したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

法華経について

128犀角独歩:2006/05/30(火) 16:54:02

一字三礼さん

返レス、有り難うございます。
やはりそうですよね。わたしも不軽と上行は一体と見なすというのは、おかしなことであると思うわけです。

日蓮のなかで一体化していたのだろうかという疑問もあります。
本尊抄の段階で、上行の自覚がなかったとすれば、日蓮自身が、勧持、不軽とその役務を果たせば、品の順位からして、次に来たるのは神力予証の上行の出現ということなります。

いずれにしても、三類の敵人に遭う勧持品の菩薩、常に軽蔑された不軽菩薩と、上行等の華々しさにはまったく隔壁がありますね。この点は、もう少し考えてみたいと思います。

129とんび:2006/06/15(木) 21:35:37
皆様、お久しぶりです。
昨年末より、仕事やその他でもろもろ忙しく、発言はしませんでした。また、ロムもほとんどしていません。

持病が原因で、つい最近まで1ヶ月以上入院しておりました。
そこで、「この人は」と思う、法華講員の方と出会いました。

要件を先に言うと、彼の家が以前火事になったのです。
ところが、祖母が保持していた、「日寛上人」と「日淳上人」の御本尊は
燃えてしまったそうです。しかし、法華経(大石寺版)だけは、焼け残った
そうです。
 
 私は、このことを聞いたとき、かの「羅什の舌焼けず・・・」の故事が頭
に思い浮かびました。

 ご存じ、法華経は、釈尊自説ではなく、誰が作成したかわからない、物語
です。しかし、御本尊は、日蓮聖人の実際に残したものであります。

 日蓮門下にとって、御本尊は、信仰の対象、おそらく法華経よりも尊い存在
と信じられているものでしょう。。。

 私は、ここに集られる博学・信仰深き皆様の、ご意見をお聞きしたく思いました。

 尚、まだ病み上がりで、ご意見を戴いても、すぐすぐ御返事などはできません。

 法華経が尊いのか、いや御本尊の方が絶対なのだ、いやどちらとも同じだ...など
など、ご意見を伺えれば...と思っています。
 私は、前者なのではないだろうか...などと感じています。

130犀角独歩:2006/06/15(木) 23:03:26

とんびさん

まずは、お見舞い申し上げます。

少し夢を壊すようで、言うのが気が引けますが、大石寺版の法華経というのは、たしか平楽寺版の法華経の版を買って、「大石寺版」と名ばかりつけた代物です。
では、この訓読は、といえば、日蓮が嫌った慈覚のものであるという曰く付きです。

あと、「御本尊」ということですが、この掲示板でこの言葉は大きく、日蓮が書いた漫荼羅、本尊抄に言う久遠五百塵点成道釈尊の二つを意味します。さらに足せば、妙法蓮華経の五字も、その候補といえます。

自灯明という遺言を含めれば、自分自身も入ってくるわけで、ご質問の趣旨は、なかなか絞り込みの難しいところではないかと思えます。

131とんび:2006/06/25(日) 23:17:43
犀角独歩さん、御返事ありがとうございます。
近々、別スレッドで、お会いになった法華講員の方の話をしたいと思っています。

132犀角独歩:2006/06/26(月) 19:51:56

とんびさん、では、楽しみにお待ちいたしております。

133一字三礼:2006/08/07(月) 23:10:33

顕正居士さん

これは、れんさんがご指摘されたことですが。

「諸仏両足尊 知法常無性 仏種縁従起 是故説一乗」(方便品第二)
「則断一切 世間仏種 或復顰蹙 而懐疑惑」(譬喩品第三)
「生受楚毒 死被瓦石 断仏種故 受斯罪報」(譬喩品第三)

これらの偈文で使われている’仏種’とは梵文ではどのような意味になるのでしょうか。

れんさんは「特に富士門は下種仏法を標榜しているので、この’仏種’の意味が気になっている」と仰っておりました。私も大変に興味を引かれるところです。

いつも質問するばかりで恐縮ですが、ご教示のほどよろしくお願いします。

134顕正居士:2006/08/08(火) 08:19:32
>>133
一字三礼さん。

Kernの英訳で示すと

99〜
http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot02.htm
113〜
http://www.sacred-texts.com/bud/lotus/lot03.htm

「佛種」にあたる語はありません。羅什の挿入であろうかとおもいます。
佛種=佛性は佛種性(佛種姓)の省略で、原語は buddha-gotra、つまり仏陀になれる
生まれ(カースト)の意味ですが、法華経にはそういう概念はありません。
また「種」は種性(種姓)の省略で、元来はseedの意味ではないです。

135今川元真:2006/08/08(火) 15:48:11
横レス御免、仏陀に成れる素姓?、知識伝授から植物の種に例える様に成ったのでしょうか。

136一字三礼:2006/08/08(火) 18:13:58
と言うことは、この’仏種’からなんらかの教説を導き出すことは難しいようですね。

137一字三礼:2006/08/08(火) 18:15:28
すいません、136は投稿ミスです。


顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。

> 原語は buddha-gotra、つまり仏陀になれる生まれ(カースト)の意味ですが、法華経にはそういう概念はありません。

なるほど、方便品と譬喩品で使われている’仏種’語には、言語的には特に深い意味はない、と考えた方がよいようですね。

> また「種」は種性(種姓)の省略で、元来はseedの意味ではないです。

仏種の’種’は、varna(ヴァルナ)もしくはジャーティと理解した方がよいということですね。

梵文法華経のリンクが切れてしまった事は大変残念です。私もそろそろ梵文法華経を買う時が来たようです。


れんさん

と言うことですので、この’仏種’から’下種’や’仏性’等の教説を導き出すことは難しいようですね。

138れん:2006/08/08(火) 19:40:11
顕正居士さん・一字三礼さん

方便品・譬喩品の「仏種」の語は梵本を対照すると、言語的に特に深い意味が
ないとのこと、ご教示有難うございました。
長い間、富士宗学を研鑽していましたから、仏種というと、何となく下種の種
を想像してしまうのですが、梵本から見ると、深い意味がないとのことで、気
持ちがすっきりしました。

139とんび:2007/10/19(金) 22:11:56
犀角独歩さん、こんばんは。

あらためて、失礼をお詫びいたします。
余談ですが、荒らしのあった場合、削除を申し立てない方が、良い場合があります。

この法華経についての130のレスですが、かの松本師は、大石寺版でも問題はないとおっしゃつて
いました。また、他の発言で(調べるのに時間がかかるのでもうしわけありません)

松本師の「南無妙法蓮華経要義」から、私が引用した部分
「南無妙法蓮華経の解説書が、法華経。法華経の解説書が、御書、御書の解説書が、天台、妙楽の論釈です。
この関係がわからないと、法華経観に大きな違いが生じます」を紹介しましたら、
犀角独歩さんは、反論されていました。あとで松本師に確認を私はしました。

 このような発言があると、今松本師に天台教学?を教えて戴いている...という
ことに、矛盾がありつっこまれることがあります。
 また、松本師は、ご存じの通り、東京での西山本門寺の寺院の住職です。

 昔、その西山本門寺のことで、犀角独歩さんからつっこまれ、知らない・わからないのは、
「あなた1人でしょう」と言われました。そうかもしれませんが、ここには、多くの発言しない
ロムの方がいますので、そうでなかったかもしれません。

 これも犀角独歩さんに対して礼節を欠く発言になるのかも、しれませんが、私もそうですが、
ここは、言葉だけの世界ですので、言葉遣いは慎重にしたいと思います。

 余計な出しゃばり、申し訳ありません。



この130レスに

140犀角独歩:2007/10/20(土) 03:30:56

> 139

> 法華経…松本師…大石寺版でも問題はない

松本師が判断の基準になっているわけではないですから、それは各人の見解でしょう。素読する程度であれば、別段、大石寺が平楽寺版を大石寺版として販売したものを使おうが、さした問題とはならないでしょう。ただし、わたしは厳正を期しますから、この版は使いません。

日蓮の教学を考えるうえで使用するとなると、日蓮が使った法華経とは細かい点で違っているわけですから、齟齬を来すことになるでしょう。では、どこが違っているのかは、ご自分で確認されればよいでしょう。

> 松本師の「南無妙法蓮華経要義」から、私が引用した部分
> 「南無妙法蓮華経の解説書が、法華経。法華経の解説書が、御書、御書の> この関係がわからないと、法華経観に大きな違いが生じます」

この引用は、本当に合っていますか。
仮に合っていたとして、これは師の教学的なスタンスでしょう。

> 今松本師に天台教学?を教えて戴いている...という
> ことに、矛盾がありつっこまれることがあります。

誤解があるようなので、この点はしっかり記しておきますが、わたしは西山の信者でも、松本師の信者でもありません。天台学、取り分け西山の知識相承に係る台当違目については深く知らないので、その点を習っているということです。これはたとえば、キリスト教神学を神父に習ったからといって、信者とは限らないということと同じです。何ら矛盾はありません。

> 西山本門寺

西山本門寺は、かつて大石寺に本堂が帰伏した結果、多くを失った歴史があります。また、このようなことになった顛末はまことにお粗末、かつ恥ずべき歴史です。この点をしかし、詳細に記せば、一々に証拠を挙げるのに骨が折れ、では略せば、単なる誹謗中傷となりかねない、故に先にはその詳細を記さなかったということです。松本師にお聞きになるなり、お調べになるなりなさっては如何でしょうか。

末尾ながら「言葉遣いは慎重にしたい」とのこと、是非ともそのようになさってください。

ここは『法華経について』のスレッドです。この筋から脱線なされば、「荒らし」行為と見なされますよ。以上です。

141とんび:2007/10/20(土) 20:19:49
犀角独歩さん、こんばんは。

ご丁寧な、御返事、誠にありがとうございます。また、人格攻撃といわれるやもしれね
とヒヤヒヤしておりました。ここに犀角独歩さんの人柄が表れていると感じます。
私は、私なりにゆつくりと、仏教を実践・学んでいこうと思います。

 この度は、わたしなりに勉強になりました、ありがとうございます。

 発言しないつもりが、出てきてしまい。
 あといくつか、私の教学的に、思うことを述べて当分の間、ロムに徹したいと
思いました。
 浅学の私に、お付き合い下さいまして、ありがとうございました。

142一字三礼:2008/04/19(土) 22:52:27
法華経と仏塔

法華経には、種々の仏塔が登場する。
布施浩岳氏は『法華経成立史』において、法華経に現われる仏塔の考え方について独自の見解を示した。彼の主張を要約すると、「仏舎利の入った仏塔を礼拝しえない環境にあったものたち(法華信者)が、仏舎利の代わりに経典を仏陀そのものとみなし、経典を仏塔に安置し、荘厳した。それが西北インドに発達したチャイティヤであろう」という。これを言い換えれば、ストゥーパ(舎利塔)に収められる実在した釈尊の遺骨、‘聖遺物’の信仰から、チャイティヤ(経塔)という仏典・教義への移行を勧める、という大乗的解釈も成り立つかもしれない。
現在でもよく耳にするこの説は、チャイティヤの発生や原意、また考古学的事実や法華経の記述から考えれば、大きな誤りである。

まず仏塔の原意から考えると、ストゥーパ(stūpa)とは、仏塔の原語の一つであり、本来的には、頭髪、毛髪の房、頭の上部、家の主梁および頂上などを意味し、次いで堆積、土や粘土の積み重ね、火葬推。特別な意味として仏教の記念碑、遺骨の奉安所、骨箱などの名称である。「リグ・ヴェーダ」にも、樹木の冠、火炎の冠、天地を繋ぐ軸柱、黄金の塊などの意味で用いられる。
チャイティヤ(caitya)も仏塔の原語であり、漢訳仏典では「支提」、「制多」と音写される。法華経の現代語訳でも「廟」、「塔廟」の語があてられているが、中国の霊廟などと完全に性質が異なるので、誤解を招きやすいとの指摘もある。チャイティヤは、仏塔以前の宗教的建造物としては、バラモン教の火を祀るための聖火壇や、供犠祭の祭場、火葬の薪の積み重ね、また釈尊の遺体を荼毘にふした火葬場もチャイティヤという地名であったらしい。原語と用法からチャイティヤが「経塔」と訳されることはない。
チャイティヤの最も一般的な意味は「神聖な樹木」、いわゆる‘聖樹’である。このチャイティヤ(聖樹)は、「梵和大辞典」を引くと、その場所を記憶し、けっして忘れてはならない場所という意味のようだ。具体的には火葬場や墓場などの霊的に特別な場所に木が植えられ、それが聖樹・記念樹となりその場が聖域となったこと、などを指す。

布施説の最初の誤りは、チャイティヤの成立を西暦前後から西北インドに発生し、カニシカ王の時代に隆盛を極めたと考え、そのチャイティヤが‘経塔’という意味を持ち、舎利塔信仰を引き継いだと見るところにある。これは、法華経の法師品・分別功徳品・如来神力品の誤読も、誤解の一因となっているのだろう。

チャイティヤの名は原始仏典でも使われていて、‘聖樹’として釈尊も好まれた、日陰や静寂がある古木をさしたようだ。しかし、仏教では、チャイティヤに住み、それを守護し、供物をささげる者に対して利益をもたらす精霊(ヤクシャ・ヤクシニー)の存在は認めなかった。一方で、釈尊の坐す菩提樹や、仏道修行者が居住する場所を示すものとしては、チャイティヤを取り入れ、仏塔を聖樹に見立てた。

143一字三礼:2008/04/19(土) 22:53:56
142からつづく

法華経で、仏塔に言及される個所は、序品・方便品・授記品・法師品・見宝塔品・提婆達多品・分別功徳品・如来神力品・薬王菩薩本事品等挙げられるが、チャイティヤ建立を勧めるのは、法師品・分別功徳品・如来神力品の三品だろう。その該当箇所を挙げてみよう。
「薬王、在在処処に若しは説き若しは読み若しは誦し若しは書き若しは経巻所住の処には、皆七宝の塔を起て極めて高広厳飾ならしむべし。復舎利を安ずることを須いず。所以は何ん。此の中には已に如来の全身います。此の塔をば一切の華・香・瓔珞・・蓋・幢幡・妓楽・歌頌を以て、供養・恭敬・尊重・讃歎したてまるつべし。」(法師品)

「阿逸多、若し我が滅後に、諸の善男子・善女人、是の経典を受持し読誦せん者復是の如き諸の善功徳あらん。当に知るべし、是の人は已に道場に趣き、阿耨多羅三藐三菩提に近づいて道樹の下に坐せるなり。阿逸多、是の善男子・善女人の若しは坐し若しは立し若しは経行せん処、此の中には便ち塔を起つべし。一切の天人皆供養すること、仏の塔の如くすべし。」
「其の所住止の処 経行し若しは坐臥し 乃至一偈をも説かん 是の中には塔を起てて  荘厳し妙好ならしめて 種々に以て供養すべす 仏子此の地に住すれば 則ち是れ仏受用しまもう 常に其の中に在して 経行し若しは坐臥したまわん」(分別功徳品)

