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本尊と曼荼羅
348
:
真部
:2005/05/12(木) 22:39:49
続く
「しからば・果たして・誰人に依って、「観智儀軌」の決定如来が弥陀仏と解せられたかというに、
文献としては・これ智証の著と称する「講演法華義」並びに「法華諸品配釈」を指すべきであろう。
もちろん・これらの両書は・古より真偽の論はあるが、前者は・ほぼ智証としているようであるが、
しかしながら・その思想系統より見る時は、智証に属すべきものであろう。若し・「法華諸品配釈」に依れば
弥陀・葉・配・寿量品・意者、 下方・従・地・涌出・虚空・衆会。
為・仏・決・此疑・説・此品也。
如来者・乗・如実道・来成・正覚、 故・名・如来。
十方三世・本仏・迹仏之通号也、故・名・寿量品。云々
入真言門意者、 西方葉寿量品也、 是・示・伽耶之遠成・義也。
顕密共也。 (仏全27、491)
と即ち・顕教の寿量の顕本は塵点の遠寿に寄せて、無量寿法身の本を顕すのである。
故に・若し・単に名に約すれば、無量寿如来とは弥陀の異名である。
しかるに・真言において・阿弥陀仏を西方に配し、寿量品の仏としたのは、伽耶近成の
応身の義であって、顕教にいう如き法身の意ではない。
即ち・顕教は法身の体と指し、密教は応身の名を指して、顕密共に無量寿というも
名同義異である。」同論文P46−47
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