したらばTOP ■掲示板に戻る■ 全部 1-100 最新50 | |

古代科学史掲示板

397史実探偵: 平 素人:2020/02/27(木) 00:07:52
大量の銅鐸・銅剣、地名(青字)繋がり!
"共通の文化には共通の事象(地名)あり"
 <出雲>     <吉備>      <神戸>       <野洲>
銅鐸39銅剣358   (未出土)     銅鐸14銅剣(未出土)  銅鐸24銅剣(未出土)

 加茂岩倉      岩屋       いわや駅       大岩山
 荒神谷・西谷    西谷        ( ? )         ( ? )
 仏経山△      経山△     坊主山・荒神山△   妙光寺山・三上山△
 三宝荒神     山王神社(さんおう)
 砂川       砂川         ( ? )        蛇砂川
  赤川      ☆血吸川

現学は、地名を不確かなものとして、いっとう下にみるが、
『地名は祖先からの、一番確かに(合意された)合意伝言である』 史実探偵: 平 素人
さて、あなた様は、史学は、・・・を何んとよむ・・・^^!

追伸:
出雲と吉備は近くでもあり、何からかにから一番よく似てると思うのですがぁ(笑い)
 詳しくはmyブログ「出雲地方」「吉備地方」へ、どうぞ・・・^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



398荊の紀氏:2020/02/27(木) 17:21:59
荒神谷ー奥坂岩屋寺金堂裏斜面ー松帆銅鐸…ライン?
淡路・松帆銅鐸
出雲と同じ兄弟銅鐸 共通の工人集団判明   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fmainichi.jp%2Farticles%2F20161027%2Fk00%2F00m%2F040%2F016000c
昨年4月に兵庫県南あわじ市(淡路島)で見つかった弥生時代前期末〜中期初め(紀元前3〜前2世紀)の松帆銅鐸(どうたく)(7個)のうち5号銅鐸が、島根県出雲市の荒神谷(こうじんだに)遺跡(6個、国宝)の6号と同じ鋳型(同笵=どうはん)で作られた兄弟銅鐸だったことが分かった。南あわじ市教委と奈良文化財研究所が26日発表した。松帆3号と、同県雲南市の加茂岩倉遺跡(39個、国宝)の27号との兄弟関係も既に判明しており、淡路と出雲が共通の工人集団や銅鐸の流通で広域につながっていたことも明確になった。
 一部破損して発見された松帆5号(高さ23.5センチ)と、荒神谷6号(同23.7センチ)は「外縁付き鈕(ちゅう)1式」に分類される古い銅鐸。奈文研の難波洋三・客員研究員が目視で分析し、つり手と胴体の文様構成や鋳造時に付く複数の笵傷の一致を確認した。松帆5号の方が傷が少なく、先に作られた初期の鋳造の可能性が高いという。


399史実探偵: 平 素人:2020/02/28(金) 21:33:33
Re: 荒神谷ー奥坂岩屋寺金堂裏斜面ー松帆銅鐸…ライン?
荊の紀氏先生へお返事です。情報ありがとうございます。
 出雲荒神谷ー出雲岩屋寺金堂ー淡路・松帆銅鐸ラインがあるのですね。

>淡路と出雲が共通の工人集団や銅鐸の流通で広域につながっていたことも明確になった。

 わたしは、銅鐸の拡散について、つぎのような考えを持っています。
銅鐸が荒神を呼び寄せ、乗り移させる媒体だとは、先にもうしあげました。銅鐸の拡散は徐福達が、童男童女3000人かその児たちを含む3000人かは分かりませんが「不老不死の仙薬」を探しに列島に渡来しました。その船団がヨーイドンと横一列に出発するわけではなく、徐福を旗艦として、例えばの話しですが、60人乗りとしても50艘となり、それ以下だったらもっともっと艘数は増えます。徐福達の陣容を見ると、操船に苦手なだろう百工・子供・婦人も含んでいます。武人ならまだしも、操船できる人達の数は制限されてきます。

 その推力の弱い分船団が海流の速い津島海流を横切るわけですから、千々に流され海の藻屑となり、これも例え数ですが半分の1500人が漂着したとしましょうか。徐福の乗っている船は旗艦ですから、当然、屈強な男たちが乗っていますから、列島の一番西に着岸します。それを出雲としておきましょう。以下、分断しながら流されて、石川、富山、新潟、・・・とします。この人達は生活に落ち着きができると、必ず西進して合流しながら、徐福のもとへ集合します。このことは結果的に幸いして、米大陸西部へと宿場街がなったように一日あたりの航路のところに船着き場所がなってきます。この意味において日本海側の文明遺跡が先んじて発達していったと云われるのが頷けます。この詳しくはDr.いずも氏>
とmyブログで・・・^^!

 集合したこの人達は「再開を歓び酒を酌み交わした」との神話になったのかな^^? 徐福はそれぞれの情報をもとに再編し、出雲を本社とし、それぞれを支所として薬石の蒐集にあたらせました。有益な情報があれば、徐福みずからも出張ったとは別紙でのべました。このような経過をへて、だんだんと航路・徒道のインフラが整備されていきます。

 徐福は「年一に出雲へ集まること」を指示した。ここで、管理人さまや、キシ先生がいわれる、高度な方位測量術が役にたってきます。つまり、やみくもに列島を探索するのではなく、一定のきまりによって往来すれば、新しい人に伝える場合でもより易く動けるからです。その目印として△姿の山や既存の集落を選びました。この時大事なことは、列島住民がすでに付けている山名や地名を利用しました。そのほうが道に迷った場合でも住民に聞くことができるからです。東北地方は人口密度が少なかったのでしょうか。徐福たちが付けたと思われる数字のつく地名が目立ちます。

 徐福は、中国本土へとりあえず蒐集した珍宝を中国の正月(着に)間にあうように10月の神無月に集まるように指示しました。出雲大社への神門で地方から寄った人たちは泊り会い人数が集まってから年末会議と次年度の活動方針やらを合議しました。集めた物品は出雲から沿岸航路沿いに西進し、唐津港から大陸へと出帆したと思われます。この場合長崎の方が大陸に近いのですが、旅行きの準備やら食料の調達は、平地の広い北九州のほうがだんぜん有利です。

 <銅鐸の拡散が最後になりましたが>
「不老不死の薬石探し」は、その情報や住まいや、船の建造修理等々に人手もいることだし、住民と事を構えて争いをするより、加治(治療)をして、その人たちの力を借りるほうがだんぜん有利です。なかでも部族の長たちが欲しがる銅製品(銅鐸)との交換にそれ等を得たことは容易に考えられます。列島人は、銅製品(銅鐸)を受け取りに随行します。銅製品の制作は、出雲半島の<別所>市内の<別所>でしたと前述しています。

 各郡(こおり)の大夫(イタコ・シャーマン)さん達は、より立派な銅鐸が欲しくなってゆくのが当然のなりゆき^^。最も立派なものは野洲にあったかな。徐福たちの根幹は、その薬石にあるのは前述したとおりですが、始皇帝や、徐福や、それを知る人も亡くなり、その<縛り>も、時と共に薄れていったと思います。そして、徐福達がなした足取りは、航路を主幹に内陸へのインフラが進んだことにより、銅鐸は<商取引の交換品>として拡散していったのではないでしょうか。

「徐福は列島支配」とみるのが史学のおおかたですが、筆者はそうは思いません。「徐福は広澤(広い沢)の王となり帰らなかった」というのは、大陸の人がやっかみを含めて云う言葉であり、支配者ならば顕示欲が強いので「俺は除福だ」と云ってもいいはずなのに、日本の史書にはそれがありません^^!  しょせん「不老不死の薬石」などあろうはずもなく、始皇帝が亡きあとも、大資を受けたてまえ、おめおめと帰ろうものなら人々に何を云われる分からない。それよりなにより、徐福は、火を噴く山ありの列島に神秘性を感じ『その薬、必ずあり』として、列島のどこかで果てたのではないのでしょうか。その「片道切符をもって!!」

 このように考えると、淡路島の出雲と同じ鋳型の銅鐸の件や、まとめて埋められた銅鐸の大小や年代が異なることも解けるのではないでしょうか。蛇足ながら、この話は卑弥呼より、約400年も前の古墳代や神話代より前の話しですから念のため(^-^!)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



400荊の紀氏:2020/02/28(金) 23:59:07
Re: 人身供儀、その歴史!?
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

徐福もユダヤ人か …
ユダヤ新年は10月2日
>徐福は、中国本土へとりあえず蒐集した珍宝を中国の正月に間にあうように10月の神無月に集まるように指示しました。
10月の神無月に…
西暦で言うところの2016年のユダヤ新年は10月2日(日)の日没から4日(水)の日没まで(ちなみに2017年のユダヤ新年は9月20日から22日)。ユダヤ歴では1日は日没から始まり、次の日の日没に終わるというのも特長です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftokuhain.arukikata.co.jp%2Ftelaviv%2F2016%2F10%2Fjewishnewyear.html
ユダヤの新年は、西暦の9月か10月に2日間祝われます。 家族や親戚が集まり新年を祝います。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.arukikata.co.jp%2Fcountry%2FIL%2Finfo%2Fholiday.html

徐福もユダヤ人か 秦始皇帝がユダヤ人、もしくは失われたイスラエル10支族の血を引いていたとすると、気になるのは徐福(じょふく)である。前章で見たように、秦始皇帝と徐福は同族であったwww.rui.jp/ruinet.html?i=200&;c=400&;m=289816
秦始皇帝と徐福は同族であった。徐福の祖先、徐氏(じょし)の始祖は秦始皇帝の祖先と同じく羸氏(えいし))であった。
 羸(えい)という姓は舜帝(しゅんてい)から伯翳(はくえい)が賜ったものとされるが、これは漢民族が中原(ちゅうげん)の覇権を握った後に体系化された中国神話によるものである。漢民族は自らの血統の正統性を主張するために自らの始祖を象徴的に黄帝(こうてい)という名で呼び、神話のなかで最高位の存在に仕立てあげた。その際、非漢民族は直系ではなく、あくまでも傍系という形で出自を黄帝に結びつけたのだ。したがって、秦始皇帝及び秦王家のルーツが黄帝であり、漢民族と同視であると考える必要はない。




> > 徐福は子供達約3千人を、遠く離れた異国の日本に移住させましたが、秦の始皇帝の時代で、万里の長城や王宮や始皇帝陵の建設に、延べ約百数十万人を強制的に苦役させている事から、その子供たちも親元から強制的に引き離し、連行した形で集めたものと伺えます。
> >  なぜ子供ばかりなのか、と分析するならば、子供では、物部の兵に楯突く事も出来ず、従順に洗脳し易いからです。
>
任侠伝にある、札所、札差、札場も、その流れの変形したものかと思います^^?

401史実探偵: 平 素人:2020/02/29(土) 22:30:27
徐福もユダヤ系か!?その影響で太陽主神説へか??
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-1.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categorわ2y-0.html



402史実探偵: 平 素人:2020/03/20(金) 07:07:04
「銅器の拡布・制作地について」の思いつき^^?
下記〔 〕を編集していて思いついたことがあります^^!

徐福たち大陸系人が、銅器の制作を遅くまで(奈良時代の大仏銅材の寄進)専売にしていたか(?) とは前述しました。

では、どこでそれを制作していたのでしょうか?
素人は、出雲半島に<別所>というところがあり、そこでしていたと思います。なぜなら、別所とは、特異な地名でありなにやら秘密的なにおいがします。これは、わたしが傾注するDr.いずも氏からうかがったことですが、出雲半島は「破砕半島」ともいわれ、仔牛ほどの大きさの銅鉱がゴロゴロしていたと聞いています。列島探査の徐福たちがこれを見逃すはずがありません。

では、なぜ専売にしたのでしょうか?
銅は鉄に比べて融点が低いのですが、その精錬はたいへん難しいようです。加えて、銅器に対する思いは、列島人と大陸人とではまったくちがいます。前者は、銅がアカから緑青にかわることに神秘性を感じ、(今でも社殿の屋根には銅材をつかっています)それを祭祀用具とみているのに対し、大陸人は銅材が兵器用から発展したものであり、もし、列島人がその製法をしり、兵器として使用されると困ります。そして、銅鐸が列島人が欲しがるものであり、自分達が欲しいものとの格好の商の交換品でもあったからです。

島根半島にある「別所」は、大変へんぴな所^^!
おそらく、おそらくですが^^! 島根県の人もその存在を知ってる人ばっかりでは^^?  半島の中ほどで水田もすこしあるようですが、当時の島根半島が陸続きであったかどうかは分かりませんが、ここなら銅鉱もあることだし格好の隠れ場となります。近くに、泊りがけでの行き来があったのでしょうか、これまた小さく^^!<旅伏>の地名もあります。

出雲市の市街地にも、<別所>の地名が残っています。
時がたち、半島の別所では、その行き来が不便だから、その制作を「こちらに移そうや」になったのでしょうね^^。島根県では、今でも歴史ある精密鋼関係の会社があると聞いています。先のDr.>から^^。

この「思いつき」の正否を確かめる二つの方法があります。
?半島の「別所」で銅器制作に関する“遺跡”イワレ・氏名(うじ)が残っていないか?
?市内の「別所」の近くの神社のイワレ。そして、その関係と思われる氏名(うじ)。

今の時期寒いので、半島のほうの遺跡探索はお勧めできませんが、「氏、さがし」のほうなら電話帳で捜すことも可能かと^^! その電話帳は、図書館へいけばあるかもです。
「なぜ、それをあなたが、しないのか?」ですってぇ> ・・つかれました^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



403荊の紀氏:2020/03/31(火) 09:05:30
参考 陶磁器の鐸
銅鐸祭祀の源流 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fisaq2011%2Fe%2Fdf467d7e0dbb6be9d4e3b609833a6029
 先にも紹介したが、湖南省寧郷市老糧倉で出土した殷代の鐃(にょう)に関しては、日本の銅鐸のルーツではないかとの見解が出されている。
 「長江中流域などの鐃は概して大ぶりで、高さが1メートルに迫るものもある。大型の鐃(にょう)は山の斜面や頂上の穴に埋めた状態で発見されることが多い」。(考古用語辞典)
 祭器としての青銅器を土に埋めて保存する習俗としては、苗族や白ラ人の銅鼓がそうである。そして、湖南省でみられた青銅製の鐃と弥生の日本の銅鐸がある。
 さらに今度は、明らかに銅鐸の原型と思われる形をした陶磁器の鐸が発見された。
 『中国沿海部の江蘇省無錫市にある紀元前470年頃の越の国の貴族のものとみられる墓から、原始的な磁器の鐸が見つかった。南京博物院(同省南京市)によると、これまで中国各地で出土した鐸と異なり、日本の弥生時代の銅鐸によく似ている。鐸は四つ見つかり、高さ約20センチ、幅約12〜18センチの鐘型。肌色で表面に蛇のような小さな模様が多数刻まれ、鐸上部に長さ数センチの蛇や虎の姿を模したつり手が付いている。
 同博物院などの説明では、黄河流域を中心に中国各地で出土してきた鐸は上部に手で持って鳴らすための細長い柄が付いたものばかり。日本の銅鐸と似たつり手の付いた鐸が、長江下流域の呉と越に存在していたことが歴史書にあるが、実際に中国で出土したのは今回がはじめて。日本の銅鐸との関連性を指摘する声が出ている。(2006年3月7日付朝日新聞)


404史実探偵: 平 素人:2020/03/04(水) 08:35:45
Re: 参考 陶磁器の鐸
https://blog.goo.ne.jp/isaq2011/e/df467d7e0dbb6be9d4e3b609833a6029

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



405青面金剛:2020/03/06(金) 04:23:30
民俗学では創作を資料に加えるのは厳禁です
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 素人は、出雲半島に<別所>というところがあり、そこでしていたと思います。出雲半島は「破砕半島」ともいわれ、仔牛ほどの大きさの銅鉱がゴロゴロしていたと聞いています。

★ 以前紹介した、「韓竈神社」の在る、出雲市唐川町は別所の西隣です。
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F4travel.jp%2Ftravelogue%2F10567156

> それを祭祀用具とみているのに対し、大陸人は銅材が兵器用から発展したものであり、もし、列島人がその製法をしり、兵器として使用されると困ります。
> 島根半島にある「別所」は、大変へんぴな所^^!
>これまた小さく^^!<旅伏>の地名もあります。

★ 出雲王国の時代に、銅の精錬も製鉄技術も導入済みです。出雲王国が物部勢力に敗れた要因の一つとして、出雲では、鉄を武器に用いる発想が無く、農機具や漁具中心に使われていたからです。

  始皇帝陵の刀剣は、錆びる事無く、まるでクロームメッキを掛けた様に、其のまま物を切る事が出来ましたので、「隕鉄」を用いている、と思われます。つまり、物部の兵士達には、普通の鉄剣、武将には、隕鉄の鉄剣を持たせていた、と考えられます。

> 出雲市の市街地にも、<別所>の地名が残っています。
> 「こちらに移そうや」になったのでしょうね^^。先のDr.>から^^。
> ?半島の「別所」で銅器制作に関する“遺跡”イワレ・氏名(うじ)が残っていないか?
> ?市内の「別所」の近くの神社のイワレ。そして、その関係と思われる氏名(うじ)。

☆ 物部勢力の出雲侵攻後に、物部方の行政機関や寺を建てる為に、そこに住んでいた人々を強制的に移住させた移転先を「別所」と呼びます。唐川町では茶と柿の栽培が盛んです。
 唐川町は、ほとんどが荒木という姓です。これは、「韓竈神社」の岩倉の隙間が産道に成っている事から、古代出雲の女神「アラハバキ神」を基にしたのでは、と思われます。
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F4travel.jp%2Ftravelogue%2F10567156

☆ 1998年に、佐賀県の吉野ケ里遺跡で出土した銅鐸が、出雲で出土したと伝わる「伝出雲出土銅鐸(木幡家銅鐸)」と、同笵(どうはん、同じ鋳型で作られたもの)であることが、明らかになりました。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.matsue.shimane.jp%2Fjumin%2Fshisei%2Fkouhou%2Fshihou_matsue%2F1808%2Fbunkazai.htm
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Faomatsu123.blog.fc2.com%2Fblog-entry-158.html

★ 平さんが「鬼ノ城跡で雨乞いの人身御供の儀式が行われていた。」と推測する前提を進めると、岩屋の毘沙門堂の裏の禁足地に埋められているのは、銅鐸ではなく、出てくるのは「稚児の骨」です。


☆ 民俗学の手法は、地道なフィールドワーク『現地を廻りながら、様々な資料(聞き取りや伝聞含む)の積み重ね』の集大成であり、平さんの様に「机の前で地図を見ながら勝手な妄想を重ねる。」のは邪道の極りに他なりません。

☆ 民俗学では、資料に勝手な「創作」を加えるのは厳禁です。資料の捏造に当たり、検証から外れてしまいます。「創作」を一つでも加えようものなら、それは、「低俗な、覗き趣味の代物」に落ちぶれてしまいます。

☆ 民俗学では、丁寧な論理の積み重ねが基本であり、論理の飛躍した「暴論」や「勝手な思い込み」や「こじ付け」や「曲解」は許されません。
 平さんも鎌の刃を研ぐのは「稚児を殺める為」では無いでしょう。「〜と確信した」も勝手な思い込みと決め付けに、他なりません。

☆ 民俗学のルールを理解しない学生や若手研究者には、厳しい指導が行われます。民俗学の入門書すら読まず、地元の研究者方の話も聞かずに、独学で進めると、道を踏み外す事に成ります。

 岡山民俗学会  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fokayamaminzokugakkai.web.fc2.com%2F

 山陰・出雲の郷土出版のハーベスト出版  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tprint.co.jp%2Fharvest%2Findex.html



406史実探偵: 平 素人:2020/03/07(土) 01:41:09
コメントに感謝します。
青面金剛さまへのお返事です。

> Re: 民俗学では創作を資料に加えるのは厳禁です

 コメントありがとうございました。当方、「併進で行きましょう!!」とかいたからもう関わって下さらないものと思っていました。只今、こうしてコメントを下さって居るのは「卑弥呼・・」を掲げまして20年・2千通をこえると思いますが、キシ先生と先さまのたったふたりです。それを思うととてもありがたいことです。

わたしのやっている事は、『ここ掘れワンワン』のワンコです^^!。爺さま(専門家)ではありません。それの有る無しを決めるのは先さま方であり、学問の探求ではありません。南極大陸大隕石、東北地方巨大隕石、卑弥呼と大量の銅鐸銅剣の、これ等はそれに気づいて下されば中学生程度の学識でもわかること。なにしろ当のわたしがその程度の知識しかありませんから^^。

しかしながら、このような??“現学をはずれた” アウトローを世に伝えるには、先さまの仰るような轍を踏まなければならないのは今までの広報の中で充分に経験しています。それが成らないから苦労しています。・で今は存命中は無理と諦めました。.

 昨年の10月、台風19号を押して釜石にいったのは、自分の力の限界と思考・根気の衰えがあり、恩ある方々へのお礼をいって <区切り>をつけておきたかったからです。「総社市岩屋」の件は歴史的遺産を荒らしてはならない思いもあり、近年まで公表を避けてきましたが、どっちみち相手にしてくれないのだから「まっ、いいかぁ^^!」と公表に踏み切りました。そして、そのレポートを各機関に <送っておく>つもりでしたが、「卑弥呼云々に関しては」多々のコメントを下さっている先さまさえ懐柔できないのに、今まで無視されて来た機関や人達に送っても無駄かと^^? 思って未だに送付していません。・・今後のなりゆきで(^-^!)

 先さま情報の「総社市・秦(はた)」をみていましたよ^^。

<それから、先さまに誤解があるようです>
岩屋の金堂辺りは「禁足地=宗教的」ではなくて、遊歩道以外の「立ち入り禁止」の立て札がありました。
「金堂」の中はがらんどうで、粗末な台のうえに、これも申し訳ていどに小さな(2・30cm)毘沙門さまだけが置かれていたように記憶しています。鬼の城の近くに山王神社があるのですが、過疎から御本尊は足守の方へ移されているとかで、おそらく、金堂もそのようになっているのかも知れません?? そして、お寺の造りを調べたのですが、拝殿の両脇の柱の上は雲型であり、この金堂の写真では竜型になっています。

それから、わたしの言っているのは卑弥呼以前のことであり、その後の古墳代、神話代、出雲族・物部族の歴史をまったく識りません。先さまとは時代的なズレがあるように感じています。コメントありがとうございました。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



407青面金剛:2020/03/07(土) 07:39:10
岩屋寺の住職さんに尋ねなさい
隠居探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 岩屋の金堂辺りは「禁足地=宗教的」ではなくて、遊歩道以外の「立ち入り禁止」の立て札がありました。
> 「金堂」の中はがらんどうに近く、粗末な台のうえに、これも申し訳ていどに小さな(2・30cm)毘沙門さまがお線香立てもなく置かれていたように記憶しています。
>過疎から御本尊は足守の方へ移されているとかで、

☆ 真言宗御室派 岩屋山 岩屋寺  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fbitchu-iwayaji.com%2F
              所在地:〒701-1465 岡山県岡山市北区上土田480
               お電話でのお問い合わせ 電話番号:086−295−0466

※ 岩屋寺の住職さんは不在の時が多いので、事前に電話で予約してから行く事。
「岩屋寺の奥の院である、毘沙門堂の裏手にある小高い丘が、立ち入り禁止に成っているのは、どの様な由来からなのかを、お尋ねしたいのですが。」と尋ねると好いでしょう。

 奥坂穴観音保存会  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fokusakaanacanon.jimdofree.com%2F

 岩屋物語  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkphodou.web.fc2.com%2Ftiraku%2Fblog-4%2Fpage40.html

> それから、わたしの言っているのは卑弥呼以前のことであり、その後の古墳代、神話代、出雲族・物部族の歴史をまったく識りません。

★ 「まったく識りません。」と言う人が、出雲の方々に失礼極まりない、決め付けた様な書き方を繰り返すのは、噴飯ものでしかなく、強い反発をくらうのは、当然の事です。

☆ 岩屋寺に関する事は、地元の郷土誌研究家が残した資料が、足守図書館や足守文庫に残されている、と思いますので、それすら調べる気が無いなら、このテーマは終わりとすべきです。


> そして、そのレポートを各機関に <送っておくつもり>でしたが、今まで無視されて来た機関や人達に送っても無駄かと^^? 思って未だに送付していません。・・今後のなりゆきで(^-^!)

★ 「人身御供」「生贄」という最も忌まわしいテーマを、多々綴った発掘話を、平さんは、自らの手を汚さず、人に丸投げしよう、との考えが、迷惑極まりない。

 『民俗学のルール』を幾つも破って書かれた平さんの駄文は、受け取った側が取り上げた場合に、その研究者までもが、『民俗学のルール』違反を指摘されてしまい、岡山民俗学会などの会員資格を取り消される恐れが生じますので、平さんが送付しても、相手側が取り上げる事は有りません。

 平さんの「悪しき駄文」は、平さんの人生の枠内で終わりとすべきです。




408史実探偵: 平 素人:2020/03/07(土) 17:42:43
広報活動30年2千通^^! その -1例^^!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



409青面金剛:2020/03/08(日) 00:51:12
みやすみやま
隠居探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 2.岡山県埋蔵文化財センター様
> 4.総社市長 様 侍史、文化課文化財係様
> 5.岡山県岡山市足守岩屋寺御住職様
> 祖先は、「一山越えて、ふた山越えて、み山の前でぇ、狸さん、たぬきさん踊ろじゃないかぁ」 と、
> 毬付唄で、その埋め場所を教えてくれている。 □□岩屋 〇〇さま宛て(同封)の同意が頂ければ 『 スコッフ片手に、ツルハシかついで^^!』 の暴挙にうつります^-^!。

★ 岩屋寺の寺領なのに、住職さんの話も聞かずに、一方的な文書を送り付けた処で、返事が返って来なかったならば、「全くの見当違いです。」の意味です。

 神社のお宮の裏地は祭祀場であっても、寺の御堂の裏地は「お墓」が相場です。

☆ 『みやすみやま』と『岩倉山』なら童謡とピッタリで、美咲町と吉備中央町の町興しにも成るし、20通送るだけでも、岡山県埋蔵文化財センターの方々も、候補地の一つに加えて貰える、可能性は十分にある、と思いますが、温羅の製鉄の場に銅鐸などと、辻褄の合わない事を繰り返した所で、無しのつぶてです。

 今までに、発掘ボランティアの経験も無い人に、許可出す訳無いでしょう。



410史実探偵: 平 素人:2020/03/09(月) 22:13:58
中国人と日本人、贈り物の考え方の違い!!
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-3.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



411吾亞風:2020/03/11(水) 06:47:25
銅鐸で測量 - かごめかごめの真実とは…銅鏡反射を利用…
??巴形銅器も有鉤銅釧も銅鐸も共に測量器具でした!span>https://blog.goo.ne.jp/kagome1248/e/93049637f794c47a3d5ed29bab778dbc

銅鐸 剣 鏡 ・・これらは古代の測量機器でした
太古の昔から、我が国に精密な測量技術を持ち得ていた優秀なご先祖様達が居たという事実に、驚かされるばかりです。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fkagome1248%2Fe%2F464eaf43d7481391b26ae1af1edb72f7

かごめかごめ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1781
亀は六芒星
「鶴と亀が統べった」
千家
「武者小路千家HP 官休庵」 『茶道用語』利休梅 ... 竹などで編んだ簡単な柵、垣根のようなもの)、その籬の亀甲模様または六芒星、五芒星、網干し、鳴子、川、その水辺の水鳥などなど境界線、結界を現すものがとても多いのです。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fyamasakuran.seesaa.net%2Farchives%2F200703-1.html
籠目や亀甲型の六角形は魔除の力があるとも言われます。

その名も「赤染氏」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2789
かごめかごめ都市伝説 鶴と亀はすべったの意味 M君
「かごめ」が籠目の意味だとすると、籠の中には龍がいる。龍は空を飛ぶから、籠の中の鳥と言っても良いだろう。鳥はとーりーいは鳥居日本を意味するという説もある。かごめかごめの鶴とカメ。亀甲紋と六芒星。鶴の折り紙から五芒星。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww7a.biglobe.ne.jp%2F%7Emkun%2Fnazo%2Fstar56.htm

亀甲 紋(キッコウ) ... 亀甲紋使用家は「見聞諸家紋」に、二階堂・小田・浅山・藤民部・宇津木・中村・湯浅とある。 ... その氏子総代である野田醤油の祖先は、それにあやかって亀甲に萬の寺を家紋とした。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fhomepage2.nifty.com%2Fpapion%2Fpages%2Ffamilycrest%2Fkikkou.html

家紋の由来_鶴 紋
鶴紋. もともと鶴は霊鳥とされてめでたく、亀とともに長寿の印だった。 鶴の瑞祥にあやかって、鶴は昔から文様や紋章にさかんに用いられた。 ... 源氏系では柳沢、森、諏訪、室賀の諸氏が「鶴紋」を用いている。 降り鶴の丸. 光琳鶴. 三光琳鶴 ...
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.harimaya.com%2Fo_kamon1%2Fyurai%2Fa_yurai%2Fpack2%2Fturu.html
厳島神社の「平家納経」の表紙にも鶴がみられ「北野天満宮絵巻」にも同様の鶴が見られる。これらの紋はやがて家紋に転化していった。(対い鶴)

亀甲紋は出雲大社、厳島神社、香取神宮

安芸の厳島神社が「三つ盛亀甲に剣花菱」、

八角円堂
京都の最古の寺院建築である広隆寺は聖徳太子から秦氏に賜れた仏像を本尊に創建されましたが、境内に 桂宮院と言う、鎌倉時代の八角円堂があり、聖徳太子像が安置されています。 ... 八角円堂としては他に、興福寺北円堂(藤原不比等の一周忌に創建され、
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Forion.fken.ise.osaka-sandai.ac.jp%2Forion%2Fjap%2Fhstj%2Fnara%2Fhoryuji3.html

739年、僧行信らによって創立された別院上宮王院の仏殿。聖徳太子の供養塔でもあります。八角円堂で屋根に舎利塔である宝瓶を中心とした<露盤宝珠>を置いています。 組み物は簡素な三斗組、肘木は長く天平前期の特色がでています。
現状は鎌倉時代に斗を一段加えて高くし、軒の出も長くされています。
京都の最古の寺院建築である広隆寺は聖徳太子から秦氏に賜れた仏像を本尊に創建されましたが、境内に 桂宮院と言う、鎌倉時代の八角円堂があり、聖徳太子像が安置されています。
八角円堂としては他に、興福寺北円堂(藤原不比等の一周忌に創建され、1210年再建)、三聖寺愛染堂(室町時代建立、禅宗様。東福寺山内)などがあります。
六角円堂と言うのもありますが、その例は少なく、鹿苑寺地蔵堂(岐阜県美濃市。室町時代後期建立。小規模)、長光寺地蔵堂(愛知県、1510年)などがその例です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Forion.fken.ise.osaka-sandai.ac.jp%2Forion%2Fjap%2Fhstj%2Fnara%2Fhoryuji3.html

銅鏡は方位盤 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2905

太陽光の銅鏡反射を利用
「卑弥呼が、瀬戸内海一帯にはりめぐらした山上の物見や通信台からの情報で、明日の天気を予見を予見すると、それは太陽光の銅鏡反射を利用し、ピカピカピカッという信号で中継通信基地、焼山寺山がうけ、それを四方に信号で」おくるという一種の光通信が行われていたという主張がある(焼山寺山は標高九三〇メートル、阿波の他の山々からの見晴らしがよい地点にある)。魏からもたらされた銅鏡百枚はこの反射信号に使われただけでなく、舟と陸上との連絡、舟と舟との連絡にも用いられた実用品だった。また、銅鏡ばかりでなく、自然の鏡石を利用した古代の灯台もあったという。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fmerulog.jp%2Fhal9000kamt%2FU4D6kyuyinJF

日本史のブラックホール・四国 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2660


412史実探偵: 平 素人:2020/03/12(木) 05:06:20
Re: 銅鐸で測量 - かごめかごめの真実とは…銅鏡反射を利用…
https://8628.teacup.com/toraijin/bbs/1781

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



413吾亞風:2020/03/12(木) 11:12:20
「埋めるという行為」の意…『分水嶺』とは何かを知っていますか?
土圭:…時打ち装置をもつこの時代の時計は自鳴鐘と呼ばれた。時辰儀,土圭なども時計の古い呼名である。

「厓ガイ」 <がけ・地のはて>
解字 「厂(がけ)+圭ケイ(土のかさなり)」 の会意形声。土が重なって層になっている所が露出しているガケ。のち、山をつけて崖、水をつけて涯の字に分化した。また、切り立ったガケは地の果てと考えられた。
意味 (1)がけ。(=崖) (2)きし(岸)。みずぎわ。(=涯) (3)果て。かぎり。(=涯)
イメージ  「がけ」 (崖・涯)
       地の 「はて」 (睚)
みずぎわ。(=涯)… 銅鐸…
圭(かどだつ)…
「圭璋ケイショウ」(儀式用の貴重な玉器)
畦 ケイ・あぜ  田部
解字 「田(耕地)+圭(かどだつ)」の会意形声。耕地を区切る角立ったあぜ。
窪 ワ・ア・くぼむ  穴部
解字 「穴(あな)+氵(水)+圭(ワ)」の形声。水がわくくぼんだ穴をいい、圭(ワ)は発音をあらわす。
穴(あな)…埋める…甦り…くぼみ…
大理石に4分の1球面のくぼみをあけ、この球面に沿って、上方から放射状に目盛り線を引く。中心角で15度間隔で目盛りを引くと指針の影は太陽の時角の変化に伴い、1時間ごとにこの目盛り線を通過する。これが古代の日時計である。
日土圭(ひどけい) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
太陽の日周運動を利用し、太陽の時角の推移から時刻を定める器械。太陽は24時間で全円周360度の回転を繰り返すので、1時間当りの時角の変化は15度である。

集落から仰ぎ見る山の集落から見えない地点に銅鐸を埋める−埋納行為の謎を解く鍵の一つかもしれない。…
恩智銅鐸出土地−大阪府八尾市
3/9八尾市の恩智銅鐸の出土地を訪れた。
AM中、八尾市歴史民俗資料館で跡部銅鐸と恩智都塚山の銅鐸を見て、PM、現地へ向かう。恩智の銅鐸出土地は生駒山系から舌状に突き出した小丘陵−垣内山で標高は97〜123m(写真1/写 真中央の家の背後が出土地)。現在安養寺の毘沙門堂背後の97mピークに「銅鐸出土之山」の石碑(写真2)が立っているが、ここは出土地ではない。1921年(大正10)の出土地点は安養寺の背後−垣内山の北側斜面とされる。
梅原末治『銅鐸の研究』によれば、「山の尾の北西端に大師堂がある。堂から東へ13間(25m)で山腹の上部に山崩れのある部分に達するが、それが鐸の発見地点なのである」と書かれている。現在、大師堂(標高約80m)の東へ小径が続いているが山崩れの痕跡は既にない(写真3)。小径は垣内山の北側の谷奥まで伸びて、谷奥には井戸がある。恩 智垣内山では、1949年(昭和24)にも銅鐸が発見されている。こちらは都塚山銅鐸と呼ばれているが、大正の出土地点と同じ丘陵の尾根続きの123mピーク(ここが都塚山か?)から少し北に下った地点らしい。正確な地点は今回確かめられなかったが、垣内山の北側の谷を東へ40m程登った地点に当たる。恩智の銅鐸出土地は、同じ丘陵の少し離れた地点から銅鐸が出土した「近接埋納」の事例として注目される。垣内山には発見されずまだ眠っている銅鐸があるかもしれない。
近鉄恩智駅への帰りに「天王の杜」に寄った。ここは弥生中期を中心とする恩智遺跡のあった場所で、銅鐸発見当初から銅鐸埋納と関連がある集落と推定されている。確かに天王の杜から垣内山を見ると、生駒山系をバックに垣内山が三角形の形で浮かび上がって見える。集落と垣内山の距離は約500m。天王の杜から見て気づいたのだが、銅鐸の埋納地点そのものは集落からはちょうど山の影になり見えない。銅鐸埋納地点は眺望がよくない場所−眺望がよい山であるにもかかわらず、あえてよくない地点を選んで埋めている−ことが多いが、恩智の場合、さらに集落から見えない場所という理解ができる。集落から仰ぎ見る山の集落から見えない地点に銅鐸を埋める−埋納行為の謎を解く鍵の一つかもしれない。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdoutaku.cocolog-nifty.com%2Fblog%2Fcat15615189%2Findex.html
…「こんなところで?」という感じの場所だった。…
悪ヶ谷銅鐸の実物は東京国立博物館に展示されている。谷奥の支谷−才四郎谷では、89年に銅鐸研究家の羽間義夫さんが金属探知器で銅鐸を発見している。どんなところか非常に興味があったのだが、出土地点は「どうたく公園」という道路沿いの小公園 として整備されている(写真2)。覆屋の下にレプリカの銅鐸で出土状態が再現されている(写真3)。現地はなんの変哲もない道路脇の斜面で特に削平されてもいない。「こんなところで?」という感じの場所だった。

…「こうした埋納地の共通性は、銅鐸が水に関する祭器であること、川神や水神をまつる農耕儀礼に使われた祭器であり…」と書かれているのを知った。辰巳さんは引佐町の天白磐座遺跡など古墳時代・井伊氏による水(井泉)の祭祀の研究で知られるが、銅鐸についてはその後何故か言及されていない。
銅鐸が水に関する祭器…
…銅鐸出土地点の東西から平形銅剣5本(A地点4,B地点1)が出土しており、我拝師山北麓もいわゆる近接埋納地として注目される場所。同行のGさんはミカン畑で弥生土器片を見つけたがここも広義の高地性集落と重なっているらしい。水分神社や大塚池の存在から我拝師山の青銅器出土地も湧水との関係が指摘されているが(※前記松本豊胤論文、大野勝美 1994『銅鐸の谷』)、湧水だけでなくその背後の我拝師山の存在も無視できない。これは瓦谷遺跡の背後の大麻山も同様で、民俗学でいうところの「山当て」的な意識を感じる。…

源氏ヶ峯の南方、三木町の白山(写真3)からも銅鐸が出土しているが、ここも山頂部に散布地、山麓丘陵上に弥生集落跡が確認されている(銅鐸は集落跡に近い見通しのきかない谷頭から出たらしい)。白山も秀麗な神奈備型の山だが、飯野山と白山の山頂部散布地は集落跡ではなく“祭祀的”な遺跡ではないかとみられている。これについては、後で松本武彦さんが興味深い説を出雲の田和山遺跡の講演会で述べられているのを知った。
>「高地に所在する祭祀遺跡で環壕を巡らせた例はまだ見つかっていないが、香川県の飯野山(讃岐富士)と白山では、山頂で弥生中期の祭祀土器がみつかっており、今後もし環壕などが発見されれば、田和山タイプの祭祀遺跡への認識は深まるだろう」
高地性集落が弥生時代祭祀とどう関わってくる遺跡なのかまだわからないが、従来言われてきた「戦争との関係」ではない側面があることを青銅器出土は伝えているのだと思う。
山頂で弥生中期の祭祀土器が…
…旅行中入手したパンフ類を整理していたら「天霧城跡」のパンフの地図に「水場」のマークを見つけた(水場はどんな渇水時にも枯れたことがなく、常に岩の間から真水が湧出する場所だという)。ここは弥谷寺の平形銅剣(写真4)の出土地に当たる。弥谷寺の銅剣の出土地は厳密には特定できないし、三豊平野〜丸亀平野を結ぶ峠に注目する説−いわゆる境界祭祀説−もあるようだが、弥谷寺・弥谷山との関係は無視できない。やはり「湧水」は銅鐸だけでなく、広く青銅器埋納地点共通の“キーワード”になりそうである。…

