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明主様
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慢心の話
『慢心取り違い』(昭和26年御発表)
『大本教の御筆先には慢心取り違いを一番戒めているが、全くその通りである。
だからこの言葉を頭に入れて、信仰をよく見ると、思い当たる点が誠に多いのである。 浄霊の場合 慣れない最初のうちは、自分にそんな人の病気を治すなどの力があるのだろうかと、おっかなびっくりやってみると、案外良く治るので不思議に思うと共に、
治った人は非常に喜び、お陰様だと言って感謝する事は誰も経験するであろう。
そうしているうちに、※いつしか自分の最初の神様のお陰で治ったという事が、忘れがちとなり、自分に もしかしたら、偉い点があるのではないかと思う人もある。
ところがこれが※立派な慢心であって、この時が最も危険であるから、大いに警戒しなければならない。
(中略) この原因は、全く御神書の読み方が足りないからと共に、読んでも実行してないからである。
二つの重要な事を書いたが、これが根本的に分かり、実行ができる人であれば、
本当の信仰の線にそう訳である。』
(御神書 拝読、自分の過ちを、猛省、利他の実行。)
(このみ教えが腹に入っている人。拝読 、実行で、外れないと、 あります。
この人達の、まあこれくらいは、という慢心、 人が見れば見える、個人差ある。 これは第三者には分かりません。)
『これも慢心』(昭和26年、御発表)』
『(前略 )本教はいつも言う通り大乗信仰であるから、世間並みの考えとは大変違っている。
その点が認識できないと、神様の思し召しにかなわない事になる。
(中略) みんな誠の人ばかりである事は、よく分かっている。ただ単に※誠と言っても、大きい、小さいがあるから、気をつけなくてはいけない。
私が常に言う小乗の善は、大乗の悪であるという意味である。いかに善でも、誠でも小乗の考え方では結果は悪になるのである。( 中略 )
今一つ言いたい事は神様の御経綸は実に深いもので、到底人間の目や頭脳では分かりよう筈がないので、
大本教のお筆先にこういう文字がある。
?神の奥には奥がある。そのまた奥の、奥の仕組みであるから、人民には分かりよう筈がないぞよ?
(後略)』
佐藤さんの投稿、 我よしの 慢心はダメ、 自分で自覚して、猛省をする。 改心の余地のない処までいく。
小さな覚りですよね。
こういう人が天国人の資格なのでしょうか。
白ぽっちさんは、 主観に囚われない 、自分を外から見れるようにと。み教えがある、第三の自分を作るです。
これも右と左に偏らずに、中心から見る、 第三の眼。
やっぱり伊都能売ですね。
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秀明支部月次祭
2月8日は神慈秀明会 拠点の月次祭でした
内容は 神慈秀明会が 世界救世教から離脱をする時、活躍された岡田美恵子先生の50年祭 、新しく本が出ました 。
先生の特集した本です 。徳島出身、結婚されハンサムなご主人は病死される 。先生は裕福な家庭で育ち、小磯良平という有名な画家が、絵を教えに来ていたそうです 。 先生は多趣味で、
しかし 脳性麻痺のお子様がおられ、 これで入信が許され、明主様からお子様が御浄霊いただかれ 、神慈秀明会の浄霊の眉間と脳天の 、きっかけを作られた先生です。
当時を知る お二方の先生が、状況をお話しされ、
二人目の 小栗先生 、お歌?生きるも死ぬも訳あり ?岡田美代子先生は 事故で亡くなられましたが 、葬儀の時は綺麗なお顔、鈴の音が聞こえてきたそうです 。
会主様は「美恵子さん、びっくりしたでしょう。」急にそっちへ行ったからと思い 言われたとありました。
世界救世教が神慈秀明会、(秀明教会)の離脱を妨害し、小山親子をブルトーザーで轢き殺せと 、祭典の時に当時の K合総長が話したと おっしゃってました 。
美恵子先生が身代わりになられたと。
世界救世教は一元化をして、四国地区本部、九州、関東、北海道となり元秀明信者が、組み込まれ、別れ別れに 、その時に秀明教会が離脱をして、
新しく新聞を作り、経緯を皆に説明をしていきました 。
その時 に 世界救世教の 妨害が
これはすごかったと、日民同、松本明重の 率いる右翼団体 のバッチをつけた世界救世教の青年信者が、
1日2000円の日当で 、やっていると言ったそうです 。
信仰から分かれたら、こんなにズレるものかと。
また 立春祭、玉男先生は 昭和29年に出された。み教えの『エンマ大王、艮(うしとら)金神の、この世の閻魔として現われるぞよ。
これから世界の人間を審判される、金神は火の系統、御光が強くなる、隠蔽(いんぺい)が出てくる。
薬毒がはっきり出てくる』を説明されました。
支部長先生は雨宝童子を拝観されたそうです。 これは天照大神が16歳の少年の頃、元服後の御姿、雨宝の意味は 雨のように宝をくださる。
箱に「国常立尊」と書かれてある 。 現界を審判される型を示された。我々は救われる側ではない。救う側ですと 話されました。
下の写真は当時川合総長が出した「世界救世教物語」。仲良く日民同のボスと教団を掌握したという事でしょうか。写っています。 信仰経験がない人間が指導者として、入ってくるんですから、 お光を メダルにしたのも、 この人物であると、??取材した人が ネットで公表してましたね。 教団に悪魔が入ってきたと、会主様は書かれてます。
ここから世界救世教団の混迷が始まります。そして救世会館の取り壊し、そして、その前に救世会館で ブルトーザーを使った傷害事件、 挙句の果ては お孫様がキリスト教団を作るんですから。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004914.jpg
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福岡甲児 著作集(5)
1986年、昭和61年8月8日救世会館熱海 から、
抜粋、 皆さんこんばんは、ただ今から信仰の語らいの時間に入らせていただきます。 今日は「新生時報」や「光明」新聞でお馴染みの、編集委員長であります、福岡先生にお話しをいただきます。
抜粋、
「 それから善言讚詞の方も同じでございますが、 善言讚詞で、中の意味がわかっているだろうか、今まで何か口の先だけでバーバーアとあれ面白いもんですな 。
私はお寺の出身なんですよ。 お寺の小さいこんな小僧だったんですよ。そうするとお経というのを覚えさせられる。
お経というのは難しい漢文ばかり書いてある。
あんなの頭の中に入りません。そして長いんですね。何を覚えているかと言うと、あれ口が覚えているんですよ。頭で覚えているわけじゃない。意味がわからないでしょ、そうすると何かって言うと、なんべんもなんべんもやっているうちに、こうやって口がひとりでに動いて言っているんですね。
それで口で覚えている 。だから今でも覚えている、やろうと思ったらやりますけどね。それでそれを途中で綺麗な女(ひと)がいるなんて思うでしょ、そうするとパタっとお経が止まっちゃうんですよ、そうすると出てこないわけです。同じところをくるくる回って、汗かいて恥をかきますと、そういうことがあったんですよ。」
(質問)
先生よろしいでしょうか、明主様の御教えの中に 世界救世教は世界の型を表すという意味の教えがありますけど、今回の(教団)浄化についてそれはどういうことなのか、先生のお考えを教えていただきたいと思います。
(司会)今の質問はまたの機会に、その他にいかがですか、皆様の方からございませんようでしたら、
先生の方から特によろしいですが、なければ座談会です。いろんな今までいただいたことを拠り所にしながら、お話し合いをさせていただきたいと、こんな風に思いますので、一応これで語らいの方は終わらせていただきます。 どうもありがとうございました。どうもごめんなさい。
(ここで 大切な質問が 司会者によって封殺されてますね。(一番))
平成2年8月、氏の「弱者を強者に」から、
「 宗教を叩けば発展する、昔から宗教を叩けば発展すると言われています。このことは信仰の本質に関わる重大なことだと思われますので、
この意味を考えてみますに、叩くということは圧迫、迫害、非難、攻撃、妨害等を指しますが、なるほど今日まで大を成した宗教ほど例外なく、また西洋東洋の別なく受難の歴史を持っております。(中略)
鍛えられ、揺らないものになっていく事は事実です。
この意味で信仰は叩かれれば強くなり、強くなっただけ根を張り、根を張っただけ大きく太っていくものであり、結局宗教は叩けば発展するという事になります。」
抜粋 、「さてご浄霊に入って参りますね。ご浄霊でも同じですね。色々皆さんはたくさん経験をなすっていらっしゃいますし、またこれからもしていかれるはずです。
あらゆるあちらの方( 世界救世教 東方の光教団)で形でやっていたご浄霊と、こちら( 世界救世教いづのめ教団)のご浄霊ではそういう意味では、当然変わってこなきゃいけない訳ですね。これはどう変わってくるかということを一言で云々するということではございません。
皆さんがご浄霊なさる時に、その心がけてご浄霊と何年も同じようにやるご浄霊と内容が違ってくるということ。
これからは是非お考え頂きたいと思います。」
( 申し訳ありませんが、
この文章の前後を読んでも、何をおっしゃりたいのかが入って来ない。言葉が長い、 急所をおっしゃってない。
昭和29年御在世当時から栄光新聞に 書かれておられたそうですが。 本当にどうでもいいことを長々と述べておられると 思います。
これを私に読めと 本が送ってきたのですから 、尚更 厳しいものを感じます。)(一番)
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慢心
自分の投稿内容を、皆さんがどう解釈するのかは様々だと思うし、どう受け取ってもらって
も全く構わないんですが、1番さんが個人的に受けた印象を、1番さんの表現で感想述べて
もらった事によって尾ひれ的誤解釈が拡がるのは避けたいと思うので付け加えますね。
基本、私は語彙力が足りないから、つい長文になりがちで、結果伝わらないという部分が
ある事は良く自覚しているつもりですが、これは中々治らないもんなので勘弁して下さい。
>我よしの 慢心はダメ、 自分で自覚して、猛省をする。
ダメな慢心は独り善がりで、その状態に陥ると、周りのダメな所、悪い所、間違ってる所に
ばかり意識が向くもんです。以前にも鏡合わせで説きましたが、周りにダメなやつが多く
観えている状態。その状態がヤバいんですよね。その独善を「我よし」で表現しました。
それから、ダメなほうの慢心に陥っている最中に、自分で自覚する事は不可能に近いです。
信仰を長年やっていれば、多かれ少なかれ体験あるでしょうから伝わると思いますが、
無意識のうちに陥っちゃうもんだし、いつでも気付くのは、やっちまってた後ですから。
後悔先に立たずとは良く言ったもんで、何事も、間違えない様に気を付けていても間違え
るもんなので、失敗を何度か繰り返し、自分なりのコツを掴む以外には無理なんですよね。
ただ、自分が本物を目指してさえいれば、気づいて我に返った時に、猛烈に恥ずかしくなる。
超恥ずかしいという想いが込み上げるからこその、結果として「猛省に至る」の順序です。
そういう意味からも、
>改心の余地のない処までいく。
改心の余地のない処まで行けたか否かを自分で判断する事は不可能。という事です。
いつになっても伸びしろある可能性が常にある。だって、後から気付くもんなんですから。
ちなみに私流のやり方ですが、周りの人に指摘をお願いする方法を選びました。それを
きっかけとして、深く内観・精査する。その両面の視点のセットが一番最短で気付ける。
外からの指摘や批判に腹が立つのはヤバいサインですね。これは間違いない(体験から)
長くなっちゃうので一旦区切ります。
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続きです。
>こういう人が天国人の資格なのでしょうか。
これもまた鏡合わせの話になりますが、周りに可哀想な人や救ってあげたい人、何とかして
あげたい人が多ければ多いほど、自分が地獄の霊界に居ると思ってます。地獄に落ちている
という表現より、地獄に降りて行って、落ちている人を救いあげようとしている状態を
イメージしてもらえれば伝わるかと思いますが、周りを見渡せば悪だらけ=地獄層です。
自分が天国の階層に居たら、周りもみんな幸せに包まれてますから、残念ながら?救う人は
一人も見当たりません。天国では暇過ぎてつまらないので、地獄へ降りて行って救いをやる。
ちょうどそんな表現からイメージしてみたほうがしっくりくるかも知れません。
世界メシア教の事は、この掲示板での内容しか知りませんが、あぁ、確かに「天国の型」は
やってるなぁ〜。ってのは思ってました。「救世教から一厘(四代教主)が表に出るの型」
まで演じてます。あ、因みにこれは、正解不正解を言ってる訳じゃないですよ?念の為。
そういう私自身も、これからわざわざ自ら地獄に落ちて、人救いに本腰を入れてみようかな、
と考えています。その為に先ずは「救いについて」みなさんと色々会話しながら、もっと
もっと具体的に自分自身の軸を煮詰め。。。と思っていたのですが、この話題に反応を返して
くれたのが、白ぽっちさん唯一人という、とても予想外な現状を体験しました。
人を救いたいというその想いが本物だと自負出来るのなら、明主様にお使い戴きたい想い
が真剣なら、先ずはみんなで共に自分の中心軸となる想いを煮詰め定めて行きませんか?
世界メシア教はもう天国在籍だから良いとして(笑)それ以外の教団の団結を待った処で
無理なのはもう観えてるでしょう。志ある者同士が力を合わせるってのはどうですかね。
教団に所属・無所属関係なく。それこそ他宗教だって無宗教だって全然イイと思ってます。
1番さんの投稿に対し補足、からの、いつの間にかこんな話に変わっちゃってますけど(笑)
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福岡さん
確か T 先生とは 一度お会いして勉強会で あの時、本の話をされていて、私は救世教はタダで本を配布する時があるのでこれはおかしいと、 一度掲示板に書いてあの時、先生が 少し笑みを浮かべて 、あの時は50人ぐらい いたんでしょうか 、今日は本は お金をいただきますと言って 、本のお金を お支払いしました。あの時に?あれ、この先生は掲示板見たな?と思ったんですが、違うかもしれませんけど、
何年も前の話ですので、記憶で書いているから間違っているかもしれませんが 、あの時確か90歳とおっしゃってませんでしたでしょうか?
二代教主様をご覧になられて、ついて行こうと思ったとおっしゃってました。
本当は隠居して悠々としておられたらと思うんですが、教団、信者がどんどん抜けて行ったので 、存続の危機を感じ駆り出された。ご自身も使命感を持って出てこられた。
今回、
300ページが5冊送られてきました、これはコピー屋で製本してもらった ものでものですね。
簡単に作ってある 、私も作ったことあるからわかるんですが、 令和3年に 作られたとあります。
最近ですね 。福岡先生は大正13年生まれ 、1988年に 63歳で帰幽されてます。
最後 に発行者の、T 先生が「後がき」を 書かれてます、
抜粋、 水盛煌士を最初に知ったのは、北海道の教会へ専従して間もない頃で、福岡甲児著作集、第五、 一部冊にある。「この道を求めて」であった 。
「世界救世教に、こんな人がいるのか、」その感動を今でも覚えている。
救世教の機関誌等での文章は、教祖のみ教えは別として、 先生方の布教体験にしろ 、信徒の奇跡体験にしろ、パターンが定まっている中で、 客観的な視点で学問的なことを交え、信仰求道の文は ものすごく魅力を覚えた。(中略)
晩年の福岡さんに 、なぜ福岡さんが求めておられる宗教的な事が、 多くの人に理解されないのですかと尋ねた事がある 、「それは無理だよ、※ 義父( 渡辺勝市)ですら最近まで俺が何を求め、何をやっているか分からなかったんだよ・・」との返事だった。
(中略)
昭和58年 、「教祖御生誕祭100年奉祝の年」を、
※( 神慈秀明会では教祖殿 建設 、「御生誕100年祭」があった)
終えようとする頃、教団には不穏な空気が漂い、 6億円の金銭疑惑をきっかけに教団紛争が勃発した。
やがて3派分裂へと進むのであるが、(中略)
このような視点で紛争(浄化)の意味をとらえている人はいなかった 。互いに相手の不正をあげつらったり、攻撃合戦で今後の教団はどうなるのか、どうあるべきかなのか、不安焦燥の中で悲愴感まで漂っていたところで、 誰も浄化紛争の意味も、どう進むべきかも示されていない時です。そのような異様な教団の中で、福岡さんはただ一人泰然と達観しておられた。」
(T 先生はこの掲示板をご覧になっている 。お立場上、投稿はできませんか 、教団の混乱を書かれてました。)
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(無題)
>天国では暇過ぎてつまらないので、地獄へ降りて行って救いをやる。
似たような話は成功者の伝記でよく聞く。
若い頃の目的はまずは社会的に一人前になることで、
功なり名を遂げると、教育や寄付など利他愛的慈善活動が残りの人生の生きがいになる。
自分の経験が人生の後輩(年齢ではなく、経験)の役に立つと本当に嬉しいもの。
また、必ずしも功⇒利他愛の順ではなく、
同時進行の典型的な例の一つが信仰。
天国に行ってからでもよし。
まだ天国に行けてなくてもよし。
タテで思いを定め、
ヨコで行動していきたいですね。
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謎の物質 EM?
