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法華経について

227犀角独歩:2008/05/18(日) 13:26:27

少し時間が空いてしまいました。

せっかくですから整理された形で、議論が進むと善いですね。

いままでのところを、ざっと概観すると、法華経は経年で増補されていまの形になった→原法華経は方便品である→方便品は部派仏教の教学を踏襲している→その後、増補された部分では『般若経』の「空」を踏襲している→他の増補された部分から、属類の中心は薬王菩薩である→ところが、増補部分では、地涌菩薩という他の継承者ともある。以上、成立からみた側面でしょうか。

以上のような矛盾は、「会通」といったドグマによるもので、『法華経』を正確に見るには、こうした解釈は、排除して考えなければならない…といったところでしょうか。以上は、解釈上の問題点。

薬王が主人公であるという点は、智邈の「大蘇開悟」と一致するわけで、天台の段階では、薬王が主で、地涌は久遠成道を示すツールといったことになりますか。しかし、日蓮は、むしろ、地涌に着目した点で、独自性があったということになるでしょうか。これは天台学の範疇で、上記、成立的側面とは無関係。

ざっと、以上の三つの視点が混在しながら、議論が進んでいるためにわかりづらくなっているように思えます。

228マターリ:2008/05/18(日) 14:41:28
>犀角独歩さん、

常不軽菩薩と、地湧の菩薩の違いを考えながら、法華経を読んでみまし
た。常不軽菩薩は、全ての人々の仏性を信じ、誰に対しても尊敬し礼拝
します。しかし、地湧の菩薩については、その特性がはっきり書いてあ
りません。

地湧の菩薩に関しては、その膨大な人数こそが重要なのだと思いました。

如来寿量品第十六に、久遠実成の釈尊が書かれています。しかし、唐突に
久遠実成が説かれているので、不思議に思いました。また、この品には
久遠実成の根拠が書いてありません。

次に地湧の菩薩について調べようと、従地湧出品第十五を読んでみまし
た。すると最後の方で、久遠実成の理由付けがわかりました。つまり、
釈尊が悟ってから、たった四十余年の間に、信じられないほど多い、地湧
の菩薩を教化できるわけがない、ということでした。

久遠実成の理由付けのために、地湧の菩薩が書かれていると思います。

安楽行品の内容と常不軽菩薩の特性は、よく似ていると思います。

勧持品の内容と、地湧の菩薩の関連性ですが、地湧の菩薩の特性が明記
されていないので、よくわかりませんでした。

常不軽菩薩=摂受、地湧の菩薩=折伏、と教わってきました。しかし法華
経を見る限り、地湧の菩薩=折伏という考え方は浮かんできませんでした。
法華経では、常不軽菩薩を理想像としていて、「耐え忍ぶ」ということに
力点が置かれていると思います。

勧持品は、過激な内容だと思っていましたが、最後に、「耐え忍ぶ」という
言葉が出て結論付けているので、安楽行品との共通性があると思いまし
た。

ただ、勧持品の「不自惜身命」という言葉ですが、これは原始仏教や小乗経
の「殺すなかれ」と違背するので、仏教とは違う、他宗教の考え方が紛れ込
んだのではないかと思っています。

229犀角独歩:2008/05/18(日) 16:25:38

マターリさん

もうずいぶんと前のことになりますが、『法華経』に登場する菩薩の特性から、以下のような文章を書きました。

【論攷】勧持品二十行の偈「為斯所軽言 汝等皆是仏 如此軽慢言 皆当忍受之」の訓読について
http://www.geocities.jp/saikakudoppo/doppo_001.html

「不自惜身命」は寿量品の文です。(単なる書き間違いはわたしもしょっちゅうやらかしています)

この点についても、以前、議論したことがありましたが、岩本師の梵本直訳だと、以下のようになっています。

「余を見ることなく、渇望の心が生じ、かくてかれらに正しい心が生じる。
 この余の人々が心ただしく、おだやかで、愛欲を離れた者になったとき…」(下P31)

羅什が使用したテキストと、岩本師が使用したものは違うようですが、ここの部分はさした出入りがなかったと仮定すると、「不自惜身命」は羅什の意訳と言うことになります。

余談ながら、『法華経』は舎利供養、仏塔供養というテーマに基づいていますが、寿量品は、ここから飛躍し、所謂「見仏」信仰と聖地(霊鷲山)崇拝という、違うコンセプトと物語が書かれています。

230犀角独歩:2008/05/18(日) 16:31:45

一つ書き忘れました。

摂受折伏という点ですが、『法華経』は、そもそも、こうしたテーマがありません。天台学において、法華涅槃と括った段階で、『涅槃経』のコンセプトで『法華経』も見ることになった結果、『法華経』が折伏だなんだという議論が、殊に日門下で為されたに過ぎません。解釈の墨守に過ぎません。『法華経』は折伏の教えであるはずもなく、あえて言えば摂受の如きですが、しかしそれでも、摂折という分類をすること自体、まったくナンセンスです。

ただ、ニュアンスとして、マターリさんが受け取られたセンスは、不軽折伏だなどといって憚らない門下教学より、より正確に『法華経』を読まれていることになるのだろうと賛同します。

231マターリ:2008/05/18(日) 16:54:57
>犀角独歩さん、失礼しました。「法華経大全」という本は、漢文の原文
が載っていない所があるため、間違えてしまいました。

現代語訳によると、勧持品の最初の方で「身命を捨てても惜しくはござい
ません。」とあったので、不自惜身命と混同してしまいました。
すみません。

勧持品二十行の偈につきましては、ゆっくり拝読させていただきます。

232犀角独歩:2008/05/18(日) 17:01:25

マターリさん

あ、なるほど。

勧持品の「我不愛身命」ですね。

「われらは、仏よ、身体も生命も惜しみませぬ」(中P229)

で、仰るとおりの記述ですね。

233顕正居士:2008/05/18(日) 17:51:01
>久遠実成の理由付けのために、地湧の菩薩が書かれていると思います。

久遠をあらわすためだけの役目だから特に性格が設定されていない。だから以後にこれらの菩薩の物語が作られる
こともなかったのでしょう。それで日蓮がなぜ湧出品の菩薩に注目したかと考えると具体的な物語がある菩薩では
ないけれども、如来蔵心に本源的に具わる菩薩と解釈したからでしょう(「我等が己心の菩薩等なり」本尊抄)。

日本天台は中国天台と異なり円密禅戒四宗倶伝で、特に東寺に対抗して独自の密教を構成することに努力をした。
したがって「真空妙有」の立場での法華経の解釈を発達させた。迹門は始覚、本門は本覚を説くと考える。
「帰命本覚心法身 常住妙法心蓮台 本来具足三身徳 三十七尊住心城」(本覚讃)。
如来蔵心に本源的に具わる諸尊を描くのが天台密教の法華曼荼羅で、日蓮はこの菩薩部を湧出品の菩薩に取替えた。
ただし本化四菩薩を配備した様式は日蓮と同時代に別に存在したようです(蓮華三昧経の本文)。

*真空妙有
仏は「有、空、不空」の順に説かれたという教判がすでにインドでできた。最高の教えは不空=真空妙有だとする。
後期大乗経典や密教の立場。中国天台は法華経の「人開会」を除けば般若経以上の教えはないとするのでこれらの
経典は全部「方等部」に放り込むのが正統的教判。ただし智邈の時代には密教経典はまだ伝来していない。

234犀角独歩:2008/05/18(日) 19:10:45

一字三礼さん

もし、閲覧なさっていたら、ご意見を伺いたいのですが、従地涌出品から寿量品の編入は、一塊りのものとしてみられるとお考えですか。

235顕正居士:2008/05/19(月) 07:51:15
>安楽行品の内容と常不軽菩薩の特性は、よく似ていると思います。

「不輕の深く敬ふは是れ如來の座也。打罵を忍ぶは是れ如來の衣を著る也。慈悲心を以て常に行ひ
替へざるは即ち如來の室也。又深く敬ふは是れ意業、輕しめずの説は是れ口業、故(ことさら)に
往いて禮拜するは是れ身業。此の三慈悲と倶なり、即ち誓願安樂行也」(法華文句・釈不軽品)

さすがに日蓮が天台・章安の明文を無視して不軽行が折伏だということはないであろうから、
開目抄の「常不軽品のごとし」は後人の付加だという説が今成元昭師によって提出されたわけです。
折伏=不軽行にもって行きたい人は多い。その心理は折伏=武力を隠したい、折伏でも摂受でも
ない罵りは止めさせたいなのでしょう。しかし法華文句を見れば幾らなんでも無理です。

236顕正居士:2008/05/19(月) 16:36:31
日蓮のいう折伏とは

1 権力・武力を用いて専修念仏と祖師禅を禁圧すること
2 南都・東寺・三井にも比叡山の権威を認めさせること
3 寺院は武装して構わない
4 朝廷や幕府にそう上奏すること
5 1-4を主張すること

だろうと思います。つまり比叡山がやっていたことです。

237マターリ:2008/05/19(月) 19:46:44
>犀角独歩さん、勧持品二十行の偈を拝見しました。おっしゃる通りだ
と思います。

>斯れが為に軽んじるに「汝は皆是仏なり」と言い

「法華経大全」の現代語訳では、「私はあなたがたを軽んじません。あなた
がたは皆、仏になるのですから。」ということでした。

「余を見ることなく、渇望の心が生じ、かくてかれらに正しい心が生じる。
 この余の人々が心ただしく、おだやかで、愛欲を離れた者になったとき
…」

この言葉が、不自惜身命になったとは、驚きました。鳩摩羅什が思想家で
あり、法華経を意訳したと、おっしゃっていた訳が良くわかりました。

日蓮が法華経を『涅槃経』的に読んだと伺っていました。しかし、そもそ
も天台が、法華経を『涅槃経』的に読んだため、日蓮も、それに習ったの
でしょうか。

先入観をもたず、素直に法華経を読めば、法華折伏破権門理という言葉は
浮かばないと思います。日蓮が天台という、色の濃いフィルターを通して
法華経を読んだような気がします。

>顕正居士さん、私は天台についての知識が全く無いので、中国天台と
日本天台の違いがよくわかりません。しかし、日本天台は、密教が入っ
ていると伺い、密教が日蓮に、強い影響力をおよびしたのだと思いまし
た。

日蓮の折伏観については、今まで教えていただいてきましたが、まとめ
ていただいて、すっきりしました。

238マターリ:2008/05/19(月) 19:49:25
訂正です。最後の方です。

×強い影響力をおよびし
○およぼし

239顕正居士:2008/05/19(月) 22:20:27
>素直に法華経を読めば、法華折伏破権門理という言葉は浮かばないと思います。

法華は折伏にして權門の理を破すること、金沙大河復た迴曲すること無きが如し。涅槃は攝受にして
更に權門を許す。各為れ因縁存廢有異り有り。然れども金沙百川海に歸して別ならず(云云)。-玄義

法華経は三乗・五乗の実体を破して一乗に帰し、一代の教ことごとく法華となる。涅槃経は悉有仏性
をいいながら一方に闡提折伏などを説く。だから法華は折伏であり、涅槃は摂受である。然し涅槃経
の主目的は法華の追説にあるから、最後法華に帰し法華涅槃別ではないのである。

天台智邈は彼以前の教判を整理発展させ、中国で重視した華厳経、般若経、法華経、涅槃経を般若経
(三論・四論)を土台に統一した。これは成功して三論宗、涅槃宗は天台宗に吸収された。
それで法華涅槃は同一醍醐味とはしますが、土台が羅什三蔵が伝えたローカル中観(四論宗)なので
華厳・唯識・如来蔵思想には比較的に対決的だった。仏性思想の色合いは智邈には濃くありません。
闡提折伏(異教徒征伐)はこの仏性思想にも反する方便説であるから、つまり権門を許す摂受の説と
いうので、ここでは折伏・摂受の意味が違います。