甲武信ヶ岳と雲取山・金峰山・瑞牆山の4つの百名山と、多摩川・荒川・富士川・千曲川の4つの分水嶺を3日以内に縦走するというタフな大会があるんです。それが『分水嶺トレイル』。
…周辺は草地で、目の前に笠取山の山頂があり、富士山の眺望も抜群! 撮影スポットとしても人気です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyamahack.com%2F2471
分水界…
分水界(ぶんすいかい、drainage divide)とは、異なる水系の境界線を指す地理用語である。山岳においては稜線と分水界が一致していることが多く、分水嶺(ぶんすいれい)とも呼ばれる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
水は高いところから低いところへと流れる。したがって稜線のどちら側に降るかで流れ込む川が変わり、注ぐ海が変わってくる。山岳においてはこのような違いが大変明瞭なかたちで現れてくるが、一見平坦な地形のところでもこのような営みが行われている。たとえば、広島県安芸高田市向原町戸島の「泣き別れ」は平坦な水田の中にある。これより北側は江の川に流れ込んで日本海へ注ぎ、南側は太田川に流れ込んで瀬戸内海に注ぐことになる(安芸高田市には八千代町上根峠にも平坦地での分水界がある。これは日本における河川争奪の代表的な例である)。
もうひとつ平坦な地形での分水界の例を示す。それは武蔵野台地の場合である。武蔵野台地では残堀川や野川、仙川など多摩川水系の河川と、黒目川、柳瀬川、空堀川など荒川水系の河川とが流れている。当然双方の水系の接するところ、すなわち分水界が存在するわけだが、玉川上水がほぼそれにあたる。最も高いところに上水を通すことで分水を自然に流下させることができ、灌漑面積を効率的に拡大できるのである。
日本の分水界
世界との比較をするなら、日本は島国でありかつ山国でもあることからその分水界は小規模である。古くは水分(みくまり)とも呼称した。
中央分水界
中央分水界(中央分水嶺)とは、日本の太平洋側と日本海側とを分かつ分水界である。ただし、例えば津軽海峡などのような、太平洋と日本海の境界にある海域をどちらの海域として扱うかによって結果が異なる。
末端以外の中央分水界で最も高度が低いところは、本州では兵庫県丹波市氷上町石生(いそう)「石生新町」交差点付近の標高95m[1]である。この最低点の東800m付近に「水分れ(みわかれ)公園」があり、公園内で水路が加古川(瀬戸内海/太平洋)側と由良川(日本海)側とに分かれている。日本列島全体では、日本山岳会により中央分水嶺踏査事業[2]が進められた結果、北海道の新千歳空港付近を標高13.7mの中央分水界が通っているとされた[3]。一方、最高点は乗鞍岳の 3026m である。
国境としての分水界
律令制に基づいておかれた令制国の境はその多くが分水界となっている。尾根筋を国境(くにざかい)とすることが多いから当然といえば当然ではあるが、尾根を境に気候や植生が変わり文化が変わるのだから、合理的な分割法ということもできる。中世において伊賀国が、隣の近江・大和両国と国境紛争を起こした際には分を境目とする裁断が下されている。
分水界が国境というのは日本国内に限ったことではない。ヨーロッパにおいても尾根が国境とされることが多いため、アルプス周辺では分水界と国境がほとんど一致している。
平野部の分水界
分水界泣き別れ。線路沿い左側の白い柱が分水界を表す。
山岳部では稜線とほぼ一致するが、下流の平野部(特に大平野)では分水界が不鮮明である。これは増水する度に河川が流路を変更するためである。このことは古代から近世にかけて、為政者にとって最大の悩みであった。そのため古代の入植は、新田や耕作地の開発のし易さから山際近くで開始されている。そして近世になるにつれて、低地や川際へと開発が進んだ。
近代以降は土木技術の進歩で河川整備が進み、河川の流路が変わらなくなっている。
さかい〔さかひ〕【境/▽界】
土地と土地との区切り。境界。「隣との―」「県―」
2 ものとものとが接する所。また、ある状態と他の状態との分かれ目。区切り目。境目。「空と海との―」「生死の―をさまよう」→境する
3 ある範囲の内。地域。場所。また、境遇。
「身体を安逸の―に置くという事を文明人の特権のように考えている彼は」〈漱石・明暗〉
4 心境。境地。
「―に入りはてたる人の句は、此の風情のみなるべし」〈ささめごと〉
「竟キョウ」 <長い祭祀がおわる> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Ffeb52fe621e68813104f061886685404
解字 甲骨文第1字は、「冠の形+兄キョウ(神に祈る人)」 の会意形声で、冠をつけた貴人が祭祀(祖先や神をまつる)をおこなっているさま。(兄は音符「兄キョウ」を参照)。甲骨文第2字は、冠の略体(▽)をつけた形。意味は、?祭祀名。?人名だという(甲骨文字辞典)。金文も甲骨第1字を踏襲しているが、篆文から、冠⇒辛、口⇒曰、人⇒儿に変化し、現代字は、「音+儿」の竟になった。意味は、祭祀が長きに「わたる・つづく」、祭祀が「ついに、おわる」こと。また、おわった所が「さかいめ」の意がある。
意味 (1)わたる。つづく。「竟日キョウジツ」(一日中)「竟夕キョウセキ」(夜どおし) (2)ついに(竟に)。「畢竟ヒッキョウ」(つまるところ)「竟成キョウセイ」(ついに成る)「有志竟成ユウシキョウセイ」(志の有る者は事をついに成し遂げる) (3)おえる。おわる(竟わる)。「竟宴キョウエン」(祭事のおわった後に開く宴会) (4)さかいめ。「竟内ケイダイ」(区域のうち。=境内)
 「わたる・おわる」(竟)
  終わったところが「さかいめ」(境・鏡)
音の変化  キョウ:竟・境・鏡
さかいめ
境 キョウ・ケイ・さかい  土部
解字 「土(とち)+竟(さかいめ)」の会意形声。土地のさかいめ。
鏡 キョウ・かがみ  金部
解字「金(金属)+竟(さかいめ)」の会意形声。金属をみがいて境目を反射させるようにした鏡。
鏡…
鏡山 (北海道) - 北海道北斗市にある。標高330m。
鏡山 (山形県) - 山形県村山市と最上郡大蔵村の境にある。標高1097m。
鏡山 (福島県・新潟県) - 福島県耶麻郡西会津町と新潟県東蒲原郡阿賀町の境にある。標高1339m。
鏡山 (岐阜県) - 岐阜県揖斐郡揖斐川町にある。標高1086m。
鏡山 (滋賀県) - 滋賀県蒲生郡竜王町と野洲市の境にある。標高385m。
鏡山 (島根県) - 島根県浜田市にある。標高69m。
鏡山 (福山市) - 広島県福山市にある。標高150m。
鏡山 (東広島市) - 広島県東広島市にある。標高335m。周辺は鏡山公園になっている。
鏡山 (愛媛県) - 愛媛県今治市の大三島にある。標高212m。
鏡山 (佐賀県) - 佐賀県唐津市にある山。
鏡山 (小城市) - 佐賀県小城市にある。標高134m。
鏡山 (人吉市) - 熊本県人吉市にある。標高590m。
鏡山 (熊本県・宮崎県) - 熊本県上益城郡山都町と宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の境にある。標高917m。
鏡山 (芦北町) - 熊本県葦北郡芦北町にある。標高730m。
鏡山 (球磨村) - 熊本県球磨郡球磨村にある。標高551m。
鏡山 (玖珠町) - 大分県玖珠郡玖珠町にある。標高675m。
鏡山 (宮崎県) - 宮崎県延岡市にある。標高645m。

鏡山村 - 滋賀県蒲生郡にかつて存在した村。1955年に苗村と合併して竜王町となった。
鏡山 (香春町) - 福岡県田川郡香春町にある地名。
鏡山…真南に位置…会越国境に位置…
西会津町北部の会越国境に位置する。鏡山という山名は全国に多く見られ
るが、その中でも標高が最も高いのではないだろうか。飯豊連峰の一角で
飯豊山のちょうど真南に位置する。
飯豊連峰の展望台と称されることが多い鏡山だけに、山頂からのパノラマは圧巻である。 北西に大日岳、北側には御西岳、飯豊山、北東には種蒔山、巻岩山、疣岩山、三国岳。 東側には吾妻連峰、南東には磐梯山。 この日の飯豊連峰は昇竜のような白雲に山頂部が少々隠れていたが、十分にその迫力ある絶景を楽しめた。

【佐賀・唐津】鏡山展望台から唐津を見渡す。
鏡山展望台
唐津城からは車で10分ほど。
虹の松原の南にある展望台です。大きな赤い鳥居が入り口の目印。
北には海、そこに流れ込む大きな松浦川、周りはのどかな田園風景、そして正面には虹の松原の存在感。遠くには唐津城も見えます。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fak-kyushu.com%2F2017%2F08%2F08%2Fsaga-kagamiyama%2F

滋賀県鏡山と伊勢遺跡 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Flutera.org%2F
鏡山の北麓に鏡神社という社がある。
 御祭神は新羅から渡来したと伝えられている天日槍(アメノヒボコ)で、相殿は天津彦根命(アマツヒコネノミコト)と天目一箇神(アメノヒトツノカミ)。
 『日本書紀』によると、第11第垂仁天皇3年、新羅の王子・天日槍は陶芸、金工集団を引きつれて渡来し、近江・若狭を経て但馬の出石(兵庫県)に定住した。また近江の鏡村谷の陶人は天日槍の従者であるという記述がある。
 地元の伝承によると、鏡山という名前は、かれが渡来したときに持参した、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種の神宝のひとつである鏡を山中に埋めたことに由来するという。
 実際に鏡山に登ってみると、正面に野洲町の三上山が見える。
 三上山は近江富士の名のとおり、美しいピラミット型の稜線をもつ。古代から信仰の対象とされていて、山頂には奥津磐座、麓には天御影命(アメノミカゲ)を御祭神とする御上神社がある。
天照大神の孫(天津彦根命の子)にあたる天御影命は物部氏と縁が深く、その娘の息長水依比売(オキナガミズヨリヒメ)は、九代開化天皇の皇子にして崇神天皇の弟にあたる日子坐(ヒコイマス)王と結婚している。ちなみに日子坐王は丹後の鬼退治伝説で知られている。
さらにおもしろいのは、邪馬台国三上山説というのがある。
その根拠となったのが滋賀県守屋市伊勢町で発掘された『伊勢遺跡』。守屋市の教育委員会は、伊勢遺跡がつくられたのは1世紀末〜2世紀末。建物跡の調査の結果、国内最大規模の大型竪穴建物であることから、有力者の住まいであった可能性が高いと発表しているんだよね。それも集落の形状からいって、住居というよりも大規模な祭祀場であった可能性も高いとのこと。この伊勢遺跡から東に3キロほどいったところに三上山がある。


414史実探偵: 平 素人:2020/03/14(土) 02:53:16
Re: 「埋めるという行為」の意…『分水嶺』とは何かを知っていますか?
吾亞風(何と読むのですか^^?)さまへ、
 数々の情報 &ご教示ありがとう御座いました。大変勉強になります。
 このような説明を上げないから<専門家>には伝わらないのですね^^1

 銅鐸を「埋めるという行為」についての説には色々とあるようですが、
 わたし素人は、まとめて埋めるは別として「土中、一時保管説」を支持しています。

<大事変のシナリオ>
 今から4千年前地球を半周した巨大隕石が東北に降臨しました。その時発生した大地震・津波・直後の爆雨・雷、等々、の天変地変は、今の私達が想像すら出来ないものでした。巨大隕石の衝撃はその規模にもよりますが、私達が知り得ている地震や津波の比ではありません。なぜなら、地殻内で起きる地震に対し、その地表を叩くエネルギーの絶対量が表層地震に変るからです。即ち『力は抵抗の弱い方へより強く作用する』からです。
その時を想像しますと、高層建築のない当時ですが、揺れるとか倒れるとかの表現ではなく“豆粒やゴマ粒がハゼル如く”であったと思います。列島の住人は、多少の地域差はありますが、お互いが離れていてもこの大事変を共通の<荒神>と認識するようになりました。大陸や西洋では “この大事変、東洋にあり!” として後々の探索航海に出でていることは皆さまの知るところです。

 列島では、その荒神を災いと慈雨の両方をもたらす神として定着しました。列島住人は大陸からの銅器・赤色(あか)から毒性をもつ緑青(アオ)に変色する銅鐸に発展させ、その銅鐸に、その荒神様を呼び寄せ、慈雨や災いの鎮静化をおねがいしたと前述しています。そして、その大事変の発生源が東北であったことから、“西方へ行く”地震や津波をみて、「西方浄土」の考えが生まれました。ちなみに、大陸では東方に「神仙思想」、半島の「東方神起」の考えがあるのは皆さまの識るところです。

<銅鐸を単体で埋める場合>
> 集落から仰ぎ見る山の集落から見えない地点に銅鐸を埋める−埋納行為の謎を解く鍵の一つかもしれない。…

 このような荒神様ですから、その扱いには注意を要する。「困ったときの神頼み^^!」呼び寄せた時以外は帰っていただく。銅鐸、以外のどこかしこに取り憑いては困る。そして、その銅鐸も、地中や、裏山の人目に付かない所に一時的に隠しておこかとなった。(笑い)そんなとこに隠してもねえ^^! 地中に埋めるのは深く埋めたのでは再度取り出しにくいし、浅く埋めたのでは見つかりやすい。のでので・・「四尺=死尺」にしとこかとなった。これはスコップで掘り進めて肩までの高さであり、それ以上深く掘ると顔に土がかかります^^!。よっぽど怖いことがあったのでしょうか。その倍の深さに埋めたが「未だ、その声鳴りやまず!」という文面をみたことがあります。今でも、地方によっては、この銅鐸は、"五色の??御幣??"に変り、貴方さまの住む "里山" の目のつかないところへ隠されているかもよ^^?

「歴史会」の会合で講師の先生が「その銅鐸を見つけるのが私の夢です」と仰っていましたが(^-^?) ヒントは、『雨乞い文化』のある所で「悪ヶ谷」とか、荒神谷とか、西谷、(さいたに・才谷、晒谷)、奥谷、黒谷、とかの暗いイメージの地名から始めるといいかもですね。
 「ここ掘れワンワン!!」がわたしの得意分野です^^!。
  ・・っていうか、それ以外はありません^^! Give me a job^^.(史実探偵局より)

> 悪ヶ谷銅鐸の実物は東京国立博物館に展示されている。谷奥の支谷−才四郎谷では、89年に銅鐸研究家の羽間義夫さんが金属探知器で銅鐸を発見している。・・「谷奥・才四」

<銅鐸をまとめて埋める場合>
これは、「その銅鐸、二度と使わじ!!」として、封印している。と前述しているので省略します。こちらの方は、「出雲に習えばいい^-^♪」

<分水嶺と分水界の問題に思うこと>
わたしの知るところでは、長野県だったかな?「この〇〇峠は、日本海と太平洋へ流れるかの分岐点です」といわれたわりに"平な感じ"がしたのが思い出されます。拙「報告書」では、岩手県だったかな、水界峠。出雲平野では、神戸川と蛇砂川。ここは高低差が少なく、地図だけでは分水界は分かりませんでした。吉備では、高梁川分と東の足守川分の分かれ目に吉備津神社があり、松林が植えられ「境」の地名が残っていました。又、出雲半島の鷺峠の坪背山への山道に「灌流標」があつたのが気になっています。ここは、北の日本海側と南の大社側への分水嶺となっていますから、何か雨水に関係するお祈りごとがあったかと思案中です。このように、分水嶺を境に、或いはそれを模した亀の甲羅の右左に自分達の住む里の方にその雨欲しやの占いやお願いの歴史があったのではないでしょうか。

 今ではダム不要論まで出るさまですが、極々、近時まで、干天には悩まされて来ました。水争いの詳しくは知りませんが、水稲栽培への移行につれ雨水の必要性は死活問題であったと容易に考え知ることが出来ます。今でも水利権は小さな小川や小溝にいたるまで不文律があり、その管理と利権はくわしく定められているようです。曲がりくねった小川でも田地整理で区画されていない所をみかけます。特に川底の高低改修は簡単に変えることはできないのかな?? 昨今は宅地造成で地上げをすることが多いのですが、私は、その川底をみて、かつての海からの高さを想像しています。特に、出雲平野の「蛇砂川」は、周りがきれいに区画整理されているのに「くねくね」と曲がっているのには異様感を覚えました。

 <蛇砂川> ⇒ <砂川> の誤りでした^^!訂正してお詫びいたします。
又、神戸川は、斐伊川の放水路で繋がれてはいますが別水系のようです。
そして、現在は<砂川>は名のみが残っており川は流れていません。砂川の地名は出雲平野のほぼ中央にあり、北の新川と南の五右衛門川にはさまれて、かつての川に民家だけがくねくねと曲がって建っています。斐伊川町併川(あいかわ)の地名がありますから神立あたりで斐伊川の分流として流れていたが、水田整備のために北の新川と南の五右衛門川が新設されて、今は宅地化し<砂川>の川名だけが残ったようです。済みませんでした。ちなみに、総社市の鬼ノ城から流れ出る川が<砂川>でした。

≪ > 鏡… ≫
> 鏡山 (北海道) - 北海道北斗市にある。標高330m。
> 鏡山 (山形県) - 山形県村山市と最上郡大蔵村の境にある。標高1097m。
> 鏡山 (福島県・新潟県) - 福島県耶麻郡西会津町と新潟県東蒲原郡阿賀町の境にある。標高1339m。
> 鏡山 (岐阜県) - 岐阜県揖斐郡揖斐川町にある。標高1086m。
> 鏡山 (滋賀県) - 滋賀県蒲生郡竜王町と野洲市の境にある。標高385m。
> 鏡山 (島根県) - 島根県浜田市にある。標高69m。
> 鏡山 (福山市) - 広島県福山市にある。標高150m。
> 鏡山 (東広島市) - 広島県東広島市にある。標高335m。周辺は鏡山公園になっている。
> 鏡山 (愛媛県) - 愛媛県今治市の大三島にある。標高212m。
> 鏡山 (佐賀県) - 佐賀県唐津市にある山。
> 鏡山 (小城市) - 佐賀県小城市にある。標高134m。
> 鏡山 (人吉市) - 熊本県人吉市にある。標高590m。
> 鏡山 (熊本県・宮崎県) - 熊本県上益城郡山都町と宮崎県西臼杵郡五ヶ瀬町の境にある。標高917m。
> 鏡山 (芦北町) - 熊本県葦北郡芦北町にある。標高730m。
> 鏡山 (球磨村) - 熊本県球磨郡球磨村にある。標高551m。
> 鏡山 (玖珠町) - 大分県玖珠郡玖珠町にある。標高675m。
> 鏡山 (宮崎県) - 宮崎県延岡市にある。標高645m。

> その他あり、等々

「鏡山」の存在は全く知りませんでした。
これを<同一文化圏>とみると圧巻ですね。ご調査のご苦労に感謝します。
徐福隊の考えをくむ人達が関係したかとうかがい知ることが出来ますが、北海道にまであるのは驚きです。登るのに手ごろな場所と高さがいいですね。大字名をみると比較的時代がさがったような感じがします。なにはともあれ、「鏡山」という単純地名の統一は「誰が?」「どように」広げていったかの具体性が最大の謎です。

>  地元の伝承によると、鏡山という名前は、かれが渡来したときに持参した、羽太の玉、足高の玉、赤石、刀、矛、鏡、熊の神籬の7種の神宝のひとつである鏡を山中に埋めたことに由来するという。

「鏡を山中に埋めた」のですかぁ。古墳に埋めたのなら分るのですが、山にねぇ???
銅鏡を埋めれば錆びて使えなくなるし、簡単に盗掘される^^! そして、一つの山に一つづつとは思えず測量目的なら携帯して移動した方が良いようにも思えます。又、朝夕の斜光時の申し合わせが要ります。しかし、現存する「鏡山名の分布」は、否定できないのが難しい問題です!! 鏡山の名が定着するには、住民にかなりのインパクトを与えたか、継続して使用していたかの要件がいります。何か、それに関係する伝承は残っていないのでしょうか??

>  実際に鏡山に登ってみると、正面に野洲町の三上山が見える。
>  三上山は近江富士の名のとおり、美しいピラミット型の稜線をもつ。古代から信仰の対象とされていて、山頂には奥津磐座、麓には天御影命(アメノミカゲ)を御祭神とする御上神社がある。
>
> さらにおもしろいのは、邪馬台国三上山説というのがある。
> その根拠となったのが滋賀県守屋市伊勢町で発掘された『伊勢遺跡』。守屋市の教育委員会は、伊勢遺跡がつくられたのは1世紀末〜2世紀末。建物跡の調査の結果、国内最大規模の大型竪穴建物であることから、有力者の住まいであった可能性が高いと発表しているんだよね。それも集落の形状からいって、住居というよりも大規模な祭祀場であった可能性も高いとのこと。この伊勢遺跡から東に3キロほどいったところに三上山がある。

 滋賀県に「伊勢」という地名があるのは知っていましたが、興味がありながらも「何故?」かが分かりません出でした。北海道なら、「伊勢の衆とか、〇〇から移住した人達が」住んでいたところと解することが出来るのですが・・、お伊勢さまには飛び地の行政区があります。出雲には熊野神社がありました。大分には「小京都」があるのは先様方の知るところです。このような飛び地の歴史と、それに至ったいきさつを考えるのも楽しいですね。ありがとう御座いました。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



415史実探偵: 平 素人:2020/03/19(木) 08:13:20
Re: 「おかげさまで」に潜む謎!?
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-73.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor892y-0.html



416荊の紀氏:2020/03/19(木) 09:10:51
兵庫県は銅鐸文化の中心地…北緯35度、東経135度…
>それとおぼしき所、<北緯35度3分31秒、東経135度2分23秒→27秒に訂正>を予測している。

史実探偵: 平 素人さん 情報ありがとうございます。
私も管理人さんも「古代測量」に魅入られています…

東経135度…
最北子午線塔
日本標準時子午線の最北の地である証の「最北子午線塔」は七竜峠へ向かう海岸の道路沿いにあります。東経135度、日本標準時子午線の最北地に建つシンボルで、日本と世界の標準時刻を表示しています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kyotango.gr.jp%2Fsightseeing%2F691%2F

北緯35度0分0秒 東経135度0分0秒
岡ノ山古墳はその山頂に築かれた西脇・多可地域で唯一の前方後円墳(全長57.6メートル)
岡の山古墳
古墳時代前期(4世紀代)の築造と推定されます。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.nishiwaki.lg.jp%2Fkakukanogoannai%2Fsoumubu%2Fhisyokouhouka%2Ffurusato%2F1359693525351.html

日本へそ公園(にほんへそこうえん)は、兵庫県西脇市上比延町にある都市公園(総合公園)である[1]。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
兵庫県は銅鐸文化の中心地とみなされる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

先史・古代 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
先史時代の遺跡は県下各地に発見されるが、縄文式土器のもっとも古いものは香美(かみ)町のタツが平(なる)遺跡で出土している。縄文前期のものとしては、神戸市垂水(たるみ)区西舞子(にしまいこ)の大歳山(おおとしやま)遺跡があり、1万近くの石器および弥生(やよい)時代の住居跡が保存されている。縄文後期のものでは神戸市西区の元住吉山遺跡があり、石鏃(せきぞく)、石斧(せきふ)が多い。兵庫県には高地性遺跡として芦屋(あしや)市の会下山(えげのやま)、城山(しろやま)や神戸市東灘(ひがしなだ)区の保久良(ほくら)神社の遺跡があるが、なかでも弥生後期の典型的な遺跡として神戸市灘区の桜ヶ丘遺跡がある。ここでは1964年(昭和39)に銅鐸(どうたく)14点、銅戈(どうか)7点が出土した。県下にはその他の遺跡からの出土も多く、兵庫県は銅鐸文化の中心地とみなされる。弥生後期では1965年に発掘された田能遺跡(たのういせき)(尼崎(あまがさき)市)がある。弥生土器が主体で、当時の生活様式を知る重要な遺跡である。また県下には多くの古墳がみいだされる。条里遺構は川辺(かわべ)郡の猪名(いな)川、武庫(むこ)川の平野、明石川、揖保(いぼ)川流域のほか但馬(たじま)の河岸平野でも確かめられている。
 古代から海上交通の基地となったのは、東から河尻(かわしり)(尼崎市)、大輪田(おおわだ)(神戸市)、魚住(うおずみ)(明石市)、韓(から)(姫路市)、生(むろう)(たつの市室津(むろつ))の五泊で、各港の間はそれぞれ約1日の行程であった。741年(天平13)全国に国分寺・国分尼寺が配置建立されたが、兵庫県下では、播磨国分寺・播磨国分尼寺、淡路国分寺、但馬国分寺、但馬国分尼寺が置かれた。現在に至るまで法燈(ほうとう)を伝えているのは、播磨国分寺(姫路市、国の史跡)で、天正(てんしょう)年間(1573〜1592)に兵火にあったが、現在、高野山真言(こうやさんしんごん)宗の牛堂山(うしどうざん)国分寺と号している。こうして県下には飛鳥(あすか)、奈良時代の仏教文化が早くから伝えられたが、平安末期ごろからは播磨を中心に寺院の創建、あるいはそれ以前に建造されていた堂宇の再建などが進められた。太山(たいさん)寺(神戸市)、鶴林(かくりん)寺(加古川市)、斑鳩(はんきゅう)寺(太子町)、浄土寺(小野市)、一条寺(加西(かさい)市)などがそれで、堂塔は国の重要文化財に指定されたものが多く、仏教文化の隆盛を伝えている。
 律令(りつりょう)体制の崩壊する平安末期には、主要荘園(しょうえん)は寺社領となった。598年(推古天皇6)播磨揖保郡鵤荘(いかるがのしょう)(太子町)は法隆寺領となったが、当時の荘園の範囲を示す示(ぼうじ)石が現在も保存されている。また、摂津川辺郡猪名荘(尼崎市)や播磨加東(かとう)郡大部(おおべ)荘(小野市)は東大寺領となり、重源(ちょうげん)により小野に浄土寺が建てられた。丹波多紀(たき)郡大山荘(篠山(ささやま)市)や播磨国矢野荘(相生(あいおい)市)は東寺領、揖保郡福井(ふくい)荘(姫路市)は神護寺領となった。その後、武家の手に渡る寺領もあり、県下では源満仲(みつなか)など多田源氏が摂津国多田荘を領有した。また、播磨守(はりまのかみ)に任ぜられた平清盛(きよもり)は、摂津福原(ふくわら)荘などを所領した。清盛は大輪田泊(おおわだのとまり)に経ヶ島を築き、日宋(にっそう)貿易の拠点とした。さらに港の背後に福原京の建設を構想したが、1181年(治承5)に六波羅(ろくはら)で死去し、実現しなかった。一ノ谷の戦いなどで源氏に敗れた平氏は壇ノ浦の戦いで滅亡した。[藤岡ひろ子]

日本標準時の基準となる東経135度子午線は、明石市を含む12市を通っています。
北から京丹後市、福知山市(以上京都府)、豊岡市、丹波市、西脇市、加東市、小野市、三木市、神戸市西区、明石市、淡路市(以上兵庫県)、和歌山市(和歌山県)です。
それぞれの町には、目には見えない子午線を表示する標識やモニュメントが建っています。
東経135度子午線をとおるまち /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.am12.jp%2Fshigosen%2Ftoukei135.html


417史実探偵: 平 素人:2020/03/19(木) 23:22:08
Re: 兵庫県は銅鐸文化の中心地…北緯35度、東経135度…
https://www.kyotango.gr.jp/sightseeing/691/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



418吾亞風:2020/03/20(金) 03:14:27
士師(しし、英語: Judge、ヘブライ語)…土師氏?
小槻大社(おつきたいしゃ[1][2]/おつぎたいしゃ[3]/おづきたいしゃ[4])は、滋賀県栗東市下戸山にある神社。式内社で、旧社格は郷社。神紋は「下り藤」・「真向の兎」[2]。

東経135度59分32.85秒??北緯35度0分24.42秒
別称として「小杖社(おづえしゃ)」・「小杖宮」・「小杖大明神」とも /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
社伝では、古代に栗太郡(現在の草津市・栗東市一帯)の豪族の小槻山君(小月山公)が、祖神として於知別命を祀ったのが創祀とする。
小槻山君は栗太郡の古代豪族で、朝廷に采女も献上したという。小槻大社内には小槻大社古墳群が残るほか、周辺には下戸山古墳・地山古墳・岡遺跡(栗太郡衙跡)が残り、これらは小槻山君の関係史跡とされる。これらから小槻山君は栗太郡郡司クラスの家柄であったと推測されている。小槻山君は貞観15年(873年)[原 1]に京に居を移し、のち小槻氏(官務家)として朝廷に仕えた。
国史では「小杖神」・「小丈神」・「少杖神」などの神名で、貞観5年(863年)[原 2]に神階が従五位下、貞観7年(865年)[原 3]に従五位上、延喜11年(911年)[原 4]に従四位下に昇叙された旨が記されている[1]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では近江国栗太郡に「小槻大社」と記載され、関係社の小槻神社(草津市青地町)とともに式内社に列している[1][6]。社名の読みは「ヲツキノオホヤシロ」と振られる[1]。また、平安時代の11世紀初頭の作になる木造男神坐像2躯(国の重要文化財)が現在に伝わっている。
下戸山古墳??4世紀末-5世紀初頭…
滋賀県栗東市下戸山
座標: 北緯35度0分32.08秒 東経135度59分21.12秒
円墳(一説に前方後円墳)

小槻氏(おつきうじ/おづきうじ)は、「小槻」を氏の名とする氏族。
第11代垂仁天皇の皇子を祖とする皇別氏族で、平安時代から小槻宿禰姓を称した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
平安時代から明治維新まで朝廷に仕えた下級公家の一族である。太政官弁官局における事務官人の家柄として左大史を代々務め、そのほかに算博士・主殿頭といった官職を世襲した。
一族の代表者である氏長者(小槻氏の場合「官長者」とも)は弁官局の下級官人を取り仕切り「官務」と呼ばれた。そのため小槻氏は「官務家」とも呼ばれる。同様に少納言局を取り仕切り「局務」と呼ばれた清原氏・中原氏(のち中原氏のみ)と合わせて「両局」と呼ばれた。両局は地下家の筆頭格として地下官人全般を統率した。
官務を継承する嫡流は鎌倉時代に壬生家と大宮家に分かれた。戦国時代に大宮家が断絶した後は壬生家が明治維新まで官務を継承した。近世以後「両局」は壬生家・押小路家(中原氏嫡流)・平田家(中原氏庶流)の3家から成る「三催」の体制に変わって地下官人を統率した。明治維新後壬生家は男爵となり華族に列した。
この嫡流のほか、戦国時代の下野国武家・壬生氏が小槻氏後裔を称した。
壬生氏
戦国時代の下野国武家。壬生晴富弟の胤業を祖とするとし[10]、本姓に小槻氏を称している。胤業は毛野氏族の壬生氏(壬生公)の後裔で小槻氏を仮冒したとする説[11]があり確証はない。栃木県下都賀郡壬生町には現在、壬生氏が大津市の雄琴神社から勧請を受けたとされる同名の雄琴神社が残り、同じく氏祖として今雄宿禰を祀っている。
青地氏
戦国時代までの間、近江国栗太郡を拠点とした武家。小槻山君(小槻氏前身)が平安時代中期に居を移したのちから文献に散見され、小槻山君氏神の小槻大社・小槻神社に対する寄進を重ねている。このことから、青地氏は改名した小槻氏一族もしくは小槻氏の在地領主と考えられている[12]。但し鎌倉時代に馬淵氏(佐々木氏一族)から基綱が養子に入って以降、源氏を本姓としている。

壬生氏は皇子の資養を目的として設立された壬生部の伴造の氏族で、宮城十二門には「壬生門」(美福門)があるところから、門部的な職掌についていたとも考えられる。『新撰姓氏録』「河内国皇別」には大宅臣の同祖とする壬生臣氏、「河内国未定雑姓」には御間城入彦天皇(崇神天皇)の後裔とする上毛野氏系統の壬生部公氏が存在し、日本各地に壬生氏・壬生部氏が分布している。
『日本書紀』巻第三十によると、持統天皇10年4月(684年)、物部薬(もののべ の くすり)とともに追大弐の位階を授けられ、合わせて、各人に絁(あしぎぬ)4匹、糸10絇、布20端>、鍬20口、稲千束、水田4町を与えられ、戸の調役を免じられている。
とある[1]。恐らく、天智天皇初年の百済救援戦で捕虜にされたものと推測されるが、彼らがいつ唐の捕虜から解放され、帰国したのかは不明である。
物部 薬(もののべ の くすり)は、飛鳥時代の人物。位階は追大弐。
伊予国風早郡(現在の愛媛県北条市)の人。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
『日本書紀』巻第三十によると、持統天皇10年4月(684年)、壬生諸石(みぶ の もろし)とともに追大弐の位階を授けられ、

許勢部 形見(こせべ の かたみ)は、飛鳥時代の人物。姓はなし。筑後国山門郡(やまとぐん、現在の福岡県柳川市とみやま市)の人。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
白村江の戦い(はくそんこうのたたかい[2][3]、はくすきのえのたたかい)は、天智2年8月(663年10月)に朝鮮半島の白村江(現在の錦江河口付近)で行われた、日本・百済遺民の連合軍と、唐・新羅連合軍との戦争のことである。
日本では白村江(はくそんこう)は、慣行的に「はくすきのえ」とも読まれる。
大槻文彦の『大言海』では「村主:スクリ(帰化人の郷長)」の「村」を百済語として「スキ」としている。
倭国は半島南部に領有する任那を通じて影響力を持っていたことが『日本書紀』の記録から知られている。大陸側でも、広開土王碑400年条の「任那」の記述が初出である。『宋書』では「弁辰」が消えて438年条に「任那」が見られ、451年条には「任那、加羅」と2国が併記され、その後も踏襲されて『南斉書』も併記を踏襲していることから、倭国が任那、加羅と関係が深いことを示している。任那、加羅は、倭国から百済への割譲や新羅の侵略によって蚕食され、562年以前に新羅に滅ぼされた。
倭国の情勢
この朝鮮半島の動きは倭国にも伝わり、大化の改新最中の倭国内部でも警戒感が高まった。大化改新期の外交政策については諸説あるが、唐が倭国からは離れた高句麗ではなく伝統的な友好国である百済を海路から攻撃する可能性が出てきたことにより、倭国の外交政策はともに伝統的な友好関係にあった中国王朝(唐)と百済との間で二者択一を迫られることになる。この時期の外交政策については、「一貫した親百済路線説」「孝徳天皇=親百済派、中大兄皇子=親唐・新羅派」「孝徳天皇=親唐・新羅派、中大兄皇子=親百済派」など、歴史学者でも意見が分かれている。
新羅征討進言
白雉2年(651年)に左大臣巨勢徳陀子が、倭国の実力者になっていた中大兄皇子(後の天智天皇)に新羅征討を進言したが、採用されなかった。
遣唐使
白雉4年(653年)・5年(654年)と2年連続で遣唐使が派遣されたのも、この情勢に対応しようとしたものと考えられている。
蝦夷・粛慎討伐
斉明天皇の時代になると北方征伐が計画され、越国守阿倍比羅夫は658年(斉明天皇4年)4月、659年3月に蝦夷を、660年3月には粛慎の討伐を行った。
高句麗の滅亡
白村江の戦いと並行し、朝鮮半島北部では唐が666年から高句麗へ侵攻(唐の高句麗出兵)しており、3度の攻勢によって668年に滅ぼし安東都護府を置いた。白村江の戦いで国を失った百済の豊璋王は、高句麗へ亡命していたが、捕らえられ幽閉された。高句麗の滅亡により、東アジアで唐に敵対するのは倭国のみとなった[21]。
渤海の建国
698年、靺鞨の粟末部は高句麗遺民などと共に満州南部で渤海国を建国した。建国当初は唐と対立していたものの、後に唐から冊封を受け臣従するに至った。また日本は新羅との関係が悪化する中で、渤海からの朝貢を受ける形で遣渤海使をおこなうなど、渤海とは新潟や北陸などの日本海側沿岸での交流を深めていった。
唐との友好関係樹立が模索されるとともに急速に国家体制が整備・改革され、天智天皇の時代には近江令法令群、天武天皇の代には最初の律令法とされる飛鳥浄御原令の制定が命じられるなど、律令国家の建設が急いで進み、倭国は「日本」へ国号を変えた。
白村江の敗戦は倭国内部の危機感を醸成し、日本という新しい国家の体制の建設をもたらしたと考えられている[22]。
戦後交渉および唐との友好関係の樹立

捕虜の帰還…遣唐留学生であった土師宿禰甥(はじのすくねおい)
『続日本紀』巻第一には、文武天皇4年(700年)の大宝律令撰定の功で、刑部親王以下19人が禄を与えられたが、この中に「土師宿禰甥」の名前も、前述の白猪骨らと共に位階「勤広参」(従六位上に相当)で記載されている[8]。
『日本書紀』によれば、白村江の戦いの後の671年11月に、「唐国の使人郭務悰等六百人、送使沙宅孫登等千四百人、総合べて二千人が船四十七隻に乗りて倶に比知嶋に泊りて相謂りて曰わく、「今吾輩が人船、数衆し。忽然に彼に到らば、恐るらくは彼の防人驚きとよみて射戦はむといふ。乃ち道久等を遣して、預めやうやくに来朝る意を披き陳さしむ」」とあり、合計2千人の唐兵や百済人上陸した。この中には、沙門道久(ほうしどうく)・筑紫君薩野馬(つくしのきみさちやま)・韓嶋勝裟婆(からしまのすぐりさば)・布師首磐(ぬのしのおびといわ)の4人が含まれており、捕虜返還を前提とした上での唐への軍事協力が目的であったとされる[26]。
684年(天武13年)、猪使連子首(いつかいのむらじこびと・筑紫三宅連得許(つくしのみやけのむらじとくこ)が、遣唐留学生であった土師宿禰甥(はじのすくねおい)・白猪史宝然(しらいのふびとほね)らとともに、新羅経由で帰国したのが、記録に現れる最初の白村江の戦いにおける捕虜帰還である。
690年(持統4年)、持統天皇は、筑後国上陽咩郡(上妻郡)の住人大伴部博麻に対して「百済救援の役であなたは唐の抑留捕虜とされた。その後、土師連富杼(はじのむらじほど)、氷連老(ひのむらじおゆ)、筑紫君薩夜麻(つくしのきみさちやま)、弓削連元宝(ゆげのむらじげんぽう)の児[27]の四人が、唐で日本襲撃計画を聞き、朝廷に奏上したいが帰れないことを憂えた。その時あなたは、富杼らに『私を奴隷に売りその金で帰朝し奏上してほしい』と言った。そのため、筑紫君薩夜麻や富杼らは日本へ帰り奏上できたが、あなたはひとり30年近くも唐に留まった後にやっと帰ることが出来た。わたしは、あなたが朝廷を尊び国へ忠誠を示したことを喜ぶ」と詔して表彰し、大伴部博麻の一族に土地などの褒美を与えた[28]。幕末の尊王攘夷思想が勃興する中、文久年間、この大伴部博麻を顕彰する碑が地元(福岡県八女市)に建てられ、現存している。
707年、讃岐国の錦部刀良(にしこりのとら)、陸奥国の生王五百足(みぶのいおたり)、筑後国の許勢部形見(こせべのかたみ)らも帰還した[29]。このほかにも、696年に報賞を受けた物部薬(もののべのくすり)、壬生諸石(みぶのもろし)の例が知られている[30]。

土師 甥 (はじ の おい)は、飛鳥時代の官吏。姓は宿禰。土師根麻呂の子。冠位は勤広参。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
土師氏は朝廷での土器製作・喪葬に奉仕した氏族で、『書紀』巻第一、神代上によると天穂日命を祖先としており、出雲臣と同祖である[1]。『書紀』巻第六によると、14代目の野見宿禰の時に「土師臣」氏を名乗った。元の姓は臣、のち連で[2]、土師連一族は、天武天皇13年(684年)の八色の姓で、宿禰を賜姓されている[3]。
金物儒(こんもつぬ)…

純粋な金属として人類が最初に知った金属の一つであると考えられている。 金の原子記号Auはラテン語のaurumによるものであり,これはヘブライ語の〈光〉を意味するorまたは〈赤色〉を意味するausからきたものとされ,フランス語でもorである。
…女真が満州,内モンゴル,華北に建てた王朝(1115〜1234)。生女真のワンヤンアクダ(完顔阿骨打)が女真を統一,収奪の激しい遼と戦い,収国1(1115)年独立して帝位につき,太祖と名のって,金と号した。

