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法華経について

28アネモネ:2002/09/15(日) 00:18
全くおなじ歌なんですね。えー、そんなことってあり?!
なんだかこうなってくると、石山の謗法厳戒って、パクリがバレないための防波堤みたい。
バレるのを恐れて、脅しにかかる。世間でもよくあることです。

29おこさま:2002/09/22(日) 00:43
はじめまして。

法華経は漢訳されたものが日本に伝わり、それが現在我々が法華経と認識しているものですよね。
漢訳された法華経の読み方(発音)は漢語(?)なので、日本において我々がしている読み方とは違うのですよね?

漢語発音(?)で読経したら、日蓮正宗的にはやっぱり正しくないのでしょうか?
台湾などの信者の方はどのようにしているのでしょうか?
漢訳された法華経を日本語読みするのが正しいってことですか?

ぶしつけな質問ですみません。どなたか教えて下さい。

以前、知人に勧誘された時に聞いたら、日蓮正宗の読み方が唯一正しいと言っていたので
あまりにもうさんくさくて、塩をまいて追っ払ったことがあるんですよ。

30問答迷人:2002/09/22(日) 07:23

おこさま さん 

初めまして。

この点は、以前、この掲示板で犀角独歩さんが指摘されていたと思いますが、現在の日蓮正宗のお経の読み方は、平楽寺版の法華経の読みをそのまま、頂戴しているわけです。ですから、この段階ですでに「日蓮正宗の読み方が唯一正しい」などと言う資格は日蓮正宗にはないわけです。独自の法華経を持たず、平楽寺版の読みをそのまま踏襲しているわけですから。

>漢訳された法華経を日本語読みするのが正しいってことですか?

正しい、という事ではなくて、そのように昔からやってきたし、今もそうしている、という事に過ぎないと思います。根拠は、昔、日本が中国から仏教を輸入したときに、そのように教わったと言うこと以外に大した根拠はないでしょうね。

31いちりん:2002/09/22(日) 11:03
おこさまさん

お経というのは、そもそもお釈迦さまの説いた教えを文字にあらわしたものですね。
そういう建前です。

もっとも、お釈迦さまが説いた教えでなくても、インドで勝手に創作されたものがほとんどなのでありのすが。なにしろお釈迦さまの亡くなって五百年も千年もたってから作られたものが、かなりあります。

そして、中国において、古代のインドの言葉であるサンスクリット語から中国語に翻訳されたものが、日本にやってきているわけです。

この翻訳の段階で、翻訳者のレベルによって、かなり訳し方に違いがあります。

「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」というのは、「白い蓮のような正しい教え」という意味なんですけど、それをクマラジーヴァという人は、「妙法蓮華経」と訳しました。
別に、「正法蓮華経」と訳した方もいます。それで、クマラジーヴァの訳が名訳ということで、ずっと「妙法蓮華経」できているわけですね。

岩波文庫に、サンスクリット語からの直訳が出版されていますが、クマラジーヴァの「妙法蓮華経」とは、いろいろ異なる箇所があります。クマさんは、かなり「意訳」しているからですね。

その他、もともとなかったのに、あとから章をくっつけたり、あるいは削除されたりなんてのもあったようです。

「発音」そのものは、話すと長いですが、たとえば、

菩薩(ぼさつ)と日本では読みますが、中国では、「ほうさー」というような読み方をします。
これは、音訳されたものです。

ところが、もともと原典であるインドのサンスクリット語では、ボーディサットヴァと発音します。
ボーディー(悟り)サットヴァ(衆生)で、悟りを求める人たち、いうような意味ですね。

サンスクリット語のわかるインド人に、「ぼさつ」とか「ほうさー」といっても、「はあ?」とちっともわかりません。ボーディサットヴァといえば、通じます。

「サッダルマ・プンダリーカ・スートラ」といいましても、通じます。
「妙法蓮華経」とか「正法蓮華経」といいましても、あたりまえですけど、意訳されているのだから通じませんですね。

「ゲヨイテとは おれのことかと ゲーテ云い」という川柳がありますが、かつて日本では、ゲーテのことをゲヨイテと表記していました。それで、ゲーテ本人が、はあ?というわけです。そういうようなことが、たくさんありますね。

でまあ、日蓮主義の立場から云うと、なにしろ『法華経』のエッセンスは「南無妙法蓮華経」というお題目に集約されている。いや、お釈迦さまのすべての、いやあらゆる仏さんの教えが、そのお題目に濃縮されているのだ。だから、それだけでいいのだ。正しいのだ、ということになるんでしょうね。

まあ、信仰とは、そういうものですね。それが正しいと決めた、と。確信というか、強烈な思いこみというか。

32いちりん:2002/09/22(日) 11:09

こんな話があります。

あるおばあさんが、「おおむぎ・こむぎ・いっしょう・ごんごう!」(大麦小麦一升五合)と唱えて、病気治しをしていました。

あるとき、旅の僧侶が、おばあさんにこう言った。
「おばあさん、その真言は、ちがいますよ。ほんとは、¨おうむ・しょじゅう・にしょう・ごしん¨と言うんですよ」。

これは、実は、「金剛般若経」の有名な一節「応無所住而生其心」という言葉なんですね。
「まさに無所住にして、しかも其の心を生ず」と読み下します。

これを聞いたおばあさんは、そうか
、それが「本当の呪文」だったのか。私の唱えていたのは、間違いだったのかといって、そこで自信が揺らいでしまった。
そしたら、そのならった言葉をいくら唱えても、もう病気なおしは出来なくなってしまったのです。

33いちりん:2002/09/22(日) 12:49

わたしのいいたいことは、祈りとか、心のはたらきであって、強く深く念ずるほどに力は発揮されるということですね。(祈って力が発揮されたり、功徳のようなものがあることが、幸せかどうかは別問題ですけどもね)

祈りの言葉、真言のことばに力があるわけじゃない。お経に力があるわけじゃない。
その言葉、お題目、真言、お経そのものに力があるとして、強烈に信じ込むその心の働きに、力があるんだろうなということです。わたしは、そう思います。

そして、それは、たくさんの人が信じ込むことによって、さらに力が増していく。ひとつの集団的無意識の力とでもいいましょうか。

で、「般若心経」とか「法華経」とかいうお経は、それがすごいと信じ込む人が多いから、そこにある種の心霊的なエネルギーが付着しているんですね。あるいは、集合的な無意識と通じやすい。でもって、他のお経よりは、力があると感じられる、かもしれません。

あるいは、南無妙法蓮華経というお題目、南無阿弥陀仏という念仏の称名、のうまくさーまんだー・ばーざらだん・せんだー・まーかろしゃーだ・そわたや・うんたらた・かんまんという不動真言とか、そういう呪文のような真言も、力があるとされるのは、圧倒的に長い年月にわたってすごい信じられた来たからですね。

インドでは、オーム・ナマ・シヴァーヤとか、ハリ・オームとか、スリーニン・ジーラン・ジージェーランとか、アラブでは、アッラー・アクバルとか、ユダヤでは、シャロームとか、まあ地域によってそれぞれのマントラがちがいますが、まあ何でもいいんだと思いますね。

34いちりん:2002/09/22(日) 12:52
スリーニン・ジーラン・ジージェーランというのは、いそいで書いて入力ミスです。

スリーラーム・ジェーラーム・ジェージェーラーム(偉大なる神をたたえます)でした。

35おこさま:2002/09/22(日) 15:14
問答迷人さん、いちりんさんレスありがとうございます。

何となく分かったような、、、
近代の日本では呪文的にとらえているので発音のしかた云々と言うことなのですね。
中国語やサンスクリット語周辺の言語を使用または理解する人にも、
「日本語発音じゃないと読経しても意味が無い(正しい教えでは無い)」と言われたものですから、、、

オリジナルの経典がどんなものであれ、日本においては呪文だから、
オリジナルが否定されたとしても、漢語経典は何らかの呪術的効力があるのですね。

36いちりん:2002/09/22(日) 17:07
教えというものは、ほんとうなら、意味が大切ですよね。

ところが、仏教が輸入された当時は、偉大なる超大国の中国の文物は、みんなすばらしいという考えでした。日本固有の文字もなくて、中国の文字を借りていたわけですよね。

ですから、「経典というのは、なにかわからないが、とても有り難いものである。そしてそれは、訓読したらありがたみがなくなる。霊的な力が出てこないのだ」と考えたのだと思います。まあ、呪術的な効果を期待したのでしょうね。

かといって、中国語の発音は、とても難しいわけです。ひとつの発音で、四つの発声がありますよね。それは、表記できない。で、そういうのは無視して、日本流の中国語の発音の仕方で、お経をよんできました。

意味などどうでもよい、むしろ意味が分からないから、ありがたいみたいな意識があったと思いますね。

つい最近まで、学者などが、ハイデッガーのダーザインがどうで、アウフヘーベンして、ツァイトがどうだ、とか。サルトルのアンガージュマンが、どうたら。訳のわからん言葉を使って、ありがたがるというか権威ぶるような風潮があったと思います。

西洋でも、キリスト教の典礼などは、みんなラテン語だったんですよね。それが、ありがたかったようです。でも、自分の国の言葉で、儀式を行うようになっていった。

でも、日本は、あいかわらず日本語読みの漢語でお経を読みますよね。
あれは、へんてこりんだなあと思いますね。

まあ読むほうにすると、訓読にすると、全然流れが悪くなって、読んでいて気持ちよくないのですね。このあたり、お経を読みやすいリズミカルな日本語に翻訳してこなかったためだと思います。

まれに、白隠の「坐禅和讃」などのように、美しくて迫力のある日本語のお経っぽいものがありますね。真宗なども、親鸞の和讃を読みますが、メロディーがあって美しいなあと思います。

37一字三礼:2005/12/06(火) 21:50:21

12月5日、私はまだ2回目なのですが、松山先生の法華経講義に参加しました。

法華経講義の内容を自らのメモを基にしてご報告します(少しずつですが)。

・まず法華経を成立させた製作者達の製作意図はどこにあったかについて。

理由1:方便品から始まる法華経前半部の主張から「部派、上座部等では仏道修行の目的は阿羅漢になることであったが、それでは意味が    ないのではないか。全ての仏道修行者は仏を目指さなければならない。」と主張したかったのではないかと思われる。

理由2:釈尊の復権もしくは回帰。

法華経の成立以前にあった大乗経典に「八千誦般若経(小品般若経)」がある。分量的には法華経とほぼ同程度の「八千誦般若経」の内容は大乗的「空」義を基礎理論として「般若波羅密」を主張する。しかし、「空」というあらゆる実体を否定し、理性的判断・分別をに依ってはとうてい把握できないとされる概念は、やはり誰にとっても理解できなかったのではないか。また、「般若波羅密」という大乗の新語も非常にわかりずらいものであった。
言ってみれば、「法(ダルマ)」の概念のみ先行した、釈尊不在の経典であった。

個別の仏の名称だと考えられている「アミターユス」「アミターバ」「バイローチャナ」等は元来、釈尊の特徴を現す表現であった。

38犀角独歩:2005/12/07(水) 01:35:55

一字三礼さん

このスレがありましたね。
永らく忘れていました。

昨日はご苦労様でした。長い講義でしたね。
けれど、勉強になりました。

細かい点は、追ってブログにでも記そうと思いますが、Saddharma-pundarika を訳するのに、松山師は「〜の如き〜」という点が違うと指摘したわけですね。では、どのように和訳成句すべきかという点に話は進みませんでしたが、この点は次回の楽しみにということになりました。

法華経は、それまでの時代にたくさん、生まれた仏、菩薩のために、釈迦仏から離れた衆生の心をもう一度、釈迦に戻そうとした構成だという説明は、一仏統一といったテーゼは案外合っていたのだろうかと講義を聴きながら考えていました。

ぜんぜん、余談なのですが、過日、横浜そごうで開催されている大アンコールワット展を観てきました。なかなか面白いものでした。

昨日の講義で Prusavyagra という合成語が、この男・虎の‘ごとし’となるという岩本師の説明を批判的に取り上げていましたが、カンボジア仏教では Narasimha が尊像としてあるのです。この訳語は「人獅子」となっています。この合成語も岩本式で和訳すると、「この人・獅子のごとし」となりそうですが、実際は獅子面で体は人間という「ごとし」どころかそのものズバリでした。

あと、昨日も話題に上った般若波羅密ですが、Prajnaparamita という女性擬人化された尊像になっているのです。これはたぶん、菩薩(Lokesvara)のようでした。

また、話題になっていた眉間白毫ですが、ここの仏像にはこれがないのです。面白いものだと思いました。

本日はビデオで『アレキサンダー』を観たのです。(SFXは劣るのですが、『トロイ』のほうがわたしは面白かった…、これは余談)で観ながら、ヒンドゥクシュ山脈を越えてインド遠征。紀元前300年代のこと、ああ、そうだったと思いました。
ビジュアルというのは、字で読んだ学問にリアリティを与えてくれるものだとつくづく思った次第です。

横道に逸れました。失礼しました。

39一字三礼:2005/12/07(水) 23:39:33

犀角独歩さん

> Saddharma-pundarika を訳するのに、松山師は「〜の如き〜」という点が違うと指摘したわけですね。では、どのように和訳成句すべきかという点に話は進みませんでしたが、この点は次回の楽しみにということになりました。

私も、では松山先生はSaddharma-pundarikaとはどのような和訳をあてるべきとお考えなのかを知りたかったです。ただ、私の記憶がはっきりとしないのですが、Saddharmaとpundarikaの関係は「即」に近いようなことを仰っていたような、いないような。

> また、話題になっていた眉間白毫ですが、ここの仏像にはこれがないのです。面白いものだと思いました。

ご指摘の点は、私も以前から疑問だったのです。

インドを含めて東南アジアの仏像には、一般的な仏・菩薩像の約束事が通じないものが多々あります。

別に五仏を並べているわけではないのに、仏像で偏袒右肩だったり、菩薩像で通肩だったり。四阿含・五部ニカーヤにも三十二相・八十種好は描かれています。仏像の表現はそれら経典をその根拠とするので、国によって大きな違いが出ることはないように思えるのですが。国によって、表現の自由度が違うのかとも考えています。

> ヒンドゥクシュ山脈を越えてインド遠征。紀元前300年代のこと、ああ、そうだったと思いました。

大乗仏教発生の大きな要因のひとつかもしれませんね。

ヒンドゥクシュ山脈越えで思い出されるのが、アーリアの南下ですね。紀元前1500年から約5百年かけてインダス川からガンジス川流域まで争いながら移動したと言います。
またアーリアはインドの地へ侵入しただけではなく、ペルシャやヨーロッパへも同時期に流れていっているようです。北欧神話エッダのヴァニル神群とエーシル神群の戦いの様相にその痕跡をみます。
しかし、なぜ紀元前1500年にアーリアは世界中に散っていったんでしょうか。この点に興味がわきます。

