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本尊と曼荼羅

371顕正居士:2005/05/14(土) 16:59:22
日蓮の「所従」思想-1

「所従」は家来、従者、下人などをいう。比叡山の荒法師とは学生(がくしょう)の「所従」(学僕)が長じて衣を着た
のであるなどと使う。わが国では得宗家の家司が大きな権勢を有することがある。しかし家来である以上は主君
の専権に服する身分である。「臣下」や「大名」ではない。家内使用人である。ただし提婆品に「多宝世尊。所従
菩薩。名曰智積」とあり、日蓮は「所従」を「随従、侍従」の意味で用いている可能性はある。臣下とも脇士とも
いうからである。

法華取要抄(真翰完存)

「教主釈尊は既に五百塵点劫より已来、妙覚果満の仏なり。大日如来・阿弥陀如来・薬師如来等の尽十方の
諸仏は我等が本師教主釈尊の所従等なり。天月の万水に浮かぶ、是れ也。華厳経の十方臺上の毘盧遮那、
大日経・金剛頂経の両界の大日如来は、宝塔品の多宝如来の左右の脇士也。例せば世の王の両臣の如し。
此の多宝仏も、寿量品の教主釈尊の所従也。此土の我等衆生は五百塵点劫より已来、教主釈尊の愛子也。
不孝の失に依て今に覚知せずと雖も、他方の衆生には似るべからず」

仏身については幾種類も説がある。大日如来を法身というけれども、それは密教のほうでいうことで、天台宗の
三身説にあてれば胎蔵界大日・理法身が法身、金剛界大日・智法身は報身である。多宝仏が不二の大日なら
釈迦仏と報法・境智の関係が成り立たない。更に多宝仏が釈迦仏の所従であるとは何をいうのか。多宝仏は
霊山の客であるが、釈迦仏はまた多宝塔の客であるから上座なのである。所従といったら二仏の並坐は成立
しない。大日智法身即釈迦仏、大日理法身即多宝仏でなければわからない。その上で東密では釈迦多宝不二
を大日如来とするのに対して、台密では両部大日不二を無量寿命決定如来(寿量品の仏)とするのであろう。

上の文ではゆえに娑婆世界は宇宙の中心であると述べる。われらも「他方の衆生には似るべからず」。ただし
「有縁の仏と結縁の衆生とは、譬へば天月の清水に浮かぶが如し。無縁の仏と衆生とは、譬へば聾者の雷の
声を聞き、盲者の日月に向ふが如し」
と文が続くから、諸仏同道、互為主伴の上で述べている可能性も否定できない。


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