金(きん)は、漢姓の一つ。中国・朝鮮などに見られる。とくに朝鮮民族の姓の中では最大の姓となっている。中国では、漢民族・回族・満州民族などが多く称している。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
伝説
五帝の一人少昊(金天氏)の子孫は、「金」を姓とした。
賜姓
前漢の武帝の時、匈奴の休屠王の子・日?らが捕えられ「金」の姓を与えられた。
明のとき、モンゴルの王子・也先土幹や、額森図克、阿爾哈特実哩らが降伏し、「金」の姓を与えられた。
清の乾隆帝は台湾原住民(高山族)に7つの姓を与えた。その一つが「金」であった。
改姓
五代十国の呉越で、劉氏が「金」に改姓した。
他民族の漢化
羌族 - 南北朝時代、羌族の中で金姓を称するものがあった。
ユダヤ人 - 12世紀初期の北宋徽宗の治世、中国に移住・定着して商業を営んだ。漢姓として金・李・俺・艾・趙・張など17の姓を称した。中国のユダヤ人については、開封のユダヤ人参照。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
朝鮮民族(朝鮮族)、満州族 は別項参照。
劉氏…
中国では漢、蜀漢、前趙、南漢、北漢などの王族の姓である。現代の中国でも5大姓の一つで非常にポピュラーな姓。

古代中国には、漢民族は存在せず、モザイク状の多民族国家だった。
支那に渡来したユダ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fbewithgods.com%2Fhope%2Fdoc%2F1-32.html
漢王朝(前202年〜)に、ユダヤ人がインド経由でやって来たと記述されている
…1663年清真寺の再建記念石碑では、ユダヤ教と孔子の儒教が、同一だと主張しています。
漢=カンの語源は、カナンもしくはカインだと思われます。
 また、KAIN→訛ってKAN→漢(もしくは、KANAN→訛ってKAN→漢)で、漢民族の正体は明らかで、漢字を自在に操るイスラエル人の知恵がその出自を呼び名として残したのです。

劉氏(りゅうし)は、中華圏の姓の一つ。現代中国において最も数の多い五大姓(王・李・張・劉・陳)の一つに数えられる。歴史的には漢(前漢、後漢、蜀漢、漢趙(前趙)、五代の後漢、十国の北漢、南漢)と漢王朝以外の劉宋、劉夏の国姓である。
起源…姫姓と祁姓はともに黄帝を祖としている。
堯の子孫である祁姓(中国語版)の劉氏。堯の嫡流(堯の嫡男の丹朱、堯の長男の祁監明の子の祁式、堯の九男の祁源明の説がある)の子孫が劉邑に封じられ、以来その地名を氏としたという。
祁姓劉氏からは、夏孔甲の代に龍を御する名手として劉累が現れている。龍の病死後、劉累は家族を伴って魯陽(現在の河南省魯山)に逃れた。これが河南劉姓の起源とされる(一説には、劉累の故地は河南偃師であったともいう)。
劉累の子孫からは、龍使いの職業を氏とした御龍氏、周初の「興滅継絶」の時期に堯の故地の唐を氏とした唐氏、周の成王が劉累の子孫を杜に移した杜氏、杜氏の杜伯(中国語版)の子の隰叔(中国語版)が晋に移り、士師に任じられたことから、官職を氏とした士氏(中国語版)、晋の士会(范武子)が范に封じられ、封地を氏とした范氏の各氏が出た。
周王室の一門である姫姓の劉氏。成王が曾祖父の季歴の子孫を劉(現在の河南省偃師)に封じたが、後に男子がなく絶えた。後に定王が弟の姫季子を劉(中国語版)に封じて、季子は康公(中国語版)と諡された。ただし戦国時代になると没落し、子孫は劉氏を称した。漢趙の劉殷はその子孫といわれている。
なお、姫姓と祁姓はともに黄帝を祖としている。
士師…
士師(しし、英語: Judge、ヘブライ語: ???????, ラテン文字転写: shaphat、古代ギリシア語: κριτάς)は、ヨシュア以後の王国時代の前から預言者サムエルの間まで、古代イスラエルを裁いた人々であり、旧約聖書『士師記』に描かれる指導者を指す。原語の意味は「治める者」あるいは「裁き人」。「士師」という呼び方は中国語聖書に由来する。
士師の支配地域は一部の部族とその周辺に限定されている地方分権で、王政とは違い世襲制ではなかった。大士師と小士師に分けられ、前者は他民族からの圧迫から民を救う英雄であり、後者は外敵の攻撃とは直接関係しない裁判人や仲裁者を指す。
堯…伝説上の聖王である堯に当てられる…
尭[堯] ギョウ  土部
解字 甲骨文は、ひざまずいた人の上に土のかたまりが二つある形。篆文第一字(古文)は、二人の人がそれぞれ土を上にのせている形で、土を運んで細工をする陶工を表していると思われる。ここから、古代の聖王のひとりが、陶唐という姓で陶器作りの祖であるという伝説と結びついてこの字が聖王「堯ギョウ」を表す字として使われたものと考えられる。
 篆文から、「垚(土三つ。うずたかい)+兀(ひと)」の堯に変化した。垚は陶工(兀)がつくった器をうず高く積んで乾燥させたり、焼くために窯に積んでいるさまと思われる。中国では、新石器文化期に窯の使用を開始しており、これにより高火度・長時間焼成が可能となり、より硬質のやきものが生産されるようになった。窯はかなり広いため、成形した器をそのまま積み上げたり、貴重なものは匣鉢(さや)に入れてから積み上げて焼成した。堯は、うずたかく積み上げることから、たかい意となる。また伝説上の聖王である堯に当てられる。堯は新字体に準じて上部の垚⇒卉に変化した尭が通用する。
意味 (1)たかい(尭い)。気高い。「尭尭ギョウギョウ」(高いさま) (2)中国古代伝説上の王の名。治水に舜シュンを起用しのちに彼に位を譲った。「尭舜ギョウシュン」(尭と舜は古代の聖王で、徳をもって天下を治めた古代の理想的帝王として並び称される)
イメージ  陶工が成形したのち乾燥させたり、焼くために窯にいれた「つみかさねた器」、うず高く器を積んださまから「ゆたか」のイメージがある。
  「つみかさねた器」(尭・焼・暁・橈・撓・蕘・遶・蟯・繞)
  「ゆたか」(饒・驍)
  「同音代替」(僥)

兀(ひと)…π(ペー)?
…土のかたまりが二つある形…圭?…
圭は、土が二つ重なったように見えるが、玉を紐で貫きとおした形である甲骨文の玉から変形したかたちと思われる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F1a660000c8239e82ee68e0313906d764
玉を紐で貫きとおした形…φ(ペー)?
π(ペー)、φ(ペー)、χ(ケー) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

「串カン」  <つらぬく>
解字 ものを串ざしにした形の象形。つらぬく意を表わす[字統]。篆文の字形は患から復元した。
意味 (1)つらぬく。うがつ。
角のある玉器…畦ケイ。区切りの道)…
珪 ケイ・たま  王部 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F1a660000c8239e82ee68e0313906d764
解字 「王(玉)+圭(角のある玉器)」の会意形声。圭はもともと玉圭の意。王(玉)をつけて意味を明確にした字。
意味 (1)たま(珪)。圭の意味(1)と同じ。
娃 アイ・ワ  女部
解字 「女(おんな)+圭(=佳。美しい)」の形声。美しい女。
意味 (1)うつくしい。みめよい。 (2)美人。「宮娃キュウアイ」(宮女) (3)(発音のワが、赤ちゃんの泣き声に通じることから)赤ん坊。「娃娃ワワ」(?赤ん坊。?人形)
角だつ
畦 ケイ・あぜ  田部
解字 「田(耕地)+圭(かどだつ)」の会意形声。耕地を区切る角立ったあぜ。
意味 (1)あぜ(畦)。耕地のくぎり。「畦道あぜみち」 (2)うね(畦)。作物を植えたり種をまくため、土を平行に盛り上げたところ。
街 ガイ・カイ・まち  行部
解字 「行(通じている)+圭(=畦ケイ。区切りの道)」の会意形声。街は、土地を区画する道が縦横に通じているまち(街)。
意味 まち(街)。まちすじ。まちなか。ちまた。「街頭ガイトウ」「街道カイドウ」「街路ガイロ」「花街カガイ・はなまち」

>Ψ, ψ(プサイ、プシー、古代ギリシア語: ψε? プセー、ギリシア語: ψι プシ、英: psi)は、ギリシア文字の第23番目の文字。数価[1]は700。音価は/ps/。
>キリル文字の?(現在は使われていない)はこの文字を起源とする。
盛りあがる
墳 フン・はか  土部
解字 「土+賁(盛り上がる)」 の会意形声。大きく盛りあがった土の墓。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F829d327aa24eaed5cab9ddad278a9a80
意味 はか(墳)。土を盛り上げてつくった墓。「古墳コフン」「墳墓フンボ」「円墳エンフン」

>下戸山古墳??4世紀末-5世紀初頭…


419吾亞風:2020/03/20(金) 04:23:37
「神の粒子」ヒッグス粒子…放物線と直線…
目に見えているような光はフォトンによって伝えられています。koto-science.hatenablog.com/entry/素粒子

神は云った。「光あれ」。すると光が出来た。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikiquote.org%2Fwiki%2F
古代ギリシャでは天空を神の領域と考えアイテールと呼称した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdictionary.hatenadiary.jp%2Fentry%2F2018%2F07%2F14%2F000000
哲学者アリストテレスは、この世界が火、空気、水、土の四元素で構成される地上と、アイテール(第五元素)で構成される天空から成ると考えた。また宇宙はアイテールで満たされており、アイテールによって天体が地球の周りを円運動すると主張した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdictionary.hatenadiary.jp%2Fentry%2F2018%2F07%2F14%2F000000
ローレンツ収縮仮説とは、エーテルに対して移動する物体は進行方向に長さが縮むという仮説のこと。この仮説は物体が縮むことでエーテルの風の影響が相殺されてしまうため、光の速度差が観測できなくなり前述の実験と辻褄が合う。
移動する物体は進行方向に長さが縮む…
直径記号は「マル」…
エーテル (aether, ether, luminiferous aether)[1] とは、光の波動説において宇宙に満ちていると仮定されるもので、光が波動として伝搬するために必要な媒質を言う。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
光の波動説…波動関数…
オイラーのφ関数 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
φ
Φ・φが「フィ」、Π・πは「ピ 」です。
円周率やπの文字がないのに、パイとは円周率のことだとの回答をお寄せくださった方がおられます。 これは音が同じだから、食べ物のパイのことだと回答するに等しいと思いますがいかがでしょうか。 パソコンで変換されるφは、直径を表す記号の代用でしかなく、あくまで記号の代用φファイが、本来の記号の呼び方になっていったんですね。
JIS規格の前身、戦前からのJESで、直径記号は「マル」と読む事が規定されています。
今に至るまで延々と続いているわけですが、「パイ」だの「ファイ」だのと誤読する人が多く、ついにJIS規格は外国の文字であるΦ・φと同じ読みの「ファイ」を認め、改訂してしまいました。
パイは円周率=3.141592653・・・の事ですから、直径記号を「パイ」と言ったら、機械技術者からは確実に馬鹿にされます。
おまえは何でもかんでも直径は3mm少々なのかよ!って訳です。
ギリシア文字のパイはフェニキア文字を起源とし、キリル文字などの基になったものですから、
パイやファイってのは歴史も古く、間違ったらとても恥ずかしいと思います。
ギリシア文字以前には、線文字B、またはミュケナイ文字と呼ばれている文字体系の使用もみられるが、これは仮名文字と同じく音節文字で、音節構造の複雑なギリシア語の表記には必ずしも適さないものであった。ギリシア文字の案出は、紀元前9世紀頃まで遡ると考えられている。その元となった、セム語派のフェニキアが使用していたフェニキア文字はアブジャドであり、文字は子音ばかりの22文字であった。これは、セム諸語が子音に言語の核を置き、母音は補助的な役割しかもたないためである。一方、ギリシア語においては、母音は極めて重要な位置を占める。そこで、ギリシア語発音にはない音価を持つA、E、O、Y、Iの5つのフェニキア文字を、母音を表す音素文字に転用する[1]など、さまざまな改良が加えられた。この改良によってギリシア文字は母音と子音がそれぞれ文字を持つ、いわゆるアルファベットとなった。文字表はフェニキア文字(最後の文字は「Τ」)の後ろに、Υ /u/、Φ、Χ、Ψ、Ω を追加している。またギリシアの地域により一部異なる音素文字・字体が使われた。イオニアやアッティカ、コリントスなどのギリシア本土の大部分や東方諸地域全般においては現代のギリシア文字体系につながる東方ギリシア文字が使用されたが、一方エウボイア島やクマエを中心とするイタリア半島のギリシア植民市など、ギリシア世界の西方においては西方ギリシア文字(エウボイア文字、クマエ文字)が使用された。この西方ギリシア文字はイタリア半島の諸民族に伝わってエトルリア文字やラテン文字などの古イタリア文字群の原型となったが、紀元前4世紀ごろにはイオニア式のアルファベットに吸収されて姿を消した。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ギリシア文字においては、フェニキア文字の6番目である??ワウを分化させ、そのまま [w] を表す場合と [u, u?][4]を表す場合とで異なる字形とし、字母表上は前者(?、ディガンマ)をフェニキア文字と同じ6番目の位置に置き、後者(Υ)を「Τ」の後に置いた[5]。「Υ」より後の「Φ・Χ・Ψ」の起源については議論が分かれる[6]。「Φ・Χ・Ψ」および「Ξ」は地方によって音が異なり、東方ではΞ [ks]、Φ [p?]、Χ [k?]、Ψ [ps] であったが、西方では Φ [p?]、Χ [ks]、Ψ [k?](Ξは使用せず、[ps] はΦΣと書く)であった[7]。
線文字B…
線文字Bを記した粘土板は、ギリシア本土のピュロス、ミケーネ、テーバイ、ティリンス、およびクレタ島のクノッソスとハニアから発見されている[2]。線文字Bは、書簡や論文などには使用されず、また、文字が書き留められた粘土板は、人為的に焼成されていないことから、単純に記録を伝えるためだけに用いられたものと考えられている。文学はなく、人名と職業が書かれた帳簿、物品目録、宮廷内の単なる事柄が記録されていた[3]。
多くの場合、粘土板の上に横に罫線を引き、その上に左から右へ字が書かれる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

東地中海頑で使用が始まった表音文字。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.y-history.net%2Fappendix%2Fwh0102-025.html
 はじめカナーン人がつくりだした表音文字をもとに、フェニキア人が現在のアルファベットのもとになる文字を使うようになった。前8世紀半ばごろから、地中海でフェニキア人と接触するようになったギリシア人に伝わったと考えられる。ギリシア人はかつてミケーネ時代には独自の文字(現代では線文字Bと言われる)を持っていたが、暗黒時代にすっかり忘れてしまっていた。
 ギリシア人は子音しか表せなかったフェニキア文字に、5つの母音(アルファ=Α、エプシロン=Ε、イオタ=Ι、オミクロン=Ο、ユプシロン=Υ)を加える改良を行い、ポリス形成期(アーカイック時代)以降は現在みるようなギリシア・アルファベットが用いられるようになった。最終的な24文字の最初の2文字、A、α(アルファ)とB、β(ベータ)からアルファベットといわれるようになった。 → 文字 シナイ文字 アラム文字 ローマ字 カロリング小字体

フェニキア文字 ? (ベート)に由来する。
数学で、ベータ関数を表す。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
高校数学などで、αと組になる2次方程式の解、また角度を表すのに用いる。

数学において、ベータ関数(ベータかんすう、英: beta function)とは、ルシャンドルの定義に従って第一種オイラー積分とも呼ばれる特殊関数である。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
放物線と直線で囲まれた部分の面積を求める有名公式 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fmathtrain.jp%2Fbeta


420荊の紀氏:2020/03/29(日) 07:59:32
θは極角φは方位角
θは極角φは方位角
球座標の偏角の名称を教えてください. /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Foshiete.goo.ne.jp%2Fqa%2F2527930.html
普通,θは極角,φは方位角,と呼んでいます.

>Φ・φが「フィ」、Π・πは「ピ 」です。
円周率やπの文字がないのに、パイとは円周率のことだとの回答をお寄せくださった方がおられます。 これは音が同じだから、食べ物のパイのことだと回答するに等しいと思いますがいかがでしょうか。 パソコンで変換されるφは、直径を表す記号の代用でしかなく、あくまで記号の代用φファイが、本来の記号の呼び方になっていったんですね。
JIS規格の前身、戦前からのJESで、直径記号は「マル」と読む事が規定されています。
今に至るまで延々と続いているわけですが、「パイ」だの「ファイ」だのと誤読する人が多く、ついにJIS規格は外国の文字であるΦ・φと同じ読みの「ファイ」を認め、改訂してしまいました。
パイは円周率=3.141592653・・・の事ですから、直径記号を「パイ」と言ったら、機械技術者からは確実に馬鹿にされます。

極角の 0 は、オブジェクトのローカル Z 軸の方向です。極角は 1 〜 180 の範囲の値とすることができ、180 の場合は完全な球になります。φ (ファイ) を方位角といいます。方位角は経度を表します。方位角はφ = atan(y/x) と定義できます

ディテクタ (極) オブジェクトには、NSC 光源から到達した光の強度データが保存されます。このディテクタ (極) の形状は球面ですが、角度の関数としたデータ分布は 2D で表示されます。この表示方法が混乱の原因となることがあります。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fforum.zemax.com%2F13998%2F
ディテクタに関する説明
ディテクタ (極) の形状は、オブジェクト座標の原点を中心とする球面の一部をフェーセットで近似したものです。
ディテクタ (極) では、次のような極座標を使用します。
θ (シータ) を極角といいます。極角は緯度 (高さ) を表します。極角の 0°は、オブジェクトのローカル Z 軸の方向です。極角は 1° 〜 180°の範囲の値とすることができ、180°の場合は完全な球になります。
φ (ファイ) を方位角といいます。方位角は経度を表します。方位角はφ = atan(y/x) と定義できます。0°は +X 軸の方向であり、そこから反時計方向に最大 360°まで増加します。方位角の上限は必ず 360°です。


421史実探偵: 平 素人:2020/03/30(月) 02:01:47
不条理の大因は !? = 答えの無い問いかけ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000426M.jpg

不条理の大因は、
       d = 0.π × D  にあり?   (平 素人)
       ?? (じし)                       (ひかりし)
  d = 磁子:破壊性粒子の直径  D = 光子: 生産性粒子の直径

Dが1の時、dはその1/10πであり、これは直径という実数とπという虚数が、あり得ないイコールでつながるということである。別の見方をすると、大球と小球の接触点は限りなく近づいていくということであり、それが“時間”である。

 その関係(不条理のπ空間-筆者命名)は;
直径D=1の球体4個が密着する空間に入る小球の最大直径dは、大球直径Dの 1/10×π である!?

 どなた様か、これを数学的に計算解明して頂けませんか^^?

但し、大直径Dの球体4個は互いに接着しようとする力が働いており、その中に入っている小球体dは、(同似集合の原理・作用 - 筆者命名)が働いて、自分と同じ性質を持つ小球体を求めようと “外部に出たがっている” ものとする^^!。 (my絶版報告書「巨大隕石と大津波」より、)

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



422荊の紀氏:2020/03/30(月) 18:34:07
Re: 不条理の大因は !? = 答えの無い問いかけ
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

不条理と理不尽の違い /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftrue-buddhism.com%2Fteachings%2Fabsurdity%2F
普通、不条理というと、単に世界に意味がないことのように思います。
実際に、哲学では、世界にも人生にも意味が見いだせません。
ところがカミュはもう少し深く考えて、「人間が心の底から狂おしいほど世界の意味を知りたいのに、世界に意味が見いだせない」ことを不条理と言っています。
…不条理を解消するには、本当の生きる意味を知って、「人間に生まれてよかった」という喜びの身になればいいのです。
理不尽…
「理不尽」という言葉は、物事の道理を「おかしい」と感じたときに使う言葉です。「理不尽」には「筋が通っていないこと」という意味があります。
人や企業などの考え方や対応に納得がいかず、その理由が「一般的に考えて筋道が通っていない」と感じたときに、「理不尽」という言葉が当てはまることが多いようです。
理は「筋道」、不は「〜しない」、尽は「終わる」という意味で、「筋道を終えられない」という意味があり、日常では「筋道が通らない」と解釈して使われています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fbiz.trans-suite.jp%2F19009
「理不尽」という言葉は、人や物事の言動ややり方に納得がいかず、不満を持つ状態を表す言葉です。「理不尽」を使えば、ネガティブな感情を一つひとつ言葉にすることなく、筋道に外れていることに憤りを感じている、という負の感情をコンパクトに表すことができます。ぜひこの機会に「理不尽」を語彙に含めて、筋道に合っていないと感じる人や物事を「理不尽」という言葉で表してみましょう。



> 不条理の大因は、
>        d = 0.π × D  にあり?   (平 素人)
>        ?? (じし)                       (ひかりし)
>   d = 磁子:破壊性粒子の直径  D = 光子: 生産性粒子の直径
>
> Dが1の時、dはその1/10πであり、これは直径という実数とπという虚数が、あり得ないイコールでつながるということである。別の見方をすると、大球と小球の接触点は限りなく近づいていくということであり、それが“時間”である。
>
>  その関係(不条理のπ空間-筆者命名)は;
> 直径D=1の球体4個が密着する空間に入る小球の最大直径dは、大球直径Dの 1/10×π である!?
>
>  どなた様か、これを数学的に計算解明して頂けませんか^^?
>
> 但し、大直径Dの球体4個は互いに接着しようとする力が働いており、その中に入っている小球体dは、(同似集合の原理・作用 - 筆者命名)が働いて、自分と同じ性質を持つ小球体を求めようと “外部に出たがっている” ものとする^^!。 (my絶版報告書「巨大隕石と大津波」より、)

423史実探偵: 平 素人:2020/04/10(金) 01:36:02
Re: 不条理の大因は !? = 答えの無い問いかけ
荊の紀氏さまへのお返事です。

 コメントありがとう御座います^^。
 キシ先生へご返答する時、大変戸惑うことがあります。そのご記事の「文」が先生ご自身の書かれたものか、それとも引用文なのか、或いは教示のための参考文なのか、それとも、時事のトピックスなのか、それとも他文をかりて御自分の意を述べていらっしゃるのか。余りにも先生の添え文がすくないために、その意を推しかねて “誰に(カミュ氏? キシ先生? ブロガー?)向かって” 返答すればいいのか、その相手が定まらなくて・・(^-~!)、

<わたしがいう不条理とは>
  うまく自身の中坊的思い (=中二症^^) が書ける自信はないのですが^^!
私が不条理として使っている「条理」とは「節理」に近いかも知れません。節理というと< 人間の思いを排した>「自然の摂理」という言葉があります。条理というと少し人間の思いも入るのでしょうか^^?
 わたしの考え方の根底には、「自然界は人間だけのために有るのではない」との思いがあります。そういった意味では、東洋的な『平等施一切』があたっているかも知れません。わたしの探求は、「現存する森羅万象」のすべてを肯定することから始めるように努めています。叶わないことではありますが努めるというのは、できるだけ多くを知り得て間違いの部分を少なくしたい思いからです。

 少し話が飛びますが、中学生の時、理科の先生が「1 + 1 = 2 ではないよ」と云われたことが有りました。アルコール1?と、水1?を足すと2?にはならないと云われました。忘れましたがどちらかの分子がどちらかの分子に入り込んで2?より少なくなるそうです^^。未だにこの思いをひきずっています^^!。

「1 + 1 = 2」は、2でしょうか? 否、違います。
「1」とは、学問上で人間が “定めた” 数であり、自然界には「1」という数字は実存しません。全ての物質は「時間という動きの中」にあります。例えば、この私が今日はけだるいから家の中から一日中出んことにしょうと思っても赤道上にあれば一日4万kmも移動しています。さらに地球は・・・^^。もし、1 + 1 が 2 であれば、そこで動きは止まり “自然界は閉じて” 今の認識すらなくなってしまいます。<「1」< なら存在しますが、それは「1」少なり、から「1」大なり、或いは、その反対もありますが、それらの移行点であり、それと言葉にした瞬間から「1」より、多くなったり小さくなったりしています。例えば、車に付属品を増していっても一台は一台。このわたしが息を吸った吐いたそれでも一人は一人^^!。それでは便利がわるいから、波動の頭の部分を「1」とか「2」とかに学問として決めてかかると「事」がうまくいきますよね^^!。
  1 + 1 の正解は 「1 + 1 ≒ 2」なのです。

このような思いの延長に、自然界には「答がない」数理があるのではないかと目を付けたのが「π」です。これは、スパコンの性能競争になっているのはご存知のとおりです。・・中略(絶版報告書)して、・・行きついたのが下の数式です。

   不条理の大因は、
          d = 0.π D  にあり?

 この数式は、一度は落胆して取り下げましたが、その思いを消し去ることが出来ず、再度掲げています。答案用紙に答えだけ書いて「式」が書いていない。解けないでは話にならない^^!。どこの試験官からもそれでは〇は頂けませんよね(笑い)。だから・・(^-^!)


> 「理不尽」という言葉は、人や物事の言動ややり方に納得がいかず、不満を持つ状態を表す言葉です。「理不尽」を使えば、ネガティブな感情を一つひとつ言葉にすることなく、筋道に外れていることに憤りを感じている、という負の感情をコンパクトに表すことができます。ぜひこの機会に「理不尽」を語彙に含めて、筋道に合っていないと感じる人や物事を「理不尽」という言葉で表してみましょう。


「理不尽」とは、きわめて人間的な言葉ですね^^!。他の生物には使わないですからね。私は、前述したように「理」という言葉が人間界の理なのか、自然界の理なのかを分けて考えるようにしています。私が、わたしの論をかたるように、先様方の論説を否定はしません。何故なら自然界には、必ず大流と亜流・傍流が用意されており、主流のみが正しいとは言い切れないからです。
 『大河の流れも、蟻の一穴から^^!』・・・ありがとう御座いました。□

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



424管理人:2020/04/10(金) 00:07:31
今年も
会報、ようやく発行しました。2年分ですが、一部だけですが、平さんや、キシさんのアイデアも紹介掲載してあります。キシさんには明日発送しますが、また送料込みで2000円となりますが、本でほしい方いらしたらお知らせください・・・。

また、前回の会報で取り上げた惑星・素粒子物理系の話も、今年はもう少し発展させたいところですね・・・。

425史実探偵: 平 素人:2020/04/10(金) 21:51:37
「中二症的、A>B>C 問題」
管理人さまへのお返事です。
 コロナウイルス、大変なことになっています。北海道では、先手対策で第一波は押さえつつとはあるものの、第二波感染には予断が許されないとのことで心配です。

> 会報、ようやく発行しました。2年分ですが、一部だけですが、平さんや、キシさんのアイデアも紹介掲載してあります。キシさんには明日発送しますが、また送料込みで2000円となりますが、本でほしい方いらしたらお知らせください・・・。
>
> また、前回の会報で取り上げた惑星・素粒子物理系の話も、今年はもう少し発展させたいところですね・・・。

 会報の御出版、おめでとう御座います^^。また、拙論を紹介とのこと恐縮します。「歴史版」のほう、度に覗いてはいるのですが「方位学」。私には難しくて・・^^! 徐福がらみかとは思っているのですが、それ以前の三内丸山遺跡もレイラインのうちに有るとのことですので・・よけいに(^-^!) 「 前報の7号」も、関係するところを二度三度と読み返してはいるのですがレベルが高くて・・・^^!

「惑星・素粒子物理系の話」
もう一度、ひろげなおしてみます^^!。ところで、12/3/日? 「ABC予想」がニュースになりましたね。ノーベル賞、二・三個分の快挙とか^^?  とある数学の先生が中坊向けに「 e = m c二乗」を美しいとまで表現し、「数学者は数学でモノを考えない。数学は解析の方法だ」と云われたことを思い出します。・・・で、1+1=2 にあらず等というものだから・・・^^! 「理不尽を知りなさい」と云われました。あまり深読みし過ぎてもねえ「過ぎたるは及ばざるがごとし」(笑い)

 中坊の「中二症的、A>B>C 問題」
なぜ惑星に回転が生じるのか^^? を考えたことがあります。(ABC予想とは関係ありません)
A>B>C の互いに大きさの異なる球体が、AC>BC>AC の関係位置にあるとき、AとCは、直線的にぶつからず、Bの引力を受け Bよりにぶつかる。結果 Aに回転が生じる。今に思えば極々当たり前なはなしですよね^^!  あとで図をいれます^^!
  (絶版報告書 第三章 小惑星の衝突と合体より) 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



426管理人:2020/04/12(日) 01:18:10
コロナウイルス
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000431M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000431_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000431_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/コロナウイルス



427史実探偵: 平 素人:2020/04/12(日) 07:04:22
Re: コロナウイルス
管理人さまへのお返事です。

御多忙の中、さっそくのお返事ありがとうございます。そうですね、お会いできる日がくるといいですね^^。

>
> それで、ご指摘の惑星形成に際しての重力の問題がありましたね・・。
> 先ほどコロナウイルスの増殖の仕組みについて調べていて、似たような現象を見たような気がします。

 コロナウイルスの掲載図、一瞬、惑星衝突図かと見まがいました^^!。以前に先さまが上げられた「惑星衝突図」と、たいへん似てたものですから^^。先さまは、興味がわくと徹底的におしらべになるのですね。わたしには、あまりにも専門的でとても無理無理^^!。
世の中の具象、超極大から超極小まで異種間をとわずよく似ているものですねえ。「地球は生命体」隕石の衝突は食餌行動という学者がおられました・・・。

 ところで、昨日(4/11)の5時代のNHK? で「古墳番組」がありました。そのすべてを観たわけではないのですが、北日本部(?)にあった前方後方墳は平成調査。そのきっかけは土器の欠けらからとか。その復元には盗掘もなかったことで、その詳細と規模の大きさとドローンでの映像も圧巻。銅鏡も20枚以上(??)あったとか。古墳名、覚えてないのでゴメンナサイ^~!。

以前「魔鏡」と呼ばれるもので裏の図が鏡面に透け出るはなしは聞いてはいたのですが、銅鏡のレプリカで、実際に映像でみるのは初めてです。神秘的!!  鏡面加工のとき、裏の肉厚の違いが砥石圧に影響して鏡面に微小な凹凸ができるそうですね。これも初めて識りました。

はなしに根がつづかず、散文的になって大変申し訳ないのですが、
以前に管理人さまが「ぶらタモリ」で、東北、山形?秋田?の<タール油田>の話しをあげられていましたね。私も見ましたがとても "気に残って"います。その「標高」で6500万年前の巨大津波が運んだ生物体が釧路平原の “奥まったと所と河口海底” に眠っているのではと・・・^^。植物のほうは河口に流れ出て「釧路炭田」となっていますからね。これ 極秘ですよ(笑い)

ところで、ところで、「歴史版」のほうの訪問者数半減しましたねえ^~!。キシ先生のファンがなくなったのか、それともルーツさんとのバトルがなくなったのか、はたまた、いまの話題が難しいのかは分かりませんが、ちょっと寂しいです・・・。コロナの関係で講演のご依頼もキャンセル^^?? 「ピンチをチャンスに」という人がいます。自宅でパソコンをみる時間と人がおおくなっています・・・^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



428荊の紀氏:2020/04/12(日) 12:16:20
>北日本部(?)にあった前方後方墳は…
前方後方墳(ぜんぽうこうほうふん)は、古墳の墳形の一種であり、特に東日本の前期古墳に多く存在する。また、中国・四国地方にも多く存在し、中でも出雲地方の前方後方墳は古墳時代を通じて築かれていた。その起源は、方形の墳丘墓への通路が変化し、突出部へと代わっていき成立したと推測されている。東日本の出現期古墳の多くは、前方後方墳であることが分かってきた。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
古墳時代…
日本の考古学上の時代区分。弥生時代に続く時代で、ほぼ三世紀中頃から六世紀末頃までをいう。国家としての統治形態が形成されつつある時代にあたる。古墳そのものは七世紀まで造られている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
一般的な意味で古墳とよびうる墳墓は,世界各地において国家的統一の初期に出現している。日本では弥生時代につづく時代に,古墳の築造が盛行したので,その時代を古墳時代とよんでいる。そこであらためて,古墳という語は,世界中に通用する普通名詞であるのか,日本の古墳のみをさす固有名詞に近いものか,という問題が生じてくる。…

朝鮮半島西南部の栄山江流域では、日本列島に特徴的な前方後円形(円形の主丘に方形の突出部が付いた鍵穴形)の墳形を持つ10数基の古墳の存在が知られる。これらは5世紀後半から6世紀前半(朝鮮半島の三国時代、日本の古墳時代中期-後期)の築造とされ、3世紀中頃から7世紀前半頃にわたって展開した日本列島の前方後円墳の手法を基にしたと見られることから、当時の日本列島と朝鮮半島の政治的・経済的・文化的関係を表す事例として注目される。
朝鮮半島南部の前方後円形墳 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
…栄山江流域は日本列島と連続する地域ではないほか、一帯では列島からの大量移住の形跡もなく、各前方後円形墳自体も1世代のみで築造を終焉するため、このような列島系の墳形が築造された背景は依然詳らかでない。現在も、被葬者としては在地首長説・倭系百済官人説・倭人説の3説に大きく分かれて議論が続くトピックになる。

支石墓…中東では、イラン高原やゴラン高原(現イスラエル)で支石墓が営まれたとされる。
インドには古代の巨石遺跡が約4000箇所ほどあるが、明確に支石墓と見られるものは、紀元前1000年頃の南インドに出現した。
その他、インドネシア・南アメリカ・北部アフリカに見られる。
東アジアの支石墓は、紀元前1500年頃に遼東半島付近で発生し、その周辺(現在の中国吉林省付近)へ広まった。当初は、地上に支石を箱形に並べ、その上に天井石が載るというテーブル状形態を示しており、天井石の下部では葬祀が行なえるようになっていた。中国東北部・遼東半島・朝鮮半島西北部に分布する。紀元前400年頃から次第に支石が低くなっていき碁盤式といわれ、朝鮮半島西側の中南部と北部九州に見られる。また、青銅器(銅剣など)の副葬も見られ始めた。
朝鮮半島では紀元前500年頃(無文土器時代)に見られ、遺構は半島のほぼ全域で見られ(約4-6万基とされる)、世界の支石墓の半数が朝鮮半島にあるといわれている。北方式と南方式のおおよその境界は全羅北道付近とされる。また、天井石が碁盤状を呈するなど多様な類型を示していることも、朝鮮半島の支石墓の特徴である。紀元前後になると、銅剣(細型銅剣)が副葬されるようになった。 朝鮮半島において、分布が特に顕著なのは半島南西地域(現在の全羅南道)である。同地域ではもっとも多い場所で500-600基の支石墓が群集している。支石墓は朝鮮半島の先史時代を大きく特徴づけており、2000年には高敞、和順、江華の支石墓群が世界遺産に登録された。朝鮮半島の南部には、支石の低いごばん状支石墓(南方式支石墓)があり、北部には支石が高い卓上支石墓(北方式支石墓)が分布している。
日本には縄文時代晩期の長崎県に出現しており(原山支石墓群や大野台支石墓群など)、同県のものに持徴的な屈葬や箱式石棺を伴うことなど、一定の独自性も認められる。日本の支石墓は、弥生時代前期が終わる頃に、ほぼ終焉を迎えている。
朝鮮において水稲作が開始した無文土器時代に支石墓が現れることなどから、支石墓の担い手は日本列島、朝鮮半島へ水稲栽培をもたらした(ハプログループO1b2 (Y染色体))[3]と推定される。

日本最古最大の支石墓群はこの島原の山の上に眠っている。立て札には紀元前4世紀頃(繩文時代晩期)この支石墓を築造した「原山人」がいたと書かれている。
…縄文時代晩期終末には、支石墓と呼ばれる墓制が朝鮮半島から伝来しますが、縄文時代晩期中頃の礫石原遺跡はその直前の墓制の様相を示していると言えるでしょう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fartworks-inter.net%2Febook%2F%3Fp%3D2894
…櫛目文土器文化(くしめもんどきぶんか)は、新石器時代のヨーロッパ北東部、現在のヨーロッパロシア北部とフィンランドを中心とする地域に広まった文化である。
簡単に言えば、北極に近いロシアとヨーロッパあたりがその文化の大元といえるようだ。
…縄文時代中期の三内丸山遺跡の事もあり、ロシアが東北地方に大きな影響力があったことは容易に推測される。

大安場古墳群(おおやすばこふんぐん)は、福島県郡山市田村町にある古墳時代前期後半頃の築造と推定される前方後方墳1基、円墳4基からなる古墳群。1号墳は東北地方最大の前方後方墳で、国の史跡に指定され、周辺は大安場史跡公園として整備されている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
北緯37度21分25.61秒 東経140度23分58.32秒
1号墳は、阿武隈川流域では最大級の古墳であり、また前方後方墳としては東北地方全体で最大規模の古墳である。同じ福島県内でも、会津地方では前方後円墳が卓越しているのに対して、中通り地方に所在する本古墳は前方後方墳であり、前方後方墳をさかんに築造した下野国那須地方との関係がうかがえる。
築造時期は、出土遺物と築造方法などから、4世紀後半頃と推定される。
4世紀後半…
5世紀末東山道征圧・・・?
大和朝廷は4世紀後半「日本武尊」東征、5世紀初頭東海道、5世紀後半吉備(雄略)、5世紀末東山道、6世紀前半磐井の乱、6世紀末北陸道を征圧した! 武光誠『「古代日本」誕生の謎』「第2章」(その5)
Cf. 大和朝廷は4世紀初め320年代邪馬台国併合、4世紀中葉に出雲制圧、日本武尊東征後、5世紀初頭に東海道征圧、5世紀から大和朝廷の本拠が河内へ、5世紀後半に吉備服属(雄略天皇)、5世紀末東山道征圧、6世紀磐井の乱(527-8)の鎮圧後、北九州支配強化!6世紀末、ようやく北陸道征圧!
(1)-3 大和朝廷が北陸道を支配下に置いたのはようやく6世紀末(500年代末)だ!
…C 大和朝廷の勢力伸長を助けた有力豪族は、北陸道にいない。大和朝廷が北陸道を支配下に置いたのはようやく6世紀末(500年代末)だ。

3世紀末-4世紀初頭…
東北地方で最古に位置づけられうる古墳として知られる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
杵ガ森古墳(きねがもりこふん)は、福島県河沼郡会津坂下町にある前方後円墳。宇内青津古墳群を構成する古墳の1つ。福島県指定史跡に指定されている。

縄文から弥生への移行が平和のうちに連続して行われたことを示している。…
…大和朝廷の支配下???
古墳時代call-you.sakura.ne.jp/CCP031.html
 AD300年代になると、会津板下町杵ゲ森古墳、会津若松市会津大塚山古墳、会津板下町亀ヶ森古墳など、会津全域に古墳が造られ、会津地方を支配した豪族が現れ、大和朝廷の支配下にあったと考えられています。


429管理人:2020/04/13(月) 15:45:47
掲示板の題名変更
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000434M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/魔鏡



430史実探偵: 平 素人:2020/04/15(水) 06:13:36
Re: 掲示板の題名変更
管理人さまへのお返事です。

古代化学掲示板・いいネーミングですね。気に入りました^^。
方墳・銅鏡について、ていねいな解説ありがとう御座います。勉強になります。

>
> > はなしに根がつづかず、散文的になって大変申し訳ないのですが、
> > 以前に管理人さまが「ぶらタモリ」で、東北、山形?秋田?の<タール油田>の話しをあげられていましたね。私も見ましたがとても "気に残って"います。その「標高」で6500万年前の巨大津波が運んだ生物体が釧路平原の “奥まったと所と河口海底” に眠っているのではと・・・^^。植物のほうは河口に流れ出て「釧路炭田」となっていますからね。これ 極秘ですよ(笑い)
>
> どうなんでしょうね・・・。そもそもどうして湿原になっているのですかな・・・。

津波(流体)というものは、似たようなものを分別し、それぞれのモノをそれぞれの場所に集め収めおく性質があります。これを知り得たのは中学生のときでした。洪水で流木が川面一面に広がって流れないでまとまって流れているのに不思議をおぼえました。以前にも上げたかと思いますが、津波の流れは上下流が逆なだけで、川の流れの上流域から河口域までの様相によく似ています。

釧路平原には早くから石油ありと睨んでいましたが、ここでの津波の高さ(標高)が推めていませんでした。北米の同緯度あたりのロッキーの山すそに油田があります。しかしながら北海道では情報量がすくなく、その高さが分かっていませんでした。・・で、それを(ぶらタモリ)で知ったわけです。釧路平原には北極からの逆流もあり、その絞込みはこれからになりますが、いまだ着手していません・・・^~!