「所在の国土に、若しは受持・読誦し解説・書写し、説の如く修行し、若しは経巻所住の処あらん。若しは園中に於ても、若しは林中に於ても、若しは樹下に於ても、若しは僧坊に於ても、若しは白衣の舎にても、若しは殿堂に在っても、若しは山谷曠野にても、是の中に皆塔を起てて供養すべし。所以は何ん、当に知るべし、是の処は即ち是れ道場なり。諸仏此に於て阿耨多羅三藐三菩提を得、諸仏此に於て法輪を転じ、諸仏此に於て般涅槃したもう。」

上記の経文は、三品とも同じ内容の記述である。それを要約すればこうだろう。

「持経者が法華経の修行をした場所であれば、例えそれがどのような場所であれ、塔(チャイティヤ)を建てて奉るべきである。そこは仏が居ますが如く、また八相を現じているが如くに神聖な場所であるから」

これら三品の記述にみるチャイティヤは、神聖な場所に建てられる‘聖樹’としてのチャイティヤそのものである。現代的な表現をすれば、聖地に建てられる‘ランドマーク・タワー’というところだろう。
 また、上記漢訳経文でも、よく読んでもらえればわかることだが、解りにくければ現代語訳と対照して読んでもらいたい。そうすれば、‘経典が安置された仏塔’などという記述がないことがわかるだろう。

布施氏が『法華経成立史』を書いた昭和7〜8年であれば、考古学的資料や梵文資料は現代とは比較にならないほど少なかったであろう。その意味で、彼の研究を責めるの酷かもしれない。しかし、現代の法華経研究者が布施氏の仏塔論、もしくは彼と同じような趣旨の論法を、未だに無批判で使用するのは怠慢というほかない。もう少し、漢訳でも現代語訳でも構わないので、法華経を読み込む努力をしてもらいたいと思う。

144犀角独歩:2008/04/20(日) 05:12:13

今回の一字三礼さんのご投稿には、目から鱗が落ちました。深く感謝します。わたし自身、カノン信仰と関連づけて、法華経創作グループとその信奉者はせっせと経塔作りに励んでいたというイメージを懐いていました。しかし、ご指摘を受けて改めて読み直すと、塔に経巻を安置するという記述は見当たらないことがわかりました。

やや横道ですが、松山俊太郎師のご指摘を併せて思いだしました。
以下の抜き書きでは、敢えて略しましたが、塔を記述するとき、その高さ大きさ、また、数が記されるのですが、これもまた、興味深いテーマであると思いました。


■01序品「以仏舎利。起七宝塔」「仏滅度後 供養舎利 又見仏子 造諸塔廟」「宝塔高妙 五千由旬 縦広正等 二千由旬 一一塔廟…」「為供舎利 厳飾塔廟」「分布諸舎利 而起無量塔」
方便品第二「起万億種塔」 金銀及頗黎 隕隗与碼碯 隧瑰瑠璃珠
 清浄広厳飾 荘校於諸塔 或有起石廟 栴檀及沈水
■02方便品「起万億種塔」「荘校於諸塔 或有起石廟」「積土成仏廟」「童子戯 聚沙為仏塔」「若人於塔廟 宝像及画像」「若人散乱心 入於塔廟中 一称南無仏 皆已成仏道 於諸過去仏」
信解品第四「諸珍宝 以起塔廟」
■06授記品「各起塔廟。高千由旬」「供養塔廟」「諸仏滅後 起七宝塔」「諸仏滅後。各起塔廟」「而以供養 諸仏塔廟 漸漸具足 菩薩道已」「仏滅度後。起七宝塔」
■10法師品「薬王。在在処処。若説。若読。若誦。若書。若経巻所住之処。皆応起七宝塔。極令高広厳飾。不須復安舎利。所以者何。此中已有。如来全身。此塔応以」「若有人。得見此塔。礼拝供養」
■11見宝塔品「爾時仏前。有七宝塔。高五百由旬。縦広二百五十由旬。従地涌出」「供養宝塔」「爾時宝塔中。出大音声」「見大宝塔。住在空中。又聞塔中。所出音声。皆得法喜」「此宝塔。従地涌出」「此宝塔中。有如来全身」「有説法華経処。我之塔廟」「彼之宝塔。皆涌出其前。全身在於塔中」「若我宝塔。為聴法華経故。出於諸仏前時」「釈迦牟尼仏所。竝供養多宝如来宝塔」「与欲開此宝塔」「釈迦牟尼仏。以右指開。七宝塔戸」「皆見多宝如来。於宝塔中。坐師子座。全身不散」「爾時多宝仏。於宝塔中」「爾時大衆。見二如来。在七宝塔中」「聖主世尊 雖久滅度 在宝塔中」「此多宝仏 処於宝塔」「全身舎利。起七宝塔」
■12提婆達多品「七宝妙塔」
■13勧持品「遠離於塔寺」
■15従地涌出品「是諸菩薩。従地出已。各詣虚空。七宝妙塔」
■17分別功徳品「竝散七宝塔中」「復起塔寺」「則為以仏舎利。起七宝塔」「不須復起塔寺」「復能起塔」「若経行処。此中便応起塔」「如仏之塔」「以舎利起塔」「供養此塔」「恭敬於塔廟」「乃至説一偈 是中応起塔」
■21神力品「「及見釈迦牟尼仏。共多宝如来。在宝塔中。坐師子座」「若経巻。所住之処。若於園中。若於林中。若於樹下。若於僧坊。若白衣舎。若在殿堂。若山谷曠野。是中皆応。起塔供養」
■22嘱累品「多宝仏塔」
薬王菩薩本事品第二十三「応起若干千塔」「火滅已後。収取舎利。作八万四千宝瓶。以起八万四千塔」「即於八万四千塔前」「能燃手指。乃至足一指。供養仏塔」「多宝如来。於宝塔中」
■24妙音菩薩品「久滅度多宝如来。在七宝塔中」「宝仏塔已。還帰本土」「見釈迦牟尼仏。及見多宝仏塔。礼拝供養」
■25観世音菩薩普門品「分作二分。一分奉釈迦牟尼仏。一分奉多宝仏塔」

145一字三礼:2008/04/20(日) 10:19:25

犀角独歩さん

レスありがとうございます。

〉塔を記述するとき、その高さ大きさ、また、数が記されるのですが、これもまた、興味深いテーマである

大変に重要なご指摘だと思います。

法華経で、大きさの示される仏塔
「宝塔高妙にして 五千由旬 縦広正等にして 二千由旬」(序品)

「諸仏の滅後に各塔廟を起てて高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。」(授記品)
「諸仏の滅後に各塔廟を起てて高さ千由旬、縦広正等にして五百由旬ならん。」(授記品)

※「爾の時に仏前に七宝の塔あり。高さ五百由旬、縦広二百五十由旬なり。」(見宝塔品)
(縦広が記されるのは「妙法蓮華経」のみ。正・梵文には高さのみ)

※「高さ六十由旬、縦広四十由旬ならん。」(提婆達多品)
(この品は後代付加分であるから法華経の記述と考えるべきか疑問)

実際の仏塔のサイズはどうでしょうか。
ムンバイから北へ1000キロほど行ったところにある、サーンチーの遺跡の三つのストゥーパの第一塔は、インドで最も完全な形で残っている仏塔です。紀元前3〜2世紀に造られたその仏塔の大きさは、

サーンチー第一塔:高さ16,46m・直径43m

また、法華経の編纂地と目される西北インド(パキスタン:タキシラ)の古代インドの学問の中心地にある「ダルマラージカー大塔」もアショーカ王の創建になり、その大きさは、

ダルマラージカー大塔:高さ13,7m・直径45,7m

146一字三礼:2008/04/20(日) 10:20:17
145からつづく

法華経記述の仏塔は、高さが直径の約2倍ある形状ですが、実際の仏塔では、直径が高さの4倍あります。古代の建築技術の限界と仏塔という形状の約束事もありましょうが、直径の2倍以上の高さのある大塔を造ることは、実際には難しかったでしょう。

西北インドの「ダルマラージカー大塔」であれば、建立の時期からして、法華経の編纂者も目にしていたと考えられます。しかし、法華経の記述は、実際の仏塔の比率がまったく無視されています。つまり、法華経に「高さ千由旬、縦広正等にして4千由旬」という記述があれば、実際の仏塔をモデルとしていると言えるでしょうが。

では、高さが直径の2倍ある仏塔がなかったか、と言えばそうでもありません。

それは石窟寺院の「塔院窟」にある仏塔です。人の開削による石窟寺院は、アショーカ王の治世の紀元前3世紀ごろから始まるといわれます。
石窟寺院のもっとも基本的な構成は、「僧院窟」と「塔院窟」から成り立っています。このことは、部派の僧侶も積極的に仏塔崇拝をしていたという証拠にもなりましょう。

「塔院窟」に安置される仏塔は、全体的に大きくはないのですが、直径よりも高さが勝るものが多いのです。石窟寺院の僧侶たちが、野外の大塔には興味がなかったか、無視したのかは、わかりません。

この推測が成り立ち、仏塔の大きさを記す法華経の品(授記品等)を伝えたものたちが、石窟寺院に居住する僧侶であったとしますと、チャイティヤ建立を勧める集団(法師・分別・神力)とはまったく異なった環境と仏塔観を持っていたと考えることができるのではないでしょうか。

147顕正居士:2008/04/20(日) 20:12:18
大乗仏教の仏塔崇拝起源説、在家菩薩起源説は今日ではおおかた否定されています。
勝呂信静師が『日蓮思想の根本問題』(教育新潮社 1965年)で指摘していたように
玄奘や義浄はインドには大乗の「教団」というものはなかったと報告しているのです。
今日でも「サンガ」に所属していない教団というのは日本仏教諸宗とニンマ派しか
ないのですね(いづれかの部派起源の具足戒を持てば一大サンガの成員となる)。
法明教会さんのサイトの次の記事など参考になります。

「ブッダと仏塔の物語」を読んで
http://houmyou.blog.ocn.ne.jp/houmyoukyoukai_/2008/03/post_e5ff.html

148犀角独歩:2008/04/20(日) 21:42:56

さすが、顕正居士さん。ご投稿は、勝呂さん批判という趣旨ですね。坊さんマジョリティの考えを示してくださいまいましたね。

『法華経』の記述から、仏塔崇拝は否定のしようがなく、あといえば、『法華経』が大乗教団の創作であるかどうか、漢訳はいざしらず、梵本が大乗教団によってつくられたなんて考える必要があるのでしょうか。

そもそも、小乗・大乗という二分立は、いまの仏教史でも採用されていませんね。

149犀角独歩:2008/04/20(日) 21:45:47

少し、補足しますが、菩薩が僧侶であれば、現存する菩薩像はみな、在家の姿をしているのか、その説明がつきません。
僧学主導の、言い訳は、あまり興味が涌きません。

150顕正居士:2008/04/20(日) 23:24:57
勝呂師は40年前にインドには大乗「教団」はなかったと玄奘や義浄が報告していると
指摘されたのです。今日では大乗部派起源説が日本でも優勢になって来つつあります。
なお勝呂師は日蓮宗の僧侶ですが宗学者ではなくインド学者です。

151顕正居士:2008/04/21(月) 01:31:18
架空の菩薩が俗形である理由

地蔵菩薩は多く比丘形、大乗戒の戒師として勧請する文殊菩薩も比丘形のことがある。
(善水寺重文僧形文殊菩薩 http://www.zensuiji.jp/img/page2/photo005.jpg
しかし観音そのほか多くの架空の菩薩は俗形である。菩薩とは元来は釈尊の修道期を
指し、後にそれが前世に延長されて民話を摂取した本生譚(ジャータカ)が作られた。
したがって架空の菩薩もインドの貴人の姿をしている。むろん史実の菩薩は比丘形です。

152犀角独歩:2008/04/21(月) 04:43:30

勝呂師の、『平成新修日蓮聖人遺文集』が出たときの、護教的な寄稿は失笑を禁じ得ないものがありました。
http://www.genshu.gr.jp/DPJ/syoho/syoho32/s32_086.htm

なお、玄奘が旅をした頃、既に大乗教団はなかったということで、当初からなかったのではなく、なくなったという経緯を言ったのでしょう。

菩薩の姿が、釈迦の本生譚(前世物語)に基づくのは、これは釈迦菩薩のことでしょう。しかし、弥勒、観音は、この釈迦菩薩とは区別されています。

2002年のことになりますが、パキスタン・ガンダーラ、インドマトゥラー彫刻展が開催されました。仏菩薩像の起源となる彫刻が一挙に展示、画期的なものでした。特筆すべき点は、仏菩薩像の時系列で起源・変遷を、実物の展示をもって示していたことでした。
このときの図集が手許にあります。

「ガンダーラでは、釈迦菩薩のほかに、弥勒菩薩像と観音菩薩も盛んに造られたようだ。…弥勒菩薩は釈迦菩薩と同じように装身具をつけるが、ターバン冠飾を戴くことなく、頭髪を束ねたり、丸く髷を結ったりし、決って左手には水瓶を執る…観音菩薩は釈迦菩薩と同様にターバン冠飾を戴き、左手に華鬘もしくは蓮華を持つのを特徴とする」

つまり、釈迦菩薩と、弥勒観音は、その起源が別です。
なお、釈迦の修行期であるから貴人の姿というのは、仏伝と一致しません。釈迦は宮殿を出て、剃髪して、糞雑衣を着たのであって、その姿は、菩薩のモチーフとなった王侯貴族、商人、遊牧民の姿とは異なっています。もし、釈迦の修業時代が菩薩のモチーフであれば、その姿はまさに僧形でなければならないことになります。
しかし、これが前世物語に延長されるとき、その修業が俗形であることになるのでしょう。こうした本生譚の変遷については、顕正居士さんが、過去に投稿されていたことがありましたね。菩薩思想勃興以前、以後では、その特徴に大きな変化が生じます。ここで注視すべきは、僧形であった修行時代の姿が、俗形に変化した理由でしょう。

「カニシュカ・王が仏教に多大な関心を寄せたのは間違いない。海上航路を含む東西交易による経済的繁栄を背景に、王侯貴族や商人層を中心に仏教に帰依するパトロンが急増し、クシャーン朝の郊外、または山麗地域に多くの仏寺を寄進し、仏伝図や仏・菩薩像をはじめとする夥しい彫刻を工人に刻ませ、寺院に寄進した」

菩薩が俗形であるのは、パトロンである王侯貴族、商人が、自分たちの姿をそこに投影したからにほかなりません。

弥勒については。

「ガンダーラ彫刻の基調になっているのは、ギリシャ・ローマ美術の手法であるが、クシャーン朝のイラン系遊牧民の表現と、中インドの美術伝統も様々な形で流入しており、それらが融合…ガンダーラ様式…確立」

イランのミトラ教、マイトレーヤ(弥勒)の習合は、遊牧民によってもたらされ、その投影があったと考えます。

上記、彫刻展で僧形(比丘)を示した出展もありました。跪像です。(カラチ国立博物館蔵)
有髪装身具で着飾った豪奢な俗形の菩薩が悠然と立って刻まれているのに対して、こちらは、剃髪し偏袒右肩で跪いた質素な僧形です。