*法華一乗は三乗のみでなく人・天を含めた五乗を開会するので闡提(異教徒)という概念はなくなる。
それで「万善同帰教」といいます。

240犀角独歩:2008/05/20(火) 10:43:50

今成説に関しては、すでに議論が尽くされていますから繰り返しませんが、それにしても、21世紀となり、人権問題がとやかく言われるご時世に、いまだに、人に向かって‘折り伏す’(折伏)などといって憚らない神経は、承伏しかねます。言葉も暴力となり得ることが認識されている社会でです。

それも顕正会のような反社会行動が目立つ団体ならばいざ知らず、日蓮宗の、それも平和運動をやっているような人々でさえ、「折伏」といって平然としていることにはしばしば唖然とさせられます。人を折り伏すといいながらいう平和など、御免被ります。

日蓮が、この言葉をどう使ったなどという議論以前に、人に向かって「折り伏す」といって憚らない非人道意識の是正を、わたしは、まず日蓮宗と、僧侶に求めたいと明示しておきます。

241顕正居士:2008/05/20(火) 10:58:29
今日の単称日蓮宗と立正大学大崎宗学の開祖といってよい優陀那日輝師は立正安国論は今時に無用なるは
勿論、当時においても無用と真っ向から祖師を批判し折伏の不可なることを断定された。それから150年。
随分と進歩するどころか退歩しまだ立正安国論が折伏がどうこう。おっしゃる通りでありますね。

242犀角独歩:2008/05/20(火) 11:09:03

> 241 顕正居士さん

恐れ入ります。

243天蓋真鏡:2008/05/20(火) 14:48:17
顕正居士さん、日蓮の折伏の考え方が解る遺文御書を教えて下さい。

244顕正居士:2008/05/20(火) 21:14:17
摂受・折伏について詳しい確実な遺文は開目抄です。
また本尊抄には現折伏時〜の重要な文があります。
他には数書に散見する程度。

また聖愚問答抄が少し詳しいが確実な遺文ではない。
唯一「法華折伏 破権門理」が引かれる如説修行抄は
思想内容が異なる。実際の折伏のイメージはこの書。
日尊写本の確実性に疑いがあります。

245顕正居士:2008/05/21(水) 04:45:43
あと折伏という語はありませんが専修念仏の禁圧を主張する守護国家論があります。
国王大臣には謗法の者を対治する義務がある、この際四衆(僧俗)ともに武装して
構わない、いやすべきである、そして国王大臣四衆ともに、つまり王、官、僧、民
挙げておのおの武装し、この悪比丘(法然)を対治しなければならないと述べます。

246天蓋真鏡:2008/05/21(水) 14:01:54
顕正居士さん、返答ありがとうございます。 236ですが、 1・法華経を謗る者なら禁圧しても良いとGOサインを出したと見られても仕方無いかもしれません。 2・比叡山の権威では無くて法華経の権威ではありませんか。 3・武装には武装の現実論を選択肢の一つにしたのでは無いのでは無いでしょうか。 4・日蓮等僧侶は軍隊を組織運営しないので王法の主体である朝廷や幕府に禁圧を頼むのでしょうか。

248天蓋真鏡:2008/05/21(水) 14:18:16
個人的な考えでは自身が殺されかかったり弟子が殺されたりで「目には目を歯には歯を」で法華経を謗る者を同じく罰して下さいと言うものの「命根を断つ」と言うのは「魔の因果を断つ」と言う事では無いでしょうか。 東条某や平某のお蔭で道が開けた様な言い方を書くでしょうか。 経典の例を挙げた選択肢の一つだと考えます。 疑問と言うなら、柳は柳営の柳でしょうか?そっちの方が気になります。

249犀角独歩:2008/06/08(日) 08:43:56

顕正居士さん

該当スレッド休止のため、こちらで御礼旁々申し上げます。

「「創作」といってもよいかと思っておりました。
ただしこの語は個人でなくてもあるグループがなんらか明確な意図をもって一気に作ったという印象を与える可能性がある」
http://jbbs.livedoor.jp/bbs/read.cgi/study/364/1121476015/945

例えば、菅野博史師は「成立」と書いています。
しかし、成立とは法華経が27章にまとめられた編纂結果の説明語としては適切ですが、各章が書かれていく過程を言い表すものとはならない憾みがあります。

顕正居士さんは「製作者」という表現を使っておられますね。
辞書に拠れば、

【製作】
(1)物品・作品・道具などを作ること。
(2)(「制作」とも書く)

【制作】
(名)スル
芸術作品などをつくること。
「彫刻を―する」「卒業―」

となると、「制作」というも可とも思います。
しかし、「製作」「制作」、いずれも作品としてつくっていくことは意味できますが、そのような物語を考えあぐねているアイディア段階をよくは説明できない憾みがあります。この物語が、頭のなかでつくられる段階は、もはや、「創作」というほかないという気分で、わたしはこの語彙を使用してきました。また、2002年以来6年に及ぶ議論で、複数の投稿者も、この前提で「創作」と記してきたのだと思えます。

また、ここ「富士門流信徒」が習ってきた宗派教学では、「『法華経』とは釈尊が最後八年に説いたもの」ということでした。つまり、経典としてまとめられた『法華経』は口伝継承の筆録であるという意味です。しかし、実際は、ゴータマブッダが説いたものではなく、構成につくられたものであれば、これを表現する語彙は、やはり、創作を充てるほかないと考えます。

ほかによい語彙があれば、ご教示いただければ有り難く存じます。

250一字三礼:2008/06/08(日) 15:29:55

マターリさん

『法華経』を論じるというのは、大変に困難なことです。その理由は、多くの予備的な知識を必要とするからです。

松山俊太郎師という梵文法華経研究者が言っております。
「『法華経』を語るには、経典の文々句々を自家薬籠中の物として自在に引き出せることが最低条件である。すべての内容に通じていなければ、重要でない一偈を重要であると勘違いしたり、重要な一句を見落としたりするからだ。だから私には『法華経』を語る資格がない。」
本当は、松山先生は、語る資格がないどころか、‘出来が悪い’と言いながら「大正大蔵経」を読破され、現在はパーリ仏典の精査の結果、「クッダカ・ニカーヤ」の一経典に『法華経』に独特の用語の使用がみられるとのご指摘をされております。

つまり、『法華経』の成立過程を探るにも、思想的源泉を考えるにも、最低限、『法華経』で使われる用語の基となった部派(特に中央有部)の教説の基本を知っている必要があり、同時に、『法華経』と同時代に成立したとされる、『八千頌般若経』、『金剛般若経』、『維摩経』、『十地経』、『首楞厳三昧経』、『般舟三昧経』、『阿弥陀経』、『無量清浄平等覚経』などの大乗経典と、インド神話の内容を概要であれ把握している必要があります。

少ない資料と不十分な論考では、見当違いの結論を導き出してしまう可能性があります。

例えば、犀角独歩さんが229で示された、自我偈の有名句

羅什訳の「不自惜身命」
ケルン・南条本岩本訳の「愛欲を離れた者」

この部分の比較で、「ここの部分はさした出入りがなかったと仮定すると」という前提で羅什の意訳を示唆されましたが、マターリさんはそれを237で、

〉この言葉が、不自惜身命になったとは、驚きました。鳩摩羅什が思想家であり、法華経を意訳したと、おっしゃっていた訳が良くわかりました。

と‘羅什の意訳’と早合点されておりますね。

この句は、ケルン・南条本、ダット本、ヴァイディヤ本では、「愛欲を離れる(棄てる)」となっていますが、ギルギット本の一種とチベット訳、フランス国立図書館所蔵本、それと写真集のいくつかでは、「身体をも惜しまず」となっております。

「愛欲を離れる(棄てる)」と「身体をも惜しまず」で、相半ばしているので、テキスト自体、かなり初期の段階で二種類あった可能性があります。しかし、最古の写本訳の護訳では「将に身体を棄つ」とあり、系統の違う什訳と同様の記述をしていることから考えれば、「身体をも惜しまず」という方がインド系・中央アジア系両テキストの古形を残している可能性が高いと言えます。

結論を急ぐ必要はありません。
じっくり経典と論書、叙事詩に取り組まれて、疑問が出てきたらこちらに投稿されている碩学たちに質問してみるとよいのではないでしょうか。

251犀角独歩:2008/06/08(日) 15:43:57

一字三礼さん

現段階で、あなたとはわたしは管理者さんの判断でレスの「休止」を跨いで対岸におります。
争いにならないための配慮だそうです。こうした管理者さんの判断を鑑み、わたしの投稿に触れることはおやめください。
わたしもそのようにします。

252マターリ:2008/06/08(日) 17:07:53
>一字三礼さん、

>結論を急ぐ必要はありません。
じっくり経典と論書、叙事詩に取り組まれて、疑問が出てきたらこちらに
投稿されている碩学たちに質問してみるとよいのではないでしょうか。

ありがとうございます。法華経に関しては素人の身ですので、本来、質問
だけにとどめなくてはならないところ、つたない持論を展開してしまい失
礼致しました。

253犀角独歩:2008/06/08(日) 17:25:14

マターリさん

わたしが追記するとダブルバインドになりかねませんが、ひと言だけ。
わたしたちは、『法華経』を研究しているわけではありません。
読んで感じたままに思うことは、何も否定されませんよ。
読んで感じたままを投稿されることはけっこうなことだと思います。
「ああ、こんなふうな感じ方もあるのだ」と、わたしはマターリさんから、多くを学びました。

どんな経緯で法華経が成立したかというより、法華経がいま生きている自分にとって、どう役立つか・役立たないのかのほうが重要です。
ここは、専門家が集っている学校ではありません。

松山俊太郎師は、「法華経は世界最高の文学作品だ」とも言っています。
文学作品を読むとき、その本が書かれた背景は、この字句はこんな意味と学問的な分析をしなければ、読めないと言うものではありませんよね。読んで、どう感じるのかは、その人それぞれのことです。感じたままに論じることも自由に属します。
法華経を読んで感じたままを記すことに、何の遠慮も要らないでしょう。

わたしは法華経の差別思想が嫌いです。法華経を絶対とすれば、この差別思想で平然と人を批判します。先に出入り禁止になった人にもそうした人はいました。法華経を信じないと地獄に堕ちると書いてあっても、そんなことは信用する必要はないでしょう、物語ですか。

法華経を日蓮本仏論・戒壇本尊のドグマから離れるために、物語として読むことを勧めています。もちろん、これは信仰の糧とする人を批判してのことではありません。ドグマから逃れるための勧めです。

これからも自由な感想をお聞かせください。

254犀角独歩:2008/06/08(日) 17:26:42

【253の訂正】

×信用する必要はないでしょう、物語ですか。
○信用する必要はないでしょう、物語ですから。

255マターリ:2008/06/08(日) 17:50:05
>犀角独歩さん、
>これからも自由な感想をお聞かせください。

ありがとうございます。
つたないカキコで恥ずかしいのですが、これからも、素人なりの感想とし
て述べさせていただきたいと思います。

256一字三礼:2008/06/08(日) 19:44:35

犀角独歩さん

〉争いにならないための配慮だそうです。こうした管理者さんの判断を鑑み、わたしの投稿に触れることはおやめください。わたしもそのようにします。

これはあなたの投稿ではないのですか。

自分の投稿には触れるな、と言っておいて、私の投稿には平気で触れるのですね。

257犀角独歩:2008/06/08(日) 19:54:39

一字三礼さん

マターリさんとの話です。
あなたは関係ありません。
しかし、そう感じたところがあるのであれば、今後、注意しましょうね。

258一字三礼:2008/06/08(日) 20:11:00

犀角独歩さん

言葉足らずでしたので、付け加えます。

私の投稿にコメントに触れていただいても一向にかまいませんよ。
犀角独歩さんとの議論の白熱は、過去にも幾度かありましたので。わたしにはあなたとケンカしているという意識はありません。

私ひとりがいい子ぶろうとの考えではありませんが、(たぶん犀角独歩さんも同様だと思います)管理者さんを含めた方達に、これ以上の心配をかけることは望んでおりません。

259犀角独歩:2008/06/08(日) 20:14:26

一字三礼さん

そうですか。了解しました。

260犀角独歩:2008/06/08(日) 20:23:31

一字三礼さん

では、敢えて触れますが、「創作」が駄目だとすると、どんな語彙であれば、差し障りがありませんか。

顕正居士さんに249でも問いかけましたが、「創作」がNGとなると、わたしの単純な頭では思いつきません。
2次創作というのも、どうもしっくりしません。「編纂」でしょうか?