「どうして湿原 ?」
新しい課題を頂きました。どうしてなんでしょうね? これから考えてみます・・・
ありがとう御座いました。□


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



431荊の紀氏:2020/04/17(金) 10:33:54
ピラミッドと黄金比…
北緯33度13分41秒 東経131度07分59秒
正5角形の対角線はすべて互いに「黄金比で切断」している…
古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
(日本経済新聞より抜粋)
古代の方位測定法 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fhayabusadandy.wixsite.com%2Fshimeha%2Fblank-3
…いまの私たちなら、方位磁針(コンパス)を使うのが簡便です。ただし、よく知られているように、磁針が指す磁北は、地球の自転軸の延長方向である真北とは一致しません。奈良や京都では、真北から7度ほど西にずれています。この差は地域や時代によって異なりますが、6〜8世紀ではさらに大きく、西日本では平均して10〜15度も西へずれていました。したがって、古代に磁北を測って方位を定めたのでないことは確実です。
 次に思いつくのは、北極星を測ることでしょう。現在の北極星(ポラリス=こぐま座α星)は真北にかなり近い位置にありますので、これを利用するのが真北の測定法としてはもっとも簡便です。実際、古代にも北極星で真北を求めたと主張する人がいます。
 ところが、北極星はずっと同じ位置にあったわけではありません。コマが首を振るように、地球の自転軸は約25,800年の周期で動いており(歳差さいさ運動)、現在の北極星が北の指標となったのは大航海時代(15世紀)以降といわれています。それ以前は、紀元前1,100年頃にコカブ(こぐま座β星)、紀元前2,800年頃にはトゥバン(りゅう座α星)が北極星の役割を果たしていました。しかし、古代の日本に、北極星にあたる星は存在しなかったのです。
 ではどうやって方位を測ったのかというと、まず間違いないのは太陽を利用する方法です。地面に棒を垂直に立て、それを中心に円を描きます(全周させなくてもかまいません)。午前と午後の2回、棒の影の先端が円周上にくるときがありますが、その2点を結べば、ほぼ正確に真東西となります。この方法は、古くから『周礼しゅらい』をはじめとする中国の書物に記され、簡単なうえに精度もよいことが実験でも確かめられています。日本へは、そうした書物や朝鮮半島からの渡来人をつうじて伝えられたのでしょう。…
【スタジア測量】《stadia》視距儀の接眼部にある2本の線が挟む標尺の目盛り数(長さ)と高度角を読み取り、標尺までの水平距離と比高を計算する測量法。
例えば問題 測量士補試験から<H17-4-A:問題>
アリダードによるスタジア法において、2点A、B間の距離を測定するためにA点に平板を整置し、B点に鉛直に立てた上下間隔2mの目標板を視準して、上方目標板の読定値十3.2、下方目標板の読定値−1.5の値を得た。2点A、B間の水平距離はいくらか。
 問題文を図に描くと次のようになる。…
アリダードの前視準板の目盛(分画)は、アリダード全長の1/100である。また、水平線を境にできる上下三角形が相似形であることを考えると、次の式により、水平距離Sを求めることができる。
100 : {+3.2 − (−1.5)}= S : 2m
∴?? 4.7S = 200m???? よって、S = 42.553m

測量のはじまり /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fuenishi.on.coocan.jp%2Fj032kodai.html
…古代には砂漠や草原の広大な地域を移動する遊牧民や隊商は道筋に石などを積み上げ道標としたり高い山などを目標としました。しかし地上の目標物のないところでは太陽の方角、日中の影の方位、夜は北極星などの天体によって進む方向を知りました。日本では草原や砂漠はなく狭い範囲で人々の移動も少なかったのですが、やはり周囲の特徴のある山や川などの地物を目印に移動していたと思われます。海上でも天体を利用し沿岸部では高い山や島を目標物として航行しました。このように人の移動にともなう目的地や自身の位置を知るために自然の地物や天体を利用するナビゲーションから「測量」がはじめられたと考えられます。
中国の「十八史略」によれば古代伝説上の帝王である黄帝の時代(紀元前2500頃か)に戦場で方向を定めるため「指南儀(車)」がつかわれたと記述されていますが、そのしくみは磁石を応用したのか、太陽などの天体を観測して決めたのかは不明です。しかし測量に専用の道具を用いられたのはこの例が初めてのようです。農耕や牧畜とともに定住生活が進展すると測量、地図、暦などが必要になってきます。たとえば中国では黄河の治水のため大規模な工事が行われ、同様に古代エジプトでもナイル川の治水、ピラミッドのような大規模工事が行われ当然、方位だけでなく数学や天文学を応用した高度な測量にもとづく土木工事が行われていたことがうかがえます。古代エジプトの測量の様子は壁画としても残存しています。1998年(平成10)にエジプトで発行された測量局発足100周年記念切手には紀元前1300年頃、ルクソールの西岸、貴人メナ(Menna)の墓の壁画が表され測量風景が描かれています。農地を背景として先頭は巻尺(ロープ)を延伸する測量師、ついで測量隊の権威を表わす柄の長い錫杖のような杖を持つ監督者、杖は河の氾濫で土中に埋没した標石を発掘する道具としてもつかわれたか、そのほか測量記録または地図の巻紙を持つ記録者などがわかります。このように農地の測量から面積を算出し、収穫を予想して課税にも活かしたことが想像できます。[Joel F. Paulson:Surveying in Ancient Egypt FIG Working Week Cairo 2005 p1−12]、[アルベルトシリオッティ・矢島文夫訳:王家の谷 河出書房新社 1998 p154]
地図についてはメソポタミアやヨーロッパ地域では紀元前に地図が描かれた粘土板や洞窟壁画が、エジプトでもパピルスの巻物などの地図が発見されていますが、どのような目的に利用されていたかわかりません。いずれにしても日本ではこの時代の測量や地図の遺跡はありません。
ギリシャ・ローマ時代になると数学や天文学が盛んになり三角法を利用したり地球の円周といった実測が困難な地物の大きさの算出も行われ実測量に想像を加味した世界図も作成されました。紀元前後には人々の移動も増加しローマ人は位置と距離を表す里程標も設置したようです。紀元前550年頃以降、ピタゴラスによる大地の球形説、ヘロドトスによるヨーロッパ・インド間の世界図、アルキメデスの地球周囲の算出、ヒッパルコスの三角法、エラストテネスの地球弧長測定、シーザーによるローマ帝国の地籍測量、また中国では秦の始皇帝時代に精密な地域図などの制作が行われています。紀元150年頃にはギリシャのプトレマイオス(Claudius Ptolemaeus 83年頃 〜168年頃)が世界図の作成をはじめ、三角法の利用、経度の表現などで地理学、測地学に業績を残しました。中国でも紀元後、漢の時代に天文学者の張衡(ちょうこう 78〜139、著作に天文書「霊憲」)が経緯度座標を地図に応用したり天文観測機器である水力渾天儀(こんてんぎ)の考案をしました。
日本では縄文、弥生時代には聖地にあたる弥盛地(いやしろち、祭祀場)の位置決定は夏至や冬至、春分や秋分の日の出や日の入の方位によったり北極星を基準にしたり、高い山や岬などを結んだ線上におかれたりしました。古代の祭祀場が方位にもとづき設置されている多数の事例が遺構に見られます。このなかには日本でのみ出土する銅鐸の埋蔵遺跡では銅鐸の「ひれ」の向く方位と直角の方位が冬至の日の入方向であったという事例もあります。中国との交流がすすむと山川や水流などの様子によって都城、住居、墳墓の位置を決める「風水思想」も導入されてきたようですから、これらの事例が現代でいう三角法や交会測量法などを応用した測量によって決められた遺跡であるとはいえません。なかには方位を意識せず設置された場合でも結果として偶然、方位との関係が緊密になってしまった事例もあるように思われます。[堀田総八郎:神々のメッセージ 中央アート出版社 1995 p21−85]、[森下年晃:星の巫(かんなぎ)リベルタ出版 2009 p140−147] 、[布施泰和:竹内文書と平安京の謎 成甲書房 2015 p16−23]
3〜4世紀になると墳墓や陵墓が築造され、いまも堺市に仁徳陵、羽曳野市には応神陵など巨大な古墳が残存しています。これらは築造の過程でかなり精密な測量が行われたことがうかがわれます。4〜5世紀には仏教の伝来とともに大陸の文化、技術も人材とともに渡来しました。農地、交通要路、用水路など測量や土木の技術が不可欠な構築物が遺跡となっています。古代朝鮮の百済からは秦氏(はたうじ)が渡来しています。現京都の山背国葛野郡太秦(うずまさ)を根拠にし多人数が各地に土着して治水、灌漑などの農業土木や養蚕、機織などの技術を普及しました。農業土木には当然、測量も含まれていたと思われます。
4世紀頃から大王(おおきみ)による支配と国家体制の整備とあいまって地方豪族の勢力範囲、いわゆる縄ばりを決める必要がでてきました。日本書紀によれば3、4世紀頃(成務天皇5年)のところでは
五年秋九月(ながつき)、諸國に令(のりごと)して、国郡(くにつきと)に造長(みやつこ)を立て、縣邑(あがた)に稲置(いなき)を置き、並びに楯矛(たてほこ)を賜ひて表(しるし)と爲(し)、山河を隔(さか)ひて國縣を分ち阡陌(たたきのみちよこさのみち)に随(まにま)、邑里(むら)を定め給ひき。 [武田祐吉編:訓読 日本書紀 臨川書店 1988 p173]

【測量技術の歴史】測量は紀元前3000年のエジプトから存在して ... /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.thg.co.jp%2Fdouyo%2Fshikaku%2Fsokuryoshiho%2Fsurveying-technique-history%2F

続・古代の直線測量の新事実(巨大古墳の謎に迫る) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F
…測量技術は国家機密だった? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2014%2F06%2Fblog-post_11.html
…古代の道が地形をほぼ無視して真っ直ぐに造ったのに対して、中世の道は微妙な地形を考慮したり、もとにあった道筋を利用したりして、造られたように思われます。
 つまり古代から中世へと、直線を測量する技術が引き継がれなかった可能性が考えられるのです。
古代人が日本中を測量しまくっていた事実 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2014%2F05%2Fblog-post.html
さきたま古墳群に見る規則性
空中写真で見るさきたま古墳群 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2013%2F11%2Fblog-post_15.html
 筑波郡衙(平沢官衙)の総柱の建物群の図面である。大雑把に見るとほぼ東西南北のラインに沿って建てられたのと、角度を持って何かの基準線に合わせて建てられたのに分かれる。
 角度を持った基準線を引いたのが、ピンクの直線だ。この角度は約17度で、真北から西に振れている。
 この角度が、飛山城址を起点に郡衙が一直線に並ぶラインの角度と一致している。
約16.5度の角度で真北真南ラインから斜めになっています。
巨大古墳には驚くべき事実が隠されていた
前方後円墳の形は丸い部分と台形状の部分を合わせたようになっています。この中で前方部の墳頂つまり台形状部分の高くなった場所の経度が、ほぼ正確に揃うものがあるのです。
国土地理院の地図に経度と緯度が表示されているので、それで確認してみましょう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsimomura-nobuo.blogspot.com%2F2016%2F04%2Fblog-post.html

? 中国と日本の銅鐸(どうたく) 銅鐸(どうたく)も青銅器。 渦模様、黄金比、ジグザグ模様が見られるので、ニンギシュジッダ作。
宇宙の起源 4章(21) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fmotoharu567%2Fentry-12489743618.html
黄金比…
> 図5 加茂岩倉遺跡の同笵銅鐸・・・ 18度 36度 72度 108度?
>
> 18°,36°,54°,72°の三角比(sin cos)
> 2006年11月27日 - 360÷5=72度ということは各辺に3つずつある合計15個の円周角は全部36度. この円 周角が2つ集まる角が72度で,3つ集まる5角形の内角は108度となる. 5角形 対角線 BEと辺CDはそれを横切るCEが錯角の位置で36度になるので,平行 ... /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkurobe3463.blogspot.jp%2F2006%2F11%2Ftriangular-ratio-of-18-36-54-and-72-sin.html
> 「正5角形の対角線と辺の比」が有名な黄金比で,正5角形の対角線はすべて互いに「黄金比で切断」している.
18°,36°,54°,72°の三角比(sin cos) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.uja.jp%2F2006%2F11%2Ftriangular-ratio-of-18-36-54-and-72-sin.html

フィボナッチ数列との関係等,黄金比に は,他にも面白い性質が沢山ある.
黄金比について(1) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.rikou.ryukoku.ac.jp%2Fimages%2Fjournal66%2FRJ66-02.pdf

フィボナッチ数列 五角形の画像 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fq%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%2B%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26qpvt%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%25e3%2580%2580%25e3%2580%2580%25e3%2580%2580%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26FORM%3DIGRE
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.bing.com%2Fimages%2Fsearch%3Fview%3DdetailV2%26id%3DF14AAE877632F442525A566C986EE3F790490953%26thid%3DOIP.Hj9EHVdjImH2oZsUD_6thQHaEk%26mediaurl%3Dhttp%253A%252F%252Fmayakoookura.com%252Ftaiwa%252Fimages%252Ffinavochi.jpg%26exph%3D309%26expw%3D500%26q%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%2B%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26selectedindex%3D51%26qpvt%3D%25e3%2583%2595%25e3%2582%25a3%25e3%2583%259c%25e3%2583%258a%25e3%2583%2583%25e3%2583%2581%25e6%2595%25b0%25e5%2588%2597%2B%25e4%25ba%2594%25e8%25a7%2592%25e5%25bd%25a2%26ajaxhist%3D0%26vt%3D0%26eim%3D1%2C6
「天円地方(てんえんちほう)」… /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F

天円地方(てんえんちほう)とは、天は円く、地は方形であるという古代中国の宇宙観である。 中華文化圏の建築物や装飾のモチーフとして用いられる。天が円で表されるゆえんは、星の運行が円運動で表されるためである ...

前方後円墳という形状の由来のひとつとして、天円地方(てんえんちほう)という思想が影響しているという説があります。 天円地方とは、古代中国の思想のひとつで、円形は丸い天をあらわし、方形は地を意味してるというものです。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.daremomiteinai.com%2Fentry%2F2018%2F06%2F21%2F235935
実際に多くの前方後円墳の墓所は後円部の頂上の設置されているそうです。亡くなった前代のリーダーを弔う次代のリーダーは、地である方形の支配者に、ということのようですね。
地である方形の支配者…
四大天使とは?
四大天使について、名前や役割、司る方位や色などをご紹介していきます /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkirari-media.net%2Fposts%2F6542

錐体の体積は「底面積×高さ÷3」。なぜ3で割る? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1178514666

立体の三角錐 これら全部、間違いなのではないかと、直感でそんな気がしました。 円形も、八葉形もみんな想像の産物に過ぎないかもしれないなと、思ってしまいました。 その理由は、八咫鏡の名前を解読すると、分かってきます /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftacchan.hatenablog.com%2Fentry%2F2020%2F03%2F19%2F003222

方格規矩四神鏡の鏡背面の文様は、古代中国人の、大地は方形(ほうけい)で天はそれをドームのように覆(おお)っているという、「天円地方(てんえんちほう)」の世界観(せかいかん)に基づいて、宇宙の構造を模式的(もしきてき)に表現したものです。具体的には、中央の鈕(ちゅう、紐〈ひも〉を通して持つための装置)のまわりの正方形の区画(方格)は大地、周縁(しゅうえん、鏡背面の縁〈ふち〉の厚みのある部分)は天穹(てんきゅう)、方格の四辺の中央から外へ突出(つきだ)したT字形は天を支える柱と梁(はり)、周縁から内側へ突出(とっしゅつ)した逆L字形とV字形は天をつなぎとめる装置、をそれぞれあらわしたと考えられるのです。そして、鈕と周縁の間にはさまざまな動物などが鋳出されていますが、そのうち、中心となるのは、青龍(せいりゅう)・白虎(びゃっこ)・朱雀(すざく、鳳凰〈ほうおう〉のたぐい)・玄武(げんぶ、亀と蛇が絡〈から〉んだ像)です。四神(ししん)とよばれるこれらの霊獣(れいじゅう)は、天の東西南北を代表する星座を表現しています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kyohaku.go.jp%2Fjp%2Fdictio%2Fkouko%2Fhoukaku.html

墓は『仏舎利塔を原型に江戸時代にできたといわれています。土台を2段に重ね、その上に棹(竿)石と呼ばれる縦長の石が載っています。石は上から「天(家庭円満)」「人(人望)」「地(財産維持)」を表しています。』だそうですから、元々が仏舎利塔、つまり世界樹がモデルということになります。
ならば、竿石はリンガであり、四角の土台はヨーニであって、リンガ・ヨーニです。でもって、墓の「天人地」は天上、中間世界、地下であって、リンガや崑崙山の概念と全く同じです。
瀬織津姫 & クンダリーニ…No.221https://ameblo.jp/8484yogi/entry-12189262055.html

五輪塔とは 読み方 ごりんとう 五輪塔とは、上から宝珠、半月、三角、丸、四角の五つの石を組み合わせた供養塔のことです。

円周率と黄金比cosmos.art.coocan.jp/sp/sp53.htm
円周率と黄金比を構成する式を示す。両者は10とも密接な関係を持っている。

【ピラミッドと数学】 - 円周率や黄金比の関係を紹介!
ピラミッドと円周率の関係
観光地として人気の高いエジプトのギザの三大ピラミッド。このピラミッドは数字と大きく関係しています。
ピラミッドには円周率を表わすπが隠されていると言われています。クフ王のピラミッドの一辺の長さをピラミッドの高さを半分に割ると、πの値に極近い数字が算出されます。古代のエジプト人は円周率のことを知っていたのでしょうか。
ピラミッドと黄金比
黄金比は黄金分割とも呼ばれ、古代ギリシャで発見されました。私たち人間にとって最も美しく安定した比率で、美しく見せるための基本的な条件とされています。
ピラミッドには、この黄金比が使われていると言われています。クフ王のピラミッドを例に挙げると、ピラミッドの高さと底辺の長さの比率がだいたい1:1.6になります。これは黄金比と呼べる特別な比率になります。
ピラミッドと地球 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.pyramid-trip.com%2Fmystery%2Fnumber.html
ピラミッドの大きさが地球の大きさと深い関わりがあると言われています。地球を東西と南北へ360度ずつ区切っていく地理度というもので見ると、クフ王のピラミッドの一辺がその地理度の1分の1/8と同じで、辺心距離はこの地理度の1分の1/10と同じになります。また、クフ王のピラミッドの高さが地球と太陽の一番近い距離の1/10億になります。
要は、大ピラミッドの高さを10億倍すると、地球から太陽までの距離の1億4700万キロになるということです。同じくピラミッドの高さを43200倍すると地球の半径になります。そして、ピラミッドの総重量の100兆倍が地球の重量と同じです。

ピラミッドの高さと底辺の長さの比率がだいたい1:1.6になります。これは黄金比と呼べる特別な比率…
黄金比…
 石柱のハンドバックの上下に、ジグザグの模様が見られる。
これと同じものはシリアの目の女神像や、紀元前2000年頃から日本と中国で見つかる銅鏡や銅鐸(どうたく)に見られる。
銅鏡や銅鐸(どうたく)には黄金比の曲線や渦模様が見られることから、これもニンギシュジッダによるもの。
…1つ上の銅鐸(どうたく)の画像の黄金比の渦模様の下に彫られている動物もイノシシで、つまりそれはニンギシュジッダのシンボルということ。

…銅鐸の姿を底辺の長さ・高さ・底辺と肩の長さ等を測定しギリシャ人の発見した黄金比 1.618 ( 0.618) を適用し て考察した。
古事記と銅鐸
古事記は銅鐸を記録している (2013/9) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsites.google.com%2Fsite%2Fkojikidotaku%2F
出雲風土記の記述から出雲の荒神谷遺跡(銅剣358本・銅矛16本・銅鐸6個の埋納)加茂岩倉遺跡(銅鐸39個埋納)を取り??巻まいて,延喜式神名帳の神社の中に多久社(鐸社)・宇智・宇治(打ち社)須美禰社(澄み音社)等と等ど呂ろ吉き社(轟き社)等銅鐸の?? 鳴る音を現した神社があることが分かった。
またこの神社に関連している神々の地名説話があり銅鐸の埋納地と出雲の神々が密接?? に結びついていることが分かった。従って出雲が銅鐸の母胎であることを新たに確認することが出来た。
…また加茂岩倉遺跡から出土した39個の銅鐸は6区袈裟襷文4個流水文9個で特に26個が4区袈裟襷文であり鐸身に3つの輪が刻まれている。
????既に明らかにしているように三輪の神には固有の神名がなく、大物主の名称は延喜式神名帳の大和城上郡に大神大物主神社が唯一つあるだけでありこの名称は古事記で初めて作られた太安万侶式名称と思われる。従って三輪の神は鐸身に3つの輪のある4区袈裟襷文銅鐸の愛称?? であったと考えられる。
????古事記には「海を光てらして依り来る神ありき。その神の言のりたまいしく、「よく我が前を治めば、吾能く共に相作り成さむ。若し然らずば国成り難がたけむ」??と言って御諸山に祭られたとあり、これは神ではなく祭器神であり小・中型銅鐸を示していると考えられる。
??従って大穴持命の時代は加茂岩倉遺跡?? から出土した流水文及び4区袈裟襷文の小型・中型銅鐸の製造された時期であったことが窺われる。
 … 終わりに銅鐸の姿を底辺の長さ・高さ・底辺と肩の長さ等を測定しギリシャ人の発見した黄金比1.618(0.618)を適用して考察した。
その結果日本の古代の人々も銅鐸の高さと科底辺の割合、底辺と銅鐸の肩の長さ及び頭部の円の直径の間に黄金比に近い値を見出していることが分かった。
これが銅鐸の素朴で美しい調和のとれた成形の簡単な根拠であり、古代の銅鐸製作者が無意識のうちに黄金比を感知していたことが分かる。
?? 同様に古墳の形と濠の形が銅鐸の頭部の形と縮図の上で重なるので、同様に黄金比的考察を行ったが古墳には黄金比の関係はなかった。
しかし銅鐸の縮図と古墳の縮図が重なり合うのは銅鐸の設計法を古墳の設計に利用していたのではないかと考えられる。

120.540571°…360°÷3=90°×4…
三垣(さんえん)とは、天球を天の北極を中心に3つの天区に分けた紫微垣・太微垣・天市垣の総称。またはその基準となった星座(古代中国では星官という)。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
紫微垣 - 中垣。北極星周囲の区画。
太微垣 - 上垣。北斗七星より南、星・張・翼・軫より北の区画。
天市垣 - 下垣。房・心・尾・箕・斗より北の区域。
星座としての三垣は、藩垣すなわち城壁の形を象ったもので、城門のある南北は開かれた形で左(東)の城壁と右(西)の城壁に分けられる。それぞれ囲っているのは、紫微が宮殿、太微が庭園、天市が市場とされる。
三垣を天球上の領域とするような考え方は『晋書』天文志の段階ではまだ見られない。その後、隋の丹元子作という星座詩『歩天歌』において北極を中心として星座が三垣に分類されている。以後、三垣二十八宿(三垣二十八舎とも)を天上世界の区域名として使うことが一般的となった。

謎の東経線…黄金分割線に存在した古代の日本ピラミッド! /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DkdSlWjSfaOM
地球上の有名な古代文明の場所がギザのピラミッドを起点として、黄金分割線上に存在する…。
ギザのピラミッド・ストーンヘンジ・
29° 58′ 45.03″ N, 31° 8′ 3.69″ E
十進数 29.979175, 31.134358

ストーンヘンジ(Stonehenge)
51° 10′ 44″ N, 1° 49′ 34″ W
十進数51.178889, -1.826111

ギザのピラミッドーストーンヘンジ
距離 3,429.958203?
方位角 319.832738°(40.16726°)

ギザのピラミッドーエルサレム
距離 502.505089?
方位角 80.373309°

40.16726°+ 80.373309°= 120.540571°


432管理人:2020/04/17(金) 22:58:32
西暦536年
ちょっと興味深い記事がありましたので、引用します。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnote.com%2Fbatonz%2Fn%2Fnaeea8f9baee6

西暦536年の大噴火、気候変動をもたらしたのは、隕石落下だったと考えますが、この件についても再考したいところですね。

あと、平さんのおっしゃるお話は遠心分離機の原理ですね。

その津浪の蛇行が、周辺の地層に変化をもたらすとすると興味深いところです。

433史実探偵: 平 素人:2020/04/18(土) 04:48:35
Re: 西暦536年
https://note.com/batonz/n/naeea8f9baee6

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-categor2y-0.html



434管理人:2020/04/20(月) 23:24:57
Re: 西暦536年
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


プラタモリ、今週は飛鳥でしたね・・。

> 管理人さまにお伺いします。
> 巨大隕石で、火山の大噴火が誘発されることは充分考えられます。しかしながら、人類史に影響するほどの巨大隕石は、その頻度がすくなく学会でも、“その場所と、その時の”特定はまだまだのような気がします。それだけに楽しみな分野ですね。先さまも、この地で「〇〇万年前の巨大隕石のニュース」ありとあげられていましたね。とにかく「津波」のことを「洪水」といっている内での先は望めません。世界はそれと気づくべきです。津波と洪水はまったく異なりますよね^~!。
> そこで、地表下10km以内で起こる地震をマグネチュード10とした時、それに見合う巨大隕石のサイズは、如何ほどかと^~?。わたし素人としては、地殻からの噴出エネルギーより、巨大隕石が放つエネルギーの方が<表層へ与える影響ははるかに大きい>と思っているのですが、この考えは間違いでしょうか。
>
>

これは、起爆剤の原理で、水爆などだと、小さな爆発が巨大な爆発を引き起こすわけでして、小さな隕石落下でも落ちどころが良ければ、マントルを刺激して巨大噴火に至る可能性があるように感じます。

つまり、物理的なエネルギー保存則には関係しないということでしょう。

クレーターができるだけなら、物理的なエネルギー保存則以上のものは出てこないとおもいますが、ただし、以前お話した隕石落下が核融合を誘発する場合も同様に、物理的な保存則を裏切る結果となるはずです。その場合、明らかに巨大なクレーターが生じたりするわけですね・・・・。



> > あと、平さんのおっしゃるお話は遠心分離機の原理ですね。
> > その津浪の蛇行が、周辺の地層に変化をもたらすとすると興味深いところです。
>
> う〜〜ん。数学的に根究すると、そこに行きつくのかも知れませんが、私の言っている「津波の分別」とは、すこし異なるような気がします。わたしの提唱している『同似集合の原理・作用』は、単に重さのみならず、具象のすべてで似たもの同士が集まる傾向ありを言っています。
> 『誰もが知っていて、誰もが気付いていないこと。当たり前にはあたりまえの原理が働いている』 (絶版:報告書より^~!)??何故このようなことが起こるのか、卓越した数学をもたれる管理人さまに、数学的に解明して頂けないかとひそかに思って居ました^^? □


確かに、遠心分離は質量(密度)のみですが、形状や化学反応・・・といった要因も考慮すべきでしょうね。

浮力、重力、摩擦力、化学結合、さまざまな要因で津波流体の行きつく先が変化していく・・のでしょうか。

435史実探偵: 平 素人:2020/04/21(火) 04:07:45
釧路平原の石油を捜す!!
管理人さまへのお返事です。早速のお返事ありがとう御座います^^。

> これは、起爆剤の原理で、水爆などだと、小さな爆発が巨大な爆発を引き起こすわけでして、小さな隕石落下でも落ちどころが良ければ、マントルを刺激して巨大噴火に至る可能性があるように感じます。
> つまり、物理的なエネルギー保存則には関係しないということでしょう。
> クレーターができるだけなら、物理的なエネルギー保存則以上のものは出てこないとおもいますが、ただし、以前お話した隕石落下が核融合を誘発する場合も同様に、物理的な保存則を裏切る結果となるはずです。その場合、明らかに巨大なクレーターが生じたりするわけですね・・・・。

> 確かに、遠心分離は質量(密度)のみですが、形状や化学反応・・・といった要因も考慮すべきでしょうね。
> 浮力、重力、摩擦力、化学結合、さまざまな要因で津波流体の行きつく先が変化していく・・のでしょうか。

  ・・ありがとう御座いました。□

(ブラタモリ)、二・三度見ていますが^^、
私達がふだん “何気なく”見過ごしている風景や家並みから、かつての歴史を探り・紐解いてゆく面白さがありますね。

<秋田県のタール油田>に興味をもち検索を重ねているのですが、・・・
いざそれを文章にするとなると、同じ画面(URL)が捜し出せずのアキラメを繰り返しています。とくにユーチューブは、掲載が早く変わりゆくのでとても付いてはいけません~~!。
 日本での商用油田は新潟だけかと思っていましたが、秋田にもあったのですね。累計産出量最大の油田が今でも住宅地の近くで、細々とながら汲み上げられている動画  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fonsen_shouyou%2Fe%2F12c2a66acefbd6730b8aaf8c077fe086
には驚きです。わたしは、油井が津波の戻り水で<河口近く>にありと認めてはいるのですが、ブラタモリでみたタール油田の地が<内陸部>のものか??、と思い検索してはみたものの捜し出せませんでした~~!。

??<東北石油株式会社・豊川油田展示室>
秋田県潟上市昭和豊川・・・?、Google Earth のストリートビューでその看板を捜し出しましたが、かつての栄華はどこへやら、近所の公会堂かと見まがいました(笑い)。その展示室の標高は<38m>でした。油井汲み上げ機械に関係する見学施設が他にもあるようです。ほかに「草生津・クソウズ・??」くそうず くさうづ 【臭▽ 水▽】〔「くさみず」の転〕石油の古名。(三省堂)の地名もありましたが、自分の思っていたほど標高の高い内陸部ではなく、「潟」に近いものでした。・・取りあえず秋田はここまでとし、つぎ、北海道へうつります。「地下400mからの汲み上げ」、これが秋田か? 北海道から? の検索かが思い出せません。石油は津波が運んだ生物の油分が地下に埋まり重合・熟成したものと思っているのですが、近年のメタンハイドレードの成因がまったく推めていません^~!。


436管理人:2020/04/24(金) 00:01:29
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>
>?? <東北石油株式会社・豊川油田展示室>
> 秋田県潟上市昭和豊川・・・?、Google Earth のストリートビューでその看板を捜し出しましたが、かつての栄華はどこへやら、近所の公会堂かと見まがいました(笑い)。その展示室の標高は<38m>でした。油井汲み上げ機械に関係する見学施設が他にもあるようです。ほかに「草生津・クソウズ・??」くそうず くさうづ 【臭▽ 水▽】〔「くさみず」の転〕石油の古名。(三省堂)の地名もありましたが、自分の思っていたほど標高の高い内陸部ではなく、「潟」に近いものでした。・・取りあえず秋田はここまでとし、つぎ、北海道へうつります。「地下400mからの汲み上げ」、これが秋田か? 北海道から? の検索かが思い出せません。石油は津波が運んだ生物の油分が地下に埋まり重合・熟成したものと思っているのですが、近年のメタンハイドレードの成因がまったく推めていません^~!。
>

石油・・・・、植物由来のものだけではなく、一説によると、マントル層にもともとたくさんあるらしいですね。 wikiに下記のようにあります。



無機成因論
石油「無機」由来説は、1940年代にBP(ブリティッシュペトロリアム)の研究所内では、無機生成物であることが主要理論であったが、市場戦略的な理由で機密扱いにしていた。1870年代、元素の周期律表で知られるロシアの化学者メンデレーエフが唱えたのが始まりで、旧東側諸国では従来から定説とされていた学説である。ただし、旧西側諸国では、定説とされてきた石油「有機」由来説に真っ向から反対するものであったため、長く顧みられることがなく、その後トーマス・ゴールドが取り上げたことで、西側諸国でも脚光を浴びることとなった。

天文物理学者であるゴールドの説く石油無機由来説は、「惑星が誕生する際には必ず大量の炭化水素が含まれる」「炭化水素は地球の内核で放射線の作用により発生する」「この炭化水素が惑星内部の高圧・高熱を受けて変質することで石油が生まれる」「炭化水素は岩石よりも軽いので地上を目指して浮上してくる」というものである。

無機成因論の根拠としては「石油の分布が生物の分布と明らかに異なる」「化石燃料では考えられないほどの超深度から原油がみつかる」「石油の組成が多くの地域でおおむね同一である」「ヘリウム、ウラン、水銀、ガリウム、ゲルマニウムなど、生物起源では説明できない成分が含まれている」などが挙げられる。

また、生物起源論が根拠としている、石油中に含まれる炭化水素の炭素同位体比を調べた結果、炭素数の少ない炭化水素ほど、質量の軽い炭素同位体を含む割合が多くなるという傾向は、地下から炭化水素が上昇する過程で、分子の熱運動により重い同位体が分離されたと説明することも可能だという。

この無機由来説に基づけば、一度涸れた油井もしばらく放置すると、再び原油産出が可能となる現象を説明することができる。また超深度さえ掘削できれば、日本はもちろん世界中どこでも石油を採掘できる可能性があることになり、膨大な量の石油が消費されたとしても、掘削技術の問題さえ解決されれば、石油が枯渇する危険性はほぼ皆無であるとされている。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F%25E7%259F%25B3%25E6%25B2%25B9%23%25E7%2584%25A1%25E6%25A9%259F%25E6%2588%2590%25E5%259B%25A0%25E8%25AB%2596


ある程度の深さまで彫り込む技術があれば、石油は容易に取り出せるようですし、掘りすぎて、石油が出すぎたのが、先日のメキシコ湾の石油事故だったとの話も聞いたことがありますね。


隕石が落下した際に、マントル層を突き破る可能性があることは、先にもお話したとおりですが、その際に石油の層から、石油が噴出してしまったり、それに引火してあたかも火山噴火のような状態になるということはないでしょうか・・・。


437史実探偵: 平 素人:2020/04/25(土) 01:46:57
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
管理人さまへのお返事です。ありがとうございます^^。

 たいへん面白い「論説」をあげて下さり感謝します。

>石油無機質論 対 有機質論

 ずいぶん昔から、云われてきたようですね。又、石炭と合わせて、いまでは化石燃料説のほうが有力のようです。自分が考えている「津波原因による」成因をどこやらに載せた記憶がありますので、しばらくの時間をください。さがしてみます・・・^^!

 つづく・・・(^-^!)


