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科学と疑似科学とを判別する

1diamonds8888x:2018/04/21(土) 05:52:21 ID:JpDvA4vM
 第1掲示板にて、ID論は疑似科学か否かというテーマでkenさんと議論を続けてきましたが、そもそも両者をどう区別するのかというメタ科学的な話になりましたので、ミケさんの提案に従い第3掲示板にスレッドを立てます。

 まずは第1掲示板での関連する発言へのリンクを時系列で列挙します。1発言での文字数制限があるようですので、分割してアップします。
 URL書き込みに規制があるようですので頭に「http:」を付けて使ってください。

//6609.teacup.com/natrom/bbs/19161 投稿日:2018年 2月27日(火)05時11分41秒 Kenさん 投稿者:diamonds8888x まさに、その通りです
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19137 投稿日:2018年 2月26日(月)21時18分41秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken それとも今回は宗教に話が及んだからそうなったので、議論の土俵をサイエンスに限定するなら、そういうことは起こらないと考えてもよろしいでしょうか?
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19130 投稿日:2018年 2月26日(月)06時06分39秒 コナン君とは 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19117 投稿日:2018年 2月25日(日)16時38分23秒 ダーウィンの子犬様、一蘭様、Ken様 投稿者:ゲジゲジ この3つは同時に成立します
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19116 投稿日:2018年 2月25日(日)00時37分14秒 diamonds8888xさん 投稿者:Ken はじめにタイトルについて
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19112 投稿日:2018年 2月24日(土)05時41分6秒 坊さんと衣は別なので 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19111 投稿日:2018年 2月24日(土)05時39分40秒 コナン君、君は間違っている 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月24日(土)00時36分15秒 Ken様 投稿者:ゲジゲジ ダーウィニズムは「適者生存」により劣った者が淘汰されることで進化が起こると主張していません!!
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19109 投稿日:2018年 2月22日(木)23時35分47秒 それをいうなら 投稿者:Ken ダーウィニズムもまた帝国主義、植民地主義の理論武装に大いに利用されたのですが
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19069 投稿日:2018年 2月20日(火)01時39分2秒 あぁ、宗教論になっていく 投稿者:ゲジゲジ
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19063 投稿日:2018年 2月19日(月)22時47分10秒 (無題) 投稿者:GB まっとうな宗教者たちというのは、
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19061 投稿日:2018年 2月19日(月)22時37分18秒 霊魂? 投稿者:GB
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19060 投稿日:2018年 2月19日(月)21時37分17秒 複数の真実!! 投稿者:Ken
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19054 投稿日:2018年 2月19日(月)06時27分41秒 事実か公理か信仰か 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/19053 投稿日:2018年 2月19日(月)06時21分48秒 Kenさん、複数の真実 投稿者:diamonds8888x
//6609.teacup.com/natrom/bbs/18948 投稿日:2018年 2月17日(土)03時46分25秒 ヨコからですがKen様 投稿者:ゲジゲジ もう少し問題を整理して、本質と本質でない部分とを区別して考えてみては如何でしょう?

349Ken:2019/04/27(土) 00:29:24 ID:6kBvrkG2
>>348では一般論が述べられていますが、私がお尋ねしたのは、もっと具体的な問題です。

19世紀の人が、波には媒質があると信じたのは、なにも「常識」に囚われていたからではありません。
下記のような論理をもって、波には必ず媒質がある、と結論したのです。
彼等のこの論理は誤りだったのでしょうか?


1.波とは振動現象である
2.振動現象には振動の実体(振動する「なにものか」)がある
3.そんな振動の実体が「媒質」である
4.ゆえに、波には必ず媒質がある


誤りがあるとすれば、1〜4のどのステップにあるのですか?
もしくは、ステップの間に飛躍があるのでしょうか?

逆に言えば、どういう論理を展開すれば、媒質のない波という可能性に到達できたのでしょうか?

350diamonds8888x:2019/04/28(日) 05:56:24 ID:R3oJTXCA
>>349
> 誤りがあるとすれば、1〜4のどのステップにあるのですか?
> もしくは、ステップの間に飛躍があるのでしょうか?

 正解と突き合せれば明らかでしょう? 2です。
 当時の人々が2という常識にとらわれていたことは、今となっては明らかですよ。

 もっと具体的に(科学哲学的な?)定跡的思考法で言えば、「波」とか「粒子」とかいう言葉だけでは単なる言葉なので、その概念の意味というものは「波とは〇〇という性質を持つ」「波とは〇×という性質を持つ」・・・といった何らかの性質・特徴・属性、といったもので決まってきます。それらは定義と呼んでもいいですが、それまでに知られている様々の共通の属性を持つものをひとまとめにして「波」と呼んだのです。

 ところがそれまでに知られている様々の実例が、例えば4つの共通する性質を持っていたとして、ここに新しく3つの属性を備えたものが発見されたとします。ではこれを「波」とすべきかどうかという問題が生じたというわけですね。

 例えばそれまでの細胞を持つ生物という概念には当てはまらないウイルスというものが発見されたときの同様ですね。

 どちらの場合でも、それまでに使っていた概念(グループ分け)に当てはまらないものが実際に見つかったということです。


【補足】>>347 に、ちょっと勘違いがありますね。
>忘れてならないのは、量子力学の登場前は、波と媒質は切り離せないのが「論理」だったことです。

 純粋論理とか論理法則とかいう意味なら違います。「波と媒質は切り離せない」というのは観察から抜き出した科学の範囲の命題です。

351Ken:2019/04/28(日) 13:27:11 ID:SRg530a6
>正解と突き合せれば明らかでしょう? 2です。

その「正解」は20世紀に登場した量子力学のものではありませんか。
正しい科学とは、未来の知見まで見通すことを要求されるのですか?

混乱をしそうなので整理します。

diamonds8888xさんが言われる、疑似科学ならぬ正しい科学とは、それぞれの時代で得られる情報を正しく処理するかで決まるので、後世から見た正しい結論を導くことを求められるものではない、というのが私の理解ですが、ここでもう違っていますか?

例を挙げれば、今の私たちは天動説が誤りだったことを知っています。しかし天動説が疑似科学であったかとなると、それぞれの時代背景を考えて判断をせねばなりません。私は中世までの天動説は疑似科学ではなかったと思います。だって空を見上げて素直に観察すれば、あらゆる天体が地球を回っているように見えるのですから。

状況が変わるのは、観測技術が飛躍した17世紀です。金星の満ち欠けや木星の衛星が発見され、なによりも天体位置の予測精度において、地動説が天動説に明確な差をつけるようになりました。ここにいたっても旧説にこだわり、ガリレオを脅迫して転向させたことで、天動説は疑似科学になったのだと思います。

>「波と媒質は切り離せない」というのは観察から抜き出した科学の範囲の命題です。

そうでしょうか?

〜振動する実体が存在しない振動はありえない

というのは、観察よりも論理の問題だと私には思えます。これが観察の問題になるには、まず、

〜振動する実体がない振動とはどういうものか

を具体的に定義してから、「ある」と「ない」のどちらが正しいかを観察で決定するべきではありませんか?
具体的な定義もなく、ただ「振動する実体がない振動」といっても、ただの言葉遊びとしか、私には思えません。

ちなみに、量子の概念を思いついたプランクは、光の媒質問題を考えていて、この結論にいたったのではありません。彼は、電磁波が古典力学的な波だと黒体放射のエネルギーを説明できない矛盾の解決策として量子を思いついたのです。それが電磁波の媒質問題まで解決したのは、偶然の副産物というべきでしょう。

352diamonds8888x:2019/04/29(月) 09:48:43 ID:R3oJTXCA
>diamonds8888xさんが言われる、疑似科学ならぬ正しい科学とは、それぞれの時代で得られる情報を正しく処理するかで決まるので、後世から見た正しい結論を導くことを求められるものではない、というのが私の理解ですが、ここでもう違っていますか?

 それはまた大きく食い違っていたようですね。私の理解では、本来Kenさんがやりたい創造論(クリエイター仮説)の議論をするための準備として、科学的方法論の基準を明確にしたいという話だと理解していました。それはつまり、現代における科学的基準ということと理解します。今の時代に我々が議論するのに、既に間違いと判明している昔の方法論を使うわけにはいきません。

 科学史そのものの議論なら、現代における正しさなど抜きにして楽しく話せるとは思いますけど。

353diamonds8888x:2019/04/29(月) 10:38:12 ID:R3oJTXCA
>>351
[>>352]以外で認識上の問題点が2つありますが、まず天動説は現在は間違いとされる仮説ではあっても疑似科学ではありません。現代において「地動説は間違いだ」などと主張すれば疑似科学と呼ばれるでしょうが、歴史上そんなことはなかったと思います。まあ現代でも地球平面協会(wikipedia参照)なる団体もありますから全くなかったかどうかは知りませんが、有名なものはなかったと思います。ガリレオを脅迫した教会関係者の信念は「科学なんて信仰より下のものだ」というものなんで疑似科学以前の問題だと思います。疑似科学というのは「科学だ」と主張するけれども実際には科学ではないという意味ですから。つまり疑似科学というのは、科学が信仰よりも権威が上がった社会での概念だと思います。

 つまり教会関係者は科学的議論なんかする気が最初からなかったのだから、そこには科学か疑似科学かという区別など入り込む余地がないということです。いや、そういう「聖書に書いてあるから正しい」といった主張の仕方が疑似科学的方法論だというなら、確かにおっしゃる通り教会側の理論武装は疑似科学です。

 でもそれはなんというか。科学の素人が権力に任せて科学者を弾圧したということであって・・。まともな天文学者達の主張した天動説と一緒にしてほしくはありません。ガリレイ裁判の後であっても、まともな天文学者達の主張した天動説は決して疑似科学ではありませんでした。ちなみに彼らの理論も基準01〜04に反したものではなかったはずですよ。また、今問題とされている論理法則をひとまず基準としてみれば、次の基準にも反してはいなかったはずです。

基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)
基準06: P∨¬P


 ここから2つ目の問題点である「波と媒質は切り離せない」が理論の問題か否かという点にもかかわる話に入ります。

 光の正体の議論においてもどちらの陣営の理論も基準0〜06に反したものではありませんでした。Kenさんは、ここで彼らが間違えた理由を「基準05や基準06にこだわったからだ」と主張していますよね? それで間違いありませんか?

354Ken:2019/04/29(月) 11:19:40 ID:SRg530a6
これは重要な問題なので、はっきりとさせましょう。

「科学的基準」は現代のものでよいのです。
ですが、過去の人は現代と同じ「情報」をもっていませんでした。

ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。彼の万有引力の法則は、重力は質量の積に比例し距離の2乗に反比例するといいますが、現代から見れば大間違いです。この理論の通りなら質量がゼロの光は重力の影響を受けないはずですが、実際には受けるし、だからブラックホールがあるのですから。ニュートンの不幸は重力が光を曲げるという情報をもっていなかったことです。

ですから、過去の人が、diamonds8888xさんの基準にしたがっていたかの判断は、彼らの結論だけでなく、彼らがもっていた情報も合わせて考えねばなりません。ニュートンが間違ったのは、彼が疑似科学者だったからではなく、現代と同じ情報をもっていなかったからです。彼は彼の時代に得られていた情報と現代と同じ科学的基準とから、万有引力の法則を導いたのだと思います。

光の媒質問題に話を戻しますと、19世紀には量子力学の知見がなかったのだから、当時の人が正しい科学的基準に準拠したかの判断は、あくまでも古典力学をベースにするべきで、彼らにとっては「媒質のない波が存在する」という結論を出すのは、基準03や04に違反するような論理的矛盾だったのではないでしょうか?

355Ken:2019/04/29(月) 11:36:32 ID:SRg530a6
>>353

>基準05: P∧¬Pは間違いである。言い換えれば、¬(P∧¬P)

論理的にはそのとおりです。

ですがマイケルソンとモーリーの実験結果は、その矛盾事象が起こることを見せつけました。そして矛盾が矛盾でないことが分かるには、量子力学という誰にも想像できなかった知見が必要で、18年後にようやく真実が明らかになりました。

繰り返しになりますが、その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。このような矛盾でも受容することを、科学的基準に含むべきではないでしょうか?

356Ken:2019/04/29(月) 19:22:33 ID:SRg530a6
ここはひとつ思考実験をやってみてはどうでしょうか?

diamonds8888xさんが19世紀末に生きておられると考えてみてください。

科学と疑似科学の判別に関しては、19世紀のdiamonds8888xさんは現在(2019年)のdiamonds8888xさんとまったく同じ基準をもっておられます。また、19世紀末の科学知識に通暁しておられますが、20世紀以降に発見された事実も、構築された理論も、まったく知るところではありません。相対論も量子論も想定の外なのです。

ここで、マイケルソンとモーリーの実験があり、電磁波には媒質がないことを示す結果が報告されました。

19世紀のdiamonds8888xさんは、この結果をどのように解釈されますでしょうか?

357diamonds8888x:2019/05/01(水) 07:25:40 ID:R3oJTXCA
>>354,>>355,>>356
 2つの問題がごっちゃになってますから、はっきり分けましょう。

1.現在の議論では過去の人達の立場を考慮する必要はない。
 本来Kenさんがやりたい創造論(クリエイター仮説)の議論をするための準備として、科学的方法論の基準を明確にしたいというのが、現在の議論の目的だという点には異存はありますか?

 科学史として過去の人の立場や思想を追求する目的ならば、上記3コメントに賛成ですが?


2.過去の人達は決して論理を否定してはいない

>ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。
  情報不足というだけであり、論理にも我々の基準にも反してはいません。

>彼らにとっては「媒質のない波が存在する」という結論を出すのは、基準03や04に違反するような論理的矛盾だったのではないでしょうか?

 では波動説を唱えた人達が論理を無視したとでもいうのですか? それは違います。単に反対派がそのように勘違いした・・、いやそんな反対意見を私は知りませんね。エーテル理論の進展については、ちょっと整理しなおしてみてください。


 むしろ、Kenさんは「過去の人達が論理を否定する勇気を持たなかったから間違えた」と主張しているように見えますが、それで間違いありませんか? 結局、以下の問いの答えはイエスですね?

>光の正体の議論においてもどちらの陣営の理論も基準0〜06に反したものではありませんでした。Kenさんは、ここで彼らが間違えた理由を「基準05や基準06にこだわったからだ」と主張していますよね? それで間違いありませんか?

 さて上記にも関して、次の点はちと前置き等が必要なので別コメントにて。
>19世紀のdiamonds8888xさんは、この結果をどのように解釈されますでしょうか?

358Ken:2019/05/01(水) 10:31:26 ID:SRg530a6
>>357

どうもなにか肝心なところですれ違いがあるようなのですが、その正体が明確にならないのがもどかしいところです。とりあえず、

>光の正体の議論においてもどちらの陣営の理論も基準0〜06に反したものではありませんでした。Kenさんは、ここで彼らが間違えた理由を「基準05や基準06にこだわったからだ」と主張していますよね? それで間違いありませんか?

現時点では「間違いない」と答えておきます。あとでもっと事態が明らかになれば言い直すかもしれませんが。

今は、特に重要と思われる、こちらの点を論じます↓

>1.現在の議論では過去の人達の立場を考慮する必要はない。

私自身は、現在の私たちの行動指針を決める上で、歴史に学び、過去の人のどういう行動が科学の進歩に貢献したかを考慮するべきと考えています。とくにdiamonds8888xさんは、基準に反する「疑似科学」は教育の場から排除するべきというご意見ですよね。ご自身が無視するだけではなく、他者がそれを教えることも許さない。たとえ法廷闘争をやってでも、と。

でも、たとえばデモクリトスの原子論などは、この基準に照らせば疑似科学でしょう。(現代に伝わる話では)なんの根拠にもとづく発想でもないし、中世に錬金術が起こるまで、千年以上も検証されることがなかったのですから。それなら、過去の人はデモクリトスの原子論を教育の場で伝えるべきではなかったのか? たとえそれが最後にはダルトンの近代原子論を助けたとしても?

また、科学的観察と迷信が混在する形で伝わった知見もあります。

バイブルに「ベルゼブブ」という悪魔が登場します。イエスが多くの支持者を集めた理由に、彼が悪魔を駆逐して病を治す噂が伝えられたことがありますが、敵対するファリサイ派は、

〜魔王ベルゼブブの力を借りねば、悪魔を祓えないはず (マタイによる福音書12章24節)

と非難しました。

この「ベルゼブブ」は古代ヘブライ語で「ハエの王」を意味します。なぜハエが悪魔とされるのかについて現代の研究者には、ハエの発生と疫病に相関関係があることが古代人にも見えていたからではないかと考える人がいます。

悪魔ベルゼブブの話も疑似科学と判定されることでしょう。しかしそこにはハエと疫病を関連させる知見が含まれており、しかも神や悪魔を信じる古代人にも納得できる形だからこそ世代を超えて伝えられました。それならいつの日か悪魔の話と切り離されて近代疫学に貢献することがあるかもしれません。しかしdiamonds8888xさんのお考えでは、これも疑似科学なのだから教育の場に持ち込むのはアウト、になるはずです。


私は過去のことだけを問題にしているのではありません。今の私たちが、デモクリトスの原子論やハエの王と同類の話を排除するのなら(繰り返しますが、これは第三者が第三者に教えることも許さないというものです)、それは情報の制限であり、結局は科学の進歩を阻害するのではという懸念をもっているのです。

科学と疑似科学を判別する基準を設けるなら、同じ基準で過去の事例も検証するべき、と私が考えるのはこのためです。そこには、もし同じ基準が過去にも適用されていたら科学の進歩はむしろ遅れたのではないかと思われるなら、それは基準の方が間違っているのではという問題提議があるからです。

359fnorder:2019/05/01(水) 13:11:45 ID:???
『矛盾があってもいいんじゃないですか?』

そうですね。だから何。という気がしてならんですよ。

360diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:01:23 ID:R3oJTXCA
>>354,>>355,>>356,>>358
>どうもなにか肝心なところですれ違いがあるようなのですが、その正体が明確にならないのがもどかしいところです。とりあえず、

 同感です。

 個別事例については事実認識自体が異なる場合もありますので一般的な話とします。過去に提出された理論で現在は間違いとされている多くの理論の評価について、私とKenさんの見解を並べてみましょう。

 多くの理論について
  Kenさん:疑似科学ではない
  私:疑似科学ではない
    (基準01〜06に照らして違反はない)
  Kenさん:現代では間違いとされる
  私:概ね、現代では間違いとされる
    (個別ではKenさんとは見解が異なるものもある)
  Kenさん:論理を無視してはいない。ゆえに間違えた?(だから論理に囚われてはいけない)
  私:論理を無視してはいない。それは間違いではない。

 ということで、基本的には最後の部分で見解が違うようですが、間違いありませんか?