以上は、ガンダーラです。他国の強い影響によって形成された美術であるということです。一方、マトゥラーの菩薩表現は、この地がジャイナ教の本拠地であること、そして、ヒンドゥー教の聖地、民間信仰ヤクシャといった地域の特徴が反映されていると見るのが、マトゥラー美術史の見解ではないでしょうか。

「インドでは、仏像誕生以前から民間信仰の神であるヤクシャ像が制作されていた。この菩薩像はそうしたヤクシャ像の造形の伝統を踏まえて作られている」と解説が付される菩薩像が展示されていました。
もちろん、クシャーン朝以降、ガンダーラと相互に影響し合うことになります。

地蔵菩薩が僧形であることと、菩薩像の起源はおよそ関係ないでしょう。むしろ、後期、俗形の菩薩表現が、僧形の菩薩表現に変化するサンプルとして興味があります。

大乗部派起源説が優勢になっているというのは仏教美術史とは一致しません。出土美術とは一致しない坊さん方の願望が反映されたものではないでしょうか。

153犀角独歩:2008/04/21(月) 04:46:50

一字三礼さん

塔を記述するのに、高さのみならず、幅を示すのは何故でしょうか。
どうも、この点で、考えをまとめられません。
お考えをお聞かせいただければ有り難く存じます。

154顕正居士:2008/04/21(月) 06:22:41
勝呂信静師の『御遺文の真偽問題』は現代日蓮宗学に関しておおかた適切な文章であると思います。
宗学者ではなくインド学者であるゆえの見識でしょう。竜樹や世親の手稿などというものは存在しない。
鎌倉時代でも真蹟などはなかなか残っていません。日蓮の場合は奇跡です。しかし真蹟存在は真書の
一部です。上代写本があるものや上代目録に名があるものはほぼ真書であろうし、後代発見のもの
にもあるでしょう。さらに湮滅してしまったものもあるに違いない。日蓮の思想の全体像を把握する
ためには真蹟存在を過度に重視することは有害です。
学術の成果が一般に普及するのには時間がかかります。大乗経典が後世の創作であるとはじめて聞く
方さえおります。150年かかっています。浅井要麟師の研究はすでに60年以前のものです。それが今
日蓮宗僧俗に普及しているようである。田村芳朗師の研究は40年以前であるがまだ余り普及していない。
そして宗学界以外では田村師の天台本覚思想と対立する方面を有する鎌倉新仏教という考え方は
急速に衰退している。それは大乗仏教の仏塔崇拝起源説、在家信者起源説と同様であります。

155顕正居士:2008/04/21(月) 06:38:16
ただし最近はインターネットの普及によって学術の最新動向を概観しやすいので
大乗仏教起源説については急速に最新成果が普及しているようです。
次の記事も寺院のサイトです。

http://www.denpouin.com/reports/3.Daijoubukkyou_no_kigennituite.html

156顕正居士:2008/04/21(月) 09:39:59
架空の菩薩が俗形なのは菩薩とは釈尊の前生であるから仏教教団は存在しておらず比丘形は描けない。
地蔵菩薩が比丘形なのは弥勒出世までの無仏の世の救済者だから。文殊菩薩が比丘形なのは戒師であるから。
また菩薩道とは6つのパーラミターの実践であるから比丘には部分的にしか実行できない。
大乗中の救済者信仰(浄土教)が今日インド連邦の版図に属しない地域で盛んであったことは事実であるが
般若教学は南インド起源と伝承されている。
中国には実際に有名な居士がいるのだから、維摩居士のようなのがいたら1、2部はその著作の名は残って
いるはず。およそインドはそいう文明ではない。したがってすべてフィクションであろうと私は考えます。

157犀角独歩:2008/04/21(月) 18:57:42

勝呂師の文章は、たしかに日蓮宗学の人々にとって、おおかたの見方であるのは事実でしょうね。また、過度の真跡重視は有害でしょう。

しかし、もっと、有害なものがあります。写本の過度の重視です。こうした写本伝承の有害性が蔓延した日本仏教下で、われわれは育ちました。故に真跡主義を採ることから“はじめるのは”安全策であって、批判される所以はありません。成分、生産地、発売元、消費期限、賞味期限が明記されない加工品は、食べないほうが安全なことと似ています。素人ができるまず第一の防御策です。鑑定書があっても、偽物をつかまされる時代です。

一般人にとって、坊さん方の都合を重んじた日蓮教学などは興味がないのであって、たとえば、福神研究所で開催している小松邦彰師の遺文講義も、真跡のみを載せる『平成新修日蓮聖人遺文集』により、また、立正大学などでも、いまどき、写本の講義など行われてはいないでしょう。

本覚は当掲示板で沸騰した議論、仏塔は今回の一字三礼さんのご投稿、在家教団については、わたしが目下、mixi で書いていることですが、それを知ってか知らないのか、何ら根拠を上げることもなく、衰退しているなどというのは、訳がわかりません。なお、衰退しているのは、むしろ、日蓮教学研究全般に言えることでしょう。顕正居士さんらしからぬ、ご投稿と思いました。

六波羅蜜が比丘に実践できない内容が含まれているのであれば、なおさら、僧侶をモデルにすることができないことになりますね。

俗形菩薩から、やがて、僧形菩薩が登場してくるのには、時間的な隔壁があるわけです。僧形菩薩の後天性を、時系列で整理しないと誤解が生じるというのが、わたしが言いたい主旨でした。また、「菩薩」のモデルというとき、わたしは仏像像立がはじまった当初におけるモデルをいっていますが、顕正居士さんはその後の展開について述べているわけですね。

菩薩がフィクションというより、所謂「大乗経典」における仏菩薩の一切合切がフィクションなのでしょう。ただし、物語にも、絵像にも、モデルはいただろうと思います。敢えてことわりますが、あくまで仏像制作が始まった“初期”の話です。先に挙げたガンダーラの展示における菩薩像を美術史家達などがいう、布施した本人の似姿が反映しているといった類推は、あながち外れているとは思えません。実在は疑問視される向きもありますが、法隆寺の釈迦像は聖徳太子をモデルにしたという説もあるでしょう。また、『法華経』のような“物語”に登場する独自の菩薩群には、やはりそれなりのモデル達がいたとしても、外れた憶測とは言えないでしょう。こちらのモデルは名前が残すことに主旨がなかったので、残らなかったわけでしょう。日蓮を像に刻み、国風と、インドの気質は違ったと言うことでしょう。

言葉としての「大乗」と「大乗教団」は、別でしょうね。当時の王侯貴族・商人は、伝統教団や、寺院僧侶に“布施”をし、多大な影響を与えたといったところでしょうか。ここで面白いと思うのは、こうした造仏菩薩の動きがあっても、比丘・比丘尼などはさして像に刻まれないことです。こうした点は、御影を重んじる日本仏教とは大きな相違がありますね。これら“創作”運動は、物語のモチーフを描くばかりです。

インドは顕正居士さんがご専門なのでしょうから、ご教示いただければと思いますが、大乗 maha-yana 小乗 hina-yana という現地語が伝わるのは、そうした思想が、ご当地にあったことを意味するのでしょうか。これもまた、創作物語上のことでフィクションだったのでしょうか。大乗(大きく優れた乗り物)・小乗(小さく劣った乗り物)といった考えが、では、具体的に何を大乗といい、何に向けて小乗といったか、そうした言葉があるけれど、大乗教団はなかったとすれば、なおさら、その大乗の担い手は誰であったのでしょうか。大乗は教団を指すと言うより、新たな思想運動を指したのではなかったのでしょうか。となれば、それ以前の仏教僧俗もその影響を受ける側であったことになります。

158一字三礼:2008/04/21(月) 22:01:44

落ち着いて双方の論拠をはっきりさせましょう。

すくなくとも初期に制作された菩薩像、宝冠や大きな耳飾り、臂釧、腕釧、瓔珞などを付けたものはやはり、皇太子時代の釈尊の‘王子’の姿をモデルとしていると考えるべきでしょう。

初期菩薩像が僧形をとらない理由は、部派の教義上の菩薩観にあります。

部派(説一切有部)の論では、阿羅漢への道とは別に、仏に成るための菩薩道も説いております。

菩薩たらんとする人は、
① まず三阿僧祇大劫のあいだ、六波羅蜜の修行を積み、多数の仏たちに供養をする。この六波羅蜜の行によって、有情のために大慈悲の行ないをするための無量の徳がたくわえられる。
② その後、南閻浮提に生まれて、百大劫のあいだ、さらに別種の修行を重ねる。これは、三十二相を具備するのに必要な徳を積むためである。
③ 以上の二種類の修行を終えた菩薩は、もはや三悪道に落ちることがない。すなわち人間か天の境遇に生まれ、つねに富貴の身となる。彼は有情を利益して大慈悲を行なって倦まず、人のために‘無給の使用人’となる。

上記の②が本生譚にあたり、多くの仏伝として残っております。

ここで重要なのは、部派では、菩薩といえども欲望を滅し尽くした存在とは考えなかったことです。当然、輪廻転生を重ねることで徳を積む必要があるのに、四向四果に入ってしまっては、輪廻転生が叶わなくなるからです。

そこで、菩薩と阿羅漢とを明確に区別するために、出家前の釈迦をモデルとして菩薩像を作ったのです。

バラモン青年・善慧(釈尊)に燃燈仏が授記をする「燃燈仏授記」の話は、仏伝のほとんどに登場しますので、部派の僧侶たちが、菩薩信仰に熱心であったとしても不思議はないでしょう。

弥勒菩薩も『長阿含経』の「転輪聖王修行経」で、すでに釈尊から授記されているので、釈迦菩薩に準じた、‘王子’の姿で菩薩像が作られたと考えます。

その後に登場する、観音・文殊・普賢等の‘大乗の菩薩’たち、独自の性格と働きを備えた存在ですから、独自の持物や特徴を持つようになったと考えられます。

159顕正居士:2008/04/21(月) 22:20:45
「聲聞中佛能王生、諸佛復從菩薩生、大悲心與無二慧、菩提心是佛子因」(月称・入中論)
(聲聞中ニ佛ハ能王トシテ生ジ、諸佛復タ菩薩從リ生ズ、大悲心ト無二慧ト、菩提心ト是レ佛子ノ因ナリ)

釈尊直系の仏教は釈尊の教を学習し実践し三界に二度と生まれないことを目指す。これを阿羅漢果という。
しかし大乗から見ると阿羅漢果は仏陀と同等になったわけではない。仏陀は無師独悟しさらに声聞に教授
することができた。つまり阿羅漢果には仏と同等の能力と知識は欠如している。仏陀は無数の前生で菩薩
の行を積み完全な同情心と知恵を得たのである。大乗は阿羅漢果ではなく釈尊と同等の仏果をめざす。
その決意を菩提心という。これが大乗の定義であろうかとおもいます。
阿羅漢を得ても仏と同等の能力と知識は備わらないことは事実であるから釈尊直系の教義とかならずしも
矛盾はしない。義浄が「部派の比丘中、菩薩を崇拝し大乗の経を読む者を大乗というのみである」(趣意)
と述べるゆえんでしょう。大乗の経はアーガマを下敷きに仏伝と教理に精通した人々によって書かれた。
漢代に活版印刷と紙が発明された中国と異なりインドの文化環境では貴顕といえども僧院で学ばずして
学僧と同等の知識を得ることは不可能であり、在家信者は経済的支援にとどまったと思われます。
ただし文芸的な大乗の経は信者にも読まれたでしょうし、「大乗派」の有力な布教手段であったでしょう。
在家の貴顕を持ち上げる描写があるのもそのせいでしょう。非大乗派の比丘からはそれらは「偽経」に
ならないのか。そういう批判もありましたが、大乗側は化身仏のアーガマに対して報身仏の説法(つまり
霊感によって記したもの)と答弁し、いずれにしてもなんらかの史実に由来する部派の伝承聖典とは明瞭に
区別されていました。なお大乗とは声聞乗、独覚乗をはずした菩薩乗のみを追求するものかというと
そうではなく三乗を含有するから大乗でもあり、末期インド仏教を移植したチベット仏教のカリキュラムは
全くそのようにできています。また聖典の権威を認めない大乗の認識論から重視される経典はなんらか論証
が行われている個人によって記された「論」であります。大小乗が排除的でない、「経」は妄信されない、
部派の戒律をたもってサンガに所属している、これらがインド大乗仏教の中国とおおいに異なる様相です。

160顕正居士:2008/04/22(火) 02:20:17
大乗興起のあり得る理由

梵天の勧請を受けて仏陀は「不死の門は開かれた」と宣言します。この「不死」というのは永遠に生きる
意味ではありません。二度と死なない、つまり次にはもう三界に生まれて来ない意味です。
インドの宗教はみなこの「解脱」を目指します。ローカーヤタはそのために特別な努力は不要としますが。
反対に永遠に生きることを目的とする宗教が二千年前に創始されました。キリスト教です。
今も南方仏教圏では死ぬのは今回限りを目指して多数の声聞が修行中です。在家信者は声聞を供養し
来世は生天し、憂いのない環境で出家を果たす建前です。ほんとうにそうなんでしょうか。
グローバライズした現代ですから南方仏教の信者には西洋人も日本人もいます。出家する方もおられます。
たしかに「解脱」のために努力している方々は少なくない。けれども反対の目標のほうが好ましいと
考える人は昔から常にいたのではないでしょうか。三悪道にしばしば堕ちるならいっそ解脱したいが
永遠に富貴の身として生きられるならそのほうがよいと。これが大乗仏教のセールスポイントであった
可能性はあるでしょうね。来世は出家の建前もないわけですから。

161犀角独歩:2008/04/22(火) 02:32:12

根拠という点で、時系列を考慮する必要がありませんか。

菩薩(六波羅密)という考えは、本来、仏教のなかになかった考えでしょう。それと併せて、王家皇太子といった俗時代を美化するという考えは、では、なぜ、加筆されていったのでしょうか。

初期教団において出家する人々は、在俗世を捨てる出家と八正道の実践という二大コンセプトによって苦滅を目指したのではないでしょうか。つまり、阿羅漢です。そこには救済者(菩薩)と思想も、俗時代への美化もありませんでした。皇太子→沙門→仏陀という順番です。しかし、菩薩は仏陀に一番近く位置するのであって沙門→皇太子→仏陀となっています。こうした仏伝記述の逆転が、なぜ起こったか。菩薩観への転換です。

以上の時系列を無視すれば、恰も当初より、菩薩観が仏教にあったような印象を懐くことになりますが、菩薩思想が後天的なものであればこそ、大乗(菩薩)が小乗(阿羅漢)を簡ぶ思想が隆起したのではないでしょうか。

釈迦は王家の皇太子であったから尊いのではなく、その身分を捨てて、出家したからこそ尊いわけです。それにもかかわらず、なぜ、王侯貴族商人の俗人の像のほうが尊ばれるようになったのかということです。

仏像と菩薩像という二つは、実際の釈迦の生涯から考えると、むしろ、尊ばれてきた修業時代、つまり、本来、徳を積む出家者としての造形がそこには少しも反映されていません。元来、仏教は高貴・富裕を離れることに修行があったわけですから、そこに大きな変化が生じています。

