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イラク攻撃、日本はどう出る? どうする?
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世界中で反戦運動が盛り上がっているアメリカのイラク攻撃。
ブレアさんも、なんか、旗色が悪いですね。
ところで、相変わらず態度がはっきりしない我が日本。
はっきり言う事が苦手な奥ゆかしき民族も、そろそろ態度の決め時です。
皆さん、日本はイラク攻撃に賛成、反対、どちらを表明すべきと思いますか?
ちなみに、私は
「国益の為にも反対すべき」という意見です。
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>武蔵さん
「正当防衛以外の人殺しは許されない」=「人殺しは絶対に悪いことではない」
間違いではないだろう?(笑)
言い方、順番を変えているだけでの話しなんだよね。
人殺しは絶対に悪いことではない、ちうと、イメージでは「人殺し容認」に聞こえるだけで
「条件付きで人殺し認めてる」ことも同じくくりになるんだよね。
「正当防衛」っていうもんも、これまたケースバイケースで、裁判でもめてるくらいだから
そらすぐにまとまるもんじゃぁないし、時代・政治体制によっても変化するものなんだよね。
ほかに「絶対言い切れるもの」は、ないかい?
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いやぁ、イラクの無政府状態(笑)
「安全はただだ」なぁんていえないことが、ようわかるわなぁ。
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>>651
反戦の感想さんが、前のほうのレス(ごめん、今、時間がちょっとしかとれんので、探してられんの)で
「反戦の人をなんか決めつけていうような」(表現は違うが)といっていたけれど
>「戦争は、軍隊があるから起きる」→ほほぅ・・・
>「軍隊を廃止しる!」→なるほどねぇ・・・
>「そのさきがけとして、まず日本から軍隊を廃止しる!」→おいおい!
>ちう流れが、いやなんだよね(笑)
これって、まさにそうじゃない?
いや、他の人はしらんが(全ての反戦論者を知ってるわけでないので)私は、こういう事、発言してないし、この場でも、非武装論を言われた方は、私の記憶では一名ほどしかいないのですが。
まあ、あの不毛な「自衛隊バカ論争」の根っこには、こういう偏見があるわけね。
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>>646
私が「バカウヨ」というのは、匿名のシステムではなく、
匿名である(犯人がわからない)事を悪用して、他人を誹謗中傷することしか能のない連中のことです。
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>>653
>「正当防衛以外の人殺しは許されない」=「人殺しは絶対に悪いことではない」
間違いではないだろう?(笑)
言い方、順番を変えているだけでの話しなんだよね。
ここらあたりが、あなた方のまとめ方の謝ったレトリックなんですよ。
まとめられた方はたまったもんじゃあない、です。
順が違えば、意図することが違ってきます。
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>>614(少々、亀レスかな)についてですが。
>『効果』が無くても『意義』のある行為なんかはこの世に山ほどある訳で。
>例えば現在の反戦運動に戦争を止める効果が無いとしても、反戦の『理念』を持つ者がそれをするのは(その人にとっては)意義があると僕は思いますよ。
>そこを飛び越えて、「反戦運動に効果があるのは自明だ」とするから問題がある訳です。
「効果があるのは自明だ」といってしまっている人と言うのは、ここにはいないわけです。
整理だけをする、というのなら、こういうのは「発言の捏造」になるんですよね。
武蔵さんはその辺を批判されているわけで、誰彼かまわず、かみついているわけではないです。
で、人の文章にやたら、細かい揚げ足とりをされるはずのヤスツさんが、この辺はあえて無視する。
まあ、その辺に、懐疑派のダブスタを感じるんだけど。
どうなんでしょう?
>例えば日本が官民あげてベトナムやカンボジアの近代的な法律制度整備に援助しているのを、反戦派の人の内どれ位の人が知っているんでしょうか?
知っている人も居るし、知らない人もいるでしょう。石器人さんは少なくともご存知です、確か、掲示板だかクラブの方だかでもその話をされていましたし。
カンボジアの総選挙には、日本の外務省を大きな貢献があったわけですが、その背景には自衛隊の地雷除去により、彼の国との信頼関係が築けたことも一因である、という文章を読んだ記憶もあります。
個人的には私は間違った解釈ではないと思いますよ。
知識があるかないかは、その人それぞれです。
懐疑派の方々の中でも、随分と差はあるでしょう。
これは、このペ−ジの前身であるくまちゃんのペ−ジでも話しましたが、戦争を無くそうと思うのなら、まず、知らない、解らない、ではなくて、知ろうとすることは必要だ、と。
この必要の理由には、ある程度の知識があるなら、簡単に見分けられる好戦的プロパガンダもみぬけるようになる、という理由もあるのですが。
>>650
>もう少し度量を大きく持てないでしょうか?
>『反戦の理念』を共有しない限り反戦運動は不可能なのでしょうか?
これなんですけどね、ヤスツさんの目的、「反戦側の考えや立場を理解する」というのがあるのなら、
それは、「人の命や痛みを思う心があるか、ないか」が差だ、といったわけです。
私は、反戦側の人間としては、まあ、かなりいい加減で、リアリストだと思うデスよ。ある意味、だから、ここにいられるのかな?なんて思いますが。
ま、それはそれとして、まあ、テ−マがちと違うってことですわ。
>「戦争が起こらないような世界」を創造する地道な努力もまた『反戦運動』足り得ます。
そしてそういうタイプの運動は比較的批判を受けず誰にでも通用するものです。
これは、同意です。
方法論はいろいろだけど、みんな多かれ少なかれやっているんじゃないかなあ?と思うけど。
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>>656
なるほど、イカフライさんの「バカウヨ」の定義について理解しました。
「匿名であることを悪用して他人を誹謗中傷するしか能がない」というグループに対して「バカウヨ」というレッテルは誤解を広げると思います。
そういう人は、それこそ「バカ」で「ウヨ」な人だけでなく、「バカ」で「ノンポリ」な人、「バカ」で「サヨ」な人にも居ますよ。
ですから、そういうのは普遍的に「厨」と呼びましょう。
厨が普遍的かどうかは実際には断言できません(できてから日が浅い言葉ですから)が、厨的資質は、思想信条の左右、反戦・厭戦・肯戦・疑戦のいずれのグループにも必ず居ます。
それを、「自分の会派(思想信条的に近いグループ)に敵対しているところにいたから」という理由で「バカウヨ」と言ってしまいますと、語義の混乱を招くと思います。というか招いています。
イカフライさんの質問が、「ヤスツは厨かどうか?」という質問であるなら、少なくとも「厨がなんたるかの理解はしている。その上で、私に厨の自覚はない」とお答えすることができます。
また、僭越な評価ではありますが、柏葉氏、緑装薬4氏、壱学生氏、OKE氏などについても、「厨とは一線を画している」と担保することができます。
>>658
>人の文章にやたら、細かい揚げ足とりをされるはずのヤスツさんが、この辺はあえて無視する。
これは、壱学生さんの「反戦運動に効果があるのは自明」という指摘について、壱学生さんを批判していないということについてですか?
まず、「反戦運動をしている人の最大公約数的な意識(これは、反戦運動を掲げているサイトを巡回した感想ということになりますが)を俯瞰すると、間違っていない」と思いますが。
これを、「談話室2に限ってみるなら」という言い方をするのであるなら、壱学生さんが言った通りの「反戦運動に効果があるのは自明」と字面通りに言っている人は確かにいませんが、ニュアンスとしてそう取れる発言は誰もがしていますが。
重要なのは、字面通りかどうかではなく、「そうとれる発言をしているかどうか」なのでは?
それが間違いなら間違いと訂正なり、修正なりすればいいのでは?
>戦争を無くそうと思うのなら、まず、知らない、解らない、ではなくて、知ろうとすることは必要だ、と。
これについては全面的に同意します。個人の判断が(その個人にとって)正しいかどうかはともかくかくとして、何らかの判断を下すためにはできるだけ多くの情報を知るべきだろうと思います。
わからない、必要ない、知らない、ではなく。武蔵さんが言われたところの「そんなことはどうでもよく、被害だけが重要」というのも、そういう意味では「自分に都合のいいこと以外は知る必要がない」という誤ったメッセージを与えてしまう恐れがあると思います。
「どういう使われ方をするか」を知ることで、「どういう被害が考え得るか」「どういう被害があると言われていることは、使われ方と比べて間違った情報かもしれない」という検証にも繋がりますから。
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>>658
「人の命や痛みを思う心があるかないか」の差と言われると、まるで私が冷酷で冷徹でそういうものは一切顧みない人間だという断定のようなものを感じますが、それはイカフライさんの意図する内容と合致していますか?
「身内の死」「友人の死」「理不尽な暴力」「理不尽な圧力」「(あらゆる階層での)戦争経験者の体験談」そういったものについて、自分自身の経験も、経験者からの聞き取りも、イカフライさんが考えていらっしゃるよりは、ほんの少しくらいは多めにあると思いますよ。
ただね、そうしたものを「わーわー反対すればなんとかなったと思うか?」とも考えるわけです。
身内や友人の死は、わーわー騒げば回避できたか? 病気はどもならん。戦災ではないけど事故なんかは自力ではどうしようもなかった。予防措置を取れば……というのは後の祭りで、予防措置すらも「その他の利害との壁」は必ずある。
理不尽な暴力や圧力は、わーわー騒げば回避できたか? 騒ぐだけでヤーさんが死滅するわけではないし、言葉の通じないヤーさん(日本語が通じない、という意味ね)にはどもならん。
日本の法治が通用しない場所が日本国内にあったりするし、日本の法治に呆れかえる欠陥があったりする場合もある。それらもわーわー言ってもどもならんわけですな。
さて、そういうものを踏まえた上で、なぜ「どもならん」のか。自分の(正義に基づく)訴えが通じないのは、自分の正義が世間の正義と合致しないからだったり、自分の正義より優先せざるを得ないものがあるからだったり、それ以上に「誰かの得にならないことは、聞いてもらえない」だったりすることを、歳を重ねるのと平行して知っていくわけですよね。我々は。
その中で、「ある目的を達成するためにはどうしたらいいか?」を考えたとき、「理念の正しさ(一番共有しにくいものですが)を振りかざすよりは、利害の合致を示した方が、思い通りの状況を作り出しやすいのではないか?」と思うようになりました。
正義や道徳は、なかなか他人と共有できない。なにしろ、それらの概念・理念が醸成されるまでに歩んできた人生や経験が違いますからね。一人一人。
でも、「今それをすることが得になるか損になるか」という未来形の問いかけをすれば、ある程度は「理念が違っていても、得られる結果を共有できるのでは?」と思うわけです。
もっとも重要なことは、「反戦という理念の是非」や「疑反戦という理念への疑念の是非」ではなく、そのどちらもが結果を共有できる政策、解決策があるかどうか、なのではないかと。
「人の命や痛み思う心のあるなし」は、理念に対する踏み絵でしかありません。たぶん、そのジャンルは共有できない可能性が高いと思います。
が、「人の命や痛みを思う心」の有無と関係なしに、結果を共有できればそれに越したことはないのでは?
そして、「結果を共有できる提案」はイカフライさんにはできますか? (武蔵さんにはどうもムリそうなので、イカフライさんにお伺いしますが)
私にそれができるかどうかはわかりませんが、「これは? これは? こいつはどう?」と、いろいろな提案を続けることは可能でしょう。今後もそうしましょう。
ただ、いつもいうことですが(そしてコレについては一度も反論がないところを見ると、誰もが同意しているのかなと思うんですが)、何事にもタイムリミットというものがあります。
今、ここでしている議論そのものにはタイムリミットはありません(持ち時間も)が、「こうすべき」「これはすべきでない」と言われている内容が反映される現実の社会・政治にはタイムリミットがあります。
「永久に続けていくべき」という逃げ方もありますが、「いつまでに決めないと、次のフェーズに移る」という命題のほうが遙かに多いことも、我々は知っておく必要があるのではないでしょうか。
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>>657
うーん、私も再整理をしてみましょう。
人殺しは悪い-+---無条件に悪い(どういった例外も許さない)
+---条件付きで悪い(正当防衛などの事態では人殺しは許される)
だとすると、「人殺しは悪い」が「正当防衛なら人殺しは悪くない」がどちらも成立します。例外条件は許されるということですね。
でも「人殺しは絶対に悪い」だとすると、「正当防衛の殺人も悪い」でなければ、前文は成立しません。
武蔵さんが「人殺しは、正当防衛でも許されない。弾圧を受けていても、理不尽な圧迫があっても、反抗手段としての人殺しは許されない」とするなら、「人殺しは絶対に悪い」は成立します。最上位条件が「人を殺すことの是非」ですから。
でも、特定条件として「正当防衛の場合は前述の条件の例外とする」というものを付けた時点で、「人殺しという方法は、絶対に悪い(とは言い切れない)」になるのでは?
順番を変えたって同じですが。
というわけで、順番と組み合わせと表現を変えてみましょう。
「正当防衛以外の人殺しは許されない」=「正当防衛での人殺しは許される(悪くない)」=「人殺しは絶対に悪いとは言えない」
「人殺しは絶対に悪い」=「正当防衛での人殺しも、人殺しである以上は悪い」
「正当防衛での人殺しは悪くない」=「正当防衛なら人を殺してもよい」=「【人殺し】そのものは絶対に悪いとは言えない」
つまり、
( )のための「人殺し」は悪くない。( )内に入る人殺しの理由が「正当防衛」でない場合は、人殺しは悪い
ということでは?
これは、「正当防衛」を「人殺し」より優位に置いた場合の解釈ですね。
「正当防衛」より「人殺し」のほうが優位になる場合は、
「正当防衛であっても、人を殺すことはよくない。よって、正当防衛による殺人(殺意のない場合も)は悪であり許されない。人を殺すことは絶対によくない」
になりますね。
「正当防衛」と「人殺し」のふたつのファクターのうち、武蔵さんはどちらのほうが正しい(もしくは、より尊重されるべきだ)と思いますか? それによって答えは逆転しますが。
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>>642
>おかしいですね。
>全く違うものが一緒に見える点で、あなたも壱学生さんも、自分たちと違う側の意図が全く読み取れず
>従って、誤ったまとめ方しか出来ないことの証明ですね。
>私は例をあげて、私方のまとめ方が違いますよと言ったのであって
>あなたは単に煽っただけですよ。
ああ、ちょっと言い方がまずかったです。
これだけを指しているのではなく、あなたの主張そのものが、>>639と大差ないってこと。
これはヤスツ氏が、>>647で指摘しているとおりです。
例えば、私が反戦運動のデメリットを指摘したときも、何の根拠もなく脊髄反射的に罵倒しましたね。
反論するなら、これはデメリットにはなり得ない、またメリットの方がはるかに多いとすべきでしょう。
それを見解の相違だの、反戦運動に対する誹謗中傷だの言うのは、議論の抹殺に他なりません。
これは戦前の精神主義と同じで、ちょっとでもその意見に異論を唱えるなら、『この臆病者が!』『前線の兵士に対して申し訳ないと思わないのか!』と、議論自体を封殺した構造と何ら変わりがないのですよ。
その結果、どうなったかは、あなたもご存じでしょう。
私が反戦平和主義者に、戦前の精神主義者と同じにおいを感じるのは、そこにあるのですよ。
理念そのものは結構です。
私も、あなたとは違った理念なり、正義なりを持っていますから。
>>639の演説も、そういった正義の一部を発露したもので。
が、これをやってしまっては、議論自体を封じることになる、だから、そういった個人的な信条は横に置く必要があるのですよ。
もしも特定の理念なり宗教なりを場に持ち込めば、それは正義のぶつかり合いになり、最終的には罵倒合戦、話し合いが決裂します。
相手をむやみやたらに怒らせること・・・・・・これは反戦平和主義の理念(あくまで個人的な主観ですが)からいっても、間違っているのではないですか?