438荊の紀氏:2020/04/25(土) 10:29:26
アスファルトは、縄文時代の交易範囲を読み解く鍵だったのです。…
アスファルトのルーツを求めて /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftozai-as.or.jp%2Froots%2F
…日本の歴史の礎となる日本書紀には、第38代天智天皇7年(668年)7月「越の国より燃土、燃水を献る」との記録があります。越の国とは、越前・越中・越後を含む広範な地域とされています。当時は、珍しい物品があると天皇に献上するという習慣があり、越の国で採掘された燃える土、燃える水が献上されたようです。
この越の国が、いったいどこをさすのか議論がありましたが、当時の歴史的背景や地政学的な見地から、新潟県胎内市黒川周辺が、日本最古の原油献上地と認定されました。
燃える土についても、石炭と表記する文献があるなど、諸説ありましたが、原油との関係から、アスファルトであることがほぼ確実視されています。
…神事は、油壷(自然に原油が噴出していた湖沼)から油を採取する「献上採油の儀」、採取した油に点火する「点火の儀」、そして火を鎮める「清砂の儀」へと進みます。壷に収められた油は、天智天皇を奉った近江神宮に献上されます。この献上の様子を再現したのが、神事の後に行われる献上行列。白装束を身にまとった越の国黒川臭水遺跡保存会の皆さんが、献上図さながらに行列を作り、燃水を収めた壷と、燃土を収めた行李を運びます。
黒川で採取された原油は天智天皇を奉った近江神宮へと運ばれ、毎年7月7日に行なわれる近江神宮の燃水祭に献上されます。

シンポジウム「えっ!縄文時代にアスファルト」−縄文の生産と流通〜東北日本のアスファルト−参加記 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.isan-no-sekai.jp%2Freport%2F3925
…天然アスファルトは縄文時代には接着剤・補修材、漆と混ぜて黒色顔料としたり、埋葬の際にあの世に持たせる副葬品ともなりました。今回のデータ集成により、早期後半から利用され始め、中期後半から一般化、特に後晩期で多用され、北海道・東北地方・新潟県を中心に1,148遺跡で出土していることが確認されました。
…秋田県旧二ツ井町駒形の原産地から2.5キロ離れた烏野上岱遺跡で精製工房跡が発掘されると、同様の精製遺跡が新潟県新津油田西隣で大沢谷内遺跡発掘され、縄文人が原産地で採掘・採取し、近隣に工房をつくり土器に入れ、加熱・精製する実態が明らかになりました。また、精製品は土器に小分けされ、編布や笹葉に包み搬出され、消費地の拠点遺跡で保管される実態も明らかになりました。
…各種道具に付着したアスファルトの観察から、形態分析からでは限界のあった、道具の着柄方法や使用法も明らかにしました。有孔球状土製品、土製耳飾り、独鈷石、環石のほか、槍の穂先型石器も「横型スクレイパー」として認定することができました。
さらに、土偶の接合率は三割を超えることを明らかにして、土偶を故意に破壊して再生を願う「土偶破壊説」に否定的な見解をしめしたことも特筆されます。
…採掘場とそれと関連する集落の端から精製工房が発見されています。工房の住居跡からは精製滓と精製した塊が発見されています。特に精製されたアスファルトは小分けにして皮・布・笹・葉などに入れられ、運搬されたようです。さらに、大型土器片をパレットにして上に乗せた塊を熱して溶かしヘラですくい取った痕跡のある土器片も発見され、アスファルト塗布の作業が具体的にとらえられました。
…原産地あるいは精製遺跡から運ばれたアスファルト塊は、川筋とそこから分岐する拠点集落で保管された状態で出土しています。これを川筋や峠、盆地などの地形を追うことで運搬ルートが読み取れるといいます。結果、南北海道から東北地方への海上ルート、青森・秋田県から山形・宮城県へのルート、新潟県から福島県へのルートが想定されます。
なお、県別にアスファルト塊の出土した点数を概観すると岩手県が日本海側の原産地から離れているにも関わらず112点を数え、全体の1/3弱が確認されています。

秋田県産などのアスファルトは北海道を含む東日本各地に流通し、流通経路途中ではアスファルトの分割工房遺跡も発見されている。
アスファルトの産地特定が化学分析により可能となっている。皮袋や土器に入れて運搬・保管された。
縄文の謎 (2) 交易www.ekoko.jp/blog/files/5dfc186c070ff62ee9a80c0e94ffbf1a-64.php
 縄文時代には、現代人の想像を超える規模で日本列島を縦横に物資の移送が行われていた。
 各地の製品・特産品がどのような交換・交易ルールに基づいて流通していたのか、数百年・数千年もの期間にわたって継続した縄文経済の活動基盤となる製品の交換価値がどのように決められていたのか、これが縄文時代のもうひとつの大きな謎となっている。
…縄文時代の文化は東日本が主体の東高西低であり、西日本の方が進んでいた弥生時代の西高東低とは文化の重心が異なっていた。
…石斧にしても縄文土器にしても、その製品の完成度の高さから判断すると、実際に製作するには、適した材料・原料の確保、また場合によっては接着や着色のための特殊材料の入手、加工のための工具・器具の準備、製作のためのそれなりの高度な技巧・技術の習得、十分な作業時間と労働力の確保、など非常に大きな障壁が存在していた。
 自給自足で製作した生活用具は多々あったはずであるが、磨製石斧や縄文土器、漆器、硬玉装飾品などは専業的な作業者の存在とそれを支えるムラの社会組織がないととてもできないような先進製品であった。
 このような製品が作られたムラにおいても、通常の自給自足の生活の遺物も残されている場合が多いことより、通常の狩猟や食料採取などを行いながら合間をぬって製品の製作作業が行われた、と主張する見方もあるが、私は初期の作業兼務時期にはこのようなこともあったとは思うが、縄文時代の全期を通じて専業化が進んだというのが事実に則した見方であると思っている。
… 磨製石斧の完成品1031点・未製品35,812点が発見された、富山県産の磨製石斧は統一的な形状で生産され日本全国で使われた。
… 縄文時代の交易
 縄文人はほぼ日本列島全域に居住域を広げており人種的にもほぼ均一化が図られていたことより、縄文言語ともいうべき原日本語・原アイヌ語が流布しており、他地域のムラとのコミュニケーションは十分に可能な状況にあったと思われる。
 運搬の方法についていえば、人が物を背負って歩いて運ぶ、これが縄文時代の一般的なモノの移送方法であった。また、舟に人と物を積んで河川や沿海を移動することも決して珍しいことではなかった。
 しかし、人や舟が何日もかけて遠隔地に物の運搬を行うことは決して誰にでも簡単にできることではなかったはずである。
 片手間に産地情報を入手し、片手間に舟を作り、片手間に航海術を身につけ、片手間に神津島や霧ヶ峰山麓で黒曜石を採掘し、片手間に重い荷物を長い道のりを踏破して、自分のムラまで運ぶ、ということは極めて困難なことでとても片手間でできることではない。
 舟を操って海上航海を行う人たちもいたはずであり、獣道に近い自然道を見極めながら目的地に到達する道案内人や経験者も必要となる。道中の食料の調達も簡単なことではなかろう。動ける時期も気候の許す期間に限られよう。
 このように多くの専業製作者の労働力を経て生産されたモノを、更に専業の運搬者や交易者やその他の関係者が多大な労力と時間と危険をも費やして他の地域に運び、また、他の場所(やムラ)で産出・生産された原材料や産品を自分のムラに運び込むことを行っていた。
 当然のことながら、モノの流れが定期的に行われるようになると、産品の輸送ルートの途中での中継地(ハブ拠点)や交換・交易を行う場所、すなわち交易市場の機能をもった場所・ムラもできてきたはずである。
 …縄文時代には、ムラに帰属する(製作)専業者が特産品を作り、それをムラに帰属する(流通)専業者が別のムラとの交易を行っていた。
 その交易には少なからず準貨幣としての自然貨幣が使われていた。
 これが私の想定する縄文経済の姿であり、全ての縄文人が全て同じように自給自足の日常活動を行っていたという停滞したイメージの社会ではなく、クニ作りが始まる次の弥生時代につながるダイナミックなムラの動きが始まったのが縄文時代であると述べて、本抄を終えたい。

旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
イスラエル人のルーツが古代日本人だ!日ユ同祖論 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12439161843.html
…旧約聖書によるとイスラエル人の始祖のアブラハムと妻のサラはシュメール出身でシュメール人と考えられているが、実は日本人の先祖の縄文時代の海の民(ハプログループC)がシュメール人と同族であった。すなわち、古代の日本人である縄文人(海の民)がイスラエル人の先祖と言う驚くべき結果が得られる。
…注: 古代日本の海の民(海人族安曇氏)が女系相続とされている。また、ユダヤ教徒の母から生まれた子はユダヤ教徒とされ、やはり女系相続となっている。すなわち、現代のイスラエル人の祖先を女系で遡れば、日本の漁師さんの先祖の縄文時代の海の民(海人族安曇氏)に到達することになる。

…旧石器時代から縄文時代の原日本語は広く東アジアに分布していたのである。そして、2200年前、中国大陸の歴史区分で言う春秋戦国時代の戦乱を逃れて日本列島に渡って来た渡来人(渡来系弥生人)や古墳時代に渡来した秦氏は実は原日本語を喋り、現地の縄文人の原日本語と言葉が通じたのである。完璧に同じではなくとも、容易に融合できる語族の範疇にあったのである。だから、渡来人と縄文人との摩擦が無く、共存出来たのである。
男性遺伝子(Y-DNA)のD2の分布が琉球から北海道に渡る日本列島に限られているが、この遺伝子が日本列島に古くから住む原日本人のものであろうとの説が定説となっている。この遺伝子D2を持った原日本人の言葉が原日本語であり、男性遺伝子O2やO3を持った人々(漢民族や朝鮮民族)が東アジアに広く分布する前までは、D2が東アジアに広く分布していたと考えられる。
日本語の起源 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12197035519.html
…18 旧石器時代から縄文時代、日本列島周辺には山の民と海の民が共存し、交流し、そして通婚していた。彼らの交流から日本語が生まれたのである。
ここでは山の民を縄文人、海の民を海人族安曇氏と呼んでいたが、考古学的には区別が難しく一括して縄文人とすることが多かった。山の民がハプログループD2、海の民がハプログループC1であった。後者の男性の腕は骨太で(参考)、南回りの海沿いのルートでやってきた(参考)。また、この海の民は太平洋を越えて南米のインディオになった(参考)
19 日本語で身体に関する主な12の名詞は上古から1300年程は殆ど変わっていなかった。日本語の方言の観点から見ても、これら身体の名詞は共通して存在し、別の言い換え(代替)は粗無いようだ。日本古来の基本的な名詞と考えられ、日本に旧石器時代からの在来人も渡来人も共通して使用していたようだ(参考)

…わさびを良く使う民族はユダヤ民族と日本民族である。
日本人とユダヤ人、中国の少数民族の共通性、ワサビ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12056114248.html
ユダヤ料理にはわさびが良く使われる。もちろん日本料理にも。ユダヤ人は食物に非常に気を使う。「何々は食べてはいけない」とか。
…? 雲南省のぺー族がワサビを食する(参考)。ぺー族とチャン族(羌族)の関係は不明だが、チャン族と同族のイー族と接近した地域に生活している。さらに、最近までの日本人の生活とぺー族の生活はよく似ていることを指摘できる。やはり羌族を介した古代からの文化交流があった。
…? ユダヤ人、日本人とチャン族は太陽暦で関係がある /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12055847356.html
…彼ら太陽暦博士やユダヤ人の民の子孫達は皆、卑弥呼の居る邪馬臺国に渡来した。もちろん、逃げ遅れた子孫達は朝鮮半島経由で、年月をかけて渡来することになる!
秦氏のユダヤ人説はこれで説明できる!秦氏全員がユダヤ人であった訳ではなく、一部、紛れて存在した!時期的には景教徒では無く、ユダヤ教徒であった。ただし、彼らを遺伝子的に追跡出来る可能性は難しい(参考)。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fshimonose9m%2Fentry-12056644707.html%3Ffrm_id%3Dv.jpameblo

アトラス山中のユダヤ人は、先住民族であったベルベル人に言語や生活様式などの多くの面で同化し、ベルベル人ユダヤ教徒として近年まで暮らしていましたが、その多くが、イスラエルの建国とともにモロッコを離れていきました。
ユダヤ人
ベルベル、そしてアラブ以外の1%の中に数えられるのが、外国人、およびユダヤ系住民です。
イスラムの国なのに、ユダヤ人が暮らしているの?と不思議に思う方もいるかと思いますが、モロッコのユダヤ人ははるかローマ時代から現在のモロッコにあたるかの地にコミュニティを持って暮らしてきたと言われています。
モロッコ国内では、ことわざや格言などでお互いに自分の宗教が一番だと言っては競いあい、けちをつけあってはきましたが、パレスチナ問題などにみられるような激しい対立はしないで暮らしてきた歴史があります。

E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があった
アシュケナジイユダヤ人のハプロタイプ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Foyasumipon%2Fentry-12146761873.html
インド・ヨーロッパ語族は、5,000?6,000年前 黒海・カスピ海の付近(現在のウクライナからヴォルガ川の地域)で始まったそうです。
←J2は、メソポタミア文明の農耕民が起原、コーカサス・メソポタミア・地中海沿岸(15000年前頃)。Y−DNA「G」と共に農業革命を興こした先進遺伝子集団。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fgarapagos.hotcom-cafe.com%2F1-1.htm
  また、ヨセフの時、外国人支配時代のエジプト(ヒクソス時代)なので、エフライムとマナセには E系統(YAP)は入っていないで J系統・セム系が保たれていると思われる。
…3) E1b1b1a3(E-V22)系統:  E系統は、創世記10章の ハムの子孫(クシュ、ミツライム、プテ、カナン)の代表であり、D系統と共に、Y染色体DNAに YAP変異を持ち、アフリカ、地中海沿岸に、ごく普通に非常に幅広く分布している。(A系統、B系統を半ば駆逐するような形で) 日ユ同祖論に近い議論でたびたび言及される YAP共通の点は、E系統と D系統が ごく初期の段階で分かれ、その後は互いに交流の形跡が無いことから、YAPのしるしはそれほど重要な意味を持たないと考えられる。(初期の 階段状ピラミッドまでは共通と思われる。 バベルの塔 → エジプトの階段状ピラミッド → エジプトの大ピラミッド → 小規模のピラミッド状の墓; → チベット・中国のピラミッド、 → 日本の海底ピラミッド)
  ・ E1a(E−M33)系:  西アフリカ   (→ るいネット )
  ・ E1b1a(E−M2) ソマリア、エチオピア、ギニア、サハラ以南  ・ E1b1a7(E−M191) モザンビーク、ジンバブエ、南アフリカ
          ex) ラムセス3世 E1b1a(E−V38) (・・ 2012 12)、  バラク・オバマ E1b1a(E−V38)
  ・ E1b1b(E−M215、M35 (旧)E3b)系: 東アフリカ、北アフリカ、南ヨーロッパ(ドイツとオーストリアに9%弱もいる)
          ex) アドルフ・ヒトラー E1b1b1(E−M35) ・・・  E1b1b1a3 と異なり、フェニキア・ユダヤ系ではない
  ・ E1b1b1a(E−M78、 (旧)E3b1a)、 ・ E1b1b1a1(E−V12)、 ・ E1b1b1a2(E−V13) 古代ギリシャ人、 ・ E1b1b1a4 モロッコ人
  ・ E1b1b1a3(E−V22) フェニキア人、古代ユダヤ人(レヴァント(=シリア、パレスチナ(ペリシテ人の地)))、アラビア半島
     ・・・・・・ E系統のユダヤ人の多くは、初期の歴史の中で本来のJ系統ユダヤ人グループに合流したものと考えられる。 ソロモン以降、フェニキアとのかかわりの時代に 積極的な交流があったことを示す。(アハブの妻イゼベル)、 さらに古くは ヒッタイト(ヘテ人)、モアブ人などが混じっているはずである。
     ハム系 → ミツライム(エジプト) → カスルヒム → ペリシテ人(E系統)  + J2系統(シリア人)  ≒ フェニキア人(言語はセム語系の フェニキア語、 人種は混合)  → BC9cにはアッシリアに服属、 カルタゴへ移る → ポエニ戦争以降 共和政ローマに併合
  ハム系 → シドン人
  ハム系 → カナン → ヘテ人(ヒッタイト) ・・・ エジプトに、”鉤鼻”のヒッタイト兵士の彫刻、ヘテ人とはアブラハムの頃に交流、
  エサウの妻(ヘテ人2人と ヒビ人1人) → 5人の子 → エドム人 ・・・ このエドム人がフェニキアの航海技術を持ち、ユダヤ人と共に 南洋ルートで沖縄・山陰に来たと考えられる(→ (1) エドム人とユダ族の移動 ) 琉球人から見たフェニキア人は 背の高い人々だったとされる(下に 沖縄のフェニキア遺跡 )
  モアブは、アモンと共に、アブラハムの甥のロトと彼の娘たちとの近親相姦の子孫…
…2005年の調査により、 アシュケナジー系男系 Yの 11.5%が R1a1系統であり、母親がユダヤ人で 一部の東欧系の父親の子供がユダヤ教になったことを裏付けている。 ( R1a: 東欧人で 54−60%、2001年) 母系(ミトコンドリア↓)の80%以上との違い
  * また、アシュケナジムのミトコンドリアDNAの解析では、はるかに多く、母系の81%がヨーロッパ系(mt−DNAの H 20.5%、K 31.8%、N1b 9.2%、J6.3% など)、中近東(ペルシャ、アナトリア) 8.3%、アジア1.1%であり、80%以上が(コーカサスではなく)ヨーロッパ人種であることを裏付けている。(→ Nature Asia 、 Figure10  (2013 10))


439史実探偵: 平 素人:2020/04/26(日) 06:45:30
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
https://ja.wikipedia.org/wiki/石油#無機成因論

http://



440荊の紀氏:2020/04/27(月) 09:25:26
・・・ハプログループBは約4〜5万年前にアジアで分岐…
フェニキア人: セム語系諸族・海の商人…悪と商業が密接に組み合わさっていた…
紀元前1200年前後の「海の民」 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsekainorekisi.com%2Fglossary%2F
全盛期には彼らの活動範囲は地中海を越えて、大西洋やインド洋にまでおよんでいた。政治的には、紀元前7世紀にアッシリアの攻撃に屈したあと、新バビロニア・アケメネス朝と次々に異民族の支配を受けたが、海上における活動は引き続き活発で、ペルシア戦争時にはフェニキア海軍が活躍した。紀元前4世紀後半にティルスがアレクサンドロス3世によって破壊され、東地中海の支配権はギリシア人に奪われたが、西地中海においてはカルタゴの勢力がなお健在であった。フェニキア人の文化史上の功績は、カナーン人の創始したアルファベットの書体が、まだ造形性の強いものであったのを線状文字に改良し、これをギリシア人に伝えて、今日まで伝わる西方系諸文字の源流となった点にある。

古代地中海世界に繁栄をもたらしたフェニキア人の歴史
ヴェネツィアの商人などで知られる地中海の金融や商業活動って、現代でもお手本にされるこが多いですよね。その起源ってどんなものだったか気になりませんか?今回は、商業を発明したといわれるフェニキア(カルタゴ)人ってどんな歴史をもち、どのようにオリエント文明へと繋げていったかを紐解いてみたいと思います。
フェニキア人ってどんな人たち? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwondertrip.jp%2F96632%2F
フェニキアとは、現在のレバノン近くに紀元前3000年ごろ出来た民族と国家です。
フェニキア人は、一つの民族ではなく、テュロス(現スール)、シドン(現サイダー)、ベリュトス(現レバノンの首都ベイルート)などに移住してきたセム語系の諸族のこと。
彼らは商業に関する能力に秀でていました。
海上交易により、クレタ文明が栄えていたギリシア都市との交流もあったようです。
後に砂漠や海に囲まれ狭い地域にあったフェニキアは、メソポタミア、エジプト、アナトリア半島などとの交易をし、古代オリエントの交通の要所として発展していきます。
…紀元前14〜13世紀には世界中で貿易が盛んになり、フェニキア人の商業基地(植民地)が各地に建設されました。
特に、チュニジア共和国の世界遺産「カルタゴの遺跡」で知られるカルタゴは、この時大都市へと発展しています。
紀元前814年にカルタゴは、建国されたのではないかと推測されています。
フェニキア人たちは争いを好まない人々で、先住民に土地代を払うなどをして平和的な関係が築かれていたようです。
…チュニジア共和国のカルタゴだけでなく、15世紀頃に栄えたウガリット、スペインのカディスやバルセロナもフェニキア人が築いたものといわれています。
彼らが、交易を容易にできた理由の一つに、地形的なものもあったのではと思います。
海岸線は複雑で多島だったということから容易に航行することができ、イベリア半島東南部からシチリア島までの西地中海貿易を支配していたからです。
しかし、紀元前13世紀ごろから、東地中海一帯を征服しようとするやからが登場します。
それは、海の民という集団です。
彼らが、幅を利かせるようになると、当時大国だったヒッタイトは滅亡、エジプトの勢力が衰退していきました。
フェニキア人、アラム人、ヘブライ人は彼らが襲った土地に入り込み、様々なところに植民地(交易の場)を獲得していったのではとも言われているんです。
悪と商業が密接に組み合わさっていたと考えられます。

YAP(+)(Y染色体ハプログループE)
日本とは何ぞや?japanese-origin.hatenablog.com/entry/2016/12/17/180302
【E*】
DE*集団からの移動・・72,500〜50,000年前
E*への変異・・・・・・・・・・55,000〜50,000年前
サブクレード・・・E1-P147,E2-M75
主なSNP・・・M96,M40/SRY4064
E*(xE1,E2)とはっきりわかっているのは、2015年に判明したアフリカ東部の男性3人。E*(xE1,E2)がはっきりわかったことにより、E全体の再分類がこないだやっと一段落した。なお、DE(xD-M174)でアルタイ山脈南部のベシュペリチルで1/43=2.3%観測されている。
また、3,352〜3,161年前のE1b(E1b1b1b2a1a-FGC18319/Y5413)の遺骨(ArmeniaMBA)が、アルメニアのゲガルクニク地方にあるセヴァン湖の南西端の湖畔の村、南西にはノアの方舟で有名なアララト山の山系を一望出来るコーカサス地方のNerquin Getashenの遺跡で見つかった。
…遺跡には、はっきりしないがE1b1b1b2a1a-L788と推測される、3,593〜3,395年前の遺骨(ArmeniaMBA)とともに、R1b(R1b1a2)の3,856〜3,648年前の遺骨(ArmeniaMBA)が見つかっている。
DE*のいるチベットではE1b1b1b2a1aは発見されていない。脱アフリカしてチベットに行くDEから途上で脱落したものなのか、アフリカでEに進化して後世行ったものなのか、注目される。
なお、2010年4月27日、アララト山の山頂付近で方舟の木片を発見。遺骨と同様に炭素年代測定を行ったところ、大洪水が起こったとされる4800年前と同時期の木片であること、その木片はこの地方に繁殖していないことがわかった。別の調査では方舟らしき構造物がアララト山にあることも、大洪水はあったが局地的なものであったこともわかっている。
個人的には、大洪水以前の創世記では、遠くノドの地に離れたカインと遊牧民・演奏家・鍛冶屋の祖先となった息子ヤバル・ユバル・トバルカイン、アダムの後継者となって300年間神とともに歩み死なずに失踪したエノク、あとネピリムとは遺伝子的に何者かが気になる。
【E】
Eの分布図。ISOGGの下位サブクレードを見る限り、Eのアフリカ脱出ルートは主に4つ。1つ目はジブチ・エチオピア=イエメンルート(アフリカの角とも言う)、2つ目はチュニジア=(シチリア島又はサルデーニャ島経由)イタリアルート、3つ目はエジプトルート、4つ目はモロッコ=スペインルート。ギリシャが多いのは2つ目と3つ目が合流したからではないだろうか。
そしてアフリカ西部南端にいたEが大西洋沿いに真北に増えていたところ、Eの一部は突如北東に向かう。おそらくエレナ山の噴火の火山灰で気になって進路を変えた可能性が考えられる。なお、自説では、この移動に先立って後にDとなるDEがこの4つのうちいずれかのルートを開発してアフリカを脱出したと考えている。
E1b
・E1b1-PN2
東部アフリカ36/43=83.72%、アフリカのガンビア人33/48=68.75%・サハラ以南のアフリカに分布するバントゥー系民族73/108=67.59%(東部30/55西部43/53)、アフリカの小人ピグミー19/38=50%・エジプト人17/36=47.22%、ギリシャ人14/42=33.33%、アフリカ南部のカポイド(コイサンとも呼ばれる)21/75=28%・中央メキシコ原住民のサポテコ族2/15=13.33%、イタリア人5/39=12.82%*12、Baloch people(パキスタン)2/25=8%*13、ドイツ人2/32=6.25%*14、Makrani caste1/20=5%(パキスタン)*15、アメリカのインディアンの1つシャイアン族2/44=4.55%、南米大陸の北端に住むWayuu people1/26=3.85%、ロシア人1/30=3.33%、イングランド人1/32=3.13%*16。
日本人0/141=0%*17。*18
アフリカの小人ピグミー19/38=50%…

原ピグミー語
ハヅァ人はY染色体ハプログループB系統が58%[2]の高頻度で観察される。この型はピグミーによく見られるタイプであり、現在は固有言語を喪失したピグミーであるが、「原ピグミー語」はハヅァ語に近縁であった可能性がある。…
ピグミーの起源 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ピグミーは様々な民族名を持ち、それぞれ異なる言語を話す。しかし、その一方で、ひとまとまりの存在だと見なされてきた。その理由は、一つに小柄という身体的な特徴であり、もう ひとつは文化的な共通性。しかし、一部の研究者は様々な根拠から、異なる起源を持つ集団ではないかと、異論を提出している。彼らは共通祖先の形質を継承したからではなく、熱帯雨林における狩猟採集生活という環境が、自然選択として働いた結果、似たような身体に収斂したとする。もし、そうだとすると、ピグミーという言葉で複数の集団をまとめる事に、問題点が生じる事になる[1]。
…かつて存在したオリジナル・ピグミー語は遺伝子からハザ語に近縁であるとの説もある。
人種的特徴
ピグミーを総称した人種概念をネグリロ (Negrillo) と呼び、次のような特徴的な形質を有するとされる。
平均身長が150cmに満たない。他の黒人ほど肌の色は濃色ではない場合がある。体は筋肉質で胴は長くて太く、腕は長く足は短い。頭部が大きい。 髪質は細くちぢれていて体毛は毛深い。また、ブッシュマンやホッテントットといったカポイドにも見られる「脂臀」といわれる特殊な形質が女性にあらわれる事がある。
ネグロイドの下位区分とされるが、その特徴的な形質からさらに独立した人種とされたり、カポイドの集団と近縁ともされることもあるが、カポイドは突顎が弱く長頭が多いなどいろいろ異なる点が多い。
かつては東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など)と含め「ネグリト」と呼ばれ、フランスの人類学者カトルファジュは、両者を南インドを起源とする一つの人種であると捉えたが、東南アジアのネグリトは皮膚の色がより濃く、体毛が薄く、突顎が著しくないという違いがあり、少なくとも1960年代後半にはすでに別系統説が強くなっていた[9]。現在は遺伝学的に近縁でない事がわかっており、東南アジアのネグリトはオーストラロイドに属するとされる。
遺伝学より
言語学は文化的なオリジンを探求する方法であるが、生物学的な側面については遺伝学を利用することで理解することができる。
ピグミーにはY染色体ハプログループB系統が高頻度で見られる[10][11]。このグループは大地溝帯から森林地帯へ西進した系統である。
ミトコンドリアDNAの分析によって、例えば西のピグミー(アカやバカなど)と東のピグミー(トゥワやムブティなど)の間の遺伝的な類似性よりも、それぞれの近隣農耕民との方が遺伝的に近いという結果が得られている。しかしこれによって、ピグミーの同一起源が否定されたわけではない。実際にはピグミーの女性は近隣の農耕民に娶られるという一方的な通婚があり、ピグミーの女性の遺伝子が農耕民に供給されてきたからである[12]。mtDNAの集団内多様性や核DNAの研究から、実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。しかしながらピグミーの特徴である低身長については、ピグミーが西と東に分かれて以降、それぞれの集団が独自に環境に適応した結果であるという説もある[15]。
実際にはピグミーと他の人々は6-7万年前に分岐し[13]、2万年前に東と西にピグミーが分岐した[14]という結果が得られ、ピグミーは同一起源であるというのが有力である。…
東南アジアの小さな体をもつ狩猟採集民(フィリピンのアグタ族 (Agta) とバタク族 (Batak)、マレー半島のセマン人 (Semang)、アンダマン諸島の先住民など…)
アンダマン諸島の先住民など…
私達黄色人種も、元々は黒人。アンダマン諸島先住民族のお話。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fancientjapan.hatenablog.com%2Fentry%2F2014%2F05%2F11%2F214059
アンダマン諸島の先住民は、人種的にはオーストラロイドに属するネグリトであるとされていますが、実際にはネグロイドとの明確な区別は無いようです。
つまりは、アンダマン諸島の先住民は、東南アジアまで進出していながら、新しく現れたモンゴロイド形質の人達と混血する事なく、進出当時の形質を現在まで保持し続けている可能性が高い訳ですね。
彼らの中にも、ネアンデルタール人の血が混じっているのかどうか、非常に気になるところですが、見た目からは、全然混じらないまま、この地まで来た様にも思えます。
ちなみに、Y染色体で調べてみると、彼らは日本の縄文タイプの人やチベット人と同じハプログループDに属しています。
アイヌ民族、チベット人、アンダマン先住民、それぞれ全く違う風貌ですね。
しかし、人類がアフリカを出た頃に、突然変異によってY染色体ハプログループD系統の男性が現れ、現在の世界中のこのD系統の男性達は皆、この突然変異の男性の遺伝情報を受け継いでいると言う事なんですね。
Y染色体ハプログループD系統は人類が出アフリカを果たした頃の系統で、元々非常に古い系統なので、新しく現れた他の系統の集団から長期間隔絶された地域でしか、その勢力を保ってはいません。
つまり日本のY染色体ハプログループD系統のグループも、列島が海に囲まれ、長らく他の系統との混血が順調には進まなかった事によって、その勢力を温存されたと言う事になりますね。
ちなみに、このY染色体ハプログループD系統の男性は、アイヌの人達や南西諸島の人達に多い事はもちろんなのですが、それ以外の地域でも、今だにかなりの勢力を保っており、日本の男性全体の内の、実に約四割(約39%)が、このハプログループD系統のY染色体を持っていると言う事だそうです。
ただ、男性のY染色体や女性のミトコンドリアDNAの分布を調べる事で、人類が辿って来た道が大まかに見えて来ると言う事はあるのですが、Y染色体やミトコンドリアDNAの遺伝情報と言うのは、混血を重ねた人類の、膨大な遺伝情報の結果のごくごく一部でしかなく、それによって、人の形質までが判断出来ると言う訳ではないので、D系統のY染色体を持っている男性が、あべこべに非常に弥生的であったり、それ以外の人に非常に縄文的な人がいたりと言う事は十分起こりうると言う事なんですね。

小型のヒト属…
ホモ・フローレシエンシス(フローレス人 Homo floresiensis)は、インドネシアのフローレス島で発見された、小型のヒト属と広く考えられている絶滅種。[1][2] 身長は1mあまりで、それに比例して脳も小さいが、火や精巧な石器を使っていたと考えられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
発見された骨は脳の異常な小ささから、小人症やピグミーのように矮小化した、あるいはクレチン症やラロン症候群といった発育上の障害をもった、ホモ・サピエンス・サピエンスの骨だと主張する研究者も多い。これに対しニューヨーク州立大学ストーニーブルック校のウィリアム・ユンゲルスや、ロンドン自然史博物館のエレノア・ウェストン、エイドリアン・リスターなどは、新たな研究からやはり新種人類であるという説を唱えている。ペンシルベニア州立大学のロバート・エックハルは、新種人類説は以前の論文と矛盾し場当たり的だと批判している。ハーバード大学のダニエル・リーベルマンは、新種人類かを判定するにはさらなる化石が必要だと述べており、専門家の間でも評価は定まっていない。
ホモ・フローレシエンシス /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
このヒト属は、当初は12,000年前まで生存していたと考えられていたが、より幅広い研究の結果、最も近年の生存証明は、50,000年前まで押し上げられた。[5] 2016年現在では、フローレス人の骨は10万〜6万年前のもの、石器は19万〜5万年前前後のものであるとみなされている。[2]
50,000年前…
ハプログループBは数々の島を渡ってきた日本最初の移住民 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fu-gene.jp%2Fcolumn%2Fhaplogroup-b%2F
ミトコンドリア・ハプログループBは約4万年前に東南アジアで誕生したグループです。アジアではハプログループDに次いで2番目に大きい集団です。
海を渡って最初に日本へやってきた移住民と考えられており、日本人の約15%がこのグループに属しています。
ハプログループBは約4〜5万年前にアジアで分岐し、東南アジアやポリネシアといった南方に広まっていきました。
分布としてはイラン、イラク、華南(中国南部)、チベット、ベトナム、マレーシア、インドネシア、タイ、日本、台湾、フィリピン、ポリネシア、マダガスカル、メラネシア、ミクロネシア、ハワイなどで、アメリカ先住民からも検出されます。
とくにハワイの先住民であるポリネシア人にはグループBが多く、9割がこのグループに属しています。


441荊の紀氏:2020/04/27(月) 17:28:58
フェニキア語 セム語派…
フェニキア語は、言語的に言えばヘブライ語に似ています。どちらも『アフロアジア語族、セム語派』の仲間で、文字は右から左へ書き、母音字が存在しません。
ギリシャ人はどうして、インド=ヨーロッパ語系民族に分けられたんですか? ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか?
ギリシャ文字がフェニキア文字からきているんだったら、セム語系民族ではないんでしょうか? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq13198245613
文字の歴史で言えば、フェニキア文字→ギリシャ文字→ラテン文字→現在の英語やドイツ語などで使われている文字、と言う様に辿れますが、言語の歴史としては、英語やドイツ語の祖先がフェニキア語である訳では全然無いです。日本語が中国語の表記方法を取り入れた、現在のベトナム語が近現代にラテン・アルファベットを取り入れた、それらと同じ事です。言語の歴史は、文字の歴史とは全く別物、かつ、(殆どの場合)文字の使用よりもずっと古い時期を対象としたものです。

アラム人とフェニキア人
紀元前1200年前後の「海の民」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。陸上でヒッタイトとエジプトの勢力が後退したばかりでなく、海上でもクレタ文明、ミケーネ文明勢力が崩壊したからである。これによって、この地方でセム語系の3民族(アラム人、フェニキア人、ヘブライ人)が、それぞれ独自の活動を展開する余地が生まれた。
インド・ヨーロッパ語系民族の進出 ? 世界の歴史まっぷ アラム人とフェニキア人 紀元前1200年前後の「 海の民 」の襲来は、この地方にも甚大な影響を及ぼした。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsekainorekisi.com%2Fglossary%2F
首都: ハットゥシャ、場所: トルコ に流れるクズルウルマク川周辺、言語: インド・ヨーロッパ語族のヒッタイト語

相互に関係があるとする説も…
ヒッタイト語派とも呼ばれる。古代西アジアで話されていた。インド・ヨーロッパ語族とは別の語族としたうえで、相互に関係があるとする説もある。発音や文字などにおいて、印欧語族に新たな発見を多数もたらした。
ヒッタイト語はほかの古いインド・ヨーロッパ語族の言語と同様に屈折語である。
ヒッタイト語 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
ヒッタイト語(ヒッタイトご)はインド・ヨーロッパ語族のアナトリア語派に属する言語。アナトリア半島中央部のハットゥシャ(現在のトルコ北部ボアズキョイ)を中心とするヒッタイト帝国で使われた言語で、楔形文字によって粘土板に書かれた紀元前16世紀から紀元前13世紀頃までの文書が残っている。第一次世界大戦中に解読された。インド・ヨーロッパ語族の言語のうちもっとも古い文献の残る言語である。
ヒッタイト語は他の印欧語と異なる点が多く、早い時期に印欧語から分離したと推測されてきた。印欧語族の「姉妹言語」と考える研究者もいる。


442管理人:2020/04/28(火) 00:10:14
Re: 釧路平原の石油を捜す!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

また、お知らせありがとうございました。


ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。

ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。

443荊の紀氏:2020/04/28(火) 10:48:49
「 鯷(なまず)」…
「鯷は大鮎。其の皮を以て冠と為す」とある。また『説文解字』にも「鯷は大鮎」とある。時代が下って、『捜神記』に「子路之を引くに、手より没して地に仆る。
魚の名の漢字(21)「鯷」
「おおなまず」を第一義とする点では四辞典とも一致。カタクチイワシを第二義とするのは漢辞海と漢字源。新字源と新漢語林は「ひしこ」を国訓とする。
…大口鮎(河鮎)が古代の鯷に当たると考えられる。
鮎(なまず)
占(ひと所に定着する)
占 セン・うらなう・しめる  ト部
 (2)中国では、なまずを言う。「鮎魚デンギョ」(なまず) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F5bf34d06f9d457526c1a6c4f99dcc15c
きぬた(砧)。「衣板きぬいた」の略。布地などを打つときに使う石や木の台。また、その台を打つこと。

台…「台ダイ」 <スキで大地を起こし始める>… /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2F40334e1d50763cb0661e877626a8b32b
臺の略字である「うてな・高殿」、生産を始める儀礼から「行動をはじめる・きざす」、スキで大地を掘り起こす事から「やわらかい」イメージがある。
始 シ・はじめる・はじまる  女部
解字 「女+台(行動をはじめる・きざす)」 の会意。女の腹の中でみずから動き始めた生命の意。意味は胎と同じだが、胎は胎児の意に、始は始めの意に用いる。

紀元前4世紀の頃の日本列島は、髭もじゃで水辺で漁をいとなむ、大国主=大穴牟遅=大なまずの国だったので、「後漢書」は倭人に「 鯷(なまず)」の一字に集約しているかもしれないんです /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftacchan.hatenablog.com%2Fentry%2F2017%2F12%2F19%2F203203
倭は別名を「タイ国」とも呼ばれた時期があったし、ヤマタイのタイと鯷(テイ)の関連は伺われますし。
澶洲とは朝鮮のことですね。
ここから導くに、倭人こと東のなまず人は、夷洲(倭)および澶洲(朝鮮)という2つの地域に住んでいました。これら2つの地域に、徐福の民が上陸したというわけです。
しかし、髭もじゃで水辺にいることだけが、なまず人と呼ばれた理由ではないのです。…
…古代エジプトでは、「なまずは冥界の牧人と話す魚」と信じられていた…

阿蘇大明神(健磐龍命)の使い ナマズ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8628.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2535

太伯(金星)の類い 東鯷(なまず)人(とうていじん) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F2409

鯰を神の使いとする神社がいっぱい!?「句呉(こうご、くご)」の民 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4443

啓典の民   星宮神社 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1823
鯰…鰻図であるのが大きな特色である。鰻は一般に 虚空蔵菩薩の使いとされ、その鰻がここでは鯰とも結びついている。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.bunka.pref.mie.lg.jp%2Fbunkazai%2Fda%2Fitem%2Fdetail.asp%3Fwag%3D2%26prePageNum%3D2%26mngnum%3D0000044
、地震は「 ゲブの笑い」と呼ばれ、ゲブが愉快な気分になると地面ごと揺れるというのだ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.moonover.jp%2Fbekkan%2Fgod%2Fgeb.htm
大気の神シュウとテフヌトから生まれた大地の神。ゲブには恐れを抱かせる邪悪な神としてのイメージと、恵み齎す多産の象徴としてのイメージが混在する。
ゲブ(Geb)は、古代エジプト神話の大地の神。ヘリオポリス神話では大気の 神シューと湿気の神テフヌトの息子。妹でもある妻、天空の神ヌートとの間に、オシリス、 イシス、セト、ネフティスをもうける。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fcontent%2F%25E3%2582%25B2%25E3%2583%2596
ヌート 【Nut】 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.weblio.jp%2Fcontent%2F%25E3%2583%258C%25E3%2583%25BC%25E3%2583%2588
古代エジプトの天空の女神。大地神ゲブの妻でオシリスやイシスらの母。ヘリオポリス九柱神の一神。シカモア樹の中に立ち、死者の魂(バー)に水を与えている姿で表される。
魂(バー)に水
ギャーン( 魂)
ギオン」はペルシャ語のギャーン( 魂)が語源ではないかと推測され、祇園祭の山車にはペルシャ絨毯、モスクやラクダの 図柄などペルシャを彷彿とさせるものも多く登場するんですって。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fplaza.rakuten.co.jp%2Freflexdaidai%2Fdiary%2F201303290000%2F
祇園祭の神輿を鴨川の水で清める「神輿洗式」という神事 を行う前に、神輿を迎えるため提灯行列が市内を巡行。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkyoto.graphic.co.jp%2Fpickup%2Fseason%2F2012%2F07%2Ftheme2%2Findex.html
水で清める
水で清めるところなど、ゾロアスター教の 習俗を引いている部分が幾つかある、と指摘しているね。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdesktop2ch.info%2Fwhis%2F1122656242%2F
、「魚+占(=粘。ねばりつく)」。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq1025369225
鮎は中国では『なまず』を指します。
ひょうたん」は「ナマズ」頭が太い「ナマズ」を「ハチ」という「ハチ」の隠語は「ひょうたん」で ある。
「なまず」は「鯰」という字を書きますが、この鯰は国字(日本の文字)のため、中国由来の「鮎」と表記されています。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.myoshinji.or.jp%2Fevent%2Farchive%2Farchive%2F20100326_2147.html
「鮎」 占
「ハチ」
「蜂」預言者
Deborah(デボラ):ヘブライ語で「蜂」。女預言者で旧約聖書唯一の女性指導者。士師 記4章

氐(テイ)
禹を魚形の洪水水神とする 信仰は、氐族と羌族が共有し継承されたと考えられている。
禹の神話と秩父 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Finehapo%2Fe%2Fb54858d48dd1ab8ee42fce3ac79514d5
秩父の荒川沿いに建てられた諏訪神社が北斗七星に置かれてることに気づいてから、このあたりに禹にまつわる話が残されており?それが北斗七星と関係しているのかどうか・・・妄想しておりましたところ、 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Finehapo%2Fd%2F20131026
[4413] /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2Fmobile%2Findex%2Fdetail%2Fcomm_id%2F4413%2F


444荊の紀氏:2020/04/29(水) 11:40:56
エラーです。…
[448] 「 鯷(なまず)」…古代科学史掲示板
エラーです。
B206: この内容は掲示板管理者がNGワードに設定した文字を含んでいるため、投稿できません。
詳しくは上記エラーメッセージと投稿できなかった「記事本文(URL含)」をあわせて掲示板管理者にお問い合わせください。


445史実探偵: 平 素人:2020/04/30(木) 04:39:17
北海道の油田を捜す!!
管理人さまへのお返事です。

度々、「北海道の未発掘油田の推測」へのお付き合いありがとう御座います^^。

> ひとまず、植物性の物質が津波によって運ばれ凝縮されて石油や石炭になったとの仮説を裏付けるには、地底のそれより、標高の高い地域のそれに注目したほうがよさそうですね。
> ご指摘のとおり、海水の塩分 がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

 素人探偵が(30年前)第一番目の探索としたことは、巨大津波因による「未発見油田地の推測」でしたが、これは余りにも "突飛論"過ぎ、どなたさまからも相手にされませんでしたので「東北巨大隕石説の探索」→「未発掘の卑弥呼の大量の銅鐸・銅剣の埋封(筆者の造語)場所の捜索」へ移りました。しかしながら寄る年波の衰えがあることは否めません。30年間萎えることなく絶えることなく続いてきた「少年心」にさえかげりがあります。
 ・・のでので^^! 頂いた情報をきっかけに「探偵局」当初のミッションである「未発見油田」の着手を記録に遺しておこうかと貴家・掲示板をお借りしています。札幌市にもかつて汲み上げていた油井が二か所ほどあるようです。何故、そこで油井掘りに至ったかのいきさつにとても興味があります。

日本の石油事情(wikiより)
「日本の石油・天然ガス資源」および「石油元売」も参照 ・・・中略・・、
 現在では、新潟県・秋田県の日本海沿岸、および北海道(勇払平野)などで原油が採掘されている。生産量は年間で63万キロリットル(2014年度)で、国内消費量全体に占める比率は0.3%に過ぎない[7]。現在 新たに釧路平野に原油が予測されており経済産業省は新たに鉱区を設定した。□

 釧路平野のものは、すでに予測されていたのですね^^!。石油埋蔵地の推察は「6500万年前の巨大津波」に気付けば埋蔵量や質の推察さえも大して難しいことではありません。それが採算にあい、実利があるかどうかの方が、大きな問題となります。当探偵局としては他の人が予測してあるものは、二番煎じとなるので他地の<十勝平野)>へ移すことにしましょう(汗〜)。

油田の場合は、前述の「銅鐸や銅剣」のようにピンポイントで探る必要がないので、大まかに言い当てればいいのですが、採算に合うことはもとより、他の諸問題、たとえば釧路のような国定公園内にある等々の現実問題のクリヤーのほうが、かなり難しく専門家チームの参加がなければ、その採掘が可能になるとは思えません。

