場所:B-2海岸より続く岩窟最奥】

里村茜
 【所持品:赤の書】
 【状態:赤の使徒・神精】

天野美汐
 【状態:死亡】

一ノ瀬ことみ・藤林椋 融合体
 【状態:消滅】

→474 976 991 ルートD-5

819朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:26:55 ID:oYsy7boE0
「上手くいきそうか」
「ぼちぼち」

パソコンルーム、黙々と作業する一ノ瀬ことみのタイプ音だけがこの場に絶え間なく響いていた。
それなりに広いこの部屋には、二人の人間が存在した。
パソコンをいじることみの邪魔をすることなく、少し離れた場所で佇んでいたのは霧島聖である。
コンピューターに関して詳しい知識を持ち得ない聖がここにいるのは、あくまで警護の意味だった。
一人パソコンに向かうことみを、第三者が狙ってくるかもしれないという可能性はゼロではない。
いざという時に無防備な状態になっているであろう彼女を守るべく、聖は椅子に腰掛けていることみと背中合わせのような形になり、入り口を凝視し見張り役のようなものをしていた。

「せんせ」
「何だ」
「無理しないで」

ぱちぱちということみの指先が奏でる作業とは、全く関係のない話題が彼女の口から放たれる。
聖は何も答えない。
恐らく、ことみは第二回目の放送のことを指しているのだろう。
行われた第二回目の放送にて、聖の探索している人物が読み上げられることになる。
霧島佳乃。聖の実妹である少女は、聖の知る由も無い場所で命を落とした。
顔には出していないものの、聖の受けたダメージは計り知れないものだろう。
身内を失うという痛みをことみも全くの想像ができない訳ではない。
それに、ことみも失った。
明るい笑顔が映える、長いストレートの髪が印象的だった友人。

「せんせ」
「……」
「もう誰も、死なせたくないの」
「私だって、そう思うさ」

820朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:27:30 ID:oYsy7boE0
そしてこれは、そのための行動だった。
会話が途切れ、再びパソコンルームにはことみのタイプ音だけが支配するようになる。
二人は涙を流さなかった。
そんな行為にひたる時間すら、惜しいと考えたのかもしれない。





「で、私達だけど」
「真希さん、ガンバ」
「いや、あんたも頑張るのよ」

ことみがパソコンを弄っている間その場で待機しているだけなのも何だということで、二人は学校の中を探索することにした。
広瀬真希と遠野美凪は、相変わらずの様子で外敵がいるかもしれないここ、鎌石小学校の中を歩き回る。

「真希さん、虫さんがいます」
「ぎゃ! ちょっと、そんな報告いらないんだけどっ!?」
「可愛いです」
「可愛くないっ!」

しかし、それにしても二人には危機感がなかった。
二人は今ことみ達が留まっているパソコンルームから離れ、一回の廊下を歩いている。
ここ、鎌石村小学校はスタート地点にもなった場所だ。
爆破されたこともあり建物にも自体にも歪みのあるここは、それプラス争いのあった後も外から確認できているため足場の注意も必要だろう。
今真希と美凪は、どうやら爆破が起こったらしい側の校舎を歩いていた。

「……っていうか、何であたし等わざわざ危ない橋渡ってんのよ」
「勇敢です、真希さん」
「あーもう、つまずきそうになる! イライラする!」
「真希さん、どうどう」

821朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:27:53 ID:oYsy7boE0
きーっ! となる真希に、美凪がおっとりと声をかける。
すっかりツーカーな二人のテンションは、傍から見れば微笑ましいものだろう。
……二人の様子は、まるで変わりがなかった。
第二回目の放送は彼女等がここ、鎌石村小学校に向かっている際に行われている。
真希は、そこでクラスメートである長森瑞佳、住井護、里村茜を失った。
残った彼女の知り合いは、折原浩平と七瀬留美だけである。
確執の残る相手だけが上手く残ったものだと、皮肉めいた感情が真希の腹の底を撫でた。

同じく美凪も、神尾観鈴という見知った名前が上がったことにより寂しさを感じただろう。
彼女とのつながりは、国崎往人との延長で作られたものである。
往人が、そして何よりもみちるの安否が、美凪も気になっているに違いない。

しかし二人は、そんな不安を口に出すことをしなかった。
今までの日常的なものを守ろうとしているその姿の意味を、彼女等は自覚していないかもしれない。
また真希と美凪は、これまで血をみる危険な争いというものを体験していない。
大切に守ろうとする日常を維持できるだけの余力が、二人にはまだあるということ。
精神的な余裕と呼べばいいだろうか。
どこにでもいる普通の少女達が潰れずに自然体でいられることは、この状況下では幸いな事実としか表しようがないかもしれない。

ふらふらとした足取りの美凪の手を取り、真希は足元の瓦礫に気をつけながら先導して進んでいく。
その様子は、どこか微笑ましい。
少し浮世離れした感のある美凪のスローペースと真希のはきはきした性格は、非常に良い相性を見せていた。

「……真希さん、すとっぷ」
「え?」

少しずつ前進いていた二人、先導していた真希の足を止めたのは後続の美凪だった。
振り返る真希に美凪はいつものぽやんとした表情のまま、少し先の廊下を指で差す。
つられるように視線を送る真希だが、美凪の意図にはすぐ気づけなかったのだろう。
目を細め様子を窺う真希、目に入る異常に気づくのはそれから三テンポ程ずれた後である。

822朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:28:14 ID:oYsy7boE0
「……」

真希の大きな瞳が、時間をかけ見開かれていく。
その間真希の網膜に焼きつけられた異常の正体は、瓦礫だらけの廊下に点々と伝わっている赤黒い水滴だった。
小走りで近づき改めてみれば、真希の嫌な予感は現実となって彼女に圧力をかけてくる。
廊下の先、ずっと続いていると思われるそれは……どう見ても、滴る血液が作ったものに他ならなかった。

「み、美凪!」

振り向く真希のすぐ傍、美凪は既に待機していた。
美凪が小さく頷くと同時、真希は美凪と二人しては血痕を追い駆けるようにて走り出す。
彼女等が初めて出会う、非日常。
これがそれだった。

暫くの後廊下の端に人影を発見し、真希はまっすぐにその人物へと近づこうとした。
壁に横たわり身動きを取らない彼、廊下の窓から差し込む月光で窺える面影は真希達と同じ世代という幼さである。
少年の場所的には腹部に値する箇所を覆うシャツは、赤黒く濡れ変色していた。
廊下にある血の軌跡の出所は、恐らくこれだろう。

視界は悪いとはいえ、真希の目に入る光景はあまりにもグロテスクだった。
少年の着用しているシャツが白地を帯びたものなのも原因だろう、漏れ出た血液の広がる様は一目で確認できる。
顔面蒼白になった真希は、その状態を理解した時点で金縛りにあったかのように足を止めてしまう。
背筋が伸びる。
真希の体に走るのは、未知のものに対する緊張だった。
その横をもう一人の少女がすり抜けていく、真希が身動きをとる気配はない。
真希は勢いで左右に揺れる少女の黒髪を、瞳で追いかけるだけだった。

「真希さん、先生を」

823朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:28:54 ID:oYsy7boE0
立ち尽くすだけだった真希の正面、少年に駆け寄った美凪の冷静な声が場に響く。
失血により顔色も不健康そうな少年と目線を同じにするようかがんだ美凪は、そのままの状態で真希に話しかけていた。

「生きています。気を失ってるだけでしょう、手当てが必要です」

てきぱきと少年の体を確認する美凪は、どこか手馴れている所がある。
真希はそれが不自然でならなかった。

「な、何で美凪……そんな、普通にしてられんのよ」
「?」
「だ、だってこんな、こんな血が出て……」

まるで自分だけ狼狽しているのがおかしいようだと、真希はそのように感じているようだった。
今まで同じような朗らかな時間を過ごしていたはずなのに、むしろしっかりしていたのは真希の方だったはずなのに。
戸惑う真希の心とは、美凪の行動はあまりにも裏腹なものである。

「真希さん」

名前を呼ばれ、真希は改めて美凪を凝視する。
相変わらずその表情の変化は乏しい、しかし漂う雰囲気から美凪が真剣である様を、真希もすぐに窺うことができた。
それは、まるで別人のものであった。
柔らかいぽやぽやとした彼女らしさが失われた訳ではない、しかしそれでも違うのだ。
今まで真希が同じ時間を過ごしてきた、遠野美凪という女の子が出す空気とは違うのだ。

「真希さん。生きている人を死なせてしまうのは、駄目です」
「な、何よ突然」
「……それだけです」

824朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:29:37 ID:oYsy7boE0
美凪の言葉は、人として当然の主張である。真希もそれが理解できないわけではない。
しかしそれでも、拭えない疑問が真希の中には残っている。
真希は問いただしたかった。
美凪に、自分の心に沸き上がる熱をぶつけたかった。
『おまえは、本当にみなぎなのか』
いつも真希の後ろをついてきて、北川と織り成すやり取りにもちょこちょこ少ない言葉を挟みこむ、ぽやぽやとした天然少女。遠野美凪。

それは、真希の心にあった驕りかもしれない。
美凪はこういう子と決め付けていた自分、それにより守ってあげなくちゃと先行していた思い込みが真希の中には少なからずあった。
だからこその混乱であり、棘が真希のプライドを刺激するのだ。

「真希さん、先生を。真希さんの方が、足、速いです。お願いします」

呆ける真希が何かしゃべろうと唇を開きかけようとするその前、美凪の唇は先に言葉を紡いでいた。
それはこの場ではどうでもいいことであると、まるで真希に言い聞かせるようでもある。
……それで真希は、何も言えなくなった。

「すぐ、呼んで来るから。ごめん、お願い」

少し硬さの残る声、真希はどこか居心地の悪さを感じながら聖がいるパソコンルームに向かい駆け出していく。
自然と込みあがる涙が恥ずかしかった、しかし真希は決してそれを溢してはいけないと歯を食いしばりながら足を動かす。
そうしてがむしゃらに走ればこのもやもやも薄れていくはずだと。真希は必死に思い込もうとするのだった。

一方、遠ざかっていく真希の気配を感じながら、美凪は改めて少年に目を向ける。
そして。
小さく、首をかしげた。
廊下の壁に寄りかかりぐったりとしている少年の麓には、何故か丁寧に畳まれた彼の物と思われるジャケットが置かれている。
どうみても、この状態の彼が施したとは思えないだろう。
反対側にも首を傾けてみる美凪だが、勿論それで何か案が浮かぶはずも無い。

825朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 22:31:01 ID:oYsy7boE0
「……ぁ」

ぴろーんと広げてみて、美凪はそれが見覚えのある制服だとすぐに気づいた。
上ったばかりの朝陽が差し込み視界に色を与えているこの状況の中、美凪はジャケットの色、デザインから数時間前に離れた一人の男の子を思い浮かべる。

「北川さんと、同じ学校の方?」

首を傾げたまま問いかける美凪の言葉に、答えは返ってこなかった。






一ノ瀬ことみ
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:毒針、吹き矢、高圧電流などを兼ね備えた暗殺用十徳ナイフ、支給品一式(ことみのメモ付き地図入り)、100円ライター、懐中電灯、お米券×1】
【状態:パソコン使用中】

霧島聖
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・二階、パソコンルーム】
【持ち物:ベアークロー、支給品一式、治療用の道具一式、乾パン、カロリーメイト数個】
【状態:ことみの警護】

広瀬真希
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校、一階】
【持ち物:消防斧、防弾性割烹着&頭巾、スリッパ、水・食料、支給品一式、携帯電話、お米券×2 和の食材セット4/10】
【状況:聖を呼びに行く】

遠野美凪
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階、左端階段前】
【持ち物:消防署の包丁、防弾性割烹着&頭巾 水・食料、支給品一式(様々な書き込みのある地図入り)、特性バターロール×3 お米券数十枚 玉ねぎハンバーグ】
【状況:祐一の状態を確認している】

相沢祐一
【時間:2日目午前7時前】
【場所:D−6・鎌石小中学校・一階、左端階段前】
【所持品:S&W M19(銃弾数4/6)・支給品一式(食料少し消費)】
【状態:気絶、腹部刺し傷あり】
【備考:勝平から繰り返された世界の話を聞いている、上着が横にたたまれている】

(関連・715・869)(B−4ルート)

826朝焼け後より桃色な:2008/07/13(日) 23:00:21 ID:oYsy7boE0
すみません、>>822の表現におかしな箇所がありましたため、こちらのみ以下に挿げ替えていただければと思います。
お手数おかけしてしまい、申し訳ありません。





「……」

真希の大きな瞳が、時間をかけ見開かれていく。
その間真希の網膜に焼きつけられた異常の正体は、瓦礫だらけの廊下に点々と伝わっている赤黒い水滴だった。
小走りで近づき改めてみれば、真希の嫌な予感は現実となって彼女に圧力をかけてくる。
廊下の先、ずっと続いていると思われるそれは……どう見ても、滴る血液が作ったものに他ならなかった。

「み、美凪!」

振り向く真希のすぐ傍、美凪は既に待機していた。
美凪が小さく頷くと同時、真希は美凪と二人しては血痕を追い駆けるようにて走り出す。
彼女等が初めて出会う、非日常。
これがそれだった。

暫くの後廊下の端に人影を発見し、真希はまっすぐにその人物へと近づこうとした。
壁に背を向けた状態で横たわり身動きを取らない彼から窺える面影は、真希達と同じ世代という幼さである。
少年の場所的には腹部に値する箇所を覆うシャツは、赤黒く濡れ変色していた。
廊下にある血の軌跡の出所は、恐らくこれだろう。

電気がついていないため決して視界がいいとは言えないが、真希の目に入る光景はあまりにもグロテスクだった。
少年の着用しているシャツが白地を帯びたものなのも原因だろう、漏れ出た血液の広がる様は一目で確認できる。
顔面蒼白になった真希は、その状態を理解した時点で金縛りにあったかのように足を止めてしまう。
背筋が伸びる。
真希の体に走るのは、未知のものに対する緊張だった。
その横をもう一人の少女がすり抜けていく、真希が身動きをとる気配はない。
真希は勢いで左右に揺れる少女の黒髪を、瞳で追いかけるだけだった。

「真希さん、先生を」

827それぞれ:2008/07/14(月) 22:22:39 ID:34hZeGm60
 大きな穴が二つ。
 深さは3メートル程だろうか。やや縦長の楕円形が深く大口を開けて食事を欲しがるように土色の乱杭歯を覗かせている。
 そんな発想をする俺はやはり苛立っているのかもしれない、と那須宗一は思った。

「すみません、結局手伝ってもらって」
「気にするな。……こうできれば、一番いい」
「……そうですね」

 遠野美凪とルーシー・マリア・ミソラは渚のツールセットから小型のスコップを借り受け、墓穴を掘る作業を手伝っていた。
 古河渚も手伝いたいという意思は見せていたが、怪我の度合いが激しいという理由から宗一が控えさせ、支給品の整理を任せることにした。
 牽制合戦だった先程とは違い、首輪以外のことに関してなら今はほぼ自由に情報のやりとりができる。
 穴を掘りつつ、四人は情報交換を行った。

 ルーシーは水瀬親子に急襲され、上月澪と春原陽平を失いながらも脱出に成功し、現在は知り合った美凪と共に行動を共にしていること。
 美凪はルーシーと会う前に同じく水瀬名雪に襲われ、北川潤と広瀬真希を殺害されたこと。
 そして渚と宗一が霧島佳乃を失い、同じく埋葬しようとしている来栖川綾香と戦闘沙汰になったことをそれぞれ伝え合う。
 そして確認できる限りの危険人物は以下の通り。

 ・先述の水瀬親子。
 ・(かなり前の話であるが)一緒にいた仲間を襲ったというお下げ髪の男。
 ・綾香の仲間だった天沢郁未。

 この時点で既に四人が敵に回る。加えて二回目の放送から大分時間が経過しているため更に多くの殺人鬼が潜んでいることが推測できる。
 状況は悪化の一途を辿っていると言えた。本当ならこんなことをしている時間すら惜しい。エージェントとしての宗一はそう告げていた。
 しかしそれは命を賭してまで宗一に依頼事を頼んだ佳乃を侮辱する行為であるし、それに……渚の様子がおかしい。

 明らかに元気がなかった。どことなく影が差した様子で、ルーシーや美凪と会話をする姿にも覇気がない。
 原因は大よそ掴めている。……春原陽平。確かそれは渚が探していた人物の一人だったはずだ。
 優しい渚のことだ。きっと口には出さず、しかし心の奥ではその死を悲しんでいるのだろう。
 宗一はいたたまれない気持ちになると同時に、それを打ち明けてくれない渚に対して、俺では役者不足なのかとやるせない思いも抱く。
 愚痴でも恨み言でもいい、溜め込んでいる思いを吐き出してはくれないのだろうか。

828それぞれ:2008/07/14(月) 22:23:02 ID:34hZeGm60
 そんなに……今の俺は不甲斐ないのか。

 そうかもしれない。事実、ここに来てからというもの窘められたり諌められたりすることの方がよほど多い。

 ……情けない。
 ……役に立ちたい。
 ……あの時、確かに望んだような、ヒーローでありたい。
 ……夕菜姉さんを守りたいと思ったときのように。

 一度目を閉じて、宗一は深く息を吸う。
 なら、好き嫌いなんてしてられないよな。
 何事もまず行動で示してこそだ。

「もうこのくらいで十分だろ。そろそろ埋めてやろうか」
 一つ息を吐き出して、宗一は穴を掘っていたスコップを地面に突き刺し静かに横たわっている二つの遺体を見やる。
 その視線にはもう怒りや憎しみの感情は残ってはいない。
 ただ、生き残ることだけを思っていた。他人の屍の上に立っている、そのことを認識しながら。

