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情報スレッド
1
:
若鷹の掲示板 管理人
:2009/01/09(金) 17:39:51
日顕宗や顕正会の動向や情報、フェイク、石山だより、勝ち戦、同盟通信、新改革通信などの情報。
有志の皆様、宜しくお願い致します。
261
:
検証会議
:2009/10/05(月) 23:27:45
顕正会短信
2009.10.06
顕正会の“鬼門”、四国で男女大幹部が失脚
発行日より前に届いた顕正新聞10月5日号の1面はなかなか面白い。まず目に
付いたのは男子部人事で、男子第5部長の小沼貴寛が男子31隊の隊長に就任した
ことだ。第31隊といえば、かつては高知を拠点に四国全域をまとめていた組織で、
前隊長の桑原圭一は同じ名字からして夫婦と察せられる、前第9女子部長の桑原緑子と
共に「四国を牛耳っていた」のだが、今回の交替で消息がわからなくなった。
桑原緑子も7月総幹で第9女子部長と高知会館管理主任の職を解かれた後の消息が
わかっていない。揃って脱会した可能性もあろう。なぜなら四国には壮年部組織が無い
からだ。12月5日号に掲載される「成果発表」に名前があるかどうか注視したい。
さて、新31隊長の小沼貴寛だが、他にも第41隊長、本部幹事、そして衛護隊副長
という役職を掛け持っているのだが、埼玉在住でありながら担当地域は九州と四国、
そして仙台とまぁ広いこと遠いこと。その上に衛護や本部幹事もやらねばならないの
だから、どれも中途半端になることは必定だ。早晩疲れ果てて消えていなくなる
だろう。女子部にしても四国の第9女子部で区長の交代が数件発生しており、やはり
桑原緑子絡みでなにかあったのだろう。
顕正会にとって四国、とりわけ高知は鬼門だ。平成元年当時、顕正会の地方会館は
高知にしかなかった。情報によれば高知会館の須弥壇は本部会館のそれに勝るとも
劣らないものだったと聞く。
そんな高知に平成2年、当時の高知支部長など多数が脱会する事態が発生し、
一時壊滅状態となった。平成14年には元地区部長が交際中の婦人部員親娘を殺傷し
逮捕、懲役15年の実刑が下った。顕正会員の殺人事件はいままでこの高知の一件だけ
である。
そして平成17年には高知会館安置の本尊が会員によって「不敬」されている。
破られたのか汚されたのかは不明だが、いつしかこの体たらくだ。ついでに言えば、
四国壮年部はまったく成果が出なかったので男子部に編入されてしまった。子供や孫の
ような年代の若造から勧誘のゲキを飛ばされるようではさすがに愛想をつかすだろう。
要介護や身寄り無しなどで行き場の無い者だけがしがみついて残らざるを得ないのが
実情だ。
そういえば同じ1面では中国紙が掲載した「新中国に影響を与えた日本人5人」の
話題を取り上げていたようだが、日頃中国を口汚く誹謗しているくせにこういうネタは
取り上げる節操の無い編集だ。このネタについては次号でカラクリを紹介し、浅井らの
知らない事実を明らかにする。
262
:
検証会議
:2009/10/05(月) 23:28:13
フェイク 第1058号
(発行=09.10.04)
「御本尊を信じられず苦しい」と日顕
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ③
日寛上人の御心に適う世界の人々への授与
日寛上人書写の御本尊を誹謗する日顕は絶大な妙法の力用を疑っているのである。
事実、東京・八王子の平山広篤(広妙寺)が昭和六十一年六月十三日、御講で、日顕の
不信謗法を暴露した。
「(日顕に)私が『信心してきて一番苦しんだことは何ですか?』と質問した。
すると『なかなか御本尊を信ずることができなかったことだ。今でも本当に信ずる
ことができないでいる』と仰せられた」
この平山の話を聞いた婦人は強い衝撃を受けて日記に記していた。
この一事が日顕の正体を物語る。御本尊の仏力、法力を信じていないからこそ、
日寛上人の御本尊に平気で難癖をつける。その難癖の一つが授与書きについての
言い掛かりである。
日寛上人から授与を受けた本證房日證師への授与書きが御形木御本尊にはない点を
挙げて「日證師の心を踏みにじる」「功徳がない」と愚かなことを言う。
御本尊の余白に記された氏名は日興上人が「所賜の本主の交名(きょうみょう)を
書き付くるは後代の高名の為なり」(富士一跡門徒存知の事)と述べられているよう
に、授与を受けた人の功績を称え、証明する意義がある。
しかし、その名前は御本尊の本体に属するものではなく、授与書きの有無は、力用
とは何ら関係がない。また、書写した法主及び授与された人の心を踏みにじるとか、
その意志を傷付けることにもならない。
日顕自身、説法の中で弘安以降に書かれた大聖人の御真筆の御本尊でも授与者の名前
のない例が二割近くある事実を認めていた。つまり、授与書きが御本尊の本体には
属さないことを自らが明かしていたのである。
また、日顕らは「日證師個人に授与された御本尊を世界に流布するのは罰がある、
功徳はない」との邪見を得意気に言うが、厳然たる功徳があることは世界のメンバーが
証明している。
板本尊の脇書きを削っていた日顕宗
日寛上人が御本尊を書写された御心は広宣流布にある。その御本尊を寺の倉庫に保存
しておくのではなく、世界の人々に授与することこそ、日寛上人並びに日證師の心に
最も適(かな)っているのである。
更に、付言すると、学会が授与している御形木御本尊は、日顕宗の輩が騒ぐような
「授与書きを削った」わけではない。正しくは「御本尊の本体の部分だけを
御形木御本尊にした」のである。淨圓寺に所蔵されていた御真筆の御本尊の授与書き
には、何一つ手は加えられてはいない。
因みに、学会草創期に授与された日寛上人の御形木御本尊も、近年の御形木専用に
書写された御本尊と違って、左上に「授与之」という文字が記されていない。
ということは現在、学会授与の御本尊と同じように、御本尊の本体の部分だけを
御形木にして印刷したものであったことが明白である。
この脇書きに関しては、日顕宗こそが寺の本堂の板御本尊の脇書きに刻まれた、
かつての総講頭の願主名を削り、或いは漆で塗り潰して見えなくするなど、その御本尊
を書写した日達法主らの心を踏みにじっていたではないか。
(つづく)
263
:
検証会議
:2009/10/07(水) 19:30:23
顕正会短信
2009.10.07
「お祭り」に踊る阿呆は節操なし
顕正新聞10月5日号1面の下のほうに囲み記事が掲載されている。何かと思えば、
浅井が嫌ってるはずの中国共産党の機関紙「人民日報」傘下の新聞「環球時報」が、
中華人民共和国成立60年にちなんで行った「中国に影響を与えたが外国人60人」
なる「世論調査」を取り上げ、日本人では田中角栄、松下幸之助、小泉純一郎、
高倉健、渡辺武(順不同・敬称略)の5人が選ばれたが、創価学会の池田名誉会長が
選出されなかった、と小バカにしたものだ。
敵対する学会をこき下ろすためには、たとえ今最も力を入れて誹謗中傷している
中国共産党の機関紙の内容でも「そんなの関係ねぇ」とばかりに取り上げるあたり、
浅井の節操の無さをアピールしていることに気づかない愚かさだ。
所詮、浅井が宗門を誹謗中傷するに当たっても、創価新報などが報じた内容を
あたかも自分だけが知っているとばかりにさぞもったいぶって話す体たらくだから性質
が悪い。こういうのを「他力本願」というのである。
ところで、浅井が有難がって用いたこの「新中国に影響を与えた外国人」という
企画、東京新聞などの報道によれば、「インターネット投票」に加えて中国社会科学院
などが意見を加えて発表されたものとされ、中にはマイケルジャクソン、
マイケルジョーダン、果てはカーネルサンダースまで選ばれているのだから真面目に
選んだのかどうかすら不明だ。
実はこれは政治的主導で行われた「官製世論調査」であり、新中国建国60周年を
祝う「提灯記事」なのだ。渡辺武・元アジア開発銀行総裁が「対中援助の先駆者」とは
日本人でもなかなか知る人は少ないだろう。
つまり、中国政府の側から見た「対中国実利貢献度」も大きな選考要因なのだ。
ちなみに池田名誉会長は中国では「思想家」「教育家」という位置付けであり、思想家
の類はルソーやニュートンなど200年以上も前の人物ばかりで生存者は選ばれて
いない。存命であるため掲載されていないと見るのが妥当だ。また、中国は学会を
政治的に利用していないのだ。
ちなみに、中国社会科学院日本研究所は2003年、
「中日関係30年重要歴史人物及び友好人士」という研究を行い同ホームページで内容
を公開しているが、中国人7人、日本人10人の中に池田名誉会長の名前と略歴も
記されている。厳然たる事実であるが、日本のメディアがこれを報じることは決して
無いだろうから、情報収集能力の無い顕正新聞編集部には知る由も無いだろう。
他国侵逼の相手と位置づける中国の「お祭りネタ」に踊らされてはしゃぐ幼稚な愚かさ
に付けるクスリはもはやない。
264
:
おいで^^
:2009/10/12(月) 11:10:43
すごく好評のブログw
ちょっとHでどんどん読んじゃうよ。
更新もしてるからきてみてね^^
ttp://stay23meet.web.fc2.com/has/
265
:
検証会議
:2009/10/12(月) 15:11:27
越 洋
平成21年10月9日
10月12日は弘安2年に日蓮大聖人が一閻浮提総与の御本尊を御図顕されてから730年の
佳節にあたる。末法万年尽未来際の一切衆生を救済するために残された御本尊であり、
坊主の専有物ではない。大聖人は「大願とは法華弘通なり」「広宣流布は大地を的と
するなるべし」と広宣流布の方途を示されたが、日蓮正宗は日顕という大謗法の奪命者
の出現によって、現在、信徒数は僅か数万という体たらくである。立正安国論750年の
佳節にも拘わらず、7万5千名の結集さえもままならない。50万総登山と謳いながら、
その実態は一人が何回も登山させられ、インチキ極まりないゴマカシの実情だ。
平成27年に現状の50パ−セント増、平成33年には80万人達成などと吹聴しているが、
出来もしない夢物語である。この頃、日顕も日如も、この世には存在しないから無責任
な目標を打ち出すのだ。
一方、平成3年11月28日、無慈悲な一片の紙切れの郵送で破門された学会ではあるが、
SGI会長のもと異体同心の鉄の団結で、今や世界192ヶ国・地域に世界広布が進展して
いる。仏意仏勅に叶ったSGIは大聖人直結、御本尊と御書根本で、各国のメンバ−は
喜々として、世界平和と其の国の繁栄のために貢献している。大聖人の御遺命の通りの
見事な実証である。
あの世紀の大殿堂・正本堂は8百万信徒の血と涙と汗の赤誠で建立された。建物は
法滅坊主によって破壊されても、御供養に参加した歓喜の思い出と正本堂の雄姿は、
一人一人の生命に燦然と輝いている。誰人もその思いを消すことは出来ない。
11年前の平成10年6月23日、奪命坊主の日顕が正本堂を破壊し始めた。破壊の理由を
地震や赤さびのせいにして屁理屈を言っていたが、本山に金が貯まって慢心になり、
学会への嫉妬心から破壊したのである。正本堂は世界の建築家からも千年以上は絶対に
持つと証言されていた。平成10年9月28日、正本堂円融閣の最後に残っていた5本目の
大円柱が倒されたが、同じ日に日顕自身も倒れて都内のK病院に一ヶ月間、入院した。
御本仏の怒りに触れた厳しい現証だった。日顕が犯した悪行の数々は、除歴は当然、
後世の歴史の上で裁かれることは間違いない。破壊坊主・日顕の蛮行を許した宗門の
側近達も、必ずや、その大罪を問われることだろう。
266
:
検証会議
:2009/10/12(月) 23:56:04
フェイク 第1059号
(発行=09.10.11)
開眼は不要、世界の友が功徳満喫
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ④
日顕の妄言、御本尊の功力は特定の人に限定?
日顕は、今でも御本尊を信じていないため、日寛上人書写の御本尊に暴言を
浴びせる。日寛上人が日證師に与えられた「一機一縁」の本尊だから、御形木にして
他の人が拝んでも功徳はない旨、バカなことも言っていた。まるで、御本尊の功徳が
特定の人に限定されるかのような妄言である。
「一機一縁」とは大聖人が門下に授与された御本尊について使われる言葉で、
出世の本懐たる「一閻浮提総与」の大御本尊と区別する意味で用いられる。
つまり、「一機一縁」の御本尊とは、本来は大聖人ご在世当時、門下に与えられた
御真筆の御本尊のことを指す。日淳上人も大聖人御在世の弟子や信徒を導くために授与
された御本尊を「一機一縁の御本尊」だと明示されている。
こんな初歩的なことも知らないで、日寛上人の御本尊について「功徳がない」とは
大謗法の発言である。
厳然と功徳があることは世界の友が実証している。
次に、日顕は御本尊には法主による開眼が必要であるとして「以前から今日に至る
まで、あらゆる御本尊は、下附のために総本山から離れる前に、丑寅勤行において法主
が祈念をしている」とも語っていた。
この日顕の話は真っ赤なウソである。本山での法主の開眼など御形木御本尊について
は行われていない。
日顕は「以前から」とか「古来」という言葉を使って、昔から法主が開眼した御本尊
を授与していたかのように誤魔化すが、学会の出現以前は日蓮正宗に入信する人は殆ど
皆無に等しい状況だった。
だから、御本尊を下付する必要もなかったのである。時折、入信する人が現れた
場合、それぞれの末寺が勝手に御本尊を授与していた。
当然、法主がその都度、開眼するとこともなかった。たとえば、東京の妙光寺が
下山日布(五十五世)、法道院が大石日応(五十六世)、常在寺が阿部日正
(五十七世)と、それぞれ有縁の法主の御形木を持っていて、勝手に印刷・表装し、
授与していたのである。
淨圓寺が離脱の時、「しまった」と日顕
また、香川の讃岐本門寺では過去に、塔中坊に安置されていた日興上人の御本尊を
御形木にして多くの檀家に下付していた。
更に、学会員が草創期に授与を受けていた日寛上人の享保三年の御形木御本尊は池袋
の法道院で印刷し、各末寺は本山を経ずに直接、法道院から受け取っていた。
即ち、学会草創期に流布した享保三年の日寛上人の御形木御本尊は、相貌も、
授与書きがない点も、法主による開眼などがなかったという点までも、現在の学会授与
の享保五年の日寛上人の御形木御本尊と全く同じなのである。
こうした事実を知っている日顕は、平成四年十一月十二日、淨圓寺の成田宣道住職が
邪宗門から離脱した時、周囲の者に「しまった、あの寺には日寛上人の御本尊が
あったな」と悔しそうに呟いた。
それは以前の妙光寺、法道院、常在寺と同様に今度は浄圓寺の申し出によって、
日寛上人の御形木御本尊が下付されるようになると、それを阻止する正当な理由がない
からだ。(つづく)
267
:
検証会議
:2009/10/12(月) 23:56:30
フェイク 第1060号
(発行=09.10.12)
ワシントンDCの妙宣寺が焼失
日蓮正宗の寺で大火災、被害は八十万ドル
二百二十人が集った「お会式」の時に炎上
日蓮正宗では、大御本尊御図顕の日の前日、アメリカで大事件が発生した。
アメリカ国内に六ケ寺ある寺の一つ、ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が
火災で焼失したのだ。火の手が上がったのは十月十一日午後零時二十分頃。寺の中
には「お会式」のために、約二百二十人の法華講員が集っていた時、寺の倉庫から出火
した。
初めのうち、女性信徒の一人は「いつもより煙の多いお香を使用していると思った」
と言い、別の信徒は「他の建物の火事だと思っていた」と言う。ところが、自分達の寺
が燃えていると知って、慌てて逃げ出したため、死傷者はいなかったようである。
通報を受けた消防署では百人近い消防士が出動し、懸命に消火に当たった。道路は
ロレーヌ通り、デニス通りなど双方向とも数時間にわたって閉鎖され、大渋滞を
引き起こした。
捜査関係者によると火災はお香と灰を格納するのに使用されているクロゼット内で
起きたという。
また、火災救急当局のオスカー・ガルシア署長は「寺側の儀式用具の火の消し方が
不適切で、クロゼット内の他の物に燃え移った」と指摘。火事が引き起こした損害は、
概算で八十万ドルにものぼると言明した。
年に一度の「お会式」の日に、大火災を起こすとは、信心の弛緩としか言いようが
ない。この妙宣寺の火災は「ワシントンポスト」でも写真入りで報道された。
火災といえば去る八月二十八日午後一時過ぎ、大石寺の駐車場で千葉市から登山した
女性講員が乗ってきた普通乗用車から出火、十台の車が焼けたばかりだ。昭和五十二年
には所化が焼死した大火もあった。寺は少ないが、火災が多いのも宗門の特徴の一つで
ある。
妙宣寺の火災の残骸を取り除く消防士(「ワシントンポスト」より)
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000768.jpg
268
:
検証会議
:2009/10/16(金) 13:39:32
大石寺短信 第471号
平成21年10月15日(木)
日顕宗の動き
1.日顕宗の明年は「広布前進の年」
明年の日顕宗の年間方針が「広布前進の年」に決まった。また、年間実践テーマは
「勤行・唱題で広布へ前進」「折伏実践で講員増加」「全講員で支部総登山」の3項目
だという。
毎年毎年、失敗を繰り返しながら、威勢の良いスローガンを次から次へと繰り出す
だけでは何も改善されまい。そもそも、大失敗に終わった平成21年までの倍増計画の
総括は行われたのか。
今回の末寺住職向けの宗内文書に並ぶのは、「『折伏せよ』との一点に尽きます」
「広布達成のその日まで死身弘法の御聖訓を奉戴して、指導教師が率先垂範し、不断の
折伏を」「指導教師の広布にかける情熱と意気込み、僧侶としての慈悲と指導性、
言行一致の振る舞いがそのまま講中活動に反映されます」と、相変わらずの
"上から目線"のハッパばかり。
しかし、この文書を発信している執行部の役僧の寺の実態はどうか。昨年、折伏目標
を達成したのは1カ寺だけ。いつも鬼の形相で坊主達を締め上げる庶務部長・阿部信彰
の妙国寺も惨敗。海外部長・漆畑もダメ。渉外部長・秋元もペケ。財務部長・長倉の寺
も散々。総監・八木の法道院に至っては、目標の2割台しかできていないのだ。
これでは、煽れば煽るほど、末寺住職の怒りの炎に燃料を注ぐだけ。
来年の年間方針は、いっそのこと、「執行部・率先垂範の年」にでもしたらどうか。
2.アメリカの妙宣寺で法要中、火災
アメリカの首都・ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)で11日正午ごろ
(日本時間12日午前2時ごろ)、火災が発生した。火災が起こった当時、寺では
「御会式」が行われていた。御会式とは、「御本仏の滅不滅を祝し、仏恩報謝と
広宣流布を誓う」とされる、末寺にとって年間の最重要行事である。出火原因は、香や
灰を格納する物置での火の不始末とのこと。
参加していた法華講員にケガはなかったというが、消火作業などのため、約100人の
消防隊員が駆り出され、近隣の大通りは約600メートルにわたって数時間も封鎖された
ため、交通渋滞が発生し、街は大混乱に陥った。火事を報じたワシントンポスト紙に
よれば、現地当局は、この火災による損害総額を約80万ドル(約7千200万円)と算定
しているという。住職の村田はこの件の責任を取って近々クビになる、という情報も
伝わってきている。
日顕宗は7月の「7万5千総会」の折も、無計画、無謀な結集を行ったがために、
周辺住民、関係者の顰蹙を買ったばかり。これが日本だけの話かと思えば、日顕宗は海
を越えた地でも地域の人々を困らせているのだ。
火災といえば、8月28日には、大石寺の駐車場で登山者の車から火が出て、10台もの
車が焼けたばかり。かつては、本山・大坊の寮が焼けて所化が亡くなったことも
あった。日顕宗では常々「此の五字の大曼荼羅を身に帯し心に存せば(中略)後生の
大火炎を脱るべしと仏記しをかせ給いぬ」(御書906ページ)との御文を引き、
"御本尊を受持すれば災難を逃れることができる"と宣伝しているが、"「登山すれば
功徳格別」のはずの総本山で車が丸焼け""宗祖への報恩感謝の法要中に寺が燃えた"
−−こうした厳しい現実を引き合いに出すまでもなく、御本尊を受持したところで罰の
現証だらけ。言うまでもなく、日顕宗の信心が間違っているという証左にほかならない。
269
:
検証会議
:2009/10/16(金) 13:39:56
新改革通信 第104号
平成二十一年十月十三日
時が経てば経つほど、浮き彫りになる正本堂破壊の"狂気"
信徒の供養で建てられた堂宇を自ら破壊した僧は、仏教の歴史の中で、
日顕ただ一人!
昭和四十二年十月十二日、正本堂建立発願式
昭和四十三年十月十二日、着工大法要
昭和四十四年十月十二日、定礎式
昭和四十五年十月十二日、上棟式
昭和四十六年十月十二日、躯体完成式
昭和四十七年十月十二日、正本堂完成奉告大法要
このように、正本堂の建立は世紀の大イベントであった。完成奉告大法要の
ビデオを見た者は正本堂の威容と厳かな式典の模様に息を呑む。
ところが、平成十年六月二十三日、池田名誉会長に対する嫉妬の感情に支配された
日顕の命により、突然、正本堂の破壊が始まった。この暴挙に対して、設計者の横山氏
や建築家など多くの人々が反対を唱えたが、日顕はその声に一切、耳を貸さず、破壊を
断行した。
解体に際して、多くの一流建設業者は、その依頼を断った。当たり前である。
社会的にも、人道的にも許されることではない。
正本堂は普通の堂宇とは訳が違う。八百万信徒の浄財で建立された世紀の大殿堂で
ある。これだけの大殿堂を正当な理由もなく破壊した事件は仏教史に存在しない。
ましてや僧が信徒の浄財で建てられた堂宇を破壊するなど、絶対にあり得ないことで
ある。すなわち、日顕の名前は"反仏教の魔僧"として永遠に刻印されるのだ。
日顕は"信徒の浄財を破壊する"という、僧として決して許されない大罪を犯した。
まさに"狂気"のなせる業である。現法主の日如には絶対に出来なかったことであろう。
しかし、日顕が犯した罪は、それだけではない。
正本堂は単なる建物ではない。世界八百万信徒の真心の供養であると同時に、大聖人
の御遺命である広宣流布のために戦った、師弟不二の信心の結晶である。
すなわち、日顕は、宗祖以来の魂である師弟不二の信心に、自ら矢を向け、
極楽寺良観と同じように、日蓮門下を迫害する側に回ったのだ。
この"狂気の蛮行"は、時が経てば経つほど、浮き彫りになっている。いずれ宗門は
日顕を歴代法主からはずすしかない。不幸にも、日顕一人のために、日蓮正宗そのもの
が"反仏教・反大聖人の団体"となり下がっている。刑期執行と同じで、結論は出ている。
あとは時間の問題である。
(編集部)
270
:
検証会議
:2009/10/18(日) 07:07:01
フェイク 第1061号
(発行=09.10.14)
組織を乱した原島精子(嵩の母)
「慧妙」に掲載した原島昭の駄文を一蹴する
派閥を作り役職解任、謹慎させられた悪女
原島昭(故・嵩の実兄)が「慧妙」の十月一日付に「私が見た創価学会」と題し、
我田引水の駄文を書き殴っている。戸田第二代会長のもとで広布勝利の道を拓いた
池田名誉会長の若き日の戦いの足跡に泥を塗り、原島家のことを自画自賛。知らない人
が読むと、昭や反逆者・嵩の母である原島精子が学会の基礎を築いたかのように錯覚
させられるデタラメな記事である。
「昭和十三年、私の二つ違いの弟・嵩が生まれ、私が三歳、弟が一歳を過ぎた頃、
母が、創価学会を通じて日蓮正宗に入信しました。その翌年には、父も母に説得されて
入信しました。入信してからの両親の布教活動は、子供の眼から見ても驚くべきもの
で、蒲田支部の基礎を作っていった」といった具合で、以下は略す。
幼児が驚く布教活動とは一体、どんな活動か?
