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本尊と曼荼羅

394犀角独歩:2005/05/17(火) 12:55:02

ひたちさん、顕正居士さんのご投稿を拝読して、改めて、『四信五品抄』を拝読しました。

たしかに「仏正しく戒定の二法を制止して、一向に慧の一分に限る。慧又堪えざれば信を以て慧に代ふ。信の一字を詮と為す」であり、さらには「檀戒等の五度をを制止して一向に南無妙法蓮華経と称せしむるを一念信解初随喜之気分と為す」といい、さらに「教大師未来を誡めて云く ̄『末法の中に持戒の者有らば是れ怪異なり。市に虎有るが如し。此れ誰か信ずべき』云云というわけです。まったく、戒定は斥けています。もはや本門戒壇の介在する余地などないように窺えます。

さらに妙法蓮華経について、これは、文字と題目の両面から見られますが、ここでは明らかに唱える題目に重があります。「唯南無妙法蓮華経と唱へて解義の功徳を具する…小兒乳を含むに其の味を知らざれども、自然に身を益す。耆婆が妙薬誰か弁へて之を服せん。水心無けれども火を消し、火物を焼くに豈に覚り有らんや」といい、さらに「但一口に南無妙法蓮華経と称する其の位…此の人は但四味三経の極意竝びに爾前の円人に超過するのみに非ず、将た又真言等の諸宗の元祖、畏・厳・恩・蔵・宣・摩・導等に勝出すること百千万億倍也。請ふ、国中の諸人、我が末弟等を軽んずること勿れ。進んで過去を尋ぬれば、八十万億劫供養せし大菩薩也。豈に煕連一恒の者に非ずや。退いて未来を論ずれば八十年の布施を超過して五十の功徳を備ふべし。天子の襁褓に纏はれて、大龍の始めて生れんがごとし。蔑如すること勿れ、蔑如すること勿れ」と言い切るわけです。

『四信五品抄』は建治3年(1277)の書で、先に愚鈍凡夫さんが挙げられた『建治弘安交』を踏まえれば、『本尊問答抄』の弘安元年の前年と言うことになります。この時点で、三つの法門は、一大秘法へと落着した観があります。

富士門下でもしかし、たとえば「私に云く戒定慧とは妙法蓮華経なり、難じて云く戒定慧は三なり五字は一なり如何、答ふ三にして而も一、一にして而も三なり、戒壇本尊妙法の五字は面は三にして其の躰一なるか、山家大師云く虚空不動戒・虚空不動定・虚空不動慧・三学倶伝名て妙法と曰う」と本尊相伝等にも見られ、どうも妙法五字に収斂し三学倶伝を遵守しようとする様ですが、しかし、こうなると「戒定の二法を制止」には当たらないことになってしまいます。

三学と三つの法門は別義ということはできるかもしれません。しかし、「末法の中に持戒の者有らば是れ怪異」と引く蓮師が、戒壇建立を目指すことは、これまた、文字どおり、「怪異」ではないのか、どうも、この辺りが見えてきません。


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