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イラク攻撃、日本はどう出る? どうする?

741ヤスツ</b><font color=#FF0000>(CnaUXqoo)</font><b>:2003/04/11(金) 16:32
【カルネアデスの板】
http://www.fugenin.com/houwa/03.htm

↑のURLでは、仏教系の宗教家が、「布施の意味」を教えるためにカルネアデスの板を引き合いに出しています。
要約しますと、
「法律の世界では、カルネアデスの板においては【板を守るために、先にいた男が後からきた男を殺した場合】も【後から来た男が、先にいた男の板を奪うために相手を殺した場合】も、どちらも正当であるとされている」
「法律は自分を守ることが最優先課題なのでそれでもいい。しかし、宗教はそれではいけない」←武蔵さんの考えが「宗教である」と言われるのはこのあたりに繋がる部分です
「布施というのは自分がいらないものを与えるのではなく、自分も必要なものを与えることにある」←ここからは、紹介したURLが説明したい本題ですが、カルネアデスの板ともう一度繋がります
「カルネアデスの板という命題にならうなら、板は自分の命のためにも必要なものである。これを相手に与え(先の男でも後の男でも)、自分の命を犠牲にすることで、相手の命を救うことが、宗教者の意味する真の意味での布施である」←これが、紹介したURLの作成者の結論です。理解できますが、私は宗教者にはなれないですね(^^;)

で、「命の価値は等価である」は、別の見方をするなら、まさにその通りでしょうね。「価値は等価である」ということは、その価値を維持するのには、同じだけのコストがかかる。
一方の価値を生かすためには、もう一方の価値が差し引かれなければならない。命が生きながらえるためには、肉を食い、植物を食う。命を奪い命を食べることが、自分の命を長らえさせることでもある(だから仏教の布施は、食べ物だけを受け取るのですな。本来は)。

となると、「命の価値は等価であるが故に、あなたの命か私の命のどちらかを生かそうとしたら、どちらかが命を諦めなければならない」ということです。「私の命を諦めることで、どうぞあなたの命を長らえてください」というのは、東洋というか日本的謙譲精神に基づくなら美しくも正しいかもしれません。
が、それだと「命を長らえる」「自分が滅びない」と言う目的は果たされなくなります。

つまりは、「謙譲の精神を発揮する」「相手のための譲歩する」「譲歩に譲歩を重ねることで、いつしか自分は消滅する」「消滅を免れようとすると、結局はどこかで譲歩の限界がきて対立は実力行使に変わる」という道をたどることになりかねないが、そこんとこはどうなの? ということなのです。
★譲歩の限界がくると有事が起こる論(http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/jouhonogenkai.htm

ついでに。100%鉄板で読まないと確信しますが、門を開いておきます(笑)
★善良な宗教的価値観の相違が戦争を呼ぶ論(http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/syuukyou.htm
★人類はいかなる善意によっても生き残れない論(http://hunbook.hp.infoseek.co.jp/column/seizensetu.htm




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