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科学と疑似科学とを判別する

74Ken:2018/06/16(土) 19:21:25 ID:kxVV28RY
>>72

正しく理解ができたか心もとないのですが、すると「素粒子Xが存在する」というのは事実の検証であり、本来理論を対象とした反証可能性にはなじまないということでしょうか?

ガーディアン紙への寄稿でドーキンスは、進化は反証可能と述べています。

〜どうすれば進化を反証できるか:「カンブリアより前のウサギの化石」〜
(原文)
when asked what might disprove evolution: "Fossil rabbits in the pre-Cambrian."

つまり、進化は「事実」ではなく「理論」なのですか?

75diamonds8888x:2018/06/18(月) 06:08:13 ID:YTgYp/xY
>>73
 論理式に詳しくないとは存せず失礼しました。式の方が明確ですし、以前の恐竜の力学の議論ではそれが通じやすかったものでつい。違います(^_^)、論理式で明確に語るのは常識と思ってましてm(_ _)m。

 一般にxは対象を示し、P(x)は対象xについての命題を示します。【xは条件ではありません。】
  "∀xP(x)" すべてのxはPである。
"∃x¬P(x)" Pではないxが存在する。

 例)x=カラス  P=黒い
   x=生物   P=進化する
   x=朝の太陽   P=東から昇る
   x=生物の進化過程   P=ランダムな変異と自然選択により起きる(進む)


 後半の件ですが、ちょっと私の文章が拙かったようですね。修正します。
  「ただ、多くの「理論」は "∃x¬P(x)" という形ではなくて 」
  ==>「ただ、多くの「理論」は "∃xP(x)" という形ではなくて」

 それに途中を飛ばしていたみたいですね。言いたかったことは次のことです。

 多くの理論Aの形は  A=∀xP(x) である。
   xが無限にあれば、完全な検証は永遠にできない。つまり、100%の検証は不可能。
  そこでAの否定をとると ¬A=∃x¬P(x) となる。
     (古典論理の定理or公理ですが、意味を考えれば正しい論理だとわかるでしょう)
   この命題¬Aの検証、すなわち反証ならば、なされる可能性がある。【あくまでも可能性が】

 そこでポパーの提唱は次のようなものです。
  もし¬Aが検証可能(つまりAが反証可能ならば)、理論Aは科学的理論である(またはその資格がある)。
  もし¬Aが検証不可能ならば、理論Aは科学的理論とはいえない。

 では B=∃xP(x) の形の理論Bではどうなるだろうか? <== 私の考え
  この場合は、理論Aのような原理的な検証不可能性はない。
  むろん具体的な命題Pが検証不可能かも知れず、その場合は科学的理論とは言えないかも知れない。


 まとめと繰り返しになりますが、検証すべき対象が有限集合ならばしらみつぶしに検証できる可能性があるかも知れませんが、検証すべき対象が無限集合だと100%の検証は不可能です。しかしこの場合も反証ならば、できる可能性があるかも知れません。つまり無限集合の場合は、検証は原理的に不可能なので反証が否定され続けることで我慢する、ということになるのです。これまで何百万回も反証が否定されていたとしても、将来反証が肯定されないとは断定できません。という意味で、「科学は暫定的だ」と言われるわけです。

76diamonds8888x:2018/06/18(月) 06:09:56 ID:YTgYp/xY
>>74

>正しく理解ができたか心もとないのですが、すると「素粒子Xが存在する」というのは事実の検証であり、本来理論を対象とした反証可能性にはなじまないということでしょうか?

 「素粒子Xが存在する」というのが事実か理論かは、実はちょっと難しい話になりそうですので、お待ちください。


 「事実の検証」が多くの場合に反証可能性にはなじまないというのは、おっしゃる通りだと思います。この観点は私が読んだ科学哲学の本などにも載っていなくて、ここは私独自の考えになります。いや実は載っていたのに読んだ当時は私に問題意識がなくて素通りした可能性もありますが。しかし普通は「事実」と言えば、ある時点のあるひとつの出来事を指しますから、それを直接検証すればいいはずです。ていうか、この場合、「事実Aを検証する」というのは「事実¬Aを反証する」というのと同じですよね。全称命題ではないので、検証と反証とに対称性が成り立つということになるでしょう。


 科学哲学では多くの場合に「理論」を対象にしていて、「事実」は「理論」を検証するための材料として出てくることが多いのです。この場合の「事実の検証」はできることが前提です。

 けれど実際には検証が困難な事実もあります。例えば遠い過去の事実、現在の技術では検証困難な事実、遠く離れた場所の事実、などなど。

 また未来の事実は通常は予測するものであり、その時点が現在になったときに検証するものです。そして、予測と検証との一致度から予測に使った理論を検証します。


>進化は「事実」ではなく「理論」なのですか?

 どちらも含みますよね。過去の「事実」を指すこともあります。(以下は単なる例示であり、検証された事実かどうかはコメントしない。)
  ・〇〇年前にヒトとチンパンジーは分岐した。
  ・××頃に陸上脊椎動物が出現した。
  ・〇〇頃にデザイナーが赤道付近の大陸でテイラノデザウルスの進化に干渉した。

 また「理論」を指すこともあります。が、「事実」を指す進化と区別するために、進化理論とか〇〇説、〇〇論ということも多いですよね。

 引用された、ドーキンスの投稿の中の " J B S Haldane" の言葉ですが、少々略されているみたいなので意訳になりますが、
-----------------------------------
 As the great biologist J B S Haldane growled, when asked what might disprove evolution: "Fossil rabbits in the pre-Cambrian.

  (前略)何が進化を反証するのかと尋ねられた時に、不機嫌そうに、「カンブリア紀以前のウサギの化石さ」(と答えた。)
-----------------------------------

 内容からみて Haldane が想定したのは「生物は進化する」という「理論」でしょう。もっと細かく言えば、
  理論:(すべての)生物は進化する。(過去にも現在も未来も、すべての時点で)。
  検証:過去に生物は進化していた。

 さらにこの検証を分解すれば、こんなものですかね。
  もし「生物は進化する」ならば、過去の生物の痕跡(化石など)は時系列で進化した順に並ぶだろう。
  ゆえに、もし時系列で逆転した痕跡(例えばカンブリア紀以前のウサギの化石)が発見されれば、この理論は反証される。

 ダーウィンの進化理論が複数の理論から成る、ということは既に御存知ですよね?

77Ken:2018/06/18(月) 23:48:52 ID:kxVV28RY
災害は突然にやってくる・・・今は遠隔地にいますが、もともと関西人の私にとってニュースに現れる地名は馴染みの深いものばかりです。地震予知はまだ未来技術なのですね。


さて、どうも「事実」か「理論」かは問題ではないように私には思われます。wikipediaの反証可能な仮説の例に「太陽は東から昇る」「すべてのハクチョウは白い」等、どうみても理論ではなく事実の記述があります。

ただしいずれも対象がdiamonds8888xさんの言われる無限集合です。未来永劫、日の出を観察することも、ハクチョウをチェックすることもできないのだから、反証で検証するしかないと考えるのでしょう。一方、新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。あるいは命題を裏返して、

〜モノポール(磁気単極子)が存在する〜

ではなく、

〜磁気はN極とS極のペアで存在する〜

という表現にすれば反証可能な仮説になる。同じことですね。


ただしドーキンスの「あらゆるまともな理論がそうであるように、進化も反証可能である」(Evolution, like all good theories, makes itself vulnerable to disproof)という主張には、まだ納得ができません。

この寄稿の中でドーキンスは進化とIDを対比させ、前者のみが反証可能な(つまりまともな)理論だと主張しますが、前に述べたように進化とIDを対比させるのがそもそも誤り(ドーキンスが意図的にやったなら欺瞞)なのです。IDは進化のメカニズムを述べる理論だから、その対立概念は、同じく進化のメカニズムを述べるダーウィニズムでなければなりません。でも、ダーウィニズムは反証が可能でしょうか?

ダーウィニズムとは、ある環境で棲息する生物群中に子孫を残して繁殖する能力に優劣があり、優位生物が劣位生物を淘汰することで進化が起こるというものでしょう。例として、煤煙で黒くなった町では黒い蛾が保護色という優位性を利用して繁殖することが挙げられます。では、この理論はどうすれば反証できるでしょうか?

たとえば黒くなった町で白い蛾が繁殖し黒い蛾が淘汰されたら反証になるのでしょうか?

そう単純なものではないでしょう。保護色は生存に有利な条件ですが絶対の条件ではありません。むしろ目立つ色の生物が多くいる事実は、目立たないのが有利とは言いきれないことを示します。たとえばある種のカエルは毒性の体液をもち、目立つ体色で捕食者に警告します。

また、目立つ目立たないとは別の理由で有利な体色が変わることもあります。紫外線量に影響される人間の肌がよい例でしょう。スキーで雪焼けするように、白い環境の中で肌が黒くなるという、保護色とは逆の現象も起こります。

こう考えると、ダーウィニズムへの反証としては、黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分で、その環境に白い色を利する要素がないことを明らかにせねばなりません。「ない」ことを証明するのだから、これまた悪魔の証明です。

そうなると、ダーウィニズムもまた反証不可能ということになりませんか?

78diamonds8888x:2018/06/23(土) 05:13:43 ID:XYloaAbM
>>77
 まず、私が[>>71]でやった事実と理論との分類に従えば、「太陽は東から昇る」「すべてのハクチョウは白い」はいずれも事実ではなく理論です。練習問題として考えてみてください。これを事実と考えたなら、私の考えが十分には理解されていないことになりますので、必要なら御説明します。でもまずは練習問題として考えていただいた方が、遠回りでもきちんと理解していただけると思いますので。

 ヒントとしては「〜ならば〇〇」といった前提と結論の形に変える試みをしてみること、理論とは観測された事実を元に未観測の事実を予測することに使うものであること、を挙げます。


>一方、新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。

 素粒子の件は[>>76]で難しいからお待ちくださいと言いました。今回は「反証可能性は必要がない」という簡単なことではないとだけ言っておきます。


 後半の黒い蛾と白い蛾の問題ですが、これも証明や反証をしようとしている理論を明確に捉えていないようですよ。この事例で反証しようとしている理論を、まずきちんと書き出してみてください。話はそれからです。私が書き出して示すこともできますが、Kenさん御自身でまずやってみた方が、理解が深まるはずです。
 ひとつヒントですが、具体的に反証ないし証明しようとする場合には、それは複数の理論を合わせたものであることが多いのです。
 また検証なり反証なりをする場合、例えば実験で検証しようとすれば、実験条件の考慮も必要です。

 関連して念を押しますが、ダーウィンの進化理論が複数の理論から成る、ということは既に御存知ですよね?
 「ダーウィニズムもまた反証不可能ということになりませんか?」と書かれた時のダーウィニズムとは具体的にどんな理論であるかは、きちんと意識できていますか?

 【速すぎませんか?】ID理論のような進化理論を論ずるのは基準の議論が終わってからとおっしゃってましたよね? もうここで進化理論の事例に入ってもいいのですか?
 私の方は、進化理論も基準を論ずるための一事例として使うのは構いませんが、基準のことがはっきりしてから、それを進化理論に当てはめようというのがKenさんの心づもりだったと思っていましたが?

79ゲジゲジ:2018/06/23(土) 06:59:31 ID:g.ik6Tas
ヨコからですが、ヒントと言いますか感想と言いますか・・・
勿論、もともとKen様、Diamonds8888x様お2人の議論の場と承知してますので、お返事は不要です。

① 神様は存在する。
② 霊魂は存在する。
③ 光の媒質エーテルは存在する。
④ 磁気単極子モノポールは存在する。

上記命題のうち、一般に①と②は科学的仮説としてはNGだと考えられていますよね。
では①、②と③、④との違いは何なのでしょうか?
その辺りが議論の「キモ」になりそうに感じます。

Ken様は
 >>77
 >新しい素粒子なら、それを探すのが宇宙線であれ粒子加速器の内部であれ、
 >素粒子が見つかるまでの「有限」な対象なのだから、反証可能性は必要がなくなります。
と仰っていますが、その理屈だと神様でも霊魂でも、この広い宇宙のどこかには存在しているのかもしれない。それが見付かるまでの「有限」な対象、という事になってしまいますね。

で、そこを踏まえて
⑤ 生物の進化に介入した人知を超えた設計者「ID」は存在する(した)。
⑥ 生物の進化に介入した人間以外の知的生命「ID」は存在する(した)。
というのはどうでしょうかね? というのが最終的に議論の行き付く先なのでしょう。



それから
 >>77
 >ダーウィニズムとは、ある環境で棲息する生物群中に子孫を残して繁殖する能力に優劣があり、
 >優位生物が劣位生物を淘汰することで進化が起こるというものでしょう。
違いますよ〜〜、ダーウィニズムは×××ですよ〜、と突っ込もうと思ったのですが、
Diamonds8888x様の
 >>78
 >Kenさん御自身でまずやってみた方が、理解が深まるはずです。
を読んで、余計な事しなくて良かったな、と感じております。

 >ダーウィニズムへの反証としては、黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分で、
 >その環境に白い色を利する要素がないことを明らかにせねばなりません。
黒い環境で白い蛾が繁殖するだけでは不十分なのはその通りですけれど、白い色を利する要素がないことを明らかにせねばならない、というのは全く見当違いですね。敢えてこれ以上は突っ込みませんが。

80Ken:2018/06/25(月) 23:22:00 ID:kxVV28RY
まず、進化論の話をしたことについて。

たしかに、あまりしないように心がけてはいますが、疑似科学の実体を明らかにする段階で本当に避けようとしてるのはID論なのです。たとえば2つの仮説AとBがあり、ある事象がAでは説明できないからBが正しいという論法の正当性を示すために「ID論がそうしている」といっても、diamonds8888xさんには納得していただけないでしょう。ですから今はdiamonds8888xさんが正しい科学と認識されているのが確実な理論だけを例に挙げており、ダーウィニズムはその1例です。

素粒子については、「磁気は双極子である」という仮説が∀xP(x)なら「モノポールが存在する」は∃x¬P(x)だから、前者は反証可能であり、よって後者の反証可能性は問題にならないのではと考えました。私の理解不足かもしれませんので、今後のご意見をお待ちします。


さて、ダーウィンの進化論は複数の理論から成ることを私が理解しているかというお尋ねですが、「複数の理論」ではいろいろな解釈が可能で、答え方を迷います。

地球には多様な生物が存在します。ヒト、イヌ、トカゲ、キノコ、トウモロコシ、ゾウリムシ・・・・各生物がどういう進化を辿ってきたかで1つ1つ理論を組み立てれば、複数どころか無数の理論があることになります。

もしくは進化の特徴をいくつかのカテゴリーに区分したのが「複数の理論」なのでしょうか?

たとえば、生物個体が長く生存することで多くの子孫を作るようになる進化があります。黒い環境で黒い蛾が増えるのはこれですね。

また、限られた時間に作る子孫の数を増やす進化もあります。植物が花に蓄えた蜜で受粉を助ける昆虫を引き寄せたり、動物が異性の視覚や嗅覚に訴えてパートナーを獲得するのが例です。

生物を子孫という製品を作る工場になぞらえれば、前者は操業時間を増やすこと、後者は生産効率を上げることに相当します。

作った製品を保全することも1つです。脊椎動物では鳥類と哺乳類の親が子を保護して育てますが、そういう本能を獲得するという進化が起こったのでしょう。

「複数の理論から成る」とはこのようなことを意味するのでしょうか?
ちなみに、反証ができるのかと私が問いかけたのは、このような理論のことです。

それとも「複数の理論」とは、自然選択の前提となる事実でしょうか?

*生物の形質は親から子に遺伝する
*遺伝は100%確実ではなく時として変化を生じる
*環境が許容できる生物の量は有限で、生物間の競争と結果としての優勝劣敗が起こる

もしくは、このどれでもない、別の切り口を意味するのですか?

81ゲジゲジ:2018/06/26(火) 19:32:53 ID:AObOWKyw
度々ヨコからすみませんが…

 >「複数の理論から成る」とはこのようなことを意味するのでしょうか?
 >ちなみに、反証ができるのかと私が問いかけたのは、このような理論のことです。
Ken様が挙げている例は、「理論」ではなくて「事実」とその「事実に対する解釈」ではないですか?


 >それとも「複数の理論」とは、自然選択の前提となる事実でしょうか?
 > *生物の形質は親から子に遺伝する
 > *遺伝は100%確実ではなく時として変化を生じる
 > *環境が(略)生物間の競争と結果としての優勝劣敗が起こる
こちらが「事実」ではなく「理論」です。
勿論、diamonds8888x様が仰る「複数の理論」とはこちらの事です。
Ken様が挙げられている3つだけではないですし、上記の3つも表記として不正確な点はありますが。


diamonds8888x様のコメントに
 >>55
 >理論の例は、落体の法則、万有引力の法則、子は親に似る法則など、
 >多数の似たような事実に共通なことを述べたものです。
 >これにより、未知の事実の予測や推測ができるのが理論です。
とありますよね。

ここの認識がずれていると、この先の議論がかみ合わなくなると思いますよ。

82diamonds8888x:2018/06/27(水) 05:04:38 ID:XYloaAbM
>>80
>ですから今はdiamonds8888xさんが正しい科学と認識されているのが確実な理論だけを例に挙げており、ダーウィニズムはその1例です。

 論理の筋道がよくわかりませんが、

・誰がどう考えようが、進化に関する対立仮説として評価しようとしている理論は平等に扱うのがよいのではありませんか?
・ID論もダーウィニズムも同じテーマに関するものであり、基準に当てはまるかどうかを考えるときの難しさは同じようなものだと考えるのが妥当でしょう。今は基準そのものを議論している段階ですから、もっと簡単な事例を使う方が確実だと思います。(太陽の例やハクチョウの例とか)。
・ダーウィニズムを否定することでID論の妥当性の根拠になる、という論法を使うならば、ダーウィニズムを議論することはID論を議論することになっているはずで、「事例としてID論を使わない」ことになるかどうかは微妙ですよ。


 複数の理論については私のブログの記事([ttps://blog.goo.ne.jp/diamonds8888x/e/f8ccdf734deea38fc70dd3f026acf0c3]から4連載)を御参照ください。この記事だけでも要点はわかると思いますが、出典も示していますので、詳しくはそちらもどうぞ。


 ゲジゲジさんのコメント[>>81]も的確ですが、こちらはむしろ、太陽の例やハクチョウの例が理論であるという話、理論と事実との区別の話のために参考になると思います。

83Ken:2018/06/27(水) 22:54:33 ID:kxVV28RY
これまで科学と疑似科学の判定基準が示されたとき、私からの反問は同じ基準があらゆる仮説に等しく適用されるのかというものでした。

ID論は干渉者の正体を特定できない ⇒ 光波動説も媒質を特定できなかった
仮説は観測で検証されねばならない ⇒ ブラックホールの内部は観測できるのか
仮説は反証可能でなければならない ⇒ 素粒子の存在はどうやって反証するのか

ここでもし例に挙げた仮説(光波動説、ブラックホール内部の考察、素粒子の実在)も疑似科学であると回答されたら問題は決着しますが、これまでのところdiamonds8888xさんからそのような回答はきておりません。

それではもし、たとえばdiamonds8888xさんが挙げられた「基準02」に対して、

理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない ⇒ ID論はまさしくその論法で「検証」とする

と反問したらどうなるでしょうか? 現状ではdiamonds8888xさんからの回答は「だからIDは疑似科学」になるのではありませんか? ドーキンスの論点もそこにありますし、7年前の議論で数名の方が強く主張されたことでもあります。

今の段階で基準への反問にIDを出さない理由は反問にならないからです。一方でダーウィニズムを例に挙げたのは、ダーウィニズムが疑似科学という回答は来ないだろうと予測したからです。

もっともこの件は目下の重要課題とは思いません。ID論にせよ進化論にせよ、できれば例に出したくないとは思いますが、どうしても必要なら出すことでしょう。


「複数の理論」についての記事を読ませていただきました。反証が可能なのかと問いかけたのは5の自然選択説です。どのような事象が観測されたら自然選択は否定されるのでしょうか?

84diamonds8888x:2018/06/28(木) 05:51:49 ID:XYloaAbM
>>83 【今は基準の話でしょう?】

 今挙げられた、ID論(進化理論)、光波動説、ブラックホールの内部観測、素粒子の存在、への基準の適用は難しいですよ? まあ光波動説あたりは幾分やさしいかな? どうだろ?

 例えば後半2件は、理論の検証ですか? それとも事実の検証ですか? そこから足場を固めねばなりません。

 そして今までのコメントを読む限り、Kenさんは「反証可能性」についてさえ具体的にどう当てはめるのかという理解が不十分です。十分ご存知と思いますが、専門用語というものは、語感だけから日常用語の延長で理解しようとしても誤解することも多いのです。まずは、私の提示した基準を簡単な例に当てはめるとどうなるかという点を理解してから、次に進んでください。法律を理解する前に、何かをしようとしたら、間違えて違反するかも知れないでしょう?

 それが心配で、まずは基準を決めろという話だったんですよね?
 それに【早くも基準02の話ですか】? いや、同時に考えた方が理解しやすいということであれば、それでいいのですが?


 そもそもまずは、理論と事実との識別が大切です。

 この件では書き忘れたことがあります。理論は事実の観測により検証するものですので、同じ命題が他の命題との関係により、事実と見なされることもあれば理論と見なされることもあり得ます。つまり、ある命題が事実(正確には事実の記述)であるか理論であるかは、文脈に依存する相対的なことだと言えます。
 なので、[>>78]で「いずれも事実ではなく理論です」と断言してしまったのは少し拙かったですね。ただ、「どうみても理論ではなく事実の記述」というのは、かなり拙かったもので。


>反証が可能なのかと問いかけたのは5の自然選択説です。どのような事象が観測されたら自然選択は否定されるのでしょうか?