ああ、それはそうと、イラク戦争は大方片づいたようですね。
バグダッドは陥落し、国民は歓呼の声を挙げているそうです。
フセインの消息はまだ不明ですが、予想通り、短期決戦で決着が付きました。
あとは、戦後処理のみですね。
また、真偽のほどは定かではないですが、以下の、
首都郊外サダムシティーで住民がバース党員を襲撃
http://www.sankei.co.jp/news/030409/0409kok120.htm
首都の一部無政府状態に イラク軍兵士は戦意喪失
http://www.sankei.co.jp/news/030409/0409kok119.htm
のように、住民蜂起が起こり、滅茶苦茶になっているようです。
特に注目すべきは、支配階級であるバース党員だけでなく、優遇政策をされていたパレスチナ人に対する報復行為。
一口にイスラムといっても、決して一枚岩ではない証明ではないでしょうか。
個人的には、人間なんて所詮こんなものだと思いますけど・・・・・・。
まあ、これは単なる独り言なので、無視して結構。
あくまで蛇足なので。(笑)
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このスレの本題である「イラク攻撃……」に戻るのであるなら、今後注目すべきは戦後復興ということになります。
(ということを書こうと思ったら、すでに柏葉さんのレスが……(^^;))
アメリカの本心(というか、継戦中に主張していたこと)は、「イラク復興は、米英主導で」。
イギリス、日本など「アメリカの同盟国」が主張していたのは「イラク復興は、国連主導で」。
ベルファスト会談で、イギリス案を尊重するという声明が出て、アメリカも「国連主導での復興」に同意した形になっています。
日本もこれを主張しておりましたので、その意味では、「拳を振り上げたのはアメリカだが、戦後復興については同盟国がアメリカを抑えて国連主導に引き戻し、国際社会からのアメリカの孤立を阻止し、国連の威信を守った」と見ることができます。
ここからは私の個人的な予測ということで。<評論家として言っているわけではなく、今目の前に並べられた材料からの判断で。
たぶん、国連主導の復興は失敗するか長引くでしょう。 政権に対する対抗組織としての北部同盟があったアフガンのケースとは違って、イラクには政権に対する対抗組織がありません。 天皇の一声で武装解除が成立した後、既存の政治家を野合できた日本のケースとも違います。
イラクでフセインが長く政権を維持できたのは、恐怖政治の効果ももちろんあったでしょうが、対抗馬が実力を蓄え、国民の支持を広く得ることができなかったことにも起因します。
となると、そう簡単には「国民の支持を体現できる政権」は成立しにくいでしょう。
現在の「無政府状態による略奪行為」は、一過性のものと思います。これまでの反動もあります。インドネシア暴動、ロス暴動でもあったことです。どの勢力によるものであれ、警察組織が機能してくれば解決されるでしょう。つくづく、人間は「性悪説で動いている」ことの証明かなぁと思ってしまいます(^^;)
ただ、これまでの「フセイン主導によるイラク」とは、支配階層と被支配階層の逆転現象が起こるわけで、柏葉さんが挙げておられるように、「バース党員、スンニ派、パレスチナ人に対する報復行為」は避けられないでしょう。
そういった「国内の怒りのぶつけ先」にそれらが貶められること(避けられないと思うけど)によって、それ以外のイラク国民が一致団結することが可能かもしれません。(ただ、これは国内に賎民層を意図的に作ることにも繋がるわけで、なかなか一概にベストとは言えません)
イラクの復興が失敗することを見越し、同盟国の顔を立て、国連にチャンスを与え、自国の費用負担を軽減するという名目を全部クリアするために、アメリカは国連に「復興を任せる」という選択肢を選んだのかなと思います。
国連がうまくやれば、それに越したことはありません。国連の価値は再認識されますし、復興費用を自力負担せずに済みます。
ただ、国連が失敗した場合、アメリカの「国連不要論」「国連形骸化論」に、根拠を与えることになりかねません。「口ほどにもない」と。
そうなると、「国際連合」の価値(安全保障能力、復興管理など)に対する価値はどんどん下がってしまうことになります。
そのままでは「国連への不信、国連に対する不服従国の増加」を招くだけになってしまいますので、アメリカとしては、「国連に代わる、強制力を持った国際安全保障機関」が必要になりますし、それらに加盟することでメリットを得る国(自力防衛能力の少ない中小国)を、アメリカが提唱する次期国連(実効性のある安全保障機関)に引き込もうとする可能性は皆無とは言い切れなくなります。
今回のイラク攻撃に賛意を示した国を、わざわざ「有志連合」という言い方で囲い込んだあたりに、アメリカの「その気」を感じてしまいます。
そうすると、我々が次に求められる選択は、「国連にそれでも付いていく」のと、「次の新国連(新たな安全保証機関)に、早い段階で参加する」のと、どちらが得か? という判断になると思います。
……とまぁ、このへんはあくまで妄想の範疇を超えないものだとお断りしておきます。
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武蔵さんは散々「イラク人がフセインを見捨てて国外に出ていけばフセインは丸裸」と言っておられましたね。
実際には、「フセインを見限った住民」は、出ていくのではなく(あくまでイラクは自分たちの国だという自覚の元)、フセインの失脚を大喜びで迎え、「住民蜂起」は米英軍と共同戦線をかまえるクルド人や、追い風に乗って旧支配層に報復するという形で現れました。
バース党員やスンニ派、パレスチナ人など、旧フセイン政権で優遇されていた人々が、今度は「かわいそうな立場」に落ちてしまったわけですね。
「住民蜂起」というのが、支配層に対する報復を含まず、粛々とそこから逃げ出す……という形になるのは、支配者の力が「揺るがない」という前提がある場合だけ(蜂起住民は、夜逃げするわけですな)に限られる気がしていました。
被支配層が、支配層を上回る人数で、それらが「見切りを付ける」ようなことがあったとしたら、それは逃げ出さずに「反抗」するか、「追い風にのっての略奪」だろうなあ、ともなんとなくは思っていました。(後からいうのは後出し、と言われそうですが(^^;))
まあ、「なんで俺たちが出て行かなきゃいかんのか!」「お前らが出ていけ!」になるのは、容易に想像付きますし。
いずれにせよ、今後は「イラクの復興」を考えていかなければならないことでしょう。
武蔵さんのご意見はいかがですか?
・米英軍の攻撃中止を今後も訴えますか?
・米英軍の即時撤退(暫定政権を作らずに)を訴えますか?(自力治安能力が生まれるまでの間は、米英軍が残らないと略奪無政府状態が続きますが)
・国連主導での暫定政権作りが始まることになるらしいですが、これは支持されますか?
・日本の役割は?
もうひとつ。一応、反省として。
・人間の楯は役に立ったと思いますか?
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>>664
前の部分にも、たくさん書きたいことがあるのですが、時間的に書き込むゆとりがありません。
最後の部分にだけレスしておきます。
>・米英軍の攻撃中止を今後も訴えますか?
もちろんです。時間を戻すことが出来ないので、現時間から今後のことを考える必要があると思いますが、
あの攻撃をするべきでなかったとは今も思っています。
>・米英軍の即時撤退(暫定政権を作らずに)を訴えますか?(自力治安能力が生まれるまでの間は、米英軍が残らないと略奪無政府状態が続きますが)
>・国連主導での暫定政権作りが始まることになるらしいですが、これは支持されますか?
現時点で即時撤退は許されないでしょう。
蜂の巣をつついて放置などという無責任なことは・・・・・・
ただ、米英中心の暫定政権には多くの問題を残すだるうと思います。国連主導にするべきでしょう。
>・日本の役割は?
戦後の復興に役立つ支援はするべきと思いますが
暫定政権設立など、イラク人同士をかく乱するような政治介入はするべきではないと思っています。
>・人間の楯は役に立ったと思いますか?
武力攻撃が始まる前に、反戦の意志表示としてイラクに入った人たちは支持しますが
攻撃が始まっても単に攻撃目標に張り付くことには、疑問を感じていました。
しかしジャーナリストなどが内部からの報道をしようとして参加したことには敬意を感じています。
反戦運動そのものについても申し上げましたが、役に立ったかどうかということは結果論であって
これへの評価は答えの決まっている試験問題のように「正解」があるわけではありません。
1.彼らがいても武力攻撃はなされたし、市民もたくさん殺された
と見れば効果が無かったでしょうし
2.彼らが居たために非道なことをすれば世界に知らせることができた
と見れば効果があったといえるでしょう。
わたし自身は、自分が盾になる気は全く起こりませんでしたが、
やった人を否定する気もないから、どちらの評価もする気はありません。
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>>665
お答えありがとうございます。
私がお聞きしたかったことは、「武蔵さんの主観的な感想」ですので、その意味において>665でいただけた回答に満足しています。
私がさせていただいた質問に対する、私自身の主観に基づく意見は概ねすでに述べた通りです。
人間の楯については、意見は反戦派の方々の中でも分かれていると聞いておりましたので、武蔵さんはどちらに属する回答をなさる方なのかに、興味を持っておりました。
「役に立ったかどうかは結果論の問題」「正解はない」というのが、武蔵さんの答えなのだということで、それについては了解しました。
ただ、何事も「それは役に立ったかどうか?」という事後の評価は必要ではないかと思います。
1.効果無し が評価の主流を占めた場合、同様の行為を今後繰り返す人は減るでしょう。
2.効果あり が評価の主流を占めた場合、同様の行為はより広く行われるでしょう。
「人間の楯」というのは、確かに「口先だけの反戦運動」に比べて、少なくとも「身体を張った実力行使」という点では一歩進んでいたと言えるでしょう。
しかし、それらに対する2種類の効果(の有無)が明らかになった今、これらを「運動の一形態」として認め、今後これを繰り返していく人が増えるかどうかが、「一般評価」になるということかと思います。
武蔵さんは、「もし自分なら」という前提で「なる気は起こらなかった」と仰っておられるところから、ご自身は「1.(戦争抑止については)効果無し」を、少なくとも認めていらっしゃるように思いました。
もちろん、「2.効果あり」の意見についても、武蔵さんもその可能性を挙げていらっしゃることから、「どちらとも言える」故に「どちらか一方のみの評価はできない」という判断も理解できました。
私自身は、「人間の楯」は、今後、追従者が出てくれば認知され、追従者が出なければ「効果は疑わしく認知されない」手法であるように思います。
それを確かめる術は、「次回」しかありませんが、次回がなるべくならないことを祈りたいと思います。
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>武蔵氏の>>652
なるほど、貴方の>>346の発言における「トマホーク」はただの修辞的発言だった訳ですか?確かにこれはよく読むとそう受け取れる内容ですね。
でもじゃあ、その後の>>348の劣化ウラン弾についての発言はどうのでしょうか?そんなに「劣化ウラン弾」の被害云々に言及する事が必要なのでしょうか?
劣化ウラン弾の有害性については未だ科学的因果関係は証明できていません(だから言って無害と主張する訳でもありませんが。公害病の原因究明と同じくこの種の問題は因果関係の立証が難しいですから)。
それは余談にしても、「劣化ウラン弾」云々がそれほど『反戦の理念』に重要だとは思えません。であるならば、一々そこに言及するのは余禄にしか過ぎないでしょう。
現在の議論が明らかに整理できていない現状で、そういう誤解を招きかねない発言はどうかな?と思いますけど。
特に貴方の発言では度々「劣化ウラン弾」だとか「クラスター爆弾」だとかの単語が修辞的表現として多用されていますから(例:>>490)
「じゃあそれらを使用しない戦争で民間人に被害が及ばないのなら、貴方は戦争を支持するのですか?」と質問したくなってしまいます。
具体的な事柄を例に出して戦争を批判するならば、やはりその「具体的事柄」を知悉しておかないと。また、その「知識」自体は中立ですから、そこに対する批判も受け入れないと。
それなのにそこを指摘すると、「それは重要だとは思っていない」と返すのは頂けた態度ではありません。
上記の事はまだ僕の読み取り方の問題だとしても、貴方の>>652における発言で僕の(>>608、>>611における)発言を批判出来ているのでしょうか?
明らかに貴方は「難民問題」だとか「米軍で実際に生死を賭けて戦争しているのは低所得者だ」とかの具体的発言をしていますよね?
これは『理念』の領域の問題なのでしょうか?批判が許されない領域の問題なのでしょうか?
貴方のこれらの発言は優れて『政策』の問題領域のものです(僕の整理の仕方によれば、ですよ)。これらの領域ではどんな『理念』を持つ者でも客観的に批判が可能です。
でも貴方は僕の整理の仕方は認めない。それはそれで良いんですよ。でもそれじゃ、「反戦」だとか「人命優先」だとかの問題と、「難民処理」や「米軍の所得差別」は同列に語れる問題領域なのでしょうか?
その辺りを貴方がどう認識しているのか、僕には(そしておそらく誰にも)全然見えてこないのですが。
そう、貴方が>>652で挙げた例は、僕の発言の趣旨からすれば枝葉末節的な部分での批判にしか過ぎず、僕の発言の本質を全く掴めていないことを意味します。
僕の発言の趣旨は、
1、現状で議論が荒れているのは互いの論点が整理できていないからだ。
2、そこで僕が読んだ限りで整理すると、これは『理念』と『政策』に整理が出来る。
3、だのにそこを混乱するから議論が出来ていないのだ。例えば「トマホーク」や「難民処理」は『政策』領域の問題で扱うべきだ。
4、『理念』の問題で議論をしても荒れるだけで意味が無いので、取り合えず『政策』の部分で議論をしてはどうですか?
5、『政策』の領域では自由に議論をすべきでしょう。『理念』を理由にして聖域化するのは問題だ。
と言うものです。
貴方はこの内、3の「例えば〜」以下の部分でしか批判が出来ていません。そこが僕の発言の本質的な部分なんでしょうかね?
そんな部分を批判されても、僕としては「あぁそうですか。で、貴方は僕の整理の仕方の『どこを』問題にしてるのですか?」と聞き返す事しか出来ません。
奇しくも貴方が自身で言うとおり、
>言わんとすることをつかまないまとめ方は迷惑でしかないということです。
と言う事です。僕のほうとしても。
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>武蔵さんは、「もし自分なら」という前提で「なる気は起こらなかった」と仰っておられるところから、ご自身は「1.(戦争抑止については)効果無し」を、少なくとも認めていらっしゃるように思いました。
お思いになるのは自由ですが、それ以外の思考も可能です。
自分ひとりが盾になることよって今後、世界中に戦争が絶対に起こらなくなることが明らか(そんなことありえないですが)であっても、わが身がかわいいという場合もあれば、
今後も起こりえる幾多の戦争に反対するためにも、生きていなければならないと考える場合もありえるでしょう。
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>>668
ええ、ですから、「どう考えても自由」と言い切ってしまいますと、私の脳内武蔵さん像が勝手にできあがってしまいます。
もちろん、武蔵さんの本旨は私の「脳内武蔵」さんにはないと思います。
武蔵さんがどうお考えになるか(つまり、ご自身の選択に、どのような意味づけをなさるか)は武蔵さんの自由ですから、それこそ私がどうこう言う問題ではなく、自由になさってよいと思います。
重要なのは、「どういう意味づけをしているにせよ、そういう選択を取った」という事象そのものかな、と。
私が人間の楯を否定(自分は頼まれたってやらない)しているのは、「効果を疑問視」しているからです。結果として、私は人間の楯にはならない。これまでも、これからも。
武蔵さんは人間の楯そのものは否定も肯定もしていない(評価を保留している)が、武蔵さんご自身の取った行動としては、人間の楯にはならない。成る気はない。
それぞれに対する意味づけは確かに異なりますが、「どちらも人間の楯にはならない」という事実に置いては合致しています。
それにどんな意味づけをするかはそれぞれの勝手ではありましょう。
ただ、「そういうわけだから人間の楯のなり手には成り得ない」というところで合致している以上、「誰かなってくれ」という募集枠は埋まらない(比喩ですよ。念のため)わけですから、次回以降の人間の楯は少なくとも現状より「マイナス2(ヤスツ不参加、武蔵さん不参加)」なわけですよね。
取った行動としての事実は、理由付けに拘わらず、次の状況に影響を与えうるのでは?