 (30年前の)状況の違いは別として「油井の試掘・一本20億円」を得ていましたが、今はどうなのでしょか。当探偵局としては、前述の諸問題クリヤーは抜きにして、油田の中心を探ることを目的としています。「石油成因物は、津波の奥まった所と、戻り流で河口付近に流れ出て留まっています!!」

> あとは津波が運ぶ砂利とか、貝とか・・・ですね。

 その砂利は、前述「サハラ砂漠」で、その貝は「ドーバー海峡の白亜や、中国の桂林」といったら、ますます、相手にされなくなるでしょうか^^? 日本では「秋吉台」にあります。巨大津波が運ぶ貝殻は、素人の言うものだけではありませんが、「鍾乳洞」となったりもしています。素人の論が正しければ、未だ見ぬ鍾乳洞が北海道にも“必ずある”と思いますよ^^♪ そして、その集積した貝類が衝突熱や火山熱を受ければ大理石化することもあります。

> ご指摘のとおり、海水の塩分がそこに混ざっているかどうかも重要な識別要素になるかもしれません。

石炭や石油には、必ず「海水の塩分」が含有しているはずだと申し上げました。
< これに、少し言葉をたします。>
石炭と石油の『全て』には必ず『津波で』運ばれた海水の塩分が含有しているはずだ。

さてさて、かくも専門家にしては簡単であろう分析をしてくださるでしょうか??
過去30年間のいきさつから推すと、無視されるがオチだとおもいますが~~???
その「塩分」がなければ当方の過去30年間の「報告書2000通」は全没となります^^! (もっとも、石油のほうはプランクトンの堆積説が一般的でした)
素人探偵は、残念ながら「それを頼める専門家」の人脈を持ち合わせていない。
 でもでも、過去にはそこは「海だった」というお人が必ず出るんだよね(笑い)
〇m〜数百mの炭層が海ぃ〜^^?
                   2020/04/30 史実探偵 平 素人 □

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



446管理人:2020/05/12(火) 03:56:16
Re: 北海道の油田を捜す!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000451M.png

https://driving-hokkaido.com/?p=5135



447史実探偵: 平 素人:2020/05/20(水) 06:57:04
北海道の未掘油田を捜す!!
https://driving-hokkaido.com/?p=5135

http://



448荊の紀氏:2020/05/06(水) 12:34:16
「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3…
鶴は千年、亀は万年」万年山…
「鶴歳千歳、亀歳三千歳」… 1:3… 1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1:2:√3 は 30度、60度、90度の直角三角形の『3辺の長さの比率』です。
1対2対√3の直角三角形をどのように置くか(直角の部分をx軸およびy軸に一致させる必要はあるでしょうが)によって、sin, cos, tanの値は異なる、という話です。

亀の甲羅は何角形ですか?
六角形と五角形の模様が集まって甲羅全体はほぼ楕円形をなしてる /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdetail.chiebukuro.yahoo.co.jp%2Fqa%2Fquestion_detail%2Fq11169782806
楕円形…
地球 地球は完全な球体ではなく楕円形をしている。
【回転楕円体】 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fzatsugaku-company.com%2Fearth-oval-circular%2F
地球は回転しているために、赤道に近づくほど膨らんだ楕円体の形をしており、赤道付近の遠心力が重力を弱めている。そのため、「振り子時計」のおもりの動きに違いが出ると説明したのだ。
…粘土球を作って、中心に棒を差し込む。この棒を激しく回転させたとき、球の中心部が遠心力のためにふくらんでくる。そして、上下の極は扁平になり、粘土球は楕円体になる。
地球そのものも回転をしているので、この粘土球と同じように、楕円体になるということだ。

円に関する定理を集めてみた。五角形と円、六角形と円・・・
ここには何か関連がありそう。4点以上が円周上にあることの不思議。
やってみてわかってきたこと /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geogebra.org%2Fm%2Fm2Dwpx5c
(1)二つの円で偶数個の円を描くとぴったり一致すること
(2)偶数個の円の中心は楕円の外接多角形であること
(3)その楕円の焦点を中心とする円が最初の二つの円であること
??????詳しくはミケルの定理 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fhamaguri.sakura.ne.jp%2Fmiquel.html
例えば二点とばしの六角形で星型五角形と同じことが言えないかなど・・・。

二つの円の交わる角度を変えてみる。円の交点の角度=交線の角度という関係がある。さらに、元の長さは半径が同じなら等しい。
交わる二つの円に関する性質 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.geogebra.org%2Fm%2Fm2Dwpx5c%23material%2FGDg4PJ28

万年山(はねやま)は、大分県日田市、玖珠郡玖珠町、九重町にまたがり、耶馬日田英彦山国定公園に含まれる標高1,140.3mの山である。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
北緯33度13分41秒 東経131度07分59秒
『豊後国風土記』によると、玖珠(くす)という地名は、かつてこの地にあった大きな楠に因むものであるという。そして、大楠の木陰となって日が当たらずに困った住民がこの大樹を切り倒した後の切株が伐株山であり、巨木が倒れる際にはね上げた土が山となったのが万年(はね)山であるという伝説がある。
北西側には国定公園に含まれる耶馬溪、日田盆地、北北西30キロメートルの英彦山など、玖珠町には西椎屋の滝(日本の滝百選)、角牟礼城跡など、南東側では九酔渓、震動の滝、龍門の滝、九重"夢"大吊橋、国立公園九重やまなみ牧場、東方20キロメートルに由布岳などがある。南方15キロメートルに九重連山、南方30キロメートルに阿蘇山。
「万年山」は山頂が平坦なテーブル上の形をした草原で、穏やかなハイキングコースもあり家族連れにも人気。山頂からは、広大な展望が望め、南東に九重連山、東に由布岳、北に玖珠盆地が見渡せます。
「巨木が倒れる際にはね上げた土が山となった」のが万年(はね)山であるという伝説がある。…
 ↑ 紀氏的解釈…
巨木…<大きな定規>…巨は工字型の定規を描いた象形
定規は工型で両端のあいだが離れているから「へだてる」 (拒・距・炬) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fishiseiji%2Fe%2Fbbe057a67b47b8131d2536abc428bd13
木…キ 鬼・姫 キ・ひめ?
 金文は「女(おんな)+ふたつの乳房」 で、乳房の成熟した女を表す。篆文・旧字は乳房が一つになった「女+?イ」の形。成人の女の意から転じて君主の側妾や貴婦人の意。新字体は乳房が?⇒臣に変化した姫になった。
覚え方 「女+臣(下をむく)」で、君主のそばで下をむいて仕える女。
意味 (1)貴人のそばに仕える女性。高貴な女性。「寵姫チョウキ」(お気に入りの侍女)「姫妾キショウ」(姫も妾も、貴人のそばに仕える女性の意)
高貴な女…?…
?姓は元々、禹の姒姓と同祖であり、黄帝、帝嚳の別姓とされる。嚳の子孫の后稷はこの?を姓として使ったという。后稷の子孫とされる古公亶父が周の始祖であり、その曾孫の武王が殷を滅ぼして、周王朝を築いたためその国姓となった。
周王室から分家した?姓の諸国として呉(諸説あり)・燕(諸説あり)・晋(もとは唐、諸説あり)・韓(晋の分家で分岐国、晋と同様に諸説あり)・魏(もとは畢、晋の分岐国)・管・魯・鄭・衛・霍・虢(東虢/西虢に分岐)・曹・蔡・虞・滕・随[1]・韓(戦国の韓とは別国家)・劉[2]などが挙げられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fja.wikipedia.org%2Fwiki%2F
劉…
[10135] 劉姓…五代十国の呉越で、劉氏が「金」に改姓した。…ユダヤ /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F10135

〈道教とは中国古来の巫術もしくは鬼道の教を基盤として,その上部に墨家の上帝鬼神の思想信仰,儒家の神道と祭礼の哲学,老荘道家の〈玄〉と〈真〉の形而上学,さらには中国仏教の業報輪廻と解脱ないしは衆生済度の教理儀礼などを重層的・複合的に取り入れ,隋・唐・五代の時期に宗教教団としての組織と儀礼と神学教理とを一応完成するにいたった〈道(タオ)〉――宇宙と人生の根源的な真理もしくは真実在の世界――の不滅と一体になることを究極の理想とする漢民族(中国民族)の土着的・伝統的な宗教である〉 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F

太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fjuroujinn.la.coocan.jp%2Fkessya.htm
黄巾の乱、紅巾の乱、太平天国の乱という歴史上有名な反乱の中心となったのは、それぞれ太平道、白蓮教、拝上帝会という宗教的秘密結社であった。太平道は五斗米道とともに道教の基礎を作ったといわれ、白蓮教は仏教系、拝上帝会はキリスト教に影響をうけた団体であった。

白蓮(びやくれん)・弥勒(みろく)教徒が勢力の中心で,紅布で頭を包み標識としたので〈紅巾の賊〉ともいう。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fkotobank.jp%2Fword%2F
紅布…茜(あかね)色の布地…
魏志倭人伝には、卑弥呼が239年、魏から金印を受けた際に「せん絳(せんこう)(茜(あかね)色の布地)」などももらったとある

卑弥呼はドルイド教の巫女だったのか?邪馬台国とは倭寇の本拠地、対馬、壱岐、松浦半島にあったのではないか邪馬台国は、デーン人が影からドルイド教の巫女、卑弥呼を使って支配した古代倭寇の国だったしかも、F1bグループ(中国系)が倭寇を支配していたので、邪馬台国は「天皇が治める日本」とは異種の「もうひとつの日本」と言えるかもしれないempirex.web.fc2.com/2kanmin.html
ドルイド教…
ドルイド教とゾロアスター教と古代エジプトと古代ギリシアと古代中国と永世中立国スイスとロスチャイルドと秦氏の奇妙なつながりrapt-neo.com/?p=33045
ドルイドの社会的役割は単に宗教的指導者にとどまらず、政治的な指導をしたり、公私を問わず争い事を調停したりと、ケルト社会におけるさまざまな局面で重要な役割を果たしていたとされる。
…ドルイド僧は、ストーンヘンジによって大地のエネルギーをコントロールしたり、それを何かに利用したりしていた可能性が高い”、と推論せざるを得ない。
ドルイド教の神官たちは、古代ケルトにおいてはドルイド教の神官となり、ギリシアではピタゴラス派になったというわけです。
…「直角三角形の斜辺の二乗は他の二辺の二乗に等しい」というのがピタゴラスの定理であるが、この定理は、前6世紀の数学者ピタゴラスが発見されたといわれている。
だが、有名な作家ヘロドトスは、エジプト人はこの定理を使って、ピラミッドを築き、無名の大工たちも家を建てている。と記している。
どうやら、この定理はエジプトではすでに普及していたものらしい。

古代ケルト信仰ドルイド教を史上初めて公認、英国 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.afpbb.com%2Farticles%2F-%2F2763458

生け贄と言えばドルイド教や古代ゲルマンの宗教も外せないしフェニキアのモロク信仰もある。

(ドルイド教の神官団)はインドのランカー島に拠点を得、ルカ人(ドルイド教の神官団)はフェニキア人とペリシテ人を 輩出し、ウェシュシュ人(ドルイド教の神官団)はウェールズ人(ブリトン人)の祖と考えられる。

フェニキア人、マゴ王家(天孫)の後裔(ドルイド教):多氏(大国主命)、坂東八平氏
フェニキア人の後裔サルマタイ人(ドルイド教):物部氏(大物主命)
失われたイスラエルの10支族ガド族(ソグド人)の後裔(太陽信仰):神武天皇〜武烈天皇(天照大神)、蘇我氏、安倍氏、吉備氏
ヘリオポリスの蛇神を祀る神官団の後裔(蛇信仰):賀茂氏(オオナムジの前身、蛇神ナムジ?)
ブリテン島からベトナムに来た越人の後裔(ドルイド教):蝦夷(エゾ)、伊達氏
古代中原に来たシュメール人の末裔(牡牛信仰):東漢氏、西漢氏
失われたイスラエルの10支族ルーベン族等の末裔(月信仰):秦氏
多禰氏 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F4498
多禰氏…
「多禰国」記事,隣接の屋久島(掖玖国)は遥か以前からよく知られていた,「五千余里」は九州王朝 …
すり替えられた九州王朝の南方諸島支配 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.furutasigaku.jp%2Fjfuruta%2Fkaiho119%2Fkai11904.html
…九州王朝の事績の盗用は、卑弥呼・壱予・玉垂命など九州王朝の女王の事績を取り込むための「神功紀」創設、九州王朝の九州一円平定譚の「景行紀」への盗用、倭王「武」の上表文にあわせた、日本「武」尊の東方「毛人」征討譚の創設など、枚挙に暇がないほどだ(註9)。
 そして、南方諸島支配に関しても、同様の詐術を施した。

卑弥呼も使った?古代の赤 ベニバナ花粉が大量出土 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.asahi.com%2Fedu%2Fnie%2Fkiji%2Fkiji%2FTKY200710140096.html
4年後の243年には邪馬台国側から「絳青けん(こうせいけん)(赤と青の絹)」を魏に贈ったと記されている。
赤と青の絹…紫・・・
赤と青の錐体が反応します。脳は赤と青の錐体が反応した時は「紫を見た」と認識するので、結果として赤と青を混ぜると紫に見える /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Flastline.hatenablog.com%2Fentry%2F20080319%2F1205925226

『纒向(まきむく)遺跡・大量のベニバナ花粉,卑弥呼の贈り物染めた? /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.biwa.ne.jp%2F%7Efutamura%2Fsub73.htm
   <最古のベニバナ花粉,邪馬台国映す「紅」>』(読売新聞 2007,10,03より引用)

卑弥呼の鬼道とは /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fikejun_2007%2Fe%2F0966da89fb7d80af35f573336a1d761e

太平道は、どちらも早期道教と呼ぶことができる。まとめると、早期道教には次のような特徴がある。 1、早期道教は主に社会の下層で苦しんでいた民衆の間に伝播したwww2s.biglobe.ne.jp/~xianxue/DandX/DandX2-2.htm
張角は36の方を作り教団を統括した。…36…ミロク

道教(卑弥呼)VS景教(秦氏) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8906.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F1217
…卑弥呼が女王になる前後の時期に、太平道の兵団 を率いた(ことがある)人物、もしくはその関係者が列島に渡来した可能性も考えられる。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fblog.goo.ne.jp%2Fdogs_ear%2Fe%2F54063c7b766b6723f9e4d854beba8a14
銅鏡を「邪を払う・神に会う」ための呪具とする信仰は、道教の中に継承されることになる。
天津社会科学院教授の王金林氏によれば、墓に副葬された道教の呪具の中で、玉は不朽で永遠に存続する、銅鏡は神仙と会い悪魔を制御する、さらには、銅鏡を被葬者の左右に置く「日明鏡」、銅鏡を前後左右に置く「四規鏡」は、神仙と会い悪魔を制御し、俗から離れて仙人になる目的を達成する思想によるという。
銅鏡の副葬と神仙思想の関係
 道教において鏡は神仙示現・予知・不老長生・辟悪などに関わる呪具として用いられるものであり、副葬品としての鏡もまたそうした多様な呪術的性格を持ち合わせていたのではないかと思われる。たとえば、三角縁神獣鏡に描かれた神仙や霊獣が道教的思想を反映して描かれたことは、神仙が東王父・西王母などに対応して配置されていること、霊獣が巨(矩)と呼ばれる呪具などをくわえた例などからもうかがわれる。その際、霊獣は神仙の乗り物として死者の霊魂を仙人のいる天上世界に導いてくれることを期待されたのではないか。
 (「古墳出土の玉・鏡・剣の副葬品からみた道家思想の影響」王金林)
剣の副葬と尸解術
 剣は被葬者の生前の社会的地位を示すと同時に、祭祀具としての宗教意識を内包するものである。東大寺山古墳出土の環頭大刀銘に「上応星宿、下辟不□」と刻されているように、大刀は宿星信仰に基づいてその呪力が期待されて副葬された。道教では神仙の地位の上下(総じて九品)が決まっており、道士は修練によって神仙世界に昇ることができるが、その修練の度合いによって昇天の方術は飛天・隠遁・尸解(魂が昇天する)の3つに分かれる。(王金林)
 どうやら、古墳に副葬された鏡と剣の配列にも、信仰的意味があったらしい。死者に副葬された剣は、死者が神仙世界に昇るための呪具だったというわけである。

縄だけで簡単に造れる前方後円墳…
西都原メサホ塚古墳の1/10設計を試みました。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fpentacross.up.seesaa.net%2Fftp%2F200503179a04cb95.JPG


449史実探偵: 平 素人:2020/05/11(月) 07:52:12
北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
 おまたせしました^^! やっとその論文を再検索することができました。

☆「石炭層の生成と変遷」九州大学 高橋良平
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Fjie1922%2F58%2F2%2F58_2_102%2F_pdf

「将(油田)を射んとする者は、まず馬(炭層)を射よ!」
この論文は専門的であり、わたし素人にとっては難しいのですが、石炭の生成因は、現地性とするか、流木性とするかの論があります。その炭層の厚みをなすには十数倍(!?)の植物の堆積を考えねばならず、流木性といってもその厚みは、通常の大洪水では到底考えられず、そして、その分布は地球規模にあります。炭層の年代は、筆者の掲げている6500万年前のものだけではないようですが、<流木=洪水>ではなく、<流木=巨大津波>原因 と考えると解がでることに気付いて欲しい。

 先の情報で夕張の炭層の露頭は、下から10尺、8尺、6尺の3層とあるが、これは津波の数波によって回層?をなしたと考えられるし、論文で炭層を挟んでいる夾層が砂から粘土質へと異なるのは、巨大津波が持つ多数波の特徴であり、津波の上流になにがあるかによっても異なり、おおむねは第一波は粒度が大きく、第三波以降は粒度小さくなると思っています。さらに面白いのは<石灰層>の夾層もあるようです。この津波が運んだ堆積層の件は、なにも遠くの国や特別の場所へいかなくても、わたしの貴方の近くにもあるはずだ。瀬戸内山陽道北側の20m〜30mの丘陵地。京都府新幹線車窓北側の丘陵地や、岩手県胆沢扇状地北の丘陵地もそうでないかと思っています。なにしろ地球の90%を覆った巨大津波ですから。『川がないのに角のとれた丸こい石の堆積丘^^?』それが少年心(こどもごころ)には不思議でならないのです。

 キシ先生>に希望します。長文の情報層で小拙層を覆い隠さないで欲しい(笑い)。

当初の論文を熟読します。その時の超巨大津波と考え合わせながら・・・・
                      To be continued^^!

> <十勝川河口にも必ず油田があります!>
  それと<然別川と音更川との湿地帯あたり> を予測しておきます。

> (5/3)とりあえず関連して石炭中に<NaCl>の塩素の含有があることが分かりました^^!
塩素Clは単体では活性化が強く、それがナトリウムと結び付き海水中にあります。

> ☆「石炭の過熱過程における塩素の行方」
  1. 緒言石炭中の塩素(coal-Clと略す)は、・・・
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.jstage.jst.go.jp%2Farticle%2Ftetsutohagane%2F103%2F8%2F103_TETSU-2016-110%2F_pdf

> ☆ 夕張、合せて24尺炭層の大露頭^^
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.geosites-hokkaido.org%2Fgeosites%2Fsite0002.html

450史実探偵: 平 素人:2020/05/12(火) 01:24:26
Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
  急がば廻れ^^! 油田を探すなら、まず石炭から・・

<石炭層の生成と変遷> 九大:高橋氏 1978/11/16受理、より
1.1 夾炭層の構成
・・、「石炭層の直下にかつて植物が生育していた時の土壌と判断される粘土層があったり,石炭層中の珪化した樹幹(珪化木)が層面に直立した格好で含まれ,さらにこの粘土層をつらぬいていることなどは石炭の原地成因説の有力な証拠とされてきた。」・・、

 この件は、4千年前の東北に衝突した巨大隕石で発生した巨大津波の件で述べたことがありますが、同様なことに「直立した藤里の大珪化木」がある。いかに巨大津波とはいえ、その発生源とその先端部分では、その様相がおおきく異なる。発生源では巨石ゴロゴロでも、その先端等で流れが弱くなった場所や後続波では、その濁泥土の粒度は小さくて粘土質のものが運ばれてそこで堆積する。そしてそこに棲息していた樹幹が大きければ直立したままで、津波と共に運ばれてきた粘土層に埋まり珪化木化する。この件で、奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。

また、藤里の珪化木はアイソトープ年代で〇〇年前であったが、その年代を示す濁泥土が染入ったものだとしました。津波が運んだ植物の遺骸は他地へ運ばれたり、混ぜ合わされた土粒へ埋まりこんだりするので、その年代を決めるのが難しい。

<続 伸> 上記論文より、
「・・、坂倉は,石炭層の厚さが水平方向で容易に変化したり,石炭を含む一連の地層(夾炭層)が,繰り返しリズミカルな堆積様式を示すことなどによって日本の第三紀炭は原地で生育した植物群をその原料にしたと主張している2)。・・」

 この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。3層の炭層の厚みは下から10尺、8尺、6尺であった。リズミカルな堆積様は、津波が同方向からそれらを運ぶからであり、10尺→8尺→6尺へとだんだん小さくなっているのは津波の後続波が弱くなっていることを表す。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。この地勢の件の要を氏は説かれている。

                       To be continued^^。

451青面金剛:2020/05/12(火) 15:31:22
Re: 十勝平野
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 奥州市の岩淵先生は、島根県の珪化木林の根本部分に倒れてある木化石は、その時の津波が運んだものだとされている。
>  この件は、夕張の3層の石炭の堆積層で津波成因を説明できる。夾層の状態と何がどのように津波によって運ばれたかを知りたいものです。夕張では炭層がなだらかな傾斜があったようだが、植物体は盆地へ溜まったり、津波の波打ち際に置いていかれる ことがある。

 2千万年前の歴史の証人「珪化木」 大田市久手町波根西の海岸 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.pref.shimane.lg.jp%2Finfra%2Fnature%2Fshizen%2Fshimane%2Fdekakeyou%2Fsyouninnkeikaboku.html

☆十勝地方では、60年程前に、資源探査が行われ、微量の石油が幾つかの地で、確認されましたが、採算性には程遠かった様です。

釧路炭田………縄文海進
 釧路炭田の形成は、約3800万年前の古第三紀漸新世の時代です。
釧路管内を中心に、釧路沖の海底を含む広い範囲に浦幌層群と呼ばれる地層が堆積し、そのなかの春採(はるとり)層・天寧(てんねる)層・雄別層・双運層・尺別層に石炭が含まれています。
これらの地層の中には石炭の層が数十枚あり、普通1から3メートルの厚さですが、5メートルをこえるものもあります。
  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.city.kushiro.lg.jp%2Fmuseum%2Fjyousetsu%2F1f%2F0003.html

 道北の稚内・豊富には石油質の温泉が湧き出て、アトピーの湯治に良く効く、と評判です。
 豊富温泉は大正14年より、石油の試掘を行ったところ、翌年5月に地下約960mの地点より高圧の天然ガスと共に43℃のお湯が噴出したことから開湯した温泉です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Ftoyotomi-onsen.com%2Fhistory

国内油ガス田  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.japex.co.jp%2Fbusiness%2Fep_j%2Fdomesticfields.html


※ 坪背山周辺では、鹿猪の駆除の為、銃や罠を用いる場合が有ります。無断入山は禁止されてますので、事前に、出雲市役所森林政策課 Tel 0853-21-6996 に届けなければ成りません。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fsection%2F0000000000000%2F1301563212058%2Findex.html

レンタカー、タクシー、レンタサイクル情報  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.izumo-kankou.gr.jp%2F8575

☆平さんが80歳未満ならば、一人乗り電気自動車COMS(コムス)で廻る事も可能です。
4時間フリーコースで4000円程。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fdandan-izumo.resv.jp%2Fsupport%2Fsupport_help.php

☆古代出雲歴史博物館は現在休館中です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F
現在、桃太郎エクスプレス・バスは運休中です。特急「やくも」は運行してます。



                 

452史実探偵: 平 素人:2020/05/13(水) 04:35:33
Re: 十勝平野
https://www.city.kushiro.lg.jp/museum/jyousetsu/1f/0003.html

http://



453青面金剛:2020/05/13(水) 13:23:54
Re: 十勝平野
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>ちなみに島根県には<千木>という地名があります、筆者はこれをその時4000年前の大津波が運んだものかと疑っています。

☆<千木>は神社の社の屋根に付いている風消しです。千木が無いと強風時に屋根が飛び易くなります。立て削ぎが出雲神、横削ぎは物部神です。男千木と女千木で解説している本が多いですが誤りです。

> 『坪背山探索の件』
><猪の目峠茶屋跡から散策道を7分ほど登った所から右手方の分かれ道の行き当たりに、隠れ坑道のズリありか!?>を確かめる気力が残っていません。

☆ 地図に印を付けて管理人さんに送りなさい。隠れ坑道がある危険な所はドローンしか、ありません。
 GOOGLE ストリートビューで、坪背山登山道入り口の駐車スペースを見ると、法務省の不法投棄監視システムが設置されています。ドローンのカメラに映るのは、「ズリ」で無くて、『産廃』の感じがします。

※ 一部訂正します。「駆除」では無くて「捕獲」との事です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.city.izumo.shimane.jp%2Fwww%2Fcontents%2F1428404284634%2Findex.html
令和2年度出雲北山山地のシカ捕獲の実施について【森林政策課】

 出雲北山山地は、狩猟でのシカ捕獲が禁止されています。しかし、保護目標頭数より多くのシカが生息し、農林作物等の被害が発生しているため、シカの個体数を調整することを目的とした銃とわなによる捕獲を行います。期間中に入山・登山の際は鈴などの音の鳴るものを身に付け、登山道から外れないようにお願いします。
令和2年度通常捕獲期間
       第1回:4月13日(月)〜 6月30日(火)
       第2回:9月 1日(火)〜 3月14日(日)

※ イノシシは出雲北山には居なくて、出雲市南部の山沿いに居る様です。

454机上探偵: 平 素人:2020/05/14(木) 08:27:44
『坪背山に隠れ坑道を掘ったズリの有無確認の件』
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000459M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000459_2M.jpg

https://houshizaki.sakura.ne.jp/tuboseyama.htm

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



455青面金剛:2020/05/14(木) 13:29:07
『坪背山』
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「忌部川」に、「下忌部・西忌部・東忌部」。 このように方向性が3つ以上連なると、(そのことに関して)そこに歴史という時の流れがあったと推むことができます。「忌む」とは、人が死んだ時につかう言葉。 ここに「千本」という地名があります。

☆千本つつじが丘の地名なので、つつじ千本の意味です。忌部氏は祭祀氏族で、東忌部町の東山向こうには出雲一の宮である熊野大社、西忌部町の西山向こうには玉造。神道では隠れる、と表し、勾玉は再生を意味します。神門・神戸(かんど)は神様の通り道。

 西忌部町に鎮座す忌部神社
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.jinja-net.jp%2Fjinjacho-shimane%2Fjsearch3shimane.php%3Fjinjya%3D6313
「平安朝に忌部神戸内鎮座の22社と合祀し、二十二社総権現、総社大宮大明神と称し忌部神戸の総社として神祇令により神戸内の官物を供進し、其官祭を享け給えり。奈良朝以来、朝廷の御崇敬を始め累代国守の崇敬篤く、社領寄進、社殿造営、禁制社参代参あり。」


> 千木は、大量の銅鐸・銅剣を埋めた時、それに憑いた荒神を動かせないようにするための「重し」のための儀式方があったのではと疑っています。「風消し」の意味もあるのでしたら、「八雲」を抑える意味もあったのでしょうか。慈雨が、あまり暴れすぎて暴風雨になっても困ります。今でも、旧家では新築時の棟木の下に刀(刃物)を括り付けることがあるようです。さらに、略式化して竹で挟んだ何やらの紙幣をくくりつけているようですが^^?
>  今、「神戸・こうど」の地名がつくところの山畑に廃材で休憩小屋を建てているのですが、「屋根が風で飛んで人さまに、必ず迷惑をかける」と息子にしかられました。

☆NHKの番組で、強風が吹いた時に、千木は逆方向に力学的に作用し、屋根の上ずりを防ぐ、の分析が有りました。
 出雲の社は裏手に磐座が有る事が多いですが、磐座の背後から、雲が湧き出る伝承が在り、千木は、その象徴と先駆けの意味も有ります。竹も鎌も魔除けとして扱われます。


> 『坪背山の隠れ坑道を掘ったズリの探索の件』
その地の歴史を知らないわたしのようなよそ者は、そこが、さして先さまが仰っておられるほど危険な場所とは感じません。

★ 「危険な場所とは感じない」のならば、自分で行って証明して来い!!!

 息子さんが居るならば、連れてってもらい、平さんが先頭を歩き、距離を置いて息子さんが付いて行く。
 平さんが隠れ坑道に落ちたり、マムシに咬まれた時は、息子さんが助けてくれるでしょう。

※ 平さんが坪背山の現地レポートを此処に書き込むまで、この話は休止とさせて頂きます。(終)



456机上探偵: 平 素人:2020/05/18(月) 04:23:01
Re: 北海道の(十勝平野)未掘油田を捜す!!
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



457机上探偵: 平 素人:2020/09/20(日) 04:07:18
将(=石油)を射んとする者はまず馬(石炭)を射よ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000462M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000462_2M.jpg

https://www.jstage.jst.go.jp/article/jie1922/58/2/58_2_102/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



458史実探偵: 平 素人:2020/09/05(土) 04:26:37
北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!
 この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)

??日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gsj.jp%2Fdata%2Fchishitsunews%2F61_07_02.pdf%23page%3D1%26zoom%3Dauto%2C-150%2C721

  油田・油井の発見は、臭水(クソウズ)であったり、自噴したり、石油ガスの匂いがしたりがきっかけのようですが、国土地理院の地勢図・等高線に重ね合わせてみると、各代・各々の巨大津波が運んだ「未だ見ぬ」動植物の遺骸の油分が見えてくるかもしれませんね(^-^)。あっ、それから巨大隕石落下後の「隕石の冬」が引き起こす海進・海退も考え合わせねばなりません。そこは昔は海だったと云わないためにも・・・つづく(^-~)。



459管理人:2020/09/05(土) 21:54:09
Re: 北海道の油田は、数十年前に発見されていた!!
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>  この件は、・・・・さまも指摘されていましたが以下にありました(^~!)
>
>?? 日本北部の天然ガス (北海道の天然ガスと石油)
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.gsj.jp%2Fdata%2Fchishitsunews%2F61_07_02.pdf%23page%3D1%26zoom%3Dauto%2C-150%2C721
>
>


平さん、ご無沙汰してます!
北海道の炭田、気になるところですね。今月は道東に向かう予定なので、その辺の情報も仕入れてみたいと思います。

摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!

460管理人:2020/09/06(日) 00:33:39
道東クレーターライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000465M.png

https://www.afpbb.com/articles/-/3295143



461史実探偵: 平 素人:2020/09/08(火) 05:28:31
Re: 道東クレーターライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000466M.jpg

管理人さまへのお返事です。
 ご無沙汰いたしております。お元気なごようすなによりです^^。

>
> 摩周湖・屈斜路湖、サロマ湖、厚岸湾・・・隕石落下によるクレーター湖かどうか確認してきます!

 北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。

 ご調査・ご思考を楽しみにしています。



462管理人:2020/09/11(金) 00:44:23
Re: 道東クレーターライン
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。


>  北海道・東北地方には隕石衝突とみられる湖が散在していますね。列島の中部以南にはそのようなクレーター形状様のものがみられません。これに関心をもったのは中坊のとき、噴火湾といわれている内浦湾とメキシコ湾の形状が「よく似ているなあ」と思ったことでした。加えてイタリア辺りもそのようなものがみられます。素人はこれ等を「隕石銀座」とよんでいます。ご指摘のように黄道・偏角と惑星・軌道の交わりが過去にあったのかもしれませんね。
>
>

平さんもお元気そうでなによりです!また今年こそはどこかでお会いしたいですね・・・。
秋に雪が降る前に昨年見逃した東北の遺跡を巡りたいと考えてます。

確かに、北海道・東北のクレータ湖?の多さには特徴がありますね。

以前は、その小天体群?は地球を半周しなかったと平さん同様に考えていたのですが、再度昨年考えなおして、中には数十周したものもあっただろうと予想します。

結果として等間隔で南へとずれていく先日のラインが見えてくるわけです。

十数分くらいで地球を一周していたのではないでしょうか。その間に分裂を繰り返しデブリを落下させていき、そこにクレータができるわけですね。

北海道から東北に特に多く分布した原因としては、やはりその北緯あたりから小天体が侵入してきたからではないでしょうか。

赤道平面から侵入してきそうなものですが、小天体の軌道が地球の軌道平面よりやや北側にあったのかもしれませんね。

あるいは赤道方面にはちょうど月があり、その影響で多くは月に衝突して、その月にとらえられなかった小天体群が、月の影に入らない地球の高緯度地域に降り注いだことも考えうるところです。

もっと精密に各地のクレータの分布をしらべて、月の影の領域が浮かび上がってくれば、この証明はすぐ立証できるでしょう・・・。

問題は誰がその気の遠くなるような作業をやるかですね!!





463史実探偵: 平 素人:2020/09/13(日) 06:13:02
福井県の水月湖底の年縞!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000468_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000468_3M.jpg

管理人さまへのお返事です。

コメントありがとうございます^^。
・・・、クレーターについて色々に考えているのですが、中々まとまりません~~!

Yahoo!(9/8(火) 10:06配信) ビッグニュース ありました!!
「福井県の水月湖底」の年縞(ねんこう:年輪のようなもの)
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=2
年縞が過去7万年にわたり途切れずに1年刻みで残っている湖沼は、世界でもここにしかない。

サンデー毎日×エコノミスト
(本誌初出 「地球の古文書」の年縞 7万年を刻んだ水月湖の「奇跡」/15 20200825)
 ■人物略歴
鎌田浩毅 かまた・ひろき 京都大学大学院人間・環境学研究科教授

 ドキドキします・・・・^^、
取りあえず(私が)知りたいのは、岩淵先生と二人でやっている「東北釜石:巨大隕石」です。この落下日をBC.2001/12/25.am6:00頃(日の出前)と推んでいますから、その年縞に何かの異変が刻まれていれば大正解^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



464管理人:2020/09/14(月) 02:18:49
小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000469_3M.png

https://www.youtube.com/watch?v=Jx5FEF3nVNI&amp;t=19s



465史実探偵: 平 素人:2020/09/17(木) 08:07:31
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
https://news.yahoo.co.jp/articles/a354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded?page=1

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



466管理人:2020/09/19(土) 23:47:46
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント&情報ありがとうございます。
>
> > 水月湖、興味深いですね!7万年前まで調べれるならば、最近の隕石衝突の地層も特定できそうなものですね。
> ただ、その水月湖の近場の隕石のそれですね。
>
>  私が水月湖の年縞に期待しているのは、小天体衝突の飛散物等の直接的証拠ではなくて、間接的な証拠です。年縞のなかの<葉っぱの14C>を調べることによってその年縞が何時になったか分るそうです。
> >『また、年縞に含まれる花粉や火山灰などを分析することで、過去の気候と地球環境も解読できる。さらに春、梅雨、夏、秋、晩秋、冬によって異なる堆積物が残されており、年縞を使えば縄文人の生活を1年ごとに知ることができる』
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fa354a613adc25faf41ccbf117e07ddacdcf3fded%3Fpage%3D1
>
>  7万年もの間の物差しですからその判別には膨大な量の調査と時間が予想されます。私たちが思う大きさの小天体の衝突が、陸部であれば必ず「隕石の冬」を伴わなければなりません。その時の気温の降下が大きければ大きいほど年縞の間隔や変わり目が顕著に現れます。温暖期が長く続いて “急に” 寒冷期になっていれば場所の特定はできませんが「その時」に小天体の衝突があったと判別できます。
>  例えば、これを逆にとらえて自分の提唱する4000年前や、先さまの云われている1万2千前に、そのような年縞の変移があり、ボーリング柱に<寒冷期の葉っぱ>でも捕まれば、つよい状況証拠となります。近場で直接的のものでは中国と北朝鮮の国境にある白頭山(活火山)の火山灰が確認できているそうです。
>

火山灰の件は重要ですね。先ほど読んでいたアイヌ文化のチャシの特定にも火山灰地層の件が記されていました。有史の火山灰をみれば、かなりの正確さで年代を推定できそうですが、それ以前のものを正確に測るうえでも水月湖の地層解析は重要ですね。


>  惑星や衛星の運行についての情報ありがとうございました。それには色々な法則や作用があるのですね。素人にはそのすべては理解しえないですが、その衝突は太陽系のようにできあがった形では小さいものは別として、隕石の冬を伴うほどの大きさのものが、太陽なり地球の周回軌道に入るまえに捕まえなければ、取り逃がしてしまうのではないかと思っています。つまり半周以上の周回では捕まえるのが難しいのではないかの考えをもっています。惑星や衛星の軌道をみだすものとして重力の大きい木星の影響力をきいたことがありますが、(北海道クレーターが)地球の傾きに近いものの衝突角であれば、月の重力が関係する時を考えねばならないのですね。月のことはまったく考えの内にありませんでした(汗〜)。ありがとうございました。
>


地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!


467史実探偵: 平 素人:2020/09/20(日) 06:55:21
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
管理人さまへのお返事です。 コメント&情報ありがとうございます。

> 地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!
>
 お気を付けていってらっしゃいませ^^。
(先さまの以前の記事で)小天体の衝突痕として斜角が小さければ衝突方向に堆を残すとか五・六角形になるとかに斬新さや意外性をおぼえたことがありましたが、溶岩様や、微視的なものでSiO2が確認できればいいですね。酸化ケイ素は小天体衝突時の高温で発生し、通常の火山の噴火熱では発生しないのではと思っています。又、ドローン等が使えれば衝突域の植生の違いの有りや無しやをみるのも面白いかもしれません。たのしみです^^。

 北海道のチャシ(跡): はじめて知りました。戦いのためにも使われていたとのようですが、わたし素人は、薬石探しに列島に来た「徐福と武人集団」が、なぜ北海道の内陸に侵入痕跡がないのか? を思っていましたが、その理由の一つとして、アイヌの人達は天地のすべてを神体としており神域をおかすものへの強い抵抗と、熊と共存しゲリラ戦(ベトナム戦)を得意とする人達。専門家の多くは徐福は列島支配の目的ありとみているようですが、私はそうは思いません。徐福達は列島の植民地化が目的ではなく「不老不死の薬石探し」が大きな目的。もし、それを違えて「安穏な列島暮らし」が始皇帝の耳に入ろうものなら、十万二十万の大軍を繰り出され、たちまちのうち殲滅されるかの恐れがあります。それに北海道の地は広大な中国にも似ています。激戦をしてまで「珍薬探索の要無し」との結をだし太平洋岸を周り、岩手あたりまで南下したのではないでしょうか。遮光面土器、なまはげ、蕨手刃、金色堂の童子を連れた釈迦仏画等はそのなごりと推んでいます。
 史記に「徐福は広大な州の王となった?」とあるようですが、これはあくまで中国本土の人がその伝聞を記したものであり、事実かどうかは分かりません。先没した始皇帝の暴君性の“トラウマ薄れ”への結果としてそのようになったかも知れませんが、「神仙の列島に仙薬あり」を信じて出帆した徐福には、定住性はなく生涯がサバイバル!! どの地ではてたかは分かりません~~!

 北海道の地名に「空知、美唄、忍路」があります。
わたし素人探偵は、四千年前の天空を血色の巨大塊が、ビリバリの衝撃波と音をだし、恐ろしい路を松前のほうに飛んでいったとの地名伝言だとしています^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



468管理人:2020/09/28(月) 23:38:10
Re: 小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000473M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000473_2M.png

史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。 コメント&情報ありがとうございます。
>
> > 地球軌道角での隕石落下からクレーター生成については、これからちょっと道東に向かうので、現地の地層などをみながら、確証を得たいと思います!
> >
>  お気を付けていってらっしゃいませ^^。
> (先さまの以前の記事で)小天体の衝突痕として斜角が小さければ衝突方向に堆を残すとか五・六角形になるとかに斬新さや意外性をおぼえたことがありましたが、溶岩様や、微視的なものでSiO2が確認できればいいですね。酸化ケイ素は小天体衝突時の高温で発生し、通常の火山の噴火熱では発生しないのではと思っています。又、ドローン等が使えれば衝突域の植生の違いの有りや無しやをみるのも面白いかもしれません。たのしみです^^。
>
>  北海

平さん、こんばんは。道東探索では、摩周湖、屈斜路湖、サロマ湖、阿寒湖、網走湖、能取湖と、クレーター湖と睨むところをひととおり撮影、ドローン空撮などしてきました。また今度お会いしたときにでもお見せしたいです!