雉も鳴かずば撃たれまい――昭クンが必要以上に母親を宣揚し、他人の功績を愚弄
するから、ここに真相を記す。実際は、原島精子は蒲田支部の基礎を作るどころか、
学会内に派閥を作ろうとしていた。そのため、草創期の諸先輩の原島精子に対する評価
は厳しい。
「戸田先生の法華経講義を受講せず、先生の指導を軽視し『私が御書講義をして
やる』と学会員を自分に付けようとした」「原島派を作ろうとした」「二乗根性が
強くて実にイヤな女だった」「陰湿な性格で好きになれなかった」「言葉は巧み
だったが、日頃の態度、行動を見て、信用できないと思っていた」等々と異口同音に
語る。ある婦人は「原島精子は戸田先生を避けていた。自分の周囲に仲間を集め、組織
を乱す元凶だった」と指弾する。
事実、昭和二十七年二月十日付の聖教新聞には注目すべき記事がある。それは
「監査部指令」として文京婦人部長の原島精子に対して「辞任を命ず。会長より許可
あるまで謹慎する事。又その支部員は今後その指導及び意見に依存して行動した場合は
同じく監査の対象とする」と記されている。
(左の記事を参照)
当時、監査部があって、組織を乱したり、学会精神に反する者を対象に監査して
不適任者には辞任を求めたのだ。原島が辞任を命じられた理由は派閥作りであった。
「派閥を断じて作るな」というのが戸田会長の厳命で、精子を「信用できない」と
叱責。派閥が生まれると、そこから信心の澱(よど)みをもたらす。そんな事があって
はならないというのが学会指導である。
謹慎していた精子が、当時の文京支部幹事の口添えによって学会復帰が許されたのは
約半年後の九月二十五日のことであった。
反逆した嵩も教学部長の頃、後輩に対し「俺に付け」と迫り、己の一派を作ろうと
画策していたが、誰も相手にしなかった。
精子と嵩の母子は、二人揃って学会の組織を攪乱。昭クンは仕事もできず、給与だけ
を貰っていたようだ。忘恩は人間の最大の恥だ!
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000770.jpg
271
:
真理子
:2009/10/20(火) 19:37:28
私のアソコを見てください…
http://apple.110ero.com/k77/
272
:
検証会議
:2009/10/22(木) 17:33:30
石山だより
平成二十一年十月十九日
早いもので、「正義顕揚の年」も後二ヶ月半余りとなった。一年を振り返るにはまだ
少し早いが、顕チャンの言いなりになって来た能化と大講頭が、堕獄の露払いとして
悲惨な生涯を閉じた。奪命者・顕チャンの犠牲者であり、気の毒なことだ。その
顕チャンも随分、弱ってきた。山の蓮葉庵にいることが多く、世田谷の豪邸に帰ること
が少ない。留守番の小僧は大喜び。
一、大村日統(五月十一日寂 七五歳、元教学部長、脳腫瘍)は健康にだけは充分に
気を遣い、最高級医療クラブのメンバーになって定期検診を受けていたが、因果応報
には為す術がなかった。得意だったのは盗作技術、ゴルフの腕前、それにカラオケ道場
で鍛えた歌唱力。十八番は「愛の讃歌」「マイ・ウエイ」など。ところが、仏法・芸術
・文化には疎く「ガーター勲章はキリストの十字架」「第九の『歓喜の歌』は
外道礼賛だ」と見当違いの暴言を吐いて赤っ恥をかいた。
葬儀のお別れの際、遺体を見た方々が「黄疸で顔も体も真っ黄色、とても人には
見せられない」と漏らしていた。
一、尾林日至(五月十三日寂 七一歳、元海外部長、パーキンソン病)は顕チャンの
手先となって檀徒作りに世界中を狂奔。悪行は数々あるが、特筆すべきはシアトル事件
の隠蔽工作、御本尊不敬、杜撰(ずさん)な納骨など。得度した長男を奇病のため
三十一歳の若さで亡くす苦渋も味わう。告別式のお別れは身内だけだった。参列者には
一切見せなかったが、見た者が、まさに「ムンクの叫び」の相だったとのこと。
一、河原昭太郎(四月十四日 寂八〇歳、元大講頭、糖尿病)は顕チャンに四十年
以上にわたって奉仕した。それと、三人のめかけに貢いだ。糖尿病の悪化で歩行困難に
なり、心臓手術で足の動脈を心臓のバイパスとして移植したが腎臓も機能しない状態に
なった。大村・尾林・河原の三人に共通するのは、顕チャンに面従腹背ながらも
尽くしたことだ。
そして、この三人の死相は、成仏の相とは全くかけ離れた、目を背けたくなる堕獄の
相だった。恐るべし、恐るべし。
(顕チャンは平成二十一年までに「倍増」と掛け声だけかけて、何もやらず、
六十七世を辞めちゃった。でもやっぱり、七月十六日と七月二十六日は、自分で
やってみたかったそうだ。再登座なんていわないで、自分で建てた白山寺の墓碑へ
早く帰ったほうがよさそうだ。大坊鼠)
273
:
検証会議
:2009/10/22(木) 23:50:22
フェイク 第1062号
(発行=09.10.21)
狂った宗門見解 御本尊に賞味期限?
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑤
「法魂」の説明もできない日顕、マネする小僧共
日寛上人の御形木御本尊を誹謗する日顕宗の悪僧共は「法魂」とやらを持ち出す。
十月十六日付「大白法」の「異流義破折」(九三)の中でも、性懲りもなく「法魂」説
を唱えている。
この「法魂」という言葉は御書には記されておらず、日顕の妄言である。それを
真似て「大白法」では「歴代各上人の御本尊のすべては、もぬけられて本尊の法魂は
現法主の承るところにあり……」「御法主上人は御本尊の法魂を所持あそばされるので
あり……」等とヒステリックに繰り返している。また、「御火中」と称して返納御本尊
を焼却することで、その法魂が「大聖人のもとに還御遊ばされる」という
「法魂帰還説」なる邪義を唱えたこともあった。これらは全て日顕宗の「捏造法門」
なのである。
「大白法」の記事を書いている無任所小僧共よ、「法魂」とは何か説明できるのか?
大聖人の霊魂のことか?無我を説いた釈尊は真っ先に霊魂の存在を否定したでは
ないか。お前達は、それでも仏教徒なのか?
日顕宗が御形木御本尊の開眼を全くしていないことは本紙でも再三、述べたが、
一つの法魂が印刷する度に何千、何万の法魂へと増殖し、分裂するとでも言うのか?
「法魂」と言い出した日顕自身、その意味を問うても回答できない。
小僧共も意味不明のまま、日顕の口真似をして誤魔化しているに過ぎない。
本号では「大白法」の小僧共に、自分達が判りもしない言葉を使って御託を並べる
な、と釘を刺しておく。
日顕が日寛上人に嫉妬
最後に、日顕宗側の難癖に「法主の許可がない」というのがある。本紙一〇五九号で
述べた通り、学会草創期に流布した享保三年の御本尊と現在の学会授与の御本尊が、
その実態において全く同じという事実を日顕も知っている。故に「八時間説法」でも
二つの御形木の違いは、法主の允可の有無だと述べていた。
御書には「一念三千を識らざる者には仏・大慈悲を起し五字の内に此の珠を
裹(つつ)み末代幼稚の頚に懸けさしめ給う」と記されている。御本尊は大聖人が
末法万年の全人類のために御図顕されたのである。
その大慈悲こそ御本尊授与の根幹であり、坊主が独占すべきものでも、許可する
云々と、言うべき筋合いもない。日顕は御本尊の功徳は信じていないが、己の模写した
本尊を拝ませたいという野心が強い。難癖の根底には、世界に流布する御本尊を書写
された日寛上人への嫉妬心があるのだ。
日顕らは自分らの都合で御本尊に「功徳がある」と言ったり「謗法になる」と
言ったり、コロコロ変わる。
滑稽なのは平成九年十一月三十日までに脱会しないと「宗門の信徒資格を失う」と
戯言を述べていた時の総監・藤本の談話で「日蓮正宗より下付された御本尊では
あっても、これら謗法者宅の仏壇に安置されている本尊に合掌礼拝をすることは
謗法行為となる」云々と、学会員が受持する御本尊は日達法主、或いは日顕が書いた
本尊でも平成九年十二月一日からは「謗法だ」と発表したことがあった。
まるで、御本尊に賞味期限があるかのような狂った妄言である。
(つづく)
274
:
検証会議
:2009/10/25(日) 22:01:25
フェイク 第1063号
(発行=09.10.24)
日如が模写した本尊に誤字!
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑥
「南」「写」の二字が間違い、猛練習の効果なし
日顕宗ニセ法主二世・早瀬日如が模写した御守御本尊に誤字がある、と書道家、
中堅僧が指摘する。「奉書写之」(これを書写し奉る)の「写」を「字」と
書き間違っているというのである(下の写真を参照)。
確かに指摘の通りである。この「奉書写之」は大抵、終わり近くになって書くもの
だから、日如もここまで緊張して書いて、つい気が緩んで三画目が突き抜けてしまった
のだろう。
これでは「これを書写し奉る」ではなく「これを書き字し奉る」となってしまい、
意味不明だ。
日如は「誤字ではない」と弁解するかも知れないが、「ワ冠」が「ウ冠」になって
いて、明らかに誤字に違いない。正確な文字も知らないうえ、相承を受けていない
ニセ法主二世だから、本尊の書き方も出鱈目なのである。こんな間違いの粗末な模写
しか出来ないニセ法主が、中興の祖・日寛上人の御本尊を「ニセ」と誹謗するとは
笑止千万!
埼玉在住の著名な書道家は、その日如自身の筆遣いについて「論評の埒外、お粗末の
一言に尽きる。筆ペンかサインペンの字で、書になっていない。太細肥痩の変化が
なく、起筆と終筆がだらしない。筆遣いの基本ができていません。前法主(日顕)の
字は弘法大師(空海)を真似たイヤらしさが感じられたが、この(日如の)字は論外
です」と酷評する。こんな下手な字を書く坊主も珍しい。
加えて、日如が模写した本尊の「南無」は「南」の九画の縦棒が上に突き抜けて
いる。これも間違いだ。
前出の僧も書道家も「御本尊のこんな首題は見たことがない」と言う。この「南」は
今号では敢えて写真を提示しないが、宗門の僧俗は現物を見て確認せよ。下手な弁解を
すれば、いつでも写真を提示する。
この点でも日顕と日如がニセ法主であることが明白だ。もともと、日達法主が日顕に
相伝していないから、日顕も日如に相承できなかったのである。
また、中堅僧は「多分、登座後に猛練習したのでしょうが、他にも幾つかの難点が
ある」と指摘する。
その一つは「日如」と花押が離れすぎている感がある(上の写真を参照)という。
日蓮大聖人の弘安年間の御本尊がそうだが、大半の歴代の御本尊では法主の花押は自署
を包むように書かれている。ところが日如の場合は分離しすぎている。花押の書き方も
学んだ形跡がない。お粗末の極みだ。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000773.jpg
276
:
検証会議
:2009/10/29(木) 09:07:49
フェイク 第1064号
(発行=09.10.27)
ブクロの寛ちゃんに書写は無理
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑦
「日如の本尊の誤字」に反論不能の宗門
ニセ法主2世・早瀬日如が模写した御守本尊に誤字がある――「奉書写之」と
書くべきところを「奉書字之」と書いているため意味不明だと、本紙一〇六三号で
指摘した。写真を付けて指摘したので宗門側の関係者は弁解も反論も出来ず、屁理屈や
逃げ口上も言えずに沈黙している。
ところが、南無妙法蓮華経の「南」の終画が突き抜けている旨、記しておいたことに
対する釈明として、日顕宗の者が他宗の寺に保存されている御本尊の写真を持ち出し
「大聖人の直筆の中にも同じような御本尊があった」と鬼の首でも取ったように狂喜
している。
なんともバカな者共だ。そんなことは既に百も承知している。
本紙ではニセ法主が本尊を書くのを「模写」と呼んでいる。だが、日顕は生意気
にも「書写」と称し、日如は「書字」というらしい。
いずれにしろ、書き写すのは「戒壇の御本尊」である筈だ。日蓮正宗の最後の法主・
細井日達師も「戒壇の御本尊様を書写し奉る」と言い、この種の表現は
「日達上人全集」を開くと枚挙に暇がない、山ほどある。
更に「この御本尊は本山正本堂に安置し奉るところの戒壇の大御本尊を書写し奉り、
ここに安置奉ったのでございます」(昭和四十九年の慈法寺落慶入仏式)、
「末法の人々に総与の本尊がすなわち戒壇の御本尊であります。この御本尊を
本山正本堂に安置し奉って、その御本尊のお写を、ここに今、安置し奉ったので
ございます」(昭和五十二年の得法寺落慶入仏式)と明言。繰り返すが、書写するのは
戒壇の大御本尊である。
この歴代法主が書写し奉る「戒壇の御本尊」の「南」は突き抜けていないのである。
したがって、日顕宗の僧俗が「邪宗」と蔑んでいる寺の本尊を「学術資料」等と
持ち出して弁明しても、何の意味もない。
こんな簡単な論理も理解できないほど狂っているのが日顕宗の坊主であり、法華講員
である。
日顕のマネで大失敗
大聖人の直筆の中で「南」の九画目が突き抜けているのは、現存する百二十数幅の
うち約一割。判読できないのもあるので断定は出来ないが、京都・本圀寺、要法寺、
小泉・久遠寺などに保存されている十四ないし十五幅にすぎない。
因みに、日興上人、日寛上人をはじめ三十三世日元、四十八世日量、五十一世日英、
六十世日開、六十二世日恭、六十四世日昇、六十六世日達の各法主の書いた本尊も
突き抜けていない。
ところが、ニセ法主元祖の日顕の本尊だけは上に突き抜けているものも
見受けられる。「登座後、暫くは先代の書写のスタイル、書風に似せる」と某僧が
語っていたが、御本仏気取りの日顕は、先代の日達法主のマネをしないで、戒壇の
御本尊を鑑定して「ニセモノ」と断じ、邪宗の寺の御本尊を真似て書いたのであろう。
そこには自分に相承しなかった日達法主への恨みもあると思われる。
そして愚かな日如が、先代の日顕のデタラメな本尊をマネして、オドオドしながら
書いて失敗したというのが真相だろう。それにしても下手な字だ。ブクロの寛ちゃんに
書写は無理だ。
277
:
検証会議
:2009/10/30(金) 20:01:37
石山だより
平成二十一年十月二十七日
一、立正安国論750年後の今日、やれプレ大会だ、50万総登山だ、7万5千の
結集だと会合形式の催しにうつつを抜かしている。民衆の苦しみには目も向けず、
大聖人の民衆救済の御精神を実践に移そうともしない。それが今の宗門の実態だ。
法華講に檄を飛ばして苦しめ、自分達は僧侶主導で葬儀・儀式をやって折伏の中の摂受
をしているから、折伏はしなくてもいいという変な屁理屈を並べて、何の苦労も努力・
精進もしない。大聖人の御在世だったら、即刻「破門」だろう。
一、百年に一度という世界的不況、新型インフルエンザの世界的広がりに社会的不安
が増している。アフリカなどでの幼児の飢餓による死は目を覆うばかりだ。
地球温暖化、異常気象、環境問題等々、難問が山積している今こそ、立正安国論の
御精神を世界に向けて実践する時ではないのか。その精神が欠落した今の宗門は、
本山駐車場では車の火災事故、ワシントン・妙宣寺ではお会式の最中に大火災、大坊の
高・中生には新型インフルエンザの発症者が相次ぐなど不祥事や不幸が続く。
樹齢約五百年といわれる銀杏の大木が台風で倒れた。まさに「大謗法の一凶・日顕」が
斃れる予兆ではなかろうか。
一、日顕だけが一族主義と思っていた。ニセ法主二号の日如さんになってソンナコト
はしないだろうと思っていたが、やっぱり日顕に習って一族主義のニセ二世だった。
十一月二十三日(月)、千葉市に出来る妙聰寺(新寺院)の住職に女房の弟の長男を
するようだ。それは本山・主任理事の佐藤慈暢の長男・佐藤信暢である。現在、
岩手県大船渡市・本寿寺住職(四十歳)。信暢は大のパチンコ狂いが高じて、法教院
(大学科)始まって以来、初めての留年をした経歴の持ち主である。その時は大願寺に
在勤していた。
(いつ住職になれるのか?一族でもない、希望も持てない、期待も持てない一匹狼の
無任所鼠)
278
:
検証会議
:2009/10/30(金) 23:45:57
大石寺短信 第472号
平成21年10月29日(木)
日顕宗の動き
1.折伏あおる「大白法」
日顕宗は今年7月26日までは「7万5千総会」一色で進んできた。それは機関紙
「大白法」(月2回刊)の紙面に明らかで、総会直前の7月16日付けまでの各号の
1面トップ記事に「7万5千」の文字がない号は虫払いを報じた4月16日付けだけだった。
それが総会が終わるや、今度は「折伏」だとばかりに、毎号1面トップを飾る記事の
見出しに「折伏」の文字が踊っている。10月16日付けでは「今年も早々に誓願(目標)
を達成した支部(寺)が続出している」と書いているが、これは全くの大嘘で、目標を
達成した寺はいまだ1割に遠く及ばない。また、「折伏」と言いつつ、その内実は信徒
泥棒にすぎないのが実態だ。
昨年は目標が達成した寺名を「大白法」に記載し、坊主と法華講をあおりたてたが、
今年もなんらかの手段を講じて締め付けを図っていくにちがいない。念には念を入れ、
警戒を怠るまい。
2.またまた“ファミリー優遇”新寺院住職に日如の甥
千葉市に新寺「妙聡寺」ができ、11月23日に入仏式が行われる予定である。この寺に
住職として入るのは、大石寺主任理事・佐藤慈暢(本山・百貫坊)の息子で、岩手・
本寿寺住職の佐藤信暢(39)。主任理事・佐藤は日如の女房の弟。つまり佐藤の息子・
信暢は日如の甥にあたる。宗内では「いつものファミリー人事だ」との不満の声が
あがっている。
確かに身内優遇は露骨だ。本年5月には日如の息子・早瀬道寧が、並み居るベテラン
坊主たちを飛び越えて神奈川の大寺院・応顕寺に入ったばかり。2007年には、東京・
世田谷の一等地に立つ善福寺に日顕の孫娘の婿で当時38歳の木村信龍が入り、2000年
には、静岡・宣正寺に日顕の孫娘の婿で当時31歳の今野信圓が入り、千葉・正願寺には
やはり日顕の孫娘の婿で当時29歳の鈴木信福が入った。法主の代は替わっても、いい目
に遭うのは、いつもファミリーばかりというわけだ。
こうした理不尽な現実を、赴任する寺もなく、住職の死亡、更迭をひたすら
待ち続けるだけの250人を超える無任所坊主たちは、ただ指をくわえて見ていなければ
ならないのだから、哀れこの上ない。
ちなみに岩手・本寿寺の後任住職には、本山・大坊内の後城良謙(32)が入る。
3.11月の予定
1日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
8日(日) 御講(末寺)
20日(金)、21日(土) 御大会(本山)
279
:
検証会議
:2009/10/31(土) 14:16:56
越 洋
平成21年10月30日
【宗祖大聖人に違背し、中興の祖・日寛上人を誹謗する誤写三人組】
日開、日顕、日如の三人は"御本尊誤写"という誤りを犯した。しかも日顕と日如は
偉大な中興の祖・日寛上人お認めの御本尊を"ニセ"と誹謗するが、相伝のない大謗法を
犯した者共に言う資格はない。おこがましい。
かつて故・大橋正淳・大照寺住職が信徒の家の常住御本尊の讃文が途中までしか
書かれていないことを日顕にソッと告げたが、日顕は「願主が気付いていないなら、
そのまま知らん顔しとけ」と言い放ったことは有名である。また「十羅刹女」
「阿闍世王」「大龍王」をゴッソリ書き忘れ、さらに「奉書写之」を抜かすなど、
考えられないミスを連発していた。常住御本尊の「願主」の名前を間違ったことも
あった。こんな日顕の父親・日開が"御本尊誤写"の元祖である。
昭和三年六月に登座した日開は「仏滅度後二千二百三十余年」と書くべき讃文を
「仏滅度後二千二百二十余年」と書写した。その誤写が発覚した直後、僧俗から早急に
訂正するよう詰め寄られたが、日開は「タダ漫然之ヲ認タメ、何トモ恐懼(きょうく)
ニ堪(た)ヘヌ」と陳謝した。日開が「漫然と誤写」した御本尊は数十幅とも言われて
いる。日開は一応、陳謝はしたものの、それらの誤写本尊を回収して訂正することは
しなかった。
この度は日如の"御本尊誤写"事件が浮上した。日顕に相承はなく、当然、日如にも
ない。御本尊書写の権能はないのだが、それを裏付ける誤写事件である。「フェイク」
1063号が、『ニセ法主二世・早瀬日如が模写した御守御本尊に誤字がある』と指摘
したのは「奉書写之」(これを書写し奉る)の「写」を「字」と書き間違っていると
いう事実である。確かにそうだ。
かつて日顕が「相伝の何たるかも知らない者共が″間違いだ″などと言うこと自体が
おこがましい」と「二十余年」と書写した父・日開をかばっていたが、日如のミスを
黙認し、御本尊様に対する姿勢が実にいい加減な宗門は与同罪を恐れよ。宗門の言う
法主の開眼も、允可(いんか)も不要。日寛上人は大聖人の正義を宣揚され、宗門の
興隆に多大な貢献をされた。極悪の日開、日顕、日如の誤写三人組と日寛上人とでは
「信心と人間の質」が全然、違うのである。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000776.jpg
280
:
検証会議
:2009/10/31(土) 14:17:19
フェイク 第1065号
(発行=09.10.30)
誤写した「手抜き本尊」で金儲け
二人のニセ法主・日如、日顕の邪義を粉砕 ⑧
宗門坊主は「法華経の行者」でなく「法華経の業者」
日如が模写した本尊の南無の「南」に注目!