《新興宗教団体から政治家マルチの教祖まで、謎の
「万能救世薬」に群がる魑魅魍魎(ちみもうりよう)の世界》
斎藤貴男(ジャーナリスト)
「岡山県浅口郡船穂町のマスカット農家・ 浅野年彦(52歳)が、 その異変に気づいたのは昨年8月11日の事である 。自宅の近所で奇妙な乗船工事が始まったのだ 。「道路工事だと説明されましたが、ゲートボール場を作るようにも見えました。でもどちらでもなかった町は EM 堆肥プラントを立てていたんです。」
EM とは Effective 、Micro.organisms 略で有機微生物群と訳される。詳しくは後述するが、 食料不足を始め環境、エネルギー、難病など地球上のあらゆる問題を解決する?万能の救世薬?なのだという。
このEMを、例えば米糠(ぬか)や、もみ殻 にまぶし発酵乾燥させて作った粉末( EM ぼかし)を家庭用の生ゴミに混ぜて密封すると、 上質の有機肥料になると言う。
件(くだん)のプラントは、処理、回収されてきた生ゴミに大根の葉などの農業残渣を加え、熟成させて堆肥化し、農家が使いやすいようにペレット(塊)に加工する工場だった。
年間約280トンの生ごみを原料に、約100トンの堆肥を生産する計画。 町長の土井博義は、 かねて環境問題に関心をよせ町の中長期計画にも盛り込んできた。
中でも「 EM 、FUNAO」と名付けられたリサイクル作戦は、まさに EM を活用したエコシステム農法の実現をうたっている。
計画の中核をなす堆肥プラントは目と鼻の先の水島臨海工業地帯、大製鉄所を要する川崎製鉄の関連会社、川鉄物流に発注された 。それから建設に至る経緯はしかし、ビジョンの美しさと裏腹に伝統的な土建や、行政の手法そのものだった。
町当局は着工から1ヶ月余りが経過した9月20日 、EM による生ごみ堆肥化の先輩格である.福井県武雄市の「(有)イーエムワールド」を地元住民に見学させ、芦原温泉に一泊させるツアーを組んでいる。
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謎の物質EM?
参加者たちは越前大仏を見学し、コンパニオン付きの宴会も楽しんだ。 計画の全体像が正式に明らかにされたのは、それから1週間後のことだった「 地元説明会の前に接待ツアーがあったんです。まるで原発誘致のようなやり方。 その後町長とも会いましたが 話してくれるのは一方的なバラ色の夢ばかり私のことは眼中にないようでした」(浅野)鶏尾地区と 呼ばれる周辺の一帯には、もともと不燃物の処理場が立地している。杜撰(ずさん)な 運営が続けられ地元住民たちは長年、異臭や、煤煙、汚水に悩まされてきた。
船穂町は 全国でも1、2を争うマスカットの産地だが、この上肥プラントまで建てられてしまっては、 鶏尾のイメージは地におちる。
そこで今年2月 、佐野はじめま17世帯45人がプラント建設反対を申し入れたが、町は強硬だった。
地縁、血縁に支配される村社会。反対派は たちまち切り崩(くず)され、6月にはプラントが完成して、稼働を始めた。
製品のペレットを地元農協が使うことも決まった。
それでも抵抗を続ける浅野は、ある日 町の職員に小冊子を手渡された 。「これを読めば 、あんたも EM の良さが、わかって賛成してくれるはずじゃけん 」『救世自然農法と EM 技術』を題された小冊子の内容に、浅野は驚いた。 そこでは EM が?神からのプレゼント?と形容され、 新興宗教団体である世界救世教の教祖、岡田茂吉(故人)が創始した救世自然農法の普及活動の一環である 旨 が明記されていた。
※( ここではEM 菌は岡田茂吉教祖の発案であるかのように なっている。 明主様のみ教えが歪曲された 一つであります。)続く
「 諸君!」1996年12月、文藝春秋社から
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EM
昨夜は 神慈秀明会の新聞の勉強会に行ってきました。 私を含め3名でしたが、 1日3回ありますから、 コロナもあって そこで雨宝童子の ことが説明されました 。
隣では青年たちの 勉強会をやってました。
1時間程で終わり、 下に降りていったら 男子の奉仕者が私に「天照大神の地元に遺跡があると、君は言ってなかったか?自分も行ったことある」と聞いてきました 。( ここは平原遺跡と言って数千年前の遺跡が発見され、日本で1番大きな鏡が出土され 、柩や勾玉が、展示。学者の一説として、天照大神の墓と書いてある。 断定はされませんが、光の玉を見る人がいたと、地元の人に聞いた事あります。)その場所をネットで確認して教えて、
自然農法の 注文野菜を取りに行きました 。
私は月に2回頼んでいるので 、昨日はじゃがいも 、青菜、人参 、さつまいも 、里いもが来てました。
次回は納豆と豆腐も来る、楽しみです 。
自然農法の加工品もたくさん販売、自分で勝手に、物が置いてありますので 持って帰って、お金は箱に入れ、または請求が来月に入る。ありがたい。 こうして 純粋な
自然農法の作物が出来ているのに、なぜ EM を使わなければいけないのか。
私は1年、世界救世教いづのめ教、 EM 米を食べましたが、??EM を入れていないのと、比べたら、EM使用は匂(にお)いがする。EMなしは匂いがない。
明主様は肥料を入れるなと書かれてあるのに 、( 肥料に害があると)、 世界救世教 EM は肥料ではないと入れている、 これが本家なのか
世界救世教、どうしても理解できない。
世界救世教 サイトで EM のコーナーがあります。??離脱教団はこれを認めません。
明主様御在世当時まで戻さないと
これから 国常立の裁きが行われ、誤りが正される。 彼らは気付いていない。
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元は自分達にある。
明主様のお孫さんが、 世界救世教 からキリスト教に 傾倒した、世界メシア教を作りました。そして離脱する、
そこに多くの信者が移っていったので、 いま世界救世教は 混迷にありますが 、そこで彼らを引き戻すために、こちらが本家である、本当の教えをやっていると 訴える、そちらは浄霊もなくなり、なぜアーメンと唱えているのかと 。
裁判まで起こしていますが 、お歌 紹介で、ありましたね。
? 馬鹿野郎!よく考えれば俺のこと?と。
福岡さんの本を 目を通した時、 この人は魅力があると T 先生がおっしゃるが、 型破りを していたということですね。
俺は渡辺勝市氏の 娘の旦那であると、 何か 因縁で結ばれたんでしょうが、
あの人の文を読んでいたら、本当に信仰をじゃないですね。自分の生き様を書いているだけで、 そこに信仰が少し入っている。
その破天荒が面白いと感動したと、T先生はおっしゃっている。
いやそんなことはない!ちゃんと信仰があると、
言われるかもしれませんが 。
多くの人は、福岡さんを受け入れられなかったとありました。
世界救世教、瑞雲郷で明主様のことを書かれた本を、何冊か 購入しました。以前、
しかし内容が無いので 腹が立ってきました。
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現象(=神)に学ぶ。
前にも少し、とあるテレビ番組を観ていて気付いた事で書きましたが、一般人5人程度
だったかな、悩み相談の実態VTRを流し、問題解決の専門家に回答を求める番組だった。
その専門家(相談員)も確か各分野で5名ほどいた様に記憶してますが。
VTR視聴後に、この問題は何々先生が専門ですかね、いかがですか。的なやりとりでした。
開口一番、そもそもこれはどこにも問題はないですね。と言う回答を複数回観た時に思った。
【どこにも問題はないと思える人にしか、その問題を解決に導いてあげられない】という事。
最近のSNSとかでも、何かあるとすぐ炎上みたいな流れがあるみたいですけど、
それは問題だ!と騒ぐだけの人には、それを解決へと導いてあげられる力量はありません。
逆に言えば、問題解決出来ない故の怖さ恐れから、精々騒ぐ事しか出来ないとも言えます。
要は、【何も問題など無いと思える人だけが、解決へと導いてあげる事が出来る】って事。
相談員になぞらえれば、それまでに数々解決してきた体験を持つからこそ問題は問題じゃ
なくなってくる訳で。自分らにしてみれば問題でも、明主様にとっては何も問題じゃない
とか、他にも色々と過去の記憶からも検証してみれば、合点が行くであろうと思います。
で、何が言いたくてこれを書いたのか。ですが、一つは、あれが問題だこれが問題だと騒ぐ
自分自身の立ち位置というものを冷静に把握する事も結構大切だと思っているのと、
実は起こっている現象自体には、そもそも最初から問題など、どこにも無いんだという事。
これは少し前に書いた「正神に奇跡無し」や「万に一つも偶然は無い」とも繋がる話ですが。
それからもう一つ、ここ最近自分自身の問題として、もっと本質に迫りたくて、
【本質】についてあれこれ求めている中で、何カ月か前に初めて知った事なんですが、
本質の対義語は【現象】でした。(知ってる人は普通に知ってるんでしょうけど(笑))
人はとかく目に見える現象にばかり囚われて、つい本質を見失いがちになる。という事は
以前からも常々感じてはいたんですが、本当にそういう事だった(笑)というお話です。
現象を自分の外側、本質を自分の内側としたら、全て問題の答えは自分の内側にしかない
という事も、内観がどれほど重要な事なのかも、全部繋がってくるであろうと思います。
目には見えない外側の邪神に対して鬼は外、をやる想念のズレなんかも含めてね。
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(無題)
現在眼の浄化を通して、色々感じています。
自分は教団を離れて個人で信仰しているつもりだったけど、
タカシさんの言を借りればそれは現象(主観)であり、
周囲の明主様信仰者の方に色々な助けを戴いている。
本質(客観)的には助け合える仲間と共に信仰しているんだと。
こちらの掲示板もそうですね。
また、信仰歴は30年を超えたけど、
信仰そのものはまだまだ初期段階であることも良く分かってきました。
奉告の概念が薄い。
神様に向き合っていない。
ヨコはあるけどタテがない。
神様は信じないけど善行はしたい人、に似ている。
今は、神様は全てをご存知なのだから、
50の手習い?的にイチからタテ(だけじゃないけど)を勉強しているところです。
思えないことを無理に思うことはしません。
型から入る、やり方もあります。
現象から入る。
これも時所位で長所短所あり、
信仰歴が短い人には手っ取り早いことも多そうですが、
信仰歴の長い人は、直接本質に迫る方が良い場合は多そうです。
>問題は問題じゃなくなってくる
経験、とも言えそうですね。
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謎の物質EM?
・( どうぞ皆様の掲示板です、 存分に意見交換されて下さい。 私は話を途切らす気はありません。勝手に投稿をします)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※
《EM 開発者の?確信?》
「 EM 農法で作った米の上にタバコを乗せるとニコチンがビタミンに戻るんです 。マイルドになる。
コーヒーも同じ、安い焼酎をこの米の中に一晩入れておけば、 たちまち?下町のナポレオン?に早変わりします。
車のガソリンに混ぜれば15%の燃費はすぐに節約できる 。排気ガスも綺麗になります。 一酸化炭素が1/100に減りますから、排気ガスをホースで車の中に引き込んで、自殺するなんて事も出来ないくらい、 EM から精製した emx は末期癌や、 C 型肝炎に効果が高いんです。
これを飲んで白血病が治ったとか、原爆症が良くなったなんて話もたくさんある。 あらゆる病気は酸化作用ですが、 EM に含まれる微生物はみんな抗酸化性を持った蘇生型で、 酸化の原因になるフリーラジカル(活性酸素)の発生を抑える効果がありますから、
EM を撒いた土の上に、むしろを敷いて寝るだけで病気が治ります。 狭心症で心臓が30%しか動かない人が実行したら、元に 戻りました。
俗に言う、?イヤシロチ?(癒しろ地)とは、こういうものかと思いました。 対極が?ケガレチ?汚れた土地ですね。 巧みな話術で聴衆を惹きつけるのは、琉球大学農学部教授、比嘉照夫(55歳)である。 大学教授の他に(財)自然農法、国際 研究開発センター理事、 (財)地球環境 財団理事長 、(財)日本花の会、技術顧問などの肩書が並ぶ。
EM の開発者として近頃は、超のつくほど有名になった。
《北朝鮮にも 普及 の勢い》
化学肥料や農薬に変わるだけでなく、米なら3倍、ミニトマトなら10倍という驚異的な収穫をもたらすと言う 。病害虫を遠ざけ、益虫を招く性質を持ち、土壌改良効果もあるので、連作も容易にする事としている。
この土地、糞尿が浮く水を飲料水に変えるほどの、
水質浄化作用がある。コンクリートの劣化や金属が錆びるのを防止する力がある云々、( 中略) 沖縄 の「 EM 研究機構 」との間で利益の5%は社会還元する旨を約束する契約を交わらせているそうだ。」
……………………………………………‥‥‥‥‥‥‥‥………………‥…‥‥
(み教え)
※『 私の書いたものを見てその通りにやる事です。
他の事をちょっとでも、してはいけないのです。
ところがどうも今までの習慣や、言い伝えにとらわれがちなのです。』
「み教え集」第19号(昭和28年2月7日)
『(前略)稲の弱体化である。ではこの原因は何によるかと言うと、これこそ※肥料という毒素の為であると言ったら唖然として開いた口が塞がらぬであろう。 何しろ今日までの農業者は、肥料を以って農耕上不可欠のものと信じ切っていたからで、この考え方こそ、農民の低い知識と、科学の盲点とのため、肥料の害毒を発見できなかった為である。』
「日本農法の大革命」昭和29年1月27日)
『本農法に限って技術は大して重視する必要はない。常識で考えただけで沢山である。何よりもこの原理の根本は肥料の毒を早く消滅させて、土自体の性能を発揮させれば良いからである 。』
「自然農法の勝利」(昭和27年7月2日)
『無肥料の技術の工夫によって生かしたものです。』
「 み教え第」第27号 (昭和 28年10月6日)
『ところが 本当は※堆肥もいけないのです。堆肥なしの土ばかりが良いのです。堆肥が土を邪魔するのです。前にも書いたとおり、土というのが肥料の塊なのです。それで堆肥をやると、土の堆肥がそれだけ減るのです。』
「み教え集」第25号(昭和28年8月27日)
『 だいたい堆肥ですが、私は最初は「無肥料栽培」で行ったのです。堆肥もいけないのです。
ところが全然 無肥料でやっては、法規に違反するというのです。それは進駐軍の方なのです。
それで投書か何かをした者がいたのです。 やっぱりアメリカ人も全然も 肥料 なしだったら、米は獲れなくなる、 そういう宗教は禁止するという事なので、
これは何とかしなければ、ならないというので、名前を「自然栽培」にしたのです。ですから前には
「無肥料栽培」と言っていたのです。』
「み教え集」第27号(昭和28年10月26日)
追記、
『 除草は問題ではない。 良いと思う時にすればいい 。 無肥料になると、草の生え方が違う。米の成長する力が強くなるから、雑草の生える力が弱くなる。
神様は人間の生命を保つものには、強い力を与えているゆえに、無肥料になると 除草が楽になる。』
「御垂示録」(第一号昭和26年8月5日)
( これは独自で行っている福岡自然農法と 似ていると思います。あそこは 除草はしません。 また 土が固いと根が伸びないので、 雑草を半腐れして、混ぜてして、土が柔らかくなったら 後は何も入れない。)
明主様は
何も入れてはいけないとあります。 離脱教団はこの教えを守っております。
本家が違う事をしている。
・( これは自然農法ではない。 EM 農法だ 。世界救世教いづのめ教団は 自然農法ではない。??EM 農法と呼名を変えるべき。 何かおかしいと気が付かないのか、 いつから、 本質から外れて行ったのか。 東方の光教団も同じ(発酵) 家畜糞尿の有機肥料を使っている)
( 真光教団は有機肥料入れてます 。大本教も酵素農法として酵素を入れてます)(一番)
-
世界救世教 東方之光教団「 MOA自然農法」
『私の書いたものを見て、その通りにやることです。 他のことをちょっとでも、してはいけないのです 。』
「み教え集、第19号」(昭和28年2月7日)
EMを使う世界救世教いづのめ教団、
ではもう一つの世界救世教団、東方の光はどうでしょう 。
これは 「MOA 自然農法ガイドライン」として 、MOA 大仁農場「全国 MOA 自然農法 産地支部会連合」という本があります 。
その中で、
「この 「MOA 自然農法ガイドライン」は、全国 MOA 自然農法 産地支部連合会の会則第3条に基づき、 MOA 自然農法の定義方法及び、運用の基本を取りまとめ技術普及の指針とする事にしたものである。
自然農法の提唱者、岡田茂吉師は昭和10年において、新しい農法を提唱し、文献や栽培試験の成果を通じ、実用の道を開かれた。
こうした提唱者の、自然農法にかけられた願いを受けて、昭和28年にはその 普及組織として、「自然農法普及会」を発足させ、全国規模で自然農法実施者が誕生し、その普及活動は今日まで続けられた来た 。
(後略)??????????????平成6年11月2日
::::::::::・・・・・・・・・・・・・
(中略)
第3章、家畜の飼育と排泄物の処理
( 飼育環境)
第19条、家畜は原則として放牧と良好な環境において、低密度で飼育する。
( 飼育)
第20条 、自然農法による飼料を奨励する。
2、飼料を調達する場合、自家配合に努め、合成抗菌剤、成長促進剤等、薬物を添加した肥料は原則として禁止する。
( 養鶏)
第21条、 養鶏 は低密度平飼いで、雄雌混合飼養を原則とする。
2 、養鶏は 空気の流通と日照に留意する。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
※( 排泄物の処理)
第22条 、家畜排泄物は 発酵分解と適切な浄化処理を行い 、畜産公害を回避する。
※2、 浄化 処理したキユ肥等は、 牧草地等に施用する事ができる。
また、 完熟したものについては、※?作物栽培に使用する事もできる。?