地層のほうはいまいちよくわかりませんでしたが、火山性の熱源という意味で驚いたのは摩周湖付近に立ち上る霧ですね。地熱が高いのではないでしょうか。

また摩周湖そばの第1展望台でドローンを飛ばそうとしたら、磁気コンパスに異常が起きて飛ばせなくなったのには驚きました。滅諦にない現象で、磁場が狂うほどの鉄?が付近に埋もれているのではないかと感じましたよ・・。

あとは、アイヌの拠点である神居古潭、ここも神秘的な雰囲気が漂う場所で、そばのストーンサークルともども、ぜひ平さんにはご覧いただきたい感じがします。

白滝遺跡では、黒曜石らしき石をひとつ拾ってきました。ここから各地へと黒曜石が運ばれるネットワークがあったようです。

ちかいうちに、白老のポロトコタン、つまりポロト湖のコタン(集落)を見に行きたいと考えてるんですが、隕石ライン??らしきものも見つけてます。。添付しますね。23度前後の偏角になるようです。

倶多楽湖⇔ポロト湖⇔ウトナイ湖へと伸びるラインですが、同時に22度偏角で以前指摘した倶多楽湖⇔洞爺湖⇔寿都湾のラインもあり、どちらかが本物??、双方本物??が見極めどころです。



469史実探偵: 平 素人:2020/10/30(金) 00:23:57
小天体と隕石群の周回・落下方向
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000474M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000474_2M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-14.html

http://



470史実探偵: 平 素人:2020/10/10(土) 05:53:54
Re: SAHARA
水月湖の年縞(ねんこう)に興味をもち調べていたら、山田さまの記事にあたりました。

> ・・
> サハラは広い。
> 情報量の多いサイトがありました。
>
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Farchive.aramcoworld.com%2Fja%2Fissue%2F201403%2Flast.lakes.of.the.green.sahara.htm


 ボーリング柱の写真あり・・・^^。

471管理人:2020/10/14(水) 22:58:46
Re: SAHARA
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 水月湖の年縞(ねんこう)に興味をもち調べていたら、山田さまの記事にあたりました。
>
> > ・・
> > サハラは広い。
> > 情報量の多いサイトがありました。
> >
> > /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Farchive.aramcoworld.com%2Fja%2Fissue%2F201403%2Flast.lakes.of.the.green.sahara.htm
>
>
>  ボーリング柱の写真あり・・・^^。

あとで拝見させていただきます!

472史実探偵: 平 素人:2020/10/15(木) 04:33:29
Re: SAHARA(湖底土のボーリング柱)
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-16.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



473史実探偵: 平 素人:2020/10/17(土) 07:02:37
縄文人の生活が推める水月湖底の堆積物!!(年縞7万年前まで)
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jgeography1889/103/3/103_3_233/_pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



474史実探偵: 平 素人:2020/10/18(日) 23:08:37
水月湖年縞についての情報
水月湖年縞についての情報ありました。

福井県里山里海湖研究所
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fsatoyama.pref.fukui.lg.jp%2Ffeature%2Fvarve


475管理人:2020/11/18(水) 23:50:10
クレーター動画
平さん、ご無沙汰してます。水月湖の地層年代、気になるところですね。

クレーターの動画を探していて、興味深い動画がありましたので、お知らせいたします。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2Fnp8bOTRNMuQ

また近いうちに東北あたりでお会いしたいですね。

476史実探偵: 平 素人:2020/11/19(木) 03:06:53
Re: クレーター動画
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000481_2M.jpg

管理人さまへのお返事です。ご無沙汰はしていますがPCへは訪問しています^^。

クレーターの情報ありがとうございます。
わたしのPCは動画の音声はなくその大半を理解しえませんが「巨大隕石と大津波」を掲げている当方としましては大変興味のあるところです。ですが、あれこれ色々と掲げてきましたが専門家はおろか世間さまのいっさいの受けがないのに加えて、その気力も、その遊び心に費やすお金も欠乏しています^^!。今の自身のもつ能力では到底むりとあきらめての終活中です^^!。

 現在云われている生物の大半を絶滅させるほどの隕石のサイズはΦ1km程度と云われていますが、わたし素人はそれよりケタ違いにおおきいモノでも生物のすべてが滅ぶとは思っていません。地球を隕石の集積体とみて、その大小を問わず数限りない衝突があったにもかかわらず、こうして今の私達生命体が存在しているからです。巨大隕石の衝突にもかかわらず生命が絶滅しなかったのは、最大比熱の水の存在がおおきく関係しているのではないでしょうか。

 当方の掲げる「南極大陸は6500万年の巨大隕石論」は、先様のあげられた「南極大陸とその周辺大陸に6500万年以前の古生物化石の繋がりあり」で完全にKOされました^^!。なぜなら、「大西洋を挟む大陸の双岸に同種のミミズの対応あり」を言ったウェゲナーの大陸分離論にまったく反するからです。

それ以降、当方の「南極大陸は巨大隕石論」は、息も絶え々の<虫の息>ですが“息の根”までは止まっていません(笑い)。以前にあげました「地球の90%以上を覆った 巨大津波の痕跡シリーズ「南米大陸を突き抜けた巨大津波。豪州大陸を覆った巨大津波。アフリカ大陸に突き当りサハラにその砂を運んでいる。北米大陸に上陸した巨大津波はグレートベースンになだれ込んでいる!」は、・・で止まっていましたが、それに続いての「中国大陸に上陸した巨大津波」を遺しておくことにします。どうぞお楽しみに・・・(^-~)。

http://



477管理人:2020/11/20(金) 23:23:37
隕石研究会・・・
平さん、お返事ありがとうございます。
南極大陸にかぎらず、大陸生成と隕石落下との関係はあるとおもいますよ。その年代はともかく・・・。
今年はコロナでまた動きにくくなってきましたが、岩手方面、また伺いたいですね。向かうタイミングは難しいところですが。

隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。





478史実探偵: 平 素人:2020/11/21(土) 23:19:05
Re: 隕石研究会・・・
管理人さまへのお返事です。コメントありがとうございます。

> 隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。

 すごいことお考えなのですね・・・^-~とりあえずの参加者は、
先さまと。いわぶち先生と、わたしの3人しか思い当たらないのですが・・(^^汗〜)

わたしの本懐とするところは、その方面なのですが余りにもぶっ飛びすぎているので・・・
なにかしら世間の注目をあびる、きっかけはないかと始めたのが・・・

?卑弥呼が埋めた未掘の銅鐸23個±αが「吉備・総社市の岩屋寺裏の崖上に!」
 この件は、
 この素人ひとりが諸難を排して、ここに金属反応ありとしても誰も相手にしない(笑い)。
  いちばんこわいのは肩書のない素人が下手に動いて「立ち入り禁止」にされること!

?天ノ岩戸の原形洞窟が出雲大社裏方の大文字地形の鷺峠にあり。
  「出雲市・猪の目峠茶屋跡から7分上がった所から北の行き止まり!」に岩戸で塞がれ、
  土で覆われ封印されている。
 1700年前の冬至の初光を洞窟奥に射しこます設計がなされており、
 施設の後先は分かりませんが環状木柱列(ウッドサークル)にも通じる。
その洞窟の奥行を10丈として、その入り口付近にズリ(排石)があるはずだとしましたが、
 これとて、そのズリがあればあったで「ズリ捨て場」だと云われるでしょうし、・・・
 よしんば、その洞窟発見まですすんでも「銅鉱石の試掘」だと云うお人がでるのは必定。
 実際に、銅鉱石の試掘・採掘と、ズリの捨て場が他にもあるようです(^~汗〜)。
 要は、出雲を知らない素人がその場所に、その存在を予見できることに意味があり。

?4000年前(BC2001年/12月)の東北に降臨した巨大隕石による「激変・隕石の冬が石川県・水月湖の年縞に」刻まれている。
 この件は、専門家に、コラボ調査・解明を依頼するには費用が必要(^^!)

以上、いずれも史学にはないことであり、素人探偵が口でいうのは簡単ですが、いずれも「専門家の鑑定・認証のお墨付き」がないかぎり、だれも相手にしない。その専門家は、30年来2000通が無反応です(^-^!)。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



479青面金剛:2020/11/22(日) 09:35:40
Re: 隕石研究会・・・
管理人さん、と平さん、へのお返事です。

> 隕石クレーター史研究会発足にむけて、そろそろ動き出したいところではあります。

☆ 先月、出雲を廻って来ました。御神体が隕石と思われる神社ならば、赤秦神社( 島根県雲南市加茂町大竹676)へも行って来ました。加茂岩倉遺跡から南西方向に数百メートルの地に位置します。

赤秦神社|成長する石?世代交代する御神体の謎!
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izumo-enmusubi.com%2Fentry%2Fakahada-jinjya%2F

「 この御本殿の中には御神体となる巨石が納められているのですが、その巨石は年々大きくなっていくため、次第にこのお社の中に納まらなくなるのだそうです。そして現役の御神体を玉殿に納め、大きくなってきた先代の石を「若隠居さん」と呼んで、隣に置かれているのだそうです。
 この石は隠居さんと呼ばれ、現在の御神体から2代前の御神体ということでしょう。隠居さん→若隠居さん→現在の御神体という世代交代があったのですね。
 境内には隠居さんを凌ぐ大きさの巨石が横たわっています。 」

※ 赤秦(あかはだ)は落下直後に表面が赤かった、との意味でしょうか。


☆ 稲佐の浜から日御碕にかけては、筆投島や礫(つぶて)岩、などの小島が並び、古代の祭祀も行われていました。

日御碕神社と経島と海底遺跡・雄大な神秘がここにある
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fsazanami217.blog.fc2.com%2Fblog-entry-404.html

「 島の下部には、大きな洞窟のようなくぼみが確認できます。そして日御碕神社からは、この島はほぼ夏至の日没の方向に位置しています。
 発想を逆にして見ましょう。
夏至の日没を反対から見ると、ほぼ冬至の日の出の方向です。
座標軸を経島に置くなら、冬至のころの朝日が島の巨大な洞窟に射すことになります。」

※ 坪背山稜線の登山道から南斜面は「宮内」ですが、北斜面の方は外れます。
遺跡も社も磐座も無い所で祭祀を行なう訳ありません。


☆ 島根県立古代出雲歴史博物館がリニューアルオープン  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.izm.ed.jp%2F

『青銅器と金色の大刀』のコーナーでは、入り口に「命主社」の勾玉(国宝)と銅戈が!

 「景初三年」銘三角縁神獣鏡(神原神社古墳)(重要文化財)、荒神谷遺跡出土青銅器(国宝)、加茂岩倉遺跡出土銅鐸(国宝)、環頭大刀(かわらけ谷横穴墓出土)(重要文化財)など、このコーナーだけで1時間は過ごせます。

 特徴ある銅鐸の幾つかには、分かり易い解説が附けられています。写真撮影は「フラッシュ」を発光させなければ、撮り放題です。
(コンパクトデジカメの場合、自動発光してしまう場合が有るので、設定を確認。)

★ 行く気に成れば、毎月でも気軽に出雲へ行ける土地に住みながら、一度も目にする事なく、人生を終え様としているのは、馬鹿々々しい限りです。専門家の方々は「自分で行けば良いじゃない。」と相手にしません。机の前で、何時までも嗾けているだけの人の為に、専門家が動いてくれる筈も有りません。


※ 岩屋寺の住職さんや、奥之院で清掃ボランティア活動されている方々へ、由来や伝承の話を直接聞く事もしない人に、発掘許可など出す訳も無いです。


480史実探偵: 平 素人:2020/11/23(月) 06:19:33
Re: 隕石研究会・・・
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-10.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



481史実探偵: 平 素人:2020/11/24(火) 02:19:39
Re: 隕石研究会・・・
https://www.izumo-enmusubi.com/entry/akahada-jinjya/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



482青面金剛:2020/11/25(水) 06:27:22
Re: 隕石研究会・・・
生贄探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 「すべては没後からはじまる」
> 共立・発信を望みます^^。

★ 共立も発信も、お断りします。平さんのグロい創作は、民俗学のルール違反ですから。それに、平さんの御子さんや御孫さん方にも、平さんが「幼子を生贄とする。」作り話ばかり綴っていた事は、知られない方が好いでしょう。

※ 歴史掲示板の中には、「生贄」や「人身御供」についての書き込みを、禁止している所も有ります。ブーメランの応酬となって、掲示板が荒んだ雰囲気に成ってしまいますから。

〇 平さんの人生と共に、全て消え去った方が、世の為と思います。

483史実探偵: 平 素人:2020/11/25(水) 06:33:33
Re: 隕石研究会・・・
http://sazanami217.blog.fc2.com/blog-entry-404.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



484管理人:2020/11/28(土) 23:09:00
北海道東部の重力異常
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000489_3M.png

http://www.eri.u-tokyo.ac.jp/KOHO/KOHO/backnumber/24/24-1.html

http://



485史実探偵: 平 素人:2020/11/29(日) 09:40:06
Re: 隕石研究会・・・
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000490M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000490_2M.jpg

https://blog.goo.ne.jp/houshizaki/e/e3fdb3134c638b43515b478d82e96b17

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



486青面金剛:2020/12/10(木) 01:17:02
素鵞川
机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>「坪背山の古くは「壺背山」とありました。それに「背」とは何を意味するのでしょうか。
>??“雨乞い儀式”があったかと謎解きしていました。
> 雨乞い儀式は各地にあり、
> ふるくは屋島山頂から土器小片(かわらけ)を投げる風習がありました。
> 先さまから「南斜面は宮内」

※ 「壺背山」の山頂から北側は、凹んだ地形で、雨水の流れが集まる壺の役目を生すから。

※ 出雲市内をバスなどで廻れば、斐伊川や神門川の氾濫を予防する為の「放水路」が各所に引かれていることが分かります。降雨の少ない瀬戸内地方とは正反対に、「雨は適度に」の制雨の願いです。

※ 瓦投げは、厄除け・厄払いの為に行うもので、「壺背山」の南側には、因佐神社、奉納山の出雲手斧神社、大穴持御子神社 (三歳社)など、出雲大社の境外摂社が多数鎮座していますので、それらの祭神に向かって「厄」を投げるなど有り得ません。

※「壺背山」山頂から奉納山にかけての稜線の東側は、大社の境内を流れる「素鵞川」に雨水が集まります。
「宮内」には、無届けの不届き者が禁則地に入り込まない様、大社側が監視カメラを多数配置しています。

☆ こちらは、出雲から遠い地に住んで居ますので、出雲へ行くにも、平さんが行く場合の数倍の旅費が掛かります。平さんの思い付きの妄想の為に廻す旅費など有りません。

平さんが、この次に給付金を受け取ったら、直ぐ行けば良いだけの事です。


487史実探偵: 平 素人:2020/12/30(水) 04:31:31
Re: 素鵞川
青面金剛さまへのお返事です。

> 机上探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> ※ 出雲市内をバスなどで廻れば、斐伊川や神門川の氾濫を予防する為の「放水路」が各所に引かれていることが分かります。降雨の少ない瀬戸内地方とは正反対に、「雨は適度に」の制雨の願いです。

 私は、1700年前の気候がどのようであったか分りませんが、出雲の生活圏の中心は松江にあったと見ています。ここには “雨乞山” の地名が残っていますから雨乞いがなかったとは言い切れません。長い歴史のなかには「八大竜王さまこの雨止めさせ給え」の豪雨災害もあったでしょうが 当時の人達の考えは、雨天・干天を仕切るるのは水神竜であり太陽神ではなかったように思います。それを卑弥呼は大彗星のニアミスを境に竜神は太陽神の従神説を唱えそれまでの銅鐸文化を銅鏡文化にかえたのではと以前のべました。前に申し上げたことがありますが歴史を語り合うときは、どの時代のどの地域で、何について語るかの主題を決めてかかるほうが良いと感じています。

> ※ 瓦投げは、厄除け・厄払いの為に行うもので、「壺背山」の南側には、因佐神社、奉納山の出雲手斧神社、大穴持御子神社 (三歳社)など、出雲大社の境外摂社が多数鎮座していますので、それらの祭神に向かって「厄」を投げるなど有り得ません。

「瓦投げ」の件は、わたしは知りません。瓦と破片土器では微妙にその意が変わります。素人が「それと言った」と遺りますと困りますのでねんのため・・(笑い)

卑弥呼の代までは、列島に「国」の概念はなく、むしろ、その社会形態は「政教分離」であったと見ています。「国」の考えは大陸の考えであり、卑弥呼は大陸の考えに傾斜していったのではと思います。当時出雲の住社会の中心は松江にあり「教」の中心は「大社」であったと見ていますが、わたし素人は大社の設営がなぜ今の位置に?が判っていません。

大社は、素鵞川(そが)と、吉野川の清流に挟まれていたのですね。それらの清流にはゲンジボタル、ヘイケボタル、ヒメボタルと多くのホタルが棲みついているようですが「ヒメ」の名付けが気になります^^!。

大社周辺には色々と摂社があるのですね。私は「なにを奉納したか」と奉納山の名付けに興味があり、そこにある神社名を知りたかったのですが「手斧神社」だったのですね。ありがとう御座いました。この件につきましてはいずれ又・・・、

> 平さんが、この次に給付金を受け取ったら、直ぐ行けば良いだけの事です。

それから、
当方の孫子の代の行く末やら、懐事情まで言及していただいて汗顔のいたりですshanks(^-^!)  ^^

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



488史実探偵: 平 素人:2020/12/31(木) 00:57:35
Re: 北海道東部の重力異常
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000493M.jpg

管理人さまへのお返事です。コメント遅くなって申し訳ありません。

 専門的な分野までもふみこんでおられるのですね^^。
わたしには専門的で重い部分でありますが、かつて釜石馬蹄形を小天体の衝突体だとし、重力異常図に挑戦したことがありましたが求めるような顕著さが見られずそのままになってしまいました・・・

「物質のもつ比抵抗」の件、はじめて知りました^^!。思えば中坊のとき通電の夥多は習っていたのに全く思いつきませんでした(汗〜)>私たち(^^?)の思っている衝突小天体の大きさであれば、核に鉄系金属の保持が考えられ、それが衝突によってどのように変移したり、どのような位置に収まるかは大変興味あるところです。その分布によって重力異常や磁気異常がでるのではと考えていたのですが素人には難しすぎて投げ出していました・・・^^!

「比抵抗」で、地下調査がなされるようにもなっていたのですね。わたしの知る30年前では爆薬による地下地盤の調査でしたから、その調査の一般化には日進月歩の進化があるのですね。私のかかげる釜石小天体もかなりの斜めの進入と考えていますから、管理人さまの上げられている北海道の多くの小天体の衝突も、その境界深度は図からみると5kmより浅いあたりかも知れませんね??。

> 今後は海域を含めた多点で精度の高いデータを取得し,3次元比抵抗構造を求め る努力が必要な時代になってきています

??いずれにしても、その研究所は会社組織のようですから、調査費用がいるのですね。

 ごめんなさい。上げられているご記事・資料のすべては理解できなくて・・・、
次報がたのしみです・・・^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



489青面金剛:2020/12/31(木) 01:08:36
Re: 素鵞川
隠居探偵: 平 素人さんへのお返事です。


 あま=雨=天=海。雨乞山と現在、記してても、元は、天乞山、又は、海乞山と綴った可能性が有ります。
 松江は「水の都」と呼ばれる様に、度々、宍道湖の増水や、意宇川の氾濫に悩まされた歴史を持ちます。
 雨の止むのを祈るのも「雨乞い」の範疇とするならば、そうかも知れません。月や星々の運航を観測したり、天気の好い日は隠岐も見えたと思います。古代の宍道湖は大社の近くまで、広がっていました。

「水の都」松江  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.kankou-matsue.jp%2F

 瓦投げは小さな素焼きの、底の浅い、薄い丸皿を投げるもので、京都の神護寺や琵琶湖の竹生島で投げた事が有ります。
「手斧神社」は、宮大工などの建築関係者、家具職人、木工芸職人、板前さん、水産加工業者、などの技能向上と健康維持、商売繁盛を祈る社です。

 卑弥呼以前に出雲王朝が18代続いた事は、以前に繰り返し説明しました。時間をおいて同じ質問を繰り返し続けるのはマナー違反です。
 近場に住みながら、現地に行きもせず、遠方の側に、思い付きの質問の乱発を、吹っ掛け続けるのも、マナー違反です。

 つぶて島、筆投げ島、古代の宍道湖の範囲、などは、自分で検索して調べて下さい。
平さんが出雲に行くまで、出雲に関する質問は、暫らく「お預け」とさせて頂きます。

 そんなに出雲に興味が有るなら、大元出版の本を読めば好い事です。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.oomoto.net%2Findex.htm

新刊出ました。『上宮太子と法隆寺-伝承の日本史- 』斎木雲州 著 A5版 222ページ 定価 2778円税別 ISBN4-901596-20-6






490管理人:2020/12/04(金) 23:20:04
Re: 北海道東部の重力異常
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへのお返事です。コメント遅くなって申し訳ありません。
>

> 「物質のもつ比抵抗」の件、はじめて知りました^^!。思えば中坊のとき通電の夥多は習っていたのに全く思いつきませんでした(汗〜)>私たち(^^?)の思っている衝突小天体の大きさであれば、核に鉄系金属の保持が考えられ、それが衝突によってどのように変移したり、どのような位置に収まるかは大変興味あるところです。その分布によって重力異常や磁気異常がでるのではと考えていたのですが素人には難しすぎて投げ出していました・・・^^!
>

お返事ありがとうございます。そうですね、通常は大気圏でほとんど溶けてしまうようですが、巨大なものだと、地中深く潜り込む可能性がある、、ここで平さんお得意の衝突後のシュミレーション仮説が役にたつかもしれません。



> 「比抵抗」で、地下調査がなされるようにもなっていたのですね。わたしの知る30年前では爆薬による地下地盤の調査でしたから、その調査の一般化には日進月歩の進化があるのですね。私のかかげる釜石小天体もかなりの斜めの進入と考えていますから、管理人さまの上げられている北海道の多くの小天体の衝突も、その境界深度は図からみると5kmより浅いあたりかも知れませんね??。
>
> > 今後は海域を含めた多点で精度の高いデータを取得し,3次元比抵抗構造を求め る努力が必要な時代になってきています
>

比抵抗の件は興味深く感じてます。真上からではなさそうですね。斜めだとするとひきづったあともみえるはずですし、衝突角を逆算してみましょうか!




491管理人:2020/12/04(金) 23:25:25
Re: 素鵞川
青面金剛さんへのお返事です。


>  瓦投げは小さな素焼きの、底の浅い、薄い丸皿を投げるもので、京都の神護寺や琵琶湖の竹生島で投げた事が有ります。
> 「手斧神社」は、宮大工などの建築関係者、家具職人、木工芸職人、板前さん、水産加工業者、などの技能向上と健康維持、商売繁盛を祈る社です。
>
>  卑弥呼以前に出雲王朝が18代続いた事は、以前に繰り返し説明しました。
>

青面さん、お知らせありがとうございます!

瓦投げ、初見ですが、興味深いですね。
出雲王朝も、気になるところです!出雲方面の銅鐸と、吉野ケ里遺跡の銅鐸の鋳型が同型というところからみて、弥生時代の出雲と北九州との深いつながりを感じてます。

492史実探偵: 平 素人:2020/12/05(土) 03:44:59
Re: 北海道東部の重力異常
管理人さまへのお返事です。 コメントありがとうございます。

> 比抵抗の件は興味深く感じてます。真上からではなさそうですね。斜めだとするとひきづったあともみえるはずですし、衝突角を逆算してみましょうか!

「比抵抗」で、その小天体の衝突地形や“深度”が分れば、衝突塊の総量がわかり、それを丸めれば衝突前の天体の直径も推定できます。それは、科学的な言及へより一歩進むことになりますよね^^。自分には、それができていません^^!

その衝突塊を丸めると、管理人さまが上げられている北海道の多くの候補地や、わたしの掲げている「釜石馬蹄形」もですが、その衝突前の直径が Φ1kmを越すと人類が生き残れていないと いわれている科学の常識^^?を 超えた大きなサイズになると思われるのですが・・・、(わたし素人はその論におおきな異議をもっています) 無論、その衝突が人類の発生とされる 500万年以前であれば別問題となります。

 すでに衝突痕と国際的に認定されているものは別として、新しく「衝突痕」と認定されるには、その認定機関がカナダにあると。岩淵先生から聞いています。それと認定されるには、まずは理解・興味をえて、その人たちを招へいし、その認定を受けなければなりません。その可否はともかく、それにかかる費用はペーパー1枚まで依頼者側持ちのようです^^!。日本で衝突痕と認定されているモノはまだまだ少ないとも聞きます。その前に国内の火口論者の反論も聞かねばならず、・・・このさき長いように感じます・・・(アセアセ^^!)

>「衝突角を逆算してみましょうか!」

 数学計算は、先様のお手のモノ^^。衝突角はもとより、エネルギー総量、スピード(km/S)、温度等々、いろいろありますね。ただ4000年前の竜飛崎や、出雲→速玉ラインを飛んだ巨塊が(朱色)赤かったと祖先は遺していますから、その芯の温度は別として表面温度は7・800℃かなと思っています。このてんから、色々に衝突前の巨大隕石の動画に描かれている姿には大きな疑義をもっています^^。ただし、その小天体が惑星軌道をもっていて太陽直近(ケプラーの法則)の通過の前後であれば別の問題が生じます。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



493管理人:2020/12/09(水) 23:55:20
Re: 北海道東部の重力異常
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

> その衝突塊を丸めると、管理人さまが上げられている北海道の多くの候補地や、わたしの掲げている「釜石馬蹄形」もですが、その衝突前の直径が Φ1kmを越すと人類が生き残れていないと いわれている科学の常識^^?を 超えた大きなサイズになると思われるのですが・・・、(わたし素人はその論におおきな異議をもっています) 無論、その衝突が人類の発生とされる 500万年以前であれば別問題となります。
>
>  すでに衝突痕と国際的に認定されているものは別として、新しく「衝突痕」と認定されるには、その認定機関がカナダにあると。岩淵先生から聞いています。それと認定されるには、まずは理解・興味をえて、その人たちを招へいし、その認定を受けなければなりません。その可否はともかく、それにかかる費用はペーパー1枚まで依頼者側持ちのようです^^!。日本で衝突痕と認定されているモノはまだまだ少ないとも聞きます。その前に国内の火口論者の反論も聞かねばならず、・・・このさき長いように感じます・・・(アセアセ^^!)
>

お返事ありがとうございます。
認定機関がカナダにあるんですね!英訳しないといけないかな・・・。



> >「衝突角を逆算してみましょうか!」
>
>  数学計算は、先様のお手のモノ^^。衝突角はもとより、エネルギー総量、スピード(km/S)、温度等々、いろいろありますね。ただ4000年前の竜飛崎や、出雲→速玉ラインを飛んだ巨塊が(朱色)赤かったと祖先は遺していますから、その芯の温度は別として表面温度は7・800℃かなと思っています。このてんから、色々に衝突前の巨大隕石の動画に描かれている姿には大きな疑義をもっています^^。ただし、その小天体が惑星軌道をもっていて太陽直近(ケプラーの法則)の通過の前後であれば別の問題が生じます。


複雑な計算をするには、やはり機関に任せるしかないですかね・・・。
我々の発見を理解してくれる理系のお友達を探しましょう・・・!

494史実探偵: 平 素人:2020/12/10(木) 10:07:54
Re: 北海道東部の重力異常
https://8220.teacup.com/toraijin/bbs/3274

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



495管理人:2020/12/20(日) 01:33:19
地球球面と図法
平さん、お知らせありがとうございます!
またぜひ岩淵先生ともお会いして、お話したいですね。

古代史掲示板で、図法の件で投稿してみました。隕石の落下ルート解明の件でも役立つかもしれません・・。

/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F11145

496史実探偵: 平 素人:2020/12/20(日) 07:45:56
Re: 地球球面と図法
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000501M.jpg

管理人さま、コメントありがとう御座います^^。
 ご多忙のよし、なによりです。

<鹿島・浅間・伊勢・>ラインを再考されているのですね。

わたしは、先様方が掲げておられる<ライン>が、恥ずかしながらよく分っていません^^!。

土地の私有化が定まっていない古代に(縄文弥生代〜)、何故「その地、その場所」と定めて "聖地”とするには、何かの由・わけがなければなりません。

その始まり(発端)は、いつ(頃)で、だれ(人間)が、なんで、その場所(聖地と)定めたのか??
歴史を識らない中坊ですが、挑戦してみます(汗〜^^!)

> 古代史掲示板で、図法の件で投稿してみました。隕石の落下ルート解明の件でも役立つかもしれません・・。

 ええ、私は上記の考方法で四千年前の東北に降臨した巨大隕石の軌道を割り出しましたよ^^。地球表面、丸平(まるべた^^)その地を聖地と定めたには大自然への驚愕があった!
イースター島(モアイ)→ナスカ(地上絵)→ドーバー海峡(ストーンヘンジ&カルナック列石)→東北地方・大湯(忍路・竜飛崎・大槌)これ等は、地球儀表面で ”一直線上” にあります!!!

 コロナ禍の拡大、心配ですね・・・、どうぞお気をつけて・・・

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



497史実探偵: 平 素人:2020/12/30(水) 08:27:55
北極の小さな島で最後のマンモスが
https://www.businessinsider.jp/post-200261

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



498管理人:2021/01/11(月) 03:22:07
今年もよろしくお願いします。
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000503_3M.png

平さん、青面さん、みなさん、あけましておめでとうございます。昨年も大変お世話になりました。
今年もよろしくお願いします!

マンモスの絶滅年代、気になるところですね。
あれだけの寒冷適応した生き物が死ぬんですから・;・・、単に人間が狩猟をしすぎただけが原因なのか、考えさせられますね。

地球球面による落下方向(クレーター列)のゆがみの件は、どう地図上に現れていくか、シュミレートする必要があるかもしれません・・・・

つまり、隕石が落下していくルートは、23・4度の東北方面へと向かっていったとしても、正距方位図法における東北方面へと向かうはずなので、これをメルカトル図法の地図でそのルートを表現すると、やや北に湾曲したルートになるでしょう。

そうすると、メルカトル図法において、先日しめした図1の隕石落下ルート(クレーター列)のラインも、やや北に湾曲したラインにならなければならないのかな・・・と感じるわけです。

イメージ図も添付しますね。図2のオレンジラインが、その歪みを示した部分です。

図3が先日お知らせした畿内七道ラインの落下予想ルート(石見銀山⇔小豆島⇔熊野大社)ですが、このようにグーグルマップで2つの図法で作成して重ね合わせてみると、片方のルートが湾曲しているのがわかります。このズレを計算にいれて、落下ルートつまりクレーターの中心地点があるべき位置を推測する必要があるわけです・・・。




499管理人:2021/01/03(日) 21:10:44
隕石落下角
興味深い記事がありました。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fnews.yahoo.co.jp%2Farticles%2Fdd570c3766be22a5891c0430c42fe8ff91162359

500史実探偵: 平 素人:2021/01/05(火) 00:21:05
Re: 今年もよろしくお願いします。
管理人さま、皆さま> あけましておめでとうございます。
 昨年は大変お世話になりました。
コロナ禍が早くにおさまり、本年も皆さまにとってお健やかな年になりますように^^。

> マンモスの絶滅年代、気になるところですね。
> あれだけの寒冷適応した生き物が死ぬんですから・;・・、単に人間が狩猟をしすぎただけが原因なのか、考えさせられますね。

 マンモスの絶滅は40余年ほど前でしたか「人類の狩りのため」と教えられ、ソ連からの展示場で見た記憶があります。それには、マンモスの牙をドーム状に組み合わせ住居とした絵もありましたから人類の大なる影響が思われます。その後、子どもの凍結体や、細胞肉や毛やらも見つかってきました。これ等は温暖化で永久凍土が溶け表土近くになったからでしょうか。この度の情報では、「北極の閉じられた小さな島」という特殊な条件があります。それと、「4000年程前の石器時代に!」と「急速に」というワードがとても引っかかります・・・^^?

 情報では、雪の上にいく度かの雨がふり「表土の氷結による食料不足か?」と結んでおられます。実際には、それで千頭単位でトナカイやら、ジャコウウシが死んだ歴史もあるとか。ですが、マンモスはそれ等と異なり巨大な牙と強力な鼻とがあります。アフリカ象ですが、大きな木を押し倒し牙と鼻で枝を折り、その葉を食んでいる映像を見たことがあります。それを考えると雨による表土の氷結説にも幾何かの疑問がのこります・・・、 時もおり、列島では一晩のうち1m〜2mの豪雪がありました・・・

> 地球球面による落下方向(クレーター列)のゆがみの件は、どう地図上に現れていくか、シュミレートする必要があるかもしれません・・・・
> つまり、隕石が落下していくルートは、23・4度の東北方面へと向かっていったとしても、正距方位図法における東北方面へと向かうはずなので、これをメルカトル図法の地図でそのルートを表現すると、やや北に湾曲したルートになるでしょう。
> そうすると、メルカトル図法において、云々・・・・・・、

 先さまは、メルカトール図法を組み合わせて、より詳しく軌道や角度を求めようとなさっておられるのですね^^! その方面はとても苦手です。それに、国土地理院では60年に?一度だったかな経度修正をしてたかな・それに、以前に先さまがあげられた歳差運動やら、何やらの周期を考えあわせると、万年単位の昔になるとお手上げです・・・^^!

<石見銀山 ? 小豆島 ? 熊野>ラインについて、
 このラインについては、わたしもとても興味があります。先さまやキシ先生も?云われていたのかな? この方は、AD560年ごろ(正確に覚えていなくてゴメンナサイ)だから、より追求可能かと思います。岩淵先生も石見銀山に興味を持たれ訪問もなされていました。・・・
わたしの方は、それを少し修正した<出雲市→淡路島→熊野灘>かな?とも思っています。理由として出雲に<石飛>の地名があります。それと神話にイノシシやら、赤ムゲもあることから「出雲大社の御神体は、イノシシ大の隕石塊か?」とお話したことがありました(sigechan izumo氏に)。小豆島も捨てがたいですが淡路島には多数の銅鐸の発見がありました。それというと熊野方面に銅鐸の出土があればいいのですが??(汗〜^^)私は、特に祖先が残した<地名>に注目してきました。これを少しさかのぼりますが、<淡路とか鳴門>とかは、4000年前の祖先が遭遇した東北発の巨大津波を云っている<地名>だとしています。<多度津>もありますしね^^。
このように、その時の言葉や表現は、ともかく、その驚愕を何かに残し記録しておきたいと思うのは当然の事かと思います。そのデブリ(分散塊)を落としながら熊野灘沖に核が落下したかの思いがありますが、まだまだ考えが至ってはおりません^^!。

<管理人さまは>、朝鮮半島の歴史にも詳しいお方^^。このラインの延長上にそのようなイワレや地名があるといいですね。半島の石の上に巨石を載せるお墓の形は「空を飛ぶ巨塊」を模したものかとも思っています・・・半島には「東方神起」もありますしね^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



501史実探偵: 平 素人:2021/01/05(火) 02:49:33
Re: 隕石落下角
https://news.yahoo.co.jp/articles/dd570c3766be22a5891c0430c42fe8ff91162359

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



502史実探偵: 平 素人:2021/01/27(水) 00:37:11
独論:6,500万年前の恐竜大絶滅は南極大陸が衝突惑星だった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000507M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-10.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



503史実探偵: 平 素人:2021/01/28(木) 06:25:22
Re: 独論: 6,500万年前の恐竜大絶滅
     拙:絶版報告書『巨大隕石と大津波』より、
4 南極大陸が衝突大惑星だったら何が起きるか?

?地震と高熱が発生する。
?岩石を含む、大津波(大泥流)が発生する。
?地殻、地表がひび割れる。
?マグマを噴き上げ、火山活動が活発になる。
?粉塵や噴煙が、天を覆い隠す。
?水蒸気を舞い上げ、雷、大雨、大洪水が発生する。
?一時期を過ぎると気温が下がり、氷河紀へと向かう。
?その他の、あらゆる転変地変が起こる。

 その壮絶な光景、壮絶というには余りにもおぞましい状態を想像すると。
当時は無季節で温暖な気候が続いていた。巨大化した恐竜や、シダ類をはじめとする大植物が生い茂り、海には魚類や珊瑚たちが時代を謳歌していた。繁栄の後には終焉、終焉の後には新時代がくるのを誰が知る。安息の夜空に一つの点が現れた。天地は徐々に異常を訴えたが恐竜たちは知るよしもなかった。その不気味な存在は何を意味するのか。しだいに地球に近づいている。このまま進めば地球軌道と交わりそうだ。予兆が始まった。地球は恐れ慄いて震えだした。その巨大な塊は極点に狙いを定めていた。冷たくて白いもので覆われた南極を狙っていたのだ。

 閃光が走り、号砲が成った。あらゆるものが破壊され、あらゆるものが飛び散った。海水はクラウンとなり静止した。次の瞬間、泥海水は狂ったように走り出した。極部で、数千m は越したであろうか。否、それ以上だったかも知れない。・・・・・・

   前記事の<大津波の地球図−1993.9.23>へつづきます・・・^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



504史実探偵: 平 素人:2021/01/29(金) 08:18:22
Re: 独論: 6,500万年前の恐竜大絶滅
前記事[507]の<大津波の図−1993.9.23>の説明(カッコ内は補足です)
 この図には、小さくて見ずらいと思いますが矢印の元あたりに番号をふっています。

    拙:絶版報告書『巨大隕石と大津波』より、

 巨大津波の?は、南米大陸とアフリカ大陸の間の大西洋を小溝のごとく駆け抜けて、北極海へ向かった。(津波と直角にあたるギアナ湾沿岸は、陸地内ではありますがリアス式沿岸に似た様相を示し、その時噴出したアイスランドの南岸は単調であり北岸は流された形をしています。アイスランドに6,500万年前より前の地層はない。面白いことに、こういった地殻を貫入(噴出)した岩体には、その噴出分を補うように凹むことがあり、それが小さくではありますが南東沿岸の海底あたりに見受けられます^^!)

