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本尊と曼荼羅

304真部:2005/05/08(日) 22:43:35

独歩さん

小林師の報恩抄の解説です。
遺文 「月氏には教主釈尊・宝塔品にして、一切の仏をあつめさせ給いて・大地の上に居せしめ、
大日如来・計・宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、
教主釈尊は・北の上座につかせ給う。
この "大日如来" は・大日経・胎蔵界の大日、金剛頂経・金剛界の大日の主君なり。
両部の大日如来を郎従等定めたる多宝仏の上座に、教主釈尊居せさせ給う。
これ即ち・法華経の行者なり」

講義 「お釈迦様が宝塔品の所で・十方世界の一切の仏をお集めになった。その時に・それらの一切の仏を皆下座に置かれ、大日如来ばかりを宝塔の中の南の座に据えて、教主釈尊は、北の上座にお座りになった。
これは宝塔品の中に釈迦、多宝の二仏が並んで塔の中にお座りになつたということがあるのですが、その多宝仏が非常に徳の勝れた仏でありますので、これを 「大日如来」 と書かれたので、つまり法身仏たる多宝如来という意味なのであります。

それで二仏が並ぶときに、多宝如来の方が南の方にお座りになったるすなわち、それが下座であるというのは、宝塔が西を向いているのですから、南というのは左手の方になって、北というのが右手になる。印度では左よりも右を尊しとする習わしであります。中略

いまここで "大日如来" といってあるのは、実は "多宝如来" のことなのである。この仏は大日経の中に書いてあるところの胎蔵界の大日如来、あるいは金剛頂経の中に書いてあるところの金剛界の大日如来というものよりも勝れている。

「主君なり」というのは、勝れているという意味であります。この多宝如来は無論・真言宗で謂う大日如来よりも上なのであるが、この多宝仏をも下座に坐らせて、お釈迦様がその上座にお座りになつたというのである。中略」とあります。

305愚鈍凡夫:2005/05/08(日) 23:39:35

う〜ん、
「月氏には教主釈尊宝塔品にして一切の仏をあつめさせ給て大地の上に居せしめ大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて教主釈尊は北の上座につかせ給う、此の大日如来は大日経の胎蔵界の大日金剛頂経の金剛界の大日の主君なり、」(「報恩抄」学会版 P310)

多宝如来が大日如来よりも格が上というのは、いかなる根拠によるものなのでしょうね。多宝如来が大日如来よりも格上と明記されている経があるのでしょうか。

306ひたち:2005/05/09(月) 00:54:20
愚鈍凡夫さん

中国真言宗の不空三蔵が表した「成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌」に金胎両部不二の大日如来として、多宝如来を配置しているそうです。したがって、両部の大日如来は多宝如来の家来のような位置づけになるようです。

真蹟はありませんが、日興写本がある善無畏抄には以下のように書かれています。おそらく、報恩抄も観智儀軌を依所としているのだと思われます。
「其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には大日経金剛頂経の両部の大日をば左右に立て法華経多宝仏をば不二の大日と定めて両部の大日をば左右の巨下の如くせり。」

307顕正居士:2005/05/09(月) 02:04:24
「不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日経をば左右に立て、
法華経・多宝仏をば不二の大日と定めて、両部の大日をば左右の臣下のことくせり」(善無畏鈔)

とあるが、成就妙法蓮華経王瑜伽観智儀軌にそういう記述はない。
http://ccbs.ntu.edu.tw/cbeta/result/app/T19/1000_001.htm
また
「不空三蔵は誤る事かずをほし。所謂法華経の観智の儀軌に、寿量品を阿弥陀仏とかける、
眼の前の大僻見。陀羅尼品を神力品の次にをける、属累品を経末に下せる、此れ等はいう
かひなし」(撰時抄)
とは巻頭の偈をいうのであろうが、あたっていない。

インド学仏教学論文データベース
http://www.inbuds.net/jpn/
で検索するとこの問題と関連ありそうな論文は2つヒット。いづれも70年ほど以前の発表である。

塩田義遜「法華曼陀羅と多宝塔」、同「両密の法華曼陀羅に就いて」

308犀角独歩:2005/05/09(月) 10:02:47

真部さん、有り難うございます。
小林師の解説、うーんとばかり唸りました。どちらを面にするのかという問題でです。
多宝塔は西面のわけですが、天子は東面。ところが日本では天子南面です。
釈尊は説法をするのに、西に座っていた。だから、その正面、つまり東に多宝塔は涌現したことになります。

蓮師は、東に向かって、北が上座=釈迦・南が下座=大日。こう仰っています。
そこで漫荼羅を見ると左(北)に釈迦・右(南)に多宝、そのとおりになっています。
ところが寛師は陰陽道からこれを捌くので暖かい方が上座とするわけです。つまり、南が上座で北が下座。陰陽道で捌くと東面か・西面かで上下座が逆さになりますね。しかし、報恩抄文段では、先の六巻抄当流行事抄の記述とは違うことを書いています。

小林師の解説は、忠実に蓮師の記述を追っていますね。

蓮師が北を上座と言われる理由がわたしにはどうもわかりません。しかし、それは蓮師はそうとらえていたことはたしかなので、それはそれです。

以下は、かつてワラシナさんと話したことですが、蓮師の漫荼羅は四大天王(東西北南)に実に心憎い配慮がありますね。

真部さんは当然、おわかりのことだと思いますが、ロムの皆さんの理解を助けるために若干、説明すれば、当時の世界観では大地は四角であると考えられていたわけですね。人文字で書けば「方」です。その四隅の角が東西北南なので、方角、つまり四角い角々ということです。ですから、四角い(方)の四隅(角)に四大天王を配すると、東西北南を斜めに構えた形になるわけです。これはたとえば、仏像奉安で四大天王を結界の四隅に配しても同じことになります。元来、仏は東面、宝塔は西面ですが、図示、奉安では、斜め向きになっているわけです。デザイン上、もしくは礼拝する関係でこれは致し方のない‘妥協’ですが、仏像を見て歩いて、四大天王を四隅に配した奉安を出くわすと、わたしは内心、このことを考えてほくそ笑んでしまいます。

まあ、以上が前提ですが、ところが蓮師の漫荼羅は、さらに‘ひねり’があるわけです。
四大天王から東西北南を見ると、右上が大持国天王で東、右下が大広目天王で西。左上が大毘沙門天王で北、左下が大増長天王で南。つまり、東西北南が実際の方角と異なっているわけです。一見してすぐわかるとおり、右・東西は宝塔の向きで、東に宝塔が立っていますから、手前が下座となるわけです。左・北南は、手前が下座となります。

実はこのことを意識していたために、小林師の解説がすんなり納得できなかったのです。
たしかに小林師の言うとおり、連句して、蓮師は多宝如来、大日如来と座を以て、この二仏が同一であることを示しているように読めます。もし、このように蓮師が考えていたとすれば、元来、天台教学に登場しない大日如来が法身仏で取り扱われるようになった教学から、多宝如来と同等視する流れが生じ、それを受容されていたということなのだろうと思います。

ひたちさんがお示しになった根拠は、真跡ならずとも説得力がありました。
しかしながら、顕正居士さんがお示しのようにそれは実際の原文に載らないわけなのですね。まったく鋭利なご教示には敬服いたします。となれば、後代の‘解釈’に多宝=大日という後代の解釈に泥むところと考えなければなりません。しかし、どうも、わたしには、単純に多宝=大日と蓮師が考えていたとは納得できないところがあります。引き続き、ご教示をいただきたく存じます。

309犀角独歩:2005/05/09(月) 10:03:19

―308からつづく―

以下、問答さんに特に申し上げることです。報恩抄は建治年間で、第18大漫荼羅は、いちおう文永11年に山中師は「?」を付します。
先に紹介した『妙宗先哲本尊鑑』二巻十六丁の図を紹介する同師の『目録』解説によれば、建治元年図示の身延曽存の大漫荼羅にも金胎両界大日如来の勧請があったといいます。これは報恩抄の記述と合致します。

第18大漫荼羅が本当に文永11年であったとすると、第16大本尊と同年の図示ということになります。当然、門下では万年救護に対する思い入れは大きく、この第18漫荼羅は、あまり取り沙汰されませんが、わたしは、この大漫荼羅の大きさを読み、吃驚しました。「丈六尺二寸五分(189.4センチ)幅三尺七寸〇分(112.1センチ)もあるのです。

第16大本尊も大幅の本尊といわれますが、「丈三尺五寸〇分(106.0センチ)幅一尺八寸七分(56.7センチ)です。つまり、大本尊の2倍近くも大きいのです。
大きさで、その漫荼羅本尊の優劣があるわけではないでしょうが、この大きさ、そして、大日如来の勧請は、やはり、蓮師の思い入れを感ぜざるを得ません。
問答さんが注視される十方分身諸仏の勧請も、三身との関係からも看過できないということになります。先に、わたしはひたちさんからのご質問に、事も無げに「大日如来が勧請された漫荼羅の存在を知らない」と記し、すぐさま、顕正居士さんのご教示を受けました。改めて、第18大漫荼羅を考えたのですが、いやはや、今さらながら、考えるべきことはたくさんあると思った次第です。まるで無知を晒した二日間となりました。

310犀角独歩:2005/05/09(月) 10:07:00

【308の訂正】

「人文字は創価学会と、それを真似た?北朝鮮でした(苦)

誤)人文字で書けば「方」です
正)一文字で書けば「方」です

311大盛:2005/05/09(月) 12:35:37
独歩さんが無知ですか。じゃ、ぼくはいったいなんでしょか(汗)

312犀角独歩:2005/05/09(月) 14:06:56

大盛さん、ご謙遜を。で、あなたは、あのあなたでしょうね?

313愚鈍凡夫:2005/05/09(月) 19:27:37

ひたちさん、顕正居士さん、有り難うございます。
小生も調べてみたのですが、経には多宝如来が大日如来よりも格上と書いた経はありませんでした。

314ひたち:2005/05/09(月) 21:41:43
顕正居士さん

「成就妙法蓮華經王瑜伽觀智儀軌」の原文、教えていただきありがとうございます。

寛師の撰時抄愚記に「観智儀軌十一に云く『如来寿量品を誦し、如来の霊鷲山に処して常に妙法を説くを信じ、次に当に即ち無量寿命決定如来の真言を誦すべし』略抄文」とありますが、この文、先ほどの原文に「処霊鷲山常説妙法深信不疑次当即誦無量寿命決定如来真言」とありますから、観智儀軌は「成就妙法蓮華經王瑜伽觀智儀軌」で間違いないと思います。

そこで善無畏抄の「臣下の如くせり」に注目してみました。これは臣下なりではなく、臣下のように扱ったということではないかと思います。その観点から「成就妙法蓮華經王瑜伽觀智儀軌」を見てみますと、宝塔に配せる諸尊のうちに、胎蔵界の四菩薩(弥勒、文殊、普賢、観音)と金剛界の四摂の菩薩(金剛鎖、金剛鈴、金剛鉤、金剛索)が含まれています。真言宗の教義はわかりませんが、あるいはここから不二の大日という展開が行われたのではないでしょうか。

315顕正居士:2005/05/10(火) 15:47:00
ひたちさん。

日蓮聖人がそこまで牽強付会の説を述べるとは思えないし、撰時抄の文が全然あたっていない
から別の観智儀軌を見たとしか考えられないです。

316真部:2005/05/10(火) 21:47:04

独歩さん

報恩・取要の大日について引用させて頂きます。

茂田井師の「観心本尊抄研究序説」P62−63
「…塔中の釈迦牟尼仏によって久遠の一大円仏と象徴化された本門の教主釈尊は、その決定的瞬間には多宝仏をも所従とするものであることは遺文に明瞭である。すなわち、

大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等・尽十方諸仏・我等本師・教主釈尊・所従等也。
天月・万水浮・是也。
華厳経・十方台上・毘廬遮那、大日経・金剛頂経・両界大日如来・
宝塔品多宝如来・左右・脇士也。
例・如・世王・両臣。
此・多宝仏・寿量品教主釈尊・所従也。 「法華取要抄」

月氏には教主釈尊、宝塔品にして、一切の仏をあつめさせたまいて・大地の上に居せしめ、
大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせたまう。
この大日如来は・大日経の胎蔵界の大日、金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。
両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に・教主釈尊居せさせたまう。「報恩抄」

等の文である。
「報恩抄」は・まだ発迹顕本されない宝塔品の立場で・その座配の差異を述べたものであるが、その当分の立場でさえ、多宝仏は釈尊の下位についている。

それが・ひとたび開迹顕本された瞬間は、諸仏みな・釈尊の所従であって、「法華取要抄」にいうごとく「この多宝仏も・寿量品の教主釈尊の所従」なのである。

これはすでに「開目抄」で一念三千の原理的立場から本尊の主体性を論じた前出の文例にも明らかで、彼の書が本尊抄の依義判文に当たることまことに明瞭である。

寿量の一品の大切なる・これなり。 中略 
この過去常・顕る時、諸仏皆・釈尊の分身なり。
爾前・迹門の時は・諸仏・釈尊に肩を並べて各修各行の仏。
かるがゆへに・諸仏を本尊とする者・釈尊等を下す。 中略

一切経の中に・この寿量品ましまさずば、天無日月・国無大王・山河無珠・人に神のなからんがごとくしてあるべきを、
華厳・真言等の權宗の智者と・をぼしき・澄観・嘉祥・慈恩・弘法等の一往・權宗の人々、且つは自らの依経を讃歎せんために、
或云、華厳経の教主は報身、法華経は応身。
或云、法華寿量品の仏は・無明の辺域、大日経の仏は・明の分位等云々。 中略

この…「開目抄」の文は、やがて前出の「これみな本尊に迷へり、…寿量品をしらざる諸宗の者は畜に同じ。…」の文に連なって、本尊抄の本尊叙述の前提となるのである。中略

これらの文を「本尊抄」「取要抄」「報恩抄」等の文と比較対照すれば、聖人の本尊観の奈辺にあるかは・思い半ばにすぐるものがあろう。」と。

317真部:2005/05/10(火) 22:04:34

茂田井師の「本尊抄講讃」P862−863
「…多宝仏も又、眷属となるのだという事は、「法華取要抄」に明らかでございます。…
(該当遺文略)…

つまり、大日経、金剛頂経の金胎両部の大日如来。金剛界の大日如来、胎蔵界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右になるのだ。宝塔品の多宝如来の左右の脇士なのですよ、大日如来が。「例せば世の王の両臣の如し。この多宝仏も寿量品教主釈尊の所従也」と、こうありますね。脇士とはおっしゃらない。所従也。そうすると、この多宝仏は釈尊の所従也。寿量品の釈尊の所従也。これは分身仏としてここに出していますから分身仏としてもよろしい。…
この「法華取要抄」ははっきりしているのですよ、仏さまの位置付けというものは。」と。