 了解しました。では進化理論に関する話は、基準の話が終わってからということで。
 一応、ミケさんが「トンデモネタに対する突っ込み用情報ソース備忘録」に例示してますから参考にされてもいいですけど、今議論中の基準に当てはめて考えようとすると、なかなか難しいかも知れません。

85diamonds8888x:2018/06/29(金) 05:09:57 ID:2JWglbMs
>>84
 「事実」という言葉は、確認された事実、検証済の事実といった意味を含んで使われることが多いです。しかし、「未来の事実を推測する」「歴史的事実を調べる」などの使い方では、確認されたとか検証済とかいう意味は含まれていません。

 このスレッドの議論では「事実を検証する」「理論の検証のために事実を確認する」といった行為を扱いますから、「事実」という言葉は検証済みとか確認済みとかいう意味は含まない、広い意味で使います。

 まあ文章の行きがかり上で、単に正しいことという意味で事実という言葉を使うこともあるかも知れませんが、誤解のないように、誤解させないように、注意したいと思います。

86Ken:2018/06/30(土) 00:04:06 ID:kxVV28RY
はじめに、>>83の投稿は、自然選択の反証について質問した最後の1文を除き、すべて>>78

>ID理論のような進化理論を論ずるのは基準の議論が終わってからとおっしゃってましたよね? もうここで進化理論の事例に入ってもいいのですか?

と尋ねられたことへの返答で、議論の本筋から外れたものです。基準02に言及したのも基準02を論じるためではなく、今の段階でID論を例に出さない理由を説明するのに利用

しました。余計なことを言って混乱を生じたと反省しています。

あらためて、

*現在の論点は基準01(反証可能性)です。
*IDを例に出すことは私からはありません。
*教科書に載っているような進化論は必要があれば例に出すかもしれません。


>専門用語というものは、語感だけから日常用語の延長で理解しようとしても誤解することも多いのです。

なるほど、物理学で「仕事」や「エネルギー」というと、日常語の意味とはかけ離れたものになりますね。それと同様の事情であると理解します。


さて、>>72

>天文学ならば、星の運行の記録が「観察事実」の記録であり、そこから見出される規則性が「理論」です

と述べられたのはおもに16世紀から17世紀の歴史を語ったものですね。

ティコ・ブラーエは生涯を天体観測にささげ、とくに惑星(当時は太陽と月もplanetと呼ばれました)の位置を詳細に記録しました。彼が世に残したのは「事実」です。

ケプラーはブラーエの記録を受け取り、それを解釈することで惑星運動の法則を発見しました。

1.惑星は太陽を焦点に楕円軌道を描く
2.惑星の面積速度は一定
3.公転周期の2乗と公転半径の3乗の比は全惑星で同じ

これは「理論」であり反証可能です。この法則から1年後の木星の位置を予測すれば、理論を用いて事実を予測するわけで、予測が外れたら反証になるわけですね。

さらにニュートンは、ケプラーの法則は、天体だけではなく万物の動きを支配するより根源的な法則から導かれることを発見しました。それが運動の3法則、

1.外力が働かない物体は等速直線運動を続ける
2.質量と加速度の積が力
3.作用には等価で逆方向の反作用が伴う

そして万有引力の法則

4.2つの物体間には、質量の積に比例し距離の2乗に反比例する引力が働く

です。

これも「理論」であり、もしも同じ質量に2倍の力を加えて加速度が3倍になったら第2法則は反証されます。また(かつての私もそうでしたが)機械の設計者はニュートン力学のような理論を用いて、自分が設計する機械がどのように動くかという事実を予測します。


「事実」と「理論」について、ここまでの理解に間違いはありませんか?

87Ken:2018/06/30(土) 00:37:23 ID:kxVV28RY
正直なところ、ここの掲示板を見るまで、自分が反証可能性のことを知らなかったことに首をかしげております。

私は、四半世紀も昔とはいえ、機械工学科を卒業してエンジニアとしてメーカーに就職し、当初の数年は機械設計を、その後は情報部門で働いてきました。

また、歴史が趣味で、いろいろな科学理論がどういう経過をたどって構築されてきたか、とりわけ、

天動説と地動説
光粒子説(ニュートン)と光波動説(ホイヘンス)
膨張宇宙論(ガモフ)と定常宇宙論(ホイル)
不確定性原理の肯定(ボーア)と否定(アインシュタイン)

のような論争の話は関心をもって読みました。

それぞれの理論構築や論争が行われる中で、当然ながら反証可能性は議論されたはずですが、なぜかそれについて読んだ記憶がありません。

私が読んだ本の著者(アジモフもその1人ですが)が、偶然言及しなかっただけかもしれませんが。

88ミケ:2018/06/30(土) 10:15:39 ID:hmI6xcyU
>>87
なぜか読んだ記憶がない……だからどうしたというのでしょうか?
まあ逆に言えば、それを知らなかったからこそID論に騙されちゃったのでしょうね。

こういう、どうでもよさそうな感想はdiamonds8888xさんも返答に困るでしょうし、
>>27もそうですが、不誠実な印象操作のようにも思えてしまいます(>>28参照)。
(まあここを見ている人はそういうものに騙されることは少ないでしょうけど、見ていて気持ちの良いものではありません)
議論そのものに集中したほうが良いのでは?

今回は議論と関係なさそうな「どうでもよさそうな感想」だったのであえて横から書きました。

89diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:28:41 ID:2JWglbMs
>>86
 力学についての事実と理論については、おっしゃる通りです。間違いありません。ついでに、「事実であるか理論であるかは相対的」[>>84]と書いた点について少し述べます。

 ケプラーの法則は天球上の惑星の運行という事実を説明するために考えられた理論です。この理論では次のような予測が可能です。

 火星は過去の運行(という事実)の記録によれば太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いてきた。ゆえに将来も同様な楕円軌道上を動く。これにより将来の火星の位置が予測できる。
 水星・金星・地球・火星・木星・土星はすべて太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いている。ゆえに、未発見の惑星があったとしたら、その惑星も太陽をひとつの焦点とする楕円軌道上を動いているだろう。

 実際には2番目の予測がなされたことはなかったのでしょうけれど。

 さて、ケプラーの法則を事実と考え、それを説明するために考えられた理論が万有引力の法則です。この理論のおもしろいところ、すごいところは、惑星の運動のみならず、地上の物体の落下運動をも説明していることです。あらゆる物体は質量に比例する引力を他の物体に及ぼすという単純な仮定を持ち込むだけで、まさに万物の運動を予測する理論ができたのです。

 そのためニュートンの法則は、当時知られていた5惑星のみならず、未だ知られていなかった惑星の運動が楕円軌道であること、さらに彗星のように放物線軌道や双曲線軌道もあり得ることをも予測できましたし、多数の天体が接近したときの複雑な運動さえも予測可能となりました。そして現在もその予測を的中させ続けているわけです。ケプラーの法則では放物線軌道は予測できませんよね。


> *教科書に載っているような進化論は必要があれば例に出すかもしれません。

 その意図は、教科書に載っているような進化論(現代の総合進化説ですよね)は内容が明確なので考えやすい、ということでしょうか? でも私はお薦めしません。

 例えば、その理論の反証可能性を考えるというような、理論の科学哲学的評価の難しさは、理論そのものよりも扱う対象の性質で決まると私は考えています。例えば、進化を扱うことと上記のような天体運動や力学を扱うこととは異なる点があり、そのために評価の難しさはダーウィン理論でもID論でも、はたまたラマルク理論でも今西理論でも似たようなものがあると思います。

90diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:29:55 ID:2JWglbMs
>>89
 ところで[>>70]で基準01(反証可能性)と書かれていますが、基準01は「反証可能性のない理論は科学的ではない」というものではありませんよ。それは認識されていますよね?
 [>>56]では(「反証可能性のない理論は」だと範囲が曖昧でしょうから)とことわっておきましたし。

 そもそも反証可能性だけで科学的ではないと断定できる場合はあまり多くなくて、反証可能性の判定が難しいとか、反証されてもハードコアを守って変身してしまうとか、色々と批判もあるのです。ポパー自身が自然選択説は反証不可能と考えて後に撤回したこともあるくらいで。
  Ref) 伊勢田哲治『カール・ポパーの生い立ちと哲学』[ttp://ocw.nagoya-u.jp/files/45/sp_note03.pdf]
   「彼はダーウィニズムはほとんどトートロジー的であると考え、そのため経験的にテスト可能ではないと考えたからである」(出典あり)

 ただ「反証可能なように理論を明確にする」ことは必要だし、そのために反証可能性について知ることは大切なので、基準01そのものではなくとも関連する話題として、今は反証可能性の議論を続けています。

91diamonds8888x:2018/06/30(土) 15:41:03 ID:2JWglbMs
>>87【雑感です】
> それぞれの理論構築や論争が行われる中で、当然ながら反証可能性は議論されたはずですが、なぜかそれについて読んだ記憶がありません。

 普通の数学書で、わざわざ数学基礎論に触れることはほとんどありませんから、それと同じことでしょうね。ともあれ、今回、反証可能性について知ることができることは慶賀のいたりです。

 そもそも科学的思考の訓練を受けて、それを現場で使い続けている人々には「反証可能性は〜」とか大上段に振りかぶる必要などありません。素直に科学的に正しいと思う思考をすればいいだけなのです。昔、中国や日本の数学者達がギリシャ由来の論証数学に接したときに、「そんな当たり前のことをなんでわざわざ証明なんかするのか?」という反応だったそうですが、似たようなものかも知れません。まあ、当たり前すぎるからこそ、改めて「なぜそれが科学的と言えるのか?」と正面から問われると非常に答えが難しくなるのですが。

 別の見方をすれば、アリは教えられなくても正しく仲間の付けた道をたどりエサにたどり着きます。でも「どうしてそれが正しいのか?」と問われてもうまくは答えられないでしょう。でも、アリにはそれが正しい方法だとわかります。人はアリがどのようにそうしているかがわからないので、色々と観察してその方法を明確にしようとするわけです。科学哲学者は、科学者というアリを観察して、その行動の理由を理論化しようとする「人」であるという比喩が成り立つと思います。

 アリが正しい行動をとるのに、人の理論に頼る必要は必ずしもありません。優秀なアリほど、実戦の場では科学哲学なんか要らないんですよ。むしろ、優秀なアリの行動を観察して科学哲学が学び、そして理論を立てるのです。

 もちろん科学哲学者の場合は、自分でも何が科学的に正しい方法であるかはわかっているはずですけどね。


 そして人間の場合はアリとは異なり、科学的ならざる思考に陥ることもあります。そこから抜け出す時に科学哲学的理論付けが役立つこともあります。逆に、なまじ科学哲学的思考に中途半端に触れたために横道にそれちゃう恐れもあるのですけど(^_^)


【御注意】ミケさんも心配されてましたが[>>88]、あまり雑談に気を取られると本論に集中できない恐れはありますから御注意を。私もこういう雑談はきらいじゃないので、ついつい熱が入って横道にどんどん逸れるかも知れませんからね(苦笑)
  気の性かも知れませんが、ちょっとしたきっかけ(なのかどうか)で生じた著者に対する好き嫌いの感情が、その著者の唱える主張の妥当性の判断に強すぎる影響を与えるということが、Kenさんの場合はあるような気がするのですが? 誰しもそういう傾向はありがちでしょうけど、気を付けるに越したことはありません。

92Ken:2018/07/01(日) 17:26:19 ID:kxVV28RY
diamonds8888xさん

やはり、まだ分かりません。

結局、仮説が、疑似科学ではない、まともな理論であるためには、反証可能であることが必要なのか、そうではないのか?

ドーキンスの文章を見る限り必要であるという主張に思われます。

Evolution, like all good theories, makes itself vulnerable to disproof

しかしdiamonds8888xさんはそうではないと言っておられるようです。

>基準01は「反証可能性のない理論は科学的ではない」というものではありませんよ

一方で、

>「反証可能なように理論を明確にする」ことは必要

この1節は、結局、反証可能であることが必要ということではないでしょうか?
「理論を明確にする」ことは必要であり、理論が明確であることの判定基準が反証可能性であると、私には読めます。それなら反証可能性は必要なはずです。

意図されるところが伝わらなくてもどかしい思いをされるかもしれませんが、今の私の理解力を総動員した結果が現状です。申し訳ありません。

93diamonds8888x:2018/07/02(月) 06:11:22 ID:2JWglbMs
>>92
 ちょっと混乱させましたか。すみません。

 「反証可能性のない理論は科学的ではない」というのは正しいのです。しかし、これだけでは範囲が曖昧なのでKenさんが望む基準の趣旨には合わないと考えて、今回決めてみる基準としては採用しなかった、ということです。

 もしも「反証可能性のない理論は科学的ではない」をそのまま基準として使えばいいというならば、「科学的ではない論法は使わない」でもよいではありませんか。

94Ken:2018/07/03(火) 21:40:51 ID:kxVV28RY
>今回決めてみる基準としては採用しなかった

ということは、今後の議論の中で、ある仮説が反証可能であることを示せなくても、そのこと自体は疑似科学(正しくない科学)と判定する理由にはならない、すくなくともdiamonds8888xさんはそのようには判定されないということでしょうか?

もしかしたら、リチャード・ドーキンスとdiamonds8888xさんでは、科学・疑似科学の判定基準が異なるのでしょうか?

ドーキンスの文章をどう読んでも、反証できないことを疑似科学の十分条件と考えています。要するに、根拠のある仮説ならその根拠を否定する事実が観測されたら反証できるのだから、反証できない仮説イコール根拠のない仮説というわけです。

この結論でよろしければ、基準02の話に移らせていただきたいと思います。

95diamonds8888x:2018/07/04(水) 06:25:31 ID:2JWglbMs
>>94
 既に何度も書きましたが、私は「疑似科学」という言葉は使う気はありません。少なくともKenさんとの議論では。もちろん個々の命題が科学的方法から見ると間違い、という判定を下すことはありますが、それは個々の命題により様々な理由があるでしょうし、予測しきれるものではありません。
 その際にいわゆる「反証可能性がない」という判定ができれば、当然に「まずは反証可能性がある形にしましょう」と提案します。問題は、その命題が反証可能か否か、の判定が難しいものもあるかも知れないことですね。だから、もうちょっとブレイクダウンした基準がいいかな、と思った次第です。

 ていうかKenさんだって、ある理論があれば「それは検証されなければならない」とは考えるでしょう? であれば「検証できない形の理論」では困りますよね? 反証可能性というのは結局のところ、対偶の検証可能性ということですからね。

 でもまあ、「こういう理由で反証不可能だから、こうすれば反証可能になりますよ」という提案はなるべくしますよ。反対だけで対案を示さない、とか批判されてる方々もいますしねえ。

>もしかしたら、リチャード・ドーキンスとdiamonds8888xさんでは、科学・疑似科学の判定基準が異なるのでしょうか?

 さあ、訊いてみたことはないので知りません。でも、具体的にある命題を持ってきて科学的か否かの判定をしたら、私とドーキンス氏とはほとんど見解が一致するのではないかと・・・、うーん、それはやっぱりわからんかなあ。

>この結論でよろしければ、基準02の話に移らせていただきたいと思います。

 個人的には基準02の方が基準01よりも理解がやさしいと思いますので、先にやるのは構いません。

 しかし基準01の理解はまだ済んでいないのではありませんか? 「へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説」が非科学的な理論であるということは納得されているのですか? 他の異なる理論をみて、それが「へそ理論(オムファロス)や世界五分前仮説のような」理論だと判定できる自信はおありですか?


 それと基準02の話をする場合でも、私の定義した「理論と事実の違い」については十分に御理解いただかないと、話がすすまないと思います。いままでのコメントを読む限り、まだ十分に御理解いただいているとは思えません。

96diamonds8888x:2018/07/04(水) 07:04:12 ID:2JWglbMs
>>95
【「理論と事実の違い」について】
 例えば[>>78]の練習問題は挑戦してみましたか?

97diamonds8888x:2018/07/05(木) 06:26:10 ID:P3QJtzNA
【反証可能性理論はなぜ受け入れられるのか-1-】
>>95
>反証可能性というのは結局のところ、対偶の検証可能性ということですからね。

 ちょっと変でしたね。言いたかったのは、「科学的な理論は検証できなくてはならない」と認めるならば、「科学的な理論は反証できなくてはならない」ことも認めなくてはならない、ということです。

 そもそもKenさんには、「ドーキンスが反証可能性を科学的であることの基準にしているのはおかしいのではないか?」という疑問があるんですよね? 違いますか?
 では私の基準01からは拡張されてはいますが、つまりある意味では横道にそれはしますが、「反証不可能な理論は科学的ではない」ということが、なぜ多くの人に支持されているのかを少し丁寧に述べてみましょう。


 まず理論というものは未来の事実を予測したり過去の事実を説明したりするものですが、これは観測された事実に基づいて検証されなくては正しいとはみなされません。これを「理論をテストする」とも言いますね。どうすればテストできるか、どうすれば検証できるかという具体的方法を、科学者は常に考えて、それを実行しようとします。

 理論をテストするということは、その結果が理論の肯定になるか否定になるかはテストが終わるまではわからないということです。肯定的結果なら検証されたことになりますし、否定的結果なら反証されたことになります。すなわちテスト可能ということは、検証可能ということでもあり、反証可能でもあるということです。【ここでは具体的な一つのテストの話であることに注意。得られるのは有限回のテスト結果。】

 例えば新理論が提案されたときには、テスト方法がはっきりわからないか、わかってはいても技術的に実行が難しいこともあります。だからといって、「その理論は間違いだ」とか「その理論は非科学的だ」と主張するのは科学的な議論とは言えません。しかし、「テスト方法を提案しろ」と主張するは正当な議論です。もう少し穏やかに表現すれば、「一緒にテスト方法を考えてみませんか?」といったところでしょうか。これは最初から議論を拒否するということではなく、議論に入った中で普通に行われていることです。

 例えばこれまでも、進化理論の議論を進める中で、自然選択仮説のテスト結果についてKenさんから疑問が出て他の人達が答えたということは何回もありましたよね?


 しかし中には、どう見ても、つまりどのように修正したとしても、テスト方法がないだろうとわかる理論もあります。その例が、私が基準01で挙げた「世界5分前仮説」などです。


 さて一例として万有引力の法則を例に挙げて説明を進めます。「万有引力のテスト」とだけ言っても具体的ではありません。具体的には様々なテストが考えられます。  【続く】

98diamonds8888x:2018/07/07(土) 09:14:29 ID:P3QJtzNA
【反証可能性理論はなぜ受け入れられるのか-2-】
>>97 万有引力の法則は質量を持つすべての物体というとても広い範囲を対象とするので、多様なタイプの予測ができて、それに応じて多くの異なるタイプのテストが考えられます。例えば次のようなものです。むろん以下の予測には万有引力の法則のみならずニュートンの運動の3法則をも使いますから、これも合わせてテストしていることになります。

 ・未来の惑星の位置を予測して、確認する。
 ・過去の惑星の位置を推定して、確認する。
   (例えば未発見の天体観測資料が見つかって検証される、など)
 ・未発見の惑星の位置を予測して、見つける。(海王星の発見とか)
 ・ロケットや人工衛星の軌道を予測して、確認する。
 ・砲弾やミサイルの軌道を予測して、確認する。(空気抵抗等による修正は必要だが)
 ・地球の大きさと地上の物体に働く力とから地球質量を求めて・・・さて確認はどうする?(^_^)
 ・大きな山のトンネル内では物体が少し軽くなると予測して、確認する。
 ・重力探査から地下に岩石とは異なる密度の鉱物の存在を予測して、確認する。
 ・2つの金属塊の間に働く力を予測して、実際に測定し確認する。
  (キーワードは、近距離重力実験、万有引力実験器、など)
 ・えとせとら、エトセトラ、etc.

 いやー、ニュートンは偉大だ! ケプラーの法則では惑星の軌道しか予測できませんからねえ!!

 ポパーは反証されていない仮説が複数あるときの仮説の優劣判定の基準として「内容の豊かさ」を挙げています[内井惣七,3.6節]。上記の例ではニュートンの法則(万有引力+運動の法則)はケプラーの法則よりも内容が豊かなのです。


 上記のテストの中でも最も「直接的な」検証と見なせる「2つの金属塊の間に働く力の測定実験」を考えます。具体的な1回のテストは、ある日ある時ある場所での、ある質量の組み合わせの2つの金属塊をある距離に置いたときに2個の間に働く力の測定で、それがニュートンの法則に一致するかどうかが検証または反証されます。で、今のところは確実な反証結果は得られていないようですが、だからといって未来永劫、すべてのテストで反証されないかと言えば、それは厳密には保証できないことです。つまり、万有引力の法則が未来永劫すべての場合に成り立つことは、検証は不可能です。人類にできることは、そして実際にやっていることは、何回も何回も、反証されなかったことを確認することだけです。完全な検証というは無理なんだから、反証されないことを確認しつづけることで我慢しようよ、というのがポパーの反証可能性理論なのです。

 以上の例ではニュートンの法則(万有引力+運動の法則)もケプラーの法則も反証可能ですが、前者の方が反証実験ないし反証観測の範囲が広いと言えるでしょう。それがつまり、内容が豊かだということの証です。
 ニュートンの時代では技術的に可能な反証は天体運動観測と落体や投射体の運動くらいだったでしょうが、近距離重力実験も原理的には考えられる実験だったはずです。原理的に反証可能ならば(検証実験が考えられるならば)技術的には困難でも反証可能性がないことにはなりません。ただ「実験可能になるまでは判断保留」という扱いは受けるでしょうね。


 これ以上は、どう言葉をつくしても同じことの異なる表現による繰り返しになりそうですので、ひとまず納めておきましょう。

 なお、天動説と地動説との反証可能性というテーマについては長くなるでしょうから機会があれば別途また。

99Ken:2018/07/07(土) 11:21:44 ID:kxVV28RY
投稿を読ませていただいてます。

私自身は、diamonds8888xさんの言われる基準01や理論と事実の違いは理解できているつもりでいますが、現在進行中の説明が終わるのを待ってから確認したいと思います。

また、この「検証/反証可能性」に関しては、ブラックホール内部と素粒子の存在という2つの課題が保留になっています。

素粒子については、一旦私の方から、反証可能性は問題にならないだろうと提唱しましたが、diamonds8888xさんから待つようにという指示をいただいています。

ブラックホールについては、検証のやりようがない点で、世界5分前仮説と本質が同じではないかと思いますが、これもdiamonds8888xさんの最終解答をお待ちします。


>地球の大きさと地上の物体に働く力とから地球質量を求めて・・・さて確認はどうする?(^_^)

「地球を測定した」と称されるキャベンディッシュの実験は二百年以上を経た今でも、よくもそんな実験が成功したものだと、奇跡のように私には思われるのですが。

100diamonds8888x:2018/07/07(土) 22:03:38 ID:P3QJtzNA
>>99
>理論と事実の違いは理解できているつもりでいますが、現在進行中の説明が終わるのを待ってから確認したいと思います。

 いえ、この点だけは説明終了など待たずに早めに理解していることを示してください。基本的なところですから。

101diamonds8888x:2018/07/07(土) 22:12:48 ID:P3QJtzNA
>>100
>ブラックホールについては、検証のやりようがない点で、世界5分前仮説と本質が同じではないかと思いますが

 事実と理論の違いを御理解いだたいてから話すつもりでしたが、引き延ばしになっても拙いでしょうし、ヒントを書いておきます。
 世界5分前仮説は、現在の世界がこのようになっている理由を説明する理論です。
 ブラックホールについては、その内部が実際にどのようになっているかという事実を検証しようという話です。

102Ken:2018/07/08(日) 10:51:02 ID:kxVV28RY
それでは、

>世界5分前仮説は、現在の世界がこのようになっている理由を説明する理論です。
>ブラックホールについては、その内部が実際にどのようになっているかという事実を検証しようという話です。

???どちらも理論と事実の両方の側面があるのではないですか?