以上のような時系列で変化が起き、いわば清貧の思想から、高貴富裕への目標変化が生じた。出家修業時代の釈迦より、それ以前の王子であった釈迦のほうが、もてはやされる変化です。その絵像を作らせた人々は、では、どのような人々であったかということです。

どうも、うまく話が伝わらないのですが、 王侯貴族豪商の人々が、自分たちの身分と生活を「王子」という姿で菩薩を表現していくということは、自分たちの身分と生活を肯定的に反映したものではないかということです。

162顕正居士:2008/04/22(火) 05:06:28
「清貧の思想から、高貴富裕への目標変化が生じた」

その通りでしょうね。仏陀に限らず六師といわれる古代都市国家の思想家はみな個人主義者であり
簡素な生活を目指した。インドの場合、「自我の自覚」はウパニシャッドの賢者にはじまりますが。
そもそも人類が今日のような意識を持ったのはこの時代であろうという説があります。

神々の沈黙―意識の誕生と文明の興亡
http://www.ringolab.com/note/daiya/2005/08/post-258.html

その後、自我を自覚した人類による経済発展が始まる。仏教のモットオも「苦空無常無我」から
「常楽我浄」へと変化すべき要請が生じた。その頃にインドに現れたのが仏教教団の比丘であり
大詩人であったアシヴァゴーシャです。彼によって仏伝は常楽我浄の華麗な物語へと変化した。
ただしこの変化は急激に起こったのではなく仏教教団の発展とともに僧院が遁世の場所ではなく
文化の中心に次第に成長したのでしょう。古代中世の僧院はインドに限らず今日の大学、研究所、
銀行、娯楽出版社、風俗産業などを一身に兼ねていたのです。

常楽我浄御書
http://sgi.daa.jp/gosyo/title/G278.HTM
馬鳴が事実上の大乗仏教の開祖であるという日蓮説はさらに報恩抄に詳しい。

163一字三礼:2008/04/22(火) 10:28:53

仰るとおり、時系列はとても重要であると思います。

〉菩薩(六波羅密)という考えは、本来、仏教のなかになかった考えでしょう。

「六波羅蜜」は、部派仏教内で発達した行法であり、大乗仏典ではそれを特化して敷衍しました。ですから、かなり古くから部派仏教でも使用されていた行法でしょう。

‘菩薩’の語は、最古の仏典とされる「スッタニパータ」にも使用例があり、パーリのニカーヤのすべてに「ボーディ・サッタ」の用例があり、しかもかなりの広範囲にわたります。漢訳四阿含では、『長阿含経』とその異訳経典、『増壱阿含経』と『中阿含経』の異訳経典、『雑阿含経』に‘菩薩’語が使われています。

最初期経典を論拠として、時系列でみた場合、‘菩薩’という概念が、初期仏教から存在するものであったということに、疑問を差し挟む余地はありません。

〉菩薩思想が後天的なものであればこそ、大乗(菩薩)が小乗(阿羅漢)を簡ぶ思想が隆起したのではないでしょうか。

先の投稿で、述べましたように、部派仏教の教理においてもすでに、‘阿羅漢道’とは異なる‘仏道’を説きます。

そして、初期経典から‘菩薩’語が存在したことから考えますと、‘大乗’とは、部派で考えられていた‘仏道’のみを抜き出し、‘菩薩’、‘波羅蜜’の概念を特化・拡大・敷衍して成立していったものではないでしょうか。
ですから、部派から伝わる、成道までに必要とされる三阿僧祇劫という期間は、最初期から中期の大乗仏典まで、共通にそのまま使われます。

最初期の‘大乗’には、‘仏道’と‘阿羅漢道’とが異なること修行であることが自明であったので、ことさら‘小乗’を蔑む視点がありません。
『道行般若経』(最古の八千頌般若経)では、‘摩訶衍’(大乗)語の使用はあっても、‘小乗’語の使用がないのはそのためでしょう。いわゆる‘小乗’に対立する概念としての‘大乗’ではなかったのです。

〉釈迦は王家の皇太子であったから尊いのではなく、その身分を捨てて、出家したからこそ尊いわけです。それにもかかわらず、なぜ、王侯貴族商人の俗人の像のほうが尊ばれるようになったのかということです。

仰るように、仏者の志が劣化し、俗化していったということも事実でしょう。
しかし、多数ある本生譚から考えた場合、尊いのは、出家することではなく、畜生や人に生まれて捨身を繰り返す菩薩行に置いていたとは考えられないでしょうか。

ともあれ、仏教の世俗化・俗信化は、‘大乗’に入って急速に加速したのは事実であると思います。
‘大乗’は、スポンサーである在俗商人たちの生業である利殖・蓄財を肯定しつつ、禁欲的な仏道との融合を試みて構成されました。そこから生まれた般若系の「波羅蜜」、「空」、「中道」の思想は、とても実現困難な言葉遊びとしか思えない代物となったのではないでしょうか。

164顕正居士:2008/04/22(火) 12:12:05
仏教の倫理と資本主義の精神

「不偸盗」、「不妄語」の二戒は商業の発達に欠かせない倫理です。アーガマの中でも仏陀は
蓄財法を詳しく説いています。最初から仏教は商人と及び商業の発展を図る王権によって支持
された宗教です。いわば「仏教の倫理と資本主義の精神」の時代がインドにもあったのです。
上の二戒に加え「不邪淫」、「不飲酒」も蓄財のためには重要な徳目です。しかし「清貧」を
目指していては「合成の誤謬」*1、「重商主義の誤謬」*2に陥ります。適切な散財が必要です。
華麗な仏教文学と仏教美術はまさにその需要に答えたものでしょう。文芸や芸術、ひろく娯楽
が宗教から独立するのはようやく近世に入ってからです。散財と理財のバランスははむづかしい
実践ですから般若の議論も必要だったでしょう。またアンチカーストという教義が必要です。
なぜ仏教がインドでは滅んでしまったのか。アンチカースト、蓄財倫理、来世観のすべてで更に
徹底したイスラームに仏教徒が改宗してしまったからというのが最も合理的な学説です*3。

1 従業員の賃金を圧縮すれば利益は増える。しかし皆がやれば人民の購買力が減少する
2 重商主義の誤謬 貿易黒字ばかり目指せば相手国はやがて購買力を失う
3 保坂俊司『インド仏教はなぜ亡んだのか―イスラム史料からの考察』(北樹出版)

165犀角独歩:2008/04/23(水) 19:22:58

ひとこと「菩薩」といっても、経年変化における同名異議を整理してかかる必要があると思うのです。この点は、部派の六波羅密と、たとえば法華経で言う六波羅密でもかなりその意味を異にしているでしょう。

前世の釈迦は、たしかに俗形での供養もあり、さらに出家者(僧ではない)としての供養を為すということで菩薩とされることもあったでしょう。

当初の菩薩物語は、すでに議論されてきたように、釈迦の前世物語であ、り捨身といった、いわば身の供養などをさすわけですが、しかし、これがいつしか、弘教に身を捧げることを意味するようになり、さらに金銭の拠出へと転化していきます。

しかし、前世物語は後天的なのであって、元来は王家の身分と俗世を捨て、ついに不死を得、生涯、人々に教えを説いた一代記が先行します。(不死とは顕正居士さんが述べられていますが、最後の肉体を持つ者、つまり輪廻をしなくなることでしょう。(surota-appana→sukrdagamin→anagamin(不還)→arhat))、釈迦の出家のコンセプトは、バラモンの四生期や、それを模した自由思想家が執ったところにあるのでした。

その後、前世物語が、創作されていくのでしょうが、ここで、生じた「菩薩」はしかし、その後、創作されるようになる所謂「大乗」経典とは大きな相違があります。言葉は同じでも同義として扱えない部分を有します。

こうした変化をもたらした点は、顕正居士さんが「資本主義」という用語を持って説明くださった社会構造の変化と因果関係があると、わたしも考えてきました。

経典が紡がれた場が僧院であり、かつ、僧侶であったとして、では、その僧侶達が、見なされたかどうかは別の問題に属します。
また、僧院のなかで紡がれた物語であるから、仏教のオリジナルかと言えば、まるでそんなことはなく、多くのが依頼しそうとの習合と影響によって、経年変化が生じたのが現実であろうかと思います。そして、ここで大きく働いたのが王侯貴族商人といった、顕正居士さんの言葉を借りれば「資本主義」ということであり、このパトロンの反映が、随所に色濃く見られるのが、後期の菩薩観ではないのかと考えます。

こちらの掲示板は、挙証義務を有しておりますが、以上の点を一々に文献を挙げる暇がありませんので、資料を整理して、いつか記すときがあれば記そうと思います。

166犀角独歩:2008/04/23(水) 19:26:59

【165の訂正】

誤)その僧侶達が、見なされたかどうかは別の問題
正)その僧侶達が、菩薩と見なされたかどうかは別の問題

誤)多くのが依頼しそうとの習合と影響
正)多くの外来思想との習合と影響

ほかに瑕疵があればご判読ください。

167一字三礼:2008/04/23(水) 22:25:24

犀角独歩さん

仏教の歴史とは、最初期仏教から無上瑜伽タントラに至るまで、加上・加筆により展開した歴史です。

その一段階を切り出して‘創作’と呼ぶのは、学的に仏教史を表現しているとは思えません。

先に論証しましたように、最古の『八千頌般若経』(道行般若経)の思想的源泉は、部派の論書に求められます。

『法華経』も、その序品の書き出しが『八千頌般若経』とほぼ同文であることは、植木氏が論証しております。また、眉間からの光と妙光菩薩と求名菩薩の役割は、如来性起品の仏の口から出る光りと普賢菩薩と文殊菩薩の関係に酷似しております。

また、方便品では、『初転法輪経』との類似が指摘され、比丘偈の表現は『譬喩経』に求められます。

化城喩・長者窮子喩・三車火宅喩などは百喩経・大荘厳論経・修行道地経に、その類似をみます。

提婆達多品は、大乗十法経との関係を論ぜられ、無尽意菩薩は大集経の一部との関係を、普賢菩薩は、‘普賢の行’が華厳経との結び付きを指摘されています。

これらの研究の中には、私の意見としましては、まったく出鱈目なものもありますが、しかし、『法華経』の起源を探る研究は、真剣になされていることはわかります。

『法華経』などの一つの完成された思想が、突然、誰かの手によって‘創作’されるということは、思想史からみても、およそ考えられるものではありません。
そこに至るまでの歴史と思想的源泉と経緯とがあって、はじめて成立するものです。

‘大乗経典が創作された’という表現は、刺激的ではあっても、事実ではありません。仏教学で重要な思想的源泉を求める研究を無視したものであり、かつ、初学のものが聞けば、単純に理解し、仏教史に対する認識を誤らせることになるでしょう。

この‘創作’を使われる件でも、挙証をともなったご意見をお待ちします。

168犀角独歩:2008/04/23(水) 23:21:04

一字三礼さん

いささか、驚きながら、ご投稿を拝読しました。

> 創作’を使われる件でも、挙証をともなったご意見

創作であることを、挙証をということですが、たとえば『法華経』における記述が、創作以外の何ものであるというのでしょうか。たとえば、大地から、途方もない、塔が出現し、そこから多宝如来が喋ったとか、大地から、ガンジス川の砂の数以上に菩薩が登場したとか、こうしたことを創作であると挙証しろと問う以前に、こうした記述が創作でないというのであれば、事実であるというのでしょうか。事実であるというのであれば、むしろ、挙証をもって証明するのは、一字三礼さん、あなたのほうではないでしょうか。

こうした有りもしないことなど、挙証できるはずもなく、挙証できないことであるからこそ、「創作」と言われるわけです。

『法華経』が完成された物語であるから、創作ではないなどということは、まったく成り立たない論理です。あまたある人々を感動させて止まない多くの文学も、では、すべて事実なのですか。

本末転倒も甚だしい話です。
『法華経』が創作ではなく、事実であることが、挙証できるのですか。
それはお聞きしたいものです。

169一字三礼:2008/04/24(木) 00:08:55

犀角独歩さん

驚いているのは私のほうですよ。

創作か事実か、などという話は、私はしておりません。仏教思想を論じるのに、そのような二択には何の意味もないでしょう。

167で私は、『法華経』の先行思想と思われる文献類を列挙しました。
そして『法華経』のような思想が完成されるまでには、歴史的経緯と思想的源泉の存在が不可欠ではないか、と論じておきましたがお読みになりましたか。

先行思想があり、それに加上・加筆されて成立したであろう経典を、‘創作’という表現で表すのはなぜですか、とお伺いしているのです。

‘創作’という表現を使った時点で、経典で使われる表現やその思想的な源泉を、過去の思想から探る、という方向性はストップしてしまいます。

独歩さんも仰るように、初期仏教の菩薩の概念と、初期大乗仏教の菩薩の概念と、中期、後期、または密教の菩薩の概念では、例え同じ菩薩名(弥勒菩薩や文殊菩薩等)を冠していても、その性質は異なるでしょう。

それぞれの菩薩の概念は、以前の菩薩の概念に、新たな意味を加えて成立していたのではありませんか。
その一々の過程をすべて‘創作’と呼びますか、違いますでしょう。そんな呼び方をしていたら、菩薩名を挙げるのに、一々、何々経の何々品にでる弥勒菩薩などと呼ばなければならなくなります。

経典の典型的な加上・加筆の例として『理趣経』というものがあります。

この経は、『大般若経』の「大般若波羅蜜多理趣分」から始まりましたが、加筆・変更が加えられ『実相般若波羅蜜多経』となり、『金剛頂瑜伽理趣般若経』を経て、『大楽金剛不空真実三摩耶経』となり、『仏説遍照般若波羅蜜経』に変わり、最終的には性瑜伽タントラの『最上根本大楽金剛不空三昧大教王経』となりました。

これらの経典は、「大般若波羅蜜多理趣分」を思想的源泉として成立していったものです。
この一々の段階を、みな‘創作’された、と言えますか。

170犀角独歩:2008/04/24(木) 05:02:16

一字三礼さん

仰っていることが、よくわかりません。

「思想的源泉として成立」させることは、既に創作活動ではないでしょうか。

いまから、たった100年前まで、経典はすべて釈迦が説いたものであるから、事実であると信じられていました。しかし、実際は、釈迦の死後、数百年を経て、作られたものであったことが判明してきた。つまり、こうした経典類は、種々のモチーフから創作されたものであったと書くことに、何の問題があるのか、理解できません。

この創作の制作過程がどのようなものであったかを、「経典で使われる表現やその思想的な源泉を、過去の思想から探る、という方向性」というのであって、何らストップするものはありません。ストップするのは、創作された非実在の出来事を、事実としてとらえてきた神話的解釈だけです。

そうしてこうした段階を探ることを、わたしは創作の制作過程と見なしますが、結果的に言えば、169に記されたような思想経緯、経年変化を探る結論は違いはありません。

創作か事実かを探ることに意味がないというのは、一字三礼さん個人のお考えであって、何ら妨げるものではありませんし、また、わたしは、これら経典群を創作作品の制作過程を探るという視点から見ていくことに、わたしなりの意義を感じております。つまり、わたしにとっては、充分に意味のある作業です。