318真部:2005/05/10(火) 22:17:05

茂田井師の「本尊抄講讃」P866−867
「…「外の諸仏」という時に、諸仏は南無善徳如来というのと南無十方分身仏というのが入る場合もある。だから宗祖は、むしろこの中に、南無阿弥陀仏、南無薬師如来とお入れになったならば、それこそ全部揃ったかもしれない。まあ、そんなことをしないのは、法華経の中で主役ではないからです。

要するに霊山会上の所参の中にいらっしゃった主役がここへお出になるのであって、阿弥陀如来は、薬王菩薩本事品や化城喩品に出てきますけれども、主役ではない。ですから省いておられる。

しまいにだんだんとセレクトされて、最後は釈迦多宝二仏に限定されて、弘安式はほとんどこうなる。

あとは四菩薩。四菩薩はどの場合でも省かれない。
つまり四菩薩がなければ・本因本果が顕われない。
そして四菩薩が出たればこそ、これが宝塔品ではなく寿量品、要するに八品の世界、ということになる。…」

319真部:2005/05/10(火) 22:51:55

独歩さん

塩田義遜師の「両蜜の法華曼荼羅に就て」(「大崎学報第87号。昭和10年発行。P60−62)から引用致します。

「…しかるにここに問題となるのは、宗祖の遺文中に見ゆる法華曼荼羅である。すなわち法華取要抄には、

大日経、金剛頂経の両経の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士なり。例せば世の王の両臣の如し、この多宝如来も寿量品の教主釈尊の所従なり。

と述べておられるが、ここにいう多宝は多宝如来の法身を指すもので、要するに多宝大日同法身の意である。
これ別尊雑記ならびに覚禅抄等における、決定如来を多宝如来と釈する意である。
すなわち寿命無量を多宝とすることは、若し宗祖に依れば、「命と申す物は・一切の財の中・第一の財なり」と遊ばされたる如く、無量寿即多宝の意である。

しかるに同抄には又、「この多宝如来は寿量品の教主釈尊の所従なり」とあるは、阿沙縛抄等の如く決定如来を寿量本仏と解した當家至極の所談で、これ報恩抄に、

両部の大日如来を郎従等と定めたる多宝仏の上座に、教主釈尊居せさせたまう

と遊ばされたのと同義である。
若し我が大曼荼羅の中において、右の取要抄等の意に一致するものは、すなわち両部の大日を加えたる建治元年十一月身延図顕の大曼荼羅である(遠沾亨師模写、御本尊写真帳)、且つこれは三昧経中別釈の寿量品所顕の曼荼羅にも類似したる観がある。

建治本尊

無辺行菩薩
  上行菩薩
  胎蔵界大日如来
  善徳佛等
  多宝如来
首題
  釈迦牟尼佛
  十方分身諸佛
  金剛界大日如来
  浄行菩薩
  安立行菩薩  」

320真部:2005/05/10(火) 23:24:01

茂田井師の「観心本尊抄研究序説」P47、58−59から引用致します。
「本尊とは何を意味するものであろうか。また、それは何物であろうか。日蓮宗には由来本尊に関する論議が盛んである。その問題の中心は、本尊の実体は「人格的」のものであるか、「法格的」のものであるかという本質論と、その形式は「大曼荼羅」式か或いは「一尊四士」式かという形態論である。これはもちろん、両者何れも関連し合っていて、切離した別個の問題とすることはできない。が、こういうものが問題となる已前のもの、いうならば、信仰として「本尊なるもの」が要請される基底にあるもの、また、要請そのものの本質、そういうものが問題とされていないのは不思議である。 中略

すなわち、原理性から一転して形相性へ移行する聖人の信仰的Visionが描かれたものといえるであろう。本尊抄擱筆後、約百日を過ぎた(文永十年には閏五月があった)七月八日に図顕されたといういわゆる「佐渡始顕の大曼荼羅」はこのVisionが書かれたものである。この文段には「曼荼羅」の語がないが、八品に亘る相貌を現実の信仰的ヴィジョンとして有つた聖人にしてみれば、そのヴィジョンがそのまま大マンダラであることは言及するまでもないことであろう。それは「本尊」として仰がれる尊形であり、娑婆即寂光浄土として描かれた世界平和の理想的ヴィジョンでもあったのである。 

かくのごとく、一念三千が真実に成就される決定的瞬間(原理性)が時間的にも空間的にも絶対超出の相貌(形相性)を取るとき、その純粋性は抽出されて「寿量仏」といわれ、「本門寿量品本尊並四大菩薩」と称せられるのである。 中略

「一尊四士論」の論理的根底はここにあるであろう。…」

茂田井師、塩田師の御説のかつてな引用をお詫び申し上げます。

321犀角独歩:2005/05/10(火) 23:35:58

真部さん、なかなか興味深い講釈のご紹介、有り難うございます。
なるほど、こうやって摂取されていったのか、という思いで拝読しました。

真部さんも当然、お読みなっておられると思いますが、天台の初期文献を読むと大日は出てきませんね。これは天台の時代にはまだ創作流布されていなかったことを物語るのでしょう。
当時の仏身論で三身は先に顕正居士さんがご紹介くださった形であったのでしょう。

しかし、その後の真言の隆盛は看過できないものになる。そこで多宝法身は大日法身と同等視されるようになったのでしょうか。ここら辺のところを証明できる資料を揃えていこうと思っています。なお、

> 無量寿即多宝

この点については、大いに了承できません。無量寿とは阿弥陀の漢訳であって、多宝ではないと思います。五百塵点成道で菩薩道の結果得た寿量本仏の寿命を語るものです。まあ、そんな意味から言えば、多宝も無量寿を得ていても当然、おかしくはないのですが、無量寿=阿弥陀、寿量=釈迦、そして、多宝も無量寿で三身で整合性が採れるのでしょうか。

法華経の最大の主張は、結局、この点で、菩薩道の結果得た仏は無量の寿命を得られる、このことを端的に記すのは、もちろん、寿量品ですが、常不敬の物語も同じコンセプトに基づいていますね。

しかし、だからといって、当の主役の釈尊、また、無量寿の名を持ち、さらに法華経にも登場する阿弥陀を差し置いて、多宝に配当する根拠がわかりません。

まして、「命と申す物は・一切の財の中・第一の財なり」との分との脈絡は証し得ないのであって、この点は頷けるものではありませんでした。

なお、亨師模写は、身延曽存、山中師が先にわたしが紹介した先哲二巻十六丁でいう漫荼羅と同じでしょうか。

322真部:2005/05/10(火) 23:39:52

茂田井師の「報恩抄仰讃」P237から引用致します。
「…本抄のこの文節では、多宝如来を大日如来と表示し、それも金胎両部の大日如来の主君と位置づけた上、その上座に「教主釈尊居せさせ給」と明示されています。

すなわち、宝塔品の多宝如来は、「大日経」「金剛頂経」における金胎両部の大日を所従とする大日如来であって、その仏すら教主釈尊の下座に居されるという表示ですから、聖人の文章語彙中の「教主釈尊」は、三世十方の諸仏を所摂とする能摂の「寿量品の仏」なのであります。この見方が誤ちでないとすると、(特に佐渡以後の)遺文に現れる「教主釈尊」の語は、軽々に看過してならないものであろうと存じます。」

323犀角独歩:2005/05/10(火) 23:48:40

真部さん、一つ、お考えをお聞かせください。

蓮師はどうして、ストレートに「不二の大日は多宝如来」と書かなかったのでしょうか。
仮に、そう思いながら、書かなかったとすれば、わたしは講述・解釈する立場としては、実に不謹慎であると考えます。茂田井師の如く、しっかりと書き、何より、その根拠を示すべきでしょう。

しかし、蓮師の論攷は問答形式を以て、このような点を徹底するのが常です。それにも関わらず、多宝=大日がもし、蓮師の考えであれば、訳の分からぬ連句形式で言葉を濁し、何ら根拠を示さない、わたしは蓮師という人物はこんな中途半端なことをする人物だと考えていないわけです。これが多宝=大日という説をわたしが師事しない第一の理由です。

この点、どのようにお考えになられますか。

324真部:2005/05/10(火) 23:53:47

独歩さん

引用の仕方が拙劣なことをお詫びします。

>この点については、大いに了承できません。無量寿とは阿弥陀の漢訳であって、多宝ではない…

この点については、塩田師の論の一部分を記した結果でありまして、その前段において種々論じられておりました。
これらの内容をここに記載することは容易ではありませんことから、ご要請があれば師の論文をお送り申し上げます。

>なお、亨師模写は、身延曽存、山中師が先にわたしが紹介した先哲二巻十六丁でいう漫荼羅と同じでしょうか。

すみません。「先哲」については難しく、それと同なのかお答えする力がありません。
私がここに引用したのは、上述された宗祖第18番漫荼羅と似ていると思いましたので、諸仏を統合する「寿量品の仏」の理解
の一助と思いまして引用させて頂きました次第です。

大変僭越なこととお詫びいたします。

325真部:2005/05/11(水) 00:00:30

独歩さん

>蓮師はどうして、ストレートに「不二の大日は多宝如来」と書かなかったのでしょうか。

塩田師もこの点について、同論文で会通に苦心しておられました。
私もどう考えたらいいのだろうかと、根拠となる資料がないかと見てみましたが
愚昧のためこれ以上わかりませんでした。

上記した内容等はなはだ僭越だったことお詫び致します。

326犀角独歩:2005/05/11(水) 00:12:21

いえいえ、真部さん、僭越云々などということは、まったくございません。
そのようにどうか採らないでください。

今後ともどうか資料のご呈示をお願い申し上げます。
わたしは不勉強ですので、実に有り難いことですので。

ただ、わたしはまったく無礼千万な人間ですから、尊崇される学者僧侶であっても、思ったとおり、直裁に意見を述べるばかりです。しかし、それはご提示くださる真部さんほか、皆さんのご恩義を汚そうとする意図ではないことを、どうかご承知ください。

たまさか、昨日、身延第2祖を白蓮興師といい、延山門下一般を騒然とさせたBO師と話す機会がありました。師の発言で印象的であったのは「茂田井、また輝師に超えられない日蓮宗教学をどうする」ということでした。未来を見た発言であると思った次第です。

わたしは執行師で開眼した一人ですが、師は、その「興門教学の研究」の原稿整理をされ、また、先にオフ会で取り上げた小樽問答の講師・室住師と深い関係にある方です。先に伊藤師にわたしが投げかけた質問は「執行師以降、その教学史けんきゅうを継いだ人はいますか」、それに対する答は「非」でした。わたしは、日蓮教学研究は、斯様に停滞していると思うのです。

他スレで話題になった戸頃師と高木師との論争の如く、議論、学説は大いに沸騰し、ぶつかり合う、何より、そのように旬で熱く熟れた論客・研究者が陸続と輩出されなければ進歩しません。ですから、わたしが、このような掲示板でもっとも望むのは、顕正居士さんのような資料に基づく先鋭なご指摘、また、れんさんのように熟考されたご賢察、また、自由発想で次々と難問を投げかける問答さんのような闊達さです。

そのような意味で、真部さんにも先行業績はさらにお願いし、さらに真部さんご自身のお考えをここに披瀝していただくことを念願します。

強烈な反論その他もあります。しかし、批判を逃れて、進歩はありません。わたしの彫刻本尊疑義は、三学無縁さんが巣箱なら、彰往考来さんはスパルタの師といった環境で、少しもわたしは気が抜けず、故に日々新たに考える緊張感を与えてくださっています。

真部さんも、どうか臆病にならず、お考えを披瀝され、主張すべきは主張し、しかし、直すべきときには、執着無く、漸減を翻し、前に進む、そんな場がここであることを了解され、お考えを開陳寝返れば、みなの進歩の助にもなるというものです。

また、どうか、わたしなどに遠慮なさらず、どんどん、疑義・矛盾をご指摘賜れれば、わたしの精進を助けていただけます。そのような次第です。どうか、ご遠慮なく、ご存分に願うものです。

327犀角独歩:2005/05/11(水) 00:15:34

326、ひどい打ち間違いをやらかしました。

誤)漸減を翻し、前に進む、そんな場がここであることを了解され、お考えを開陳寝返れば、
正)前言を翻し、前に進む、そんな場がここであることを了解され、お考えを開陳願えれば、

328真部:2005/05/11(水) 00:50:00

独歩さん

身に余るお言葉に感謝します。
ありがとうございます。

宗祖の大日と多宝に関するご見解(この言葉宗祖に対してはなはだ僭越ですが)は
本当にどう解釈すればいいのかと思い悩みました。自分の頭で考えてもまつたくわからず
先学はどのようにこの点を把握されているのかと探してみました。
しかし、遺文の解説(それも根拠を明確にしたものが少ないと思います)が本当に少ない
(江戸以前の諸師まで遡及していけばあるいはあるのかもしれませんが言語理解で私では
難渋します)。私も自分の言葉で語りたいですが、しかしそれには宗祖の本尊観乃至印度から
発するであろう曼荼羅理解自体が私自身まったく理解しえていないという致命的な問題が
あります。また、御指導頂ければ幸いです。

329犀角独歩:2005/05/11(水) 00:57:43

真部さん、どうぞ、そんなに畏まらないでください。
ご呈示いただきました資料は、参考になりました。
感謝申し上げます。

さて、では、一緒に考えを進めさせてください。

330ひたち:2005/05/11(水) 01:07:53
顕正居士さん

たしかにそう思います。別なバージョンの観智儀軌を見たとする方が納得できます。それにしても、蓮師ならば、文献引用があってもおかしくないと思うのですが、手元に置かれていた観智儀軌が引用するに足らないものだったのかもしれません。寛師の撰時抄愚記では、「観智儀軌十一に云く『如来寿量品を誦し、如来の霊鷲山に処して常に妙法を説くを信じ、次に当に即ち無量寿命決定如来の真言を誦すべし』略抄文」をもって、「寿量品を阿弥陀仏とかける」としていますけど、、。この部分の「十一」とは何をさすのかも気になります。

331真部:2005/05/11(水) 02:05:40

ひたちさん

参考になるかどうか自信がありませんが、
不空訳の「成就妙法蓮華経瑜伽観智儀軌」(正19−594)について、塩田儀遜師の「両蜜の法華曼荼羅に就いて」では、該当箇所は次のような部分ではないでしょうか。