※( 家畜の糞尿は 浄化処理したものは 、牧草地や作物栽培に使用する事ができる)
・・・・・・・・・・・・・・・::::
以前私は MOA 浄院に伺った時に、綺麗なお庭があって上に木製のチップが蒔いてあったので、 整備してあるなと思ったら、酸味の匂いがしたので 、?あれっ?と、思って、聞いたら、これは浄化処理した家畜の糞尿を撒いていると言っていたので、 違うと思いました。 この教団も 何時から 外れてしまったのか。 こちらも自然農法ではなく MOA 有機農法ですね。
彼等は言うでしょう 。いやこれは発酵させ分解させてあるので害はないと 、その感覚が おかしい。
明主様が何も入れるなとおっしゃったら、素直に
?はい?と聞くべきである。
いろいろ理屈を付けている。 頭が麻痺している。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004927.jpg
-
本家の歪(ゆが)み
本家の世界救世教は 岡田茂吉氏が提唱した 自然農法をいつの日か別のものにしてしまった 。
今の信者はそれが自然農法と信じてやっている 。世界救世教いづのめ教団は EM 菌を使って
「 救世自然農法」と言っている。またもう一方の世界救世教東方之光教団は発酵有機肥料を入れて「 MOA 自然農法」としている。
今から20年ぐらい前ですか 家畜の糞尿から発がん物質が発見されたと言われてませんでしたでしょうか 。
これは発酵分解しているから大丈夫と言うかもしれません。
一般人は自然農法とは EM 菌を使うものか、または発酵肥料を入れて良いと思うでしょう。
明主様はこれは違う、土に肥料の固まりがある 。それを肥料とするべきである。何も加えてはいけないと、これが自然農法であると仰ゃってます。
大本教も酵素を、肥料としているから、
そうではない。明主様は土に肥料分があると発見された 。??ここに大いなる意味がある。
本家がこれであって、 神慈秀明会は 世界救世教とは違うとして、「 秀明自然農法」と呼んでいる 。新健康協会や 東京黎明教会も一切何も入れない純粋な自然農法を実施して収穫をあげている。
そこから離脱した教団が岡田茂吉氏の提唱そのままをやっている。
これ一つあげても世界救世教は本当ではない 。それでいて世界メシア教を非難するのだから。
世界救世教の信者の中でも、誠のある人はおられるから 、御守護はあっていると思います 。しかし器が汚れているから 、これから私は沈んでいくと、 想像するんですが。
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再び【救い】について
【皆さんにとって救いとは何ですか。何をもって救った又は救われたと言えそうですか。】
先ずはあなたの心を表に。ありのままの素直な想いを言葉にして表に出してみて下さい。
頭(七五三縄)で封じられている籠の中の鳥(あなたの想い)を救い出してあげて下さい。
心にありながら、それを表に出せない。というのも「心言行の不一致」のうちの一つだと
私自身は捉えています。「罪のもとは包み」という事とも合致するように思うからです。
ただ、無理にとは言いません。強制する気など無いし人の言動を強制出来る訳もない。
でも、可能なら、名指しをする前に回答して欲しいな、と思っています。本音です。
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救い
救いとは何か、 究極の問い、人によって違う、 佐藤さんは 所属した団体を離れ 、ご自分で 追及されてこられ、
その立場から見た救い 、 環境が違うので見え形が変わってくる。
佐藤孝
大体 ハンドルネームは実名ですか?、 そうなら正々堂々と生きると言う ご性格が 現れてます。
昔の明主様 掲示板、ファインライン??ではタカシとあります。
この掲示板、いろんな立場の人がご覧になってます、どんな回答があるか 興味津々、
私は頭がまとまらないので、皆さんの回答を読みたいですね。
私は独身 、暇を持て余しております、 じっとしていたら、
退屈で苦しくなってくる、 この掲示板にお邪魔する事になります 。お前ばかり書くな!と お叱りがあるかもしれませんが。
そこで 佐藤さんの言う「救い」とは どういう事かを伝えて頂いたら、比較して、 自分なりの意見が 浮ぶんですが、
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(無題)
前回自分が救いについて何を述べたか、覚えていない。
その時思ったことをそのまま書いたのだろう。
その場その場での対応型の人生なのかもしれない。
霊主体従からすれば、心をまず定めそのための行動を決める逆算型の方が、結果はよいような気はする。
意見があっても書かない場合とは別に、
対応型の人、心が定まっていない人は、聞かれても返答しにくいかもね。
信仰歴の長短に関係なく。
今日は知り合いの信者さんの高校生の娘さんとちょっと話した。
現在こんなに幸せでいいのか、と思うような家庭環境らしい。
『めっちゃ幸せやん』と言うと
『うん』
と即肯定していた。
子どもがそう思ってくれている家庭、って本当素敵ですね。
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救い
ここですよね 、その家庭では小さな事が、 幸福であると受け取れる。お歌でありましたね。
幸せが、一時的なものであるか、または永遠的なものか。
苦しい思いをしたら 、どんな小さな事でもありがたいと思える 。
それには 、磨かれなければならない。
パチンコ屋で 年金支給日に使い果たし、借金してる話をよく聞きました。
この人達に救いと言っても、分からない。
霊層界をあげる。このお道におつなぎする。
霊的な救い、 一時的な救いではなく、永遠の。
私はこのお道に許されて変わりました 。前は普通人と同じ、不平、 不満、愚痴 を言ってました 。?俺は信仰 出来るんだろうか?と 考えました。
神様はいるかもしれない 。しかし宗教に縛られたくない 。そこで初めて神慈秀明会に行った時、明主様のお写真に頭を下げるは、抵抗がありました 。
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雨宝童子は天照天皇か
今月、秀明の月次祭、支部長先生のお話、雨宝童子を拝観したとありました。
秀明紙にも、 天照大神が16歳の少年の姿をされ、筑紫野の日向に下生された時のお姿とあります。
これは少年のお姿とあるので 、女神ではない。
そこで 天照大神は 男性なのか、明主様の み教えでは具体的なお言葉は、まだ見当たりません。
昭和26年の御垂録に、
「国常立尊と伊都能売の神とのご関係について、お伺い申し上げます」
(御垂示)
『 つまり国常立尊様の子孫という訳ですね 。そして位から言うと、伊都能売の神が上なんです。( 親と子の例をおあげになられ)そうして自分が監督するんです。 国常立尊の息子だからね、大本教の教祖は国常立尊が憑(かか)られたんですね。
時代はあるんです 。国常立尊という神様は 造物主なんだからね。 その時は大国常立尊と言い、神羅万象を作られた。
その次に人間となって 、それが単にいう国常立尊という。
その時にスサノオの尊が 、そういう神様が生まれた。
しかしそういう神様はイザナギ、イザナミの尊からで、イザナギ、イザナミは 国常立尊 の子供です。
※天照天皇というのは、全然隠されているんですね』
・(天照天皇は、伊勢の天照大神の 旦那様にあたるとみ教えがあります。
全然隠されているというのは 、どういう事なのでしょうか。
ネットで調べたら 歴史作家、関裕二さんが2021年6月2 日、公開されています。
「天照大御神は本当は「男神」だった。天皇家の最高神をすり替えた『日本書紀』
天皇家の最高神、天照大御神は女神ではなく、元々は男神であった。なぜすり替えが起きたのか 、それは時の権力者によって、天照大神を女神に、したてあげなければならない理由があったからだ。一体誰が何のために!?」 とあります。
天照大神は女神か ?
「日本書紀」は伊勢の天照大御神を「太陽神で女神」と言っているが、最初この神は、「大日(おおひる)めのむち」の名で「日本書紀」神話に登場していた 。 この後 、「おおひるめのむち」は天照大神の名に代わる。一般的に祀る巫女(みこ)が祀られる神に、昇進したのだと説明されるが、 太陽は「陽」 で、本来男性がふさわしい。伊勢内宮の神も本当は男性なのではあるまいか。
天照大神の人形に髭(ひげ)がある。 祇園祭の山車に飾られる天照大神の人形の顎(あご)に、フサフサの髭が生えている事は有名で、高野山の曼荼羅(まんだら)の天照太神も、老翁(ろうおう)だ。」)( み教えで、日本書紀は書き換えられ、 伊都能売、国常立尊が、 表舞台から消された。 そのような 文章がなかったでしょうか。 本当は 主人公の神様が、ひっそりと お祀りされてます。)
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(無題)
もし、雨宝童子が天照天皇だった場合、1番さんにとって何かプラスになる事があるのでしょうかね。
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みのるさん
私が+じゃなくて、岡田茂吉研究として、これは謎なんですね。どうして天照天皇が公表されてないのか、
世間でも、
これはみ教えを見ていたら、見逃してしまうと思うんです。 ここに何か神秘が隠されていると思うんです。そこで
岡田茂吉研究の解明が待たれると、何かワクワクするものがある。あくまでも個人の研究なので、??プラスもマイナスもありません。
天照大神が 出雲、スサノウがせめて来て、天皇が殺され、その後、奥さんが引き継がれたと書かれてますね。 ある事情とあったんでしょうか 、元専従さんの投稿からしたら 殺されたとなる。
そこを明主様が詳しくお書きになられていません。未発表かもしれません。 みのるさんが言うとおり、それがどうしたのかですが、
私は神慈秀明会の人達に言いたいんです。
神慈秀明会ではこういうみ教えは、出ませんから、 何か アピール出来たらと思って、これは天照天皇は明主様ご自身であって、 神慈秀明会に、あの雨宝憧子が 来られたというのは、 いよいよ メシヤの審判の時期が来たと、雨宝童子は、明主様そのものであり、 今私は神慈秀明会に期待をしている。 勿論、秀明は百も承知なんですが 、明主様の前世が天照天皇であり、雨宝童子が 、少年であるという事。
ここに何か 意味があると思うんです、具体的にはまだ分かりません。
あくまでも個人の感想。
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天照皇大御神
天照天皇は 天照皇大御神、 一番最後にお出ましになられる。 これは主神そのものがご本体で、明主様がメシヤ降誕仮祝典の時に、明主(メシヤ)様に向かって天照皇大御神の御神名をお上げした 。それを表している。 だから天照皇大御神なんですね。
どうして、みろく大神ではなく、天照皇大御神なのか。
これは伊勢神宮の天照大神とは全く別であって 、それで明主様のところに天照大神が『主神様』と 、お祝いに来られたとありますが、
メシヤ降誕仮祝典、
この時に 木原先生は人類の罪をお詫びなさいます 。
それで、
これをいよいよ 秀明で雨宝童子という型で見せられ 始まったと 、
天照天皇がこれまで神秘で隠されていたのが、最後に メシヤとして、天照皇大御神として御一体になられた。
-
天照天皇
大昔 、国常立尊、天照皇大御神、天皇が日本を支配、世界を支配されていた頃 、朝鮮から須佐之男尊が攻めてきた、 平和を愛する大人しい大和民族を 、侵食して行った 。
その時に天照天皇は スサノオによって殺害され、 日本は出雲が支配する 。これは私は今の世界救世教 、
今の世界を表していると思うんです。
そしていよいよ、 霊界から国常立尊が現界に メシヤとなって現れる 。
明主様のお体と御一体になって 、そして主神は天照皇大御神であると、み教えにありますから、 元の時代に戻される。神位に御復帰される。
そして邪神により天照皇大御神は女神として祀られ、 国常立尊、 天照天皇は『古事記』から隠蔽(いんぺい)された。
高い位の神様が、またその部下の神様たちが、夜の時代になって 、仏になられ、位をさげて、、昼の時代を待たれた。 またそれがこれまでであって 、昼の時代、これから元の御神位に復帰される。
夜と昼が転換されたという事ではないでしょうか。
-
(無題)
1番さん
なるほど。
という事は元々、神慈秀明会に期待を寄せている1番さんにとっては、さらにその期待度が増すという事になりそうですね。
おそらく、天照天皇は伊都能売神皇の後継者であり、ある意味、暫定的な存在だったのではないかと考えます。
伊都能売神皇は早くに危険を察知されてインドへと落ち延びられたが、天照天皇はご結婚されたが若くして亡くなられた。
そのお姿が男神としての雨宝童子なのかもしれませんね。
もちろん、出雲系にとっては事の経緯を隠したいでしょうし、その後に侵略してきた天孫系にとっては自らの支配の正当性を謳う必要があった。
そのために天照皇后のみにスポットを当てて、その存在のみを利用するために天孫降臨伝説を謳ったという事なのかもしれません。
ですから、一般的な史実では天照天皇は隠されていますね。
伊都能売神皇も然りです。
それで御教えにおいてですが、おそらく、明主様が過去の経綸を説き、信者に大筋を理解させる上で、その存在を必要最小限に留めておいた方が良いとのご判断だったのかもしれません。
ある意味、出雲や天孫系の人々が多い訳ですし、その人々を御手足として御神業を進められる訳ですからね。
1番さんの直近の書き込みと少し重複するところがありますが、ご容赦ください。
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(無題)
今回のコロナ騒動、浄化を受けて、色々と気付いてきた方も増えているのでしょうね。
ブログ「桜の木になろう」より
http://ab5730.blog.fc2.com/blog-entry-5848.html
西洋から東洋へ、それから、もう一歩。
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日本人の霊的考察(上)「天照天皇と伊都能売神」
(前略)『 ここで話は また最初に戻るが、 右の数々の史実は神示によればこうである。
始め(神)カム、スサノオノ尊が日本へ渡来した時、
最初に上陸した地点が出雲国※(島根)であった。
ところが当時日本の統治権を握っていたのが 、伊都能売神皇(いづのめしんのう)※(観音様)で、 この神皇は余程古代からの日本の真の主権者であったらしい。
まず大和民族の宗家と言ってもよかろう。 ところが大和民族の性格としては闘争を極端に嫌い、平和愛好者であるが為、 スサノオノ尊が武力抗争の態度に出たので無抵抗主義の為 生命の危険を慮(おもんばか)り、海を渡って某国※(インド)に逃げのびたという事である。
それで後に残ったのが、お世継ぎである
『天照天皇』とその皇后であったが、天皇はある事情によって 崩御(ほうぎよ)※(殺害) されたので、
皇后はその大権を 継承される事になったが、(今の天照大神)事態の切迫はやむなく スサノオノ尊の要求に応じない訳には行かなくなり、 一種の講和条約を締結したのである。』(後略)( 昭和26年)
※()は加筆したもの
(雨宝童子は天照天皇です。)(一番)
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004940.jpg
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(無題)
天照「天皇」と伊都能売「神皇」の違いはどう説明されるでしょうか?