171顕正居士:2008/04/24(木) 06:02:50
著作権が発生する条件として「創作性」が必要とされます。つまり「創作」とは特許権を
申請できる「発明」と同じに主として個人の営為に用いかつ斬新な物事に使います。
古代の叙事詩とか物語は長い時間かかって無名氏が少しずつ増広したものが多い。大乗の
経はこちらですね。現代の著作権の考え方からすると原著作を改竄したものでも斬新性が
あれば創作性は認められ著作権が発生するが、これらは「二次創作」といいます。
創作とフィクション、ノンフィクションは無関係です。大乗の経は無名氏が二次創作を
積み重ねたフィクションといえます。でもアーガマもノンフィクションなのは最も基層の
部分だけでほとんどの部分はフィクションの積み重ねです。特に現在伝えられている
セイロン上座部のパーリ聖典はたいがいの大乗経や漢訳阿含よりずっと新しいものです。

172一字三礼:2008/04/24(木) 09:57:24

私は悪文ですので、意を尽くせなかったのですが、顕正居士さんのご投稿内容が私の申し上げたかったことです。

大乗仏典というのは、原案のある‘二次創作’とは呼べるものの、‘一次創作’ではないということです。

ただ‘創作’という言葉だけでは、‘一次創作’のイメージが強すぎて、もともと多様の原案をベースとしたもの、という実態を見えなくするおそれがあるということが言いたかったのです。

〉古代の叙事詩とか物語は長い時間かかって無名氏が少しずつ増広したものが多い。大乗の経はこちらですね。

顕正居士さんがおっしゃるように、仏教典、特に大乗仏典は、「叙事詩」に近い伝承経過と構成要素をもって成立したものであろうと考えます。

「叙事詩」も仏典も、その内容に、歴史的事件や古代社会の経済・政治の実情、世界観、地理観、教訓話、宗教的理想像など複合的な要素を取り入れて成立した伝承物語です。

そのような成立過程をたどった作品に、それはフィクションかノンフィクションか、などを問うことには意味がないと申し上げました。

私が言いたかったことは、‘創作’が大乗仏典を表す学的表現としてはたして正しいか、ということでした。

独歩さんが思想信条から‘創作’という表現をお使いになるのであれば、それは私の関知するところではありません。

173顕正居士:2008/04/24(木) 16:22:51
今日でも二次創作を積み重ねて作品を作ることが行われています。Wikipediaなどです。
これらが成功していることから自由編集方式は多数の人による報酬を求めない共同著作に
向いているといえます。
対して一次創作は著作権の制度が無かった時代から著作者名を付して発表されます。
ただし木版や活版の印刷で頒布される時代以前には写本による流通であり、写本は自分が
利用する目的が主ですから所持者がコンテンツを増広することがあります。次にこれを
写す人には原著作と増広分の区別が付きません。したがって写本流通時代には結果的に
二次創作が行われることがあります。また原著作に発表の意図がなく著作者名が記されて
いない場合、写本筆記者が推定著者名を付加することがあり得ます。つまり「偽書」には
単なる著者名誤伝もあります。
現代は印刷からデジタル・コンテンツへ移行中であり、Web上には共同著作も無名氏の
著作も存在し、ある意味写本流通時代に似た形態が蘇っています。

174犀角独歩:2008/04/24(木) 18:28:44

顕正居士さんのご賢察を参考に、一字三礼さんが仰る意味がようやくとわかりました。

個人的には、それが一次であれ二次であれ(実際はもっともっとでしょうが)創作は創作なのだろうとは思います。ただ、一字三礼さんが仰る筋はわかりました。

わたしが「創作」というのは、たとえば日蓮が「釈尊の金言」とか「仏説」とかいうことを、つい最近まで、いや、いまでも、字句どおり受け取っているのが、ここ富士門下だからです。ですから、そうした教学でいう法華真実は事実と相違するのであって、『法華経』物語は創作であるという対置で記したものです。まあ、そういうことです。

175犀角独歩:2008/04/24(木) 19:57:56

言葉足らずを補えば、ここ富士門の人々は「法華経は釈尊が入滅する前8年間に説いたものである」と習ってきました。
つまり、ここでオリジナル(仏説)といえるものは、釈尊が説いたものということでした。それが仏以外が書いたものであれば、それを仏の名を使って(人間が)創作した物語であるという言い方は、おかしいでしょうか。

富士門の信仰は、仏説への信仰であって、一次創作であっても、なおさら二次創作でもあっても瓦解するものです。一次か、二次かという問題であるというより、仏が説いたかどうか、その譲ることのできない絶対条件の崩壊を、わたしは「創作」と表現しました。

176顕正居士:2008/04/24(木) 21:40:03
日蓮正宗でも正信会でも今のところは立正大学の仏教学部を卒業した方が多いですから
普通はひととおりのことは知っているわけです。ただし信者は要品読誦以外に法華経を
読む人は少ないでしょう。それで「金言」とか「仏説」とか言っても突っ込まれない。
これは日蓮宗でもおなじ、よその宗派でも同じですね。坊さんとして話をするときには
一切経金口の言語体系、一般人として話をするときには現代人の言語体系に切り替える
わけです。

177顕正居士:2008/04/25(金) 18:41:47
「金言」とか「仏説」といっても、日本の仏教には歴史上の釈尊を信仰している宗派が
ありません。したがって「仏」とは「報身仏」のことでこれはつまり大乗の経の説主
あるいは登場人物のことです。かつ現実に信仰しているのは報身仏でもなく祖師です。
経を直接に信仰しているのではなく、祖師の解釈を信仰しているのだから経の成立の
過程とか経の思想の正統的な解釈とかは最終的には問題になりません。ただし日蓮宗
にはこの辺をあえて混同した議論を他宗にしかけ、みづからは最もこの構造に立脚する
という矛盾が歴史上ありました。

178犀角独歩:2008/04/25(金) 21:22:16

顕正居士さんや、一次三礼さんの高尚さとは隔たり、いまだに石山の法華講員でも、学会でも、顕正会員でも、『法華経』は釈尊最後8年の直説であると信じていますよ。また、だからこそ、真実であり、それを貶すものは地獄に堕ちると思っています。坊さん方の本音と建て前の使い分けなんか知る由もないでしょう。もっとも在家団体の幹部も一緒です。

「若し人信ぜずして 此の経を毀謗せば
  則ち一切世間の 仏種を断ぜん
  或は復・蹙して 疑惑を懐かん
  汝当に 此の人の罪報を説くを聴くべし
  若しは仏の在世 若しは滅度の後に
  其れ 斯の如き経典を誹謗することあらん
  経を読誦し書持すること あらん者を見て
  軽賎憎嫉して 結恨を懐かん
  此の人の罪報を 汝今復聴け
  其の人命終して 阿鼻獄に入らん」


この馬鹿くさい脅しと創作文章を本気で信じている程度です。

わたしが、だからこそ、こんなもの「創作」、恐れるに足りずと声を大にするのは、そんなことからです。

179一字三礼:2008/04/25(金) 22:34:21

犀角独歩さん

‘創作’は、富士門流の人々に対する啓蒙の意味も含めたご発言との趣旨、了解しました。

顕正居士さん

〉坊さんとして話をするときには一切経金口の言語体系、一般人として話をするときには現代人の言語体系に切り替えるわけです。

在家信者(飯のタネ)向けと一般向けとの使い分けは、‘二枚舌’以外の何ものでもないのですが、それでも、坊さんらは‘方便’と言って正当化するのでしょうね。

〉経を直接に信仰しているのではなく、祖師の解釈を信仰しているのだから経の成立の過程とか経の思想の正統的な解釈とかは最終的には問題になりません。

見事に核心を突いたご指摘だと思います。

「日蓮上行論」を主張する日蓮宗系の人たちは、興門系の「日蓮本仏論」の主張に対して、口を極めて論難するのが常です。
しかし、彼らは、日蓮の主張と『法華経』の内容が明らかに異なるとき、『法華経』に照らして日蓮遺文の誤りを正そうとはせず、日蓮の主張を選択します。

教学的には、‘『法華経』は三仏のご金言’などと言いながら、凡夫僧・日蓮(天台・妙楽を含む)の主張を採用するということは、「日蓮本仏論」以外の何ものでもないということを自覚していないのでしょう。

「日蓮上行論」を奉じるもの達、と「日蓮本仏論」を奉じるもの達の間には、目糞と鼻糞くらいの大きな違いがあることがわかります。

180顕正居士:2008/04/26(土) 06:37:24
ところで法華八年等の「別の五時」(の重視)は天台家の正統説ではなく
高麗諦観の異説であると今日では考えられています。

「法華玄義ニ云ク、(中略)
大智度論ニ云ク、須菩提法華ノ中ニ於テ説ヲ聞テ舉手低頭シ皆作佛スルコトヲ得ト。
是ヲ以今退義ヲ問フ、若シ爾ラバ大品ト法華ト前後何ゾ定マラン也ト。

論ジテ曰ク、智者章安ノ明文此クノ如シ。今人絶テ寓目セズ。尚ホ自ラ阿含十二
方等八之妄説ヲ訛傳ス。害甚ダ大ナリト為ス」(智旭・教觀綱宗)
http://www.ouyi.mymailer.com.tw/ouyihtm/015/015-4.htm

法難と五時八教
http://www.kosaiji.org/hokke/tendai/kyogi.htm

181犀角独歩:2008/04/26(土) 08:20:00

たしかに法華八年という記述は、法華六大部では、あまり見られないのですね。検索したところヒットしたのは一カ所でした。

T33n1716_p0765c19(05)║亦不通引部內。但就本門證成十義也。然先佛法華。
T33n1716_p0765c20(01)║如恒河沙阿[門@(人/(人*人))]婆偈。今佛靈山八年説法

http://www.cbeta.org/result/normal/T33/1716_007.htm

182一字三礼:2008/04/26(土) 23:47:11

天台に‘法華八年’の論拠はあるのでしょうか。

経典から考えられる『法華経』の説きはじめを示す論拠(開結含む)としては、

説法品の「四十余年には未だ真実を顕さず」

信解品の「譬えば人あって年既に幼稚にして父を捨てて逃逝し、久しく他国に住して、或は十・二十より五十歳に至る。」と「是れに由るが故に、二十年の中に於て常に糞を除わしむ。」を足して、70年目にしてやっと財産を相続した(初めて『法華経』を説いた)こと。

従地涌出品の「世尊、如来太子たりし時釈の宮を出でて、伽耶城を去ること遠からず、道場に坐して阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たまえり。是れより已来始めて四十余年を過ぎたり。」

北伝ですから、30成道・80涅槃と考えますと、だいたい70過ぎくらいから『法華経』を説きだしたようには読み取れます。

しかし、‘法華八年’と年数を明確にしておりますので‘72歳’から説き始めたことになります。なぜ‘72歳’からと明言できるのでしょうね。

183顕正居士:2008/04/27(日) 03:14:06
五時の順は涅槃経の「譬如從牛出乳 從乳出酪〜」からで中に「從佛出生十二部經」とある。
十二部経(仏典の分類法)の語から阿含十二年、法華は八軸から八年、それで方等般若が
間三十年。長者窮子から般若約二十年。これで12、8、22、8年の佛祖統紀(13世紀)の説に
纏まったのではないかといちおう想像します。中国では今皆般若22年としています。日蓮の
一代五時図などは方等般若30年とし区分に8、22年説と16、14年説があると記しています。

184一字三礼:2008/04/27(日) 12:37:34

顕正居士さん、ご教示いただきありがとうございます。

〉十二部経(仏典の分類法)の語から阿含十二年、法華は八軸から八年

これでは、たんに語呂合わせ、というか数字合わせですね。
しかも『華厳経』と『涅槃経』は、合わせても一年未満ということですか。

185犀角独歩:2008/04/29(火) 04:44:49

日蓮は、「大般涅槃経[一日一夜]」(一代五時鶏図)としていますね。

186マターリ:2008/05/02(金) 09:20:50
図書館から「法華経大全」を借りてきて読んでいます。まだ、ざっと読んだ
だけですので、簡単な感想で申し訳ないのですが、述べさせていただきま
す。法華経を諸経の王と考えず、全ての既成概念を外して、1つの文学作
品と考えてみました。

全体を通して、リアリズムが無いような気がします。頭の中だけで考えた
空想の世界を書いているようです。原始仏教典スッタニパータと比較する
と、その差は歴然です。

つまり、法華経が執筆された西暦1世紀の現実世界の観察と、観察による
情景描写や、心理描写が欠けているような気がするのです?。

法華経の執筆者は、瞑想をしては、空想をたくましくしながら、法華経を
書いていったように思います。

187犀角独歩:2008/05/03(土) 19:40:03

『法華経』は、たしかに荒唐無稽で、SFのようで、リアリティがありません。
けれど、このなかで語られる迫害の物語には、リアリティがあると、わたしは思います。

ですから、「瞑想をしては、空想をたくましくしながら、法華経を書いていった」部分と、迫害に遭ったモデルの両面があるように思えます。

188マターリ:2008/05/03(土) 20:39:30
>犀角独歩さん、迫害とは、勧持品に書かれている事でしょうか?

そういえば、法華経の解説書で見たことがあります。・・・
勧持品に予言されている数々の難は、当時の法華経執筆者や持経者が、
実際に遭遇した難についての、歴史を記述したものではないかと。

考えてみれば、釈尊の名のもとに法華経を編纂したわけですから、西暦
1世紀の現実が書かれていては、元も子もなくなりますね。
あくまでも釈尊在世の世界に、思いを巡らせて書いたわけですね。

ところで、法華経についての質問は、「素朴な質問」スレッドか、こちらか
どちらに書かせていただいたら宜しいのでしょうか?

189犀角独歩:2008/05/04(日) 01:05:34

マターリさん

『法華経』については、こちらでのご投稿でよろしいのではないでしょうか。

『法華経』で書かれる末世とは、釈迦滅後50年後のことで、当然、その時代の、制作者、ないし受持者を指したものでしょう。

『法華経』の制作者も、自分の時代を末世として自分に当てはめ、南岳・天台もしかり、伝教もしかり、そして、日蓮も、また、世界最終戦争を訴え国立戒壇を目指した日蓮主義者もまた、自分たちに当てはめました。

仰るとおりで、日蓮の教学は、その現実の前には成り立たないことになりますね。

190マターリ:2008/05/04(日) 17:44:10
>犀角独歩さん、法華経で説かれる末法とは、釈尊滅後50年後のことなん
ですね。すると鎌倉時代は末法ではなくなり、末法を前提にしている日蓮
仏法の根幹が、崩れてしまうことになります。

梵本によると、「偉大なる志を持つ求法者(ぐほうしゃ)『サヴァサット
ヴァ=プリヤダルシャナの前世の因縁』の章(薬王菩薩本事品)が最後の
時であり、最後の機会である最後の五十年の経過している間」

これを鳩摩羅什が、「後の五百歳」と故意に改訳したのでしょうか?

