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本尊と曼荼羅
351
:
真部
:2005/05/12(木) 23:37:35
続く
「しかるに・「講演法華儀上」には
次・西方・阿弥陀仏葉、 寿量品・明・之。
梵・云・阿弥陀痩灑、 此・云・無量寿、 即・彼品・所説・久遠実成也。
(56−193、仏全27 923)
と述べているが、元来・弥陀の梵名に阿弥陀痩Amitayusと阿弥陀婆Amitabhaの両様があって、
痩斯ayusは寿の義、婆abhaは光明の義である。 (注:「痩」は「冫」を除いた字です)
したがって・前者を無量寿、後者を無量光となし、光寿の二無量を以て弥陀の仏徳を表した
のである。されば・「阿弥陀経」には
舎利弗於汝意云何、 彼仏・何故・号・阿弥陀。舎利弗・彼仏・光明無量、
照・十方国・無・所・障碍、 是故・号・為・阿弥陀。
又舎利弗・彼仏、 寿命及其人民無量無辺、 阿僧祇故名・阿弥陀。
と説いているのである。故に・無量寿とは仏徳の一面を顕したもので、
寿量品の「寿命無量、阿僧祇劫、常住不滅」というも・これに外ならぬのである。
故に・この点より見て・弥陀の異名たる無量寿仏に寿量品を配したのである。
かくのごとく・光寿の二無量は独り弥陀の仏徳のみならず、諸仏共通の仏徳である。
故に・寿量品の偈に「慧光照無量、寿命無数劫」と説いてあるのである。
いずれにもせよ・宗祖の所謂寿量品を弥陀と書いたというのは、恐らく智証と謂わなければ
ならぬ。加之・不空の法華曼荼羅は密教の意を以て、法華を曼荼羅化したのに過ぎないので
あるが、曼荼羅内の諸尊の意義を明かにし、所謂法華曼荼羅に法華曼荼羅たる所以を明にした
のは、宜し右の両書が智証でないにしても、智証を起点とする台密学派といはなければならぬ。
由来密家に於いては杲実の「玉印抄」が「観智儀軌」を指して「両部合行儀軌也」(5、17)
と称するのであるが、かく称せらる所以は勿論・一行の「大日経疏」に発するのであるが、
全くかくのごとく称せらるべき内容を整えたのは・やはり・智証等であろう。」
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