「そうだな、後はそっちに任せる。渚、行ってやれ」
「……あ、はい」

 二人に先は任せるというようにルーシーが渚の背中を押し、宗一の下へと歩かせる。
 徐々に近づいてくる渚が、それに比例するように表情を強張らせているのが宗一には分かった。
 半ば自然に、呼吸をするかのようにその真意を探ろうとしてしまう自分に気付き、宗一は辟易する。
 きっと、緊張しているだけだ。
 そう思うことにする。
 畏れられているのではないか……浮かび上がった考えを打ち消すように。

829それぞれ:2008/07/14(月) 22:23:28 ID:34hZeGm60
「佳乃、持てるか」
 綾香の遺体を持ち上げながら、渚にそう問う。
 渚は佳乃を持ち上げようとしたが、体の半分も持ち上げられない。

「……すみません」
「ま、仕方ないか。一人ずつ埋めていこう。逆に軽々と持ち上げられてもそれはそれで絶句してたけどな」

 宗一は冗談半分で言ったが、渚は困ったような表情をしたばかりで、笑うこともなかった。
 ほろ苦い唾の味が広がる。しかしため息だけは飲み込んだ。
 こういうことには、時間をかけていくしかないのだから。
 残念なことに、それくらいしか思いつく解決法がなかったのだ。
 男であることが、悔しい。

「大丈夫だって。この那須宗一君に任せろ」
 一声入れると、宗一はひょいっと綾香の遺体を抱えたまま穴の中に飛び降り、それを丁寧に横たえる。
 彼女が体につけていた防弾チョッキは回収させてもらった。まだ使い道があるからだ。
 それにしても、あれだけ格闘戦をこなしていたくせに体重自体は軽いものだった。女性の七不思議の一つかもしれない。
 皐月やリサもこれくらいなのだろうかと想像しかけて、ぶっ飛ばされそうなのでやめた。触らぬ神に崇りなし。聞こえていなくても崇りなし。

「よし、いいぞ」
 渚に手で合図しつつ、宗一は飛び上がって穴から脱出する。土を掻き入れるなら渚にだって出来るだろう。
 その間に自分は佳乃を墓穴に入れることにしよう。
 すっかり冷たくなった佳乃の体を持ち上げながら、宗一は次の行動に移っていた。

     *     *     *

 葬儀を進める二人(那須宗一と、古河渚)に、ルーシー・マリア・ミソラはそれを半分、複雑な思いで眺めていた。
 こうできれば、一番いい。
 それは自分に対して向けた言葉だったのかもしれない。

830それぞれ:2008/07/14(月) 22:23:56 ID:34hZeGm60
 今も尚、ルーシーにとってもっとも大切な人だと言える春原陽平の遺体はあの民家に、憮然と転んでいるのだろう。
 上月澪も、深山雪見も。
 霧島佳乃、来栖川綾香の両名が埋葬されることに関しては別段妬みのような感情は持たない。
 たまたまあの二人にはそうしてもらえる機会があって、自分にはなかった。
 だがそれでも春原を自分の手で送ってやりたいという思いは確かにあった。

 渚が春原の死を聞いたときの表情を見れば尚更だ。
 春原が言っていた通りの、やさしい人間。
 少なくともこれまでの、あの頃のルーシーであればあんな顔は出来なかった。いや、今だってそうかもしれない。
 簡単には、変わらないな。どんなに強く思ったって。
 どこか冷静に他人を見てしまう自分が少し、悲しかった。
 けれども、悲しい、と思えることは成長なのかもしれないとも思う。
 ほんのちょっぴり、前進はしている。
 そう考えると、元気が出たような気がした。

「なぎー、つかないことを聞くが……あの短髪の方、同じ制服だな。知り合いだったか?」
「ええ、同じ学校でした。……とは言っても、知り合いというほどでもなかったのですが」

 情報交換をしている間も、美凪は一切必要なこと以外は喋っていない。
 しかし思うところがあったのか、ここ一連の作業の間でも口数は少なく(元々少なかったが)、思案に耽っているようだった。

「……るーさんだから、言えることですが、那須さんが見つけたという二人の遺体……あれは、北川さんと広瀬さんのでは、と思っていました」
「そういえば、そんなことを言っていたな」

 確かに、この近辺にいたというのだから見つけていてもおかしくはない、とルーシーは思ったが二人の男女というだけでそう決めるのは早計ではと考えた。
 しかし美凪はデイパックの中身を見せると、
「古河さんが纏めていた荷物を拝見させてもらったのですが……この散弾銃は、北川さんが使っていたものと同じでした」
「……なるほど」
「それで確信したんです。那須さんは、北川さんと広瀬さんを見つけていた、って。それは構いません。ですが……あのお二人が埋葬されているのに、北川さんと広瀬さんは荷物を回収されただけなのか、って……」
「……」
「嫌な気分になります……自分が、そんなことを考えていると思うと……酷い人間ですよね」

831それぞれ:2008/07/14(月) 22:24:23 ID:34hZeGm60
 美凪が塞ぎこんでいた理由は、ルーシーにも通じるものがあった。
 殺人鬼が埋葬されているのに、いい仲間だった人たちは手付かずのまま、放置されている。
 理屈では分かっていても止められない邪な気持ちで、自己嫌悪してしまう。
 ああ、どこか自分が納得できていないのも、そういうことなのかもしれない、とルーシーは思った。

「いや……分かる。私だって似たような気分だ。けど、もうどうしようもない。どうしようもなく、私達は……ここにいる全員は、無力だったんだ」
「……」
「でも、良かった。なぎーが話してくれて良かった。吐き出してくれたことが、嬉しい」
「るーさん……いえ、感謝されるようなことではないと思います。こういうことからは、何も生まれないと思いますから」
「だな……ああ、これだけにしよう。秘密だ、二人だけの」
「はい」

 二人はまた沈黙を取り戻し、埋葬を続ける二人の姿を眺め始めた。
 まだ少しだけ残るわだかまりと、切り替えつつある思いを携えながら。

     *     *     *

 結局、誰からも許されざる道へ進むことになってしまった。
 あの時の行動はきっと正しかった。そうしなければきっと、皆で死んでいた。
 だからこの選択については後悔はしていない。相応の責務と、罪悪を抱えることにはなってしまったが。

 しかし、古河渚は迷う。
 これから先、わたしは何に拠って行動していけばいいのだろうか、と。
 そう、許されざることをしている。
 殺しはしないという約束を破り、消え逝く命を見つめるだけで、そして今も。
 時間を使って、我侭を押し通している。

832それぞれ:2008/07/14(月) 22:24:50 ID:34hZeGm60
 綾香も埋葬するという言葉を伝えたときの宗一の複雑そうな顔が視界の隅にこびりついている。
 だからこれまでだ。これが、最後。
 大丈夫です。もう迷惑はかけません。後は那須さんに従います。
 言葉にすれば、それはあまりにも言い訳がましかった。だから作業は、宗一とは離れるように、黙々と進めていた。

 その途中で、友人の死を聞いた。
 春原陽平……知り合いの岡崎朋也と、一緒にいることの多かった人間。
 朋也は詳しく語ろうとしなかったものの、二人が気心が知れた関係だというのは渚にもすぐ理解できた。
 恐らくは、本人達は認め合わないだろうが、親友なのだろう。
 その春原が死んでしまった。
 朋也はもちろん次の放送でそれを聞いて悲しむだろうし、この報を伝えてくれたルーシー・マリア・ミソラという女の子も辛そうな表情をしていた。
 きっと春原はこんな地獄でもいつものように振る舞っては、皆に安らぎの一時を与えていたのだろう。

 それに引き換え、自分は……
 考えかけて、やめようと渚は思った。自己嫌悪したって春原の死がどうなるわけではない。いつも朋也が言っていた「悪い癖」だ。
 大丈夫。ちゃんとまだそれが分かっている。
 結論を出さなければならなかった。

 この先、何に拠って行動するべきか。
 宗一は皆を守りたいから。美凪とルーシーは死んでいった仲間に報いるため、生きるために脱出する。
 それぞれがそれぞれの信念を持っている。
 あの時戦った郁未でさえ生き残りたいからという理由を持って人殺しをしている(絶対に許しはしないが)。
 既に、渚は人殺しをしないという信念を破り捨てている。特別、これといった技能があるわけでもない。
 なら、渚に出来ることは体を張る、それしかなかった。

 わたしは、盾になる。
 皆を凶弾から防ぎ、迫る刃を受け止める盾だ。

 どんなに傷ついたって構わない。歩けなくなっても、腕が取れても、死んでもいい。
 殺させたくない。誰かがいなくなっていくのは、悲しい。
 命一つで皆を救えるなら、渚は躊躇わずに差し出すつもりだった。
 それがまた我侭であることにも、自分の死がまた誰かを悲しませることにも気付いていながら。

833それぞれ:2008/07/14(月) 22:25:14 ID:34hZeGm60
 誰にも言わない。

 誰にも言わない、一人だけの約束。

 だから、古河渚は孤独だった。

「ということで、分校跡に行こうと思うんだが、古河もいいか?」
「……えっ?」

 そんなもの思いに耽っていたせいか、途中から宗一の話を聞き逃していたことに、ようやく渚は気付いた。
 確かこれから主催者に対抗するための同士(表向きは宗一のエージェント仲間であるリサなる人物ということにしてある)、姫百合珊瑚という人物を探すというところまでは覚えていたのだが……
 ふぅ、と宗一他二人が困ったように顔を見合わせる。途端にまた迷惑をかけてしまい申し訳ないという気持ちが渚を駆け巡る。

「す、すみません、ぼーっとしてて……」
「まあいいか。もう一度言うぞ。大事なことなのでもう一度ってヤツだ。俺達が探す奴がどこにいるかってことで、俺なりに考えて候補を上げてみた」

 言いながら、宗一は分校跡、ホテル跡、この二箇所を取り出していた地図の、それぞれの名前の部分を指す。
「こういう廃墟っぽいところこそ隠れるには最適な場所だ。普通施設に近づく目的は二つ。
 一つは隠れるため。もう一つは施設内にある備品なんかを持っていくためだ。
 しかし廃墟では後者は望めない。だから普通はこういう機能していたところの民家に立ち寄る」

「だから私達も、そして那須も怪しいと睨んだ。拠点にするにはある意味では最適な場所だからな」
 ルーシーが後に続き、最後に美凪が締める。
「ホテル跡については既に私が通った場所でしたが、特に以前から誰かがいるような気配はありませんでした。
 ですから探すのであればこちらの分校跡にするのはどうか、という話になったのですが……古河さんのご意見は?」
「あ、いえ、わたしは……それでいいと思います」
「本当にいいのか? 意見があれば遠慮なく言え。頭の中に留めておくのは良くないぞ」
「……いえ、大丈夫です」

834それぞれ:2008/07/14(月) 22:25:30 ID:34hZeGm60
 考えていたことを見抜かれたような感覚に渚は陥る。
 日本人とはかけ離れた、どこか浮世離れしたようなルーシーの雰囲気がそう思わせるのか。
 しかし、別に分校跡に行くという提案について特に異論があるわけでもないし、むしろ賛成だ。
 だから渚はそう答えて、笑みを向ける。
 ルーシーはしばらく渚の顔を見つめてから「そうか」と納得して宗一に結論を促す。

「よし、ならそれで決まりだ。そうだな……俺とルーシーで前を歩くから、少し離れながらついてきてくれ。所謂斥候ってやつだ」
「せっこう……?」
「偵察のようなものです。ということで古河さんとは語らいの時間です。二人きり……ぽっ」
「え? え? なんで赤くなるんですか?」
「ふむ、パヤパ……」
「おっとルー公、それ以上は怖いお姉さまが飛んでくるから止めとけ。さ、行こうか」
「む、了解した」

 離れていく二人と、未だに頬を赤らめている美凪を交互に見ながら、渚は未だにチンプンカンプンだった。
 霧島さん、新しい人たちですが……わたし、守っていけるのでしょうか……
 僅かにではあったが行動を共にしていた仲間の姿を脳裏に思い浮かべながら、渚は己から自信がなくなっていきそうなのを必死で堪えていた。
 あんぱんっ、と小さな声で励ましながら。

「ほかほかのご飯」
「……へっ?」
「……好きな食べ物から自己紹介かと思いましたが、違いましたか」
「あ、いや、それは、その、あぅぅ……」

 前途は、多難だった。

835それぞれ:2008/07/14(月) 22:27:02 ID:34hZeGm60
【時間:二日目17:00頃】
【場所:F-3】

古河渚
【持ち物:おにぎりなど食料品(結構減った)、支給品一式×2(秋生と佳乃のもの)、S&W M29 4/6、ロープ(少し太め)、ツールセット、救急箱】
【状態:腹部打撲、中度の疲労、ちょっと手が痛い、食事を摂った】
【目的:最優先目標は宗一を手伝う事。分校跡へ行く】

那須宗一
【所持品:FN Five-SeveN(残弾数11/20)、防弾チョッキ、SPAS12ショットガン8/8発、スラッグ弾8発(SPAS12)、ほか水・食料以外の支給品一式】
【状態:腹部に軽度の打撲、疲労大、食事を摂った】
【目的:分校跡へ行く。渚達と共に珊瑚を探し、脱出の計画を練る。可能ならリサと皐月も合流したい】

遠野美凪
【持ち物:包丁、予備マガジン×1(ワルサーP38)、包丁、防弾性割烹着&頭巾、支給品一式、お米券数十枚、色々書かれたメモ用紙とCD(ハッキング用)、ノートパソコン】
【状態:強く生きることを決意、疲労小、食事を摂った。お米最高】
【目的:分校跡へ行く。るーさん達と行動を共にし、珊瑚を探す。ハッキングを絶対に成功させる】

ルーシー・マリア・ミソラ
【所持品:IMI マイクロUZI 残弾数(30/30)・予備カートリッジ(30発入×5)、支給品一式×2】
【状態:生き残ることを決意、疲労小、食事を摂った。渚におにぎりもらってちょっと嬉しい】
【目的:分校跡へ行く。なぎー達と行動を共にし、たこ焼き友だちを探す。なぎーを手伝う】

→B-10

836アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:15:06 ID:myea85cE0
 
沢山の光が浮かんでいる。
光はまるで、広い海を泳ぎまわる魚のように自由に漂い、触れ合って、また別れていく。

しばらくじっと、それを見ていた。
見ている内にやがて、自分もまたその光のうちの一つなのだと、気付く。
気付いたら急に、身体が軽くなった。
どこへでも行ける気がした。
どこへでも行ける気がして、どこかへ行こうとして、どこに行きたいかが、わからない。

考えようとして、思い出そうとして、理解する。
―――ああ、私には、記憶なんてものが、ないんだ。
記憶がないから、希望もない。
何ができるのかもわからないから、何をしたいかもわからない。

みんな、そうなんだ。
周りの光を見て、思う。
わからない。
どこへ行きたいかも、何をしたいかもわからない。
だからああして、ずっと漂っている。
触れ合って、別れて、漂って、ずっと、ずっとそうしている。
私もきっと、ずっとそうして、

 ―――  。

そうして、

 ――― ナ。

漂って。

 ―――マナ。

名前を呼ばれることなんか、なく。


***

837アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:15:36 ID:myea85cE0


青一色の世界の中で、死んだように眠る少女を囲む、三人の女がいた。
その全員が青く透き通るような体をした三人の女はじっと少女を見つめ、その名を静かに呼んでいる。
一人は泣きながら、一人は茫漠と、そして一人は微笑んで、少女の名を呼んでいる。


***

838アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:15:58 ID:myea85cE0


涙を流す女が、赤く泣き腫らした眼で、語る。

 ―――たとえばの話をしよう。


***



たとえば今、愛する人の隣にいたとして。
私を蝕むのは喜びでも幸福でもなく、恐怖だ。

今この手にある幸福が、明日は失われているかもしれないという恐怖。
それは私を常に脅かし、この足を竦ませる。
誰かが耳元で囁くのだ。
今日という幸福は明日という不幸の端緒に過ぎないと。
甘い菓子の後の苦い薬のように、それは喪失を際立たせるための淡い幻想だと。

だから私は愛する人の隣を歩きながら、その手を取れずにいるのだ。
ずっと、ずっとその手の温もりを夢想しながら、ほんの少しの距離を飛び越えることもできずに怯えている。
それは幸福を掴むことへの躊躇だ。
今日から続く明日への畏怖であり、今この瞬間への怯懦であり、幸福への根源的な違和感だ。
私は幸福を掴むことに怯え、幸福であることを実感できず、だけど幸福であることを願っている。

それは二律背反だ。
虹を掴めないと泣くような、子供じみた愚かしさだ。
だけど、それでも、私は願ったんだ。
虹を掴みたいと。
愛する人の隣を歩きながら、それを幸せと感じたいと。
私の出した答えは、何だと思う?

簡単なことだ。
記憶さ。
思い出だよ。

昨日という時間が、私を支えてくれることに気づいたんだ。
それは本当に単純で、簡単な答えだった。
思い出の中の私は何も失わない。
それは紛れもない幸福の中にいて色褪せない。
それはどこにも続かない。
昨日は今日へと続かない。
思い出は、記憶は、昔は、今日の私と断絶している。

私の振り返る記憶の中の私は、今日という日を知らない私。
思い出という結晶の中に封じられた私は、だから未来へ続かない。
それは、本当の幸福という意味だよ。

幸福の中に結晶する私に喪失は存在せず。
それは常に、輝く時間を謳歌している。

たとえば恐怖。
たとえば変化。
たとえば未来。

それらのすべては、昨日の私を侵せない。
その幸福は私を支えていてくれる。
今日という不幸を、明日という喪失を、思考の埒外へと押しやってくれる。
私は幸福の結晶に縋って立っている。

だから、私には今日という時間も、明日という時間もいらない。
いらないから、君にあげよう。
明日という喪失を、今日という伏線を、君にあげよう。

―――マナ、君は喪失を恐れるかい?