「世界5分前仮説」
〜この世界が5分前に、あたかもそれ以前から存在していたかのように装って作られた〜というのが理論
〜世界は10分前には存在しなかった〜というのが事実

「ブラックホール」
〜ブラックホール内部でも外部と同じ法則(とりわけ一般相対論)が働く〜というのが理論
〜ブラックホールの中心には特異点があり、時間が止まり、密度は無限大になる〜というのが事実

103diamonds8888x:2018/07/10(火) 05:32:47 ID:P3QJtzNA
>>102
 示された理論と事実とは、おなじことの2つの側面ではなくて、それぞれ2つの別のものです。では、各テーマにおいて、その理論と事実との関係はどうなっているでしょうか?

 そして各テーマでは、どちらからどちらを検証しようとしていますか?

 「世界5分前仮説」では、もうひとつの事実が役者として登場しますね。影の役者? いやー、いつもいるでしょう[>>101]。て、それは「ブラックホール」も同じか(^_^)。もうひとつの事実たち、かな。

104diamonds8888x:2018/07/10(火) 05:38:01 ID:P3QJtzNA
>>103
ちょっと訂正。いや、大きな訂正かも。

>どちらからどちらを検証しようと
 ===> どちらからどちらを検証しようと、それとも予測しようと

105Ken:2018/07/10(火) 23:45:37 ID:kxVV28RY
質問の意味を正しく理解できたか分かりませんが、

「世界5分前仮説」では、

世界が5分前に作られたという理論から、10分前には世界は存在しなかったという事実を予測する

「ブラックホール仮説」では、

重力が時間を遅らせるという理論から、ブラックホール中心では時間が止まるという事実を予測する

ということではないですか?

ただし、どちらの事実も検証するすべはありませんが。

>もうひとつの事実が役者として登場

?????????

106diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:02:55 ID:P3QJtzNA
 [>>105]で示された解答はどちらも正解です。ではもう一歩進んで私の考え方を、「世界5分前仮説」の例で説明します。

  事実A:現在の世界(0分時の世界)の観測事実
  理論:世界は5分前に作られた
  事実B:10分前には世界は存在しなかった

 ここで、事実A =(仮定)=> 理論 =(予測)=> 事実B
 さらに、理論 =(予測)=> 事実A

 すなわち、観測された事実Aに基づいて、言い換えると観測された事実Aを説明できるような理論を作り、その理論により、まだ観測されていない事実Bを予測します。そして実際に事実Bが観測できて正しいとわかれば、その限りにおいて理論が検証されたことになります。

 むろんこの例の場合は、事実Aを説明できる理論は「世界5分前仮説」の他にもいくつも考えられます。他の多くの理論では、「世界5分前仮説」とは対立する次のような仮定をおいています。

  過去理論a1)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     少なくとも個人の(特に私の)記憶にある昔以降は。
  過去理論a2)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     少なくとも人が残した記録にある昔以降は。
  過去理論a3)世界はかなり昔から存在し時間に沿って連続的に変化して来た。
     因果律を逆にたどって推測できるかぎりの昔以降は。


 さてここで、事実B「10分前には世界は存在しなかった」は原理的に観測不可能です。まさにタイムマシンでもない限りは。もちろん完全に対立する事実である事実¬B「10分前に世界は存在した」も同様です。したがって、「世界5分前仮説」と、それとは対立する他の仮説とのどちらが正しいのかということは、原理的に永久に検証不可能です。

 では、原理的に検証不可能な過去の事実というものを語ったり考えたり検証したりすることは、科学的には意味のないことなのでしょうか? Kenさんはどう考えられますか?

107diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:05:22 ID:P3QJtzNA
>>105 これは蛇足ですので返信は必要ありません。

 ちょっと注意しておくと「ブラックホール中心では時間が止まる」という予測はされていないはずです。外部解においては、「外部の観測者の視点では、事象の地平線に近ずくにしたがってブラックホールに落ち込む質点の時間が、徐々に進み方が遅くなる」という予測はよく知られています。厳密には止まった状態へ漸近する、ということですが、この状態を普通に「事象の地平線では時間が止まる」と言いますから、Kenさんの「止まる」という言い方も、外部解に適用したときの普通の表現として問題はありません。

 内部解については私もまだ正確には把握していませんので、ブラックホール問題を語るときにはちょっと抽象的な表現になるかも知れませんが御容赦願います。

 時間は観測者により異なるというのが相対性理論の結論ですので、どこの時間が誰にとって(誰から見たときに)止まるのかということを常に意識しないと言葉が独り歩きする恐れがあります。で、観測者自身から見た自分自身の時間(専門用語では固有時間)は止まることはありません。ブラックホールに飛び込んだ観測者自身の時間も、その観測者にとっては止まりません。では、その観測者から見たブラックホール内部や外部の世界はどう見えるのか、ということも内部解から予測できているはずなのですが、ここはまだ私も正確には理解していない段階です。

 ここでまた蛇足ですが、この観測者というのはむろん仮定的な存在で、大きさのない質点であり、どんな高重力のもとでもつぶれもしなければ観測を止めることもない不死身の存在です(^_^)

108diamonds8888x:2018/07/13(金) 06:07:54 ID:P3QJtzNA
>>106
 すみません。また誤植がありました。

(誤) さらに、理論 =(予測)=> 事実A

  ==>さらに、理論 =(説明)=> 事実A

109Ken:2018/07/13(金) 08:04:02 ID:kxVV28RY
とりあえず>>107について、(返信は不要とのことですが)

もちろんこれまで述べてきたのはすべて「外部解」の話です。だって内部に入った不死身の観測者にとっては、内部は観測可能なのですから。

「A:GPS衛星と比べて地上の時間の進みが遅れる」ことはすでに観測された事実
「B:重力が時間の進みを遅らせる」は理論

BがAを説明する

「C:事象の地平線に近づくと時間の進みが0に近づく」はBが予測する事実で観測(検証)可能

問題はこの次で、

「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」はBが予測する事実で観測(検証)不能

と理解しておりましたが誤りでしたか?

110Ken:2018/07/13(金) 19:58:58 ID:kxVV28RY
ブラックホール内部で何が起こるか自体が本題ではなく、観測不可能な対象が考察され事実が予測されているかが問題ですね。

111diamonds8888x:2018/07/13(金) 20:21:03 ID:P3QJtzNA
>>109

> 「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」はBが予測する事実で観測(検証)不能

> と理解しておりましたが誤りでしたか?

 ああ、なるほど。その理解は間違いです。外部解では「D:事象の地平線から向こうでは時間が止まる」という予測はされません。「事象の地平線から向こうは観測できない」というのが外部解での予測です。

 そして物理学者が考察しているとおっしゃるブラックホール内部の話というのは、もちろん内部解からの予測ですよ。

112Ken:2018/07/14(土) 14:12:32 ID:kxVV28RY
>>106

さて、議論の本題はこちらだと思われますが、

>では、原理的に検証不可能な過去の事実というものを語ったり考えたり検証したりすることは、科学的には意味のないことなのでしょうか? Kenさんはどう考えられますか?

意味がないとは思いません。というより、これは当初から言っていますが、私はアプローチが正しくないという理由でいかなる仮説を疑似科学と呼ぶことも、排除することも反対なのです。私のこの考えに沿えば、検証不可能ならそのことを受け入れて、考察できることを考察すればよいということになります。

ただ、リチャード・ドーキンスの主張、また7年前の議論で複数の方が強く主張されたのは、科学には正しいアプローチというものがあり、それに拠らない仮説は、正しい正しくない以前に、そもそも科学理論としての価値がないというものでした。そしてこの人たちのほぼすべてがID論がそうだと主張されます。それではIDの具体的な話をしても議論が成立しません。

ですから、今回はdiamonds8888xにお付き合いをいただき、世間一般で言われるところの正しいアプローチなるものの正体を明らかにしようとしています。それが明らかになり、その基準(私自身の基準ではありません)に照らしても、自分のID論を科学的仮説として提唱できると確認して初めてIDの議論を始めるつもりです。

113diamonds8888x:2018/07/14(土) 20:41:37 ID:XkzyOBUY
>>112
 私が[>>106]でお尋ねしたのは「原理的に検証不可能な過去の事実」についてですよ。「原理的に検証不可能な理論」についてではありませんよ。

114diamonds8888x:2018/07/14(土) 20:55:47 ID:XkzyOBUY
>>113
 少し舌足らずだったような気もしますので、別の質問も合わせて尋ねます。

 世界5分前仮説のことは、Kenさんはどう評価しますか?

 もちろんのことですが、私も「原理的に検証不可能な過去の事実」について予測・推測をすることは意味があると思っています。でもね、(検証不可能なのに)それは何故かと正面切って問われると、なかなか答えるのが難しいとは思いませんか?

115Ken:2018/07/14(土) 23:26:14 ID:kxVV28RY
>世界5分前仮説のことは、Kenさんはどう評価しますか?

〜世界が5分前に作られた、5分以上前には世界は存在しなかった〜

それを示唆する観測事実が何もないのだから、意味のない仮説だと思います。

もちろんドーキンスたちが「IDもそうではないか」と言っていることは承知していますが、私は、

〜自然選択では説明の困難な進化はIDを示唆する根拠となる〜

という立場をとりますので、事情が異なります。まだ基準02も論じていないので、深入りはしませんが。

>(検証不可能なのに)それは何故かと正面切って問われると、なかなか答えるのが難しいとは思いませんか?

くり返しになりますが、私(Ken)は、ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとりません。

提唱時には検証のすべがなかった仮説が歴史の中で多く登場したのですから。

116diamonds8888x:2018/07/15(日) 05:52:28 ID:XkzyOBUY
>>115
 この板での基本テーマは、Kenさんの「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的議論の上で妥当か否かということです。色々と表現が変ると微妙に意味や適用範囲が違ってくるきらいはありますが、それは多岐にわたるので都度ということにしましょう。

 過去にKenさんはいくつかの事例を上記の考えが妥当だという根拠として挙げました。

  天動説vs地動説の事例
   (「提唱時には検証のすべがなかった仮説が歴史の中で多く登場した[>>115]」に該当)
   (提唱時以降に検証のすべが見つかり検証された  )
  光の粒子説vs波動説の事例
   (  同上  )
  ブラックホール内部を予測する事例 (原理的に検証不可能に見える事例)


 Kenさんや他のこの板をお読みのみなさんの多くは既に薄々はお気付きかも知れませんが、私がやろうとしているのは、これらの事例が「Kenさんが擁護しようとしているID論(その実態を私はまだよく教えてもらってはいませんが)」が根拠を示そうとしない事例とは、「これこれの点で違うから根拠にはならない」ということを示してゆくことです。

 しかしそれは、上記3つの事例でそれぞれに異なる話になります。そして説明の下準備として、その違いがいかなるものかという点を、別のわかりやすそうな事例を出しながら示していこうとしているわけです。


 [>>113]の質問に対して、「くり返しになりますが、私(Ken)は、ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとりません。[>>115」」が返ってくるということは、まだ私の下準備の行き着く先が想像がつかないのだと思います。なので私の考えの説明に移りますが、もうひとつの方にもコメントしておきます。

>それを示唆する観測事実が何もないのだから、意味のない仮説だと思います。

 観測事実は「事実A:現在の世界(0分時の世界)の観測事実」であり、それは他の対立仮説でも同様ですが、「世界5分前仮説」にはなくて他の対立仮説にはあるという「示唆する観測事実」とは何ですか?

 ある仮説は検証不可能だから意味がないという立場をとらないならば、「世界5分前仮説」は意味がないと断ずる理由は、「検証不可能だから」とは別の理由ですよね?

 ID論のデザイナー存在仮説の場合には「それを示唆する観測事実」はあるとお考えのはずですが、それは何ですか?


 こちらは真剣に考えだすと頭が痛くなるかも知れませんから急にはコメントはいりません。でもID論に入る時には、「デザイナー存在仮説を示唆する観測事実」が何かは知りたいですね。


 さてこれまで事実と理論の違いや使い方(でいいかな?)を説明してきたつもりですが、それは「ブラックホール内部を予測する事例」のためであり、「世界5分前仮説」の話もこれと関連しています。ゆえにここでは、「天動説vs地動説の事例」と「光の粒子説vs波動説の事例」とはテーマではありません。

 と、大きなヒントを示しておいて詳しくは次のコメントに続きます。


【追伸】もしも「世界5分前仮説」に関する質問への答えが浮かんだならば、私の続きを待つことなくコメントしてください。私もそれにすぐ答えるかどうかはわかりませんが。

117Ken:2018/07/15(日) 09:48:57 ID:kxVV28RY
>>116

>「世界5分前仮説」にはなくて他の対立仮説にはあるという「示唆する観測事実」とは何ですか?

現在、世界の始まりを語る仮設として最も広く受け入れられているのは、100〜200億年前に「ビッグバン」が起こったというものですが、

1.宇宙が膨張している
2.宇宙には一様な背景輻射がある

という観測事実が根拠とされています。世界5分前仮説にはそのような根拠がありません。


>ID論のデザイナー存在仮説の場合には「それを示唆する観測事実」はあるとお考えのはずですが、それは何ですか?

自然選択では説明の困難な進化が観測されることです。ただし、

1.本当に自然選択では説明が困難なのか?
2.自然選択で説明困難としても、それがIDの根拠になるのか?(diamonds8888xさんの基準02に関わることですね)

という2種類の疑問(反論)が出されています。私は7年前に、1の話だけをすればよいと思ってここでIDの議論を始めましたが、複数の方から2の切り口からの反論が寄せられ、当時は有効な回答ができませんでしたので撤退しました。

今、diamonds8888xさんが「メタ科学」と呼ばれる科学と疑似科学の区別を論じているのは、7年前の経験を繰り返さないためです。

ですから、IDそのものを議論するのは、現在進行中の科学疑似科学論が決着してからということでよろしいでしょうか?

118diamonds8888x:2018/07/16(月) 06:35:18 ID:XkzyOBUY
>>116 【BH事例のややこしさとKenさんへの提案(文末に)】
 (以下でNGワードが消せなくてURLを省略した出典は検索してください)

 「ブラックホール内部を予測する事例」では、これは事実の予測であり、理論の検証ではない。理論の検証がなされなければ、その理論は使えないが、事実の予測をすることは、たとえその予測が実際に検証困難であっても、いや検証不可能であったとしても意味がある、という話を展開するつもりでした。

 が、[>>111]でのコメントの通り、[>>109]にてKenさんが少々内部解と外部解について誤解をしているらしいことがわかりました。だとすると上記の私の話も実は的外れかも知れませんので、まずこちらの話をしておきます。そもそも一般相対性理論が何を予測しているのかを正確に掴んでおかないと、この事例を使ってKenさんの主張の妥当性を語るのにも差し障りますから。

 【まず指摘】「もちろんこれまで述べてきたのはすべて「外部解」の話です。だって内部に入った不死身の観測者にとっては、内部は観測可能なのですから。[>>109]」ということは、内部の観測者にとって観測可能であっても意味はあると考えるのですね? その観測や内部の観測者の考察などを外部に伝えるすべがないとしても?
 であれば、外部解では内部の予測はしないのですから、そもそもKenさんのこの事例での前提が成り立ちません。
 とはいえ、話はそう簡単でもないので、以下の話になります。


 【まず私自身が"内部解"という用語の使い方を誤っていましたことをお詫びします】。普通は"内部解"とは"シュヴァルツシルトの内部解(Interior Schwarzschild metric)"を意味していて、これは「球対称で密度一定の星の内部の時空を一般相対性理論で解いたもの」です。解説は以下の2つ。

 1.英語版wikipedia "Interior Schwarzschild metric"
 2.あもんノート p20-26,図9.4(p26)

 注目すべきですが、どちらのグラフでも星の表面で内部解と外部解を接続していて、そこには事象の地平線はありません。つまりグラフに描かれているのはブラツクホールになってしまった星のことを予測した解ではないのです。実際問題として遠方の外部の観測者から見れば、ブラツクホール崩壊してゆく星の表面は【有限時間内には事象の地平線内部には落ち込みません】。ですので、シュヴァルツシルト半径より小さい星の内部解は答えは出ると思いますが、たぶん実際的意味はないのではないでしょうか。それとも何か別の解釈が考えられるかも知れませんが。


 さてこれまで私の使っていた内部解は「ブラックホールになってしまっている星の事象の地平線内部を予測した解」という意味です。たぶんKenさんも同じ意味で解釈していたと思います。そして、このような事象の地平線内部を予測として多数の解説が出回っているのは「星の質量が中心の1点に集中しているとした場合の事象の地平線内部の時空構造を解いたもの」で、クリスカル座標(Kruskal‐Szekeres coordinates)を使うと見やすくなるとされているものです。解説は、日本語では次が一番詳しいと思います。

  EMANの相対性理論、クルスカル座標[//eman-physics.net/relativity/kruskal.html]

 で、この意味での内部の時空構造解から、一体何が予測されるのかという点がなかなかややこしいのです。というのも、[>>107]でも書きましたが、誰の視点から見た予測かという点もありますし、もう1点として実際に光を見てわかる象と元の像とは異なるという問題もあります。


と前振りが長くなりましたが、【ここからKenさんへの提案です】。
 1.以上のようにBHの事例は具体的像そのものの理解がややこしいので、我々の本題の事例として取り上げるのは止めておきませんか?
 2.Kenさんが考えていた「BH内部を予測した物理学者」の予測は具体的にどんなものか出典付で示してほしいのです。(これは私の参考にしたいだけなので、今後BH事例を取り上げないなら、本題には必要ありませんが)。

119diamonds8888x:2018/07/16(月) 06:41:37 ID:XkzyOBUY
>>117
>私は7年前に、1の話だけをすればよいと思ってここでIDの議論を始めましたが、

 でしたらそもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞ればよいのではありませんでしたか? 1の話をするのに「だからID論も示唆される」とかいう余計なテーマを混ぜるから、ややこしくなったのではありませんか?

120diamonds8888x:2018/07/16(月) 14:03:21 ID:XkzyOBUY
>>107
>1.宇宙が膨張している
>2.宇宙には一様な背景輻射がある

 これって「世界5分前仮説」をも示唆してますけど?
 ・世界は5分前に、宇宙が膨張している状態で生まれた。
 ・世界は5分前に、宇宙には一様な背景輻射がある状態で生まれた。

 このように説明できるのですから、1と2は「世界5分前仮説」の根拠でもあります。


 本当に、頭が痛くなりそうだったら止めといてくださいね。科学哲学上で生まれた屁理屈に対応するのは、並み大抵のことではないのですよ。

121Ken:2018/07/18(水) 00:10:23 ID:kxVV28RY
まず、私がどういう出典からブラックホールを学んだかですが、年数が経っていてすぐには思い出せません。ホーキングの著書かと思いましたが、読み直すとブラックホールの項で述べているのはホーキング輻射の話だけです。

www.fisica.net/relatividade/stephen_hawking_a_brief_history_of_time.pdf

また、Discoveryで配信された「Through the Wormhole」というシリーズの第2回でブラックホールに入った宇宙飛行士に何が起こるかが語られています。Youtubeを検索したらアップされていました。

youtu.be/yWo71eHjoQY

動画の35分頃からその話になり、ブラックホールに入る観測者にとっては事象の地平線を越えても何も起こらないが、中心に近づくと肉体が引き裂かれるという話です。番組の本題はそれではなく、外部の観測者と内部の観測者がまったく異なる事象を見る矛盾を整合させることです。

しかたがないのでWikipediaを検索しました。私自身の理解に最も近い説明をしているのは、重力特異点の曲率の記事でしょうか。

en.wikipedia.org/wiki/Gravitational_singularity#Curvature

私が正しく理解できていれば、時空の特異点は事象の地平線ではなくブラックホールの中心に生じるので、そこで起こることを外部の観測者が観察することも、内部の観察者から情報を受け取ることもできないということになります。

ただ、ブラックホールを持ち出したのは、予測される事実を検証できないのは世界5分前仮説と同じではないのか、言い換えれば基準01は正しい科学を判別することができるのかを問うためです。

もしもブラックホールが基準01への反問にならないのなら、歴史上の例はどうでしょうか。前にも述べましたが、コペルニクスは望遠鏡が無い時代の人で、彼の地動説を検証するすべは当時はなかったはずなのです。

さらに言えば、コペルニクスはアリスタルコスの地動説から、ダルトンはデモクリトスの原子論から想を得て彼ら自身の理論を立てましたが、これら紀元前の理論こそ検証不可能、というより初めから検証など考えていない、古代人の知的遊びでした。それでもコペルニクスやダルトンの発想の種子になったのだから、科学史上に重要な位置を占めたと思います。

歴史上のこれらの例を正しくない科学と判定してしまう基準01に、私は疑問を抱いているのですが。

122diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:07:02 ID:c4FnTw2Q
>>121
>そこで起こることを外部の観測者が観察することも、内部の観察者から情報を受け取ることもできないということになります。

 私が読む限り、中心の特異点を観察することについても、そこからの情報を受け取ることについても書かれていないようなのですが、どの文章のことなのでしょう? 正直いって数式だけのwiki英語版の記事よりも、グラフやクルスカル座標の図も出てくるEMANの相対性理論の方が読みやすいと思いますし、理解もしやすいです。wikipediaの記事には「私的研究の記載は禁止」という制限があるため、特に数式が必要な記事では既知文献の式やその導入過程をそのまま記したものが多く、その式の物理的意味の説明などは不足している傾向があります。なので物理的理解にはなかなかつらい場合も多いですね。

 まあ要するに、例として論ずるには2人とも理解不足ということで、BH事例は使わないという事でよろしいですね?