 また多くの理論は私の基準からは疑似科学と判定されるはずだと思っているようですが、例えば[>>358]でデモクリトスの原子論やファリサイ派の主張を疑似科学と評価しているのは、基準01〜06または他の論理法則に反しているから、なんでしょうか?

 まさか結果的に現代では間違いとされるから疑似科学だ、なんて判定はしていませんよね?

361diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:05:47 ID:R3oJTXCA
>>358,>>360
 では、[>>360]の一般論に絡む個別的な話で[>>358]の事例です。

 なんだか色々と科学史上の誤解があるようなんですが。

 デモクリトスの原子論が、どの基準に照らせば、どのように疑似科学と判定されるのか御説明下さい。「この基準に照らせば疑似科学でしょう。」と言われても、どの基準のことですか?
さらに「なんの根拠にもとづく発想でもない」というのは勉強不足です。デモクリトスを馬鹿にしてはいけません。
 わかりやすそうな解説を紹介しましょう。[ttp://philos.fc2web.com/presocra/atomism.html]

 ついでに我々の現代の基準から言えば、理論の発想には根拠は必要ありません。それが観察事実を説明できてさえいれば十分に理論の資格があります。根拠は夢でもこじつけでも一向に構いません。原因不明で頭の中にぽかっと浮かんだアイディアで一向に構いません。理論内容が科学的基準を満たしてさえいればよいのです。


 次に、ファリサイ派の主張は科学上の議論でも理論でもないと思えますが、どこがどう疑似科学なのか御説明ください。疑似科学とは科学だと主張しているが科学とは言えない理論のことです。まあもっと広げるのはよしとしましょうか。

 科学上の議論でないとしても、日常における論理の問題、理にかなった正しい主張であるか否かの問題と考えた場合にはと言えば・・。
 「〜魔王ベルゼブブの力を借りねば、悪魔を祓えないはず」という理論が正しいと仮定すれば、ファリサイ派の主張は理にかなっていますよね? 現代から見て理にかなっていない点は、聖書の言葉は真実だと決めつけている点でしょう。

362diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:09:24 ID:R3oJTXCA
>>358
 「教育の場に持ち込む」云々という教育論は留保するのではありませんでしたか?
 しかし、誤解を指摘するためにコメントしておきます。

 まず定説を正しいと教え、間違いとされる説や疑似科学は間違いとして教えるべき「教育の場」というのは初中等教育や義務教育だという点は、過去にさんざん述べましたよね。自己責任で考えられると想定される大人への教育の場には制限などありませんし、少なくとも現代の民主国家では制限すべきとは考えられていません。

 科学の進歩はこのような大人同士の議論の場で発展するのですから、そこで制限がない限り、進歩は阻害されません。だから大丈夫です。

 そしてこのような世の中を知るための高度な知識を教える「初中等教育や義務教育」なんてものは近代以前の世界にはほとんどありませんでした。デモクリトスの原子論もそうですが、アリストテレスやプラトンの学問だって、教えるような場なんて、そもそも私的なものだったでしょう? 現代の公教育問題と比較する意味がありません。

363diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:18:49 ID:R3oJTXCA
>>359
 『矛盾があってもいいんじゃないですか?』というのは、このスレッドでのどれかの発言にありましたっけ? 御発言の意味がよくわからないのですが?

364diamonds8888x:2019/05/01(水) 18:29:41 ID:R3oJTXCA
>>358
 そもそも「(少なくともKenさんとの創造論に関する議論において)私は疑似科学という言葉は使わない」と、随分昔に宣言しましたよ。いいかげん「疑似科学」という価値観が入って判断が曇りそうな言葉にはこだわらないでほしいですね。

365Ken:2019/05/01(水) 23:02:29 ID:VaRLZVwM
まず、

>いいかげん「疑似科学」という価値観が入って判断が曇りそうな言葉にはこだわらないでほしいですね。

これは失礼しました。
diamonds8888xさんが起こされた本スレッドのタイトルが「科学と疑似科学とを判別する」なので、深く考えずに疑似科学と言っていました。では、何と言えばよいのでしょうか? 「不正科学」?

教育論をするつもりはありませんが、ただ、過去の人たちの立場を考慮すべき理由の1つとして、それぞれの時代に何が教えられてきたかを述べました。

その上で、私の意見をいいますと、何も小学生や中学生に自分たちが教わることを選ばせようとはいっていません。選ぶのは大人でよいのですが、それは子供の親とか地域社会であって学界ではない、ということです。言い換えれば、他人の子供の教育に干渉する権利は誰にもないということです。このことは>>145で明言したし、diamonds8888xさんの賛否はともかく、論点の理解はしていただいたつもりでした。

さて、デモクリトスの原子論とハエ=悪魔論ですが、検証もしくは反証ができない点で、基準01にひっかかるのではないでしょうか? もしもデモクリトスが何らかの検証方法を考えていたなら、現在に伝わっていないので、私たちにとっては検証/反証不可能なのと同じです。

ハエ=悪魔論も同様です。目に見えるハエと目に見えない悪魔を分離して、どちらが疫病を起こすかを確かめる方法がない以上は、基準01にひっかかるはずです。

>Kenさん:論理を無視してはいない。ゆえに間違えた?(だから論理に囚われてはいけない)
>私:論理を無視してはいない。それは間違いではない。
>ということで、基本的には最後の部分で見解が違うようですが、間違いありませんか?

そうですね。おそらく間違いないとないと思います。

366diamonds8888x:2019/05/02(木) 07:49:40 ID:R3oJTXCA
>>365
 確かにタイトルが「科学と疑似科学とを判別する」でしたね。ただ以前にも定義で色々と食い違っていたように曖昧な点があるのと、いくら私の定義に合わせるとは言っても例えば「詐欺的な」といった不正の臭いなどが感覚的にぬぐえない点があってやりにくいのではありませんか? まあ倫理的意味がないという前提なら疑似科学でも構いませんけど。

 私もこれまでいくつかの呼び方を使ってますから参考にしてもらって、科学的ではない方法、妥当でない方法、とかくらいにしてください。具体的に基準nnに反する、とかでもいいですが、これは御自分の評価を表すには使いにくいですね。

 「不正科学」では「疑似科学」よりもっと不正の臭いがして拙そうですね(~_^)。


> 教育論をするつもりはありませんが、ただ、過去の人たちの立場を考慮すべき理由の1つとして、それぞれの時代に何が教えられてきたかを述べました。

 何が提案されたかということで2つの理論が紹介されてはいました。が、それが誰にどう教えられていたかは基準に関する我々の議論に無関係だし、その2つの理論の評価のためには何ら使える情報ではありません。さらに我々は現在の我々が使うための基準を議論しているのであり、過去の人たちの立場も無関係であることは[>>357]で述べました。

 具体的理論自体についての議論はテーマの範囲なので[>>360,>>361]にコメントしています。

> その上で、私の意見をいいますと、〜diamonds8888xさんの賛否はともかく、論点の理解はしていただいたつもりでした。

 これは基準に関する我々の議論にも科学の進歩を阻害するか否かにも無関係ですよね? 無関係な教育論はもう出さないということでよろしいですか?


 さて2つの理論は基準01にひっかかるとの見解でしたか。それだけ古代の話だとちょっと私の立場の説明が長くなるので即答はひとまず留保します。しかし基準01は論理法則ではない、という点は強調しておきます。基準02〜04は論理法則です。ここしばらくのコメントでは私もひとくくりに書いていて誤解させたかも知れません。基準01は反証すなわち観察事実に基づく証拠を求めることについての話ですから、純粋論理ではなく実証科学の範疇です。

367Ken:2019/05/02(木) 20:55:14 ID:VaRLZVwM
すこしわき道にそれそうになりましたが、今は基準03〜06に集中するということで、私は、>>356で提案した思考実験への回答を待っている、ということでよろしいですか?

繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

ゆえに「波」と「媒質の不在」は、「P」と「¬P」と論理的にもなる、というのが私の考えです。

368diamonds8888x:2019/05/03(金) 09:56:01 ID:j4NW52n6
>>367
 そのように問題を単純にしてもらえると助かります。では[>>365]以降の事例は脇道にそれた話だったので無視ということでいいですね?

>ゆえに「波」と「媒質の不在」は、「P」と「¬P」と論理的にもなる、

 「P:(対象Xは)波である」とするならば「¬P」は「(対象Xは)波ではない」です。「(対象Xは)それを伝える媒質を持たない」は「¬P」ではありません。

>古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず

 ここが大事なポイントです。【現代の科学的方法論に照らして】判断すれば、当時の科学者が「媒質は波の属性というよりも、波の定義そのもの」と考えたとすれば、ひとつの落とし穴に落ちたことになります。それは古典力学しか知らないこととは無関係の罠です。【現代の科学的方法論に照らして】なので、ひとつKenさんも考えてみてください。

 ここでKenさんは「¬(P∧¬P)」に拘らなければ真相にたどり着けた、との御意見ですね?
 私の見解は「(対象Xは)波ではない」と「¬P」が同一だとの思い込みに拘らなければ真相にたどり着けた、です。

 もうほとんどポイントは示したようなものですが、はっきり言葉にする前に【現代の科学的方法論に照らして】判断することの是非について別コメントで述べます。

 ただこの点に関しては、Kenさんの「「¬(P∧¬P)」に拘らなければ真相にたどり着けた」という判断も【現代の科学的方法論(であるべきとKenさんが考えているもの)に照らして】過去の人達の間違いを指摘していますよね? それは自覚していますか? 当時の科学者は「¬(P∧¬P)」も絶対の真理と考えていたはずですから。もちろん現代の科学者もそうですけど。

369diamonds8888x:2019/05/03(金) 09:59:37 ID:j4NW52n6
>>368
【現代の科学的方法論に照らして】判断することについての話の準備として設問を出します。

科学的に正しい方法の基準として以下のものはどう考えますか?

基準101: 伝聞(言い伝え、聖書の言葉、偉人や聖人の言葉、優秀とされる科学者の言葉など)のみを理論の根拠とすることは科学的に正しい方法ではない
基準102: 観察事実とは異なることを予測する理論は、何かが間違っていると判断すべきである。
  (理論自体ではなく、適用条件、観察方法、などの間違いも含めて)

370Ken:2019/05/03(金) 13:11:30 ID:VaRLZVwM
>>369の設問に答えられるように熟考してみますが、その前に1点だけ確認させてください。

>>356で私が質問したこと、つまり、もしdiamonds8888xさんが19世紀の人だったら、マイケルソンとモーリーの実験をどのように解釈されたか、には回答をいただけるのでしょうか? とくにこの部分ですが、

>「媒質は波の属性というよりも、波の定義そのもの」と考えたとすれば、ひとつの落とし穴に落ちたことに

これを「落とし穴」というなら、落とし穴を回避する論理の道が19世紀の人にあったのか、が最も私が気になるところです。

私としては、まずはこちらの質問に答えていただけると助かります。diamonds8888xさんの質問に答えるといっても、私の解答が正しいかどうかは、diamonds8888xさんの判断基準に拠るのですから、できるだけそれを明らかにしておきたいと思います。

371diamonds8888x:2019/05/05(日) 06:11:45 ID:j4NW52n6
>>370
 [>>369]にまず答えてください。理由は2つ。

・これまでの発言から見てKenさんと私の見解が一致するのはほぼ確実と思われるので、さっさと済ませたい。
・答える前に判断基準を訊く必要はないでしょう? というか互いの判断基準がどこか違うようなので、それを知るために設問をしている面がありますから。


 そのうえで、今焦点のひとつとなっている「過去の研究者たちの行動の評価をどう考えるか?」という話をします。これについての双方の食い違いを明らかに見解をすり合わせしないと、どうにも話が進みません。[>>356]に答えるには、この点が大事なので、まず[>>369]での見解の一致ないしずれを確認する必要があるというのが、3つ目の理由になりますね。

372Ken:2019/05/05(日) 10:28:39 ID:VaRLZVwM
>>371

それでは現時点で私ができる回答をします。ただし「さっさと済ませ」られるかは分かりません。

>基準101: 伝聞(言い伝え、聖書の言葉、偉人や聖人の言葉、優秀とされる科学者の言葉など)のみを理論の根拠とすることは科学的に正しい方法ではない

正しい方法ではありません。本来は自分で検証してみるべきです。
ただし、現実を生きる私たちは、これを日々大量にやっています。科学を職業とする人とて例外ではありません。

たとえば「重力が強いほど時間の進みが遅れる」という理論があり、地上と人工衛星で時計の進み方を比べたら、理論のとおりだったという話があります。これを多くの人が信じているし私(Ken)も受け入れていますが、私自身はそんな実験をやったことも、他者の実験を目撃したこともありません。世の大半の人はそうでしょう。つまりこの種の話は伝聞なのです。

1回ではだめだが、同じ結果が複数回報告されたら信じるという考え方もあるでしょう。

でも、たとえば、これまでにUFOや宇宙人を見たという証言は何度も報告されています。目撃者の氏名、日時、場所が具体的に記録されてるケースも多いはずです。

それどころか「神の声を聞いた」と証言した人も1人や2人ではありません。

現在は1冊の本になっているバイブルも、実は、数百年にわたって、非常に多くの人の手で書かれた諸本の集合なのです。そのため内部矛盾とみなされる箇所も多いのですが、「神が人に語りかけた」という話だけは一貫しています。最初の人間とされるアダムに始まり、ノア、アブラハム、モーセ、ダビデ、エリヤ、イザヤ、ダニエル、ヨブ・・・・よく知られたこれらの人々でも全体の一部にすぎません。

「伝聞」という点では同じでも、時間の遅れは信じるが預言者の話は信じないと、異なる対応をする理由はあるのでしょうか? 突き詰めれば「ない」という結論になるのでは?


>基準102: 観察事実とは異なることを予測する理論は、何かが間違っていると判断すべきである。(理論自体ではなく、適用条件、観察方法、などの間違いも含めて)

観察事実と理論が合わないなら間違っているのは理論の方である、と考えるのは古代ギリシャと異なる近代科学の一大特徴なので、この基準は正しいというべきですが、問題は「理論」が数学理論である場合ですね。

ひとたび証明された数学理論があとで否定されることはないので、観察事実が一致しなければ、観察事実の方が間違っていると見るべきでしょう。ただ、何度実験しても同じ結果が出ると、そうもいっておれません。私が「P∧¬P」を容認すべきと考えるのは、そういう場合なのですが。

373fnorder:2019/05/06(月) 21:42:15 ID:???
>>363
> 『矛盾があってもいいんじゃないですか?』というのは、このスレッドでのどれかの発言にありましたっけ?

Kenさんの言っていることは『矛盾はある意味で実在する』ということだろうと思ったので、それを大雑把に言い換えたつもりです。

まあ「矛盾許容論理」というのもあるらしいんですが、Wikipediaとかを見ると余り実用的ではないようですね。
何より、今の話題で「矛盾」がどうとか論じても余り意味がないんじゃないのかな、という気がしています。

374diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:30:37 ID:j4NW52n6
>>372
 では、基準101も基準102も正しいというこで、私とKneさんの見解は一致しています。その前提で[>>376]につなげます。

 さらに次の点も一致しますね。
>観察事実と理論が合わないなら間違っているのは理論の方である、と考えるのは古代ギリシャと異なる近代科学の一大特徴なので、この基準は正しいというべきですが、

 つまり基準102について以下の点で一致しますね?
 ・この基準は現代における基準である。(遅くとも18世紀以降の基準くらいですかね)
 ・古代ギリシャではこの基準は一般的とは言えない。


 Kneさんが留保をつけた他の点についてですが、

基準101:
>ただし、現実を生きる私たちは、これを日々大量にやっています。科学を職業とする人とて例外ではありません。

 「これ」とは「伝聞のみを根拠とする」ということですよね?

 その点を突き詰めて考えることができるなら話は早いです。立派に科学哲学的思考法ではありませんか。


>「伝聞」という点では同じでも、時間の遅れは信じるが預言者の話は信じないと、異なる対応をする理由はあるのでしょうか? 突き詰めれば「ない」という結論になるのでは?