261偶ロム偶ログ:2008/06/08(日) 22:27:42
たとえば、都市と思想はことなるジャンルですが、ともによく使用される語彙に、
形成(過程)
発展(過程)
などというのがありますね。

262犀角独歩:2008/06/08(日) 23:14:08

偶ロム偶ログさん

なるほど。まあ、わたしが「創作」というとき、お釈迦さまが説いたものでない程度の意味で使っているんですが、そうなると、では誰がつくったんだということになりますね。お釈迦様の言葉でない証拠があるのかともなるかもしれません。仮にお釈迦さまが説いたとしても、お釈迦さまがつくったわけですから、実は、創作という言葉は当てはまりますね。ただ、法(ダルマ)として見なされる場合は、法は自然(じねん)であるから、これを解説(げせつ)したことを、普通は創作とは言わないわけです。一方、教法の場合、いわば修行のやり方みたいな側面がありますから、考案、創案に類して創作ということができるかも知れません。

ただし、わたしが「創作」というとき、お釈迦様の言説とは無関係といった意味で使っています。ただ、何百年かの口伝承がそこに含まれるわけですね。一字三礼さんのご投稿といえば、たとえば212に「方便・譬喩等、『法華経』最初期に成立したと考えられる品では、部派教学をそのまま採用」ということでした。では、この部派教学は口伝承を文字化したものでしょうから、そのなかにお釈迦様の言葉が入っている可能性がある。ただ、だから、法華経は仏説なのだといえるかどうかですね。

わたしの好きな科学者に故アーサー・C・クラークがいます。映画ファンならご存じでしょうが、ジョディー・フォスター主演の『コンタクト』の原案は、この科学者の手に拠ったわけですね。そうなると、この映画は科学者が科学的な根拠を基礎にして書かれたものだ。であれば、この映画は科学の教科書と同じかといえば、映画はどこまでいっても、フィクションですね。

同じように法華経も、部派の教学を基本にしていたとしても、増広された部分が荒唐無稽なSFみたいなわけですから、この部分までも仏説だと、とうてい、思えないわけです。

一字三礼さんとわたしの話が噛み合わないのは、上述の例で言うと、基礎にした科学:部派教学、それに基づく物語:フィクションで、一字三礼さんは前者に、わたしは後者に力点があるからではないかと思えるのですね。

わたしが無謬性というと、無謬性なんかあるはずはないと、一字三礼さんは反論されたのですが、よく読んでいただければわかりますが、無謬性がないとわたしも言っているのです。無謬であるといったのは、わたしではなく、日蓮であり、ここでいえば、大石寺であり、創価学会、顕正会でした。だから、そうした集団が懐く無謬神話をわたしは違うと言ったわけですから、無謬性否定という点で一字三礼さんとわたしは同じ事を言っているのですが、どうも、ここでも話が食い違いました。

263犀角独歩:2008/06/08(日) 23:14:45

―262からつづく―

松山師は、三学無縁さんから紹介していただき、その後、一字三礼さんにわたしが紹介したわけです。その後、わたしは母の逝去もあり、勉強会に顔を出せなくなりました。いずれにしても共通のわたしども共通の恩人であることは間違いありません。先に松山師の話を一字三礼さんは挙げられましたが、「法華経は創作だ」と福神の勉強会で小松邦彰師や、島田裕巳師を含めた諸師の前で論を語ったのは、わたしというより、むしろ、この松山師でした。法華経を文学作品であり、その筋で読めと勧めたのも松山師でした。この筋は、このスレッドが立った2002年以来のことで、特に波風もなかったので、そのまま使用してきたというのが経緯です。


なぜ、こうしたことをくどくど書くかというと、取り敢えず、部派教学を踏襲している部分は教学の部分ですが、その他のお話の部分は、その教学を基礎につくられた物語であれば、これをどう表現すればよいのか、語彙の取り決めを行いたいからです。わたし個人としては、それが創作でも、制作(製作)、形成、発展、編纂、成立、どんな語彙でもいいのですが、言葉の使い方でいちいち難じられたのではやりにくくて仕様がないというのが正直な気持ちです。ですから、この際、一字三礼さんが納得のいく語彙を示してもらい、それを使おうと思ったわけです。

一字三礼さんのご指摘を受けるまでもなく、わたしはサンスクリット語を含めて、特に経典をそれほど、読み込んでいるわけではないのは事実です。しかし、それも時に利点もあり、故に法華経を素直に文芸作品として読むという、人生50年のなかではじめて、いわばアクロバットのようなことができたわけです。それまでは、なにせ、法華経に背けば地獄に堕ちると思っていたわけですから、この心境の変化は、まあ、一般の方には想像もつかないところでしょう。

正直に記せば、物を食うのに、その成分分析をしないと本当のことはわからないといった主張に一字三礼さんの話は聞こえます。しかし、食ってうまいかどうかが、わたしには大事なわけです。

素晴らしい名画、素晴らしい映画や小説、見て感動できることがまず第一で、いや、それらがつくられた背景、使われた大道具やら何やら、取り敢えず、干渉の段階では、どうでもいいという感覚もあります。

すくなくとも、多宝塔や、地涌菩薩といったSF紛いの物語を、では、創作という以外、どんな言い方があるのか、この点は、一字三礼さんの答えを待って、また、記そうと思っています。

偶ロム偶ログさんをはじめ、皆さんのお知恵も拝借したくお願いしておきます。

264顕正居士:2008/06/08(日) 23:58:03
作者不詳の文献について一般に受動的には「成立」、能動的には「製作」が使われていますね。
「法華経 製作」で検索するとやはりこれが多いです。

法華経そのものの理解には一字三礼さんがおっしゃるように多くの予備知識が必要です。
妙法蓮華経成立以後の文化史についても言語は漢語が読めればよいが、内容が膨大です。
しかし膨大すぎて全体を把握している方はたぶん皆無です。気が付いたことを述べるのは
互いに有益だとおもいます。間違っていてもそれが確認されますから。

キリスト教と大乗仏教の関係については直接の交渉は発見されていません。
キリスト教←(ミトラ教←マニ教←)ゾロアスター教⇒大乗仏教という関係だと思います。
ただし←のほうは確認されていますが、⇒はそれに比べるとはっきりしません。
ミトラ≒マイトレーヤの関係はあるのではないかとおもう人は多い。
イラン人(ペルシャ人)とインド人はもとは同じ民族でゾロアスター教の聖典アヴェスタは
ヴェーダ語の知識で読めるそうです。

265顕正居士:2008/06/09(月) 01:13:46
大乗の経には報身仏と他世界が登場するのが阿含の経と違うところです。
製作者はドラマとして作ったのか、現実と空想の区別が付かない状態で作ったのか。
そこは一つわからない。この点を強調する場合は「フィクション」でしょうね。

ところで人類がフィクションとノンフィクションの区別をするようになったのは
そう昔ではありません。「小説」が出版されるようになってからだとおもいます。
中世の人達は現代人のような区別をしていない。していないから現代人がフィクションを
ノンフィクションと誤って信じるように信じているわけでもない。
この辺が過去の人達が何を考えていたのか本質的に理解がむづかしいところです。

266犀角独歩:2008/06/09(月) 20:10:48

顕正居士さん

やはり、「製作」ですか。

有り難うございます。
西洋人・東洋人の思惟の相違は、中村元師の研究でも有名ですが、さらに古代人と現代人の思惟の相違も考慮されて然るべきなのですね。

267一字三礼:2008/06/09(月) 22:15:25

犀角独歩さん

お話に乗り遅れてしまいました。

「編纂」というと、各品成立後に経典として最後の体裁を整える段階というイメージがありませんか。

どうやら「製作」ということでコンセンサスがとれたようですので、他の方の意義がなければ「製作」でよいかと思います。


〉262・263

私は、フランケンシュタインの怪物のように、継ぎ接ぎだらけで正体の判らなくなった『法華経』から、中心教説乃至は原法華経を見つけ出す作業をしております。
そのせいで私は、『法華経』釈に必要以上に過敏になってしまっていたようですね、ご指摘を受けて気付きました。反省しております。

今度、お会いした時にでも独歩さんにお時間をいただいて、私の説を聞いていただき、問題点をご指摘いただきたいのですが、その中心教説から最終付加部分までを五段階に分類しました。

そこで見えてきた『法華経』は、本当に統一性・一貫性のないものでした。

『法華経』の中心教説部分は、極めて素朴な内容で、阿含経説や初期アビダルマの内容にもさほど抵触しませんが、それ以外は、中心教説と無関係などこかの菩薩信仰や、それこそ当時の『法華経』持経者の都合で付加されたと考えられる部分がほとんどです。

このようなもの(法華経)をなんと表現すればいいのか、私にも明確にはわかりません。

268一字三礼:2008/06/09(月) 22:16:08

つづきです。

私は厳密に言えば、どのような古い経典を調べても、歴史上の釈迦の教えというものを知ることは不可能なのではないかと思うのです。その意味から‘仏説’という言葉じたいがすでに神話なのかもしれません。
しかし、変な表現になりますが、古い経典のほうが割合として「釈迦直説度」は高いのではなかろうか、という漠然としたイメージはあります。

小部経典の一部(スッタニパータ・ダンマパダ等)→阿含経典→最初期大乗経典→五部ニカーヤ→中期大乗経典→etc.

大乗仏典には、犀角独歩さんがおっしゃるようにSFチックで荒唐無稽な場面設定がしばしば現れます。
大乗経団が存在せず、部派教徒の中で大乗経典を奉じる僧がいた、と考えますと‘仏説’と考えられていた阿含経典と明確に区別するために、大乗経典はSFのような、神話のような体裁を取ったのではないか、と考えます。

部派教団内でも大乗を学んでいたと考えられるのは、羅什がインド留学で出家修行をしていたのは小乗部派教団でした。それにもかかわらず、大乗義、特に龍樹の中観派に精通していたという例があります。

大乗経典の主張は、阿含経典の一部として纏められたものでも無く、しかも阿含経の伝統教説とアビダルマを含んだものが、なぜ「大乗経典」という新しい枠組みで製作されたのか、というのは疑問です。
つまり「大乗経典」の内容など、「論書」として纏めることも可能だったのではないか、と思うのです。

たんなる推測に過ぎませんが、大乗仏典は、阿含経及び部派教団でダブーとされていたことに踏み込むために製作されたのではないか、と漠然と考えました。

269一字三礼:2008/06/09(月) 23:20:01

顕正居士さんが、すでにご説明されておりますので、少しだけ付け加えます。

寿量仏にキリスト教の神の影響があったか否か、を考えるとき、まずキリスト教が中東を含むインド文化圏にいつ頃伝播したか、を確認する必要があります。

キリスト教伝播のルートとしては、イランの南部から入るか、アフガニスタンの西側からの経由が考えられます。

アフガニスタンの文献資料として有名なのは、やはり「スコイエン・コレクション」でしょう。このコレクションの全貌は、まだはっきり見えませんが、2世紀頃から8世紀頃までの仏教関係及びその他の古資料が残っております。
その中に、キリスト教関連の資料は見つかっておりません。

では、イラン経由はどうかということですが、私は不勉強でイランの正確な歴史を知りません。
しかし、そのとなりのサウジアラビアであれば、イスラムのコーランやハディースから少しわかります。

ムハンマドがイスラム教を起こす以前、時折、ヒラー山の洞窟で瞑想をしていたそうです。彼の瞑想という宗教行為は「シリア・キリスト教」の影響からでした。この「シリア・キリスト教」とは異端とされたネストリウス派の流れをくむものです。