ところで、法華経全体を読んでみると、観世音菩薩への祈りを強調してい
ることに次第に気付きました。観世音菩薩普門品第二十五です。

「南無観世音菩薩」と祈れば、どんな願いも叶うと書いてあります。ここで
は、かなりの情熱をもって執筆されていることを感じます。
法華経だけから見れば、観世音菩薩への信仰を強く勧めているように思え
ますが、いかがでしょうか?

191犀角独歩:2008/05/04(日) 22:04:24

数取りというのは、いまと昔はぜんぜん違いますね。
もし、『法華経』をお持ちでしたら、『序品』だけでも、対照してみると面白いですよ。羅什が用いた梵本と現存のものが違うという説もありますが、恣意的な変更はあると思えます。

羅什は純粋な翻訳者というより、いわば思想家であったのでしょうね。
こう書くと、顰蹙を買うかも知れませんが、わたしは羅什は嫌いです。けれど、松山俊太郎師は羅什は、稀代の名訳僧であるとおっしゃっていました。

わたしは以前、ここの部分が「50年だと」と指摘すると、かなり反発を受けたものですが、『大集経』など、釈迦の真説であるわけもなく、そんなことは、現代ではもはや常識の範囲、当たらず触らず、こうしたうるさい場所に聞こえないように、宗内で、墨守しているのが末法思想でしょうね。

観音菩薩に関しては、悩ましいですね。仏教学者が嫌いな(笑)岩本師は“観”の字をかむらせた経典……注目されることはこれらの訳者はすべて西域の出身者、また経典の構成ならびに発想法がインド的でない点である。とくに、『観経』の場合、その点が指摘される」と『極楽と地獄』に書いていました。

また、『観音の表情』では、この菩薩が両性具有であることが、起源と何らかの関係があると指摘していました。マリア信仰との脈絡とみる説など、ありますよね。

『観音経』といって、この部分を切り出して、観音信仰を発展させたわけでしたね。そもそも、他の部分と習合していったのかも知れませんが、わたしはこの点に見識がありません。

わたしは『法華経』は経典崇拝だと考えていますが、仏塔崇拝を巻き込んでいます。しかし、『法華経』崇拝教団が建立した仏塔など、はたして遺っているのでしょうか。現存しないのは、それが元よりなかったのか、物語に出てくる強烈な迫害によって壊滅させられたのか、この点もよくわかりません。

日蓮は漫荼羅に観音を勧請しません。では、遺文中にその引用がないというと、そうでもありません。40近い使用があります。しかし、たとえば『本尊抄』には「観音西方無量寿仏弟子」とし、『曽谷入道殿許御書』には「入像法之一千年 文殊・観音・薬王・弥勒等誕生於南岳・天台示現於補大士」「文殊・薬王・観音・弥勒等迹化他方之諸大士」とするわけですから、末法に『法華経』を弘める菩薩ではなく、あまつさえ阿弥陀如来の弟子であるするわけです。こうしたころに、日蓮の権実本迹観がみられます。

それなのに、「広宣流布」という4字は、その迹化他方と、観音と共に簡ぶ『薬王品』を根拠としますね。

こうした日蓮の教学的態度とは裏腹に、観音信仰が、『法華経』のオチであれば、あたかもブラックユーモアのようですね。

『法華経』を読むのであれば、天台も、日蓮も差し置き、なおさらのこと、阿毘曇も置いて、自分の感性で、物語として読んでみることがお薦めです。

192顕正居士:2008/05/04(日) 23:33:54
法華経は最初は方便品だけが成立し後に次々に増広されたという説が有力です。
そういう考え方をしないでひとまとまりのものとして受け取ると観音品に結帰するという考えも
ありなんでしょうね。空海は法華経題は観世音菩薩の密号であると釈しています(法華経密号)。
ただし天台宗は観音菩薩より阿弥陀仏でしょうね。天台大師以西方願生です(東寺は兜率願生)。
なお有名な「世尊妙相具」ではじまる世尊偈は什訳にはなかった部分です。

ところで「愚痴のもの」は以下のような文脈で使用されていたようです。
「愚痴のものは文字もしらぬなり、信心・安心などいへば、別のやうにも思ふなり、ただ凡夫の仏に
成ることををしふべし、後生たすけたまへと弥陀をたのめといふべし」(蓮如上人御一代記聞書)。

193マターリ:2008/05/05(月) 12:40:49
>犀角独歩さん、顕正居士さん、詳しく教えていただき、ありがとうござ
います。

>犀角独歩さん、私は『法華経』を持っていません。借りてきた「法華経
大全」は、完全日本語訳の本です。

鳩摩羅什が翻訳家というより、思想家だったとのお話ですが、私も同じよ
うに思います。以前にNHKスペシャル「鳩摩羅什」を見ました。「極楽」や
「空即是色 色即是空」という単語は、彼の創作だということでした。

鳩摩羅什は、シルクロードの西域の国、亀茲国で生まれましたが、この国
が唐によって滅亡させられ、鳩摩羅什はじめ国民は、悲惨の極みのような
生活を強いられました。絶望の中で「極楽」を思い描いていて心を慰めてい
たという話でした。その考え方が、経典の翻訳時に入ったようです。

観音菩薩は西域と関係があるのですね。また日蓮は、権実本迹観によって
観音菩薩を重視していないということで、納得致しました。

おっしゃる通り、法華経を物語として読んでいきたいと思います。
特に、不軽菩薩の物語には、感動する点がありました。

>顕正居士さん、空海は観音菩薩に注目していたんですね。私の直感だけ
なのですが、法華経の著者が、観音菩薩に対して「絶対の信」を抱いている
ような気がしました。

194犀角独歩:2008/05/05(月) 13:45:04
ざっとですが、岩波文庫版『法華経』で最初の数を比較すると以下のような出入りになっています

適用……………………………梵…………妙法華
学無学…………………………二千人……二千人
比丘尼…………………………六千人……六千人
求法者(菩薩)………………八万人……八万人
諸仏……………………………幾十万……無量百千
求法者(菩薩)………………八万人……八万人
帝釈眷属………………………二万人……二万人
天子眷属………………………二万人……三万人
他眷属…………………………一万二千…万二千人
龍王眷属………………………幾千万億…百千
キンナラ従者…………………幾千万億…百千
ガンダルバーカイーカ眷属…幾十万億…百千
アスラ眷属……………………幾十万億…百千
ガルダ従者……………………幾十万億…百千
アジャータシャトル従者……0…………百千

さらに正法華、Kern訳など比較することもできますね。
なぜか八部衆などと言われる衆生の従者眷属数は、梵本で幾千億、幾十億なのに、妙法華では百千になっています。原本が違うのか、どうでしょうか。

羅什について、御覧になった番組はずいぶんと善意な編集ですね。王の庇護によって、子種を残すことを切望され、大勢の女性と淫行生活に耽っていたのでしょう。挙げ句に、だから、身が不浄でも、訳が合っていれば、火葬したとき舌は焼け残ると遺言したとか。見た極楽は、そんな酒池肉林の爛れた生活だったのではないかと言いたくなります。

それは、ともかく、浄土経では訳に「極楽」を使うのですが、法華経では「安楽世界」としているのは、何故でしょうか。不思議に思います。

195パンナコッタ:2008/05/05(月) 15:14:05
横レス、失礼します。
1つの文学作品 と言う事であれば、アンソロジーの続編
度量天地品第二十九・馬明菩薩品第三十 なんてのがありますね。
 http://sutra.goodweb.cn/lon/other85_2/other85.htm

あからさまな偽書ですが度量はともかく馬明第三十の方は、なかなか面白いですよ。

196一字三礼:2008/05/06(火) 10:11:49

〉〉192
〉法華経は最初は方便品だけが成立し後に次々に増広されたという説が有力です。

厳密に検証しますと、方便品の偈文にも増広の後がみられますね。

でも現在では、『法華経』二十八品(二十七品)が、異なる思想を付加増広して、編纂を繰り返して成立した経典と考えないのは、日蓮系の学者風坊さんだけでしょう。

方便品で仏の得た法として使われる、「無量・無碍・力・無所畏・禅定・解脱・三昧」等は、「四無量心・四無碍智(弁)・十力・四無所畏・四禅定・八解脱・三三昧」という部派仏教で使われる教学そのものです。最初期大乗仏典である『法華経』の中でも『原法華経』、乃至は中心教説と考えられる方便品では、これら部派教学を無批判で採用します。ここら辺が部派教学を‘空’で否定する『般若経』系と大いに異なる点でしょう。

ところが、同じ『法華経』といっても陀羅尼品などは、夜叉・羅刹等の神霊固有の呪文を唱えることで、これら鬼神達が加護や利益を約束するという呪術で成り立っている品です。この陀羅尼品の内容は、所謂、大乗仏教後期に発生し、密教経典が出る過度期の「作のタントラ」(Kriyā-Tantra)とほぼ同様です。

方便品の思想と陀羅尼品のそれとを比べますと、その思想の成立年代には、少なく見積もっても200年以上の隔たりがあると考えられます。当然、同じ思想集団がかかわり、編纂したものと考えることはナンセンスです。

『法華経』二十八品(二十七品)全体を一経、一思想と考えることは、日蓮真筆遺文に、写本・偽書・相伝書に弟子達の著作を含めたもの、全てを‘日蓮の思想’と考える以上に乱暴なことでしょう。

197犀角独歩:2008/05/06(火) 20:38:49

パンナコッタさん

ずいぶん、前なのですが、日蓮宗の坊さんが書いている本で、『法華経』は28品以外にもあると読んだことがありました。こんな感じであったのですね。


一字三礼さん

『方便品』の五千退座というのは、何のために設けられたとお考えになりますか。

198一字三礼:2008/05/07(水) 00:33:15

犀角独歩さん

〉『方便品』の五千退座というのは、何のために設けられたとお考えになりますか。

私が考えるに、‘一乗’という法門は、「全ての者が成仏可能」という主張ではあっても、「全ての者が成仏する」という意味で説かれているのではない、ということだと思います。

上記の理由は、‘一乗’の性質にあると考えます。

「方便品」で明かされる「一乗」・「仏乗」とは、釈尊が説いたすべての教説(小乗部派の教説)の真意であり、いわゆる‘法門のロゴス’という趣旨で説かれたと考えることができます。

ところが、『法華経』を説く以前に四諦・十二因縁・八正道が説かれた時点では、声聞も菩薩もその‘法門のロゴス’たる「一乗」・「仏乗」を知ることができなかった。このあたりは「世雄偈」で強調するところです。

なぜ舎利弗のような天才も、阿惟越致の菩薩も‘一乗’という‘法門のロゴス’に気付かなかったかというと、その理由として挙げられるのが‘難解難入’という語なわけです。
この‘難解難入’は、声聞や大乗の菩薩と、法華経の菩薩を結ぶ重要キーワードになるわけです。

なぜ‘難解’かと言えば、それは‘一乗’が「随宜所説」(深い意味を秘めた言葉)だからで、なぜ‘難入’かと言えば、それは「信解」(志)が低いからだ、と『法華経』は言うわけです。

この‘難解’と「随宜所説」、‘難入’と低い「信解」という関係が明確になるのが「譬喩品」と「信解品」です。

199一字三礼:2008/05/07(水) 00:33:52

つづきです。

「譬喩品」の冒頭の舎利弗の懺悔の句に、

「然るに我等方便随宜の所説を解らずして、初め仏法を聞いて遇便ち信受し、思惟して証を取れり。」

ここで初めて仏の説法が「随宜所説」であることを理解した舎利弗は、この懺悔の後に授記を得ます。

また「信解品」の冒頭の四大声聞の懺悔(領解)の句でも、

「我時に座に在って身体疲懈し、但空・無相・無作を念じて、菩薩の法の遊戯神通し、仏国土を浄め、衆生を成就するに於て心喜楽せざりき。」

ここでは四大声聞が、自分達の‘志の低かった’ことを懺悔し、この後に「授記品」で授記を得ることになります。ちなみに「長者窮子」喩で、長者の父を見て逃げ出す窮子は、「hīna-adhimukti」(劣ったものに対しての志)を持つ者と呼ばれます。

上記から、‘一乗’と、その性質である‘難信難解’を悟ったものに対してのみ記別を授けるというのが、方便・比喩・信解の基本構成であると考えることができます。

この基本構成から考えますと、「方便品」の71〜97偈の‘小善成仏’という思想が‘一乗’から導かれる法門と考えるのは難しいと理解することができます。そうするとこの‘小善成仏’というものが、後代に増広付加された箇所ではないかという可能性が浮かび上がってきます。

200犀角独歩:2008/05/07(水) 21:12:44

一次三礼さん

詳細なご教示、有り難うございます。
もう少しだけ質問させてください。

漢訳ズリの発想から質問で恐縮ですが、五百塵点、中間三千塵点を経て、久遠下種を今般法華の説法にあって畢えることを「説法の始終」などといいます。これはもちろん、漢訳教学の系譜ですが、『方便品』において、席を去った五千上慢は、では、いずれを期してか、成仏(もしくは記別)を示されたという件に、該当するような箇所はあるものでしょうか。

201一字三礼:2008/05/07(水) 23:26:59

犀角独歩さん

〉『方便品』において、席を去った五千上慢は、では、いずれを期してか、成仏(もしくは記別)を示されたという件に、該当するような箇所

伝統的な解釈では、席を去った五千上慢への授記として、『五百弟子授記品』の偈文をあてるようです。

「迦葉汝已に 五百の自在者を知りぬ 余の諸の声聞衆も 亦当に復是の如くなるべし 其の此の会に在らざるは 汝当に為に宣説すべし」

しかし、これは漢訳教学であって、原意からみれば、『五百弟子授記品』のこの記述と『方便品』の五千退座は無関係ですね。

この『五百弟子授記品』は、長行と偈文の記述に混乱があり、長行では‘千二百’の弟子に授記をすることから始まるのに、それが偈文では‘五百’の弟子についての授記に変わってしまいます。
この記述の混乱に、なんとか理由を付けるために、上記の偈文が加わったのでしょう。

『法華経』には、‘逆縁’という考え方がありませんので、五千退座の声聞が記別を受けるとは考えられません。


私も一つ、犀角独歩さんのご意見をいただきたいのですが。

『授記品』の最後の部分、偈文で目犍連への授記の終わった後の記述について、漢訳と現代語訳を比較してみていただけませんでしょうか。

本当に『授記品』の最後2、3行のことなのですが、私は、ここの『妙法蓮華経』の恣意的な記述で、次品の『化城喩品』の大通智勝仏の因縁譚が、後代の付加であろうことを確信しました。

202一字三礼:2008/05/07(水) 23:49:49

犀角独歩さん

私は、『法華経』の中心教説、『原法華経』を割り出すために、『五次教説』という分析法を提唱しました。

福神の学才豊な方々も、この『五次教説』にはご賛同くださり、なんとかまとめるべく、ご協力もいただいております。

しかし、松山先生は、『法華経』を人類の芸術・世界文学としての視点でみておられるので、明確な論証を基にしていても、序品や提婆達多品、安楽行品などを切っていく私の考え方は嫌いなようです。

松山先生は、真言宗の渡辺さんや勝呂さんがお好きなようですし、同じ『法華経』を探求するにしても、方向性が違ってくるのもしかたがないことだと最近では思っております。

203犀角独歩:2008/05/08(木) 17:52:21

一字三礼さん

重ねてご教示、有り難うございました。
考える資とさせていただきます。

『授記品』の該当箇所とは以下の部分でしょうか。

「我諸弟子 威徳具足 其数五百 皆当授記 『於未来世 咸得成仏』 我及汝等 宿世因縁 吾今当説 汝等善聴」

「これら五人の弟子たちは偉大な神通力の持ち主である。
余は、かれらが最高の「さとり」に到達し、
『未来において、ひとりでに仏になるであろう」と指示した。
そして、汝らはかれらの修行の次第を余から親しく聞け」(岩波文庫 P323)

These are my five mighty disciples whom I have destined to supreme enlightenment and to become in future self-born Ginas; now hear from me their course.


