[
板情報
|
カテゴリランキング
]
したらばTOP
■掲示板に戻る■
全部
1-100
最新50
|
メール
|
1-
101-
201-
301-
この機能を使うにはJavaScriptを有効にしてください
|
法華経について
191
:
犀角独歩
:2008/05/04(日) 22:04:24
数取りというのは、いまと昔はぜんぜん違いますね。
もし、『法華経』をお持ちでしたら、『序品』だけでも、対照してみると面白いですよ。羅什が用いた梵本と現存のものが違うという説もありますが、恣意的な変更はあると思えます。
羅什は純粋な翻訳者というより、いわば思想家であったのでしょうね。
こう書くと、顰蹙を買うかも知れませんが、わたしは羅什は嫌いです。けれど、松山俊太郎師は羅什は、稀代の名訳僧であるとおっしゃっていました。
わたしは以前、ここの部分が「50年だと」と指摘すると、かなり反発を受けたものですが、『大集経』など、釈迦の真説であるわけもなく、そんなことは、現代ではもはや常識の範囲、当たらず触らず、こうしたうるさい場所に聞こえないように、宗内で、墨守しているのが末法思想でしょうね。
観音菩薩に関しては、悩ましいですね。仏教学者が嫌いな(笑)岩本師は“観”の字をかむらせた経典……注目されることはこれらの訳者はすべて西域の出身者、また経典の構成ならびに発想法がインド的でない点である。とくに、『観経』の場合、その点が指摘される」と『極楽と地獄』に書いていました。
また、『観音の表情』では、この菩薩が両性具有であることが、起源と何らかの関係があると指摘していました。マリア信仰との脈絡とみる説など、ありますよね。
『観音経』といって、この部分を切り出して、観音信仰を発展させたわけでしたね。そもそも、他の部分と習合していったのかも知れませんが、わたしはこの点に見識がありません。
わたしは『法華経』は経典崇拝だと考えていますが、仏塔崇拝を巻き込んでいます。しかし、『法華経』崇拝教団が建立した仏塔など、はたして遺っているのでしょうか。現存しないのは、それが元よりなかったのか、物語に出てくる強烈な迫害によって壊滅させられたのか、この点もよくわかりません。
日蓮は漫荼羅に観音を勧請しません。では、遺文中にその引用がないというと、そうでもありません。40近い使用があります。しかし、たとえば『本尊抄』には「観音西方無量寿仏弟子」とし、『曽谷入道殿許御書』には「入像法之一千年 文殊・観音・薬王・弥勒等誕生於南岳・天台示現於補大士」「文殊・薬王・観音・弥勒等迹化他方之諸大士」とするわけですから、末法に『法華経』を弘める菩薩ではなく、あまつさえ阿弥陀如来の弟子であるするわけです。こうしたころに、日蓮の権実本迹観がみられます。
それなのに、「広宣流布」という4字は、その迹化他方と、観音と共に簡ぶ『薬王品』を根拠としますね。
こうした日蓮の教学的態度とは裏腹に、観音信仰が、『法華経』のオチであれば、あたかもブラックユーモアのようですね。
『法華経』を読むのであれば、天台も、日蓮も差し置き、なおさらのこと、阿毘曇も置いて、自分の感性で、物語として読んでみることがお薦めです。
新着レスの表示
名前:
E-mail
(省略可)
:
※書き込む際の注意事項は
こちら
※画像アップローダーは
こちら
(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)
スマートフォン版
掲示板管理者へ連絡
無料レンタル掲示板