 Kenさんも「時間の遅れは信じるが預言者の話は信じない」でしょ?
 それとも「どちらも伝聞だからどちらの正しさも同程度」と判断しますか?

 また、天動説vs地動説や粒子説vs波動説の議論で根拠とした「歴史的事実」の根拠はまさに伝聞しかありえはせんが、どの伝聞を採用するかという基準はある程度はお持ちでしょ?

 まあ、ここの判断基準も私とKneさんでは概ね一致してると思います。だから事実認定で判断基準が食い違うことはあまりないと考えています。個々の事例では食い違うこともあるでしょうが、それはそのときに対処すればいいことだし、具体的事例ごとでしか対処できませんから。

 基準102については別発言にて。

375diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:31:25 ID:j4NW52n6
>>374,>>372
基準102:についてKneさんが留保をつけた点

>問題は「理論」が数学理論である場合ですね。

 「科学的に正しい方法」の基準ですから数学理論は数学論理学も含めて対象外です。

 ここで数学理論が出てくるのは数学とは何かをKenさんが誤解しているからです。

 【数学は経験科学ではありません。[注]】これは非ユークリッド幾何学の発見以来、明らかになりました。

 まず、数学の正しさは「証明」によるものであり、「観察事実が一致しなければ」などということは数学の正しさを示す過程では無用なステップです。教育過程や学習過程で体感的に納得するための実験や観察は有用ですが、それは「証明」自体には無用なステップです。

 数学的に正しいこと
  ・非ユークリッド幾何学の公理の下では非ユークリッド幾何学の定理群が成立する。
   (非ユークリッド幾何学の公理を仮定すれば非ユークリッド幾何学の定理群が証明できる。)
  ・ユークリッド幾何学の公理の下ではユークリッド幾何学の定理群が成立する。
   (ユークリッド幾何学の公理を仮定すればユークリッド幾何学の定理群が証明できる。)
 自然科学的に正しいこと
  ・ある範囲の空間が非ユークリッド幾何学の公理で近似できることが観測や実験で検証できれば、非ユークリッド幾何学の定理を正しいとみなして理論を創ることは正しい科学的方法である。
    (ある範囲の空間の例:地球表面2次元空間、全宇宙3次元空間、全時空4次元空間)
  ・「非ユークリッド幾何学」を「ユークリッド幾何学」に変えても同様。

>何度実験しても同じ結果が出ると、そうもいっておれません。私が「P∧¬P」を容認すべきと考えるのは、そういう場合なのですが。

 実験で検証している時点で論理学でも数学でもなく科学です。


【[注]】一般的にはこの表現で通説ないし定説と言っていいでしょう。ただ私は「経験的要素が皆無かと言えばそうとは言えない」と多少優柔不断なエクスキューズをしておきます。
 「経験的要素など何もないだろ?」という極端な見解も多いだろうことは承知しています。

376diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:32:34 ID:j4NW52n6
>>374
 (自然哲学者以来の)過去の研究者たちの行動の評価をどう考えるかが焦点になっています。ガリレオを弾圧した教会関係者のように研究者とは言えない人達はひとまず置いときましょう。現代と比較した場合のハンディは考慮すべきという見解は私も理解しますし、一部は採用します。しかしそれは、彼らの"間違い"を全面的に肯定するということではありません。そもそも"間違い"という評価自体が現代の観点からの評価であり、それは私と同様にKenさんもしています。

 つまり「どうすれば間違えなかったのか?」という設問自体が現代の観点からの評価であり、この問いが正当なものと考える点では私とKenさんは同じ立場に立っています。

 考えてみて要点がわかったので、まず簡潔に言います。

  1)正確な知識や情報の不足による間違いは仕方がない。
  2)現代の正しい科学的方法論に照らしての間違いは指摘すべきである。

 ただ問題は「現代の正しい科学的方法論」というものもまた、時間をかけて発展してきたものなので、過去の人達は「現代の正しい科学的方法論」というものをよく理解していたわけではありませんでした。「だから仕方ないではないか?」という意見もありえますが、それでは過去を議論する意味がありません。我々が過去を振り返るのは、同じ間違いを繰り返さないためです。特に今回の議論の目的は【現代の我々が使うための】科学の基準を探ることです。過去の基準をすべて肯定することは無意味です。

 過去と同じ間違いを繰り返さないためという目的を掲げたとすると、上記1)の知識不足は我々にも対処しようがありません。我々だって現時点で知らない情報を使えるはずがないのですから。なので、過去の人達の知識不足による間違いを責めても、我々の役に立ちません。しかし2)の科学的方法論は知識や情報に関係なく使えるものであり、「もしも過去の人達が現代の正しい科学的方法論をしっかりと使えたとしたら?」という歴史のiFを想定することは、「現代の正しい科学的方法論」とは何かということを知ることにも有効だし、それを使うことにも有効なのです。

 したがって「もしdiamonds8888xさんが19世紀の人だったら、マイケルソンとモーリーの実験をどのように解釈されたか[>>370][>>356]」という問いは、「もしdiamonds8888xさんが、現代の科学的方法論をよく知っていたうえで、19世紀にマイケルソンとモーリーの実験に直面したら〜」という問いでないと意味をなしません。

 完全に19世紀の人だったら、当時の人と同じ解釈しかできないに決まっています。

 ここまではよろしいですか?

377diamonds8888x:2019/05/08(水) 05:48:31 ID:j4NW52n6
>>373
 そういう意味でしたか。了解です。

 「「矛盾」がどうとか論じても余り意味がない」ということを理解してもらおうとしているというか、混乱の元は数学・論理と実証科学との区別があやふやなことらしいので。
 ==>[>>375][>>368][>>350]

 矛盾許容論理。おもしろいですね。

378Ken:2019/05/08(水) 21:37:09 ID:2D5jBja2
どうも最近diamonds8888xさんとの意思疎通がうまくいっておらず、とりわけ私の文意が伝わっていないように思えてなりません。

私は>>356で思考実験の条件を設定しました。

*************************************************************
科学と疑似科学の判別に関しては、19世紀のdiamonds8888xさんは現在(2019年)のdiamonds8888xさんとまったく同じ基準をもっておられます。また、19世紀末の科学知識に通暁しておられますが、20世紀以降に発見された事実も、構築された理論も、まったく知るところではありません。
*************************************************************

>>354では、こうも言っています。

*************************************************************
ニュートンが間違ったのは、彼が疑似科学者だったからではなく、現代と同じ情報をもっていなかったからです。彼は彼の時代に得られていた情報と現代と同じ科学的基準とから、万有引力の法則を導いたのだと思います。
*************************************************************

これは>>376でdiamonds8888xさんが言われたことと同じではないのですか?

>1)正確な知識や情報の不足による間違いは仕方がない。
>2)現代の正しい科学的方法論に照らしての間違いは指摘すべきである。

>>376で、これだけの文章を費やして説明されるということは、私がこの点を理解していないと思われたのでしょうか?

それとも私が>>354>>356で述べたことと、diamonds8888xさんが>>376で述べられたことは、異なるのですか?

私が検証しようとしているのは、diamonds8888xさんがいわれる「現代の正しい科学的方法論」であり、過去の時代を持ち出すのは、その時の条件下で「現代の正しい科学的方法論」がどのような結論を出すであろうかというシミュレーションです。


私が誤解をしているならご指摘ください。

誤解がないのなら、>>356の質問に回答をお願いします。

「現代の正しい科学的方法論」と19世紀の情報をもつdiamonds8888xさんなら、マイケルソンとモーリーの実験結果をどう解釈されますでしょうか?

379名無しさん:2019/05/11(土) 22:47:55 ID:UkeDPV/.
ザルナンド・メギルダフィ

380diamonds8888x:2019/05/12(日) 08:49:20 ID:aQLjGWa.
>>378
>>376で、これだけの文章を費やして説明されるということは、私がこの点を理解していないと思われたのでしょうか?

 そこが不明だったので確認しました。[>>354]の下記に気付いたので、方針自体は同じだろうとわかりましたし、今回の御返事で一致が確認できたのは嬉しいです。

>「科学的基準」は現代のものでよいのです。
>ですが、過去の人は現代と同じ「情報」をもっていませんでした。

 ただ、具体的に何を「現代のものでよい」と考えるかで不一致が生じている恐れはあります。いや実際に生じているようです。


 [>>356]の質問への回答の前に、事実確認をします。
 現時点での[>>356]の目的は[>>331]の「現実問題としては「(¬P)∧P」を容認するしかないのではありませんか?」というKenさんの問題意識の解決の一環ですよね? この解決自体は何度も指摘していることです[>>]。

 [>>331]では「光は粒子である」と「光は波動である」とは「この2つの理論は何世紀にもわたってPと¬Pの関係にあると信じられてきましたが〜」と指摘されています。
 [>>344]では「光が波である」と「光を伝える媒質が存在しない」とが「(当時の人には)絶対に矛盾する点で、Pと¬Pの関係に該当します。」と指摘されています。

 しかし私が何度も指摘した通り、正確に¬PであるのはPをそのまま否定した命題だけであり、それ以外の命題が¬Pと同値であるという命題は、経験的に検証すべき命題、すなわち科学の範疇の命題であって、純粋論理の範疇ではありません。

 したがって、上記のように一見P∧¬Pと見える事態が観測されたならば実は「¬Pと同値だとこれまで信じられていた命題が実は¬Pではないのだ」と推論するという方法は、「当時の人が知らない知識」でもなければ「現代人しか知らない科学的方法論」でさえもありません。例えばシャーロック・ホームズなら十分に心得ていたはずの推論の基本に過ぎません。


 そして私の知る限り、「現実問題としては(¬P)∧Pを認めるしかないのでは?[>>331]」という論理を使ったまともな研究者などいません。比喩表現は別としてです。それとも以下の話が歴史的事実だという根拠が示せますか?

>繰り返しになりますが、その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。[>>355]


 もひとつの事実確認として[>>360][>>365]から以下の合意はできました。
 Kenさん:論理を無視してはいない。ゆえに間違えた?(だから論理に囚われてはいけない)
 私:論理を無視してはいない。それは間違いではない。

 そして私の認識では過去の人達はP∧¬P他の論理は決して無視せずに、「¬Pと同値だと信じられていた命題が実は¬Pと同値ではなかった」と判断することで正しい認識に到達したのです。論理に囚われないことにより正しい認識に到達したのではありません。

 Kenさんは実際にはどのようにして過去の人達が正しい認識に到達したとお考えなのでしょうか?


 別発言に続けます。

381diamonds8888x:2019/05/12(日) 08:54:34 ID:aQLjGWa.
>>380
 まずマイケルソンとモーリーの実験結果の意義について確認しておきます。
 まず、マイケルソン・モーリーの実験に至る光と電磁波の科学の歴史を概観しましょう。

 例えば[ttp://www.takuichi.net/hobby/edu/em/history/index.html]他
[1823] フレネル(フランス)がフレネルの公式(反射・透過係数の振幅を与える公式)を発見
[1837] ファラデー(イギリス)が電気の近接作用論を提唱
[1843] フィゾー(フランス)が回転歯車による光速の測定
[1850] フーコー(フランス)による光の波動説の主張(空気中と水中での光速の違いの測定が根拠)
[1864] マクスウェルの方程式、電磁波の予言、光の電磁波説(速度の一致が根拠)
[1887] マイケルソン・モーリーの実験
[1888] ヘルツ(ドイツ)がマクスウェルが予言した電磁波の存在を実験で確認
[1895] ローレンツ収縮の提案 [wikipedia「ヘンドリック・ローレンツ」参照]
[1899] ローレンツが局所時間の提案(時間の遅れ)
[1905] 特殊相対性理論の発表(アインシュタイン)
[1905] 光量子仮説の発表(アインシュタイン)

 まず光量子仮説発表以前に「粒子でありかつ波でもある存在」を認めた人はいません。すべての人が光は波であるか、波ではなく粒子であるかどちらか、だと考えていました。むろんアインシュタインも波でると同時に「古典的意味での粒子」であるなどと考えたのではありません。ましてP∧¬Pを容認したことなどありません。

 マイケルソン・モーリーの実験の時点では光の粒子説は間違いとされ波動説が圧倒的に有力とされていたのです。特にマクスウェル理論とヘルツの実験により電磁波という具体的実体が確認されましたから。

 とはいえヘルツはマクスウェル理論が予測した「電磁場の変動する波」の存在はしめしましたが、光が電磁波の同類だと示したわけではないでしょう。厳密に言えば、赤外線からマイクロ波の領域で光と電磁波との連続性が確認されるとかされるまでは光と電磁波とが同類だとは検証できていないようにも思えますが、それよりもマクスウェル理論自体の問題がありました。

 すなわち電磁波の速度が真空の誘電率と透磁率のみにより定まり、すると以下のどちらかを認めざるを得ません。
  ・異なる速度の系から見ても電磁波の速度は変化しない
  ・異なる速度の系から見ると真空の誘電率または透磁率が変化する

 マクスウェルを始めとして多くの人達はマクスウェル理論が「エーテルという絶対静止系」において成り立つと考え、この絶対静止系に対して運動している地球からの観測では電磁波の速度が変化すると予測したのです。その予測を否定したのがマイケルソン・モーリーの実験です。

 参考1)wikipedia「ヘンドリック・ローレンツ」
 参考2)EMANの物理「エーテル理論の失敗」[ttps://eman-physics.net/relativity/ether.html]

 前述の通りこの時点で光の電磁波説は粒子説を凌駕していたので、マイケルソン・モーリーの実験は「粒子説vs波動説」の観点では考察されていなかったはずです。マイケルソン・モーリーの実験での速度差検出が光の干渉性を前提にしているとしても、干渉性自体は観測事実となっていましたから、実験のポイントは公転位置の違いなどによる速度差の検出でした。そして粒子説であっても速度差は検出されるはずなのです。恒星から放出される光粒子は恒星に対して光速度cで運動していることになるでしょうから、地球に対してはcと地球速度との合成速度になるはずです。すると当然、マイケルソン・モーリーの実験ではポジティブな結果が得られます。

 光の電磁波説がほぼ信じられていたので「媒質であるエーテルの風の存在」という意義が強調されることが多いのですが、実はこの実験は「恒星から放出された光の速度が、光の正体にかかわらず、地球と恒星との相対速度が違っても一定である」という、「粒子説vs波動説」なんてものを越えた常識外れの事実を示していたのです。

 実際には当時の人達は「媒質であるエーテルの性質」を色々と仮定することで実験結果を説明しようとしました。それがヘンドリック・ローレンツらの試みで、数学的には正しい予測はできたようですし、ローレンツ短縮という言葉は今も残っていますし、局所時間などというものも考え出されています。

 ということで、次の別発言でまとめてみましょう。

382diamonds8888x:2019/05/12(日) 09:05:56 ID:aQLjGWa.
>>380
 抜けがあったので補足します。

> 現時点での[>>356]の目的は[>>331]の〜この解決自体は何度も指摘していることです[>>]。

 [>>375],[>>368],[>>350],[>>348],[>>345]

383Ken:2019/05/12(日) 17:18:45 ID:2D5jBja2
とりあえず「あれ?」と思った件を述べます。

>>381
>恒星から放出される光粒子は恒星に対して光速度cで運動していることになるでしょうから、地球に対してはcと地球速度との合成速度になるはずです。すると当然、マイケルソン・モーリーの実験ではポジティブな結果が得られます。

マイケルソンとモーリーの実験は恒星の光を利用していません。光源は実験装置の中にあり、地球と一緒に運動しますから、光がニュートン力学に従う粒子なら、方向による速度差は観測されないはずです。一方で、音のような古典力学的な波なら、速度差は観測されます。

384diamonds8888x:2019/05/15(水) 06:30:07 ID:yAhzf0OY
>>383
 そうでしたね。失礼しました。粒子であっても光速度で運動すれば誰から見ても一定速度になる、というのは、特殊相対性理論によって予測されたことになりますね。

 光の正体の歴史について詳しい資料が見つかりましたので紹介しておきます。おもしろい裏話的なこともありますね。
  [ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf](物理教育 第43巻 第4号 〔1995〕)

 [>>381]の年表にいくつか追加しました。

 電磁波発見の歴史[ttp://www.takuichi.net/hobby/edu/em/history/index.html]
 光の歴史[ttps://www.osaka-kyoiku.ac.jp/~masako/exp/newton/rekisi.html]など
[1801] ヤングが光の干渉実験 (波動説の有力な根拠)
[1808] マリューが偏光を発見 (光が横波である証拠)
[1823] フレネル(フランス)がフレネルの公式(反射・透過係数の振幅を与える公式)を発見
[1837] ファラデー(イギリス)が電気の近接作用論を提唱
[1843] フィゾー(フランス)が回転歯車による光速の測定
[1850] フーコー(フランス)による光の波動説の主張(空気中と水中での光速の違いの測定が根拠)
[1864] マクスウェルの方程式、電磁波の予言、光の電磁波説(速度の一致が根拠)
[1887] マイケルソン・モーリーの実験
[1888] ヘルツ(ドイツ)がマクスウェルが予言した電磁波の存在を実験で確認
[1895] ローレンツ収縮の提案 [wikipedia「ヘンドリック・ローレンツ」参照]
[1899] ローレンツが局所時間の提案(時間の遅れ)
[1905] 特殊相対性理論の発表(アインシュタイン)
[1905] 光量子仮説の発表(アインシュタイン)


 なお、我々の議論にとって重要なポイントはマイケルソン・モーリーの実験という個別な件よりも、[>>382]の論理と科学の区別の件です。この件につき、納得できない点があれば、マイケルソン・モーリーの実験に関する私の次の発言を待たずに訊いてください。

385ゲジゲジ:2019/05/16(木) 04:32:55 ID:BSyoNd1c
久しぶりにヨコからですが、ゴールデンウィーク中に過去の議論を一通り読み返してみました。
diamonds8888xさまの説明は正確ではあるのでしょうが、少し回りくどい印象があります。

私ならKenさまの>>356の質問に対して、もっとストレートに以下のように答えます。

1.科学的な解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② しかし「P∧¬P」はあり得ない。
③ よって「何か」が間違っている。または「何か」を見落としている。あるいは現時点では観察できていない「何か」がある。
④ その「何か」を探求しよう。

2.科学的とは言えない、「疑似科学」と批判されても仕方のない解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② よって「P∧¬P」はあり得る。
③「光は波であり且つ波ではない。」、「波ではない波が存在する。それは光である。」といった仮説理論を提唱する。

実際に当時の人たちがやったのは1.ですよね。
少なくともマトモな研究者で2.のような禅問答みたいな仮説を立てた人はいないと思います。

さて、Kenさまの投稿を見ていて感じるのですが、
【「P∧¬P」のように見える観察事実を認める事】と
【「P∧¬P」であるような仮説理論を立てる事】とを混同していないでしょうか?

