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法華経について

198一字三礼:2008/05/07(水) 00:33:15

犀角独歩さん

〉『方便品』の五千退座というのは、何のために設けられたとお考えになりますか。

私が考えるに、‘一乗’という法門は、「全ての者が成仏可能」という主張ではあっても、「全ての者が成仏する」という意味で説かれているのではない、ということだと思います。

上記の理由は、‘一乗’の性質にあると考えます。

「方便品」で明かされる「一乗」・「仏乗」とは、釈尊が説いたすべての教説(小乗部派の教説)の真意であり、いわゆる‘法門のロゴス’という趣旨で説かれたと考えることができます。

ところが、『法華経』を説く以前に四諦・十二因縁・八正道が説かれた時点では、声聞も菩薩もその‘法門のロゴス’たる「一乗」・「仏乗」を知ることができなかった。このあたりは「世雄偈」で強調するところです。

なぜ舎利弗のような天才も、阿惟越致の菩薩も‘一乗’という‘法門のロゴス’に気付かなかったかというと、その理由として挙げられるのが‘難解難入’という語なわけです。
この‘難解難入’は、声聞や大乗の菩薩と、法華経の菩薩を結ぶ重要キーワードになるわけです。

なぜ‘難解’かと言えば、それは‘一乗’が「随宜所説」(深い意味を秘めた言葉)だからで、なぜ‘難入’かと言えば、それは「信解」(志)が低いからだ、と『法華経』は言うわけです。

この‘難解’と「随宜所説」、‘難入’と低い「信解」という関係が明確になるのが「譬喩品」と「信解品」です。


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