***

839アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:16:23 ID:myea85cE0


茫漠とした女が、霧に煙る夜明けの湖面のような茫漠とした瞳で、語る。

 ―――たとえばの話をしましょう。


***



たとえば昨日を悔やむとき。
たとえば明日を願うとき。

何も為せなかった昨日に泣くことも、届かない星に手を伸ばすような明日を嘆くこともなく、
私は今日という日を慈しむでしょう。

これは、一つの諦念の話です。

たとえばある日、大切にしていた美しい宝物が壊れてしまったとして。
夜が明ければ、新しいそれを買ってもらえるとして。
だからといって愛おしむことを、やめられましょうか。
割れてしまったその欠片を、宝石の小箱に入れて夜ごと抱きしめることを、誰が笑えましょうか。
綺麗な紙に包まれて届く、新しくて美しいそれは、柄は同じで傷もなく。
だからそれは、私の大切な宝物ではないのです。
だからそれが、誰かの不注意で壊れてしまっても。
私は欠片を集めない。
私はそれを悔やまない。
私がそれを惜しいと思うことなど、ありはしないのです。
拾い上げられない沢山の偽者の欠片が散らばった大広間の真ん中で、
小箱に詰めた大切な本物の欠片だけを抱きしめて、私は眠るのです。

それを笑う人がいて。
それを責める人がいて。
私は彼らを認めません。
私の眼は彼らを映さず、私の耳は彼らの声を通さない。
彼らという雑音はだから、私の世界に踏み入ることさえ叶わない。
私が大切な小箱を抱きしめるのに、そんなものは必要ないのです。

私は昨日を悔やみません。
壊れてしまった大切な宝物を、それでも私は抱きしめている。
私の胸の中に、その小箱に、変わらずあるのです。
それだけを見つめて、だから私は昨日を思わない。

私は明日を願いません。
明日は今日と変わらぬ日。
抱きしめた小箱をいとおしむ、それだけの日。
たとえば明日が来ないとしても。
私は大切な宝物を抱きしめて、眠るだけ。


―――だからマナ、観月マナ。
私の失った今日の続きを、貴女に分けて差し上げましょう。
これは一つの諦念の話です。
微睡む私は、夢を見る私は、今日以外の何も願わぬ私には明日は訪れず。
諦念と幸福の間でそれを甘受する私に、ならば今日という時間は永遠という意味を持ち。

だから、久遠に続く私の今日の欠片を―――貴女に。



***

840アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:16:44 ID:myea85cE0


微笑む女が、底知れぬ老いと疲れとを孕んで、それでも微笑んだまま、語る。

 ―――たとえばの話をします。


***


たとえば明日、世界が滅びるという日に。
それでも林檎の木を植えることを、私は赦しません。

私には力がある。
理不尽を覆すだけの力が。
私たちにはあるのです。
運命に抗うだけの力というものが。
私に力があり、私たちに力があり、ならば私は命じます。
己が刃を振りかざし、抗い、抗い、抗い続けよと。
明日という理不尽に抗えと、私は私以外のすべてに強いるでしょう。
夜に怯えるすべての我と我が子らに、私は命じます。
抗えと、打ち破れと、薙ぎ倒し叩き伏せよと、夜を越えよと私は命じます。

陽は沈み、夜は長く、それでも朝は来るのです。
ならば打ち続く剣戟の、その飛び散る火花で目映く夜を照らしなさい。
地を震わせる鬨の声で眠ろうとする者を揺り起こしなさい。
貴女の願う明日を切り開くその足音を、微睡む世界に響かせなさい。

いつか来る夜明けを、歓喜をもって迎えるために。
その朝を、続き続く明日を、ただ幸福が支配するように。
涙を打ち払う剣を取って夜に抗いなさい。
かつて幼子であったものの義務として、明日の幼子のための道を切り開きなさい。

昨日を踏み拉き、今日を振り払って明日へと至りなさい。
顔を上げ、声を限りに叫んで歩を進めるその先に、夜は明けるのです。
誰も届かなかった明日に手をかけ、抱き寄せてその唇を奪いなさい。
既に昨日は喪われ、今日という日は終わりを迎え、それでも明日は来ると、貴女が叫びなさい。
夜の向こうへ轟く声で、まだ見ぬ朝陽を引きずり出しなさい。

明けぬ夜の頑冥を突き崩す剣を、遥か稜線の向こうに輝く日輪へと届く刃を、
私は、私たちは、その腕に、その心に、その声に、その命に、持っているのです。

命持つ私は、ならば命持つ貴女に命じます。
越えなさい、何もかもを。

その道の果てに―――明日を築きなさい。



***

841アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:17:08 ID:myea85cE0


青一色の世界の中で、死んだように眠る少女を囲む、三人の女がいた。
その全員が青く透き通るような体をした三人の女はじっと少女を見据え、もう何も話さない。
一人は泣きながら、一人は茫漠と、そして一人は微笑んで、ただ少女を見つめている。


***

842アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:17:30 ID:myea85cE0



眼を開けることなく、その声を聞いていた。
勝手なことばかりを言うと、そう思った。

三者三様の吐露は三者三様の身勝手でしかなく。
それは狂人じみた独り語りだ。

色々なものを押し付けられた。
どうしようもなく、腹が立った。
沢山の知識と、沢山の想いと、沢山の時間とを持ちながら、身勝手な大人たちは
何もせずに退場していく。
まるでそれを継ぐことが私の義務であるかのように、身勝手なことばかりを言って。
そのことにひどく腹が立つ。

腹立ちのまま、暴れるように身を揺すると、光の海に変化が現れた。
きらきらと輝く海に、ごぼりと泡が立つ。
熱を持った海のうねりに、漂う光のいくつかが弾けた。
眼を閉じたまま輝く海を見る私は、弾けた光を吸い込むように、口を開ける。

雪の街があった。
夏の長閑さがあった。
桜舞う季節が、秋の匂いのし始める庭があった。

色々な景色があった。
幸せな時間があった。
沢山の言葉があった。
伝わる想いがあった。
少しだけ、哀しい恋があった。
そのすべてがいとおしかった。

そこに、愛があった。


***

843アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:17:46 ID:myea85cE0


観月マナの中から、身勝手への憤りは既に消えていた。
そんなものはもう、どうだってよかった。
それはただ、幸福を希求する無数の声の一つに過ぎなかった。

それらの声に突き動かされたわけではない。
ただ、マナは許せなかった。
このまま終わってしまうことが、このまま途切れてしまうことが、このまま続いてしまうことが、
とにかく何もかもが、世界がこのままであることが許せなかった。
何もかもを蔑ろにして、何もかもを中途半端なままにして、それで終わり途切れ続くことが、許せなかった。
それは小さな怒りと、沢山の光へのいとおしさと、それからわけの分からない、
心の奥のもやもやしたものがない交ぜになった、どこにでもある、誰にでもある感情だった。

それはごく普通の少女が、世界の弁護に立つ決意だった。
力でも知識でもなく、ただその決意によって何かを成し遂げる、それはそういうものだった。


眼を開ければ、そこは世界の終わる場所だった。

844アイニミチル (7):2008/07/15(火) 13:18:04 ID:myea85cE0
 
【時間:2日目午前11時半すぎ】
【場所:B-2海岸より続く岩窟最奥】

観月マナ
 【状態:復活】

霧島聖
天野美汐
水瀬秋子
 【状態:非在】

→991 993 ルートD-5

845(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:14:40 ID:4wBxa5pU0
 訪れた放送の内容は、篠塚弥生にとって意外なものとなった。
 最終生存人数の増加。
 口上は大切な人を守るため、大切な家族を守るため、などと謳われていたがどうにも今更のように思えてならなかった。

 タイミングが遅すぎる。
 現段階での生存者はこれまでの放送から確認する限り既に40人を切っている。
 それはつまり、全体の3分の2が死体となってこの島に転がっているということだ。
 ならば、家族や恋人関係にある人間の片割れが既に死亡していないことなど、ないに等しい状況なのだ。

 参加者名簿に、弥生は目を走らせる。
 やはり、大半のそういう関係にある者は死んでいる。名簿の名字から推測するだけでもそうなのに、恋人などの関係まで含めると更に数は増える。
 大体、放送を待ってこんなルール変更をする理由がないのだ。
 単にルールを変えるだけならいつでも……例えば、昼ごろや、極論を言えば主催者が思いついた段階で言っても構わないはず。

 二人まで生き残れるというのは実は相当に重要なことだ。
 神尾晴子がそうであるように「生き返り」など信じていない現実主義者は大勢いる。……弥生自身が殺害した、藤井冬弥もそうだった。
 クローンという推測は立てたもののそれですら眉唾ものだ。確率的には「生き返り」が本当に出来るかというのは無に等しい。
 ――それでも弥生は森川由綺のためにそれを信じるしか道はなかったが、今はそれは置いておくとしよう――
 とどのつまり、「好きな人と一緒に生き残れないから主催に反逆する」人間は少なからずいたと考えられる。
 そのための対応策が、生存者数の増加……二人生き残れるから、殺し合いに乗る。そのカードを、何故今更切ってきたのか。
 不可解に過ぎる、と弥生は考えた。それとも、それ以外に何か理由があるのかとも考える。

 考えられるのは……妥当に考えれば、集団の崩壊を狙うことだろうか。
 先程も考えたように、二人で生き残ることができないから反抗している人間はそれなりに多くいるだろう。
 そして殺し合いゲームも終盤に近づいた今、集団を形成している可能性もそれなりに高い。
 だがルールが変更され、生き残りも少なくなった今、果たして主催を倒すのと、ゲームに勝ち残ることと、どちらが勝算が高いか。
 天秤にかけられた結果、共謀して集団を内部から攻撃し、凄惨な争いが繰り広げられる……といったところだろう。
 それを眺めて楽しむ悪趣味さを考えれば、ありえないことではない。
 だがやはり、「遅すぎる」という事からは離れられない。
 それとも、ゲームを運営している連中に何かあったのか……?

846(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:15:03 ID:4wBxa5pU0
 そこまで行くと、最早推理ではなく、妄想の域に入ることに気付き弥生はそれ以降の考えを打ち止めにする。
 そんなことより今、問題にすべきなのは……
 『すまん、ちょっと外の空気吸ってくるわ』
 と青褪めた顔色を必死に隠すようにして、怪我しているにも関わらずふらふらと無学寺の外に出て行った、神尾晴子の姿だった。

 潰れてくれなければ、いいのですが……
 懸念しつつも、しかしどこかで晴子が自棄を起こし弥生に襲い掛かってきたときのことを考慮し、対応策を考えている冷ややかな自身の頭に苦笑する。
 どこかで人を物のように考え、どう利用すれば最善の結果を導き出せるかばかりを考えている。
 生来の性だ。変える気はないし、この場では存分に使える思考体系である。

 ……でも、それじゃ寂しいですよ。

 ふとそんな事を言う藤井冬弥の顔が弥生の頭に浮かんだ。
 いつだったか、黙々とマネージャーの仕事を続け、仕事ばかりしていて、由綺の先のことばかり気にして大丈夫なのかと尋ねてきたときがあった。
 弥生は当然のように大丈夫だと言い、それに由綺をアイドル界のトップに、スターダムにのし上げることこそが生き甲斐なのだと話した。
 それ以外は何も必要ないとも。
 その時にぽつりと冬弥が零したのが、今の言葉だった。

 何を思って、そう言ったのかは今でも分からない。問い質そうにも既に彼はこの世からは……弥生自身が手を下して、消えた。
 寂しい。何が、寂しいというのか。
 別にそのような批評を向けられたことに対して怒りや不満を抱くわけもなかったが、弥生にはそう言われる理由が分からなかった。
 目的を見つけて、それに生き甲斐も持っているというのに。

 詮無いことだと思い、その疑問に対する考えを中断させる。
 そもそも、どうしてこんな言葉を思い出すのだろう。
 今の自分にも、行動にも後悔はない。
 ……それとも、まだ気付いてないだけで……

「愚問、ですね」

847(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:15:25 ID:4wBxa5pU0
 嘲るように吐き、もう残り弾数が少なくなっているP−90の黒々とした銃身を眺める。
 確認したところ、残りは20発。フルオートで連射できるだけの余力はないに等しい。
 警棒で戦闘力を奪い、P−90で止めを刺すか。それとも銃の使用は神尾晴子に任せるか。
 どちらにしろ、もう迂闊には使えない。
 30人強。
 十分だ。あらゆるものを利用し尽くし、生き延び、願いを……由綺を生き返らせてもらう。
 そして、取り戻すのだ。あるべきだった未来を。

 ……でも、それじゃ寂しいですよ。

 何故かもう一度思い出したその言葉が、ちくりとして弥生の胸に突き刺さった。

     *     *     *

 ぐるぐると、頭の中で何かが回転していた。
 澱みを成した河であった。
 混乱と疑念、憎悪、懇願……神尾晴子の持ちうる限りの思念を一つ残らず投げ込み、それは黒々とした汚濁となっている。

 嘘だ、と呟き続ける彼女の半分。
 これが現実、と頑なに言い張る彼女の半分。
 いっそ狂ってしまえばどんなに楽なことか。
 喚き、叫び、心を放り出して肉体だけの存在になってしまえば、恐らくは苦しまずに死ねたことだろう。

 しかしそれだけはするな、お前は復讐を果たさなければならないと晴子の黒い部分の中でも、特に黒を覗かせている部分が囁く。
 まだ狂ってはならない。理性を以って、行動しなければならぬ理由がある。
 目頭に浮かぶ熱い涙の粒を振り払うかのように、晴子は無学寺の壁に拳を叩きつける。

「――ええ度胸しとるやないか」

848(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:15:45 ID:4wBxa5pU0
 悲しみは既に怒りに塗り変わり、後悔は牙をより鋭くしている。
 最愛の娘を、何よりもかけがえのない笑顔を奪った罰は万死ですら生温い。
 温い。温い温い温い温い温い温い温い温い温い!
 殺すだけでは足りない。死、以上の……死んだほうがマシだと言えるくらいの死を与えてやろう。
 復讐の覚悟は整った。今の自分は阿修羅さえも陵駕する存在であるとすら自覚できる。

 だが、しかし。
 晴子の胸の内では、その後のこの命、どう使うという疑問が湧き出していた。
 ……いや、既に頭は回答を導き出している。

「……クローン、か」

 優勝して、『生き返らせて』もらう。それで観鈴は戻ってくる。
 晴子が否定をした、ニセモノの神尾観鈴が。
 それを受け入れてしまっていいのか。
 例え今までの記憶を持ち、仕草まで完璧で、何一つ寸分の違いもなく完全なるコピーだとしても、それを認めてしまっていいのか。

 復讐を果たした後は自分も死んでしまえばいいという考えもあった。
 娘に殉じて、あの世で詫びる。
 きっと優しい観鈴のことだ、これまでの不孝を、笑って許してくれるはず。
 すぐに仲直りして、親子の時間を過ごす。
 もう何にも畏れることはない、永遠の安息が訪れるだろう。

「は……バカバカしい」

 けれども、晴子はその考えを吐き捨てるように却下する。
 甘い、甘すぎる。
 それは逃げであり、逃避だ。
 楽に縋り、安穏を求めようと低きに流れる堕落した人間の姿だ。
 大体、無神論を謳っている自分が天国だ死後の世界だのと言うのはあまりにご都合が過ぎるではないか?