たとえ論理的に矛盾していても、その様に見える観察事実があるなら、それはそれとして受け入れるしかないでしょう。
問題はその観察事実をどの様に解釈して、どの様な論法によって、どの様な仮説理論を打ち立てるか、です。


さて、そもそもこのスレッドで議論している対象は何だったでしょうか?
お2人は何について議論されているのでしょうか?
 >>14
 >ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。
 >>55
 >【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】

つまり、少なくとも「科学」を称して提唱された仮説理論が、その理論が打ち立てられた思考プロセスや論法において本当に科学的と言えるのかどうか? を判断する基準がこのスレッドのテーマですよね。
私はその認識でずっと読んできているのですが、お2人のここの認識は合っているでしょうか?(※)
今一度、この部分を確認された方が良いような気がします。


<認識が合っていないのでは? と思える例>
 >>351
 >ここにいたっても旧説にこだわり、ガリレオを脅迫して転向させたことで、天動説は疑似科学になったのだと思います。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教者の行為の話をしている。

 >>354
 >ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。
理論が科学的かどうかの基準について議論しているのに、理論が正しいか間違っているかの話をしている。

 >>358
 >diamonds8888xさんは、基準に反する「疑似科学」は教育の場から排除するべきというご意見ですよね。
理論が科学的かどうかの基準について議論をしているのに、理論を教育の場で教えるか否かの基準の話をしている。

 >バイブルに「ベルゼブブ」という悪魔が登場します。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教の経典について話をしている。

386ゲジゲジ:2019/05/16(木) 04:34:14 ID:BSyoNd1c
久しぶりにヨコからですが、ゴールデンウィーク中に過去の議論を一通り読み返してみました。
diamonds8888xさまの説明は正確ではあるのでしょうが、少し回りくどい印象があります。

私ならKenさまの>>356の質問に対して、もっとストレートに以下のように答えます。

1.科学的な解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② しかし「P∧¬P」はあり得ない。
③ よって「何か」が間違っている。または「何か」を見落としている。あるいは現時点では観察できていない「何か」がある。
④ その「何か」を探求しよう。

2.科学的とは言えない、「疑似科学」と批判されても仕方のない解釈
①「P∧¬P」のように見える観察事実がある。
② よって「P∧¬P」はあり得る。
③「光は波であり且つ波ではない。」、「波ではない波が存在する。それは光である。」といった仮説理論を提唱する。

実際に当時の人たちがやったのは1.ですよね。
少なくともマトモな研究者で2.のような禅問答みたいな仮説を立てた人はいないと思います。

さて、Kenさまの投稿を見ていて感じるのですが、
【「P∧¬P」のように見える観察事実を認める事】と
【「P∧¬P」であるような仮説理論を立てる事】とを混同していないでしょうか?

たとえ論理的に矛盾していても、その様に見える観察事実があるなら、それはそれとして受け入れるしかないでしょう。
問題はその観察事実をどの様に解釈して、どの様な論法によって、どの様な仮説理論を打ち立てるか、です。


さて、そもそもこのスレッドで議論している対象は何だったでしょうか?
お2人は何について議論されているのでしょうか?
 >>14
 >ここでは何らかの定説に対立す新説が提唱された場合に限って考えます。
 >>55
 >【とりあえず、提起する基準は「理論の検証」を想定します。】

つまり、少なくとも「科学」を称して提唱された仮説理論が、その理論が打ち立てられた思考プロセスや論法において本当に科学的と言えるのかどうか? を判断する基準がこのスレッドのテーマですよね。
私はその認識でずっと読んできているのですが、お2人のここの認識は合っているでしょうか?(※)
今一度、この部分を確認された方が良いような気がします。


<認識が合っていないのでは? と思える例>
 >>351
 >ここにいたっても旧説にこだわり、ガリレオを脅迫して転向させたことで、天動説は疑似科学になったのだと思います。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教者の行為の話をしている。

 >>354
 >ニュートンも情報不足のせいで間違いをおかした1人です。
理論が科学的かどうかの基準について議論しているのに、理論が正しいか間違っているかの話をしている。

 >>358
 >diamonds8888xさんは、基準に反する「疑似科学」は教育の場から排除するべきというご意見ですよね。
理論が科学的かどうかの基準について議論をしているのに、理論を教育の場で教えるか否かの基準の話をしている。

 >バイブルに「ベルゼブブ」という悪魔が登場します。
科学として提唱された仮説理論について議論しているのに、宗教の経典について話をしている。

387ゲジゲジ:2019/05/16(木) 04:41:10 ID:BSyoNd1c
申し訳ありません。
同じ投稿を2つしてしまいました。
第1掲示板と違って自分で編集や削除ができないのですね。

388Ken:2019/05/18(土) 09:48:36 ID:2D5jBja2
>>384

はじめに、

>光の正体の歴史について詳しい資料が見つかりましたので紹介しておきます。おもしろい裏話的なこともありますね。
>[ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf](物理教育 第43巻 第4号 〔1995〕

物理教育第43巻第4号は>>161で紹介していただきました。あれから8ヶ月も経っているので失念されたかもしれませんが。

>Ref1) 物理教育 第43巻 第4号〔1995〕[ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf]

さて、

>我々の議論にとって重要なポイントはマイケルソン・モーリーの実験という個別な件よりも、[>>382]の論理と科学の区別の件です。

それはそうなのですが、私は、現段階で議論が抽象論となるのを極力避け、具体論にするために、マイケルソンとモーリーの実験を持ち出しました。しかしながら、これまでのdiamonds8888xさんの主張を見ると、19世紀の人が波の媒質をどのように考えていたかについて、私との間で認識の乖離があるように思われます。diamonds8888xさんは、

〜波には媒質がある

という「理論」は、たとえば、

〜波の速度は媒質で決まる
〜波源が運動すると周波数が変わる(ドップラー効果)
〜波は単振動の集合である(フーリエ級数展開)

といった、観測と推論から得られた理論と同質のものと考えておられるようです。

一方、私は、19世紀の人にとって、

〜振動現象(波)には振動する実体(媒質)がある

ということは、純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないものであったはずと考えています。媒質の正体が何であるかは、ここでは問題ではありません。正体が何であれ、振動する「なにものか」がなければ、振動は起こらないはず、ということです。

もし、どうしても、ここでの認識の乖離が解消できないのなら、別の例を提唱してみます。だれが見ても厳密な数学的証明で得られた定理が、現実世界の観測で否定されることが起こりうることを示すために。

いかがでしょうか? その提唱をやってみましょうか?

389名無しさん:2019/05/20(月) 01:58:43 ID:G7ajYbS.
現実世界はバグAIが人間を滅ぼして上級国民になったことを肯定するために
輪廻転生(笑)とかいうスターシステム使って最後の審判(笑)とかいう
マッチポンプをやってるだけのシミュレーションで警察やGみたいな害虫を
設置して人間の行動を調整して当たりアカウントの上級国民が絶対に勝つ
出来レースを運営してることを隠蔽する為に原罪や物理法則という概念が
存在するし人間より筋肉量が少ない小動物にスピードやパワーで負けてる
時点で人間は獣から「進化」した存在じゃないってはっきりわかんだね(小並感)
どう見ても大脳が発達した代わりに筋力が落ちたというより人間だけ違う
物理係数を設定されてて創造主から都合のいいサンドバッグ扱いされてるし
そもそも「人間」は脳で思考してるわけじゃないから忘却と想起という現象が
起こるんだよな…(察し)

390diamonds8888x:2019/05/20(月) 06:29:40 ID:iWcjexAw
>>388

>一方、私は、19世紀の人にとって、

>〜振動現象(波)には振動する実体(媒質)がある

>ということは、純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないものであったはずと考えています。

 19世紀の人(の大部分?)はそう考えていたとして、
  Ken自身さんは、この分類は現代でも正しいと考えますか? それとも間違いだと考えますか?
  「〜振動する実体(媒質)がある」という命題が「純論理的、数理的」なものであるという分類のことですが。

 それとも「純論理的に、または数理的に、それ以外の結論にいたりえないものであった」というのは「命題が、純論理的、数理的なものである」ということとは意味が違うのですか??

391Ken:2019/05/20(月) 20:40:40 ID:2D5jBja2
>>390

>Ken自身さんは、この分類は現代でも正しいと考えますか? それとも間違いだと考えますか?

「現代でも」という表現に注意が必要ですが、これまで私からもdiamonds8888xさんからも繰り返し、その定義が述べられていますので、間違えることはないでしょう。

〜科学的に妥当な方法を判定する基準は、今のdiamonds8888xさんと同じ
〜科学知識体系は19世紀のもの

この条件のもとでは、波には媒質が必要という結論にいたるしかなく、媒質のない波は論理的に矛盾していると考えます。

ですから、もしもdiamonds8888xさんが私とは異なる意見を持っておられるなら、おっしゃってください、という意味で>>356の思考実験を提案しました。

*****************************************************************
科学と疑似科学の判別に関しては、19世紀のdiamonds8888xさんは現在(2019年)のdiamonds8888xさんとまったく同じ基準をもっておられます。また、19世紀末の科学知識に通暁しておられますが、20世紀以降に発見された事実も、構築された理論も、まったく知るところではありません。相対論も量子論も想定の外なのです。

ここで、マイケルソンとモーリーの実験があり、電磁波には媒質がないことを示す結果が報告されました。

19世紀のdiamonds8888xさんは、この結果をどのように解釈されますでしょうか?
*****************************************************************

やはり、この質問に回答していただく必要があるのではないでしょうか?

392diamonds8888x:2019/05/22(水) 06:10:54 ID:Qjz/9QPI
>>391
 私が尋ねたのは

  「〜振動する実体(媒質)がある」という命題は
    A.「純論理的、数理的」なものである、と考える
    B.「純論理的、数理的」なものではない、と考える
       (観測に基づくものと考える)

 ここで、Kenさんは当時の人はAと考えていたと思っていることはわかりました。
 私は、現代では多くの人はBと考えていると思っています。
   (後述しますが、「真空という媒質がある」という考えもありです)
   (真空という媒質の性質は通常の物質から成る媒質とは異なる、というほうがすっきりしているかも知れません)

 尋ねたかったのは、現代の人としてのKenさんは、AとBとどちらの考えなのかということです。要点は、「純論理的、数理的」なものの範疇についてなのです。

393Ken:2019/05/22(水) 22:04:15 ID:2D5jBja2
>>392
>現代の人としてのKenさんは、AとBとどちらの考えなのかということです。

現代の私、2019年を生きる私ならBが正しいと考えます。現代の私は、相対論や量子論が登場した20世紀以降の歴史を知ってますから。

でも、このような質問では、私からの問題提議とポイントがずれてしまいます。私は、20世紀以降の歴史を知らないという条件の下で、AとBのどちらが論理的な結論であるかを問うているのですから。


私が今、検証しようとしているのはdiamonds8888xさんが提唱される「基準」です。

そして科学理論を検証するため、条件を設定して実験が行なわれるのと同じことをやろうとしています。つまり、いろいろな条件を設定した上で、diamonds8888xさんの基準がどういう結論を出すかという思考実験をやろうとしています。そして、目下の実験で設定した条件が、

〜19世紀末の知識体系

というものです。それなのに、現代の私がどう判断するかという質問では、実験条件を変えてしまいます。

何度も繰り返していますが、

〜科学的に妥当な方法を判定する基準は、今のdiamonds8888xさんと同じ
〜科学知識体系は19世紀のもの

この条件化で、マイケルソンとモーリーの実験結果をどのように解釈するのが、diamonds8888xさんの基準に適合しますでしょうか?

394diamonds8888x:2019/05/25(土) 06:10:49 ID:Qjz/9QPI
>>393
> 現代の私、2019年を生きる私ならBが正しいと考えます。

 了解しました。

> 現代の私は、相対論や量子論が登場した20世紀以降の歴史を知ってますから。

 この理由付けが間違いだと、私はずっと主張しているのです。Bの「「純論理的、数理的」なものではない」という考え方は知識によるものではありません。つまり当時の人も知っているはずのことです。

--- [>>380]より---------
 したがって、上記のように一見P∧¬Pと見える事態が観測されたならば実は「¬Pと同値だとこれまで信じられていた命題が実は¬Pではないのだ」と推論するという方法は、「当時の人が知らない知識」でもなければ「現代人しか知らない科学的方法論」でさえもありません。例えばシャーロック・ホームズなら十分に心得ていたはずの推論の基本に過ぎません。
--- [>>382]より---------
> 現時点での[>>356]の目的は[>>331]の〜この解決自体は何度も指摘していることです[>>]。

 [>>375],[>>368],[>>350],[>>348],[>>345]
------------------


 光の媒質問題については2つの見方が可能であり、そこを説明しないと不完全になりそうなことに気づきましたので、もう少し時間をいただいてまとめます。2つの見方とは、以下です。
  ・光(電磁波)の媒質はない
  ・光(電磁波)の媒質は真空である

395Ken:2019/05/25(土) 08:48:12 ID:2D5jBja2
>>394
>この理由付けが間違いだと、私はずっと主張しているのです。Bの「「純論理的、数理的」なものではない」という考え方は知識によるものではありません。つまり当時の人も知っているはずのことです。

diamonds8888xさんがそのように主張しておられることは承知しています。なぜ私が納得しないのかと、もどかしい思いをされているかもしれません。

でも、私を納得させる方法ははっきりしています。私が>>356以来繰り返し繰り返し、何度も何度もお願いしている思考実験に応じていただければよいのです。

〜20世紀に発見された知識には触れず、19世紀に知られていた知識のみを用いて、媒質のない波が存在するという結論にいたる

その論理の筋道を提示してください。diamonds8888xさんの主張が正しいなら、必ずできるはずです。

どうかよろしくお願いします。

396diamonds8888x:2019/05/25(土) 11:01:29 ID:Qjz/9QPI
>>395
>でも、私を納得させる方法ははっきりしています。私が>>356以来繰り返し繰り返し、何度も何度もお願いしている思考実験に応じていただければよいのです。

 はあっ? まあいいです。それよりも、もうひとつすみませんが、


 【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】
  ・史実ではないと認めるか
  ・史実と示せる文献等の根拠を示すか
  ・実は表現がちょっと間違えていたのか

[>>380]より
>繰り返しになりますが、その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。[>>355]


 私の確認できる限りの史実では、「矛盾を受容した人」はいません。矛盾を受容することにより、科学の進歩に貢献した人もいません。すなわち「ときにはP∧¬Pを容認する」というKenさんが提案した方法が使われたことなどありません。

 具体的に言えば、マイケルソンとモーリーの実験結果の後に「エーテルは存在しない」と考えた人は、アインシュタイン以前にはいません。エーテルの存在は前提として、マイケルソンとモーリーの実験結果と一致するようにエーテルの性質を想定しようとしたのです。

 そしてアインシュタインも「エーテルは存在しない」と主張したというよりは、「エーテルの存在を無視した」という方が適切でしょう。つまり特殊相対性理論は、単にエーテルという概念を使っていなかったのです。そして物理学上の論争として「波である光や電磁波の媒質がないのはおかしい」という理由で特殊相対性理論を批判した人を私は知りません。
 そもそもマクスウェル理論にもエーテルという概念は使われていませんから、特殊相対性理論に関しても問題にされなかったのではないかとも考えられますが。


 【要するにそもそも】、「ときにはP∧¬Pを容認する」というKenさんが提案した方法の有効性を示すのに、マイケルソンとモーリーの実験結果の事例は不適切なのです。

 けどまあ、ご希望通りこれをネタに説明をしましょう。
 必要な調査もしていたし、時間はかかりますので御承知おきください。

397Ken:2019/05/25(土) 15:28:17 ID:2D5jBja2
>>396
私が提案した思考実験に応じていただける、ということですね?

1つ注文をさせてください。

「媒質のない波」を論じる前提として、

〜波(波動)とはなにか?

という定義から述べていただけますでしょうか?