>ただ、ブラックホールを持ち出したのは、予測される事実を検証できないのは世界5分前仮説と同じではないのか、言い換えれば基準01は正しい科学を判別することができるのかを問うためです。

 BH事例が「予測される事実を検証できない」事例なのか否かが不明なのでやめとくのがいいかと思うわけですが、仮に「予測される事実を検証できない」ということだったとしても、世界5分前仮説は事実ではなく理論であって、「予測される事実を検証できない」事例には当てはまらないのだというのが、これから説明すること[>>123]です。

 私も本論がその趣旨であることはわかっていますし、事実の確認と理論の検証では話が別だということが、ひとつの説明、ひとつの解決策なのです。

 なお天動説vs地動説やその他の歴史的事例では、また別の話になりますので、別途の説明になります。もっとも天動説vs地動説に関しては「この事例ではP∨¬Pだから」などと一度それとなく説明の示唆をしてはいますが。

123diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:07:41 ID:c4FnTw2Q
>>116
 理論の検証がなされなければ、その理論は使えないが、事実の予測をすることは、たとえその予測が実際に検証困難であっても、いや検証不可能であったとしても意味がある、という話をします。

 その前に「事実」と「理論」の違いの復習です。

例1.
  事実A 今朝も、昨日の朝も・・・・n日前の朝も、太陽は東から昇った。
  理論  太陽は東から昇る。
  事実B 明日の朝も太陽は東から昇るだろう。
  事実C 明日になり、寝過ごして昇るところを見逃したが、今日も太陽は東から昇ったのだろう。

例2.
  事実A これまでに見たハクチョウabc・・・は皆白かった。
  理論  すべてのハクチョウは白い。
  事実B 新しくハクチョウxが見つかったが、そのハクチョウxは白いだろう。
  事実C 見つかったハクチョウxが白いか否か確認される前に焼け死んでしまった。
     このハクチョウxは生前は白かっただろう。

 どちらの例でも、理論は事実Aを説明できるように作られました。そして事実Bや事実Cを予測します。事実Bはまだ検証されておらず、これを確認できれば理論の検証となり、理論の確かさが高くなります。事実Cは予測はしたものの、もはや確認することはできません。では事実Cの確認という作業は意味がないのかと言えば、そんなことはありません。


 一般に事実Cのような過ぎ去ってしまった過去の事実は直接的確認ができないことが大半です。でもそれは意味のないことではありません。実際に我々は大変な努力を払ってでも過去の事実を知ろうとしています。歴史の研究しかり、犯罪捜査しかり、事故や災害時に何が起きたかの検証しかり、です。なぜかと言えば、それが現在や将来の我々の行動決定に役に立つからです。

 我々は過去から未来へと時間が連続的に流れると信じていますから、過去を知ることにより未来を知ることができると信じています。そしてその戦略により未来を予測できて生きてきたという記憶があります。記憶というものを持たないと思われる生物でさえも、結果的に未来を予測するような行動を持つものは生き残りやすくなります。

 最もわかりやすい例のひとつである「太陽は東から昇る」理論の場合なら、過去の何日かは東から昇ったかどうかは見逃した日もあるでしょう。しかし観測できた日にはすべて東から昇っていたので、見逃した日もそうだったはずだと推定するのです。そしてその過去の事実により、その日に起きた様々な別の事実の予測に役立つかも知れません。そうして推定された、さらにその日の事実は、別の日に起きたと推定した事実との組み合わせで、別の理論を作ったり、別の事実の推定に使ったりできるかも知れません。そして、現在の我々の行動に使いたい未来の事実の予測にも使えることでしょう。

 そして知的存在ともなれば、自分個人の記憶範囲を超えた過去の存在をも信じて、そこにも時間の連続的流れを想定します。ほぼ自動的思考で。

 「世界5分前仮説」では、このような因果律や予測性の存在があやふやなものになります。なにせ5分前にどんな状態で生まれるかには、どんな理由もないのですから。となると5分後の予測もあいまいだということにもなりかねません。これでは我々の行動を決めるのに何の役にも立ちません。

 まあ、私はこんな考え方で満足しています。

124diamonds8888x:2018/07/22(日) 09:09:05 ID:c4FnTw2Q
 [>>123]の考え方は私独自のものですが、同じように「うまくいくから」「未来予測に有用だから」「生物が生き残るのに有用だから」という発想自体はよく使われるものです。例えば『科学が嫌われる理由』にも紹介されています。

 「世界5分前仮説」が科学的ではない理由として一般的に言われているのは「反証不可能だから」というものです。これは「どんな事実を持ってきても検証になってしまう」ということであり、いわば「検証でき過ぎてしまう!」ということです。決して「それを示唆する観測事実が何もないのだから[>>115]」ではありません[参照>>120]。ここは「反証可能性」の理解には大切ですから御注意ください。

125Ken:2018/07/23(月) 23:26:59 ID:kxVV28RY
>>122
>私が読む限り、中心の特異点を観察することについても、そこからの情報を受け取ることについても書かれていないようなのですが、

特異点は事象の地平線ではなくブラックホールの中心に生じるのだから、特異点で起こる現象を観察することはできないと言いたかったのです。紹介したwikipediaの記事の第2段落に、

However, spacetime at the event horizon is regular. (中略)On the other hand, in the center of the black hole, (中略), the solutions suggest a singularity exists.

とあるのがそれです。ブラックホールの内部は絶対に見えないのだから、特異点について行われているいかなる予測も(特異点が存在するという予測も含め)検証不可能と言いたかったのです。

たしかに本来の目的はBHではなく基準01の検証ですから、今はdiamonds8888xさんの助言に従いBH以外の例を使おうと思います。ただしそれでは基準01を検証できないと思ったらBHの話を復活させます。

>世界5分前仮説は事実ではなく理論であって

その理論を構築するには「5分よりも前には世界は存在しなかった」という事実を観測する必要があるのではないですか?

1.宇宙が膨張している
2.宇宙には一様な背景輻射がある

という事実だけでも理論を構築できるビッグバンとは、そこが異なると思います。

>>124
>決して「それを示唆する観測事実が何もないのだから[>>115]」ではありません[参照>>120]。

それなら言い方を変えます。「観測事実が何もない」のではなく、最も大切な

〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

という観測事実がないのです。よって問題は「検証でき過ぎてしまう!」のではなく、

〜最も肝心の検証ができない〜

ということではないでしょうか?

ただ、くり返しになりますが、そういう例は歴史に多くありました。例えば紀元前のデモクリトスは物質を細かく分けてゆくと、それ以上は分けられない「アトム」にいたると主張しました。しかし彼は検証方法はおろか、なぜそのような考えをするのかさえ書き残していません。デモクリトスの原子論は世界5分前仮説の同類でしょう。

それでも原子論はエピクロスのような継承者が世代を越えて伝えてゆき、千数百年たって物証が現れましたが。

126diamonds8888x:2018/07/25(水) 06:31:22 ID:c4FnTw2Q
>>125
>ブラックホールの内部は絶対に見えないのだから、特異点について行われているいかなる予測も(特異点が存在するという予測も含め)検証不可能と言いたかったのです。

 それは了解です。記事でも予測をしているだけで、検証できるとは書いてありませんよね。で、それは事実の予測ですから[>>125]以下の議論をお読みください。

>>〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

>という観測事実がないのです。

 5分よりも前には世界が確かに存在していた、という観測事実もありませんよ。単に【そうだったという現在の記憶が】観測されているだけです。

127diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:03:09 ID:ThHJ2a2o
>>126
 ごめんなさい。リンク先を間違えました。正しくは、以下です。

 で、それは事実の予測ですから[>>123]以下の議論をお読みください。

128diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:04:29 ID:ThHJ2a2o
>>124
 さて、自分の記憶にある過去の事実や父母の記憶にある過去の事実なら個人の未来予測に重要かも知れません。明治時代くらいまでの過去の事実なら国や世界の未来予測に重要かも知れません。でもビッグバンの頃に何が起きたかということなど、人類の未来予測にさえ必要でしょうか? そんなことまで知ろうとするのは人類の好奇心の暴走に過ぎないのではないでしょうか?

 だってビッグバンの頃の事実検証なんて、ブラックホール内部の事実検証よりも困難、いや一歩下がって同じ程度に困難と考えられますよね。そういえばタイムマシンとブラックホール内部への旅は関連しているという話も・・・。

 さて以下は私なりの解答ですが、これは数ある理由の一つであると考えています。つまり他にも理由は考えうるだろうということです。

 物理学者や天文学者たちがビッグバンの頃の事実を推測するのは、どんな作業でしょうか? 単純化して言えば次のような作業を総合して推測します。
 ・遠くからの光、つまりは昔の情報の載った光を観測する。観測事実A
 ・素粒子理論を使い、過去にどんな事実を仮定すれば、どんな光が観測されるかを予測する。
   いわゆる仮説演繹法。理論α+仮定事実B==>予測事実A'
 ・観測事実Aと予測事実A'とが一致すれば、仮定事実Bが実際に起きたと推測する。

 ここで観測事実Aと予測事実A'とが一致したということは、仮定事実Bも使った理論群もすべて正しかったという検証になっています。つまり過去の仮定事実Bを検証するという事は、使った理論群の検証をすることでもあり、それは十分に意義のあることではないかと考えます。


 何だか循環論法にも見えますが、そうではありません。現代科学における事実予測は、あらゆる分野の科学的事実や科学的理論を総合して、どれにも矛盾が生じないような理論や事実を正しいものと考えます。つまり科学的事実や科学的理論の正しさ・妥当性というものは、狭いひとつの分野内の事実や理論だけに頼ってはいません。

129diamonds8888x:2018/07/28(土) 18:06:54 ID:ThHJ2a2o
>>128
 具体的な話をするつもりが却ってわかりにくくなった気もしますので、やや抽象的になりますが、まとめてみます。

 事実の予測は、検証できないとしても予測してみるだけでも意義があります。だって知りたいのだから。

 一方で理論とは事実を予測するために使うものです。事実を正しく予測しようとすれば、使う理論が正しいことを確認する必要があります。つまり、検証されていない理論を事実の予測には使えません。

 つまり、予測した事実は検証されなくても単にそれだけのことですが、理論が検証されなかったら、その理論は使えないのです。いや使わないで鑑賞するだけなら検証の必要はないと思いますよ。私も検証されていなかったり、しっかり反証されていたりする理論でも、鑑賞するのは結構好きですよ(^_^)。平面の大地の世界を舞台にしたファンタジーとか。でもそれは科学ではありません。

 ですからKenさんが御存知のID論をちゃんと説明してくれたら鑑賞ができるのではと期待しているのですが。


 別の視点の話ですが、極論を言えば、事実の検証と呼ばれる作業も実は、予測したのとは異なる方法によって同じ事実が予測できたということに過ぎない、とも言えます。そして、個人の知覚だけでわかることに近い事柄ほど「事実の検証」と呼ばれやすいとは言えます。典型的には(注意深く)目で見て確認できる事柄は、大抵は単に「事実」と呼ばれ、目で見て確認することは単に「検証」と呼ばれます。

 これが「物質は原子という粒子の集まりであり、原子は原子核と電子とからできている」という事実になると、肉眼で見た人は誰もいませんし、これからもいないでしょう。現在では透過電顕で原子像も観察できますが、その像を「原子の姿が検証できた」と呼ぶためには、その透過電顕の像がミクロの姿をどれだけ表しているのかという「理論」が正しいとわかっていなくてはなりません。そのためには電子の運動を予測する理論が正しくなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子が存在するという事実」も検証されていなくてはなりません。そして「宙を飛ぶ電子」と「原子核の周囲に存在する電子」とが実は同じものであるという「理論」が、様々な観察事実と理論とから推論されているわけです。

 かくのごとく、「原子や電子が存在するという事実」と一般に呼ばれている事柄は、実は「原子や電子が存在するという理論によれば、様々な観測事実や既知の理論が矛盾なく説明できる」という事に過ぎないとも言えるのです。しかし、この理論は十分に検証されており一度も反証されてはいないので、単に「原子や電子が存在するという事実」と呼んでも差し支えないとされているのです。その方が思考が節約できますしね。

130Ken:2018/07/29(日) 00:04:46 ID:kxVV28RY
正直なところ、ビッグバンとブラックホール内部が同じ程度に検証が困難とは私には思えませんが、もっと大切な問題があるので、深入りするのはやめておきます。


もう一度、私の論点を整理します。

科学史に登場した理論には、現代の基準では到底まともな根拠に基づくとはいえないものがいくつもあります。アリスタルコスの地動説やデモクリトスの原子論のような紀元前に現れたものは大半がそうでしょう。古代ギリシャには、地上の万物は土、水、空気、火の4元素から作られるという考えがありました。これに天上界の元素としてエーテルを加えたのがプラトンです。いずれも検証(反証)のやりようがないのは世界5分前仮説と変わりませんし、diamonds8888xさんの言われるような事実の予測を行うことも不可能でした。そんな検証や予測をしようという意図もなかったことでしょう。

それでも、これらの理論はコペルニクスやダルトンのような後世の科学者に影響を与えているのです。

たしかに後世の科学者たちは観測された事実をもとに彼ら自身の理論を立てたので、古代思想を根拠にしたわけではありません。一方で、観測事実を解釈するのにこれらの古代思想からヒントを得たのも歴史的な事実でしょう。

古代ギリシャの4元素仮説は近代的な意味での根拠のないものでしたが、複雑多様な物質が実は単純な元素からつくられるという基本思想を生み出す契機となり、それは近代の原子論やクォーク理論にまでつながっています。エーテルはよく知られるように光波動説が長く媒質として想定しました。もしもエーテルの概念がなかったら、光波動説は歴史の中で消えていたかもしれません。

私からの問題提議は、上記のような理論は

1.科学ではないと判定されるのか

そして、科学ではないと判定する場合にのみ、次の問題提議を生じます。

2.それらの理論は登場しなければよかったと考えるか

念のために言っておきますが、2の回答が「登場してよかった」である場合、その理由は科学の進歩に寄与したからで「鑑賞」するためではありません。

131ゲジゲジ:2018/08/02(木) 01:21:00 ID:kmBs4zVs
ヨコからですが、数日コメントが中断しているようなので・・・

私自身もお2人のやり取りを拝見していて、考えが整理できて来ています。
余計な事でしたらすみませんが、少しでもヒントになれば・・・


 >>130
Ken様の論点は、見ている私も分かっているつもりですし、勿論diamonds8888x様も分かっていらっしゃると思いますよ。

ただ今は、そういう個別の事例を越えたメタな視点で、科学だと判定されるためにはどの様な条件が必要なのか? 逆にどの様な条件を満たしていないと、それは科学ではない(よって疑似科学である)と判定されてしまうのか? という点を議論しているはずです。

で、その基準の1つ目として、反証可能性という基準が論点で、既にdiamonds8888x様から「答え」が示されています。
 >>122
 >>123
 >>128
(1) 反証できない理論は、科学ではない。
(2) 反証できない(予想される)事実は、それだけでは科学ではないと言い切れない。
(3) あらゆる分野の科学的事実や科学的理論を総合して、どれにも矛盾が生じないような理論や事実を正しいものと考える。

(3)は今後の論点になるかもしれませんが、反証可能性に限定すれば(1)と(2)が「答え」だと言えると思います。


さて、これらの議論に一応の決着がついてから、それではKen様が130で挙げられているような個別の事例はどうのか? という事を論じるのが順序かと思います。
しかしKen様のコメント >>125 を読む限り、どうもKen様はまだ、反証可能性の理解が十分でないように感じます。

なぜ、反証可能性がない理論は科学とは言えないのか?
それをdiamonds8888x様は、誰もが科学とは言えない事に同意するであろう「世界5分前仮説」を引き合いに説明されてきたと思います。

ここで、>>123でdiamonds8888x様が挙げられている「事実」と「理論」に「世界5分前仮説」を当てはめて考えてみては如何でしょうか?

「事実A」は、「現在の世界(0分時の世界)の観測事実」ですよね。

では「理論」は何でしょう?
多分、「世界は5分前に作られた」ではないと思いますよ。
いや、「世界は5分前に作られた」と言って間違いではないですが、これだけでは言葉足らずではないでしょうか?
そして、その言葉の足りない部分が議論のポイントに関ってくるように思います。

「世界は10分前には存在しなかった」というのは理論から導かれる「事実B」・・・いや、今となっては本当に10分前に世界が存在していたんか否かを検証する術はないのですから、これは「事実C」になりますね。

では「事実B」は何でしょうか?
その事実が示せれば「世界5分前仮説」の蓋然性(確からしさ)が高まり、逆にその事実が否定されれば「世界5分前仮説」も否定されるという、「世界5分前仮説」の理論から導かれ想定される「事実B」・・・

132diamonds8888x:2018/08/03(金) 05:23:07 ID:ThHJ2a2o
>>130
>もっと大切な問題があるので、

 中心テーマは「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的に妥当か否かという問題ですよね?[>>116][>>117]

 この考えが妥当だという事例としてKenさんは既にいくつか示されていますが、今回新たに3つの事例、アリスタルコスの地動説、デモクリトスの原子論、4元素説、を示されたのは、どういう意図なのでしょうか? この3つは「既に示された事例よりも大切な問題」なのですか?

 単に、まだこんな事例もありますよというだけなら、現時点では「既に示されている事例の方が先ではありませんか?」とお答えしますが?


 [>>130]や過去のコメントを拝見すると、以下の問題があるように思います。
  ・色々な種類の「根拠のなさ」を区別せずに十把一絡げで考えている
  ・その結果、色々な種類の事例をすべて「根拠がない」と断定している

 すでに私は、過去にKenさんが示された事例、BH問題、天動説vs地動説、粒子説vs波動説、素粒子の存在の反証法[>>83]、はそれぞれ性質が違うということを述べました、それゆえ個別に対応したいとも述べています。今回の3つの事例とて同じです。私はそれらの事例に「根拠がない」とは考えていません[*注]。私が否定していることを当たり前の前提のように扱って次に進まれても困ります。

 【重要】Kenさんが十把一絡げで考えている事例が、実はそれぞれ異なる性質の事例なのだと説明しようとして、これまで基礎的な話も含めて述べてきています。そこをまず御理解ください。


 ちょっと今回の3つの事例についてコメントしておきます。

>科学史に登場した理論には、現代の基準では到底まともな根拠に基づくとはいえないものがいくつもあります。

 なんですと! 先人たちに失礼な(怒)。そりゃ確かに後の様々な進歩で間違いだとはわかりましたが、「到底まともな根拠に基づくとはいえない」とはあまりにも不当な非難です。今回の3つの事例はすべて、自然の観測事実を論理破綻なく説明するために頭を絞って生み出されたものですよ。当然、当時なりの技術で観測事実との整合性も検討されています。

>いずれも検証(反証)のやりようがないのは世界5分前仮説と変わりませんし、diamonds8888xさんの言われるような事実の予測を行うことも不可能でした。

 まったく見当はずれです。Kenさんはまだ世界5分前仮説のポイントをきちんと捉えていないではありませんか。「5分よりも前には世界が確かに存在していた、という観測事実もありませんよ[>>126]」ということは理解できたのですか?