849(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:16:03 ID:4wBxa5pU0
 ならば最後までその道に生きよう。
 偽者? そんなものは認めなければいいだけのこと。
 どんなに欺瞞に満ちていても、もう一度娘の姿が見られるなら……取り戻せるなら、その道に進もう。
 ダメとは言わせない。
 無理だと口を利くなら髪の毛を掴み、何度でも叩きつけて出来ると言えるまでやってやる。

 神尾晴子はエゴイストだ。
 身勝手で、自分のことしか考えていないとも言える考えだということは分かっていた。
 恐らくは世界で一番自己中心的な母親かもしれない。
 いや、そもそも母親ですらないか、と晴子は苦笑する。
 なら、これは一人のワガママ女がする、誰もが呆れるくらいの馬鹿げた行動だと思うことにしよう。
 そう考えると、胸の中に溜まっていた重苦しいものがスッ、となくなっていくような気がした。

 なんだ、いつものようにしていればいいじゃないか。
 難しく考える必要はない。
 己の気が向くままに、やりたいことをやり、欲しいものを手に入れる。
 十分だ。神尾晴子という女の生き方は、それでいい。
 後は、怒りと憎悪を忘れなければよかった。
 それさえ忘れなければ、晴子は晴子でいられる。まだ戦える神尾晴子でいられる。
 澱みは消えた。流れを堰き止める障害は、取り払われた。

「さぁて、行こか。……何もかも、潰したる」

 不敵に笑うと、未だ打ち付けていた拳を壁から離し、瞳を薄暗さの集まる森林から、無学寺の内部へと移す。
 貴女も、きっと私と同じ考えになります。何故なら……本質的に、貴女と私は同じなのですから。
 無表情のままそう言い放った女は、中で晴子を待ち続けているのだろう。
 本来なら真っ先に排除してかかるべきなのだが、今は状況が違う。

850(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:16:18 ID:4wBxa5pU0
 生き残れる人数が、二人になった。
 本来ならその枠には観鈴が入るはずだったが、もうその観鈴は姿を消した。
 残るは弥生と共に優勝し、願いで観鈴を『生き返らせて』もらうしかない。観鈴と、生き残るためには。
 なら、精々共闘させてもらうことにしよう。弥生曰く「相性はいい」とのことだ。パートナーとしては問題ない。
 武装の貧弱さが気になるところだが……一応最低限戦えるものは揃っている。
 狙うべきは奇襲。正面から突っ込むのはただの愚かな自殺行為に他ならない。
 勝ち残るためには、もう一度たりともミスは許されない。

 選択肢は二つ。
 北上し、ここから先にある学校で狙い撃つ。
 南下し、氷川村に向かい、恐らくはまた起こるであろう戦闘に乱入し、漁夫の利を得る。
 逃げ回るという手もなくはなかったがそれは晴子の性に合わないところではあるし、貧弱な武装のまま終局を迎えねばならないことになる。
 そうなった場合いかに不利かということは弥生も分かっているだろう。
 討って出るしかないのだ。活路を見出すためには。

「……まぁ、相談やな」

 数時間休息をとって僅かなりにとも回復はしている。
 立ち回りができないというほど体が衰えているわけではない。
 足を引っ張ることも、引っ張られることもあるまい。
 その確信に支えられるかのように、寺の中へと踏み出した一歩は、しっかりとした足取りであった。

851(先行不安)/Chaotic Island:2008/07/20(日) 13:16:37 ID:4wBxa5pU0
【場所:F-09 無学寺】
【時間:二日目午後:18:50】

神尾晴子
【所持品:H&K VP70(残弾、残り4)、大きなハンマー、支給品一式】
【状態:マーダー。右手に深い刺し傷、左肩を大怪我(どちらも簡易治療済み。痛みはあるものの動けないほどではない)、弥生と共に勝ち残り、観鈴を生き返らせてもらう】
【備考:蘇生の情報には半信半疑】
篠塚弥生
【持ち物:支給品一式、P-90(20/50)、特殊警棒】
【状態:マーダー。脇腹の辺りに傷(悪化)、晴子と共に勝ち残り、由綺を生き返らせてもらう】
【備考:蘇生の情報は一応理解を示している】

→B-10

852アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:00:59 ID:Hbw10mKg0
 
「―――全部をなくして、あなたは何がほしいの」

雨が降っていた。
さあさあと、絹の糸が天から幾筋も垂れ落ちるような細い雨を受けながら、少女は立っている。
夜空に浮かぶ満天の星のように雨粒を黒髪に纏わせて静かに問う少女の名は、観月マナ。
世界のどこにでもいるただの少女であり、世界のどこにでもいる、世界を変えるたった一人。
それは思い込みという小石と狭い視野という服とに身を包んで歩を踏み出し、いつしかそれを
決意という刃と覚悟という鎧とに塗り替えた、世界を変革するただの少女だった。

「勿論、何もかもがなくなった世界ですよ」

雨が降っている。
ぱたぱたと揺れる水面に蜂蜜色の豊かな髪を映し、微笑んで返した少女の名を里村茜。
世界のどこにでもいるただの少女であり、世界のどこにでもいる、世界を認めぬただ一人。
それは悔恨を喰らい慙愧を啜り、妄執と宿怨とを丹念に練り込んだ化粧を施し、
無色透明の意志で自らを縛り上げた、世界を殺すただの少女だった。

「全部をなくして、あなたは何をするの」

マナの手には剣がある。
青く透き通った剣だ。
滄海の青を一片の歪みもなく伸びた刀身に宿し、淡く発光している。
叩きつければ折れてしまいそうなほど細く真っ直ぐな諸刃を振るえば、軌跡には光が舞い散る。
春の朝を思わせる光は中空を漂うと、雨に融けるように消えていく。

「赤の遣い手が絶無を望むのは、それほどおかしなことですか」

茜の手には刃がある。
赤く煌く刃だ。
焔の中から産まれた宝玉を削り出して造ったような、真紅の刃。
装飾の施された柄から伸びる優美に反った刀身は、触れたすべてを切り裂くような鋭さに満ちている。
ゆらりと掲げられたそれだけで、雨粒が爆ぜた。

「あなたのことを訊いてるんだよ、茜さん」

す、と歩を進めたマナの眼前には、真紅の剣を向ける茜の姿がある。
刃の先を軽く打ち合わせるように、マナもまた滄海の刃を掲げる。
硝子の砕けて散るような、硬質な響き。
それが、始まりの鐘だった。

853アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:01:36 ID:Hbw10mKg0
「―――人が」

つ、と踏み出す茜の繰り出した刃を、マナが躱す。
雨粒が散ってきらきらと光を反射した。

「人がその生の最後に恐れるものは、いったい何だと思いますか」

二人が立つのは、舗装された道である。
薄暗い岩窟であったはずのそこは、様相を一変させていた。
色とりどりの石がモザイク様に並べられた遊歩道。
とめどなく降りしきる雨が幾つもの水溜りを作っている。

「生き終わること? 喪うこと? もう誰かと逢えなくなること?
 いいえ、いいえ、違います」

遊歩道の両脇には色彩豊かな看板とショーウインドウ。
飾られているのは可愛らしい服であり、安っぽく煌くアクセサリーであり、少し大人びた靴であった。
目を移せばパステルカラーで装飾された大きなメニューがある。
季節のフルーツがあり、何種類ものアイスクリームがあり、クリームのたっぷり入ったクレープがあった。
硝子とフリルとジュエリーと革とエナメルと甘い香りと鮮やかな色彩が、見渡す限り軒を連ねている。

「忘却です。忘れ去られることですよ」

言って振るった茜の刃が、その内の一軒を切り裂いた。
沢山のパッチを施した古着を軒先に並べていた店が、ぐにゃりと歪んで消える。
消えたそこには、何も残らない。
所狭しと吊るされていた服も、柱の一本も、空き地すら残ってはいなかった。
そこには古着屋の右にあったはずのアクセサリショップと左にあったはずのランジェリーショップが、
静かに軒を並べていた。まるでその間には、隙間など存在しなかったかのように。
最初から、何一つとしてありはしなかったかのように。

「その生を懸けて何かを遺そうとするのが、生きとし生けるものの本質です。
 命は次代へ、自らを継ぐ何かを遺そうと走り続ける」

854アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:02:08 ID:Hbw10mKg0
蜂蜜色の髪がふわりと舞い、その向こうから真紅の刃が伸びてくる。
滄海の剣で受け止めたその反った刀身を、マナは更に力を込め、弾き返す。
光と音が、花のように散った。

「けれど、人がそれを最後まで見届けることは叶わない。
 当然です。続き続くこの世の終わりまでを知ることなど、誰にもできはしない。
 だから怖い。だから不安になる。だから、その生の最後に恐怖するのです。
 自身が継がれぬことを。誰かに、何かに遺されることなく、忘れられることを」

光の散華の中、茜の言葉にマナは思い返す。
三人の女。身勝手の挙句にその生をマナへと押し付けた三人の女のこと。
怯懦と妄執と、理不尽に抗う理不尽とを強いた、女たちの生を。

「忘れられること。何かを遺せないこと。根源の恐怖。―――けれど」

女たちは生きた。
生きて、生き終わった。それだけのことだった。
三人が最期に何かを遺したつもりでいられたのか、それは分からない。
カラオケボックスが、携帯電話のデコレーションショップが、斬られて消えた。
後には何も残らない。

「けれどその恐怖を、根源の本能をすら越えて尚、何かを望む人が、いるのです」

弧を描く赤の刃を、滄海の剣が弾く。
光が散り、小さな流星となって瞬いた。

「忘れられることよりも、ここに在り続けることをこそ恐れ、拒絶する人。
 変化を、或いは変遷を、或いは変質を、或いは変貌を、明日が来ること、それ自体を拒んでしまう人。
 そういう人が、この世界には確かにいるのですよ」

流れた星が雨粒に融けて、雨が光を纏う。
光の雨に打たれた店が音もなく消えていく。

「だから私は待つのです」

極彩色の看板が消えた。
パステルカラーのロゴが消えた。
色とりどりの飴が、安売りの頭痛薬が、小さな鉢植えが、消えた。

「来ない明日を、終わらない今日の中で、誰にも邪魔されることなく」

小麦粉の焼ける匂いが、砂糖の焦げる匂いが、卵の甘い香りが、光に打たれて消えていく。
最後に残ったベルギーワッフルの店の、小さな手書きのメニューが、消える。

「永遠に、永遠に」

遊歩道が、崩れる。



******

855アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:02:36 ID:Hbw10mKg0
 
 
雨が降っている。
何も無くなったはずの世界は、しかし降りしきる雨だけをそのままに、再びその様相を変えていた。

少女二人を映す窓硝子についた水滴が時折、流れていく。
しんと静まり返った空気はまるで外界とは隔絶されているかのように重く、息苦しい。
雨は窓の外に降っていた。
外に見えるのは整地された広く平坦な土の地面。
石灰で書かれた大きな楕円が、それが陸上競技のグラウンドとして使われていることを主張している。
とん、と硬く軽い音が響いた。
マナの革靴がリノリウムの床を叩いた音である。

「……今度は学校?」

見渡す限りの教室の扉はどれも固く閉ざされ、静まり返っている。
長い廊下の真中で呟いたマナの声だけが、小さく木霊していた。

「他に必要ですか? 私に、私たちに?」

かつ、と響いた足音と同時。
一瞬でマナの眼前にまで間を詰めた赤光の刀身が、縦一文字に空を裂く。
躱して振り抜いた太刀筋には既に茜の姿なく、光の軌跡だけが残った。

「そうだね、買い物のできる街と、学校と、それから……私の部屋と。
 それが私の殆どで、私たちの殆どだ。だけど……だけど足りない」

ふわりと跳んだ茜を追って、マナが跳ねる。
横に薙がれた剣風に巻かれ、掲示板に貼られたプリントが一枚、はらりと落ちた。

「それが私の殆どで、だけど単なる殆どだ。
 うん、それじゃまだ、私には、ぜんぜん足りない」

856アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:03:14 ID:Hbw10mKg0
滄海の剣が宙を舞い、退がる茜を捉える。
手応えは硬質。
赤光の刃が噛み合わされる牙の如く、迫る刀身を受け止めていた。
中空、一瞬だけ至近で睨み合った少女二人が、鳳仙花の実の弾けるように距離を開け、着地する。

「―――何が足りませんか。
 傲慢を満たす学び舎と、不遜をくすぐる店先と、それから何が、貴女に足りませんか」

音もなく駆け、透き通る刃を重ねて、赤の少女が鋭く言い放つ。
重ねられた刃から幻想に舞う花弁のように光が散り、煌いて、消えていく。
光の花束の中心で、しかし青の少女は静かに首を振る。

「足りないよ。あなただって同じでしょう、茜さん」

鍔迫り合いの中、気色ばんだのは茜であった。
吐息のかかるほどの距離にある少女の表情が、変わっていた。
里村茜の眼前、観月マナは微かに、しかし確かに、笑んでいたのである。
それはひどく穏やかで、ひどく倣岸で、ひどく儚げな、春を待つ白い花の蕾のような、笑み。

「―――私には、好きな人がいるんだ」

少女のそれは、この世すべての価値を蹂躙する、笑みだった。
およそ少女を少女たらしめる、星月夜のようにありふれた、不可侵の幻想。
がつりと音を立てたのは、その笑みを前にした茜である。

「……」

がつり。

「同じ」

がつり、がつり。

「同じ、ですか。私と貴女と、それが同じですか」

がつり、がつり、がつり。
茜の手にした赤光の刀、精緻な華の文様に装飾されたその透き通る柄頭が、傍らの壁に叩きつけられる。

「不愉快です。これ以上の限度なく、これ以降の極まりなく、不愉快です」

がつり、と。
打たれるたびに、壁に罅が入り、その表面が錆を落とすように剥げ落ちていく。

「貴女に好きな人がいて。それが貴女に足りなくて。それが私と同じですか」

がつり。ぼろぼろ。
がつり。ばらばら。
がつり。がつり。がつり。

「違うでしょう、それは。私は貴女とは違う。貴女は私とは違う」

落ちた欠片が消えていく。
割れた壁が消えていく。
がつりがつりと音は止まらず、とうとう教室の一つが、消えた。

857アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:03:48 ID:Hbw10mKg0
「同じだよ」

す、と。
滄海の色をした直剣の細い刃が、雨粒を溜めた窓硝子に突き立てられる。

「甘いものや、綺麗なものや、そういうものじゃあ、足りないんだ。
 本当の素敵なものが足りなくて、だから手を伸ばしてるんだ。
 私は。私たちは、ずっと」

刃が、一気に引き下ろされる。
音も立てずに断ち割られた硝子が床に落ちて、砕けることもなく消えた。
硝子の落ちた窓の隣で、もう一枚の硝子が落ちた。
ドミノ倒しの仕掛けのように、長い廊下の硝子が次々に落ちて、消えていく。

「……だから!」

雨は降り続いている。
硝子もない窓の外に、変わらず降り続いている。
声を上げたのは、茜だった。

「それがどうしたっていうんです! それがどうして同じになるっていうんです!
 私は私で、貴女は貴女で、こうして世界の明日を賭けて、それで全部でしょう!?
 他の何も、何もかも、関係ないじゃないですか!」

吹き込んだ雨が、リノリウムの廊下を濡らす。
里村茜の革靴を、白い靴下を、臙脂色のスカートを、ベージュのベストを、蜂蜜色の髪の毛を、濡らす。

「戦って、闘って、相手の胸に剣を突き立てて、それで終わりでしょう!?
 終わらせましょうよ、この物語を!」

赤光の刃を叩き付けた先で、また一つ教室が消えた。
次第に短くなっていく雨の廊下で、

「これは戦いの話じゃない」

マナが、静かに首を振る。
吹き込む雨に濡れ髪が額に張り付くのをそのままに、見開かれた瞳が真っ直ぐに茜を射抜き、言う。

「―――違うよ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。
 これは、そういう物語なんだ」

言葉と共に振り下ろした滄海の刃が、薄い壁を、残った窓枠を、石膏の柱を、緑色の掲示板を切り裂いて、
そうして最後に、廊下の端にあった鉄製の傘立てを、がらんどうの傘立てを、真っ二つに断ち割った。

学校が、歪んで消えた。



******

858アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:04:29 ID:Hbw10mKg0
 
 
雨が降っていた。

いつから降り続いているのかも知れぬ細い雨に、無造作に生えた雑草が濡れて頭を垂れている。
剥き出しの地面は泥濘となり、そこかしこに水溜りを作っていた。
水溜りに落ちる雨粒は幾つもの波紋となり、波紋は重なり合い、打ち消しあって無限の円環を形成している。

人の手から離れて久しいとわかる、荒れた空間。
どこにでもある民家に挟まれた、それは鉄条網に囲われた別世界。
そこに、

「……」

豊かな髪をしとどに濡らして、瞳には昏い焔だけを宿し。
傘も差さずに、立ち尽くす少女がいた。

書き割りの背景は既になく。
雨は少女に降りしきる。

透き通る刃の他には、何一つも持たず。
小さな雨の空き地に、里村茜は立っている。

「これがあなたの―――本当の世界」

眼前に立つ少女の、観月マナの声に、茜が静かに顔を上げる。
さあさあと、絹の糸が天から幾筋も垂れ落ちるような細い雨に打たれながら、茜はマナを見据えると、
無言のまま、唯一つその手にした赤光の刃を、灰色の空へと掲げた。

少女たちの見る夢の最後の、それが、始まりだった。

859アイニミチル (8):2008/07/20(日) 21:04:56 ID:Hbw10mKg0
 
 
【時間:???】
【場所:???】

観月マナ
 【所持品:青の刃】

里村茜
 【所持品:赤の刃】

→993 996 ルートD-5

860アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:49:50 ID:ruXzk7n60
 
「―――これがあなたの、本当の世界。沢山の嘘の底に隠した、本当の」

返答は翻る刃だった。
灰色の空の下、赤光が閃き、マナを襲う。

「何が分かりますか、貴女に―――!」

茜の怒りに任せた大上段からの一撃は僅かに身を引いたマナを掠め、濡れた地面を叩いた。
ばしゃりと盛大に跳ねた泥が少女の制服に黄土色の斑模様を作る。

「怖がって、傷ついて、それで逃げ込む先でしょう!」

頬に付いた泥が雨に濡れて流れ落ちるのにも構わず、マナが叫ぶ。
叩きつけるように落とした滄海の刃が茜の背を捉えるより一瞬早く、蜂蜜色の髪の少女は
その身を大地へと投げ出している。

「待つと決めた、私の永遠の証です!」

ベージュの制服がべっとりと水溜りの泥を吸い込んで染まり、汚らしい滴がばたばたと垂れた。
気にした風もなく叫び返す茜の刃が、降りしきる雨を裂いて奔る。

「なら、どうして隠すの! 誇ることもできない気持ちなの!?」

辛うじて受け止めた青の剣がびりびりと震える。
濡れたマナの革靴が、ず、と泥を噛んで下がった。

「土足で踏み込まれたくないからに、決まっているでしょう!」

両手で抱えた赤光の刃を押し込むように茜が体重をかける。
脱ぎ捨てた冷徹な仮面の下の、剥き出しの激情をそのまま力へと変えていくかの如く、
茜の瞳には真紅の焔が燃え盛っていた。
下から睨み上げるマナもまた、焔に呑まれぬ大海の青を宿して斬りつけるような言葉を吐く。

861アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:50:13 ID:ruXzk7n60
「なら嘘で隠す必要もない! 最初から誰も近づけなければいいじゃない!」
「そうしているでしょう!」
「じゃあGLは何だったの!? 仲間を作って!」