私は「イーリアス」が大好きなので、『トロイ』は楽しめました。
ただ、大アイアースがヘクトルにあっさり倒されたのには’オイオイッ’って突っ込みを入れたくなりましたが(マニアですいません)。

本題に戻りまして、れんさん、次回の講義までに世親の「法華論」を読んでおいたほうが良いようですよ。

40れん:2005/12/08(木) 08:26:16
一字三礼さん
こちらでの一字三礼さんと犀角独歩さんとのやりとりで、今月のご講義の内容を大体知ることが出来ました。有難うございます。
さすが、領域の広い講義ですね。自分にとって未知の事を知ることが出来、大いに参考になります。
世親の法華論ですね。貧乏暇無しで、忙しくてなかなか図書館に調べに行かれませんが、今月中に読ませて戴いた上で、来月のご講義に参加させて戴きます。

41犀角独歩:2005/12/08(木) 11:39:24

一字三礼さん

Saddharma と pundarika の関係は「即」に近いようなことを仰っていた

そうですね。内容的には、そのようなニュアンスと、わたしも感じたのですが、この「即」はけっこう厄介ですね。真跡遺文では「生死即涅槃」の使用はありますが、煩悩即菩提がない、このことに気付いたときは、けっこう吃驚したものでした。

松山師のご説明で、たとえば Shakavyaghraというとき、これはシャカ族のトラということだが、シャカ族にもたたくサントラがいる、トラにもたくさんのトラがいる、けれど釈迦像のトラといえば、お釈迦様を特定している。このような用法が Shddharmapunadarika にもある。Saddharma はたくさんあるだろうし、pundarika もたくさんある、けれど、Saddharmapundarika はこの経典を置いてはない。2つの語が合成されるとき、ただ一つのものを指す場合がある、この合成語はまさにそうだというようなことを仰っていたと思います。

> インドを含めて東南アジアの仏像…一般的な仏・菩薩像の約束事が通じないものが多々あります。

やはり、そうなんですね。
わたしが大アンコールワット展で「へえ!」と思ったのは正装した釈迦像というものでした。袈裟ではなくて、正装しているのです。おまけに眉間白毫相がないわけです。
こうなるともはや釈迦仏像には見えないのです。でも、解説を見ると釈迦像だと。

> 大乗仏教発生の大きな要因

どうなのでしょうか。
大乗仏教と言われるもの、殊に般若経からはじまる経典創作と仏像の創作は、カニュシカ王のヒンドゥクシュ山脈を越えたインド遠征の原因に求めるというものでした。

> なぜ紀元前1500年にアーリアは世界中に散っていったんでしょうか。この点に興味がわきます。

たしかに仰るとおり、本当に興味が惹かれます。

思い出したのですが、法華経の題名は白蓮 (pudarika) であるのに、涌出品で地涌菩薩を見た弥勒が、その菩薩を蓮華に例えて讃えるとき紅蓮 (padma) になっている。多分、法華経の作者は外来の菩薩、弥勒をこのようにわざとずっこけたというか、的外れなキャラクターとして描いたのではないのかという松山師の分析は面白いと思いました。


れんさん

先の講義は、わたしへのお心遣いでご参加を遠慮されたとのこと、申し訳なく思っています。埋め合わせには不足ですが、一字三礼さんとのやり取りで少しでも、講義内容を記述し、お伝えしようと思っています。

松山師は、「この前の方々、今日も来るのかな」と気になさっていました。
そんな話をしながら、道行き、会場に到着すると先に一字三礼さんがいらしたという一幕もありました。この次はお会いできることを楽しみにしております。

42犀角独歩:2005/12/08(木) 20:00:13

【41の訂正】

誤)シャカ族にもたたくサントラがいる、トラにもたくさんのトラがいる
正)シャカ族にもたたくさん釈迦族の人がいる、トラにもたくさんのトラがいる

43一字三礼:2005/12/12(月) 21:41:18

遅いレスになって申し訳ありません。

犀角独歩さん

> この「即」はけっこう厄介ですね。

本覚的な表現には抵抗の無いのが富士門流信徒でしたね。ご指摘のとおりです、「即」という言葉を迂闊に使ってしまいました。

独歩さんの「シャカ族のトラ」の説明の方がずっと正確に先生の講義のニュアンスを捉えておいでです。

少し自信のない補足です。私のメモ書きには、「このような2つの語の合成はほとんど全てが動物との関係で表現されるので、Shddharma‐pundarikaのように植物での表現は他に例が無い、これは特別で、神聖なものを意図したものだ」と仰っていた。ような、いないような。

> 法華経の題名は白蓮 (pudarika) であるのに、涌出品で地涌菩薩を見た弥勒が、その菩薩を蓮華に例えて讃えるとき紅蓮 (padma) になっている。多分、法華経の作者は外来の菩薩、弥勒をこのようにわざとずっこけたというか、的外れなキャラクターとして描いたのではないのかという松山師の分析は面白いと思いました。

ここも非常に興味をそそられるところです。

紅蓮華(padma)の弥勒菩薩は、白蓮華(pundarika)に属する地涌菩薩を見誤るのですね。言ってしまえば、紅蓮華の常識では白蓮華を理解できない、ここから動執生疑に繋がっていくのではないか、と想像しております。

それから松山師は、中国・日本の法華経釈に、欠けている要素を3点ほど指摘されました。

1 経典内の白蓮華(pundarika)と紅蓮華(padma)とを区別していない。

2 経典内に重要な実体としてのShddharma‐pundarikaが存在することを無視している。

3 紅蓮華(padma)の多義性の軽視

次回の講義では、私は3の紅蓮華の多義性についての解説を期待しております。

個人的に松山先生にご質問したい事項がたくさんあります。松山勉強会の件はその後いかがなりましたでしょうか。

44犀角独歩:2005/12/12(月) 22:20:52

一字三礼さん

こうやって、聞いた話を2人で出し合うと、補完できて善いですね。
わたしも、もう少し記そうと思っています。

45ラスカル:2005/12/12(月) 23:08:43
失礼します。方々ならば知っている事でしょうが、赤はインドの神々の力が宿る巫子などがつける粉の色ではないでしょうか。赤なら印象的に映えますから。白は無地ということ。此れ以上は私の憶測では書けません。っていうか、考えられません。

46犀角独歩:2005/12/13(火) 00:19:03

一字三礼さん

次回の勉強会の話を書き落としました。
現段階で、予定がわかっておりません。
わかり次第ご連絡いたします。


ラスカルさん

このpundarika(白)とpadma(紅)は、いまから2000年以上前、その起源を探ると、はたして、どこまで遡れるのかという話です。

妙法華では両方とも蓮華と訳されてしまっているのです。

経題は「妙法蓮華」、地涌を讃える言葉は「如蓮華在水」、ところが、この2つが別の種であったという話です。

47ラスカル:2005/12/13(火) 04:05:23
卵が先か、鶏が先か、みたいな事でしょうか。私は突然変異の卵は極稀と思うので鶏の進化が先だだと思いますが、先の書き込みを読むと「〜のような」と「〜は」という事は考えられるでしょうか。紅蓮華のような菩薩、紅蓮華は菩薩、白蓮華のような法、白蓮華は法、紅蓮華のような生き方、白蓮華のような生き方。天空から降ってくるのは紅と白だけでしたか。紅と白だけとは限らないのでしょうか。

48犀角独歩:2005/12/13(火) 08:40:28

ラスカルさんが、卵と鶏の例を引く理由は、わたしにはちょっとわかりません。

白蓮華と紅蓮というのは、一面的には白と紅という色の差と映じますが、実際は、そのようなことではありません。  。

法を蓮華に充てる理由は依然として、法華仏教最大の謎の一つですが、その起源は睡蓮に求められ、また、天台は、蓮華に喩える理由を挙げていますが、これが実際に合っているかどうかは疑問があります。むしろ、松山師がいうよう、白蓮華は太陽と心臓のシンボルであるという事情と関連するかも知れません。

紅蓮では、その色からしても太陽のシンボルとは成り得ず、また、心臓は、漢訳で言う八葉蓮華に代表されるとおり、白蓮華で喩えられてきました。

「慧日大聖尊」という尊称が、方便品にでてきます。
これは Naraditya:人・太陽ということで、太陽と人を讃える合成語です。
pundarikaとdityaは同様の賞賛の意味を持っているのだろう考えられます。
また、睡蓮>白蓮華>太陽はビシュヌ神話とも関連し、一方、紅蓮は大地母神と関連するというのが松山師の説くところです。

いずれにしても、白蓮華が尊重される理由は、法華経創作地方において、睡蓮と蓮華が取り違えられた結果であり、たぶん、睡蓮に白蓮華が、見た目として似通っていたことにその原因があるのではないかと思われます。

49ラスカル:2005/12/13(火) 12:32:31
ありがとうございます。睡蓮は、エジプトの太陽神とも馴染み深い花で太陽が昇ると花を開き沈むと花を閉じる事から、太陽は睡蓮から生じると説明されたサイトがありました。インドではヴィシュヌのへそから睡蓮・蓮華が咲いてブラフマーが生じるともありました。それから、あるサイトで大乗教団が法華経をまとめる時、下層民を題材にしたから、という意見がありましたが、蓮がシンボル化されたならありえる事だと思います。色の違いもシンボル化で理屈立てられると思います。白は朝日の色で生まれ変わる理念、紅は夕日の色で菩薩など熟して成道に近づく者、身分社会のインドでは其の儘神々に仕えていた人々で仏教に縁あって化導されたかもしれません。陀羅尼という呪言を使える者ならですが。陀羅尼が薬王菩薩から法華経に説かれていると読んだからで。其れは日蓮の漫陀羅にも表されているというのは気の回し過ぎでしょうか。

50彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/13(火) 12:39:59

ラスカルさん
>47私は突然変異の卵は極稀と思うので鶏の進化が先だだと思います

どうしてでしょうか?鶏はどこまでいっても同じ鶏です。突然変異は後天的なものではないからです。卵の中に新しい個体、すなわち突然変異が生じ、それが生まれる。そして、この世で生き延びる力のある強い個体のみが淘汰されずに生き残るわけです。よって、突然変異の卵は有り得ても、突然変異の鶏は有り得ません。

51彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/13(火) 12:51:43

ラスカルさん
>49陀羅尼が薬王菩薩から法華経に説かれていると読んだからで。其れは日蓮の漫陀羅にも表されている

どういうことでしょうか?私にはよく解りませんが。蓮祖の漫荼羅のどこに何が表されているのか具体的にご教示ください。

52ラスカル:2005/12/13(火) 13:00:03
彰往考来さん、科学的な事が解らなかったので、長い目でみた自然適応での変化を思っていました。すみません。

53ラスカル:2005/12/13(火) 13:49:52
薬王菩薩などの登場人物が、法華経陀羅尼品第二十六に法華経を受持する者を擁護するとして陀羅尼を説く場面があります。その事から、漫陀羅にも明王の種子が書かれているのではないかと思います。それから、愛染明王は金剛峯楼閣一切喩伽喩祗経の所説に基づいて出てきたものだそうです。大日如来から金剛薩多そして愛染明王の流れがあるので日輪に坐した表現で、金剛薩多は全ての世界で此の明王をこえる者は無く金剛王の中で最高にして全ての仏の母と定めたらしいです。台密で調べられるかはわかりませんがこれを知らなくては書かなかったかもしれないと思いました。不動明王は宝剣と羂索を持つ五大明王の筆頭で折伏の志を表現していると思います。それと、曼陀羅にさんずいをつけて漫陀羅と書いたのは加持祈祷の炎に対して区別するためではないかと思います。憶測ですみません。

54彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/13(火) 17:19:19

>53 ラスカルさん
>薬王菩薩など・・・陀羅尼を説く・・・その事から、漫陀羅にも明王の種子が書かれている
この三段論法は理論の飛躍がありますね。そのため私には理解できません。薬王が陀羅尼を説いたらなぜ漫荼羅に明王の種子が書かれるのでしょうか?

>愛染明王は金剛峯楼閣一切喩伽喩祗経の所説に基づいて出てきたものだそうです
この掲示板の参加者は挙証主義で投稿されています。少なくとも私はそうしています。でないと議論がかみ合わないからです。よって、このような主張をされるのであれば、どの文献のどの箇所に書かれているのか明示していただきたく存じます。

>金剛薩多は・・・金剛王の中で最高にして全ての仏の母と定めたらしい
これも同じです。どなたの説なのでしょうか?憶測、推測の類であれば議論する以前ではありませんか? “らしい”ということはその程度の話ということです。

>不動明王は宝剣と羂索を持つ・・・折伏の志を表現
不動明王の剣は折伏の志ではなく破邪顕正を示します。
http://jyofukuji.net/fudomyoou.html

>曼陀羅にさんずいをつけて漫陀羅と書いたのは加持祈祷の炎に対して区別するため
まあ、何を考えても自由ですけど、“漫”の字は“氵”に“曼”と書きます。“氵”は水を表します。“曼”は“蔓”のことで「同時につながりひろがる」という意です。このことから“漫”の字は、「水がはてしなく広がる」という意味です。漫陀羅は、はてしなく広がった世界を表しているわけで、加持祈祷の炎に対して区別するためのような意味ではないでしょう。
<参考資料>
阿部吉雄編『漢和辞典 新訂版』(昭和50年新訂版3刷、旺文社、627頁)

投稿する以上、あやふやな内容ではなく、出典を明確にされることを希望します。

55ラスカル:2005/12/13(火) 18:51:25
すみません。御説ご最もしか申し訳できません。つい頭に思い浮かんだもので質問がてら書いてもいいかなと思いまして。彰往考来さんみたいに書籍など持ち合わせがありませんので書き込めません。以後はスレッド立てや素朴な質問に書くようにします。

56パンナコッタ:2005/12/13(火) 19:27:57
ラスカルさん、
少し時系列がゴッチャになっていませんか。
愛染も不動も出てこない妙法蓮華経の訳出が、AD406年。
大日経や金剛頂経の成立は7世紀。

金剛峯楼閣一切瑜伽瑜祇経というのは、以前自分が愛染の煩悩即菩提の依経についての
問いに答えたリンク先からの引用だと思うのですが、妙法蓮華経の世界からは、
かなり後世の説である事を踏まえておいてください。