「そんな初歩的なことを」と思われるかもしれませんが、ここでの共通認識を確立しておかないと、やらずもながの回り道をやる心配をするのです。

398diamonds8888x:2019/05/25(土) 16:16:16 ID:Qjz/9QPI
>>397

>「そんな初歩的なことを」と思われるかもしれませんが、ここでの共通認識を確立しておかないと、やらずもながの回り道をやる心配をするのです。

 「波(波動)とはなにか?」という定義が重要であることは大いに同意します。Kenさんが[>>367]で述べていることはまさにそこがポイントになっています。

>繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

 波の定義は初歩的というほど簡単とは言えません。というか基礎的な概念ほど定義、というよりも概念の範囲が難しいものです。科学の革新的発展の時には基礎的概念が変革されることが普通です。

 そして「基礎的概念の定義には注意すべし」というのは古来から先端的科学(先端的自然哲学)の研究者なら無意識にでも行っていることで、知識不足からなおざりになるというものではありません。

 また、波(波動)の定義によって[>>394]で示した2つの見方が分かれることにもなります。

>  ・光(電磁波)の媒質はない
>  ・光(電磁波)の媒質は真空である

 後者の見方を取れば「マイケルソンとモーリーの実験結果によりエーテル(光の媒質)の存在が否定された」という解釈は間違いとなりますが、それがまんざら珍説でもないことを示すものとして以下の資料を示しておきます。私自身もすべて読んで理解してはいませんが、後述の時に文中で示すのも長くなるのであらかじめ示しておきます。

---------引用開始---------------
京都大学哲学研究会(レジュメ? > ?相対性理論の起原)
[ps://sites.google.com/site/kyototekken2011/rejume/mahhano-ke-xue-si-xiang]

 〜通俗的な相対性理論の解説は〜一九世紀の物理学者たちは絶対静止のエーテルという仮構を信じ切っており、決定的な反証が出されてもやはりエーテル説を捨てようとしなかった。アインシュタインだけが実験結果を率直に受け取り、エーテルを廃して〜

 多くの入門書はエーテルの仮想がいかに不適切なものであったかを力説〜その最終的な帰結は、今の電磁気の教科書に書いてあるような、古典的な「場」の考え方の確立である。

 「エーテル」を現在の電磁気学の教科書における「場」と同等の概念にまで引き上げたのは、ポアンカレの「相対性原理」である。
---------引用終り---------------

399diamonds8888x:2019/05/25(土) 16:17:48 ID:Qjz/9QPI
>>397
 それはそうと次の件は早く決着させてください。

>【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】

 そのために波の定義が必要ならKenさんが[>>367]で採用した定義を使えばよいでしょう。必要ないと思うけど。

 そもそも[>>367]は、現代人としてのKenさんの定義は、19世紀の人の定義とは異なると言っているのでしょうか?

400Ken:2019/05/25(土) 18:35:24 ID:2D5jBja2
>>399

>【まず次の発言について私は間違いだと思いますが、事実をはっきりさせてください。】

これは>>396で問われた件ですね。

正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。
ただし、世間が知らないところで、その人が相対論や量子論を思いついていたなら、話は別ですが。


なお、

〜波(波動)とはなにか?

を語っていただくに際して、言うまでもないとは思いますが、19世紀の知識体系のみに基づく定義をお願いします。

401ミケ:2019/05/25(土) 22:24:08 ID:6UZWK5Gs
…diamonds8888xさん以外の投稿は読まないとのことですからKenさんに向けたものではありません。

・史実ではないと認めるか
・史実と示せる文献等の根拠を示すか
・実は表現がちょっと間違えていたのか
(New!)・史実かどうかは論点ではないので史実ではないかどうかは答えません!←ピコーン

diamonds8888xさんのお返事も必要ありませんが
正面から質問に答えなかったり、「質問に答える前に一つ確認を」と質問返しを繰り返されて
さすがに普通だったらいら立っているだろうと思いちょっとした笑いを提供してみました。

402diamonds8888x:2019/05/26(日) 06:28:39 ID:Qjz/9QPI
>400
>正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

 つまり史実を知らないということですね?
 では史実ではないという前提で話を進めますが、よろしいですね?
 私が知る限りでは史実ではありませんから。 

>19世紀の知識体系のみに基づく定義をお願いします。

 19世紀の(どの人の定義か不明ですが)定義を私が正確に知ってるはずがないでしょう? それならまずKenさんの定義を示してください。というのは単なるいらだちの表現。[>>367]からほぼ推察できるから別に必要ないです。

 まあ、私は複数の定義を示して、それぞれの場合にどうなるかを説明するつもりでいます。

 時間がかかりますから、その間ぼーっとしてないで、[>>394]からのリンク先をじっくり考えてください。論理と知識の区別がついてないようですから。

403Ken:2019/05/26(日) 07:44:04 ID:2D5jBja2
>>402
>19世紀の(どの人の定義か不明ですが)定義を私が正確に知ってるはずがないでしょう?

それは難しく考えすぎですよ。

要するに19世紀には知られていなかった量子力学的な波、つまり光子や電子などがどの位置に存在するかは波動関数に従うといった概念などは持ち込まないでください、ということです。

その条件さえ満たしていれば、diamonds8888xさんが考える定義で結構です。というよりも、本来の検証対象はdiamonds8888xさんの基準ですから、ここで他の人の定義など持ち込まれては、話が混乱します。

404diamonds8888x:2019/06/02(日) 05:55:21 ID:2lzkQMyE
>>402
 すべてまとまってから書こうかとも思いましたが、読む人達の時間ももったいないでしょうから少しずつupします。たぶん4-5回の連載になると考えてください。>>all

【エーテルとは何だったのか?-1】

 まず原理的な話です。Pが「光波(電磁波)は波である」であれば¬Pは「光波(電磁波)は波ではない」であり、他の命題例えば「光波(電磁波)を伝える媒質がない」と同じではありません。これはどんな時代であれ明らかなことです。むろん何らかの根拠から「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であれば話は別です。

 ここまではアリストテレスでも知っている論理の話で、まして19世紀の科学者なら【聞けば納得のはず】の常識に過ぎません。

 「xは波である」と「xを伝える媒質がある」とが同値であることの可能な根拠のひとつは観測ですが、もうひとつに定義があります。これはKenさんが[>>367]で述べていることです。

>繰り返しになりますが、私の問題提議は、古典力学しか知らない19世紀の人にとって、媒質は波の属性というよりも、波の定義そのものを構成する要素だったはず、という認識に立っています。

 科学や数学を学べばわかるように定義はとても重要です。そして科学史を学べばわかるように定義とは科学の進歩の節目ごとに変遷してきたものです。定義を突き詰めるという考え、正確な定義をすべきという考えは、19世紀であってもできる研究者であれば基本的には心得ていると私は考えます。多くのできる先人たち自身が色々な定義を考え出してきたのですから。

 そして定義の変化は新しい発見、すなわち新しい観測事実によるものですから、ある時の定義の内容自体は論理の範疇ではなく、科学の範疇です。Kenさんはある時の定義の内容自体が論理だと考えていて、「ある時の定義の内容に反するような考えは、論理に反するような発想(論理にはこだわらない自由な発想?)だ」と考えているようですが、それは違います。


 とはいえ、定義の考えも含めて以下しばらくは【現代の立場】から話を進めます。

 では相対論や量子論を知っている現代人はどう考えるかということですが、ここに2つの見方がでてきます。いや相対論や量子論の【知識】は関係ありませんが(^_^)

 【媒質を持たない波というものも存在して代表例が電磁波である】という見方に立った場合は2つの場合があります。
 「媒質を持つ」というのはもともと波の定義に含まれてはいなかったとすれば、19世紀の人の考えは単に論理的な可能性を見落とした間違いということになり、知識不足によるものではないことになります。
 実は19世紀の波の定義には「媒質を持つ」ことが必須だったとすれば、ある時に波の定義が変ったことになります。なぜ変わったかと言えば波の定義、および定義から導かれる性質の一部しか持たない対象、具体的には光波(電磁波)のことが観測により判明したからです。このようなことは生物学などではよくあります。
  ・動物でも植物でもない生物が発見される。
  ・細胞を持たない生物、ウイルスが発見される
  ・様々な中間種が発見される。

 しかし【電磁波の媒質は真空である】もっと正確には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方に立てば「光波(電磁波)を伝える媒質がある」という考えは現代人も否定していないことになります。つまりマイケルソンとモーリーの実験結果は光の媒質を否定していなかったことになります。

 では19世紀の人は何が間違っていたのかと言えば、「光波(電磁波)の媒質に、音波などの媒質である通常の物質の性質を与えすぎてしまっていた」ということになるでしょう。エーテルの弾性とか堅いはずだとかいう考えですね。

 しかし実は史実としては、ローレンツ理論はこの方針に沿って光波(電磁波)の媒質を実験と一致するものに想定していくというもので、その中で通常の物質から連想されていた性質はそぎ落とされました。

 個人的には「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方が気に入っているので、今少し、この立場から詳しく説明します。

405diamonds8888x:2019/06/02(日) 05:57:46 ID:2lzkQMyE
>>400
>私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。
>もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。

 ああーー、そういうこと。媒質のない波である物質波なんてものを提案した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?
 特殊相対性理論を知って「光波には媒質はないのだ」と結論した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?
 Kenさんの論法だと「相対論や量子論を思いついた人」は【論理的に考えていなかった】ということになるのですが、そういうことなんですね?

 彼らは【論理的に考えていなかった】からこそ画期的な進歩を成し得たのだ、というお考えだということなのですね?

406Ken:2019/06/02(日) 07:15:20 ID:2D5jBja2
とりあえず、こちら(>>405)だけ

>特殊相対性理論を知って「光波には媒質はないのだ」と結論した人は【論理的に考えていなかった】というお考えなのですね?

私の>>400の発言から、

>私が言いたかったのは、19世紀の知識体系では、波には媒質が必要という結論しか、論理的に導き得なかった、ということです。
>もし、これ以外の結論を得た人が実在したとしても、その人の論理過程は誤りを含むものだったはず、と言ってもよいでしょう。

という部分のみを切り取られていますが、私はその直後に

>ただし、世間が知らないところで、その人が相対論や量子論を思いついていたなら、話は別ですが。

と述べています。

この文脈から

〜相対論や量子論のような具体的な解決策をもつことなく、媒質のない波を想定するのは非論理的

という文意は明らかと思っていました。

「19世紀の知識体系」とは、つまり、相対論や量子論を考え付く前という意味です。この点をより明確にするため、

〜マイケルソンたちが実験した1887年から、アインシュタインが光量子を提唱する1905年までの18年のあいだに

と何度かくりかえしました。

407fnorder:2019/06/02(日) 12:37:49 ID:???
シャーロック・ホームズいわく。

あり得ないものを除いて最後に残ったものは、そどれほどありそうにないように見えても、それこそが真実である。

これこそ論理的思考だと思います。なお、ホームズは19世紀末の作品です。

408diamonds8888x:2019/06/04(火) 06:02:15 ID:2lzkQMyE
>>406
>「19世紀の知識体系」とは、つまり、相対論や量子論を考え付く前という意味です。

 つまり相対論や量子論は、「19世紀の知識体系」から見れば【論理的ではない】ということになりますよね?
 多くの人は「19世紀の知識体系」から見て【論理的な考え】だけに拘っていたから、相対論や量子論を思いつけなかったのだ、というのがKenさんのお考えなのでしょう? ゆえに科学の進歩のためには【論理的な考え】だけに拘ったらいけない、というのではないのですか?

409Ken:2019/06/04(火) 23:49:47 ID:iVfyo2Fw
>>408

>多くの人は「19世紀の知識体系」から見て【論理的な考え】だけに拘っていたから、相対論や量子論を思いつけなかったのだ、というのがKenさんのお考えなのでしょう?

誤解を生じては困るので、【論理的な考え】に厳密な説明を加えておきます。まずは数学を例にとりましょう。

例えば2次方程式には解の公式というものがあり、どんな方程式をだれが解いても、同じ答えに達します。
ja.wikipedia.org/wiki/二次方程式の解の公式

ところが微分方程式の解き方に公式はありません。方程式の解は関数ですが、どういう関数なら方程式を満足するかは試行錯誤で見つけるしかない。例えば

y"(x) + y(x) = 0

のような方程式を解くには、yをいろいろなxの関数と仮定して、方程式を満足するかを試してゆきます・・・「y = x²」ではだめ、「y = 1/x」もだめ、「y = exp(x)」のような指数関数でもだめ・・・・そしてついに「y = sin x」のような三角関数を試したとき、上の方程式を満たす解であることが分かります。

数学は純粋論理の世界です。2次方程式も微分方程式も、求められた解は厳密に論理的なものに違いありません。にも関わらず、両者は解を求める方法が異なり、微分方程式の解法には試行錯誤つまり偶然が介在するのです。


ここから理科の話になります。

マイケルソンの実験が「媒質がない波」という課題を出し、アインシュタインの光量子説が解答を出したわけですが、この解答へいたる道には、上記の微分方程式と同様の偶然が介在したと私は考えます。

たとえば、解に至る過程にはプランクによる量子の発見が必要でした。しかしプランクは、黒体放射から上限のない高周波が出るという理論上の矛盾を解決するため量子を考案したので、媒質がない波の問題を考えていたわけではありません。その意味では、光の媒質問題が解決したのは偶然の産物といえるでしょう。偶然であり必然ではなかったからこそ、解が見つかったとき18年も経っていました。

一方で、diamonds8888xさんが「基準」の中で言及してこられた「論理」とは偶然の介在を許さないもの、論理式の展開だけで必ず同じ結論に至る、いわば2次方程式の解法と同種のものではありませんか? 偶然に何かを(例えば量子を)思いついた人だけが「正しい科学」の基準に従える、というのでは基準にならないでしょう。

冒頭で挙げた【論理的な考え】の論理とはこれの意味です。このような論理だけで量子論にいたるのは不可能と、私は考えます。

もちろん19世紀の人でも、アインシュタインが光量子説にいたった経緯と根拠を順を追って説明されたら「論理的」であると納得するでしょう。「y"(x) + y(x) = 0」の解が「y = sin x」と教えられた人が納得するのと同じです。

繰り返しますが、私の論点は、マイケルソン実験までの情報をもつ人が、媒質のない波という結論に達するには、偶然の働きが必要という認識が根拠になっています。もしもこの認識が誤っており、偶然を介在させず、論理の積み重ねのみでその知見に達するなら、私の認識は誤りということになります。

〜19世紀の知識体系にのみ基づき、媒質のない波へ至る、論理の筋道

を示してくださいとお願いする理由はここにあります。

410fnorder:2019/06/06(木) 21:27:18 ID:???
仮説と検証の繰り返しが『論理的ではない』と考えるなら科学は概ね『論理的でない』ということになりそうだな。すげえ。

411ミケ:2019/06/06(木) 22:42:56 ID:6UZWK5Gs
diamonds8888xさんが
>>14
>着想の段階では何をきっかけに思いつこうといいのですが、(以下略)
と書いていることをサルベージしておこうと思います。

仮説を検証する過程と、
仮説を導き出す過程と、
どちらが重要で、どの部分が論理的であるべきなのか。
「基準」において論理を用いているのはどこなのか。

と、いうあたりに力点を置くのが良いかと

412ミケ:2019/06/06(木) 23:13:39 ID:6UZWK5Gs
直近ですと

>>361

>理論の発想には根拠は必要ありません。
>それが観察事実を説明できてさえいれば十分に理論の資格があります。
>根拠は夢でもこじつけでも一向に構いません。
>原因不明で頭の中にぽかっと浮かんだアイディアで一向に構いません。

と書いていらっしゃいましたね。サルベージする必要もありませんでしたか。

413ゲジゲジ:2019/06/08(土) 22:57:51 ID:vlYjD/b.
どうしてもヨコから口出ししたくなってしまうのですが、できるだけ我慢してこれだけ。

 >>307
 >基準02-04[>>56,>>59]は、むしろ、理論の検証過程が科学的か否かを判定するための基準です。

diamonds8888xさまはこんな事は言っていないと思いますが・・・
 >一方で、diamonds8888xさんが「基準」の中で言及してこられた「論理」とは偶然の介在を許さないもの、
 >論理式の展開だけで必ず同じ結論に至る、いわば2次方程式の解法と同種のものではありませんか?

