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本尊と曼荼羅

384犀角独歩:2005/05/15(日) 13:34:46

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顕正居士さん、懇切丁寧なご教示、まことに有り難うございます。
ご教釈いただいた点、よく納得できるものです。

本尊問答抄を真筆と見なす場合、仰るとおりであると存じます。
ただ、わたしのなかで、以上の点を頷くと絡む糸は380に記したとおりで、こうなると、三つの法門(三大秘法)の構成は崩れてしまうが、この点はどうなのであろうかという疑問です。

ですから、個人的には、蓮師は文永から建治に掛け三つの法門をあれこれ熟考され、結局のところ、弘安にいたり、これを捨て、題目本尊を以て至極とされ、戒壇義の理論構築を取りやめたと言うことなのか、こう、考えてよいのかという即断できない思いが生じます。

なお、今回の顕正居士さんのご教示で、最もわたしが重要と思ったのは「晩年にはその無理を悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至った」という点です。

これを「三大秘法」の取捨と絡めて論じては、ご教示の意図から外れてしまうかもしれませんが、以上のような結論は、晩年に至った蓮師が「三大秘法」を思わせる真跡を遺さないことと無縁であると思えません。

そうなると蓮師は、此土弘通から霊山浄土へ、三つの法門から題目本尊へという以降は、身延入山という遁世、さらには、日蓮を用いずとも・法華調伏をなさなくとも、国は亡びることはなかったという予言の不的中とも相俟って、変遷無常の哀感を孕む結論になっていくように思えます。


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