> 『五次教説』という分析法

これは興味深いですね。

204顕正居士:2008/05/08(木) 19:37:52
方便品の一乗思想についてWEBに小論が2つあります。前者は衆生内在の成仏可能性のほうからではなく、
仏の側の救済の誓願のほうから一乗を説くのが方便品の特徴とします。そのように見ますと、27品まで
増広された理由が納得がいきます。後者はその方便品が初転法輪経を下敷にしたものであることを示す。

『法華経』「方便品」の研究
http://home.hiroshima-u.ac.jp/logos/logica/18a_061110_prt.html

《法華経》「方便品」と「選択」
http://www.evam.ne.jp/tenkoin/data/study01.html

205犀角独歩:2008/05/08(木) 19:50:13

いつもながら、顕正居士さんのご呈示は、示唆に富んだものですね。
拝読させていただきました。

206一字三礼:2008/05/08(木) 23:39:48

犀角独歩さん

ご引用いただきました梵文現代語訳の「授記品」末尾では、譬喩品で授記された舎利弗を含めた四大声聞に対しての記別を確認し、「授記品」の後に、この五人の声聞達がどのような修行をしたか(するか)の詳細を説く品への展開を予想させます。実際にはそのような品はないのですが。
梵文では、釈尊と声聞衆の過去世からの関係を述べる「化城喩品」の大通仏因縁譚への繋がりを述べる偈文はありません。

それに対して『妙法蓮華経』では、

「我及び汝等が 宿世の因縁 吾今当に説くべし 汝等善く聴け」

この句は、大通仏因縁譚への繋がりを示します。また、

「我が諸の弟子の 威徳具足せる 其の数五百なるも 皆当に授記すべし 未来世に於て 咸く成仏することを得ん」

と「五百弟子授記品」への繋がりも合わせて述べております。

『正法華経』の「往古品」では、

「是佛聲聞得大神足佛皆勸立 在大尊道依倚大聖不違眞法 於當來世成佛自在」

と梵文に類似し、次の「化城喩品」や「五百弟子授記品」への繋がりを示す偈文はありません。


梵文・「正法華経」と、この『妙法蓮華経』の偈文を比較しますと、『妙法蓮華経』の記述は、かなり作為的に次品を意識して書かれたように思えますがいかがでしょうか。

207顕正居士:2008/05/09(金) 04:30:41
ところで「一乗」の理解のためには「三乗」が何であるかを知る必要があります。
方便品のいう「三乗」は対立する「大・小乗」の意味ではなく、部派の三種の修道であろうとおもいます。
一字三礼さんが述べられたように部派にも菩薩道があります。三種の修道に対応する教説が「諦・縁・度」
と伝統的に定式化されます。以下は部派や南方仏教には菩薩道がないかのような誤解や仏と羅漢と涅槃自体
に高低があるかのような誤解が日本の言論では見受けられるという批判です。8項目の要約が大層有益です。
方便品の教説は仏と羅漢の相違が能力・知識の問題のみであるとする大小乗共通の正統的な理解を前提に
しているようにおもいます。

阿羅漢をめぐる大誤解
http://d.hatena.ne.jp/ajita/20060517

208犀角独歩:2008/05/09(金) 06:29:24

一字三礼さん

なるほど。仰るとおりと思いました。

それにしても、梵本では「5人」となっているところを什訳では「五百人」、この差も大きいと思いました。

209犀角独歩:2008/05/09(金) 06:55:42

顕正居士さん

> 部派にも菩薩道があります

所謂大乗教でいう菩薩道は、端的な例では「皆行菩薩道」というように一切衆生菩薩道ですが、部派の場合はどうでしょうか。

210顕正居士:2008/05/09(金) 08:50:50
大乗仏教の場合は自ら菩薩道を行じるというより高位の菩薩に救済してもらうという信仰に
実際はなっています。部派仏教、南方仏教の場合は基本的に阿羅漢に目標を置くので他力に
よる救済の信仰は起こりませんでした。
なお両教の目標の相違には宇宙観が関係します。大乗の菩薩信仰は世界が無数にあるという
考えを前提にしています。インドの地理観は仏教とインド教では別ですがいづれも空想的な
ものです。しかし大乗の無限世界観は何の根拠もなく定中に感見した幻覚を次々とそのまま
記録したかのようです。現実的な世界は一つだけとすれば菩薩道はきわめて例外的選択です。
また中国、日本の大乗仏教が他力信仰か頓悟思想になるのは来世観が関係します。インド人
のように輪廻転生を信じないからです。しかしインド発生の仏教は徹底して輪廻転生の土台
の上に出来ています。したがってその枠組の中で論理を工夫し現生で安心の境地に至る教義
を発明したと考えます。釈尊と等しい仏になるという発想は現実には皆無といえます。

*中国人は輪廻転生は信じませんが仙界信仰があり、浄土教は仙界以上の長寿を保証する教え
として受容されました。日本人には積極的な来世信仰もありませんから浄土教も「現世往生」
まで徹底しました。

211マターリ:2008/05/09(金) 21:13:45
途中で大変申し訳ありませんが、安楽行品と勧持品の差について、お伺い
したいと思います。

このニ品は、全く考え方が違っているように感じます。日蓮も「水火の如
し」と言っています。安楽行品は、伝統仏教に沿っていて穏やかです。
スッタニパータと比較しても、あまり差がなく、納得できる内容です。

一方、勧持品は、迫害の歴史が書いてあり、感情的で過激な内容です。

一字三礼さんのお話を伺うと、法華経は200年くらいの年月をかけて編纂
されたようです。ひょっとして、法華経グループが穏やかだったころ、
安楽行品を編纂し、過激な時代に勧持品を編纂したのではないかと思って
いました。

しかし、田村芳朗「法華経」によれば、安楽行品も勧持品も、成立年は、
およそ西暦100年ころで、ほとんど同じということです。

ということは、法華経グループの中に、穏健派と過激派が同居していて
それぞれ勝手に、相反する経典を作ったような気もします。どちらかの
勢力が少しでも強ければ、経典の内容を統一できたと思います。しかし
ほぼ同じ勢力だったため、互いに相手を認めざるを得なかったのでは、
という仮定を考えてみましたが、いかがなものでしょうか?

また勧持品は、法華経グループ以外の人々や僧は、どうしようもない、
と、怒りを込めて書いてあります。排他主義と選民思想が入っている
ような気がします。犀角独歩さんのお話によると、法華経に出てくる
観音菩薩は、マリア信仰に関係があるようです。
勧持品の著者が、ユダヤ教の排他主義と選民思想に影響されていたの
ではないか、と、ちょっと考えてみましたが、いかがでしょうか?

勧持品では、最後に決意表明をしています。これで読者がすっきりするか
と言えば、そうではありません。前文の、迫害に対する怒りの表現が、
あまりにも強いため、読者には怒りの気持ちが強烈に残ると思います。

ラストに、常不軽菩薩の話を入れれば、物語としてまとまったのでは、
と感じます。「法華経グループ以外の人々や僧は、一見どうしようもないが
実は、皆、菩薩道を行じて仏になる人々である。」と書けば、読者の怒りも
静まり、穏やかな気持ちになったと思いますが、いかがでしょうか?

212一字三礼:2008/05/09(金) 21:51:47

〉方便品のいう「三乗」は対立する「大・小乗」の意味ではなく、部派の三種の修道であろうとおもいます。

ご意見に賛同します。

先にも書きましたが、方便・譬喩等、『法華経』最初期に成立したと考えられる品では、部派教学をそのまま採用していて、なんら新教説を付け加えているわけではありません。最初期成立部分は、その成立が極めて古いことと、「八千頌般若経」に対する批判から、ストイックに部派の教説だけで成り立っているので、「空・中道」などの概念はほとんど使われません。

仏典の資料から見ましても、大乗側が小乗を貶すことはあっても、小乗側は大乗をほとんど相手にはしていませんでした。ですから、「方便品」でも大乗・小乗が対立していた、という構図は見えてきません。むしろ方便・譬喩などは、痛烈に大乗(八千頌般若経)を批判しております。

〉方便品の教説は仏と羅漢の相違が能力・知識の問題のみであるとする大小乗共通の正統的な理解を前提にしているようにおもいます。

この点も仰るとおりであろうと思います。

「方便品」を論拠とした声聞たちへの授記の条件として、仏は新たな法門や修行法を開示しませんでした。

先に挙げました授記の条件である「随宜所説」(saṃdhābhāsya)や「信解」(adhimuktī)などは、言わば‘視点を変えた心の持ちよう’を説いたに過ぎません。三車火宅・長者窮子などの比喩からでも、それは明らかでしょう。

213犀角独歩:2008/05/09(金) 22:17:48

顕正居士さん、有り難うございます。
そうですね、たしかに菩薩は、道という、すがる対象になっていますね。
仙人の長寿と、寿量仏の寿命、阿弥陀の無量寿、みな、長寿に対する願望が根底にありますね。


マターリさん

観音とマリアの関係は、岩本裕師の説でした。松山師は大地母神との関わりで述べていましたか。

勧持、安楽行の相違は、わたしも mixi に少し書きました。
ここら辺の固まりとしては、この次の地涌菩薩も加えて、考えたほうが面白いですね。勧持の忍難弘教、安楽の安楽行、どんとパンチが効いているのは涌出からはじまる地涌菩薩で(面倒なので妙法華の漢訳でいえば)圧倒的な人数をほこったうえで「楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍 … 如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇 教無量菩薩 畢竟住一乗」という向かうところに敵なしといった迫力です。なんだかダンプか、戦車の大群みたいないきおいですが、それなのに、神力のまえに不軽を置くわけですね。

地涌菩薩も不軽菩薩も仏になる前段の菩薩ですが、不軽は忍難弘教という受難者の性格を帯びているのに、地涌菩薩にはこれがありません。案外、編纂者が意図したこの辺りの地涌菩薩のキャラクター性ではないかと思ってしまいます。


一次三礼さん

「原法華」というコアの部分、部派教学をそのまま踏襲しているわけですね。
そうなると、この制作者は部派でしょうか。それとも、それ以外でしょうか。

214顕正居士:2008/05/09(金) 23:05:33
マターリさん。この話は以前どこかのスレッドでされました。勧持十三から安楽十四に
続くのです。勧持品の終りと安楽品の始めを見れば納得がいくとおもいます。

「自作此經典」はその通りですから「誑惑世間人」であり「爲求名聞故」とみなされる
のは当然です。勧持品は迫害というより予想される反応をまず記しているのでしょう。
そして安楽品で文殊菩薩がこれらの菩薩の志は素晴らしいがプレゼンテーションの方針
もなしでは勧持品のようになってしまう、「後の悪世において、いかにしてかよくこの
経を説かん」と質問し、「もし菩薩摩訶薩 後の悪世においてこの経を説かんと欲せば、
まさに四法に安住すべし」と方針が示されます。「自作此經典」を広めるのですから
危険に近寄らず、でしゃばらず、人格的に尊敬されるようにもっていこう。当然ですね。

215犀角独歩:2008/05/09(金) 23:27:45

【214の訂正】

失礼しました。

誤)一次三礼さん
正)一字三礼さん

216マターリ:2008/05/10(土) 08:48:06
>犀角独歩さん、顕正居士さん、ご教示いただき、ありがとうございます。
私の妄想をたくましくしてしまい。申し訳ありません。

>犀角独歩さん、安楽行品と勧持品を考える場合、地涌菩薩を関連付けて
もう一度、読み直してみたいと思います。不軽菩薩と地湧菩薩の違いに
ついても、深く調べなおしてみます。

>顕正居士さん、勧持品は迫害の歴史だと思っていましたが、予想される
反応を述べているんですね。私が勘違いしていました。

確かに、勧持品から安楽行品に続くと考えれば、話がすっきりしますね。
話の筋がスーッと通ってきました。ニ品の読み方に順序があるとは、驚き
でした。

どうもありがとうございました。

217犀角独歩:2008/05/10(土) 15:03:20

『法華経』物語の時系列

↓釈迦の法華経説法という設定
↓末世悪世の弘教の誓いがされたという設定
↓受難
↓法華経の制作

わたしは、法華経にかかる人々は受難の人々であったろうと思います。しかし、これを顕正居士さんが記す如き予想される出来事であるとするのは、『法華経』物語の設定が、在世であるからでしょう。しかし、書かれたのは、あとのことで、この時点では受難が遭った。つまり、実際の受難を過去で記述するとなれば、予想ということになるのでしょうね。

218一字三礼:2008/05/10(土) 23:02:55

はたして「勧持品」と「安楽行品」はつながっていると考えるべきなのでしょうか。

ここでは大まかに分けて、「見宝塔品」から『法華経』後半部が始まるとしましょう。

「見宝塔品」は、巨大な宝塔に多宝如来、十方分身諸仏が登場し、娑婆世界と四百万億那由他の世界が浄土に変ずるなど、大きく場面が展開する品です。

しかし、この品の主題は、様々な仏が登場するというところにはなく、『法華経』の「嘱累」にあります。

この「見宝塔品」も、長行と偈文から成り立っておりますが、ここの偈文は重偈の内容をともなっておりません。つまり、長行と偈文の内容が違うのです。

「見宝塔品」で登場する仏たち(釈尊・多宝・分身)は、『法華経』の付嘱を受けるのに必要な、‘覚悟・誓願’を対合衆に求めます。その時に有名な「六難九易」や「此経難事」などが説かれるのです。
‘仏の滅後の悪世の中に於いて『法華経』を受持することは極めて難しい’ということをくどいくらいに力説するのですが、具体的には「滅後の受持が困難な理由」については悪世という以外には何の説明もなく終わります。

この「見宝塔品」と内容的に直接繋がるのが、「勧持品」です。

この「勧持品」は、「見宝塔品」での対合衆であった大楽説菩薩と薬王菩薩(法師品の対合衆)が、その眷族と共に‘覚悟・誓願’を述べるところから始まります。この大楽説菩薩等の‘覚悟・誓願’は、「見宝塔品」での仏たちの要求に答えたものです。

比丘尼らへの授記を挟んで、八十万憶那由他の菩薩たちも‘覚悟・誓願’を述べるのですが、この偈文に於いて何故「六難九易」(『法華経』が保ち難い)か、の理由が明確にされます。つまり、滅後に『法華経』を保つものは、迫害に遭うということです。

