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本尊と曼荼羅
380
:
犀角独歩
:2005/05/15(日) 09:55:43
問答さん、一大秘法への視点、興味深く拝読しました。
また、顕正居士さん、ご投稿、併せて、資とさせていただきました。
文永10年(1273) 本門釈尊・事行の南無妙法蓮華経(本尊抄)
文永11年(1274) 本門の本尊と戒壇と題目の五字(法華主要抄)
文永12年(1275) 一大秘法(曾谷入道殿許御書)
建治2年(1276) 本門の教主釈尊を本尊…本門の戒壇…南無妙法蓮華経(報恩抄)
寛師説で言えば、一大秘法−三大秘法−六大秘法となるのでしょうが、はたしてどうでしょうか。むしろ、単純に題目を一大秘法と言っているように、わたしには思えます。
要は本門本尊釈尊(仏)が一大秘法(法)を上行菩薩(僧)に付属したという関係ではないのかという意味です。これを本尊、あるいは戒壇と束ねて一つに見る必要があるのだろうかという意味でもあります。
なお、顕正居士さんが挙げられる『本尊問答抄』(、この真偽は、いちおう、置きますが、わたしはこれを曼陀羅正意へのスライドであるとする正信会の考えにはまったく反対です。単なる牽強付会と映じるからです。
たとえば、『本尊問答抄』では、たしかに「法華経の題目を以て本尊とすべし」とありますが、ここだけを挙げるのは、切り文ではないでしょうか。何故ならば、そのあとに「仏は身なり、法華経は神なり。然れば則ち木像、画像の開眼供養は唯だ法華経にかぎるべし」という文があるのであって、何ら木画像の釈迦仏像は撤廃されていないからです。また、真跡曽存(やや真偽に難はあるものの本尊問答抄が真跡であるするのであれば、敢えて挙げれば)、問答抄の翌年・弘安2年の『日眼女造立釈迦仏供養事』には、
「御守書てまいらせ候三界の主教主釈尊一体三寸の木像造立…釈尊一体を造立する人は十方世界の諸仏を作り奉る人…釈尊を造立し奉れば下女が太子をうめるが如し…一切の女人釈迦仏を造り奉れば現在には日日月月の大小の難を払ひ後生には必ず仏になるべし」
と記すわけです。これを漫荼羅正意の色眼鏡では、釈迦像に執着するものへの方便の如き解釈しますが、それはあくまで漫荼羅正意論者の解釈であって、しかし、蓮師の文はかくの如きです。
しかし、もし『本尊問答抄』の冒頭文のみを墨守して読むのであれば、この時点で、蓮師は「三大秘法」を捨てたと言うことでしょう。つまり、本門本尊:題目=本文題目:題目+戒壇という二本立てになるからです。つまり、本尊問答抄と三大秘法は併存不可の関係にあると、わたしは思います。
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