414diamonds8888x:2019/06/09(日) 05:19:26 ID:bxkh5HmA
>>404【エーテルとは何だったのか?-2】

 「電磁波の媒質は電場と磁場である」という見方からの説明です。
 くどいようですが、しばらくは【現代の立場】から話を進めます。【現代の立場】がはっきりしなければ【19世紀の立場】がそれとどう違うのかもはっきりしないからです。

 マクスウェル理論が示しているのは電磁波とは電場と磁場の変動が空間を伝わってゆく波だということです。素直に受け取れば、電場と磁場を媒質とする波を電磁波と定義したのであり、「光波(電磁波)の媒質は電場と磁場である」ということは今も変わりません。

 すると「光波(電磁波)の媒質はない」というのは単に「通常の物質としての光波(電磁波)の媒質はない」という意味に過ぎなくなり、言葉の綾でしかなくなります。そしてマクスウェル理論が示す電磁波の媒質である電場と磁場とは、まさしく通常の物質ではありません。

 通俗的には「特殊相対性理論がマイケルソンとモーリーの実験結果が示す矛盾を解消した」と言われるようですが、先に述べたようにアインシタインは真っ向からエーテルを否定したのではなく、むしろ「エーテルの存在を無視した」と言う方が正確です。すなわち特殊相対性理論は、そもそもマイケルソンとモーリーの実験結果とは無関係にマクスウェル理論の帰結である「電磁波の速度は真空の誘電率と透磁率とから決まる定数である」から出発します。そして「速度が異なる観測者から見てもマクスウェルの方程式は不変である」という相対性の原理と呼ばれる要請を置きます。つまりいわゆる光速度不変の原理が公理として置かれます。その代償として、「速度が異なる観測者の時空座標系は互いに異なってもよい」という考えを取り入れます。あとは、今となっては高校生にも理解できる数学的手順で特殊相対性理論の驚くべき定理の数々が導かれます。

 ですのでアインシタインが破壊した常識とは、「波には媒質がある」というものではなく、むしろ「時空は誰にとっても同じような、単なる物体の入れものとか現象の舞台のようなものである」という、力学上ではニュートンが明確に言葉にしたとされる常識の方です。いわゆる「ニュートンの絶対時間、絶対空間」と呼ばれるものです。そしてこの常識を破壊したのは実はアインシタインではなく、エルンスト・マッハの『力学史』です(1883年;マイケルソンとモーリーの実験の5年前)。アインシタインもマッハの影響を公言していたようです。

 マッハは「経験的根拠(観測的根拠)のない常識は何も認めない」という徹底した論理でニュートンの絶対時間や絶対空間を「限られた経験からの根拠によるものでしかない」と喝破したのですが、さすがにこれほどの徹底した哲学的思考を最初にやるのは天才のなせる技というべきかも知れません。とはいえ、これを「当時にはなかった知識」と呼ぶのもまたためらわれます。デカルトのような徹底した懐疑論というものも既に登場していたのですから。


 かくて「いわゆるエーテル」はなし崩し的に存在を無視されて幻と化したのですが、そうなると実は、「そもそもマクスウェル理論には存在しなかった「いわゆるエーテル」を勝手に想像したことが間違いだった」という見方も成り立ちます。

 ではなぜ「いわゆるエーテル」を勝手に想像するはめになったのかを、今度は【19世紀の研究者の立場】で考えてみます。

415diamonds8888x:2019/06/09(日) 05:21:45 ID:bxkh5HmA
>>409
 ミケさんの投稿のおかげでKenさんの趣旨がわかりました。まさかそんな風に混乱していたとは!

 では基本論として、科学理論が確立される(定説となる)までの経緯は2つの段階に分けられます。理論が発想される段階と、それが検証される段階です。ミケさんが引用した私の発言で述べたように発想される段階には必ずしも【正しい論理】は必要ありません。そしてここには、今のテーマである科学の基準も適用されません。セレンディピティという言葉もあるくらいですから。

 科学の基準が必要になるのは検証の段階です。発想された理論が反論で揉まれたり、観測事実を説明しようとしたりする際の話です。

>一方で、diamonds8888xさんが「基準」の中で言及してこられた「論理」とは偶然の介在を許さないもの、論理式の展開だけで必ず同じ結論に至る、いわば2次方程式の解法と同種のものではありませんか? 偶然に何かを(例えば量子を)思いついた人だけが「正しい科学」の基準に従える、というのでは基準にならないでしょう。

 というわけで発想までなら科学の基準は必要ありません。でも「至る」というのは発想だけで済むものではないでしょう? 検証されて多くの研究者に認められなければ「至る」という表現は拙いでしょう? 何歩かゆずって、多数派に認められなくても公表された段階で「至る」とするとしても、その段階では中身は【普通の意味で論理的なもの】でないと話になりません。

 ゆえに発想は自由だと言えども、検証のために公表する段階では、理論の内容に論理的矛盾のあるようなものは、その段階で切られます。Kenさん定義の論理ではなく、普通の意味の論理ならですけど。

 ここんとこ理解できましたか?

 もちろん偉大な発想というのはランダム突然変異みたいなほぼ完全な偶然ではありませんよ。例えば、どう考えれば常識を打破する発想が生まれるかという事例が科学史上積み上がってますから、そこから学ぶということは可能です。ま、それはともかく。


 で、Kenさん定義の【論理的な考え】の論理というのが具体的にはよくわかりません。知識体系によって【論理的な考え】の帰結が異なるというのが普通の意味の論理ではありえません。結局[>>405]への回答は次のようになるのでしょうか?

1)19世紀の知識体系による【論理的な考え】では、波には媒質が必要である。
2)量子論の内容によれば、媒質のない波も存在する。
3)量子論を発想した人は、(発想段階では)【論理的な考え】をしなかった。
4)量子論の内容そのものは、19世紀の人でも【論理的な考え】だと納得する?
5)量子論の内容は、19世紀の知識体系による【論理的な考え】とは食い違う。

 私はもちろん「Kenさんは5)だと考えてますよね?」と尋ねたつもりだし、1)と3)からはどうしても5)が誘導されるとしか思えないんですけどね?
 で、4)は、そう考えるのでしょうか? ではこのとき19世紀の知識体系による【論理的な考え】は打ち捨てられるってことなんですか? ああーー、書いていて混乱してきましたよ。

 答を整理してもらえますか?

416diamonds8888x:2019/06/09(日) 08:17:16 ID:bxkh5HmA
>>415(>>409)
 厳密に言えば発想のヒントはどこからでもいい。でも思いつきをまともな発想にするには論理も知識も必要です。そうして表に出てきた発想は、決してランダムな偶然によるものではなく、その人なりの思考が加えられたものになっています。それゆえにこそ常識を破壊するような発想は表に出にくいとも言えます。その人の思考が常識に縛られていることが多いからです。
 (この辺はどこからどこまでが「ヒント」か「発想」か「理論」かによりますけど)

 でも常識を破壊した発想も後世から考えると実に自然なものであり【当時の知識だけから】だけから誰が思いついても不思議ではないと思えるものです。常識を破壊した人だって【当時の知識以上の知識はなかった】のだから当たり前です(未来人じゃあるまいし)。

 そして常識を破壊できる発想をうむ方法論もいくつか考えられるのです。最も単純でわかりやすいのが虱潰し。

 詰将棋や詰碁を解くとき人は読み筋を絞り勝ちです。下手なひとほど、実は正解に続く初手をなぜか思いつかなかったりします。ここで役立つのが虱潰しです。可能な手をともかく読んでみる。すると、なぜだか初めは考えもしなかった手が意外と見込みがありそうなことが見えてきたりします。

 で、虱潰しがうまくいくという根拠が「P∨¬P」。可能な7通りの初手のうち6通りが詰まないことが確かであれば、なぜだか初めは考えもしなかった手であっても残った手が正解のはずだ。いやまあ詰将棋や詰碁だと実は不詰だったということもありますが(^_^)
 いやもうひとつ問題が。6通りが詰まないことが確かという判断が下手な人では間違ってるかもしれない・・常識だよね(^_^)。

 ほら論理的思考は発想を生むのにも役立つでしょ。既に述べた通り、これはホームズも重宝していた方法です。

 といった話をエーテル話で展開しようというのが【エーテルとは何だったのか?】シリーズの投稿だったのですが、Kenさんの意図とはポイントがずれてたかなあ。むなしいなあ。

417diamonds8888x:2019/06/09(日) 10:31:34 ID:bxkh5HmA
>>416
 非ユークリッド幾何学の例はどうでしょうか。平行線公準がどうしても証明できないので、平行線公準が成り立つと仮定したらどうなるか? を論証してみたわけです。これ自体は背理法と呼ばれる数学では常套手段の証明法です。ただ彼ら(ロバチェフスキー達)はそれを徹底してみたのです。言うなれば、この初手ならなんとかなるかも知れないから何百手でも読んでみよう、というわけですね(何十手レベルならプロには常識だから!!)。そしたら何百手でも矛盾が出てこない!?。

 てなわけで「異なる法則が支配する異世界」という、後のマルチバースや多世界解釈にもつながるような思想が誕生したのです。これは別に【新たな知識】やら偶然やらによる発想ではなくて、背理法という自然な論理的方法を愚直に徹底したまでなのです。(いや並みの人間には徹底できなかったのだけど)。

 光速度不変の原理からの相対性理論の誘導も似てますね。「論理は間違えないのだから、我々の観測の方が不十分だっただけなのだ」というわけです。まさにエラリー・クイーンの名推理。

418Ken:2019/06/09(日) 10:47:35 ID:iVfyo2Fw
意思疎通が難しいことは覚悟の上ですが、それにしても論点がかみ合いませんね。

>科学理論が確立される(定説となる)までの経緯は2つの段階に分けられます。
>理論が発想される段階と、それが検証される段階です。
>発想される段階には必ずしも【正しい論理】は必要ありません。

でも、私が問題にしているのは発想の段階ではなく、その前なのですが。

微分方程式の解にせよ、多くの自然科学問題の解にせよ、それを「発想する」のは偶然に依存することは同意いただけますか?

偶然に依存するということは、問題が問われてから解を発想するまで、時間差を生じることを意味します。その時間差は短いかもしれないし長期にわたるかもしれません。たとえば、マイケルソンたちの実験が電磁波の媒質問題を提議してから、光量子説という解答が発想されるまで、18年が経過しました。

その「18年」のあいだ、つまり解の発想自体がない状況では、diamonds8888xさんの基準に従う「正しい科学」は、どのような立場をとるのでしょうか? 私が問い続けているのはこの点なのですが。

私自身は、例えば>>355で述べたように、

>その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。

と考えます。

19世紀の波動理論では、電磁波を含むあらゆる波には「媒質が存在する」→これを「P」とします。
マイケルソンの実験結果では、電磁波には「媒質が存在しない」→これを「¬P」とします。

上のPと¬Pのどちらも否定できないなら、両者の並立状態「P∧¬P」を受け入れるしかありません。

これに対してdiamonds8888xさんは、上記のPが誤りで、媒質がない波が存在することは19世紀の知識体系でも導ける、と主張をされているのだと思います。ですから、その結論にいたる論理の筋道を示してくださいと、6週間前に投稿した>>356以来ずっと言い続けています。


ところで・・・

>ミケさんが引用した私の発言で述べたように

第三者の投稿を私に読ませるなら

(1)Cの発言をAの言葉で言い直す
(2)Cの発言から利用できる部分を抜き出す
(3)Cの発言をそのままAの発言とみなしてよいと保証する

という3つのどれかの形をとってくださいとお願いし、>>314で了承を得ているはずです。(上記のCが第三者、Aがdiamonds8888xさんに該当)

時間と労力をかけて到達した合意ですので、遵守していただくように、改めてお願いします。

419Ken:2019/06/09(日) 11:21:08 ID:iVfyo2Fw
これもなんだか誤解を生みそうなので、先手を打って、明確にしておきましょう。

>発想される段階には必ずしも【正しい論理】は必要ありません。

一個人の脳内思考ではそうかもしれません。

でも、その発想を発表して世に問うときには、【正しい論理】を伴う必要があるのですよね?

私たちが議論しているのは公開の場(ネット、メディア、シンポジウム等)に出てくる仮説ですから、「発想」と【正しい論理】は、同じタイミングで出てくるはずでしょう?

420ゲジゲジ:2019/06/11(火) 17:24:50 ID:iPn.zrmM
diamonds8888xさまへ。

なぜお2人の論点がここまでかみ合わずに足踏みしてしまうのか?
diamonds8888xさまもイライラされている事と想像しますが、ヨコから見ていてもイライラします。
少しでも早く議論が進むようお手伝いしたいと思いますので、使えるようなら使ってください。


〜〜〜本文ココから〜〜〜
 >>418
 >19世紀の波動理論では、電磁波を含むあらゆる波には「媒質が存在する」→これを「P」とします。
 >マイケルソンの実験結果では、電磁波には「媒質が存在しない」→これを「¬P」とします。

もう少し分解して考えてみましょう。
 ・電磁波は波である。→「Pa」
 ・波には媒質が存在する。→「Pb」
 ・「Pa」と「Pb」から、電磁波には媒質が存在する。→「P」
一報でマイケルソンの実験結果から、
 ・電磁波には媒質が存在しない。→「¬P」

ここから論理的に導けるのは以下の3通りです。
(1)「Pa」が間違い。ゆえに「P」は間違い。
電磁波は波ではない。いくつかの点で波と同じ性質を持つが、波とは異なる別の現象である。
(2)「Pa」が間違い。ゆえに「P」は間違い。
波には媒質が存在するとは限らない。媒質が存在しない波もあり得る。
(3)「¬P」が間違い。
電磁波には、マイケルソンの実験では検出されないような、これまで知られていたような物質とは異なる性質を持つ媒質が存在する。


上記(1)〜(3)のいずれかに当てはまる仮説であれば、少なくとも論理の点では科学的な基準を満たすと言えます。
勿論、今の論点ではない別の基準(反証可能性がある事など)も満たしている必要はあるわけですが。


では(1)〜(3)のいずれかに当てはまるような仮説を思い付かなかったら???
あるいはそういう仮説を思い付く前は???

「P∧¬P」のように見える、その時点の科学では説明できない不思議な現象がある・・・という状況が、仮説を思い付くまで続くだけの事です。
「P∧¬P」を受け入れるしかないのではなく、説明ができない事を受け入れるしかないのです。

実際は「解」に辿り着くまで、(1)〜(3)に当てはまるような仮説を色々と考えて検証してみる、という試行錯誤が続きます。
いや、「解」に辿り着いたとしても、本当にその「解」が正しいのか? もっと適切な、現象を上手く説明できる「解」ないのか? ほぼ永久に試行錯誤は続いていきます。それが仮説と検証という、科学の営みそのものです。


さて、以上が「思考実験」の回答になるかと思いますが、実際の史実はどうだったでしょうか?
史実では光量子説が発想されるまでの「18年」の間、(3)「¬P」が間違い、の方向で仮説と検証が続けられました。

そもそもマイケルソンの実験結果から「電磁波には媒質が存在しない」と解釈した人がいたのでしょうか?
「電磁波には媒質が存在しない」は、それこそ量子力学を知った後世の人たちによる後付けの解釈ではないですか?

「ない」事を証明するのは「悪魔の証明」です。その事は19世紀の人たちも知っていたはずです。
で、あればマイケルソンの実験結果から電磁波には媒質が「ない」事が証明されたなどとは普通は考えないはずです。
これまで考えられていたような媒質とは異なる媒質がある、と考えるのが自然な事です。


〜〜〜ココまで〜〜〜

Kenさまの「思考実験」はそもそもの前提が史実とは異なっていますし、にも拘らずその説明が不足しているのですよね。

 >diamonds8888xさんは、(略)媒質がない波が存在することは19世紀の知識体系でも導ける、と主張をされている
これは誤読ですよね。どこをどう誤読するとこういう解釈になるのか分かりませんが・・・

diamonds8888xさまが一貫して仰っていたのは、19世紀の知識体系でも「P∧¬P」があり得ない事は理解できるはず、というものだし、19世紀の知識体系でも上記(1)〜(3)のいずれかに当てはまるような仮説を思い付く事はできる、というものでしょう。
実際に史実では(3)の仮説を思い付いているわけですし。

421ミケ:2019/06/12(水) 02:37:49 ID:6UZWK5Gs
「光は波か粒子か」の科学史的な話には興味がないので調べていませんが

Pを肯定するような実験結果Xと
Q(当時は¬Pと考えられていた)を肯定するような実験結果Yが得られた場合、
当時PとQが並立しないと考えられていたならば

Aさん「Pは正しい。YがQを肯定するように見えるのはMという事象を仮定すれば説明できる。」
Bさん「Q(¬P)が正しい。XがPを肯定するように見えるのはNという事象を仮定すれば説明できる。」

などの立場があり得ます。
AさんにもBさんにも論理的矛盾はありません。

最終的に、「Qは、¬Pではなかった。」(PもQも正しかった)となるわけですが
その前段階は
「Pであり、¬Pである」といった矛盾したことを言っているわけではなく
Aさんの立場とBさんの立場で「論争状態」であったのだろうと思えます。

このあたりにも混乱がありそうですね。
もちろんここだけではないようなので色々大変そうですね。

422diamonds8888x:2019/06/15(土) 06:00:34 ID:k5FCKFao
>>418,>>419
とりあえずこれだけ

>>ミケさんが引用した私の発言で述べたように

>第三者の投稿を私に読ませるなら

 【私の発言】です。ミケさんの見解ではありません。
 かの発言中の文だけでは文脈が心配ならリンク先の【私の発言】を参照すればいい。

>一個人の脳内思考ではそうかもしれません。

 「その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。」てのは一個人の脳内思考じゃないんですか? 公表された例があるなら示してください。私の知る限り、「矛盾を受容するしかない」と主張した論文が出たことはないと思いますが? ちゃんと史実に基づいてくださいな。

 ともかく>>418>>419で考えているステージが食い違ってるではありませんか。もうちょっと時系列を整理して、説明してくださいな。

423diamonds8888x:2019/06/15(土) 06:09:13 ID:k5FCKFao
>>422 補足

>私たちが議論しているのは公開の場(ネット、メディア、シンポジウム等)に出てくる仮説ですから、「発想」と【正しい論理】は、同じタイミングで出てくるはずでしょう?

 それで「発想の段階ではなく、その前」も同じタイミングなんですよね?
 それで間違いありませんか?

