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法華経について
199
:
一字三礼
:2008/05/07(水) 00:33:52
つづきです。
「譬喩品」の冒頭の舎利弗の懺悔の句に、
「然るに我等方便随宜の所説を解らずして、初め仏法を聞いて遇便ち信受し、思惟して証を取れり。」
ここで初めて仏の説法が「随宜所説」であることを理解した舎利弗は、この懺悔の後に授記を得ます。
また「信解品」の冒頭の四大声聞の懺悔(領解)の句でも、
「我時に座に在って身体疲懈し、但空・無相・無作を念じて、菩薩の法の遊戯神通し、仏国土を浄め、衆生を成就するに於て心喜楽せざりき。」
ここでは四大声聞が、自分達の‘志の低かった’ことを懺悔し、この後に「授記品」で授記を得ることになります。ちなみに「長者窮子」喩で、長者の父を見て逃げ出す窮子は、「hīna-adhimukti」(劣ったものに対しての志)を持つ者と呼ばれます。
上記から、‘一乗’と、その性質である‘難信難解’を悟ったものに対してのみ記別を授けるというのが、方便・比喩・信解の基本構成であると考えることができます。
この基本構成から考えますと、「方便品」の71〜97偈の‘小善成仏’という思想が‘一乗’から導かれる法門と考えるのは難しいと理解することができます。そうするとこの‘小善成仏’というものが、後代に増広付加された箇所ではないかという可能性が浮かび上がってきます。
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