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明主様
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秀明会
御垂示録( 昭和27年5月1日)
(前略 )『私が30幾つの時だから、3、40年前ですね 。ですから小間物屋でも何でも、やっぱり私の処が成功者として一番になっていたんです。
だから岡田式、岡田式と、その時分にね。その頃にも色々ありましたがね。
私は何をやっても全然、他を追い抜いちゃうんですね。
大本教に入った時分にも、いろんな事が、どんどん私が一番になっちゃってね 。だから大本の方で脅威を感じてきたんですね。非常に私を圧迫してきた 。』
これは神慈秀明会に私は共通していると思いました。 世界救世(メシヤ)教の時も、 献金、お導きでは 一番と聞いていました。
明主様ご昇天後、 教団で布教を担当された小山先生、 発展しない教会に指導に行かれたら、そこは発展した。離脱後
神慈秀明会の神殿、教祖殿 建設も、世界一の建物を建てると、世界を視察され。そして相応しい世界的建築家を選出された。 美術館も同じです。
最高の神様に最高の 物を献上させて頂だく。
小山会主様は 徹底されてました。
世界救世教いづのめ教団にも 秀明に似た教会があって、 当時、渡辺理事長の ワンマンぶりに 、抵抗した。 教団とは違う動きをした。 しかし、
そこは献金、お導きが一番だったので、教団は何も言わなかった、 しかし 神慈秀明会と比較したら、
桁(けた)が違う。
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