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法華経について

169一字三礼:2008/04/24(木) 00:08:55

犀角独歩さん

驚いているのは私のほうですよ。

創作か事実か、などという話は、私はしておりません。仏教思想を論じるのに、そのような二択には何の意味もないでしょう。

167で私は、『法華経』の先行思想と思われる文献類を列挙しました。
そして『法華経』のような思想が完成されるまでには、歴史的経緯と思想的源泉の存在が不可欠ではないか、と論じておきましたがお読みになりましたか。

先行思想があり、それに加上・加筆されて成立したであろう経典を、‘創作’という表現で表すのはなぜですか、とお伺いしているのです。

‘創作’という表現を使った時点で、経典で使われる表現やその思想的な源泉を、過去の思想から探る、という方向性はストップしてしまいます。

独歩さんも仰るように、初期仏教の菩薩の概念と、初期大乗仏教の菩薩の概念と、中期、後期、または密教の菩薩の概念では、例え同じ菩薩名(弥勒菩薩や文殊菩薩等)を冠していても、その性質は異なるでしょう。

それぞれの菩薩の概念は、以前の菩薩の概念に、新たな意味を加えて成立していたのではありませんか。
その一々の過程をすべて‘創作’と呼びますか、違いますでしょう。そんな呼び方をしていたら、菩薩名を挙げるのに、一々、何々経の何々品にでる弥勒菩薩などと呼ばなければならなくなります。

経典の典型的な加上・加筆の例として『理趣経』というものがあります。

この経は、『大般若経』の「大般若波羅蜜多理趣分」から始まりましたが、加筆・変更が加えられ『実相般若波羅蜜多経』となり、『金剛頂瑜伽理趣般若経』を経て、『大楽金剛不空真実三摩耶経』となり、『仏説遍照般若波羅蜜経』に変わり、最終的には性瑜伽タントラの『最上根本大楽金剛不空三昧大教王経』となりました。

これらの経典は、「大般若波羅蜜多理趣分」を思想的源泉として成立していったものです。
この一々の段階を、みな‘創作’された、と言えますか。


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