ともあれ、「我が身が可愛かった」り、「生きていなければならない(から、死の確率が上がるような行為は選ばない)」という認識をお持ちであることがわかっただけでも、私にとっては得るところが小さくありません。
つまり、「人間の楯をしに行ったら、行かないよりは死ぬ確率が高い。これは、可能性の予測の問題ではなく、実証されたものとして認識している」ということを、私と武蔵さんの間で共有できているということですから。
武蔵さんの「意味づけ」の有無に関わりなく、その選択をしているということだけで十分です。
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>>667
例えば私が盾にならない理由というものを、ヤスツさんが解釈したとしても、
上のレスで分かるようにヤスツさんの主観的解釈がはいります。
それはヤスツさんだけでなく、私にも他の人にもありえます。
だから私は他人の発言をまとめようとは思いません。もしまとめるなら自分でまとめるべきでしょう。
**イカさんの「究極の簡潔まとめ」は、私は笑っていますが、自分の文は(立場が同じと思われる)イカさんにでもまとめてもらいたくはありません***
理念と政策は切り離せないでしょう。
私が武器の種類は次の問題で、第一は被害であるといったのは
東京空襲のように無差別絨毯爆弾に比べて、ピンポイント爆弾の方は市民を対象にしていないからましであるという発言に反対するものです。
「理念」としてピンポイントの方が上なんていっても、実際に殺された者にとっては許せるものではありません。
原爆はもとより、日本全土の落とされた爆弾も許せないし、比べればどうというものではなく、全て許せないものです。
「理念」として選んだ爆弾が何であれ、許せないと言うのが第一義です。
その上で、原爆の非人道性に始まって、さまざまな武器の非人道性を語るべきだと思います。
武器の性能などについては、江畑さんあたりに語らせておけばいいのであって
ここで議論する気はありません。武器についての私の表現に誤りがあれば、突込みを入れられるのは自由ですが
発言の本質に変わりはありません。
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>>669
>次回以降の人間の楯は少なくとも現状より「マイナス2(ヤスツ不参加、武蔵さん不参加)」なわけですよね。
おかしいですね。
今回もヤスツさんも私も行っていないのですから、マイナス2にはならんでしょう。
2人に関しては現状通りです。
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>>671
ああ、これは説明が足りませんでしたね。
「いきますか?いきませんか?」という質問が、「全人類」に「毎回」されたとして?と考えていたものですから。
いずれにしても、「世界が1000人(少なっ)」だとして、次回は少なくとも「998人から参加者を募る」になるんですね、というようなことを言いたかったわけですが、まあ、些末なことですのでどっちでもいいです。はい。
>>670
まとめられたくないのはわかりますが、
「箇条書きにしたほうが相手に伝わりやすくなりますよ」
「カテゴリー別に分けたほうがよくないですか」
「武蔵さんご自身に自分の意見を分別する能力がないか、(能力があっても)それをする意志がないようなので、他の方がまとめをしました」
「もし武蔵さんに自分の意見を【わかってもらえやすいように】分別する能力があるか、それをする意志があるなら、整理してください」
「整理をしないことで、相手に正しく伝わらない場合は、受信者の解読力不足だけでなく、発信者の解説力不足も非難されることになるのでは?」
「受信者として解読力を上げる努力をしますので、よろしければ発信者として解説力を上げる努力もなさってください」
ということをふまえていただくとありがたいですね。
まとめないままに垂れ流したものを、一発でわかれ、誤解は許さない、まとめ直す必然はない、では、通じませんよ。本旨が。
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>>670
つまり、「人が死ぬ兵器のすべてが許せない。兵器の性能、性質、性格、規模、運用方法は一切関係ない」ということでよろしいですか?
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いわゆる「兵器一般」というのは、
・人(兵士)を殺傷する目的の兵器(殺傷することが第一目的で、殺傷された結果として相手の行動力を奪う兵器)
・人の殺傷は主目的ではなく、行動力を奪うためだけの兵器(非殺傷兵器・殺傷せずに行動力を奪う兵器)
・建造物/車両などを破壊する兵器(破壊が第一目的で、破壊された結果として建造物/車両の機能を奪う兵器)
・建造物/車両などを破壊せずに使用不能にする兵器(非破壊兵器・機能を奪うことが第一目的で破壊が主目的ではない兵器)
などに大別されていくと思います。
大きいところで、「人が対象か、物が対象か」。
ついで、「殺傷/破壊が目的か、行動不能/機能不能が目的か」になります。
一般に、兵器というのは「殺傷または破壊をすることで、相手/対象の行動を束縛または停止させる」ために使われます。
武蔵さんが問題にされているのは、「兵器は人を殺し、物を壊す」という点にあるわけですね?
では、殺人・破壊を第一目的としない「非殺傷兵器」や「非破壊兵器」の場合はいかがですか?
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>>670
貴方が仰ってるのは「手段」であって『理念』ではないですよ。
「どういう爆弾を使用するのか」ってのは「手段」の問題であり、それは僕の分類でいうならば『政策』の領域の問題です。
そうじゃなくて『理念』というのは、「動機」の部分に関わってくる問題です。
貴方の例で言うならば、「『何故』東京大空襲をするのか?」という理由付けです。
例えばそこで唄われるのが、「国益追求」でも「民主主義の防衛」であっても、それがたとえ半分以上プロパガンダであったとしても、それは『理念』の領域です。
何か勘違いしてはいませんか?その辺りの読み取り方は基本的な国語力の問題ですよ。
で、それは置いておくとしても、『理念』と『政策』を一緒くたにする姿勢は頂けません。
確かに『理念』と『政策』には不可分の側面が多分にあります。
「どうしたいのか?」という事をほったらかしにしたままで「どうするのが良いのか?」という事ばかりを追求するのは浮世離れしています。
しかしながら「どうしたいのか?」という事ばかりを追求するのもまた、それ以上に浮世離れした姿勢です。
『理念』と『政策』を有機的に関連付けして論じるのはかなり高度な論理的思考力と経験が要ります。
で、残念ながら貴方はその能力はありません(これは貴方を批判しているのではなく、「それほど難しい」というだけに過ぎません)。
じゃあとりあえずは問題領域を『理念』と『政策』に分割した上で議論をした方がより有意義なのは明らかです。
こういう手法を取るのは政治学の基本中の基本です。貴方も政治的な分野について議論するならば、そう言う手法に則った方が良いですよ。
余程の先天的なセンスがあるか政治学的な知識が深くないと、『理念』と『政策』を融合させた議論は出来ません。
(それが出来るのは歴史に名を残す位の大学者くらいでしょう。M・ウェーバーにしても『職業としての政治』で論じた際には両者を分けて述べていました。)
それは余談にしても、じゃあ貴方のこれまでの発言の「本質」って一体何なんですか?
議論が荒れているのもその辺りが明確に伝わっていないからでしょう。枝葉末節的な部分には結構拘るのに、そこが明確でないと議論は出来ないでしょう。
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>>673
違います。第一義は、その次に・・・という話も通じないのですね。
「一切関係ない」とまとめられる神経。唖然です!!!
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時間もないのに・・・・細かい話はおいておきます。
要するに、殺されている人たちは自分と同じ立場の人であるということ。
日本全土の空爆で殺された人たちも、イラクで殺された人たちも。
それらの人間を的にして、効果が〜理念が〜政策が〜
人間を標的にして理屈をこねる側に身を置くことは出来ないということです。
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>>676
東京大空襲とトマホーク(広義の近代兵器?)の比較については、私は
・「無差別攻撃」と「精密攻撃」を比べるなら、無差別攻撃は非難されるべきだが、精密攻撃は無差別攻撃ほどの非難に値しない。よって、「東京大空襲よりトマホークがマシ」 (攻撃の性格と被害規模の比較から、無差別でなく被害規模の小さい攻撃方法のほうが、マシであると結論)
という論旨を述べました。
それに対して武蔵さんは、
・無差別攻撃も精密攻撃もどちらも人が死ぬことに変わりない。兵器の性格、性能、規模や被害規模は「1が100でも、0でない以上は同等である」と考え、「東京大空襲もトマホークも同じレベルでダメ」(ゼロでない以上、1でも100でも被害が発生する時点で、規模の大小に関わりなく兵器はダメであると結論)
という論旨であるように読みとりました。
それでは、
「人が死ぬ兵器のすべてが許せない。兵器の性能、性質、性格、規模、運用方法は一切関係ない」
ではないのだとすると、(否定されていたのは「一切」の部分ですか?)
「第一義として、人が死ぬすべての兵器が許せない。兵器の性能、性質、性格、規模、運用方法は第二義の問題である」
でよろしいですか?
とすると、第一義で挙げている「人が死ぬすべての兵器が許せない」はOKでよろしいですか?
これに続く第二義とされている、「兵器の性能、性質、性格、規模、運用方法」については、どのように結論づけられているのですか?
先に>>674で触れましたが、「非人道的ではない兵器」の運用についてはどう思われますか? 兵器である以上、人を殺さず、物を壊さなくても非人道的ですか?
この「人を殺す兵器は許せない」を突き詰めていくと、「非武装が最上である」というのが武蔵さんの行き着く結論になるかと推察されますが、武蔵さんは非武装論者ですか?
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ついでに。
イラクの人たちは、大喜びで米軍を迎え、自らの手で銅像を引き倒しているそうですけど、これについて武蔵さんはどう思われますか?
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>>677
私も時間のないときはお休みをいただいていますし、返答は武蔵さんのお時間のあるときでけっこうですよ。
義務として返信しろとか、逃げたとか、そんなことは言いませんから。
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>>679
アメリカの戦車によって引き倒される銅像を踏みにじるエキストラを雇って
とまでは思っていません。
イラク人の中に、そういう人たちがいるということは事実だと思っています。
しかし、それが全てではない。
アメリカ軍の従軍記者600名?
それ以外のわずかな報道陣に向かって砲撃を加えるようなアメリカです。
湾岸戦争のオイルマミレ鳥の映像をいまだに信じている人もいるようですが。
情報操作はアメリカのお家芸です。
今日も空爆は続いているそうです。
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>>680
いいえ。そういう意味ではありません。時間がもったいないという意味です。
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>>682
私が言うことではありませんが、「それならやめれば?」
もっとあなたにとって大切なことに残りの時間を使うのがよろしいのでは?
私が言うことではありませんが。
あなたの、言外に見え隠れする「話す価値もない奴らに時間を割くのは惜しい」という態度は、あなたの本心ですか?
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>武蔵さん
>攻撃が始まっても単に攻撃目標に張り付くことには、疑問を感じていました。
どっかの報道であった記憶があるのだが・・・
「浄水場に行くか、国外に去るかしろ。街をうろついたり外国に電話かけたりするのは
やめろ。」
とか言われて、「人質状態」になったらしいな。
<人間の盾の御仁
果たして「生きてる」んだろうか・・・
なんか、しばらく連絡取れてないそうだし。
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>>681
もちろん、すべてではないでしょう。
すべて、というのは「100%」という意味かと思いますが、少なくとも1%ではないように思いますよ。
もっとも、かわいそうなバース党員やかわいそうなスンニ派の人は、当然、銅像を引き倒した人々とは別でしょうけど。
私は、イラクを民主化もしくは、イラク国民が民主的に自分たちの運命を決められるようになり、自国民の意志として自国内で反戦運動ができるような国になればいいなと思っているのですが、そのためには、「対立する自国内の意見の中から、多数派(少数派の強硬意見が採用されてきたのがフセイン政権ですが)の意見が尊重されるような社会」になっていく訓練が必要でしょう。
銅像を引き倒すのが、「ごく一部のイラク人」であるとすると、「そうではないイラク人」というのは多数派だと思われますか?
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>>672 ヤスツさん そして壱学生さん
私には武蔵産の文章は、まとめてもらわなくても“ひっじょーに”わかりやすいのですが、あなた方には読み取り不能なほどややこしいようですね?それでは会話が成り立たないでしょうね。
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>>686
では、あなたにご教示をお願いします。
1)「兵器は人を殺すから許せない」
2)「兵器の兵器の性能、性質、性格、規模、運用方法の如何に関わらず、(1)が第一義である」
ということでよろしいですか?
で、「人を殺すから兵器は許せない」「人を殺す能力、方法、精密か無差別かなどは、大きな問題ではない」ということですか?
だとすると、「人を殺すことを第一義としない兵器」は認めますか? それも認めない(究極的に、兵器は人を殺す恐れがあるので好ましくない)のだとすると、その他大勢さんも「武器は一切ないほうがいい」ですか?
「一切」とは言わないのだとしたら、「多少の武器はあってもよい」ですか? その場合の「許容できる多少の武器」の定義は?
ということを聞きたいわけですが、武蔵さんの文章ではさっぱりわからないので繰り返し聞いているわけです。
「ひっじょーにわかりやすい」と仰るのであれば、ぜひぜひぜひともご説明ください。
会話が成り立たないからということでうち切るのは結構ですが、それでは「対話による対立の解決」にはほど遠いですよ(^^;)
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>>687ヤスツさん
ヤスツさん自身はこの問題に対して、平和を作り出すためという目的に添っての回答を持っているのですか?
まずそれを示してください。
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>>688
だね(笑)
つ-か、ヤスツさんと壱学生さんの文章の方が解り辛いと思うが。
>>687
こういうところが、枝葉なんだよね。
まあ、いろいろと意見、あるのですが、それこそタイムリミットなので。
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>>677
>要するに、殺されている人たちは自分と同じ立場の人であるということ。
>日本全土の空爆で殺された人たちも、イラクで殺された人たちも。
>それらの人間を的にして、効果が〜理念が〜政策が〜
人間を標的にして理屈をこねる側に身を置くことは出来ないということです。
これが一番。
全面的に賛成。
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>>690
簡単な話ですよ。
戦前の精神主義=『前線で戦っている兵士達に申し訳ないと思わないのか?』
反戦平和主義者=『戦争で犠牲になる人達が可哀想だとは思わないのか?』
よく似ていませんか、この構図?
で、方法論(政策)も何も考慮に入れず、相手に「罪悪感」みたいなものを植え付け、とにかく突っ走るという。
理念そのものは結構ですが、ではその理念を実現するためにはどうするか、そこが問題なんですね。
『前線で戦っている〜』だけでは戦争には勝てませんし、『戦争で犠牲になる〜』だけでも平和にはならない。
もっと極論すれば、『北方領土を返せ!』と叫んでいる、街宣右翼とやっていることはほぼ同レベルなのでは?
少なくとも、私はそう思いますよ。
さらに付け加えるなら、武蔵氏は、単に自分の理念(スローガン)を繰り返し叫んでいるだけ。
これでは、『信じる者は救われる』といった宗教レベルのお話で、違った理念を持った人間(異教徒)には全く効果は期待できません。
逆に拒否反応が出るのでは?
かくいう私も、その一人ですので。
所詮は理念を共有する人間の間だけで通用することであり、実効性はかなり心許ない。
>>677にしても、結局のところ『異教徒と話すことなど何もない』と言っているに過ぎませんしね。
こんなスタンスで、理念や利害が異なる者同士の融和など、できないのではないですか?
で、違った価値観同士が話し合うには、理念を横に置き(もしくは自己抑制し)、政策で論じるべきだと壱学生氏は言っているわけですね。
人間が利害によって動くというのは、ある意味、絶対普遍の価値観なのですから。
それによって話し合いが可能であると。
-
>>690
どもっ。。
こういう本質的な意見は、演説とか称して読んでくれないんです。
反論すらしてくれず、むしっ。。(笑)
殺してもいいのか悪いのかの根源的意見を書いておきます。
彼らには、これは意見ではなく、演説としてむしっでしょうが・・・・
――――――――
人を殺す権利は何びとにも無い。(いいか悪いかではない)
これを基本におかなければ、ヒエラルキートップの人間ではなく一般ピープルである私の生存権が保障されない。
すべての人間には平等に「生きる権利」がある、と置き換えてもいいんです。
そこで「正当防衛」ですが
自分が殺されようとする時(自分の生存権が侵されようとするとき)であっても、防御しないでむざむざ殺されるのかと聞かれると
正当防衛は認められると言います。
後はそれが正当防衛の範疇かどうか、裁判で決められるでしょう。
――――――――
国に関しても同じです。
侵略者に立ち向かうのは、正当防衛でしょう。
今回で言えばイラクの立場であって、決してアメリカの立場ではありません。
過剰防衛かどうかは、公正に裁かれるべきでしょうが。。。。
――――――――――
後の枝葉は、個々に考えればいいと思います。
-
>>644ヤスツさんへ
文章の中で省略した方が良い部分、しない方が良い部分についての
見極めがもう少し出来るようになれば、
ヤスツさんの文章はかなり読みやすくなると思います。
がんばって下さいね。私もヤスツさんの意図を正確に読み取るように頑張りましょう。
さて、>>644はヤスツさんの文章の中でも意味が通じにくい方の部類に入ると
思うんですが、私なりにまとめてみますと
1.自国の要求も他国の要求も全て満たされることが最上。
2.自国と他国が同程度に譲歩して双方が合意できるのが望ましい。
3.合意できない場合は自国が有利になるのが望ましい。
となりますか。間違いがあれば指摘して下さい。
ここで私と意見が違うのは3.ですね。
私は、相手と合意していようがいまいが
客観的に見て公平であるような結果が望ましいと考えます。
何故そこで「合意の有無」が問題になるのか理解できません。
>>644でヤスツさんは「食料を輸入しないと国民が死ぬ」
という例を挙げていますが、
この例でもなぜ
「合意できない場合は自国が有利になるのが望ましい」ことの
説明になるのか、まったく理解できません。
「すぐにでも交渉をまとめなければならない例」にはなっていますが。
-
続いて>>645
>ただ、この設問は、
>a)自国と相手国が、それぞれの利益追求を巡って対立している
>b)相手国の意思形成に自国は関与できない
>c)決断までのタイムリミットが設定されている(合意成立に期限がある)
>を前提にしていますか?
そのような前提は特に考えていません。
>双方の合意がない(つまり、意思形成に相手の都合が影響しない)ということは、
>判断は相手の都合は考慮せず、自国の都合のみで行うということですね。
合意があろうがあるまいが、相手の都合も考えるべきだと思っています。
>それなら、なぜ「10で済む損害を30にする」必然があるのですか?