ところが、7世紀前半の当時、アラブ圏で信仰されていたのは、多神教でした。ムハンマドは仕事柄、遠いシリアの宗教を知っていたのだと思われます。

後年、ムハンマドはコーランの中で、アッラーのことを「エイブラハムの神」と呼んでいます。この呼び方は旧約聖書にアッラーの源泉があるという意味だと思いますが、それと同時にアッラー信者のことを「ハニーファ」とも呼んでいます。
ハニーフとはアラブの伝統的多神教を言います。

当時のアラブ世界の多神教の影響力がわかる話があります。
ムハンマドは晩年、高弟たちからイスラム教の教えの中に「ファーティマ」の信仰ぐらいは入れてもいいのではないか、と言われました。
「ファーティマ」とは多神教の女神の名前です。高弟たちはアッラーの妹として「ファーティマ」信仰を求めたのでした。

勿論、これはムハンマドによって否定されますが、ムハンマドの娘の名前もファーティマということから、アラブには多神教がしっかり根付いていたことがわかります。

つまり、7世紀になってもアラブにはキリスト教的な一神教の影響が極めて希薄であったということでしょう。


また、キリスト教の神は、ことさら「永遠の神」という側面を強調されることはありません。それはヘレニズムの神は概して永遠不滅だからです。

1世紀後半に、地中海沿岸にキリスト教を広めようとした使徒たちが、対決を強いられた宗教は、ミトラ教でもなくゾロアスター教でもなくアスクレピオス教団でした。
ギリシア宗教を知っている方なら分かると思いますが、アスクレピオスはアポロンの息子で医神です。

ここで、キリスト教団は、病気を治すアスクレピオスを信仰する教団と、どちらの信仰が、より病気を治せるか、で対決しました。

もとより、キリスト教団もアスクレピオス教団も、病気の治し方は「悪魔払い」と「呪い」です。これは福音でも明らかなように、病気の原因は悪魔の仕業と考えていたからでした。

2〜3世紀になって、ようやくキリスト教団がアスクレピオス教団を凌駕したのですが、この地中海のキリスト教団の教えは専ら「悪魔払い」になったのは当然の成り行きでしょう。

純粋に、福音でのキリスト教の教義を考えるのであれば、「悔い改め」と「最後の審判」と「神の国の到来」です。

寿量品がキリスト教の神の影響を受けていた、と考えることは難しいのではないでしょうか。

また、寿量品が、キリスト教の中心説である「悔い改め」、「最後の審判」、「神の国の到来」、また「悪魔払い」を省いて、「永遠の神」の部分からだけ影響を受けた、ということもまた不自然に思えます。

270顕正居士:2008/06/10(火) 00:51:03
ところでインドにキリスト教が伝わったのは非常に早いです。ケララ州にマートマ教会というのが
あります。十二使徒の一人聖トマスが設立したと信じられており、西暦52年にこの地に布教したと
いう碑文があります。碑文はずっと後代のものですが、1-2世紀にこの教会ができたのは本当のよう
です。東方教会に属し、また西洋人渡来後は一部カトリックに合同した信者もいたそうです。

なお仏陀の神格化についてはインド教自体が単なる多神教ではなく事実上の有神教でヴィシュヌ派
とシヴァ派に分かれますが、おのおのでは唯一神的に崇拝されます。ですから単にインド化したと
考えるのが早いです。ペルシャとの関係がわかりにくいのはそもそも同根だからなんでしょうね。
ミトラ神はヴェーダの神でもあり、これがそのまま仏教のマイトレーヤになったとも考えられます。

271一字三礼:2008/06/10(火) 09:41:32

顕正居士さん

ユダヤ世界には、「東方」に対する羨望のようなものがありますね。その「東方」は、主にゾロアスター教を生んだペルシアとその周辺を指すのでしょうが。

聖トマスの伝道は、ユダヤから宗教・精神世界の先進地域としての‘インド’にまで影響を及ぼした、という伝説レベルの話ではなかったでしょうか。


ケルン氏は、寿量仏に「ギータ」の神(ヴァースデーバ・ヴァカバッド)からの影響を指摘しておりますし、辻師は、「マヌ法典」の神観と「ギータ」のそれとの近似を指摘しておりますね。

私としては同意できないところもありますが、寿量品も「ギータ」も「マヌ法典」も、その成立年代が紀元一世紀前後と考えられているので、同時期に類似した思想が現れたのではないか、と考える研究者もいるようです。

272犀角独歩:2008/06/10(火) 18:17:55

一字三礼さん

では、「製作」といったところでいきたいと思います。

わたしは単純に 寿量、無量寿 との類型、さらにキリスト教と阿弥陀仏という影響を考えていたのです。

もし、この類型、もしくは影響が成り立たないと仮定するとき、法華寿量仏に影響を与えたモチーフのようなものは何か考えることができるものでしょうか。
お考えをお聞かせいただければ有り難く存じます。

273顕正居士:2008/06/10(火) 18:37:56
聖トマス布教伝承とマートマ教会については以下の記事が割りと詳しい。

インド・ケーララ州のキリスト教
http://www.wako.ac.jp/souken/touzai_b04/tzb0406.html

ベネディクトゥス十六世もこのように述べています。
「トマスはまずシリアとペルシアで福音を宣べ伝え(カイサレイアのエウセビオス『教会史』3・1に
引用されたオリゲネスの記述による)、後に西インドに至り(『トマス行伝』1−2、17以下参照)、
そこからついに南インドにまで行った」
http://www.cbcj.catholic.jp/jpn/feature/newpope/bene_message147.htm

ヴァスコ・ダ・ガマのインド到着以前は西方ではトマスの南インド布教は伝説か史実か確認できなかった。

274犀角独歩:2008/06/10(火) 18:45:15

顕正居士さん

こうしたことからすると、仏教に対するキリスト教の影響の可能性はあることになりますか。
もし、あったとすると、具体的にはどのような形で影響を及ぼしたのでしょうか。
お考えをお聞かせいただければ有り難く存じます。

275マターリ:2008/06/10(火) 19:22:43
>顕正居士さん、

>なお仏陀の神格化についてはインド教自体が単なる多神教ではなく事
実上の有神教でヴィシュヌ派とシヴァ派に分かれますが、おのおのでは
唯一神的に崇拝されます。ですから単にインド化したと考えるのが早い
です。

単にインド化したということでしたら、他の大乗仏教の経典にも「久遠実
成の仏」が出てきても良さそうに思います。しかし、「久遠実成の仏」は、
法華経の中にしか出てきません。

法華経が大乗経典の最後に登場した、というのなら、真似ができない
ということで、他の経典に出てこないのも理解できるのですが、法華
経の成立は般若経の次です。

「久遠実成の仏」が、法華経にしか出てこない理由は、どこにあるので
しょうか?

276顕正居士:2008/06/10(火) 20:50:02
犀角独歩さん。南インドには十二使徒直系かもしれない古くからのキリスト教があり、またペルシャから
中国に至る地域には西方から追放されたネストリウス派のキリスト教が長く存在しました。したがって
仏教との交渉もあるはずという説はいろいろありますが、仏教=南方仏教のイメージから来る誤解が多い。
三位一体と仏の三身が似ているなどはブラフマン、ビシュヌ、シバの三神交替の仏教化で説明ができます。
インド教や仏教の論書でキリスト教を批判した文献はないようで、たぶんそこまでは認知されていなかった。

マターリさん。法華経と同じ頃か少し後に無量寿経が成立しています。数世紀後には金光明経(この経にも
如来寿量品がある)、涅槃経、華厳経が成立します。さらに数世紀経つと密教経典の時代になります。
つまり法華経と無量寿経によって大乗の仏は報身仏であることが確定し、その後は毘盧遮那仏として神格化
が完成します。法華経以後の経典は法華経を前提にしているとはいえますが、久遠の仏は法華経と涅槃経
だけにあるわけではない。ですから寿量品を重視した日蓮もその点では他経には二乗作仏がないから虚説
だと方便品に議論を戻すしかなかった。これらの経の成立順序(金口説では流布の順序)はわからなかった
からです。

277一字三礼:2008/06/10(火) 20:52:08

犀角独歩さん

私の考えの結論から申しますと、

「寿量仏とは、阿含経及びニカーヤで説かれる原始法身仏の発展型である。」

「大乗の法身仏」は、『華厳経』や『梵網経』(偽経)、『大日経』等に説かれる、真理そのものを身体とした仏を言います。
「大乗の法身仏」は、‘事事無碍法界縁起’などの法そのものですから、ほとんどの場合、直接説法することがありません。
多くの経典で、普賢菩薩、金剛蔵菩薩、金剛薩堹が代行しています。

これに対して、「原始法身仏」とは真理のみに限定せず、「五分法身」(戒・定・慧・解脱・解脱知見)などで明らかなように釈尊諸説の教法全体を指します。

具体的に言いますと、「跋迦梨」(雑阿含経四十七巻・増阿含経十九巻・相応部経典3)や、『如是語経』の「如来衣」(南伝大蔵経23・小部経典1・大蔵出版)などで説かれる仏身観を指します。

信仰の人ヴァッカリ
www.abhidharma.info/GV/note/buddhist-faith.pdf

278顕正居士:2008/06/11(水) 09:32:06
無量寿経と金光明最勝王経の仏寿無量の文です。

仏説無量寿経

「仏阿難に語りたまはく、又無量寿仏の寿命長久なること称計すべからず。汝寧んぞ知らんや。
たとひ十方世界の無量の衆生、皆人身を得て悉く声聞縁覚を成就せしめて、都て共に集会し
禅思一心に其の智力を竭して、百千万劫に於て悉く共に推算してその寿命の長遠の数を計らんに
窮尽してその限極を知ること能はじ」

金光明最勝王経如来寿量品第二(一部)

「一切諸の海水の  其の茀數を知るべきも
 能く釋迦の壽量を 數へ知ること有ること無し
 諸の妙高山を折り 芥の如きも數を知るべきも
 能く釋迦の壽量を 數へ知ること有ること無し
 …」

「我常在鷲山 宣説此經寶 我常に鷲山に在つて 此の經寶を宣説す
 成就衆生故 示現般涅槃 衆生をして成就せしめんが故に 示して般涅槃を現ず
 凡夫起邪見 不信我所説 凡夫の邪見を起こし 我が所説を信ぜざれば
 為成就彼故 示現般涅槃 彼を成就せしめんが為の故に 示して般涅槃を現ず」

279一字三礼:2008/06/11(水) 16:23:22

『無量寿経』は、その成立以後に、『法華経』寿量品の影響を強く受けた経のひとつではないかと思います。

『無量寿経』は、異訳が五本現存するのですが、その訳出年代で内容が異なります。そこで、五本の訳本を大きく二つに分けて初期無量寿経と後期無量寿経と呼びます。

初期無量寿経に属する『無量清浄平等覚経』と『仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』(通称『大阿弥陀経』)では、阿弥陀如来の寿命が尽きて般涅槃に入ることが説かれます。そこで、法と極楽世界を、次に成道する観世音菩薩に付嘱、観世音菩薩の次は、勢至菩薩が成道して引き継ぐとされております。

この初期無量寿経を通称で‘無量寿’としておりますが、上記の『無量清浄平等覚経』では、阿弥陀(量ることができない)がかかるのは、寿命ではなく、‘清浄’です。また、『仏説阿弥陀三耶三仏薩楼仏檀過度人道経』は、Amita-samyaksambodhi-sarva-buddhaを音写したものと考えられますので、阿弥陀は、‘正等覚’にかかります。

つまり、初期無量寿経では、阿弥陀如来は無量の寿命を持っていなかったことになります。

ところが、顕正居士さんがご紹介くださった、『仏説無量寿経』や、『大宝積経』「無量寿如来会」・『大乗無量寿荘厳経』などの後期無量寿経になると、ほとんど無量の寿命を得るにいたるのです。
また、阿弥陀如来の成道後の寿命が延びるだけでなく、法蔵比丘の師である世自在王如来の在世もどんどん過去に遡っていきます。

これは、寿量品の内容に触発されたせいではないか、と考えます。



たまに、‘無料’寿仏という誤変換があると、なんか楽しい気分になります。

280マターリ:2008/06/11(水) 20:35:23
>顕正居士さん、ご教示いただきまして、ありがとうございます。
久遠の仏は、法華経にしか書かれていないと思っていました。しかし、
無量寿経・金光明経にもあり、さらには涅槃経にもあるんですね。

また、金光明経にも、如来寿量品があるとは、驚きです。

「日蓮の謎」(著:百瀬明治)には、「久遠実成の仏」は法華経にしか書か
れていない、とありました。危うく間違った情報を覚えるところでした。

>一字三礼さん、深いご内容で、私が理解するのは難しいのですが、
やはり、法華経・寿量品がいろいろな経典に影響を与えていたんですね。

ところで、ガンダーラは、紀元前185年頃、ギリシャ系のバクトリア王
デメトリウスにより征服されました。そして、ガンダーラで発見された
仏像を見ると、ギリシャ彫刻のような西洋風の顔をしています。

仏像を作る職人のほか、かなり多くのギリシャ人が、ガンダーラの地に
住んでいたと思われます。法華経は、ガンダーラで成立したと言われて
いますが、このギリシャ人たちが、法華経の編纂に影響を与えたという
ことはないのでしょうか?