日如の御守本尊に誤字があると指摘した本紙一〇六三・一〇六四号に対し日顕宗の
者共は反論不能である。B展審査員の著名な書道家は「書の大家でも最後の落款で意に
沿わない場合は最初から書き直すものです。法主と称するからには御本尊を認めて
『書写』か『書字』か、判読に迷う文字は当然、最初から書き直すべきです。それを
しないとは、『手抜き本尊』と言われても仕方ありません」と厳しく指摘した。
日顕が讃文の「未曾有の大曼荼羅なり」などを書き忘れた事実は有名だ。日如も
同様、誰も気付かないだろうと甘く見ていたのか、文字を知らないから自分では間違い
と思っていないのか? 或いは御本尊を大聖人の御当体ではなく、単なる文字だと
思っているから「書字」と書いたのかも知れない。
日如も日顕も、御本尊に対する姿勢が実にいい加減である。本尊書写も金儲けの手段
に過ぎない。これが「法華経の行者」ではなく「法華経の業者」と揶揄される所以で
ある。
さて、本号では南無妙法蓮華経の「南」について再度、指摘する。日如が模写した
首題の「南無」の「南」は、九画目の縦棒が上に突き抜けている(上段に写真)。日如は
国書刊行会の「御本尊の書き方」(有賀要延・編著者)を見て猛練習したということ
だが、その甲斐もなく、お粗末な模写である。因みに左が「御本尊の書き方」の手本で
ある。
「富士宗学要集」(堀日亨上人編)に収められている本尊の首題を見ても「南」
(左を参照)の九画目の縦棒は当然、突き抜けていない。
「御本尊の書き方」には書写の心得として「斎戒沐浴して」と記されている。
日顕のようにステテコ姿で落語を聞きながら書くのは言語道断。また首題の筆法は
「筆は軸を立てて用い、鋒先の弾力性を充分に活用する」とある。日如みたいに拳法に
熱中しヌンチャクを振り回していた手に筆を持つと余計な力が入りすぎ、柔らかい
筆遣いができない。
しかも、七十歳を過ぎてからでは猛練習も手遅れである。日顕があと十年早く退座
していれば、日如も少しはマシな本尊の模写ができたのに、残念だったな。
以後は寛尊の御本尊を誹謗するのを止めることだ。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000777.jpg
281
:
矢野殉也
:2009/11/02(月) 02:34:07
こたびの選挙大勝利おめでとうございます。
282
:
検証会議
:2009/11/04(水) 12:12:02
フェイク 第1066号
(発行=09.11.02)
「今の登山会は極めて危険だ!」
諸天善神が見捨てた邪宗・大石寺の寸描
相次ぐ災害、新型インフルエンザも蔓延
諸天善神に見捨てられた最近の大石寺の惨めな様子を簡単に紹介する。
【新型インフルエンザ】
新型インフルエンザが全国規模で本格的な流行となってきている。十一月一日には
盛岡市の二歳の女児が死亡し、京都市右京区の三十代女性と伊丹市の八歳の女児も死亡
した。いずれも基礎疾患はなかったとのことである。これにより、国内の死亡者は疑い
例も含めて計四十三人になった。
このように感染拡大が憂慮されている折り、日蓮正宗大石寺の大坊に居住する中学生
と高校生の所化の間に新型インフルエンザの発症が見られ、拡大していると伝えられて
いる。
先月は上野の中学校で学級閉鎖になったほか、地元の小・中学校は共に全校生徒に
マスクの着用を徹底。登下校の際、ほとんどの生徒がマスクを着けている。
更に、地元の高校に通う大坊の生徒六人もインフルエンザで学校を休んでいると
いう。このように本山内に新型インフルエンザが蔓延している時に登山すると、感染
する危険性が大であり、「今は登山しない」と語る法華講員もいる。
【台風十八号が直撃】
台風十八号が十月八日、大石寺を直撃。二天門の東側にあった樹齢数百年の銀杏の
巨木が根元から折れて倒れ、その根が剥き出しになっていた。また、桜や杉の大木も
横倒しになっていた(下の写真参照)。この倒れた巨木は切り刻まれて撤去された。
このように謗法と化した大石寺は数々の災害に見舞われる。
平成十八年八月には境内の杉の巨木を雷が直撃。「慧妙」は、この落雷を「功徳だ」
と詭弁を弄していたが、この杉は古来「逆さ杉」と呼ばれ、樹齢五百年ともいわれて
いた。
この由緒ある「逆さ杉」は真っ黒に焦げ、今はこれも撤去されて、大石寺には由緒
ある大木は全て無くなってしまった。
【不気味なカラスの群れ】
夕刻になると、奉安堂周辺にはカラスの大群が飛び交う。カラスは廃墟になる場所を
本能的に感じて集まると言われている。境内を群れ飛ぶカラスは、やがて大石寺が廃墟
になることを感じているようだ。
【客殿に日顕用の手すり】
日顕が良く使う客殿の東側の階段に手すりが取り付けられた。どうやら足腰が
めっきり弱って本山と世田谷の豪邸を往復するのも辛くなっている日顕のために設置
したらしい。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000778.jpg
283
:
あーあ
:2009/11/04(水) 23:08:01
ここは終わった。
閉鎖がよろしかろ
284
:
検証会議
:2009/11/05(木) 21:40:04
フェイク 第1067号
(発行=09.11.06)
日顕の弟子が身延僧の導師で読経
日蓮正宗の坊主は「謗法同座」の感覚がマヒ
長倉信祐、花野充道が池上本門寺で研究発表
日蓮正宗の現役坊主と元坊主による「謗法同座」の実態が露見した。この現役坊主
とは宗務院財務部長・長倉教明(札幌市の日正寺)の長男の長倉信祐(写真下)で、
元坊主とは僧籍を失った花野充道(写真上)である。
長倉と花野の二人は、去る十月二十三日、日蓮宗身延派が主催する池上本門寺での
「日蓮宗教学研究発表大会」に顔を出し、身延派僧に混じって得意満面で研究発表を
していた。
大会の総裁は日蓮宗管長の酒井日慈、大会会長は日蓮宗・宗務総長の小松浄慎、
実行委員長は日蓮宗宗務院伝道局教務部長の酒井光雄で、他にも身延派坊主が役員と
して名前を連ねている。
花野充道の研究テーマは「日蓮聖人の教判論」。本来は「大聖人」とすべきだが、
身延派に迎合して「聖人」としている。長倉信祐は「天英院照姫と大石寺信仰」が
テーマであった。
発表会に先立ち、花野と長倉は「法味言上」と称して身延派の本尊に向かって、
身延派僧の導師で自我偈の読経・唱題もした。この衝撃的な謗法行為は今後、宗内で
物議を醸すことだろう。
花野は冒頭から「今年三月、早稲田大学から学位を授与されたことにより、七月には
日蓮正宗の僧籍を失った」と、身延の坊主らに日顕の非道を訴えていた。
今は隠居している日顕は、かつて立正大学に在学中、繰り上げ卒業で海軍に入隊。
今も学歴コンプレックスが強く、所化が大学院に進むのを極端に嫌って「日蓮正宗の僧
に博士号など不要」が持論である。そんな複雑な裏事情を知らない聴衆は、花野の変な
恨み節に、怪訝な表情を見せていた。
片や、長倉は日顕が作った法教院ではなく大正大学へ行って博士号を取得したことで
日顕に睨まれている。
日顕や日如のファミリーが若くして住職になっているのに対し、長倉は四十歳に
なっても寒村の住職にもなれず、今も父親の寺に居候の身。研究発表では身延派に
対する破折もせず、常泉寺の由緒・格式ばかりを自慢し、現代の三位房とも言うべき
醜態を晒していた。
長倉が学位を取得したのは妙楽の研究だったが、天台の研究では身延派僧に遠く
及ばない。それを自覚しているから「天英院照姫」をテーマに選んだのだろう。
宗内で嫌われている「慧妙」は、学会の辻武寿・森田一哉両氏が、かつて中外日報の
祝賀会に出席したのを「謗法同座」だと見当違いの批判をしていたが、身延派僧の導師
で自我偈の読経・唱題をした花野と長倉を「慧妙」は糾弾すべきだ。同時に、信祐の
父親・長倉教明は、その管理責任が厳しく問われねばならない。
ところで、学位取得後は一年以内に博士論文を出版する規定があるが、花野と長倉は
目途も立っていない。因みに改革同盟の松岡雄茂氏は、近代日本の日蓮信仰を論じた
博士論文を学位取得の翌年、権威ある東京大学出版会から発刊している。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000779.jpg
285
:
質問でした
:2009/11/05(木) 23:11:49
やっぱりめくそはなくそ(笑)
人を呪わば穴二つ掘れ・・・。
双頭の蛇、尾っぽは一本(笑)
出所が一緒なんだから、仲良く自滅すりゃいいんだよ。
286
:
検証会議
:2009/11/06(金) 01:32:51
>やっぱりめくそはなくそ(笑)
今度は身延と日顕宗のことか?(笑)
>双頭の蛇、尾っぽは一本(笑)
>出所が一緒なんだから、仲良く自滅すりゃいいんだよ。
前法主が立正大学で身延の坊主と親近したと言う意味では
「尾っぽは一本」「出所が一緒」ってことで(笑)
287
:
検証会議
:2009/11/06(金) 22:15:48
石山だより
平成二十一年十一月六日
一、都合のいい時は、早急に宗務広報を出すのに、ワシントン・妙宣寺の火災に
ついては、十一月一日、二十一日遅れで渋々通知を出した。
本当は、出さずにいたかったが、ワシントンポストを始めインターネットによって
世界中に知れ渡ってしまったので、ほとぼりが冷めるまで待って、通知したということ
だろう。
宗務院の坊さんのやることはいつもズルクてコスイ、それこそ世間知らずの
思い上がりだ。「正直」ではない。
一、妙宣寺の法華講員は、当日、「外で予定されていたバーベキューの煙だったと
思った」また、「近くの建物が燃えていると思った」「お会式の最中に火災になる
なんて考えられない」まさに、自分達がバーベキューになるところだったと語っていた
そうだ。
大聖人は「されば大果報の人をば大火はやかざるなり」(王舎城事)と仰せである。
宗門は禍いばかりだ。福徳が切れ諸天に見放されている所以ではないか。
一、エーまたか?末寺住職が嘆く登山・折伏。一つは、登山。来年も三回支部登山を
やれ!その一回を全体登山とせよ健常者はみんな連れてこい。それ以外に、夏期講習会
登山をやる。二つは、折伏。平成二十七年までに50%増をせよ。その達成計画を十二月
一日までに出せ。折伏成果の上がらない寺には、ゴマスリ坊さんが派遣されて指導に
行くそうだ。
たまったもんじゃない。成果が上がっていると言っていた寺だって、その後、報道
されたことがない。だいたいインチキだし、実態のないものばかりだ。
信彰が言っていたが、新入信の五割が行方不明や死亡で実在しない状況じゃ五十%増
なんて夢のまた夢の数字だ。来年は“広布前進の年"と発表された。
本山では贅沢に経費を使っているが、末寺は疲弊している。塔婆は、ガタ減り、
講員は寺に来ない。葬儀だって年に一度あるかないかだ。
そんな実態は、本山にいて苦労を知らない者に、分かるはずがない。
(十二月パリからフランスの講員に嫌われた守銭奴毛利博道が帰国する。韓国、台湾で
講員から金を集めまくって、何に使ったのか?頭を丁重に下げる裏に魂胆有り。
根っからの悪党だ。一族主義に志が消えてしまった無任所鼠)
288
:
太田
:2009/11/07(土) 02:46:41
選挙大勝利万歳!
289
:
質問です
:2009/11/08(日) 12:48:28
>>286
鏡をご覧下さい(笑)
相手を醜くみる、もっと醜い二つの穴が空いてます。
290
:
検証会議
:2009/11/08(日) 13:13:31
>>289
あんたが見えてる醜い穴は、あんた自身の脳味噌に巣食ってる醜い穴だよ(笑)
291
:
質問です
:2009/11/08(日) 21:27:06
他人を嘲り、悪し様に罵るあんた達は腐る脳みそもないよ(笑)
それが宗教だなんて笑わせるのもいい加減にしろ!キチガイが(笑)
見苦しいにも程がある。
292
:
検証会議
:2009/11/09(月) 02:32:14
>>291
「事実に基づく批判的意見表明」を見て「嘲り」「悪し様に罵る」と
「脳内変換」されるクソミソ一緒のあんたのノーミソにつけるクスリは
東大医学部教授でもつくるのは難しいだろね(笑)
293
:
質問です
:2009/11/09(月) 09:38:26
その言葉がそっくりそのまま自分に当て嵌まる事に気付かないのかな(笑)
自分は言いたい放題で、同じ事を自分がされたら罵倒する。
大したもんだ(笑)
自らに降り懸かった火の粉を払わないで
放火して回ってるのと同じだね(笑)
他者への批判は内輪には通じるが、全く知らない外部には
嫌悪感しか与えない事を勉強なさったほうがいいよ。
294
:
教えてください
:2009/11/09(月) 23:18:32
211 :名無しさん@八周年[]:2008/04/19(土) 11:04:06 ID:pZd/Kg980
>>184
>記念日に手を出してもノーベル平和賞まではまだまだ遠いよな。
失礼ですが、あなたは池田先生がノーベル平和賞をご辞退されたのを知らないのですか?
もう、かなり昔の話で、たしか「”米・ソ”冷戦終結への道すじを開いた」というのが
受賞の理由だったと思います。ですから、1990年代のことだったと記憶しています。
かのノーベル賞もかつてノーベル文学賞を哲学者サルトルが辞退した先例があるので、
受賞前に内々に打診があるのですが、池田先生はその打診の段階で、
「私はいまのわたし自身だけで、充分です。ノーベル平和賞をもらってしまっては
”庶民とともにある指導者”という立場に障害ができてしまう。
なんのへだたりもなく、ともに庶民の中で生きてゆきたい。」と
おっしゃられて辞退の意思を伝えられて以来、
ノーベル平和賞の選考からはずされたと聞いています。
やはりノーベル賞選考委員会も、一度辞退の意思を示した人間は同一の分野では、
再度の選考の対象として扱わないことになっているので、
今後、池田先生がノーベル平和賞を受賞されることはないとのことです。
ただ、「人間革命」や「仏法と宇宙」などの先生のお書きになった著書・論文が
ノーベル文学賞・物理学賞の対象に挙がっているということは聞いたことがありますので、
あるいはノーベル文学賞・ノーベル物理学賞ならば、
違った選考委員会にかけられるので受賞の可能性はあると思います。
たいへんな方ですね。
ノーベル平和賞とノーベル文学賞の
三つのノーベル賞の授与の可能性がある、あるいはあった方だとは…
本当にこころからご尊敬します。
あなたもこれくらいの常識は持っておられたほうがいいですよ。
これって本当の話ですか?
全く聞いた事もないし、そもそも候補にもなれば、報道されるはずだとおもうのですが・・・。
295
:
検証会議
:2009/11/10(火) 12:24:51
>>293
>全く知らない外部には嫌悪感しか与えない
「認識せずして評価せず」なんて言葉もあるが、
「全く知らない外部」の名を借りて「偏見」の穴に落ちている
己の姿を晒すマネだけはヤメタ方がよいぞ(笑)
296
:
検証会議
:2009/11/10(火) 12:27:23
フェイク 第1068号
(発行=09.11.08)
故・原島嵩の一族は虚言症だ!
原島昭の駄文で虚報の「慧妙」が恥の上塗り
「ルビー」の編集は坊主になった矢島周平だった
退転して昨年、地獄に堕ちた原島嵩の実兄・昭が十一月一日付「慧妙」に再び
デタラメな記事を書いている。昭の母親・精子は派閥を作ろうとして役職解任のうえ、
謹慎させられたが、その処分を下した戸田二代会長を逆恨みして蔑み、更に、若き日の
池田三代会長の輝かしい軌跡に泥を塗ろうと躍起になっている。
特に、第三代会長は日本正学館で青年編集長として『冒険少年』のちの『少年日本』
(写真)の編集に情熱を注いだが、昭は、若き日の池田編集長を愚弄するため
「ポルノ雑誌『ルビー』」の見出しを付けて、こんな御託を並べている。
「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を創刊し…」
「当時は雑誌が一冊二、三十円くらいの値段で、一冊売るごとに一円ずつの謝礼が
原島家に入る、という取り決めだった」「『冒険少年』も『ルビー』も、あまり
売れませんでした」「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと開いて見て
驚きました。グラビアの写真と本文の始めから終わりまでの挿絵の殆ど全てが
ヌード写真で占められていた」「その後一年もたたないうちに池田氏編集の二雑誌は
廃刊になりました」
この昭の文は虚実を織り交ぜ、読者に間違った認識を与えようとの悪意がある。
池田編集長が『冒険少年』とポルノ雑誌『ルビー』の「二雑誌」を編集していたように
錯覚させようとの陰湿な魂胆が垣間見える。
池田編集長が編集していたのは『冒険少年』だ。
創刊号は昭和二十三年の新年号で、昭和二十四年十月号から『少年日本』に改題
された。「面白くて、ためになる」というのが『冒険少年』『少年日本』のモットー
で、いずれの号にも山岡荘八氏、野村胡堂氏、西條八十氏、そしてイラストの大家・
小松崎茂画伯、絵物語の大御所・山川惣治氏、山口将吉郎画伯など当時を代表する
作家、挿絵画家が名前を連ねていた。
だが、不況の荒波にのまれ、同年十二月号で廃刊になった。
一方、『ルビー』は左に添付した奥付に明記されている通り、これは後に坊主に
なり下がり学会批判をするようになった矢島周平が編集していた。「ヌード写真で
占められていた」はウソ。昭の駄文は定価も出版社も違う。邪推と妄想と勘違いを
混同して書いており、死んだ嵩と同じ虚言症だ。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000781.jpg
297
:
質問です
:2009/11/10(火) 22:51:25
>>295
だからさぁ、鏡を見なさいよ(笑)
自分が見えないにも程があるよ(笑)
298
:
検証会議
:2009/11/10(火) 23:51:19
↑ついには「なんとかのひとつ覚え」みたいに「無限ループ」ですかぁ(笑)
299
:
質問です
:2009/11/11(水) 12:02:52
中身がない相手にループしても、返ってくる答えは決まってます(笑)
と言うより、答えすら出せずにはぐらかししかしないじゃないですか(笑)
300
:
検証会議
:2009/11/11(水) 15:21:46
>>299
>中身がない相手にループしても、返ってくる答えは決まってます(笑)
ちなみに、黒川某(れいな)という人は、某氏との対論において、
最後は「お前は地獄行きだ!」の繰り返しで、彼らしく
「無限ループ状態」になったそうです(笑)
>答えすら出せずにはぐらかししかしない
「質問です」のハンネを使ったところで「質問」がない相手に対して
当方は「答え」る義務も責任もありません(笑)
ま、コンピュータにおける「無限ループ」対策は「強制終了」ということで、
あとはあんたひとりで「勝手に無限ループ」やってていいよ(笑)
301
:
検証会議
:2009/11/14(土) 00:32:13
越 洋
平成21年11月12日
世紀の愚策「C作戦」という謀略により、日顕は平成2年暮れの12月27日、突如
の総講頭罷免に始まり、その翌年の平成3年11月7日に「解散勧告書」、同28日
には「破門通告書」を学会に送りつけた。以来、18年になるが、この平成の宗教改革は
後世の歴史の上でも「魂の独立記念日」として燦然と輝く壮挙となることだろう。
当初、日顕は"20万人の脱会者"を目論んで期待していたが、18年経った今日、現状
は"7万5千そこそこ"をムリに集めて大騒ぎしているのが実状である。
一方、学会は、世界192カ国・地域にまで発展し、池田名誉会長に国家勲章は
27。世界の大学から贈られた名誉学位記は268。世界各都市からの名誉市民賞は
657を数える。仏意仏勅を受け、御本尊を根本として、大聖人が御書に仰せの通りに
実践を続けてきた結果なのである。
そういう意味では「破門通告書」により「破門」されたのは、日顕自身であると
言える。そもそも「破門通告書」の内容たるや御書の一節も使うことが出来ず、屁理屈
を並べたにすぎない。要するに"日顕の嫉妬"以外の何ものでもなかったことが、大聖人
から見放された現在の宗門の疲弊した窮状に厳然と現れている。
かつて登山客で賑わった大石寺売店は、ゴーストタウンと化してしまい、集まるのは
日顕の指示で抹殺された鳩にかわってカラスの大群である。正本堂を破壊して建てた
奉安堂は、登山する法華講よりカラスの方が多く群がっている。日顕の犯した大罪は
取り返しのつかない真っ黒な大汚点として宗門史に語り継がれていくだろう。当然、
懶惰懈怠・腐敗堕落の元凶、日顕は除歴である。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000782.jpg
302
:
検証会議
:2009/11/14(土) 11:55:56
大石寺短信 第473号
平成21年11月12日(木)
日顕宗の動き
1.“付け焼き刃”の「折伏推進員」制度
日顕宗は、“これから5年間で法華講員を5割増する”との無謀な目標を掲げたが、
このほど、そのできもしない計画を推進するために、「折伏推進員」なる、新たな制度
を設けた。これまで、日顕宗では県単位を基本とする布教区で、毎月、広布推進会と
いう会合を行い、相互に競争させ合って折伏を推進してきた。そこに派遣されてきた
のが「広布推進員」だったが、成果があがらなかったため、来年から
この広布推進員制度は廃止され、今度は折伏推進員に坊主15名を任命し、成果の
出ない寺に対し、具体的にテコ入れをするという。 これは、今までは広布推進会で
単なる“指導”で終わっていたところから、直接成果の悪い末寺に乗り込み、
テコ入れし、それでも成果が改まらない寺の住職をクビにすることまで想定した制度の
ようだ。
いよいよ日顕宗は「サバイバル・レース」の時代に入っていく。我々も
“油断大敵”。警戒を怠ってはなるまい。
ところで、いつも折伏の落第生である東京・常泉寺(重役・藤本日潤)はじめ役僧が
住職を務める大寺院の折伏推進員は、だれが引き受けるのだろうか?
2. いよいよ始まる“使えない”住職の粛清
このほど、静岡・御殿場市の持妙寺の住職が、大藪道生(43)から東京・八丈島、
無上寺の岩山信寿(42)に、栃木・小山市の教徳院の主管が、重竹雄徳(65)から
本山・大坊の竹内雄慧(49)に交替することになり、無上寺の新住職には本山・大坊の
今井正学(35)が入ることになった。
持妙寺では、住職・大藪と法華講間の折り合いが悪く、ゴタゴタが続いていた。
大藪は、信者たちから厳しい突き上げを受ける中、体調を崩した女房の看病にあたって
いたが、そのうち自身もダウン。あえなく住職のクビを差し出すことになった。
教徳院の重竹は、これまで酒の飲み過ぎで何度か倒れたことがあったが、ついに、
「病気療養」を理由に隠居することになった。一方、新たに入る竹内は50歳近くに
なって本山を追い出される羽目になったわけだが、この背景について、「何か不祥事を
起こしたのではないか」といった憶測が飛んでいる。
今後、成果の出ない寺、問題を抱えている寺の住職の粛清が、本格的に行われていく
ことになるだろう。
303
:
検証会議
:2009/11/14(土) 11:56:15
石山だより 平成二十一年十一月十三日
一、北海道はもう雪、めっきり寒くなった。最近、札幌の長倉信祐(財務部長・
長倉教明の長男、日正寺)と花野充道(本年七月に還俗)の二人が、池上本門寺で
身延派の教学研究発表大会に出て研究発表し、その際、身延派僧侶の導師で自我偈の
読経・唱題をした事実が宗門内外に知れ渡った。宗務院は現在、表面上は平静を装って
いるが、水面下では喧々囂々。「花野と長倉なら、やりかねない」「あの二人は他宗
との交流が頻繁で、謗法に関する感覚が麻痺している」との見方も強い。また、法華講
でも長倉と花野を問題視する動きがある。「御法主上人猊下が許可されたのだから問題
ない」という意見から「そんな謗法行為を猊下様が許可する筈がない」「もし、許可
したとすれば猊下様もおかしい」等々と、さまざまな見解が飛び交っている。花野と
長倉の謗法同座事件の波紋は大きな広がりを見せている。まだまだ鎮静化する気配は
ない。
一、宗務院が出したワシントン・妙宣寺の火災の「宗務広報の内容は欺瞞に満ちて
いる」という声が現地から関係者にソッと寄せられた。それは火災発生時の住職・
村田雄瑞の行動に関するものである。お会式の最中、次第に煙が本堂内に充満してきた
ものの、誰一人、寺の火災とは気付かなかった。お香の煙かバーベキューの煙か近所の
火災か等々、他人ごとのように思っていた。ところが寺の火災と分かった途端、住職の
村田は講員に避難の指示もせず、顔面蒼白で慌てて一人で逃げ出した。講員の一人が
大声で「住職、御本尊は?」と問い掛けた。ハッと我に返った村田は、やっと御本尊を
移したのであった。そんな醜態が「宗務広報」では「火災発見後、住職は直ちにすべて
の御本尊を安全な場所にお遷しし、消防関係への通報、及び参詣信徒の速やかな避難を
指示しました」と、美化されて正反対の内容で通達された。まったく厚顔無恥な宗務院
である。
(「大御本尊は偽物である」「御本尊を信じられない」という者が中興の祖・
日寛上人お認めの御本尊をニセ呼ばわりし、誹謗をするから世の中までおかしくなって
しまう。顕チャンは、そろそろ遠慮することを学びなさい。世田谷と蓮葉庵を本山に
返して、特別養護老人ホームへ入ることを提案する大坊鼠)
304
:
検証会議
:2009/11/14(土) 11:56:37
フェイク 第1069号
(発行=09.11.13)
異常だった故・原島嵩と母親の関係
ウソ八百を羅列した原島昭の「慧妙」の駄文
狂った家族の中、昭は「ねじけた物の見方」に
反逆者・原島嵩の実兄の昭は、戸田会長に根深い恨みを抱いているようだ。
昭の性格は嫉妬深く、性根が曲がり、恩を仇で返す嘘つきでもある。昭は
「(私が)ねじけた物の見方をするようになったのは、多分に創価学会二代会長・
戸田城聖氏の影響でもあります」と、十一月一日付「慧妙」に書いている。
自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全くふざけた野郎だ。
昭のネジ曲がった性根、「ねじけた物の見方」は母の精子と弟・嵩の異常な関係を
見てきたからではないかと指摘する人がいる。それは精子が二男の嵩を次期会長と
思い込み、不自然な態度で接していたことである。
例えば、精子は本部で使用する報告用紙を使って息子宛に「原島教学部長様」と
書き、色々と私的な用件や御礼、時には夕食の献立まで丁寧に記入し、バインダーに
挟んで提出。その報告書を見た嵩が「了解」とか「一任」などと赤字で書いて返却して
いた。
また、精子が嵩に渡す報告書を両手で頭上高く捧げて、頭を下げて差し出す。
昭は、こんな母と弟の異常な関係を日常的に見ていた。
更に、精子は道路で嵩に出会った時、自分の息子にだけは深々と頭を下げるが、他の
幹部には挨拶もしない非常識な女でもあった。
「戸田会長が詫びた」は嘘
本紙第一〇六一号で精子が派閥を作ろうとして戸田二代会長によって
文京支部婦人部長の役職を解任され、謹慎させられた、と暴いたので、その弁解の
つもりらしいが、昭は一日付「慧妙」に次のように書いている。
「昭和二十八年一月一日付の『聖教』紙上に、私の父(編集部注・宏治)が、十二月に
文京支部長を解任され、地方統監部長という新しい役職を与えられた」
「私の母も、前年にわけの分からないまま支部婦人部長を解任され、謹慎を
命じられていました」
本紙編集室は当然、原島宏治の解任も把握していたが、昭は母親の解任・謹慎を
報じた本紙の正確な記事を認めた上で、父親の解任も本紙に暴露されるのを察知した
のか、宏治も支部長の任を解かれた事実を明かし、その記事の中で嘘八百の釈明をして
いる。
「その後、二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ『側近の言葉を信じて、あなたを
辛い目に合わせてしまった。申し訳なかった』と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させました」
昭は昔のことだからウソを書いてもバレないと思っているのか? 戸田会長が精子に
詫びたというのは作り話だ。最後まで信用していなかった。また、戸田会長が精子に
「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復させた」というのも真っ赤なウソである。
戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長にはなっていない。
精子が、その役職に登用してもらったのは池田三代会長の時。戸田会長が亡くなって
六年半後の昭和三十九年十二月二十五日、理事長だった宏治が死んで間もなくの
本部幹部会で、五人が本部副婦人部長に登用された。その中の一人に精子も含まれて
いたのである。
ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。
305
:
検証会議
:2009/11/17(火) 22:22:46
フェイク 第1070号
(発行=09.11.16)
急報! 総本山大石寺で火災
「雨の日顕」と「火事の日如」が邪教の証明
参道沿いの建物、約二百五十平米が全焼
最近、火災が続いている日蓮正宗で総本山大石寺の境内にある建物でも、遂に、
十一月十五日午後、火災が発生した。消防車十数台と地元の消防団も駆けつけて消火に
当たったが、約一時間にわたって燃え続け、同寺一帯は物凄い炎と黒煙に包まれた
(下の写真を参照)。
火災の発生は午後二時頃、総坊近くの休業中の売店で、木造平屋建ての建物八店舗、
約二百五十平方メートルが全焼した。
火災の翌日の十六日には警察と消防関係者による現場検証が行われた。出火原因は
大石寺坊主の関係者の火遊びだと判明した。
それにしても、最近の日蓮正宗では火災が多すぎる。八月二十八日には大石寺の
駐車場で乗用車十台が焼ける火災があり、先月十一日(現地時間)にはアメリカ国内に
六ケ寺ある寺の一つ、ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が焼失したばかりで
ある。
思えば、日顕がニセ法主の頃は、お会式や各種法要などの行事の度に暴風雨、
集中豪雨に見舞われていた。そして日如がニセ法主になってからは火災が頻発する。
ムリな登山で講員は疲弊、売店はゴーストタウン化
日蓮大聖人は「生死一大事血脈抄」に妙法の功力について「火も焼くこと能わず水も
漂わすこと能わず」と教えられている。この御文に照らしても日顕・日如が君臨する
現在の日蓮正宗は大聖人の仏法とは無縁の邪宗教であると断言できる。
富士宮署によると、火災で全焼した建物は二十年前から使われていなかった、との
ことだが、学会員が登山しなくなってから大石寺は閑古鳥が鳴いていた。
近年、法華講員に対して宗門は年に数回以上、或いは十数回も登山を強要。そのため
講員は疲弊し、売店で土産品などの買い物をする経済的な余裕もない。
諸天に見捨てられた日蓮正宗大石寺は滅亡への速度を速めている。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000785.jpg
306
:
検証会議
:2009/11/18(水) 01:26:23
石山だより
平成二十一年十一月十七日
一、エーまたかよ! と大坊での声、総本山大石寺の総坊売店で十五日午後二時頃、
火災が発生した。皮肉なことに前日は大雨だったが、この日は晴天だったため火勢が
強く、約一時間で二百五十平方メートルの建物がほぼ全焼した。
先月十一日のワシントン・妙宣寺の火災の際は、三週間も経ってから「宗務広報」を
出して火災を知らせた。その余りにも間の抜けた対応を「石山だより」十一月六日付で
指摘したので、今回は慌てて、火災から三時間後に大石寺内事部が、全国の住職・主管
に宛てた「お知らせ」を送信した。
だが、その内容は、昔の大本営発表と同じように「被害は一切ありませんでした」等
と書いており、全くの眉唾物である。
まず、「営業中の売店に延焼しなかった」と浮かれているが、それは消防関係者の
必死の消火活動のお陰である。それなのに、感謝の言葉が全くない。
また、近隣の方々に多大な迷惑と心配を掛けておきながら、お詫びの言葉は一言も
ない。
宗門は「被害がない」と言うが、被害を受けた人がいるではないか。どうして、謝罪
の言葉が一言でも書けないのだろうか。謝ることを知らないのが、今の大石寺の悪しき
体質である。
一、次に「火災は約一時間で鎮火しました」というのは欺瞞である。火災は木造の
古い平屋建てである。それが一時間も燃え続けたら、全てが灰燼に帰す。
このような場合は「約一時間で全焼しました」と正直に書くべきであろう。
通報を受けた消防署は消防車十二台を急いで出したが、いざ、消火しようとしても、
消火栓の水が出ないなど消火活動に支障をきたした。
これは明らかに大石寺の問題である。法華講から供養を集めることには殊のほか熱心
だが、登山者の安全を守ることには神経を使わないのも大石寺の特徴の一つである。
更に、「出火原因は調査中」と誤魔化さないで、原因は当初から判明しているよう
に「当山の僧侶の関係者の火遊び」と、なぜ素直に書かないのか?