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日本は未だに気づかない…
http://www.asyura2.com/20/iryo6/msg/752.html
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(無題)
>天照「天皇」と伊都能売「神皇」の違いはどう説明されるでしょうか?
シンプルに伊都能売を、火と水、日と月で神と捉えてみたらどうでしょうね。
-
伊都能売神皇
今日は仕事で時間がないんですが 伊都能売は火と水なんですが 天皇ということを、おっしゃっているので、私は伊都能売というのは基本中の基本で 、大和の宗家とありますので 、明主様のご先祖であるとも、ありますから 、すべてここから始まっていると思うんです。ちょっと説明が難しいんですが、ゆっくり考えてまたご投稿します。
-
(無題)
https://www.youtube.com/watch?v=wtOaMndyByQ
https://youtu.be/oXZ4XMshhwk
http://
-
天照天皇
御垂示録(昭和27年、10月1日 )
前略 、『それで天皇の方の系統は天照大神の傍系になるのです。
万古神王の方です。だからこの方は平和的な方です。それから素戔嗚尊の方は戦争が好きなのです。武力政策が好きなのです。で、日本の武家時代はみんなその系統です。 そこでその争いが日本の歴史です。
つまり神武天皇(天孫)の系統と(出雲)朝の大国主命の系統が争って、それが続いてきたのです。』
(日本の争いの歴史は 、出雲( 朝鮮) と 天孫( 中国)人 の争いであったとありますね。
大和民族、日本人は争いを嫌うので 、表舞台には 出てない。)( ここにあるのは『それで天皇の方の 系統は 天照大御神の傍系になるのです。 万古神王の方です。 だからこの方は平和的な方です。』
(中国の万古神王 は平和的な 性格とありますので、大和民族と 混じって入ったのか。
そこで純粋な 皇室ではなく傍系、 混じりがあるという表現をされたのでは 、でもその 血統の奥には純粋な 大和が源にある。)
これは 昭和26年 10月1日 御垂示録です。
「 伊都能売神は観世音、観世音は大日如来となるとみ教え頂いておりますが、「信仰雑話」に、大日如来は天照大神とございます。
また長男が伊都能売神、長女が天照大神とございますが。」
(御垂示)
(前略)『 そうです。伊都能売神が天照大神を守護している訳ですね 。
つまり伊都能売の中に火の働きが入っている訳です。伊都能売と言うと、火と水になる。火の方が天照大御神になるという訳ですね。
水の方は月讀尊になる訳です。』
( 天照天皇の上に伊都能売がおられる)
同じ時期に、日本(世界)を統治されていたんでしょうか。そして
出雲が攻めてきた時、天照天皇が殺められ、同時期に伊都能売神は逃亡されましたから。
御垂示録にありますね 。
「国常立尊と伊都能売の神との御関係について、お伺い申し上げます。」
(御垂示)
『つまり国常立尊の子孫という訳ですね。そして位から言うと、伊都能売の方が上なんです。(親と子の例をお挙げになられ)そして自分が監督するんです。』
( 昭和26年)
( 国常立尊が取り上げられますが、 それを監督されているのが 、伊都能売の神 、これは私の感想なんですが 、日本が世界を救う、日本で始まり、日本で終わると、言われてますが、 それを 天皇が 象徴 していて、天照天皇から始まる 。それを監督されるのが伊都能売の神(観音様) 本来のお姿ですね。)
だから皇室は戦争後、 残されました。 これも象徴していると思いますね。)( 漠然としましたが。この中で 感じ取られたらと思いますが。)
-
勢力争い
日本で外国から来た人達が 、戦うんですから、 そしてそれが今日まで続いている。 朝鮮人と中国人、またその中に純粋な日本人も混じって 、 同じ東洋人だから見分けがつかない。
これが世界救世教の中にある。
「東方の光」と「いづのめ」教団だと思います 。東方の光は 天孫、?日?の系統ですね 。
み教えへのお取り扱い、 性格が整然としています。天若彦の尊です。
そして、いづのめ教団は?水?の系統、スサノオの尊ですね。 どっちも譲らないから、まとまらない。これが世界に 反映している。
離脱教団が大和だと思います 。これはあくまでも個人の 感想です。
-
日本人の霊的考察(中)、天照皇大神は主神になられる
(日本での主権の争い)(前略)『 天孫系と出雲系との争奪である。(中略)
出雲系は徳川家に至るまで、2000年に及んでもなお目的を達せられなかったので、
これまでの努力を放棄し、ここに180度転換をした。
それは宗教による事である。すなわち神道としては、天理教、
??※大本教、 金光教、妙霊教、黒住教である。仏教としては
※日蓮宗??にその手段を求めたのである。(後略)』
???????? ( 昭和26年)
( 大本教は出雲、スサノオノ尊系、 日蓮宗も 出雲系と あります。 朝鮮の系統です。 出口 直が 存在された頃は 国常立尊(大和)で あったのが、 出口王仁三郎に移って 出雲( 朝鮮)系になった。
天理教は宗教と看板を掲げていますが、 霊的には出雲が覇権を握るため 、動かしているとあります。)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
※(天照皇大神は主神になられる)
御講話
(前略)『 もう一つは天照大神様が、観音様に化身される事で、この点はっきりしないと、万一不敬に渉(わた)る事があってはならぬ。
※『天照大神、これは主神』で、大宇宙は?天御神中主(あめのみなかぬし)の神の御神体で、これは漠然としてつかみどころがない。
それと高御産霊(たかみむすび)の神、それと、神御産(かみむすび)の神で、これを造化の三神という事にしてあります。もっと違う説もありますが、
これが一番根拠はある説で、高御産霊(たかみむすび)の神は霊系の祖、神羅万象の霊を司られる。
物質界すなわち、体の方は全部神御産霊神で 、この三性の個性を持っておられないから、拝む事が出来ない。?????????????? (光そのもの御姿ない)
?全ての中心として主神は、※『天照皇大御神』を表現神とする。
要するに※統一する中心の神様として、御顕現遊ばされたのであります。
ですから、※天照大神は人体を持って、一度表れ、
給うた方。これが主の神様で一切の中心でいらせられる。?
※天照皇大御神様は世界統治権を、天皇にお委(ゆだ)ねされた訳で、
皇祖の御遺訓っとして「豊葦原瑞国(とよあしはらみずほの)国は、吾(あ)が、子孫(うみのこ)の王(きみ)とます可(べ)き、地(くに)なり、皇孫就(すめみまゆ)きて治(し)らせ」という事は、統治の権を授(さず)けたもうた事なんであります。
その他に救いの権を与えられた。それが※観音様で、
審判の権は ※国常立尊に与えられた。(メシヤのお働き)
それで国常立尊は艮(うしとら)へ押し込められ、幽界において、
※閻魔(えんま)大王となられ審判をせられた 。』
(後略) 「岡田茂吉全集」講話篇 第一巻
(主神のお姿は光、それでは人間は確認出来ない。そこで、観音様や 神々は人のお姿で顕現。
本来は御一体、 個性を持たせ、役割を持たせ、分霊された。
それで 伊都能売(いづのめ)の神に監督を、伊都能売神皇 、
その下に 人間として天照天皇に委ねさせられた。
昭和10年、観音講座では 、天照皇大御神を中心にお説きになっておられます。
天照皇大御神から委ねられた天照天皇、 メシヤとして
ある事情で崩御され表舞台から お隠れに 、そして いよいよ時期が来た。 神慈秀明会 玉男先生が 「雨宝童子」についてお話しておられます。 「いよいよ時期が来たと 言うこと」)
-
とうとう身近でも
知り合いのおば様83才。1週間前に3回目のワクチン接種し、昨日突然死されましまた。
今月末から5〜11才のワクチン接種が始まります。
-
九鬼文書
み教えに天照皇大御神に委(ゆだ)ねられたとありますが、 天照皇大御神は、天皇の祖先であると言われてます。
これはみ教えを研究していたら、 ここに最終的な神様のご経綸の一つが、垣間見えると思うんですが 、
これは昭和63年の本からです。「日本超古代史の謎 」佐治芳彦著( 日本文芸社)から
《聖徳太子が歴史を書き換えたのか》
「推古11年、冠位ヲ(を)改メ、12回ヲ定メ、 同12年 称 (聖)徳太子二依り、 憲法17条ヲ定ム」
と、 「九鬼文書」の「天地言文」にあるが、 この部分は『日本書紀』にも記されている。だが続けて次のようにも記されている。 「茲(ここ)に聖徳太子ハ、 (かっ)テ、用明2年、神典・皇紀を燃失サセルヲモツテ、推古28年 天皇記(スメラミコトノフミ)及び国記(クニツフミ)ヲ 編修シ、皇系記録ヲ造ル」
『 日本書紀』 によれば、確かに この28年に「天皇記」と「国記」を編集したとあるが、もちろん推古28年のクーデターで、神典・皇紀が燃失したからなどとは記されていない。それだけに『九鬼文書』に、
「天皇記、国記ハ、 天御中主天皇(アメノミナカヌシ)を 初発トシ、 大日如来ノ仏説ヲ以ツテ、国体人類ノ基原トセシ天地初発来ノ万国紀ヲ改編セシモノ他」
「歴史改変」偽史作成を 仮借なく暴露している。
これは 市販の書籍で、 歴史研究家は 『日本書紀』ねつ造説があると書いてます。
男の天皇が 女の天皇にすり替えられている。 男の天皇の存在が語られていない 。天照天皇は隠されていた。
-
(無題)
「古史古伝と神代文字」より
http://www.fafner.biz/act9_new/fan/report/ai/ryuh/koshikoden.htm
『九鬼(くかみ)文書』
九鬼家の遠祖である天児屋根命(あめのこやねのみこと)の時代に記録された神代文字の原文を藤原不比等が漢字に書き改めたもので、丹後綾部の九鬼氏が保管してきたという。天児屋根命は、記紀では皇孫邇邇芸能命(ににぎのみこと)に従って高天原から高千穂に降り立った天津神の一人とされる神である。
この文書の本来の性格は、九鬼神道の教義であり、神代史はその一部にすぎないが、その内容の一番の特徴は出雲王朝を正統としていることである。万国の首都である高天原は出雲の地にあり、スサノオの系譜に現在の天皇が繋がるとされているのである。
また物部氏滅亡の際に、「あめつちのことふみ天地言文」の写しが、守屋一族、大中臣一族、春日一族、越前の武内一族によって保存されたいう、古史古伝の伝存に関わる記述がある。
日本とユダヤの交流を記している点でも異色で、この文書の公開を働きかけ、『九鬼文書の研究』を書いた三浦一郎は日ユ同祖論者として知られていた。
『九鬼文書』は『竹内文書』の影響が強いと指摘され、出現経緯や内容・表現から見て、近代以降の成立である事は明らかである。また綾部の大本教との関係が深いともされる。
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「日本人の霊的考察」(上)昭和26年
(前略)『 次に 神代史によれば、 はじめイザナギ、イザナミノ尊のご夫婦の神が、天照大神と申す女神を生みたまい。
ついで、神スサノオノ尊という男の神様を、生みたもうたとなっている。 そうして天照大神に日本の統治を命ぜられ、 スサノオノ尊 に朝鮮の統治を命ぜられたもうた事になっている。
こういう理由で天照大神は、女神であるにかかわらず、天皇の御祖先となっておるばかりか、蛭子(ひるこ)の命という神まで、生みたもうたとの史実がある が、
これが本当とすれば、どうしても※夫神がなければなら
ない筈(はず)である。
しかし 今日までそれに疑いを起こした者もないし、この謎を解こうとする者も勿論なかった。』
( 明主様、今させて頂いております。)(一番)
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天照天皇と秀明
これは以前 投稿しました 、
「金色の転法輪模様の白衣に 、凛(りん)とした品格を漂わせておられます 。左手には真っ赤な、 如意宝珠の玉を持たれ、この雨宝童子の箱書きには、『国常立尊の図』と記してあり、この尊像が、
『国常立尊』として、信仰されていた時期があったようです。
伊勢神宮の鬼門にあたる艮(うしとら)の方角に、 天照大神が降臨されたという朝熊山があります。
「お伊勢参らば、朝熊をかけよ、朝熊かけねば片参り」と、伊勢音頭に唄われたように、
ここは明治に神仏分離令が出されるまで、伊勢参詣者が必ず参拝する「伊勢神宮の奥の院」と言われる聖地でした。
神苑(みその)(信楽の秀明 聖地)と田代川と信楽川が、琵琶湖から流れる瀬田川と合流する滋賀県大津市に、 祓戸四柱の神を祀る佐久奈戸神社があります。
ここは大祓い祝詞が生まれた地で、
瀬田川はそこから京都で宇治川、大阪で淀川となり、瀬戸内海に注ぎます 。
この佐久奈戸神社で禊ぎ祓いをしてから、伊勢神宮奥の院である朝熊山に参拝するのが、古来の正式な順序であると言われていました。
朝熊山山頂の金剛證寺に祀られている平安時代の木彫雨宝童子像 (重要文化財・現在非公開)は、お伊勢参りの※本当の御神体であるとも言われています。
そのように天照大神は古くから、雨宝児童子の姿として表され、女神とされたのは、主に明治以降の近代になってからの事です。
以上でございます。いよいよ時期が来たという事だと思われます。
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(本当は伊勢神宮には 天照天皇が男神として祀られている筈であったが 、ある事情で 奥方(女神)が祀られる事になった。
そこで この雨宝童子像(男神)に 昼の時代まで 、陰で参拝されていた。 そしてこれが 天照天皇であり、
天照皇大御神、御本体である、今まで隠されていた事が秀明で現わにされた。
これは明主様信仰すべての人に 、これからをお示しになられた。 いよいよ これから裁きが始まる。
覚悟は良いか!
