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明主様

47781番:2022/02/11(金) 10:47:32
福岡さん
確か T 先生とは 一度お会いして勉強会で あの時、本の話をされていて、私は救世教はタダで本を配布する時があるのでこれはおかしいと、 一度掲示板に書いてあの時、先生が 少し笑みを浮かべて 、あの時は50人ぐらい いたんでしょうか 、今日は本は お金をいただきますと言って 、本のお金を お支払いしました。あの時に?あれ、この先生は掲示板見たな?と思ったんですが、違うかもしれませんけど、
何年も前の話ですので、記憶で書いているから間違っているかもしれませんが 、あの時確か90歳とおっしゃってませんでしたでしょうか?
二代教主様をご覧になられて、ついて行こうと思ったとおっしゃってました。
本当は隠居して悠々としておられたらと思うんですが、教団、信者がどんどん抜けて行ったので 、存続の危機を感じ駆り出された。ご自身も使命感を持って出てこられた。
今回、
300ページが5冊送られてきました、これはコピー屋で製本してもらった ものでものですね。
簡単に作ってある 、私も作ったことあるからわかるんですが、 令和3年に 作られたとあります。
最近ですね 。福岡先生は大正13年生まれ 、1988年に 63歳で帰幽されてます。

最後 に発行者の、T 先生が「後がき」を 書かれてます、
抜粋、 水盛煌士を最初に知ったのは、北海道の教会へ専従して間もない頃で、福岡甲児著作集、第五、 一部冊にある。「この道を求めて」であった 。
「世界救世教に、こんな人がいるのか、」その感動を今でも覚えている。
救世教の機関誌等での文章は、教祖のみ教えは別として、 先生方の布教体験にしろ 、信徒の奇跡体験にしろ、パターンが定まっている中で、 客観的な視点で学問的なことを交え、信仰求道の文は ものすごく魅力を覚えた。(中略)
晩年の福岡さんに 、なぜ福岡さんが求めておられる宗教的な事が、 多くの人に理解されないのですかと尋ねた事がある 、「それは無理だよ、※ 義父( 渡辺勝市)ですら最近まで俺が何を求め、何をやっているか分からなかったんだよ・・」との返事だった。
(中略)
昭和58年 、「教祖御生誕祭100年奉祝の年」を、
※( 神慈秀明会では教祖殿 建設 、「御生誕100年祭」があった)
終えようとする頃、教団には不穏な空気が漂い、 6億円の金銭疑惑をきっかけに教団紛争が勃発した。
やがて3派分裂へと進むのであるが、(中略)
このような視点で紛争(浄化)の意味をとらえている人はいなかった 。互いに相手の不正をあげつらったり、攻撃合戦で今後の教団はどうなるのか、どうあるべきかなのか、不安焦燥の中で悲愴感まで漂っていたところで、 誰も浄化紛争の意味も、どう進むべきかも示されていない時です。そのような異様な教団の中で、福岡さんはただ一人泰然と達観しておられた。」

(T 先生はこの掲示板をご覧になっている 。お立場上、投稿はできませんか 、教団の混乱を書かれてました。)




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