>(この場合、合意ができないことが前提にあるわけですから、
>相手の損害が0でも100でも1000でも自国の決断には無関係ですよね?)
自国の損害を30から10に減らすためなら他の国の損害を100にしようが
1000にしようが構わない、という感性を持ちたくない、ということですよ。
この辺りのヤスツさんの質問を読んでいると、
ヤスツさんが「双方の損害(利益)は同等が望ましい」と言っていたのは
結局「同等にしないと交渉がまとまらず、日本の利益にならないから」
だと思えますが、如何でしょうか?
それならヤスツさんが合意の有無にこだわるのも納得がいくのですが。
-
それから、イラクの戦後統治について、以下のような記事がありました。
王政復古へひそかに結集=シリアに反フセイン新組織
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20030403-00000645-jij-int
イラクの隣国シリアは、どうやら「立憲君主制」を目論んでいるようです。
確かに、我が国や英国、タイを見ればこの政治体制の安定度が抜群であると思います。
また、独裁者を防ぐという意味でも、効果は期待できるのではないかと。
ちなみに同じイスラム圏であるマレーシアも、この政体を採っております(マレーシアは周知のとおり多民族国家)。
ただ、一口にイスラムといっても、アジアと中東では状況が違うかも知れません。
気候や文化も違いますし。
その辺りはどうなのか、私にも何とも言えないのが正直なところです。
どうでしょうか?
-
>>691 柏葉英一郎さん。
空疎な言葉の羅列に見えます。
>これでは、『信じる者は救われる』といった宗教レベルのお話で、違った理念を持った人間(異教徒)には全く効果は期待できません。
あなた方のほうが、『信じる者は救われる』といった宗教レベルのお話〜根拠なしのお話に思えて、異教徒の私には効果ありませんが〜
>人間が利害によって動くというのは、ある意味、絶対普遍の価値観なのですから。
なんでこんなものが「絶対普遍の価値観」なのですか?
-
>>688
もちろんイエスですよ。
>>689
「どうでもいい」とあなたが思われることと、「そうではない、重要な要素だ」と私が思うことが異なる場合、あなたに興味がない内容はすべて「枝葉末節」ですか? 同じように私が返すと「まるでわかってない」と言われるので、詳しくおたずねしているのですが。
>>690
ははぁ。
そうですか。それで?
枝葉末節じゃないところでお伺いしたいんですがね。イカフライさんは、
「人を殺す兵器は許せない」ですか?
「人を殺さない兵器は許せる」ですか?
「兵器である以上、その存在は許せない」ですか?
「兵器が人を殺さないのであれば存在を許す」ですか?
イカフライさんは非武装論者ではなかったと思いましたが、武装/兵器を「装備するのはOKだけど、行使するのはいけない」論者ですか?
武蔵さんはどうですかあ? その他大勢さんもお答えください。
イエスでもノーでもいいですよ。
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>>686
>あなた方のほうが、『信じる者は救われる』といった宗教レベルのお話〜根拠なしのお話に思えて、異教徒の私には効果ありませんが〜
別に私は、自分の信条を誰かに強制した覚えはありませんが?
そして私は別に自分の信条を、他人に押し付けようとは思っておりません。
自分だけが信じていれば、それで事足りますので。
よって、あなたが私の信条を信じる必要はないわけです。
要するに、「布教活動」が目的ではないというわけ。
私の知りたいことは、「効果のある方法論」のみ。
前にも言いましたが、反戦平和主義者からでも、実効性のあるものでしたら、賛同するのもやぶさかではありません。
ひょっとすると、私の思いもつかないものが出てくる可能性もありますので。
残念ながら、今のところ、そういったものは皆無に等しいですが。
>なんでこんなものが「絶対普遍の価値観」なのですか?
人間には誰しも欲望があります。
というか、それがないと人間は生きていけないので。
それとも、あなたにはそういったものがないとでも?
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>>692
ええと、要するに、
1)「人を殺す権利は何人にもない」(人を殺すことを意図することは間違いである) >はい、これは了解しました。
2)「正当防衛により、自分が殺されないために、自分の代わりに相手を殺すことは許される」 <この場合は、「相手を殺す権利」は、殺されそうになっている側にはある、と認められるということですか? <イエス/ノーでお答え下さい
そうすると、(2)は「何人にも人を殺す権利はない」という(1)の定義に反しますが、特例を含むと(1)は、「何人も」という条件付けはできなくなるのでは?
って、これわかります?
「人を殺す権利は普通はない。しかし、殺されそうになった場合は、殺してもよい」
ってことですか? 殺す権利は、殺されそうになった場合にだけ発生する、という解釈で間違ってませんか?
正当防衛の範疇かどうかを裁くのは「裁判」とのことですが、それは何の法に準拠し、誰が裁くのですか?
この60年ほど、戦争法廷というのは戦勝国が裁くことになってるみたいですけど。
-
>>693
これはこれは、ご批評痛み入ります。
スライムベスさんの添削で、よりよい文章がかけるよう研鑽していきたいと思います。
>1.自国の要求も他国の要求も全て満たされることが最上。
>2.自国と他国が同程度に譲歩して双方が合意できるのが望ましい。
>3.合意できない場合は自国が有利になるのが望ましい。
概ねこれで問題ないと思います。
スライムベスさんは「合意は不要であり、相手が合意しなくても客観的に見て同程度にあればいい」というご意見ですね?
では、合意せずに相手と同程度にするというのは、
「こちらが一方的に譲歩をし、相手の状態に近づける(相手の損が多いと思われる場合)」もしくは
「こちらが一方的に要求を貫き通し、相手が取った分と釣り合わせる(自分の損が多いと思われる場合)」は、
それぞれ相手との合意はなしに、自国の一方的な判断で「相手と同程度になったはず」という調整するということですか?
これらは、相手国との合意がない限り、本当に相手国のほうが少ないのか、自国のほうが少ないのかは(損が)計りかねると思うんですけど。
それこそ、「合意はしないだろうが、こちらは一方的にそちらに合わせた」と言うだけ言って、自国にとって耐えられる数字を一方的に設定してしまったとして、それは「合意できない場合は自国が有利(自国の条件を満たす)なようにする」と、どこが違うんですか?
スライムベスさんの御主張は、
「合意はなくてもかまわない」
「合意ができない(つまり、自国の判断や提案に相手国が同意しない)状態であっても、自国の判断のみで【利害を公平にした】と宣言し、その結果を相手に通知すればよい」
「相手が自国の判断に同意しない場合でも、自国は【公平になる努力】をしたのだから、相手の合意や同意は不要」
ということでしょうか?
-
>>694
>そのような前提は特に考えていません。
それらの前提がないのなら、設問が無意味です。
もしくは、「合意ができるまで、永久に交渉を続ける」が正解でしょうね。
それと、「相手の都合を考え、それを受け入れ、受け入れた結果下した判断について相手に納得を求め、それを確認した上で提案を実行する」というのを、「合意を得る」「合意を得て実現する」というのかと思っていましたが違うんですか?
私が「合意」にこだわるのは、戦争にしないためです。
国によって都合や事情が異なるのは自明の理だと思います。風土、資源、消費、人口、ぜんぜん違いますからね。
で、それぞれが異なる事情に基づく要求を相手に100%求めると、どうしても飲めない要求が双方に出てくる。
だから、100%、双方の要求が達成されるというのは希有な例だろうと思います。どちらか一方の要求が120%達成されるケースはあると思いますが、それは一方が要求の全てを取り下げたとき(戦争で負けたとか)だけでしょう。
で、そうなると、双方が譲歩の条件を定めて、それに合意することが必要になります。
損害/利益が、概ね同等もしくは我慢できる範囲(と、それぞれが判断したレベル)なら、それを実行すべく「合意」がなされますね。
合意がなされれば、戦争は回避できます。
合意がなされないか、合意が実行されなければ、一方(もしくは双方)は、自分が求める要求(相手が同意しなくても)を貫き通すか、自分の意志を強要するために武力行使になる。つまり戦争ですね。
もう一度繰り返しますが、私が「合意」にこだわるのは、戦争を回避するためですよ。
合意の有無がない状態ということは、相手の意志や相手の理解を得られない(=一国の判断のみでの主体的行動しか取れない)わけですから、結局の所、どう動いても「自国にとって有利(=自国が我慢できる)な行動」しか取れないと思うのです。
その意味では、
「1.双方の要求が100%達成される」
「2.双方の譲歩条件に合意が得られる」
「3.合意が得られない場合は、自国の利益を確保する」
という結論に、やはり落ち着いてしまいます。
さて、「感性」についてですが、どう取られても仕方ありませんが、感性論を言い出すとキリがないのでそれは一時棚上げにしませんか? 「自国の利益を考えずに、(対立する)他国の利益を優先するなんて感性は持ちたくない」とか言い出したらキリがないと思うんです。それこそ、好悪の問題に過ぎないですから。
-
>>697
>>688
もちろんイエスですよ。
横レスになりますが、
「まずそれを示してください。」に対するレスがこれなのですか?
かみ合わないですね。
>>699
ずれますね。
殺す権利などは誰にもありません。
相手にも殺す権利はないということですよ。
相手がそのない権利を行使しようとしているときに(つまり自分を殺そうとしている時に)
自分の殺されないという権利を行使することは許されるといっているんです。
理解できないのなら仕方がないです。
人間には生きる権利が等しくあるという立場に立っていない人には
理解できないことなのかも知れません。
また正当な裁判の話は、次の別の問題です。
-
>>696
あの、「空疎な言葉の羅列」というのは酷くありませんか? それは、コキおろしているだけで、内容の評価には繋がっていません。
また、そういった表現を文章の最初に持ってくるというのは、マナーとしてどうかと思いますが、同じやり方で応じていいということですか?
(せっかく実質論に戻れるかと思ったのに。やれやれ)
宗教の話について言うなら、わりとハッキリしてることがいくつか。
一神教同士は、他の神様の存在を認めることで自らの神の作った「世界」が崩壊してしまうため、他の神を絶対に認めない。もしくは、排他せざるを得ない。
多神教/汎神論的な性質のものは、自らの神にも神づきあいであるとか、上下関係、交友関係があるといった認識を持てることから、他の神の存在にも寛容。
汎神論は汎アジア的なもの(もちろん、アフリカ、欧州、南米など、一神教成立以前の世界各地に類似のモノがありましたが)として認識してよいと思うのですが、異教徒のその他大勢さんは、「他の宗教/思想・信条」は異教徒に見えて理解できませんか? だとするなら、かなり一神教的な感覚をお持ちなのですね。
>>人間が利害によって動くというのはある意味絶対普遍の価値観なのですから
>なんでこんなものが「絶対普遍の価値観」なのですか?
世界各地の遺跡から、貨幣かそれに相当するものが発掘されていることはご存じですよね。
資本主義国にも共産主義国にも「通貨」はありますよね。
鎖国をしていた江戸時代の日本ですら、日本国内には活発な内国貿易があり、対外貿易として銅を輸出していましたよね。
すべてをなげうって欲をかかずに生活していけるのは、施しを保障されている宗教家(出家僧とか)くらいのもので、普通の人間は何人であっても何らかの「利害」に左右されますよ。
言語・宗教・風習・政体・社会制度が異なる世界の国々が、「経済」(貿易)で共生していけるのは、あらゆる国家が「利害」によって動いているからに他なりません。
逆に、なぜこれが絶対普遍の価値観ではないのかを証明できるのなら、ぜひともお目にかかりたいです。
ぜひお願いします。後学のために拝聴させていただきます。
-
>>702
もう少し、はやる気持ちを抑えるということはできないんですか……(^^;)
何度も言うようですが、いや、武蔵さんには初めてだったかもしれませんので最初から言いましょう。
少し遠回りになりますよ。
私は、「平和より安全」主義者なんですよ。といってもピンとこないですよね。
ですから、もう少し詳しく。
平和というのは、「制度や風習、習慣などの価値観がある程度統一された、同一域内の秩序が保たれている状態」です。
それに対して安全というのは「制度や風習、習慣などの価値観が異なる、自分と同一ではない別の区域が、自分にとって脅威ではない状態」です。
この二つは混同すべきではないと考えています。
その意味で、「平和」と言う言葉を我々が使えるのは、「自国内」かせいぜい、「同盟国内」まででしょう。
で。で、自国の法律が通用せず、言葉が異なり、違う宗教と違う社会制度にあり、違う理念で動いている他国と自国の間に求めるのは、「平和」ではなく「安全」です。
もし、平和を求めようと思ったら、自国と相手国の間の価値観をある程度統一して、同一の秩序を作らなければなりません。
私は、「(1)対立の解決はできれば対話ですべき。対話で(2)合意を得る努力をすべき。ただし、それが叶わない場合、(3)自国の【安全】を確保することを考えるべき」という順番でものを考えています。これには、そう大きな矛盾はなかったと思いますが、誤解を与える言葉不足はあったかもしれません。それについてはお詫びします。
で、武蔵さんの問いに戻りますと、「平和を作り出すためという目的に添っての回答」というより厳密には「安全を作り出すためという目的に添っての回答」ということになりますね。
「対外的な安全が確保されることによって、自国内もしくは同一価値観の域内の平和が作り出される」という原理ですから。
相手国の国内(自国と価値観の異なる域内)の「平和」については、厳密には「価値観が違うので関知できない」というのが本音ではあります。
「負けても命が助かるのがよいこと」という価値観がある一方で、「負けたなら生き恥をさらさせないのがよいこと」という価値観もありますからね。世界には。そうなると、自国の価値観でのみ相手国の国内の価値観をはかることはなかなか難しい。
だから、「相手国の国内の平和については、相手国に任せるほかない。自国の価値観に基づいてうかつに手を出すべきではない(それについて依頼を受けてるなら別でしょうけど)。
その代わり、相手国に安全を保障するのと引き替えに、自国の安全も相手国に保障させたい。それが成立すれば、自国内は「平和」になる。だろう。
まず、そういう概念が私にはあるわけです。
(この考えについては、別に同意を求めているわけでも、同じ考えを持てと強要しているわけでもありません。世の中にはそんな考え方があるんだなくらいの認識でけっこうですよ)
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>>702
ここまでを前提としてご理解いただかないと、次に述べる「回答」はおそらくピンとこないだろうと思います。
さて、続きです。
私は、武器・兵器の存在を認めています。また、それらは「実力」を伴っていなければならず、その実力は「広く知られていなければならない」と思っています。
核兵器が冷戦の主役(抑止力としての)足り得たのは、最初に広島と長崎に実際に使われたからだろうと思います。
よい兵器ではありません。無差別殺戮の大量破壊兵器ですからね。
しかし、それが使われなかったら、抑止力としての効果は期待できなかったでしょう。何度か危ういこともありましたが、広島/長崎で得られた「実力」が広く知られたからこそ、「実際の戦争には、以後使えなくなった」とも言えますね。
長く使われない、もしくは「使えない兵器」というのは、逆に抑止力としての効力が薄れてきます。何しろ、持っていても使えないし、「使うぞ」という脅しもうかつにできないわけですから。
そうなると、通常兵器で十分な「やるといったらやるぞ」という抑止力を得なければなりません。
兵器をなるべく使わずに、持っているだけで抑止力が発揮されるようになるためには、誰かが実際にその「切れ味」を世界の日の下に晒さなければ無意味です。
武力行使というのは毎回(湾岸戦争でもそうだったし、英アルゼンチンの戦争でもそうでしたけど)新兵器の実験や威力の示威の場でもあり、その示威行為がしばらくの間は他の国々に「戦争のやばさ」「不利益」「兵器の威力」を刻みつける薬効になります。
その意味で、兵器の犠牲になる誰かのおかげで、我々はその犠牲にならずに済んでいるとも見ることができるわけです。
こういう考え方は、「自分は絶対に死なないつもりで、他人の犠牲の上に安住している」と言われそうなんですが、兵器の威力を世界が目の当たりにする機会がなければ、それらの兵器に対する畏怖心は沸いてこず、兵器は畏怖心を抱かれることによって初めて「使わずに効果を発揮する非破壊兵器」になれるんではないかな、と。
私は兵器全廃には反対です。そして、兵器の効果、効力についての知識とそれらに対する畏怖心は誰もが正しく広く持つべきだと思っています。
そのことが、兵器を「使わずに最大の効能(=安全保障)を得る」ことに繋がると考えます。
さて、私の回答は終わりました。次は武蔵さんの番ですよ。
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>>702
ずれるもなにも、それって、
>「人を殺す権利は普通はない。しかし、殺されそうになった場合は、殺してもよい(=殺されそうになったら、殺されない権利を行使することで、相手を殺しても罪に問われない)」
>ってことですか? 殺す権利は、殺されそうになった場合にだけ発生する、という解釈
で、何も違わないと思うんですが……(^^;)
言い換えないと気が済まないか、私に理解されると困ることでもあるんですか?(^^;)
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>>705
>こういう考え方は、「自分は絶対に死なないつもりで、他人の犠牲の上に安住している」と言われそうなんですが、兵器の威力を世界が目の当たりにする機会がなければ、それらの兵器に対する畏怖心は沸いてこず、兵器は畏怖心を抱かれることによって初めて「使わずに効果を発揮する非破壊兵器」になれるんではないかな、と。
全く価値観が違いますから、理解し合えることはないでしょう。
私は、自分の命と他人の命に客観的には全く差がないものであるという価値観に生きています。
主観的には、もちろん自分が絶対ですが、その主観的絶対を守るためにも
社会の客観的公平を求めます。
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>>706
理解はされていません。
言っても無駄でしょうが・・・・
罪に問われるかどうかは次の問題です。
「殺す権利は、殺されそうになった場合にだけ発生する」ではありません。
権利なんてないのです。
自分の権利を守ったということに過ぎません。
たとえ罪に問われるとしても、自分の権利を守るでしょう。
そうして次の問題として、そういう自己生存のための行為は、私は認めるということです。
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>>708
はぁはぁ。
それでは、
「殺す権利は誰にもない」
「殺されない権利は誰にでもある」
「殺されそうになった場合、殺されない権利を守るために、対抗することはできる」
「殺されない権利を守るために、相手を殺してしまった場合、罪に問われても自分の【殺されない権利】を守ることを優先する」
ということでよろしいですか?