57ラスカル:2005/12/13(火) 20:16:01
パンナコッタさん、ありがとうございます。でも、これらの記述は携帯のサイトを調べて書き込んだものです。(それから、胎蔵界と金剛界の曼陀羅をまとめたのは空海の師匠であるらしい事。)でも、パンナコッタさんの指摘の読み通り、年代は調べてません。彰往考来さん、憶測・推測の類でも自分の足しにならないと思ったら質問がてら書きません。今度から気をつけますので、書籍・蔵書などの質問などもある時にはお聞きしたいので宜しくお願いします。

58パンナコッタ:2005/12/13(火) 22:13:54
ラスカルさん、
大まかな時系列を押さえておく為に、
 仏教の流れ http://www.kosaiji.org/Buddhism/index.htm
 法華の流れ http://www.kosaiji.org/hokke/index.htm
プリントアウトしてファイルに綴じておくと何かと便利です。

 台密的解説 http://www.sakai.zaq.ne.jp/piicats/bukkyou.htm
 曼陀羅解説 http://mandala.twinstar.jp/
 天台の教え http://www.shosha.or.jp/syukyou/syukyou.htm
以上は研鑚の参考にしてください。

59犀角独歩:2005/12/14(水) 00:16:58

49 ラスカルさん、けっこう善いところまで来ましたね。

ただし、以下の点では、さらに一考を要するでしょう。

> 白は朝日の色で生まれ変わる理念、紅は夕日の色で菩薩など熟して成道に近づく者

ラスカルさんは、あまり朝早く起きないほうなんでしょうね(笑)
わたしは、夜明けに起きます。地平線から昇る旭日は、たしかに白いといえば、白いのですが、朝焼けの壮観は、仰るところと一致しません。朝は、空一面が緋色に染まる絶景もあるのですよ。

また、法華経では、たとえば、「赤蓮華香 青蓮華香 白蓮華香」(法師品)というように青い蓮華も出てきます。また、原本で Kamala という語を以て示されることもあると松山師はいいます。この意味は「黄疸」なんだそうです。転訛し、白蓮華が、散る直前になって古く黄ばんだ様だそうです。

ラスカルさんのポエティックな想像力は楽しいですが、事実の追及としては、根拠に乏しいと言えるでしょう。

> 陀羅尼…日蓮の漫陀羅

これは彰往考来さん、パンナコッタさんも疑義を呈していらっしゃいますが、わたしも結びつきません。
日蓮漫荼羅で図示されるのは不動・愛染の二大明王で、花押に大日を見るとしても、そこまでです。

一方、陀羅尼品の呪は主に守護のためのものです。
ここのどのような関連性があるというのか、ちょっと、わたしには想像がつきません。

60ラスカル:2005/12/14(水) 05:44:53
パンナコッタさん、ありがとうございます。

61ラスカル:2005/12/14(水) 06:35:41
犀角独歩さん、確かに朝焼けの空は見た事がありません。黄色い白ぐらいで。捏ねて転がしてもしょうが無いのですが切りのよい所まで。■太陽も月もだいたい白・黄・赤で表せると思います。(星は青もあります)太陽は白と橙、月は白と青という見方もあるかもしれませんが御容赦を。黄色は其の儘光の色と言え無くもないですが、黄金色と相対的にして茶色になり土に帰る色と私は見ます。青は湖沼や空をめぐるいわゆる水色から青を連想します。睡蓮から蓮華に変わっていくように。学術を連想と比べるのは気がひけなくもないですが、アイディアの発端、シンボルの簡素化は此のようなきっかけで充分だと思います。神話伝説に尾鰭がつけられたり全く違うものに置きかえられる場合もありますので。■漫陀羅の守護者として愛染・不動が書かれている見方もあってよいと思います。漫陀羅は時間と空間と本尊(首題)を図示している構成で考えられていると思うからで、鎌倉時代は念仏の他に天台密教も勢力を築いてましたから。法華経の弘教に明王が書かれていても不思議だとは思いません。呪術に悪用されるかもしれませんが其れこそ超能力のような力が無いと利用できないでしょう。何故、愛染と不動なのかはわかりませんが、理由があるとすれば信心の理想像を表現するのに適しているとしか言い様がありません。刀剣と弓矢が武士の時代の証だからというのも一つの理屈でしょう。

62犀角独歩:2005/12/14(水) 09:18:48

ラスカルさん

> 太陽も月もだいたい白・黄・赤で表せる

こんなことを書くと、また、彰往考来さんに突っ込まれますよ(笑)
太陽光はスペクトル分析では虹の7色で、その外に赤外線と紫外線があるのでしょう(これも、不完全な説明であれば、彰往考来さんのチェックが入るでしょう)

いずれにしても白蓮・紅蓮・青蓮で、その色と太陽の見かけの色で連想されているのは、白蓮だけでしょう。

> 漫陀羅の守護者として愛染・不動が書かれている見方

うーん。少しニュアンスが違います。不動・愛染は日蓮漫荼羅の必須要件です。不動・愛染が漫荼羅を守護しているのではなく、不動・愛染が勧請されることによって、漫荼羅を持している人を守護するというのが正確なところでしょう。漫荼羅というアイテムの一つの意義、すなわち、御護の一面です。

> 漫陀羅は時間と空間と本尊(首題)を図示している構成

どのような意味でこう記しているのかはわかりませんが、表している時間があるとすれば、法華経が説かれたインドの釈尊の在世、それも見宝塔品から神力品で、空間(場所)ということであれば、虚空会を含む霊鷲山ということでしょう。

> 天台密教も勢力を築いてましたから。法華経の弘教に明王が書かれていても不思議だとは思いません

いや、不思議ですよ。何故ならば、日蓮は天台宗の真言化を批判しているのであって、純天台への復帰を標榜していたからです。となれば、真言の明王が介在する余地はありません。しかし、実際は不動・愛染、さらには大日如来も漫荼羅に勧請した、つまり、日蓮の密教的な側面がここに見られるというパラドクスが日蓮信者を悩ませてきたわけです。
ですから、不動愛染感見記を偽書だと切り捨てようとする短絡も起こったのでしょう。

> 何故、愛染と不動なのかはわかりません

この点は、既に顕正居士さんの秀でた達観がありました。つまり、不動愛染を脇士と見ると日蓮漫荼羅は宝珠曼陀羅と同配列になっているということです。日蓮の場合、宝珠とは一念三千です。三学無縁さんは、この宝珠とは、すなわち、生身の虚空蔵菩薩から袖の袂に入れられた智慧の珠であると推測していました。

> 刀剣と弓矢が武士の時代の証

これはラスカルさんの空想を超えるものはないでしょう。
彰往考来さんも指摘されていましたが、空想では事実にこぎ着けません。
必要なのは確実な証拠です。
空想は楽しいことですが、これと考証をごちゃごちゃにしては、駄目です。

63ラスカル:2005/12/14(水) 12:50:47
いかにも(爆)議論できるようになるかわからないのですから、キツメに思えるのも当然です。其れに日蓮主義者に織田信長を新興宗教家に南光坊天海を推すのですから(謎過ぎ)挙げ句、江戸時代のアサガオの品種改良の本を聞けば訝しむのを通り越して投げナイフをなげられるかもしれません。また、違う事を書いてしまいました。■私の書き込みは老若男女問わず考えるきっかけになればいいと思っていますので過不足は御指摘御指導を宜しくお願いします。私の質問は教義の成句化の真偽の事になるので拗れないですむと思います。文の終わりが主に「思います」or「断じます」ぐらいしか無いのは致し方無いです。最大限気をつけます。■故事付けですが三国四師を包括する考えもあるかと思います。■鎌倉時代の僧・日蓮は現実と理想を考えこういう図式に書き表したのではないでしょうか。■戒壇堂などを考え合わせれば天台修学の道を目指すのは理屈に叶う事ですけれど、成仏の事を考えると霊山浄土もしくは法華経の行者の国を目指していたと思うので肝要を用いる天台・伝教とは違う道筋になるかもしれません。末法・無戒で随方毘尼ですから。日寛教学がでてきて空海の宗教進化論と対峙する事になるかはわかりませんが三つの法門が肝要として化導できれば、化儀問題も無くなるのではないかと断じます。大袈裟というか話の筋がずれてすみません。

64彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 08:41:34

>61 太陽も月もだいたい白・黄・赤で表せる
>62 太陽光はスペクトル分析では虹の7色

出張で不在の隙に先に犀角独歩さんに越されましたね。(笑)
まあ、色がどうとかこうとか議論しても、このスレッドの参加者には無益でしょうから、興味のある方は下記HPでもご覧下さい。
http://www.laser.phys.tohoku.ac.jp/~yoshi/hikari22.html

http://www.colordream.net/howto.htm

なお、私は仕事の関係でカラー複写機やプリンターなどのも関与していますので、“色の道”にはウルサイですよ。世でいう“色香”とはあまり縁がありませんが。

65ラスカル:2005/12/15(木) 08:59:10
彰往考来さん、ありがとうございます。別に亀の功より年の功というわけではありません。彰往考来さんのような方に研究成果をリードしてもらえれば心強いです。高森大乗さんという方をご存じなら教えていただきたいのですけれども。

66彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 12:02:20

>65ラスカルさん

貴殿がなぜ高森大乗師の情報を必要とされているのか不明ですが、個人情報保護法に抵触する恐れがありますので、公開されている範囲で。
師は日蓮宗 法住山 要傳寺というHPを開設されています。

http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/main.html

その他、「蓮祖の、著作・曼荼羅の真偽について」のスレッド427を参照ください。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1084417030/?KEYWORD=%B9%E2%BF%B9%C2%E7%BE%E8

http://www.asahi-net.or.jp/~ia8d-tkmr/subcontents11.html

67彰往考来(しょうおうこうらい):2005/12/15(木) 12:21:17

>63 過不足は御指摘御指導

申し訳けないですが、63のスレは過不足以前の問題で議論にならないというのが私の実感ですので、当方からお答えすることはありません。

68ラスカル:2005/12/15(木) 13:35:30
彰往考来さん、ありがとうございます。

69犀角独歩:2006/03/18(土) 10:40:46

一字三礼さん
れんさん

昨日はご苦労様でした。
(ロムの方々には内輪話で恐縮ですが)最後の質疑応答の島田裕巳の質問とそれに日蓮法華で答える小松邦彰師、それを梵本と教典成立という日蓮教学埒外のところから語る松山俊太郎師の鼎談は面白かったですね。
(福神研究所主催・小松邦彰師『日蓮聖人遺文講義』での話です)

喫茶店での雑談で、お二人からは遠いところで、松山師に「男性原理としての白蓮(天)、女性原理としての紅蓮(地)の関係があるとうことですが、そうなると、授記、教学的に言うと下種というのは受粉的な意味合いを持つと言うことでしょうか」と、わたしは師に質問したのです。「そういうことになるかどうか」と、やや否定的でした(笑)

前々からわたしは考えているのですが、三千塵点、五百塵点というの字数通り、三千のほうを古く考えると、釈尊の菩薩行(三千塵点の大通知勝仏仏王子、不軽等の本生譚)から成道釈尊とストレートに時系列で整理されると思うわけです。

渋澤光紀師は「漫荼羅が本尊とは言い難い」という視点でお話をされ、松山師は漢訳教学として天台は梵本法華経理解ではさて置くとされ、島田師は「覚り」を強調するような例は、他の宗教ではあまり見られないと指摘されていました。

講義終了後の雑談にして、この濃密さ、時間がいくらあっても足りないと思いました。

松山師の法華経講義の完結は、単純計算で50年はかかるわけで(笑)次回は、打ち合わせ通り、積極的に質問を投げかけ、聞きたいところをどんどん頂戴しながら、次品以降に話題を置いて、少しでも前に進めると言うことで行きたいと思います。

70犀角独歩:2006/03/18(土) 13:07:06

【69の訂正】

誤)島田裕巳
正)島田裕巳師

71一字三礼:2006/03/18(土) 21:27:38

犀角独歩さん

昨日はお疲れ様でした。また、いつも引率ありがとうございます。

> 鼎談は面白かったですね。

まったく面白かったですね。
松山師・小松師・島田師は、それぞれに専門分野が違いますし、真面目にご研究をされている方々ですので、お三人での見解の一致をみるのは難しそうですが、同じテーブルについて意見を交わすこと自体にこれからの仏教学の可能性を感じます。

> 喫茶店での雑談で、お二人からは遠いところで、
心理学になるのでしょうか、神話学でしょうか、ディープなお話ですね。
でも私もれんさんともう一人の方から、ディープな話をたくさん伺っておりましたよ。

> 三千塵点、五百塵点

独歩さんは当然ご存知のことと思いますが、私自身が整理する意味で引用します。

「譬えば三千大千世界の所有の地種を、仮使人あって磨り以て墨と為し、東方千の国土を過ぎて乃ち一点を下さん、大さ微塵の如し。又千の国土を過ぎて復一点を下さん。是の如く展転して地種の墨を尽くさんが如き、汝等が意に於て云何。」(妙法蓮華経化城喩品第七)

「譬えば五百千万億那由他阿僧祇の三千大千世界を、仮使人あって抹して微塵と為して、東方五百千万億那由他阿僧祇の国を過ぎて乃ち一塵を下し、是の如く東に行いて是の微塵を尽くさんが如き、諸の善男子、意に於て云何、是の諸の世界は思惟し校計して其の数を知ることを得べしや不や。」(妙法蓮華経如来寿量品第十六)

1 三千塵点劫の「三千」とは、三千大千世界を磨って塵にした。

2 五百塵点劫の「五百」とは、五百千万億那由他阿僧祇の数の三千大千世界を磨って塵にした。

とすると数字上からは、五百塵点劫の方が三千塵点劫よりもはるかに昔であることを表現しようとしているようです。
でも、経典に記載される数字はいいかげんなものですから、本当と意味でどちらが古い昔かはわかりません。

つづく。

72一字三礼:2006/03/18(土) 21:28:14
> 69

> 釈尊の菩薩行(三千塵点の大通知勝仏仏王子、不軽等の本生譚)から成道釈尊とストレートに時系列で整理されると思うわけです。

この点は、今回の講義で私が小松師に質問した所とかぶります。

私は、小松先生に「寿量釈尊と法華経に登場する釈迦菩薩とは会通できるか。」について伺ったのですが、小松先生のご回答より、松山先生が、「元々、序品から法師品までの内容と寿量品の内容とでは、天地雲泥の差があるから、整合性をとろうとすること自体に無理がある」とのご意見に賛同しました。

法華経に出ている釈尊の本生譚には、以下のようなものもあります。

「諸の善男子、我阿難等と空王仏の所に於て、同時に阿耨多羅三藐三菩提の心を発しき。阿難は常に多聞を楽い、我は常に勤め精進す。是の故に我は已に阿耨多羅三藐三菩提を成ずることを得たり。」(授学無学人記品第九)

