したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | メール | |

法華経について

218一字三礼:2008/05/10(土) 23:02:55

はたして「勧持品」と「安楽行品」はつながっていると考えるべきなのでしょうか。

ここでは大まかに分けて、「見宝塔品」から『法華経』後半部が始まるとしましょう。

「見宝塔品」は、巨大な宝塔に多宝如来、十方分身諸仏が登場し、娑婆世界と四百万億那由他の世界が浄土に変ずるなど、大きく場面が展開する品です。

しかし、この品の主題は、様々な仏が登場するというところにはなく、『法華経』の「嘱累」にあります。

この「見宝塔品」も、長行と偈文から成り立っておりますが、ここの偈文は重偈の内容をともなっておりません。つまり、長行と偈文の内容が違うのです。

「見宝塔品」で登場する仏たち(釈尊・多宝・分身)は、『法華経』の付嘱を受けるのに必要な、‘覚悟・誓願’を対合衆に求めます。その時に有名な「六難九易」や「此経難事」などが説かれるのです。
‘仏の滅後の悪世の中に於いて『法華経』を受持することは極めて難しい’ということをくどいくらいに力説するのですが、具体的には「滅後の受持が困難な理由」については悪世という以外には何の説明もなく終わります。

この「見宝塔品」と内容的に直接繋がるのが、「勧持品」です。

この「勧持品」は、「見宝塔品」での対合衆であった大楽説菩薩と薬王菩薩(法師品の対合衆)が、その眷族と共に‘覚悟・誓願’を述べるところから始まります。この大楽説菩薩等の‘覚悟・誓願’は、「見宝塔品」での仏たちの要求に答えたものです。

比丘尼らへの授記を挟んで、八十万憶那由他の菩薩たちも‘覚悟・誓願’を述べるのですが、この偈文に於いて何故「六難九易」(『法華経』が保ち難い)か、の理由が明確にされます。つまり、滅後に『法華経』を保つものは、迫害に遭うということです。

しかし、この「勧持品」では、諸菩薩が‘覚悟・誓願’を述べても、仏から付嘱はされておりません。

この「勧持品」に直接繋がるのが、「従地涌出品」だと考えます。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板