法華経を熟読すると、宇宙が体感できるそうです。宮沢賢治の「銀河鉄道
の夜」のように・・・。ギリシャ人といえば、ギリシャ神話を思い出しま
すが、ギリシャ神話に登場する神々が、「久遠実成の仏」に影響を及ぼし
たということはないでしょうか?

281一字三礼:2008/06/11(水) 21:41:08

マターリさん

私には、ギリシア人が『法華経』の編纂に影響を与えたように読める箇所は、まだ見当たりません。
マターリさんが『法華経』を読んでいて、気になるところがあれば教えてください。

しかし、『法華経』だけに限定せずに全仏教で考えますと、ギリシアとの交流は深いようです。
「ミリンダ王の問い」(漢訳「那先比丘経」)という書では、ギリシア人の哲人王・ミリンダと、僧ナーガセーナとの間で、哲学VS仏教の論争がなされます。

アフガニスタンから出土したレリーフでは、釈尊の脇侍として、豊穣の女神デーメーテールと英雄神へーラクレースが描かれているものがあります。

仏教で護法神となった、神々の王である帝釈天は、ギリシア神話の主神ゼウスと同じ雷神です。
帝釈天は、戦いの前にソーマという興奮剤を飲むのですが、それを運ぶのはガルダという巨大な鷲です。それと同じように、主神ゼウスにネクタル(神々の酒)を運ぶのは、アイエトスという巨大な鷲です。

それから仏像を見てもギリシアやイランの影響がたくさん見られますね。

282パンナコッタ:2008/06/11(水) 22:56:33
マターリさん、
この時代の流れを、コインを参考に解説されています。
 http://www.page.sannet.ne.jp/to-okamo/guwanmi/hensen1.htm

一字三礼さんご呈示の「ミリンダ王の問い」も解説つきで、把握しやすいHPですよよ。

283顕正居士:2008/06/12(木) 00:27:11
有−空−不空という三時教判がインドですでに成立しました。不空教というのは般若経の後に成立した
たいがいの大乗の経です。しかし天台宗は般若経(三論四論)の空の立場を基本とするので不空を説く
経を全部方等部(一般大乗)に分類する。まだ空の立場にある法華経を最高としますから、不空を説く
のは涅槃経以外は法華部に入れない。「別の五時」が鈍根の声聞の一類のみに対する順序だとしても、
有−不空−空は納得できない。これらの経は声聞を貶め菩薩を称揚する傾向がある(別教 )けれども、
その対立が先にあって般若経で止揚したというのは全く架空の話で歴史的順序は逆ですから。
日本天台は密教を法華部とするから実質は有−空−不空の教判である。日蓮も当然この立場であるが、
一乗と仏寿無量は法華のみに詳説されており、華厳や密教はこれを前提としているに過ぎないという
(盗み入れたと表現する)。これは実は歴史的には正しいのだが、「別の五時」では破綻してしまう。
ここのところが天台教判の最大問題だと思います。

284マターリ:2008/06/12(木) 19:36:49
>一字三礼さん、
>マターリさんが『法華経』を読んでいて、気になるところがあれば教
えてください。

そうですね、宝塔品の宇宙的なダイナミックさから、何となくギリシャ
人の影響を感じます。ギリシャ人は、ギリシャ神話の神々を夜空の星座
に見ていました。宇宙的な思考は、宝塔品に特によく見られますが、
従地湧出品における、地湧の菩薩の出現風景にも見られると思います。
私個人の考えに過ぎませんが・・・。

また、法華経の編纂者たちは、カースト制度の最下層の人々で、熱狂的
な仏教徒であった、という説があります。ギリシャ人もカースト制度の
最下層で抑圧されていました。また、ギリシャ風の仏像を作って熱心に
拝んでいたそうです。

ガンダーラの仏像を見ると、精密な表現とともに、ギリシャ人の仏教に
対する、信仰の深さを感じ取れます。ギリシャ人が仏像を作るまで、
仏像は一体も作られていなかったのですから、偶像崇拝を禁ずる、伝統
仏教の僧から見れば、とんでもない事だったに違いありません。

大乗仏教の興隆と仏像の製作は、見事に連動していますので、法華経に
限らず、ギリシャ人が、大乗仏教に与えた影響は、かなり大きいと思い
ます。

>パンナコッタさん、HPを拝見しました。ギリシャ文明とインド文明の
出会いは、アレキサンダー大王によって、もたらされたのですね。

285一字三礼:2008/06/13(金) 19:48:29

顕正居士さん

〉一乗と仏寿無量は法華のみに詳説されており、華厳や密教はこれを前提としているに過ぎないという(盗み入れたと表現する)。これは実は歴史的には正しいのだが、「別の五時」では破綻してしまう。

「有−空−不空」の順は、教学史としては確かに正しいのですが、純粋に大乗思想の観点から見ますと、「不空」教学の『勝鬘経』や『解深密経』などは、新しい大乗のアビダルマを構築し始めると同時に、‘如来蔵’や‘アーラヤ識’など‘法’に実体のようなものを求め始めたことからバラモン・ヒンドゥー教学の影響をも受け始めた段階と捉えることは可能でしょうか。

「不空」という中期大乗仏典は、『八千頌般若経』や『法華経』などの最初期大乗経の持つ、純粋な仏教的教説を失い始めた時期なのではないか、と思うのです。
そういった意味で、「不空」教学は仏教学的に‘後退’である、とみれば「別の五時」の方が、私としては納得のいく現代的な教判ではないかと思います。

286一字三礼:2008/06/13(金) 20:07:16

マターリさん

う〜ん、難しいですね。これこれの時代のこの地域のギリシア人の影響とか、ギリシア神話のどの話の影響、など、もう少し具体的に記していただけませんでしょうか。

「地面から湧き出す」という場面をギリシア神話から考えた場合、

・ハデスのペルセポネ強奪(これはハデス一人ですが)
・英雄の祖カドモスが戦わなければならなかった「スパルトイ」(撒かれた者たち)
・アルゴナウタイのイアソンが戦った残りの「スパルトイ」
・パレーネーの野から現われた「ギガントマキアー」

上記はいずれもダイモーン(‘死’そのもの・死に属する神々)であり、地涌菩薩のような聖者集団と比較することはできません。

〉法華経の編纂者たちは、カースト制度の最下層の人々で、熱狂的な仏教徒であった、という説があります。

これは渡辺照宏氏の説ですか。

287顕正居士:2008/06/13(金) 21:46:22
一字三礼さん。

般若経典とこの思想を理論化した龍樹の空性の説が大乗仏教の基礎になっており、末期インド仏教を
移植・冷凍したようなチベット仏教でもゲルク派は帰謬論証派が顕教の最高の立場であるとします。
しかし中観派の主張は「いかなる命題も定立できない」(自立派)、「いかなる命題も定立できない
という命題も定立できない」(帰謬派)でありますから、絶対的不可知論であり、この立場からは
建設的な教義や修法が何も導けません。それで無着・世親により「龍樹の密意」としての唯識の学が
起こり、大乗仏教は中観派と瑜伽行派に分かれますが、最終的には瑜伽行中観派として統合されます。
すなわち勝義諦においてはいかなる主張も成り立たないが、世俗諦においてはさまざまな主張が可能
とする二諦説です。イブン・ルシドの二重真理説みたいなものですね。聖典によると宇宙に始まりが
あるが、アリストテレスによると宇宙に始まりはない。ゆえにどちらも真理という。

クマーリラの二諦説批判
http://blogs.dion.ne.jp/sanskrit/archives/5377288.html

288顕正居士:2008/06/13(金) 22:02:19
インド教(ヒンドゥー教)のヴァルナ・ジャーティ制度の中に異教徒、異民族は位置を持てません。
したがって仏教徒やギリシャ人はアウトカーストです。もしインド教に改宗した場合は最下位の
スードラの身分になります。これは現代でもまったく同じです。

289マターリ:2008/06/14(土) 07:54:44
>一字三礼さん、顕正居士さん、ご教示いただきまして、ありがとう
ございます。

>一字三礼さん、
>う〜ん、難しいですね。これこれの時代のこの地域のギリシア人の影響
とか、ギリシア神話のどの話の影響、など、もう少し具体的に記していた
だけませんでしょうか。

すみません。この事に関しては、文献学的な根拠は全くありません。ただ、
私の想像で書かせていただいただけです。法華経を物語として読んでの、
感想ということでお許しください。

>〉法華経の編纂者たちは、カースト制度の最下層の人々で、熱狂的な
仏教徒であった、という説があります。これは渡辺照宏氏の説ですか。

図書館から何冊かの、法華経解説書を借りてきて読みました。その中に、
この言葉がありました。既に返してしまったので、誰の言葉だったか
覚えていません。小さな文庫本だったのですが、最近探してみても
見つかりませんでした。

何人かの仏教研究者の発言が載っていましたが、法華経に対してあまり
良い評価が書いてありませんでした。法華経は、「狂信者」のグループが
編纂した、と書いている人もいました。

ベトナム戦争当時、南ベトナムの僧侶が、よく焼身自殺をしましたが、
法華経の「捨身供養」という思想の影響だろう、という説も載っていま
した。

>顕正居士さん、ギリシャ人がアウトカーストということは知っていま
したが、仏教徒もそうだったんですね。その観点で、仏教の歴史を見直
さなくては、と感じました。

密教がすたれると、仏教はヒンドゥー教に飲み込まれてしまいましたが、
仏教徒がアウトカーストだった、という原因もあるかも知れませんね。

290顕正居士:2008/06/14(土) 18:32:54
2CHの過去ログにこんな投稿がありました。19世紀の話ですが。外国人(異教徒)は
皆アウトカースト。不可触民といって触れると自分もアウトカーストになるらしい。

805 :世界@名無史さん:2007/04/20(金) 15:28:48 0
>>803
シーター・ラームっていうバラモン村出身の東インド会社兵の自伝を以前読んだけど
その人はイギリス人将校や兵士の勇敢さなどは素直に尊敬してたよ。
一緒に食事をとったりすると身が穢れてしまうのでそういうのはかなり嫌がってたが。

戦争中に遊牧民から飲み水をもらったりムスリムの捕虜になったりするたびに
一時的にアウトカーストになってしまい、そのつど僧侶に大金を払って清めの儀式を行ない
カーストに復帰しなければならないようだった。
あと盗賊にさらわれてアラブ人の情婦にされていたラージプートの女性を助けて
後に結婚しているが、その女性も金を払って儀式をすれば元のカーストに戻れたらしい。

2CH 世界史板 過去ログ「インドのカースト制」

291一字三礼:2008/06/14(土) 20:51:49

現代では、外国人(アウト・カースト)との接触は、自由な風潮があるのかもしれません。

私の知人の話ですが、ロンドン在住でロンドン大学の研究所にいる50代のバラモンがおります。

私がロンドンに行った時、彼の家に数日泊めてもらい、彼の親族一同とも食事をしました。しかし、私と彼の親族とで食事をする時、とくに嫌がっているように見える人はいませんでした。