「爾の時に仏、諸の菩薩及び天・人・四衆に告げたまわく、吾過去無量劫の中に於て法華経を求めしに、懈倦あることなし。〜中略〜。仏諸の比丘に告げたまわく、爾の時の王とは則ち我身是れなり。時の仙人とは今の提婆達多是れなり。」(提婆達多品第十二)


釈迦菩薩が阿難尊者と一緒に菩提心を起こした時というのは、「五百塵点劫」よりも昔と考えるべきなのでしょうか。また、阿私仙に支持した時期も「五百塵点劫」よりも過去と考えることができるのでしょうか。
もしもそうであれば、阿難尊者は「五百塵点劫」の長きに亘って修行しているにもかかわらず成仏できていないことにもなりますし、提婆達多も「五百塵点劫」の昔から法華経を得ているのに、無間地獄に落ちたことになります。

やはり、序品から法師品の段階では、寿量仏の存在を想定していなかったのではないでしょうか。

73犀角独歩:2006/03/18(土) 22:06:47

三千塵点と五百塵点の岩本師梵本直訳箇所は

【三千塵点】ある人がこの大宇宙における大地のすべてを磨りつぶして、粉にしたとしよう。そこで、その人がこの世界から非常に微細な一粒をとり、東方にむかって幾千の世界を越えて行き、その微粒子を捨てるとしよう。さらに、また、この人が第二の微粒子をとって、再び幾千の世界を越えて行き、その微粒子を捨てるとしよう。このようにして、この人が東方に大地の微粒子をのこらず捨てるとしよう。そこで僧たちよ、おまえたちはどのように考えるのか。これらの多くの微粒子の最後のものがいくつめになるか、計算することができるだろうか…それらをのこらず微塵とした数を、過ぎ去った劫の数に喩える(岩波文庫(中)P11)

【五百塵点】たとえてみれば、すなわち、その数は五十・千万億という世界にある大地の微粒子の数に等しいのである。さて、ある人がこの世界に生まれてきて、この微粒子の一つを手にして、東方における五十・千万億劫のあいだ捨てつづけて、かの人がすべての世界を大地のないものにしよう。その場合、両家の息子たちよ、お前たちはどのように考えるか。これらの世界の大地の粒子の数を、誰が類推したり、計算したり、測ったり、、あるいは比較したりすることができようか(同(下)P15)

三千塵点のほうは基準は「大宇宙の大地」の粒子の数を劫とする、五百塵点は五十・千万億世界の微粒子の数です。とすると、三千塵点は、粒子一粒を一劫、五百塵点は大地の微粒子の数です。となれば、大通智勝仏のほうが、はるかに古いことになりませんか。

まあ、梵本を読めない、岩本訳の字面からの話ですが、それを判読すれば以上のようになると思います。どうでしょうか。

74一字三礼:2006/03/20(月) 16:25:45

犀角独歩さん

「三千塵点劫」の英訳です。
(You ask), monks, how long ago is it that the Tathagata was born? Well, suppose some man was to reduce to powder the whole mass of the earth element as much as is to be found in this whole universe; that after taking one atom of dust from this world he is to walk a thousand worlds farther in easterly direction to deposit that single atom; that after taking a second atom of dust and walking a thousand worlds farther he deposits that second atom, and proceeding in this way at last gets the whole of the earth element deposited in eastern direction. Now, monks, what do you think of it, is it possible by calculation to find the end or limit of these worlds? (Chapter7)

岩本師が「大宇宙の大地」と訳された箇所はKernの英訳では「this whole universe」となっております。
確かに「The whole universe」であれば「宇宙全体」などと訳せますが、「this whole universe」ですから形容詞用法で限定された「この」+「宇宙全体」となります。
もとより、すべての世界を一言で表す現代的な「大宇宙」の概念に相当するものが、古代インドにあったとは思われませんし、「この宇宙全体」であれば、やはり限定した世界観であり「一世界」と訳されるべきなのではないでしょうか。

ちなみに「五百塵点劫」です。
But, young men of good family, the truth is that many hundred thousand myriads of kotis of Aons ago I have arrived at supreme, perfect enlightenment. By way of example, young men of good family, let there be the atoms of earth of fifty hundred thousand myriads of kotis of worlds; let there exist some man who takes one of those atoms of dust and then goes in an eastern direction fifty hundred thousand myriads of kotis of worlds further on, there to deposit that atom of dust; let in this manner the man carry away from all those worlds the whole mass of earth, and in the same manner, and by the same act as supposed, deposit all those atoms in an eastern direction. (Chapter15)

これでさえ、英訳ですので正確とは言えませんから、梵文の「三千塵点劫」と「五百塵点劫」については4月3日に松山先生に質問してみましょう。

75顕正居士:2006/03/20(月) 16:48:52
そこの梵文は漢訳の通り trisāhasramahāsāhasre lokadhātau 三千大千世界です。
三千大千世界は千×千×千で十万世界になります。

梵文法華経
http://sdp.chibs.edu.tw/

76顕正居士:2006/03/20(月) 17:00:13
× 十万世界 ○ 十億世界 

三千大千世界は元来は宇宙全体を指したのでしょうが、後の大乗仏教では三千大千世界を
一仏の教化範囲というようになります。

77一字三礼:2006/03/20(月) 19:55:46

顕正居士さん

梵文訳によるご教示ありがとうございます。

78犀角独歩:2006/03/20(月) 20:35:07

一字三礼さん

わたしは、いま、外からで、手許に法華経がありません。
わたしが三千塵点で問題にしたのは「それらをのこらず微塵とした数を、過ぎ去った劫の数に喩える」という箇所です。
ここはKern訳ではどうなっていましたでしょうか。
岩本訳とつきあわせて見ていただければ有り難く思います。

いずれにしても、別々に出来た箇所でしょうね。
先に澁澤師が指摘されておられた、寿量品での大展開で、全部、それまでの全部はご破算というやつでしょうか。

79犀角独歩:2006/03/21(火) 10:48:52

顕正居士さん
一字三礼さん

化城品の三千塵点、寿量品の五百塵点は、別に作られた物語であると思うので、そもそもその比較は意味をなさないかもしれませんが、仰るとおり、記述からすると五百塵点のほうが壮大で過去と感じさせる文章力があります。
ですから、わたしは先に挙げた仮定に固執するつもりは毛頭ないのですが、繰り返しになりますが、以下の点です。

【漢訳】一塵為一劫
【岩本】それらをのこらず微塵とした数を、過ぎ去った劫の数に喩える
【Kern】To that immense mass of the dust of these worlds, entirely reduced to atoms, I liken the number of Æons past.

恥ずかしながら、顕正居士さんが挙げてくださった梵文法華経ではどこに対照するのか、読めず、判りません。ご教示いただければ有り難く存じます。

世界の単位が1世界か・10億世界(三千大千世界)という1:10億の対比では、たしかに五百塵点のほうが古いと思えるのです。
しかし、わたしが記したのは塵の数の取り扱いで、三千塵点のほうでは、1塵を1劫としているところを、五百塵点では単に1塵としている相違です。つまり、1:1劫という点です。これは10億:1劫と見たほうがより正確かもしれませんが、この対比において、いったい、どちらのほうが古いことになるのかという問いかけです。1劫をどれほど、時間の単位とみるのかですが、この場合の劫(カルパ)は4期(成・住・壊・空)の一巡の長さとなるのでしょうから、10億より長くないだろうか、という疑問です。

80顕正居士:2006/03/21(火) 13:26:06
"To that immense mass of the dust of these worlds, entirely reduced to atoms,
I liken the number of Æons past."は偈頌の4番です。

yo lokadhātūṣu bhaveta tāsu pāṃsu rajo yasya pramāṇu nāsti /
 rajaṃ karitvāna aśeṣatas taṃ lakṣyaṃ dade kalpaśate gate ca //4// 

*MS-IEでは一部の拡張ラテン文字が表示されませんが、メモ帳などにコピーすれば見えます。

三千塵点も五百塵点も塵の数を時間(単位は劫)としています。単位を取らないと無意味です。
「是諸世界。若著微塵。及不著者。盡以爲塵。一塵一劫。我成佛巳來。復過於此」(寿量品)

81犀角独歩:2006/03/21(火) 23:17:55

顕正居士さん

ありがとうございました。全く基本的なところで、わたしは見落としておりました。
先の愚行を撤回し、再度、勘案し直すことといたします。

82顕正居士:2006/03/22(水) 05:35:34
法華経の製作意図

方便品を中心とする前霊山会の部分がまず成立したであろう。人類に限らず生類の志向する
ところは個と社会との完徳である。人類以外の生類はしばらくおいて人類についていえば、
各個の文明発達の経緯、社会階層の相違によってそれぞれに徳目とする内容が異なる。
しかしながらそれらを包摂しかつ超越する完徳が目標として存在する。それが仏乗である。
仏とは慈悲と智慧とが完成した個体である。情操と理性とが究極に発達した生類である。
彼らが構成する社会が仏国である。仏国に至るためには幾つもの要害を経由しなければ
ならない。突破には智慧が要る。その智慧が権智である。しかし当面の目標は仮城である。
仮城であると認識するのが実智である。権実の智慧が相まって幾つもの仮城を突破できる。

法華経の製作当時には大乗教団なるものは存在せず、おそらくその後も存在しなかった。
小グループのさまざまな思想が対立していた。法華経の製作達はそれらの争いを統一し、
止揚するために方便品を中心とする前霊山会の物語をまず作った。彼らはインド仏教の中の
争いに悩むうちに、単なる調停とか、単に一大勢力を築くとかいう権智を放棄した。

「実智」は西欧近代合理主義が発見し、二、三世紀のうちに人類の文明は大進歩した。
原始仏教と同様に法華経製作達のあまりに早すぎる思惟はインド社会の受容するところとは
ならなかった。自由商業都市とインド農業帝国の経済が志向するところは反対であった。
けれども当時の経済先進国であった中国や日本には法華経は受容されたのである。

84犀角独歩:2006/03/22(水) 09:45:13

空即是進化さんのご提案につき
松山俊太郎師「法華経講義」メモから拾ってみます。

> 善意なのか悪意なのか。

法華経創作者、あの時代にあって極めて高い学識をもっていた。その制作意図は純粋な信仰によるのだと思う。

> いつ

その制作過程は段階的で3期ほどになののではないのか。
時期が紀元前1世紀から3世紀にかけてだろう。

> どこで

西北インド辺り、アフガニスタンの辺りかもしれない。
「東方」という方向を意図的に記されることが多い。つまり、仏教の中心地からは西側の地域でのことではないだろうか。
物語のなかで説所は霊鷲山とされるが、その記述から、実際にその地を訪れたことのない人が記していると思われる。

> 誰が

法華経創作者の個人、集団は何も判らない。

> 何のために?

釈迦牟尼に始まる仏教は、新たな神仏を摂取していくなかで、釈迦仏信仰から他仏信仰へと移行してしまった。そこで改めて釈迦仏を崇拝するために法華経は創られた。
(以上、講義メモから)

*わたしは、個人的に法華経のなかで記される法滅後の末法とは『大集経』などの2000年説とは関係なく、法華経創作当時のことを指していると思います。そして、そこで登場する弘教の菩薩を自分たちに凝らしているのでないのかと考えます。釈迦牟尼仏は亡くなったという歴史的事実を前に、滅後に弘教を託された付属の衆がいる。それこそ、自分たちなのだという目的意識から法華経は創られていったのではないかという想像です。また、法華経は舎利崇拝から、仏塔(舎利塔)信仰という前時代的背景のなかで、その当時、コーラン、聖書などの聖典信仰と同様の流行のなかで確立されていく、経典信仰から新たな仏塔信仰、経典安置塔信仰を標榜し、その仏塔を各所に増設する条件として、経典の書写、弘教の薦めが物語の主流になっているのではないのかと考えます。

85顕正居士:2006/03/23(木) 04:29:18
顕説の法華経か根本の法華経か?

日蓮の教説は表面上は顕説法華に傾いている。しかし南無妙法蓮華経とは根本法華であろう。
名しかないのである。その名は顕説法華を借りたのである。要するに、実定法に対する自然法
である。人類は生得の権利を有するのであり、それは実定法に拠らない。これを侵す実定法は
自然法によって廃止されなければならない。自然法という観念の発見により西欧文明は二、三
世紀の中に地球文明を大発達させた。
五百塵点の古え、最初成道の時に釈尊は既に法華経を顕説された。しかしそれは因位に於て
根本の法華経を信仰した結果である。根本法華には如何なる顕説も無いのであるから、信仰
でしかあり得ない。
我々は根本法華を信仰し、顕説法華の完成に努力しなければならない。それは永遠の菩薩道
である。ただし根本法華を信ずるとは、単に情緒的に人類の将来を信ずるのでない。未だ顕説
されないゆえに信仰というのみで、これは理性に基づく。すなわち形而上の智慧であって、実智
である。仏国は必ず将来に大宇宙に建設されなければならない。根本法華への信仰は日々に
顕説法華の完成へと向かう。顕説法華とは羅什尊者の翻訳をいうに非ず、梵本法華経をいうに
非ず、人類の実智の全体である。実智なくしてはビジョンは生ぜず、権智の発揮があり得ない。
顕説の法華経と根本の法華経とは不二である。法華経の一乗とは宗教の発展的解消である。
日蓮宗やまして日蓮正宗とは対極の理想である。歴史上、日蓮宗や日蓮正宗を将来したのは
日蓮の限界であろう。しかし日蓮こそ方便により法華文明を存続させた一個最大の偉人である。

86今川元真:2006/03/23(木) 06:17:54
ひゆ蓮華・当体蓮華と例えられるように、原始仏教の目線と同じような化導へと戻りつつあると言うのが私の見方考え方。五時八教で無くて五機八教か?