そして、次の問題として、
「自己保存のための行為は、相手(自分以外)を殺害することも含めて【自己保存のため】であるから、武蔵さんは認める」
ということですか?
「どうせ無駄だと思う」と、最初から諦めるのはよくありません。
最後まで付き合いますから、がんばりましょう。
私も同じ事をスライムベスさんからも言われたことですし。
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そして、
「殺されない権利」>「殺す権利」
で、あって、「殺されない権利を守るためなら、殺してもよい」が成立するということでよろしいですか?
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>>707
で。価値観が違うから理解し合えることはない、ということは、違う価値観の人が違う価値観に基づいて何かをしたとき、「理解しあえることはないから、相手の意志を変えることはできない」「自分の意志も伝わらない」「対立は解決されない」「対立を解決するのではなく、対立を消滅させる選択(対立相手である自分を消す選択)を相手が取った場合も、価値観が違うわけだから、受け入れざるを得ない」
または、「価値観の相違から相手に拒絶または否定された場合、相手が自分を殺そうとしたら、自分は自分の殺されない権利を守るために、相手を殺してヨイ」ということでしたっけ?
価値観や信条の相違から対立が存在する場合、
1)「対立を解消する」または
2)「対立を解決せず、相互に介入しないことを合意する(双方が)」または
3)「対立そのものを消滅させるために、対立している相手を排除する」
のいずれかの選択肢が考えられますね。
対立を、対話や交渉(駆け引き)で解消できるのがベストですよね。だから我々は対話をしています。
対立を解決できない場合、「対立そのものは解決しないが、お互いの事情や都合に介入しない(要求の全てを双方が取り下げる)」ことに同意できれば、それはそれで一応、対立がヒートアップすることは避けられますよね。
あくまで、自分の意志を相手に理解させる(強要する)ことを貫く(=相手が自分の意志を理解しないことを非難する、も含まれます)場合、対立する相手が自分と対立しない(相手が完全に折れるよう強要するか、相手そのものを排除する)ようにするという選択肢が最後に出てきます。これが戦争ですね。実力を持って意志を強要する、もしくは対立相手/対立意志を消滅させる。
あなたがご自身の価値観を守るという名目のために、相互理解のための努力を拒絶したり、「無駄である」と放棄したり、諦めたりする場合。
この場合、私などがあなたの対立者ということになるわけですが、私が「なるほど、相互理解はムリですね」と解決を諦めることを合意しない限り、交渉が永久に続く(タイムリミットを考えないならば)か、緊張状態が高まり、ヒートアップするかのどちらかになりますね。
そして、ヒートアップした結果(国同士なら戦争になりますけど)、例えば罵倒合戦になった場合(差詰め誹謗中傷はトマホークですかねぇ)、「先に手を出した相手が悪い」とあなたは仰るかも知れませんが、「解決のための努力を怠り、緊張状態を高めた罪」は、当然ながら「双方」にあるわけですから、その一端をあなたも担っているということになりますね。
そういうわけですから、「理解できてない!」「理解できない!」「どうせ無駄!」という言葉は辞めましょう。
がんばりましょう。ええ、いつか合意できる日まで。
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>>709
>>710
>「殺されそうになった場合、殺されない権利を守るために、対抗することはできる」
例えば刃物を持って襲い掛かられた場合、どこでもお切りになってくださいと
自分の方は両手をあげて、殺されるのを待たねばならないとは思っていないということです。
こちらの方が腕が上回っていれば、相手を殺さないで縛り上げることも出来ましょうし
そうできるに越したことはないと思います。
しかし、無力なものなら命がけで抵抗するでしょうから、
相手を殺してしまう場合もあるでしょう。
その場合でも、サッカーでゴールを入れたときや、
野球でホームランを打った時のように
大喜びする質のものではないでしょう。
一人の命を奪ったということは、厳粛なものと思います。
あなたが言うように、
事が起こる前から理屈をこねまわすようなものとはとらえていません。
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>>711
>
または、「価値観の相違から相手に拒絶または否定された場合、相手が自分を殺そうとしたら、自分は自分の殺されない権利を守るために、相手を殺してヨイ」ということでしたっけ?
どうしてこんなに素っ頓狂なのでしょう。
価値観が違うままで、思想が違うままで、相手を認め合うのが東洋の知恵。
和するとはそういうものでしょう。
ひとつの価値観に統合しなければならないという、価値観の押し付けからは
争いしか起こりません。
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>>713
>>711 のその行以降をちゃんと読んでますか?
で、私とあなたは価値観が違いますが、「素っ頓狂」の一言で理解もしなければ認めもしないあなたは、あなたが仰る所の「東洋の知恵」に沿った発言・行動をなさっておられますか?
私は、「自分の価値観はこうである」という説明はしましたが、「これに従え」「これが正義だ」と言いましたか?
あなたは「価値観、思想が違うままで相手を認め合うのが東洋の知恵」と繰り返しておられますが、自分と違う考えをしている相手を「素っ頓狂」とよぶのは、東洋的な和合のありかたですか?
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>>712
>事が起こる前から理屈をこね回す
について、反論してもよろしいですか?
「コトが起きてから、考える」というのは今回の小泉首相の答弁で何度か出てきた言葉と同じですが(^^;)、それでよろしいので?
というより(有事関連法案とかも同じですけど)、コトが起きる前に理屈をこね回して考えておき、いざというときに対処するのは、何かいけないことなのですか?
というわけで、武蔵さんの意見を再度まとめてみましょう。私が理解した範囲で。
「殺されそうになった場合、殺されない権利を守るために対抗/抵抗することができる」
「対抗/抵抗するとき、相手を殺す意図を持って攻撃することは許されない」
「が、対抗/抵抗するとき、相手を誤って殺してしまう可能性も否定できない」
「相手を誤って殺してしまうのは、意図しない事故である」
「が、意図していなくとも、自分が殺した事実には変わりないので、その事実(=人を殺した事実)を受け止める」
で、結局、「殺されそうになったら、殺してしまうこともあり得る」でいいんですか?
で、それは「人を殺すのはよくないが、絶対に悪いとは言えない(=仕方がない場合もある)」とどこが違うんですか(^^;)
「人を殺すのは良くないが、殺されそうになった場合に誤って殺してしまうのは悪いとは言えない」ですか?
誤って人を殺した事実を重く受け止めようが軽く受け流そうが、それは前段の「人を殺すのは絶対にいけないことかどうか?」という設問の答えには無関係ではと思うのですが……。
厳密に解釈しようとすると、どんどん長くなってくのは武蔵さんも同じですなぁ。
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それと、武蔵さんは「東洋的な和合」をよく引用されますが、「東洋と西洋の対立」の場合はどうですか?
(もっとも、北ベトナムと南ベトナム、インドネシアと東ティモール、韓国と北朝鮮、台湾と中国、日本と【アジア諸国】などなど、同じアジア同士でも、和合できない国はけっこうありますよね)
極論ではあると思いますが、我々が日本人の立場からこれまでに経験してきた「西洋」は、対立の解決を「意志の強要」という形で解消することを求められてきたことのほうが多かったように思います。
ペリーはどうでしたか? ハリスは? 日露戦争における帝政ロシアは? もちろん、東洋にも対立を武力で解決しようという歴史は連綿とあるわけですが。
話が広がりすぎてもナニですから、「東洋的な和合の精神、価値観が理解の範疇の外にある西洋、中東、アフリカ諸国などの異文化圏と対立した場合」についてはどうお考えですか?
西洋のケースを取ると、「合意を伴わない東洋的譲歩(=日本人なら「引いて貸しを作った」と考えるような譲歩)」を、借りだと思わずに「相手は弱腰だ」「恐れを成して引いたのだ」「誤りを認めたのだ」と解釈する「西洋」は、わりとフツーにあったように記憶しているのですがね。
いかがでしょう。それでも、「東洋のやり方」を、こちらだけでもするべきだと思いますか? 相手がそれに乗ってこなくても?
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>>724
>そして、ヒートアップした結果(国同士なら戦争になりますけど)、例えば罵倒合戦になった場合(差詰め誹謗中傷はトマホークですかねぇ)、「先に手を出した相手が悪い」とあなたは仰るかも知れませんが、「解決のための努力を怠り、緊張状態を高めた罪」は、当然ながら「双方」にあるわけですから、その一端をあなたも担っているということになりますね。
最後まで見てもこんなことを書いているのですよね。
別にヒートアップするほどの情熱も持ち合わせておりません。
繰り返しますが、思想・信条・宗教など価値観が違っても
それを押付けあわず、適当な距離を置いて相手を認めあっていくのが
東洋の「和」であると思います。
イスラム教について(学び、こういうものかとの理解はしても)理解できなくとも
そういう信仰を持つ人の存在に理解を持ち、和合することは出来ます。
魂のふれあいというような「歓喜を分かち合う」関係にはなれないでしょうが
敵対する必要は何もありません。
「素っ頓狂」というのは、あなたの宇宙まで「飛躍」する論理展開の
素っ頓狂を言ったのであって、《自分と違う考えをしている相手を「素っ頓狂」とよぶ》
分けではありません。
あなたの考えが私と違っていても、それが考えかたの違いなら何の事はありません。
嫁にするわけでもないんですし。。。。
今話していることから、宇宙空間にまですっ飛ぶような「跳躍」ぶりに
頭くらくらしますが。
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>>715
もうまとめるのはよしてください。
どうまとめても、私の意図とは違いますから。
他の方には私が書いたままの方が理解できると思います。
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>>716
20世紀は西洋の覇権戦争の時代だったけれど
21世紀こそ、東洋発の和合の世紀にしたいと思いました。
しょっぱなからアメリカの覇権戦争で幕を開けた21世紀ですが
何とか東洋の叡智で平和な世紀にしたいと思っています。
私がいうのは「譲歩」ではありません。
すぐに自分の理論にくるみこむ解釈はよしてくださいね。
相手を相手のままで認めることです。それは自分が自分のままで認められることも意味します。
そういう意味で、自分の価値観を押付けるアメリカ式のやり方には反対します。
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>>715
>厳密に解釈しようとすると、どんどん長くなってくのは武蔵さんも同じですなぁ。
私の場合は、ちっとも長くなっていないのですが、あなたには一緒に見えるのですね?
面白い方ですね。
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>>716
誤解があるようです。
>もちろん、東洋にも対立を武力で解決しようという歴史は連綿とあるわけですが。
利益の対立を武力で・・・は、洋の東西を問わずあります。
今私が言っているのは、価値観の対立です。
「正義」の名においての制裁をさしています。
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>>716
>北ベトナムと南ベトナム、インドネシアと東ティモール、韓国と北朝鮮、台湾と中国、
この思想対立は、西洋型ととらえています。
大国の対立の代理戦争ととらえてもいいでしょうし、
要するに20世紀型の戦争です。
もうその時代は終わりにしなければ、地球破滅を迎えます。
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>>660
>「人の命や痛みを思う心があるかないか」の差と言われると、まるで私が冷酷で冷徹でそういうものは一切顧みない人間だという断定のようなものを感じますが、それはイカフライさんの意図する内容と合致していますか?
別に実際のヤスツさんがそうだ、とは言っておりませんよ。
緑さんにしたって、実際の人柄にあえば、そういう人じゃないでしょう。
ただ、掲示板で、なんで、反戦主義の人にテ−ブルを蹴られるのか? という回答は、
「自己の命と他者の命は同価値である」
という前提を、まず理解できないから、にキ−ワ−ドがあるのではないの? ってことです。
実際、みんなのアイドル、ぼ-んさんなんかは、そう言ってなかったけ?
これを、理念の対立、と壱学生さんは言われてるのかな、と思うけど、
理念とか、正義とか、イデオロギ−とか言うと、あっしはひいちゃうんだけど、
じゃなくてさ、
「自分の都合なら人は死んでもいい」
なら、逆に
「人の都合なら自分は死んでもいい」
ってことにならんか?ってことなんだよね。
緑さんは、ずっと前者を主張してたんだ、でも、後者は絶対いや、だったっしょ?
それに異を唱えたのは、うろちいさんと私だっらわけで、ヤスツさん、どっちかっていうと、緑さんの発言、支持してたように思うんだけど。
(違ったら、ごめん。しかし、異論は覚えてない)
ヤスツさんは、反戦主義の人と意見が対立したり、テ−ブルを蹴られたりするんは、向こうの原因、と思ってる様だけど
毎度、毎度、同じ結果になるのは、ヤスツさんに原因がないんかなあ、と。
で、その原因がそうなんでないの、ってことですよ。
-
>>688
>ヤスツさん自身はこの問題に対して、平和を作り出すためという目的に添っての回答を持っているのですか?
>まずそれを示してください
の質問に関して。
>>697
>もちろんイエスですよ。
のぞんざいな回答じゃ、武蔵さんならずともあきれますよ。
反戦側は、わ-わ-騒ぐだけで、ろくな知識も政策論ももってない、といわんばかりの態度ですが、
んじゃ、あなたはなに? ってことになるんだよね、これだと。
それこそ、揚げ足取りしてるだけじゃん、になってしまうのですよ、これだと。
-
ライコスのクラブにもコピペした記事なんで、読んでる人もおるかも知れないけれど。
<イラク戦争>米軍が故意に標的の可能性 アルジャジーラ会見
毎日新聞社 04月09日 11時27分
【ドーハ田中洋之】カタールの衛星テレビ「アルジャジーラ」のバグダッド支局が米軍のミサイル攻撃を受け、記者1人が死亡した事件で、アルジャジーラのサマル代表とヒラル報道局長が8日、ドーハの同テレビ本社で記者会見した。ヒラル局長は「支局は住宅街にあり、ペンタゴン(米国防総省)は場所を正確に知っていた」と強調、米軍が故意に支局を標的にした可能性があるとの認識を示した。
アルジャジーラによると、イラク戦争が始まる前の2月末、バグダッド支局の詳細な位置を知らせる手紙を米国防総省に送っていたという。
また、開戦後には南部のバスラで、支局の入っているホテルがミサイルの直撃を受けたため、同社のスタッフの安全を確保するよう米国に求める声明を発表していたばかりだった。
ヒラル報道局長は、バグダッドのほか南部のナシリヤで活動している記者やスタッフを安全確保のため撤収させる考えを示した。
会見には、死亡したターレク・アイユーブ記者(35)の妻ディーマさんが電話で出演し、「夫は世界に(イラク戦争の)真実を明らかにしようとして死んだ」と涙ながらに語った。同記者には妻と1歳の娘がいた。
……だそうです。
わざとかね?
-
>>718
つまり「まとめるな=理解するな」と?
ちなみに、「誰かが言ったことを、そのままオウム返しに返す」のではなく、「自分の言葉に置き換えて元の発言者に再掲示し、違う言葉で示しても元の意味を損なっていないかどうか確認を求める」というのが「まとめ」だと思うんですが。
武蔵さん、あなたの言ったことを「そのままのほうが理解できる」と言った方々は、自分の言葉で武蔵さんの主張を再提示できていますか?