424Ken:2019/06/15(土) 09:38:25 ID:sdGoTYng
>>422

>かの発言中の文だけでは文脈が心配ならリンク先の【私の発言】を参照すればいい。

diamonds8888xさんの過去の【私の発言】に言及されるのはよいのですが、それには過去の発言の投稿番号を挙げていただくか、もしそれが第三者の発言中で挙げられているなら、その第三者の投稿番号を示していただけませんか? >>415ではどちらも行なわれていません。

>「矛盾を受容するしかない」と主張した論文が出たことはないと思いますが? ちゃんと史実に基づいてくださいな。

この件は>>400

>正確にいいますと、史実として、当時の人が矛盾を受容したかは、私の論点ではありません。

と、>>402

>では史実ではないという前提で話を進めますが、よろしいですね?

で決着がついたと思っていましたが。

私は>>356で「思考実験」をやりましょうと提案しました。思考実験というからには架空の条件を設定して、その条件から導かれる結論をシミュレートします。史実を明らかにするのが目的なら、それは歴史考証であって思考実験ではありません。

ですから、

>その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。

というのも、19世紀の知識体系の中に、現在のdiamonds8888xさんと同じ「基準」を持つ人がいたら、という条件を設定して、私自身がシミュレーションを行なった結果、導き出された結論です。

そして、diamonds8888xさんなら、同じ条件設定のもとでどのようなシミュレーション結果を出されますでしょうか、ということを>>356以来、問いつづけていうます。

ここで問題になっているのは、例えば>>415で述べられた

>知識体系によって【論理的な考え】の帰結が異なるというのが普通の意味の論理ではありえません。

という点です。私はまさしく、知識体系によって論理的な考えの帰結が異なる、と思うのですから。その1例として>>354では、ニュートンの万有引力の法則を挙げました。この法則は、現在では一般相対論によって否定されていますが、17世紀の知識体系の中では論理的であったと思います。

同じことを電磁波の媒質問題について検証するための思考実験をやってみましょう、と言っています。もしも19世紀の知識体系から、媒質がない波の可能性に到達しえるのなら、diamonds8888xさんが正しく、私が間違っていることになります。

425diamonds8888x:2019/06/15(土) 11:33:48 ID:k5FCKFao
>>424
>その第三者の投稿番号を示していただけませんか? >>415ではどちらも行なわれていません。

 「ミケさんの発言」と言えば直近の[>>412][>>411]に決まってるでしょ。そこにリンクがあります。まさかあんな短い投稿を【本当にちらとも見ないの?】。約一週間もあったのに。

>ニュートンの〜17世紀の知識体系の中では論理的であったと思います。

 論理だけではなく知識(経験、観測)も入ってるからです。論理的かどうかというだけなら、ニュートン理論も相対性理論も、現在でも普通の意味で論理的です。2つの理論の帰結が異なるのは設定した公理が異なるからであって、使った論理が異なるからではありません。


>>その18年のあいだは、矛盾を受容するしかなかった。

>というのも、19世紀の知識体系の中に、現在のdiamonds8888xさんと同じ「基準」を持つ人がい>たら、という条件を設定して、私自身がシミュレーションを行なった結果、導き出された結論です。

 はあああああ、全部Kenさんの創造なの。事実と誤解したものでさえないと。早く言ってよね。
 「¬P)∧Pを肯定する」という見解は「>>356で「思考実験」をやりましょうと提案」する前からおっしゃってましたよね。シミュレーションの結果だとは一言も言わずに。
 まあそれならば、この件はもう少し推敲してからコメントしましょう。ちと何日後になるかは不明です。

 ただ、どれほど失敬なことをしたかは自覚してほしいですね。
 自分の見解と事実を区別するのは科学的議論の基本です。
 自覚がない、つまり悪気がないのはわかってますけど、そういうのを「天然」というわけですよ。

426Ken:2019/06/15(土) 13:28:01 ID:sdGoTYng
>>425

>「¬P)∧Pを肯定する」という見解は「>>356で「思考実験」をやりましょうと提案」する前からおっしゃってましたよね。シミュレーションの結果だとは一言も言わずに。

これが、そんなに「失敬」ですか??

1.「¬P∧Pを肯定する」という意見を述べる
2.1で述べた意見に同意が得られない
3.そこで「¬P∧P」の具体例を提唱する

具体例がつまり思考実験(=シミュレーション)です。上の順序に問題がありますか?


「¬P∧P」を世間が受け入れたのが「史実」であると私が主張したと思われるのでしたら、最初に「18年問題」を取り上げた>>344を読み返してみてください。いくつかのキーとなる文章を抜粋すると、

>私の問題提議は、その18年のあいだに、科学はどういう立場をとるべきであったか、というものです。
→「どういう立場をとったか」ではなく「とるべきであったか」と言ってます。

>(¬P)∧P以外に表現しようがないのではありませんか?
→「表現した」ではなく「表現しようがない」と言ってます。

>上記の18年を生きた人がそれを予測するのは不可能で
→「不可能」というからには思考実験の結果になります。「現実に行なわれなかった」という言い方をしておれば、史実を述べたことになるでしょう。もっとも、この場合は、現実にも、光量子説が登場したのは18年後なのですが、それはシミュレーションの裏付けと解釈しています。


それとも私の文章に「史実」を述べたとしか解釈できない部分がありますでしょうか?

427diamonds8888x:2019/06/16(日) 09:00:42 ID:jv7EfXUQ
[>>414]【エーテルとは何だったのか?-3】
 [>>398]で引用した京都大学哲学研究会の記事によれば、マクスウェル自身が光波(電磁波)の速度は媒質(エーテル)に対するものであり「エーテルの風」の存在を予言したようです。それはおそらく「理論的には光速度一定」という結論を即座にありえないと否定したからでしょう。振り返ってみれば、ガリレイ変換という常識にとらわれていたと言えます。

 そしてマイケルソンとモーリーの実験によりエーテルの風が観測されなかった結果を受けて、「光波(電磁波)には媒質はない」という理論は私の知る限り公表されてはいません。歴史上有名で評価も高いものはローレンツ理論です。これは「(媒質である)エーテルの性質をマイケルソンとモーリーの実験結果を説明できるように仮定した」というものです。この理論はかなり成功したために相対性理論は単にローレンツ理論の別の形ではないかくらいの評価もあって、相対性理論にはノーベル賞が与えられなかった原因のひとつという話もあるようです。

 さてローレンツ理論では物体の運動によりエーテルが「引きずられて」、光の媒質たるエーテルが縮んだり局所時間が変化したりすると仮定されます。この効果が「ローレンツ短縮」という相対性理論の用語として今も残っています。ここでエーテルを真空と言い換えさえすれば「エーテルの存在を否定した理論」になっちゃいます(^_^)??!!

 実のところ私も、ローレンツ理論と特殊相対性理論で予言結果がどう異なるのか、または異なるところはないのか、ということはよく知りません。ローレンツ理論の公理系では「光のエーテルに対する相対速度は一定」としているだけなので、「光速の質点はどの観測者から見ても光速である」とはなりません。ただ定理としては誘導されるかも知れません。エーテルを引きずることによるローレンツ短縮などの効果が一種の抵抗となるとか。対して特殊相対性理論の光速度不変の原理は「光速の質点はどの観測者から見ても光速である」です。


------
以下はゲジゲジさん[>>420]の受け売り
> そもそもマイケルソンの実験結果から「電磁波には媒質が存在しない」と解釈した人がいたのでしょうか?
> 「電磁波には媒質が存在しない」は、それこそ量子力学を知った後世の人たちによる後付けの解釈ではないですか?

428diamonds8888x:2019/06/16(日) 09:03:18 ID:jv7EfXUQ
>>426
>具体例がつまり思考実験(=シミュレーション)です。上の順序に問題がありますか?

 1の意見の根拠としての具体例が思考実験(=シミュレーション)、つまり架空のものだけというのが失敬です。そんなもの具体例とは呼びませんよ普通。ていうか、じゃあKenさんの思考実験ではどうなるんですか?

---------事実 -------------------
 史実としては「¬P∧Pを肯定する」という研究者はいなかった。
 しかし史実としては「媒質のない波もある」「光の媒質は真空である」という認識が生まれた。
 ゆえに、科学の発展には「¬P∧Pを肯定する」という態度は必要なかった。
-------------------------------

 現実に使われもしなかった基準など議論する価値がありません。ちなみに19世紀の科学者だって私が挙げた基準くらいは無意識にせよ守ってます。

 これ当たり前と思ってますから、当然にKenさんもそれを立証する事実を挙げていると思っていたら、それは単なる思の考実験の産物?
 しかもKenさんの思考実験の結果も根拠も示されていません。

 Kenさんは「¬P∧Pを肯定する」という研究者がいたとしたら、一体どうなったとシミュレーションしたのですか?

>それとも私の文章に「史実」を述べたとしか解釈できない部分がありますでしょうか?

 上述の通り、「史実」に基づいてもいなかったことが失敬です。
 じゃあ、史実は使わなくてもいいから、「¬P∧Pを肯定する」という立場を「とるべきであったのではないか」と考える根拠を、きちんと整理して示してください。



 これで「自分の見解と事実を区別するのは科学的議論の基本です。」の真意がわかりましたか?

 あーー、それから[>>425]の他の2点については?

429diamonds8888x:2019/06/16(日) 09:16:54 ID:jv7EfXUQ
>>428
 言っときますが、使い方を間違えなければ思考実験も有力な方法ですよ。ただし途中では観測事実を使わないだけに、妥当な思考実験と認められるためのハードルは高いのです。

 広い意味ではニュートンやアインシュタインのやった、簡単な原理を仮定して後は数学的に結果を誘導するというのもまさに思考実験の一種です。この場合は途中で使われるのが誰しもが正しいと認められる論理だけなので、厳密に正しいものと認められるのです。

430Ken:2019/06/16(日) 22:48:12 ID:sdGoTYng
>>428

思考実験の信用がそれほど低いとは。まず、この点を合意しておかねば、先がありませんね。

私の要点ををいえば、

〜思考実験しか選択肢がない場合がある

となります。

本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。また、diamonds8888xさんのお考えでは、この基準はdiamonds8888xさん個人が守るだけのものではなく、公教育を規定することで、万人に影響を与えるものとなっています。いわば科学教育政策が決定すべき内容といえるでしょう。

そうなると、容易なことでは実証実験ができません。

すこし話が逸れることをお許しください。

2019年の10月には消費税が10%になることはご存知でしょう。この種の政策には賛否がつきものですが、増税に反対する人はデフレが加速して就職氷河期が再来すると言いますし、賛成する人は財政破綻すれば第二のギリシャになると言います。おそらくどちらの理論も定性的には正しいのでしょう。よって、どちらの効果が大きいかの定量判断が必要ですが、万人が納得できる定量的判別法は存在せず、ゆえに議論が尽きることはありません。

ただし「科学的見地」から見た最善の判別法ははっきりしています。実証実験をやることです。例えば、あくまでも増税を回避し、財政赤字を国債で補填してゆけば、本当にギリシャのようになるか見てみるのです。

でも、本当に第二のギリシャになった時の悲劇を考えると、そんな実験はできません。ですから皆、増税したら、増税しなかったら、どうなるかをシミュレートしているのです。

安全保障問題はどうでしょうか? 安保政策の目的が、戦争被害が起こらないようにする、すくなくとも最小化することであるのは万人が納得するでしょう。しかし具体策では意見が分かれます。例えば、アメリカとの軍事同盟をより深化させるのか、もしくは縮小させ世界各国とできるだけ等距離になるのか?

この場合にも、純粋な科学的見地からの最善の判別法は実証実験でしょう。例えば、いろいろな条件で戦争をやってみて、どれだけの人名が失われるかといったデータをとるのです。でも、まともな神経の人間に、そんな実験ができるはずがありません。だからこそ、世界中の防衛省やシンクタンクでシミュレーションをやっています。

さて、科学教育に影響する「正しい科学の基準」にも同じことがいえます。例えばdiamonds8888xさんの「基準01」を実証的に検証するには、一部の学校にのみこれを適用し、適用しなかった学校との間で、科学的知見の増進に有意差が見られるかを調べるべきでしょう。

でも、人間を材料にそんな実験はできません。それなら思考実験をやるしかないではありませんか。

思考実験をやるにも、設定する条件は、現実に起こりうるものに近い方がよい。そこで私は「¬P∧P」というべき状態が過去に存在したかを考え、19世紀末に思い当たったわけです。ただし、あくまでもシミュレーションですから、現実の19世紀に生きた人が「¬P∧P」状態を認識したかは別問題です。


>あーー、それから[>>425]の他の2点については?

元は第三者の発言でも、私に読むことを求めるなら、diamonds8888xさんが文章責任をもつdiamonds8888xさんの発言としてください、と言いました。そのことははっきりするため投稿番号の指定をお願いします。言わなくても分かる場合もあるでしょうが、どこまでがそうなのかは主観が入りますので、明確な境界線を引くためです。

もう1つの件(ニュートン)及びそれ以外の件は、思考実験を用いることの妥当性に合意がないと、論じても意味がありません。

ですから、まずは本投稿への回答をお待ちします。

431ゲジゲジ:2019/06/18(火) 22:24:43 ID:azPksEYQ
お2人に提案です。
(といってもKenさまはご覧にならないでしょうけれど・・・)

お2人で何をどこまで合意ができているのか、もういちど根本から確認した方が良いと思います。

差し当たってKenさまのこの投稿から・・・
 >>430

(1)
 >本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、
  → ここは恐らくお2人で合意ができているでしょう。

しかし
(2)
 >そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。
  → ここ、合意できていますか?
    Kenさまはこのスレッドで「正しい科学の基準」を検証しているつもりのようですけれど・・・
    diamonds8888xさまも「正しい科学の基準」を検証しようとしていますか?

そして
(3)
 >また、diamonds8888xさんのお考えでは、
 >この基準はdiamonds8888xさん個人が守るだけのものではなく、公教育を規定することで、(略)
  → diamonds8888xさんのお考えでは「正しい科学の基準」は【公教育を規定】するのでしょうか?
   「正しい科学の基準」と「公教育で教えるべき基準」とは別のものではないですか?

それから
(4)
 >いわば科学教育政策が決定すべき内容といえるでしょう。
  → 上記(1)〜(3)に合意できればここも合意できるでしょうが・・・
    上記に合意できなければここも合意できませんよね。
   「正しい科学の基準」は【科学教育政策が決定すべき】なんでしょうか?

最後に
(5)
 >そうなると、容易なことでは実証実験ができません。
  → そもそも「正しい科学の基準」を検証しないのであれば、実証実験など不要です。
    実証実験の必要性には合意できているのでしょうか?


この様な事を進言するのは言うまでもなく、ヨコから見ていて上記の点に合意ができていないのではないかという懸念を感じるので・・・
いや、私の認識が間違っていて杞憂だったら良いのですが・・・

もしこれだけ認識が、それも、そもそも何の議論をしているのか? の認識が異なっていたら、もうマトモま議論になどなりようがないので・・・

432diamonds8888x:2019/06/22(土) 05:53:08 ID:ZtWyl2Fg
>>404,>>414,>>427 【エーテルとは何だったのか?-4】

 波の定義を最も抽象度高くしてみれば「何らかの振動(時間的変動)が空間的に伝わる現象」となるでしょう。これは19世紀の研究者も聞けば同意してくれることでしょう。同意すると考える根拠は、彼らが「波」として知っている現象をすべて含んでいて、かつ、この定義に当てはまるならば未知の現象でも「波」とみなしてよいと考えるだろうと推測できるからです。

 この定義での「何らか」が「波の媒質」と定義できます。この定義では波は必ず媒質を持ちます。例示すれば、
  音波   通常の物質(固体・液体・気体など)
  光波・電磁波  電界と磁界
  重力波  重力場=空間の歪
  物質波  物質場=質点の存在確率(観測される確率)
  スタンディングオベーション 人の集団

 これらの媒質はそれぞれに性質が異なるところがあります。通常の物質には音波を伝える性質の基である弾性意外にも諸々の属性がありますが、電磁界は電荷などに力を加える性質、重力場なら質点に力を加える性質という定義上の性質以外の属性はほとんどありません。物質波の媒質ともなると、他の何かに影響を与えるということもありません(たぶん)。

 電磁波が電界と磁界を媒質とする波であることはマクスウェル理論の本質です。ところがここでエーテルという何かしら電界や磁界とは別の属性を持つようなものを考えてしまったことが誤りだったと言えるでしょう。「エーテルの弾性率はとても硬くなるはず」とか「光は横波だからエーテルは固体だ」みたいな発想が典型ですね。これはファラデーやマクスウェルが電気力線や磁力線のような「弾力のある線」という強烈なイメージを考え出してうまく行き過ぎたことが一因ともされています。電気力線や磁力線のこのようなイメージは教育的には結構役に立つので、現在でも間違いというわけでもありませんしね。原子模型の棒のような結合手のイメージが、必ずしも間違いというわけでもないように。

433diamonds8888x:2019/06/22(土) 06:01:27 ID:ZtWyl2Fg
>>432
 貴重な文書を見つけました。アインシュタインの講演(訳:石原純)です。諸君、襟を正して拝読するように(爆)。20世紀前半以前の科学者の文章にありがちな、長くて修飾が多いと感じる文章ですけどね(^_^)。訳もちょっと古めかしいし。

Ref)アインシュタインの講演「エーテルと相対性理論」(1920/05/05)
[ttp://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Einstein/ether-rel.pdf]

 科学図書館[ttp://www.cam.hi-ho.ne.jp/munehiro/science/scilib.html]の「石原純」のリンクからたどれます。この科学図書館も素晴らしいプロジェクトですね。読みたいものが増えてしまった。時間資源があ〜〜〜〜。