ぎり、と文字通りの鎬を削るような鬩ぎ合いは長くは続かない。
押されるマナの足が水溜りに取られて、滑った。

「利用しただけです! 分かりなさい!」

絶好の好機。
が、唐突に崩れた均衡に押し込んでいた茜は思わず体勢を崩してたたらを踏んでしまう。
赤く透き通る刃を振り下ろしたときにはマナの姿は既になく、追撃に薙いだ刀の軌跡も遠い。

「よく言うよ! 寂しくて、構ってほしくて、近づけば逃げるふりをして!
 声をかけられて嬉しかったんでしょうが!」

後転するように身を投げ出した勢いのまま跳ね起きるマナ。
泥に濡れたシャツの貼り付いた背中に冷たさを感じながら、駆け出す。
跳ねる泥水が膝下を汚し、一歩ごとにぐじゅり、ぐじゅりと靴が嫌な音を鳴らした。

「勝手なことを……!」

滄海の剣の間合いまで二歩。
茜が赤光の刃を腰だめに引く。
マナが一歩を駆ける。
茜の刃が動き出す。

「誰が、そんなものを望みましたか……!」

リーチはほぼ同一。
詰めるマナと、受ける茜と、刃が交錯する。
迫るマナの引きずるように構えられた下段から、滄海の剣がかち上げられる。
待ち受ける茜の刃はそれに先んじて動き始めている。
下段からの切り上げに開くマナの胴を狙った、烈風の突き。
相討ち、否、僅かに茜の突きが早い。
赤光の刃がマナの胴に突き込まれる、その寸前。
青剣の軌跡が、ぐらりとぶれた。
切り上げる姿勢を利用して、マナが上半身だけを強引に捻っていた。
渾身の両手突きに手応えはない。
茜の刃は、マナの着込んだ制服の脇を僅かに千切り飛ばすに留まっていた。

862アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:50:42 ID:ruXzk7n60
「待ってるっていうんならずっと引き篭もってればいい!」
「……ッ!」
「外に出て、誰かに会いたくて、それで何を待ってるっていうのさ!」

刃を突き出した姿勢、茜は剣を引くことができない。
上半身を捻ったマナが頭上に流れた両刃の剣を、今度は開いた茜の背に向けて叩き込む。
咄嗟に身を投げ出した茜の、二つに編まれた髪の先が流れ、剣風に巻き込まれた。
ぷつりと小さな音がして、髪留めが飛ぶ。

「ただ待ってるのが嫌なら、そう言いなよ!」
「……何も知らないくせに!」

飛んだ髪留めが水溜りに落ちて小さな波紋を立てるのと同時。
膝立ちになった茜の刃が、横薙ぎに宙を裂いていた。
迂闊に踏み込めず立ち止まったマナを、茜が憎悪に満ちた眼差しで睨み上げる。

「待ち続ける辛さも、何も知らないくせに……!」
「辛いんでしょう!?」
「―――ええ、辛いですよ!」

ばらり、と茜の髪がその容積を増した。
ゆっくりと立ち上がった茜の、編み髪の一つが解け、波打つ蜂蜜色の海が広がっていた。

「辛いですよ、待ち続けるだけの日々は。
 苦しいですよ、帰らない人のことを想い続けるのは。
 それがおかしいですか? 何か間違っていますか?」

ぶつりと音がした。
茜の手が、もう一方の編み髪を強引に解いた音だった。
乱雑に拡がる豊かな髪が、雨に濡れて茜の肌に張り付いていく。
それを空いた手でかき上げて、茜は叫ぶ。

「寂しいです、息が詰まりそうです、でも、だからどうだっていうんです?
 誰かに近づいたら私の想いは色褪せるんですか?」

匂い立つような艶を醸し出しながら、茜が手にした刃を真横に振るう。
降り続く雨粒が、断ち切られた。

「……そう感じたから、世界を空っぽにしようとしたんでしょう。
 あなたの近づける、誰かのいる世界を」

激情を吐露する、赤光の刃の少女を見据えて、滄海の剣の少女が静かにそれを口にする。
否む強さに縋る少女を断罪するように、肯んじる者が、告げる。

863アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:51:08 ID:ruXzk7n60
「……」
「待つことが辛くて、誰かに寄り掛かりたくて、だから世界を永遠に塗りこめて。
 それが、あなたの想いの果て」

告げられた言葉が、雨に吸い込まれて消える。
暫く、無言が続いた。
さあさあと降る雨が、泥の跳ねる音が、水溜りに波紋の浮き出る音が、小さな空き地を満たしていた。
やがて。

「そうですよ」

ぽつり、と。

「……待てなくて、何が悪いんですか」

呟かれるのは、少女の世界だった。

「私はいつだって有限で、けれど生きていれば私は私を埋めていく。
 色とりどりの形と、気持ちとで、私は少しづつ埋まっていく。
 私のぜんぶは、あの人を待つためにあるはずなのに」

俯いて雨を受ける、それは罪を贖う聖者のような、媚を売る物乞いのような、
醜く哀れで、そうしてどうしようもなく目を逸らしがたい、命のありようだった。

「私は生きて変わっていく。世界は私を変えていく。
 仕方ないとわかっていて、避けられないと諦めて。
 だけどそれは、いつか待つことをやめてしまう私を、認めることです」

いつしか少女の手から、透き通る刃が消えていた。
代わりにその白い手指から漏れ出していたのは、どろどろと泡立つ、赤黒く粘つく何かだった。

「だったら、なくしてしまうしかないじゃないですか、世界」

それは月経の血にも似て。
地面に落ちて、世界を汚す。

864アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:51:38 ID:ruXzk7n60
「永遠に逃げ込まなければ、永遠を待ち続けることなんて、できないんですから」

ぐずぐずと泡を吹く赤黒いものが、茜の手の中で新しい刃の形に練り固められていく。
届かぬ何かに伸ばされる老婆の手のような、幾つもの刃を持つ大鎌。
ごつごつと歪み、ぶつぶつと崩れ、ぐらぐらと捻じくれ曲がったそれは里村茜の吐く言葉そのままに、
ひどく醜く、ひどく切実に、血を吐きながら叫ぶように、存在していた。

「……そうやって」

駄々をこねて泣き止まぬ、幼子のような空を仰いでマナが言う。
その手にした剣もまた、茜のそれに対応するように形を変えていた。
少女の細腕には不釣合いな、グロテスクなほど巨大な広刃の直剣。

「そうやって、思い出を濁らせていくの?」

自らの背丈ほどもある深い青の刃を、まるで重さなどないように手首を回して掲げると、
マナがその巨大な刀身を地面に突き立てる。
蒼穹と滄海と、その最も澄み渡る一塊を削り出して剣の形に彫り上げられたような刃が泥濘を抉り、
飛び散った泥がマナと茜とを汚した。

「思い出せる? その人の声を。その人の顔を。その人と過ごした時間を。
 その人のこと、なんだっていいから、あなたはまだ覚えていられている?」

沈黙に色はない。
さらさらと降る雨が、濡れそぼる少女たちを洗い流していく。

「……そうして世界が腐っていくから、永遠の中に留めるしかないんでしょう」

暫しの間を置いて返った回答は、空白と同義。

「腐っていくのは、世界じゃない。……あなただよ、茜さん」
「同じですよ。だから私も世界も、永遠になる」

最早、言葉はなかった。
笑みも、涙も、意志も感情も使命も義務も目的すらもなく、少女たちは自らの刃を掲げる。
そこに生まれるものはなく。
そこに見出されるものはない。
ただ己が生を刃として、観月マナと里村茜は対峙している。

865アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:52:00 ID:ruXzk7n60
最初に雨を裂いて疾ったのは、血色の大鎌だった。
横薙ぎに迫るそれを、海の色の大剣を盾とするように防ぐマナ。
硬質な音と共に鎌が弾かれ、茜が一歩を下がる。
開いた間合いを潰すように、マナが大剣を盾にしたまま駆ける。
チャージの圧力に更に数歩の距離を飛び退った茜を追うように、大剣が今度は下段から競り上がっていく。
常識外の距離から届く巨大な大剣の刃はしかし、単純な一文字の軌跡。
大剣の豪風は恐れず踏み込んだ茜の蜂蜜色の髪を数条だけ舞い散らせるに留まる。
天空へと振り上げられた巨大な青の刃が断頭台の如く下ろされるよりも早く、茜は大鎌を振るう。
マナの空いた横腹を掻き切る軌道。
先刻に似た交錯、だが違うのは少女二人の戦いの意味。
青の少女は躱さず、赤の少女は退かない。
両手で大剣を振り上げたマナが選択したのは叩き下ろす一撃の加速。
体勢を崩すことなく真下へと振るわれる豪剣は互いの刃の間にあった刹那の差を埋める。
直後に響いた鈍い音は、刃の肉を食むそれではない。
茜の肩が、体当たりの形でマナの胸に食い込んだ音である。
頭上から風を巻いて迫る巨刃に、咄嗟に刃を引いた茜が見出した間合いは密着。
一瞬遅れて轟音が辺りを揺るがす。
けく、と息を吐いたマナの振り下ろす大剣が、必殺の勢いを失いながらも慣性に従って大地を抉っていた。
僅かに浮いた小さな身体を、血色の大鎌のごつごつと歪んだ柄が打ち据える。
大きな飾りボタンが一つ、弾けて飛んだ。
泥濘の地面に食い込んだ大剣を握るマナは飛んで転がることもなく、代わりに第二撃をその身に受ける。
野球のバットを振るような横殴りの打撃が、マナの腹部を直撃していた。
臓腑を潰すような一撃に、今度こそマナが吹き飛ぶ。
その手から離れた大剣が無数の光の粒になって消えた。
数歩分の距離を飛び、大地に叩きつけられたマナが泥濘の中を転がる。
咳き込みながら膝をついて跳ね起きたその全身は見る影もなく泥に塗れ、しかしその瞳の光は消えていない。
追撃に迫る血色の大鎌の、大気を縦に断ち割るような斬撃を見据えるマナの手に、再び青が宿る。
一瞬の後、その手には蒼穹の大剣が握られていた。
少女の細腕が、その背丈をすっぽりと隠すような幅広の大剣を片手で操る。
重く低く響く、鐘のような音の波。
下からの斬り上げが、赤の大鎌を受け止めていた。
がちりと噛み合った刃を、そのまま弾くように力を込める。
押し込む茜と押し返すマナ。
体重をかける茜の革靴が、マナのついた片膝が、滑りやすい地面の泥をぐねりと歪ませ、
しかし勝ったのは下、重心の低いマナの圧力だった。
跳ね上げられる大鎌。
かち上げられる大剣。
手応えはない。
勢いに逆らわず飛び退った茜を睨みながらマナが立ち上がる。

866アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:52:24 ID:ruXzk7n60
顔に張りつく泥を拭うその手の甲も泥に塗れていて、マナの表情を彩る黄土色の縞模様は雨に崩れて醜い。
口の中には砂の味。
無造作に吐き出した唾が顎に垂れたのを、もう一度拭う。
見据える先では、豊かな蜂蜜色の髪を雨にべっとりと濡らした少女が泥に塗れて醜い。
奇怪な血の色の大鎌を腰溜めにした瞳に色はなく。
きっとそれが、里村茜という少女だ。
ならば雨の中、泥に塗れ、己が意志も持たず。
どこかの誰かに託された想いと生とを剣として支えに立つ自分は、観月マナだ。

「―――ッ!」

少女二人に声はなく。
同時に上げたそれは正しく、咆哮だった。

誇れ、何にも拠らず立つことを。
誇れ、世界を殺す感傷を。

泥を跳ね上げ、雨を切り割って駆ける少女が、激突する。
ぶつかり合う刃が、何度も何度も音を立てる。
弾き、弾かれ、互いを断ち割らんと振るわれる刃が雨の中、少しづつ光に還っていく。
咆哮と、雨音と、刃の弾ける硬質な音とが小さな空き地を覆い、
蒼穹と滄海と、人の見る世界の拡がりの色が、
薄暮と灯火と、人の中に流れている命の色が、
少女たちを包み込んでいく。

互いの刃が、互いの刃を削り。
削り、削り、削り、折れ、砕け、散り、光に還り。
やがて細い刃だけを残して少女たちの手には何もなくなっても。
それでも少女は牙を止めない。

か細い刃を、後ろ盾のない想いを。
ただ、ぶつけ合う。

きらきらと輝く音と、さらさらと流れる光の中。
背負うものすらも忘れた、闘争の果て。

「―――」
「―――」

青の剣が、赤の少女を貫き通し。
赤の刃が、青の少女を貫き通し。

ゆっくりと、ゆっくりと。
倒れ伏す、少女二人の外側で。
雨の空き地が、割れ、砕けた。


 
******

867アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:53:16 ID:ruXzk7n60
 
 
そこは広い岩窟だった。
静謐の中、照らす灯火も既に消え、闇だけがその空間を満たしていた。

動くものは何もない。
闇の底に沈んだ岩窟には、微かな息遣いも、ほんの僅かな温もりも、存在してはいなかった。
風すらも吹かぬ、悠久を闇に沈んであり続けるかのような岩窟に揺らぎが生じたのは、
ならばそれが何時のことであったのか、判然としない。

判然とはしなかったが、しかしそこに現れたものがあった。
生まれたのは、光である。
真円に近い光の球が、いつの間にか闇の中に漂っていた。

奇妙な光球だった。
自ら輝きを放ちながら、しかし闇を照らさない。
ただ光として在り、しかし闇を侵さないそれが、唐突に、二つに割れた。
割れた二つの光球が、次第にその色を変えていく。

何も照らさぬ、透き通るような青と。
何も照らさぬ、透き通るような赤と。

互いの周りをくるくると回る青と赤の光球は、耳を澄ませば微かな音を立てて震えていた。
きらきらと光る薄い翅の揺れるような、ほんの僅かな音。
それはどこか、遠い国の言葉のようでもあった。

「―――」

「―――」

囁き合うような光球は、互いの周りを回りながらその速度を増していく。
二つの光球がやがて視認できないほどに加速し、回りまわる赤と青が、闇を照らさぬ二色の光が絡み、
融け合い、やがて赤と青という色の境目をなくした、その刹那。
音が、爆ぜた。

光球の立てていた微かな音とは明らかに異質な硬い音が、幾つも連鎖する。
それは、洞窟を構成する岩盤に、無数の罅が入っていく音だった。
崩落。岩窟が、崩壊していく。
轟音と共に土埃が立ち昇る。
巨大な岩盤が、大小無数の欠片になって崩れ落ちていく。

闇の中、闇を照らさぬ光は、崩落する岩盤に包まれてもう見えない。
砕けて落ちる岩窟の中、微かな息遣いも、ほんの僅かな温もりも、既にない。
声はもう聞こえない。





「―――」

「―――」





声はもう、聞こえない。




 
******

868アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:53:30 ID:ruXzk7n60
 


否。


 
******

869アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:53:43 ID:ruXzk7n60
 


「―――ねえ、世界って―――」


 
******

870アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:54:09 ID:ruXzk7n60
 

藤田浩之がその声を聞いたのは、七瀬彰と名も知らぬ触手の男を埋葬し、その墓に手を合わせた、
正にその時である。
どこからか響くようなその声に戸惑ったように顔を上げた浩之が、柳川祐也と顔を見合わせ、
ふと微笑んで、首を振る。
声は、短い問いだった。
ほんの小さな、ひどく身近な、単純で深遠な、小さな問い。
確かな答えは、見交わした視線の中にあった。

静かに口を開いた浩之の、その眼差しに迷いなく。

「んなこと、ねえよ―――たまにかったりいけど、な」

その声音に揺らぎなく、応える。
浩之の言葉をどう受け止めたのか。
声は、それきり聞こえなかった。

「なあ、今のって……」

目を見交わした柳川が、意を汲んだように頷く。
どこからともなく響く、怪しくも不思議な声。
それがどこかで聞いたことのある声であるように、浩之には思えたのだった。
首肯する柳川の、優しげな眼の光に浩之が確信する。
それは、傷ついた二人を癒し、護り、そして勝利へと導いた、青い光を纏う歌。
誰ひとりとして歌わぬ、だが誰の耳にも聴こえた、あの歌声に似ていた。


 
******

871アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:54:28 ID:ruXzk7n60
 

「え……?」

どくん、と震えたのは心臓ではない。
辺りを見回した春原陽平が、無意識の内に撫でていたのは下腹である。

「そんなのわかんない、けど……」

何かに背中を押されるように、声が出た。
木漏れ日の眩しい林道の中、さわさわとざわめく梢の音に混じって聞こえたのは、ほんの短い問い。
まるで空に融けるような声にも、春原は不思議と恐怖を感じなかった。
それはとても懐かしく、同時にひどく近いどこかから聞こえてくる声のように、春原には感じられていた。

「わかんないけど……少なくとも、退屈はしてない……かな?」

ざあ、と。
ひと際強い風に木々が揺れた、その時にはもう、声は消えていた。

「……ちょっと! ついてくるならさっさとしなさいよ、まったく!」

代わりに聞こえてきたのは怒声のような響き。
慌てて駆け出した春原陽平の、その片手で押さえた下腹に宿った小さな光は、誰の目に留まることもなかった。
青い、青い光が、風に舞い上がるように立ち昇り、梢の向こうへと消えていったのに、気付いた者はいない。