>>718 >>720
で、何度も言うようですが、「相手の価値観を、理解しないまでも適当な距離を置いて【認め合っていく】のが東洋の和」なんですね?
本当に「東洋の和」ですか? それは「日本式」なのでは?(^^;) (というのは、そういう「認め合っていく式のスタンス」は、少なくとも21世紀の大陸には希薄であるように思えるからですが)
で、何度も言うようですが、「一方は互いを理解しないまでも適当な距離を置いて認め合いましょう」という【価値観】で、もう一方が「そうではない価値観」を持っていて、それぞれが対立している場合。
「互いを認め合う東洋の価値観に、双方が準じている」なら、武蔵さんの言われるように東洋的和合もできましょう。
ですが、一方がその価値観を持っていない、認めない場合はどうするんですか、と。
それは「認めない相手が悪い」ということになるんですか、と。
これについて、武蔵さんは、「自分の価値観を押しつけるアメリカ式には反対」と、武蔵さんの価値観と違う相手を認めないわけですね?
武蔵さんの弁に従うなら、「相手の価値観を認めない、というアメリカ式価値観」をも認めなければならないのでは?
>>721
正義の名においての制裁は、これまた洋の東西を問わずあると思います。
価値観を認める認めないとは無関係かと思いますが。
そいで、価値観の対立が、「相手の価値観を認めない価値観」vs「相手の価値観を認める価値観」のぶつかり合いの場合、武蔵さんは、問答無用で「相手の価値観を認めない価値観は認められない(あー、わかりにくい)」と言っているわけですね?
>>722
それじゃ、春秋時代とか蒙古襲来とかは?(^^;)
で、「戦争はできればもうしないほうがいい」という点では誰もが合致していると思うんですけどねぇ。
20世紀型の、という「世紀で区切るまとめ方」にも、賛成できませんねぇ。それらの戦争は20世紀のうちに起きたものではありますが、原因は「20世紀であること」に起因しているわけではなく、別の原因から発生したものですよね。
(ベトナム、朝鮮半島、中台は、それぞれイデオロギーによる戦争、インドネシアは民族問題が原因の独立戦争)
21世紀になった瞬間から、「はい、イデオロギーの話はナシね?」となったわけでもありませんし、今後はますます民族問題に起因する戦争は増えると思っていますが、これだって21世紀型というほど目新しいものではなく、古代の中国大陸、前世紀以前のアフリカ大陸で頻発していた性格のものですよね?
-
>>726
>つまり「まとめるな=理解するな」と?
こういうことを言われること自体、あなたが私の言を理解できていない証拠です。
理解するなとは言いませんが理解できていないとはいえます。
だからまとめたことが、私の言い分と違ってくるのです。
それは仕方ないことですが、他の人をミスリードしないため(普通、ミスリードされないとは思いますが、
私の言の方を読まないであなたのまとめだけを読めば、そうなる恐れがあります)
>あなたの言ったことを「そのままのほうが理解できる」と言った方々は、自分の言葉で武蔵さんの主張を再提示できていますか?
なるべく簡潔に書きますから、再提示などしないでも、私の言い分は私の言葉で理解してくれたらいいんです。
支持するかどうかはご自分の言葉で考えればいいのですから。
外国語を理解するのも、原文のまま理解できればいいのですよ。
それを自分のものとして取り入れるのは、日本語領域ですけどね。
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>>723
なるほど、私に「テーブルを蹴られる原因」があるということは、我慢しきれずにテーブルを蹴った人(対話を打ちきった人)より、対話を根気よく続けようとするべく、異質な立場から理解する努力を続けようとすることそのものが間違いである(=対話による事態解決には効力がない)ということですね?
それから、「自己の命と他者の命が同価値である」ですが、それは誰から見た場合に、ですか? 前提が抜けてますが。
ア)もし、「直接関係のない第三者(当事者以外)から見たら同価値である」なら、そうかもしれないし、そうでないかもしれない。
1)この場合の、同価値である理由は、「どちらも自分(評価する人)にとって利害がないから、その価値は同程度である」場合。
2)同価値でない理由は「どちらかが自分(評価する人)にとって利害がある場合、利のある側の価値が高く、害する側の価値は低い」
イ)当事者同士の場合、「自己の命と他者の命は同価値である」が、そうかもしれないし、違うかもしれない。
a)命があるかないかが、「ある=1」「ない=0」だとするなら、明らかに、0よりは1のほうがいいし、0は取り戻せないのだから1を維持するべきだという意味において、どちらの価値も1であり、等価値である。
b)ただ、「価値」という言い方が、「0ではない」ことを意味しているのではなく、「自分一人の価値が、自分以外の人の数人分以上の価値に相当する」ような場合、命の価値は何杯にも膨れあがり、不均等になる。
相手と自分の価値を比較した場合、自分の価値(命の価値)を相手と同等と判断できるなら(a)、自己保存(自己を優先的に延命させる)をちょっとでも考えるなら(a)は選べない。だから「相手と自分の命の価値は同等」とは言えない。
設問(ア)において、イカフライさんは(1)を、私は(2)を選んでいるのだと思います。
設問(イ)においては、イカフライさんは(a)を、私は(b)を選んでいるのだと思います。
これについても間違い、自分の意図と違うということであれば指摘してください。修正しますので。
で、これも「前提を理解できない」のではなくて、「わかるけど選べない」もしくは「そういう前提があることは認めるが、自分はそれを選ばない」です。
逆に、「自己の命と他者の命は同価値ではない」という考え方も存在し、それを「選ばなくてもいいから理解する」ということも求められるのではありませんか?
「自分の都合で、他人が自分の代わりに死ぬことがあり得る」場合、
「他人の都合で、自分が他人の代わりに死ぬこともあり得る」を覚悟する必要がある、ってことだと思います。
イカフライさんは、「自分は他人の都合で死にたくないから、他人に自分の都合で死ぬことを強要しない」というお考え。
私は「自分は他人の都合で死にたくはないから、他人が死ぬことで自分は死なないようにしたい」という考え。
ここの違いは、「自分が殺さなければ他人にも殺されない(イカフライさんのお考え)」に対して「自分が殺さないことが、他人に殺されない保障にはならない(ヤスツの考え)」の差の部分が、「他人に殺されないために、どういう選択をするか?」の違いに現れているのではないかと思います。
-
>>726
>ですが、一方がその価値観を持っていない、認めない場合はどうするんですか、と。
それは「認めない相手が悪い」ということになるんですか、と。
これについて、武蔵さんは、「自分の価値観を押しつけるアメリカ式には反対」と、武蔵さんの価値観と違う相手を認めないわけですね?
もちろんそうです。
相手も自分の価値観を押付けてきてはいけません。
少なくとも東洋に於いて、日本に対して、自分の価値観を武力的に押付けてきている国はありませんね。
日本側が、自国にとって到底受け入れられない侵略行為の正当化をした場合に
異議を申し立てていますが、これは当然のことで、お互いにそういう価値観のすり合わせは必要でしょう。
そういう問題は、武力によるのではなく、話し合いで解決する問題です。
-
>>726
>正義の名においての制裁は、これまた洋の東西を問わずあると思います。
現在東洋に於いて、正義の名において戦争を仕掛けている国があるのですか?
20世紀の東西対決の、代理戦争の残滓がある程度でしょう。
話し合いで解決すべき問題です。
-
>>725
ジャーナリストにむち打つことは言いたくないのですが、戦場報道は危険な仕事であるわけですよね。
戦場は常に故意だけで動いているとは限らない。事故かもしれない。
流れ弾だってある。
最新の戦場は、かなりコントロールできている(湾岸戦争に比べて)とは米軍の自画自賛でしょうけど、実際、すべての兵器が100%で動くわけではないし、戦場に絶対はあまりない(あるのは死だけですな)。
そうしたものがあるから、「戦場になる地域からは退去するように」もしくは「従軍して、軍の後ろから指示通りの場所のみ付いてくるように」という指示があるわけで。
そうしたルールや保護策の下では、「指定されたもの」しか報道できないので、隠されていない、都合の悪いものも「真実として報道したい」と考えるのが戦場報道なわけですよね。
そうなると、それらは「ここまでなら安全を保障する」という保障ラインの外になるわけで、誰かに強制されたなら命令者を責めるべきでしょうけど、自ら望んでそこに赴いたのなら、そこでナニが起きても望んだ本人の責任です。
アルジャジーラ支局の詳細な位置を知らせてあったとしても、「だから絶対に安全」というのは違います。
絶対に安全なのは、戦場ではない場所。戦場に覚悟を持って自ら望んで行った人間が戦争で死んだことについて、あれこれ言うのは死せるジャーナリストへの冒涜ですよ。
覚悟なく行ったのなら「言った奴がバカ」といいたい。
と、感想まで。
-
>>726
>>>722
それじゃ、春秋時代とか蒙古襲来とかは?(^^;)
覇権戦争の時代は終わったということです。
核を持ってしまった人類が生き残れるのは、それを終わらせる以外に道はないということです。
そういう意味での21世紀です。
-
>>728
横レスさせていただきます。私もイカさんと同じ考えですから。
>それから、「自己の命と他者の命が同価値である」ですが、それは誰から見た場合に、ですか? 前提が抜けてますが。
ひと言。客観的・普遍的立場から見た場合です。
赤ん坊は自分からしか見ることが出来ません。
成長するにしたがって、客観的視野が広がります。
自分が叩かれて痛いように、相手も叩かれたら痛いのだと理解できます。
自分と相手を客観的に見ることによって、社会生活が出来るようになっていきます。
これが理解できてはじめてイカフライさんの言い分が理解できるのであって、
現段階では無理だと思います。
-
>>727
ですから、理解をする=自分なりに咀嚼をする=自分の言葉に置き換えて、他人に説明できるかどうかを試す でしょう?
オウム返しに同じ言葉を唱える、というのが「理解した」になるんですか?
武蔵さんの「私の言葉を置き換えるな」では、武蔵さんの考えが(正しく)広まることはないですよ。
ものの考え方、何らかの感想、理解そういったものは、人から人に伝わっていくものです。伝わる過程で、受け取った人間の解釈が追加されるわけで、その時点で「最初のもの」からは少しずつ変質していく。
でも、ただ言いっぱなし聞きっぱなしじゃ変質に拍車がかかるから、最初に言った人間(この場合は武蔵さん)に「こうですか?」と確認を取っているんですが。
確認も取るな、と?
昔、数学(算数)の勉強は、最初に「公式」を提示され、その公式にいろいろな代数を当てはめる問題を解く、という方法を採りましたよね。
公式だけ暗記してればいいかというと、それは「公式を憶えた」ことにはなるけど、理解したことにはならない。
いろいろな代数を当てはめても、元の公式のルールに従って、数値の増減はあっても同じルールで数値が変化する。
そうすると、元々の「公式」が、どういったルールで、どんな解を導き出す性格のものかが初めて「理解」できる。
私がしているのはそれで、「いろいろな代数を当てても、答えが同じルールで導き出されるか(=緑装薬4さんがいうところの、一貫性があるかどうかの検算)」を確認しているわけです。
が、武蔵さんは、「元の公式だけ憶えればいい」「公式に手を加える(代入や代数を当てる)ことは誤解を招く」と繰り返しておられるわけです。
私としては、「国家同士の対立は、個人同士の対立を拡大したもの」とある程度は解釈していいのではないかと思います。
隣の家との境界線争いは、そのまま国境線争いに、出身地争い、人種ごとの距離、そういったいろいろな「個人レベルの対立」は、数値を入れ替えるだけで「社会同士の対立」にもなります。
となると、個人レベルでの解決策が、国家レベルでの解決策にも当てはめることができるかもしれない。
たぶん、これについては同じ考えをお持ちだろうと思っています。
武蔵さん言う所の「東洋の和」というのは、個人の徳に依存するところが大きいんですがね。
で、私は武蔵さんの示した公式に、他の代数を入れても結果が同じになるかどうかを、公式を提示した方に「式」を見せて確認を取っているわけですが、武蔵さんは、「代数が入るとそれは元の式ではなくなる」と繰り返しておられるように、私には聞こえるわけです。
おまえらは、公式だけ憶えていればいいのだ、と。暗記しろ、と。
理解ってのは暗記とは違うものだと思うのですがいかがですか?
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>>731
これも横レスですが・・・・
アメリカ軍の従軍記者も死んでいます。
イカさんが問題にしているのはそういうことではありません。
パレスチナホテルの15階(外国記者が根拠地にしていることは知らせている)に向かって発砲すること。
軍事施設の近くでもなく、攻撃目標とは関係の無い場所に設定して、
その場所を通報しているアルジャジーラに向かって、爆弾を落とすこと
しかも、アフガニスタンでも同じことをやった、
そういう事を問題にしているのです。
普通ここまで言う必要なく理解すると思うけどね。
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>>732
ではなぜこの数千年(数万年)間、戦争がなくならないんですか?
兵器の種類の問題ですか?(武蔵さんは、兵器の種類は問題ではないと言っていた気がしますが)
戦争がなくならない原因ですが、
・利害の対立を解決するため
・前の戦争の経験が、次の戦争に直面した世代に100%は反映されないため(人間は不死ではなく、経験や記憶は別人に100%は引き継がれません)
これが主であって、
・兵器の性能がいいから
なんていうのは、従でしかないと思うのですが。
では、戦争の解決(というより解消方法)として、兵器さえ取り上げれば戦争にならないかと言えば、文化包丁で殺人事件が起こるのと同様、どんなものでも武器にはできますから「武器廃棄が戦争を解決する」とは言えません。
核兵器だけ取り上げればいいのかということになりますと、今回のイラク戦争のように通常兵器による戦争は相変わらず起こることになります。
で、イカフライさんの仰った「戦争をしたい人間だけがどこかの島に集まって殺し合えばいい(Gガンダム論(笑))」は、実現は難しいだろうけど、これはこれでひとつの解決策であるかもしれません。
ようするにオリンピック/W杯ですよね。ただ、これは「人の争う本能を、安全かつ公平なルールのもとで発散させている」だけであって、利害の解決には結びつきません。(オリンピックの順位に従って利害の解決がなされるという提案がされたら、誰もがオリンピック委員会のポストを巡って戦うでしょう。2002のワールド杯のように)
検討の余地はかなりあるけど、提案としては興味深いです。少なくとも、「具体的な方針をイカフライさんなりに示している」わけですから。
ここには居ませんが、「タイムリミットを超えて、判断をできるだけせず、未来に逃げ続けるのが反戦だ。逃げ続けた結果として、逃げている間は戦争にならないのだから、結論として戦争回避はできている」というユニークな反戦論を掲げられた方がいました。これはこれで参政はできないけど(私はタイムリミット論者ですから)、そういう考え方もアリか。おもしろいなぁ、と思いました。
ある意味で真理ですからね(笑)<解決を避け続ける、判断から逃げ続けることで戦争を回避する
デメリットというか問題点を挙げるとしたら、「タイムリミット」だけです。
武蔵さんの主張は、この「未来逃亡反戦論」に近いのではありませんか?
で、「核を持ってしまった人類に、戦争をさせない」には、どういう具体策があると思いますか?
ちなみに、「核を使わせない」ための最大の方法は、小規模な核戦争を世界規模で中継することだと思ってますけど。
反戦運動が盛り上がるのは、兵器の性能に対する知識と、戦争被害に関する予測、それと戦場そのものが「中継」されるからなんですよね。
つまり、兵器に関する知識(これは兵器の有無じゃないんです)が少しでも知られ、被害が予測され、それらが中継されないと、反戦運動は起こらない。
「平和でない場所の存在を知らしめること」こそが、「平和への訴求を掘り起こす」違いますか?
つまり、反戦運動というのは、「戦場になっている犠牲者がいて初めてもりあがるもの」であり、少数の生贄なくしては反戦運動は発生すらしない、ということなのですかなぁ。
(戦争がないなら反戦運動は不要というのも真理ですけど、戦争が近くなってから慌てて反戦運動しても間に合わないことは、今回十分経験したのでは? 次回に生かされるかどうかはわかりませんが)
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>>735
「言うまでもなく理解するはずだ」というのは、武蔵さんの思い込みでしかありません。
人は自分の期待したことをするはずだ、というのは、自分以外の人間に対する「甘え」でしかないんじゃありませんでしたっけ? 以前、そう言われましたけど。
何度も言いますが、戦場というのはそんなに完璧にコントロールできるものではないと。
それと、パレスチナホテルについては、「ホテル側から発砲があったので反撃した」という話もありましたけど。
パレスチナホテルで被害にあった取材クルーは、スペイン人などアメリカの攻撃を支持した同盟国の人間もいましたよね。
意図的に同盟国の人間に被害を与えることで、アメリカには何か得があるわけですか?
