関連するかどうかわかりませんが、このような二対の崇拝者が並び立つ様というのは、わたしはシヴァ神とウマー神妃の二立(Uma and shiva)を彷彿とさせます。もう昨年のことになりましたがアンコールワット展で、この像を見ました。これは10世紀ごろのものでしたが、このような二像の並立は、日本では道祖神などでみられますね。これは二仏並座からではなく、男女の性的シンボル化の延長にあり、一説では真言立川流の影響であるという人もいました。その是非はわたしにはわかりませんが、仮にこれが真言の影響であるとき、その密教的要素はヒンドゥの諸神の摂取にあることになります。
なお、ご投稿の梵文はたぶん Arial Unicode MS FONT を活用されてのことであろうと存じますが、わたしは、このフォントをダウンロードしていないために一部、表記されません。たぶん、同様の状態となっているロムの方々もいらっしゃるだろうと思います。マイクロソフトは、この無償ダウンロードを中止してしまったのは、至極残念なことです。
菩薩たらんとする人は、
① まず三阿僧祇大劫のあいだ、六波羅蜜の修行を積み、多数の仏たちに供養をする。この六波羅蜜の行によって、有情のために大慈悲の行ないをするための無量の徳がたくわえられる。
② その後、南閻浮提に生まれて、百大劫のあいだ、さらに別種の修行を重ねる。これは、三十二相を具備するのに必要な徳を積むためである。
③ 以上の二種類の修行を終えた菩薩は、もはや三悪道に落ちることがない。すなわち人間か天の境遇に生まれ、つねに富貴の身となる。彼は有情を利益して大慈悲を行なって倦まず、人のために‘無給の使用人’となる。