 
******

872アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:54:55 ID:ruXzk7n60
 

崩れ落ちる岩窟の中、凛と光るものがある。
闇を照らす光が、闇を照らさぬ赤と青の光を圧して、そこにあった。

「―――ねえ―――」

光が、声を放つ。

「―――ねえ、世界って、そんなに、つまらない?―――」

声は響く。
世界に響く。

問いに気付く者は僅か。
問いに答える者は僅か。

それでも、答えはあった。
その問いに応える者は確かに、存在していた。


***


そうして青が、闇を照らさぬ光の片方が、応える。

「―――私には、好きな人がいるんだ。私たちはずっと、何かを愛していくんだ。
 それが、答えだよ」

その応えはどこまでも驕慢で誇り高く、享楽に塗れ放埓に過ぎ、
同時にひどく、満たされていた。
少女と呼ばれる者たちの、それは輝く日々だった。


そうして赤が、闇を照らさぬ光の片方が、応える。

「―――いいえ、いいえ。確かにままならず、確かに愚かしく、確かに脆弱で、取るに足らず。
 それでも、素晴らしいものも、ほんの少しだけ、ありました」

その応えはどこまでも不遜で計算高く、意気地なく哀切に満ち、
同時にひどく、鮮やかだった。
少女と呼ばれる者たちの、それは小さな牙だった。


***


応えは返る。
世界に響く。

「―――そう―――」

光が、その眩さを増していく。
赤が呑まれ、青が融け、光が膨張する。

「―――なら、僕は―――」

轟音を圧し、崩落を圧して、
光が瞬き、そして。

「―――生まれたいと、思う―――」


 
******

873アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:55:12 ID:ruXzk7n60
 


岩窟に、光が満ちた。


 
******

874アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:55:22 ID:ruXzk7n60
 


さわ、と。
鼻先を撫でる潮風に、ゆっくりと開かれた観月マナの目に映ったのは、ひどく遠い、蒼穹の青だった。

岩窟はなく、それを満たす光もなく。
ただ、澄み渡る空だけがあった。

日輪が、輝いていた。

875アイニミチル (終幕):2008/07/26(土) 16:55:41 ID:ruXzk7n60

 
【時間:???】

【場所:B−2海岸】
観月マナ
 【状態:生存、エピローグへ】

【場所:???】
里村茜
 【状態:不明】


【時間:2日目午前11時半すぎ】

【場所:C−3 鎌石村】
藤田浩之
 【状態:生存、エピローグへ】
柳川祐也
 【状態:軽傷、エピローグへ】

【場所:G−5】
長岡志保
 【状態:異能】
春原陽平
 【状態:妊娠】


【時間:???】
【場所:???】
???
 【状態:決意】

→921 938 998 ルートD-5

876霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:11:17 ID:cXyYwh360
 ぽつぽつ、と鈍色の空からは雫が降り注いでいた。
 どんよりと立ち込めている暗雲はまだ姿を見せているはずの太陽を遮り、夜の帳を早めている。
 まだそんなに雨粒の数は多くない。
 今からすることの障害にはならないだろう、と前髪につく水滴を払いつつ、国崎往人は川澄舞の姿を待っていた。

 「少しやることがあるから、待って欲しい」と言ったきり、かれこれ10分が経過しようとしている。
 一体何をやっているのだか、と疑問に思いながら手持ち無沙汰に護身用の投げナイフを弄ぶ。
 まさか、未だに自殺を考えている……ということはないだろう。
 寄り添っている間に感じた安堵の雰囲気は、間違いなく本物だ。
 これからどうしていくかについては結局、明瞭な返答は得られないままだったが生きていくという意志は見える。
 過程が見えていないだけだ。なら、それはじっくりと探していけばいい。
 その間の手伝いくらいはしてやろう、そこまで考えて、今までの自分なら考えもしなかっただろうなと思い、往人は苦笑する。

 母さん、俺は今度こそ間違えずにいられると思う。
 ……この姿を、見せたかったな。

 記憶の片隅にしかなく、顔もぼんやりとしか思い出せない母親の輪郭を空に見ながら、往人は目を細める。
 まだ家族を思うほどには情が残っている。
 人らしさが残っていることに安心感を覚えながらそろそろ呼びに行こうか、と思ったとき、タイミングよく舞が玄関をくぐって出てくる。
 噂をすれば……ではないか。

 何をしていたんだと尋ねようとして、舞の手に小さな箱が納まっていることに気付く。
 荷物の整理をしていたときにはなかったものだ。往人はまずそちらに興味を移し、それが何かと尋ねる。

「マッチ」
「……今時、まだそんなものがあるんだな」

 簡素に答えて、舞は抱えていたデイパックを地面に置き、マッチ箱だけを手に持った。濡れないように手のひらで隠しながら。
 何に使おうとしているのかはすぐに察しがついた。
 雨粒の匂いに紛れて漂ってくる刺激臭。どこか硬い舞の表情。
 それを止める気はなかったが、確認する意味も込めて往人は問いかける。

877霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:11:42 ID:cXyYwh360
「いいのか」
「……構わない。これが、私なりの結論だから」

 その声は諦観ではなく、決意のようなものがあった。
 そうか、と答えて往人はそれ以上何も言わなかった。
 けじめだと言うのなら、手を差し伸べる必要はない。
 一歩身を引いて舞のするがままにさせることにした。

 同時、シュッと軽い音がして暗くなりつつある平瀬村に一つ、小さな灯りが燈る。
 煌々と瞬く光は儚く、今にも消えてなくなりそうに見えたが、しっかりとした炎を纏っていた。燻らない強さがあった。
 しばらく舞はそれを見つめ、やがて意を決したように火を民家の中に投げ込んだ。
 途端、轟と凄まじい炎の波が膨れ上がり数瞬の間に民家を駆け巡る。

 壁材が灼熱に溶かされ、化学繊維がパチパチと悲鳴を上げ、木材が崩れ往く。
 実際には民家の全身が炎に包まれるまでは何分かの時間を要しただろうが、往人にはひどく短い時間のように思えた。
 まるで炎はこの時を待っていたかのように踊り狂い、紅蓮のコーディネイトを施していく。
 熱気に押し上げられた大気は風となり、焼けて脆くなった部分を吹き飛ばす。
 既に燃え尽きて灰になった一部が雨だというのに宙を舞い、鈍色から漆黒へと変わりつつある空へ同化してゆく。
 火は勢い益々盛んに全てを焼き尽し、所々でガラスが割れはじめる音が響きだした。

 死者の悲鳴だとは思わなかった。現場にも立ち会ってない自分が思うのはあまりに勝手かもしれないが……
 だがそれでも生き延びろ、生き延びろと声を張り上げているように往人は感じたのだ。

 轟、と風が凪いだ。
 ギリギリと民家が音を立て、僅かにその姿を変え始める。墓になろうとしているのだ。
 なおも強くなる熱風は雨などものともしていないかのように二人を撫で付ける。
 行け、もう自分達は使命を果たしたのだと、背中を押すように。

878霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:12:03 ID:cXyYwh360
「……まだ、やる事があるな」

 もう少し待ってくれ、と心中で笑いながら往人は腕を捲くり、ナイフを逆手に持って刃をむき出しになった腕へと向ける。
 あれが舞の決別なのだとしたら、これが俺のやり方だ。
 ぐっ、と深く切り過ぎないように力を篭めて、往人はナイフを押し付ける。

「往人? 何を……」
「大丈夫だ、リストカットなんかじゃない」

 その様子を見た舞が慌てたように止めようとするが、言葉で制し、僅かに苦痛と流れ出る血を感じながら続ける。
 それでも不安なのか、心配そうに見つめる舞を横目に見つつ、往人は一文字ずつ言葉を刻んでいく。

 『Don't forget』

 ……これくらいの英語は知っている。多分スペルミスもないはず。……多分。
 ともかく、これが往人なりのけじめのつけ方だった。
 忘れない。事実を事実として受け止め、その上で進んでいくしかない。
 逃げない。逃げるわけにはいかない。そんな意味も篭めて。
 雨と混じった血が赤い河となって流れて行くのを眺めながら、往人は捲くっていた袖を元に戻した。

「……」
「どうした?」

 もの言いたげな視線を寄越す舞に、往人はなんの気はなしに尋ねてみる。
 反応して、舞は口を開きかけたが何か思うところがあったのか、少し逡巡して何でもない、という風に首を振った。
 表情に変化が少ないため何を考えていたかは読み取れなかったが、バカにしていたわけではないだろう。
 ということは、スペルミスはないな。文法ミスもなさそうだ。
 そんなくだらないことでホッと心中でため息をつき、本当に何も言わないのを確認して、行こうと促す。

879霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:12:25 ID:cXyYwh360
「あ、待って」
「今度は何だ?」
「気付いた。荷物の整理をしていない」
「……そう言えば、そうだ」

 家を出る前にやっておくべきだったことを、どうして今まで気付かなかったのか。
 色々あったから仕方がなかったとはいえ、肝心な所をボケすぎだろう俺、と往人は嘆息する。
 だが今更何を言ってもどうにもなりはしない。さっさと行動に移して要領よくやるべきだ。

「一旦全部出すか……確か、六人分はあったな」

 言いながら、持ってきたデイパックを次々と開けて中身を取り出していく。
 流石に、とでも言うべきか六人分もあれば武器の量も多く加えて高性能なものが揃っている。
 軽く武器庫状態だな、と思う一方、それだけの命の重みを抱えているのだとも実感する。

 ともかく、種類は豊富だった。
 銃だけでもショットガン(レミントンM870)、拳銃(SIG P232、ワルサーP38)が二丁、鉄扇、トンカチ、フライパン、カッターナイフ、投げナイフが四本。……と、謎のスイッチが一つ。
 レミントンに関しては予備弾薬は十分であるが、他の二丁の拳銃はほぼ残弾が皆無であることが判明した。
 往人の手持ちの38口径弾は転用できるかどうか分からないので、それなりに詳しい人間に出会えるまでこのままにしておこう、ということで結論を得た。
 謎のスイッチであるが、全く以って謎の代物であり、説明書を見ても何が何やらという調子で下手に使うのも躊躇われた。
 見る限りでは無線機のような形状であり、恐らく電波か何かを送信するのであろうアンテナが見受けられるが、やはり見渡しても何も分からない。
 かと言って壊すのも勿体無い気がしたので、これも保留。
 残りは白兵戦に用いる近接武器、と分配を考えようとしたときだった。

 燻る雨と煙の向こう、泥のように濁った気配が霧の中に出現した幽鬼の如く立ち込める。

「……」

 耳を凝らさなければ聞こえないくらいの掠れた声が湿った大気に伝わったと同時、往人は無用心だった、と舌打ちし……
 電撃的に舞の腕を引っ張り、身体を手繰り寄せる。
 その空間を、雨の冷たさよりも冷酷に、ボウガンの矢が潜り抜けていった。

880霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:12:42 ID:cXyYwh360
 考えてみれば、轟々と火を上げ続ける民家が目印にならないわけがなかったのだ。
 周囲が暗さを増しつつあるなら、尚更。
 迂闊だったと己の注意不足を恥じつつ、集中を取り戻した舞が地面に置いていた日本刀を手に取り、すっ、と構えるのを横目にしながら、往人もコルトガバメントカスタムを向ける。
 互いの距離は約10メートル前後。
 地面のコンディションは劣悪という程ではない。濡れた草などに足を取られないようにすれば、問題はない。
 その判断を三秒足らずで下し、眼前に迎える敵の姿を見る。

 小柄な少女だった。
 ただ、その格好はスクール水着に制服と、この島には似つかわしくないような異様さを放っている。
 だがそれより、何より異常だったのは……

「何で避けるんだよっ、なんでっ、なんで、なんで……っ!」

 ――雰囲気。
 何かに取り付かれたかのような、余裕のない瞳。
 執拗なまでに向けられる獰猛で、我侭な殺意。
 暗く水底に沈んだかのような、虚ろな叫びを上げて。
 朝霧麻亜子が、歯を噛み締めて、ボウガンを持ち上げた。

     *     *     *

 何かが、音を立てて崩れ落ちていくのがはっきりと自分でも感じ取れた。
 目の前が真っ白になる……その表現が、間違いだと分かった。
 虚無だ。白ではなく、そこは無に満ちていた。
 自分の存在すら感じられないくらいに、人事不省になるのではないかといっても差し支えない足取りで、朝霧麻亜子はよろよろと歩く。
 どん、と壁に身体が当たって、はじめてそこに自分の身体があったのだと認識するほどに、麻亜子は何も考えられなくなっていた。

881霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:13:02 ID:cXyYwh360
「嘘だ……こんなの、冗談だろ……?」

 否定する声は、思ったよりも白々しく感じられた。
 用意された台詞を喋っただけの、空虚で中身のない声。
 あるいは――放送で死んだと伝えられた、久寿川ささらと河野貴明の一件を受け入れようとしている、自分の頭に対して言ったものかもしれなかった。
 そして、そのことは麻亜子が完全なる『殺人鬼』へと変貌したことをも証明している。

「違う、違う違うちがう! あたしはっ、そんなことのために殺してなんかない!」

 誰も問いかける者もいないのに、麻亜子は必死に、髪を振り乱す勢いで反論する。
 だが、聞こえる声は止まらない。

 お前はもう、殺人を愉しむ餓鬼なんだ。人の悲鳴を好み、戦いと憎悪を快楽とする阿修羅なんだと、囁き続ける。
 受け入れろよ。お前の目的は友達を救うことじゃない、血を啜りたいだけなのだろう?

 ……狂ってる。何もかも。

 そんな押し問答を繰り返す自分が、残酷に奪っていくこの世界が、
 親友だった二人の死を、悲しみもしない、心が。
 一番信じられないことだった。
 どんなことがあっても大切にしようと、守り通そうとしてきたはずなのに、大好きだったのに、涙の一滴も流していない。
 人を殺し続けた結果が、これだと言うのか。

 『冗談だろ?』

 この一言に、全てが詰まっていた。
 あらゆる事が冗談としか思えない出来事。
 変わってしまった自分、変えられない現実、変えられぬ過去……
 紛れもない真実であり、空想のような事実。
 これで、ここから、どうしていけばいいのだろう。

882霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:13:27 ID:cXyYwh360
 夢の続きだった。
 境目のない虚無を歩き、殺しを肯定する自分と、否定する自分に喘ぎ、出せぬ結論に苦しむ。

「……いや、まだだ、まだ方法はある……」

 放送の内容は、辛うじて覚えている。
 いや、覚えていなければならないという意思が、優勝しなければならないという意思が働いていたからなのかもしれない。
 どちらでも良かった。問題は、残り人数のみ。
 二人まで生き残れることも、二人とも願いを叶えて貰えることも、生きて欲しいと願った二人がいなくなった瞬間から、意味を為さない。
 全く因果なものだ。これを仕組んだのが運命だというのなら、その運命をズタズタに引き裂いてやりたいところだった。

 乾いた笑いを上げながら、麻亜子は指折り、生存者数が30人強にまで減っていると認識する。
 残りはそれだけ。それだけ殺せばいい。
 骨が折れ、肉が千切れ、悪鬼羅刹に身をやつそうとも、一人残らず屍に変える。
 どうせそう望まれているのなら、そうしてやろうではないか。
 誰かが哂う。主催者が、恐らくはいるはずであろうこの殺し合いの協賛者も。
 結構。掌で弄ばれようが、それでもやり遂げねばならないことがある。
 邪魔する人間は全て皆殺し。
 許しを請い、慈悲を願い、額を地面に擦り付けて涙を流し生を懇願しようが、冷酷に切り捨てるのみ。
 今まですら甘すぎた。
 既に救いは無い。求められるはずも、手が差し伸べられるわけも無い。

 残された手段はただ一つ。
 地獄へ自ら堕ち、宝物を奪い、蜘蛛の糸を辿り戻ってくるしかない。
 即ち――優勝して、二人を生き返らせてもらうこと。
 これさえ叶えられれば、たとえその後自分が死んだとしても、想像を絶する苦痛に苛まれ、陵辱されたとしても構わない。

883霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:13:49 ID:cXyYwh360
 もうそれしか……それしか、麻亜子には考えられなかった。
 それ以外に、どうしていいか分からなかった。
 心すら、今は煩わしい。
 こんなにも苦しいのならば、悲しいのならば、感情などいらない。そう思うくらいに。
 それでもやらなければならない。麻亜子がやらなければ……一体誰がかつての日々を取り戻してくれるというのか。
 当たり前のようにあったあの日常は、最早麻亜子にしか取り戻せなかった。

 何も考えるな。機械になれ。もう、物思いに耽るのはここまでだ。
 決意しても尚、麻亜子の中にある何かが悲鳴を上げ、軋みを立てて痛みを訴えようとする。
 後悔しているのだろうか。こんなことになってしまったことを、今更、今更、今更……
 そう、今更だ。だから、こうやって方法を模索し、皆殺しにして願いを叶えて貰うという選択に行き着いた。

「……よし」

 それ以上黙っていれば、また何か考えてしまいそうな気がしてそれで締めくくることにした。
 今までだってそうだった。言葉は道化だ。
 何かを考えないようにするには、全てを遮り、喋り続けているのがいい。
 そうすれば、何も聞こえない。

「さぁて、行きましょうかね、無限の彼方へー! ……っとと、その前に持ち物の確認か。冒険する前の準備はRPGの常識だよねー」

 戦闘続きでデイパックの中身は久しく確認していない。
 それにしては戦利品が少ないのを懸念しつつ、麻亜子は鼻歌交じりに荷物を確認する。

「ふんふん、黒くて太くて硬いものと、先端が尖ってて硬いものと、勢い良く発射するやつか」

 誰かが盗み聞きしていれば間違いなくある種の誤解を招きそうな事を(本人は確信犯的に言っていたが)喋りながら、ボウガンの矢数はまだそれなりに残っていることに安堵する。
 元々大量に支給されていたのと、モッタイナイ精神の元拾えるものがあれば拾い集めていたので、矢の残りは36本。
 デザート・イーグルは強力無比ではあるものの残り弾数があまりにも少なすぎる。
 柏木耕一のような化け物相手でもない限り使わない方が無難だろう。
 となると、ボウガンで狙い撃ちしつつ近距離に入り込まれたらナイフで応戦するのが基本戦術となる。
 結局、新しい武器を手に入れるまではいつも通りか。

884霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:14:19 ID:cXyYwh360
 制服のポケットにナイフを入れ、ボウガンを手に持ち、麻亜子は新たなる戦いへと赴く。

「……大丈夫、あたしはまだ、大丈夫。忘れてないから、だから、待ってて、さーりゃん、たかりゃん」

 その二人の名前が心に圧し掛かるのを無視して、麻亜子は家の玄関を開けた。

「さよなら」

     *     *     *

 麻亜子が往人と舞を発見したのは、それからすぐのことだった。
 雨に濡れた大気の中に浮かぶ、薄紅色の景色と風に運ばれてやってくる、焼け焦げる匂い。
 何かを燃やしているな、と判断した麻亜子はすぐにそちらに向かうことにした。
 まだ炎が燃え盛っているなら、人がいるのではないか。そう思って。

 この予測自体は正しかった。
 気配を殺しながら、慎重に足を進めた先には二人の男女がいた。
 何をやっているのか、雨が降っているというのに荷物の確認をし合っていた。
 恐らく、家に火をつける前に確認するのを怠っていたのだろう。

 間抜けだ、と息を漏らし、一思いに殺してやろうとボウガンを持ち上げる。
 犠牲者、第四号と五号だ。
 連射こそできないボウガンだが、音もなく一撃必殺の矢を放てるのは最大の利点。
 相方がいきなり倒れ、動かなくなれば間違いなくもう一人も動揺する。後はそこに矢を撃ち込めばいい。
 狙いをつけようと目を凝らし、対象を捉えようとした麻亜子だが……それが一つの物体を目にする結果になった。

「あれ……は……?」

885霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:14:44 ID:cXyYwh360
 男が持ち上げた、見覚えのある扇子。見紛うはずがない。何故なら、あれは麻亜子が実際に使っていた、鉄扇なのだから。
 瞬間的に、麻亜子が記憶を手繰り寄せる。

 あれを持っていたのは誰だったか。
 学校でのいざこざがあったときに奪われたはず。
 誰に?
 たかりゃんの近くにいた、仲間っぽいツインテの女の子。
 そして、たかりゃんの近くにはさーりゃんもいた。
 逃げたあたし。
 追っていたたかりゃんとさーりゃん。
 燃え盛る家。
 その前で、あいつらの持ち物だった荷物を持って何か確認し合う二人組。

 事実が過去と繋ぎ合わさり、一つの推測を生み出す。
 まさか、たかりゃんとさーりゃんを殺したのは、あの、二人?
 状況証拠があまりにも揃いすぎていた。
 冷静だったはずの頭が、どんどん熱を帯びて思考を一元化させる。封じ込めていたはずの余計な思考が入り込む。

886霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:15:04 ID:cXyYwh360
 あいつらが、あいつらが……殺した……

 『だが、逃げたのはアンタだ』

 あれはっ……あの時は……仕方なく……

 『アンタさえ逃げなきゃ、二人は死ぬことはなかったんだ』

 逃げてなんかない! 殺したのはあいつらだ!

 『そうだとしてもその要因を作ったのも、アンタ』

 違う! 違う違う違う!

 『さーりゃんとたかりゃんを殺したのは、アンタなんだよ。まーりゃん』

 違うっ……そんなこと、あるもんかぁっ!

「……っ!!!」
 流れ込んでくる声を黙らせるかの如く遮二無二ボウガンを振り上げ、半ばいい加減に狙いをつける麻亜子。
 それがいけなかった。
 気付かないはずだった男――国崎往人――が気配に気付き、相方の女――川澄舞――の手を引っ張り、ボウガンの射線から退いた。
 空しく外れた矢は、麻亜子の空回りする思いを示しているかのようで。

「何で避けるんだよっ、なんでっ、なんで、なんで……っ!」
 思い通りにいかないのを、苛立ち、駄々をこねる子供のように叫び、矢を再装填する麻亜子。
「当たってよっ! アンタ達が、アンタ達がいるからっ!」

 何に対して怒っているのかも自身ですら分からぬまま、再度舞の方へと向けて矢を発射する。
 だが先程と違い十分に集中を保っている舞は射線を読み切り、僅かに横に動き、二発目の矢も回避する。
 そのまま刀を構え、突進してくる舞の、予想以上のスピードに麻亜子は反応が遅れた。
 三度目の装填は許されない。ボウガン本体を刀の鍔で押し飛ばされ、高々と放物線を描いて麻亜子に後ろに落下する。

887霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:15:21 ID:cXyYwh360
「……っ! どうして……! そうなんだよっ!」

 サバイバルナイフを抜くと、懐目掛けて斬りつけようとする麻亜子だが、冷静に一歩引きそれを刀で弾いた舞に阻まれる。
 めげずに幾度と無く振るうが、舞は元々夜の学校で剣を振るい、正体不明の魔物と対峙してきた、白兵戦における実力者でもあった。
 卑怯の女神とあだ名され、その神懸り的な知略と小柄を利用した運動能力を誇る麻亜子でも、その道の達人には及ばない。
 加えて、今の麻亜子からは冷静さも欠けていた。
 そもそも冷静であるなら今の時点で実力者に真っ向から勝負を挑むのは無策かつ無謀だと悟り、敵を出し抜く術を考えていたところだろう。
 それどころか当たらない攻撃にますます焦り、無闇矢鱈に攻撃を繰り返す始末であった。
 まるで、目の前の舞ではなく、その先の見えない何かを追い払っているかのように。

「あなた……?」
「五月蝿い! 黙れ! 喋るなっ! ここからいなくなれ!」

 様子がおかしいと気付いたのは、舞だけではなく、往人もだった。
 遮二無二攻撃を繰り返し、目の前を倒す事しか考えていないかのような行動。
 何かを否定するかのように大声を張り上げ、側面に回ってガバメントカスタムを構えている往人にも気付かない。
 明らかに精彩を欠きすぎている行動から、却って何か策ではないのかと疑わせるくらい、麻亜子の状態は異常だった。

「アンタ達のせいで、死んだんだろ!? さーりゃんとたかりゃんは!」
「さーりゃん……? あなた、まさか」

 その呼び名に聞き覚えのあった舞が少し動転し、僅かに動きが止まる。
 間隙をついて振るわれたナイフの刃が、舞の腕を浅く裂く。
 痺れるような痛みに顔を顰め、舞が大きく飛び退く。

「舞っ!」
「大丈夫、大したことない」

888霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:15:43 ID:cXyYwh360
 叫ぶ往人を手で制し、任せて欲しいと視線で訴える。
 その瞳の色に説得され、往人は追撃していく麻亜子の姿を見る。

 あいつ……いや、今は舞に任せよう。下手に手を出すと、取戻しがつかなくなってしまうかもしれない。
 ガバメントカスタムはいつの間にか下がり、代わって、仕舞っていた風子のスペツナズナイフの柄を握る。
 頼む。上手くいくように、お前も力を貸してくれ。

 往人はそう願いながら、二人の姿を見つめることに集中した。
 願いの先では――川澄舞が、両手に刀を持ち直しながら、朝霧麻亜子に話しかける。

「……まーりゃん先輩、というのは、あなた?」
「……やっぱり、殺したんだ。そうだよ、あたしがまーりゃん。でもそんなのどうでもいいよ、さっさと死んでって、言ってるだろ!」

 再び振るわれる刃を、今度は動揺せずに受け止める。
 相手が分かった以上、舞にもう迷いはなかった。
 今の舞の命を繋いでくれた、まーりゃんの後輩の少年。
 頼む。無念と共に紡ぎだされた言葉が今も舞には重く圧し掛かっている。
 けれども、それに潰されるわけにはいかない。

 後を任されたのだから。それに応える。それが私の、信頼の証だから。

 力で薙ぎ倒そうとする麻亜子の刃を真正面から受けながら、舞が言葉を返す。

「殺してなんかいない。それに、私は貴明から後を任された……あなたを止めてほしい、って」
「な……嘘を……分かったような事を言うなよっ! 白々しい……事をっ!」
「――だったら、どうしてそんなに怯えているの?」
「……っ!?」

 驚いたように、麻亜子の目が見開かれる。思ってもみなかった一言に虚を突かれ、動きが止まる。
 舞はそれを隙と見、ナイフも弾いて戦力を奪おうとする。
 だが硬直は一瞬。正気を取り戻して身を引いた麻亜子の前を振り上げられた刀身が駆け抜ける。

889霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:16:03 ID:cXyYwh360
「怯えて……? あたしに怖いものなんかあるもんか。仮にアンタが言ってた事が本当だとして、やることは変わらない。あたしが勝って取り戻すんだから、全部を」
「……何を、取り戻せるって言うの?」

 今度は、応えなかった。今度は無言。知らん振りを決め込むように言葉の追随を許さず、ナイフを振り込む。
 その居直りを、舞は許さない。今度は舞が踏み込み、当身するように麻亜子に突進する。
 同じ女性であるが、体格差は無視できない。力を抑えきれず、受け止めたはずの刀が徐々に押してくる。
 だが麻亜子は前蹴りで切り返し、若干バランスを崩した舞から即座に距離を取る。逃げるように。

「死んだ人は、戻ってこない。どんなに強く思っても、どんなに必死に切望したとしても……」
「知ってるよ……でも、でも! それでもあたしは信じるしかない! あたしが信じなきゃ、誰が取り戻してくれるって言うの!? 二人の居場所を!」

 戦いは、次第に白兵戦から舌戦へと変貌してゆく。
 無骨な刃物同士が火花を散らし、甲高い音を鳴らすのはなりを潜め、代わりに人間同士が織り成す感情の渦が場を支配していく。
 鍔迫り合いは大きく言葉がぶつかり合う瞬間。

 互いが互いを否定し合う。
 一方は頑なに自らの目標に拘泥し。
 一方は使命感と、信頼に応えるために。

「アンタは何も分かってないんだよ! 大切な人を失う哀しさが、あたしが想う気持ちが!
 さーりゃんとたかりゃんはこんなところで死ぬべき子たちじゃなかった!」
「貴女だけじゃない……! 私も、往人だって大切な人を亡くした! 何よりも大事にしたいひとを助けられなかった!
 どんなに苦しんで、苦しんで、辛くなっても絶対に守りたかったのに、出来なかった!」

 舞の中で、親友の姿が思い出される。
 どんなに辛いときでも、苦しいときでもそのひとがいたから頑張れた。立ち上がる事が出来た。
 ずっとずっと、守り通していきたかったのに。
 そうする事は叶わず、そればかりか仲間の死を呆然と見つめているだけで、生き恥を晒し。
 だが……

890霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:16:21 ID:cXyYwh360
「貴明も、ささらもきっと同じだった! 助けたい人がいるはずなのに、どうしようもなくて、
 それでも逃げずに最後まで恥ずかしくなく生きようとして、それで死んでいってしまった!
 何が正しいのか、これでいいのかってろくに考える暇もなくて、やれることをやって死ぬしかなかった!
 佐祐理も、観鈴だって……!」

 舞が口にした観鈴、という名に様子を見ていた往人にも何か熱いものが腹の底から湧き出てくる。
 会えなくても、きっと観鈴は健気に笑い、人を一つにまとめようとしていたのかもしれない。
 逢いたい人に会えなくて、それでもまずやれることをやろうとして、それで犠牲となって、或いは庇って、或いは奪われるがままに。
 それは今の往人達も同じだった。
 今のこの生き方が正しいのか。
 ろくに考える暇もなく、それでも生きようとしていた殺し合いの犠牲者のように、懸命に生きていくしかなかった。

「だから、私達がその意思を継がなければいけない……どんなに悲しくても、苦しくても」
「……じゃあ、諦めろって言うの!? 大切なひとを殺されて、踏み躙られて、悔しくないの!?
 どんな手を使ってでも取り戻したいって思わないの!? アンタにとって一番大切なものって、その程度の価値なのかっ!」
「違う」

 舞ではなかった。全く別の方向から聞こえてきた往人の声に、麻亜子は戦闘中であることも忘れてそちらに振り向く。
 その先では往人が、激情を滾らせながら、しっかりとした真摯な目を麻亜子に向けていた。

「俺達は鳥なんだ。血を吐きながら、繰り返し繰り返し苦しみや悲しみ、辛さ、苦しさを乗り越えて飛ぶ鳥だ……!
 その先に救いがなくても、求めていたものが得られなくても、俺達は飛び続けて、空を目指すしかないんだ……!」
「……確かに、悔しい。憎くないわけない。踏み躙られて、どうでもいいわけなんかない。きっと一生忘れられない。
 でも、そうやって生きていくしかない! あの日を取り戻す力なんて、どんなものに縋っても、ないから……!」
「そんなこと……!」

 ない、とは言えなかった。言葉に出して否定することが出来なかった。
 既に知っているから。日常を、つい昨日まであったあの日を完全に取り戻すことなんて不可能だということを。
 けれども、もう麻亜子にはどうしようもなかった。
 どうやって空を飛べばいいのか、分からなかった。

891霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:16:41 ID:cXyYwh360
「でも、他にどうしようもないんだ! どうしろって言うんだよ……! あたし、たかりゃんとさーりゃんに顔向けできないよ……!
 それだけじゃない、それまでに殺してきた人たちも……ここで止めちゃったら、無駄死にじゃんか……!
 何て言えばいいの? どうしたらいいの? あたしには、戻れる場所も、留まれる居場所も、進める所もない!
 なら、無理矢理にでも奪い返すしかないじゃないか! たかりゃんとさーりゃんに、死んでいった人たちに顔向けするにはそうするしかないんだ!
 だから、返してよ……あの二人の居場所を、返してよ!」

 考えることを、二人の言葉を考えることを拒絶し、一声叫ぶと麻亜子はナイフを真正面に突き立て、舞に突進する。
 防御は考えなかった。ただ倒せればいいと考えていた。
 自分でも正しいと思う答えを否定するには、暴力と恐怖で押し潰すしかなかった。

「――そんなの、間違ってる!」

 叫び返したのは舞だった。
 反論するための声ではなく、それは真に心から伝えるための声だった。
 裂帛と共に放たれた刃は、当に神速。
 麻亜子の目はそれを捉えられなかった。
 剣風が突き抜けたかと思えば、キンと小さな音を立ててナイフは宙に飛んでいた。
 麻亜子は敗北を悟る。
 これで完全に空手。
 デザート・イーグルはあるにはあるが、取り出す間に再び弾き飛ばされるのがオチだろう。
 それより、何より……自分は、泣いているのだから。

「……誰も彼もが救われる道なんてない。死んでしまった時点で、救われることも、赦してくれるはずなんてないんだからな……」
「それに、まーりゃんは手段と目的を履き違えてる。……自分が赦されたいがために、殺し続けようとしているだけ……
 私と一緒……自分が赦されたいだけのために、命を絶とうとした。そんなのじゃ、誰も覚えていてはくれないのに」

892霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:03 ID:cXyYwh360
 同じ雰囲気を、舞は感じ取っていた。
 取ろうとした方法は違えど、自己満足がために行動していたのは同じに違いなかった。
 舞は往人がいたからこそ、これ以上の過ちを犯さずに済んだ。
 だから……というには早計かもしれなかったが、麻亜子にもそうなって欲しくなかった。
 まだ、彼女は生きているのだから。

「……でも、もうあたしは一人……それに、もう今更だよ……あたしは、たくさん人を殺して、どうしようも……」
「仲間なら、いる」

 舞が往人を見る。言われるまでもなく、往人はそれに従うつもりだった。
 まだ、自分の足で立って、自身で過酷を受け入れて、それでも歩こうとするなら。
 未だ燻る、熱情の残滓を抱えながら、往人は「ああ」と答えた。

「……いいの? あたしがいたら、殺人鬼の仲間だって、疑われるかもしれないよ……?」

 はらはらと涙を零しながら、確かめるように、けれども自身の負債には巻き込みたくないというように、躊躇いがちに視線を寄越す。
 だが、往人も既に一人を殺害し、舞も穿った見方をすれば、仲間を見殺しにしたと責められても仕方のない状況だった。
 この場にいる誰もが、誰かに責められ、罵られ、突き放される可能性を孕んでいる。
 それでもなお、前に進まねばならない。
 そうする義務があるのだから。

「なに、そのときはそのときだ。俺達も似たようなものだしな。
 ……お前が、逃げずに、死んでいった奴らの命を背負って血を吐きながら飛び続けるというのなら」

893霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:21 ID:cXyYwh360
 言葉の一つ一つが、麻亜子の胸の中に深く染み込んで固まっていく。
 皆が孤独な罪を抱えている。
 だからこそ、人は人と触れ合い、その罪を力を合わせて、何とかしようとする。
 それでどうにもならなくても。
 暴力や恐怖で押し潰そうとする力の倫理は、どこかで破綻する。
 どこかで崩壊する。
 いつかはそれ以上のものに潰されてしまうから。
 故に、お互いがお互いを支え合わなくてはならないのだ。
 力の倫理に屈せず、生き抜くために。

「ほんとう……? あたし、また誰かの近くにいても……」
「うん、だから、安心して」

 雨の中、燃え盛っていた炎は消えようとしていた。
 その全てを、濡れたままのちっぽけな存在たちに託すようにして。
 戦闘のほとぼりが冷め、雨に濡れ冷たくなりつつある身体が、しかし一点だけ暖かく、温もりを放っているのを麻亜子は感じていた。

 ああ、本当は、こうしてもらいたかったのだ。
 誰かにお前のやっていることは間違っていると、頬を叩いてもらいたかったのだ。
 どうして――
 どうして、この思いをあの時、貴明とささらに会ったときに、抱かなかったのだろう。
 結局、逃げたツケが、自業自得が降りかかってきた。
 最初の最初から、もっと自分の声に耳を傾ければよかった。
 自分にやれることは何だったのかと、もう少しでも恥ずかしくない生き方を考えておけばよかった。
 本当の日常は、きっと自分の手の中にあったはずなのに。