 アリスタルコスの地動説は、プトレマイオスの天動説やコペルニクスの地動説と同様に実際の天文現象を予測するためのものです。

 4元素説は長い間、錬金術を含む様々な化学現象の予測に使われ、指針となっていました。

 デモクリトスの原子論は長く冷遇されたせいでしょうが具体的な予測の記録は残っていない模様です。でも原理的には物質現象の予測に使えます。まあ定量的予測のためには、定量的観測による補強が必要でしょうけど。


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[*注]根拠にも色々な種類やレベルがありますので、ここでは私はそれら全てを含む意味で使っています。Kenさんも少なくとも「検証できたとする根拠」と「示唆する根拠」とは区別してますよね? 個別の議論では、どのレベルの根拠の話かで双方が食い違っていると混乱する恐れがあります。Kenさんはこのレベルの違う根拠も十把一絡げで考える傾向があるのではないかと危惧しています。

133diamonds8888x:2018/08/03(金) 05:24:52 ID:ThHJ2a2o
>>131
 ゲジゲジさん、まとめをありがとうございます。私の文章よりも他の人の書き方の方がKenさんにわかりやすい場合もあるでしょうから、歓迎します。私にも別の視点が得られて参考になりますし。


 「事実B」は、直接観測や直接検証はできないけれど、それを仮定すると既知の理論とも観測事実Aとも整合性がとれるもの、というつもりで持ち出しました。「導かれる」と言ってもいいですけど、仮説演繹法により導かれる、という形になるでしょうか。

 ここで「直接観測や直接検証ってどこまでを含むの?」という話になりますが、これは色々な見方ができますよね。極端に言えば「本当の直接観測や直接検証なんてないっ」という見方もできますし。

  仮説的事実B  目の前に赤くて四角い物体がある。
  直接的観測事実A 目の前に赤くて四角い物体があるように、私には見える。

 まあ一般的には、人が直接感覚で知ることができる事実は直接的観測事実Aとする見方が多いでしょうけど、すると「原子や電子や素粒子が存在する」という事実は、仮説的事実Bであるとしたくなります。実際にエルンスト・マッハは原子の実在をなかなか認めなかったとかいう話もありますし。

 「事実B」の考えを持ち出したのは、こんな風に素粒子問題への伏線も考えての意図もありました。

 仮説演繹法では「仮説できるのは事実B以外にはないのか?」という疑問が常にひっかかりますが、BH問題や宇宙の地平線の向こう側の事実の問題だと、理論が正しければ唯一の解として事実Bが導かれますね。この場合は確かに「導かれた事実」ですね。仮定があるとすれば「事象の地平線の向こうでもこちらと同じ理論(一般相対性理論)が成立している」ということだけです。
 ただ、いくら理論的に導かれるとはいえ特異点の存在を素直に認めている人は少ないのではないかとは思います。観測可能な裸の特異点さえ予測されてますけど。ニュートン力学でも「大きさのない質点」が実在するとは誰も思っていないはずです。でも、そんなもの実在するはずがないから絶対に理論がどこかで修正されるはずだ、と誰もが考えていたものが実在したりすることもあるから世の中は怖い。


> では「理論」は何でしょう?

 改まって訊かれると、「世界5分前仮説」の理論て正確にはどうなるんでしょうね?

 純粋な本質はむしろ「世界0分前仮説」に現れるのではないかと思うのですが、0分前の理論だと因果律もなければ未来を予測することもできなくなります。つまり論理的推論というものが意味を持たなくなります。そんなの理論なのか? 5分でも時間経過があれば、その間の因果律というものは想定できるのでしょうが。

 あまりに馬鹿げた理論なので、真剣に突き詰めた人など誰もいなかったりして。

 記憶は幻である、というあたりが理論の本質と言えるのでしょうか? 余談ですが、フイリップ・ホセ・ァーマー作『階層宇宙シリーズ』という作品には空間バージョンの理論が登場します。つまり、太陽系の外側に壁があって、無限の宇宙と見えるものは実はその壁に映った映像であった、という理論です。空間バージョンなら反証可能なんですけどね。

134Ken:2018/08/03(金) 07:03:34 ID:kxVV28RY
>>132

金曜の早朝なのでとりあえず1点だけ。

>中心テーマは「自説の根拠を示せなくても、対立仮説の難点を示すだけでも提唱価値はある」という考えが科学的に妥当か否かという問題ですよね?

それは基準02の話ではありませんか?
今はまだ基準01の議論が決着していないというのが私の理解です。

私としては、これまでに挙げた具体例はいずれも検証(反証)のやりようがない世界5分前仮説の同類では?というものです。対立仮説の難点を示す方法の是非を論ずる具体例はまだ挙げておりません。

135ゲジゲジ:2018/08/04(土) 01:24:36 ID:KSag/m5E
diamonds8888xさま
>>133 お返事ありがとうございます。

ただ、私はそんなに難しく考えていたつもりはなくて・・・

「世界は“5分前よりも前から存在していたかの様に見えるあらゆる記憶や記録などをぜ〜〜んぶひっくるめて、5分前にあった状態に”5分前に作られた」

まぁ、言葉としては色々な言い方ができるでしょうが、これが「世界5分前仮説」の「理論」の正確な表現ではないでしょうか?

で、「事実B」なんですが・・・

>>123でdiamonds8888xさまが提示された例ですと・・・
「理論」 太陽は東から昇る。
「事実B」明日の朝も太陽は東から昇るだろう。

「理論:太陽は東から昇る」が正しければ、当然「事実B」は成立するわけですから、「事実B」は「理論」から予想されたわけですよね。
そして実際に明日の朝の太陽が東から昇れば、「理論:太陽は東から昇る」は補強されますし、仮に明日の太陽が西や北、南から昇ったとすれば、「理論」は否定、すなわち反証されます。

私としてはそういうふうに解釈しまして、では「世界5分前仮説」における「事実B」とは何だろう、と考えたわけです。
すると「世界5分前仮説」においては“観察できるであろう全ての事実”が「事実B」に該当してしまうのですよね。

つまり「世界5分前仮説」の「理論」を上記のように立てれば、“私に昨日の記憶があるという事実”も、“〇年前に仕込んだウィスキーやワインが美味しいという事実”も、あるいは“1億年前の恐竜の化石が発見されるという事実”も、全てが「世界5分前仮説」を肯定してしまいます。

従って、>>124でdiamonds8888xさまが仰る通り、「世界5分前仮説」は検証され過ぎてしまう。
どんな「事実B」を持ってきても検証になってしまうのだから、反証できない。
だから「世界5分前仮説」の様な理論の立て方は科学的ではない、という結論になるのではないでしょうか?


尚、ここまで考えてきて、私はKenさまの「ID論」も理論の立て方において「世界5分前仮説」と同じ意味で科学的ではない、と思えるのですが、今はそこに踏み込むのはやめておきます。
恐らく >>56の「基準02. 理論Aと対立する理論Bを否定しても理論Aの検証にはあまりならない。」にも絡んでくると思いますので。

136diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:20:59 ID:ThHJ2a2o
>>135
 あっ、そうか。[>>123]の未来の事実と[>>128]の仮定事実や過去の事実とを同じく「事実B」と名付けてしまったのですね。失礼しました。未来の事実は待っていれば検証できますが、過去の事実はタイムマシンでもない限りは検証できないので大きな違いがあります。だとすれば「過去の事実の検証」とは何か、というテーマのつもりで[>>128]を書いていましのたので、ゲジゲジさんにもKenさんにも誤解を与えたかも知れませんね。

 改めてですが、[>>128]の意図は、事実の予測は検証できなくても意味はある、ということを示す点です。

 「世界5分前仮説」に関するゲジゲジさんの話はまったくその通りだと思います。

137diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:26:37 ID:ThHJ2a2o
>>134
> 今はまだ基準01の議論が決着していないというのが私の理解です。

 了解しました。すると「もっと大切な問題」と書かれたのは、新たに示された3つの事例がBH問題よりも大切だという意味ですか? 個別事例の間で重要性の差があるとする理由が私にはよくわからないのですが? 私がBH問題を棚上げにしようと提案したのは、2人とも細かい点を十分に理解してないので不適当ではないかと思っただけであり、他の事例より大切ではないとは思っていませんが。

> 私としては、これまでに挙げた具体例はいずれも検証(反証)のやりようがない世界5分前仮説の同類では?というものです。

 念のため確認しますが、同類と考えているのは新たに示された3つの事例だけですか? それとも既に示されている、提唱当時のコペルニクス地動説、提唱当時の光の波動説、新粒子があるとする仮説、もやはり同類だと考えるのですか?

 どちらにせよ、示された6つの事例はすべて世界5分前仮説の同類ではないのは[>>132]で書いた通りです。

 また世界5分前仮説に関しては、[>>119][>>120][>>123][>>129][>>132]を中心に読み返してみてください。Kenさんにはなじみの薄かった話でしょうからプリントアウトして読むことをお勧めします。

 実は直前にゲジゲジさんがしっかり解説されてますので[>>135]、これを読むのが早いです。


 BH事例に代表される「検証できない事実の予測」に関しての【本質的な解答そのものは[>>129]冒頭に書きました】。理論は検証できなくてはならない(裏返せば反証可能でなければならない)けれど、事実に関しては必ずしも検証できなくても意味がある、という結論です。

138diamonds8888x:2018/08/04(土) 06:29:07 ID:ThHJ2a2o
>>134
別件ですが、
【素粒子問題】で少し指摘した方がよいと思った点がありましたので書いておきます。

[>>80]「磁気は双極子である」という仮説が∀xP(x)なら「モノポールが存在する」は∃x¬P(x)だから、前者は反証可能であり、よって後者の反証可能性は問題にならないのではと考えました。

 これは[>>77]のお考えを再掲したからこうなったのでしょうが、この対比では人は戸惑います。対比するならP(x)は同じ文章にしないと次の思考に進めません。
 恐らく前者のP(x)と後者のP(x)は異なる文なのでしょうが、Kenさんの意を酌んでそれぞれのP(x)を書き出してみようとしましたが、どうもうまく行きません。できれば御本人のKenさんにお願いします。


 【重要】これはKenさんのおっしゃる「素粒子問題」について、具体的な意図を私も理解していないことを示していますので、ここに示しておきました。もちろんこの件の理解は「素粒子問題」に入る時にわかればいいことなので、その時に御配慮くださればいいです。

139Ken:2018/08/05(日) 00:12:16 ID:kxVV28RY
>>132

>この3つは「既に示された事例よりも大切な問題」なのですか?

私は>>130

>ビッグバンとブラックホール内部が同じ程度に検証が困難とは私には思えませんが、もっと大切な問題があるので、

と書きました。ビッグバンとブラックホールの違いを論じるよりも大切という意味です。

もともと私がブラックホール内部の考察を持ち出したのは、これも基準01に照らして科学ではないと判定されるのではという問題提議をするためでした。その後diamonds8888xさんからブラックホールの考察は難しいので手を出さないほうがよいという提案をいただいたので、より分かりやすく論じやすい例はないかと考え、紀元前の理論を挙げました。

>Kenさんが十把一絡げで考えている事例が、実はそれぞれ異なる性質の事例なのだと説明しようとして、

「十把一絡げ」は極端な表現でしょう。それぞれの事例には異なる点はあっても、提唱時点では検証(反証)のやりようがなかったという共通点があり、そこが世界5分前仮説と同じでは、と言いたかったのです。

その世界5分前仮説ですが、

>「世界5分前仮説」では、このような因果律や予測性の存在があやふやなものになります。

「あやふや」ですか? でも世界5分前仮説だって、

〜5分よりも前には世界は存在しなかった〜

という、それ自体は明確な事実を予測するではありませんか。問題は物理的な観測で検証できないことで、この点が例に挙げた紀元前の仮説と、それどころかコペルニクスの地動説とも、共通すると思うのです。これらの仮説は遠くの物体や微小な物体を観測することで検証ができるはずです。しかし提唱時にはそのすべがなかった。

もしもデモクリトスやコペルニクスの時代にも顕微鏡や望遠鏡が、すくなくともそのアイデアがあったら、技術の進歩でいつかは観測ができるという見通しがたったかもしれません。でもアイデア自体がなければ観測は永遠に不可能なのと同じです。以前も書きましたが、今の私たちが、5分前の世界であれ、地球史の中の進化であれ、ビッグバンであれ、過去の事実はタイムマシンがあれば観測できるといっても無意味なのと変わりません。

4元素仮説が錬金術に応用されたという話は、アジモフ先生の歴史書にも記述が無く、私は知りませんでした。ただ、中世の錬金術でもプラトンやアリストテレスとは千年の時間差があります。私は錬金術より千年前、仮説が最初に提唱された時点での検証可能性を問題にしています。

なお、

>私はそれらの事例に「根拠がない」とは考えていません[*注]。私が否定していることを当たり前の前提のように扱って次に進まれても困ります。

これは私の言葉足らずが誤解を招いたようです。diamonds8888xさんが考えておられることは承知しているつもりですが、仮説の提唱時には実は根拠がなかったのではありませんか、という私の考えを主張したかったのです。

140diamonds8888x:2018/08/05(日) 05:58:09 ID:ThHJ2a2o
>>139
> と書きました。ビッグバンとブラックホールの違いを論じるよりも大切という意味です。

 そういう意味だなんて私にはわかりませんよ。だって私は「ビッグバンとブラックホールの違いを論じよう」なんて提案はしていませんから。


> 「十把一絡げ」は極端な表現でしょう。それぞれの事例には異なる点はあっても、提唱時点では検証(反証)のやりようがなかったという共通点があり、そこが世界5分前仮説と同じでは、と言いたかったのです。

 その認識が間違いです。というか、

>問題は物理的な観測で検証できないことで、この点が例に挙げた紀元前の仮説と、それどころかコペルニクスの地動説とも、共通すると思うのです。これらの仮説は遠くの物体や微小な物体を観測することで検証ができるはずです。しかし提唱時にはそのすべがなかった。

 ここまで「根拠がない」の範囲を広げたら、およそ人が考えるほとんどの理論は昔のある時点では「検証不可能」だったことになりますよ。そんな何もかも区別しないような概念を使って何を考えようというのです?

 [>>132]を書いている時にも、もしかしたらとは思いましたが、要は、Kenさんの考える「根拠がない」の範囲が広すぎるのです。それではあらゆる理論が重要度に差が付けられなくなってしまいます。

 もっと問題なのは、提唱時に提唱者は「これが根拠だ」と示していた観測事実が無視されてしまうことでょう。


 Kenさんの考えだと、「世界5分前仮説」も他の理論も同じになるんですよね?
 では「世界5分前仮説」も真剣に検討すべきだと考えるのですか? 現在の科学者たちや教育界が世界5分前仮説を他の理論と対等に教えないのは非難すべきことだと考えるのですか?

141Ken:2018/08/05(日) 09:55:07 ID:kxVV28RY
すこし錯綜してきたので、比較的簡単に回答できることから回答します。まずは、

>そういう意味だなんて私にはわかりませんよ。だって私は「ビッグバンとブラックホールの違いを論じよう」なんて提案はしていませんから。

もともとはdiamonds8888xさんの>>128での発言を受けたものです。

>だってビッグバンの頃の事実検証なんて、ブラックホール内部の事実検証よりも困難、いや一歩下がって同じ程度に困難と考えられますよね。

ビッグバンは宇宙の膨張や背景輻射という観測事実を根拠としますし、もしも接近してくる銀河とか、宇宙の他の領域とは明確に異なる輻射を出す区画でも発見されたら反証となるはずで、そのような発見は現在の技術かその延長でも可能でしょう。でもブラックホールの内部に特異点があり、密度が無限大になり時間が止まるという事実を観測するすべは誰も思いついていません。

・・・という回答をしようかと思いましたが、ブラックホールの話はしないと決めていたので、紀元前の理論を例に出すことにしました。


>Kenさんの考えだと、「世界5分前仮説」も他の理論も同じになるんですよね?
>では「世界5分前仮説」も真剣に検討すべきだと考えるのですか? 現在の科学者たちや教育界が世界5分前仮説を他の理論と対等に教えないのは非難すべきことだと考えるのですか?

実はID論を材料にしてこの疑問に回答したと思うのですが。

私はID論と世界5分前仮説が同類とは思いませんが、かりに同類だとして、IDには世界5分前仮説以上の根拠がないとします。その場合にリチャード・ドーキンスのような人物がIDに価値を認めず無視しているだけなら問題はありません。

問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようとすることです。私はこのような行為には明確に反対します。そんなことをする権利と資格がだれにありますか。

世界5分前仮説に関連する余談を1つさせてください。実は本質的に同じことを言ってる仮説があるのです。以前に紹介したドキュメンタリーシリーズ「Through The Wormhole」の第1回が神の実在を考察しているのですが、その中で

〜この宇宙はコンピュータ・シミュレーションで我々はゲームのキャラクター。だから世界を創造した神はプログラマー

という話が出てきます。これも動画がアップされていました。

youtu.be/3KH95YCSP_c
youtu.be/QZj1kYRT-fw

主張したのは「実績を上げているNASAの科学者」リチャード・テレルという人らしいのですが、この世がシミュレーションと考える根拠として量子論を持ち出しています。

*量子はコンピュータ画面のピクセルと似ている
*電子顕微鏡が機能するのは電子が自分が通過した箇所以外の情報を持っているから。
*観測されないものは存在しない

といった量子論の特徴はこの世がコンピュータ・シミュレーションと考えると説明がつくというのです。

おそらく「あほかいな」と思われるのではないでしょうか。私もそう思います。それでもこういう発言を自由に行える環境は大切にしたいものです。


私の考える「根拠がない」の範囲が広すぎるというご指摘についてはあらためて回答をさせていただきます。

142ゲジゲジ:2018/08/05(日) 21:25:04 ID:U99n6gxs
度々ヨコからですが・・・
どうもKenさまは、区別して考えるという事が苦手なように見受けられます。

>>140でdiamonds8888xさまも指摘されていますが・・・
 >要は、Kenさんの考える「根拠がない」の範囲が広すぎるのです。
 >それではあらゆる理論が重要度に差が付けられなくなってしまいます。

以前、第一掲示板の方で「宗教法人が運営する学校が宗教の協議を教えるのは疑似科学なのでは?」といった投稿をされましたよね。
あの時に議論していたのは「公教育における科学で何を教えるべきか」だったはずなのに。

>>141への指摘をさせて頂きますと・・・
 >問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、
 >それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようと

今、議論をしているのは、理論の科学的正しさを判定するための基準について、ですよね。
それを教えたり教わったり、特に公教育で教えるべきか否か、というのとは別の問題です。
もう一度 >>40>>41>>42>>44>>48>>49辺りを読み直してみる事をお勧めします。

・何をもって科学的と言えるのか?
  ・・・正に今、議論しているテーマのはずです。
・何を公教育の科学で教えるべきか?
  ・・・すでに検証済みの仮説です。

>>123でdiamonds8888xさまが提示された例で言うと、
「太陽は東から昇る。」という理論があって、実際に太陽が東から昇るところが何度も何度も観察された。そこで初めて、学校で「太陽は東から昇るのだよ」と教えて良い事になります。
Ken様がどこまでご存知か知りませんが、ネオダーウィニズムは既にそこまで検証されているのです。
そのネオダーウィニズムと、まだ検証もされていない、検証方法も曖昧なID論を同列に扱えというのですから、ドーキンスたちが「ちょっと待った!」と言うのは当然です。

 >そんなことをする権利と資格がだれにありますか。
と仰いますが、まっとうな科学者、まっとうな教育者には、そういう事をする権利と資格があると思いますよ。いや、そういう事をする義務もあるでしょう。



 >それでもこういう発言を自由に行える環境は大切にしたいものです。
あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事と、それを公教育で教える事とは別の問題です。

上記の通り、公教育の科学で教えるべきは既に検証済みの理論なり事実です。
しかしアメリカのID論者たちは政治を動かして、公教育でID論を教えさせようとしたのですよ。
だからドーキンスたちは対抗してキャンペーンを張ったし、司法に訴えてそれを阻止しようとしたのですよ。

ここの所はきちんと区別して頂きたいですね。
そうしないとdiamonds8888xさまとの議論も、どこまで行っても噛み合わないままになりそうな気がします。

143diamonds8888x:2018/08/06(月) 06:12:11 ID:ThHJ2a2o
>>141
>問題はドーキンスのような人たちが彼等の社会的な影響力でキャンペーンを行い、それどころか訴訟までやって、他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせようとすることです。

 ID論はさておいてですね、学校教育において「世界5分前仮説」を「正当派進化論」と対等な理論として教えるべきだと考えるのですか? もしくはKenさんの主張に従えば、「世界5分前仮説」と「正当派進化論」と「ID論」とを同等に教えないと、思想や教育の自由を侵すことになるのですか?


 一応言っておきますが、(私的な場において)他人がIDを教えたり教わったりすることまでやめさせよう、などとはドーキンスもやっていませんよ。むろん、ID論を主張する本などが出れば批判はするでしょう。それは互いの議論の自由であり、出版禁止にせよなどとは言ってはいないはずです。あくまでも「公教育で科学的な理論としてID論を教えるな」と言っているだけです。既に第1掲示板でも何回か指摘されていることです。

 Kenさんが公教育の重みを軽く考えるのは御自由ですが、実際には重いし、ほとんどの人は重いと考えています。だからこそ、創造論の擁護者達はアメリカにおいて「反進化論法」を成立させました。これはまさに、世界中の科学界で正しいとされる理論にもかかわらず、それを教えることを禁止した行為です。
 出典はwikipediaで「進化論裁判」の記事を見てください。既に第1掲示板でも指摘されていることです。

 確認しますが、Kenさんも「反進化論法」を成立させた行為は許されないものだと考えますよね?


 まあ、教育論は第1掲示板において一時棚上げにしましょうと合意してたと思いますし、私の問いの趣旨は、「Kenさんは世界5分前仮説は科学的に妥当な理論だと考えるのですか?」ということです。教育論に踏み込むこと自体は目的ではありませんので、訊き方が悪かったかも知れません。だとすれば改めて問い直します。

 Kenさんは世界5分前仮説は科学的に妥当な理論だと考えるのですか? つまり、正しいか正しくないかを科学的に検討してみるに値する理論である、と考えるのですか?

 「根拠がない」の範囲が広すぎるという指摘についてのあらためての回答も同時でいいですよ。その方が書きやすいならば。

144diamonds8888x:2018/08/06(月) 06:20:11 ID:ThHJ2a2o
>>141
 公教育の内容を制限することが社会的な正義か悪徳か?(ちょっと大げさかな?)というテーマに関しては、私のもってまわった話よりもゲジゲジさんの率直な話[>>142]の方がわかりやすいと思いますよ。現代の普通の人の常識的判断だと思います。

 ここで「常識が間違ってることも過去にあったではないか」とか「常識と違う考えを公教育で教えないのは、ガリレオを死刑にした教会と同じような思想弾圧だ」とかいうことにはならないか、ということですが。

 少なくとも現代の自由主義国家の社会においては、それは考えすぎで、この場合なら「公教育と私的な思想表現との違いを区別できない」ゆえの判断の誤りです。ゲジゲジさんのおっしゃるように

> あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事と、それを公教育で教える事とは別の問題です。

 まさか誤解はないと思いますが、ゲジゲジさんは「あほみたいな発言を自由に行える環境を大切にする事」は社会的に正しいという大前提で書いているのですよ。「あほみたいな発言であっても自由に行える環境を大切にする事」ならもっとわかりやすいかも知れませんが。

145Ken:2018/08/08(水) 11:39:56 ID:zsbVUn6w
尋ねられたことには可能な限り回答しますが、それはそれとして1つ提案があります。

私(Ken)が科学や教育のあるべき姿をどう考えているかは、話題にしないほうがよいのではないでしょうか?