バラモンであっても、外国で生活を続けるための必然で「アウト・カーストとの接触の不可」を無視せざるを得なくなったのでしょうね。

毎年「ディーワーリー」には、必ずカードが送られてきます。

292一字三礼:2008/06/14(土) 21:33:08

顕正居士さん

最初の『八千頌般若経』にみる空性説は、ダルマを実体視する部派教学(たとえば有部の五位七十五法)などに対するアンチテーゼだったように思うのです。

ところが、龍樹の「中論」では、正理論派などバラモン諸派哲学との法論の意を加えて、「二諦論」として展開していきます。

しかし、ご指摘のように「二諦論」は、相手の論法に対して、勝義と世俗を使い分ければ、‘どうとでも言える’理論になってしまう。

そこで、唯識学が、‘空性をふまえたアビダルマ哲学’として、発生した。そういった意味で、中期大乗仏教の理論とは、一種の先祖返りをしたものではないか、と思うのです。

瑜伽行中観派になると、理論面の緻密さと反比例し、実修面では著しく密教化していきますね。

293顕正居士:2008/06/15(日) 03:21:32
近代教育を受けた人がマヌの法典を信じていることはないと思います。しかしインド社会の大勢は
変わっていないので、それらの方々も結婚などにはきわめて保守的なようです。ところで公式用語
として「指定カースト」と「指定部族」というのがあります。

インドのカースト制度とダリット
http://drhnakai.hp.infoseek.co.jp/sub1-62.htm
インドの州別 指定部族人口比率
http://indokeizai.com/local/pop/scheduled-tri.html

「指定カースト」はインド教文化圏のアウトカースト、「指定部族」は異教徒、先住民でしょうか。
合計してインド共和国人口の2割に近い。議会の議席、学校の成績発表、公務員の採用すべにおいて
カースト別にし、指定カースト、指定部族を保護しているのですが、かえってカースト制度を固定
しているという批判があります。南アフリカ諸国にあったアパルトハイトを数千年続けたらインド
になるようなもの。今後アウトカーストの自覚が高まればそれはそれで大変なことになりそうです。

294犀角独歩:2008/06/15(日) 08:05:19

忙しくロムのみとさせていただいていました。
ようやく休みになりましたので、いくつか質問をさせてください。


☆一字三礼さん

1)「阿含経及びニカーヤで説かれる原始法身仏の発展」(277)ということですが、こうした法(ダルマ)そのものを仏身と見なす起源はどこにあるとお考えですか。

2)わたしは、無量寿、寿量ともに仏が果報として得た長い寿命を指すのだと考えていました。しかし、279の分析を拝見すると、どうもこの考えは早計であったとわかりました。つまり、法華経では寿命の長さ、初期の阿弥陀経ではそうではなく、後期になってようやく寿命の長さになったということなのですね。

経典の成立順というより、解釈の変遷として考えるとき、法華経の原形、阿弥陀経の原形がまずあり、どこかでの段階で法華経の長寿が久遠の仏、後期阿弥陀経の無量寿仏として形成されていったという時系列となりますか。


☆顕正居士さん

「不空」ですが、たとえば三諦では但空から、中道、さらに三即一といったことがいわれますが、不空と中道は、どのような相違があるのでしょうか。

295顕正居士:2008/06/15(日) 10:03:24
犀角独歩さん。

不空というのは、空の教は世俗の我(実体観)を破るための仮の教である、不空が仏陀の真説であるという
立場です。不空を説く経の一つに「大法鼓経」があります。下記の引用でおおよその立場がうかがえます。
なお日蓮も同様の説明をします(十章抄、報恩抄他)。不空の立場では不空が中道です。

大法鼓経 Mahabheisutra http://suzuki.ypu.jp/MBhS-j.html

三諦は中論観四諦品の三諦偈から初祖慧文が一心三観を会得したと伝え、天台教学の骨格になっています。

「因縁所生の法を、我即ち是空なりと説く、亦是を仮名と為す、亦是中道の義なり」

諸々の縁起によって生じる現象は、その実体は無いのであるが、仮にこれに概念を与え仏陀は教を説かれた。
それが中道ということである。つまり真諦・俗諦の二諦のことであり、二諦そのことが中道だというのです。
それが天台では三諦になるのはおかしい、誤読であるという意見があります。しかし隔歴の三諦は別教の
三諦であり、円教は円融の三諦だとするので、微妙な感じです。隔歴の三諦の中諦をいわゆる不空と考えた
とすると、円融の三諦はややこしく三諦偈の原意に近い気もします。日本天台の隔歴的中道とは異なります。

296マターリ:2008/06/15(日) 14:39:56
顕正居士さんがおっしゃった、「仏教徒もアウトカーストで、インド教に
改宗した場合は最下位のスードラの身分になります。」ということについ
て考えていました。

法華経をはじめ大乗仏教は、信仰することによる、大きな功徳を説いてい
ると思います。しかし皮肉なことに、実際のインドの歴史をみると、密教
を最後に、仏教は完全に消滅し、ヒンドゥー教に改宗した仏教徒は、スー
ドラという最下層の身分となってしまいました。

スードラの身分が悪い、ということではありません。最下層の身分なりの
幸せもあるでしょう。しかし、大乗仏教で説いている「功徳」とは、いささ
か矛盾を生じると思います。

大乗仏教経典と、実際の歴史的事実の矛盾について、どのように考えれば
良いのでしょうか?ご賢察のほど、宜しくお願いします。

ウィキペディア「密教」より引用↓

インド仏教の密教化はヒンドゥー教の隆盛とインド仏教の衰退を変えられ
なかった。やがて、西アジアからのイスラム勢力のインド北部から侵攻し
てきたイスラム教徒政権(デリー・スルタン朝)とインド南部のヒンドゥ
ー教徒政権との政治・外交上の挟撃に遭う。イスラム教徒から偶像崇拝や
呪術要素を徹底攻撃されて、インドの密教は最後の段階のインド仏教とし
て歴史的に消滅に追い込まれる。

297顕正居士:2008/06/15(日) 17:30:19
インド仏教滅亡の理由についてはこの本をおすすめします。

「インド仏教はなぜ亡んだか」
http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya0820.html

イスラーム文献「チャチュ・ナーマ」を史料とし、滅亡の理由を端的に回答した本です。
「チャチュ・ナーマ」という一史料中心なので、その点が読み物としてちょっと物足らないですが。

要するに仏教はアンチカーストを中心とする抗ヒンドゥー要素にインド社会での役割があったのであり、
宗教のなかみは甚だ異なるけれども抗ヒンドゥーとしてより強力なイスラームに積極的に改宗あるいは
抵抗少なく吸収されたという説です。実際、今日パキスタンなど今はイスラームである地域に昔は仏教
が栄えていました。仏教といえどもインドの宗教ですからイスラームに対すればヒンドゥー社会により
親縁を抱く要素はあったはずですが、改宗者はスードラの身分にしかなれないという制約がありました。
やがてインドはムガル(モンゴル)人の王朝が支配します(1526-1858)。この王家はムスリムでした
から改宗者の子孫はアショカ王、カニシカ王、戒日王の時代のように信仰上は幸せだったとおもいます。

298マターリ:2008/06/15(日) 18:50:53
>顕正居士さん、HPを興味深く拝見しました。インドの仏教徒は、一部
の人々だけが、密教を信じていただけなのですね。また多くの仏教徒が、
イスラム教に改宗したとのことで、驚きました。大乗仏教の寛容さが、
他宗教への改宗を可能にしたようですね。

改宗者の子孫が、ムガール帝国時代以降、一応の信仰上の幸せを得ら
れたとのことで、心のつかえが取れました。

299犀角独歩:2008/06/15(日) 19:00:19

顕正居士さん

ふと気が付くと「不空」ということをスポイルして考えてきた自分がありました。その理由はたぶん「不空三蔵」との連想から知らない間に忌避していたからかも知れません。

有から空。この空は有に対する無ではなく、不空もまた、それ以前の有とまた違う変遷があるのだろうと思えました。

また、こうした解釈を考えるうえで、三諦に引っ張られる当たり、自分史がそこにあるとも感じました。

300一字三礼:2008/06/16(月) 21:45:44

犀角独歩さん

〉無量寿、寿量ともに仏が果報として得た長い寿命を指すのだと考えていました。

仰るとおり、後代の教学では『仏説無量寿経』の如来を‘報身仏’(saṃbhoga-kāya)として考えます。
ところが、先に記しましたように、この経典の古訳では、阿弥陀如来は長寿ではありません。

この『仏説無量寿経』の中心的主張は、明確です。

本願を誓う以前、最初に法蔵比丘は、世自在王如来に諸仏如来の仏国土の勝れた特徴について、詳しく説いてくれるように頼みます。世自在王如来は、最初「そんなの自分で調べれば?」と無碍に断りますが、結局詳しく教えました。

その教わった全ての仏国土の情報を基に、最も優れた仏国土を建設することを考えたのです。つまり、法蔵比丘の本願の中心は、第十八願などではなく、極楽浄土建設でした。

その本願力によって完成した、もっとも勝れた浄土なので、極楽浄土は、阿弥陀如来が般涅槃した後にも、他の如来たちに受け継がれるという金剛不壊という特質を持ったのでしょう。

ここから『仏説無量寿経』の趣旨は、法蔵比丘が偉大な本願を立て、そのための長い修行をした結果、極楽浄土という最も勝れた仏国土を建設したということに力点が置かれているのです。

これは‘報身’ならぬ‘報土’思想と呼ぶべきでしょう。

ちなみに、『仏説無量寿経』という経題は、中国での命名で、梵名は『Sukhāvatī-vyūha』(極楽の荘厳)です。

301犀角独歩:2008/06/16(月) 23:33:03

一字三礼さん

有り難うございます。参考になりました。

もう一点、よろしいでしょうか。
結局のところ、『法華経』は、いつ、どこで、だれが、何のために製作したとお考えですか。

302一字三礼:2008/06/17(火) 08:40:29

犀角独歩さん

〉『法華経』は、いつ、どこで、だれが、何のために製作したとお考えですか。

このご設問の前提認識について質問させてください。

①『法華経』は、二十七品(二十八品)が同時に製作されたものとお考えですか。

②『法華経』の各品が製作された土地は一ヵ所であり、かつ、編纂された場所も同じだとお考えですか。

③『法華経』二十七品は、一時代の一人の人間が製作したものとお考えですか。もしくは、一時代の1グループの製作したものとお考えですか。

④『法華経』二十七品全体は、一時代の一人の人間、もしくは1グループの製作意図で貫かれているとのお考えでしょうか。

質問で返す形になって申し訳ありませんが、ここが犀角独歩さんのご設問にかかわる大事なところだと思います。

303犀角独歩:2008/06/17(火) 21:51:44

一字三礼さん

安直な質問の仕方でした。
失礼しました。

> ①『法華経』は、二十七品(二十八品)が同時に製作されたものとお考えですか。

考えません。
御説のとおり、方便品からだろうと。それも偈が先行し、散文があとかと。


> ②『法華経』の各品が製作された土地は一ヵ所であり、かつ、編纂された場所も同じだとお考えですか。

考えません。
バーミヤンの近くといった話に興味が惹かれますが、原法華経といわれる部分も増広も、どこで製作され、編纂されたか、場所は1カ所である、同一箇所でないだろうと。ただし、憶測の域を出ません。

③『法華経』二十七品は、一時代の一人の人間が製作したものとお考えですか。もしくは、一時代の1グループの製作したものとお考えですか。

考えません。
西暦前100年から150年という時間経過があってもおかしくなく、特に護持グループが単一であるとも考えがたいように思えます。理由は、特に法華経を継承したようなグループが特定されていないからです。