時期が来たと。)
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世界救世教は大和から出雲に変わった
世界救世教いづのめ教団が使用している EM 菌は、 健康にも良いし、 土にも 作物の 収穫が 3倍から10倍と謳ってますが、 それで教団は飛びついた。
おかしな話です。明主様は土自体が肥料の塊である。これであれば 収穫が倍増するというお言葉があり、
これを信じていれば、 EM に飛びつく必要はない。
明主様のみ教えを否定していることになる。
これが世界救世教が 教祖のみ教えを曲げてしまった。
明主様(大和)から、二代教主(出雲)の支配に変った証明になると思います。
二代教主は明主様御帰天後、自分は? 水の御霊?であると宣言されています。
これが元の大和に戻されるのですから 、世界救世教いづのめ教団は無くなるでしょう。
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九鬼文書2
《世界の鬼門にあたる日本の役割》
「九鬼文書の「 九鬼神秘観静編」は「予言の書」とも言われている。
その預言の根源は、宇宙の総合神への信仰の流路である言霊(ことたま)だと言う。
この宇宙の創造神とは 、「九鬼文書」の言う
造化三神、天神七代・地神五代・陰陽神を総称した「宇志採羅根真」(大神)(うしとら・こんじん)である。
「宇志採羅」 とは「艮」の事である。
「九鬼神道」によれば 、世界(地球)を東西に分け、その東半球の北東(艮(うしとら)=丑寅の方角)の国を日本とする。
この艮の金神が 悪神 の陰謀によって 、鬼門とされる丑寅(うしとら)に幽閉されたという、大本教の解釈が出てくる事となる。
大本教によれば、この総合神は国祖=国常立尊であり 、神速 素戔嗚(カンハヤ・スサノウ)尊とされる。
そしてこの国祖神が、邪神の陰謀によって引退させられたが、やがてメシヤとして再現し、世界の「立て替え、立て直し」の先頭に立つと言う。
これが大本教の信仰の中核とも言うべき、「国祖引退=メシヤ再現 」神話である。」
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(この本では 国常立尊が「 神速、カンハヤ・スサノオの尊」となっています。
間違っておりません。出口王仁三郎が 代表する団体でありますから、 しかし本来は ※大和の宗家( 宇宙の中心) になるが、どこからか大本教も出雲になってしまう。大和から出雲に、これは
緯(よこ)に偏るから、 出口王仁三郎は晩年遺書に 、 自分は偽物であると書いている 。岡田茂吉、明主様を生み出す役目であった。)(一番)
「 日本超古代史の謎 」 佐治芳彦( 日本文芸社)から
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大本の御用は済んだ。
『御垂示録』
抜粋、『 龍神というのは常に商売繁盛させる腕があるからね 。(後略)』( 非常に商売繁盛した宿屋で、今はない。そこの家には蛇が沢山いるんだ。ところが火事で丸焼けになった。そうしたら蛇も一緒に死んだ。後から普請しても、うまくいかなかった。蛇がやっていた。)
《 バイ貝とスサノオノミコト》
「その龍神と貝と関係がございましょうか。」
(御垂示)
『 昔は貝が通貨だったからね。 先に大本教の時分。
出口王仁三郎、 聖師様と言っていたが、ある晩遅くなって帰ろうとすると、聖師様が泊まっていきなさいと言う。二代様の床なんです。敷きっぱなしになっていてね。寝ろと言うから、私は構わず寝たんですが。
他の人が一信者のくせに、二代様の床に入って寝た。寝ろと言われても、お断りするのが本当だ。「けしからん!」と言っていたが、
私は腹のなかで知っているからね。
二代様というのは竜宮の乙姫さんです。※聖師は スサノオノ尊です。
スサノオの奥さんが竜宮の乙姫さんです。「海い(バイ) 」という貝があります。 生で食うと非常にうまいんです。
「岡田さん、これはうまいから 食いなさい」と言うので「海い(バイ)」というのは、これは大変なご神業だなと思った事がある。
だから凡て、貨幣に関係した事は、貝の字がついている。賣(う)り買いと貝の字はついているのは、そういう訳です。※( ユダヤ(乙姫)の財宝を取り戻す)
大本教は 大変な御神業の基礎的の意味がある。
去年 留置所の時、( 紹霊され 「各宗教祖との誓い」ある)に、 教祖様(出口直)にあった。
『大本教を助けてやってくれ』と言っていた。
将来、助けてやらなければならない時が来るんです。』
『 お筆先があって、あれが大したものだった。霊界物語とか。今、あーいうのは民主主義と違うからね。
根本からね。それで、それを宣伝に使う事が出来ない。ところがそれを使わなければ命がない。「日本は神国、外国は獣の国であるぞよ」「今に艮の金神が返報返しをいたすぞよ」なんてね。
もう大本教の御用も済んでいる訳です。
天理教の御用も済んでるし、仏教の御用も、キリスト教の御用も済んでいる。
今までは確かに必要だった。だからこれからも必要だとはいかない。』
??????????( 昭和26年 7月)
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秀明会
御垂示録( 昭和27年5月1日)
(前略 )『私が30幾つの時だから、3、40年前ですね 。ですから小間物屋でも何でも、やっぱり私の処が成功者として一番になっていたんです。
だから岡田式、岡田式と、その時分にね。その頃にも色々ありましたがね。
私は何をやっても全然、他を追い抜いちゃうんですね。
大本教に入った時分にも、いろんな事が、どんどん私が一番になっちゃってね 。だから大本の方で脅威を感じてきたんですね。非常に私を圧迫してきた 。』
これは神慈秀明会に私は共通していると思いました。 世界救世(メシヤ)教の時も、 献金、お導きでは 一番と聞いていました。
明主様ご昇天後、 教団で布教を担当された小山先生、 発展しない教会に指導に行かれたら、そこは発展した。離脱後
神慈秀明会の神殿、教祖殿 建設も、世界一の建物を建てると、世界を視察され。そして相応しい世界的建築家を選出された。 美術館も同じです。
最高の神様に最高の 物を献上させて頂だく。
小山会主様は 徹底されてました。
世界救世教いづのめ教団にも 秀明に似た教会があって、 当時、渡辺理事長の ワンマンぶりに 、抵抗した。 教団とは違う動きをした。 しかし、
そこは献金、お導きが一番だったので、教団は何も言わなかった、 しかし 神慈秀明会と比較したら、
桁(けた)が違う。
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神智の光
このところ「神智の光」を少しずつ読ませていただいています。
教会への義務怠る者の処置
御道の先生方の中には、その所属する団体に対する義務を忘れて、自分の周囲を充実する事が御道の事だ――との錯覚に陥り、会費及び献金等の御取次や上納を故意に怠る人があります。なお自己の過誤を糊塗せんがため、他の人と相謀って同様の空気を醸成しようとさえ企てる人もあります。かかる団体の徳義を破り、順序を乱すがごとき行為に対しましては、どのような処置をとるべきでしょうか。右、御教示御願い申し上げます。
神様が処置をとる。誰も処置をとらなくてよい。(S24.10. 3)
先生の良い悪いと取替える事(原則)、先生良否の影響、師気に入らぬ時の道
現在自己の師事している先生の御道に対する精進が足りないように感じられて尊敬の心が起きなくなったり、あるいはより以上立派な先生についてもっと御道の事を深く研究したいとの気持になったりした場合、そのお弟子や会員にとっては一応重大な事と存じますが、かかる際、御弟子会員としてはどのような心構えをもち、どのように進退致すべきでしょうか。
これは信仰のない人の考えで、その人に付くのは、神様がそうなさったのである。人間的にそうしたと思うと大間違いである。
先生が良いとか悪いとかはそう影響はない。先生をどうのこうの言うのは全然信仰がないのである。偉い画家などは出藍の誉れとか言って、皆先生より偉くなる。
ただ尊敬を失ってはいけない。形だけでも立てるべきである。そうでないと人間の道に外れる。先生が気に入らぬ場合は、より良くせんと努むべきである。
先生の良い悪いは多少あるが、大して関係はない。また先生の判らぬ事もある。そのため質問の途が開いてある。
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妙知の光
これは 大乗的なお言葉ですね。
元専従さんは世界救世教いづのめ教団の裏をご存知で、あまりにも汚れているので、教団から離れたとおっしゃってました。
でも明主様のみ教えは間違いないとして、ご自分で 大光明如来をお祀りされてました 。
そして掲示板に 、ご自分の知っている知識を投稿されました 。
献金を教団にしたら、使われ方を知っているので、ご自分で御神前にお上げして、それを後から神様に 、何とかお供えしたい 。その時の事をおっしゃってました 。事情ですよね、その時の。
そして師持する先生が違う事しても、それを良しとして、先生を良くするようにしなさい。
これは私が以前、世界救世教、元四代がキリスト教に傾りましたが 、それでも従うのが信仰だと、投稿しました、
反論を頂きました 。当時の自分の考え、これも今となったら全く違う。その時は、そう思った。
元四代の世界メシア教、今 浄霊を止めて、み教えが 利用されている。
高天原 誠さんが、四年前、元 四代に 、?殿がご乱心?と投稿されてました。 それでも従うのが信仰であると 私は反論しましたが、(高天原さんは東方の光の事情、K合氏の悪偽を確認で、教団を離れたとありました。)
それで言ったら、今、元四代はキリスト教、統一教会と同じになっている、その世界メシア教を肯定する事になる。
上の先生が誤ったことをしても、それを良くする、それに従うのが弟子であると、
これはその場面、々で、また 違ってくるので 、この判断が難しい。
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(無題)
『飛行機でマスク拒否した広島県呉市の谷本議員のニュースについて感じていること』
https://www.youtube.com/watch?v=gfkojsiy65g
心言行の一致にも言及。
自分のためか、人のためか。
短期的視点か、長期的視点か。
内容はもちろん、語り口が素敵だった。
自分に足りないものに触れると、見習いたくなりますね。
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(無題)
「神様が処置されるから人間は何もしなくてよい」とか「それは信仰がない者が言うことだ」とかのお言葉に、大乗ということを御教えくださっているという印象は私は受けませんでした。
むしろ明主様がこれをしてはいけないとかこれをしなさいとかおっしゃることには縦を感じます。
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何が正解か
明主様が神様にお任せしなさいのお言葉、私は大乘ととりましたが、 勉強中さんはこれを 緯 (たて)、厳しいという風に、取られたのか、
この文だけじゃちょっと、分からないんですが、しかしそう取れますね。
これはどちらも 正解と私は思うんですが、 その人の捉え方で、 明主様のみ教えのすごいとこですね 。
同じところを見ても、捉え方が違う。見え方が違う。しかしみんな正解であると言う。
白ポチさんの紹介動画を見ました。
谷本議員の ことは、私も 落語家志らくが言うように思っていたんですが、 この人はわがままだと 、でも、
本当は背景に色々なあったんですね 。
それで自分の意見を通した。 白ポチさんらしい 、私も仕事の時はほとんど、 マスクの鼻は出してますね。
新健康協会も 9割以上は マスクはしてませんね 。
コロナ 、ワクチンを打ちなさいの同調圧力 、これはおかしいと言ってるのと同じで、よく分かります。
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曲げられた自然農法
これは2012年5月 ネットの記事、週刊新潮 でしょうか 、これは当時 神慈秀明会でも 話題になったんですが、有機肥料から発がん物質、 家畜の糞尿 発酵1年熟成させる 。
それが 中途半端な 場合は、 クロビラリド が発生、 これが影響させると 、無農薬 有機野菜は危険だと言う 記事ですね 。 また現代ビジネス、 講談社 2010年11月の記事に、「本当は危険な有機肥料」 硝酸性窒素、発がん性物質が体内で生成される可能性があると、
農薬を撒かなくても、 野菜の中に有機肥料、 亜硝酸塩 を発生させる物質が生成される。 口の中で唾液と化学反応を起こし、発がん物質に変わると、当時言われてました。
有機肥料というのは 、明主様が 肥料は害があると 、み教えにあるそのものですね。
東方の光 教団は 、発酵させているから安全だと言いますが 。
そうじゃなくて、土自体が 肥料の塊である。だから 肥料はいらないと、み教えがあります。
これを発見したと、ところがいつのまにか、
東方の光教団は発酵肥料を使っている。 どこから変わってしまったんですが、明主様のみ教えを否定する事になったんですか。
信者達は、これが自然農法だと胸を張ってやっている 。 世間に訴えている。 これは自然農法ではなく、
有機農法ですね。
他の物を入れる自体、自然農法ではない。 肥料、
土以外の物を入れる事で、 地霊の栄養補給を塞(ふさ)ぐ。
(み教え)
『今日までの農法は肝腎な土を軽視し、補助的である肥料を 重視したところに原因がある。
考えても見るがいい、いかなる植物でも土を離れて何の意味がある。』( 日本の農法の大革命) 昭和29年1月27日、
今 土を施かさない、野菜作り栄養液で 野菜工場、これも発がん物質発生と、当時秀明では言われてました。)
世界救世教いづのめ教団の EM 菌と同じで
、本家世界救世(きゆうせい)教は信用できない。 離脱教団はみ教え通りに、無肥料で土自体の性能を生かして作物を収穫している。
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(無題)
ある意味、教団は一般社会の縮図ですから御教えと多少違う点があって普通で、そこにこそ意義を感じますね。
人は、真っ当な事であったとしても、それを一方的に教え続けられた場合、ある一定までは成長するが、それ以上の成長は望めないと思います。
違うと思える点に自らで気付いて試行錯誤してこそ、素直に肚に落ちますし、本当に自分のものとなりますね。
今回のコロナ騒動を捉えても、そのように感じます。
騒動が長引けば長引くほどに、一人でも多くに気付かせたいという神様の深い愛を感じますね。
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(無題)
谷本氏とは息子のマスク外しの件で少し交流があります。
氏の想いや手法ですが、分かる人には十分に理解できるのですが、残念ながら理解できない人がほとんどでしょうね。
今回のエアドゥの件は偶然ではなく、後の報道のあり方をも含め意図的に嵌められたという可能性すら考えられます。
フェイスブック等で情報発信しているのですから仕方がないといえば仕方ないですが。
まあ、この一件より、この動画より、これからの世の中では臨機応変という姿勢も、より重要な鍵になりそうだなと感じました。
もちろん、しっかりとした信念を持ちつつですね。
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信念を通すとは
(み教え)
『何でも負けて先方の言い条を通させるんです。
これは腹の力を抜くのと同じです 。だから私はどんな部下のつまらない事を言っても、出来るだけ言う事を聞いているんです。
私が主張を通そうとする時は、悪に蹂躙(じゆうりん)させる時だけは強いんです。
が、 そうでない時には従っているんです。』
( 「研鑽の導き」 元、天聖真美会 から)
私は 谷本さん の 動画を見て思ったんですが、 信念を通すのは素晴らしいですが 、私は神慈秀明会の世話人が来た時にマスクはしてない時があるから、
あの人達はきっちりやってるので 、またスーパーで買い物時 、最近までしてないときもあって 、
水汲みに行くときも、一人だからと思ってしてなかったら、周りはしているので、 違和感をもたれていたと考えますが 、出来るだけ、公共の場では するようにしてますね。
明主様のお言葉に「景仰 」でしたか、? バカと言われたらバカになれ?と、あります。 こういう時は素直に 周りの動きに合わせるが 、観音行ではないでしょうか。
これは最後の審判だから、 薬を飲めと言われたらこれは断固拒否しますが。
本当を言えば 私はワクチンもどんどん皆、3回、4回打てばいいと思っている。
それはこれは最後の審判ですから、これで立て分けが始まっていると思うから、この信仰を一生懸命やっている人から見たら 、?わあ大変だ?と 言いますが 、
腹の底では思います。
今回のマスクの件、マスク拒否議員は マスクをすればいいのにと思うんですが。
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(無題)
信念を通す、とは自分自身に対して必要なことだと思っています。タテ。
相手が信念を通しているのであれば、それでいい。タテ。
現実的な利害で衝突する場合には臨機応変に調整。ヨコ。
だから相手と現実的に衝突していない場合は、ヨコ、実際の行動に関してどうこう言う必要はなく、
相手がちゃんと自身の信念に基づけているか、タテ、だけ見てあげたら良い。
想いをちゃんと行動に出せるように。
最近はこう思うようになり、スッキリしています。
たとえば秀明に関しても、
秀明の人達が信念に基づいて行動されているのであれば、タテに関しては素晴らしいと思うし、
そのタテを表現する時に他教団に対して排他的になったり、
信者間での同調圧力になりやすい気質などのヨコに関しては、
今までは批判してきましたが、すでに僕は利害関係がないので、
今は利害関係のある当事者同士で、結果でそのヨコの適不適を学んでいけばいいと思います。
時間は有限。
まず信念、タテを定めた上で、
自身の利害関係の調整、自分のヨコ、に本気で取り組むのが先で、
他人の利害関係の調整、他人のヨコ、は神様、当事者にお任せでいいんじゃないか。
そして、向上するに従って、他人のヨコが自分のヨコになっていくと思います。
以前18番さんが言っていた『自身の体験を求める姿勢』
ゲラちゃんが言っていた『一次経験があってこそ批判可能』
なども、他人のヨコよりまずは自身のヨコに関して話そうぜ、
って言っていたように思っています。
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2017年の秀明新聞から
私は平成3年10月23日に入信のお許しをいただき、現在世話人のお役をお許しいただいております。
私は20年前ぐらいに世話人をさせて頂いていましたが、信仰を失い、このお道から離れてしまいました。
しかし 明主様に再び導いていただき、3年前の平成26年に、再び神慈秀明会に戻って来る事ができました 。明主様ありがとうございます。
私はこの道から離れていた間、自分自身の悩みや苦しみを解決するために、いろいろなセミナーや勉強会などに参加しました。そして潜在意識のことや、気功、波動など、スピリチュアルな世界のことを学んだり、体験したりしていました。
その中で霊界の事がよく見える方と出会いました。
私は先祖のことが気になり、その方に岡田家と実家の家系図をみてもらいました。するとその方に「不思議だ、本来ならこれだけ地獄に落ちているような、先祖がいるのに、あなたの家族が普通に暮らしていることの方が、不思議なくらいだ。誰か余程、徳を積んだ者がいるだろう」と言われました。私はきょとんとしていると、「あなたとあなたのお母さんだね。」
「お母さんは今でも徳を積んでいるみたいだけど、一体何をしているんだい。」と反対に聞かれ 、私の方が驚いてしまいました。
私はその方の話を聞くまで神慈秀明会のことはすっかり忘れていました。
(この人は信仰で何かあったんでしょうね。離れたと書いてます、 しかし個人で 教団から離れて自分でやってる人もいますが、 霊界を救うという事、徳を積むというのは、どこまで個人でやれるのか、 だから教団を明主様がお作りになられた。
教団が今まで誤ったことをやり、またはこちらに落ち度があって、それに気がつかずに離れていた人もいますが、本当に力ある教団がいる。個人では絶対 限界がある。
自分なりに真、言、行で徳を積むとやっている人もいますが。)(一番)
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(無題)
自分のヨコ、とはそのための行動が伴うこと。
祈りも含まれると思います。
他人のヨコ、とはそのための行動を伴わないこと。
現実の行動をとってないならば、行動している当事者達に任せよう。
って感じですね。
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打てよ増やせよ
https://news.yahoo.co.jp/pickup/6418691
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(無題)
日本人しっかりしろよ!
