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本尊と曼荼羅

383顕正居士:2005/05/15(日) 12:59:32
>>380 独歩さん。

妙法本尊説が巻頭にだけ述べられているのではなく、この書の問答の前半全体で示されています。そして
「釈迦と天台とは法華経を本尊と定め給へり。末代今の日蓮も仏と天台との如く法華経を以て本尊とするなり。
其故は法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦、大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。
故に今能生を以て本尊とするなり」
と結論し、「仏三種身従方等生」等の経文を引き、木画の二像の話になります。これも「仏は所生、法華経は
能生」であるから、「大日仏眼の印と真言とを以て開眼供養をなすはもとも逆なり」というのです。
*「仏事の木画の開眼供養は八宗一同に大日仏眼の印・真言なり」(撰時抄 )

さてわたしのおもうにはこの書は「法華経本尊」、「首題本尊」を述べているのであって、曼荼羅が本尊だと
は述べていない。本尊抄、報恩抄のように曼荼羅の姿らしき記述はない。具体の本尊として、首題だけでも
本尊たり得る意義は示されるが、一尊四士と曼荼羅といずれが正意の本尊という後世の議論とは次元は
異なる。日蓮聖人は本尊という語を多義的に用いている。図顕の曼荼羅を御本尊といわれるからもちろん
曼荼羅は本尊である。教主釈尊は本尊であるから、釈尊の像を造ったら本尊であろう、一体ではいけないと
いう遺文もない。しかしながらあえて本尊という語を一義に限定するなら、それは法華経あるいは法華経の
題目であり、法華経の教主ではないことを浄顕房に断定されたのではないか。本尊抄や報恩抄の説のみで
は、結局は何が本尊という疑問が生じ、七百年議論が尽きない。剋実すれば法華経の題目であると。
仏や菩薩の中で誰は誰の家来であるというような説はわたしには仏教の経典を探してもない考えに思える。
日蓮聖人は強引に釈迦仏を大乗仏教万神殿のゼウスになされようとしたこともあるが、晩年にはその無理を
悟られ、諸仏能生の法華経が大乗仏教の中心であるという、納得がいくお考えに至ったのではなかろうか?

なお本尊問答抄は白蓮日興と実相寺日源の写本があり、富木日常の常修院聖教目録にもあげられており、
これが後世の偽作である可能性はほぼ皆無であると考えます。


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