同論文P39−40
「即・跏趺坐・結・定印、 誦・如来寿量品、 或但思惟・品中・妙義、 
深・信・如来・常住・在世、 與・無量・菩薩・縁覚・声聞・以・為・眷属、
處・霊鷲山・常・説・妙法・深信不疑。
次・當即・誦・無量寿命決定如来・真言七遍・作・是念・言願・一切有情皆・獲・如来無量寿命、 発・此願・巳・即・誦・真言、 ……
若・修行者・毎日・六時、 誦・此真言七遍・能・延・寿命、 能・滅・夭寿決悪等、
獲得・身心軽安、 離・諸昏沈及以懈怠、 受持・此・妙法蓮華経・速・得・成就。(19−596)

と述べているに見ても明らかなる如く、この儀軌の法華曼荼羅は全く息災延命、滅罪生善を得る所以の法華法の曼荼羅である。 以下省略」

332真部:2005/05/11(水) 02:21:52

ひたちさん

塩田師の同論文P42では「…不空の儀軌の文によれば、決定如来は必ずしも阿弥陀の異名と解していないのである。
しかし、法天の決定光明王経は前述のごとく、正しく西方無量功徳蔵世界の教主で、その真言を唱ふれば、短命の衆生の
寿命を増すと説いているのである。かくのごとく法天訳によれば弥陀の異名であるが、なぜに宗祖は儀軌の寿量品の
決定如来を弥陀と解されたのであろう。…」と記され以降会通を試みておられます。
日寛師の「十一」というのは当時の書物でそうなっているのかも知れませんがわかりません。(大蔵経を見た訳では有りませんので…)

なお、法天訳は、宋の法天訳の「仏説大乗無量寿決定光明王如来阿弥陀経」と同P41に該当文を記されています。

333小心者:2005/05/11(水) 19:58:47
、、ゴメンです、、。
 諸氏方の言々は、、とても格調、、と高レベルの、、応接、、のようです、、。
 とても、、、私のような、ボケ老人には、、、????、、で、、御座います、、。
 諸氏の御勉強、、ご研究、、には、、絶大なる、、御敬意、、を、、申しあげます、。 早々。

334ひたち:2005/05/11(水) 22:22:17
真部さん

塩田儀遜師の論文の紹介ありがとうございます。読ませていただきましたが、塩田師も寛師の説と同様、蓮師が決定如来=阿弥陀とされたという見解の上で、疑義を挟んでいるわけですね。「仏説大乗無量寿決定光明王如来阿弥陀経」は「「仏説大乗無量寿決定光明王如来陀羅尼経」のことだとおもいます。確かに、西方無量功徳蔵世界の仏として無量寿決定光明王如来が説かれていますね。しかし、蓮師が文献を間違えるとは思えないのです。可能性があるとすれば、観智儀軌がその時手許になく、記憶に基づいて書いたとも考えられます。それであれば文献引用がない理由にもなりますが、やはり、顕正居士さんの考えられるように別な観智儀軌があり、蓮師はそれを元に撰時抄の文を書かれたという気がいたします。
「十一」の件ですが、数字から長い章立てを連想してしまったのですが、観智儀軌はそれほど長いと思えなかったので気にとめました。単なる思い込みに過ぎません。失礼しました。

335顕正居士:2005/05/12(木) 00:20:50
観智儀軌「十一」というのは十一丁でしょう。「三七十七」とかは三巻目の七十七丁。
丁は洋本の2頁分です。日寛師の時代にはもう黄檗版大蔵経も出版されています。

336真部:2005/05/12(木) 00:46:29

ひたちさん

>「仏説大乗無量寿決定光明王如来阿弥陀経」は「「仏説大乗無量寿決定光明王如来陀羅尼経」のことだとおもいます。

その通りです。昨晩眠い眼で入力していたので、「陀羅尼経」と打つべきところ、「阿弥陀経」と誤打してしまいました。
謹んで訂正致します。

宋の法天訳の「仏説大乗無量寿決定光明王如来陀羅尼経」には

「従是・南閻浮提、 西方・過・無量仏土、 有・世界・名・無量徳蔵、 国土・厳麗・衆寶間飾、
清浄・殊勝・安穏・快楽、 超過・十方・微妙第一、 於・彼・無量功徳蔵世界之中、

有・仏・名・「無量寿決定光明王如来」無上正等菩提、
今現住・彼世界中、 乃至・若有・衆生、 得・見・此・無量寿決定光明王如来陀羅尼経、

功徳殊勝・及・聞・名号・者、 如・此短命之人、 復・憎・寿命・満・於百歳。
若・能・志心称念・一百八遍、 如・此短命衆生・復・増・寿命。 (19−85)
    
と述べている。且つ右の所謂陀羅尼というは、儀軌における決定如来のそれと同一である。
但し今の経は87字、儀軌は51字であって、中間36字を脱しているのである。(19−85、596)

又諸真言要集(上22)に見ゆる陀羅尼は儀軌と全同であるゆえに、不空(705−774)と法天(後清賢1001)
といずれが正しいか不明である。

又法天は光明王の三字を加えているが、法天によれば正しく西方安楽国なる弥陀如来の異名なることは明らかである。

若し・宗祖は撰時抄に
不空三蔵は誤る事かずをほし、所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける、眼の前の大僻見。

と述べ、且つ「これらは東を西という、日を月とあやまてり」と述べられているが、これ今の決定光明王経
の如く無量寿決定如来を以て、不空の儀軌が阿弥陀仏の異名と解したとするものである。

しかしながら、儀軌の文によれば、決定如来は必ずしも阿弥陀の異名と解していないのである。
しかし、法天の決定光明王経は前述の如く、正しく西方無量徳蔵世界の教主で、その真言を唱ふれば、

短命の衆生の寿命を増すと説いているのである。
かくのごとく法天訳によれば弥陀の異名であるが、なぜに宗祖は儀軌の寿量品の決定如来を弥陀と解された
のであろう。」塩田師論文P41−42

337真部:2005/05/12(木) 01:19:53

続き

「今・真言曼荼羅に就いて・これを見るに
「大日経」の「入曼荼羅具縁品第二」に、胎蔵曼荼羅を説いて、中胎は大日、八葉の四方四仏の中

西方仁勝者、 是・名・無量寿 (18−5)

とあるより、一行は、「大日経疏第四」に

次・於・西方・観・無量寿仏、 此・是・如来・方便智、 以・衆生界無尽・故、
諸仏大悲方便・亦・無・終尽、 故・名・無量寿、 梵音・爾々・名・仁者、

又・以・降・四魔・故・名・勝者、 故・偈具・翻・此義、 謂・之・仁勝者 (39−622)

と述べ、又、「大日経疏第七」には

今此本地之身、 又是妙法蓮華最深秘所、 故寿量品云・常在霊鷲山、 及余諸住所、
乃至我浄土不毀、 而衆見焼尽、 此宗瑜伽意耳。 (39−658)

と述べた如く、中胎の大日本地法身は・これ寿量本仏と同体であるゆえに、法華経の最深秘所
たる本地法身は中胎の大日であるが、弥陀は西葉の仏であり、且つ大日の眷属で大日法身の

妙観察智の徳を表すと説いているのである。故に「大日経」並びに一行の疏、不空の儀軌の文
からは、決定如来を以て直ちに弥陀仏なりと解すべきではない。」同論文P42−43

338真部:2005/05/12(木) 01:58:57

続き

「しかし、若し・法天の決定光明王経からは弥陀と称し得るのである、しかるに・此の経は
宋の開寶六年(973)の訳出で、不空の寂後二百年後に属するのである。

しかしながら、不空訳に・「無量寿如来観行供養儀軌」一巻があり、その巻末には
「常応読誦無量寿経」(19−72)とある如く、これ弥陀三部中「観経」による儀軌で、巻首に

我・為・當来・末法雑染世界悪業衆生、 説・無量寿仏陀羅尼。
修・三蜜門・證・念仏三昧、 得・生・浄土・入・菩薩正位。 (19−67)

とあって、これ正しく無量寿如来で阿弥陀のことであるが、儀軌の寿量品の決定如来
には弥陀の意味はなんら・ないのである。

しからば・法華法においては古来、決定如来を果たしていかように解釈せしやといえば、
心覚の「別尊雑記」(AD1117-1180)第十には

或人口傳云、 儀軌・云・無量寿命決定如来者、 多宝仏也。 云々、
私云、 此説不審、 其故者・新訳・無量寿決定光明王如来陀羅尼経・云、

西方・有・仏・名・号・無量寿決定如来、 
其仏陀羅尼・與・法華儀軌無量寿如来陀羅尼・一同也。

多宝仏・東方・寶浄世界・仏也。
無量寿決定如来者・西方・仏也。

然・則・以・西方仏・号・東方多宝仏・如何。
法華曼荼羅・諸尊・形色持物・未・見・説処、 

但世間流布・有・二本不同。 (正図、3−84)

と東方多宝の義を出して、決定光明王経の弥陀の義を疑っているのである
(恵什の「円像抄」第三同意)が、これ・決定如来を多宝仏と解する一義である。」

同論文P43−44

謹んで塩田義遜先生に深甚の敬意を表します。
また、顕正居士さんには、このような立派な論文のご紹介を頂き
心より御礼申し上げます。

339ひたち:2005/05/12(木) 18:43:19
真部さん
顕正居士さん

塩田師の論文、すばらしいです。少なくとも、蓮師が「所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける、眼の前の大僻見」と書いた理由がわかったような気がします。蓮師は、法天訳の決定光明王経を正とされ、不空の説を捨てられたのですね。塩田師は、心覚の「別尊雑記」を示すことで、法華法では決定如来=多宝とする口伝が存在すること、また心覚がそのことに疑義を唱えていることなどよく分かります。蓮師は、法天訳の決定光明王経を正とされ、不空の説を捨てられたと考えられます。決定光明王経は後訳といえど、観智儀軌にはない世界名、そして一致する陀羅尼が明示されている以上、この経が訳出されたあとは決定如来を阿弥陀とするのが自然ななりゆきですね。蓮師もそれを支持されたのではないでしょうか。

340真部:2005/05/12(木) 20:40:44

ひたちさん

身に余るお言葉、かつてに引用させて頂く者として、誠にうれしい限りです。

塩田先生にお断りもなく恐れ多いことではありますけれども、可能な範囲で
引用させて頂きますことお許し願います。

「若し・東蜜の「覚禅抄」(AD1143-1217)第二十三には、やはり二経を引いて
「右記軌意同也」と一往両軌を同意なりと解し、さらに

傳集四云、 多宝無量寿決定如来。云々。 (引用者注:以下細字で)兼意云伝教、慈覚口決全同也、亦開題・有・之。
敦双紙云、 (注:醍醐のみ細字で)醍醐・決定如来寶生尊多宝也。

安養口云、 決定如来釈迦報身。云々
実勝云、  釈迦法身、 (注:以下細字で)又阿弥陀云々

愚案云、  決定如来言、 釈迦真言歟。 可・思、
久遠義、  諸仏皆多宝。文

是又釈迦法身也、 或報身・文。 可・見・軌也・乃至・弥陀義・密意歟。
(正図、4−242)

とある如く、
或は・多宝法身といい、
或は・釈迦の報法二身といい、
或は・密意に依て弥陀といっているのである。

此処に始めて・決定如来を弥陀と解する義を見るのである。」同論文P44−45

341真部:2005/05/12(木) 21:05:25

続く

「さらに・台密・承澄(AD1205-1282)の「阿沙縛抄」(AD1242-1281)第七十一には

大原決云、 無量寿決定如来○是釈迦顕本遠寿身也。 法華法・中・決定如来・真言、
      又・是・寿量品之肝心・真言也、 以・寿量品・為・真言也。云々

私云、 教時義云、 久遠・是・約・本行因円果満之因分・而・為・実成、 実成報身・證・会・法身、
    法身一体・無・久遠、 前入後・誰久・誰遠、 法華軌・為・令・衆生・得・此常寿・故、
    説・一切如来無量寿決定如来真言、文 (正図、9−114)

と述べて・釈迦の寿量顕本因円果満の報身即法身なりと述べているのである。」同論文P45

342真部:2005/05/12(木) 21:25:36

続く

「かくのごとく・両密に亘って・種々の解をなしているが、右の中・
心覚の「別尊雑記」は・決定如来を多宝となすに就いて、

東方の多宝に西方の弥陀の名を以てせるを疑っているのであるが、
これ宗祖か(注:「が」か)此等は東を西といふと述べられたのと別義同意である。

若し・東密の「覚禅抄」は・多宝の説を出し、
さらに・釈迦の報法二身説をなし、
最後・密意弥陀の説に及んでいる。

又・台密の「阿沙縛抄」は・
釈迦の能成報身、所成法身の中古天台の寿量顕本説に依っているのである。

右の如く・儀軌の無量寿決定如来を・
東密は・多宝法身
台密は・釈迦報身と解し、

又・儀軌と決定光明経と・同一真言の辺よりして、
弥陀と解するを以て密意としているのである。」同論文P46

343犀角独歩:2005/05/12(木) 21:26:09
真部さん、横レス失礼します。結局のところ、いま、進んでいる話は報身・釈迦、法身、密義において、応身・阿弥陀を言うところですか。その前段として、此土・釈迦、東・他方、西・阿弥陀が一体であるということになると思いますが、それを蓮師は「所従」と記す説明は載るのでしょうか。

34401:2005/05/12(木) 21:42:35
なんだか、すごくむずかしいですね。

345真部:2005/05/12(木) 21:44:09

続く

「上述の如く・決定如来は、顕意よりしては弥陀と解し得ぬのであるが、
若し・弥陀と解する如きは・全く密意という外ないのである。

故に・宗祖が 「寿量品を阿弥陀仏とかかれたり」 とは、儀軌の寿量品の
決定如来を・ 光明王経の意を以て解したものであつて、

寿量品の無量寿と・儀軌の無量寿と、決定光明王経の無量寿とを・同義と解し
た点を指摘したものと解する外ないのである。

故に・若し・儀軌當面の意を以てすれば、台密の寿量顕本の意を解すべきである。

若し・日朝(注:身延日朝師)が「本門の教主」(「本尊論資料」一、九六)と解せる如きは、
全く能顕の一辺を指したものであって、所顕にあらざれば・無量寿と称し得ぬのである。」