なぜホテルが攻撃を受けたか? ですが、これが「精密爆撃を受けた」のだとしたら、攻撃目標の指示を行う、特殊部隊のミスか何らかの情報によるものでしょう。
いわゆる誤爆というのはこれですね。
でも、パレスチナホテルは「砲撃」を受けたのではありませんでしたか? 戦車砲または自走砲ですよね?
戦車砲は、「精密誘導」するわけではありませんから、(少なくとも通常、砲弾というのは発射後はコントロールできないのでは?)「攻撃に対して反撃を加えた」
「ホテル方向からの攻撃」と、反撃の軸線上にホテルがあり、流れ弾が当たった……という解釈もできます。(砲弾の着弾箇所は、ホテルの建物の中央ではなく角付近でしたが、あれはかすめたようにも見ることができるのでは?)
まあ、アレですな。
「世界は自分の見たいように見える」ですから、私には「砲撃・反撃・着弾箇所・状況から見て事故」に見え、武蔵さんには「意図的にジャーナリストを殺害しようとした」ように見えるのでしょうなあ。
この状況に制限するなら、米軍は「攻撃に対して自分の殺されない権利を守るために反撃した。殺害の意図はなかったが、反撃の結果として被害者が出た」という、武蔵さんの論理を使えますかね?
ちなみに、従軍記者の死についてですが、国籍は関係なく「戦場は危険な場所」「命と引き替えにスクープ(善意であれ功名心であれ)を求めた」「自ら望んでそこにきた」ということです。
私はそういった「ジャーナリストの覚悟」について尊敬しています。
だからこそ、それらの覚悟をだいなしにするような「ジャーナリストの死は誰のせいか?」という議論には感心しませんね。
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>>724
> ヤスツさんは、反戦主義の人と意見が対立したり、テ−ブルを蹴られたりするんは、向こうの原因、と思ってる様だけど
毎度、毎度、同じ結果になるのは、ヤスツさんに原因がないんかなあ、と。
う〜ん、これなんですが、これはどちらが原因って事は言えないように思います。
やっぱり、双方に其々原因が有るのではないかと思います。
確かに、反戦平和主義者側の「命の価値:自分の命=他人の命」は、間違っていません。
しかし、相手が如何であれ、テーブルを蹴ってしまったら対話は成り立ちません。対話によって「反戦・世界平和」を創ろうと思うのであれば、根気強く粘り強く接するしかないと思います。
過去にも書きましたが、私は、なかなか理解してくれない相手に対して、めずらしく(普段はそんな事はしないのですが)、普段より3倍の説明と時間をかけて接したところ、ようやく半分は解って頂けた事が有りました。それでも、第一段階はクリアした事になります。ちなみに、反戦とは関係無い別サイトの議論でした。
価値観が違う相手に理解して頂きたいと思うならば、それはそれは、同じ反戦平和主義の人と接する以上に根気が要るものです。同じように接しては、それは通じなくても不思議じゃありません。「通じなくて当たり前」ぐらいに構えておいた方が良いと思います。「通じないなら自分の伝え方を工夫しよう」・「言い方を変えてみよう」と、自分の論法を見直して接していく事も必要になります。
確かに、時間は限られるし、やっていられない時も有ります。そんな時は無理をしなくても良いと思います。少しずつ、出来る時に、自分のペースで良いので、(反戦を訴えるのであれば)頑張るしか無いと思います。
それを長く続けていかないことには、反戦運動にはならないと思います。特に、戦争をやる国に対しては、「戦争反対」と、訴えるだけでは、「本当は戦争は良くないのは言われなくてもわかっている。しかし、対話だけで、実際にどれだけ秩序と平和が保てるのか。10年間、いくら言っても言う事を聞かず、大量破壊兵器を隠し持ち続け、テロリストを擁護する存在は、対話で解決しようと思ったら、それこそ何年かかるか解らない。そうこうしている間に、それ以上の被害を出されるだろう。」と、主張するでしょう。
実際には、両国家の間で、戦争をしなくて済むようなまでの対話はされていなかったのではないかと思われます。されていれば、違う形になった筈だと思います。現実には、表面的な対話しか実現されておらず、両国家の間に信頼関係は無かったと予想します。<そこが、いつもの反戦平和主義者とそうじゃない人との関係に類似していると思います。>
そうこうしているうちに、益々テロが起きるわ、炭素菌は撒かれるは、放置しておいたら、もっと大惨事になったとは考えられないだろうか?確かに、罪の無いイラクの子供達や一般市民には申し訳ないと思う。しかし、放置しておいたら、どうなっていくか。それを考えると、今回の空爆も、全く否定することは出来ないと思う。そもそも、テロを起こさなければ、大量破壊兵器を隠し持たなければ、空爆はしなかったのでしょう。フセインにもテロリストにも原因は有ると思います。ただし、信頼関係が創れる対話を根気強く実践していかなければの話です。
対話で解決させるのがBest。しかし、実際には実現できていない。だから空爆もやむ得なくなる。そして、罪もない人までもが犠牲になる。犠牲になれば仇を討つ。そんな悪循環な流れが続いているように思います。反戦平和主義者に厳しい目がいくのは、ある意味期待にも似た感情があるのかもしれません。逆に、はなっから期待できないものならば、あまり人からの反応も出ないでしょうし、存在感もないでしょう。確かに、対話により信頼関係が築く事に成功したら、それは凄い事だと思います。出来ないと考える方が自然かもしれません。それゆえ、厳しく見られるし、期待もされると言う事だと思います。
まあ、そういう事です。皆さん、頑張りますね。2日来なかったら、凄くカキコされていました。それでは失礼します。人間的にレベルが低いので、馬鹿なカキコをすみません。お騒がせしました。アフォだと思ったら放置して下さい。
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どうも要らん茶々が>>686で入っていますが、僕は武蔵氏の言わんとしていることは理解できていると思いますよ。
これ以上なく武蔵氏の言い分は分かり易いものですから。
ただ、「分かり易い」=「実行し易い」ではありません。ただ「分かり易い」事を言うだけでは現実世界に対して大した影響力が無いのが現状です。
そこでヤスツ氏らは「武蔵氏らがそういう考えなのは分かった。で、そこから『政策』としてどうするの?」という事を聞いているのです。
そこで議論が混乱しているから、「『理念』と『政策』に分けて議論をしてはどうですか?」と僕が提案したのです。
だから別に僕は武蔵氏の意見を整理した訳ではありません。そうではなくて、「議論全体」を整理しようとしたのです。
で、武蔵氏の主張は>>692で端的に示されるように、ある意味『理想』、つまりは『理念』です。
ここにいる人で、誰かその部分を批判したでしょうか?してはいませんよね?つまりは武蔵氏の『理念』は論点になっていないのです。
そうではなくて、論点は「その『理念』をどうやって実現しようとしているの?」という部分なのです。
『理念』を唱えているだけではそれが現実化する事はまずありえません。
例えば「空を自由に飛びたいな」と思った所で、ドラえもんは現実には存在しません。
実際に「空を自由に飛びたいな」と思ったら、自分で飛行免許を取って自家用機を買うなりレンタルするなりしなきゃなりません。その他にも細々とした苦労が必要でしょう。
飛行機が無い時代なら飛行機自体を発明しなきゃいけません。内燃機関の無い時代ならエンジンを、ガソリンの無い時代なら石油を掘る所から始めなくちゃいけません。
それが現実です。
逆に言えば「空を自由に飛びたい」と真剣に願った先人達のそう言った苦労の上に、「空を自由に飛べる」現実がある訳です。
それと同じ様に、武蔵氏が>>692にあるような『理念』を本当に実現したいと思うのならば、お題目を唱えているだけじゃ駄目だって事です。
で、本当に武蔵氏がそう思っているのならば、『理念』を『政策』化する必要性が出てくるわけです(まぁ「唱えているだけで満足」ならばその必要はありませんが。でもそれは「演説」に過ぎません)。
しかしながら武蔵氏から出てきた「難民処理」とかをみても、到底実行不可能なものばかりです。
ヤスツ氏らは「それではいけないんじゃない?」と指摘しているのです。
正しい『理念』を持っている事が「実現不可能な『政策』」の免罪符にはなりません。それでは今のアメリカやかつての日本や、歴史上の十字軍と全く同じ態度でしょう。
僕が見るに、武蔵氏には「正しい『理念』さえ唱えていれば、即実現可能だ」と思っている節があります。
現実社会では『理念』が正しくとも実現不可能な事、現実化しようと思えば『理念』の適用に解釈の幅が出てくる場合、が多々あります。
例えば
>人を殺す権利は何びとにも無い。(いいか悪いかではない)
>正当防衛は認められると言います。
>後はそれが正当防衛の範疇かどうか、裁判で決められるでしょう。
と言った所で、一律に法律を適用できる訳ではありません。
相手に非のある場合の「正当防衛」だけでなく、相手に非の無い場合の「緊急避難」という考え方もあるのをご存知ですか?(「カルネアデスの板」で調べて見て下さい)
「人の命は平等だ」と主張した所で、「緊急避難」の場合は明確に「自分の命」を優先出来ます。
そういった複雑な社会を認識せずに「実行不可能な『政策』」を主張するのは、
「ドミノ理論に基づく中東の民主化」を主張する現在のアメリカと同じ姿勢です。
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>イカフライ氏の>>723
上の>>739の続きになりますが、イカフライ氏は「緊急避難」という概念をご存知でしょうか?
これはお互いに非の無い場合であっても、それ以外に方法がない場合に限り他人の権利侵害(それには生命を含みます)を認める概念です。
例えば客船が沈没して救命ボートに乗客が避難したとしましょう。
その際あるボートの定員が上限10名だった場合、乗せられない人は見殺しにしても罪には問われない、
なぜならそれ以上の人員をボートに乗せるのは、既にボートに乗った人達の生命を脅かすからだ。
というものです。マンガなら「金田一少年の事件簿」の7巻などに紹介されています。
これは古代ギリシャの時代から、「カルネアデスの板」という形で哲学上の命題になっている概念で、
その際客観的には「自分の命」=「他人の命」だが主観的には「自分の命」>「他人の命」なので、自分の命を優先する事は正当かできます。
>「自己の命と他者の命は同価値である」
というのは正しい概念なのですが、かように現実には単純に適用できるものではありません。
それが「国民全員の生命・財産」に責任を持つ「国家」ならなお更です。
『理念』を『政策』化して現実を動かすのはそういう難しさを理解できていなくてはいけません。
イカフライ氏も以前、「他人の命よりも自分と家族の命の方が重要だ」という本音を述べましたよね?
その通りで、世の中には自分の『理念』の為には自分の命も投げ出せる人とそうでない人がいます。
また内心では「投げ出したい」と思ってはいても、その後の家族や仲間への責任の為に投げ出せない人もいます。
一国の指導者なんかはその最たるものです。自分の政党に対する責任、国民に対する責任、世界に対する責任、様々なものが彼らの肩にかかっています。
少なくとも近代においては、指揮官先頭で一国の指導者が戦場に身を置くことなんかはできっこありません(ナポレオン辺りが最後でしょう)。
少なくとも民主主義国家においては、一国の指導者の個人的感情だけで戦争ができるわけではありません。
それまでのその国の歴史だとか、政治や経済の体制だとか、世界情勢だとか、国民世論だとか、そういう糸がこんがらがって「戦争」という結果に結びついた訳です。
それが戦争をする事の免罪符になるわけではありませんが、そういった事情を理解する事無しに「戦争反対」とだけ主張するのは安易な姿勢です。
こういう考え方はできませんか?
「アメリカの大統領って大変だな〜。日本の事を考えたりヨーロッパの事を考えたり。場合によってはアフリカの奥地の事まで考えなきゃいけないし。
でも一番重要なのはアメリカ国民の事だよね。なんたってアメリカの有権者に選ばれた訳だし。
アフリカの奥地の内戦が悲惨なのは十分分かるけど、だからといってアメリカの若者が死ぬような介入はできないよね。
じゃあ資金援助で何とかするかな?でもロシアの核解体とか国内の雇用対策とかで予算が足りないよね。
結局なんにもできないのかな。あぁ、カーターみたいに『元』大統領だったらもう少し考えられるんだけど。」 って。
アメリカの大統領も自由なわけではありません。
逆に言えば「世間のしがらみ無し」に自由にモノが言えるのは、世間に対して無責任な者に限られるわけです。
「世間に対して無責任な者」が世間に対して有意義な行動ができるのでしょうか?
『大人』ってのはそういう相手の「世間のしがらみ」を十分理解した上で、なお「建設的な」事を話し合える人達の事じゃないのかな?
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【カルネアデスの板】
http://www.fugenin.com/houwa/03.htm
↑のURLでは、仏教系の宗教家が、「布施の意味」を教えるためにカルネアデスの板を引き合いに出しています。
要約しますと、
「法律の世界では、カルネアデスの板においては【板を守るために、先にいた男が後からきた男を殺した場合】も【後から来た男が、先にいた男の板を奪うために相手を殺した場合】も、どちらも正当であるとされている」
「法律は自分を守ることが最優先課題なのでそれでもいい。しかし、宗教はそれではいけない」←武蔵さんの考えが「宗教である」と言われるのはこのあたりに繋がる部分です
「布施というのは自分がいらないものを与えるのではなく、自分も必要なものを与えることにある」←ここからは、紹介したURLが説明したい本題ですが、カルネアデスの板ともう一度繋がります
「カルネアデスの板という命題にならうなら、板は自分の命のためにも必要なものである。これを相手に与え(先の男でも後の男でも)、自分の命を犠牲にすることで、相手の命を救うことが、宗教者の意味する真の意味での布施である」←これが、紹介したURLの作成者の結論です。理解できますが、私は宗教者にはなれないですね(^^;)
で、「命の価値は等価である」は、別の見方をするなら、まさにその通りでしょうね。「価値は等価である」ということは、その価値を維持するのには、同じだけのコストがかかる。
一方の価値を生かすためには、もう一方の価値が差し引かれなければならない。命が生きながらえるためには、肉を食い、植物を食う。命を奪い命を食べることが、自分の命を長らえさせることでもある(だから仏教の布施は、食べ物だけを受け取るのですな。本来は)。
となると、「命の価値は等価であるが故に、あなたの命か私の命のどちらかを生かそうとしたら、どちらかが命を諦めなければならない」ということです。「私の命を諦めることで、どうぞあなたの命を長らえてください」というのは、東洋というか日本的謙譲精神に基づくなら美しくも正しいかもしれません。
が、それだと「命を長らえる」「自分が滅びない」と言う目的は果たされなくなります。
つまりは、「謙譲の精神を発揮する」「相手のための譲歩する」「譲歩に譲歩を重ねることで、いつしか自分は消滅する」「消滅を免れようとすると、結局はどこかで譲歩の限界がきて対立は実力行使に変わる」という道をたどることになりかねないが、そこんとこはどうなの? ということなのです。
★譲歩の限界がくると有事が起こる論(http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/jouhonogenkai.htm)
ついでに。100%鉄板で読まないと確信しますが、門を開いておきます(笑)
★善良な宗教的価値観の相違が戦争を呼ぶ論(http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/syuukyou.htm)
★人類はいかなる善意によっても生き残れない論(http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/seizensetu.htm)
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イカフライさん、武蔵さんが言うところはさらに加えてこうでしょうか?