87一字三礼:2006/04/04(火) 22:11:54

犀角独歩さん

4月3日、松山先生の法華経講義を拝聴いたしました。

昨日の講義は、上杉さん、渋澤さん、鈴木さんのレギュラーメンバーが欠席されました。(上杉さんには二次会でお会いしましたが)

講義の内容としては、またまた「法華経の経題について」。

講義の進行を促す方々がいらっしゃらなかった事もあってか、やはり「譬喩品」の内容には入りませんでした。

ただ、次回の講義は「方便品」である、と松山先生が仰っていたので期待しております。

松山先生は、講義も素晴らしいのですが、二次会の席で先生を囲んで広く仏教について論じていただくのがとても勉強になります。

今回も「釈尊在世のお弟子達の求めていたものはなんであったか」、「寿量品の釈尊は、有限の存在か無限の存在か」など既成概念に捉われない興味深いお話をうかがうことができました。

88れん:2006/04/05(水) 13:57:27
犀角独歩さん
4月3日の松山俊太郎先生「法華経講義」私も参加させて戴きました。
一字三礼さんが仰った通り、本講義・二次会ともに松山先生のお話は、大変すばらしいものでした。次回は方便品とのことで、それからのご講義の展開も今から楽しみにしております。
今月の小松先生のご遺文講義に参考までに本満寺様刊行の乾師の開目抄の影本を持っていこうと思いますが、御入り用の部分がありましたら、コピーしておきますので、仰って下さい。

89犀角独歩:2006/04/08(土) 08:19:53

つぶやきすれっど2の1980に記した事情で松山先生の法華経講義も急遽欠席とさせていただきました。次回は参加いたしたく存じます。

90一字三礼:2006/04/22(土) 23:36:29
常不軽菩薩についての一考察

松山師から「常不軽」の意味が梵文では「常に軽んぜられた」と「常に軽んじない」の正反対の意味になる2通りに解せるとのお話を伺った。
鳩摩羅什は「常不軽」(sadā‐āparibhūta)と訳し、竺法護は正法華経で「常被軽慢」(sadāparibhūta)とした。

常不軽菩薩は、四衆を見て「敢て軽慢せず」と宣言する。
唐突に相手に「あなたを軽んじない」と言うのは如何にも不自然であるという意見もあるが、逆に常不軽菩薩の相手が常にもしくは、特定の人達から「軽んぜられた人々」であったと考えたらどうであろうか。

常不軽菩薩が「敢て軽慢せず」とした相手は、どのような種類の人達であったのか。
 
「正法滅して後像法の中に於て、増上慢の比丘大勢力あり。」(常不軽菩薩品第二十)

「増上慢」という用語は法華経の中で16回使われており、その対象は一定ではないが、最も多く使われている方便品では6回とも声聞衆を指す。法師品でも声聞衆に対して「増上慢」は使われる。

増上慢と弾呵される声聞衆(法華経成立当時の伝統的部派仏教徒を指すのではないか)は、常々大乗を自称する者達から「小乗」あるいは「不成仏者」等の軽蔑・侮蔑を受けていた。
妙法蓮華経においても、法華経以前の大乗では声聞衆を軽蔑・侮蔑していたことを記している。

「而も昔菩薩の前に於て、声聞の小法を楽う者を毀訾したまえども、然も仏実には大乗を以て教化したまえり。」(信解品第四)

また、この増上慢の四衆はこのようにも言われる

「時に諸の四衆 法に計著せり」(常不軽菩薩品第二十)

「法に計著(執着)する者」というところから、後に『阿毘達磨倶舎論』などを生み出し、「五位七十五法」で75の「実有の法」を特定していった経量部・説一切有部をも連想させる。

以上のことから増上慢の四衆とは「声聞衆」だったと仮定してみる。

通常の大乗の徒でれば、侮蔑を与え、差別し、「不成仏者」と見下す「声聞衆」に対して、後に法華を得る立場の菩薩比丘である常不軽は、この増上慢の四衆に対して「敢て軽慢せず」と宣言する。
その理由は「汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得」からである。

現在の姿は声聞であっても「未来に菩薩道を行じて、仏となる」というフレーズは迹門で授記する時の釈尊の常套句であった。

これに対して増上慢の四衆は「我等是の如き虚妄の授記を用いず」と応ずるが、ここで思い出されるのは、法華経において「授記」を得るのはすべて「声聞衆」のみということである。

このように考えてくると常不軽菩薩の「敢て軽慢せず」には法華経の立場は他の大乗とは違い「声聞衆」を差別しないという宣言であり、常不軽の名も「常に軽んじない」というように理解した方が経の内容からは良いのでないかと思う。

少なくとも、上記の考察のほうが、常不軽菩薩は四衆の‘仏性’を礼拝して授記をしたなどとする解釈より法華経の内容に準じていると思う。しかも‘仏性’に該当する如来蔵的概念は法華経には見あたらない。

また、常不軽は、その前の「法師功徳品第十九」で説かれる六根清浄を体現する実例的菩薩であるが、その行ずるところは迹門に説かれる授記を仏滅後におこなうというものであった。
「常不軽菩薩品第二十」とは、法華経前半の授記のまとめとしての「法師品第十」と次の展開が始まる「見宝塔品第十一」との内容的な断絶を埋める大変に重要な章であると考える。

91犀角独歩:2006/04/23(日) 09:48:20

一字三礼さん

今回はわたしは参加聴講できませんでしたので、残念に思っていた次第です。ご報告、たいへんに参考になりました。有り難うございました。

> …増上慢の四衆とは「声聞衆」だったと仮定してみる。

四衆と比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷ですから、比丘・比丘尼という声聞とその信者である優婆塞・優婆夷ということのほうがよいように思えます。


> 常不軽菩薩の「敢て軽慢せず」には法華経の立場は他の大乗とは違い「声聞衆」を差別しないという宣言
> 法華経の内容…‘仏性’に該当する如来蔵的概念は法華経には見あたらない。

これは素晴らしい卓見であろうと存じます。

> 説かれる授記を仏滅後におこなう

これは具体的に、どの箇所を指すのでしょうか。ご教示いただけませんでしょうか。

92一字三礼:2006/04/23(日) 11:46:40

犀角独歩さん

レスありがとうございます。

こちらの掲示板とは直接の関係はないのですが、別件で常不軽菩薩に関して意見を求められておりました(当然、独歩さんはご存知ですが)。その場で、常不軽菩薩についてこのような論旨で意見を言うのは憚られたものですから、こちらの掲示板に投稿させていただきました。


> 四衆と比丘・比丘尼、優婆塞・優婆夷ですから、比丘・比丘尼という声聞とその信者である優婆塞・優婆夷ということのほうがよいように思えます。

ご指摘の点、まさに仰るとおりです。

> これは具体的に、どの箇所を指すのでしょうか。

本来、「授記」とは仏が次に成仏する菩薩を予言する行為をいうのですが、法華経の「授記」は譬喩品第三から法師品第十までに釈尊が三周の声聞に対して行った未来成仏の予言をいうのだと考えます(今は提婆達多品と勧持品は除きます)。

不軽菩薩の時代は、威音王仏滅後の像法時代なので無仏です。そこで不軽菩薩が、およそ目に入る全ての四衆(声聞とその信者である在家)に対して、迹門での釈尊のごとく、未来成仏を予言していったのではないでしょうか。

「是の無知の比丘、何れの所より来って、自ら我汝を軽しめずと言って、我等が与に『当に作仏することを得べし』と授記する。我等是の如き虚妄の授記を用いずと。」(常不軽菩薩品第二十)

増上慢の四衆も不軽菩薩の行為を「授記」と理解しております。

そこで、具体的にはどの箇所を指すのかと言えば、この有名な24字になると思います。

「我深く汝等を敬う、敢て軽慢せず。所以は何ん、汝等皆菩薩の道を行じて、当に作仏することを得べし。」(常不軽菩薩品第二十)

93顕正居士:2006/04/23(日) 17:16:12
sadāparibhūtaをsadā‐āparibhūtaと解しても、それは逆の常に尊重せられた意味になるはずで、常不軽は
品の趣旨をとった意訳だとおもいます。常に馬鹿にされていた男の方の解釈で書かれたのが宮沢賢治の
『雨ニモマケズ』という有名な詩です。
http://www.ihatov.cc/monument/091_.htm
不軽菩薩も「菩薩比丘」ですから具足戒を受け、釈尊教団に所属した比丘であるが、大乗の教、つまり
菩薩道を行じて作仏することを信じていた。ただし菩薩種姓の者のみ作仏し、声聞種姓の者は阿羅漢の
涅槃に入ってしまうという通常の大乗の教とは違うことを信じていた。そういう設定であるとおもいます。
これは戒律の違反とおもえますが、四衆を択ばず礼拝した、対象は万人です。万人を礼拝したということ
は潜在の仏性を礼拝したわけで、仏性の名はないが、仏性の思想が法華経にあるとする根拠です。
この伝統的解釈に問題はとくにないようにおもうのですが。

94一字三礼:2006/04/23(日) 19:05:24

犀角独歩さん

4月21日の小松先生のご遺文講義は、基本的には「平成新修日蓮聖人遺文集」のP214〜P220(開目抄)まででしたが、引用され

たご遺文は「観心本尊抄」の四十五字法体段や「報恩抄」の本門の戒壇など、その他天台の「法華文句」「法華玄義」、妙楽の「五百問論

」なども盛り込まれ、多岐に亘った濃密な講義となりました。

1、三妙論についての天台と日蓮の理解の違いについて。

 「法華玄義」の五玄の説明で、天台の見解は

  本因妙「我本行菩薩道・・・」
  本果妙「我成仏以来・・・・」
  本国土「我常在此・・・・・」

 この三つの「我」を天台は釈迦と解釈し、日蓮は「九界に備わる仏界」(開目抄によれば)と理解した。

2、日蓮は真言の法脈に「善無畏」を数えるが、この善無畏三蔵は、「台密」系の法脈でもなお傍系に連なるものであった。
 また、日蓮の真言批判で言われるのが「理同事勝」のみだが、台密では、この他にも「理同事異」「理同事別」等の見解があった。

私が理解できて、書き取ることができた箇所は少ないのです。

しかし、れんさんは優れた理解力とよく整理されたノートをお持ちですので、フォローしてくれるのではないかと期待しております。

後、一つお願いがあります。小松先生が過去の講義で配布されたご遺文の「科段」を、もしも犀角独歩さんがお持ちでしたられんさんと私

の分のコピーをいただきたいです。なにとぞよろしくお願いします。

95一字三礼:2006/04/23(日) 19:06:04

顕正居士さん

レスありがとうございます。

> 常不軽は品の趣旨をとった意訳だとおもいます。

ご教示ありがとうございます。

> 四衆を択ばず礼拝した、対象は万人です。

ここが難しいところです。

「得大勢、何の因縁を以てか常不軽と名くる。是の比丘凡そ見る所ある若しは比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷を皆悉く礼拝讃歎して」
「乃至遠く四衆を見ても、亦復故らに往いて礼拝讃歎して」
「時に諸の四衆 法に計著せり 不軽菩薩 其の所に往き到って」

漢訳では明らかに「四衆」に限られ、「広く人のため」教えを説くのは六根清浄を得た後です。

「この求法者は僧でありながらも教えを説くことなく、経文をとなえることなく、会う人ごとに、たとえその人が遠くにいても、彼は誰に

でも近づいて、このように声をかけ、相手が誰であれ、このように言うのであった。」
「この偉大な志を持つ求法者は相手が誰であれ、誰にでもこのように声をかけたのである。」

梵文の長行では対象は万人に読めますが、詩偈ではやはり「四衆」に限るように読めます。

「そのとき、サダー=パリブータという僧の求法者がいた。そのとき、彼は邪見を信ずる他の僧や尼僧に近づき」
「そのとき邪教を信じていた僧・尼僧あるいは男の信者を、またその場合、女の信者に至るまで、すべて「さとり」に達しうると、かの賢

 者は宣言した。」

> 万人を礼拝したということは潜在の仏性を礼拝したわけで、仏性の名はないが、仏性の思想が法華経にあるとする根拠です。

礼拝の後、不軽菩薩は「授記」をしたわけですが、「授記」を得られる対象は最低でも菩提心を必要とするのではないでしょうか。
宗学的な言い方をすれば、名字即でなけれまならない、理即では不可。

「薬王、汝是の大衆の中の無量の諸天・龍王・夜叉・乾闥婆・阿修羅・迦楼羅・緊那羅・摩・羅伽・人と非人と及び比丘・比丘尼・優婆塞

 ・優婆夷の声聞を求むる者・辟支仏を求むる者・仏道を求むる者を見るや。是の如き等類、減く仏前に於て妙法華経の一偈一句を聞いて

 、乃至一念も随喜せん者は我皆記を与え授く。当に阿耨多羅三藐三菩提を得べし。」(法師品第十)
「又如来の滅度の後に、若し人あって妙法華経の乃至一偈・一句を聞いて一念も随喜せん者には、我亦阿耨多羅三藐三菩提の記を与え授く

 。」(法師品第十)

’仏性’というものを想定した場合は、法華経での「授記」の原則が崩れてしまうように思います。

96顕正居士:2006/04/23(日) 21:42:52
「比丘凡有所見。若比丘比丘尼優婆塞優婆夷。皆悉禮拜讚歎」
(此の比丘凡そ見る所ある、若しは比丘、比丘尼、優婆塞、優婆夷、皆悉く礼拝讃歎す)

見かけたあらゆる人を四衆を問わずとあります。四衆を問わず、つまり誰でもの意味になります。

>’仏性’というものを想定した場合は、法華経での「授記」の原則が崩れてしまうように思います。
仏性とは仏になり得る可能性ですから、無仏性の衆生に授記することはあり得ない。だから
万人に授記するということは、つまり悉有仏性の思想です。
文句記に「法華論云 此菩薩知 衆生有佛性 不敢輕之」とあります。

>「授記」を得られる対象は最低でも菩提心を必要とするのではないでしょうか。
上慢の四衆に授記する理由を、法華論は「方便して菩提心を発さしめん故」とし、
文句記は「上慢すら尚ほ遠因を成ず」(いわゆる而強毒之)と釈しています。

97犀角独歩:2006/04/24(月) 04:46:42

一字三礼さん

有り難うございました。
顕正居士さんのご投稿と併せ、興味深く拝読しております。
引き続きよろしくお願い申し上げます。

小松先生のコピーの件、了解しました。

98一字三礼:2006/04/24(月) 13:51:25

> 万人に授記するということは、つまり悉有仏性の思想です。

申し上げるまでもなく、悉有仏性の典拠は「悉く仏性有り、如来は常住にして変易あることなし」(涅槃経・師子吼菩薩品)です。
天台教学では、五時判でも明らかなように、法華と涅槃を一緒に考える傾向にあります。
たしかに涅槃経は、如来蔵経典として法華経系統に属すとされますが、法華経よりもかなり遅れて成立した大乗経典である上、折伏思想等、涅槃経には特異な傾向もあり、内容としては法華経とはかなり異なります。

この為、法華経の内容に涅槃経を出自とする「仏性」ないしは「悉有仏性」をあてるには抵抗があります。

仰るような「仏性」「悉有仏性」に近い概念を法華経から探すとすれば、「法華経」自身がそれにあたるのではないかと思います。

ただ、大きな違いは、「仏性(仏になり得る可能性)」、「悉有仏性」と言った場合に、成仏の可能性を潜在的に秘めるのは衆生の側になります。これは一切衆生に平等な法性という考え方を、成仏の可能性として方向付けたものでしょう。