(顕チャンが法教院を作ったのは、自分の名聞名利のため。自分のことだけで、学生
のことなど考えない。四年間のぬるま湯教育の末、卒業しても夢も希望も持てない。
何時になったら住職になれるのか?この所火災ばっかり、嘆きの無任所鼠)
307
:
検証会議
:2009/11/21(土) 20:52:17
フェイク 第1071号
(発行=09.11.20)
阿部信彰、新設の布教部長に降格
宗門の前途は真っ暗、脱講者は急増の気配
末寺坊主・法華購が早くも愚痴と悲鳴
法華講員が激減し、折伏も停滞している日蓮正宗が今月十三日、宗務院に「布教部」
を新設して、部長には庶務部長だった阿部信彰を任命した。庶務部長は宗務院の中でも
権力が集中する総監に次ぐポストだが、布教部長への転出は明らかに降格人事で、
これで信彰の登座の芽は遠のいたという見方が有力である。
その後任の庶務部長には早瀬の人脈の斎藤栄順が副部長から昇格した。これにより
宗務院は従来の庶務・教学・渉外・海外・財務の五部に布教部を加えた六部体制になる。
七月の無謀な結集総会の席で、ニセ法主・早瀬日如が「平成二十七年の日興上人
御生誕七百七十年までに、全ての法華講支部が現在の講員数を五十%増加すること」
「平成三十三年の日蓮大聖人御聖誕八百年の佳節までに法華講八十万人の体勢を築く
こと」という新たなノルマを課した。
布教部の新設は、この過酷なノルマ達成のために、末寺・法華講にハッパをかけるの
が主な役割である。
宗内情報によると、布教に関する事項は全て布教部が遂行するとのことだが、大して
重要な役割はない。
例えば、これまで庶務部長だった信彰が大講頭を連れて強行してきた末寺坊主の
締め上げ、講員への恫喝、それに教学部が運営してきた法華講夏期講習会などを布教部
が担当するという。
面白いのは、十一月十六日付「大白法」に「法華講員各位には、布教部の誕生を喜ぶ
と共に……」等と書いていることだ。法華講にしてみれば、自分達を恫喝し、出来ない
折伏に狂奔させる目的の布教部が出来たからといって素直に喜べる筈がないではないか。
むしろ、その辛辣なやり方に反対する法華講員、及び末寺坊主から「やめてくれ」等
の愚痴と悲鳴が早くも聞こえてきている。確かに、部長が信彰では講員達の苦しみが
増すばかりで、今後ますます脱講者が増えると予想される。
信彰は、自分で折伏した経験がないばかりか、教学力も包容力も人徳もなく、恫喝
するしか能がない。
…………………………
暴力を振るう阿部信彰
これまでも僧俗指導会で住職や法華講員を怒鳴りつけ、激しく追及したため住職や
講頭を辞めた者も多い。
この信彰は日顕と同じで、御本尊を信じられず、平成十五年には新興宗教の信者との
法論に負け、新興宗教に功徳があると認めていた。
新興宗教の信者 私の入っている新興宗教では実は病気が治るんです。
信彰 本当に治りますか。
信者 当然、病気も治るし、お金も入る。
信彰 そうですか。
信者 功徳があります。
信彰 新興宗教は、どの宗派も功徳があるんですね。
信者 そう、日蓮正宗じゃなくても功徳があるんだ。
信彰 分かりました。
この後も新興宗教の信者に言い負かされた信彰は、御本尊の功徳を全く
言えなかった。こんな無能坊主に布教部長は絶対に務まらない。
308
:
検証会議
:2009/11/26(木) 14:16:36
石山だより 平成二十一年十一月二十五日
あの暴力信彰が布教部長に就任。瞬間湯沸かし器二世は、みんなから嫌われている。
布教、布教と言っても笛吹けど踊らず状態になることは見え見えだ。平成二十七年に
講員50%増、平成三十三年に講員80万達成と景気よくぶち挙げたが、少子高齢化の
ご時世、特に高齢化が激しい、どんなに絶叫しても所詮、目標を達成することは
ムリムリと多くの住職が言っている。何せ、六年後、十二年後の話なので、実感が
わかない。その頃には、相承なき顕チャンも、寛チャンもこの世には不在の身だろうと
囁かれている。
一、恒例の御大会が二十・二十一日の両日、底冷えの厳しい大石寺で行われた。今年
もお練り、申状捧読など毎年、同じ事を繰り返すだけで何の進歩もないマンネリの行事
に登山者は辟易し、感動したり、喜ぶ登山者は見当たらない。登山者の関心事は十五日
の火災の焼け跡を見に行くことだった。火災現場は廃墟と化していた総二坊西側の売店
で、焼けた売店と総二坊の間に、新しい売店が出来ている。そこの売店での登山者と店
の人との立ち話の会話を紹介する。
登山者 四・五日前、この裏で大火事があったんですか?
店 員 ええ、そうです。(と言って売店の奥に登山者を招き入れ、裏口から焼け跡
を見せた)
登山者 ウワー、すごく燃えたんですね?
店 員 はい、火の勢いが凄かった。火事が起こった時、運悪く南風が強くて、
建物全体に一気に火が回った。
登山者 それは、怖かったでしょう?
店 員 はい、もう怖くて、怖くて体が震えましたよ。火はもの凄い速さで
燃え広がりました。煙も真っ黒でした。
登山者 ところで、原因は?
店 員 よく分からないのですが、ご僧侶の焚き火とか、子供の火遊びという噂も
あります。内事部からは、何の説明もありません。
登山者 この店舗は無事だったんですね。
店 員 ええ、無事だったんですけど、私達は生きた心地しなかったです。昔は、
登山者で溢れて沢山売れたのですが、近年サッパリ売れなくなって死活問題です。
売れないわ、その上火事では、踏んだり蹴ったりですよ。大石寺も運の尽きで、お先
真っ暗ですわ。
二日目は昼食を挟んで午後一時から仮御影堂(奉安殿)で布教講演会が行われたが、
弁当の到着が間に合わず、なかには昼食抜きで参加した気の毒な登山者もいた。
とにかく、参加者は、お年寄りが多いので、山内を歩くのも相当きつい、登山するのも
容易じゃない。申し状を読むのを聞いてもタダ坊さん達の自己満足に聞こえる。儀式も
大事かも知れないが、世相が悪すぎる今こそ、七百五十年という佳節なのだから、
立正安国論を実践する「時」ではないか。と言っても、修行を怠り、贅沢、懶惰懈怠に
浸って来た者には、到底無理な話だ。
(無任所で溢れる本山、二十三日には千葉の妙聰寺の住職に佐藤信暢がなった。
寛チャンのファミリーだ。能力とか、実力など一切関係ない社会だ。法華講のT氏が
寄進したそうだが、援助寺院が一カ寺増えただけだと言われている。待ちくたびれた、
順番待ちの無任所鼠)
309
:
検証会議
:2009/11/26(木) 14:19:18
越 洋
平成21年11月21日
11月15日(日)夕方から各社のメディアが"大石寺の売店焼く"と一斉に報じた。
折からの乾燥した空気と強風のため、約1時間で250平方メートルを焼き、地元民の
間には"また大石寺か!!いったい大石寺の防火体制はどうなっているのか!!"と怒りと
不満が充満している。当初、法華講などは「火災は学会のせい」と言っていたが、調べ
が進んで原因は富士学林研究室Kの家族の火遊びだったと判明。翌16日には大石寺
近在の檀家の家も火事になり、悲惨なことばかりだ。
8月28日には宗務院近くの裏門南側の駐車場で大きな爆発音と共に車両一台が
炎上し、計十台が類焼した。タイヤのゴムが焼け焦げて強烈な悪臭が地域一帯に
広がり、近隣の人々にも多大な迷惑を及ぼした。当日は寺族同心会物故者の満山供養を
行っていた。最初に焼けたのは、その満山供養に参加するため乗ってきた車だ。
「宗門を疲弊させた日顕に対する同心会物故者の怒りと嘆きの炎ではないか」との声も
あった。
平成18年の8月12日には日興上人所縁の「逆さ杉(お華水の杉)」が落雷のため
炎上した。「奉安堂に落雷しても不思議でないのに『逆さ杉』が避雷針になって奉安堂
を守った」と狂喜する愚者もいた。
先月11日のワシントンDC・妙宣寺の「お会式」の際の出火も、今回の火災も、仏法
の峻厳な現証であり、宗門に原因がある。それにもかかわらず、屁理屈を並べて
学会批判の口実にしている。この手法は、かつてローマ帝国の暴君・皇帝ネロが
ローマ市で大火事(64年)が発生した際、キリスト教徒のせいにして信者を次々に
処刑した構図に酷似している。その後、暴君ネロの末路は悲惨を極めた。日顕と
その一派は愚かな「C作戦」という謀略で一千万信徒を騙し、破門して五逆罪を
犯した。その罪は立正安国論に照らしても、予想を超えた現証が続々と起こることは
間違いない。一連の火事は宗門にとって大凶事の予兆にすぎないのである。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000788.jpg
310
:
検証会議
:2009/11/26(木) 23:47:41
大石寺短信 第474号
平成21年11月26日(木)
日顕宗の動き
1. 新たに「布教部」が発足
このほど、文部科学省の認可が正式に下り、日顕宗に「布教部」が設置された。
これで宗務院は庶務部、教学部、渉外部、海外部、財務部、布教部の6部体制となる。
布教部の部長には前庶務部長の阿部信彰が、庶務部長には斎藤栄順が就いた。
布教部の役割は「布教のための企画・会議の主催」「坊主・信徒への布教指導」
「布教のための文書作成」「法華講の指導」とのこと。
この布教部の設置を報じる「大白法」11月16日号は「布教の牽引車となって広布推進
の大道を切り開き…」などと大言壮語しているが、設置の背景について、憂宗護法同盟
の「同盟通信」は辛らつに分析している。“父親・日顕ゆずりの「瞬間湯沸かし器」で
ある信彰はこれまで、庶務部長として、末寺坊主や法華講員らを怒鳴りつけ、
抑えつけてきたため、日如は、庶務部を事務部化して元の常識を持ち合わせた部長に
戻し、「恫喝の庶務部」という印象を対外的にも払拭したかった”――どうやらこれが
真相のようだ。
2. 本年の折伏達成寺院は現状で1割未満
「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成した支部(寺)が紹介されている。
10月末現在でその数は38。全国には600近くの寺があるので、達成支部は1割にも
満たない。残り2カ月の段階でのこの有り様。目も当てられない状況だ。
しかも、昨年の同日号の紙面で紹介されていた達成支部の数は「50」だったの
だから、明らかな退潮。こんな恥ずかしい記事をわざわざ載せたということは、
「大白法」はよほど記事に困っているのだろう。
記事には、「折伏は必ずできる」という、もっともらしい見出しが付いているが、
ほとんどの坊主・法華講員はそんな風に思っていない。毎年、折伏目標が達成できる
支部は全体の2割弱程度。ほとんどの寺が「折伏は難しい」と実感しているのだ。
そもそも、折伏のハッパをかけている坊主の寺が成果を出していないのだから、
説得力はない。新設の布教部長に就いた阿部信彰の寺は毎年毎年、惨敗続き。今回の
紙面にも名前はない。このほか、執行部の重役・藤本、総監・八木、庶務部長・斎藤、
教学部長・水島、渉外部長・秋元、海外部長・漆畑、財務部長・長倉の支部も達成
できていない。さらに、布教部の設置に併せて任命された15人の「折伏推進委員」の中
でも、達成できているのはわずか6人。
これでは、「偉そうなことを言う前に、まず自分の寺で模範を示せ」と末寺坊主たち
が怒り出しても仕方があるまい。
3. また大石寺で火事
15日午後2時25分ごろ、大石寺の総坊売店から出火、店舗8軒が全焼した。当時、現場
には黒煙が上がり、消火のため消防車が何台も駆けつけ、一帯は騒然となった。出火元
の店舗は閉店中で、電気やガスも止められていて、火の気がなかったところから、
出火原因は不審火との見方が強いとみて関係各署が調べている。
大石寺では、8月にも構内の駐車場に停めてあった車両が炎上する事故があった
ばかり。また、アメリカの妙宣寺では、先月、御会式の最中に寺で火事が発生した。
まったくもって現罰続きの日顕宗である。
4. 12月の予定
6日(日) 広布唱題会(本山、末寺)
11日(金) 全国正副宗務支院長会(本山)
13日(日) 御講(末寺)
311
:
検証会議
:2009/11/27(金) 21:07:25
新改革通信 第105号
平成二十一年十一月二十七日発行
一凶・日顕の末路(一)
宗内からの「法教院」批判、信彰の更迭、連続する火災。次々に起こる異変が暗示
する日顕の末路
平成二年七月の「御前会議」から始まった謀略「C作戦」実行、二十年目を前に
して、宗門では様々な異変が続いている。
それは一見、突発的な事件、点にしか見えないが、どれも一つの線でつながって
いる。
その"線"とは、"日顕の権威の失墜"である。
たとえば、宗会議員が「法教院」を無用の長物であると批判したが、このような
事件は、日顕が法主の時代には起こり得なかったことである。
また、信彰が庶務部長を実質的にクビになり、何の権力もない「布教部長」に左遷
させられるということなども、日顕が法主でないから、出来たことだ。これによって、
信彰の次期法主の可能性は限りなくゼロに近づいた。
すなわち、日顕が法主をやめ、早瀬体制が出来上がりつつあることによって、宗内に
くすぶっていた"恐怖政治の悪法主・日顕"への批判が、ゆっくりだが、表面化している
のだ。
日顕自身も、そのことを肌で感じているから、本山に滞在する時間を延ばして、
存在感を示そうとしている。
また、三度続いた火災は、日顕の末路を暗示する瑞相である。宗門では昔から"火事
は福運を失くす、諸天が去る"と言われている。
①八月二十八日午後一時すぎ、宗務院近くの裏門南側の駐車場で車両十台が炎上。
②十月十一日正午(日本時間十月十二日午前二時ごろ)、アメリカ・ワシントンの
妙宣寺で「御会式」の最中に火災が発生。
③十一月十五日午後二時頃、総本山大石寺の総坊売店で火災が発生。
仏法では偶然はないと説く。すべては因果の現れである。本山の繁栄、世界への
布教、どれも創価学会の存在があったからこそ、成し得たものである。それを否定した
日顕の忘恩に対する厳しい罰の現証と見ることができるであろう。
平成三年十一月二十八日、日顕らは「破門通告書」を学会に送付した。大聖人の
御遺命である世界広布を妨げた「一凶」である日顕を、すでに諸天が見放している
こと、すなわち日顕の命運がつきたことを暗示しているのだ。(編集部)
312
:
検証会議
:2009/11/28(土) 13:38:10
フェイク 第1072号
(発行=09.11.27)
「庶務部長の器じゃない」と宗内の声
阿部信彰の後任・斎藤栄順は謗法の欠陥坊主
墓参の未入信者へ土産代りに本尊を渡す
嫌われ者の極道坊主から器の小さい遊蕩坊主に交代した――今、宗内で嘲笑されて
いるのは宗務院庶務部長の人事である。阿部信彰が新設の布教部長に左遷され、その
後任の庶務部長に就いた斎藤栄順といえば、「河辺メモ」の筆跡が河辺本人のものに
間違いない、と法廷で証言した坊主として知られている程度で、今まで殆ど
目立たなかった。
本紙編集室にも「斎藤とは一体、どんな坊主なのか?」という問い合わせが多く
寄せられている。また、宗内からは「宗務院の庶務部長になるような器じゃない」との
声も聞こえてくる。
確かに斎藤は小物で存在感が薄く、特筆すべき実績も何一つない。支院長になった
過去もなく、宗会議員に当選した経験もない。
こんな平坊主が何故、総監に次ぐ庶務部長になったのか? その疑問に答えると共に
無能坊主・斎藤栄順の素顔を紹介する。
斎藤の本名は誠治、昭和三十八年に尾花泰順を師僧として得度。昭和四十八年に
最下級の教師の「訓導」になり、その翌年に奉天坊住職、昭和五十七年三月に寿命寺
(富士宮市)住職になった。翌五十八年に庶務部主任になって以来、当時の部長・
早瀬義寛(日如)の子分になり、この度、親分の日如が「庶務部長は無能でも忠実な男
がよい」と抜擢した次第。今後も実質の庶務部長は日如で、斎藤は書記係にすぎない
のだ。
斎藤の特徴を端的に言うと「謗法容認の軟弱な体質で遊び好き」「小心の堕落坊主」
という評判だ。
まず、謗法について寿命寺の信徒が法華講仲間の謗法払いを依頼しても、斎藤は
「私が頼んでも、謗法払いをしてくれない」と泣き言を言うだけで埒があかない。
更に、未入信の姉妹が寿命寺へ母親の墓参に行った際、斎藤は折伏も説明もせず、二人
に土産の代りに本尊を持たせた。
……………………
小心の堕落坊主・斎藤
行事をサボり観光旅行
斎藤は金儲けには熱心で、言葉巧みに塔婆供養を奨励する。ある講中幹部は、斎藤が
小さい声で題目を唱えながら塔婆を書いていると思っていたが、よく聞くと、ナント
「はい、二千円、はい、二千円」と言いながら書いていたという。
斎藤が遊び回っているのは寿命寺の講中にも知れ渡っているようだが、平成九年
(一九九七年)には、こんな醜態が露見した。
それは五月十八日、ハワイ・本誓寺(当時の住職は高橋思道)で開創三十周年
記念法要が行われた時、招かれた斎藤と宮沢親道、吉本恵道の三人が法要終了後も
ハワイに居残り、大石寺での寺族同心会をサボって、観光旅行を楽しんでいた。
斎藤らはワイキキビーチ沿いにある豪華ホテルに滞在。家族を連れてホノルル市内を
見学、飛行機でハワイ島に渡り、ショッピングやディナーショーを楽しみ、カヌー遊び
に興じるなど、まさに常夏の楽園で遊び呆けていた。
この斎藤が庶務部長だから今後は殴る蹴るの暴行を受けてケガする住職も減る
だろう、とも囁かれている。
313
:
検証会議
:2009/12/02(水) 21:48:33
フェイク 第1073号
(発行=09.12.01)
宗門の狙いは十億円の御開扉料
日顕宗の「五十万人を突破」の速報を嗤う
帳尻合わせの「登山地獄」に苦しんだ法華講
日顕宗の立正安国論正義顕彰七百五十年記念局が十一月二十八日にデタラメな
「速報」を出した。それは「登山参詣人数、御命題の五十万人を突破」と題する内容で
ある。「速報」では冒頭に「本日、本年一月からの登山参詣者累計人数が
五十万一千九百五十五人に達し、五十万総登山の御命題を見事に達成しました」と
述べ、そのあと「(日如と日顕の)御高徳によるところであり」「宗内僧俗各位の
たゆまぬ精進が結実したもの」等々、ウソ八百の文言を並べている。
日如と日顕の二人のニセ法主に「御高徳」はない。また「たゆまぬ精進」の坊主も
いない。今年初めに大石寺の某僧は「達成しても、しなくても、どうせ『達成した』と
発表するから傍観している」と語っていた。
その予想通りに出た「速報」は無謀極まる「五十万登山」が、八万人ソコソコしか
いない法華講にとって、いかに悲惨で過酷な「登山地獄」であったかを裏付ける文書と
いってよい。
今年は十回以上も登山させられた講員が多くいた。各末寺の法華講では
「複数回登山」の檄が飛び交い、それも五回や六回ではなく、「十回以上」という
非常識な登山の強要が公然と叫ばれていたのである。
ニセ法主が言い出した五十万というノルマの帳尻合わせのために、荒れ果てた大石寺
に足を運んだ高齢者や身障者も含む哀れな講員。そこには歓喜も功徳もないばかりか、
生気すら感じられなかった。こんな粉飾と水増しの登山人数に一体、何の意味がある
のか?
