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法華経について

224一字三礼:2008/05/13(火) 12:18:17

顕正居士さん

〉空の思想が裏側にないと三乗の実体を否定することは不可能であろうと考えます。

ええ、それはそのとおりだと思います。ただし、『法華経』では、空の思想を詳細に説こうとする考えがなかったのではないか、と思います。それは、「方便品」の最初の文です。

「シャーリプトラよ、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来たちは、偉大な稀有・未曾有(の法)を得ておられる。シャーリプトラよ、こういうだけで、すなわち、正しいさとりを得た尊敬されるべき如来たちは最も稀有なるものを獲得されている、というだけで、満足すべきである。シャーリプトラよ、如来が知る法、その法を、如来こそが如来に対して説かれるのである。」(松濤訳)

『法華経』の立場は、最初の「方便品」から、‘法(ダルマ)を分析して説くことはしない、そんなことは如来以外に理解できはしないからだ’と宣言しているのではないでしょうか。

このような「方便品」の姿勢に、『般若経』系に対する、批判が読み取れると思うのです。

例えば、『八千頌般若経』では、法(ダルマ)とは「有に非ず、無に非ず、常に非ず、断に非ず」として「空」と説きます。
しかし、その説法を聞いた人の理解では、「有と無」に「空」というカテゴリーを加えて考えるか、「空」を有に近いものとして捉えるか、無に近いものとして捉えるかになります。それは、両辺否定で明確にされようとする法を、頭で概念として捉えることが甚だ困難だからなのだと思います。

そこで「般若経」は、付け加えます、「空亦復空」(空というものも、また空なのである)と。ここで、「空」もまた「空」だと言っても、それをまた正しく捉えられないのが、凡夫の哀しさです。そこで「般若経」は、また付け加えます、「空亦復空亦復空」(空というものも、また空であるが、それもまた空である)と。

‘ええかげんにせぇ!’この辺まで来て『法華経』は突っ込みを入れたのではないでしょうか。

ですから、『法華経』一経を通しても、「空」義の詳細を論じるのは、「薬草喩品」後半の「陶器の喩(妙法華のみ無)」と「盲人、五神通を得て聖仙になるの喩(妙法華のみ無)」と「安楽行品」のみです。
つまり、『妙法蓮華経』では、「安楽行品」だけに「空」義の詳細が論じられている、となるのです。


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