それに対して法華経では、衆生の成仏を決定付けるのは「法華経」の側にあります。「法華経」は、仏から与えられる最終極説であり、それは諸仏秘要の蔵とも言われ、菩薩も声聞も「法華経」を聞かなければ、成仏できません。

「薬王、多く人あって在家・出家の菩薩の道を行ぜんに、若し是の法華経を見聞し読誦し書持し供養すること得ること能わずんば、当に知るべし、是の人は未だ善く菩薩の道を行ぜざるなり。」(法師品第十)

「法華経」に出会うか、出会わないかで成仏・不成仏が決定するという内容から、「法華経」独特の強烈な経典信仰を生んだのではないでしょうか。

99犀角独歩:2006/04/24(月) 22:30:55

顕正居士さんのご教示に異論を挙げる気持ちは毛頭ありませんが、「悉有仏性」であれば、仏種を下種をする理由というのは、まったくないことになりますが、この点は、どのように会通されるのでしょうか。

本未有善という場合、‘善’は、やはり、仏性と解されて然るべきですが、この点も併せて、ご教示をいただければ有り難く存じます。

100顕正居士:2006/04/25(火) 01:45:51
>>99
悉有仏性も三種教相も天台大師の思想ですから、矛盾するはずがありません。とりあえず、法華文句の
釈不軽品の文を考えて見ます。

不輕之解者法華論云。此菩薩知衆生有佛性不敢輕之。佛性有五。正因佛性通亘本當。縁了佛性種子
本有非適今也。果性果果性定當得之。決不虚也。是名不輕之解。

不輕の解とは法華論に云く。此の菩薩、衆生に佛性有ることを知つて敢へて之を輕しめずと。佛性に五有り。
正因の佛性は通じて本と當とに亘る。縁と了との佛性の種子は本有にして適今に非ざる也。果性と果果性
とは定んで當に之を得べし。決して虚ならざる也。是を不輕の解と名く。

不軽が何を理解していたのかというと、世親の法華論にいう。この菩薩は衆生に仏性が有ることを知って、
何人をも軽視しなかった。仏性には五つある。正因仏性は本より有るものだが、また実現するものでもある。
縁因仏性と了因仏性とは本より有るもので、今、実現するものではない。果性(菩提)と果果性(涅槃)とは
まさしく今、実現するものであると。まことにその通りである。これが不軽菩薩の理解である。

正因仏性とは真如、法身それ自体で、衆生は本よりこれを体としている、それを自覚するのが仏果である。
ゆえに縁、了の仏性は本有の種子である。衆生には智慧のはたらきが本より有るがゆえに、本来成仏を
悟ることができる。ただしそれは仏説などを聴聞して形成せられる新熏の種子を機縁として実現されます。
「新熏成ずるに對し、修して得るを以ての故に」(文句記)。

101犀角独歩:2006/04/25(火) 09:59:40

顕正居士さん、有り難うございます。
仰る台学からのご賢察、尤もであると存じます。

一字三礼さんがご投稿になったところは、台学の範疇からではなく、それ以前の法華経制作者の意図についてのことであると、こちらも、同じ松山師を受講するものとして、了解いたしております。

故に、やや土台としているところ異なっているところから議論となっていないとお見受けしております。

また、そこでわたしが持ち出した「下種」ということもまた、さらにややこしくしてしまったのかも知れません。

わたしの石山の学びでは、本未有善の荒凡夫は仏種がない、故に、これを植えるのが下種・本因の仏法であるという、きわめて雑駁に言えば、そのようなことであったわけです。では、先のわたしの質問は、この仏の種とは何かといえば、これが仏性、やや間口を広げれば如来蔵なんだというような考えも生じることになる、また、仏種とは本未有善の善のことでもあるのかということも言えることになるのだろうかというのが趣旨でした。そうなれば、仏性というのは、本来、衆生に具わっているものではなく、仏によって植えられない限り、衆生は持っていないものということになります。しかし、こうなると、台学の所謂、一念三千とも齟齬を来すことになります。

この点を、顕正居士さんは、正因・縁因・了因の三仏性からご説明くだされ、また、下種についても新薫種子機縁をもって、明快な説明をくださったわけでした。

このような台学の解釈は、6世紀頃に成立したことになります。
一方、一字三礼さんは、それより遡ること500年、初期大乗経典創作の現場で、天台よりも更に500年も古い当時の人々は、では、この仏性ということを意識していたのか否か、そもそもその時代に仏性論があったのかという疑義を展開されているのではないかと拝察します。

これはまた、内輪の話で申し上げれば、松山師の福神における法華経講義の内容を受けたことであり、さらに小松邦彰師の遺文講義が開目抄に係っていることとも深い関係にあると思います。

わたしの現時点における愚案では、法華経創作当時、礼拝行という素朴な不怒・忍耐の行がまずあり、その徹底が原型であったのではないのか、その時点で、仏性といった教学的な態度は、まだ生じていなかった。その後、数百年を経て、誰しも仏になれることを説かれることが一般化するにつれ、では、何故、成仏できるのか、それは本来、衆生の心には仏が具わっているからだというようなことが教義化され、ついには、台学の展開にも至った、その後、日本に伝わったこれらの教えから、不軽礼拝は、仏性礼拝であるという、2000年前、法華経が創作した当時の人々が思いもしなかった解釈が定着していったのではないのか。まあ、思索過程ですが、そのように思っています。

102犀角独歩:2006/05/02(火) 10:04:05

昨日、定例の松山俊太郎師『法華経講義』が開催されました。
この内容は、追ってご紹介させていただこうと思いますが、ご参加の一字三礼さんのご見識には改めて感心させられました。

今回は、ようやくと方便品第二に入ったのですが、ここで松山師がもっとも注目されているのは、「慧日大聖尊」(岩波文庫『法華経』上P78-L8)という羅什の訳でした。この原語は naraditya で、岩本訳では単に「人間の太陽(仏)」(同P79-L3)となっています。それを何故、これほど荘厳に訳したのか、というのが松山師の疑義でした。

これを受けて一字三礼さんが仰ったのは、ここで三請のはじめで、このあとの2回も「〜尊」という敬称を以て韻を踏んでいるのではないのかというご指摘でした。


すなわち、次が「法王無上尊」(同P82-L8)、その次が無上両足尊(同P84-L9)です。

妙法華…………正法華……岩本訳
慧日大聖尊……慧聖大尊…人間の太陽
法王無上尊……人中王……仏たちの最上の方
無上両足尊……仏…………仏よ

松山師も「なるほど」と頷かれていました。

もう1点。方便品における開示悟入は、四聖諦の苦集滅道に対応するのではないかというのが一字三礼さんご見解でした。

開・示・悟・入
苦・集・滅・道

この開示悟入につき、わたしが‘悟り’が‘入る’前にある点が面白いと一字三礼さんに話すと、「ええ、その点も四聖諦と一緒だと思うんです。滅が道の前にありますから」。なるほどと思った次第。

わたしが方便品で羅什訳、というより、訓読で気になるのは、十如是はさておいて、「世雄不可量」(同P70-L1)です。ここは一般に「世雄は量るべからず」と訓読されるわけですが、この理解は一般に、世雄のご威徳、悟られるところは量りがたいといったニュアンスでとらえられてきたと思います。しかし、わたしは、これはおかしいと思うわけです。ここで意味するところは仏の数は無量であり、その一切の仏を知ることは難しいということではないのかというのが、わたしの疑問でした。

該当する岩本訳は「偉大なる勇士(仏)は無量である」(同P71-L1)となっています。この該当梵文を松山師にご覧いただき、どちらの意であるかを判定していただきました。結果、やはり、原文は仏の数の無量をいうものであるとのことでした。

これを受けて一字三礼さんと話したことは

方便品は、冒頭より「百千万億無数諸仏」で始まり、「世雄不可量」「本従無数仏」という、無数の仏を想定していることによって構成されている

また、松山師の分類に依れば、第1期で成立した法華経の原典は方便品第2(Upayakausalya)から化城喩品を除く法師品第10(Dharmabhanaka)である
この法師品の結論部分は、まさに「若親近法師 速得菩薩道 随順是師学 得見恒沙仏」である

すなわち、一貫して無数仏を想定して構成された物語であるということです。
ところが、これが寿量品になると、六惑示現といったことで一仏に統一されていくというまったく違う構成になっているわけです。

一字三礼さん曰く「方便品の作者は、寿量品であんな展開とな流なんて、夢にも思わなかったのではないでしょうか」、尤もなご意見であると思った次第です。

いわば、方便品と寿量品とはまったく違う物語なのであって、しかし、天台はこれを本迹に大きな区別をつけることなく論じるところを、日蓮は本門思想を強調することになります。故に松山師は「日蓮はすごい」というわけでした。

いつもながら、実に勉強になった一夜でした。

103犀角独歩:2006/05/02(火) 10:10:39

【102の訂正】

誤)寿量品であんな展開とな流なんて
正)寿量品であんな展開となるなんて

104一字三礼:2006/05/02(火) 22:28:54

松山先生「法華経講義」の感想

犀角独歩さんは、「褒めて伸ばす」という教育方針とお見受けしました(笑)。

法華経の解釈では、法雲の時代から二部立てで考えるのは常でした。

因門と果門、迹門と本門、二乗作仏と久遠実成などがそうですが、それでも無意識の内に法華経をまとまった一経であり、迹門と本門の違いは浅きから深きに入らせる説法の儀軌だ、思い込んでいました。

ところが、松山先生は「法師品は一経を完結させるに足る構成を持っている」と明確に分析されました。
実は法華経は、違う内容を持った2つの教えを巧く繋げようともせずに、一つの経としてまとめてしまったというものでした。

また、先生は「後半部(見宝塔品から嘱累品まで)は、前半部とは比較にならないくらい高度な内容を持っている」との見解も示されております。

こちらの講座の素晴らしいところは、私のような素人が的外れな事を言っても、言下に否定せずに真面目に聞いてくださる松山先生のご人格に負う部分も多いと感じております。

犀角独歩さんが「世雄不可量」からの重要なご指摘をされた時には、すでに講義終了予定時間の6時になっておりましたが、興味津々な松山先生は、独歩さんの隣に席を移し、梵文の法華経を開きながら、お2人で法華経談義を続けられました。

福神の渋澤さんが、場所を移す提案をされたのは、すでに7時半をまわってからでした。
それから蕎麦屋に場所を移して10時まで、非常に濃密な時間を過ごすことができました。

105顕正居士:2006/05/03(水) 02:57:41
独歩さんのおっしゃるように、

方便品の最初の偈の始め、仏の二智を歎ずるところ
aprameyā mahāvīrā loke samarumānuṣe /
na śakyaṃ sarvaśo jñātuṃ sarvasattvair vināyakāḥ //1// 
balā vimokṣāś ca ye teṣāṃ vaiśāradyāś ca yādṛśāḥ /
yādṛśā buddhadharmāś ca na śakyaṃ jñātuṃ kenacit //2// 
什訳
世雄不可量/諸天及世人 /一切衆生類/無能知佛者
佛力無所畏/解脱諸三昧 /及佛諸餘法/無能測量者
は、
人天の世界には無量の世雄があって、
いかなる衆生も一切の導師を知ることができない。
彼らの力と解脱と経験知と個性と
彼らの教法の特性とを誰人も知ることができない。

の意味のようですね。仏の数が無量だから知ることができないと。

106犀角独歩:2006/05/03(水) 07:49:03

顕正居士さん

「世雄不可量」は、世雄の数が量り知れないこと、しかし、続く詩は、「所不能知」と同等の意味であるということですね。つまり、二句を併せれば、最初は無数の仏の数は量り知れない、さらにそれ故、その教法と特性も知ることは出来ないということなのですね。
梵本翻訳からのご教示、深く感謝申し上げます。


一字三礼さん

昨晩、ご投稿を拝読して、床に着いたせいか、寝ながら夢のなかで考えていました。

松山師は容易に結論をお述べにならないわけですが、最初に成立した方便品 Upayakausalya から 法師品 Dharmabhanaka の第一グループの法華経は、さらに詩偈の部分が先に成立したと見、ここでは Saddharma-pundarika ではなく、Agraddharma であったのではないのかという思索が窺えますね。

しかも、Saddharma-pundarika の題名のアイディアは、見宝塔品 Stupasamdarsana において、釈尊を白蓮 pundarika 多宝を紅蓮 padma の白紅一対の蓮が並び咲いた様が、その元になっていると言いたげと感じましたが、これはわたしの飛躍かも知れません。

ともかくも、第一グループでは、無数仏が想定され、無数仏の覚る智慧は、仏以外には決してわからないことで、故にその無数仏と会えるようになることを修行者の目標とするという想定もそこにあるというわけです。その目標は信解と訳されてしまう Adhimukti の本来の意味である志向、向上心という形で経典内で進めていると見ているように思えました。

また師は、この第一グループの法華経では、菩薩 Bodhi-sattva と対比する形で、むしろ法師 Dharmabhanaka を指向しているという形になっているというわけです。

以上の講説を聴聞して、あとに成立する寿量品 Thatagatayus-pramana を中心とする一仏思想を中心にする創作者は、この第一グループの法華経を知らずに別にこれをまとめたのか?という思いがあったのです。しかし、Dharmabhanaka の意味するところは法を説くというところにあるわけで、このような理想的な修行者は、後半では、漢訳で言えば、法師、不軽、そして、神力品の地涌菩薩という形で嘆じられていくわけです。無数仏に対して釈迦一仏、そこで一貫しているのは見仏です。第一グループの理想的修行者・法師は、地涌菩薩に置き換えられて理想化されています。ここに対比と進化が見られるわけで、となれば、後の創作者は第一グループの章集を知っていた、知っていたうえで、それを土台として、新たな創作を加えたのではないのかと新たな思いが生じました。

それにしても、羅什は、この神力品 Thatagataddy-abhisamskara の最尾で地涌菩薩を賛嘆する偈で「斯人行世間…是人於仏道 決定無有疑」と、菩薩を‘人’とすることには驚かされます。差詰め、学会であれば「人間主義」「ヒューマニズムの法華経」とでもやり出しそうな訳出です。菩薩から法師、法師から菩薩、その菩薩をして人と展開させた羅什の巧みさには今さらながら舌を巻きます。