346真部:2005/05/12(木) 21:56:38

独歩さん 01さん

>「所従」と記す説明は

はい、それは前述しました319になります。

>むずかしい

はい、とてもむずかしくて、記していてもこんがらがっています。

師の論文は「大崎学報」に掲載されていますので、もう止めよということでしたら
止めますので…。

34701:2005/05/12(木) 22:06:00
いや、むずかしい言ったのは僕ですから、独歩さんのことはしりません。一緒にされると困ります。

348真部:2005/05/12(木) 22:39:49

続く

「しからば・果たして・誰人に依って、「観智儀軌」の決定如来が弥陀仏と解せられたかというに、
文献としては・これ智証の著と称する「講演法華義」並びに「法華諸品配釈」を指すべきであろう。

もちろん・これらの両書は・古より真偽の論はあるが、前者は・ほぼ智証としているようであるが、
しかしながら・その思想系統より見る時は、智証に属すべきものであろう。若し・「法華諸品配釈」に依れば

弥陀・葉・配・寿量品・意者、 下方・従・地・涌出・虚空・衆会。
為・仏・決・此疑・説・此品也。

如来者・乗・如実道・来成・正覚、 故・名・如来。
十方三世・本仏・迹仏之通号也、故・名・寿量品。云々

入真言門意者、 西方葉寿量品也、 是・示・伽耶之遠成・義也。
顕密共也。 (仏全27、491)

と即ち・顕教の寿量の顕本は塵点の遠寿に寄せて、無量寿法身の本を顕すのである。
故に・若し・単に名に約すれば、無量寿如来とは弥陀の異名である。

しかるに・真言において・阿弥陀仏を西方に配し、寿量品の仏としたのは、伽耶近成の
応身の義であって、顕教にいう如き法身の意ではない。

即ち・顕教は法身の体と指し、密教は応身の名を指して、顕密共に無量寿というも
名同義異である。」同論文P46−47

349真部:2005/05/12(木) 22:41:32

01さん

失礼致しました。

350顕正居士:2005/05/12(木) 22:53:35
行学日朝師の説とは

「無量寿命決定如来ヲ首題ニスル意ト覚タリ」

「無量寿命決定王如来ハ本門教主也」

ここでいう八葉九尊図とは蓮華三昧経(妙法蓮華三昧秘密三摩耶經)の法華曼荼羅のことであり、
本迹二門の八菩薩が配され、日蓮聖人図顕の妙法曼荼羅の直接の原型であるといえます。

法華曼荼羅八葉九尊図
http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049288&VOL_NUM=00000&KOMA=60&ITYPE=0

351真部:2005/05/12(木) 23:37:35

続く

「しかるに・「講演法華儀上」には

次・西方・阿弥陀仏葉、 寿量品・明・之。
梵・云・阿弥陀痩灑、 此・云・無量寿、 即・彼品・所説・久遠実成也。
(56−193、仏全27 923)

と述べているが、元来・弥陀の梵名に阿弥陀痩Amitayusと阿弥陀婆Amitabhaの両様があって、
痩斯ayusは寿の義、婆abhaは光明の義である。 (注:「痩」は「冫」を除いた字です)

したがって・前者を無量寿、後者を無量光となし、光寿の二無量を以て弥陀の仏徳を表した
のである。されば・「阿弥陀経」には

舎利弗於汝意云何、 彼仏・何故・号・阿弥陀。舎利弗・彼仏・光明無量、 
照・十方国・無・所・障碍、 是故・号・為・阿弥陀。

又舎利弗・彼仏、 寿命及其人民無量無辺、 阿僧祇故名・阿弥陀。

と説いているのである。故に・無量寿とは仏徳の一面を顕したもので、
寿量品の「寿命無量、阿僧祇劫、常住不滅」というも・これに外ならぬのである。

故に・この点より見て・弥陀の異名たる無量寿仏に寿量品を配したのである。
かくのごとく・光寿の二無量は独り弥陀の仏徳のみならず、諸仏共通の仏徳である。

故に・寿量品の偈に「慧光照無量、寿命無数劫」と説いてあるのである。

いずれにもせよ・宗祖の所謂寿量品を弥陀と書いたというのは、恐らく智証と謂わなければ
ならぬ。加之・不空の法華曼荼羅は密教の意を以て、法華を曼荼羅化したのに過ぎないので

あるが、曼荼羅内の諸尊の意義を明かにし、所謂法華曼荼羅に法華曼荼羅たる所以を明にした
のは、宜し右の両書が智証でないにしても、智証を起点とする台密学派といはなければならぬ。

由来密家に於いては杲実の「玉印抄」が「観智儀軌」を指して「両部合行儀軌也」(5、17)
と称するのであるが、かく称せらる所以は勿論・一行の「大日経疏」に発するのであるが、

全くかくのごとく称せらるべき内容を整えたのは・やはり・智証等であろう。」

352真部:2005/05/12(木) 23:47:02

顕正居士さん

適格な助け舟に本当に感謝致します。
ありがとうございます。

優陀那日輝師の「妙宗本尊弁」、ようやくと入手しました。
「妙宗に二種の本尊あり、一はいわく釈迦仏、二はいわく曼荼羅なり…」で始まる
御本を読みたいです。

心より御礼申し上げます。

353ひたち:2005/05/12(木) 23:52:48
真部さん

智証の段、興味深いのですが、少し考えさせて下さい。いずれにしても、不空の観智儀軌がその発端であることは間違いなさそうですが、各人の違いが興味深いですね。

顕正居士さん

法華曼荼羅が蓮師曼陀羅の原型であるという点は私もそう思います。釈迦多宝の二仏並座を中心として、八尊が描かれる図ですね。ただ、行学日朝師の説はちょっと強引すぎると思います。この説の拠所は、やはり不空の観智儀軌なのでしょうが、そこから展開できるものなのでしょうか。

354真部:2005/05/13(金) 00:14:24

ひたちさん

>智証の段、興味深いのですが、少し考えさせて下さい。…各人の違いが興味深い

はい、師の論文はあくまでも師のご見解ですから。
宗祖の「漫荼羅」及び「本尊」義は至極であり、古来よりさまざまに論及されていると思われます。

大日・多宝についての宗祖の遺文の根拠等もわからない点ばかりです。(私自身がという意味でです)
是非とも宗祖のお考えをどう拝したらよいか、お教え願います。
本当に難しいです。

355犀角独歩:2005/05/13(金) 01:19:02

真部さん

経典の成立順番から言うと浄土(観経と浄土教とどちらが先か悩みますが)、次いで法華経、さらに真言(大日)ということでしょうか。

そうなりますと、法華における寿量は、当然、阿弥陀の無量寿にアイディアを得ていることになります。そのように考えると、阿弥陀と寿量仏の同一視から、個別化という階梯があったろうと想像されます。さて、そこで、多宝は?となりますが、その起源は、わたしにはまったくわかりませんが、しかし、多宝、大日では、やはり多宝が先行するのでしょうね。

異常のような発生と習合をなんだかんだと説明づけようとしたのが、種々の解釈でしょうが、わたしが興味を持つのは「所従」ということです。これは複数の存在の上下関係を意味する言葉ですから、決定王如来がなにを指すかは、置くとしても、三種の仏(阿弥陀・釈迦・大日)のそれぞれの別の存在として、その上下を決めようとした概念であるということになります。つまり、此土・釈迦(報身)、西・阿弥陀(応身)、東・多宝(法身)です。この多宝が仮に大日とのちに解釈されるようになったとして、ここでは、三身のなか、法身を優として、他二身を所従(劣)という蓮師のコンセプトがあることが窺えることになります。

では、そうなると、それに先んじる本尊抄の「三身所顕無始古仏」という一体観を思わせる記述との整合性は、どうなるのでしょうか。

また、阿弥陀(西・無量)は重要なコンセプトとなっていながら、漫荼羅図示にはまったく顕れません。この点はどうでしょうか。

以上の点、どのようにお考えになられますか。

356顕正居士:2005/05/13(金) 01:44:49
>>353

法華曼荼羅は不空三蔵に起源するのでしょうが、蓮華三昧経の法華曼荼羅は日本天台において
成立したもので、大なる特色があります。二仏並坐の左右に両界の大日如来が配されています
(まさに御本尊集18番と同じ)。そして本門の四菩薩が存在しています!

http://kindai.ndl.go.jp/cgi-bin/img/BIImgFrame.cgi?JP_NUM=40049288&VOL_NUM=00000&KOMA=61&ITYPE=0

Libraさんのサイトに次の記事があります。

蓮華三昧経の法華経曼荼羅の構成
http://page.freett.com/Libra0000/076.htm

357犀角独歩:2005/05/13(金) 10:57:37

今回の皆さんの投稿は、実に参考になりました。
報恩抄の文に就き、ひたちさんが挙げられた『善無畏鈔』の一節、それに対する顕正居士さんの疑義。次いで真部さん塩田論文から抜粋。霧が晴れていく思いがする流れでした。

それにしても、356に顕正居士さんがご提示くださった図は、これはたしかに第18大漫荼羅と驚くほど一致しています。

細かい所までは読めませんが、以下のようです。

………弥勒菩薩………(東)上行菩薩……………………普賢菩薩
(北)安立行菩薩…<胎・釈・無量寿・多・金>…(南)無辺行菩薩
………観世音菩薩……(西)浄行菩薩……………………文殊菩薩

<胎・釈・無量寿・多・金>
胎蔵界毘廬舎那・釈迦如来・□□無量寿決定如来・多宝如来・金剛界毘廬舎那

この座配は宝塔西面、北に釈迦・南に多宝、さらに弥勒・普賢・観音・文殊が四菩薩の相互に両脇に配されているわけですね。
蓮師漫荼羅は二次元で、中央右に上行・無辺行、左に浄行・安立行となりますが、これを三次元で表せば、図のようになるということでしょうか。たしかにこの図の如く、着想されたことは確実と思えます。

蓮師はしかし、第18大漫荼羅では、弥・普・観は漫荼羅に載せず、「南無文殊薬王等大菩薩」と勧請します。

以上の図と蓮師漫荼羅を対照すると、中央が無量寿決定如来と南無妙法蓮華経が対比することになります。では、如来=妙法なのか、という問いが生じます。また、この図でいう無量寿決定如来は、釈迦・多宝(不二大日)・阿弥陀のなかでは、阿弥陀となるはずですが、真部さんが整理してくださったように台密の無量寿決定如来…釈迦報身となるのでしょうが、そうすると、中央無量寿:釈迦:多宝=報身:報身:法身となってしまい、三身を美くせません。結局のところ、台家における阿弥陀崇重の延長に図はあるけれど、蓮師は、これを付属の南無妙法蓮華経という側面から構成し直し、漫荼羅にまとめていったということでしょうか。
もう一点、この第18大漫荼羅では分身諸仏の勧請がありますが、この点との整合性はどうなるのか、以上の点でも皆さんのご賢察を窺いたいと思います。

358犀角独歩:2005/05/13(金) 11:03:19

話題とは関係ありませんが、357の図説、ツール(T)インターネットオプション(O)・フォント(N)の設定が「MSPゴシック」などですと崩れます。「MSゴシック」などPのつかないフォントを設定すれば、崩れずにご覧になります。

359ひたち:2005/05/14(土) 00:28:01
顕正居士さん

蓮華三昧経は、日本で成立した偽経な訳ですよね。蓮師がこのようなものを支持されるのでしょうか。中央に決定如来を拝するのは、観智儀軌によるのでしょう。この法華曼陀羅をよく見ますと、浄行菩薩の所に「無量寿仏」と書かれていますから、決定如来と阿弥陀は別なものという前提に構成されていますね。

仏と菩薩の対応は
宝積仏…………上行菩薩
不空成就仏……安立行菩薩
宝生仏…………無辺行菩薩
無量寿仏………浄行菩薩
だろうと思います。となれば、これは金剛界曼陀羅の変形であり、決定如来の位置は本来は金剛大日如来であろうと思われます。ただ、すでに中央に五仏を配し、金剛界毘廬舎那を多宝の更に下にしていますから、金剛界曼陀羅ではないわけです。
そして余方の菩薩は弥勒、普賢、観世音、文殊であり、これだけ見ると、胎蔵界曼陀羅ですね。当然中央は胎蔵界大日となるべきですが、これまた釈迦の下に胎蔵界毘廬舎那を配しています。両界及び法華の特徴を織りまぜた不思議な曼陀羅ですね。いずれにしても、この曼陀羅を創案した人には決定如来=阿弥陀の義はないようです。不二の大日の義を引くような印象です。
真部さんが引用して下さった塩田師の論文によれば、智証の流れには決定如来=阿弥陀の義が見られることから、この曼陀羅は山門派の系統なのでしょうか。

360ひたち:2005/05/14(土) 00:39:02
まだ書き忘れたことがありました。塩田師の論文から、蓮師の「所謂法華経の観智の儀軌に寿量品を阿弥陀仏とかける、眼の前の大僻見」を、寿量品を決定如来としたことを指したと考えたのですが、そうだとすれば蓮師は決定如来=阿弥陀の義をもっていたことになり、この法華曼陀羅をよしとされるはずがないと考えます。
さらに思いを馳せれば、蓮師は寿量品=附属の妙法と考えていたのでしょう。曼陀羅中央の題目がそれを表していると思います。この件はもっと思索が必要だと感じております。

361犀角独歩:2005/05/14(土) 00:47:21

ひたちさん、では、阿弥陀は台家では、どう扱われ、蓮師は、どう扱ったと思われますか。

362ひたち:2005/05/14(土) 01:16:31
犀角独歩さん

正直いって私は何もわかりません。塩田師の論文からは、台家には阿弥陀を法華の主尊とする考えはなかったような印象を受けます。また、蓮師も阿弥陀を重要視していなかったのではないでしょうか。

363真部:2005/05/14(土) 03:11:19
独歩さん

>経典の成立順番から言うと浄土(観経と浄土教とどちらが先か悩みますが)、次いで法華経、さらに真言(大日)ということでしょうか。

私自身は、宗祖の遺文をいかに考えるか(そのためには宗祖と同じ地点で考えたい)を前提にしますので、経典の成立云々は、宗祖が立脚された天台大師の五時八教説を・ここでは・採ります。
注:歴史的な経典の成立時期は、種々の研究があると思います。
tp://www2.valdes.titech.ac.jp/~hashizm/text/titech/shukyo/resume/resume06.html

>法華における寿量は…阿弥陀の無量寿にアイディアを得て…阿弥陀と寿量仏の同一視…

宗祖は「撰時抄」(54歳御作)で「…其の上・不空三蔵は・誤る事かず多し。所謂・法華経の観智の儀軌に、寿量品を阿弥陀仏とかける眼の前の大僻見。…」と否定されているように思われます。塩田師の論文中の「光寿」は・あくまでも一つの考察であると私は理解しています。

