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本尊と曼荼羅

345真部:2005/05/12(木) 21:44:09

続く

「上述の如く・決定如来は、顕意よりしては弥陀と解し得ぬのであるが、
若し・弥陀と解する如きは・全く密意という外ないのである。

故に・宗祖が 「寿量品を阿弥陀仏とかかれたり」 とは、儀軌の寿量品の
決定如来を・ 光明王経の意を以て解したものであつて、

寿量品の無量寿と・儀軌の無量寿と、決定光明王経の無量寿とを・同義と解し
た点を指摘したものと解する外ないのである。

故に・若し・儀軌當面の意を以てすれば、台密の寿量顕本の意を解すべきである。

若し・日朝(注:身延日朝師)が「本門の教主」(「本尊論資料」一、九六)と解せる如きは、
全く能顕の一辺を指したものであって、所顕にあらざれば・無量寿と称し得ぬのである。」


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