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科学と疑似科学とを判別する
345
:
diamonds8888x
:2019/04/23(火) 06:16:19 ID:u2pXIO.Y
>>343
,
>>344
科学にはロマンという側面と、それとはある意味真逆の厳密な正確さを求める側面とがあります。ある意味真逆というのは、厳密な正確さを求めると、単純なロマンチック・イメージが壊されることもあり、わかってみると意外と平凡に思えたりすることもあるからです。ロマンの側面が好きな人は、それが高じて厳密な側面を視ようとしない場合がありますが、それでは本当の科学好きとは言えないと私は思います。
ただkenさんの科学への想いが単純にロマンを追うだけとは思えませんし、何にロマンを感じているかはお尋ねしてもいないので不明です。上記は、わかりやすくするための一般論に過ぎません。
それはともかく、厳密な正確さを求めるには過去の誤りを反省し、どうすれば誤りを繰り返さずに済むのかという対策が必要です。そのための大きなよりどころのひとつ、強力な武器のひとつが純粋論理です。
>光が波であることと、光を伝える媒質が存在しないことは、(当時の人には)絶対に矛盾する点で、Pと¬Pの関係に該当します。
そしてこれは間違いでした。では「その18年のあいだに、科学はどういう立場をとるべきであったか」
私の結論は単純で、[
>>334
]に述べた通りです。「光が波である」ことと「光を伝える媒質が存在する」こととがイコールとは限らないにもかかわらず、その可能性を見逃していた、というだけです。だからといって当時の人々を責められるものではありません。人は間違いを犯すし、間違いを正しながら科学は進歩するものだからです。
しかし、すでにこのような間違いを経験した先人たちを持つ現代の我々が同じ誤りに踏み込むとしたら、責められても仕方がないでしょう。
具体的に「媒質のない波」の矛盾をどう解決したかと言えば、別に「(¬P)∧P」を肯定したのではありません。「媒質のない波」の存在を認めたというだけです。もしくは「真空というものが媒質になりうる」とも考えられますが、たぶんこの考えは「ディラックの海」概念が提出された以降のことかも知れません。
現代の我々が教訓を得るとすれば、「(¬P)∧Pはありえない」という指針を立てることです。そうすれば「(¬P)∧Pに見えるのはPの中身が何か違うのだ」という探索目標が得られます。「(¬P)∧Pの場合もある」なんて指針を立てたら、そこで思考が停止します。
もちろん先人たちの誤りの多くは「(¬P)∧Pに見えるから、その理論は間違いだ」というものであり、「(¬P)∧Pの場合もある」なんて考えた人はあまりいないと思います。
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