総監の八木日照が布教区別僧俗指導会を回って十回以上の登山を奨励した話を
「大白法」に掲載していた。
「先般、四国のほうへ伺いました時に、女子部の方が決意発表されて、今年は十一回
の記念登山を計画しているということで『自分は十一回全部に参加したい。そのつもり
で準備をしている』と話していました。
そのためには、仕事を休まなければなりませんし、経済的なこともあります。体調も
しっかりと調えなければ十一回全部に登山することはできないということで、決意を
述べていらっしゃいました」(「大白法」二月十六日付)
功徳も感動もない登山
八木は女子部員の決意を引きながら十回以上の登山を強調していたのだ。
複数回の登山に加え、もう一つの「数稼ぎ」の手口は一度の登山で二回、三回と
御開扉を受けさせる方法で、御開扉料は当然、その都度、支払うことになる。
日帰り登山者が大石寺に居残り、翌日に一泊登山者として御開扉を受け、下山の前に
また奉安堂に行って三回目の御開扉に臨む。つまり、一度の登山で三回も御開扉を
受ける水増しが横行していたのだった。
こうして延べ人数が五十万人になったということは、一人二千百円の御開扉料
だから、総額十億円を超える泡銭(あぶくぜに)が「供養」という名目で本山に入った
計算になる。十億円の金集めが狙いだった日如らは、ほくそ笑んでいるだろう。
某講員は「年に五回も十回も無理やり登山させられたから喜びも感動もない」と
語っていた。信心のない御開扉には功徳はない。
327
:
検証会議
:2009/12/08(火) 11:39:45
フェイク 第1074号
(発行=09.12.07)
やはり原島昭は嵩と同じ虚言症
「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕 ①
昔の「ルビー」誌の文・絵を転載し見当違いの難癖
原島昭(故・嵩の兄)が「慧妙」の十二月一日付に昔の雑誌「ルビー」の記事と挿絵
を転載して見当違いの奇怪な文を書いている。
これは原島が「慧妙」の十月一日・十一月一日付に学会への恨みを込めて寄稿した
内容の間違いを本紙第一〇六一・一〇六八・一〇六九号で指摘したことに対する言い訳
と反論のつもりらしい。まず、これまで昭が「慧妙」に書いたウソと間違い、それを
指摘した本紙の要旨を列記する。
原島昭のウソ・間違い=私が三歳、弟が一歳を過ぎた頃、母が入信し、その翌年には
父が入信した。入信してからの両親の布教活動は、子供の眼から見ても驚くべきもの
で、蒲田支部の基礎を作っていった。(十月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=幼児が驚くような布教活動とは信じ難い。原島精子は蒲田支部の基礎を
作るどころか、学会内に派閥を作ろうと画策して婦人部長の役職を解任され、そのうえ
謹慎を命じられた。
昭のウソ・間違い=私が、ねじけた物の味方をするようになったのは多分に
創価学会二代会長・戸田城聖氏の影響でもある。(十一月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=昭は、自分の腐れ切った性根まで、戸田会長のせいにするとは全く
ふざけている。昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係を見て
きたからではないかと指摘する人がいる。(嵩と母親の異常な関係は本紙第一〇六九号
に詳述)
昭のウソ・間違い=①戸田氏は「『冒険少年』、次いで『ルビー』を創刊し……当時
は雑誌が一冊二、三十円位の値段で、②「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと
開いて見て驚いた。グラビアの写真と本文の始めから終わりまでの挿絵の殆ど全てが
ヌード写真で占められていた③二つの雑誌を発行する「日本正学館」に……
④その後一年もたたないうちに、池田氏編集の二雑誌は廃刊になった。
(十一月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=池田編集長が「冒険少年」と「ルビー」の「二雑誌」を編集していたか
のように錯覚させようとの陰湿な魂胆が垣間見える。(「ルビー」の奥付を提示して)
「ルビー」は後年、坊主になり下がって学会を批判するようになった矢島周平が編集
していた。
また「ヌード写真で占められていた」はウソ。昭の駄文は定価も出版社も違う。発行
は大道書院、定価は六十五円。邪推と妄想と勘違いで文を書いている昭は、死んだ嵩と
同じ虚言症だ。
昭のウソ・間違い=(母親の役職解任の後)二、三年して、戸田氏は母を呼び寄せ
「あなたを辛い目に合わせて申し訳なかった」と詫び、母に本部副婦人部長の地位を
与えて名誉を回復させた。(十一月一日付「慧妙」)
本紙の指摘=戸田会長が精子に詫びたというのは作り話で、最後まで信用して
いなかった。また、戸田会長が精子に「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」というのも真っ赤なウソである。
戸田会長の存命中、精子は本部副婦人部長になっていない。精子が、その役職に登用
してもらったのは、戸田会長が亡くなって六年半後の昭和三十九年十二月二十五日で
ある。ウソを羅列した昭の駄文は、辻褄が全く合わない。(つづく)
328
:
検証会議
:2009/12/11(金) 01:53:58
越 洋
平成21年12月8日
きょう12月8日は忘れることの出来ない太平洋戦争開戦の日である。昭和16年の
この日、時の法主・鈴木日恭は次のような「訓諭」を発した。
「本日米国及英国ニ対シ畏(かしこ)クモ宣戦ノ大詔(たいしょう)煥発
(かんぱつ)アラセラレ洵(まこと)ニ恐懼(きょうく)感激ニ堪(た)エズ(中略)
本宗宗徒タルモノ須(すべから)ク聖慮(せいりょ)ヲ奉体(ほうたい)シ仏祖ノ遺訓
ニ基キ平素鍛練ノ信行ヲ奮(ふる)ヒ堅忍持久百難ヲ排シ各自其ノ分ヲ竭(つく)シ
以テ前古(ぜんこ)未曾有ノ大戦ニ必勝ヲ期セムコトヲ
右訓諭ス」
日恭の「訓諭」は、開戦を待ち望んでいたかのような言辞で埋め尽くされ、以後も
積極的に軍部に従い、戦争遂行に協力した。併せて、宗門はそれまでの軍事献金の功労
によって、当時の海軍大臣であった嶋田繁太郎から「感謝状」を与えられたので
あった。
戦争の犠牲者は2000万人とも言われている。日蓮正宗は戦争を賛美し加担。御書
の刊行禁止の上、14ヶ所の字句を削除し、経本の観念文を改竄するなど数々の大謗法
を犯した。こんな大謗法を御本仏が許される筈はなく、昭和20年6月17日、大石寺
は大火に包まれ、日恭は生焼け状態で焼死した。如何なるいい訳も通用しない。
戦後64年経っても何一つ反省を示さない傲慢無礼の宗門である。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000794.jpg
329
:
検証会議
:2009/12/11(金) 21:16:58
石山だより
平成二十一年十二月九日
阿部信彰の布教部長就任は、左遷なのか?栄転なのか?どっちなのか?と問われる
と、その答えは左遷である。
庶務部長には様々な権限があるが、布教部長はハッパをかけるだけである。寛チャン
が法主になって4年。その間、顕チャンの弟子の八木と信彰は寛チャンを無視して隠尊
の言いなりになってきた。寛チャンとしては感情的に許せないものがあるものの、
顕チャンの手前、何も言えなかった。ところが、昨年、信彰と八木が北海道・得成寺の
里内信徳を本山に呼びつけて査問した際、激高した信彰が立ち机を蹴り飛ばした。
それが里内の腰と足を直撃し、告訴事件に発展した。
信彰の暴力は日常的で、女房の信子に対しても、髪の毛を掴んで引っ張り回し、女房
が「ごめんなさい」と謝っても止めない。そんな病的な暴行は有名な話だ。目上の者
にはニコニコ、ペコペコ、目下の者には傲慢に威張り散らす畜生坊主である。在勤者に
対しては言葉よりも暴力。こんな信彰を庶務部長にしておいたら、里内事件の告訴が
受理された場合、宗門に傷が付くと寛チャンは考え、信彰を外すために布教部長を新設
したのである。
信彰は布教部長になったが、権限としては、たいしたことない。人事のことをやる
のは庶務部だ。そういう意味では、寛チャンが実質的な庶務部長といえる。斉藤栄順
は「名ばかり部長」で単なる事務係ということだ。信彰は恐怖部長として檄を飛ばす
だろうが、権力を振るえば振るうほど、みんなの心は離れ、今以上に毛嫌いされる
のは明々白々。その意味では最も相応しくない者が布教部長になった皮肉な人事で、
宗門史上、大きな災いの元になるだろう。
(いつ殴られるか、と戦々恐々の毎日。身体に変調をきたしたが、信彰の寺の在勤が
終わったら治った無任所鼠)
330
:
検証会議
:2009/12/11(金) 21:17:28
石山だより
平成二十一年十二月十一日
十一月二十八日、「登山参詣数、御命題の五十万人を突破」という速報を記念局が
出した。内容は「宗内僧俗各位のたゆまぬ精進が結実したものであって、まさしく
『異体同心なれば万事を成じ』との御聖訓を実証したものと慶賀にたえません」と
言っている。だが、各末寺の住職や法華講各位は、この登山者数がマヤカシで、
インチキであることを知っている。
七月二十六日の七万五千名大結集総会では、実質七万人も集まらなかったが、この
七万の法華講が一人何回も登山した結果に過ぎない。御開扉の際、一人が二枚の
御開扉券を出しても役員は黙って受け取っていた。一人最高で十五回も登山した講員が
いる。平均すると一人が七回も登山に来ていることになる。登山の常連さんが多い
ので「売店で買い物をする講員がいない」と売店主がぼやいていた。
昭和二十六年五月三日に第二代戸田会長推戴式が常泉寺で行われ、席上、
七十五万世帯の折伏を宣言された。その後、本山で法華講にも七十五万世帯を
呼びかけられたが、全くその気もなく、歳月だけが虚しく過ぎたのである。要するに
広宣流布の実現を願う信心がないからだ。以来、仏意仏勅なき故、五十八年も経った
のに、七万五千人さえも集まらない淋しい現状だ。
いくら「御命題五十万人を突破」と大本営発表をしても宗内で信用する者は誰も
いない。みんな達成感など実感できないのだ。また、布教区を細分化して三十七から
四十七に増やし、布教部を新設し、折伏推進委員を任命しても、平成二十七年の講員
五十%増が出来るとは誰一人、思ってもいない。
(今までも死亡、退転・行方不明の多い法華講では、更に高齢化が進んで講員は減る
一方だ。登山、登山と叫ばれ、折伏、折伏とハッパをかけられ、供養、供養と
言われても、年金生活では溜息ばかりしか出てこない。在家の父の姿に痛みを感じる鼠)
331
:
検証会議
:2009/12/12(土) 15:38:33
大石寺短信 第475号
平成21年12月10日(木)
日顕宗の動き
1.苦しみ充満の「50万登山」がようやく終了
先ごろ、各末寺に本年の「50万登山」が達成されたことを告知する文書が配信
された。当初、日如は能天気にも「全信徒の登山」と言っていたが、それが絵空事で
あることに気づいた後は「1人が12回ぐらい登山したっていい」と方針変更。その結果、
多くの活動家が「12回」どころか、それ以上の登山を強要される事態となった。一方、
着山日と翌日に御開扉を受けて2回の登山とするなどの「回数稼ぎ」も横行。病後にも
かかわらず、遠隔地から長時間バスに揺られて参加し、病院に担ぎ込まれる参加者も
出た。
「こんな登山に何の意味があるのか」といった疑問の声が噴出したが、7年前の
「30万登山」等と同様、しょせんは本山を潤わせるための金集め登山。日如ら
本山関係者は莫大な御開扉料、供養の収奪に成功したわけだ。
阿部政子の“億ション”に象徴されるように、日顕、日如と一部の取り巻きだけが
肥え、末寺はやせ細る一方。宗内格差はますます広がっている。
2.友人葬への笑止千万の難癖
日顕宗が2種類のリーフレットを作った。それぞれA4版3つ折りで「創価学会員に
よる『友人葬』は間違いです!」「日蓮正宗の信仰」と題したもの。一部10円で末寺、
信者に売りつけるという。
この期に及んで友人葬に難癖をつけているが、裏を返せば、学会の友人葬への
危機意識の表れでもある。それもそのはず。坊主の贅沢に費やされるための供養を出す
必要はない、広布に前進する同志の唱題に送られて安祥と霊山に旅立てる、そんな
清々しい友人葬は坊主の食い扶持を奪ってしまう脅威なのだ。
そもそも、葬儀の席で、勤行を間違え、居眠りし、「供養が少ない」と暴言を吐き、
酒に酔っぱらうなど、醜態をさらして顰蹙を買ってきた日顕宗の坊主たち。このような
現実を棚に上げて、言葉巧みに高齢者の不安を煽るやり方は極めて卑劣である。
友人葬こそ大聖人の仏法の本義にかなった葬儀の在り方であることは言うまでもない。
3.布教区が細分化
4日に行われた臨時宗会で宗規が改正となり、10布教区が増えて47布教区の体制と
なった。内訳は以下の通り。
・東北布教区(青森県、岩手県)が青森布教区と岩手布教区に
・静岡南布教区(静岡県南部)が静岡東布教区と静岡西布教区に
・中部布教区(愛知県、三重県)が愛知東布教区、愛知西布教区、三重布教区に
・北近畿布教区(福井県、滋賀県、京都府)から京都布教区が分離
・大阪布教区(大阪府)が大阪北布教区と大阪南布教区に
・東中国布教区(鳥取県、島根県、岡山県)が北中国布教区(鳥取県、島根県)と
岡山布教区に
・西中国布教区(広島県、山口県)が広島布教区と山口布教区に
・福岡布教区(福岡県)が福岡東布教区と福岡西布教区に
・中九州布教区(熊本県、大分県)が熊本布教区と大分布教区に
日如はこれまでの宗務院中心の体制を見直し、「連絡役」に過ぎなかった支院長に
一定の権限を与え、布教区の機能の強化を図ろうとしている。背景にあるのは「自分の
代に法華講の勢力を増やそう」という日如の野心である。油断することなく警戒して
まいりたい。
332
:
検証会議
:2009/12/13(日) 00:37:40
フェイク 第1075号
(発行=09.12.10)
原島昭・嵩の狂いは母親の悪影響!
「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕②
本紙の記述を「真相」と認めながら無駄な抵抗
原島昭と嵩(故人)兄弟の狂いは母親の悪影響が原因の一つと言われている。
その昭が「慧妙」十二月一日付に「フェイクの欺瞞を嗤う」「フェイクの偽証」の
見出しをつけ、本紙を非難しているので粉砕する。
昭の母・精子(下の写真)の役職解任と謹慎に関して、本紙が①精子は派閥作りを画策
した②戸田会長から精子は「信用できない」と叱責されたと記した。すると昭は
「フェイク」紙が何故、そんな事実を知っているのか、と疑問を呈し「『フェイク』は
創価学会中枢の関与のもとに書かれたか」また「記事の情報源が学会の古参幹部である
か」と推測。そして「『フェイク』紙が述べているとおりのようです」と認めている。
その反面、同じ文の中で「(フェイク紙は)妄想癖の持ち主によって書かれた」と難癖
をつけており、全く支離滅裂だ。
つまり、昭は本紙の記述を学会中枢、古参幹部の確かな情報に基づく真実だと
認めながら「妄想の産物」と非難しているのである。
本紙第一〇六一号に精子の文京婦人部長の解任・謹慎について、こう記した。
「戸田先生の法華経講義を受講せず、先生の指導を軽視し『私が御書講義をして
やる』と会員を自分に付けようとした」「原島派を作ろうとした」「二乗根性が強く
イヤな女だった」「陰湿で好きになれなかった」
このように記した箇所では、明確に「草創期の諸先輩の原島精子に対する評価は
厳しい」と書き加えておいた。これで分かる筈だ。
昭や死んだ嵩じゃあるまいし、妄想で記事は書けない。功労の諸先輩で精子を良く
言う人は一人もいない。
原島母子は悪の元凶
また、昭は「当事者たる母自身は訳がわからないまま解任され、嘆き悲しんでいた」
という事実しか知らないと書いている。
昭が母親の解任理由を知らないから「派閥作りをした」と教えてあげたのだが、何も
知らない昭が、真相を伝えた本紙を非難するのは筋違いというものだ。
派閥作りを画策して解任された事実は、原島家にとって一大汚点。だから、
解任・謹慎は「いい加減な命令だった」と、今度は戸田会長を悪者に仕立てようとして
いるが、言語道断!
更に、昭は自分の母と同時に解任された、もう一人の婦人部長について
「フェイク」紙が触れていないのは「偽証の詐術」だと変な理屈を述べているが、
これも的外れだ。精子の陰湿な派閥作り、昭と嵩の「虚言症」を指摘するのに、関係の
ない他人を引き合いに出す必要もあるまい。
なお、昭は、かつて大阪地方区から参議院に立候補した白木義一郎氏が当選した勝因
は野球のスターだったからだと書いているが、選挙はそんなに甘くない。
その例の一つ、広島東洋カープを優勝に導き、赤ヘル黄金期を築いた古葉監督でさえ
野球殿堂入りの後、五年前に参院選に出たが落選した程である。
(つづく)
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg
333
:
検証会議
:2009/12/13(日) 21:04:49
フェイク 第1076号
(発行=09.12.11)
死ぬまで続いた原島嵩の変態行為
「慧妙」に掲載の原島(兄)の駄文を粉砕③
原島昭は「ルビー」誌の挿絵から淫らな想像?
日顕宗のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた駄文のウソ、間違いについては、本紙で逐一、指摘(要旨は本紙第一〇七四号を
参照)してきた。
この指摘に反論も説明も出来ない昭は十二月一日付「慧妙」に、矢島周平が編集して
いた雑誌「ルビー」の読み物を取り上げ、そのうえ数枚の挿絵も転載するなど争点を
すり替えて学会の悪口を書いている。
当初、昭は「戸田氏は少年向け雑誌『冒険少年』、次いで成人向け雑誌『ルビー』を
創刊し」「『ルビー』を何気なく手に取り、ぱらりと開いて見て驚きました(中略)
ヌード写真で占められていた」「(日本正学館に一人の若者が入社したと述べ)父が
『池田君はよく働く…』と私に語ったことがあります。しかし、あの雑誌『ルビー』の
内容を知っていた私は、そう語る父に対しても不信の眼を向け始めた」「その後一年も
たたないうちに池田氏編集の二雑誌は廃刊になりました」
これを読む限り、昭は「ヌード写真で占められていた『ルビー』を池田青年が編集
し、日本正学館が発行していた」と悪意からウソを書いていることが分かる。
そこで本紙は「ルビー」の奥付を示し、発行所は大道書院、編集者は坊主に
なりさがった矢島周平(写真)だった、と教えてあげた。
すると、昭は己の誤認識を訂正しないで「慧妙」で「ルビー」の読み物を取り上げ、
挿絵も転載している。だが「グラビア写真と最初から最後まで占められていた」という
ヌード写真とやらは一枚もない。昭は少年の頃、あの挿絵を見て淫らな想像をしていた
のか?
昭は本紙の記述を「偽証」「偽証の詐術」と非難するが、挿絵を「ヌード写真」と
偽る昭こそが「偽証」の男というべきである。
昔、日本正学館に矢島周平がいて雑誌を編集していたからといって、今の学会とは
関係のない話である。
それは以前、聖教新聞社にセクハラ常習犯の原島嵩という変態の主幹がいたが、その
ことが現在の学会や同新聞社の体質を論じる材料にならないのと同じことだ。
嵩には赤坂のスナックに「ノコちゃん」というお気に入りの女性がいて、聖教本社に
請求書を届けに行っていた。応対した女子職員に「いつも(原島に)抱きつかれて
嫌だけど商売だから」と言っていたという。
この原島は死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の部屋に
忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意された。女性トイレに素足のまま
潜んでいたこともある。こんな原島を婦人達は大変に気味悪がっていた。
ところで、ヌード写真といえば、かつて日蓮正宗の坊主仲間が互いに持ち寄り、
見せ合っていた。
あの色魔の日顕がシアトルで夜中にホテルを抜け出し、英語ができないので身振り、
手振りのジェスチャーで売春婦にヌード写真を撮らせて欲しいと頼んだのも、宗内で
自慢したいためだったということだ。
昭和二十八年八月に得度した矢島も日顕に似たような変質者だったのだろう。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000797.jpg
334
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:15:06
新改革通信 第106号
平成二十一年十二月十八日発行
一凶・日顕の末路(二)
日顕は自分の名前を歴史に残すために「法教院」を作ったが、諸悪の根源・
「法教院」は日顕の死後、必ず封鎖される!
八十七歳になる日顕が今一番、執着しているものは何か?それは「法教院」の存続で
ある。
なぜか?法主と言うだけでは、代が変われば以前の法主は忘れ去られていくが、
「法教院」が存続すれば、創立した日顕の名前が歴史に残るからである。
しかし、その日顕の野望とは裏腹に、「法教院」の評判はすこぶる悪い。その理由は
以下の通りだ。
①「法教院」は単なる私塾であり、文科省に認められていないので、卒業しても学歴
にならず、卒業者は社会的には「高卒」となる。
②以前は偏差値の高い高校を目指していた小僧がいたが、「法教院」にしか行けない
今では、どの高校に行っても同じであり、勉学の意欲がなくなり、必然的に学力が低下
している。
③一般教養以外の教員は宗門僧侶に限られており、おざなりな授業になっている。
そのような中で、広く世間に通用する人材は生まれない。
④大坊の延長であり、閉鎖的な環境であるため、社会性のない人間となる。
⑤無任所が増えているのに、「法教院」を存続させるために得度者を採らなければ
ならない。
⑥「法教院」を維持するために膨大な費用がかかっており、宗門財政を圧迫して
いる。
他にも色々と指摘される問題点があるだろうが、このままいくと、宗内僧侶全員が
「高卒」という現代日本の宗教界でも極めて例のない教団が誕生する。
日顕は「法教院」を批判されると、常に過剰に反応する。宗会議員の有志が
「法教院」に対して意見をしたが、日顕はすぐに『吾が弟子一同に告ぐ』という文書で
反論した。
日顕が恐れていることは「法教院」が消滅することにより、創立した日顕の無能力さ
が歴史に残ることである。
しかし、宗内の中で一体、何人が「法教院は必要である」と思っているであろうか。
皆無である。日顕の死後、その日顕の分身ともいえる「法教院」も、姿を消すことは
宗内の大方の見通しである。
(編集部)
335
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:16:24
越 洋
平成21年12月19日
たった一人の愚人のために一宗が衰亡する。なのに誰一人として「命」をかけて反対
の声をあげない不思議な沈黙教団。その名「日蓮正宗」。宗祖日蓮大聖人は何と仰せに
なるだろうか?