世界はもう気付いてる!
https://www.youtube.com/watch?v=hOkvfOV3cY4
https://www.youtube.com/watch?v=sjmB0ukryDs
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コロナ
これから 緩和に向かうんですね。
黒森さん、 分かりやすかったですね。 この2年間は何だったのか 、どなたかの前の紹介動画、見ていたら 一人61万円が、コロナで国の借金になると言ってましたね 。医者のワクチンを打つためのアルバイト代 それも2、3 兆円 と言ってますね。 総額 77 兆円、 膨大な金額がコロナで 使われたと言ってました。これが多く製薬会社に入ってますからね 。マスク会社も、 安倍晋三、ふざけてますね。 安倍のマスク。
岡田茂吉教団も振り回されましたね。 新健康協会だけはマスクをしないで通しましたね。
PCR 検査はWho が基準を作っていると動画でありました。 病名作成も 。Who のマークは大きな蛇がとぐろを巻いています。気持ち悪い。
黒森さん、最後に これからワクチンを打つな、 今まで打った人は 、体に反応あるかもしれないと、言ってましたね。
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我と慢心は神もしくじる
らしいですから、いつなんどきでも自分の我で推し進めようとする心の状態(神無視)
には細心の注意をはらう必要がありそうです。
今回の流れ(自分の外側・環境・現象)を受けて、自分なりに導き出した答えですが、
どうやら、まだ実際に「救いの具現化」へ向けての話題を切り出すタイミングが早かった
ようだ、と思い直しました。少し質問のハードルが高過ぎちゃったのかな、とか色々。
信仰が自立に向かえば、自分なりの想い(個性)を意見として、臆せず先出しで出せる様に
なるのですが、(他の人の意見を待たずとも、自分の想いに責任・自信持てるので出せる)
それは軸(柱)が御教えから自分へと移行する為です。自分の軸(個性)が立つ=自立。
初期段階、軸だった御教えは『土台』へと変化する。(天津金木の十字部分のイメージ)
自分の想いを出しづらい人は、まだ御教えが軸の段階なので、誰かの意見を聞いた後での
後出しなら可能でも、自発的な先行ためらいがちなのは、自分の考え(個性)よりも、
御教えのほうが先行の軸と立っている(個性が後)の為です。
(注:御教え軸がダメだとか間違いとかの意味じゃなく、状態・段階の話です)
人の人生で例えても同様で、最初は親の教えを軸としますが、反抗期辺りを境として、
徐々に自分なりの考え(個性)が立ち上がります。親の教えは土台(基礎)へと変化する。
以前に何度か「返上」が話題にあがってましたが、私の理解はそういう感じです。
という事で、色々と思い直した結果、以前から意見募集(独自で勝手に)継続していた
「具体的なイメージ」と、今回の「救いについて」の意見募集も共に中断する事として、
言動(具現)のもう一歩手前のポイントとなりそうな話題に切り替えてみたいと思います。
次の問いかけなら、特に個性(自分なりの意見や考えなど)を求めずのままでも行けるし、
御教えが軸のままであっても自分の持てる知識の範囲内で対応できる。それに加えて、
仮に知らなかったり、又は投稿が無いまま(ソーシャルディスタンス)だったとしても、
各自の学びにも充分繋がれる。実に我ながら、なんてナイスアイデア!って思った(笑)
みなさんは【智慧証覚】という言葉の持つ意味を、どんな風に捉えていますか。
【知恵】と【智慧】の『違い』。それから【証覚】の意味など、どう理解していますか。
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本物
「私は 江戸時代から続く農家に生まれ 、父親から田んぼを引き継ぎ、持ち込まず、持ち出さず、収穫の副産物である籾殻(もみがら)を田んぼへ戻していた時期もありましたが 、
17年前の未信者の時から、農薬 肥料を使わず自家採種でササニシキを栽培しています。 自然栽培を始めたきっかけは、甥(おい)がアトピーで苦しんでいた時に、食べ物に大きな原因があると気づいたことです。
しかしお米の 収量が極端に減り、何度も自然栽培を諦めようと思ったこともありました 。
そんな中近所に住んでいる、世話人の小川里美さんが訪ねてきて、1月に仙台出張所のシュウメイ自然農法ランチ会にお誘いいただきました。 全てシュウメイ自然農法の食材を使ったランチの美味しさに感動しました。 2月のランチ会後には教修一講を聞かせていただきました。しかしシュウメイ自然農法とミホ・ミュージアムの美による感化は理解できても、御浄霊はあまり理解出来ませんでした。」
(自然農法の 無肥料のお米と、 救世教の EM、有機肥料を使ったのは、 匂いが違うんですね。 世界救世教のと、また生協の無農薬米は、肥料を使っているから、肥料の匂いがする。
新健康協会や神慈秀明会のお米には、それがありません。 だから世界救世教は EM 有機肥料を入れているから これは 自然農法ではなく、有機農法だ。
この有機肥料に害毒があると 、だんだん世間が分かってきた。亜硝酸塩という発がん物質が有機肥料から発生すると、 九大教授が以前発表してました。これは神慈秀明会で当時話題になりました。)(一番)
「秀明自然農法を実施して、お米を神慈秀明会で売ることができると聞いて 、私は 未信者のままでシュウメイ自然農法を実施しようと考えました 。所属の先生に圃場見学に来て頂き、流通担当の方とも打ち合わせをしていきました。その後次第に入信を考えるようになっていきました。
私は一人で自然栽培を頑張って実践して いましたが、家族に十分理解されず、昨年からコロナ禍で東京のお寿司屋さんからのお米の注文が大幅に減って落ち込んでしまい、思い込む日々が続いていました。
しかし神慈秀明会に出会えたことで、自然栽培に理解ある人が大勢いることを知り、 自分のお米を求めてくれる方々と出会えて本当に嬉しく 、今まで辛くても頑張って自然栽培を続けてきて、本当に良かったと思えました 。
大きな神様の力が働いて、神慈秀明会と出会うことができて、シュウメイ自然農法は、神慈秀明会の信者にならなければ実践できないと、思うようになりました 。
3月28日に3回目のランチ会に行かせていただき、2講入信のお許しをいただきました 。
一緒にランチ会に来ていた未信者の方は、朝から右手が痛くて包丁も握れないほどでしたが、私の初めての御浄霊の練習の時、その方に御浄霊させていただくと、1回の御浄霊で痛みがなくなるという奇跡を見せていただき、 とても驚きました 。後略」
(先月の神慈秀明会新聞から )、
(宮城県 加美郡 、浦山さん)
-
(無題)
>それは軸(柱)が御教えから自分へと移行する為です。
自分は共感できるけど、
例えば『素直が一等』と教わってきた明主様信仰者は、
中々こうは思えないんじゃないだろうか。
軸は御教えに決まっていて(タテ)、
それをどう実生活に生かしていくかがヨコ、のような解釈の明主様信仰者は多そう。
また、人によっては御教えを軽んじているような印象を、上記の文から受けるかもしれない。
まあそれはそれでいいと思うけど。
学びの段階はそれぞれなので。
一般論として、回答がどのくらいもらえるかは、
『発言者との距離感』+『内容が響くかどうか』かな〜。
最近は眼の浄化を通して、浄化の再現性に取り組みたい想いが強い。
浄霊とは科学。
科学とは再現性。
色々な奇跡といわれる結果があっても、
そこにいたる再現性が分かりにくければ、
世に広まりにくい。
宗教的には『お許し』という視点にはなるが、
たいていの人にとって『お許し』の再現がいただける様な
手順の一例を後世に残したい。
具体的には無料ブログにまとめてアーカイブで長く残せたらな、
と思っています。
今はそのための、主に継続的自己浄霊を通して
体の変化を感じている最中と捉えています。
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T先生
いづのめ教団 T 先生、 この掲示板をご覧になってると思うんですが、 教団が今 存続 の危機を迎え 、使命感をもって再先発されていると思うんですが、
明主様のお孫さんの 世界メシア教がキリスト教になってしまってます。
これをおかしいと非難されますが、 世界救世教の誤りが、 東方之光の川合氏や、 いづのめ教団の渡邊元理事長、まだおられますが 、これまでは許されてきた。
これによって、信者が選別されました 。
これから国常立尊がお出ましになって、現界を清算されます。 今までのようにはいかない。
私はこれからは世界救世教は 存続 できない。
それは明主様の御教えを誤った方向に導いているからです。一つの例が自然農法です。
もう今現れてきてますよね。
世界救世教は反省しなければいけない。
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スサノオノミコトの片鱗
「(前略)
奥様は昭和29年 6月13日に、言う事をお聞きにならんので、しかも あの時 長唄(ながうた)の会があって
東京へ、キャデラックという明主様のお車に、?黙って?乗ってお出かけになった。
明主様は非常にお肚(はら)立ちになって、『絶対許さん』という事まであったんです。
その時は、お側におった人達も随分心配して、お叱り頂いたりして 、その時難なくお詫び申し上げて、済んだ事は 私が行って奥様に色々お話して上げ、 もし聞かれなかったら、アレコレ言うつもりであった。
なぜなら その時には、『離縁する』という、お言葉が出ている以上はやれるのです。
でないと明主様の奥様なんだから、 何か申し上げた時、たとえ理屈があっても、明主様がちょっと来いと仰しゃったら、それは申し訳は出来ませんよ。
『わしの女房にあんた、いらん事じゃないか』と言われれば、私はお詫び申し上げるほか、何事も言えんのです。その時なんか、いとも、鮮やかなものです。
(奥様)「私は今まで、随分、 先生(明主様)の為と思ってやって来たのに、こんな情けない事を言われた、どうすればいいか 分からん。」
(木原先生)「 あんな事、ちっとも情けない事じゃないですよ。? 大本の神様?を、あなたは お祭りになっている。そんな理屈に合わん事はない。
私は今まで、申し上げようと思っていましたが、今日は申し上げます。」と言った。そうしたら、その時は素直だったのですよ。
「お返しになって、お詫びなされば、お許しになるに決まっておりますよ。」と申しますと、奥様は「 木原さん、いいでしょうか」と言われるから、「なあに、心配いりませんよ。
『いかならん罪も許させ、いかならん罪も、とがむる天地(あめつち)の神』と、神様が仰しゃったのですよ。」
「『許さん』と仰しゃったら、神様じゃないですよ。」と言った。
使いの人が行ったら、明主様は『うんそうか、そんなら、よしよし』と、簡単にお許しになった。
それは御神業なのだから、あるいは、 お気障(ざわ)りになっているんだから、 そういう事を色々考えてみますと、私達に明主様は何と仰しゃったかと言いますと、『私は私の命に 関わらん ならば、何でも許す』と仰しゃっている。
そうするとキャデラックに乗って、お出になったのは、たったそれだけと思っている。
神様の命に関わるという事です。
それから※『大本の神様をお祭りになっている事は、許さん』と仰しゃるから、お命に関わるようになったという事です。
ところが、奥様は「返せばいいでしょう。」と言われたが、気持ちの中から、お返しにならなかったのです。
・( 胸中では大本の神を信奉し続けられた。 薬 服用もある。)
(中略)そして6月15日というのが明主の御肉体を通して、私達は『天照皇大御神様』(メシヤ降誕仮祝典)を拝んだ。(後略)」
「新健康協会教長様のお導き集」 第一集
??????????????????(昭和30年4月25日)
・(メシヤ降誕仮祝典の二日前、こういう事があっていたんですね。
だから 二代教主推戴式の時 大本式のお灯明が、御神前に灯(とも)っていた訳ですね 。
夜の時代に戻された。 それを神慈秀明会は知らずに、採用しているんだから、いつ廃止になるか注視したい。)(一番)
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ほつまつたえ
私はこの手の古代文書的な話には全く疎いのですが、たまたま見つけたので。
1番さんがこの間、男神である天照天皇について投稿されていましたが、神代文字で書かれているという「ほつまつたえ」には、天照大神とは男神であり、奥様は祓戸四柱の神のお一人、瀬織津姫であるとあるそうです。
ちなみに明主様は神代文字は
「日本の神代文字について御説明下さい。」
「神代文字は日本独特のものではない。ヨーロッパから来たものと思う。ローマ字に似ている。日本歴史以前、インドもヨーロッパも日本へ来た。神代文字はそれであろう。(S23. 1.13)」
「古代文化研究のため神代文字を学びたいと思いますが、果して神代文字は古代に存在したものでしょうか。また、存在していたとすれば価値あるものでしょうか。」
「存在していた。どの位古いものかはっきり分らぬ。少くとも神武以前である。酒井勝軍という研究家がある。暇があったら研究してよいが信者には暇がない。研究しても大した価値はない。(S25. 5.16)」
と「神智の光」にありますから、信者はそんなことを研究するよりもっと他にやることあるだろ、ということみたいですね。
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二代教主と天照天皇
天照天皇は男なんですね。 瀬織津姫が奥さんですか 、これは 興味深い 。
明主様が「日本人種の霊的考察」の中で、 天照天皇を 研究した者がいないと仰しゃってました。 そこで元専従さんの投稿で、天照天皇は
明主様の前世であるというのが、 真実味を帯びてきましたね 。これを 今まで隠されていたとありました。
何を隠す意味があるのか 。
ここですよね。 メシヤ降誕仮祝典の2日前、 明主様がメシヤを宣言され最高の霊的に昇詰められた時、
奥様はのんきに、ご自分の 長唄の趣味で、無断で明主様のお車を使用する。 考えられません。 本当ならサポートしなければいけないお立場 、信仰がない。
二代を継がれた 奥様が、
今の世界救世教の 地盤が崩れる基礎を、この時作られた。
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崩壊を招く
明主様がお作りになられた世界救世(メシヤ)教 、それが 二代教主になって変貌していく 、
それを利用してまた幹部達が 、世界救世教を変えてしまう。 一元化という野望を持って、一人の人物が 中心となって、 外部から 右翼団体のボスを招聘(しようへい)する。
そして、 そこに また 二代教主も 共同作業を行われる。
まず教団の名前を変えられる 、世界救世(メシヤ)教から、世界救世(きゆうせい)教へと、 明主様が 御神体と言われた、御尊影を御神前から外される 。
「教えみ、おや主の神」として 、主神ではないと宣言される。
そして御尊影の疥癬痕(かいせんあと)を修正、(メシヤの入霊) 御神体として 戻された 御尊影の焼却 。
そして今度は 中心になる幹部の一人が 、 世界救世教 を乗っ取るために、 個性ある教団を全部、 一元化して、自分の意図で動くように工作を図る。
その時に一番勢力あった神慈秀明会は 離脱をする。
その前に一番初めに離脱をしたのが、 明主様の御尊影を 御神体として 、お取り扱いしないとする教団に、異議を申し立てられた、これが新健康協会になる。
それからいくつかの教団が追随する。 これで本当の明主様信仰は守られた。
今の世界救世教と、また離脱教団を見たら神様の経綸が 、ハッキリとしてきました。
それを知らない純粋な信者達は、まだ 夢を見ている。
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瀬織津姫
「神苑(秀明聖地)(みその)
と 太神(たなかみ)山 、 の 麓(ふもと)から流れる瀬田川(中略)、滋賀県大津市に 祓戸(はらいど)四柱の神を祀る佐久奈度神社があります。
ここは「大祓祝詞」が生まれた地で、 瀬田川はそこか
ら京都で宇治川大阪では淀川となり、瀬戸内海に注ぎます 。佐久奈度神社で禊ぎ祓いをしてから、『伊勢神宮奥の院』である。
朝熊山に参拝するのが、古来の正式な順序であると言われました。
朝熊山山頂の金剛證寺に祀られている、平安時代の
木彫 雨宝童子像は、お伊勢参りの※本当の御神体であるとも言われています。」
(秀明新聞2月号から)
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
( これは 皆、お伊勢参りとして伊勢神宮の 天照大神、(女神)副神をお参り していた 。
しかし霊的には 朝熊山の寺、御本尊として『 天照皇大御(天照天皇)、雨宝童子をお参りしていた 。
これは昼の世界になるまで 、お隠れになっておられ、 隠されていた。)
( これは ホツマツタエ、「古事記」「日本書紀」の原文とも、勉強中さんの紹介、『天照大神』は男神で 、奥様は瀬織津姫になると ある。
これは神慈秀明会にある、「大祓祝詞」が生まれ、四柱の神が祀られている神社。 瀬織津姫とまた
お祓い これは裁く意味に、 裁くはエンマ大王、 国常立尊、 繋がってきますね。
ここに天照皇大御神( 雨宝童子)が、ご本尊としてお祀りされている。 やっぱりこの雨宝童子(秀明)は、メシヤが焔魔として裁く時期が来た 、お出ましになられた。)
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(無題)
読売新聞オンラインより
https://www.yomiuri.co.jp/national/20220222-OYT1T50044/
『新型コロナの死者は、死因にかかわらず、死亡時に感染していれば死者として計上される。』
これは国が決めた指針ですが、その数をそのまま逐一報道する事自体が大きな問題ですね。
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(無題)
https://youtu.be/wfuPOOy2KrA
「イスラエルでももうコロナは終わった」という内容です。ワクチン4回目接種が報じられている国ですが、実は今はワクチン打ちに行く予定だというと医者がやめなさいというのだそうです。興味深いのは、この動画がワクチン反対派ではない人のだという点です。
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(無題)
先で岡田茂吉教団は再構成されて神慈秀明会は大きな役割を果たすと私は信じているんですが 少し神慈秀明会のあの素晴らしい富士山の形をした後親善名様富士山は富士の扇の形を発展を意味しているという言葉がありますが しかしこの後神前に御尊像があってその前にろうそくが並べてありますがここに火を灯すわけですが これこそ大本式なんですね 俺は高浜原信さんが 開設された サイトの写真から です
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004984.jpg
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神慈秀明会の 御灯明
先で岡田茂吉教団は再構成されて、神慈秀明会は大きな役割を果たすと、今信じているんですが、
しかし神慈秀明会のあの美しい、富士山の形をした神殿。富士山の扇の形をしてます。『富士の型は
発展を意味する』と、お言葉がありますが 、
しかしこの御神前に御尊像(明主様)があって、その前に?ロウソク?が並べてあります、ここに火を灯す訳ですが、
これこそ大本式なんですね。
これは二代教主が された 、熱海の「救世会館」 御灯明 と 同じ。
これは新健康協会、木原先生が書かれてます。( 教長様お導き集、昭和30年5月5日)
ここでは『真理の具現』を拝読され
木原先生の言で、
「最近の新聞が小児麻痺予防ワクチンが完成し、医学の勝利であるかのごとく、活字を大いに報じている記事に節し、大々的に宣伝された新療法 とか、新薬とか言われるものが、ことごとく一時は重宝がられ、多いにもてはやされる 。
人の噂も75日 、しかいつしか影が薄れ忘れられてしまう事実を思い出す。」( 抜粋)、
これは今を仰しゃっているようで、そして、(中略 )聞くところによれば、 今の世界救世教では?明主様は最高神ではない。?