 ……だから、生きなければならなかった。
 最後まで恥ずかしくない生き方を、やれることをやって死ぬしかなかった、二人の意思を継ぐために。

894霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:41 ID:cXyYwh360
「――」

 ふっ、と。
 足腰から急激に力が抜け、自分の身体が崩れ落ちていく感触があった。
 同時に、雨の音が遠のき、意識が暗転していくのにも。
 何か口にしようとして、結局叶わぬまま、麻亜子は深い意識の底に沈んでいくことになった。

     *     *     *

「……大丈夫だ、気を失っているだけだろう」
「良かった……」

 ホッと胸を撫で下ろした舞を横目に、往人はどこか安心しきったように目を閉じて穏やかな吐息を立てている麻亜子を見る。
 恐らく、緊張の糸が切れたのだろう。
 言動から窺う限り、相当な無茶をしでかしてきたのだろう。
 服の間から除く細かい擦り傷、切り傷。
 精神的な苦痛だってあっただろう。
 ともかく、このままにしておいては風邪を引く可能性がある。

 当初は相談の結果、舞の仲間であったはずであり、惨劇も目撃していたはずの、今は忽然と姿を消した藤林椋という女の捜索にあたるつもりだった。
 舞が言うには大人しい印象の人物だったそうだが、ただ単に逃げただけとは思えない。
 何か考えあって戻ってこないのか、それとも……
 ともかく、事件に関しては第三者でしかない往人が結論を出すわけにもいかず、事の真相を究明すべく探し出して尋問するつもりだった。

895霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:17:55 ID:cXyYwh360
 ……が、このような荷物を抱えていてはそうもいくまい。
 藤林椋の捜索はもう少し後回しにすることにして、今はこのまーりゃんをどこかで休ませてやることが優先事項だった。
 それに、まともな服を調達してやる必要がある。いくら何でもスクール水着というのはひどい。
 往人は男であったが、別にそれに欲情するほど変態ではないし、未練もない。
 というかそもそも同世代の女性に比べれば明らかに幼児体型である麻亜子にそのような感情を抱くことはありえなかったのだが。
 国崎往人はその意味で健全な男性であった。

「予定変更だ。まずはまた適当に民家を探すことにするか……こいつの新しい服も調達しないとな」

 気を失ったままの麻亜子を背負い、雨の中定まらぬ視界に目を細めながら方針変更を告げる。
 荷物の大半を任された舞であったが、なんという事はないというように平気な顔をして武器だらけのデイパックを背負っている。
 先程の戦闘でも麻亜子が半ば自棄になって攻めてきたとはいえ、それを互角以上に戦う舞の運動能力も相当なものである。
 整った顔と、そんな身体を有する舞の華奢な体つき。
 人は見かけによらないものだ、と往人は改めて思った。

「……?」

 じっと見ていた往人に首を傾げて「何?」と問いかけた舞だったが「なんでもない」というように向きを変えて往人は歩きだした。
 失言が多かった往人は余計なことは極力言わないようにすることにしていたのである。口は災いの元。

 雨は降りはじめたときと変わらず、小ぶりに、しかしひたすらに降り続いていた。
 夜が明けたとき、果たしてそこには青空が広がっているだろうか。
 空を見上げながら歩く往人は、そんなことを思った。

896霧雨ニ響ク鳥ノ詩:2008/07/30(水) 20:18:17 ID:cXyYwh360
【時間:2日目午後20時00分頃】
【場所:G−1】


国崎往人
【所持品:フェイファー ツェリスカ(Pfeifer Zeliska)60口径6kgの大型拳銃 5/5 +予備弾薬5発、パン人形、38口径ダブルアクション式拳銃(コルトガバメントカスタム)(残弾10/10) 予備弾薬57発ホローポイント弾11発、投げナイフ2本、スペツナズナイフの柄、支給品一式(少年、皐月のものを統合)】
【状況:強く生きることを決意。人形劇で誰かを笑わせてあげたいと考えている。まーりゃんの介抱、然る後に椋の捜索。マシンガンの男(七瀬彰)を探し出して殺害する】
【その他:左腕に文字を刻んだ。舞に対して親近感を抱いている(本人に自覚なし)】

川澄舞
【所持品:日本刀・支給品一式】
【状態:同志を探す。往人に付き従って行動。強く生きていたいと考えている。両手に多少怪我(治療済み。支障は全くない)、肩に浅い切り傷】
【その他:往人に対して強い親近感を抱いている】

その他:舞の持ち物(支給品に携帯食が十数個追加されています。)
(武器・道具類一覧)Remington M870(残弾数4/4)、予備弾×17、スイッチ(未だ詳細不明)、トンカチ、カッターナイフ、SIG(P232)残弾数(2/7)、仕込み鉄扇、ワルサー P38(0/8)、フライパン、投げナイフ(残:2本)

朝霧麻亜子
【所持品1:デザート・イーグル .50AE(2/7)、ボウガン(34/36)、バタフライナイフ、支給品一式】
【所持品2:ささらサイズのスクール水着、芳野の支給品一式(パンと水を消費)】
【状態:鎖骨にひびが入っている可能性あり。往人・舞に同行。スク水の上に制服を着ている。気を失っている】

→B-10

897十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:52:08 ID:a9/hciC20
その山は死に包まれている。
無数の骸を積み上げた腰丈ほどの小山がそこかしこに点在し、大地は流れた血を吸い込んで赤黒い。
斬り飛ばされ、吹き飛び、或いは食い千切られて散らばった腕や脚や腹や臓物や眼や耳や歯や舌は
照りつける強い陽射しに乾き始めていた。
大気さえもが血煙に染まり、鉄の臭いの風が蒼穹の青を覆い隠すように立ち込めている。
と、駆け抜ければべっとりと全身を赤褐色の斑模様が汚しそうな、山頂の濃密な死臭を切り裂くように、音がした。

ル、と響く甲高い音。
びりびりと周囲を薙ぐような大音量は、それを発するものの異様を示している。
生まれ落ちたことを悔やみ恨むような、或いは生まれ落ちたことを悦び叫ぶような、
透き通る生命の響きを上げるそれは、裸身の少女である。
だがそれを少女と認識する者は、死に覆われた神塚山の戦いの、数少ない生き残りの中には
誰一人としていなかった。
少女の姿をしたそれを異様たらしめていたのは、先ずもって、そしてただひたすらに、
その桁外れの巨大である。
ル、と哭くそれは、全長にして凡そ三十メートル。
この星の上に生きるあらゆる生物種の中でも最大級の少女は、その凄まじい重量ゆえか、
或いは傾斜する山道の不安定ゆえか、腹這いの格好で北西側の山肌から山頂の台地へと
手をかけるようへばりついていた。
そのぎょろぎょろと辺りを見回す硝子玉のような瞳の上、露わにされた額が畸形児のように肥大し、
不気味に照り光っている。

それはまた、哭きながら嗤っていた。
およそ少女の浮かべる類の笑みではない。
今にもげたげたと箍を外した声を上げそうな、半ばまで狂気じみた、何かにとり憑かれたような笑み。
長瀬源五郎と呼ばれていた男の顔に浮かんでいたそれと、巨大な少女の笑みは同じ形に歪んでいた。
それは少女の精神がその元来の肉体に宿るものではなく、長瀬源五郎という狂気によって支配されたものに
取って代わられていることを如実に顕していた。
折からの強い陽射しが山頂を炙り、少女の裸身を灼き、その奇妙に肥大した額をぼんやりと照り光らせている。
ル、と哭いたそれは二千秒の後には神塚山を、沖木島を焦土と化す、悪夢の具現した姿だった。

岩盤を容易く抉るように大地へと食い込んだ、人一人にも比肩するその指の一本が、千切れて飛んだ。



***

898十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:52:47 ID:a9/hciC20
 
「サクサクいこうよ、サクサクさぁ!」

軽快な声を上げたのは長い髪を乾いた血に汚した女、天沢郁未である。
その全身を染める褐色もまた、見紛いようもない血痕だった。
ぱらぱらと赤褐色の粉を落としながら振り抜いた薙刀を構えなおすその姿は、まるで古い血の塊から
殻を破って生まれ出る雛鳥のようにも見える。

「敵はデカブツ、たったの一体! まとまってくれたんなら面倒がなくていいじゃない!
 アレをぶち殺せれば私らの勝ち、タイムオーバーで私らの負け! 単純明快、最高ッ!」

死を振り撒きながら生を謳歌するように、郁未が高らかに叫ぶ。
その背後、郁未の切り落とした巨大な少女の指がばたばたと蠢くのに手の鉈を振り下ろして止めを刺したのは、
長く美しい金髪をヘアバンドで後ろに流した、やはり妙齢の女である。

「テンション上げすぎですよ郁未さん。
 それとその想定には時間内に私たちが死亡するという可能性が抜けています」

金髪の女、鹿沼葉子が静かに告げる。
重く響く声の理知的な印象はしかし、郁未同様にその全身を汚した返り血の痕が台無しにしていた。
元は白かったであろうロングスカートを見事な血染めにしたその姿は底知れぬ恐怖だけを見る者に感じさせる。

「やられる? 私らが? このデカブツに? ……本気で言ってる?」

肩越しに振り向いた郁未が巨大な少女を顎で指す。
鉈を引き抜いた葉子が郁未と目を見交わし、静かに首を振った。

「いいえ」

不敵に笑った、その顔に修羅が宿る。
その足元、切り裂かれた巨大な少女の指が、奇妙に歪む。
ぐにゃりと火に炙られる蝋細工のように融け崩れたそれは、一瞬の後に人の形へと変貌していた。
胸の辺りを真っ二つに裂かれ、どくどくと血を流して横たわるのは少女の裸身。
それは山頂に君臨する圧倒的な質量を誇る少女のミニチュアのようであった。
同じ顔、同じ裸身を晒して、しかしこちらは本当に少女と呼ばれるべき身長の、喪われゆく命。
巨大な質量を構成する六千体余の少女、砧夕霧。その一人であった。
死にゆく夕霧に目もくれず、葉子が手の鉈をそっと指で撫でる。
人の肉体を両断しておきながら血脂に塗れることもなく刃こぼれ一つ見られない、その刃を包むのは
不可視の力と呼ばれる、葉子の異能であった。
無限の凶器を愛撫しながら笑む葉子の瞳に殺人への葛藤は存在しない。

「全ッ然やる気じゃないの。ならこっちももっとアゲてくから……ッ!」

びくりびくりと痙攣する夕霧の身体を突き通した薙刀を包むのはやはり不可視の力。
牙を剥き、ばりばりと乾いた髪をかき上げるその様は夜叉と称するに相応しい。
生きるために、或いは特段の理由もなく人の命を奪ってきた女の、それは奥底に吼え猛る獣であった。

「……正午までに、削り殺しますよ」

ぼそりと残して駆け出した葉子が、銀色の軌跡を描く。
鉈を振るえば巨大な少女からぼろぼろと垢のように夕霧の手足がもげて、大地に散らばった。
追うように、郁未が走る。



***

899十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:53:18 ID:a9/hciC20
 
弾かれたように暴れだした、眼前の圧倒的な質量が巻き上げる土砂も、地震のように揺れ動く大地も、
咆哮と慟哭の入り混じったような轟音も、周囲を焼く熱波さえ無視するように、坂神蝉丸は目を閉じている。

 ―――何も望まず生まれた者に、意味を与えたい。

手前勝手な願望と、来栖川綾香は断じた。
愚考と切り捨てたのは光岡悟だった。
御堂は何も答えなかった。
そして久瀬少年は、それを矛盾と受け止めた。

そのすべてが、正しい。
坂神蝉丸の願いは歪んでいる。
何も望まぬ砧夕霧は、意味を与えられることすらも、望んではいない。
それを喜ぶことも、悲しむことも、そこに何らかの情動を見てとることすら、夕霧にはできない。
与えられる意味を、だから夕霧は唯の一つも、理解はしない。
義憤があり、同情があり、慷慨があり、そうしてそのすべてが、自己満足に帰結する。
それは誰一人として希求しない、決して幸福によってはもたらされることのない、未来だった。

だがそれでも、坂神蝉丸は立っている。
立っている限り進むのが、蝉丸という男の在り様であった。
常にぎしぎしと軋む大義に戦という油を注して動く己が身体の自己矛盾を蹂躙して立ち尽くす、
蝉丸の瞳が静かに開かれた。
静謐だけを湛えたその瞳に映るのは、意味を与えるべき、意味を望まぬ、
いまや恐るべき敵と化した少女たちの成れの果て。
片手に提げた愛刀が、熱線に照り光って赤々と燃えている。

深くついた、溜息一つ。
閃いた銀弧が、轟と風を巻いて迫っていた十尺を越える掌を、真っ二つに断ち割っていた。



***

900十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:53:39 ID:a9/hciC20
 
朗と吼えれば、溢れるのは悦の響き。
爪と牙とを赤黒く染め上げて、白の巨獣の咆哮が荒涼とした岩場に谺する。
人に倍する巨躯を震わせたのは全力の殺戮に値する相手を見出した歓喜か。
かつて人であった獣はその心までを獣へと変じさせたが如く牙を剥き、吼える。
川澄舞の名を以てその巨獣を呼ぶ者は、既にない。

対するは少女、深山雪見。
身に纏う黄金の壮麗な鎧を泥に汚し、手の指をそれぞれ奇妙な方向に捻じ曲げ、
しかし何よりも異様だったのはその瞳である。
片目は醜く腫れ上がり、既に視界のすべてを埋め尽くしているように見えた。
青紫色の瞼はところどころ破れ、どろどろとした血膿が流れ出している。
残った右目だけがぎらぎらと光っていたが、小刻みに揺れる白く濁りかけた瞳孔が
その機能が長くは保たないことを如実に示していた。
ひう、と漏らした吐息は細く病的で、彼岸から彷徨い出た亡者のように巨獣と向き合う少女が、
折れ砕けた五指を無理矢理に握り込んで笑んだ。
血反吐に塗れた犬歯は、さながら餓狼の牙の如く。

憎に彩られた悦へと浸る獣と少女には、互いしか見えてはいない。
気付かぬはずもない、手を伸ばせば届きそうな距離に現出した巨大な脚には、目もくれない。
ただ一つの宝珠を賭けた、それは決戦だった。



***

901十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 00:54:01 ID:a9/hciC20
 
ぱたりと倒れた人形は、もう起き上がることもない。

―――終わったのだ、というそれだけが、国崎往人の感慨であった。
彼が、彼の母が、彼の一族がずっと追い求めてきた、白い羽の少女。
邂逅は一瞬で、交わされる言葉もなく。
だが、何かが確かに終わったのだという、その実感だけがあった。

人形はひとりでに歩き出し、白い羽の少女がそれを見て、そうして飛んでいった。
倒れて動かない人形はならば、その役割を終えたのだろう。
国崎と、彼の一族の長い旅と共に。

これは果てのない旅だと、心のどこかで考えていた。
文字通り雲を掴むような、夢物語に突き動かされる旅。
いつか子を成し、その子に受け継がれる旅だと、そう思っていた。
それこそが夢想だと、気付かされた。

喜びはなく、悲しみもなく、ただ終わりだけがあった。
それを空虚と名付けることもできず、ひどく扱いかねて、国崎はぼんやりと座り込んでいる。
座り込んでぼんやりと空を眺め、眺めた蒼穹の向こうに白い羽を見た気がして、

「うわ国崎さん、生きてたっ」

能天気な声は場違いで、しかし、だから国崎は破顔して振り返る。
そこにあるのは見知った、行きずりの少年と少女の表情。
旅は終わり、未来には当てもなく、だがそれは昨日までと変わらない。
溜息を一つ。
古びた人形を拾い上げて、

「―――やかましいわっ!」

昨日までと同じように、怒鳴った。



***

902十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 01:00:43 ID:a9/hciC20
 
日輪の天頂に至るまで―――残り、千八百秒。


***

903十一時二十六分/天国より野蛮:2008/08/01(金) 01:01:18 ID:a9/hciC20


【時間:2日目 AM11:30】
【場所:F−5 神塚山山頂】

究極融合体・長瀬源五郎
 【状態:シルファ・ミルファ・砧夕霧中枢(6278体相当)】

天沢郁未
 【所持品:薙刀】
 【状態:不可視の力】
鹿沼葉子
 【所持品:鉈】
 【状態:光学戰試挑躰・不可視の力】

坂神蝉丸
 【所持品:刀・銘鳳凰】
 【状態:右足裂傷(重傷・仙命樹により治癒中)】

川澄舞
 【所持品:ヘタレの尻子玉】
 【状態:ムティカパ・エルクゥ・魔犬ポテト融合体、軽傷(急速治癒中)】
深山雪見
 【所持品:牡牛座の黄金聖衣】
 【状態:出血毒(左目喪失、右目失明寸前)、激痛、意識混濁、頭部強打、
       肋骨数本及び両手粉砕骨折、ムティカパLv1】


【場所:G−6 鷹野神社】

国崎往人
 【所持品:人形、ラーメンセット(レトルト)、化粧品ポーチ】
 【状態:健康・法力喪失】
長岡志保
 【所持品:不明】
 【状態:異能・ドリー夢】
春原陽平
 【所持品:なし】
 【状態:妊娠・ズタボロ】

→913 967 969 999 ルートD-5

904管理人★:2008/08/01(金) 02:08:58 ID:???0
容量の肥大化に伴い、新スレッドに移行いたします。
以降の作品は下記スレッドへの投下をお願いいたします。

避難用作品投下スレ4
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/otaku/7996/1217524028/


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