きょう12月19日は、阿部日顕の87歳の誕生日である。常泉寺のお手伝いだった
彦坂スマが男の子を私生児として出産したのが大正11年のこの日。
その子の父親は阿部日開、或いは、弟子の高野日深とも言われているが、5歳の時に
認知したのは日開であった。
日顕は87年間、未生怨を引きずり、遊蕩の限りを尽くし、大悪行と大謗法を重ね、
法主の座を盗み取った。そのうえ「現代における大聖人様」気取りで仏法僧の三宝を
破壊した。また大御本尊を「ニセモノ」と断じ、題目を「体に有害」と誹謗、更に、
事の戒壇たる正本堂を破壊した。
創価学会の戸田第二代会長は、広宣流布を阻む者は釈迦在世の六師外道が最後には
日蓮正宗の中に生まれてくると昭和31年2月7日、大阪・中之島公会堂での「佐渡御書」
の講義の際、次のように喝破した。
「大聖人様の時代に良観とか、あるいは法然とかの弟子などになる連中は、いったい
過去にどういう者だったかというと、昔、仏法をくさした外道の者が生まれてきて、
形だけ仏法をやって、今度は正法に邪魔するのです。大聖人様を迫害した良観たちが、
いま生まれてきて仏立宗等の坊主になっているのです
(中略)
それで今、日蓮正宗が本尊流布するにあたって邪魔をするのです。今度、それでは
どうなるのかというと、あのような連中が死ぬと、今度は日蓮正宗の中に生まれてくる
のです。そして蓮華寺の僧侶のようになってくるのです」
戸田会長は本尊流布が進めば、それを邪魔する者が日蓮正宗の中に生まれてくると
鋭く指弾した。実例として「蓮華寺の僧侶」こと、崎尾正道という悪僧を挙げている。
崎尾は昭和30年に「学会員には御本尊を下付しない」「すでに下付した御本尊を返せ」
と通達。御本尊を手段にして学会組織の切り崩しを画策した極悪坊主であった。
今、崎尾と同じく御本尊の下付を停止した日顕は、その後も日寛上人の御本尊に難癖
をつけて、御本尊を手段にして学会の切り崩しを謀っている。この日顕こそ、日蓮正宗
の中に出現した"仏敵"なのである。この外道坊主・日顕の誕生から退座までの悪行を
簡潔に追ってみた。
336
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:18:08
【日顕の生涯】
○大正11年(1922年)12月19日 東京・向島小梅町165番地で生まれる
(彦坂信夫)
○昭和 3年(1928年) 8月28日 桜井仁道のもとで得度
(信夫を信雄と改名)
○昭和18年(1943年) 4月10日 野坂政子との婚姻届を提出
○昭和22年(1947年) 5月13日 向島・本行寺住職になる
○昭和36年(1961年) 9月 1日 教学部長になる
(「夢のお告げ」を受ける)
○昭和38年(1963年) 3月16日 アメリカへ初の海外出張授戒。ハワイで
トイレに御本尊を置き忘れる
〃 〃 3月20日 シアトル7番街で売春婦とトラブル
(シアトル買春事件)
〃 〃 4月 5日 京都・平安寺住職になる
○昭和52年(1977年)11月22日 常泉寺(東京・墨田区向島)住職になる
○昭和53年(1978年) 4月15日 後に「この日に日達上人から法を内付
された」と詐称する
○昭和54年(1979年) 5月 7日 総監になる
〃 〃 7月22日 管長になる
○昭和55年(1980年) 5月 6日 栃木県鹿沼・仏城寺の入仏式で
「じゃかましい」と信徒を怒鳴る
○昭和61年(1986年)11月22日 東京・赤坂の高級料亭「川崎」で芸者に
囲まれ記念撮影
○平成元年 (1989年) 7月17日 福島市の禅宗の寺に墓を建て法要
○平成2年 (1990年) 7月16日 西片会議(藤本、早瀬、秋元、八木、
河辺、関が出席)で謀議
〃 〃 7月18日 御前会議(西片会議と同じ坊主が出席)で
「C作戦」を謀議
〃 〃 7月21日 名誉会長、会長が目通り。席上、「驕慢謗法だ」
「懲罰にかける」と恫喝
〃 〃 8月29日 教師指導会で綱紀自粛を徹底(直後に伊豆長岡の
超高級温泉旅館で豪遊)
〃 〃 11月20日 名誉会長、会長が目通り。席上、「最近の学会は
破折がない」と発言
〃 〃 12月16日 宗門、話し合いを拒否し、「お尋ね」文書を
一方的に送付
〃 〃 12月25日 日顕、段勲や高橋公純らとマスコミ工作
などを謀議
〃 〃 12月27日 宗門、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免
337
:
検証会議
:2009/12/19(土) 13:18:31
○平成3年(1991年) 1月 6日 日顕が正本堂の意義を歪める大謗法の
説法、「粥をすすっても」と発言
〃 〃 3月12日 東京・目黒に日顕の20億円豪邸計画が
発覚
〃 〃 8月29日 日顕が教師指導会で「頭からカマシて
やれ」と暴言を吐く
〃 〃 11月 7日 学会に対して「解散勧告書」送付
〃 〃 11月28日 学会に対して広宣流布の御遺命に逆行する
「破門通告書」送付
○平成5年(1993年) 1月 総坊前などの桜280本を切り倒す
〃 〃 12月15日 宗門、シアトル事件報道を地裁に提訴
○平成6年(1994年) 1月16日 世田谷の豪邸計画が発覚
〃 〃 6月 1日 大石寺の遺骨大量不法投棄が発覚
○平成7年(1995年) 8月23日 大客殿の解体を発表
○平成8年(1996年) 11月18日 宗門、文部大臣に学会解散の意見書を
提出(相手にされず)
○平成9年(1997年) 6月18日 今度は渋谷区松濤の豪邸計画が発覚
○平成9年(1997年) 12月22日 シアトル事件裁判で日顕出廷
(翌年2月2日、5月18日も)
○平成10年(1998年) 2月 5日 大御本尊を正本堂から劣悪な奉安殿へ密か
に遷座
○平成10年(1998年) 6月23日 狂気の正本堂解体を強行。日達上人の遺業
を悉く破壊
○平成11年(1999年) 7月 7日 日顕が大御本尊を「偽物」と断じていた
ことが「河辺メモ」で発覚
○平成12年(2000年) 9月 大石寺近くの神社に日顕の本尊が下付
されていたことが発覚
○平成14年(2002年) 1月31日 宗門側が訴えていたシアトル事件の訴えを
取り下げ、学会側全面勝利
○平成15年(2003年) 4月 8日 遺骨大量不法投棄事件、高裁で大石寺が
敗訴。200万円の賠償命令
〃 〃 7月15日 ニューヨークから帰った日顕が断罪さる。
池田託道氏に対するデマ事件で、最高裁が日顕側の上告を棄却。30万円の支払い命令
判決が確定
〃 〃 9月 9日 パリから帰った日顕がまた断罪。
シアトル事件をめぐるデマ、最高裁が日顕側の上告を棄却。400万円の支払いを
命じた判決が確定
〃 〃 12月19日 日顕、81歳の誕生日に断罪。
遺骨大量不法投棄事件、最高裁が大石寺の上告を棄却。遺族に計200万円の支払いを
命じた判決が確定
○平成16年(2004年) 2月24日 芸者写真訴訟、最高裁が上告を棄却。
宗門側の敗訴が確定
○平成17年(2005年) 2月 インドネシア親修から帰った日顕、
約1カ月間、雲隠れ
〃 〃 3月 赤坂の一等地に阿部政子名義で、
時価約2億の高級マンション18階一室を所有していることが発覚
〃 〃 3月29日 総監の藤本が辞任し、後任に早瀬日如が就任
〃 〃 5月下旬 世田谷の豪邸を解体、隠居する日顕の邸宅
を新築
〃 〃 12月 1日 早瀬が学頭に就任
〃 〃 12月15日 日顕退座。早瀬日如がニセ法主二世となる
338
:
検証会議
:2009/12/19(土) 21:00:00
フェイク 第1077号
(発行=09.12.18)
布教も出来ない無能坊主が勢揃い
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(1)
通夜で棺に足を乗せた悪侶、パチンコ狂も
日顕宗では十二月四日に開いた臨時宗会で宗規を改正し、十布教区を増やして
四十七布教区の体制にした。去る十一日には新体制での正副支院長会を開催。支院長は
従来、単なる連絡係であったが、ある一定の権限を持たせて各末寺を掌握させ、
折伏推進を図る意向のようである。
ところが、新たに任命になった十九人をみると、折伏などできない坊主ばかり。以下
に新任の支院長十九人の素顔を紹介する。
青森布教区 楠牟禮慈宝
本名は克巳。前川慈肇の弟子として昭三十六年に得度。今回の問題が起こった当初
から時局協議会の文書班に所属し、学会に対する誹謗・攻撃文書を作成していた。
学会員を侮蔑し、坊主仲間と酒を飲みながら、「奴らはチョロイもんだ。『地獄に
堕ちるぞ!』と、一発カマすと、カモがネギしょってやってくる」等と暴言を吐いて
いた。こんな坊主こそが堕地獄である。
供養集めのため邪教まがいの各種祈祷を行い、御講の席で「就職、受験、病気平癒、
交通安全、安産など何でも祈願します」と盛んに売り込み、集めた供養の金を手に、
坊主頭を帽子で隠し、パチンコ店に入り浸るパチンコ狂でもある。
…………………………
岩手布教区 山田容済
昭和三十一年に得度。平成十二年三月に金髪女性との密会事件が発覚し、任地の
スペインから追放された。
それは同年三月六日、売春婦のいるイタリア・ローマの高級ナイトクラブに入り、
その後、金髪女性と仲むつまじく腕を組み、密会していた現場を目撃されて証拠写真も
撮影された。
帰国して本山にいたが、シアトルで売春婦とトラブルを起こした日顕が自分と同類の
故か、住職に復帰させ、この度、支院長にまでなった。女性問題には甘い日顕宗らしい
奇妙な人事だ。
…………………………
静岡東布教区 関戸慈誠
昭和三十六年に得度。師僧は早瀬日慈(日如の父)。仏法を商売と勘違いしており、
板本尊は二百五十万円、戒名の日号・院号を一文字五十万円で売りつける売僧
(まいす)。浅間神社の氏子にも謗法を破折しないで、板本尊を売り渡していた。
当初は百五十万円だったが、次第に値を吊り上げて、なかには、三百万円で話を
もちかけられて困っていた檀家もあった。
因みに仏師(職人)に渡すのは僅か三十万円だということだ。また、戒名の「居士」
や「大姉」は五十万円。院号や日号もそれぞれ五十万円の値をつけて「院・日・居士
(大姉)」ともなれば百五十万円が相場という。
言葉遣いも荒く、通夜の時に棺の上に足を乗せるなど振る舞いが粗暴なことでも
知られている。
…………………………
静岡西布教区 早瀬義久
昭和三十一年に得度。日慈の弟・早瀬義舜の次男で、日如とは従兄弟の関係。
昭和五十四年十一月、愛知・豊川の泰福寺にいた当時、正信会の悪侶らと謀議を
凝らしている間にストーブの火の不始末で火事になり、本堂の板御本尊も焼失した。
地元の男子部がいち早く駆け付けて消火。だが、義久は男子部員の放火だと濡れ衣を
着せようとした極悪坊主。警察と消防署で調べた結果、坊主の火の不始末が原因と判明
した。
339
:
検証会議
:2009/12/19(土) 21:00:38
フェイク 第1078号
(発行=09.12.19)
拝金主義者や好色坊主ばかり
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介(2)
「いなり寿司は謗法だ」と怒鳴った佐々木慈啓
前号に続いて新任の支院長の素顔を紹介する。
愛知東布教区 三畝忍道
昭和三十五年の得度。所化時代に愛媛の妙源寺に在勤していたが、当時から好色坊主
で御講でも好みの女性を物色しては声をかけ、住所と電話番号を聞きだす。
まさか坊主の遊びが目的だとは思いもしないから素直に教えると、その日のうちに
電話を掛け、一時間も二時間も下品で卑猥な話をしていた。信心がないばかりか、品格
や良識の欠片もない。その後、福井の宝珠寺に住職として赴任したが、余りにも派手な
女性関係のため、日達法主から厳しく叱責され、半年足らずで本山近くの蓮成寺に
移された。更に僧階を降格されて寺の墓番をしていた。「飲む・打つ・買う」の
堕落坊主を住職に復帰させたのは色魔の日顕である。
…………………………
愛知西布教区 佐々木慈啓
大酒飲みの拝金主義者。言動がころころ変わるため「カメレオン僧」とか
「怪人二十面僧」との異名をもつ。御書に疎く学会幹部に「六巻抄は、御書のどこに
あるの?」と質問。また、ある法要の席で故人の好物であった「いなり寿司」がお供え
してあったが、それを見た佐々木は凄い剣幕で「いなり寿司は稲荷の謗法だから直ぐに
下ろせ!」と指示した程の狂いよう。
更に、ある婦人が法要のため書類に戒名を書き込むと、佐々木は一年前に自分が
つけた戒名なのに「これは邪宗の戒名だね。書き直さんといかんね」と言ったことも
ある。塔婆に関するトラブルは多い。
…………………………
三重布教区 福家重道
昭和三十五年の得度。平成二年十一月十六日の本部幹部会での池田名誉会長の
スピーチについて、宗門はその反訳を捏造して難癖をつけてきたが、この悪業に
携わった悪侶の一人だ。
葬儀に遅刻し、居眠りをして勤行を間違え、祭壇に掲げてある故人の遺徳を顕彰する
「名誉称号」を顎でしゃくりながら外させたこともある。塔婆は多い程よいと強要、妻
や知人に塔婆書きの内職をさせていた。
…………………………
北近畿布教区 宗像高道
本名は雅行、昭和四十二年の得度。非情な冷血坊主で学会員を騙して脱会させて
おきながら「学会を脱会して寺に来るのはロクな奴はいない」と愚弄していた。
追善の功徳は死者に三分、生者に七分という珍妙な論理で塔婆供養を強要。葬儀の場
で「故人は成仏していない。四十九日まで七日ごとに寺に来て塔婆供養すれば成仏
する」と人の悲しみにつけ入った悪質な手口で供養を集める強欲坊主だ。
…………………………
京都布教区 高野法雄
昭和二十六年の得度。大酒飲みの遊び人。大阪では北新地の高級クラブの常連で、
ポケットに百万を超える札束を入れ、高級ブランデーをガブ飲みしていた。
御書部分論の邪義を唱え「御書は重要ではあるが、大聖人の法門の一切が網羅された
ものではない」と言い、法主に信伏随従することを強調していた。
お盆や彼岸で受け付けた塔婆の半分程しか立てず、カラ塔婆で純粋な信徒を騙して
荒稼ぎ。昨年、椎名日澄の死後、平安寺に入ったが、地元の法華講員からも信頼されて
いない。
340
:
検証会議
:2009/12/21(月) 21:51:01
フェイク 第1079号
(発行=09.12.20)
日顕は特注食器、信徒は石畳で待機
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介③
柳坂幹道「住職が飼う犬・猫より信徒は下」
日顕宗の新任の支院長は、折伏も説法も不得手、御書に疎く、信仰心も常識も品格
ない悪僧が揃っている。
本号でも引き続き、その素顔を紹介する。
大阪北布教区 柳坂幹道
本名は幸秀、昭和三十七年の臨時得度。「人間には身分の違いがある。一番上が
法主、次に住職、住職の家族、その次が住職の飼っているイヌ・ネコ、一番下は信徒」
と、富山で明言したことがある。
こんなクソ坊主に供養する法華講員が哀れだ。
柳坂が富山・妙顕寺の住職として昭和五十五年九月、日顕を迎えた時、接待用の
食器は、おしぼり受けだけで十数種類もあり、九谷焼の湯飲み茶碗と輪島塗のお椀は
特別注文だった。
この時、信徒代表は庭の石畳の上に板を敷き、回りをビニールシートで囲んだ中で
待機させられていた。余りにも露骨な差別である。
その時の接待が日顕は余程、気に入ったのか、翌年、柳坂は本山に栄転した。
…………………………
大阪南布教区 近山信澄
これまで福徳寺、妙喜寺、法住寺と渡り歩いたが、行く先々で手を変え、品を変えて
信徒から供養を収奪する守銭奴坊主である。
信徒には「墓石に刻む題目の染筆料の三万円は本山に納める」と嘘つき、依頼のある
度に、何度もコピーをして使って染筆料を着服していた。
塔婆は風もないのにヒラッ、ヒラッと曲がるまで削っていた。
…………………………
北中国布教区 角石永道
昭和三十一年一月生まれ、本名は和久。同四十二年に得度。常在寺の信徒の出身で
二年前に大僧都になった。宗内の反応は「えっ、あいつが支院長か?」と一様に驚き
の声。今の宗門には、いかに人材がいないかを物語る人事である。
…………………………
岡山布教区 菅原信了
昭和三十年に得度。悪辣な日顕の飼い犬で、生意気な坊主である。京都にいた頃、
法華講の組織は分裂寸前の状態だった。その指導力のなさ、無能ぶりは宗内でも有名に
なっている。
「信者は御書なんか分からなくていい。お寺に御供養を持って来れば、それで
いいんだ」
「今、お寺に付いている者はカスばかりで、迷惑している」などの暴言を吐いたこと
もある。
…………………………
広島布教区 原山元征
青山諦量の徒弟で昭和二十九年に得度。日顕に似た色魔でロリコン坊主。寺の茶室で
女子高生にいたずらしたセクハラ坊主である。
茶室で若い女性と二人きりになった原山は「目を閉じてごらん」と囁き、素直に目を
閉じた女性の両肩を掴み、頬を擦り寄せてきた。
驚いた女性は原山の手を払いのけて逃げ出した。
ゴルフ、ボウリング、酒、金、女性と遊興三昧の生活に染まっている。
…………………………
山口布教区 今福永明
高野日海の徒弟。ある家の主人が、一時的な感情から御本尊を寺へ返納した。その
直後、娘さんが寺に駆け付けると、今福は「ああ、これかね」と言って、屑箱から
御本尊を取り出した。
葬儀等では御供養、お車代、お膳料と三点セットで出させるのが、悪辣な今福流の
集金術である。
341
:
検証会議
:2009/12/21(月) 21:51:30
フェイク 第1080号
(発行=09.12.21)
嫌われる「葬式仏教」の日顕宗
新任の宗務支院長十九人の素顔を紹介④
「供養は祭壇の値段以上が必要」と遺族を脅す
日顕宗の新任支院長を本紙第一〇七七・一〇七八・一〇七九号で紹介して以来、多く
の声が寄せられている。「こんなに酷い坊主がいるとは驚いた」等の怒りの声や
「もっと詳しく知りたい」との要望も多い。詳細は追って報じるが、本号は素顔紹介の
最終回。宗門は坊主の四〜五人に一人が正副支院長の奇妙な体制になった。
…………………………
福岡東布教区 近藤謙導
田中教導の弟子。マージャン狂で、その点を指摘されて「私も人間だから、
マージャンぐらいはやりますよ」と開き直ったことがあり「反省もしない、サルより
レベルが低い最悪坊主」と言われている。
また、お金に関する亡者ぶりは有名になっている。
例えば、寺での法事の折、未入信の親戚が喪主家への香典として仏前に
供(そな)えておいたお金を、近藤が勝手に持ち去ってしまったことがある。泥棒で
ある。
親戚の人が「日蓮正宗は仏様にお供えしたもんは、みんな坊主が取るのか」と
呆(あき)れていた。
…………………………
福岡西布教区 岩城永学
高野永済(日海)の徒弟。日顕に「御本尊下付の停止」を進言した張本人。
日顕の「かまし発言」で有名になった、あの全国教師指導会で「学会員に御本尊様を
下付しなくなってもいいということになりましたら本当に有り難いことだと
思います」と、日顕に言上した。
その直後から、岩城は学会員という理由だけで、御本尊下付を拒否した。御本尊を
自分に隷属させる道具に使った卑劣な坊主である。
…………………………
熊本布教区 黒沢糾道
本名は之博。神奈川県横須賀市・法照寺の信徒出身。かつて台湾の本興院主管
だった頃、黒沢らが現地の法華講の家を回って「葬儀には必ず僧侶を呼ぶように」
「塔婆をしっかり立てるように」と恫喝まがいの台詞を吐いて嫌われていた。
その真の狙いが金儲けにあったことは明白である。
台湾社会では、葬儀には道教の道士を呼ぶというのが一般的な習俗で仏教の僧侶を
葬儀に招くことは殆どない。まして塔婆を立てる慣習は全くない。
むしろ、仏教の僧侶に対する台湾の一般的認識は、肉食妻帯をしないことは当然、
仏道修行に励むというもので、修行もせずに遊蕩に明け暮れる日顕宗などが出る幕は
全くないのだ。
黒沢ら坊主は金儲けだけに執着して、世界広布など念頭にない。黒沢が熊本に来て
三年余、葬式仏教は地域の人に敬遠されている。
…………………………
大分布教区 斎藤善道
細井精道(日達)の徒弟。保身のためなら平然と裏切る畜生坊主である。供養の
集め方は凄まじく、お通夜の導師を頼むと、返事の前に「供養を包まない所に
行ったら、我が宗の謗法になる」「御供養しない通夜は法を下げる」と遺族を脅し、
「供養は祭壇の値段以上はするものだ。祭壇が五十万円なら供養はそれ以上だ」と催促
する強欲ぶりの収奪魔でもある。
しかも、葬儀では遅刻の常習犯で、以前、葬儀場に参列者を待たせたうえ、御本尊を
忘れて遅刻してきた。
こんな坊主の風上にも置けないクソ坊主が支院長では前途は真っ暗だ。
342
:
検証会議
:2009/12/22(火) 23:04:00
越 洋
平成21年12月23日
ニセ法主早瀬日如の登座以降、宗内に火災が相次いでいる。平成18年8月12日
午後3時半頃、「逆さ杉」は落雷と同時に発火、豪雨にもかかわらず猛烈な勢いで火は
燃え上がり、黒煙が奉安堂一帯を覆い尽くして、本山周辺は一時騒然となった。
今年に入ってからは、立て続けに発生している。8月28日午後、大石寺境内の
駐車場で車10台が、炎上。次いで、ワシントンDCの妙宣寺(村田雄瑞)では
現地時間10月11日正午(日本時間12日午前2時)頃、お会式の最中に出火。
100人近い消防士が消火にあたり、数十分後に鎮火したが、寺は使用できない程の
大被害を受けた。更に11月15日午後、閉鎖されていた総坊売店の店舗から黒煙が
噴出。軒を連ねる8軒の売店に延焼して約250平方メートルを焼き尽くした。
日顕が「雨坊主」と呼ばれたのに対し、日如が「火災坊主」と言われる所以である。
この日如の従兄弟・早瀬義舜の次男である早瀬義久(浜松・正説寺)は、この度、
静岡西布教区の宗務支院長になったが、昭和54年11月、前任地の愛知・豊川で
泰福寺を全焼させ、板本尊を焼失させた過去がある。義久が高知県の開教寺にいた
当時、正信会で活動し脱会者作りを行っていたが、泰福寺に赴任してからも、
脱会者作りに熱心だった。ところが、昭和54年11月、義久が悪侶らと泰福寺で
学会攻撃の謀議を凝らしていた際、ストーブの火の不始末で火事を起こした。寺は
全焼、本堂の板本尊も焼失した。義久らは酒も入っていたようで、気がついた時は
かなり火が回っていた。
地元の男子部員がいち早く駆け付け、必死に消火を手伝ったが、義久はオロオロする
ばかり。揚げ句の果てに、男子部員の放火だと、濡れ衣を着せようとした。消防署と
警察が徹底的に火事の原因を究明、義久らの火の不始末が原因だと判明した。自分の
不始末を棚に上げて男子部員の放火とは、ふざけた言い掛かりだ。この時、信徒から
預かっていた遺骨も焼けて、百五十体程は、誰の遺骨か不明になった。遺族の中には、
肉親の遺骨が見つからず、今も悲しみを忘れられない方が多い。義久は遺族に満足な
謝罪もせず、浜松に移り、このほど宗務支院長になったが、無責任極まる最低の坊主で
ある。
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000808.jpg
343
:
検証会議
:2009/12/24(木) 23:35:11
フェイク 第1081号
(発行=09.12.23)
「慧妙」と法教院が日蓮正宗の病巣
花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊤
「日顕の学問弾圧の非道を永く後世に語り継ごう」
日蓮正宗の僧籍を離れた花野充道博士が代表となり、このほど同人誌
「法華仏教研究」を創刊した。発起人、執筆陣からは同博士の幅広い人脈が伺え、
創刊号には興味深い論文などが満載されている。特に注目されるのは花野博士の
「編集後記」に代えての「日蓮教団における学問の現状と課題」。
前半は発刊に至る経緯を述べ、後半は「『フェイク』と題する謀略文書」との見出し
を立て、本紙について言及。その中で日顕、及びその意向を受けて発行する「慧妙」を
一刀両断している。
少々長くなるが、花野博士に本紙一〇六七号を全文、紹介してもらったので、その
返礼として本紙では同博士の文を抜粋して紹介する。
まず「慧妙」に関して同博士は「その内容を恥ずかしく思っている日蓮正宗の僧俗も
多い」と記して「慧妙」の泣き所を鋭く突いている。その箇所を引用する。
「(『慧妙』が有罪判決を受けた時)他教団なら直ちに編集者が責任をとって辞職
するであろうが、名前だけの発行者はいても、その実態は闇の中であり、責任の所在も
不明であるから、結局、誰も、何の責任もとらなかった。『慧妙』に携わっている
十数人の僧俗が、熱海で飲み食いをしていたことが発覚し、宗務院から注意を受けた
ことがあるから、そのメンバーについて宗務院は把握しているようである。しかし
バックに日顕上人がひかえているから、一種の治外法権で、何をやっても、誰も見て
見ぬふりをせざるを得ないのが現状である。教学部も、宗内あらゆる出版物を細かく
チェックしているのに『慧妙』については全く何もしない。このような理不尽が
まかり通っていても、権威権力を恐れて、誰も何も言わないのが、今の日蓮正宗で
ある」
「勇気のある議員が宗会で質問したところ、某宗務役員から『廃刊も含めて検討
する』という言質をもらったそうである。しかし結局は、その後、何のお咎めもなく、
また読者への謝罪もなく、そのまま刊行が続いている」
この後、花野博士が以前、携わっていた「慧燈」と「道心」が廃刊に追い込まれた
無念さを述べて「購読料や支払いの清算等々、二度にわたる残務整理がどれほど大変
だったか、命令を下しただけの日顕上人にはわからないであろう」と、日顕に怒りを
ぶつけて「日顕上人による学問・思想弾圧の非道は、永く後世に語り継がれていくで
あろう」と結んでいる。
日顕に対する花野博士の恨み節は続く。「私の師匠であった日達上人は、一般大学に
行って学問をすることを許された。ところが次の日顕上人は、謗法の立正大学で学ぶ
ことは弊害が大きいとして禁止し、私塾(法教院)を作って、すべての学生をそこに
通わせるように指示された。社会から隔絶され、私塾で純粋培養された僧侶の中には、
私が一般(早稲田)大学で博士号を取得するや、『日顕上人の御指南に異議を唱える
花野は、擯斥処分にしてしまえ』と叫んだ者がいる、と聞いている。日蓮正宗の
独善性・閉鎖性、ここに極まれり、と言うべきであろう。このままいくと、数十年後
には、日蓮正宗の僧侶は全員が高校卒ということになってしまう」
(つづく)
344
:
検証会議
:2009/12/28(月) 04:20:48
フェイク 第1082号
(発行=09.12.25)
「井の中の蛙の親分が大威張り」
花野充道博士、新・同人誌で日顕を罵倒㊦
宗門を衰微させた日顕は宗祖から叱責
花野充道博士が「法華仏教研究」の中で日顕を糾弾している箇所を前号に引き続いて
紹介しよう。
「日顕上人が、立正大学は謗法の大学だから行かせない、と言うのであれば、
早稲田大学や東洋大学であれば許されるのであろうか。『謗法の大学だから』という
のは口実であって、実は学歴コンプレックス、嫉妬による苛めである、と陰口されて
いるのに、気づいていないのは御本人と取り巻きの宗務役員だけである」
「自分の親と同じ慶応大学に行きたいとして、慶応大学を受験した学生が還俗
させられた、ということも聞いている。まことに時代錯誤というか、『大海を謗法で
あると批判して、井の中で蛙の親分が大威張り』といった光景である。裸の王様に
向かって正直に『裸』と叫べば、それだけで処罰されるのが、現在の日蓮正宗である」
「『学問をする奴は信心がない』などと言われて、信伏随従の盲信盲目者が優遇
されるから、段々と僧侶の質の低下が深刻な問題になってきている。そのくせ教義的
には、僧侶主導の『僧俗師弟義』を振りかざしているのであるから、それで布教が進む
ことは絶対にない、と私は確信している。遅かれ早かれ、私塾の限界が行き着くところ
まで行った時に、やはり普通の大学に行かせて、世間に通用する学問を学ぶべきで
ある、という意見を受け入れざるを得なくなる、と思っている」
「日蓮正宗はこのままいくと高卒だけの宗団になってしまうのだから、衰微すること
は必定である。そしてその責任は、すべて日顕上人に帰せられるであろう。日蓮正宗を
衰微せしめた法主として、日蓮聖人から厳しく叱責されることは疑いない。」
「信徒に向かって、折伏を『やれ』『やれ』と号令をかけているだけでは、布教は
進まないという現実を思い知らされた時、日顕上人の私塾路線は変更せざるを得なく
なる。世間に法を弘めるためには、世間の学問を修して、世間に通用する人材を育成
しなければならない」
「ただ滑稽なのは、世間の学問を否定して、独善的な閉鎖主義をとっていながら、
日蓮正宗の本を古書店の東陽堂が置いてくれた、と言って喜んでいる矛盾に気づいて
いないことである。そんなことで喜ぶくらいなら、全国の書店に並ぶほどの本を
書ける(世間に通用する)人材をどうして育成しようとしないのか。日顕上人の
権威権力を恐れて、誰も何も言わないが、一度、無記名で日蓮正宗の僧侶全員から
アンケートをとってみたらどうであろう。無責任な信伏随従の指示待ち僧侶が増えて
いることは事実である…」
「日達上人と日顕上人との間に、学問に対する全く異なった方針が示されている
ことも、相承疑惑の根拠の一つに数えられているが、日達上人の了解のもとに科学的・
実証的な学問をしてきた者にとって、法主が変わった途端に、正反対の指南をされたの
ではたまったものではない」
以上、花野博士の「編集後記に代えて」を抜粋して紹介した。内容は同博士の持論を
展開したものだが、日蓮正宗の僧俗にも同人誌の一読を勧めたい。
345
:
検証会議
:2009/12/29(火) 21:20:48
大石寺短信 第476号
平成21年12月25日(金)
日顕宗の動き
1.大支院長、支院長人事が発表
先ごろ、これまで38あった布教区が48に細分化されたことに伴い、大布教区の
大支院長、布教区の支院長の人事が発表された。
それによると、大支院長は、中部大布教区で有川岳道(静岡・妙盛寺)から
佐々木慈啓(愛知・玉泉寺)に、中国大布教区は原山元征(広島・興福寺)から
菅原信了(岡山・妙霑寺)に交替し、原山は副大支院長に降りた。
新たな支院長には、青森布教区が楠牟禮慈宝(青森・玄中寺)に、岩手が山田容済
(岩手・感恩寺)、静岡東が関戸慈誠(静岡・蓮興寺)、静岡西が早瀬義久
(静岡・正説寺)、愛知東が三畝忍道(愛知・正啓寺)、愛知西が佐々木慈啓、三重が
福家重道(三重・普見寺)、北近畿が宗像高道(滋賀・本地寺)、京都が高野法雄
(京都・平安寺)、大阪北が柳坂幹道(大阪・聖教寺)、大阪南が近山信澄
(大阪・法住寺)、鳥取・島根の北中国が角石永道(島根・法久院)、岡山が
菅原信了、広島が原山元征、山口が今福永明(山口・妙宝寺)、福岡東が近藤謙導
(福岡・普遍寺)、福岡西が岩城永学(福岡・立正寺)、熊本が黒沢糾道
(熊本・眞法寺)、大分が斎藤善道(大分・本土寺)となった。
今回、布教区を細分化した日如の狙いは、これまでただの「連絡係」に過ぎなかった
大支院長、支院長により大きな権限を与え、布教の拡大を図ろうというもの。しかし、
この人事の顔ぶれを見る限り、その目論見は早くも破綻したと言えよう。というのも、
「大白法」11月16日号に、本年の折伏目標を達成したという寺の一覧が出ているが、
新たに任命になった支院長19人のうち、名前が確認できるのはたったの1人。力の無い
支院長にいくら権限を持たせたところで、成果は期待できまい。
2.年末年始の法華講の訪問に注意
本年も予想通りの惨敗に終わった日顕宗の折伏。しかし今後、荒唐無稽とはいえ、
「平成33年までに80万法華講の達成」「平成27年までに法華講員50%増」なる「目標」
が掲げられている手前、さらなる折伏のハッパがかけられ、なりふり構わぬ学会員への
勧誘が行われていくことが予想される。
「大白法」12月16日号も、日如の次のような言葉を載せて、あおっている。「来年、
新年度を迎えてから『やるぞ』という考えは、とかく寒苦鳥になってしまいますので、
戦いを先送りしないで、今日から直ちに誓願達成へ向けて行動を起こすことが、
目標達成のためには必要であります」
年末年始、独り暮らしの高齢者宅、回忌法要を控えた家などに、坊主・法華講員が
新年勤行会や法要の勧誘にやって来る可能性もあるので、警戒してまいりたい。
3.1月の予定
1日(金) 新年勤行会(本山、末寺。寺によっては2・3日の開催も)
10日(日) 御講(末寺)
346
:
検証会議
:2009/12/31(木) 22:35:58
越 洋
平成21年12月27日
日顕が姑息にも平成2年(1990年)12月27日、臨時宗会で宗規改変、名誉会長の
総講頭職を罷免してから今年で19年を迎える。
「C作戦」は、日顕自らやったと白状しているが、その事実は「河辺メモ」でみんな
知っている。
総講頭罷免の翌年、正月早々の1月2日、福田毅道がSGIに「私信」と称して
FAXを送信。
「私はSGIに宣戦布告いたします」という狂乱気味の文面に「C作戦」に関する
記述があり、「C作戦」の存在を世間に知らしめる結果となった。
小川只道は、福田のFAXについて、"あれは福田君のスタンド・プレーだよ"、
"今なら問題ないが、宗内で誰も知らない段階で出すのはいけない"と、「C作戦」が
実在したことを前提に話をしていた。
福田は「C作戦」を漏洩(ろうえい)させ、そのうえ、アメリカSGIの離反工作
にも失敗したとして解任。翌年には滋賀・本地寺に左遷された福田は、
平成11年7月5日には住職を解任され、今では宗門から捨て扶持を貰って、北海道・
小樽の実家で細々と生きている。
平成3年1月6日の教師指導会で日顕は「『所詮日蓮一人にて、日本国を流浪すべき
身にて候』私はもうこの御文を拝したときに涙がですね……(嗚咽)粥をすすっても…
…」と、全国の住職・寺族を前に泣き真似までして狡猾に騙した。
この事件以降、誰が信心の素晴らしさを実感しているのか?
今年に入って、大村と尾林は、日顕に散々利用された揚げ句、悲惨な死を遂げた。
結局、粥をすすっているのは、日顕に使い捨てにされた福田、それに地方の住職・寺族
である。
日顕一族らは贅沢三昧、こんな暴挙が放置されていてよいのか。絶対に許しては
ならない!
347
:
検証会議
:2010/01/05(火) 19:05:27
フェイク 第1083号
(発行=10.01.04)
原島昭は虚言症に加え妄想癖も
「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊤
邪推で書いたデタラメ記事で墓穴掘る
退転した原島昭が妙観講らの作る「慧妙」に的外れな駄文を連載している。
この昭とは、あの酒乱の窃盗犯・原島嵩(故人)の実兄である。一月一日付「慧妙」
では「続・学会系怪文書『フェイク』の欺瞞を嗤う」との見出しをつけ、本紙に対して
大仰に反論することによって、己の虚言症を覆い隠そうとヒステリックに書いている。
その内容は「ポルノ」や「ヌード写真」について珍論を述べているだけのスリカエ記事
である。
原島は昨年十一月一日付の「慧妙」で「ポルノ雑誌『ルビー』を池田青年が編集して
いた」と読者に勘違いさせることを狙って陰湿なデタラメを書いていた。
その間違いを本紙が指摘し、「ルビー」を編集していたのは坊主に成り下がった
矢島周平だったと教えてあげた。すると、昭は話をすり替えて「慧妙」一日付では
(池田青年達も)編集に協力していた等と言いだす始末。原島は虚言症に加えて妄想癖も
あるようだ。
昭が書く内容は、夢遊病者のような虚ろな目で背を丸めて歩く鬱(うつ)病患者の戯言
だと思って、これまでは手加減しながら間違い個所を修正してあげた。
だが、話を狡猾に逸らして本紙を非難し「歴史改竄(かいざん)」「欺瞞」「卑怯」
「偽証の詐術」等々と誹謗するなど極めて質の悪い言い掛かりをつけてきた。
そこで再度、昭の間違いを振り返ることにする。
昭が最初に書いていた間違いを端的に言うと「(戸田氏が創刊した『ルビー』は)
グラビア写真と本文がヌード写真で占められていた」「池田氏編集の二雑誌は廃刊に
なった」と記していた点だ。昭は「池田氏編集の二雑誌」が「冒険少年」と「ルビー」
を指すと思わせるような悪意の書き方で、しかも、挿絵を「ヌード写真」と偽る
ふざけた男だ。
昭の駄文を信じる愚か者がいると不憫なので、その間違いを本紙で指摘してあげた
が、昭は訂正しないばかりか、「慧妙」新年号で「(編集は)互いに協力し合っていた
ことは容易に察しがつきます」「(ルビーを)手に取って眺めたり読んだりしたこと
でしょう」と書いている。これも昭の邪推、妄想にすぎない。
原島家が「ルビー」を販売
三十年以上も前の一つのエピソードを紹介する。ある図書館で「冒険少年」
「少年日本」を手にして懐かしそうにページをめくっていた池田会長に、昔の詳しい
事情を知らない幹部が「ここに『ルビー』もあります」と差し出した。しかし、同会長
は「ルビー」の表紙を一瞥して「それは矢島が作っていたんだ」と一言。手に取る様子
もなかった。
また昭は「大白蓮華」に「冒険少年」「ルビー」の広告が載っていたのを批判材料
に、池田編集長が広告を載せたとか「戸田氏の商魂が透けて見えてきます」と述べて
いるが、その「ルビー」等を販売していたのは昭よ、お前の両親だ。
当時、水道橋駅のホームに並んでいる広告の片隅に「少年日本」の広告を見つけて
「胸が熱くなった」と言う池田編集長に広告を出すことは出来なかったのだ。
雑誌が売れないから「大白蓮華」にも広告を出すよう工夫したのは原島の両親で
あろう。
(つづく)
348
:
検証会議
:2010/01/06(水) 01:19:43
フェイク 第1084号
(発行=10.01.05)
反逆者の愚弟・嵩に輪をかけた愚兄
「慧妙」新年号に原島昭が的外れな珍論㊦
憶測で書いた間違い記事を訂正し謝罪せよ!
虚言症と妄想癖の原島昭は「慧妙」新年号に、本紙が「『ルビー』に関しては、
いたくトーンダウンさせてしまった」と書いているが、笑止千万。本紙はダウンも
アップもさせてはいない。もともと変質者の矢島が編集していた「ルビー」に関心は
なく、事実をありのままに記して原島昭の間違いを修正したにすぎない。
昭は話を逸らさず、「『ルビー』の編集を池田青年と思わせる記述は撤回します。
またヌード写真というのは記憶違いで挿絵でした」と訂正せよ。
特に、昭の母・精子に戸田会長が謝罪して「本部副婦人部長の地位を与えて名誉を
回復させたというのは真っ赤なウソでした」と潔く訂正し、読者に謝罪するのが筋で
ある。
更に、昭は本紙が「私の母や弟の悪口中傷を乱発し続けている」と泣き言を並べて
いるが、本紙が書いたのは悪口や中傷ではない。
昭の母・精子は役職解任と謹慎処分になったが、それは「派閥作り」を画策したから
だったという理由を明かしたまでだ。
そして昭の弟・嵩が死ぬ前に入っていた東京・西多摩の介護老人保健施設で婦人の
部屋に忍び込み、女性用の「おしっこパット」を盗んで注意され、女性トイレに素足の
まま潜んでいた等々の窃盗や変態行為は真相の一端を教えてあげたに過ぎず、悪口中傷
ではない。
しかも、ここに記した嵩の醜聞は、ごく一部でセクハラや痴漢、万引き等々、
恥ずかしくて書けない悪辣な行為が他にも山ほどある。
昭が本紙の記事を捏造だ、偽証だと非難し続けるのであれば、本当に捏造なのか
どうか、数々の証言を揃えて、それらを全て公表することになるが、それでも良い
のか?昭は身勝手な憶測でデタラメな文を書いて広布の団体に傷をつけようと躍起に
なっているが、反逆者の実弟・嵩と瓜二つだ。
矢島は再起不能で得度
次に、昭は「ルビー」を編集していた矢島について、辞意を伝えた戸田理事長が後任
に指名したのは忠実な部下だったからだというが、これも昭の推測でしかない。
矢島は変節漢で抜け目がなく、老獪だった。理事長になったといっても戸田会長就任
までの暫定である。戸田理事長から矢島に正式に理事長職がバトンタッチされたのは
昭和二十五年十一月で、約半年後の同二十六年五月、戸田二代会長が就任した時、矢島
は指導監査部長に更迭され、その約四ヶ月後には、この役職も辞任した。
翌二十七年四月二十日の聖教新聞には「指導方針が真実の大聖人様の教からはずれた
ため、大きな錯誤を学会員の指導及び自己の生活に暴露したのである」という記事が
掲載された。
二十八年六月一日付の同新聞にも矢島に触れて「事業に失敗し、以後しばらく学会
より離れていたが、昨年一度再起せんとして果さず」と記されており、再起不能のため
同年八月に得度。学会寄進の正因寺に入ったが、第一次宗門事件の際、週刊誌で
歴代会長を誹謗し、正信会に走り、同五十七年六月に死去。この男が「ルビー」を編集
していた。昭が学会に籍を置いていた頃から批判的だったのと同様、矢島の信心も不純
だった。
349
:
代理人
:2010/01/13(水) 14:43:18
フェイク 第1085号
(発行=10.01.11)
どちらが日蓮正宗の公式見解か?
日顕の幽霊存在説を妙観講の「暁鐘」が否定
各末寺には連絡先も分からない幽霊講員が多数
日顕といえば御書より幽霊・霊魂の話の方が得意で、過去に夏期講習会、行学講習会、各種法要で、その存在を力説してきた。しかも、幽霊について語る時の日顕は身を乗り出し、旧友を懐かしむような表情になる。
ところが、妙観講発行の「暁鐘」平成二十二年一月号には、日顕の「幽霊・霊魂存在説」に異論を唱える内容を掲載しており、日顕と妙観講の仲に亀裂が入る可能性もある。日顕の影響力が弱まったとみた大草一男が増長してきた感もある。「暁鐘」の内容を紹介する前に、日顕の代表的な説法を振り返ることにする。
「幽霊はいると思う。ワシが本行寺の住職をしていたとき、(ある信徒が)『息子に幽霊が馬乗りになっている』というのを聞いたことがある」(昭和六十三年の行学講習会)
「通力のある人は『ここに何かいるな、アッ、これは鬼だな』とか、あの『幽霊だ』『これは前に男に捨てられて、子供産んで、子供と一緒に死んだ人の霊がここにいるな』とかね、通力のある人には、よく分かるんです」(平成九年七月三十一日の夏期講習会)
「やっぱり霊能者っていうのがいるんです」「(霊能が)事実、当たってんです」(平成十七年八月二十六日の教師講習会・閉講式)
「幽霊を見たことがある人を知っている」(平成十六年十二月二十三日、埼玉県の妙本寺記念法要)
このように日顕の幽霊話は枚挙に暇がないほどだか、「暁鐘」一月号の「質疑応答」欄で「幽霊や霊魂を見たという話を聞くことがありますが、これは、どういうことなのでしょうか」との質問を設定。その回答として日顕説を否定している。
「(仏法では)幽霊や霊魂の存在を認めているわけではありません」「幽霊や霊魂のような実体が本当に存在しているのなら、物質的な側面を持っていようと、いまいと、今日の科学で必ず観測できるはずなのです。だから、そのような存在はあり得ない、ということになります」
「暁鐘」は幽霊の存在を否定、日顕は「幽霊はいる」と言う。さて、どちらが日蓮正宗の見解なのか?
「暁鐘」と同じく妙観講が作っている「慧妙」について、平成六年五月に発行された同人誌「道心」で花野充道博士(当時は兵庫・浄福寺住職)が次のように痛烈に批判していた。
「その論に誰が責任を持つのか。執筆者の責任か、発行者の責任か、法主の監修のもとに書かれた論か、教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、あくまで個人の私見か」
この度の「暁鐘」の記事も教学部の公式見解か、宗門の公式見解か、それとも大草一男の我見なのか?
「暁鐘」は幽霊を感じることはあるというような逃げ口上を一応、書いてはいるが、日顕は明確に幽霊と霊魂の存在を肯定している。
この幽霊の存在の有無は、日顕と「暁鐘」誌の今後の対論に任せるとして、各末寺には名前だけで連絡先も分からない幽霊講員が多数、いることだけは確かだ。
また最新版の「宗教年鑑」(平成二〇年版)によると、日蓮正宗の信者数は三十九万六千人と記載されているが、実際は十万人もいないから、約三十万人もの幽霊講員がいることになる。
350
:
検証会議
:2010/01/15(金) 16:06:29
石山だより
平成二十二年一月八日
立宗七百五十八年「広布前進の年」が明けた。昨年の無謀な登山、折伏、供養の
影響で法華講員は疲弊し、今年の大石寺での元旦勤行の参加者は大幅に減少し、
陰々滅々(いんいんめつめつ)の幕開けだった。内事部の二人のヒソヒソ話。
A房 顕チャンは去年の十二月から本山行事をサボっているが、かなり体が衰弱して
いるという噂は本当のようだな。
Y房 何でも顕チャンは肋骨を痛めているようだ。あの老齢で糖尿病だから骨も相当
脆(もろ)くなっているだろう。痛めているというよりも骨折しているのかも
しれないよ。
A房 あの年で骨折したら完治しないな。さまざまな噂が飛び交っているのを本人は
凄く気にしている様子だよ。去年の十二月末、どっかに出かけたようだが、よっぽど噂
を気にしていたんだな。「俺は元気だ!」と虚勢を張って見たかったのだろう。
Y房 本当に見栄っ張りだな。だから、丑寅には全然、顔を見せないくせに、唱題行
には無理して出て来て健在ぶりを示しているのだろう。全国の教師の初登山(六日)の
際、客殿で寛チャンの目通りの後、顕チャンが自分の弟子だけを残して、改めて目通り
をして、短い話をしていたが、顔や首筋の皺(しわ)が増えて、話し方も弱々しかった
し、歩く姿も足腰が弱っているのを誤魔化せなかったな。
A房 そうだな。だいたい唱題行には来ても座っているだけで、声を出しているのか
どうかも分からないし。
Y房 信者の供養を湯水のように使って、何十年間も遊び放題、贅沢と遊蕩の限りを
尽くしたんだから、もう思い残すこともないと思うが……。
A房 まだまだ、この世に未練があるんだろうか?
Y房 欲深いからまだ遊ぶつもりなのかな?
A房 いや、そんな体力はもうないよ。最大の関心事は "寛チャンが誰に譲るのか?"
ということだろう。それが心配で死んでも死にきれない、というところか。
(百年に一度の不況、日本では一年に三万人の自殺者、世界では八億五千万人が飢餓で
苦しみ、一年間に六千万人が亡くなっている。「一切衆生の異の苦を受くるは悉く是れ
日蓮一人の苦なるべし」との御金言を何処の誰が実践しているのか?少なくとも
顕チャンが世のため、人のために何をやったのか一向に思いつかない。
一閻浮提広令流布の御遺命を誰が実現してきたのか?宗内の坊さんは "慈悲"という
言葉を簡単に使うが、その心は皆無だ。内事部鼠)
351
:
代理人
:2010/01/17(日) 19:56:02
越 洋 (10.01.13)
自然破壊の常習・大石寺――またまた「桜の木」を大量伐採!