最高神がおられ、そして?明主様はそのお使いとして来られた。だから明主様ありがとうございますという事、御礼申し上げては神様に、ご無礼になる?という事を言っているそうです。
これは大変な間違いなんです。」
(そこで御神前から明主様のお写真を、外に外した訳ですね。最高神として捉えてはいけないと 、
そして、御灯明を大本式のやり方にすぐに変えてしまった。奥様は 明主様御在世当時から大本信仰されていて、大本の神様を祀っていたとありました。
同じ屋根の下におられたので明主様もご存知であったのだと。
どれだけ明主様は腹の中で 憤懣やる方ないと思われていたのでしょうか。
(二代教主はおっとりされてるが、腹の中ではスサノオが 教団崩壊の機を狙っていた。)
(木原先生)
「明主様がご昇天皇遊ばして、すぐお祭りの様式が変わった。どういう風に変わったかと言うと、ロウソクを、ご神前につけたのです。明主様は
『昼間になったんだから、夜の神様ならロウソクでもつけんと暗かろうからな。』と仰しゃったんです。
御在世時、メシヤ教では、?おあかし?はあげなかった。
それを今度はつけた。
いわゆる夜になってきた。 だから?夜の神様?の拝み方になります。」 と書かれています。
離脱でバタバタとして、会主様が考えが及ばれなかった、 会主様がされたこと 、いくら誤りでも、
変えないというのが、 秀明と思うんですが、
勇気を持って明主様のお言葉通りに戻すべきだと思います。
これは高天原 誠さん、 開設サイトからです。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004985.jpg
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(無題)
1番さん
何度も投稿されているロウソクに関するお言葉はどこにありますか?ちょっと探してみましても見つかりません。
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御灯明
これは古いご講話の中で、 ろうそくをはいけないそのようなお言葉がどこかに書いてあったんです 。
岡田茂吉全集 の初めの頃でしょうか 、 今ちょっと探したんですけど、探しきれませんでした。
木原先生がご講話でお話しされているのは、明主様のご講話で覚えておられたのか、直接お聞きになられたのか、 ゆっくり探してみます。
ただ言えることは理屈があってますよね 。ひとつの検証としては 過去の明主様ご在世当時の御神前には、
ロウソクがありません。
それから 立教された頃の御神前にもありません。 そして山根先生 が撮られた当時の写真に 御灯明 はありません。本(白い骨)
そして神慈秀明会の 明主様御在世中の御神前の写真が、ネットで公表されました。ここにも御灯明 はありません。以前 離脱教団を7、8ヶ所回ったんですが、 ほぼ 御灯明 はありませんでした。
もちろん新健康協会にはありません 。東方の光が元に戻すということで、 御灯明 を廃止しましたね。
これを見ても明主様のお言葉が 、あつたと言う裏付けになると思います。
これは掲示板にも投稿しました、 二代教主推戴式の背景にお灯明が備えてありますから、
ここから始まったと思うんですが、
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ロウソク
またもうちょっと探してみましたがどうも見つかりません。
見つかったらぜひお知らせください。
こういうことはちゃんとしておきたいですよね。リンゴに関したお言葉を取り違えてご注意を受けたエピソードもありますしね。
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(無題)
信者の質問
「御仏壇にお参りする際に、御灯明とお線香をあげるのが本当でしょうか。」
明主様御垂示
「灯明は上げた方がよい。仏界は暗いからである。」
このご仏壇に関する御垂示から、御神前の意味合いを踏まえつつ、どう察するのか?という事でしょうね。
それから、また異なる観点から一つ。
日本人種の霊的考察(上)
https://ncode.syosetu.com/n1738br/
(一部抜粋)
「ここに注目すべき事は、出雲神社では古くから今日に至るまで、不消の火と言って、灯明を点け、その灯を移しては取変えて、今日まで決して絶やさないそうである。それを二千年以上続けて来たという事は、何か余程の意味がなくてはならない訳で、考えようによっては、再び復権する日まで血統を絶やすなどの意味かも知れないと想うのである。」
(抜粋終了)
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(無題)
ボンボリ(灯明)の要否については以前からみ教え(岡田茂吉全集)で私も探していますが、まだ見つかりません。
全集の著述篇はすべて拝読しましたがありませんでした。(但し補巻は未読です)。
おそらく講話篇のどこかに信徒の問に明主様がお答えになった形で掲載されている感じがします。
我家も50年以上も前に大光明真神を父がご奉斎しましたが床に八足と花器と御簾まで父は準備しましたがボンボリは準備しませんでした。
当時、教会や布教所にはボンボリが設置されていて、父に『何で家にはボンボリがないの?』と聞いた所、昼の世界になれば明かりは不要との返事でした。
その後父も亡くなり、随分あとになってからボンボリを購入して使用していましたが1〜2年前に片付けてしまい現在は使用していません。
どなたか、どこに載っているかご存知の方がおられましたら掲示板へ投稿お願いします。
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御灯明
すいません。なかなか見つける事ができず、確かに以前りんごの件で誤った事を書いてしまって、
誤解をうみましたので 、なるべくないようにしたいと思います。書かれたもの
ゆっくり時間をかけて探してみます。ある時パッと出てくるかもしれませんので、
外堀検証から させてください。
これは昭和27年 山根先生 のお写真 、 御灯明ありません。 御神体と一緒に御尊影が 祀られています。
御尊影、 事情によっては
御神体よりも上に お祭りされてます。
渋井総裁の写真、これは宝山荘でしょうか、 ぼんぼりはありません。 昭和26年となってます。
山根先生の右端の息子さんとの写真には、ぼんぼりがあります 。
これは二代教主就任後のお写真と思われます。まだご神体とご尊影は、一緒にお祀りされています。後からお写真が右横に外されるわけですね。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004991.jpg
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(無題)
当時のお写真でも教会の御神前に、?お灯明?はありません。 (左に大黒様が 祀られている。)
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004992.jpg
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立教時の御神前
昭和10年 立教された時は、無いですね。 右に 明主様
中央は『日の出観音』の御神体、前には お神酒がありますね。 御灯明
どこにも ありません 。もうこの時から大本教と決別する、大本教との違いを見せられています 。
?御灯明?は夜の神様を祀る暗い世界。
これから、ご自分は昼の世界を創ると この時、お見せになられた。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004993.jpg
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御灯明 4
「イヅノメ24号」で、竹島久雄さん( 教団参与)
聖地入信式 「救世神殿 」祭員として明主様に、ご奉仕すると写真とあります。
?御灯明 ?がありますね。
この時はもう二代様の時代です。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004994.jpg
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御灯明 5
昭和27年のご面会のお写真とあります。 中央に観音様の絵の御神体、
ご神前に 御灯明 はありません。
他も教会の御神前ありますが、御灯明はありません。
これを見ても これが正式であると判断できますね。
右下に奥様のこちらを向いてるお写真がありますね。この方が大本式に戻されました。
後に入信された人達は これが当たり前だと思っている。神慈秀明会もそうです。
元の明主様時代に戻すべきであると思います。
奥様は 明主様御在世当時から大本教を信仰され、
ご自分の部屋に神様をお祀りされていた 。腹の中はスサノオノミコトなんですね。
だから御神体「大明光真神」を、ご自分で書かれた、
明主様入霊御尊影は 焼却 された。 二度とお光が出ないように修正され、霊を抜けられた。
その御尊影は、御神前 右横に新しく枠を作って、御神体として祀ってはならぬと闇に宣言。
神慈秀明会はこれにならった。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004995.jpg
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(無題)
Minoruさんの出してくださったのは「神智の光」からですね。ありがとうございます。
霊祀篇 第二篇 2
025 灯明と線香
御仏壇にお参りする際に、御灯明とお線香をあげるのが本当でしょうか。
灯明は上げた方がよい。仏界は暗いからである。
026 線香
御線香は大神様へ(イブシ)の意味と伺っておりますがどうでしょうか。
全然上げなくてよい。上げぬ方がよい。仏であるから、メシヤとなった以上、絶対上げぬ方がよい。(S25. 2.23)
線香に関して強いお言葉を使われていますが、御神前で線香をつけていた人がいたんですかねえ?
この記録が正しければ、25年の2月には「メシヤとなった以上」とおっしゃっている。メシヤ「教」となった以上、の意味でしょうか?
先日拝読していた部分では、「大光明如来は仏」であるとおっしゃっていました。どなたかも以前ちょっと触れられていましたが、神人合一となられた後も、なぜ大光明如来の御神体を書き続けられたのでしょうか?
灯明の話題からずれてしまいますが、「神智の光」にご神名に関する部分がありましたので、後で投稿させていただきます。
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(無題)
それから1番さん、「リンゴ」の件は、明主様がリンゴは好きではないとおっしゃったのを誰かが取り違えて、リンゴを食べると医者いらずと言うし、リンゴは薬つまり毒だという話を広めてしまったので、それを明主様がご注意されたというエピソードのことを書いたのです。言葉足らずで、お気に障ったらすみませんでした。スマホから投稿すると時間がかかるので、つい簡単に書きすぎてしまっているかもしれません。お許しください。
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(無題)
皆さんご存じの内容がほとんどかと思いますが、自分の覚書として。
「神智の光」主神篇 5 より
土が加わらなくてはならぬ。人間が拝む、そして人間の身体へ光明が入ると、三位一体の力が出る。今は光明如来のお働きである。二十五年から先になると、日月地(ミロク)のお働きになり、如意宝珠の働きになり、絶対力を発揮出来る。
天照大神は、太陽の表現神で、位は一番上である。日月地が順序である。
そして観音の御働きの三分の一が天照大神であるし、全部の力を合したのが観音である。また、月と土の力が夜であって、日が加わって、日月地となり昼となる。信仰が進んで来ると判る。
光明如来様は神の分子が余計になるし、応身弥勒も神の方がよけいになり、日月地大神となると本当の神となる。
観音様は光明如来となられ、応身弥勒と化される。そして次に本当のミロクとなられる。応身弥勒までが仏で、大神になられて、本当の弥勒になられる。弥勒は仏の弟子で、ミロク大神となると――五六七大神、日月地大神と書くのが本当である。今はまだ神様は早い。
善言讃詞は神様に奏げていい。
応身弥勒は神である。
今は夜昼転換の中間期で、観音は神仏両方になるが、今迄は仏の方が多かった。今はどっちへも決められぬ。そのために祝詞と観音経と両方やっている。
今に善言讃詞は昼になれば替える訳である。
神人合一の後、なぜ「五六七大神」「日月地大神」のご神体をお書きにならなかったのでしょうか?
以前、主の光のご神体は五六七大神だったと思いますが、あれも切り貼りしたものでしたっけ?