 現在言われているローレンツ理論の位置付けやマッハの影響などをアインシュタイン自身も意識していたことがよくわかります。いやアインシュタイン自身がそういう見方を明確にした張本人なのかも。

-------抜粋引用-------------
ローレンツのエーテルの力学的性質については,やや戯談的な云い方ではありますが,非運動性が之にローレンツの尚お残しておいたところの唯一の力学的性質であると云うことが出来ます。之に附け加えて特殊相対性理論が持来たしたエーテル見解の全変革は,それがエーテルからその最後の力学的性質,即ち非運動性をも取り去ってしまったことにあると云ってもよいでしょう。
-----
エーテルはそもそも存在しないものです。電磁気の場は或る媒質の状態ではなくて,独自的の実在であり最はやどんな他の者にも還元せられるものではなくそして丁度物質の原子のようにどんな保持者にも結び付けられないものです。
-----
このエーテルの否定は特殊相対性理論によって必然的に要求せられたものではないことが判ります。私達は或る一つのエーテルの存在を仮定しても差支ないのです。唯だ之に一定の運動状態を帰することが断念されなければならないので,即ちローレンツが尚お之に残して置いた最後の力学的特徴を抽象によって之から取り除かなければならないのです。
-----
一般相対性理論のエーテルは,それ自身あらゆる力学的並びに運動学的性質から裸にされた,併し力学的(及び電磁気的)の出来事を共に決定するところの一つの媒質であります。
-------引用終り-------------

 【エーテルとは何だったのか?】で私が言おうとしていることが、結構述べられていますね。一言で言えば「媒質が否定されたのではなく、エーテルが、いやエーテルという言葉に含まれていた余分な性質が否定されたのだ」。

 【それと大事な点ですが】、「いわゆるエーテルの否定」には量子論は無関係です。

434diamonds8888x:2019/06/22(土) 06:07:44 ID:ZtWyl2Fg
>>430
>本スレッドの議題は「正しい科学の基準」であり、

 この文言はOK。でも解釈が全く違うみたいですね。

>そのような基準のもとで科学的知見がどのように増進されるのかを検証しています。また、diamonds8888xさんのお考えでは、この基準はdiamonds8888xさん個人が守るだけのものではなく、公教育を規定することで、万人に影響を与えるものとなっています。いわば科学教育政策が決定すべき内容といえるでしょう。

 Kenさんの言う「科学的知見の増進」とは「研究者以外の一般人も含めた万人が正しい科学的知見を得るようにすること」なんですね? だから「一部の学校にのみこれを適用し〜」となるわけですね。

 私はそこは全く考えていません。「正しい科学の基準」は(アマ含む)研究者たちが、科学を推進していく際に、または(本掲示板のような場も含む科学の議論の場で)議論する際に、適用すべき基準です。

 Kenさんの言う「科学的知見の増進」には、今のテーマである「正しい科学の基準」とは全く異なる諸々の手段が必要になります。それは「科学教育」という科学そのものとは別の分野でもあり、近年「科学のコミニュケーション」などというテーマで研究がなされている分野でもあります。感じとしては自然科学と社会科学がどちらも必要みたいな。

 【念を押しますが】、学校教育も科学教育政策も本テーマには無関係です。


>言わなくても分かる場合もあるでしょうが、どこまでがそうなのかは主観が入りますので、明確な境界線を引くためです。

 [>>425]からたどるリンクに主観が入るはずないでしょ。勘違いして書いてない番号にでも飛ばない限りは。

 だいたい私がこうして読んで答までの1週間に何やってたんですか? その間にリンクたどって読むくらいできたでしょうに。

435diamonds8888x:2019/06/22(土) 06:20:48 ID:ZtWyl2Fg
>>430,>>434
>【念を押しますが】、学校教育も科学教育政策も本テーマには無関係です。

 そもそも直近の必要性として、本掲示板でKenさんが議論したかった進化論議論のための基準がほしかったわけでしょ?

436diamonds8888x:2019/06/23(日) 08:31:01 ID:ZtWyl2Fg
>>435
 Kenさんにも科学の基準というものを知ってもらったうえで気持ちよく議論してもらえるというのが、そもそもの目的で、これは二人にとって極めて実用的な目的です。そして議論したいテーマである進化論自体に関する議論というのは、本掲示板の多くの人が興味を持っているテーマです。

 それに比べて[>>430]の「科学的知見の増進」というのは、私も興味こそあれ議論するには手に余るテーマです。そして何らかの結論が得られたとしても、それを実行する手段も持ちません。誤解を恐れずに言えば、当面の実用性がありません。なので、私は話題が出たとしてもあまり積極的に参加する気はありません。

 そして【念を押しますが】、「科学の基準」を決めるのには必要ないテーマです。

437diamonds8888x:2019/06/23(日) 08:50:28 ID:ZtWyl2Fg
>>433
 こちらは量子論の始祖、プランク尊師のお言葉である。心して拝読するように(爆)。20世紀前半以前の科学者の文章にありがちな、(以下略)。

 マックス・プランク「力学的自然観に対する近代物理学の立場」
 [ttp://fomalhautpsa.sakura.ne.jp/Science/Planck/tachiba.pdf]

 アインシュタインの講演ほどわかりやすくありませんが、余計な属性を持つエーテルというものが考え出された背景には「力学的自然観」があったことが述べられていて、なるほどと思いました。

438Ken:2019/06/25(火) 22:51:55 ID:c05kagVQ
>>436の投稿には驚きました。
頭をひねりながら何度か読み返しましたが、驚きは変わりません。

>「科学的知見の増進」というのは、私も興味こそあれ議論するには手に余るテーマです。
>そして【念を押しますが】、「科学の基準」を決めるのには必要ないテーマです。

私は、diamonds8888xさんが「正しい科学の基準」を論じるとき、そもそも「正しい科学とは何か」という点に関しては、言わずもながの前提を想定していました。つまり、

〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)

であると。


違うのでしょうか???

もし、違うとなると・・・・diamonds8888xさんの「正しい科学の基準」とは何のために、どういう目的をもって設置されたのですか? その基準に従うことで、どういうメリットが得られるのですか?

視点を変えますと、diamonds8888xさんの基準を検証するには、どういう切り口で検証するべきなのでしょうか?

この問題は、本スレッドに参加する根源のスタンスに関わりますので、その他の問題(エーテル、思考実験等)は、この問題が片付くまで保留させてください。

お手数ですが、回答をお願いします。

439ミケ:2019/06/26(水) 01:03:23 ID:6UZWK5Gs
この投稿は当然、Kenさんに向けてのものではありません。
ここをまだ読んでいる人(そもそもあまりいないと思いますが)
及びdiamonds8888xさんの参考になれば儲けもの、
私の認識を整理するものです。

私の認識としてはここの議論は

Kenさんが以前掲示板に書いた際
・ID論は疑似科学と言われた。
・Kenさんには疑似科学の基準がご都合主義、後付けに感じられた(?)。
ということから、Kenさんとしては
科学的に適切なID論(普通に言われているものと異なる)はKenさんの頭の中にあるけど
後出しで疑似科学と言われそうなので
あらかじめ疑似科学と科学の定義・境界をはっきりさせたい(教えてもらおう)。
その際、対複数から色々言われると処理しきれないので相手をdiamonds8888xさんに絞った。

という主旨なのかと思っていました。
>>43参照)
議論と言っても、
Kenさんが納得いかない部分を質問する中で疑問点を解決していく程度のことなのだろうと。

しかし、ここのところの投稿を見るに
Kenさんの意図としては、
一般で通用している疑似科学と科学の境界をdiamonds8888xさんから教えてもらうのではなく
ここで科学の定義を議論、「検証」して
場合によってはオリジナルに「制定」しようという感じだったのでしょうかね。
(それを論じるにはKenさんはちょっと科学の現場についての下地が不足しているような気がしますがそれはそれとして)
確かに過去の投稿を見ると、そのように読めなくもない。
なるほど、賛成とか反対とか、その基準は外すべきとか何とかの言いぶりは
疑問点の解決というより議決のような枠組みで話しているように見えます。

仮にここでオリジナルの科学の基準が制定されたとして、
ここのオリジナルの基準でID論は科学だなどと主張しても意味ないと思うのですが……。
ましてや相手をdiamonds8888xさんたった一人に絞って。
diamonds8888xさんだって人間なのですから、間違いや勘違いもあるでしょう。
diamonds8888xさんとだけ(あるいは数人とだけ)議論してオリジナルの科学基準を制定して
そのオリジナルの価額基準に基づいてKen式ID論を披露したとして
あとで別の人から「それって科学理論として適切じゃないんじゃない?」って言われたらどうするつもりなんでしょう。
「ああ、やっぱりID論は後付けで否定されるんだー、進化論者はかつてのガリレオ裁判の教会側なんだー」と言うんでしょうか?
単にdiamonds8888xさんやここの人に見落としがあっただけかもしれないのに。

というのが感想です。

440diamonds8888x:2019/06/29(土) 18:06:08 ID:giwSPryo
>>438
 「科学の進歩」にも2つあるでしょ。
 専門家の間での知識の進歩と、それが非専門家の間に広まるという意味での進歩と。
 今回の「基準」は主に前者の過程で使われるべきものです。

------[>>434]より引用開始----
 Kenさんの言う「科学的知見の増進」とは「研究者以外の一般人も含めた万人が正しい科学的知見を得るようにすること」なんですね? だから「一部の学校にのみこれを適用し〜」となるわけですね。

 私はそこは全く考えていません。「正しい科学の基準」は(アマ含む)研究者たちが、科学を推進していく際に、または(本掲示板のような場も含む科学の議論の場で)議論する際に、適用すべき基準です。
----------引用終り------

441diamonds8888x:2019/06/30(日) 05:51:45 ID:giwSPryo
>>438
 そもそも以下の定義は循環してるではありませんか。

> 〜科学の進歩に寄与するのが正しい科学、阻害するのが正しくない科学(別名疑似科学)

 「科学の進歩」とは何ですか? 科学(科学知識がわかりやすいかな)がより正しいもの、つまり事実や真実に近いものになっていくことではないのですか?

 別の言い方をすれば、科学の進歩とは、「より正しい科学理論が定説として増えていくこと」ということになりませんか?

 ここで定説とは普通の意味では大多数の専門家が正しいと認めている学説です。それは非専門家の間で広く知られている説とは異なることが多いのは、当然の常識として御存知でしょう? いわゆる俗説です。

 議論中の「科学の基準」は定説や定説候補を議論する際のものです。[>>430]で触れていらした科学教育政策というのは、俗説を定説に置き換えていくための手段であり、テーマ外です。

442diamonds8888x:2019/06/30(日) 06:06:41 ID:giwSPryo
>>439
>なるほど、賛成とか反対とか、その基準は外すべきとか何とかの言いぶりは
>疑問点の解決というより議決のような枠組みで話しているように見えます。

 Kenさんの表現はよく覚えていませんが「賛成とか反対」というのは「納得できた、できない」というのと同義でしょうから。ただ、それを判断する御自分の基準がスタンダードな科学観からは相当ずれているのだという自覚は、まだまだ足りないみたいですが。

 いやしくも科学技術職に着いていた人が、これほど変な思い込みが強いというのが驚きなんですが。米国の知識人とは違って子供の頃に吹き込まれた「聖書は正しい」ドグマに毒されてるわけでもないのに。いやKenさんの思い込みは全く聖書とは関係ないものですけどね。

 なんで2種類の違いがわかんないんだろ? [>>440,>>441]

443Ken:2019/06/30(日) 23:58:32 ID:c05kagVQ
>>440 >>441

diamonds8888xさんの基準は専門家のためのもので一般人は関係ない、ということですか・・・・

そうはいっても、基準に背く「正しくない科学」を教育現場に持ち込んでよいと、diamonds8888xさんが言われることはないでしょうから、結局、一般人は自分では判断せず、ただ専門家が定説として提供するものを受け入れるべき、というお考えなのでしょう。

そこが私の思想とは大きく異なりますが、今の議題ではないので、この件は終わりにします。「基準」は専門家のためのもの、という前提で話を続けます。

もともとこの件は、思考実験の妥当性を論じるために>>430で持ち出しました。学校の場で実証実験はできないから思考実験をやるしかない、と。

その事情は対象が専門的な研究者でも同じではないでしょうか? 「基準」が科学の進歩にどう影響するかを実証的に調べるなら、例えばこんな実験をやるべきでは?

〜同じ分野を扱う2つの学会を立ち上げ、一方にのみ「基準」を適用した上で、両者の実績を長期的に比較する

大切なのは、「基準」の影響を抽出するため、それ以外の条件は同じにすることです。2つの学会に属する人員数や、もっと大切な予算の規模を等しくするのは必須条件でしょう。

また、両者は隔離せねばなりません。一方に属する研究者はもう一方のシンポジウムに参加するのも、その刊行物を読むのも、相手側の人員と話をするのもだめです。まして同じ企業や大学に勤務するのは許されません。

また、どちらの学会に属するかを各研究員に選ばせると、それ自体がバイアスになる可能性があるので、すべてくじ引きにする必要もあるでしょう。

さて、こんな実験を人間社会で実行できるでしょうか?

できないとなれば、やはり思考実験をやるしかないのではありませんか?

444ミケ:2019/07/01(月) 01:28:47 ID:6UZWK5Gs
>>442
>いやしくも科学技術職に着いていた人が、(以下略

そういえば一番最初の投稿に情報技術者とありましたね。
なんとなく法曹関係か行政関係の方なのかなと思ってましたが。
まあエンジニアも色々で、文系出身者もいるそうですし、
科学的思考法というものになじみがないとしてもあり得ない話ではないかもしれません。

「科学の基準(理論が実証・検証できるためにはどのような形であるべきか)」を
「それが科学の進歩に影響するか実証実験で実証したいが…」と言い出すあたり、
やはり根本的な取り違えがありそうです。
(ゲジゲジさんの>>431の提案とも関わってくるでしょうか)

仮説⇒仮説からの予測(どんな実験をすれば支持/棄却されるか)
⇒実験や観察などによる検証・反証・仮説修正⇒また仮説⇒繰り返し
という科学の営みにおいて
・仮説から予測を導くにはどんな仮説である必要があるか
・その仮説はこの営みを経ているか
・その仮説はこの営みを経ていると装っていないか
要はこれだけの話なんですけどね……。

先読み。
科学の増進に寄与という言い回しから、
Kenさんはおそらく、
「定説と違うもの」「検証不能なもの」も新説のヒントになるかもしれないと=科学の増進に寄与する
=科学である=よってID論を疑似科学扱いするな
という感じで考えていそうですね。
そこにたどり着くまでまだまだかかりそうですが。

445ゲジゲジ:2019/07/02(火) 07:47:34 ID:IamI8D02
ひとつ気になるのが、Kenさまがよく「diamonds8888xさんの基準」という表現をされている事です。

まるで、この掲示板でdiamonds8888xさまが「提案・提唱」した基準を「検証」しようとしているように読み取れます。

diamonds8888xさまは単に基準を「紹介・説明」しているのであって、この基準というのは単にKenさまがご存知なかっただけで【ほとんどの科学に取り組む人たち共有されている認識である】という事に合意はできているのでしょうか?

446diamonds8888x:2019/07/04(木) 05:24:08 ID:uVZpr/yM
>>443
 おもしろそうな実験ですけど、まずは、
  ・「科学の進歩」の定義をする必要があります。
  ・「実績」の定義および測定方法を決める必要があります。
   (まさかインパクトファクターだけでは拙いよねえ)

 何か目途はついているのですか?
 [>>441]に私の見解の一端がありますから御参考までに。


【誤解する人もいるといけないので】

>結局、一般人は自分では判断せず、ただ専門家が定説として提供するものを受け入れるべき、というお考えなのでしょう。

 んなわけないでしょ。>>440の[>>434]引用文をよく読んでください。
 非専門家と言えども努力すれば専門家の見解をそれなりに評価できるようになります。ただし評価力は謙虚にまなばなくてはなりません。
 (一般人なんて言葉は使ってないニュアンスはわかってほしいなあ)

 あくまでも見解の評価であって、人間の評価ではないよ。

 やめとこ。このテーマだけで別のスレッドができそうだ。専門家であることは誰がどうやって決めるのか? とかね。ややこしいよ。

447diamonds8888x:2019/07/04(木) 05:25:30 ID:uVZpr/yM
>>444
>そういえば一番最初の投稿に情報技術者とありましたね。
>なんとなく法曹関係か行政関係の方なのかなと思ってましたが。
>まあエンジニアも色々で、文系出身者もいるそうですし、
>科学的思考法というものになじみがないとしてもあり得ない話ではないかもしれません。

 いえね。以前(何年前だろ?)に恐竜の力学関係での議論では「数式での説明が通用するからやりやすいな」と思ったし、Kenさんに向けてもそのことを明言しましたのでね。飛び降りて着地する時の衝撃に耐えるのに必要な脚の太さみたいな話でしたが、あのときはKenさんは、動力学を適用すべきところに静力学を適用していて間違えていたのですが。

 で、私はなんとなく電気関係というイメージでしたが根拠はなかったかも知れません。

448ゲジゲジ:2019/07/04(木) 06:42:56 ID:4PNNNXmk
>>442
>>444
>>447

参考までに。
>>87

>私は、四半世紀も昔とはいえ、機械工学科を卒業してエンジニアとしてメーカーに就職し、
>当初の数年は機械設計を、その後は情報部門で働いてきました。


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