もともとdiamonds8888xさんと私では、共通土台での議論が成立しないほど、イデオロギーといいますか基本思想が懸絶しているはずです。疑似科学の定義でも、私は意図的なペテンのことを疑似科学と呼びますが、これは言い換えれば、意図的なペテンでなければ、どんなアプローチをしてもOKということですから、現在議論している「基準」自体も無意味になります。

しかし、今回は疑似科学の定義に始まり具体的な「基準」まで、すべてdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしており、その内容を明らかにするための質疑応答をしているのだから、私がどういう考えをもっているかは問題にならないはずです。

そうはいっても、質疑応答の中で私の思想が姿を見せることもあるでしょう。質問をするにも私の視点と問題意識からの質問にならざるをえませんし、そこには思想が顔を出してしまいます。例えば、科学と疑似科学を判別する基準とは厳密なもので一切の曖昧さが排除されているか、定量的な判定なら数値化ができるのかと、私がくり返し尋ねたのはその現れです。

とはいえ、私の思想を封印するならその視点からの質問も封印するべきですから、上のような事態になれば、その都度矯正してゆくしかないでしょう。

これは提案であって要請ではありません。今回のように科学や教育について私がどう考えるかという直接の質問があれば、回答するのが誠意ある態度だと思います。

それを言った上で(本来は封印すべき私の思想にもとづいて)今回の質問に回答しますが、

>Kenさんも「反進化論法」を成立させた行為は許されないものだと考えますよね?

許されないと考えますが、理由はdiamonds8888xさんとは異なります。

私は、公教育といえども、内容は個々の運営責任者が決めるべきと考えます。例えば公立学校の教育内容を決める権限と責任は、そのコミュニティの構成員(市民、有権者、納税者など)に属し、学界に属するとは思いません。そこで教育された学生の人生に生じる結果まで含めて、コミュニティの自己責任だと思います。ですから反進化論法を許せないのは進化論が学会で認められた定説だからではなく、他人の教育方針に干渉する要らざるお節介だからです。もし「反創造論法」が登場しても反対するでしょう。

>学校教育において「世界5分前仮説」を「正当派進化論」と対等な理論として教えるべきだと考えるのですか?

これも同じことです。私は何かを「教えるべき」という発想をそもそも持ちません。私が教育者なら世界5分前仮説を教えようとは思いませんが、ある学校が(公立学校でも)そのコミュニティの意思決定として教えるなら自由にやればよいし、結果責任を自分たちでとればよいでしょう。

>Kenさんが公教育の重みを軽く考えるのは御自由ですが、実際には重いし、ほとんどの人は重いと考えています。

これはまさにイデオロギーの問題で、公教育が重いからこそ運営者の自由と自己責任に任せるべきという考え方もあるのではないでしょうか。

せっかくだからもう1つ付け加えます。

「基準」などを設けず、どんな仮説も自由に提唱し教えればよいという考えは、上記のような「自由と自己責任」が根底になっていますが、もう1つの理由として、科学の進歩自体もそのほうが早まると私は考えます。それはビジネスや生物の世界と同じ原理が働くと思うからです。

ご存知のように、いま世界では星の数ほど多くのベンチャーが立ち上がりますが、そのほとんどは失敗し、多くは負債をかかえて消滅します。ごくわずかな例外として成功者が現れ、グーグルやアマゾンは最も華やかな例です。

生物界でも突然変異の大半は有害なものですが、ごくまれに種の保存と繁栄に有利なものが現れ、それが進化につながります。

要するにビジネス界でも生物界でも適者生存の選択圧力が働くかぎり、どんなビジネスモデルや突然変異が現れてもそれが進歩・進化につながる。これは科学理論でも同じことではないでしょうか。とくに情報社会、ネット社会の発達により、実績を出せる仮説も出せない仮説もすぐに知れ渡ってしまい、実績を出せる仮説が生き残るのですから。

以上は私の基本思想です。今はこれは封印してdiamonds8888xさんの基準にしたがい、その基準のもとでもID論の話をできると判断した場合にIDの話をするつもりです。

146Ken:2018/08/11(土) 00:56:16 ID:Qq9lHkNc
こちらが本題です。

diamonds8888xさんが>>123で「事実A」「理論」「事実B」「事実C」という整理をしてくださったので、これに沿って言いますと、私は、

〜B、CどころかAの事実も観測されないのに理論を立てる

事例が多すぎるのではと問題提議をしています。

ブラックホール内部の話は深入りしませんが、何であれ一度も観測されずこれからも観測の見込みがない事実を語っているのはたしかでしょう。これでは、観測できないのは事実CではなくAではありませんか。

紀元前の仮説は作られた経緯自体が不明な場合も多いのですが、4元素説もデモクリトスの原子論も、どういう観測事実からそんな考えが生じたのか伝わらず、ただそのように空想したとしかみえません。アリスタルコスの地動説の根拠は、太陽の方が地球よりも大きいから中心にあるだろうというものでした。この場合はアリスタルコス自身よりも彼の仮説を検証もせず2千年も教え伝えてきた人々が問題です。たとえば直径10センチの鉄球と20センチの木球を紐でつないで放り上げたら小さい方が回転中心になる、そんな実験は紀元前でもできたはずなのに。

コペルニクスの地動説は、「事実A」として惑星位置の記録があり、そこから惑星が太陽を回るという理論が生じました。この事実からこの理論を生じた理由は、その方が惑星の動きが単純になるからです。しかし問題は、

〜なぜ単純な動きの方が理論として優れているのか

という点にあります。コペルニクスの時代にはそのように考える根拠などなかったはずなのです。

今の私たちが、惑星の動きが単純な地動説が優れていると考えるのは、ガリレオが発見しニュートンが理論化した慣性の法則を知ってるからです。物体は本来、同じ運動を継続しようとするから運動は単純なものになるわけですが、コペルニクスの時代は慣性の法則など知られていませんでした。

法則としては知らなくても日常経験から単純な動きの方が起こり易いと思ったのでしょうか? でも日常に経験するのは単純な運動の方が多いですか? たとえば石を落とせばまっすぐに落ちる単純な動きですが、羽毛を落とせば複雑な動きで舞い落ちます。コマを回すと勢いの強いときは安定した姿勢を保ちますが、弱まると予測のつかない複雑なゆれかたをします。

こう考えると、コペルニクスは

〜観測された惑星の位置という事実Aから、惑星が太陽を回るという理論を立てた

というよりも、

〜事実A不在のまま、物体は単純な動きをするという理論を立てた(もしくは当然視した)

といえるのではありませんか?

147diamonds8888x:2018/08/11(土) 18:16:21 ID:K6qbiXYU
>>145

> もともとdiamonds8888xさんと私では、共通土台での議論が成立しないほど、イデオロギーといいますか基本思想が懸絶しているはずです。

 全くおっしゃる通りです。あまりに違い過ぎるので、私もつい「これは当然だろう」という前提のもとに書いてしまうことがあり、互いに困惑することもあるようですね。[>>141]がそうでしたが、[>>143]後半で訂正しましたのでよろしく。

 要するに「世界5分前仮説」と言えども教えたければ教えるのは自由ということで了解しました。そこまで徹底した思想ならば、むしろ筋は通っていると思います。私の方に「まさかそんなことはあるまい」という思い込みがあったのが[>>141]での、ある意味で主旨を誤解させた質問の原因でしたね。

 余計なお世話かも知れませんが、いくつか注意すべき点があると思います。公立学校での教育を決める主体はコミュニティであり、何をどう教えるかはコミュニティの自由であり、「そこで教育された学生の人生に生じる結果まで含めて、コミュニティの自己責任」とのことで、その点は理解しました。ここで、
  ・コミュニティの意志とそこに属する個人の意志とが相反した場合はどうすればよいのでしょうか?
  ・具体的にはコミュニティとはどれくらいの人々の集団が適切なのでしょうか?
   (例えば国全体がひとつのコミュニティでも良い、というお考えではないと推察します  )
   (どんなコミュニティを作るのかは各個人の自己責任に基づく自由であるという方法はありますが)
   (このとき、どんなコミュニティを作るべきかを巡って個人間の対立は起きるでしょうね  )

 実際には上記の問題はKenさん流の「コミュニティ主体の自由論」とでも呼ぶべき社会ではなくても、現実のどんな社会でも問題になることだし、簡単な解決策などあるとは思いません。「コミュニティの大きさはどれくらいが適切か?」という問いは、現実の社会では例えば「国と地方自治体との権限の分配はどのような形が適切か?」「地方自治体はどれくらいの規模が適切か?」という問題と本質的には同じです。

 ですから解答を求めているのではなくて、Kenさん流の社会体制でも、こんな問題は消えませんよという指摘だけです。我々がここで目指している議論の主旨でもありませんしね。

 【情報提供です】笠井潔『国家民営化論』という本を御存知ですか? Kenさんなら御興味を持つかも知れないと思いまして。アマゾンでも見つかります。

148diamonds8888x:2018/08/11(土) 18:18:40 ID:K6qbiXYU
>>145 >>146
 こちらは本論に関係しますので別コメントにします。

> 「基準」などを設けず、どんな仮説も自由に提唱し教えればよいという考えは、上記のような「自由と自己責任」が根底になっていますが、もう1つの理由として、科学の進歩自体もそのほうが早まると私は考えます。それはビジネスや生物の世界と同じ原理が働くと思うからです。

 こちらは社会的イデオロギーではなくて、科学のための方法論に関することと考えますので、議論テーマになりますね。というか、私が自分の考えを理解してもらおうとするとき、どこが理解できないのか、またはどこが受け入れ難いのか、ということがKenさんの基本思想がわからないために見当のつかないことがあるからです。

> しかし、今回は疑似科学の定義に始まり具体的な「基準」まで、すべてdiamonds8888xさんの定義に従うことで合意をしており、その内容を明らかにするための質疑応答をしているのだから、私がどういう考えをもっているかは問題にならないはずです。

 了解しました。ではまず私の基本的考え方を説明していく方針でいきましょう。上記のKenさんの基本思想は一応わかったと思いますので、そこと何が違うかを意識しながら説明することにしますので、Kenさんの方も何が違うのかに留意しながら読んでくだされば幸いです。

 ということで、しばらくお待ちください。

149Ken:2018/08/11(土) 23:17:07 ID:ChaC3wG.
>・コミュニティの意志とそこに属する個人の意志とが相反した場合はどうすればよいのでしょうか?

それは政治のシステムなどと同じでしょう。民主的なプロセスで決まったことには従うか、どうしてもいやならその地を離れるしかありません。

>・具体的にはコミュニティとはどれくらいの人々の集団が適切なのでしょうか?

どれくらいが適当というよりも、例えば市立中学の教育方針は市に納税する市民の意思で決める。県立高校なら県民の、国立大学なら国民が決めればよいと思います。実際には教育政策を訴える候補者から議員を選ぶ形をとるのでしょうが。

なお、ある個人が自分が属するコミュニティの教育方針に賛成できないときの窮極の解決策は、学校に行かず、ネットで提供される授業で、さらにその先には人工知能が提供する授業で勉強することです。それが可能になる日はそこまで来ているはずです。

150Ken:2018/08/14(火) 21:57:55 ID:lS06oQPw
>>146でコペルニクスは惑星軌道の単純さゆえに地動説を選んだと書きました。

天文学に限らず、単純さへの志向は科学史と通して現れ、その中で提唱された仮説には論理的な根拠のあるものも、論理より志向の方が勝っているのでは、と見えるものもあります。

18世紀から19世紀にかけて新しい元素が次々と発見されると、研究者たちに「居心地の悪さ」とでもいうべき感情が蓄積されていきました。

デモクリトスが考えた「アトム」とは、それ以上には分割できない最も根源的な粒子でした。そして近代科学が酸素や水素の原子を発見したとき「アトム」と名づけたのは、それぞれが根源的な粒子と思ったからです。

ところが紀元前の土、水、空気、火という4つのアトムならすっきりしていたのが、近代のアトムは天然の存在だけでも水素からウランまで92種類もある。(全部が19世紀に知られていたわけではないにせよ。)根源粒子がそんなに多くあるなんて、宇宙はそんなにも複雑なのか、いやそんなはずはない、という葛藤を生じたのです。

この問題は結局、原子がデモクリトスの「アトム」ではなく、原子自体が電子、陽子、中性子というより根源的な粒子から成ることが分かって、人々を安心させました。根源粒子が92ではなく3つしかなかったからです。電子や陽子のような、より深いレベルの根源粒子は「素粒子」と名づけられました。

ところが20世紀になると、全く同じ問題が繰り返されたのです。

当初、素粒子は電子、陽子、中性子の3つしかなかったのに、1936年のミュー粒子の発見を嚆矢に、ミュー、カオ、パイ、ラムダ、シグマ、カイ粒子と発見が続き、パイ粒子やシグマ粒子などは正、負、中性の3種があり、そのそれぞれに反粒子があることまで分かり、「根源粒子」の数は際限なく増えてゆきました。はじめは新粒子の発見に興奮していた研究者たちも、こうなると前世紀の先達と同じ問題に直面したのです。なぜこんなに複雑なのか、と。

1964年にマーレイ・ゲルマンがクォーク仮説を提唱したのはこの問題に答えるためでした。素粒子もまた根源粒子ではなく、クォークというより根源的な粒子から構成されるというのです。

ところが電子や陽子とは異なり、いくら実験と観測をやってもクォークの実体を見つけることはできません。それどころかクォークは絶対に観測不能という説もあるのです。そうなるとブラックホールの内部と同じです。

もちろん世界の研究者たちはやれる限りの検証はやってますし、その上でクォークの実在は広く認められているようです。それにしても、ゲルマンの提唱以来多くの研究者が熱心にクォークを追求してきたのは、宇宙の基本構造は単純なものであるはずという信念があったからではないでしょうか。論理的には、根源粒子が数百もあってはいけない理由はないのですから。

単純さを求め続ける姿勢は、一種の「信仰」ではないのか、と思えるときがあります。

151diamonds8888x:2018/08/15(水) 06:15:28 ID:K6qbiXYU
>>150
> 単純さを求め続ける姿勢は、一種の「信仰」ではないのか、と思えるときがあります。

 もちろん信仰ですよ。知りませんでしたか?(^_^) 神は世界を単純に作ったとかいうキリスト教の信仰からだとかいう説が言われています。まあこれもあくまで一つの説だとは思いますが。それに世界を単純な原理から説明しようという思想は古代ギリシャでも顕著にみられますから、キリスト教だけが原因でもないでしょうし、そもそもキリスト教等で「神は世界を単純に作った」という信仰が生まれたとしたら、それは何かしら人間の心理によるものでしょうからね。つまり人間の心理に単純さを好む性向があるのが原因と考えるべきでしょう。

 単に複雑なことは考えられないだけかも知れませんけど(^_^)。四色問題のコンピューターによる証明に居心地の悪さを感じた人は多かったようですが、これなんかまさに「人が考えられないほど複雑な証明なんて」という感情によるのではないでしょうか。

 とはいうものの近年のコンピューターパワーの進歩により、「単純な規則などない」と思わざるをえない問題でも解を求められるようになり、単純な規則のない状況にも直面する覚悟というものも出てきているのではないでしょうか。

152diamonds8888x:2018/08/18(土) 12:40:34 ID:K6qbiXYU
 どうも私とKenさんとでは科学観が大きく違うのではないかと思えてきましたので、まず私の科学観を述べて、違いを確かめるという方針にしました。その前に、私がもっとも疑問に思うことを述べておきます。それは[>>119]で述べた質問です。

   そもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞れば
   よいのではありませんでしたか?

 理由は、
  ・別の仮説を持ってこなくても、このテーマの話はできる
  ・別の仮説を持ってくると、持ってきた仮説の説明やら絡んで混乱しやすい

 それでもKenさんにすれば別の仮説を持ってくる必然性があるのかも知れませんが、それは私から見ると、Kenさんの科学観ゆえかも知れず、だとすると今の私には理解が難しいかも知れません。逆にKenさんか見ると、[>>119]の疑問が想定外のものなのかも知れません。

 両者の科学観の違いがわかってくれば、この点も明らかになるのかも知れません。

153diamonds8888x:2018/08/18(土) 12:44:16 ID:K6qbiXYU
 科学という言葉が指す範囲は文脈により様々ですが、最も広義には世界を知ろうとする試みと言えるでしょう。特に、その方法として経験に基づいて未経験のことを推測するという手段を使うことが特徴と言えるでしょう。これは地球上でヒトだけが使える手段ではなく、他の生物にも行っているものがいます。余計な空想をしないだけ、ヒト以外の生物の方が素直に科学的方法を実施しているのかも知れません。[*1]

 とはいえ他の生物とは異なり、ヒトは集団を作り個人の一生を越える期間の経験をも蓄積して系統的な知識に変えることができるようになりました。こうして、ひとつの集団内で世代を超えて継承される知識や知恵とも呼べるものが生まれました。ここまでなら知識は各集団内だけに留まるのですが、さらにホモ・サピエンスは集団間でも交流し時には協力もするという能力を身に付けました。すると大きく言えば人類共有の知識というものが誕生します。この個別集団を越えて共有される知識は、いわゆる文明が誕生した時には「学問」と呼ばれるものへと発展していました。

 ここで私は、人間の活動に「学問」「技術」「芸術」という異なる活動があると定義します。「学問」というのは世界を知ろうとする活動であり、「技術」は世界に働きかけようとする活動です。「芸術」は、どう言い表せばよいのでしょうね。世界を表現しようとする活動? いや世界というと自分のことは除くという印象もありますから、自分や世界を、ともかく何かを表現しようとする活動?

 言うまでもなく(という意味が簡単には想像できにくいかもしれないけど)、ここで「世界」というのはヒトが見聞きしうるあらゆるものを指します。極微の素粒子から宇宙の地平線での出来事、人の社会のありざまから心の働き方や仕組みまで、あらゆる事柄を指します。また人の心が生み出したもの、言語、法、規則、ゲーム、数学、論理、架空世界、等も忘れてはいけませんね。

 「学問」というものが世界を知ろうとする活動である以上は、それは人が見聞きしうるもの、つまり経験に基づかざるを得ません。すなわち広義の科学的方法に基づかざるをえないのです。[*2]

 (続く)
------------
[*1] 例えばロビン・ダンバー(Robin Dunbar)『科学がきらわれる理由』の3-5章あたりに例があります。今ではもっと多くの例が知られているでしょうが。
[*2] いわゆる文系学問において、経験には基づかないかのように思ってる風もあるが、真偽の決着を付けられるのは経験以外にはありえない。詳しくは長くなるだろうし、本論の筋ではないので述べない。それに、学問観の違いと見れば、単にそれだけのことですし。

154Ken:2018/08/18(土) 18:41:56 ID:zsbVUn6w
>>152
>そもそも「1.本当に自然選択では説明が困難なのか?」という話だけに絞ればいのではありませんでしたか?
>Kenさんにすれば別の仮説を持ってくる必然性があるのかも知れませんが

私の意図は、

〜過去に起こった進化の中に知的干渉の結果と考える方が合理的なものがある

という主張をすることです。そのためには2つの段階の議論をせねばなりません。

第1段階は、自然選択では説明できないことをIDの証拠とみなすことの妥当性を論証すること
第2段階は、特定の進化が自然選択では説明できないことを論証すること

7年前の私自身もそうでしたが、多くのID論者は第1段階を無視していきなり第2段階の話から始めるので、ドーキンスのような人々から「疑似科学者」と呼ばれます。diamonds8888xさんの上の提案が、第2段階から始めようというものでしたら、現状では賛同できません。

もっとも第1段階の議論なら、実はdiamonds8888xさんの「基準02」だけを論じればよいのかもしれません。ただ、私としては疑似科学という批判を受ける可能性を根絶しておきたいので、すべての基準を検証したいと思います。ですから今は基準01の話を続けています。

科学観に違いがあるかどうかは分かりませんが、私は今回の議論ではdiamonds8888xさんの基準に従うつもりですし、それなら同じ科学観で語ることになるのではないでしょうか。

言い換えれば、diamonds8888xさんの基準に対して、異なる科学観からの反論をしようとは思いません。例外として、私が科学や教育をどう考えるかと尋ねられた時は、>>145のような回答をするでしょうし、それは結果としてdiamonds8888xさんの科学観への反論になるかもしれませんが。

そのような例外を除けば、diamonds8888xさんが挙げる基準に、私からでるであろう問題提議は1つしかありません。

〜その基準はあらゆる事例に等しく適用されるのか

これだけです。あらゆる事例に等しく適用されることが納得でき、その基準に照らして私のID論を主張できると判断すれば、上記の第2段階に移ります。その基準では私のID論は疑似科学になると分かったら、一連の議論を打ち切ることになるでしょう。

155diamonds8888x:2018/08/20(月) 05:07:32 ID:K6qbiXYU
>>154 なるほど。Kenさんは「〜過去に起こった進化の中に知的干渉の結果と考える方が合理的なものがある」との主張についての議論のために2つの段階を踏むことが必要との考えを当然視してますが、それが私には理解しにくいし、いきなり第2段階から始めるID論者の人達も含めて多くの人にも理解しにくいと思いますよ。私から見ると、ここに科学観の違いが現れていそうです。

 私の見るところKenさんの発想が生まれる原因は、私の述べた「事実」とか、「理論の根拠」というものの範囲について、多くの人と食い違いがあることだと思われます。[>>146]がその好例ですが、[>>146]に示された各事例への反論は、まだテーマずれの可能性もありますし、私の科学観の説明をしてからがよさそうです。ついでに「合理的」の範囲も違っていそうですが、まあこれは「厳密には検証できてないけど、仮説提唱くらいは妥当な」てなくらいの意味なんでしょうね。それとも、もっと強いニュアンスなんでしょうか?

