したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

法華経について

201一字三礼:2008/05/07(水) 23:26:59

犀角独歩さん

〉『方便品』において、席を去った五千上慢は、では、いずれを期してか、成仏(もしくは記別)を示されたという件に、該当するような箇所

伝統的な解釈では、席を去った五千上慢への授記として、『五百弟子授記品』の偈文をあてるようです。

「迦葉汝已に 五百の自在者を知りぬ 余の諸の声聞衆も 亦当に復是の如くなるべし 其の此の会に在らざるは 汝当に為に宣説すべし」

しかし、これは漢訳教学であって、原意からみれば、『五百弟子授記品』のこの記述と『方便品』の五千退座は無関係ですね。

この『五百弟子授記品』は、長行と偈文の記述に混乱があり、長行では‘千二百’の弟子に授記をすることから始まるのに、それが偈文では‘五百’の弟子についての授記に変わってしまいます。
この記述の混乱に、なんとか理由を付けるために、上記の偈文が加わったのでしょう。

『法華経』には、‘逆縁’という考え方がありませんので、五千退座の声聞が記別を受けるとは考えられません。


私も一つ、犀角独歩さんのご意見をいただきたいのですが。

『授記品』の最後の部分、偈文で目犍連への授記の終わった後の記述について、漢訳と現代語訳を比較してみていただけませんでしょうか。

本当に『授記品』の最後2、3行のことなのですが、私は、ここの『妙法蓮華経』の恣意的な記述で、次品の『化城喩品』の大通智勝仏の因縁譚が、後代の付加であろうことを確信しました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板