「理念と現実が合致しないのはしかたがない。だからといって、現実に流されていてはいけない。崇高な理念を実現することを諦めることは悪である」
「理念では相手も自分も助かるのがベストだが、現実では相手を死なせて自分が助かる道を選ぶだろう。しかしそれを当然と考えず、戒めとしていけばよい(戒めにすれば許される? 許されないけど戒めればおっけー?)」
「現実に迎合するばかりで、崇高な理念を理解しようとしないのは間違っている」
さきほどの「布施」の話でもちらっと触れましたけど、「自分の命を布施し、私は結構ですからどうぞあなたが助かってください」という行為は、宗教家としては正しいのだと思います(その人の正義に照らし合わせて、その人の判断でしているわけだから)。
が、私はその宗教家の考えやその人の正義(そう考えるに至った仕組みといったほうがいいかも)は理解できます。
が、最終的な価値判断の部分で、「彼か我か」となると、私は我を選ぶだろう、と。
で、「命のやりとりという極論ではなく、食べ物を分け与えるとかそういうレベルではどうなの」という設問に変えた場合も、「自分が飢えない、もしくは飢えても我慢できる(死なない程度に)」という程度の施しならできるでしょう。しかし、「自分は代わりに死ぬから、オレの食料を食ってくれ」とはやはり言えません。
でも特殊条件は付けられますよ。少なくとも「自分の命を代わりにしてでも残したい何か」があれば別でしょう。親なら子供を、夫婦恋人なら自分の連れ合いを、家族を大切な人を……といった具合ですね。
これは、「どこまでを大切な人(またはもの、場所)」と定義できるか? です。
自分の命と引き替えに、世界人類を……というところまで行ける人もいれば、自分の命と引き替えにできるのは娘までだという人もいる。引き替えにできる範囲が狭い人を、広い人が批判するというのもどうかな、と思うわけです。それって、「オレの命は世界の代償にできるほど価値があるが、オマエの命は娘一人分という狭量なちっぽけな価値しかないのか」という意識を生みますしね。(生まないんだったら、別に狭量な相手にしか命をかけられない人を、広域に命をかけられる人がどうこういういわれはないと思いますが)
反戦論はどうしてもそういう「哲学的な段階」をふまえずにはいられません。
が、突き詰めていくと、キリがない。だから、「それは棚上げするとして、政策をどうこうすることで、双方がおおむね同じメリットを受けられるように調整しましょう」というのが、現実社会であり、今している議論の主題なのかと思っていたのですが、違うんですかねぇ。
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脱線をひとつ。
先ほど、「布施について解説しているURL」という形で、とあるお寺の法話のページを紹介しました。
私は趣味として宗教の説話とか法話とか神父さんのお話とかを聞くようにしているのですが、「○○○という姿勢が大事」「できなくても戒めようという気概が重要」「大切なのは結果ではなく今を正しく生きる(ための判断をその都度その都度していくこと」という表現は、あらゆる宗教に共通して登場します。
「人間は弱くて、崇高な理念を掲げても実現できない」「実現できないが、それをしよう、という姿勢くらいはもてば、できていなくてもできた気になり、気が楽になる」ということを教えているわけですね。
つまり、宗教というのは「気を抜いて楽になる」「リラックスする」ために必要なのだろう、と思います。それが必要な人は宗教によって気が楽になるのがいちばんです。葬式、追悼式、ミサといった慰めのための宗教的儀式というのも、気を楽にさせるためのものとして否定しませんし。
ただ、「そういう姿勢をとっていれば、いずれそうなるだろう」というのだけじゃやっていけない。
だから、「そういう姿勢を取るものには、利益を優先して分け与える」に代わっていく。私は戦争と同様、宗教も「政治の一手法」と位置づけています。政教分離が完全にできている政体なんか、そうそうないですから、実際的はずれな話でもないだろうと思います。
「そういう姿勢を取るものに与える利益」は、来世利益型と現世利益型がありますが、「天国の門に入れないぞ、地獄に堕ちるぞ」は来世利益型。「信心すれば生活が楽になり、お金が儲かるぞ」が現世利益型です。
発祥時期の古い宗教は「今の世の中ではなく、未来の結末を約束する」という来世利益型が多かったンですが(今もけっこうありますね)、政治と密接に結びつき、今すぐ効果を見せなければ納得されない時代の宗教は、現世利益型にシフトしていきます。
私は反戦平和運動は、あらゆる意味でこうした宗教と類似点を持っていると考えています。といっても、世の反戦主義者すべてを新興宗教の手先と考えているわけではありません。救済を必要としている人なのだなあとは思いますけど。
ただ、反戦運動が宗教なら、それは来世利益ではなく現世利益型でなければならないのではないか? と思います。
今、目の前の戦争を止めたいわけでしょう? もしくは、自分の死後ではなく、自分が生きているうちに起こる近い将来の戦争を起こさせたくないわけですよね?
それならば、現世に利益のある「効果のある方法」を考えていかなければなりません。
対話をしていればいつかはとか、そういう姿勢をとることが重要とか、戒めが大事とか、そういうことを言ってる場合とちゃうのではないかな、と思うわけですね。
その意味で、「理念」が共有できなくても、「政策」が共有できるよう、何らかの提案がなされれば、無駄にはなるまいと思って居るんですが、通じてますかね?
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>>739
>で、武蔵氏の主張は>>692で端的に示されるように、ある意味『理想』、つまりは『理念』です。
ここにいる人で、誰かその部分を批判したでしょうか?してはいませんよね?つまりは武蔵氏の『理念』は論点になっていないのです。
ヤスツさんは否定しておるように見えるが・・・・?
つまり「すべての人間には平等に「生きる権利」がある」
ということをですが。
最後の部分で裁判の話が出てきますが、これは結果においての話であって
殺される局面に於いては、単に身を守るための行為であるってことも書きましたが・・・
現在のアメリカを緊急避難だとは認められません。
>しかしながら武蔵氏から出てきた「難民処理」とかをみても、到底実行不可能なものばかりです。
不可能と決め付けられるものではない。
ミサイルぶち込んだ後の処理が出来るのなら、事前の処理も出来る筈。
もっと計画的に、より良い方法でね。
これは意見が対立しているだけで、かってに理想論として切り捨てるべき事例ではありません。
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ちなみに、カルネアデスの板については、しっとります。
結構、マンガの題材に使われとりますので。多分、最初に読んだのは、古賀新一の怪奇物だったかな?
30年以上前の記憶であやふやですが。
まあ、私の教養の大半はマンガっす。
>>728
>なるほど、私に「テーブルを蹴られる原因」があるということは、我慢しきれずにテーブルを蹴った人(対話を打ちきった人)より、対話を根気よく続けようとするべく、異質な立場から理解する努力を続けようとすることそのものが間違いである(=対話による事態解決には効力がない)ということですね?
この解釈というか、まとめ方自体がずれまくっているから、武蔵さんなんかもじれてるんですよ。
立場以前に、言っていることが、解っていないというのかなあ。
>それから、「自己の命と他者の命が同価値である」ですが、それは誰から見た場合に、ですか? 前提が抜けてますが。
第3者から見た場合ですね。
例えば、緑さんは、自分の命がイラク人全員の命より、緑さんからみた場合、大事。
でも、緑さんのよほど近しい人以外からみれば、同じでしょう。
まあ、日本人と外国人、というくくりにすれば、より日本人、という人は、結構、一般的な感覚だとは思いますよ。
ただ、基本的に命に優劣ってつけられない。
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>>740
緊急避難論。
一枚の板にすがりついた2人の男が、
板を奪いあって殺し合いをして共倒れになる危険性もあるが(笑)
私はこういう正当防衛や緊急避難について否定しているわけではないのです。
例外的な意味で認める発言をしているものを
その例外を認めるなら「絶対ではない」という形で
「殺す権利はない」という主張をぼかそうとすることを否定しているのです。
「人の命が平等である」という価値観はいったん認めるべきです。
一枚の板に2人の男、飢死をする場合の相手の肉、の場合にでも、
殺し合いをするよりは賢明な方法を考えるべきだし
場合によっては、女子供を優先すると言う男ギが出てもいい。
そういう極限の場合のはなしは、それなりに討論していいが、
いざ実際に極限の場合に直面すると、日頃の言と逆の行動を取るのも人の自然、
あまり意味がありません。
ここでは「人の命は平等である」という考えが、一般ピープルの命を守るという原則だけを主張します。
戦争というものは最も理性的に考えねばならないことです。
今回のアメリカが、平等意識からハルカにかけ離れた行動を取っていることは認められますか?
-
>>744
どうも貴方の読み取り方は独りよがり過ぎます。
ヤスツ氏は>>741-743にあるように、「自分がそういう風にやるのは正直できないよね」と言っているにしか過ぎません。
別に武蔵氏が「そうしたい」のなら、ヤスツ氏としても「それは貴方の自由だ」と言うでしょう。それはつまり論点とはなっていないのです。
そうじゃなくてヤスツ氏が言いたいのは、「それは万人とは共有できないよ」と指摘しているにしか過ぎません(『理念』面では)。
そしてヤスツ氏が自らの『理念』を貴方に押しつけられないのと同様に、貴方の『理念』もヤスツ氏に押しつける事はできません。
であるならば、ひとまず互いの『理念』については理解した上で、棚上げした方が有意義な議論となる、と言う事を僕は以前から主張しているのですが?
それこそが「争いを棚上げする」東洋的叡智ってモノでしょうが。
また僕は現在のアメリカの行為が「緊急避難」だとは一言も言っていませんが?
僕が主張したのは、「『人命が大事だ』と言った所で、実際には『緊急避難』のような難しい場合が出てくる。」と指摘したに過ぎません。
それはつまり貴方の『理念』を現実社会にそのまま適用すると矛盾が出てくる事を意味します。
そういう部分への気配り無しにただ『理念』を唱えてるだけでは意味がないですよ、と言っているのですがね。
最後に「難民処理」についても読み取り方が不十分かつ一人よがり過ぎます。
貴方の案は「貴方が米国の大統領だった場合にのみ」実現可能な案です。現在の大統領であるブッシュ氏が採用するような案ではありません。
貴方の案を実現しようとすれば、貴方自信が大統領になるか、あるいはブッシュ氏を説得できなければいけません。
貴方の案で本当にそれができるとお思いなんでしょうか?僕には到底それができるとは思えないのですが。
貴方がもし自分の案に現実性があると思っているのならば、どうやってそれを『政策』化するのか、その点を明らかにしなければいけません。
それができない限り、貴方の案は「到底実行不可能」です。その辺り、お分かりでしょうか?
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>>747
>貴方の案は「貴方が米国の大統領だった場合にのみ」実現可能な案です。現在の大統領であるブッシュ氏が採用するような案ではありません。
ここんとこが違いますね。
人の命が平等であるという客観的立場に照らし合わせて主張することも
ミサイルぶち込む金があったら、脱国を勧誘して無血解放しろということも
その逆に、アメリカ支持を打ち出すことも
あなた方と私の違いであって、両方ともアメリカ大統領として言っているわけではない意味で同じですよ。
支持するか、支持しないか・・・・いずれも外野の話です。
説得は出来なくても、今よりもっともっと全世界的な戦争反対の声が起きれば
「正義」を振りかざした戦争は、出来にくくはなると思っています。
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>>744
「平等に生きる権利はあるが、その権利を行使できる機会は平等ではない」
ですな。
だから、「ミサイルをぶちこむ以前の処理」について、「できるはず」「できないはずがない」「対話を」ではなくて、「具体的にどのようにすればよかったか?」について話しましょう。
武蔵さんの提案は、「ミサイルにかかる金をイラク国民にばらまいて、フセインの元から去らせる」でしたが、私は「それは不可能だし、彼ら自身にデメリットが大きい」と答えました。
>>745
ずれているとか、わかっていないという気持ちはわかります。わかってほしいなら、「わからせる努力」を。わかりたいなら「わかる努力」を。
私は、「わかる努力」を具体的に示すため、「こうですか? こうですか? こうじゃないならこうですか?」と、確認を取っています。
武蔵さんは、「違う。ずれてる。そうじゃない」と否定するだけで「こうで、こうで、こうだ」という別の説明の仕方は決してとらない。「言葉通りに受け取りたまえ。キミの解釈はいれてはいけない」って、何様ですか?(^^;)
「命に優劣をつけられない」について。それは、「イカフライさんは命に優劣を付けられないという判断を下した」ということですね? その判断が人類共通であればいい、と願っておられますが、「命に優劣を付ける。自分、自分の近親者が大事で、それ以外はそれより後回し」という判断を下す私などとは、相容れないわけですね?
その時点で「命に優劣を付けられない」という考え方は、人類共通ではないわけで、後は「どちらが多数派か?」という検査になるわけですね?(多いほうが人類共通に近い。少なかったら「マイノリティに真実が」ですかね(^^;))
>>746
だから、「例外」が存在したら「絶対」にはならないでしょうが(^^;) 例外が存在しないのが「絶対」なんですから。
「人の命が等価値である」について。人に平等なのは、「死ぬ権利」だけだと思いますよ。拒否しても必ず死は訪れますから。
それに対して、生きる権利ほど不公平なものはないですよね。「権利を保障されても履行されない」という意味において。
生まれの貧富の差、生まれた土地の違い、望まれて生まれる人、望まれずに生まれる人。生きている間はずっと不公平が続く。
人間に等価に訪れるのは、「死」だけです。(その死や生に価値付けをするのは、当人が去ってから。価値付けは当事者には決して出来ないわけですな)
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>>746
貴方は「カルネアデスの板」という寓話の本質をまったく判っていない。
あの話の本質は、「そういう場合での人の行動はその人それぞれだ。でも板を奪った人の行為を責める事は誰にもできない」というものでしょう。
ヤスツ氏が紹介したように、宗教者なら他人の為に自らの命を犠牲にするでしょう。
一般人なら(多分)自分の命を優先するでしょう。
その辺りの選択はその人個人の信条・理念によるものです。
逆から言うならば、人それぞれの『信条・理念』というものは他人から責められたり評価される筋合いはない、という事です。
「命は全て平等だ」という理念も、「自分の命が最優先」という理念も、「自分の命の為なら他人を犠牲にしてもいい」という理念もです。
それらはすべて平等に扱われなければいけません。なぜなら優劣をつける際の具体的・客観的基準がないからです。
だから「アメリカが平等意識を持っていない」と批判した所で、当のアメリカ側がそれを確信犯としてしているのならば、倫理的な批判にはならない訳です。
なぜならアメリカ側の『理念』と武蔵氏の『理念』を客観的に優劣をつける基準がないからです(この話の文脈上は、ですよ。実際には色々な批判の仕方が可能でしょう)。
で、こういった類の議論ではそういう『理念』の優劣を争っても大した意味が無いわけです。
アメリカ側の行為に理解を示す人と反戦運動をする側の人の間には『理念』の共有が無いからです。
ここで「互いの『理念』の擦り合わせ」をするのも一つの手です。しかしながらそれには余程根気良く、かつマナーを守ってしなければならないでしょう。
それでいて、必ず『理念』の擦りあわせができる訳ではありません。精々が、「互いの『理念』については争わない」程度の結論しか得られないでしょう。
であるのならば、ひとまずは『理念』を棚上げする方がより有意義です。
とりあえず『政策』について論じるのならば、それは比較的客観的に評価可能です。だからそこで議論をすべきだ、と以前から僕は主張しているのです。
「現在の反戦運動の方法はどれ位効果があるのか?」だとか、「難民処理をどうするのか?」だとか、「戦争が起こり難い体制はどう創ればいいのか?」だとか、
反戦の『理念』を共有しない者との間とでも議論が成立する議題は沢山あります。
それを捨てておいて『理念』だけを議題にするのは、「ためにする議論」にしか過ぎないでしょう。
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>>746
カルネアデスの板(難破船の二人)に制限して考えてみましょう。
板は1枚しかない。人間は二人いる。助かるのはどちらか一方。一方は助からない。
さて、「賢明な方法」を考える、ということで合意したとして、「どんな方法が賢明なのか?」についての具体案は? どちらか一方は助からないが、それをどうやって納得するか?どちらが助からない方を選ぶのが適切か? 助からない方を選ぶ方法として、合意できる方法は?
極限状態にあっては、「タイムリミット」が存在します。どちらかが立ち泳ぎをし続ける「体力」がこの場合のタイムリミットに相当します。
ここからアメリカとイラクの話に戻すので有れば、「タイムリミットを設けたのは国連」「イラクはタイムリミット以内に国連決議に従わなかった」になるんだと思うんですけど……
で、人の命は平等かもしれないが、平等であることは何の努力もなく保障されることなんですか?
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>>748
そのへん「説得は出来なくても……」というあたりが、宗教なんですよね。>>743で触れたように……。
「説得はできなくても、そうあるように心がけるべきだ」は、宗教の在り方なんです。
武蔵さんが、「人がどう考えようとかまわない。自分はそう信じる」と言い切るなら、そういう信心もまたありかなと思います。
が、「これが正しいのだから、皆もそうするべきだ」と言った瞬間に、「オレはそうは思わないな」という人との衝突が起こりうるのではないかな、と。
そうなったとき、「これこれこのようにすれうば、自分が言ったことが実現できるよ」という説明ができ、それを聞いた人が「なるほどな。他のヤツにも教えるよ」となれば、世論が形成されていくことでしょう。
しかし、武蔵さんの言葉を直に聞き、そのまま(つまり自分の言葉への置き換え)ができないようなお題目ともなると、理念・理論を具体案に一般化させていくということができないでしょう?
それでは、武蔵さんの主張は結局は「悟りをひらいた者にしかわからない」教えとやらと同じなわけで。そのへんをして「宗教だ」と言っているのです。
それこそ、逆に「方法論を示し、その方法論の正当性、具体性、実現性を証明することで、その方法論の根拠になっている理念の正しさを証明する」分には、それこそWelcomeです。
ですが、「理念の正しさを根拠に、方法論を論じる」というのは、理念を共有できない時点で無理がないかい? そのために理念を強制することになるんだったら、それは別の対立を生むだけでないかい?といいたいわけですが。
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