もう一点。以上のことから脱線するのですが、一字三礼さんが多宝仏を、死んだところから始まる仏であることに着目されていることは、特記に値します。
あの場でお話しましたが、この段を「ミイラである多宝仏」と言った訳で説明した本に出くわしたことがあります。松山と3人でお話しているときは、直ちに思いつかなかったのですが、ミイラといえば、エジプトですが、彼の地ではミイラ崇拝というのはあったのでしょうか。ピラミッドがミイラを祀る建造物であるかどうか断定はもちろんできませんが、多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝が伝わり、インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となったなどという筋であったらこれは面白いと勝手な想像を膨らませました。もちろん、まったくの想像…、いや、まさに脱線に過ぎませんが。


【102の訂正】 誤:六惑示現/正:六或示現

107一字三礼:2006/05/03(水) 21:01:06
多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝が伝わり、インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となったなどという筋であったらこれは面白いと勝手な想像を膨らませました。

108一字三礼:2006/05/03(水) 21:03:18
すいません。107は投稿ミスです。

犀角独歩さん

> Saddharma-pundarika ではなく、Agraddharma であったのではないのかという思索

前半部では、一般的な意味として最高の法Agraddharmaなので説法場所にはさほど重要な意味を持ちませんが、後半部では奉ずる法門がSaddharma-pundarikaに換わるので、場所はGrdhrakutaでなければならなくなる、ということも仰っておりましたね。

> Saddharma-pundarika の題名のアイディアは、、、、これはわたしの飛躍かもしれません。

私も同様に受け取っております。
ただ、私は白(釈尊)紅(多宝)一対の蓮、天空と大地等の対比だけではないのではないかと推測しております。

その理由は、独歩さんもご紹介くださった多宝如来の特殊性にあります。

「其の仏本菩薩の道を行ぜし時、大誓願を作したまわく、若し我成仏して滅度の後、十方の国土に於て法華経を説く処あらば、我が塔廟是の経を聴かんが為の故に、其の前に涌現して、為に証明と作って、讃めて善哉といわん。」(見宝塔品第十一)

誓願・本願と言えば薬師如来の十二願、阿弥陀如来の四十八願等が代表的ですが、これらの仏の誓願の内容は、成道時に為すべきことであったり、その誓願が果たせなければ成道はしない、という類のもので方便品での釈尊の誓願もまた同様に成仏の時に誓願・本願が成就される(された)とするものです。
ところが多宝如来の誓願は、「滅度の後」に果たすというものでした。
在世中の事績をまったく残さない多宝如来は「滅度の後」に、その誓願の通りに続けているという設定です。

しかし、これは仏法上のタブーに抵触するものです。

「生まれた者達は、死を逃れる道がない。老いに達して、死ぬ。実に生ある者達の定めはこのとおりである。」(スッタニパータ)

多宝如来は、誓願を立てて、仏身を得、それを成就していることから、後の三身説に当て嵌めれば「報身」と言えるでしょう。すでに滅度していますのでこの後に再び滅度することも考えられない。これらのことから、阿弥陀如来とは異なり本当の「有始無終」の仏といえるでしょう。
このように特殊な仏格を有する仏は他経にもいないのではないでしょうか。

この特殊な仏格は、本門釈尊・本門法華経に対応するためのロジックでしょう。私は、本門釈尊・本門法華経も伝統的解釈以外に、実はもっと深い意味があるのではないか、と期待しております。

> 多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝が伝わり、インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となったなどという筋であったらこれは面白いと勝手な想像を膨らませました。

大変興味深い推論です。
それこそ松山師に話されれば、全講義日程がもう50年くらい延びるかもしれませんよ。

109犀角独歩:2006/05/04(木) 11:14:21

一字三礼さん

> Saddharma-pundarikaに換わるので、場所はGrdhrakutaでなければならなくなる、ということも仰っておりましたね。

そうでした。未だ講義部分には入ってきませんが、Thatagatayus-pramana を中心とするグループでは、三つの信仰要素と、一つの修行要素によって構成されているように思えます。すなわち、久遠成道の仏、聖典信仰、宝塔。そして、経典弘経。

また、創作者の様子は、たぶん、突然地面からわき出したとする地涌菩薩に投影されているのだと思えます。ある時、突然、自分たちの聖典を弘教しようとした集団があった。彼らは、仏はインドに500年(あるいは50年前)に現れ滅度したのではなく、実は思惟もできない遙か過去に仏になっており、その仏には最初に弟子にした菩薩の集団があった。その菩薩に滅後の弘教を託した。わたしたち(創作者とその実践者)は、その特命の基づいていま弘教している…。

>…多宝如来は「滅度の後」に、その誓願の通りに続けているという設定です。

この点は一字三礼さんにご指摘いただくまで、気が付いていませんでした。
たしかにタブーに抵触しているわけですが、このような点から、また、外から摂取された可能性も裏付けられるのだろうと思えました。

> 多宝如来…後の三身説に当て嵌めれば「報身」

初期大乗経典である法華経は、三身説を意識されて創作されていないわけで、この点を言うと、もっとも天台教学から読む人々から抵抗に遭うところですね。わたしは、もちろん、三身説によっているはずがないと考えています。ただし、この法華経における「非滅現滅」という仏の描写は、その後の法身の様態に少なからぬ、影響を与えたのではないかと考えています。つまり、三身説に基づいて法華経が書かれたのではなく、法華経の描写が三身説にアイディアを与えたという時系列です。

台学の三身説では、釈迦:阿弥陀:毘盧遮那=応身:報身:法身に宛てる等が見られた記憶しますが、しかし、法華経の原文から見ると釈迦:多宝:経典(蓮華法)が、三身論という既定概念から見ると、配当されているのではないのかとすら思えてしまいます。故に仰るところは、わたしなりにもそう思えます。

釈迦・多宝の二仏というのは、その後教学的解釈はさておいて、創作者の意図として、仰るような、白蓮と紅蓮、天(太陽)と大地、男と女、明と暗、生と死といったセット化した対概念を予想したものであると感じます。もちろん、多宝如来が女性かといえば、これは仏教ですから、そうはなりませんが、そのモチーフとしたところは大地母神という女性原理であったということです。

110犀角独歩:2006/05/04(木) 11:14:51

―109からつづく―

関連するかどうかわかりませんが、このような二対の崇拝者が並び立つ様というのは、わたしはシヴァ神とウマー神妃の二立(Uma and shiva)を彷彿とさせます。もう昨年のことになりましたがアンコールワット展で、この像を見ました。これは10世紀ごろのものでしたが、このような二像の並立は、日本では道祖神などでみられますね。これは二仏並座からではなく、男女の性的シンボル化の延長にあり、一説では真言立川流の影響であるという人もいました。その是非はわたしにはわかりませんが、仮にこれが真言の影響であるとき、その密教的要素はヒンドゥの諸神の摂取にあることになります。

また、多宝のように教説する場に突然、現れるモチーフは、たとえば観音とも共通するように思えます。観音は両性具有の特徴を有し、母神から観音、観音から多宝と見ると、女性原理が男性原理へと置換されていったごとくで、「変成男子」のごとくでもあります。

けれど、一字三礼さんがご指摘されるとおり、死後の誓いを果たすという側面はしかしこれでは説明がつきません。

この解明は教学的なアプローチばかりではなく、Saddharma-pundarika の創作当時の、その創作者たちが看過できない信仰様態を摂取したものから探るのも一考ではないかとも思えます。

>> 多宝仏はピラミッドのミイラ崇拝…インドの大地母神と習合し、さらにメソポタミア起源であろうハス崇敬とも習合して、宝塔品となった
>…松山師に話されれば、全講義日程がもう50年くらい延びる

50年(笑)
これは、延びてしまうと、福神の予定をさらに遅延させるばかりではなく、松山師は今の段階でも全編講義は50年以上かかるペースで、さらに日本全体が法華経の真の意味を理解するのに100年、世界にそれが伝わるのが100年というわけで、まるでご本人の寿命が意識されておらず、まことに寿量に相通じる様が、さらに輪をかけることになりますね。

あの講義のあと、考えていたのですが、宝塔信仰という側面は、しかし、よく考え直すと、この塔は多宝塔、もっと正確にいうと多宝如来の塔なのですね。塔の中に招き入れられる釈迦はあくまで客仏のわけです。塔の主人はあくまで、多宝如来です。

そうなると、多宝塔信仰というのは、釈迦がお客さんで一時招き入れられた塔を拝む信仰ということになるわけです。これはしかし、実に奇妙な信仰様態であると思えます。

この点もついでながら、松山師に投げかけると、もう数十年、講義予定を延ばすことになりますか(笑)

111犀角独歩:2006/05/04(木) 17:54:50

自己レスです。109に

> 三つの信仰要素…久遠成道の仏、聖典信仰、宝塔。

一つ欠きました。一字三礼さんがご指摘になった Grdhrakuta を特別の浄土にしたのは、Saddharma-pundarika の特徴でした。加えておきます。

112犀角独歩:2006/05/12(金) 14:41:12

一字三礼さん
れんさん

どうにも苦手なのですが、松山先生の講義を拝聴していくうえで、覚え書き程度、簡略の梵/漢/和対照表を少しずつ作ろうと思います。
ご意見、ご批正をいただければ、有り難く存じます。
以下、雛形です。青字は品(章)名です。

http://www.geocities.jp/saikakudoppo/siryoshu/sanskrit.htm

113犀角独歩:2006/05/12(金) 15:17:31

顕正居士さん

以上の対照表その他の作成に就き、貴サイトのリンク先を参考にさせていただきました。
謹んで御礼申し上げます。
今後ともご教示を賜れれば有り難く存じます。

114一字三礼:2006/05/20(土) 20:30:02

顕正居士さん

提婆達多品第十二の龍女の詩偈の梵文についてご教示ください。

「深く罪福の相を達して 遍く十方を照したもう 微妙の浄き法身 相を具せること三十二 八十種好を以て 用って法身を荘厳せり 天人の戴仰する所 龍神も咸く恭敬す 一切衆生の類 宗奉せざる者なし 又聞いて菩提を成ずること 唯仏のみ当に証知したもうべし 我大乗の教を闡いて 苦の衆生を度脱せん」

上記詩偈は、鳩摩羅什訳ではありませんが、‘法身’語が2回使われます。梵文法華の該当部分には‘法身’語はないように見えますが、確信が持てません。あるいは、‘dharmaṃ ’は‘法身’と訳せるのでしょうか。

お教えいただければ幸いです。

115顕正居士:2006/05/21(日) 00:33:20
深達罪福相 遍照於十方 微妙淨法身 具相三十二 の原文は

puṇyaṁ puṇyaṁ gabhīraṁ ca diśaḥ sphurati sarvaśaḥ|
sūkṣmaṁ śarīraṁ dvātriṁśallakṣaṇaiḥ samalaṁkṛtam||49||

甚だ清浄な微妙の身体は三十二の相で装飾され、十方に光り輝く。

śarīraはふつうに身体の意味です。骨、骨格の意味もあります(舎利)。
法身は意訳ですね。次の法身は字数を揃えただけです。

116顕正居士:2006/05/21(日) 00:50:29
gabhīraṁを訳し忘れました。

甚だ清浄にして測りがたく微妙の身体は三十二の相で装飾され、十方に光り輝く。

深達罪福相 は字数を揃えるための意訳か、テキストが少し違っていたかでしょう。

117犀角独歩:2006/05/21(日) 08:38:30

いつもながら、一字三礼さんの問題意識の高さには驚かされます。
添品法華と正法華も当たってみました。

添品法華では、3箇所「法身」語の使用がありました。

2箇所は妙法華と同様で踏襲しているのでしょう。(ただし、見宝塔品第11の所載であり、ここで品は二分していません)

もう1箇所は

「彼見大智者 法身無餘殘 無有於三乘 一乘此中有」(添品妙法蓮華経藥草喩品第5)

妙法華にない部分の漢訳の部分です。岩本訳を見ると

「偉大な理智の持主であって、教えの本体を残らず見て、三種の乗り物は決して、この世には唯ひとつの乗り物があると知る」(上P299)

教えの本体を法身としているようです。梵本で補完していただければと存じます。

正法華では2箇所の使用があります。

「堅固成就平等法身 猶如大雨」(正法華經藥草品第5)
「得如意珠謂獲如來無極法身 衆又隨從取如意珠」(同授五百弟子決品第8)

三身説でいわれる「法身」は dharmakāya でしょうから、たぶん、漢訳としての法身が竺訳などで先行して、のちに三身説で固定されるという経緯があったのだろうと考えます。となれば、妙法華で使用される「法身」も三身のそれではないのだろうとも考えます。

顕正居士さんにはいつもながらのご教示、ロムさせていただき、たいへんに参考になりました。一字三礼さんに先立ち恐縮ですが、御礼申し上げます。

なお、ご投稿の梵文はたぶん Arial Unicode MS FONT を活用されてのことであろうと存じますが、わたしは、このフォントをダウンロードしていないために一部、表記されません。たぶん、同様の状態となっているロムの方々もいらっしゃるだろうと思います。マイクロソフトは、この無償ダウンロードを中止してしまったのは、至極残念なことです。

118犀角独歩:2006/05/21(日) 08:48:20

一つ書き忘れました。

天台、もしくは日蓮においては、妙法華は三身(もしくは文句では三即一、日蓮はこれを注法華経のみで写す)を説くとするわけですが、一字三礼さんの問題意識は、「法身」語は妙法華では、羅什の訳に係らない見宝塔品から切り出された提婆品のみにしかなく、さらに顕正居士さんが翻訳でご教示くださったとおり、該当する梵原本からは「法身」に当たることもみられない、要は法華には「法身」説は、もとよりないのではないかという点に、その主眼があると拝させていただきました。

初期大乗経典である法華経は是の如くであるというのは、至当な分析であろうと存じます。法華経における法と覚、道といっても善いのかも知れませんが、これら漢訳は多くの問題を孕むわけで、これを天台のドグマから、即断すれば、法華経が元来、説いたことは見られなくなるというのは、松山師の一貫した主張でもあります。

119一字三礼:2006/05/21(日) 11:28:22
顕正居士さん

ご教示ありがとうございます。

NGワードがあるということで、書き込みができませんので、とり急ぎお礼申し上げます。

120一字三礼:2006/05/21(日) 11:29:12

犀角独歩さん

独歩さん、また面白いものがみえてきましたね。

添品法華と正法華では、薬草喩品に’法身’が使われるのですね。

ただ、岩本師の訳で’法身’とはされていないのであれば、やはり’法身’は意訳でしょうか。

> 要は法華には「法身」説は、もとよりないのではないか

お察しの通りです。

法華経は、大乗経典の中では最古に近い、八千頌般若よりも古い(素朴)な用語(菩薩観など)がかなりあると思うのです。

121犀角独歩:2006/05/21(日) 19:47:27

一字三礼さん

内輪話のようになってしまいますが、過日の松山先生のお話は面白かったですね。先生も一字三礼さんに大いに刺激を受けていらっしゃいます。

わたしの当面の興味は極楽・阿弥陀仏と法華経の関係です。
先生の仮説のとおり、法華経が八千頌般若の次の大乗経典であるとしたら、この極楽・阿弥陀仏が法華教典中に見られる以上、時系列から言えば、法華経を母体とした可能性があることになります、もちろん、後付の可能性も十分にありますが。