④『法華経』二十七品全体は、一時代の一人の人間、もしくは1グループの製作意図で貫かれているとのお考えでしょうか。

考えません。
内容的には、集成、悪い言葉で言えば寄せ集めといった印象を懐きます。一貫性を欠くように思えます。内容がそうであれば、一人の人間…一人の人間であれば一時代となります…が製作した可能性はなく、編纂であっても、さて、どうかという思いがあります。

以上の如くです。故に「いつ・どこで・だれが」とは、原法華経の偈、また、その増広の散文、さらに他のそれぞれの章の偈、散文がまでは製作として、その後の編纂はまた、同じように「いつ・どこで・だれが」といった具合に、どこまで、予想がつくのか、一字三礼さんのお考えをお聞きしたいという意味でした。

304一字三礼:2008/06/18(水) 23:14:23

犀角独歩さん

考古学的な資料を基にして、原法華経の製作年代、製作地等を探る作業は、『法華経』の成立史を考察した諸師、例えばケルン、宇井伯寿、和辻哲郎、布施浩岳、中村元等がそれぞれに独自の見解を示しております。
しかし、どの説も、誰もが納得できるだけの説得力を持ってはおりません。

その理由は、諸師の提示する考古学的な資料や歴史的な出来事と、『法華経』との関連性が明確に証明できず、漠然としているからではないか、と考えます。

例えとして中村元説を要約して考えてみます。

中村師は、原法華経の製作年代の上限を紀元37年以後と設定しました。
その理由として、「譬喩品」の長者窮子喩に現われる長者が、‘利息を取る商売をしている大富豪であり、国王やバラモンを駆使せしめるほどの財力を持っていた’ことを挙げています。そして、その状況に合致する時代として、インドで貨幣経済が急速に発達したウェーマ・カドフィセーズの時代と考えました。

しかし、この理由だけでは何も証明されません。

インドではヴェーダ時代から貨幣の使用が盛んに行われていた、とする説があり、この説には相当の根拠があります。また、紀元前6世紀頃、つまりマガダ王国が栄えたころの打印貨幣と、インダス文明の度量衡単位とのあいだに密接な関係があったことも明らかにされております。
原始仏典の中にも「たとえシュードラであっても、財宝・米穀・金銀に富んでいるならば、クシャトリヤでもバラモンでもヴァイシヤでも、彼より先に起き、後に寝て、進んで彼の用事をつとめ、彼の気に入ることを行ない、彼に対して好ましい言葉をかけるであろう。」と述べられています。

ここから考えれば、インドの貨幣経済は、ヴェーダ時代にはすでに始まっており、釈尊の時代には盛んになっていて、どのような身分の者であれ大富豪であれば、バラモンやクシャトリヤを使役できた、ということがわかります。

そうしますと、「譬喩品」に登場する大富豪像から、その時代を確定することなど不可能ではないかと考えます。
また、「譬喩品」の長者窮子喩から製作年代の上限を確定できるのであれば、長者窮子喩が『法華経』の最古層であることを証明しなければなりません。しかし、中村師はそこに言及していません。

私は、極めて少ないインドの考古学的資料・歴史的資料から、『法華経』の製作年代等を探るのは不可能だと思います。
結局は、『法華経』に深く入って探りだすしかないのではないか、と考えます。

例えば、『法華経』の最古層で使われている仏教用語が、どの部派の用語・用法と関連があるか、などを丹念に調べることは、原法華経の製作地と製作集団にせまることが可能な作業ではないか、と考えます。

現在進行している作業がありますので、「原法華経について」は、公開の掲示板で述べることは差し障りがあるそうです。申し訳ありませんが、この話はここまでとさせてください。

305マターリ:2008/06/19(木) 19:50:16
>一字三礼さん、法華経を、確実な資料から判断しよう、という真摯な
御姿勢は理解できます。

しかし、法華経に関する資料不足から、「何もわかりません」ということ
では、話の接ぎ穂に困ります。

また、法華経の仏教用語が、どの部派の用語・用法と関連するか、など
は、私たち、仏教アマチュアの能力を、はるかに超えています。一生か
かっても終わらないかも知れません。

現時点で、一字三礼さんのお考えになっている、法華経に関する見解を
途中経過でも結構ですので、お話いただけませんか?
根拠とする資料が無くても、単なる想像でも結構ですので・・・。

306天蓋真鏡:2008/06/25(水) 17:30:13
白法隠没〜大白法→ 白い蓮の花が散っては又、白い蓮の花を咲かせる事が発想の着眼点かは 調べ様が無いかな

307顕正居士:2008/06/25(水) 18:11:34
法華経の成立と製作の意図

1 成立時期は初期の般若経典が出来たあと。大経(無量寿経)より前。だから西暦前50-西暦後150の
通説でよい。理由は方便品に諸法の体が空であるという思想がある。大経は寿量品の影響下に出来たと
考えるのが自然。
2 成立はいっぺんでなく3グループ順次成立。理由は什訳では属累品が真ん中にある。涌出品以降は
構想に変化がある。
3 成立地域は写本が出土している北インド。今のインド共和国の北部のことではない。
4 製作者は部派教団の比丘。部派名はわからないが、北インドの部派。理由はアーガマに精通している。
5 製作意図は第一グループは四車家のいう一乗。声聞は実際には涅槃せず菩薩乗に廻心するという思想。
だから三乗のどれを志向しても構わないとする。
第二グループは報身仏。化身仏は涅槃しても報身仏は常在霊鷲山。つまり娑婆世界も報土である。
両製作意図は永遠の菩薩道で統一される。第三グループは具体的に永遠の菩薩を示す。

つまり製作者については最近の説が納得でき、その他は標準的な説がもっともであると考えます。

308顕正居士:2008/06/26(木) 11:53:49
ところで一乗の思想と報身仏の思想は一個の事柄の二面であると思われます。

阿羅漢は実際には涅槃しない。一乗に廻心する。
「千二百ノ羅漢 悉ク亦當ニ作佛スベシ」(方便品)

廻心するといっても捨小取大ではない。三乗に優劣は全くない。
「三乘入住優劣五。最澄問フテ曰ク。三乘ノ人、同ジク初住ニ入ルノ時、優劣有リヤ否ヤ。
座主答ヘテ曰ク、疏ノ中ニ自ラ云フ別無キ也ト」(天台宗未決)

実には涅槃しないといっても阿羅漢がまた三界に生じることはない。以後は意生身である。
菩薩のManomayakāyaとはつまり仏の報身Sambhogakāyaに相当する。意生身の菩薩を認める
ならば当然報身仏の存在も要請されます。

309一字三礼:2008/06/26(木) 22:59:15

〉実には涅槃しないといっても阿羅漢がまた三界に生じることはない。以後は意生身である。

「方便品」、「授記品」等の記述からみますと、授記を得た阿羅漢の声聞たちは、菩薩のように幾度も三界に生じるように読めませんでしょうか。

声聞たちの成道を詳細する個所では、釈迦仏の八相をモデルとして記述しているので、菩薩として幾度も三界に生まれて仏に仕え、慈悲行を行なう、と考えるのが妥当だと思います。

「仏王子たらん時 国を棄て世の栄を捨てて 最末後の身に於て 出家して仏道を成ぜん 華光仏世に住する 寿十二小劫 其の国の人民衆は 寿命八小劫ならん」(舎利弗)
「最後身に於て 仏に成為ることを得ん」(迦葉)
「菩薩の道を具して最後身に於て仏に成為ることを得ん」(修菩提)
「其の最後身に 仏の智慧を得 等正覚を成じ 国土清浄にして」(摩訶迦旃延)


『維摩経』では、維摩居士が一切皆空を論拠として一生補処である弥勒菩薩を叱りますが、『法華経』での声聞授記は、大乗の‘空’に論拠を求めず、阿羅漢の四向四果という原則そのものを無視する、もしくは方便とする形でなされているのではないでしょうか。

310顕正居士:2008/06/27(金) 03:05:29
一字三礼さん。

「共の十地」と呼ばれる基礎的な十地では第七地が阿羅漢果に相当します。

華厳の階位説 ─ 十地の思想 ─
http://homepage3.nifty.com/huayan/doctrine/jiewei.htm

対して大乗諸経に説かれる各種の行位はすべて界外の菩薩のものとされる。
「三明別教者。此約界外獨菩薩法。…既是界外菩薩行位。隨機利益豈得定説」

天台八教大意
http://www.cbeta.org/result/normal/T46/1930_001.htm

阿羅漢はすでに三界に生ずる原因をすべて断じていますから、自動的に一乗に廻心し、
以後は界外の菩薩として意生すると考えられます。なぜなら阿羅漢は見思の惑を
断じておりますが、三界の外の惑、いわゆる不染汚無知を断じていませんから。
菩薩の最後身が同居土の凡夫に感見可能なのは実身(報身)でなく化身であるから
と思います。

311顕正居士:2008/06/27(金) 04:18:27
変易身(意生身)についての佛光大辞典の記事です。

変易生死
http://baike.baidu.com/view/560122.html

「蓋し阿羅漢、辟支佛と及び大力の菩薩は已に四住地の煩悩惑障を断じ尽し、
復た再び生を受くるに三界内の分段身と為らず、故に生を受くるに三界外の変易身と為る、
然して彼等又此の変易身を以て三界の中に回入し、長時に菩薩行を修し、
以て無上菩提を達せんと期す」

314マターリ:2008/08/03(日) 16:13:11
法華経を勉強した後、御書に法華経の事がどのように書いてあるか、
調べてみました。ところが意外に、法華経の事について、多くは書いて
いないようでした。最も字数の多い物は、法華経題目抄のようでした。

ところで、波木井三郎殿御返事や呵責謗法滅罪抄を見ると、日蓮は常軽
菩薩に似ていると書いています。日蓮も常軽菩薩も、長い間、悪口雑言
をされたという共通点があるから、という説明です。

しかし法華経常不軽菩薩品第二十を見ると、常不軽菩薩の本質は、別の
所にあるように考えられます。

常不軽菩薩は、誰に対しても礼拝します。人から、ののしられ、悪口雑言
されても、けっして怒らず、「あなたがたは仏になるのです」と礼拝しまし
た。「わたくしは、あなたがたを深く敬います。あなたがたを決して軽ん
じず、あなどることを致しません。あなたがたは皆、菩薩道を行じて仏に
なるのですから」と言います。

つまり、常不軽菩薩の本質は、悪口雑言されること、そのものではなく、
何度、悪口雑言されても、人を敬い礼拝を続けたことにあるのではない
でしょうか?。

日蓮は、呵責謗法滅罪抄で、「良観は日蓮を訴えたことにより、無限地獄
に落ちる」と書いてあります。

しかし法華経常不軽菩薩品第二十の教えから忠実に答えを導き出すと、
「良観は日蓮を訴えたが、菩薩道を行じて仏になる」ということに、
なるような気がします。

日蓮も人の子ですから、良観に訴えられて感情的になり、この抄を書いた
と思われます。犀角独歩さんによると、日蓮は涅槃経的に法華経を解釈し
た、とのことでしたが、この波木井三郎殿御返事や呵責謗法滅罪抄をみる
と、法華経の経文を忠実に捉えていなかったか、あるいは、一部を故意に
無視したとも考えられるのですが、いかがでしょうか?