本山で行われた元朝勤行は、今年も昨年の参拝者を下回り、日顕宗にとっては、まさに本年が前進どころか「広布後退の年」となるような出発となった。
そんな本山に、また無用な建物を建てるために貴重な樹齢50年もの桜の伐採を始めた。昨年の「50万総登山」で供養をしぼりとり、味を占めた日顕と日如は、総一坊南側に新たに宿坊建設を予定。そのため、正月早々の6日、その整地のために桜を伐採。ちゃっかりと法華講員には分からないよう、皆の目につきやすい道路沿いと総門側の桜だけは残し、その奥の桜を伐採した。
日顕による桜の伐採は、平成5年に総坊前の約280本を手始めに、13・14年には常灯ケ峰の約200本、さらに17年には五重塔北側の桜を約230本も無惨にも切り倒し続けた。そして昨年の7万5千の総会のために、経蔵と宝物殿の間の20本、宝物殿そばで10本が切られ、さらに向原駐車場の側でも伐採が進められた。いったい何万本の樹木を伐採すれば気が済むのだろうか。環境問題には全く無頓着、宗教者のやることではない。
登山者も普段は少なく、宿泊者もいないにもかかわらず新宿坊の建設は、貪欲な日顕や日如にとって、桜も金のなる木にしか見えないのだ。「貪欲な者は坊主の中に一番多い」と詩人のダンテの言葉を証明するかのような今回の桜伐採である。
折しも今年一年で、UNEPでは「10億本の植樹キャンペ−ン」を行っている。
ワンガリ・マアタイさんが聞いたら「オー・ノー」と絶句するだろう。
352
:
代理人
:2010/01/17(日) 20:02:36
大石寺短信 第477号 (10.01.14)
1. 重苦しい雰囲気の新年勤行会
「広布前進の年」と銘打たれた本年の日顕宗では、全国末寺で開催された新年勤行会の参加者が
昨年より大幅に減少した。
昨年、「50万登山」「7万5千結集」の過酷なノルマに苦しめられてきた末寺住職、信者はすっかり疲れ切っているが、本年は、昨年夏に打ち出された「平成27年までに法華講5割増」「平成33年までに法華講80万人」という荒唐無稽な2大命題に向かって、折伏に駆り立てられることになっており、どの寺の勤行会も相変わらず、どんよりとした重苦しい雰囲気が漂っていた。
2. 容赦ない強制徴収でやせ細る末寺
これまで、何かにかこつけては末寺から金を吸い上げてきた本山だが、
本年も「立正安国論750年記念事業のための寄付」の名目で、
寺の全財産の5%を強制徴収する。
昨年末に発行された憂宗護法同盟の「同盟通信」はこれを取り上げ、
現在の全末寺の財産の総計を「約200億円」と推計した上で、
「末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円あり、
8年前の2001年には約510億円あった。
ということは、2001年から2007年までの6年間で150億減らし、
さらに、この2年間で160億も減らしたことになる」とし、
単純計算で「末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。
否、このままでは2年ともたないかもしれない」と分析している。
加えて本山は、昨年の無謀な「50万登山」に続き、
本年も末寺に過酷な登山ノルマを課しており、
「同盟通信」は「登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、
末寺にまで回ってこない。登山の督励が、ますます末寺を疲弊させている」
と指摘している。
さらに、「本山・末寺の関係は、昔から本山が『親』、末寺が『子』に譬えられてきた。
本来、親は子を思い、慈心をもって接するもの」とし、
「(『親』である本山は)『子』の悲鳴に無視を決め込み、それどころか、
『子』の生き血を吸ってますます肥えている始末。
もはや畜生以下」と厳しく糾弾している。
353
:
検証会議
:2010/01/19(火) 00:57:28
フェイク 第1086号
(発行=10.01.17)
「原島昭は陰湿なウソつき!」の声
「慧妙」一月十六日付・投稿欄の偽証を嗤う
肖像画を写真と偽り早瀬日慈を陥れた大草一男
妙観講のクズ新聞「慧妙」の連載「私が見た創価学会」に原島昭(故・嵩の実兄)が
書いた間違いについては、本紙が逐一、指摘(第一〇六一・一〇六八・一〇六九・
一〇七四・一〇七五・一〇七六・一〇八三・一〇八四号を参照)してきた。
これに反論不能の原島は妙観講と共謀して一月十六日付「慧妙」の「読者の
おたより」欄に匿名で「『フェイク』の負け!」と題する手前味噌の陳腐な記事を
掲載し、本紙の指摘から逃げようとしている。
本紙編集室には「原島家は母親の精子も昭・嵩兄弟も揃って妙法流布を阻む魔で
ある」「昭は愚弟の嵩に輪をかけたような陰湿なウソつきだ」等々、多くの声が
寄せられており、「慧妙」に虚偽を書き続ける原島昭の惨敗は明らかである。
「慧妙」は宗内でも毛嫌いされており、坊主はもとより一般の法華講員は殆ど読んで
いない。読んでいるのは妙観講員の一部にすぎない。ましてや「慧妙」に投稿する
ような法華講員などいる筈もない。
したがって、この投稿には、宗教道楽者の大草一男とその一派が関与していることは
間違いない。この投稿欄では「『フェイク』は自らの誤りを認めようとしません」と
書いているが、本紙の記述は何一つ誤っていない。だから、「慧妙」は「ここが違う」
と具体的には書けないで、負け犬の遠吠えのような投書を掲載して誤魔化している。
この投稿では「少年日本」と「ルビー」の編集トップが池田編集長であったことは
「当然です」と書いているが、何が当然か?「ルビー」の編集長は矢島周平と奥付に
明記されている。
原島はウソを繰り返すことで読者に間違った認識を与える汚い手を使い、その上、
他人に自分の文を褒めさせる。これも反逆者の弟の嵩と同じ手口である。
約四十年も昔のことだが、夏期講習会では当時、毎期とも各部部長らの幹部は、
池田会長を囲む講義担当者会で講義のポイント、強調点などを確認して御書講義に臨む
ことになっていた。
教学部長だった原島嵩が、一人の記者に「次の担当者会で、先生に『原島教学部長の
講義が一番上手いという評判です』と報告して欲しい」と真面目な顔で頼んだことが
あった。
その記者は、そんな報告はしなかったが、今回の投稿は自画自賛、妙観講中で作った
感が強い。本紙の記述と原島の駄文を公平に読み比べるならば、原島の「私が見た
創価学会」はウソの羅列だと直ぐに分かる。
次に「慧妙」では「だいたい、『フェイク』の人々も、過去に貴紙『慧妙』に載った
カラー写真を『絵だ』と見間違えて、騒いだことがあった」云々と書いているが、
これも妙観講らしいスリカエの大ウソである。
そもそも、下手な肖像画を意図的に写真だと偽って日達法主に告げ口して早瀬日慈
(日如の父親)を陥れたのは大草一男である(本紙第六九五号を参照)。
なお、原島は母・精子に戸田会長が詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。この件は本紙が任命年月日から見ても
辻褄が合わないと指摘したが、原島は、その後、沈黙している。潔く間違いを訂正し
謝罪せよ。
354
:
検証会議
:2010/01/19(火) 00:57:57
フェイク 第1087号
(発行=10.01.18)
日顕は雨男、日如は火事男!
新宿・大願寺でボヤ騒ぎ、消防車七台が出動
大石寺駐車場・売店、米国の妙宣寺と相次ぐ火災
今度は新宿区・大願寺でボヤ騒ぎ―― 一月十七日午後七時頃、大願寺(板東慈潮)
からモクモクと黒煙が立ち上り、辺り一面には焦げ臭いような物凄い異臭が漂った。
急報を受けて出動した消防車は七台、若松町にある大願寺前の狭い道路は通行止めに
なった(写真)。異変に気づいて家から飛び出してきた近隣の人々も皆、驚きの表情で
あった。
幸いなことに火災は直ぐに消し止められたものの、まったく近所迷惑なボヤ事件で
あった。ニセ法主元祖の日顕は、行く先々で集中豪雨などに見舞われたため
「テルテル坊主」ではなく「雨坊主」とか「雨男」と呼ばれたが、今のニセ法主の日如
は「火事男」と呼ぶに相応しい。
盗座した翌年の平成十八年八月十二日の午後四時前、物凄い雷鳴が轟いた次の瞬間、
奉安堂の東側に立つ杉の大木に落雷。杉の大木は中央付近から火を噴いて、周辺には
黒煙が立ち込めた。この落雷を「慧妙」は詭弁を弄して「功徳だ」と強弁していたが、
今の日蓮正宗には「火災という功徳」が多発している。
昨年の八月二十八日には大石寺の駐車場で乗用車十台が焼ける火災があり、
アメリカ・ワシントンDCの妙宣寺(住職・村田雄瑞)が十月十一日(日本時間十二日)に
焼失した。
また、十一月十五日午後には大石寺の境内にある休業中の売店で、木造平屋建ての
建物八店舗、約二百五十平方メートルが全焼したばかりである。
「王舎城事」には「両火房と申す謗法の聖人・鎌倉中の上下の師なり、一火は身に
留りて極楽寺焼て地獄寺となりぬ、又一火は鎌倉にはなちて御所やけ候ぬ、又一火は
現世の国をやきぬる上に日本国の師弟ともに無間地獄に堕ちて阿鼻の炎にもえ候べき
先表なり、愚癡の法師等が智慧ある者の申す事を用い候はぬは是体に候なり」とある。
良観の極楽寺が火事で焼失し、良観が庇護を受けていた鎌倉幕府の御所でも火災が
起こったことから、大聖人は「りょうかん」をもじって「両火房」と揶揄されたが、
日如は現代の「両火房」と言ってよい。
大願寺は昭和四十七年三月十六日、創価学会・池田会長(当時)の発願により
建立寄進されたが、昭和六十三年十二月に新築した時、早瀬は「全額、私が負担した。
学会には一切、世話になっていない」と放言。この「火事男」は忘恩の坊主なのである。
355
:
検証会議
:2010/01/20(水) 00:43:08
同盟通信 No.136
(2009.12.28)
=明年、本山は、記念事業にかこつけ、全末寺から総額10億円の「寄付」を集める。
この10億円という額は末寺財産の5%に相当すると財務部文書から推計される。すると、
現在の全末寺の財産の総計は約200億円。末寺財産の総計は2年前の2007年には約360億円
あり、8年前の2001年には約510億円あった。ということは、2001年から2007年までの
6年間で150億減らし、さらに、この2年間で160億も減らしたことになる。このままでは
末寺の財産がゼロになるのは3年とかからない計算となる。否、このままでは2年と
もたないかもしれない。末寺が2年余で崩壊の時を迎えようとしている。=
本山・末寺の関係は、昔から本山が「親」、末寺が「子」に譬えられてきた。本来、
親は子を思い、慈心をもって接するものである。それは人も動物も同じである。
しかし、宗門の「親」はどうか。「寄付」とはよく言ったものだ。これまで「不可侵」
とされてきた基本金までが取り崩し対象とされ、有無を言わせず取り立てるのだから、
それは「寄付」に名を借りた「強奪」以外の何ものでもない。「子」の悲鳴に無視を
決め込み、それどころか、「子」の生き血を吸ってますます肥えている始末。もはや
畜生以下である。
猊下は、11日に開かれた全国正副宗務支院長会議の席上、新入信者の育成について
触れ、「折伏した人は、できるだけ早く登山させろ」とゲキを飛ばしたという。猊下は
今後の取り組みとして、特に登山に力を入れている。明年の支部総登山への結集の
ハッパは周知の通りである。支院長会議では、明年の各種登山への割り当ても発表
され、「虫払法要、寛師会、御大会へは、各支部から講頭はじめ役員が必ず1名以上
参加せよ」と徹底された。
登山、登山、はたまた登山である。発表直後から”無謀の極み”と陰口をたたかれた
本年の「50万総登山」。先ごろ「50万の御命題が達成された」と発表されたが、その
内実はというと「50万人の登山」ではなく、「50万人”分”の登山」であり、各末寺の
活動家信徒が何回も何回も登山し、やっとのことで達成したものだ。その結果、本山は
御開扉料だけでも約10億円を徴収し、加えて膨大な供養も集めた。一方、割りを食った
のは末寺だ。
登山のたびに、信者の供養は本山に吸い上げられ、末寺にまで回ってこない。登山の
督励が、ますます末寺を疲弊させているのである。
隠尊から当代の猊下に座替わりした時、”これで、宗門の未来に明るい光が差す
だろう”と思った僧侶は少なくなかった。しかし、あれから丸4年。阿部庶務部長による
傷害事件に始まった「正義顕揚の年」が、加害者である信彰師が新設の布教部の部長と
いう要職に就くという不可解な落着で幕を閉じ、問もなく「広布前進の年」が明けよう
としている。巷は、年の瀬の華やいだ雰囲気に包まれているが、本宗では大半の
末寺住職たちが、恐怖や不安、猜疑、絶望がない交ぜになった感慨を胸に、陰鬱な日々
を過ごしている。
(憂宗護法同盟員より)
356
:
検証会議
:2010/01/20(水) 21:33:45
越 洋
平成22年1月20日
「フェイク」の圧勝! 「慧妙」と原島昭は惨敗!
宗内みんなから嫌われている下品な御用新聞「慧妙」に昨年十月一日付から原島昭
(嵩の実兄)が「私の見た創価学会」を連載している。内容は原島の記憶違い、或いは
悪意から事実をネジ曲げたデタラメな記述である。これに対し、宗教情報紙
「フェイク」が逐一、原島の虚偽を指摘している。それは確かな証言と資料に
裏付けられており説得力がある。
「フェイク」紙の圧勝であり、誰が見ても明らかである。原島の劣勢を感じた
「慧妙」編集部は慌てて一月十六日付の投稿欄を使って、原島の「私の見た創価学会」
を自画自賛。投書に見せかけて勝利宣言のような我田引水の記事を掲載している。
そもそも、「慧妙」に投書をする者がいるのか疑わしい。
原島の間違いだらけの回想と「フェイク」紙の主な指摘を見比べてみる。
原島の悪意による間違いの第一は、少年雑誌の編集をしていた若き日の池田編集長
が、ヌード写真で占められた「ルビー」というポルノ雑誌も作っていたと書いていた点
である。
これに対して「フェイク」紙は、「『ルビー』は後年、坊主になった矢島周平が編集
していた」と奥付を提示し、ヌード写真というのもウソで、挿絵だったと指摘した。
すると原島は、池田編集長も「ルビー」の編集に関与していたのは「容易に察しが
つく」とか、出来上がった「ルビー」を手に取り眺めていた等々と妄想と邪推で勝手な
ことを言い出す始末。しかも、原島は「私が、ねじけた物の味方をするようになったの
は多分に二代会長・戸田城聖氏の影響でもある」(十一月一日付「慧妙」)とも書いて
いた。寝ぼけたことを言うんじゃない!
「フェイク」紙は、昭の「ねじけた物の見方」は、母親の精子と弟・嵩の異常な関係
を見てきたからではないのかと述べ、嵩と母親の特異な関係を具体的なエピソードを
挙げながら指摘していたが、これは実に興味深いものであった。
また、原島は蒲田支部の基礎を築いたのは母親の精子だと自慢していたが、
「フェイク」紙が原島精子の悪行を暴露。派閥を作ろうとして戸田会長の逆鱗に触れ、
文京婦人部長を解任されたうえ、謹慎を命じられていたという衝撃的な事実を暴いたの
である。
原島は苦し紛れの言い訳として、戸田会長が母を呼び寄せ「『あなたを辛い目に
合わせて申し訳なかった』と詫び、本部副婦人部長の地位を与えて名誉を回復
させた」(十一月一日付「慧妙」)と書いていた。ところが、精子は戸田会長の存命中
には本部副婦人部長になっていなかったことを「フェイク」紙に指摘され、これも原島
の作り話であったことが明白になった。
最早、原島昭のウソ八百は粉砕された。この論争は「フェイク」紙の完勝である。
写真は人生に負けた弟・原島嵩。落ちぶれた惨めな姿を見よ!
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357
:
検証会議
:2010/01/29(金) 09:59:12
大石寺短信 第478号
平成22年1月28日(木)
日顕宗の動き
1. 15人中4人の折伏推進委員が昨年の目標未達成
日如が折伏に躍起になっている。正月の講頭目通りの席でも「各講中が『次の日曜日
にどう戦うか』ということを決めているか、どうか」「次の月、あるいは一年を
とおして、基本的にどういう戦い方をしていくかということを具体的に決めて戦う
べき」と細かく指示していた。この背景には、昨年までの目標だった「信者倍増」が
大失敗に終わったことがある。これについて、「恥ずかしい」と漏らしているという
日如は、何かせずにはいられないという心境なのか、よりによって、各布教区で毎月
行われる「広布推進会」に、親譲りの”瞬間湯沸かし器”で暴力坊主の布教部長・
阿部信彰を単独で派遣することにした。
日如が目を背けたくなる現実を「大白法」(1月16日号)が紹介している。昨年の
折伏目標を達成した寺の一覧が載っているが、その数は全末寺の2割にも満たないのだ。
上層部からして全くダメ。重役・藤本、総監・八木ら役僧の寺は軒並み達成できて
おらず、各布教区の正副支院長も全94人中、名前が載っているのはたったの13人。全く
「恥ずかしい」有り様である。さらに驚くべきことに、今、折伏ができていない寺を
回っている15人の折伏推進委員のうち、4人(野村慈尊<千葉・清涼寺>、平山広篤
<東京・広妙寺>、岩切仁道<愛媛・法楽寺>、園田司道<兵庫・浄福寺>)が昨年の
目標を達成していないのだ。自分ができていないのに「折伏しろ」とは、どの口で
言えるのか。
今後、折伏低迷の責任を問われて住職をクビになる者も出てくるだろう。力尽きて
自ら隠居を申し出る者も現れるかもしれない。一方、日如をはじめとした執行部は、
"大聖人の御命"とまで言い切った信者倍増が大失敗に終わろうが、自分の寺が目標を
達成できなかろうが、責任を取らなくてよいのだから、気楽なものである。
ともあれ、折伏が苦手な日顕宗は、最近、またまた学会に的を絞ってきている。
「大白法」では「創価学会折伏の手引き」なる連載が始まった。今後、あの手この手で
勧誘を仕掛けてくるだろう。油断なく対応してまいりたい。
2. 2月の予定
3日(水) 節分会(本山、末寺)
7日(日) 広布唱題会(本山、末寺) 興師会(本山、末寺)
14日(日) 御講(末寺)
16日(火) 宗祖誕生会(本山、末寺)
358
:
検証会議
:2010/01/30(土) 23:13:06
フェイク 第1088号
(発行=10.01.27)
破折も折伏もできない早瀬日如
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり(1)
「祈祷は身延の方が良い」と言う講員にも苦笑
日顕宗・法華講の機関誌「大白法」が一月十六日付から「創価学会折伏の手引き」の
連載を始めた。これは早瀬日如の意向を受けた企画で、その魂胆が窺える。
早瀬も新年早々、昨年は残念ながら折伏が思うようにいかなかった、と泣き言を
述べたあと「漠然と『やれ、やれ』と言っても折伏は達成しない。幹部が指導教師と
よく打合せして、いわゆる折伏作戦会議とかの会議を開いて、次の土・日曜をどう戦う
かということを決めていくべきである。これが組織戦である」「宗務院に布教部を設置
して、過去の色々なデータから折伏推進委員の十五人を選んだ」と語り、これで本年を
勝利して平成二十七年(法華講員五十%増)、三十三年(法華講員八十万人)の目標を
達成できると確信している旨、言い放った。
これらの言動から、今年は日顕宗が「組織戦」として学会員を奪い取ろうと狙って
いることは間違いないが、布教部や推進委員を作ったから折伏の勢いが増すと思うのは
幻想に過ぎない。
そもそも布教部長に就任した阿部信彰、十五人の折伏推進委員のいずれも折伏は
できない。早瀬自身も折伏は未経験で、御書は苦手、破折もできないのだ。
かつて新宿区・大願寺にいた頃、早瀬が「学会は折伏、折伏と言っているが、あんな
の寺に連れて来て、御授戒を受けさせるだけだから簡単だろ」とも言っていたとは
当時、同寺に在勤していた渡辺雄範氏の証言である。実践のない早瀬は、寺に連れて
行くまでの紹介者の真剣な祈り、心遣い、苦労が想像できないのだ。
また、当時の大願寺法華講の班長のある婦人は、身延派日蓮宗の寺に塔婆供養に
通っていて「お祓いや祈祷は身延の方が良い」と、公然と発言していた。
渡辺氏は早速、早瀬に報告したが、そのことは先刻、承知していた様子で「しょうが
ないな」と苦笑するだけだった。つまり、早瀬は身延派に対する破折の一つもできない
のである。
新興宗教の一信者に敗北した無能な信彰
早瀬が布教部長に任命した阿部信彰は、新興宗教の信者一人に言い負かされて
「新興宗教にも功徳があります」と認め、御本尊の功徳については説明も出来なかった
ことは本紙第一〇七一号で述べた。
そこで今度は早瀬が選んだ十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるかを
紹介する。奴らに折伏の檄を飛ばす資格はない。
まず、折伏推進委員の十五人とは野村慈尊、西田秀得、石井信量、菅原信法、
平山広篤、村上節道、武安力道、桑原慧道、中村収道、新井契道、盛岡窮道、
岩切仁道、園田司道、石岡雄哲、竹内雄寧である。
これらの坊主共の役割は「院達」によると、折伏の状況が一定の基準に満たない支部
に対し、定期的に出張して折伏の助言や指導を行うことだという。
過去にも平成十四年には「広布推進会地域担当員」、同十八年には「広布推進員」と
いうのを作ったが、一向に成果は上がらなかった。
今回も徒労に帰すことは明らかである。
次号からは低劣な折伏推進委員を一人ずつ紹介していくことにする。
(つづく)
359
:
検証会議
:2010/02/01(月) 11:46:47
フェイク 第1089号
(発行=10.01.28)
檄を飛ばした野村慈尊は温泉遊興
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり②
西田秀得は他宗の僧にも嘲笑される外道坊主
ニセ法主・早瀬日如が自慢する十五人の折伏推進委員が、いかに低劣な坊主であるか
を順次、紹介する。
野村慈尊の清涼寺は昨年の折伏目標は未達成。平成十三年五月十五日、折伏のハッパ
をかける僧俗指導会に行ったが、昼間から阿部信彰、柳沢喜惣次と懐石料理に舌鼓を
打ち、М山荘で温泉遊興に耽っていた過去がある。この事実は本紙第三六四号で紹介
した通り。今後も各地を回っては遊興三昧を楽しむことだろう。
また野村は、鳩の大量殺戮を実行した坊主として有名になった。この話は内藤国夫
(故人)が昭和五十七年七月に「諸君」誌で暴露した。日顕が昭和五十六年にノドの
ポリープを手術した頃から「鳩の糞はノドに悪い」と言い出し、鳩の肉が大好物だと
いう生臭坊主の野村に日顕が「鳩殺し」を命じた。野村は御影堂や大講堂など各所に
カスミ網を設置して約五百羽の鳩を虐殺した(本紙第五八四号に詳述)。
西田秀得は口先だけの坊主である。臆病で折伏を実践したこともなく、他宗の僧から
も嘲笑されているという。こんな坊主が折伏推進委員とは、法華講員も呆れている。
西田は折伏がダメなだけでなく、勤行もいい加減で、例えば平成三年八月の葬儀の
際、西田の勤行が間違いだらけで、参列者に不快な思いを与えたことがあった。
終了後、西田は婦人部の人に「きょう、学会員は来ていなかったのか? 勤行が
合わなかった」と言い、参列者のせいにしていた。
その婦人が「私は、いつからお経が変わったのかと思いましたよ。眠っていたのですか?何度も間違っていましたよ」と切り返すと、西田は苦笑して誤魔化していた。
………………………
写真上は浴衣姿で温泉に
向かう野村慈尊。写真下
はМ山荘の露天風呂
………………………
また、西田は勤行を間違うだけではなく、題目を「ナンミョーホウレンゲドー」と
唱えることでも知られている外道坊主である。
ある人が「お題目が『ゲドー』と聞こえますが……」と指摘すると、西田は
「『ゲドー』には、ちゃんとした意味があるんだ」と開き直ったという。だから、
今でも「ゲドー」と言っているようだ。
こんな具合だから坊主になっている二男の良活に対しても満足に教導できない。
良活が大修寺に在勤していた頃、寺に若い茶髪の女性を連れ込んだり、一緒にバイク
を乗り回して朝帰りしたり、到底、出家とは言えない乱行の限りを繰り返していた。
今の宗門は、このような坊主の風上にも置けない悪僧共の巣窟になっているので
ある。
(つづく)
http://8004.teacup.com/cyeokunoken/img/bbs/0000821.jpg
360
:
検証会議
:2010/02/03(水) 00:17:59
フェイク 第1090号
(発行=10.01.31)
蓄財疑惑の石井信量、インチキ成果の宣行寺
折伏推進委員の十五人は低劣坊主ばかり③
「布教より金」の強欲な悪僧共
早瀬日如が任命した折伏推進委員が、いかに劣悪な坊主であるかを前号に引き続いて
紹介する。
石井信量は以前、大石寺の蓮成坊にいたが、数々の女性問題、巨額の不正蓄財疑惑
などが噴出して本山にいられなくなった坊主である。日顕の内弟子の一人で、管材を
担当しながら温泉豪遊、芸者遊びにも同行していた。義弟の妻の裸体を撮影するなど
畜生坊主としても宗内の評判となったが、大石寺から追放されたのは不正蓄財が原因と
言われている。
蓮成坊の庫裏には総額で数億円は下らないと見られる壷や茶器類など骨董品の数々が
並び、茶室のような部屋には時代物の家具とか屏風などが置かれていた。
また、熱海には約二億円もの温泉付き別荘を女房のナツ子と二人の名義で手に入れて
いた。これらは表面に現れた贅沢三昧の実態にすぎない。不正蓄財の疑惑は他にも
相当額があると言われている。
末寺からの特別供養など不透明な金の流れに関わり、銀行員も顔負けの鮮やかな
手さばきで札びらを切っていた石井だが、折伏は出来ない、というのが宗門関係者の話
である。
菅原信法も「布教より金」のゼニゲバ坊主である。信徒に「二千円の塔婆供養を
すれば、三万円になって返ってくる」という邪義を吹き込んでいたこともある。通夜
などの供養は「最低二万から三万円」と金額まで決めて押しつけ、七五三、初参り、
法事、結婚式の供養も、それぞれ最低額を示して供養を強要していた。
御講の席でも「ご供養に酒や米をもらっても仕方がない。お金が良い」と金銭の供養
をねだっていた。
塔婆も、法要の参列者全員に強要し、信心していない人の名前まで聞き出し、塔婆を
立てるよう催促。純朴な信者を騙して毎月、塔婆供養を続けさせ、合わせて千本近く
立てさせられた人もいたという。
まさに「塔婆商人」ともいうべき強欲坊主だ。
もともとは久保川法章の弟子だが、「日顕の七番目の弟子」と吹聴している。
村上節道の宣行寺(草加市)は「折伏のできる寺」と宗内で宣伝されてはいるが、
実態は酷い。一人が三体の本尊を所持していたり、素性の知れない外国人に下付して
本尊ごと行方不明になったり、下付の当日に返却されるケースもあるなど、帳尻合わせ
のためだけの実にいい加減なインチキ折伏が横行しているのだ。 その証拠に、御講の
参加人数は一向に増えていない。
村上は本行寺(東京・墨田区)の高野日海の娘婿で、宣行寺法華講は本行寺から信徒
を株分けしてもらって発足した。
同寺の自己申告によれば、平成九年には支部一千世帯を達成し、その後も、
毎年二百世帯の折伏を完遂してきたという。
ところが、講中の実態は名ばかりの講員づくり。例えば、講員の子どもの小・中学生
が寺に友達を連れて来ると、無理やり内得信仰扱いにして成果に入れるという事例も
あった。
月末近くになると講頭が「あと○世帯足りない」と訴えるが、月があけた途端に
「誓願達成」となる。
この不可解な折伏成果のタネ明かしを説明して回ると受けるだろう。
(つづく)
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