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御灯明 6
明主様のみ教えわは、絶対でありますが 、その時の状況によって、 お言葉が変わっていく、基本は 、
その時は夜の時代か、夜から昼になろうとしている時代か、昼の時代か、これは人間にはなかなか気づきにくいものだと思います 。そこで仏壇に 灯明 はいる。
私も仏壇には灯明と、ろうそくで火をつけていますが
仏の時代は夜の時代ですから 、 御灯明 がいるというのは 理屈があると思います。
神様は昼の時代ですから、今の時代ですから、明主様も 、明主の位からメシヤ、最高の位にお着きになられました 。
それだったら御神前に御灯明 がないのと、 仏壇の灯明 とは全く違う 。 救う方と、救われる方、神様と仏は違う。
ですから、これからは 、御灯明 はいらない。これは仏界もなくなると仰しゃっていますから 、今から、大きく変化していると捉えるんですが 。
下のは神慈秀明会が救世教から離脱をして、明主様の御真筆御神体に 変わる時の式典で 、この時観音様を多くの人が拝したと書いてあります 。真夜中にご遷座祭松明(たいまつ) 煙りで 映りがはっきりしませんが、御神前、 しっかり御灯明がありますね。
その下の写真は、 熱海、世界救世教 、救世神殿の御神前です。また
メシヤ降誕仮祝典の時のお写真が1枚ありますが、
後ろの金の隔て、壁と言うんですか 、あそこに御灯明 はありませんね 。
神慈秀明会は教祖殿にこの御神前の背景を取り入れていると、高天原さんは書いてます 。
そこで秀明のロウソク、これは違うと思いますね。
(追伸)
メシヤとなった以上、線香あげない方がいい 。
これはご神前ではなく、仏壇に対する事で 、その中に 幽世大神おられますね。
そしてこれを総括する 意味でメシヤという、お言葉をお使いになられたのではないでしょうか。
御神前に線香をあげたという事じゃない 。
あなたも、そう書かれたのではないかもしれませんが、これは私の解釈で ちょっと思いました。
これは 30年 奉仕者の 話 です
(お言葉)
『今までは考えて物をするという事もあったが、
メシヤとなってからは、全くそれがなくなった。
メシヤの都合で予定が急に変更する事があり、まるで、分からぬ。』と仰せられる。(側近奉仕者)
もうこれから御尊影が御神体になると お考えであったのが、急に 外部の状況でそれが不可能となって、メシヤ降誕本祝典が、仮になったというところではないかと、 どういう事なのか判からん。 憤懣やる方ない。と、お捉えに、と
私は捉えているんですが、 そこで まだ昼の世界の途中であると、元の『大光明如来 』にお戻しになられた 。
何か、そこに お気持ちの現れがと 、少し垣間見えそうですが、これはまた違うかもしれません。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004999.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0004999_2.jpg
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(無題)
「大神様へ」とありましたから、ご神前の意味と思ったのですが。同じ本の別のところには、仏壇に線香は喜ぶ、とありましたし。
ところで、蝋燭の入ったボンボリがいけないんですか?私の教会は神床の天井に蛍光灯が取り付けてありますが、電気ならいいのですか?
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(無題)
>神人合一となられた後も、なぜ大光明如来の御神体を書き続けられたのでしょうか?
これは、霊層界では神界より仏界の方が低いところに位置していますので、より一人でも多くを救う為だと思います。
特に各家庭や拠点で御奉斎する御神体とは礼拝の対象でもありますが、具体的な救済力を持ったものでもあります。
ですから、ある意味、明主様の眷属が働きやすいように、という理由からでしょうね。
また、『鰯の頭も信心とは大いなる誤りである』から色々と察することが可能だとも思います。
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ロシアの軍事行動
スマホにロシアがウクライナに 軍事行動 確認とありましたね。
アメリカが これもわからんですね 。以前イラクに軍事行動したときも、 あそこに何か隠したものがあると言って当時攻撃しました、
それが後でなかったと、発表しましたから、これで利益を上げるのは誰か、フリーメイソンですね。
武器を沢山売って、また 不安定になる事で燃料代が上がってますね。
これは石油関係の財閥でありますから、
コロナで製薬会社が大儲けして、今度は石油で大儲けですね。
台湾も中国の攻撃が危ないと、アメリカから 1兆円の 武器購入と言ってましたね 。北朝鮮や中国をどんどん煽(あお)る。
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御灯明 7
また資料でてきました。昭和23年、12月旭川、あさひ光教会発会式 とあります。
世界救世教参与、中村重留さんの、
「いづのめ誌」の記事からです。
色が濃ゆいですが背景に?御灯明?はありません。
「山に入りて木を見ず」ということわざ、 神慈秀明会は、 あまり深く入っているので、肝心なところを見落とした。
しかし本来の ところまで持っていくには、 今うまくいっているので、 出来ないでしょうね。会主様がご在世なら可能なんでしようが、しかし
本当に不思議ですね。今でも超奇跡が頻発しているんですから 、あそこは浄霊実践 、お救い実践 教団ですから、 徹底してますから。 うちも行っていると言われるかもしれませんが、 桁(けた)が違う。
天井から灯明、ろうそくとか 電球とかじゃなくて 、
それは家が暗いからつける理由で 、
お昼の神様ですから、 明るいんですから、必要ないと仰しゃっているんですね。 明主様がされていた事、 元に戻すというのが正解じゃないですか。
大本教は 暗い夜の宗教だった。 だから明主様は 使命を持って 離脱されました。
みのるさんの投稿に、『 日本人の霊的考察、上』で、出雲大社で2000年以上、 御灯明の 火を 灯し 続けている。
御灯明 、それは今日 思いを 復活させるための意味があると、 書かれているとありましたが。
私は その 灯火 が 夜の時代を 表していると思いますね。今日の 世界救世教や神慈秀明会のお灯明に繋がっていると思いますね。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005003.jpg
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御灯明8
2002年、今から20年前の 京都 「世界メシヤ教会」御神前です。写真では撮れないので、スケッチしました 。御灯明 ありません 。 御尊影が中心に をご神体と祀りされています。これが本来の形なんですね。
この状態だと 誤解されません。 当時としては御尊影だけでは 、人間を拝むとして、誤解をされますので、
では、 世界救世教いづのめ教団 、なぜ外に外さなければいけないのか。
このような形に世界救世教や、神慈秀明会はしていませんね。
ルクスオリエンス、 東京黎明教会、救いの光教団もありませんでした 。もちろん新健康協会もありません。
他の離脱教団はそこは、はっきりと 戻しているんですが、肝心の神慈秀明会はそのままにしています。
これは私の拠点の写真です。 支部竣工祭、 昭和59年12月 5日とあります。 御灯明 があります。
会主様がまだ御在世でした。
誰もそんなことは気がつきません。
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005004_2.jpg
https://img.shitaraba.net/migrate1/9205.hirunosekai/0005004_3.jpg
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(無題)
しつこいようで申し訳ありませんが、1番さんはやはり蝋燭にこだわっているように思いましたが?
神慈秀明の明主様像の前にロウソクが並べてある写真を載せて下さった時、
しかしこの御神前に御尊像(明主様)があって、その前に?ロウソク?が並べてあります、ここに火を灯す訳ですが、これこそ大本式なんですね。
と書かれていましたが、ではあれが電気のライトで、足元からライトアップされていたらどうなんでしょう。何か変わりますか。
教会でお祭りがある時、普段の朝拝等ではつけない電気もつけてご神前全体を明るくします。そうやって電気でいつもより明るくすることと、ロウソクをつけて明るくすることと、違いがあるんでしょうか。
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御灯明 9
ロウソクと電気の違いですか、 ロウソクと電気は これは どう説明したらいいんでしょうか、 電気とロウソクは違うと思うんですね 。
どう違うんでしょうか 、電気はこれは 点(つ)けないと暗いですね、暗いと部屋全体が陰気になりますね 。
ロウソクは、それから今度は儀式的に扱われますね 。
仏壇だったらば 、仏様に対する 想いと言うんでしょうか、 暗いところでは申し訳ないと、灯します。
ご神前ではやはり 儀式 ですね。 出雲大社で2000年灯明が灯り続けている。これは何か一つのことを守り続けているという事がありましたね。投稿されてました。
これは儀式ですね。 私はここだと思うんですね。
電気というのは 、これは今の時代では必要なもので、生活の一部、空気のようなもんですね 。
しかしロウソクは別に点けなくてもいいわけですね 。
電気があるんだから、 御神前の電球例えば 照明、
これは儀式ではないですよね。
暗いから皆が判りやすくするため点灯する。 玄関の電気、階段の電気と同じですね。
この差だと思うんですが。
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(無題)
>このような形に世界救世教や、神慈秀明会はしていませんね。
という事は、他の御灯明のない教団とは、若干、御用向きの設定が異なるとは考えられませんか。
御灯明の有る無しは、その教団の霊界の明るさに相応していて、無い場合は明るめで、有る場合は暗めなのではないかと考えます。
例えば、霊界的に低い階層にある人などは霊的には弱い光、つまり、暗めを好むのではないかと思います。
ですから、明主様が入信者への門戸をより広くするために、あえてそのような設定にしているのではないかとも感じられますけどね。
現在の神慈秀明会で奇跡と思えるような事が多いことも、発展していることも、その辺りが理由ではないでしょうかね。
いづのめ教団については救世教本体で水の聖地を頂いている訳ですから、その御役目から察しても然りです。
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御灯明 10
私は今回投稿させて頂いて、みのるさんの投稿されたものが決定的なお言葉では、なかろうかと思うんですが
、それは み教えの『日本人種の霊的考察』( 上) の中で
『 (前略 )、ここに注目すべき事は、 出雲神社では古くから今日に至るまで不消の火と言って、 灯明をつけ、 その灯を移しては取り替えて、今日まで決して 絶やさないそうである。
それを2000年以上続けてきたという事は、※何か余程の意味がなくてはならない訳で、
考えようによっては、※?再び復権する日まで血統を絶やすな? との意味かもしれないと思うのである 。(後略)』
ここですね 。ここに全てあると思うんです、
つまり大本の神様 、血統、霊統これを絶やさない。
それを象徴しているのが、この灯明の灯であると
思うんですね。
そこで二代教主はご自分は水の御霊 、大本の神様を明主様ご在世中から、自室で祀っていた 。腹の中では、スサノオの尊ですね 。
これを明主様の元で長年、 使えておられた井上茂登吉先生もお書きになっていますね。 素戔嗚尊が邪魔をしてきたという事を書いてなかったでしょうか。
そして 明主様が御昇天なられたので、出番が来たとして 、二代はすぐにお灯明をつけられた 。
これは出雲の血を絶やさないという事ですね。
出雲が占領をしたという事ですね。奥様が明主様のお書きになられた御神体、お写真を排除して、ご自分で 「大光明真神」の御神体を書かれた。
これは
世界救世教を占領したという事ですね。
たかがお灯明 、神社でもお備えしてあるので、誰も気がつきませんが 、邪神は静かに 、やっているんですね。
これに騙(だま)されたのが、神慈秀明会ですね。
それが灯明 と、「教えみおやぬしの神の、御神名」をお上げする事。、一番大きいのが御尊影を外に出してしまったという事ですね 。
しかし、それ以上の事を神慈秀明会はやっているから 発展している。
これはみ教えの『 信仰の合理性と再浄化』 にあります。
『 そもそも世の中の事は一切相応の理によって動き、道理に合うように出来ている。
特に信仰にあっては、それが 顕著である。 (中略 )この理を一層分かりやすく言ってみると 、例えば生命の価値を10とすれば、 10の感謝ならプラス・マイナスであるが、10以上であれば、その余分だけはプラスになり、神様はその何倍にも当たるお恵みを、下さるものである。
それと反対に感謝が五とすれば、差し引き五だけマイナスとなるから、神様への借金となる。』
(借金をしているのは、今の世界救世教だと思うんです。 今まで沢山 先達が裏で悪い事していますね 。それが今から裁かれて、マイナス分が出できてますね。 今教団壊滅の危機がそれを表しています。)
マイナス
しかしそれ以上の事を神慈秀明会は 実行している。
だからあれだけ発展しているんですね。
明主はみ教え拝読と、実行という事を仰しゃってますね。秀明は それをやっている。
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山根 幸一先生
山根幸一先生の本を改めて見直していますが 、
神慈秀明会が出てきますね。
気がつかなかった。 この先生は 自然農法にEMを取入れを、比嘉氏から学んだと書いていますが、 もうこの辺から教団の中は教主、当時の教団を曲げて行った幹部達と、
ごちゃごちゃになって、先生がその中で苦しんでいる想いが描かれてますね。
これは神慈秀明会の「飛天」でも書かれてますが 、山根先生の本には 、神慈秀明会、元秀明教会の先生だった信保氏が書いているので、神慈秀明会には詳しいと思うんです。
一部紹介、
「この話をされた時の三代教主様の、ご心境はどのようなものであったのだろうか?
《教主中心の御神業体制づくりの挫折》
前章で述べたようなタイ国布教の進展と、時を同じくして日本では※?一元化?が遂行されていた。
しかし、山根先生や湧上先生などのように、教主様を中心に布教一途に挺身していた教会長、教師の思いとは異なる方向に走り始めていたのである。
従来 教団は昭和46年4月10日に開催された「全国教会長会議」を?一元化 ?神業体制推進の大きな節目となった記念すべき幹部会として、「中興(ちゆうこう)の維新」と位置づけてきた。
この時より川合輝明総長、松本明重、外事対策委員長の、いわゆる?血盟の友?が教団の実権を握る時代に入っていったのである。
昭和58年の暮れから顕在化した、教団浄化の真因はどこにあるのか、三代教主様は「教主の座がおろそかになっていたが故に?一元化?達成後の教団は、体的神業に陥(おち)いってしまった。 教主の座が崩壊してしまい。
《強いられた教主のお詫び》
昭和55年2月4日の立春 、川合輝明氏は熱海、東山荘で松本明重氏と初めて出会う。
この出会いを 私達世代の専従者は明主様のお仕組みになった歴史的な邂逅(かいこう)だと教えられてきた。
なぜならこの二人の協力によって教団?一元化?は成就されたからである。
この二人の出会いは本当に明主様の願いわれた出会いだったのだろうか?
この昭和45年2月4日の川合輝明氏、松本明重氏の邂逅後に、?血盟の友?とお互いに呼び合う関係にまでなった。
この二人の出会いを基点にして、今回の教団浄化の真相を探ってみたい。
故 岩松相談役は昭和59年の幹部会において、当時教主様が松本明重氏の人柄に対して、 強い不安感を抱かれていて、その不安なお気持ちを、岩松相談役に打ち明けいた事実を話しされている。
この当時一元化の体的神業(全教会の専従者、資産等の本部への吸収合併)という名のもとに、
全国の教会の土地建物の 奉献、売却と専従者の本部への帰属が行われた。
そうした※資金と人事権を教団執行部が掌握し、各地に都道府県支庁本部が建設されていった。
こうした教団執行部の積極経営は、一方では組織の近代化や 、MOA美術館の建設などの成果をもたらしたが、
一方では川合、松本執行部のそうした教団運営に対して、承服しかねる形で※離脱していく教会も後を絶たなかった。
その中には教主様を信奉する※秀明教会のような、有力教会も含まれていた。
( ここで秀明が離脱していなかったら、今の世界救世教の中で影も形もない、 混乱の中に混じっていたでしょうね 。離脱してよかった。
純粋な東方之光の信者が新しくブログを開いてましたが 、彼女はまだ本当の事を知らない。)( ここでは川合氏を中心に、当時の幹部が教団を歪曲したと、書いていますが、教主は被害者であると、
これはまだ 3層あるとすれば、上から1層、2層までしか見てませんね 。
3層目がある。元は二代教主
素戔嗚尊、から始まっているという事。)(一番)
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(無題)
1番さんは、とにかく、ブレないですね。
御灯明の有る無しの件やEMの件も含め、それら全てを明主様がされている事として捉えていらっしゃるのでしょうか。
それとも出雲の系統が独断で暗躍して、明主様は霊界でお困りだとお考えなのでしょうか。
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(無題)
「人のために祈ること」
ナカムラクリニックのブログより
https://note.com/nakamuraclinic/n/n6561dc5fd061
これからも色々と紆余曲折はありそうですが、何か、兆しのようなものを感じます。
そう言えば、ちょっと思い出したのですが、救世教の信者さんが書いた『一厘の赤誠』という本がありましたね。
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1番さま
ご無沙汰しております。
いつも貴重な情報をご提供頂き誠にありがとうございます。
御神前の件ではブログにて大黒様を取り上げました。
浅い内容ですがご笑覧頂けますと幸いです。
「山根幸一先生の本」ですが、ネットで検索しますと
書名が『山根幸一先生』という本がHITしますがこちらでしょうか?
中真佐夫『みちひとすじ 神慈秀明会の歩み』(タイムライフブックス、1983年)は
最近別の方から頂きましたので勉強しております。
ブログのコンテンツで「岡田茂吉文庫」としまして、
関連書籍のリストアップを行っていますので、
書誌情報をご教示頂けますと幸甚です。
どうぞ宜しくお願い致します。
https://okadamokichi-daigaku.com/
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