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明主様
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スサノオノミコトの片鱗
「(前略)
奥様は昭和29年 6月13日に、言う事をお聞きにならんので、しかも あの時 長唄(ながうた)の会があって
東京へ、キャデラックという明主様のお車に、?黙って?乗ってお出かけになった。
明主様は非常にお肚(はら)立ちになって、『絶対許さん』という事まであったんです。
その時は、お側におった人達も随分心配して、お叱り頂いたりして 、その時難なくお詫び申し上げて、済んだ事は 私が行って奥様に色々お話して上げ、 もし聞かれなかったら、アレコレ言うつもりであった。
なぜなら その時には、『離縁する』という、お言葉が出ている以上はやれるのです。
でないと明主様の奥様なんだから、 何か申し上げた時、たとえ理屈があっても、明主様がちょっと来いと仰しゃったら、それは申し訳は出来ませんよ。
『わしの女房にあんた、いらん事じゃないか』と言われれば、私はお詫び申し上げるほか、何事も言えんのです。その時なんか、いとも、鮮やかなものです。
(奥様)「私は今まで、随分、 先生(明主様)の為と思ってやって来たのに、こんな情けない事を言われた、どうすればいいか 分からん。」
(木原先生)「 あんな事、ちっとも情けない事じゃないですよ。? 大本の神様?を、あなたは お祭りになっている。そんな理屈に合わん事はない。
私は今まで、申し上げようと思っていましたが、今日は申し上げます。」と言った。そうしたら、その時は素直だったのですよ。
「お返しになって、お詫びなされば、お許しになるに決まっておりますよ。」と申しますと、奥様は「 木原さん、いいでしょうか」と言われるから、「なあに、心配いりませんよ。
『いかならん罪も許させ、いかならん罪も、とがむる天地(あめつち)の神』と、神様が仰しゃったのですよ。」
「『許さん』と仰しゃったら、神様じゃないですよ。」と言った。
使いの人が行ったら、明主様は『うんそうか、そんなら、よしよし』と、簡単にお許しになった。
それは御神業なのだから、あるいは、 お気障(ざわ)りになっているんだから、 そういう事を色々考えてみますと、私達に明主様は何と仰しゃったかと言いますと、『私は私の命に 関わらん ならば、何でも許す』と仰しゃっている。
そうするとキャデラックに乗って、お出になったのは、たったそれだけと思っている。
神様の命に関わるという事です。
それから※『大本の神様をお祭りになっている事は、許さん』と仰しゃるから、お命に関わるようになったという事です。
ところが、奥様は「返せばいいでしょう。」と言われたが、気持ちの中から、お返しにならなかったのです。
・( 胸中では大本の神を信奉し続けられた。 薬 服用もある。)
(中略)そして6月15日というのが明主の御肉体を通して、私達は『天照皇大御神様』(メシヤ降誕仮祝典)を拝んだ。(後略)」
「新健康協会教長様のお導き集」 第一集
??????????????????(昭和30年4月25日)
・(メシヤ降誕仮祝典の二日前、こういう事があっていたんですね。
だから 二代教主推戴式の時 大本式のお灯明が、御神前に灯(とも)っていた訳ですね 。
夜の時代に戻された。 それを神慈秀明会は知らずに、採用しているんだから、いつ廃止になるか注視したい。)(一番)
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