つまり、第1グループである Agradharmā、つまり、Pūrvayoga を除く、Upāyakauśalya からDarmabhān.akā までで、Amitāyus が出てくるのは Pūrvayoga という点は、やはり、注意が喚起されます。
看過できない‘新興’仏・土を摂取する試みが、Mañjuśrl や、Maitreya、さらには Avalokiteśvara などの摂取・習合と同様の形で試みられたのかは、興味があるのですが、いまのところ、知識がついていきません。


また、安楽というのは、岩本師に依れば、極楽以前に Sukhavati の漢訳語であったといいます…と記ながら、検索をしてみたら、このテーマで、既に2002年4月13日に、一字三礼さんと議論していたんですね。歴史を感じました。
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1014180269/24

4年経っても、わたしは、あまり知識に進歩がないと反省した次第です。

saddharmapund.arīka が無数仏を志向しているものなのか、一仏統一のためなのか、Upāyakauśalya と Tathāgatapūrvamān.a の対比ではどうなのか、この点も興味は尽きないのですが、いずれにしても、松山先生は「序品に10年」というわけですから、先の長い話です。
松山先生の長スローペースと、わたしの無進歩、長くお付き合いいただくことになりそうです(笑)

122一字三礼:2006/05/21(日) 22:56:45
犀角独歩さん

> つまり、第1グループである Agradharmā、つまり、Pūrvayoga を除く、Upāyakauśalya からDarmabhān.akā までで、Amitāyus が出てくるのは Pūrvayoga という点は、やはり、注意が喚起されます。

仰るとおりですね。松山師の法華経前半成立説からは、やはりAmitāyusは後付けの感があります。
松山師のご見解はまだ伺ってはおりませんが、一般的な成立史からは、八千頌般若経よりも般舟三昧経がもっとも早く成立した大乗仏典とされますね。その般舟三昧経に、既に阿弥陀仏とその浄土が説かれておりますので、そういった意味では阿弥陀仏とその浄土は大乗成立時から広く認知されていたと言えるかもしれません。

また、阿閦仏は、阿弥陀仏と共に法華経に登場する仏ですが、「阿閦仏国経」に説くその浄土・歓喜国の様子は、北倶盧州(アーリアの理想郷)の描写と極めて近いところから、理想郷としての浄土としては最も古いのではないか、との説もあります。

しかし、「阿弥陀・極楽」「阿閦・歓喜」の概念成立より後に法華経が成立したとしても、寿量品に説くGrdhrakutaは、極楽、歓喜、蓮華蔵等の浄土描写と比べるとはるかに分量が少なく素朴ですね。
このあたりの関係をどのように捉えればよいのか、私に理解できるまでにも相当の年月がかかりそうです。

123顕正居士:2006/05/22(月) 00:56:53
Romanized Sanskritのフォントについて

Tahomaはラテン文字と点を組み合わせて表示しています。
puṇyaṃ puṇyaṃ gambhīraṃ ca diśaḥ sphurati sarvaśaḥ /
sūkṣmaṃ śarīraṃ dvātriṃśal lakṣaṇaiḥ samalaṃkṛtaṃ //49// 
Arial Unicode MSはほんとうのフォントです。
puṇyaṁ puṇyaṁ gabhīraṁ ca diśaḥ sphurati sarvaśaḥ|
sūkṣmaṁ śarīraṁ dvātriṁśallakṣaṇaiḥ samalaṁkṛtam||49||

日本語専用掲示板ではTahomaフォントは点の位置がずれます。ただしブラウザのフォントをTahomaに
変更すれば正しく見えます。Arial Unicode MSの場合はこれらの字が□になって見えません。ブラウザ
のフォントをArial Unicode MSに変更しても見えません。これはIEのバグらしい。Netscape等では見える。
いずれもメモ帳などにコピーすれば見えます(それぞれのフォントがインストールされていればですが)。
Arial Unicode MSは今は無償でなくなり、Office XPなどを購入する必要があるようです。

124顕正居士:2006/05/22(月) 01:29:42
*Web上の梵文法華経

法華經數位資料庫:「Sd-Kn 梵本法華經」が完本です。特殊文字の表示はTahoma式です。
http://sdp.chibs.edu.tw/
Digital Sanskrit Buddhist Canon:他にも梵文仏典がたくさんあります。Arial Unicode MSです。
http://www.uwest.edu/UWest/sanskritweb/Sutra/roman/Sutra%2036/Sutra36.html

*Web上の梵英辞典です。
Sanskrit, Tamil and Pahlavi Dictionaries  http://webapps.uni-koeln.de/tamil/
モニエル梵英辞典のイメージです。 http://www.ibiblio.org/sripedia/ebooks/mw/
*サンスクリット独習サイト 
まんどぅーかのサンスクリット・ページ  http://www.manduuka.net/sanskrit/index.htm

*寿量品自我偈など
まんどぅーかさんのサイトには方便品(十如是まで)と寿量品自我偈の完全語釈があります。
http://www.manduuka.net/sanskrit/reading/index.htm
寿量品自我偈:わたしのサイトです。標準サンスクリットに翻訳したものを先にあげてあります。
http://www.geocities.jp/xianzhengjp/jigage.html

125犀角独歩:2006/05/22(月) 06:34:50

顕正居士さん

この度は、学習のための種々のご指導、まことに有り難うございました。
とても参考になりました。深く御礼申し上げ、活用させていただく所存です。
無知をさらしてお恥ずかしいのですが、ここで、やや梵本からの議論を続けようと思っております。引き続き、ご笑覧、ご教示を賜れれば有り難く存じます。

Romanized Sanskrit の表記を申し合わせたほうがよいのかもしれません。
この点は、28日のオフ会でも、問答名人さんにもご相談申し上げたいと思っております。


一字三礼さん

> 一般的な成立史…八千頌般若経よりも般舟三昧経がもっとも早く成立した大乗仏典…

先にも示した岩本師の分類では、同経を179年としています。
いずれにしても、この段階で阿弥陀/浄土は記述されているわけですね。教典と言うより、仏・土としては、既に摂取・習合していた感がありますね。

> Grdhrakuta…はるかに分量が少なく素朴

なるほど。さすが鋭い観察です。
この前の松山先生のお話にもありましたが、法華経というのは、全体的にそう言えますね。
それにしても、漢和訳にすると、まるで水墨画のようなイメージになり、殊に日蓮曼荼羅では、墨字漢字一色になったうえ、平面的。衣まで薄墨、鳴り物はせいぜい鈴(りん)太鼓に磬どまり、まるでモノトーンのイメージです。けれど、梵本から見る法華経はそれでも総天然色(古いですねこの表現は)管弦楽団、SFXを駆使といった様相です。映画、それも歌劇物がもっとも盛んなのは、インドだそうですが、梵本の法華経もまた、この印象ですね。
しかし、それでも法華経は、仰るとおり、他教典に比べれば、素朴なわけです。

先行するのが『八千頌般若』であれば、そのテーマは般若、まあ、智慧といったもので、対して、法華経は聖典信仰と菩薩修行がもたらす長寿。さらに般若に対抗するように覚(道)と訳されるところ anuttarasamyaksambodhi を言うわけですが、これがどんなものであるかは、仏しかわからない、だから、菩薩道修行をしよう、未来成仏を約そう(記別)というところですから、他スレでテーマになっているヒンドゥーを摂取して密教化していくようなタントリズムと比すれば、実に、素朴で、‘色気’も薄いと言えることになります。

漢和訳と梵本がモノトーンと総天然色なら、法華経と他経・殊に密教では素朴と壮麗?の対比といった対比感覚は、案外、従来の法華経論議には余り見られない(そう感じるのは、わたしが寡聞であるからに過ぎないのかも知れませんが)ところで、こんな種々の観点からも法華経は見直されてしかるべきだと思うわけです。

これまた他スレ、たとえば本尊スレで論じるべき点かも知れませんが、日蓮の漫荼羅は四角い料紙に二次元的に図示したもので、この仕上がりはまた、モノトーンで静寂。しかし、そのモチーフとなった法華経のドラマは、舞台は三千大千世界をまたにかけて50小劫の時間、高さ500由旬の七宝に飾り立てられた塔に無数の大衆が参集したうえ、大地から出現したこれまた無数の菩薩群がその塔の周りを右繞する、しかも代表の4菩薩は、どうやら東西南北に立っているようで、塔の真正面・真後ろ・左・右の四方に位置するわけです。三次元ならぬ、悠久の四次元構想で仕上がっています。

わたしの知り合いのお坊さんは、「こんだけの舞台設定、こんだけの菩薩がこの大きな塔の周りを回るとすれば、2000年ぐらいじゃ、終わんない。これはまるで、壮大なメリーゴーランドのようなもの…」とイメージして語りました。
もちろん、松山先生と知己の御仁です。

この方が、松山先生に「日蓮のマンダラというのは、どんなもんでしょうか」と質問したところ、一言「オモチャ箱」と答えられたということでした。
このオモチャ箱という意味は、要は日蓮が好きなものを、みんな押し込んで一幅の図にしたから、というほどの意味での比喩だということでした。
「目から鱗が落ちる」という言葉がありますが、什の鱗、台の鱗、さらに日蓮の鱗も落とさないと、法華経の実像は垣間見られない、教義解釈による狭い了見では何も見えないという、信徒門下ではタブーに属する領域に踏み込んで考えようということです。

余談ですが、当掲示板が「身延派に占拠されている」という批判があるそうです。わたしの記すことは、身延・池上でも頭の痛いところだと思いますが(笑)
よろしく、お付き合いください。

126犀角独歩:2006/05/29(月) 22:49:29

一字三礼さん

少しご意見をお聞かせください。
日蓮は不軽品と勧持品を対比的に論じ、自身に当て嵌めるわけです。
さらに日蓮は上行再誕を自認していたかという問題があります。
そうなると、不軽=上行という等式が成り立つことになります。
摂折論とも、関連するところです。

わたしは、どうもこの等式というのが納得できません。
ひとたび、日蓮から離れて法華原文を見るとき、不軽菩薩と上行菩薩は、かなり、違っているという印象をわたしは懐いています。

常に軽蔑され、悪口雑言を浴びせられ、暴力にも遭う。いくら、礼拝しても受け入れられるところはなかったわけです。一方、上行菩薩を代表とする地涌菩薩というものを見れば、端から弥勒が蓮華に譬え称え、そして、その有様は、漢訳で挙げれば

「楽説無窮尽 如風於空中 一切無障碍 於如来滅後 知仏所説経 因縁及次第 随義如実説 如日月光明 能除諸幽冥 斯人行世間 能滅衆生闇 教無量菩薩 畢竟住一乗」

万雷の喝采の中で、何ら障害もなく、説くところは、恰も日月の光明の如く、聞く菩薩は闇を滅して、一仏乗に住するというわけです。不軽が陰であれば、上行は陽という著しいコントラストで描かれています。

日蓮の自覚はさておいて、この二菩薩、その性質、また、境遇というか、何一つ、似通っているところはありません。なにより、法華経から読む限り、地涌菩薩が難に遭うなどという予言はないわけです。

不軽と上行は著しく相違している、わたしにはそう思えます。
一字三礼さんは、どのようにお考えになりますか。

127一字三礼:2006/05/30(火) 10:34:30
犀角独歩さん

難しい問題ですね。
拙いものですが、私の考えを少し述べさせていただきます。

> 不軽=上行という等式が成り立つことになります。

如来寿量品からの流れをみますと、分別‘功徳’品、随喜‘功徳’品、法師‘功徳’品と仏寿と法華経の‘功徳’について説く品(章)が続き、如来神力品、嘱累品という経の付嘱を説く2品の前に不軽品が入る形になっております。
その内容と構成から、「常不軽品第二十」は、法華経前半部(序品から法師品まで)と法華経後半部(見宝塔品から嘱累品まで)とを繋ぎ、嘱累品で法華経全体を統一的に締めくくるための役割があると考えます。
不軽品はこのような長行から始まります。

「爾の時に仏、得大勢菩薩摩訶薩に告げたまわく、汝今当に知るべし、若し比丘・比丘尼・優婆塞・優婆夷の法華経を持たん者を、若し悪口・罵詈・誹謗することあらば、大なる罪報を獲んこと前に説く所の如し。」

この「若し悪口・罵詈・誹謗することあらば、大なる罪報を獲んこと前に説く所の如し。」の‘前に説く所’とは、実は譬喩品の偈文まで遡るのです。法華経後半部(本門)で、法華経前半部(迹門)に言及するのは、ここ一ヶ所だけです。
もうひとつ、常不軽菩薩の授記(迹門の行為)という菩薩行に縁って、六根清浄(本門の功徳)を得るというエピソードも、法華経の統一を考えてのことであろうと思います。ちなみに、「礼拝」が行であったかどうかも大きな問題ですが、岩本師の現代語訳では、「礼拝」の語は出てきません。

簡単になってしまいましたが、上記のような理由から、不軽品に出てくる常不軽菩薩は、法華の中でも特殊IDを持った、忍耐的な精神を持った通法華経的な菩薩像なのではないでしょうか。

対して地涌菩薩(上行菩薩)は、寿量釈尊の久遠の弟子として久遠実成と説く段に於いて、‘証明及び補処’が地涌菩薩の役割です。
そのため、一品二半が終わる分別功徳品の中盤で、‘如来の滅後’を再び説き始めるとその寿量仏の‘証明及び補処’の役割は当然なくなります。ですから、次に登場するのは、如来神力品の別付嘱(結要付嘱)だけとなります。

さて、以上のように考えますと、常不軽菩薩と上行菩薩(地涌菩薩)の役割の違いがはっきりしてくると思います。

常不軽菩薩は、本迹通じての通法華的な菩薩の理想像

上行菩薩は、寿量釈尊の証明・補処としての菩薩(一品二半に限る)

結論的には、不軽と上行は、等式で考えるべきではなく、役割が異なっていると考えますと、蓮祖が、受難の人‘法華経の行者’の立場で御書で述べられているときは、常不軽菩薩にご自身を重ねられる。
また、法華本門の独立、本門本尊、題目、本門戒壇建立の使命を述べられるときは、上行菩薩とご自身を重ねられたということではないでしょうか。


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