>多宝、大日…

多宝・大日について宗祖の遺文を時系列で見ますと、
1.「善無畏抄」(50歳)
「其の上善無畏三蔵の御弟子不空三蔵の法華経の儀軌には、大日経・金剛頂経の両部の大日をば左右に立て、法華経《多宝仏》をば《不二の大日》と定めて、両部の大日をば左右の【臣下】のごとくせり。」 

2.「法華取要抄」(53歳御作)
「諸仏如来或十劫百劫千劫已来過去仏也。教主釈尊既五百塵点劫已来妙覚果満仏。」
「大日・阿弥陀・薬師等尽十方諸仏…教主釈尊【所従】等也。天月万水浮是也。」
「華厳経昆廬遮那・大日経金剛頂経両界大日・宝塔品多宝・左右【脇士】也。」

3.「報恩抄」(55歳御作)
「教主釈尊、宝塔品にして一切の仏をあつめさせ給ひて大地の上に居せしめ、大日如来計り宝塔の中の南の下座にすへ奉りて、教主釈尊は北の上座につかせ給ふ。此の《大日如来》 は大日経の胎蔵界の大日・金剛頂経の金剛界の大日の主君なり。両部の大日を【郎従】等と定めたる《多宝仏》の上座に教主釈尊居せさせ給ふ。」

私見にすぎませんが
1.は不空「儀軌」に「法華経多宝仏を不二の大日」と定めて、両部大日は「臣下」。
2.は「十方諸仏」(大日・阿弥陀・薬師等)は「教主釈尊」の「所従」であり、華厳の昆廬遮那と両部大日は「宝塔品の多宝如来」の左右の「脇士」とされ。
3.は「一切の仏」は「大地」に居せしめ、宝塔の中の北上座「教主釈尊」・南下座「多宝仏」(多宝仏である大日如来の「郎従」として両部大日)
とされているように思われます。

>つまり、此土・釈迦(報身)、西・阿弥陀(応身)、東・多宝(法身)…

宗祖は「天台大師は法華文句見宝塔品の冒頭に多宝法身、釈迦報身、分身応身と注釈」
をお取りになられているのではないでしょうか(私見にすぎませんが)。同論文中で覚禅抄の「密意か」等は・あくまでも一つの考察であると私は理解しています。

>阿弥陀(西・無量)…漫荼羅図示にはまったく顕れません。この点はどうか。

宗祖は「法華取要抄」で「…大日・阿弥陀・薬師等尽十方諸仏…」と記されておりますので、建治年間までの漫荼羅に認められている「十方分身諸仏」に含まれると思われますが。

ご質問の趣旨を取り違えた見当違いな点等お許し願います。

364顕正居士:2005/05/14(土) 03:55:29
>>359

ひたちさん。

蓮華三昧経が中国では全く知らていないことなどから日本成立の偽経であると今日のわれわれにはわかります
が、鎌倉時代や室町時代にはわかりません。蓮華三昧経は巻頭の偈頌(本覚讃)がまず出来、和讃で注釈した
「注本覚讃」(伝良源)、更に散文で注釈した「本覚讃釈」(伝源信)が作られました。日蓮聖人ももちろん引用され
ています。

八宗違目抄 (真翰完存)
http://nakanihon.net/nb/gosyo/hassyuuimokusyou.htm

「心王大日遍照尊 心数恒沙諸如来」の句があるところが通常の本覚讃とは異なっています。蓮華三昧経の
法華曼荼羅図を日蓮聖人が知っていたかどうかはわかかりません。鎌倉時代には蓮華三昧経の本文はまだ
成立していないようです。日蓮聖人が記している神力品の次に陀羅尼品をおく、嘱累を経末におくというのは
どうみても現行の観智儀軌には合致しません。寿量品の仏を阿弥陀仏としたというのも現行の観智儀軌の文
のことでははないようにおもえます。ただし両部の大日如来を二仏の並坐に配当するというのは蓮華三昧経
の曼荼羅図は合致している。日蓮聖人が見た観智儀軌がどういうものであったのか、蓮華三昧経ももちろん
不空三蔵の訳と伝えるので、これが何かヒントにならないだろうかとも考えます。「注本覚讃」、「本覚讃釈」を
伝良源、伝源信とすることからは蓮華三昧経あるいは本覚讃の思想は山門で発達したようにおもえます。

365犀角独歩:2005/05/14(土) 08:15:09

真部さん、簡潔な整理、有り難うございました。

> 宗祖の遺文…宗祖と同じ…経典の成立…宗祖が立脚…天台…五時八教説

当板でいう、蓮師の素描とは、もちろん、そのような意味です。ですから、この考えには、もちろん、賛同します。

ただし、蓮師を無謬と考えるのではなく、その実像を、さらに真実・事実と対照し、日蓮信仰の‘パンドラの箱’を開けて、中を見ることも目的とします。この点を見なければ、蓮師の限界に留まってしまうことになるからです。もちろん、このことを強要しようとは思いません。ただ、わたしは素描された‘日蓮’を現状認識で晒し見、どの程度、使用可能かを考える作業は怠りません。その点に関して、考えがあれば書き、疑問があれば、問います。もちろん、それへのレスは各人の自由です。

> 私見…「十方諸仏」(大日・阿弥陀・薬師等)は「教主釈尊」の「所従」…郎従

わたしの最大の興味は、『注法華経』でしか確認できない「三身即一身」を、蓮師がどのようにとらえていたのかという点です。この成句は、ご承知のとおり、真跡遺文中では見られません。
しかしながら、『観心本尊抄』では「我等が己心の釈尊は五百塵点乃至所願の三身にして、無始の古仏也」というわけで、三身円満を意識されていることはもちろん知られます。(「所顕の三身にして無始の古仏」と富士門では言いますが、現宗研・所蔵データ真跡では「所願」)

真部さんが引用される限り、蓮師がいう三身観は報身・釈迦に多宝(大日?)、分身諸仏(含・阿弥陀)が所従という、いわば上下関係を以て包摂されることは、三身観として、かなり特異とわたしには映じます。三即一からは、もちろん、かけ離れています。その意味で、この点についてはさらに慎重に考えたいと思っているわけです。

故に、ここでご意見を窺ったわけです。これが先のわたしの質問の意図です。
重ねて問わせてください。蓮師の三身観は、報身(主)報応(所従)という上下関係、また、別仏発想として成り立っていますか。

> …多宝法身、釈迦報身、分身応身…お取りになられている

ええ、この点を明らかにするために問いを起こしたわけです。
いままで取り上げてきた各真跡遺文、また第18大漫荼羅の如きは、この説明で成り立ちます。
ところが、後期の大漫荼羅では金胎大日はもちろんのこと、分身諸仏を勧請から消えます。
となると、ここで応身が勧請されていないことになる、これでは三身が成り立たないではないか、というのが、わたしの疑問です。

そこでご意見を窺いたいわけです。
この勧請は応身の意図的削除とお考えになりますか。また、どのような理由であるとお考えですか。
少し言葉を換えれば、真跡遺文から窺える蓮師の、この意図はどのようなところにあるとお考えになりますか。

以下は質問ではありません。いわば弁明です。なお、わたしが「此土・釈迦(報身)、西・阿弥陀(応身)、東・多宝(法身)」と記したのは、漫荼羅図示はあくまで宝塔説法の図式化、つまり、南無妙法蓮華経の五字付属を示すことを意図したものであるという前提で記したことです。つまり多宝は証明、阿弥陀は娑婆衆生無縁の仏で、実際のところ、此土有縁深厚の仏は釈迦一仏に限るという蓮師の発想が窺えるからです。この場合、久遠一仏に統一という三身論的発想からは離れていないか、つまり、三身云々より、久遠一仏・付属弟子という師弟関係が主ではないのか、この点の実際はどうなのかを考えるために記したことです。

366犀角独歩:2005/05/14(土) 10:15:57

【365の訂正】

誤)パンドラの箱
正)パンドラの函

367真部:2005/05/14(土) 12:53:41

独歩さん

>蓮師を無謬と考えるのではなく、その実像を、…真実・事実と対照し、…中を見ることも目的…

はい、この点は当掲示板に記されてきた当初以降現在までの内容を拝見しておりますゆえ了承しております。

>真部が引用…三身観として…特異と…映じ…蓮師の三身観は、報身(主)報応(所従)という上下関係、また、別仏発想として成り立つか

私は、多宝・大日に係る宗祖の「取要抄」「報恩抄」の該文は、諸仏を「教主釈尊」に統一する趣旨と理解しており、該文で三身に捌くというふうには見ていませんでした。
私の引用の仕方が拙であるため・論文中での・東・台密諸師の法報応等の該部分が混乱を招いた諸因となってしまったと反省しています。

>(弘安以降の)大漫荼羅では金胎大日・(善徳仏)・分身諸仏が勧請から消え…応身の意図的削除か…蓮師の意図は…

私自身、三身論を十分理解しえておらず、その観点から上記の問いにお答えできるものは持ち合わせておりません。なお、弘安以降二仏に摂せられた事については、独歩さんの方が私よりもはるかに知悉されておられますので省略させてください。

「多宝大日」で、『漫荼羅は本尊か』という本論の中心テーマの考究を中断させてしまい、議論の中心者であられる独歩さん、問答名人さん、愚鈍凡夫さんをはじめとするみなさま方に対し謹んでお詫び申し上げます。引き続きお教え願います。

368ひたち:2005/05/14(土) 14:16:12
顕正居士さん

顕正居士さんの考えられること、そのように思います。記述が合致しない以上、現行の観智儀軌を見てもそれ以上どうしようもないと思います。観智儀軌には別なバージョンがあったのだと思われます。そのうえで顕正居士さんは、蓮師が見た観智儀軌には蓮華さん三昧境の原型となる思想なり、曼陀羅図案が掲載されていたのではと仮説を立てられておられるわけですね。しかも、それは日本台家山門の秘伝であった可能性もあるわけですね。今回真部さんのおかげで塩田師の論文引用を読ませていただいて、さまざまな人師が観智儀軌をもとに、決定如来=多宝、決定如来=釈尊等の義を立てていると感じました。それも、現行の観智儀軌からの展開は難しいのではないでしょうか。

369川蝉:2005/05/14(土) 15:24:47
冨士門流信徒でないですが、横から失礼します。
撰時抄の法華儀軌批判について。

すでに、江戸時代に真迢が、「日蓮は、観智儀軌が寿量品を阿弥陀仏としていると誤った評をしている」と、批判を寄せています。
真迢の批判に対して、日題の「中正論」では

「時に婆伽梵得自性清浄法性如来とは、是れ観自在王如来の異名なり。則ち此の仏を無量寿と名づく。若し浄妙の仏国土に於いて現に仏身を成ず。雑染五濁世界に住しては則ち観自在菩薩と為る。」
との不空三蔵の「理趣釈」の文を引き、

「文の中の、時婆伽梵得自性清浄法性如来とは理趣経の文なり。是れは釈迦如来を推功帰本して法性如来と云うなり。然るに不空は是れを釈して則ち或いは観自在菩薩とも又は無量寿仏とも云へり。
豈に 釈迦如来を無量寿仏とするに非らずや。・・・(観智)儀軌の文を見るに寿量品を誦する次に無量寿決定如来の真言を誦せよと云うは豈に寿量の如来を無量寿如来と意得て咒願するに非らずや」
と指摘し、不空に「寿量の仏と弥陀と同じ」と云う思想があったとしています。
(参考)「理趣釋」も文は下の様に成っています。
「1003_,19,0612a10(08):時婆伽梵者如前所釋。
1003_,19,0612a11(06):得自性清淨法性如來者。是觀自在王如來異名。
1003_,19,0612a12(02):則此佛名無量壽。如來若於淨妙佛國土。現成佛身。
1003_,19,0612a13(01):住雜染五濁世界。則爲觀自在菩薩。」
(大樂金剛不空眞實三昧經般若波羅蜜多卷下)

ちなみに日存の「金山抄」には
「不空の無量寿経の儀軌に云く。昔は霊山に在っては 妙法と名づけ、今、西方に在っては阿弥陀と名づく等、已上・・・既に霊山説妙の釈迦を以て弥陀と名づけたり。故に不空、寿量の釈迦を以て弥陀とせること決定なり」
と指摘していますが、日題の「中正論」によれば、無量寿経の儀軌にこの文は無いとのことです。私も見てみましたが無いようです。
弘法大師や智証大師の「弥陀と釈迦と同じ」と云う思想に基づいて「金山抄」引用の文が挿入された別本があった可能性も考えられます。
また「録内啓蒙 」においては、
「澄豪記(澄豪は1049〜1133年の人)に云く・・有る伝に云く無量寿決定如来とは阿弥陀如来と云々・・古来、決定如来を阿弥陀仏と云える一説あるに付順して今も(撰時抄も)此の如く遊ばせるか。元来、密家の所伝理趣釋(二十六丁)に、得自性清淨法性如來とは観自在王如来の異名なり、則ち此の仏を無量寿と名づくと云い。空海諸開題の第四法華開題にも、妙法蓮華とは斯れ乃ち観自在王の密号也、則ち此の仏を無量寿と名づくと云える亦其の流例なり」(録内啓蒙巻の十一・38丁左)
と会通しています。

(参考)「法華開題 」には次のように有ります。
「妙法蓮華とは、これすなはち観自在王の密号なり。すなはち、この仏を無量寿と名づく。もし浄妙国土に於いては、仏の身を現成し、雑染五濁の世界に住せば、すなわち観自在菩薩たり。」
(法華開題(開示茲大乗経)筑摩書房刊空海全集3ー304頁

370川蝉:2005/05/14(土) 15:26:05

法華儀軌の品の前後について。

「録内啓蒙巻の十一・三十九丁」に
従義の「補注八二十丁」の
「唐の時、不空所訳の法華儀軌、その間亦提婆を将て合して宝塔品の内に在り。又陀羅尼品を以て神力品の後に在り。復嘱累品を移して普賢品の後に安ず。此れ則全く添品法華と改易是れ同じ。甚だ羅什の飜ずる品の次第と違うなり」
との文や、
また証真の「文句私記十」の
「問うて云く。不空三蔵法華儀軌二十七品帰命偈頌の諸品の前後は、全く添品に同じ。彼れ末後に帰命最後嘱累品と云う。彼の帰命偈、是れ天竺の諸阿闍梨は梵本に依って作る故に、添品を以て正本と為すべきなり。故に知んぬ、嘱累定んで経末に在りと。
答う。梵文同じからず。彼の不空の偈は添品の本に依りて偈頌を作るのみ」
との文を挙げています。
日蓮聖人は従義や証真の見た法華儀軌と同じ本を見て「陀羅尼を神力品の次に置ける。とか嘱累品を経末に下せる。」等と指摘されたのでしょう。