156diamonds8888x:2018/08/20(月) 05:09:33 ID:K6qbiXYU
>>153
 さて知識の継承により人類共有の知識というものが誕生したのはいいのですが、そこには様々なフェイクが紛れ込みます。見間違い、聞き間違い、考え違いなどによるフェイク、伝承時のコピーミス、記録者の意図的フェイク、など原因は様々です。個人だけのことや小さな集団内でのことだけならフェイクの修正も比較的可能ですが、遠く離れた記録者や遠い昔の記録者のフェイクを確認するのは非常に困難になってきます。

 人は間違うものというのは当たり前に思えるにもかかわらず、「昔から伝承されてることだから正しいに決まっている」という思い込みは思いのほか広くみられるものです。ひどくなると目の前に見えていることさえ無視したりします。結局のところ、近代科学の発展の基礎となった「経験主義」というのは、こういった思い込みとの戦いだったと言えるでしょう。わざわざ「主義」などとイデオロギーとして宣言しないといけないほどに、この「人の言ったことを信じすぎる」という思い込みは強かったということです。とはいえ、人の言ったことを信じるというのは、つまりは仲間を信頼するというホモサピエンスの性質からきているもので、それは群れを作るという生物の強みの源泉でもあるのでしょうから、致し方ないのかも知れません。

 というわけで、明確に意識された科学的方法論というものを人類が手に入れたのは、ロジャー・ベーコン等の「経験主義」に始まる近代科学の発展以降のことと言えるでしょう。もちろん古代ギリシャを始めとする世界の様々な地域の文明においても科学的方法は使われてはいましたが、それが明確に意識されていたとは言えないでしょう。「事実に基づくことが正しい」という考えは当然あったのですが、上記の思い込みというものも強くて拮抗していたと言えるでしょう。

 (続く)

157diamonds8888x:2018/08/25(土) 19:34:20 ID:R7cfu6u.
>>156 人類共有の知識へと成長した学問や技術は、どんなものであれ世代を経るに従い知識が積み上がり発展していくという特質を持つことになります。特に自然科学はその傾向が著しいですが、その理由は自然というものが世代を経てもあまり変わらないということが大きいでしょう。これが社会学や経済学、心理学などになると、対象が歴史と共に変化しているので、一筋縄ではいかないのです。

 知識の積み上がりによる学問の発展の好例は、古代の天文学でしょう。古代バビロニアで既にサロス周期が知られていたといいますし、新大陸のアステカでも月食や日食の予測ができたそうです。これは長期間のデータの積み上げの例ですが、自然は一体のものですから、例えば物理化学で判明したことで生物や天文現象の予測ができますし、逆に天文現象の観測を物理化学理論の検証に使うこともできます。

 実はこのような各分野の密接な関係が認識されたのも近代科学発展以降のことです。つい数世紀前でさえ、生命現象は物理化学法則とは異なる「生命エネルギー」のようなものが関与している、といった理論も否定できませんでしたし、コペルニクスの時代には「天体は地上のものとは異なる物質でできている」という理論も信じられていました。それがだんだんと、地上の石や土や水も天体と同じ物質であり、生命も同じ法則に従う、という知識が積み上がり、この世界ではどこでもいつでも共通の物理化学法則が成立するという理論が確立されました。いわゆる斉一説の一種です。

 このように世界の様々な現象の関連がわかってくると、さらに多くのことを知るための推論ができるようになります。例えば、昔の地質や化石や歴史的遺物を、いわゆる自然科学的手法を使って様々な情報を引き出すことができるようになります。古文書の真偽を調べたり、その内容を天文ミュレーションや地質学的証拠と突き合わせたりなどということが可能になります。

 このように物理化学法則が成立するという理論を基に様々な分野の知識が推論され積み上がり、それら相互に矛盾がないという状況が積み上がれば、それは逆に、基にした物理化学法則の検証が積み上がるということをも意味することになります。

 (続く)

158diamonds8888x:2018/09/01(土) 15:19:44 ID:y9yGvaEo
>>157
 ポパーの反証可能性では「反する事実がひとつ観測されれば理論は棄却される」と言われます。しかし現実にはそう単純な風には進まず、結局はその反例が観測間違いだとわかったり、理論の中心的な部分は変えずに修正がなされたりという風になることが多いことがわかってきました。この修正される部分は理論の周辺部、いわば衣であり、不変の部分は堅い核(*1)などと呼ばれます。

 私が考えるに現代の科学理論が反例に見える事実が観測されたように見えても容易にひっくり返らないのは、堅い核を変えたくないという「思い込み」が主要な理由とも言えません。もっと大きな理由は、理論を支持する膨大な観測事実を無視することができないからです。むろん【過去の膨大な観測事実を現理論同様に説明できて】なおかつ新たな観測事実、現理論の反例となる観測事実をも説明できる新理論があるならば話は別です。

 そしてこの「現理論を支持する事実」の中には他分野の多くの理論も含まれます。言い方を変えれば、現代の科学理論というのは、多くの分野の多くの理論がセットとしてひとつの理論を構成しているとも言えます。特に物理化学の理論は、それが変ると他分野(天文学、考古学、生物学など)の理論にも変化を及ぼすものであり、逆に言えば、他分野の膨大な観測事実により検証されているので、容易なことではひっくり返りません。

 実際、例えばニュートン以来の物理理論は、いわゆるコペルニクス的転回のような劇的な変化はしていません。相対性理論によるニュートン力学の破れが観測されるのは速度が光速に近い領域であり、通常速度の領域ではニュートン力学が正しい理論であることはひっくり返ってはいません。相対性理論はニュートン力学を拡張したのであり、ニュートン力学は相対性理論の近似理論となったのです。これは量子力学に関しても同様です(*2)。

 このように現代の物理化学理論がまたいつかコペルニクス的転回を受けることはまずありえないと考えられます。それは、過去に積み上げられた精密な観測事実の集積や、物理化学理論が正しいという仮定のもとで動いている様々な技術製品の働きなどの日々の膨大な観測事実を無視できないことが大きいでしょう。

 しかし、物理化学以外の分野の理論はどうでしょうか?


 余談ですが、世界の様々な現象の関連がわかってきたメリットのひとつには、[>>156]で述べたフェイクを見破る手段が増えたことも挙げられます。

-----------
*1) 科学哲学用語としてのハードコアは若干意味が違うようだ。wikipediaの記事「ハードコア (科学的リサーチプログラム)」参照。
*2) ニュートン力学の破れは非常なミクロの世界においてであり、ニュートン力学は量子力学の近似としては正しい、ということは確かである。とはいえ、量子力学における物質観はコペルニクス的転回と呼べるとも言える。それは相対性理論における時空概念についても言える。さらに言えば、天動説が破れるのは力学的現象をも説明しようとする場合であり、天動説は地動説の近似(というには質が違うが)だと強弁することもできるかも知れない。
  要点は、新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである。

159Ken:2018/09/01(土) 18:24:58 ID:29AIi7KU
>>158

まだすべての説明を完了しておられないかもしれませんが、1点だけ確認させていただけますでしょうか。

>新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである

すでに何度か述べたように、ニュートンの光粒子説に対してホイヘンスは光波動説を提唱しました。光粒子説では説明できない事実を、光波動説は説明できると考えたからです。光粒子説で説明できない事実とは、

1.光同士が交差する
2.光が屈折する

というものです。2はちょっと微妙で、17世紀の常識では粒子説でも説明できたかもしれません。なにしろ分光を発見した当のニュートンが粒子説だったのですから。でも1はたしかに粒子説では説明ができませんでした。(もっとも中性子やニュートリノが知られていたら、話は変わったのでしょうけど。)

その一方で、光粒子説ならすっきりと説明できる事実を、光波動説は説明できませんでした。

1.光が必ず直進する
2.光が真空中を伝わる

1はヤングが回折現象を確認するまで、2は光の正体が電磁波と分かるまで、説明ができませんでした。

このように、それまでの理論が説明できたことを説明できない形で、新しい理論が登場することもあるのではないでしょうか。

160diamonds8888x:2018/09/02(日) 08:25:19 ID:y9yGvaEo
>>158
 物理化学以外の分野でなら、コペルニクス的転回を受けている理論はあるのでしょうか? 最も目立つのは歴史分野のように思えます。その例は以下の本で見られます。なお、最初の本は歴史以外での変化も書かれていて、なかなかおもしろいです。

  ・現代教育調査班(編集)『こんなに変わった!小中高・教科書の新常識 (青春新書プレイブックス)』青春出版社(2018/01/20)
  ・河合敦『もうすぐ変わる日本史の教科書: “常識”を塗りかえる新しい定説が続々―― (KAWADE夢文庫)』河出書房新社(2017/09/20)
  ・山本博文(監修)『こんなに変わった! 日本史教科書』宝島社(2017/05/20)
  ・高橋秀樹,三谷芳幸,村瀬信一『ここまで変わった日本史教科書』吉川弘文館(2016/08/25)
  ・山本博文『こんなに変わった歴史教科書 (新潮文庫)』新潮社(2011/09/28)

 歴史分野だと確かに、従来と180度違う記述になっているものも多数見られます。それは歴史の一部でもある古人類の進化史でも同様ですし、恐竜など個々の系統の進化史でも終始見直しが入っています。

 しかしこれらの広い意味での歴史分野の事例は、理論の転回というよりは事実の見直しの事例がほとんどに見えます。それは一言で言えば、過去の事実を明らかにする手段が進歩したからと言えると思います。それは例えば考古学的遺物や古文書の調査に進歩した自然科学技術を使うといったわかりやすい例から、方法論の進歩などといった専門外の人からはわかりにくい例などもあるでしょう。

 そしてこれらの分野でも、新しく正しいとされた事実は、従来の事実よりも根拠となる理論や新事実がより多く確かなものであると考えられます。それもまた知識の積み上げの一環であり、新しく正しいとされた事実は従来の事実よりも覆されにくくなっているのではないでしょうか。我々は巨人の肩の上にいるので、その巨人を全否定したら落っこちてしまうのです(*1)。

 天文分野でも「従来の常識を覆す天体」というものは結構見つかっているようです。こちらはまさしく観測技術の進歩によるところが大でしょう。太陽系外惑星の探査が好例で、21世紀に入ってから新発見の連続で「どんな惑星が一般的か?」という点に関しては二転三転で専門家も興奮状態みたいですね(^_^) 冥王星の準惑星への降格事件は一部の人達にとってはコペルニクス的転回に思えたかも知れませんが、冷静に考えれば、今まで見えなかった天体が多数見つかることで惑星の分類が見直されたということです。

 天文分野には【従来の理論では説明できない観測事実】の好例があります。それはダークマターです。その正体については未だに様々な理論が乱立状態ですが、ダークマターなどというとんでもないものの存在を仮定するか、さもなくば重力理論を大幅に修正するかしないと説明できない観測事実の存在だけは、すべての天文学者が認めています。トンデモ系の著書の決まり文句のような「常識と権威にとらわれて事実を無視する頭の固い既存の科学者」なんて人はいません。


 もっとも、上記にあげた教科書変化本も含めて非専門家相手の啓蒙書では「常識が変わった」という点を強調する表現は多いし、「自分以外のプロは常識にとらわれている」みたいな書き方の本も、特に歴史など文系の啓蒙書には多いような気はします。

 (続く)
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*1) 乗っかる巨人を間違えるとあらぬ方向に連れていかれるのでご用心(^_^)

161diamonds8888x:2018/09/02(日) 08:28:02 ID:y9yGvaEo
>>159
 両理論とも、説明できにくい点はあっても説明できないという点はありません。Kenさんの示された難点は当然ながら両陣営ともに知っていて、それぞれに様々な補助仮設を入れることにより説明しています。調べた限りでは以下のRef1が一番詳しそうです。なお時間的には波動説がまず最初ですね。Ref2は概要を示してますが、粒子説を最初に持ってきていて、ミスリーディング気味です。

  Ref1) 物理教育 第43巻 第4号〔1995〕[ttps://www.jstage.jst.go.jp/article/pesj/43/4/43_KJ00005896682/_pdf]
  Ref2) [ttp://www.nararika.com/until2015/butsuri/kagakushi/nami/hikari.html]
  Ref3) 粒子説で光の屈折を説明[ttp://uchu-kenbutsu.hatenablog.com/entry/2016/06/06/102332]
  Ref4) 粒子説で光の屈折を説明[ttp://optica.cocolog-nifty.com/blog/2013/04/post-cabf.html]

> 1.光同士が交差する

 これはもしかして干渉のことですか? それとも交差しても衝突しないということですか? 後者はRef1では、ホイヘンスによる「波の独立性」と書かれていましたが。

> 2.光が屈折する

 Ref3,4の通り、ちゃんと説明していました。苦しい気はしますが。

> 1.光が必ず直進する

 これは私の知らないことのようです。波が直進したら、なぜいけないのですか? Ref1では「波の直進、反射、屈折をうまく説明した」と書いてありますが?

> 2.光が真空中を伝わる

 「波は媒質がないと伝わらない」という理論に反するということですが、エーテルを仮定することで説明していました。


 もちろんこれらの説明にも難点はありますし、すぐに検証ができたわけでもありませんが、「説明しなかった」ということはありません。まあ、すぐに検証ができるのだったら論争など必要ありませんし。

162Ken:2018/09/03(月) 21:27:27 ID:29AIi7KU
>>161

>1.光同士が交差する
>これはもしかして干渉のことですか? それとも交差しても衝突しないということですか? 後者はRef1では、ホイヘンスによる「波の独立性」と書かれていましたが。

はい、Ref1の4の序説で「波の独立性」といわれているものです。粒子説ではこの現象は説明できなかったはずです。

>1.光が必ず直進する
>これは私の知らないことのようです。波が直進したら、なぜいけないのですか?

これはRef1の4.1(2)で言われている回折現象の不在を意味します。波なら障害物の背後に回り込むはずですが、19世紀初頭のヤングの実験前には、光の回折はなく、直進するだけと思われていました。

>2.光が真空中を伝わる
>「波は媒質がないと伝わらない」という理論に反するということですが、エーテルを仮定することで説明していました。

一番の問題はこれですね。仮定するといっても、そんな仮定をしてもよい理由はなかったはずなのです。

真空という、物質不在の空間を光が伝わる事実は、本来、光波動説への反証になるはずです。これに対して光波動説の側がそれは反証ではないと主張するには、次の2つのどちらかを行わねばなりません。

1.波には媒質が必要という理論を否定する(その後の歴史でそうなりましたが)
2.光の媒質を発見する

エーテルなる物質が空間に満ち、それが光の媒質であると主張するなら、エーテルの現物を観測するか、もしくは光が空間を伝わるという事実とは独立した、別の根拠に基づいてエーテルの存在を示すべきでしょう。でも光波動説がエーテル実在の根拠としたのは、光が空間を伝わるという事実そのものですから、これでは論理の無限ル-プになってしまいます。

光波動説がみずからの理論をより精緻なものにするため、例えばRef1の6.1(2)に書かれたようなエーテルの弾性率と密度を予測するのは結構ですが、それだけではエーテル実在の根拠になりません。光の速度を元に弾性率と密度を算出したのなら、検証には、光の速度とは別の根拠に基づいて、そのような弾性率と密度の物質が存在することを示す必要があります。

以上の理由により、光粒子説も光波動説も「説明できにくい」というより「説明できない」難点を抱えていたと、私は考えます。

なお、新しく登場した理論の方が古い理論よりも、説明できないミステリーを多く抱えるという点では、コペルニスクスが提唱した地動説はもっと極端な例でしょう。

*なぜ大地のような重いものが動くのか
*なぜ世界に恒常的な風が吹かないのか

こんな疑問が起こることは、天動説ではなかったのですから。

163diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:31:13 ID:u4p17aRc
[>>162]にはKenさんが誤解している点が露わになっています。これで説明がしやすくなったと思いますが、以下、よく注意してお読みください。

 新理論を提案する時には、すぐに検証されたり反証されたりする必要はありません。検証や反証の方法が原理的に提案できればいいのです。すぐに検証されたり反証されたりできるくらいなら議論なんて続かずにすぐに決着がつくのですから。あるいはその方法は提案当時の技術では困難かも知れませんが、それは本質的問題ではありません。その困難は将来には克服できるかも知れないし、実際に克服されてきたのが科学の進歩の歴史です。

 エーテル仮説について言えば、おっしゃる通り「2.光の媒質を発見する」ことができれば検証できますし、どうしても発見できなければ反証になります。これはエーテル仮説が「反証可能性を持つ」ことであり、現代の基準に照らしても科学的仮説の資格があることを意味します。【当時、すぐに検証できるかどうかは関係ないという点に御注意ください】。

 もちろん発見するためにはエーテルの性質を示して(理論的に仮定して)、どんな現象が観測できるかを予言しなくてはなりません。それは例えば以下のようになされました。

  ・エーテルは光を伝える媒質であり、通常物質と同等の運動性質を持つ。具体的には以下、
  ・光はエーテルに対して一定の相対速度cで伝わる。
  ・ゆえに、例えば地球に対する光の相対速度は、cに地球とエーテルとの相対速度を加えたものになる。

 こうして光速度を正確に測定できれば地球とエーテルとの相対速度を観測することができ、エーテルの発見(いわゆるエーテルの風の発見)になる、という結論が導かれました。そして御承知の通りエーテルの風は見出されず、エーテル仮説は反証されました。エーテル仮説が反証可能な科学的仮説であった何よりの証拠です。

 エーテルの性質については他にも、質量や密度、粘性なども考えられますが、もしもエーテルの運動が見出されていたならば、その観測により、これらの性質も観測できたはずです。Ref-1によれば光速度から密度と弾性率が計算されたようですが。その他、波を伝える媒体である水や空気や個体などとの類推から様々な性質が予測され、それゆえにKenさんが挙げている「様々な難点」が見出され議論することができました。すなわち、【科学的観測事実との比較ができた】のです。これこそがまさに科学的理論であることの資格です。


 エーテルのように未知の何かを仮定して理論を立てるということは物理学の歴史上では頻繁に行われています。ニュートリノ仮説を最初の例として、クォーク仮説など新素粒子を仮定する理論は枚挙にいとまがありません。素粒子ではありませんがダークマターの存在も、重力理論は変更せずに未知の物質を仮定するという理論による予測です。

 ここで大切な点は、仮定した未知の何かの性質を示し、どんな観測でその性質がわかるかを示すことです。それがすなわち反証可能性を示すことになります。例えばダークマターは「通常の物質同様に運動法則に従い、質量に比例する重力場を発生する」「通常の物質とは重力以外の相互作用はほとんどしない」という性質が仮定されています。その仮定された性質を元にシミュレーションも行われ、観測可能な通常物質である星雲などの観測事実と比較するということが行われています。

 では進化を説明するためにデザイナーを仮定する理論はどうなのか? デザイナーの性質として原理的に観測可能な現象を予測できるようなものを明確に示すならば科学的検討を行うことができるでしょう。別コメント[>>164]でちょっと考察してみます。


 なお、光速度不変という観測結果は粒子説でも説明できないものです。まさに、光粒子説も光波動説も「説明できにくい」難点を抱えていました。つまり何らかの改良を加えない限りは「説明できない」難点を抱えていました。これは複数の理論が対立している状況では普通のことです。難点のないような理論があるなら、それが多くの人に支持されて定説化するはずですから。難点があること自体は科学的仮説である資格を失う理由にはなりません。観測事実に反するかのように見える難点の存在は、まさしく理論が反証可能性を持つことを示していると言えます。

 なお、本筋には必ずしも不要ですが、指摘しておいた方が良い点を別コメント[>>165]で書いておきます。

164diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:32:30 ID:u4p17aRc
>>163
 進化を説明するためにデザイナーを仮定する理論は、エーテル仮説やダーママター仮説と同様に科学的仮説と言えるのでしょうか? いずれも「未だ観測されていない何か」の存在を仮定している点では同じに見えます。しかし既に述べたように、その何かの性質を示し、それによって原理的に観測可能な事実は何かが示されなければ、科学的検討の対象になりません。私は寡聞にしてID論者が提案したそのような性質を知りません。ここでは、そのようなデザイナーの性質として考えうるものを検討してみます。

 基本的にデザイナーの性質として仮定されているのは以下のようなものだと思われます。
  1.進化に介入しようという意図を持ち、介入を実行する能力がある。
  2.実際に地球上の進化に介入してきた。

 1だけではデザイナー自身以外には観測は不可能です。何も行動していない人の頭の中身を観測するようなものですから。そこで2を観測できるかどうか、ですが、これだけでは具体性に欠けるでしょう。具体的に、どの生物のいつの時期の進化に、どのように介入したのかという仮説を示さなければ、科学的に検討することができないでしょう。

 私の知る限りID論側の示しているのは次のような事例です。ただし具体例として示したのは、単に私が例としただけで、実際にID論側からの提案にあるかどうかは知りませんので、誤解なきよう。
  ・ある進化の事実、例えばアウストラロピテクスからホモ・エレクトスへの進化は
   自然選択説では説明できない。ゆえに上記1、2の性質を持つ者の存在を仮定すべき
   である。

 仮定するのはいいですが、これだけではやはりいかなる観測事実を求めて検討すべきかが不明です。
  ・どのように介入したのか?
  ・その場合、どのようなことが観測可能なのか?(どんな痕跡が残るのか?)

