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明主様
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慢心の話
『慢心取り違い』(昭和26年御発表)
『大本教の御筆先には慢心取り違いを一番戒めているが、全くその通りである。
だからこの言葉を頭に入れて、信仰をよく見ると、思い当たる点が誠に多いのである。 浄霊の場合 慣れない最初のうちは、自分にそんな人の病気を治すなどの力があるのだろうかと、おっかなびっくりやってみると、案外良く治るので不思議に思うと共に、
治った人は非常に喜び、お陰様だと言って感謝する事は誰も経験するであろう。
そうしているうちに、※いつしか自分の最初の神様のお陰で治ったという事が、忘れがちとなり、自分に もしかしたら、偉い点があるのではないかと思う人もある。
ところがこれが※立派な慢心であって、この時が最も危険であるから、大いに警戒しなければならない。
(中略) この原因は、全く御神書の読み方が足りないからと共に、読んでも実行してないからである。
二つの重要な事を書いたが、これが根本的に分かり、実行ができる人であれば、
本当の信仰の線にそう訳である。』
(御神書 拝読、自分の過ちを、猛省、利他の実行。)
(このみ教えが腹に入っている人。拝読 、実行で、外れないと、 あります。
この人達の、まあこれくらいは、という慢心、 人が見れば見える、個人差ある。 これは第三者には分かりません。)
『これも慢心』(昭和26年、御発表)』
『(前略 )本教はいつも言う通り大乗信仰であるから、世間並みの考えとは大変違っている。
その点が認識できないと、神様の思し召しにかなわない事になる。
(中略) みんな誠の人ばかりである事は、よく分かっている。ただ単に※誠と言っても、大きい、小さいがあるから、気をつけなくてはいけない。
私が常に言う小乗の善は、大乗の悪であるという意味である。いかに善でも、誠でも小乗の考え方では結果は悪になるのである。( 中略 )
今一つ言いたい事は神様の御経綸は実に深いもので、到底人間の目や頭脳では分かりよう筈がないので、
大本教のお筆先にこういう文字がある。
?神の奥には奥がある。そのまた奥の、奥の仕組みであるから、人民には分かりよう筈がないぞよ?
(後略)』
佐藤さんの投稿、 我よしの 慢心はダメ、 自分で自覚して、猛省をする。 改心の余地のない処までいく。
小さな覚りですよね。
こういう人が天国人の資格なのでしょうか。
白ぽっちさんは、 主観に囚われない 、自分を外から見れるようにと。み教えがある、第三の自分を作るです。
これも右と左に偏らずに、中心から見る、 第三の眼。
やっぱり伊都能売ですね。
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