371顕正居士:2005/05/14(土) 16:59:22
日蓮の「所従」思想-1

「所従」は家来、従者、下人などをいう。比叡山の荒法師とは学生(がくしょう)の「所従」(学僕)が長じて衣を着た
のであるなどと使う。わが国では得宗家の家司が大きな権勢を有することがある。しかし家来である以上は主君
の専権に服する身分である。「臣下」や「大名」ではない。家内使用人である。ただし提婆品に「多宝世尊。所従
菩薩。名曰智積」とあり、日蓮は「所従」を「随従、侍従」の意味で用いている可能性はある。臣下とも脇士とも
いうからである。

法華取要抄(真翰完存)

「教主釈尊は既に五百塵点劫より已来、妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の
諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ、是れ也。華厳経の十方臺上の毘盧遮那、
大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士也。例せば世の王の両臣の如し。
此の多宝仏も、寿量品の教主釈尊の所従也。此土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子也。
不孝の失に依て今に覚知せずと雖も、他方の衆生には似るべからず」

仏身については幾種類も説がある。大日如来を法身というけれども、それは密教のほうでいうことで、天台宗の
三身説にあてれば胎蔵界大日・理法身が法身、金剛界大日・智法身は報身である。多宝仏が不二の大日なら
釈迦仏と報法・境智の関係が成り立たない。更に多宝仏が釈迦仏の所従であるとは何をいうのか。多宝仏は
霊山の客であるが、釈迦仏はまた多宝塔の客であるから上座なのである。所従といったら二仏の並坐は成立
しない。大日智法身即釈迦仏、大日理法身即多宝仏でなければわからない。その上で東密では釈迦多宝不二
を大日如来とするのに対して、台密では両部大日不二を無量寿命決定如来(寿量品の仏)とするのであろう。

上の文ではゆえに娑婆世界は宇宙の中心であると述べる。われらも「他方の衆生には似るべからず」。ただし
「有縁の仏と結縁の衆生とは、譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは、譬へば聾者の雷の
声を聞き、盲者の日月に向ふが如し」
と文が続くから、諸仏同道、互為主伴の上で述べている可能性も否定できない。

372顕正居士:2005/05/14(土) 17:02:25
日蓮の「所従」思想-2

神国王御書(真翰断存)

「仏と申すは三界の国主、大梵王・第六天の魔王・帝釈・日月・四天・転輪聖王・諸王の、師なり主なり親なり。
三界の諸王の皆は此の釈迦仏より分ち給て、諸国の総領・別領等の主となし給へり」

「王権仏授説」がいわれる。

「しかるに我が日本国は一閻浮提の内、月氏漢土にもすぐれ、八万の国にも超えたる国ぞかし」

宇宙の中心である娑婆世界の中心が更に日本である。

真言七重勝劣事

「今経位配人事
(鎌倉殿)
征夷将軍    無量義経
摂政       涅槃経
院         迹門十四品
天子       本門十四品」

征夷将軍を無量義経に配する。しかし爾前の経は征伐する対象なのか。二乗作仏(絶待一乗)と久遠実成
(十界皆成)のみが法華経の教義ではなかったか。正像末三時も鎮護国家も征伐し、方等部に摂属させた
真言三部経も征伐し曼荼羅も陀羅尼も滅ぼしたら日蓮宗がどうして成立しようか。与えて論ずれば征夷将軍
とは蝦夷を滅ぼす職にあらず服属させるのである、いわんや鎌倉殿の場合は得宗家の権威を認めればよい
とも解せる。しかし証真のいう「諸部の円文を泯じ、部教混乱する咎」を免れるのか?

日蓮の教義をその特異な「所従」思想から考えると、彼の長所も欠陥も鮮明になるようにおもう。与釈を以て
考察すれば直ちに彼をその亜流と同一視はできないが、奪釈を以て批判すれば後世の日蓮主義の邪教化
の源流、実に宗祖自体である。娑婆宇宙中心、日本国娑婆中心、釈尊宇宙大王、祭政一致、他経敵経他宗
敵人等。現世利益を主眼とする純正カルト(マルチ商法の一種)までは無関係であるから含めない。

373真部:2005/05/14(土) 17:28:49

川蝉さん

誠にありがとうございます。よく拝読させて頂きます。


顕正居士さん

誠にありがとうございます。熟読三思します。

374問答迷人:2005/05/15(日) 06:31:49

一大秘法

『三大秘法』の成句は、真蹟遺文には見当たらず、後世の成立かも知れません。ただ、曾谷入道殿許御書(文永十二)に、『一大秘法』の文言があります。

『大覚世尊、仏眼を以て末法を鑒知し、此の逆謗の二罪を対治せしめんが為に一大秘法を留め置きたまふ。所謂、法華経本門久成之釈尊・宝浄世界の多宝仏、高さ五百由旬、広さ二百五十由旬の大宝塔之中に於て二仏座を竝べしこと宛も日月の如く、十方分身の諸仏は高さ五百由旬の宝樹の下に五由旬之師子の座を竝べ敷き、衆星の如く列坐したまひ、四百万億那由他之大地に三仏二会に充満したまふ之儀式は、華厳寂場の華蔵世界にも勝れ、真言両界の千二百余尊にも超えたり。』

この文意は、三仏を以って、『一大秘法』と述べているかのごとくです。もう一箇所、同じく、曾谷入道殿許御書に次のように有ります。

『爾時に大覚世尊寿量品を演説し、然して後に十神力を示現して四大菩薩に付属し給ふ。其の所属之法は何物ぞ。法華経之中にも広を捨て略を取り、略を捨てて要を取る。所謂、妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄也。例せば九苞淵之相馬之法には玄黄を略して駿逸取る。史陶林之講経之法には細科を捨てて元意を取る等云云。加之、霊山八年之間に、進んでは迹門序正之儀式に文殊・弥勒等の発起影向之聖衆にも列ならず、退ひては本門流通之座席に観音・妙音等の発誓弘経之大士にも交はらず。但此の一大秘法を持して本処に隠居する之後、仏の滅後正像二千年之間に於て未だ一度も出現せず。所詮、仏専ら末世之時に限りて此れ等の大士に付属せし故也。』

この文意では、『妙法蓮華経之五字』を以って、『一大秘法』と述べているように取れます。

この二文を総合的に考えると、一大秘法とは、

本門の本尊→久成之釈尊・宝浄世界の多宝仏・十方分身の諸仏。

本門の題目→上行所伝の妙法蓮華経の五字

この二つの内容を含み、この様に二つに分かたない未分の状態を『一大秘法』と表現されたかに取れます。なお、字像曼荼羅は、この二つを含み、しかも、二つに分かたずに表現されていますから、この曾谷入道殿許御書に述べられた『一大秘法』を表していると思います。

375ひたち:2005/05/15(日) 08:14:00
川蝉さん

貴重な資料ありがとうございます。
観智儀軌に別バージョンが存在したことを思わせる文献ですね。しかも、江戸時代にはすでに失われていた可能性が高そうです。日蓮系諸派による妙法蓮華経の普及がそれを行わしめたのかもしれません。

蓮師が蓮華三昧経、もしくはその思想的背景となった観智儀軌によって曼陀羅を創案したとすれば、決定如来の位置は寿量品の仏座を表すわけで、南無妙法蓮華経=寿量品の仏となるのではないでしょうか。しかしながら、妙法蓮華経は唯仏与仏の智慧そのものですから、仏と拝するならば三身のうち報身如来にあたると思われます。台密では、大日=釈迦の義を建てる場合、大日=法身、釈迦=応身と配するようです。このことを考えあわせますと、弘安期の曼陀羅においても三身整うかと考えます。いわゆる釈迦=応身、五字=報身、多宝=法身ということになります。

顕正居士さんの「所従」思想を読みまして連想しましたのは、先に示されました八宗違目抄の記述ですね。いわゆる主師親三徳を三身に当てはめる時、
主・国王・報身如来
師・・・・応身如来
親・・・・法身如来
とされている点ですね。報身如来を主徳に配した時、その義に「所従」思想があったとも考えられます。また、この書の冒頭に以下の引用があることから、
「記の九に云く『若し其れ未だ開せざれば法報は迹に非ず。若し顕本し已れば本迹各三なり』。文句の九に云く『仏三世に於て等しく三身有り諸教の中に於て之を秘して伝へず』。」
三身を一仏に備えるという三身即一の義を蓮師は支持されていたように思われます。

376顕正居士:2005/05/15(日) 08:33:55
>>374

問答迷人さん。

「一大秘法を留め置きたまふ」からは四菩薩が「法華之会に出現し、三仏を荘厳す」ることを述べたのであり、
そして「爾時に大覚世尊寿量品を演説し」、「妙法蓮華経之五字、名体宗用教の五重玄」を「四大菩薩に付属」
された意味でしょう。
「如來一切所有之法。如來一切自在神力。如來一切祕要之藏。如來一切甚深之事」を「皆於此經宣示顯説」
されたのですから、付属の法である一大秘法の名は「妙法蓮華経」(此経)であり、これを三大秘法(戒定慧)に
展開し戒壇、本尊、題目となってもやはりおのおのの「名」は「妙法蓮華経」の五字であり、だから顕仏未来記に
は本尊で三秘を代表させ「本門の本尊妙法蓮華経の五字を以って閻浮提に広宣流布せしめんか」と述べられた
と考えます。

「本尊問答抄」については「思想の変化」であると考えるのが単純です。例えば
『釈尊像から法華経へ』
http://www.fujimon.or.jp/tenran/izanai/izanai_6.htm
「不空三蔵(ここにも出現する)などは宝塔品により法華経の教主を本尊としているが、それは法華経の正意
ではない」と他人事のように3年前に報恩抄を送った浄顕房に述べます。
しかし顕仏未来記にも「本門の本尊妙法蓮華経の五字」とあり、本尊に二種類あると理解するにせよ、実は
同じと理解するにせよ、本尊を妙法五字ともいうこと自体は思想の変化ではない。法華経の教主を本尊とする
のは正意ではないと否定したのは思想の変化でしょう。なお本尊問答抄についての優陀那師の会通は納得
はできません。報恩抄を送った相手自体ですから。

377犀角独歩:2005/05/15(日) 08:48:33

ひたちさん、

> 釈迦=応身、五字=報身、多宝=法身

この整理は土台、無理でしょう。
三身とは仏身であって、首題の五字には当てはまるはずはありません。
まして、釈迦を応身に充てることは、甚だ不可です。

378犀角独歩:2005/05/15(日) 08:50:06

顕正居士さん、「所従」に関するご教示、御礼申し上げます。
「ああ、やはり」という気分で拝読いたしました。

「日蓮の教義をその特異な「所従」思想」とは、まことに以て、わたしが注視した一点でした。わたしなりに問題が整理されました。有り難うございました。
なお、以下の点、

> 大日智法身即釈迦仏、大日理法身即多宝仏…東密・釈迦多宝不二・大日如来…台密・両部大日不二・無量寿命決定如来(寿量品の仏)

という点ですが、無量寿仏は阿弥陀であり、それが法華寿量仏と再解釈され、また、多宝・大日と解釈される宗教事情に、わたしは着目しました。ただ、蓮師に、既にその起源を見る阿弥陀アレルギーは、日蓮門下にあっては、思考から阿弥陀をスポイルするように論が組み建つところに面白さを感じます。結局のところ、日本阿弥陀信仰は比叡山なくして成立しなかったわけで、この山で語られた阿弥陀は重崇の対象で、やがて法然へと結実し、一方、阿弥陀アレルギーとも見える日蓮とその門下では、その存在を躍起に消すことで論を組み立てようとする、過剰反応があるように見受けました。この点に就きましても、もしご教示を賜れれば有り難く存じます。

379犀角独歩:2005/05/15(日) 08:50:44

川蝉さん、お久しぶりです。
非常に参考になるご教示、感謝申し上げます。

わたしは信仰者ではないので、歴史的な推移の中で、どのような思想の流れがあり、習合、摂取があったのかという視点で考えています。

今回、ご提示くださった文献を拝見すると、法華に登場する阿弥陀、さらに大日ばかりではなく、法華信仰からかなり距離があると思える理趣経、また、婆伽梵まで、無量寿、自在というタームから摂取があったことが窺え、新鮮でした。このような動向が印度で起きたのか、中国で起きたのか、その点は、今後、自分なりに調べてみようと思いますが、ヒィンドー、バカバットギータとの習合…、というかシンクレティズムが、たぶん、‘観’無量寿という西方地域の影響が渦巻くように起きていたことが窺えるような資料で、たいへんに興味が惹かれました。

有り難うございました。

380犀角独歩:2005/05/15(日) 09:55:43

問答さん、一大秘法への視点、興味深く拝読しました。
また、顕正居士さん、ご投稿、併せて、資とさせていただきました。

文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華主要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)

寛師説で言えば、一大秘法−三大秘法−六大秘法となるのでしょうが、はたしてどうでしょうか。むしろ、単純に題目を一大秘法と言っているように、わたしには思えます。

要は本門本尊釈尊(仏)が一大秘法(法)を上行菩薩(僧)に付属したという関係ではないのかという意味です。これを本尊、あるいは戒壇と束ねて一つに見る必要があるのだろうかという意味でもあります。

なお、顕正居士さんが挙げられる『本尊問答抄』(、この真偽は、いちおう、置きますが、わたしはこれを曼陀羅正意へのスライドであるとする正信会の考えにはまったく反対です。単なる牽強付会と映じるからです。

たとえば、『本尊問答抄』では、たしかに「法華経の題目を以て本尊とすべし」とありますが、ここだけを挙げるのは、切り文ではないでしょうか。何故ならば、そのあとに「仏は身なり、法華経は神なり。然れば則ち木像、画像の開眼供養は唯だ法華経にかぎるべし」という文があるのであって、何ら木画像の釈迦仏像は撤廃されていないからです。また、真跡曽存(やや真偽に難はあるものの本尊問答抄が真跡であるするのであれば、敢えて挙げれば)、問答抄の翌年・弘安2年の『日眼女造立釈迦仏供養事』には、

「御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立…釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人…釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し…一切の女人釈迦仏を造り奉れば現在には日日月月の大小の難を払ひ後生には必ず仏になるべし」