常不軽菩薩について、日蓮の他の述作を存じませんので、ご教示のほど
宜しくお願いします。

315パンナコッタ:2008/08/03(日) 20:48:00
所謂、逆縁・毒鼓の縁のことですね。
各々詳細な事については諸賢のご指摘があると思いますので、自分からは大ざっぱな外殻のみを。
波木井三郎殿御返事は、日興写本の南部六郎三郎殿御返事の事ですね。また呵責謗法滅罪抄は
真偽未決の録外ですので、真蹟からの引用で順を追って見てみましょう。

 「不軽菩薩の悪口罵詈せられ、杖木瓦礫をかほるも、ゆへなきにはあらず。過去の誹謗正法のゆへかとみへて
  其罪畢已 と説かれて候は、不軽菩薩の難に値ふゆへに、過去の罪の滅するかとみへはんべり」
 「過去の不軽菩薩・覚徳比丘なんどこそ、身にあたりて読みまいらせて候けるとみへはんべれ」        転重軽受法門 文永八年十月五日
 「過去の不軽品は今の勧持品、今の勧持品は過去の不軽品なり。今の勧持品は未来は不軽品為るべし。其の時は日蓮は即ち不軽菩薩為るべし」 寺泊御書 文永八年 十月二十二日
佐渡への護送中、蓮祖は不軽に自身を投影させ、其罪畢已から難に逢う意味を見いだしていますね。そしてその後、

 「末法に於ては大・小・権・実・顕・密共に教のみ有りて得道無し。一閻浮提皆謗法と為り了んぬ。逆縁の為には但妙法蓮華経の五字に限るのみ。
  例せば不軽品の如し。我が門弟は順縁、日本国は逆縁なり」                   法華取要抄 文永十一年
 「今は既に末法に入りて在世の結縁の者は漸々に衰微して、権実の二機皆悉く尽きぬ。彼の不軽菩薩末世に出現して毒鼓を撃たしむるの時なり」 曾屋入道殿許御書 文永十二年三月十日
と、逆縁で在る事を示しています。

また不軽菩薩の話では、増上慢の四衆は謗法の罪により千劫の間地獄に堕ちたが不軽の逆縁により成仏が決定し
過去の不軽が今の釈尊であり増上慢の四衆は今の列衆の四衆であるという概念の元での、良観に対する蓮祖の口撃
であったと思われます。(それでも実際は、かなり感情的になっていたようですが)
 「仏は法華経謗法の者を治し給はず、在世には無きゆへに。末法には一乗の強敵充満すべし、不軽菩薩の利益此れなり。各々我が弟子等はげませ給へ」 諫暁八幡抄 弘安三年 十二月
そして、こんな認識に至ったようですね。

316マターリ:2008/08/03(日) 21:26:46
>パンナコッタさん、いろいろな文を引用していただき、ありがとう
ございました。

順縁・逆縁のこととは、思い浮かびませんでした。

>また不軽菩薩の話では、増上慢の四衆は謗法の罪により千劫の間地獄に
堕ちたが不軽の逆縁により成仏が決定し過去の不軽が今の釈尊であり増上
慢の四衆は今の列衆の四衆

法華経常不軽菩薩品第二十を何度か読んでみましたが、その部分は覚えて
いませんでした。もう一度、見直してみます。

317パンナコッタ:2008/08/04(月) 13:30:33
マターリさん、

得大勢 彼時四衆比丘比丘尼優婆塞優婆夷 以瞋恚意輕賤我故 二百億劫常不値佛不聞法不見僧 
千劫於阿鼻地獄受大苦惱 畢是罪已 復遇常不輕菩薩教化阿耨多羅三藐三菩提 得大勢 
於汝意云何 爾時四衆常輕是菩薩者 豈異人乎 今此會中跋陀婆羅等五百菩薩 師子月等五百比丘尼 
思佛等五百優婆塞 皆於阿耨多羅三藐三菩提不退轉者是 
 を、"大ざっぱ"に読み下したので、そこは御容赦。

318パンナコッタ:2008/08/04(月) 13:32:16
また、独歩さんの涅槃経的解釈というのは、"日蓮の折伏観"の事についてだと思います。 
で、あるとするなら大変ややこしくなってしまいますので、掻い摘んで前提を。
 ①涅槃経の覚徳・有徳・仙予
 ②天台の摩訶止観 「大経の刀杖を執持し、乃至首を斬るは是れ折の義なり」
そして日蓮の引用。 
 安国論の仙予の故事(ここではそれを踏まえて布施を止めろとの意)
 開目抄の「邪智謗法の者の多き時は折伏を前とす。常不軽品のごとし」 
 本尊抄の「此の四菩薩折伏を現ずる時は賢王と成りて愚王を誡責し、
  摂受を行ずる時は僧と成りて正法を弘持す」
と、いう流れに於いて、"日蓮は折伏という語彙を涅槃経から解釈した"
という事を、独歩さんは述べたのだと思うのですが、如何でしょうか。

ちなみに過去此処の部分で、色々と争点となったのは 
"不軽の行為がなぜ折の義なのか" とか
"常不軽品のごとしを本当に日蓮が書いたか" 等々
とても書き尽くせませんので、これは過去スレをご覧下さい。

319マターリ:2008/08/04(月) 18:55:57
>パンナコッタさん、レスありがとうございます。珍しいHNでいらっしゃ
ると思っていましたが、イタリア料理の本を見ているとき、偶然見つけま
した。イタリアのお菓子の名前だったんですね。

法華経の引用ありがとうございます。また、"日蓮の折伏観"を要約してい
ただき、頭の中が整理できました。

"不軽の行為がなぜ折の義なのか"とか、"常不軽品のごとしを本当に日蓮が
書いたか"については、過去スレで見たような気がしていましたが、法華経
スレだったんですね。もう一度、拝見してみます。

ところで、法華経をみると、常不軽菩薩の特性は、三つあると思います。

1.人から悪口雑言される
2.悪口雑言されても怒らない
3.逆に、悪口雑言した人を敬い、しかもその人を礼拝する

蓮祖は、常不軽菩薩について、1については書いていますが、2と3について
は何も書いていないようです。法華経を最勝最高と称えた蓮祖が、どうして
常不軽菩薩の2つの重要な特性に言及しなかったのか、この理由をお聞きし
たいと思います。

320犀角独歩:2008/08/05(火) 00:16:53

318 パンナコッタさん

解説、有り難うございます。概ね、仰るとおりです。
本来、法華経には摂受・折伏といった成句も、概念もないのに、「法華涅槃時」の括りのなかで『涅槃経』説の摂折論をもって『法華経』を捌く天台の在り方は如何なものか。また、こうした点を日蓮は前提にするために、かえって『法華経』の原意から、日蓮の解釈は外れてしまっていないかという点を指摘しました。

321天蓋真鏡:2008/08/05(火) 10:40:42
天台は方法論を説き、 日蓮は其儘利用した?

322犀角独歩:2008/08/05(火) 10:57:35

マターリさんが、319に整理された常不軽菩薩の特徴は、実は『法華経』に登場する菩薩の特徴ですね。(地涌菩薩が迫害をされると言った記述はないので、この部分で特例)

ところが、面白いことに、「法華経を自分は、誰よりも深くわかった、理解している」という大方の当の本人たちは、まるでこうした菩薩達とは異なります。法華経を理解していないと人を平気で蔑みますし、法華経を信仰しない人の人格を貶して恥じることもありません。口汚く感情的で人身攻撃に余念があります。そうした例は、こちらの掲示板でいくらでも指摘できるでしょう。

こうした法華経菩薩達とまったく異なった言辞と行動を、なぜ、法華経信仰者がなすのか、それはもちろん、不軽菩薩物語のとらえ方、ひいては解釈に問題があるのではないですか。では、どのようなとらえ方かと言えば、「折伏的な」ということではないですか。わたしは摂折で法華経を解釈すれば、徹底的に「摂受的な」経典であると思います。それは、まさにマターリさんが 1.人から悪口雑言される 2.悪口雑言されても怒らない 3.逆に、悪口雑言した人を敬い、しかもその人を礼拝する と整理して有様が摂受と映じるからにほかなりません。この三つの整理のなかには相手を「折り伏す」という高圧的、かつ強制的なところは片鱗もありません。

323パンナコッタ:2008/08/05(火) 13:56:14
マターリさん
添品法華の闍那崛多を捩ったら、お菓子の名前になってしまいました。
議論が紛糾した摂折スレに即して、いくつかあったと思います。(大変膨大ですが)

但行礼拝の不軽と蓮祖の相違ですが、これは個人的な資質が大のような気がしますね。
手がかりになりそうな文献を拾ってみると、災難興起由来・安国論そして太田抄記載の
『涅槃経に云く 若し善比丘ありて法を壊る者を見て、置きて呵責し駆遣し挙処せずんば、当に知るべし、
 是の人は仏法の中の怨なり。若し能く駆遣し呵責し挙処せば、是れ我が弟子真の声聞なり』
この思想が蓮祖の根底にあったからではないか、と推察されます。
だからと云って、年中怒鳴り散らしている蓮祖のイメージは後世の産物でしょう。
(極限状態の松葉ヶ谷や小松原の襲撃に対しては、人としては真っ当な反応でしょう)
論断敵対書のようなcoolな対応もありますので、法華誹謗に対しては毅然と対処するのが
蓮祖のスタンスだったのではないでしょうか。

324パンナコッタ:2008/08/05(火) 13:57:17
独歩さん、
逸脱していなくて良かったです。

しかしながら、法華を標榜する大方の人々が不軽の対極にいる現実は由々しきものですね。
お教えも精神性もあったものではありませんし、毒氣深入失本心故・戒禁取見の故、
致し方ない部分でもあり、自分の犯した科に気付くまで時間を要する部分でしょうね。

325マターリ:2008/08/05(火) 21:01:09
>犀角独歩さん、パンナコッタさんから紹介していただいた、摂折スレ
を拝見しました。この中で犀角独歩さんが、「日蓮は涅槃経の行者だった
」とおっしゃっています。

そのために日蓮は、常不軽菩薩を涅槃経的に解釈したと考えれば、常不
軽菩薩について、1.人から悪口雑言される、とだけ記した理由が、理解
できました。

また、顕正居士さんのカキコを拝見しました。
>智邈が「折伏思想」の創唱者である。むろん、智邈の主観では竜樹で
ある。日蓮は智邈のこの思想をよく理解しなかった。

長い時間をかけて、国から国へ、人から人へと教えが伝わっていくうち
に、元の教えが、全く別の物へ変化していく恐ろしさを感じました。

>パンナコッタさん、
>だからと云って、年中怒鳴り散らしている蓮祖のイメージは後世の産物
でしょう。

蓮祖は、一方で、とても心優しいという評価があります。私は、その点に
ついて御書を見ましたが、どうも文面からは理解できませんでした。

326パンナコッタ:2008/08/06(水) 13:45:10
 「日蓮御房は師匠にてはおはせども余にこはし、我等はやはらかに法華経を弘むべしと云はんは、
 蛍火が日月をわらひ、蟻塚が華山を下し、井江が河海をあなづり、烏鵲が鸞鳳をわらふなるべし」
録内、真偽未決・佐渡書の末尾ですが、こんなイメージですね。

327天蓋真鏡:2008/08/06(水) 17:07:07
天台は像法での方法論、日蓮は末法での方法論を纏め挙げたのではと自分は考えます。何故其の時代に其の方法なのかでは無いでしょうか。

328マターリ:2008/08/06(水) 20:27:24
>パンナコッタさん、そうですね。学会教学を学んだ私には、そうした
蓮祖のイメージが強いです。

それから私は、書簡からみる蓮祖の心の動きを探っています。蓮祖は、
嬉しいときは大口を開けて哄笑し、悲しいときは大地に身を投げ出し
て泣き、好きになれば人前もはばからず思いのたけを訴える、という
ように、とても単刀直入な性格だったようです。

つまり、愛憎の振幅が大きく、荒削りな人間性だったようですが、
文章には、そうした性格が出ていないような気がします。文章の面で
は、心にバリアを張っているかのようです。ふつうの人は、文章に
心の揺れや迷いが表れるものですが、それが全くみえないのは、どう
いうことなのだろうか、と疑問に思います。

蓮祖を襲った数々の難は、安楽行品を無視したことに原因があると思
います。法華経の作者は、法華経教団が難に遭わないよう、安楽行品
を書いています。難に遭って教団が壊滅したのでは、経典のみ残って
も意味が無いからです。

安楽行品の経文の通りに信仰し、なおかつ、それでも難を受けたら、
常不軽菩薩のように、難を耐え忍ぼうということだと思います。

法華経の観点からは、「やはらかに法華経を弘むべし」が正しいと思わ
れます。法華経は、聖徳太子が言っているように「穏やかな経典」なの
だと思います。


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