 こんなことが示されれば初めて科学的検討ができます。その点ではKenさん提案の「実際に行われている人による品種改良と同じ方法を使った」という理論なら原理的に検討できる可能性があります。

 繰り返しますが、エーテル仮説やニュートリノ仮説、ブラックマター仮説では、原理的に観測可能な現象を予測できるような、未知の何かの性質が仮定されていましたから、科学的検討ができたのです。それは過去や現在の活発な議論が示しています。

 とはいえ、デザイナー仮説を科学的に検討可能な理論へと進展させる仕事は提唱する側の仕事です。現在の定説側の科学者にそれを求めるのは無理です。なぜなら私も含めて定説側では、そもそもアウストラロピテクスからホモ・エレクトスへの進化は自然選択説で説明可能と考えているからです。ベータ崩壊で明らかにエネルギー保存則が破れていた状況とは全く異なります。

 本当に自然選択説で説明不可能な進化が観察されているならともかく、そうではないのにわざわざややこしい仮説を導入する意義は感じられないというのが、定説側の多くの人々の考えです。まさしく「そんな仮定をしてもよい理由はないはず」なのです。まずは本当に自然選択説で説明不可能な進化が観察されているのかどうかを確認するのが先決であり、その時点では余計な仮説など使う必要はありません。

 さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。これが天動説vs地動説の場合なら明らかに二者択一ですから一方の否定は自動的他方の肯定になりますが、自然選択説vsデザイナー仮説ではそうではありません。自然選択説の否定は、デザイナー仮説や定向進化説や、その他もろもろの仮説を提案する理由にはなりますが、その中で特にデザイナー仮説だけを優先的に取り上げる理由にはなりません。

165diamonds8888x:2018/09/09(日) 08:34:29 ID:u4p17aRc
>>162
以下はあまり本筋に影響しませんが、参考までに。

>そんな仮定をしてもよい理由はなかったはずなのです。

 理由は波動説を取るなら媒体があるはずだという点です。また論理的理由ではありませんが、そもそも歴史的には「真空の存在」の方が非常識とも言えます。[参考:wikipedia記事「真空」の2章「真空をめぐる歴史」]。

>光の速度を元に弾性率と密度を算出したのなら、検証には、光の速度とは別の根拠に基づいて、そのような弾性率と密度の物質が存在することを示す必要があります。

 必ずしもそうとは言えません。まあ、より多くの質の異なる観測事実で補強されるにこしたことはありませんが。例えばニュートリノの最初の検証については都立大学名誉教授の小林澈郎の講演[ttp://gakujutsu-kenkyunet.org/koenkobatetu.html]で「遂にニュートリノを捕まえた!」として紹介されています。これはいわばβ崩壊の逆反応を予測して観測したということになりますが、β崩壊とは質の異なる観測なのかどうかは見方により難しいのではないでしょうか。またダークマターに関しては重力相互作用以外に検証できない可能性もあるわけですが、それでも多くの理論と一致する事実が重なれば「実在する」と見なされるようになっていくでしょう。

> *なぜ大地のような重いものが動くのか
> *なぜ世界に恒常的な風が吹かないのか

 これはそれほど大きな難点と見なされていたのですか? 私の紹介した日経サイエンスの記事ではそうは見えなかったのですが。

 1番目は「天体は地上の物体よりも遥かに軽い」という観測されていない仮定に基づく疑問です。当時すでに太陽が地球より遥かに大きいことはわかっていましたし、それが理由で地動説を支持した人もいました。地動説側から見れば、それほど大きいものが地球より軽いというのも不自然でしょう。ましてガリレオの木星の衛星発見以降は、「天体も(少なくとも惑星は)地球と同じ物質だ」という考えが広まったでしょうし。

 2番目は大気が地球と一緒に運動すると考えれば問題ありませんし、実際に地動説側はそう考えていたでしょう。「地球が丸いならば、なぜ反対側の人々は落っこちないのか?」と同列の疑問に見えますが?(天動説vs地動説の時点では地球が丸いことは既定事実でした)。

 もしもこれら2点がそれほどの難点と見なされていたというならば歴史文献的根拠を示してください。

166Ken:2018/09/09(日) 21:39:48 ID:KrLV/igM
最も基本的なことから確認します。

私の質問意図は、>>158にて、

>要点は、新しい理論が正しいと認められるためには、旧理論が説明できたことは説明できないといけないということである。

と言われたことの意味を最大限に明らかにすることでした。これに対して>>163では、

〜将来検証できる可能性がある説明なら、説明として受容できる

と述べられたものと理解しますが、それでよろしいですか? たとえば光同士が衝突せず交差する現象を、粒子説は検証方法も含めて説明していたわけですね?


次に、以前からも言っていますが、私は今の段階ではIDの話をしたくありません。とはいえ>>164のように尋ねられたときは、できるだけ回答しようと思います。IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。おそらくは私たちが知らない言語で書かれているのでしょうが、解読できる可能性もあるでしょう。図で説明されているかもしれませんし。

それと、

>さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。

前にも言いましたが、この部分は基準02の検証を通して論じるべきではないでしょうか?


エーテルについて確認させてください。

>・エーテルは光を伝える媒質であり、通常物質と同等の運動性質を持つ。具体的には以下、
>・光はエーテルに対して一定の相対速度cで伝わる。
>・ゆえに、例えば地球に対する光の相対速度は、cに地球とエーテルとの相対速度を加えたものになる。

地球に対する光の相対速度を観測しようとしたのがマイケルソンとモーリーの実験だと思いますが、光波動説の登場からこの実験まで2世紀の時間差があります。その2世紀のあいだ、波動説を唱えた人たちはこの検証方法を知っていたが技術的精度が伴わないので実行できなかったということでしょうか。

ご存知のように、マイケルソンに先行して光の速度を測定した人が何人もあり、フィゾーやフーコーなどはかなりの精度で測定しています。今の私たちが見ると、この人たちの測定精度でも、地球の速度の影響を検出するには不足だったかもしれません。では、この人たちは自分たちの精度不足を承知していたからエーテルの検証をあきらめていたのでしょうか?

言い換えれば、マイケルソンはエーテルの検証方法自体を独創したのではなく、2世紀前のホイヘンスから知られていた検証を可能にする技術を発明した人だったわけですね。

167Ken:2018/09/11(火) 00:03:46 ID:TbqNCAC6
>>163で述べられた「検証や反証の方法が原理的に提案できればいい」という点を明確にするための問題提議をしたいと思います。問題は、なにをもって「原理的に提案する」とみなされるのかということでしょう。具体例を挙げながら話を進めます。

17世紀に望遠鏡が発明されてから、その技術は進歩を続け、例えば太陽と同じ大きさと明るさの星を観測できる距離は10光年、20光年、100光年と伸びていきました。望遠鏡の倍率を上げるにはレンズを大きくすればよいことも分かっていました。ですから100光年先の太陽を観測できた天文家は、その時点では1000光年離れた星を見ることはできなくても、やがては見えるようになることが予測できたし、その予測を元に特定の理論の検証方法を提唱できたはずです。これは、ある時点では不可能でも原理的に可能とみなされる検証の分かりやすい例です。

一方、江戸時代から200年も続く邪馬台国論争は一向に決着しませんが、タイムマシンが発明され3世紀の日本を観測すれば簡単に決着するはずです。しかし、将来タイムマシンが発明される前提で過去の時代を観測できると予測する人はいないはずです。理由は、タイムマシンをどうやれば作れるのか想像がつかないからで、これは原理的にも不可能な検証です。

それではコペルニクスが提唱した時の地動説はどうでしょうか。天動説と地動説のどちらが正しいかは惑星を詳しく観測すればよいという点では原理的に検証可能でした。たとえば天動説では太陽と金星のうち地球に近い方はつねに近いのに対し、地動説では金星は太陽よりも手前になったり遠くになったりするので、金星も月と同様の満ち欠けをするはずなのです。したがって金星を詳しく観測し、満ち欠けをするかを検証すれば、天動説と地動説のどちらが正しいかは分かります。実際に、コペルニクスの1世紀後にガリレオがこの観測を行い、地動説の正しさを確信しました。

でもガリレオがそれをできたのはコペルニクスの時代には無かった望遠鏡があったからです。コペルニクスの時代よりも高性能の望遠鏡があったのではありません。コペルニクスの時代には望遠鏡の概念自体がありませんでした。そうなると、惑星の満ち欠けを判別するほど詳しく観測することは原理的に可能といえるのでしょうか。コペルニクスたちにとって惑星の詳しい観測は、今の私たちにとってのタイムトラベルと同様に、不可能なことだったのではないでしょうか。

エーテルの存在は19世紀末のマイケルソンとモーリーの実験で否定されましたが、彼らにそれができたのは、地球の速度の影響を判別できるほど光の速度を精密に測定できたからです。しかし彼らの測定技術は彼ら以前に光速を測定したフィゾーやフーコーの技術の発展形ではありません。フィゾーやフーコーは歯車や鏡を高速回転させ、歯のすき間を通過する光や鏡が反射する光を観測しましたが、これでは測定精度に限界があります。現代のサーボ機構のような技術がないのだから回転速度を精密に制御することも難しかったはずです。一方、マイケルソンたちは光の干渉計を利用して測定精度を飛躍的に向上させたのです。

光が干渉を起こす波であることは19世紀の初めには知られていたので、マイケルソンたちがやったことの原理は既知のものでしたが、その原理(光の干渉)を測定に活かすことを思いつかなかったのです。その場合、光速を測定してエーテルの存否を確かめることは原理的に可能だったといえるのでしょうか? 今の私たちが歴史を振り返れば可能だったというのでしょうが、それは「あと知恵」というものではありませんか?

以上の例のうちで「原理的に可能な検証」に該当するのはどれでしょうか?
私には、望遠鏡の性能が時を追って向上してゆく最初のケースだけだと思われるのですが。

168Ken:2018/09/16(日) 12:49:29 ID:p8H3bDaI
>>165で指摘された点について、私にできるだけのコメントをしておきます。

*ニュートリノ
紹介いただいた記事は、私が主張した「別の根拠」の例を語っているように私には思われます。最初にニュートリノの存在を思いついたのは、β崩壊の観測事実とエネルギー保存則を矛盾させないためで、これは17世紀の波動理論と光波動説を矛盾させないためにエーテルの存在を思いついたのと同じでしょう。

そしてCowanとReinesは、シンチレータ装置の中での発光現象を観測したのだから、元々の根拠(エネルギー保存)とは別の根拠でニュートリノを確認したのではありませんか?

当初の根拠:エネルギーの保存
新しい根拠:発光現象

*ダークマター
ダークマターについては体系的に書かれたものを読んだことがないので、現状の私の理解に基づいて、思うところを述べます。もしも見当はずれのことを言っていると思われたら無視なさってください。

ダークマターを検証する方法として重力作用以外にない、というのはあくまでも地球から観測する場合で、ダークマターがありそうな場所に行ってみれば、直接的な観測ができるのではないのですか? それは何億光年もの彼方かもしれませんが、とにかく今の私たちが知っている技術の延長で行けないものではない。その点で、過去の世界やブラックホール内部が観測できないこととは、性質が異なるように私には思えます。

*地動説のミステリー
遠くにある天体については自由な空想が可能でした。例えば、太陽はアポロ神が天空を駆る馬車であるというようなもので、確認はできなくても「そういうことがあってもおかしくない」と、古代以来の人は考えたのです。しかし、地球には引っ張ってくれる馬車も、押してくれる天使もいないことは、目の前の現実として見えますから、「動くはずがない」と考えるのが普通でしょう。

地動説なら風が吹くはずという発想も、実際に馬車に乗って走れば顔に風を受けますからね。たしかに地球の反対側の人は落ちませんが、古代以来の4元素説では空気は土(大地)に拘束されることがない(少ない)元素と考えられていたのです。

私が何の本でそういう話を読んだのかは、今は思い出せません。これまでの読書履歴からアジモフかセーガンではないかと想像はするのですが、とにかく文献的根拠を挙げることは残念ながらできません。

169diamonds8888x:2018/09/16(日) 15:57:32 ID:u4p17aRc
>>166 【基準02について】

>>さらに自然選択説がだめだったとしても、替わりの仮説はデザイナー仮説だけとは限りません。

>前にも言いましたが、この部分は基準02の検証を通して論じるべきではないでしょうか?

 そうかも知れませんが、私にしてみると基準02は単なる形式論理の問題であり、簡単な話なので一応述べておきます。納得しがたければ、おっしゃるように基準02の検証に入ってから存分にどうぞ。

 例えば天動説vs地動説の場合は、片方の否定は片方の肯定になります。完全に二者択一です。こんな場合は、仮説Aの反証は仮説¬Aの検証と同値ですから、どちらを検証しても構いません。

 しかし、考えうる仮説がA1〜Anと3つ以上あるならば、A1を否定してもA2の正しさには直結しません。基準02は単にこれだけの話です。

170diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:02:31 ID:u4p17aRc
>>167, >>166
【「あと知恵」問題】
 まず「あと知恵」問題についてです。確かに現代の智慧で歴史上の判断を断罪する「あと知恵」は好ましいものではありません。しかしそもそも「何が科学的方法か?」という考え自体も、過去の人々の苦闘により歴史的に発展してきたものです。それゆえ例えば近代科学の黎明期であるニュートンの時代の人々は、現代の眼から見て必ずしも「正しい科学的方法」に従っていたとは言えません。そのこと自体は指摘しなくてはいけないし、現代から見て勝利した側が、いつでも「正しい科学的方法」に従っていたわけでもありません。例えば既に御紹介した日経サイエンスの天動説vs地動説の記事では地動説側が神を持ち出した事例も紹介されています。

 要するに過去の科学者たちが取った方法は、それが「正しい科学的方法」であることの根拠にはならない、という点はまず押さえておいてください。その点を指摘しようとすれば、それは「あと知恵」にならざるをえません。

 しかし概ね多くの科学者は、特に真理は経験に基づくべきという哲学を取った科学者(自然哲学者)の多くは、科学的議論の場では「正しい科学的方法」に従っていたと、私は考えています。ただし現代の眼から見ると、そこに盲点があったことも事実です。問題を解いている途中はどうしても思いつかないのに、解答を見たら、「なんで思いつかなかったんだ」と悔しくなることはいくらでもあります。それはやはり、正解から、その時に陥っていた盲点の正体を探るということもまた必要だと思います。

 次の「原理的に検証可能」問題も好例でしょう。


【何が「原理的に検証可能」なのか?】
 なにをもって「原理的に検証可能」とみなされるのか、というのは確かに、突き詰めると難しい問題です。まず基準01で挙げた「へそ理論」は「原理的に検証不可能」な例です。もしかするとKenさんはまだよくわかっていないかも知れませんが。

 次に18世紀以前の科学者も「原理的に検証可能」とみなしてくれるであろう例を挙げます。

 第1はKenさんの挙げた金星の満ち欠けの観測です。ただし、金星の満ち欠けが地動説の証拠というのはちと早計でしょう。プラーエの修正天動説ならちゃんと説明できるはずですが?

 理論から金星の満ち欠けが予測できたとして検証のためには、誰もがすぐ思いつくのは「近づいてみる」ということでしょう。これは大昔から原理的には可能と考えられていたはずです。イカロスの伝説などもありますからね。

 望遠鏡の発明(1608,ハンス・リッペルスハイ)と天体観測(1609,ガリレオ・ガリレイ)以降は近づかなくても観測できる手段が手に入りました。この場合は「遠くの物をもっとはっきり見ることができれば」ということを実現したのですが、この方法は誰の頭にも思い浮かばなかったかも知れません。ではもしも望遠鏡発明前の誰かが「遠くの物をもっとはっきり見ることができれば検証可能だ」と言ったとして、それがどう受け取られるか、という点はひとつの論点にはなりそうです。

 第2に、そもそも天動説vs地動説は基本的には近づいてみれば決着がつきます。いやむしろ、「遠く離れて、地球と月と太陽の動きを観測してみれば」という方が良いでしょうね。これは原理的には可能な方法です。むしろ古代人の中には実際よりも簡単にできると想像していた人達もいたように見えます。現実にはこの方法はなかなか実現しなかったために、三角法で距離を測定するなど、様々な手段を駆使しての論争が続いたわけです。

 ゆえに、天動説も地動説も原理的に検証可能であり反証可能です。これは古代人も同意してくれると思います。彼らの中のある者なら、「神の視点に立てば検証可能だ」と表現するかも知れません。

 第3に地球と光の相対速度検出を挙げましょう。これは原理的に検証可能だが精度がなかなか向上しなかったという例ですね。光が並みだったので干渉を使って速度差を検出する方法が見つかったのですが、もし使えなかったとしても、2つの物の相対速度が原理的に検証可能であることは変わりません。

 長文エラーは拙いので、以下は別コメント[>>171]にします。

171diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:03:15 ID:u4p17aRc
[>>170]の続き
 さて微妙な例が「タイムトラベルによる検証」ですね。現代の多くの人々は「原理的に使えない」と考えるでしょう。19世紀後半の過去へのタイムトラベル物語[*]の登場以前は、「直接過去に戻って検証する」という概念自体が思いつかないものだったでしょう。『タイム・マシン』以降の数々のフィクションによる洗脳(^_^)と現代物理学先端の動向のおかげで、現代では「ひょっとしたら直接過去に戻って検証するのも将来的にはありかも?」という心の揺れを感じる人も増えているとは思いますが、まあこれは「原理的に使えない」と考えるのが常識的線でしょう。

 しかし「過去を直接的に観測する」となると原理的に不可能とは言えません。一番わかりやすいのは、例えば超光速で地球から遠く離れた場所へ移動し、光や電磁波で地球を観測することです。また現代物理学では「情報は消えない」という原理が考えられています。つまり過去の状況を示す情報は原理的には再現可能ということになります。実は過去を探る様々な方法というのは、今に残る過去の情報の痕跡から、過去の情報を再現しようとしていることに外ならず、それがどこまで再現可能かという精度をどこまで高められるかが問題だとも言えます。過去の情景をほぼ再現できるという魔法のような方法が、いつかは開発されるだろう、という予想を原理的に禁じる法則があるとは、ちょっと思い付きません。

 過去に戻る、となるといわゆる過去への干渉によるタイムパラドックスという原理的に困難な問題が生じますが、過去を直接観測するだけであれば、原理的困難は生じません。過去の場合は量子とは違って、いくら観測しようが観測されるものは影響を受けない、というのが常識的線でしょう。

 で、『タイム・マシン』以前の人々にとっても、「過去を直接的に観測する」というのは原理的には不可能とは言えないのではないでしょうか? 例えば神憑きの状態になって昔のことが見えるとか。いやこれは具体例を知ってるわけではなく想像ですが。

 でもまあ、「過去を直接的に観測する」というのも半々としておきましょう。


--------------
*)wikipedia「タイムトラベル#タイムトラベル物語の起源#過去へのタイムトラベル」参照
  ピエール・ブアタール『人類以前のパリ(Paris avant les hommes)』(1861年)
  マーク・トゥエインの『アーサー王宮廷のコネチカット・ヤンキー』(1889年)
  H・G・ウェルズ『タイム・マシン(The Time Machine)』(1895年)

172diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:05:52 ID:u4p17aRc
>>166【原理的に、他】

>〜将来検証できる可能性がある説明なら、説明として受容できる

>と述べられたものと理解しますが、それでよろしいですか? 

   Yes

>たとえば光同士が衝突せず交差する現象を、粒子説は検証方法も含めて説明していたわけですね?

 [>>163]ではこの件には触れていませんが、ここで訊かれても困惑します。私も歴史を詳しく知っているわけではありません。個人的には「光の粒子がごく小さければ衝突しないのは当然だろう」と誰でも考えそうに思いますが。衝突の確率は大きさ(現代用語では衝突断面積)と数によるはずで、前者が観測できれば後者が推測できます。

>IDの観測可能な痕跡として私が真っ先に思い浮かべるのは、進化に干渉した存在が残した記録です。おそらくは私たちが知らない言語で書かれているのでしょうが、解読できる可能性もあるでしょう。図で説明されているかもしれませんし。

 素晴らしい。つまり「IDは記録(他者に伝えるための手段)を作る能力と意図を持つ」という仮説わ立てたことになりますね。そのようにIDの性質を規定することが、「理論を科学的に検証可能なものに整える」ということになるのです。まあ、ではどこを探せばよいかとかが必要ですけど。ID側が本当にそんな努力をしているなら、エールを送りますけどね。

>では、この人たちは自分たちの精度不足を承知していたからエーテルの検証をあきらめていたのでしょうか?

 詳しくは知りませんが、あきらめていたというより、頑張ったけれど精度不足でだめだったということではないでしょうか? 現在でも今までも、科学の歴史ではいつでもあることですね。

>言い換えれば、マイケルソンはエーテルの検証方法自体を独創したのではなく、2世紀前のホイヘンスから知られていた検証を可能にする技術を発明した人だったわけですね。

 「地球と光との相対速度の変化を検出する」という点では、昔から知られていたというべきでしょう。ただ御承知の通り、粒子説でも地球と光との相対速度の変化はあるはずなのです。ただエーテル説では相対的光速度が一定の物体があれば、その物体がエーテルに対して静止していることになり、間接的に「エーテルの運動を」検出できる、という風に考えたのだと思います。

173diamonds8888x:2018/09/16(日) 16:16:50 ID:u4p17aRc
>>168
 一応は脇道への御回答をわざわざありがとうございます。少し余裕がないので、コメントは余裕ができた時で御容赦ください。ただ1点、若干の不満を述べさせてもらいます。

> 私が何の本でそういう話を読んだのかは、今は思い出せません。これまでの読書履歴からアジモフかセーガンではないかと想像はするのですが、とにかく文献的根拠を挙げることは残念ながらできません。

 強制できることではありませんが、真剣に議論するつもりであれば、他の出典を調べる努力くらいは試みてほしいと望みます。別にKenさんが昔読んだ出典でなくても構わないわけで、要は、発言で示した記述の根拠を示していただきたいだけですから。


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