と記すわけです。これを漫荼羅正意の色眼鏡では、釈迦像に執着するものへの方便の如き解釈しますが、それはあくまで漫荼羅正意論者の解釈であって、しかし、蓮師の文はかくの如きです。

しかし、もし『本尊問答抄』の冒頭文のみを墨守して読むのであれば、この時点で、蓮師は「三大秘法」を捨てたと言うことでしょう。つまり、本門本尊:題目=本文題目:題目+戒壇という二本立てになるからです。つまり、本尊問答抄と三大秘法は併存不可の関係にあると、わたしは思います。

381真部:2005/05/15(日) 11:11:50

顕正居士さん

1.「諸仏同道」、「互為主伴」の上で述べている可能性も否定できない、
と記されておりますが、
(1)「諸仏同道」(方便品の「五仏同道」か)とは、「取要抄」の当該文の上でどのように考えればいいでしょうか。
(2)「互為主伴」(「交互に主君となり臣下となる」老子の釈文か)とは、教主釈尊と多宝仏との関係において、どのように考えればいいでしょうか。

2.「方等部に摂属させた真言三部経も征伐し曼荼羅も陀羅尼も滅ぼしたら日蓮宗がどうして成立しようか」と記されておりますが、日蓮宗において「曼荼羅」は欠かしてはならない尊体であるという意味でしょうか。

3.「しかし証真のいう「諸部の円文を泯じ、部教混乱する咎」を免れるのか?」と記されておりますが、記されました前後の文脈との関係でどのような意味を述べられているのでしょうか。

4.「本尊問答抄」(弘安元年 57歳御作 写本・日興・北山本門寺)は思想の変化と記されておりますが、「唱法華題目抄」の「…本尊は法華経八巻一巻一品或は題目を書いて本尊と定む可しと法師品並びに神力品に見えたり…」(文応元年 39歳御作 於鎌倉名越 写本・日興・東京由井一乗)との関係はどのように見ればよいでしょうか。

無学のため、稚拙なご質問をさせて頂きます事お許しください。

382犀角独歩:2005/05/15(日) 12:56:38

横レス失礼します。

真部さんは、『唱法華題目抄』を真筆であるという立場でしょうか。是一
真跡無し・日興写本に限り題目本尊論が出てくることをどのようにお考えになりますか。是二

以上、2点に就き、お考えをお示しいただけませんでしょうか。

383顕正居士:2005/05/15(日) 12:59:32
>>380 独歩さん。

妙法本尊説が巻頭にだけ述べられているのではなく、この書の問答の前半全体で示されています。そして
「釈迦と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。
其故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦、大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。
故に今能生を以て本尊とするなり」
と結論し、「仏三種身従方等生」等の経文を引き、木画の二像の話になります。これも「仏は所生、法華経は
能生」であるから、「大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり」というのです。
*「仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印・真言なり」(撰時抄 )

さてわたしのおもうにはこの書は「法華経本尊」、「首題本尊」を述べているのであって、曼荼羅が本尊だと
は述べていない。本尊抄、報恩抄のように曼荼羅の姿らしき記述はない。具体の本尊として、首題だけでも
本尊たり得る意義は示されるが、一尊四士と曼荼羅といずれが正意の本尊という後世の議論とは次元は
異なる。日蓮聖人は本尊という語を多義的に用いている。図顕の曼荼羅を御本尊といわれるからもちろん
曼荼羅は本尊である。教主釈尊は本尊であるから、釈尊の像を造ったら本尊であろう、一体ではいけないと
いう遺文もない。しかしながらあえて本尊という語を一義に限定するなら、それは法華経あるいは法華経の
題目であり、法華経の教主ではないことを浄顕房に断定されたのではないか。本尊抄や報恩抄の説のみで
は、結局は何が本尊という疑問が生じ、七百年議論が尽きない。剋実すれば法華経の題目であると。
仏や菩薩の中で誰は誰の家来であるというような説はわたしには仏教の経典を探してもない考えに思える。
日蓮聖人は強引に釈迦仏を大乗仏教万神殿のゼウスになされようとしたこともあるが、晩年にはその無理を
悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至ったのではなかろうか?

なお本尊問答抄は白蓮日興と実相寺日源の写本があり、富木日常の常修院聖教目録にもあげられており、
これが後世の偽作である可能性はほぼ皆無であると考えます。

384犀角独歩:2005/05/15(日) 13:34:46

> 383

顕正居士さん、懇切丁寧なご教示、まことに有り難うございます。
ご教釈いただいた点、よく納得できるものです。

本尊問答抄を真筆と見なす場合、仰るとおりであると存じます。
ただ、わたしのなかで、以上の点を頷くと絡む糸は380に記したとおりで、こうなると、三つの法門(三大秘法)の構成は崩れてしまうが、この点はどうなのであろうかという疑問です。

ですから、個人的には、蓮師は文永から建治に掛け三つの法門をあれこれ熟考され、結局のところ、弘安にいたり、これを捨て、題目本尊を以て至極とされ、戒壇義の理論構築を取りやめたと言うことなのか、こう、考えてよいのかという即断できない思いが生じます。

なお、今回の顕正居士さんのご教示で、最もわたしが重要と思ったのは「晩年にはその無理を悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至った」という点です。

これを「三大秘法」の取捨と絡めて論じては、ご教示の意図から外れてしまうかもしれませんが、以上のような結論は、晩年に至った蓮師が「三大秘法」を思わせる真跡を遺さないことと無縁であると思えません。

そうなると蓮師は、此土弘通から霊山浄土へ、三つの法門から題目本尊へという以降は、身延入山という遁世、さらには、日蓮を用いずとも・法華調伏をなさなくとも、国は亡びることはなかったという予言の不的中とも相俟って、変遷無常の哀感を孕む結論になっていくように思えます。

385顕正居士:2005/05/15(日) 14:19:57
>>381 真部さん

1 「一切十方の諸仏の法亦是の如し」。例えば、西方阿弥陀仏の世界からいえば安養が宇宙の中心であり、
阿弥陀仏が本仏であるというような理解です。
2 曼荼羅を除いても日蓮宗は成り立つ(仏本尊過激派)と考えても南無妙法蓮華経を除いては成り立たない。
「経題を唱える者を守護するすらその福は量ることができない」という十羅刹女への世尊の説示が唱題の直接
の根拠であり、五字七字は陀羅尼だからです。
3 華厳・阿含・方等・般若・法華涅槃の五時の中にそれぞれに蔵・通・別・円の化教四教がある。天台教判で
五時(五部)はそれほど重要でない、化教四教が根本である。しかるに妙楽大師湛然は「超八醍醐」、法華経
は天台教判の外に超越するという説を唱えた。これは部(五時)と(四)教を混乱させるものという鎌倉時代の
宝地房証真による湛然への批判です。日蓮聖人は「超八醍醐」の説を採って、四教よりも五部を重視された。
*阿含時には円教はないなどの例外はある。
4 本尊問答抄で妙法本尊の説をはじめていわれたのではなく、あえて本尊を一義に限定すれば法華経教主
ではないと否定されたとわたしは理解します。

386真部:2005/05/15(日) 19:21:07

顕正居士さん

誠に有難う存じます。
本当に勉強になりました。
私もまた悪しき日蓮主義からの脱却を目指していきたいと思います。

また折に触れ、教えて頂ければ幸いです。
感謝の言葉もありません。
ありがとうございました。

387真部:2005/05/15(日) 19:27:00

独歩さん

1.『唱法華題目抄』を真筆であるという立場か。

写本とありますので宗祖の真筆ではないと理解しています。

2.真跡無し・日興写本に限り題目本尊論が出てくることをどのように考るか。

この点につきましては、上記に顕正居士さんのお言葉がございますので、
私にそれ以上の意見はございません。

388問答迷人:2005/05/15(日) 21:09:30

顕正居士さん

>法華経の教主を本尊とするのは正意ではないと否定したのは思想の変化でしょう。

いつもながら、的確なご指摘、有難うございます。

蓮師が『法華経の教主を本尊とする』と報恩抄に述べたことを、本尊問答抄に到って、自ら覆した、という事ですね。そうすると、仏に対する帰命は仏を生み出した法に対する帰命の中に自ずから含まれる、という意味になりましょうか。

その場合、『三秘』という捉え方も、蓮師は覆したのでしょうか。如何お考えになられますでしょうか。

389犀角独歩:2005/05/15(日) 22:18:23

真部さん、

顕正居士さんがどうおっしゃったかは、顕正居士さんのお考え。わたしは、真部さんのお考えを問うているのです。それ以上の考えないというのは答えになっておりません。

では、なんでもかんでも顕正居士さんが言ったとおり、塩田なにがしという学者が言ったとおり、自分の考えというものはないのでしょうか。

わたしはこのような回答の仕方に“個人”を感じません。

390ひたち:2005/05/15(日) 22:55:58
四信五品抄
「問う末法に入って初心の行者必ず円の三学を具するや不や、答えて日く此の義大事たる故に経文を勘え出して貴辺に送付す、所謂五品の初二三品には仏正しく戒定の二法を制止して一向に慧の一分に限る慧又勘ざれば信を以て慧に代え信の一字を詮と為す」
初心の行者の話とはいえ、たしかに本門の三大事からは後退している気がします。。。

391顕正居士:2005/05/16(月) 07:10:28
>>388

問答名人さん。

>仏に対する帰命は仏を生み出した法に対する帰命の中に自ずから含まれる、という意味になりましょうか。

南無釈迦牟尼仏と唱えるなら、その宗ごとに中心とする教法が異なっても、釈迦仏の教法に帰依する意義を
含むでしょう。同様に南無妙法蓮華経と唱えも、寿量品の教主を中心とする、諸仏、菩薩への帰命の意義を
含むはずです。

>その場合、『三秘』という捉え方も、蓮師は覆したのでしょうか。

一大秘法を戒定慧三学に展開してもおのおのの名は妙法蓮華経であるから、三大秘法について思想が変化
したことはないと考えます。神力品の「於我滅度後 應受持斯經 是人於佛道 決定無有疑」が三大秘法を表現
していると理解します。すなわち妙法を本尊とし、妙名を唱える、その処が戒壇です。
ただし三大秘法とは法華本門の宗の戒定慧三学であるから、妙名を唱える、それははじまりであって、
法華迹門の宗になんら劣らない慧学の体系が具体に完整して三秘中の題目の法門が立ったといえる。
本尊、戒壇も同じである。首題本尊ははじまりである、諸宗に劣らない仏教芸術が創造されて本尊の法門が
立ったといえる。法華本門の戒法が制定され、戒壇建立が勅許され、公認の宗教となって戒壇の法門が
立ったといえる。したがって上の神力品の偈は一秘が受持されて三秘に展開するはじめをいう。はじめに
過ぎないけれどもすでに授記されている。授記されているということはしかし具体の三学をかならず建立せよ
という教勅である。
日蓮聖人は三秘中の本尊と題目を建立し戒壇は門弟に遺されたということがある。これは誤りであるとおもう。
戒法なくして戒壇は立たない、宗学なくして戒法は立たない、法華迹門の宗に劣らない宗旨として公認される
ためには芸術的の荘厳も必要である。三学全部具体的のことは門弟に遺されたというべきであるとおもう。

392犀角独歩:2005/05/16(月) 08:13:57

380への自己レスです。
先の箇条書きを更新します。

文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と四菩薩と戒壇と南無妙法蓮華経の五字(法華行者値難事)
        本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華取要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)

真跡遺文から、「戒壇」で検索すると以下のとおりです。
わたしは三つの法門でいう「本門戒壇」は、所謂「理壇」、つまり、本尊安置の場所、道場、法華経を置くところが戒壇というところと考えてきました。しかし、実際に戒壇で検索してみると、蓮師の「戒壇」の用法は、実質的な建物を指しています。となれば、「本門戒壇」も同じと考えざるを得ないと思えます。この考えを蓮師が懐いていたとしたら、顕正居士さんがおっしゃるように、後続に託したと考えるか、身延隠居後、その考えを捨てたか、どちらかということになります。しかし、蓮師寂後、弟子達は、それぞれに「申状」を提出していくことから考えると、真跡遺文には見られないものの、その意志は終生、あったのかも知れません。しかし、あるいは、「申状」「奏状」の類は、先に記したように、今で言う宗教法人許可の範囲であるとすれば、戒壇建立とは無縁となります。この点は、上古の弟子の確実な資料を当たることで、ある程度、割り出せると思えます。

文永3年(1266)「象頭山戒壇を築き」法華題目抄
文永8年(1271)「小乗の戒壇を三所に建立せり」行敏訴状御会通
文永11年(1274)「本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字」法華行者値難事
文永11年(1274)「東寺の真言・法相・三論・華厳等は戒壇なき」
…………………「天台円頓の円定・円慧・円戒の戒壇立つべき」聖密房御書
…………………「本門の本尊と戒壇と題目の五字」法華取要抄
文永12年(1275)「天台の戒壇を建立」
…………………「南岳・天台も未だ弘めたまはざる円頓の戒壇を叡山に建立す」
…………………「吾が師伝教大師…円頓の大戒壇を叡山に建立」曽谷入道殿許御書
建治元年(1275)「法華経の広宣流布にはにたれども、いまだ円頓の戒壇を立てられず」
…………………「日本小乗の三処の戒壇」撰時抄
建治元年(1275)「大乗の戒壇はゆる(許)されしなり」三三蔵祈雨事
建治2年(1275)「大事の円頓の大乗別受戒の大戒壇」
…………………「西国の観音寺の戒壇・東国下野の小野寺の戒壇・
………………… 中国大和国東大寺の戒壇・中国大和国東大寺の戒壇」
…………………「我が師天台大師の立て給はざる円頓の戒壇」
…………………「叡山の大乗戒壇すでに立てさせ給ひぬ」
…………………「宝塔の内の釈迦・多宝、外の諸仏並びに
………………… 上行等の四菩薩脇士となるべし。
………………… 二つには本門の戒壇。三つには日本乃至漢土月氏一閻浮提に
………………… 人ごとに有智無知をきらはず一同一同に他事をすてて
………………… 南無妙法蓮華経と唱ふべし。此事いまだひろまらず」報恩抄
建治3年(1277)「円頓の戒壇を叡山に建立」
…………………「法華経の円頓の大戒壇を叡山に建立」
…………………「或は東大寺の戒壇小乗の者なり」下山御消息
弘安元年(1278)「戒壇は以て前に同じ」三論宗御書
弘安3年(1280)「山門の得分たる大乗戒壇を奪ひ取り」諌暁八幡抄

393顕正居士:2005/05/17(火) 06:00:03
三大秘法を三学に配当することと、四信五品鈔の趣旨との関係について。

四信五品とは。
在世四信 一念信解 略解言趣 広為他説 深信観成
滅後五品 初随喜 読誦 説法 兼行六度 正行六度

日蓮聖人は法華本門の立行は六即中の名字即、在世四信中の一念信解、滅後五品中の初随喜と判定する。
ただし一念信解、初随喜はいまだ行や解を伴わない段階であるから、具体的には滅後五品中の二品と三品、
すなわち読誦と説法をあげ、
「五品之初二三品 仏正制止 戒定二法 一向限慧一分 慧又不堪 以信代慧 信一字為詮」と述べる。
本門の立行が慧学に限るのであれば、三大秘法ではなく題目の一大秘法のみになる、三学具備の三大秘法
から慧学限定の一大秘法へと説が変化されたのであろうか?

