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本尊と曼荼羅

391顕正居士:2005/05/16(月) 07:10:28
>>388

問答名人さん。

>仏に対する帰命は仏を生み出した法に対する帰命の中に自ずから含まれる、という意味になりましょうか。

南無釈迦牟尼仏と唱えるなら、その宗ごとに中心とする教法が異なっても、釈迦仏の教法に帰依する意義を
含むでしょう。同様に南無妙法蓮華経と唱えも、寿量品の教主を中心とする、諸仏、菩薩への帰命の意義を
含むはずです。

>その場合、『三秘』という捉え方も、蓮師は覆したのでしょうか。

一大秘法を戒定慧三学に展開してもおのおのの名は妙法蓮華経であるから、三大秘法について思想が変化
したことはないと考えます。神力品の「於我滅度後 應受持斯經 是人於佛道 決定無有疑」が三大秘法を表現
していると理解します。すなわち妙法を本尊とし、妙名を唱える、その処が戒壇です。
ただし三大秘法とは法華本門の宗の戒定慧三学であるから、妙名を唱える、それははじまりであって、
法華迹門の宗になんら劣らない慧学の体系が具体に完整して三秘中の題目の法門が立ったといえる。
本尊、戒壇も同じである。首題本尊ははじまりである、諸宗に劣らない仏教芸術が創造されて本尊の法門が
立ったといえる。法華本門の戒法が制定され、戒壇建立が勅許され、公認の宗教となって戒壇の法門が
立ったといえる。したがって上の神力品の偈は一秘が受持されて三秘に展開するはじめをいう。はじめに
過ぎないけれどもすでに授記されている。授記されているということはしかし具体の三学をかならず建立せよ
という教勅である。
日蓮聖人は三秘中の本尊と題目を建立し戒壇は門弟に遺されたということがある。これは誤りであるとおもう。
戒法なくして戒壇は立たない、宗学なくして戒法は立たない、法華迹門の宗に劣らない宗旨として公認される
ためには芸術的の荘厳も必要である。三学全部具体的のことは門弟に遺されたというべきであるとおもう。


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