しかし、この「勧持品」では、諸菩薩が‘覚悟・誓願’を述べても、仏から付嘱はされておりません。

この「勧持品」に直接繋がるのが、「従地涌出品」だと考えます。

219一字三礼:2008/05/10(土) 23:03:32
つづきです。

この「従地涌出品」でも、他方の国土から来た八恒河沙以上の菩薩たちが‘覚悟・誓願’を述べます。これも「見宝塔品」に於いての仏たちの要請に答えたものでしょう。

「もし世尊がお許しくださるならば、わたしたちも‘また’、世尊よ、如来が入滅されたのちに、かのサハー世界において、この経説を宣揚し、読誦し、書写し、供養しましょう。」(岩本訳)

‘わたしたちもまた’の‘また’は、「勧持品」での菩薩たちの誓願と同様に、という意味でしょう。

「もし世尊が私どもにお許しくださいますならば、世尊よ、私どもも‘また’…」(松濤訳)
「もし世尊が私たちにお許しくださいますならば、世尊よ、私たちも‘また’…」(中村訳)
「もしも、世尊が私たちに許されるならば、世尊よ、私たちも‘また’…」(植木訳)

「従地涌出品」で、薬王・大楽説と二万の眷族、八十万憶那由他の菩薩、八恒河沙超の他方の菩薩たちの‘覚悟・誓願’が揃ったところで、どんでん返しが起こり、結局は彼らに『法華経』の付嘱は許されなかった。

そして、付嘱の相手として用意されていた、地涌菩薩の登場となるわけです。

付嘱の儀式が「神力品」と「嘱累品」とで二回あるという天台の主張は、『法華経』からは読み取れませんし、むしろ不自然です。
まず、「従地涌出品」の後に、地涌菩薩以外の菩薩たちにも、付嘱が許されるようになる経緯など書かれておりませんし、それでは『法華経』自体が二種類の法華経を認めることになってしまいます。

「見宝塔品」、「勧持品」から「従地涌出品」までの流れは、一貫していると考えます。

むしろ、この間に「安楽行品」が入って内容が‘安楽行’になるほうが、割って入った感じになり、不自然ではないでしょうか。しかも、「安楽行品」の最初では、

「…世尊よ、これらの偉大な人である菩薩たちは、〔恐るべき〕後の時代、後の情況において、この法門をどのようにして説き明かすべきでありましょうか?」

‘これらの偉大な人である菩薩たち’とは「勧持品」で誓願を成した菩薩たちを指すと読み取れますが、これらの菩薩たちは、結局、付嘱されない人たちなのであって、この菩薩たちが後にどのように法門を説くか、などの説明は不要でしょう。

それでなくても「安楽行品」は、いわく付きの品です。

人種差別、女性差別、障害者差別、加えて、他ではみられない‘菩薩乗’語の使用、‘空’の詳細説明等々。

すいません、なかなか簡潔には書き切れませんでした。

220顕正居士:2008/05/11(日) 01:06:27
一字三礼さん。

まず勧持・安楽行は二品であるのが不自然に思えます。「爾の時文殊師利法王子〜」と単に続いて
います。そして安楽行品の悪世弘経の心得は薬王等の菩薩に対しあるいは以後弘経を誓願する者を
含めて与えられています(以後、弘経の心得は説かれません)。すでに弘経の心得が説かれている
ので薬王等の菩薩へはこの品で付嘱は済んでいます。涌出品の制止は他方の菩薩に対するものです。
またこの品では後の悪世とはいわず単に仏の滅後といっております。法華経の文はそうであります
から天台大師を薬王の後身と称し、時を末法と判じ、涌出品の菩薩には注目する人はいなかったの
ではないでしょうか。なお方便品には「諸法從本來 常自寂滅相」といい、空の思想が裏側にない
と三乗の実体を否定することは不可能であろうと考えます。

221顕正居士:2008/05/11(日) 09:18:46
ところで諸菩薩・諸声聞の誓願内容を整理しますと
(勧持品)
薬王・大楽説等二万の菩薩--仏の滅後、後の悪世
五百の阿羅漢--異の国土、学無学八千人--他の国土、比丘尼六千人--他方の国土
八十万億那由他の菩薩--仏滅度後 恐怖悪世
(涌出品)
他方八恒河沙の菩薩--仏の滅後、娑婆世界(制止)
無量千万億の菩薩--仏の滅後、娑婆世界(と思われる)
(神力品)
千世界微塵の菩薩--仏の滅後、世尊分身所在の国土
(嘱累品)
無量の菩薩 誓願なし

すなわち娑婆世界の弘教は薬王・大楽説等二万の菩薩、八十万億那由他の菩薩、無量千万億の菩薩
に対して付嘱されています。ただし後の悪世は前二者です。弘教の方軌は衣座室の三軌が薬王菩薩
に、四安楽行が薬王等の菩薩、八十万億那由他の菩薩に示されました。そして嘱累の後に薬王菩薩
本事品となります。この品は特に宿王華菩薩に嘱累され「後五百歳中廣宣流布於閻浮提」と命じる。
つまり法華経の嘱累のストーリーはあきらかに薬王菩薩を中心としております。

222犀角独歩:2008/05/11(日) 10:53:13

まあ、顕正居士さんが、まとめられるところも、そのとおりでしょうが、日蓮は『法華経』において、特に地涌菩薩に注目し、『涌出品』から『神力品』の以下の脈絡から、この菩薩群を特化したのでしょうね。

「爾時他方国土 諸来菩薩摩訶薩 過八恒河沙数 於大衆中 起立合掌作礼 而白仏言 世尊 若聴我等 於仏滅後 在此娑婆世界 勤加精進 護持読誦 書写供養 是経典者 当於此土 而広説之 爾時仏告 諸菩薩摩訶薩 止善男子 不須汝等 護持此経 所以者何 我娑婆世界 自有六万 恒河沙等 菩薩摩訶薩 一一菩薩 各有六万 恒河沙眷属 是諸人等 能於我滅後 護持読誦 広説此経」(涌出品)

「爾時仏告 上行等菩薩大衆 諸仏神力 如是無量無辺 不可思議 若我以是神力 於無量無辺 百千万億阿僧祇劫 為嘱累故 説此経功徳 猶不能尽 以要言之 如来一切 所有之法 如来一切 自在神力 如来一切 秘要之蔵 如来一切 甚深之事 皆於此経 宣示顕説 是故汝等 於如来滅後 応当一心 受持読誦 解説書写 如説修行 所在国土 若有受持読誦 解説書写 如説修行 若経巻 所住之処 若於園中 若於林中 若於樹下 若於僧坊 若白衣舎 若在殿堂 若山谷曠野 是中皆応 起塔供養 所以者何 当知是処 即是道場 諸仏於此 得阿耨多羅三藐三菩提 諸仏於此 転於法輪 諸仏於此 而般涅槃」(神力品)

薬王嘱類となると、以上の一連の地涌菩薩にまつわる記述はいったい何なのかということになります。

もう一点。勧持から安楽がつながっているかどうかということですが、やや、議論の脈絡が混乱していませんか。ここのところの流れは、『方便品』が、いわゆる原法華経で、あと添加増広されたということですよね。となれば、勧持が先か・安楽が先かという話ならばいざ知らず、安楽は追加といわれても、先立つ議論からすれば、当然ということになり、どうも、何を議論されているのか、よくわかりません。

むしろ、薬王嘱類と地涌付嘱というダブルバインドも、こうした添加増広のなせる矛盾ととらえるといった議論の流れなのかと思っていました。

223顕正居士:2008/05/13(火) 04:23:28
なお関連の文句、記の釈は次のとおりです。

(法華文句・釈持品)
二萬の菩薩命を奉じて弘經する故に持品と名く。重ねて八十萬億那由他に弘經を勸むる故に勸持品と名く。
問ふ、何の故に爾るや。答ふ、二萬は是れ法師品の初に別に命ずるの數なり。故に旨を奉じて受持す。
八十萬億那由他等は前に別の命無し。止だ是れ通じて覓めしむ。今佛眼をもって視そなはし其れ誓を發さ
しめ此土に通經せしむ。通經の證驗深重なれば佛意殷勤なり。是の故に蒙に勸めて弘めしむ。故に二意有る
也。文に就て二と爲す。先ず受持を明かし、後に勸持を明かす。初文に復た三あり。一に二萬の菩薩命を
奉じ此の土に持經す。二に五百八千の聲聞、誓を發し他國に流通す。三に諸の尼記を請ふ。問ふ、此の諸の
聲聞已に大士と成る。何の故に此の土に弘經すること能はざるや。答ふ、爲に引かん初心始行の菩薩は未だ
惡世に苦行して通經すること能はず、復た安樂行品を開かんと欲する也。
(法華文句記・釈持品)
持品は即ち是れ惡世の方軌、安樂行は是れ始行の方軌なり。故に忍辱地に住す等と云ふ。具に後品の如し。
若し爾らずんば則ち弘經に軌無し。無軌の弘經斯れ是の處はりあること無し。赤身陣に入らば自ら損ずと
は虚ならず。鎧を被るの言、應に徒設にあらざるべし。
(法華文句・釈踊出品)
如來の止に凡そ三義有り。汝等各各自ら己れの任有り。若し此の土に住さば彼の利益を廢せん一。又他方は
此の土に結縁の事淺し。宣授せんと欲すと雖も必ず巨益無からん二。又若し之を許さば則ち下を召すことを
得ず。下若し來らずんば迹を破することを得ず、遠を顯はすことを得ず。是の三義と爲す。
(法華文句・釈神力品)
一に時節は佛の滅後是也。二に處所は分身等の國是也。

224一字三礼:2008/05/13(火) 12:18:17

顕正居士さん

〉空の思想が裏側にないと三乗の実体を否定することは不可能であろうと考えます。

ええ、それはそのとおりだと思います。ただし、『法華経』では、空の思想を詳細に説こうとする考えがなかったのではないか、と思います。それは、「方便品」の最初の文です。

「シャーリプトラよ、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来たちは、偉大な稀有・未曾有(の法)を得ておられる。シャーリプトラよ、こういうだけで、すなわち、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来たちは最も稀有なるものを獲得されている、というだけで、満足すべきである。シャーリプトラよ、如来が知る法、その法を、如来こそが如来に対して説かれるのである。」(松濤訳)

『法華経』の立場は、最初の「方便品」から、‘法(ダルマ)を分析して説くことはしない、そんなことは如来以外に理解できはしないからだ’と宣言しているのではないでしょうか。

このような「方便品」の姿勢に、『般若経』系に対する、批判が読み取れると思うのです。

例えば、『八千頌般若経』では、法(ダルマ)とは「有に非ず、無に非ず、常に非ず、断に非ず」として「空」と説きます。
しかし、その説法を聞いた人の理解では、「有と無」に「空」というカテゴリーを加えて考えるか、「空」を有に近いものとして捉えるか、無に近いものとして捉えるかになります。それは、両辺否定で明確にされようとする法を、頭で概念として捉えることが甚だ困難だからなのだと思います。

そこで「般若経」は、付け加えます、「空亦復空」(空というものも、また空なのである)と。ここで、「空」もまた「空」だと言っても、それをまた正しく捉えられないのが、凡夫の哀しさです。そこで「般若経」は、また付け加えます、「空亦復空亦復空」(空というものも、また空であるが、それもまた空である)と。

‘ええかげんにせぇ!’この辺まで来て『法華経』は突っ込みを入れたのではないでしょうか。

ですから、『法華経』一経を通しても、「空」義の詳細を論じるのは、「薬草喩品」後半の「陶器の喩(妙法華のみ無)」と「盲人、五神通を得て聖仙になるの喩(妙法華のみ無)」と「安楽行品」のみです。
つまり、『妙法蓮華経』では、「安楽行品」だけに「空」義の詳細が論じられている、となるのです。

225一字三礼:2008/05/13(火) 12:18:50

犀角独歩さん

〉むしろ、薬王嘱類と地涌付嘱というダブルバインドも、こうした添加増広のなせる矛盾ととらえるといった議論の流れなのかと思っていました。

まさしく、添加増広のなせる矛盾だと思います。

私は、『法華経』の原意を考えるのに、一番障害になるのが‘会通’という思考方法ではないかと思います。
この‘会通’とは、本来別成立の経典群を釈迦一代にまとめる「教相判釈」であるとか、様々な要素が集合して成り立っている経典の内容に整合性を持たせるために使われる、牽強付会を助けるトリッキーな思考法だと考えます。

このさいですから、『法華経』で少しでも違和感がある個所は、徹底的に掘り下げてみると面白いのではないかと思います。

例えば、「序品」で使われる‘法師’と、「法師品」に出てくる‘法師’と、「法師功徳品」に示される‘法師’では、その描かれ方が違っています。この差異は何処から来るのか、どこに求めていくべきか、などを明らかにしていくことは非常に興味深いと思います。

226顕正居士:2008/05/13(火) 21:35:19
法師品に「如来の座とは一切法空是れなり」と示されますが、衣座室三軌を更に広説した安楽行品は十八空
を示します(「般若経開会の文は安楽行品の十八空の文なり」・一代聖教大意)。空の思想と菩薩道は不離
の関係にありますが、法華経は菩薩道の渙発を表にし空思想を裏側にしています。その空の思想は般若経と
同一と考えますが、後世には「真空妙有」の立場での解釈がなされ得ます。ただし天台家はこの観点を採用
しません。「法開会」は般若経で済んでいるとします。

ところで日蓮は止観において始めて一念三千の数量が整足したといいますが、「一念三千とはなにか」の20
に挙げたように玄義ですでに整足しています。日蓮には法華経や玄文と明らかに相違した説がありますが、
祖師絶対化のため修正が図られず他宗との議論が不可能で、この宗のモットオと逆さまに内向きの派閥抗争
のみして来ました。まずは法華経の文章から見直すことが必要ですね。
また文献の成立の過程を推量できなかった時代と異なり、今日の「会通」は時間的な思想発展という観点が
求められます。

227犀角独歩:2008/05/18(日) 13:26:27

少し時間が空いてしまいました。

せっかくですから整理された形で、議論が進むと善いですね。

いままでのところを、ざっと概観すると、法華経は経年で増補されていまの形になった→原法華経は方便品である→方便品は部派仏教の教学を踏襲している→その後、増補された部分では『般若経』の「空」を踏襲している→他の増補された部分から、属類の中心は薬王菩薩である→ところが、増補部分では、地涌菩薩という他の継承者ともある。以上、成立からみた側面でしょうか。

以上のような矛盾は、「会通」といったドグマによるもので、『法華経』を正確に見るには、こうした解釈は、排除して考えなければならない…といったところでしょうか。以上は、解釈上の問題点。

薬王が主人公であるという点は、智邈の「大蘇開悟」と一致するわけで、天台の段階では、薬王が主で、地涌は久遠成道を示すツールといったことになりますか。しかし、日蓮は、むしろ、地涌に着目した点で、独自性があったということになるでしょうか。これは天台学の範疇で、上記、成立的側面とは無関係。

ざっと、以上の三つの視点が混在しながら、議論が進んでいるためにわかりづらくなっているように思えます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板