日蓮聖人は大元帝国の侵寇を契機に自身の説が用いられるだろうと期待していた。その期待が実現し、八宗
十宗の学者たちが彼の顕教根本説をある程度評価するに至った場合には本門の三学についての詳細な論述
を求められたであろう。この書述作の建治3年、文永の役と弘安の役の間にはその期待はまだ持続している。
本門立行慧学限定説と三大秘法説とは必ずしも矛盾しないと考えます。戒学の制止とは具足戒の制止、定学の
制止とは一念三千の観解の制止であると理解できる。三秘中の本尊とは散心で行う単信唱題の対象であり、
三秘中の戒壇の前提である本門の円戒は迹門の円戒と同じく受持即持戒の理戒であり、事戒は用いても補助
であろうと推測される。だから、本尊と戒壇とは通常の意味の戒定二学には摂せられない。そういう意味では
三大秘法というけれども、もともと一大秘法の題目であるともいい得る。

「制止戒定」について、進んでは一念三千の観解もあるべき等とするのか、は後世の解釈は二途にわかれる。
ただこの鈔の一種の解釈から出た不受不施などの教義は仏教思想に反し、かつ反社会的なものであると思う。

394犀角独歩:2005/05/17(火) 12:55:02

ひたちさん、顕正居士さんのご投稿を拝読して、改めて、『四信五品抄』を拝読しました。

たしかに「仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す」であり、さらには「檀戒等の五度をを制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜之気分と為す」といい、さらに「教大師未来を誡めて云く ̄『末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり。市に虎有るが如し。此れ誰か信ずべき』云云というわけです。まったく、戒定は斥けています。もはや本門戒壇の介在する余地などないように窺えます。

さらに妙法蓮華経について、これは、文字と題目の両面から見られますが、ここでは明らかに唱える題目に重があります。「唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具する…小兒乳を含むに其の味を知らざれども、自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼くに豈に覚り有らんや」といい、さらに「但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位…此の人は但四味三経の極意竝びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将た又真言等の諸宗の元祖、畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍也。請ふ、国中の諸人、我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩也。豈に煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば八十年の布施を超過して五十の功徳を備ふべし。天子の襁褓に纏はれて、大龍の始めて生れんがごとし。蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ」と言い切るわけです。

『四信五品抄』は建治3年(1277)の書で、先に愚鈍凡夫さんが挙げられた『建治弘安交』を踏まえれば、『本尊問答抄』の弘安元年の前年と言うことになります。この時点で、三つの法門は、一大秘法へと落着した観があります。

富士門下でもしかし、たとえば「私に云く戒定慧とは妙法蓮華経なり、難じて云く戒定慧は三なり五字は一なり如何、答ふ三にして而も一、一にして而も三なり、戒壇本尊妙法の五字は面は三にして其の躰一なるか、山家大師云く虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧・三学倶伝名て妙法と曰う」と本尊相伝等にも見られ、どうも妙法五字に収斂し三学倶伝を遵守しようとする様ですが、しかし、こうなると「戒定の二法を制止」には当たらないことになってしまいます。

三学と三つの法門は別義ということはできるかもしれません。しかし、「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異」と引く蓮師が、戒壇建立を目指すことは、これまた、文字どおり、「怪異」ではないのか、どうも、この辺りが見えてきません。

395犀角独歩:2005/05/17(火) 22:25:12

【394の訂正】

誤)…と本尊相伝等にも見られ
正)…ほか、本尊相伝等にも見られ

396犀角独歩:2005/05/17(火) 22:34:18

問答さん、一つ質問させてください。
「唱題成仏」は、やはり、いま議論になっているような筋から結論でありましょうか。

397問答迷人:2005/05/18(水) 06:30:54

犀角独歩さん

>唱題成仏・・・いま議論になっているような筋から結論

というか、元の住職が「日蓮大聖人の教えは、突き詰めれば、唱題成仏」と何回か言っていたこと、聞いた時は、『学者はそんな風に捉えるのか』程度に流していましたが、その後、体験的にも南無妙法蓮華経と唱える事自体を蓮師は教えたのではないか、と感じる事がしばしばあり、元住職の説に大いに賛同するところが有りました。そのような流れからの僕なりの結論なのです。まぁ、その元住職の考えは、日蓮正宗の僧侶の発言としては、異質でしたから、いま議論になっているような筋が有ったのではないかと思いますが・・・

398犀角独歩:2005/05/18(水) 08:30:58

問答さん。

わたしは議論を通じて、ずっと仏と法と言ったとき、仏が先で、その覚った法、もしくは教法があとと思ってきたわけです。ところが涅槃経を引用して蓮師は、法は諸仏の師と言うわけです。

さらに妙法蓮華経の五字が先か、音声が先か、どちらだろうと考えてきたわけです。

また、妙法蓮華経は、元来、法華経典の題名で、蓮師自体、南無妙法蓮華経は文字どおり、妙法蓮華経への南無を意味していた。ところが晩年に至るに連れ、非常に神秘性を帯び、所謂、マントラ的な意味合いを持つに至ると映じます。

さらに中世で因果倶時不思議一法、近代では宇宙の妙法とか言われると、なんだか完全に神秘じみます。

以上のようなことについて、我々は、仏教の右も左も分からない段階で、その組織の“解釈”を刷り込まれるわけです。わたしは創価学会でしたから、一切合切“生命”で解釈するといった具合です。

しかし、そのように刷り込まれてきた“解釈”はよく突き詰めると、蓮師と関係ないばかりか、仏教としてもかなり異常なものであることに気付くことになりました。

そこから、さらに突き詰めてきたわけですが、漢字五文字の妙法蓮華経を蓮師は一体、どうとらえていたのだろうか、というのが目下、わたしの決せない疑問としてあります。

上行付嘱の南無妙法蓮華経の五字。これは要するに、蓮師の教学からすれば日本の鎌倉時代から2200余年前、インドに於いて、滅後末法の弘通を上行等に釈尊が託したという前提です。インドの話です。何で漢字五文字なのか?という疑問がまずあります。さらにそれが五百塵点已来隠し持ってきたとなると、その段階で漢字があった前提なのか?という疑問が生じます。妙法蓮華経という教えを付属したとか、過去遠々劫から秘し持っていたというならばまだしも、妙法蓮華経漢字五文字となれば、これはもはやお話にならないわけです。実際のところ、神力の付嘱などは、その点はクリアしていますが、それを五字とやってしまうと、とたんにこけないかという疑問がわたしにはあるわけです。

その意味で、問答さんが、それを唱える音声(おんじょう)であるとするのは、指示したい欲求に駆られるのですが、さて、そう決してしまって良いかどうかと足踏みをしています。

この文字と音声、少しお考えをお聞かせいただければ、有り難く存じます。

399問答迷人:2005/05/18(水) 09:39:52

真蹟を残しませんが、唱題成仏について、法華初心成仏抄には次のように書かれています。参考になると思いますので、引用してみます。

『問うて云はく、仏の名号を持つ様に、法華経の名号を取り分けて持つべき証拠ありや、如何。答へて云はく、経に云はく「仏諸の羅刹女に告げたまはく、善きかな善きかな、汝等但能く法華の名を受持する者を擁護(おうご)せん福量(はか)るべからず」云云。此の文の意は、十羅刹(じゅうらせつ)の法華の名を持つ人を護らんと誓言を立て給へるを、大覚世尊讃めて言(のたま)はく、善きかな善きかな、汝等(なんだち)南無妙法蓮華経と受け持たん人を守らん功徳、いくら程とも計りがたくめでたき功徳なり、神妙なり、と仰せられたる文なり。是我等衆生の行住坐臥(ぎょうじゅうざが)に南無妙法蓮華経と唱ふべしと云ふ文なり。凡そ妙法蓮華経とは、我等衆生の仏性と梵王・帝釈等の仏性と舍利弗・目連等の仏性と文殊・弥勒等の仏性と、三世諸仏の解りの妙法と、一体不二なる理を妙法蓮華経と名づけたるなり。故に一度妙法蓮華経と唱ふれば、一切の仏・一切の法・一切の菩薩・一切の声聞・一切の梵王・帝釈・閻魔法王・日月・衆星・天神・地神・乃至地獄・餓鬼・畜生・修羅・人天・一切衆生の心中の仏性を唯(ただ)一音に喚び顕はし奉る功徳無量無辺なり。我が己心の妙法蓮華経を本尊とあがめ奉りて、我が己心中の仏性、南無妙法蓮華経とよびよばれて顕はれ給ふ処を仏とは云ふなり。譬へば篭(かご)の中の鳥なけば空とぶ鳥のよばれて集まるが如し。空とぶ鳥の集まれば篭の中の鳥も出でんとするが如し。口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。されば「若(も)し暫(しばら)くも持つ者は我れ則ち歓喜す諸仏も亦然なり」と説き給ふは此の心なり。されば三世の諸仏も妙法蓮華経の五字を以て仏になり給ひしなり。三世の諸仏の出世の本懐、一切衆生皆成仏道の妙法と云ふは是なり。是等の趣(おもむき)を能く能く心得て、仏になる道には我慢偏執(がまんへんしゅう)の心なく、南無妙法蓮華経と唱へ奉るべき者なり。』

400問答迷人:2005/05/18(水) 09:58:49

僕は、この中で、特に『口に妙法をよび奉れば我が身の仏性もよばれて必ず顕はれ給ふ。梵王・帝釈の仏性はよばれて我等を守り給ふ。仏菩薩の仏性はよばれて悦び給ふ。』とあるところに注目しています。

意味としての、或いは思想としての「南無妙法蓮華経」ではなく、口に唱えるという行為が、自分に対しても、他者に対しても影響を与える、という事がここには書かれていると思います。『事行の南無妙法蓮華経』とは、行為として口に唱えられ、『呪』の働きを持つものとして、蓮師は考えていたのでは無かろうか、と思います。

また、曼荼羅にしたためられた『南無妙法蓮華経」の文字が、所謂「ヒゲ文字」で書かれているのは、「意味としての南無妙法蓮華経」ではなく『音声としての南無妙法蓮華経」なんだという事を知らしめるためにそうされたのだろうと思います。引き題目では一字一字長く声を引いて唱える訳ですが、それを文字で表現するとすれば、やはり、ヒゲ文字として表現することになるのがごく自然の成り行きかな、と思うわけです。であれば、曼荼羅の「南無妙法蓮華経」は「事行の南無妙法蓮華経」を表現されたいるのだと思います。

401問答迷人:2005/05/18(水) 10:13:14

>インドの話です。何で漢字五文字なのか?という疑問がまずあります。

これは、当然のことながら、漢字五文字に限定されるべきものではないと思います。ただ、蓮師が漢訳仏典の「妙法蓮華経」に拠ったために、そうなったに過ぎませんでしょう。サンスクリット文字だと何字になるのか、僕には分かりませんが、「サツダルマ プンタ゚リーカ スートラ」の何文字か、それが、付属の実体なのだと思います。蓮師は、それを漢訳仏典を用いる立場から「妙法蓮華経」の五文字として付属を受けた、としたに過ぎないのではないかと思います。

402問答迷人:2005/05/18(水) 10:49:24

>妙法蓮華経の五字が先か、音声が先か

漢訳仏典がなければ、南無妙法蓮華経の音声は有り得ないですから、当然、五字が先にあって、そののち、その文字を唱える音声でなければ、道理が合わないと思います。

403顕正居士:2005/05/18(水) 13:03:14
日蓮聖人の教説はこれを精密に解釈しようとすると煩瑣な議論に陥るのでありますが、これを単純に受容するなら
実に簡単な内容であります。すなわち法華経を唯一至高の聖典であると信仰することによって、それのみによって
釈尊の因行の功徳も果徳の功徳も自然にわれわれに譲与されるという以上の内容はありません。遺文はすべて
以上の事柄を述べるに過ぎず、かつその大部分は法華経が唯一至高の聖典であることを論証しようとするのです。

日蓮の教説をルターの教説と比較すれば、

法華経のみ--聖書のみ(Sola Scriptura)
信仰のみ----信仰のみ(Sola Fide)
只自然譲与--恩寵のみ(Sola Gratia)

であります。親鸞とカルヴァンの教説も概ね同致であって欧州と日本にはこの四宗が成立普及したことが、世界に
先んじて資本主義を発達させた歴史はマックス・ウェーバーの著『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』、
及びこれを日本に応用した研究によって叙述されます。モンゴル世界帝国の成立が周辺の欧州と日本において
中世的ナショナリズムの形成を共通に刺激した契機があったと考えます。なぜこの四宗の教義が近代社会の成立
を促すかといえば、人は「信仰のみ」によって救済に与るのであって、「行い」や「修行」によるのではない。宗教は
信仰の一点に集中し集約され、かつて宗教に摂せられた善行も修行も学問も世俗の活動になる、あるいは逆に
個人生活も社会生活もすべてが宗教に接せられ、世間の法の全体が仏法となる。これを「宗教の世俗化」という。
しかしこれらの新宗旨が近代社会の将来を意図して成立したのではなく、純粋な狂信によって生成したのだから、
欧州も日本も極限的の宗教戦争の世界になった。しかしその荒廃の中から宗教勢力を統制し得る権力が生じ来り、
やがて近代国民国家が誕生した。今日、欧米の諸カルトのほとんどが広義の福音派に由来し、日本の強力なカルト
の多くは日蓮宗か浄土真宗と関連がある。この四つの宗旨は意図せずして近代社会の将来に積極的にあるいは
敵対勢力として反面的に貢献した。その元来の反面の要素がマルチ商法と連結し、多数のカルトを生成し、欧米や
日本の文明を脅かしつつある。イスラームの場合には逆に「信仰のみ」の宗旨がいまだ成立していないゆえに近代
社会への発達が順調ではない。


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