?の南米のブラジル高原を削り取った大泥流の一端は、メキシコ湾に流れ込み北米東部を駆け抜けた。(この赤道越えの北緯17°〜30°あたりはサハラでも前述しましたが津波の力が弱まる所であり、メキシコ湾の海底は堆積土が厚くあることで知られています。近くのバーミューダ海域では砂と共に埋没した陸上物が腐泥しガスを発することがあると謎解きしましたよ。)

?の東太平洋を駆けた大津波は、北米大陸に突き当り、駆け昇った。(ロッキーとフロリダのハの字地形を津波が通り過ぎるとき流れが集まるので表土を削り低湿地帯になると前述しました。ミシシッピー州あたり。)

?のオーストラリア大陸をひと舐めにした怒とうの大津波は、バンダ海に渦をつくりながら東アジア大陸に乗り上げた。(このバンダ海の巨大な渦巻き地形は是非に観て欲しいのですが、その渦巻きにより清水域が出来て深海で棲息していたシーラカンスが生き延びたとしました。類似に、マダカスカル・コモロ海域。ちなみに水深150(160)m以下では津波の影響が小さいとの論説がありました。)

?の東インド洋のものは、オーストラリア大陸のものと一緒になり、タリム、チベットへ溜まりこんだ。(「津波、川を上る」。チベットに塩水湖あり。)

?の西インド洋のものは、マダガスカル北に渦を作りながら、イラン高原という跳び箱に駆け上がり、乗り越えた。(魚たちは中東で今に石油となり、カスピ海南岸のエルブールズ山脈を飛び越えた巨大津波は、そこに滝つぼウオーターホールを作っている。)

そして ?のアフリカ南部を削り取った大泥流は、(前述の)サハラ砂漠を造り、地中海に流れ込んだ。

??大運動会が終わった。地球上の全てを北へ押し流した。山岳や大地や緑を、そして我らが愛する大恐竜をも呑み込んで。海水は引き戻しの余波を残しながらも、平静になるかにみえた。が?? 今度は、地球自身に変化が起きていた。・・・・つづく^^、



http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



505史実探偵: 平 素人:2021/01/30(土) 02:53:15
Re: 独論:6,500万年前の恐竜大絶滅は南極大陸が衝突惑星だった!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000510M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000510_2M.jpg

https://www.gsj.jp/data/chishitsunews/72_02_04.pdf

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



506史実探偵: 平 素人:2021/03/03(水) 06:55:34
巨大津波:タリム盆地に入り込んだタクラマカン砂漠!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000511M.jpg

 <タクラマカン砂漠一帯に、残っている筈のない巨大津波の流紋痕が !! >
   特に、写真矢印の左側下方あたりに、その 流痕跡 が認められます。

6,500万年前、月に匹敵する惑星が南極に衝突し南極大陸となった!! このとき発生した巨大津波は、地球の90%以上をカバーし、驚くなかれタリム盆地に入り込みタクラマカン砂漠となっていた。その「残っている筈のない津波の流紋痕」が、この一帯に、じつに克明に残っている。→それを Google Earth で確認できます^^。

 先端科学は日進月歩書き改められている。このようなビッグイベントは、現存の科学的概念を刷り込まれていると天動説中の地動説のように拒否反応が働き現実を受け入れることが出来ない。(ちょっと言葉がすぎましたかぁ(^-^!)? わたしの場合は、その学識がないことが幸いしてます^^!)
私たちは、そのことを “信じる” のではなくて、そのことに “気付くこと” が大切だ。「信」の字は人が言うと書く。人が言うことほど 'アテ’ にならないことはないからね(笑)。引き続きのゲーム感覚で楽しんで頂ければ幸いです。・・・つづく ^^! ・・・
   ↓ Welcome to my Big Game^^.

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-15.html



507史実探偵: 平 素人:2021/02/09(火) 19:10:10
南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000512M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html



508史実探偵: 平 素人:2021/02/11(木) 05:43:43
Re: 南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000513M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



509史実探偵: 平 素人:2021/02/12(金) 18:34:41
Re: 南極大陸は6,500万年前の衝突惑星だ! -7
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000514M.jpg

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-64.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



510史実探偵: 平 素人:2021/02/14(日) 02:23:17
New discovery of lava meteorite!!「ツインズ熔岩隕石」Collision scar Φ400m
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000515_3M.jpg

What is this trace? I ask you.

   “Twin's Lava Meteorite Scars”  East side of Takla Makan Das. Qinghai,China
 その『ツインズ熔岩隕石;仮称』の位置は;中国青海省ゴビ砂漠西部の辺りにあります。
     北緯38度22分30秒、東経90度34分52秒 (N38°22′30″ E90°34′52″)
     標高(Elevation) ;  (3,016 m)
 その大きさ(Size) ; 中心部(Central)に、ほぼ (Φ100m x2)の円形が二つ並んでいます。
       (放射状の衝突痕のサイズは、 直径約 (Φ400m x2)が二つ重なっています)
 その深さは(Depth) ;  約(d.10m)です。

   Yahoo!地図(1図)でも、移動すれば発見けることが出来るかも知れません^^。
     衝突痕の下側にある二つの濁流痕 (Muddy stream marks x2) にも注意して下さい。

Just now,(Sept.02,2013)??I discovered secondary astrobleme of the iron pawn which collided in the western part of Gobi 65 million years ago. I call it an “Twin's lava meteorite” tentatively. The Antarctic Continent where I press-agent the first collision planet from 30 years ago is a huge meteorite of 65 million years ago.
I announcing it the Antarctic Continent size meteorite as big game 1&2 of my blog. The trace of the 90% huge Tsunami which covered the surface of the earth of 65 million years while is long, I am amazed to know that stay in the desert. If the Tsunami trace is left for a long time; the; while was long, there should have been the fall of other meteorites by all means. The secondary lava meteorite trace was caught in it when I looked for Gobi area using Google earth. It is the next photograph.
 You attention to the two muddy-stream traces on the side.

     http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-68.html
       誰でも<Google earth>で隕石痕を発見けることが出来る。
     http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-69.html
       誰でも「隕石痕」の発見が出来る!,の続き

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



511管理人:2021/02/20(土) 01:09:48
超古代文明について
興味深い動画ありました
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DK5vT4gmtjuM

512史実探偵: 平 素人:2021/02/20(土) 06:58:51
Re: 超古代文明について
https://www.youtube.com/watch?v=K5vT4gmtjuM

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



513史実探偵: 平 素人:2021/03/07(日) 05:18:55
Re: 新発見!!「ツインズ熔岩隕石痕」Φ400m周辺
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000518_3M.jpg

https://www.wikiwand.com/zh-tw/花土沟?

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



514史実探偵: 平 素人:2021/03/09(火) 01:43:40
巨大隕石痕Φ400mを新発見!! 中国青海省 in Yahoo!地図で!!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000519M.jpg

What is this trace(ツインズ熔岩隕石痕)? I ask you. (↑写真はGoogle Earth)

> Yahoo!地図で、日本から移動しても見つかるのかな^^???
  Yahoo!地図(の航空写真)でも見つけることが出来ましたよ^-^♪。
    貴方も、この<衝突痕>を世界へ発表して鼻高さん^^になりませんか^^?

Yahoo!地図でも発見けられるということは、PC,やっている人なら、その気になれば^^誰でも見つけることが出来るということですよね。以前に、この記事をnature>や、その他の機関に、この報告書を送ったことは、この掲示板でも申し上げました。nature>を除いてすべてが無しのツブテ^^!でした。世界中で誰もが相手にしてくれません。だから鼻高さんになれるのです♪。世界中で貴方さましか、この衝突痕の重要性に気付いていないのです。この痕跡が火山口か隕石の衝突由来かは全く別にしても、この地形が『衝突痕』であることは、万人が否定できません!!!

この衝突痕には、次のような<特異性>があります。
?約Φ400mの、そこだけが赤色化している。Yahoo!,Google Earthで誰もが発見できる。
?周りの状況や地勢からして火山性の原因とは考えられない。
?中心部に直径100mの凹地が二つ並んでいる。
?そして、その凹地を中心にして放物線条痕が、北東方向に二つ重なっている。
?中心部の凹地二つの底が、シャーレー状約10m深さで、ほぼ平になっている。
筆者は、その痕跡がロート状ではなく際立ったリムがないことから柔らかい(熔岩性)物体が衝突したとしました。
?世界中で(私を除いて)誰もが発表していない!?

 < あなたも鼻高さんになって、>
この痕跡の希少性と重要性を世界に広げていきませんかぁ?? わたし素人は、この記事に限っていえば、著作権等の問題に関して、まったく意に介しません。(但し、写真は自己責任で!) この記事の、助詞のひとつ!  語句のひとつを変えて発表しさえして下されば、もはや、その報告書は、皆で共有できます !!!。 □

<その衝突痕の見つけ方^^>
?Yahoo!地図・航空図をクリックして、アジア大陸に縮小して、タクラマカン砂漠の東部あたりにカーソルをもっていく。
?そこを少し拡大すれば、筆者がコモドドラゴン形に似ているとした〇〇湖を中心にして三つの湖が/状に並んでいます。
?その、いちばん右の笑い目状をしたGas Hu(ガス湖)は、小さいので少し拡大したほうが良いかも知れません。
?さらに拡大していくと、ガス湖の近くに茫崖(ぼうがい)の地名が出ます。続けて花土溝 鎮(町)も出てきます。
?そこから大きく拡大していくと、西北西に延びる丘陵地がありますから、その <約27km>先 に求める <衝突痕> が現れてきます。・・・どうでしたか?  Google Earthより、すこしぼんやりとした色のようですが^^!。□ 見つかったら、この掲示板でも知らせて下さいネ^^。

<これより以下は、素人探偵の独論です^^!!>
 この写真の下半分に5〜6の扇状痕がみえます。扇状地の成因は多量の水泥が一気に開ける地形に出たとき出来るのですが、このあたり一帯にも多くの扇状痕跡があります。それも捜して下されば幸いです。
 筆者は、この成因を『川が無いのに扇状地!』とし、例として、岩手県の胆沢扇状地をあげています。この地形の成因は、連なる平たん斜面にたいして直角に大津波が上り、下りおりる時、より低い所に集まり溝を深く削りながら、その麓へ濁泥土を扇状形に置いたと解しています。このように上流に「川が無いのに扇状地」が出来る地形は、経年で出来る扇状地と異なり津波のような短時で大量の水泥がないと出来ません。日本の祖先はその津波のことを<篠津>篠垂れ状態であったとか<垂水区>水垂れであったとかの地名として遺しています。貴方さまに問います。それ等の地形の上流に、その扇状痕をつくるだけの降水域と土量が認められますかと!!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html



515史実探偵: 平 素人:2021/04/19(月) 06:00:03
中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000521M.jpg

   (↑照片是Google Earth)

在Yahoo! Map和Google Earth 新發現的巨大碰撞軌跡Φ400m!
 目前:中國青海省茫崖市花土沟鎮 西北約27公里(315国道)
 (当前是2021年4月19日)世界沒有人認識嗎?

您是否要找到此<碰撞標記>並將其發布給全世界^-^? 為了學術進和旅遊促進
這是什麼痕跡?(臨時名稱:Twins熔岩隕石標記)我想知道細節 □


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-69.html



516管理人:2021/05/29(土) 17:06:26
お知らせありがとうございました。
平さん、ご無沙してます。岩淵先生の訃報のお知らせありがとうございました。

私もショックで言葉が出ない感じです・・・・、生きておられるうちに一度お会いしたかったのですが、残念です・・。コロナ禍、体調不良で、なかなか遠出できないまま、時間が過ぎてしまってますが、また平さんとも、お会いできること期待してます。札幌に来られることがございましたら、一声かけてください・・・。

517史実探偵: 平 素人:2021/05/30(日) 07:18:35
Re: お知らせありがとうございました。
http://www.tankonews.jp/modules/bulletin1/index.php?page=article&amp;;storyid=429

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html



518青面金剛:2021/09/06(月) 06:12:01
後南朝正統天皇家御所と三種の神器
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000524_3M.jpg

https://gyokuzan.typepad.jp/blog/2019/09/後南朝.html



519青面金剛:2021/09/07(火) 18:57:59
三休み山から真東へ連なる神社群
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000526_3M.jpg

https://www.jinja-net.jp/jinjacho-okayama2/jsearch3okayama.php?jinjya=6693



520ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/08(水) 02:33:49
Re: 後南朝正統天皇家御所と三種の神器
青面金剛さんへのお返事です。

> ※ 古代史掲示板では、直ぐに多コメントで、下げられてしまうので、こちらに『保存版』として、再投稿させて頂きます。
>

おつかれw

> ※ この記事への返信の際の、引用文は、必要最小限に短縮される事を、厳守される様、希望します。直前ならば、引用文は不要です。
>

ごもっとも!
だが、守るやつはいないw

521ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/08(水) 03:31:36
Re: 中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。


あ、青海省関連掲示板はコチラですか?



> ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさまへのお返事です。
>
> > 史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。
> > 史実探偵: 平素人さんもおるのか。平素人には何を教えてあげよう?
> > じゃあ、私の「DNAクラン」が韓国に見付かったことをお話してあげようか。
> >
>
> 初めまして・でもでもないような気がいたしますが、素人探偵の邪推とお捨ておきください~~!。
> 先に<オンリイ-2>の岩淵先生をなくしましが、わたしのような現学にない暴論奇論にかかわって下さる方は30数年来、世界で片手指数に満ちません^^! 思いもよらない貴方さまからの御教示ありがとうございます。ですが,中二症(×病^^)程度の学識の素人には、先様方のようなレベルの高い投稿には「にゃんこに小判^^!」です。それがこの掲示板へ投稿できない理由のひとつです^^!。
>
>  この掲示板でも、かつて理系に興味をもっておられた方がおられますよね。現在の先様は中国で厚遇されているごようす喜ばしいかぎりです^^。中国は50年、100年先を見据えての政治が行われる国。産業科学の先導は兵器開発ときいたことがあります。未来にDNA工学が対象相手をやっつける為に使われはしないかと危惧するのはわたしだけではないと思います。
>
>   渡来人研究とはまったく別の話^^?になりますが。
>   中国の人脈をお持ちの先様に提案があります。
> 『巨大津波と大隕石→隕石の冬(1〜2年のうちに半球で平均気温 10℃以上の降下→民族の移動)』を唱えている素人探偵ですが。Google earthで青海省のあたりの巨大津波の痕跡を調べているときに下記のようなΦ400mの隕石痕が見つかりました。拙文ですが国内はもとより米、英国。最近では中国科学院と隕石調査の〇先生にも送りましたが、natureで「他紙で取り上げられる予感」が唯一の返信(笑い)。こんなに分りやすく、しかもGoogle EarthやYahoo!地図で誰もが見つけることができる<衝突痕跡>なのに誰も相手にしない^^!。 逆にいえば「相手にされないほどの希少性あり」・・これから先は先様でどうぞ、いきぬきに^^?・・・(笑い)。
>
> 古代科学史掲示板
> [521] 中国青海省 新發現的巨大隕石?撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map &; Google Earth上
> 投稿者: 史実探偵: 平 素人 投稿日:2021年 4月19日(月)06時00分3秒
>
>    (↑照片是Google Earth)
>
> 在Yahoo! Map和Google Earth 新發現的巨大?撞軌跡Φ400m!
>  目前:中國青海省茫崖市花土?鎮 西北約27公里(315国道)
>  (当前是2021年4月19日)世界沒有人認識??
>
> ?是否要找到此<!--?撞標記-->並將其發布給全世界^-^? 為了學術進和旅遊促進
> 這是什麼痕跡?(臨時名稱:Twins熔岩隕石標記)我想知道細節 □

522史実探偵: 平 素人:2021/09/08(水) 05:45:55
Re: 中国青海省 新發現的巨大隕石碰撞軌跡Φ400m在Yahoo! Map & Google Earth上
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000529M.jpg

ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさんへのお返事です。


> あ、青海省関連掲示板はコチラですか?

ええ、こちらです^^。この掲示板は、渡来人研究の「歴史掲示板」の管理人さまが設えて下さった掲示板で上部で繋がっていますが、一日の閲覧者数がかたや40~200に対し、こちらは2~3なのでご注意を^^!。青海省・隕石衝突痕関係は[518]あたりに投稿しています。

> > ワタクシも、世界中の人々が系統DNA解析で再認識している、国境や民族を超えた繋がりの輪に、島国出のハンデがありながらもやっと入り込めたという感じです。セーフ!w

・ですよね^^!。日本の報道でもアメリカのは、すぐ入ってくるのに青海省の"隕石雨"はどこに・・・^^!。学問に国境はないはずなのにねえ。さらに、このジャンルの関心度は極少(^^)。本業は本業として、たまには少年心(こどもごころ)にかえって遊んでみませんか^^?

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



523青面金剛:2021/09/08(水) 07:57:23
速玉大剣(はやたまおおつるぎ)の眠る里
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000530M.jpg

https://www.okayama-jinjacho.or.jp/search/19579/



524史実探偵: 平 素人:2021/09/08(水) 08:37:03
竜は隕石 竜は神!
それを竜と呼んだら伝説で、巨大隕石と言ったら科学ですか。それが科学ならナンセンス^^。竜画は四千年前、東北に光臨した巨大隕石をそれと聞き及び大陸人が<モンタージュ>し逆輸入したものだ。(平 素人)

 青面金剛さまへのお返事です。

> 三休み山(宮住)の周辺にも、古代『大倭(おおやまと)』の秘宝が、眠っているのでは、 無いかと考えます。

三休み山は、(宮住)なのでしょうね。賛同します^^。そして、二上(ふたかみ)山もあるのですね。ますます「ひと山越えてえ 二山越えて 三山のまえでぇ」 さらに(みやま・深山・美山・海山・宮間・御山・宮山)と重ねると、祖先の考えた歴史が見えるような気がします。そこに封印されているであろうお宝が発見かるといいですね^^。

 このように民話伝承や、現在の私たちが成している慣習から史実を探るのが素人探偵のやり方です。

さらに、「大鯰・おおなまず」は、中国では「鯷・大鮎?」と書くそうですね。中国では大地震の予兆が自然界の生物(鳥・犬・魚・等)に現れるとして、大震災後の日本に、その共同研究をもちかけたが日本は、それを断った。(笑い) 古来中国ではナマズを飼って地震予知を占っていた^^?。

徐福の一回目の東海出航は<秋の収穫>を済ませた台風時期(大鯨)に重なり大破した。始皇帝は、東海の荒神(地震の巣→大津波と台風)なにするものぞ! それを恐れていては民に示しがつかないとして、徐福に二回目を・・・、

 さきに千年前の大津波の跡が千葉県の浜でその痕跡ありとのニュースがありました。太平洋プレートの潜り込みストレスの解消は、約千年おきにあるのでしょうか。なかでも一番おおきなものは、当方と故岩淵先生が提唱する四千年前の東北に降臨した巨大隕石を引き金として、列島のすべての<ストレス>を解消するものでした。岩淵先生は、そのときの巨大津波で良渚文明が滅んだとされています。朝鮮半島にも津に関係する地名がありますよね・・・。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



525史実探偵: 平 素人:2021/09/09(木) 01:13:20
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さまへのお返事です。

詳細な情報ありがとうございます。しかしながら、そのすべてを消化しきれない自分があります^^!

流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉→鉄隕石→隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらにその投稿をしたことがありますが^^!、星屑が集積し惑星へと肥大してゆく過程で、重いものから順番に中心域へと沈みこむのが順当ですが、鉄はアルミに次いで存在量が多いのでいちはやく中心域へ集まります。その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。・・ので斬鉄剣^^。スイスのアーミーナイフは、飲缶等なら易く切れますね^^。スエーデン鋼、ゾーリンゲン鋼は惑星衝突でその内部核がリム化したものではないでしょうか。国内では、先様の思いのとおり出雲→備前→神戸→堺→速玉神社ラインに隕鉄の飛散があったのでしょうか。これらの古来製鉄は既知のとおりです。

次に【お宝の封印】については以下のような図式を考えています。
                         (美唄)ビリパリ衝撃波 ↓ (竜飛崎)
                       BC2001/12/25の未明に東北大隕石(大槌)
         北                   (面白山)/ 閃光(千光)
        西 東             (朝来町)地震波・巨大津波(津の地名)
         南             直後の滝爆雨/(隕石の冬1・2年で 12・3℃降下)
                      慈雨<荒神>竜← (大陸人がモンタージュ画)
                       銅鐸雨乞い文化
                    (銅鐸は荒神を呼び寄せ乗り移させる媒体)
             卑弥呼が、全天を覆うほどの彗星を”退散祈祷”でニアミスに^^!
 荒神は太陽神(主神)のお使者彗星(従神)説唱える
銅鏡文化へと変換 → 雨乞い生け贄を伴う銅鐸文化の急速な衰退
  卑弥呼・寄集めた銅鐸の封印(後になったものあり)

 以上のような位置関係構図から丑寅の方角の荒神様は要注意!
卑弥呼1700年前の当時(冬至)の日の出時の閃光(=荒神)は、地球の歳差運動を考えるとほぼ真東であったと思われますが、今の日の出は時計回りに∠23° ∠24°移動しています。
卑弥呼以前にも新しく入手した銅鐸へ、環状木柱列(ウッドサークル)で<冬至の旭光を入魂>していたと謎解きしました^^!

    【 お宝関係図^^】
                      人里から徒で半日ほど離れた奥山
                   (金)屏風岩→<※基点>冬至旭光の当たる山の中腹
          西方から南西方向    ←   封印する銅鐸(&お宝)
              二山越えたおよそ一里(一離)約4km?
   (亀石)重石岩(×千木)
大量の剣類(その剣、二度とその荒神に持たせてはならない!!)
 後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。

このセンで絞ると先様(青面金剛さま)の考えは、いいセンいっておられると思います。
そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



526ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/09(木) 04:18:14
Japonic
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000533_3M.png

青海の斉家文化の古人骨では私のミトコンドリアDNAハプログループG3a2(金蝉口遺跡, 2000BC)が、甘粛の斉家文化の古人骨ではO-ACT7481-F2137(磨溝遺跡, ~2000BC)が出ているので、甘青地区は私にとって非常に重要である。

大陸・朝鮮半島から日本列島への足取りが考古・言語・DNA的に掴めれば先ずは良い。私の男系祖先は原日本語集団であるが、諸君は違う。君たちの男系祖先は朝鮮半島または日本列島で日本語集団に同化されたに過ぎない。しかし、「日本人はどこからやって来たのだ」と聞かれても、これからは胸を張って答えるが良い。「私たちが同化された日本語集団は遼河流域から来ました」と(笑)



527青面金剛:2021/09/09(木) 21:36:22
Re: 竜は隕石 竜は神!
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

> 流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉;鉄隕石;隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらに投稿したことがありますが^^! その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。
> 荒神は太陽神(主神)のお使者(従神)説
>  後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。
> そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!

☆★☆彡 【『宮山古墳』の『奥大谷』側である、周りからは見えにくい、南東斜面の窪地に、銅鐸か八咫鏡か勾玉が埋まってる。良懐親王の墓から、真北の線上か?!! 】

◎ 宮山古墳の東南側の発掘計画を進めるに当たっては、一番の障壁に成りそうなのは、平さんの「生贄」「人身御供」の記事に対して、岡山県内の各大学の民俗学の先生方や、岡山県内の各市町村の生涯学習課・教育委員会、観光課などからの、強い嫌悪と反発が予想され、発掘計画案に、反対を意思表示され、発掘が大幅に遅れる事です。

 平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。

 『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。

★ 出雲の荒神と銅鐸の話も、再三に渡って、私の方から指摘済みですし、「生贄」「人身御供」は、秦氏と物部勢力が日本に持ち込んたものです。

 出雲の『幸の神三神』信仰は、陰陽石で御分りの様に、子宝と子孫繁栄を願うもので、「誰かに犠牲を押し付ける」、発想は有りません。

 平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。

 発掘計画が進められる過程で、岡山県内のテレビ局や地方紙、地方雑誌が、平さんの記事をスキャンダルネタとして取り上げた場合、その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です。

 平さんがパソコンの操作も覚束なくなった時にも、御子さん方に、パソコン内の記事を読まれてしまうだろうし、身内にさえ見せられない代物は、今の内に削除する分別は付けるべきです。






528ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/09(木) 23:08:03
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さんへのお返事です。

> 史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。
>  平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。
>  『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。
>

うわっ、すごい上から目線。何勘違いしてるのか…この人?

529青面金剛:2021/09/09(木) 23:44:42
Re: 竜は隕石 竜は神!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000536M.jpg

ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさんへのお返事です。
「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。
> うわっ、すごい上から目線。何勘違いしてるのか…この人?

★ 民俗学の入門書には、民俗学を進める上での、幾つかの厳格なルールがあって、それを理解しない、学生や若い研究者には、厳しく指導されます。ルーツはんは民俗学の基礎も分からない様ですな。



530ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/10(金) 08:29:50
日本人と日本語のルーツ/日本語系統・形成論
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000537M.png

青面金剛さんへのお返事です。

>★ 民俗学の入門書には、民俗学を進める上での、幾つかの厳格なルールがあって、それを理解しない、学生や若い研究者には、厳しく指導されます。ルーツはんは民俗学の基礎も分からない様ですな。
>

へぇ〜、そうなんだー、歴史掲示板の投稿を見る限り、ネトウヨ系の妙な経歴の人物の著書に影響されてるようだから全然説得力ないけど?(笑)

日本語系統・形成論
1. 渡来人の出自、日本人と日本語のルーツと言い換えても良いが、その原郷と私個人との関係については歴史掲示板で論じて来た通りで十分だろう。

平素人さんもいるから一応おさらいすると、日本人と日本語の原郷は遼河流域の偏堡文化圏にあり、Y染色体DNAハプログループ的にはこの付近の古人骨で良く出ているO-M117〜F2137が重要である。これにN1、C2を加えて「日本語集団」として良い。

ここ4ー5年の考古学と言語学との学際的研究成果によって「我らが日本語」(諸君は除くw)の原郷が、山東・江南の稲作文化圏ではなく、「遼河流域の偏堡文化圏」にあることが分かって良かった。計算言語学的研究では時折日本語とオーストロアジア系言語との類似が指摘されていたから、正直、日本語が東南アジア系の言語なんて格好悪いなと思っていた。

(ちなみに、諸君はその辺りどう感じるのかな?悪気はないんだが、言語的に同化されてしまったハプログループを持つ人的にはどんな気分なのかな?と、純粋な疑問...。)

2. 日本語の系統・形成に関して以下の2つが考えられる。
(1)??日朝語族
・日本・高句麗語派(Beckwith)<--基層にオーストロネシア語(Itabashi), 基層にオーストロアジア語(Vovin)
・・高句麗語群-->死語
・・日琉語群<--ツングース語の影響(Itabashi)
・朝鮮・高句麗語族派(Vovin)
・・高句麗語群->死語
・・朝鮮語群

(2) 日本=トランス・ヒマラヤ語族(Nishida, Yanhunen)
・日本語<--高句麗語、朝鮮語から影響
・トランス・ヒマラヤ語派

日本語の系統については日本の研究者は皆んな諦めていて、まともな言語学者なら触れてはいけないみたいな雰囲気が、その代わり、最近では、欧米の研究者による「緩い基準」でのアプローチが盛んになっている。たしかに、日本語の系統についてはある程度緩く捉えて置くしかないだろう。印欧語族やウラル語族、オーストロネシア語族のようなレベルでの完全立証は困難だ。

3. 私は、西田龍雄の「日本語・チベット語族仮説」とユハ・ヤンフネンらの日本語形成仮説の折衷として、日本語はシナ・チベット語を根幹に、高句麗語、朝鮮語などに影響を受けつつ成立したと考えているが、板橋義三の「日本・高句麗語族」に関する最近の論考を読んで、こちらにも心が揺らいで来た(笑)

板橋は、厳密な比較言語学の手法ではなく計算言語学的な方法を多様しているようだが、日本語と高句麗語とは、ざっと見る限り、口、水、数詞(3, 5, 7, 10)、白、黒、うさぎ、谷、「〜の」などが非常に良く似ている。高句麗語と日本語、朝鮮語との間にも類似が見られるが、たしかに高句麗語と日本語の方が互いに良く似ているようだ。また、彼によると、朝鮮語族と日本・高句麗語族も古い時代は系統関係を持つ可能性があるという。

さらに、板橋義三が主張するように「日本・高句麗語族」の基層にオーストロネシア語族があるのであれば、ローラン・サガールの「シナ・オーストロネシア語族」仮説に近付くが、ここまで行くと緩すぎという気もする。



531ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/10(金) 22:14:31
どこが気に入らないの?最高じゃないか。これで十分!!!
青面金剛さんへのお返事です。

1. 考古学的に日本語集団の原郷は遼河流域の偏堡文化にあり、

2. 彼らは朝鮮半島の無文土器文化を担い、紀元前1000年頃から日本列島に進出、

3. 古人骨と現代人のハプログループ・データから、私の祖先の、遼河流域から朝鮮半島への移動経路が確定。

4. なお、君たちの祖先は残念ながら漁民か採集狩猟民で、我々の日本語に同化された。

この事実のどこが気に入らないの?最高じゃないか。これで十分、タミルだのインドだの余計な妄想必要なし。無駄なことばかりして、バカジャナイノ?

532ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 04:43:01
「中国人認定」「朝鮮人認定」の矛盾は、既に考古・言語・DNA的に明らかにされている。
青面金剛さんへのお返事です。

「中国人認定」「朝鮮人認定」の矛盾は、既に考古・言語・DNA的に明らかにされている。

「中国人認定」でも「朝鮮人認定」でも勝手にすれば良い。こちらは既に島国根性や民族主義を超えたところにいる。日本人は大陸から半島を通ってやって来たのであり、黄河文明・遼河文明で言えば我々日本人は「中国大陸人」、無文土器文化で言えば「朝鮮半島人」なのである。

旧石器・縄文人と渡来人、どちらが「日本人性」において「真正な連関」を有するか。当然コチラ側に決まっている。日本人ゲノムの9割をもコチラ側が占め、日本語も、稲作文化も、古代日本の国造りも、すべて渡来人の属性に帰する。あ〜、何という心地良き潔さであろう!笑

こういうバランス感覚ある境地に達することができない諸君が哀れでならないが、私がここにいることで諸君は自動的に採集狩猟民か漁業・園耕民のY-DNAハプロを持つのであるから、Yハプロ的に既に"真の日本男児"たり得る資格をも喪失しているのである!チーン

533ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 05:30:34
平さん、出雲観光協会?に相談したらどう?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000540M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000540_2M.png

青面金剛さんへのお返事です。


以下の部分、これって、脅迫だよ。私人間の表現の自由の制約。
他者の表現の価値を否定して、自分の意思を強制しようとする人ってどうなの?

ええ、第三者から見ても、脅しによって強制しようとします!
平さん、まずは出雲観光協会?に相談したらどうでしょうか?
出雲観光協会
〒693-0008
島根県出雲市駅南町1?5
ビッグハート出雲内
営業時間 8:30〜17:15
(日曜定休・日曜日が祝日の場合は翌日)
TEL0853319466
FAX0853319499
MAILお問い合わせフォーム


私も青面金剛さんから根拠のない「中国人認定」や「朝鮮人認定」を執拗にされ、人間としての尊厳が傷付けられ、実害も蒙りました。…人の自由を制約し自らの意思を強制する人も、人種や民族の違いに基づいて人を傷付けるへイトも、絶対に許せないですね!

とくに「・・・根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります」と「・・・その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です」、この部分アウトです。

つまり、平さんにある行動を強制し、それが成し遂げられなかった場合には、「平さんおよび子、さらに孫にまで危害を及ぼす」と言っています。




> 史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。
>  平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。
>
>  発掘計画が進められる過程で、岡山県内のテレビ局や地方紙、地方雑誌が、平さんの記事をスキャンダルネタとして取り上げた場合、その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です。
>
>  平さんがパソコンの操作も覚束なくなった時にも、御子さん方に、パソコン内の記事を読まれてしまうだろうし、身内にさえ見せられない代物は、今の内に削除する分別は付けるべきです。




534青面金剛:2021/09/11(土) 07:37:02
民俗学は古代史に隣接する学問分野です
ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツさんへのお返事です。

> 以下の部分、これって、脅迫だよ。私人間の表現の自由の制約。
> 他者の表現の価値を否定して、自分の意思を強制しようとする人ってどうなの?
> とくに「・・・根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります」と「・・・その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です」、
> つまり、平さんにある行動を強制し、それが成し遂げられなかった場合には、「平さんおよび子、さらに孫にまで危害を及ぼす」と言っています。

★ ルーツはんは、そちらに長く滞在してる為に、日本語の読解力が、低下してる様ですね。
 岡山県内の地元テレビ局や新聞社や雑誌社の取材で追い回されるのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方との意味です。

ルーツ君は華大基因(BGI)から、飲食の接待を受けている存在です。

★ 平さんの生贄・人身御供の記事は、民俗学の基本である、「地道なフイールドワークの積み重ねに拠って、解明されるべきもの。」の原則を踏み外して、単に地図を眺めて、地名から勝手な妄想で、生贄・人身御供を憶測して、全くの創作話を綴っているだけです。

 私の方からは、再三に渡り、それは違いますよ、と説明を重ねているにも関わらず、それを無視して、出雲の荒神谷遺跡や加茂岩倉遺跡へ、「根拠も無い風評被害」を、平さんのプロパガンダ宣伝として振り撒いている、のは迷惑千万なのです。

★ ルーツ君は、民俗学の入門書も読んだ事も無いし、民俗学の先生方の講演会やセミナーも聴きに行った事が無いのでしょう。

 何回か聴きに行っていれば、『民俗学で守らなければ成らない鉄則』が教えられます。
民俗学は「被差別」「支配者側と被支配者」「先住側と侵略者側」などのデリケートな問題をも扱う為に、決まり事が多いのです。

 もし、若手の研究者で、この決まり事を踏み外す輩が居た時は、厳しく指導され、違反行為が重なった場合は、民族学会の会員資格を取り消される、等の処分を受けます。

☆ 民俗学の手法は、地道なフィールドワーク『現地を廻りながら、様々な資料(聞き取りや伝聞含む)の積み重ね』の集大成であり、平さんの様に「机の前で地図を見ながら勝手な妄想を重ねる。」のは邪道の極りに他なりません。

☆ 民俗学では、資料に勝手な「創作」を加えるのは厳禁です。資料の捏造に当たり、検証から外れてしまいます。「創作」を一つでも加えようものなら、それは、「低俗な、覗き趣味の代物」に落ちぶれてしまいます。

☆ 民俗学では、丁寧な論理の積み重ねが基本であり、論理の飛躍した「暴論」や「勝手な思い込み」や「こじ付け」や「曲解」は許されません。
 平さんも鎌の刃を研ぐのは「××を殺める為」では無いでしょう。「〜と確信した」も勝手な思い込みと決め付けに、他なりません。

☆ 民俗学のルールを理解しない学生や若手研究者には、厳しい指導が行われます。民俗学の入門書すら読まず、地元の研究者方の話も聞かずに、独学で進めると、道を踏み外す事に成ります。

 岡山民俗学会  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fokayamaminzokugakkai.web.fc2.com%2F

 山陰・出雲の郷土出版のハーベスト出版  /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.tprint.co.jp%2Fharvest%2Findex.html



535ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 09:15:29
Re: 民俗学は古代史に隣接する学問分野です
青面金剛さんへのお返事です。

えーと、お前の、人に特定の民族や特定の機関所属のレッテルを貼る行為な、私が精神的損害の診断書持って行き実害を証明すれば事足りる。とても面倒くさいことになる。いいから謝罪しとけ。

536史実探偵: 平 素人:2021/09/11(土) 17:27:15
竜は隕石 竜は神!-2
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-1.html



537ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 20:57:58
Re: 竜は隕石 竜は神!
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

隕石の話しはする気はない(笑)
あ、青面がこっちに逃げて来たので追って来た!w

538ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 21:14:23
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さんへのお返事です。

はは、なに投稿編集しとるの?コピー取ってあるのわかってるだろ?

> 史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。
>
> > 流星刀のお話おもしろく伺います。わたしも、<速玉;鉄隕石;隕鉄刀剣>の思いがあります。掲示板のどこやらに投稿したことがありますが^^! その結果、重力をうけた鉄は緻密化していきます。このような鉄が隕鉄となれば、通常に私たちが目にしている軟鉄とは異質で硬い鉄となると思われます。緻密がゆえに酸素分子が入りにくいのでサビにくい。
> > 荒神は太陽神(主神)のお使者(従神)説
> >  後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり、土中保管説単体のままの出土もあるようです。
> > そのお宝が出土するのを楽しみにしています。光陰矢の如しについては別の機会に・^^!
>
> ☆★☆彡 【『宮山古墳』の『奥大谷』側である、周りからは見えにくい、南東斜面の窪地に、銅鐸か八咫鏡か勾玉が埋まってる。良懐親王の墓から、真北の線上か?!! 】
>
> ◎ 宮山古墳の東南側の発掘計画を進めるに当たっては、一番の障壁に成りそうなのは、平さんの「生贄」「人身御供」の記事に対して、岡山県内の各大学の民俗学の先生方や、岡山県内の各市町村の生涯学習課・教育委員会、観光課などからの、強い嫌悪と反発が予想され、発掘計画案に、反対を意思表示され、発掘が大幅に遅れる事です。
>
>  平さんが、まだ目の黒い内に、出土物を目にしたいのならば、平さんのブログから、「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除願います。
>
>  『「生贄」「人身御供」の記事は、全て削除し終えた。』との前提で、私の発掘予想の仮説記事を、平さんのブログへ転載する事を許可します。
>
> ★ 出雲の荒神と銅鐸の話も、再三に渡って、私の方から指摘済みですし、「生贄」「人身御供」は、秦氏と物部勢力が日本に持ち込んたものです。
>
>  出雲の『幸の神三神』信仰は、陰陽石で御分りの様に、子宝と子孫繁栄を願うもので、「誰かに犠牲を押し付ける」、発想は有りません。
>
>  平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。
>
>  発掘計画が進められる過程で、岡山県内のテレビ局や地方紙、地方雑誌が、平さんの記事をスキャンダルネタとして取り上げた場合、その被害を被るのは、平さんよりも、平さんの御子さん方や、お孫さん方です。
>
>  平さんがパソコンの操作も覚束なくなった時にも、御子さん方に、パソコン内の記事を読まれてしまうだろうし、身内にさえ見せられない代物は、今の内に削除する分別は付けるべきです。
>
>
>
>
>

539ここまで分かった!自分と「原日本語集団」のルーツ:2021/09/11(土) 21:27:01
Re: 竜は隕石 竜は神!
青面金剛さんへのお返事です。

>  平さんの「生贄」「人身御供」の記事は、民俗学の根本ルールをことごとく踏み外したもので、民俗学を研究する諸先生方からは、単なる興味本位の俗物創作記事でしかなく、根拠も無い風評被害を地元に招くもの、として、嫌悪と軽蔑の対象と成ります。
>

おい!オメーが言うなオメーが!(笑)
おまえ、投稿1ヶ月停止したらどうだ?

出雲の神社の宣伝に関わる投稿を1ヶ月くらい休んだ方がいい。詐欺罪は騙し騙され、且つ、騙した側が騙し取った金銭を運用したことで成立する。神社仏閣は詐欺集団でしかない。やつらは既に呪われている。

540青面金剛:2021/09/12(日) 02:05:37
Re: 竜は隕石 竜は神!
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000547M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000547_2M.jpg

https://www.nishinippon.co.jp/item/n/438999/



541史実探偵: 平 素人:2021/09/12(日) 07:39:54
Re: 竜は隕石 竜は神!-2
青面金剛さまへのお返事です。

 ふーん、わたしは 老人ホームに入るのですか その先がたのしみです^^
長駄文へのご指摘、ありがとうございました。あとで読み返すと自分でもうんざりします。

 その「恐ろしく長い」 ↓この指とまーれです。 みなさまご注意を!
   /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Ffujorinokuukan.blog108.fc2.com%2Fblog-category-0.html

542管理人:2021/09/12(日) 08:35:09
思いやりのあるコミュニティ宣言
まー、今ざっとこちらの掲示板の内容も確認しましたが、青面さんと平さん、ルーツさんやりとりは、3人でよく相談なされて、お互い言い過ぎている部分もあるかもしれないし、その是非をあきらかにして、また謝罪すべき部分にはそのようになさることをおすすめします。こちらの掲示板でのルーツさんの投稿禁止制限はひとまず解除しておきます。

この掲示板の趣旨は、業者も掲示板上部に記しているとおりですので、宜しくお願いします。

543史実探偵: 平 素人:2021/09/19(日) 04:44:21
竜は隕石 竜は神!-3
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000550M.jpg

   富山桜町ウッドサークル(GACKTコス:隊長Mさまより借用)
管理人さま:ありがとうございます。銅鐸銅剣類の封印関係図編集(9/21)しました。

【お宝(?)の封印】については以下のような図式を考えています。
                (空知・美唄)ビリバリ衝撃波 ↓ (竜飛崎)
                  赤色飛塊・推量直径・Φ10km<!--???
??????               BC2001/12/25の未明に東北大隕石(大槌)
     北               (丁岳・面白山)/衝突・閃光(千光)
    西 東             (朝来町)地震波・巨大津波(津の地名)
     南             直後の滝爆雨/(隕石の冬1・2年で 12・3℃降下)
 大陸(渡来人) → 神仙へ(仙薬ありとして)探訪 慈雨<荒神>竜← (大陸人がモンタージュ画)
銅製品・加療・水稲 ⇔ 食料・案内随行・人手提供    雨乞い・銅鐸文化へと発展
                (銅鐸は荒神を呼び寄せ乗り移させる媒体)
       卑弥呼が、全天を覆うほどの彗星を”退散祈祷”でニアミスに^^!
 荒神は太陽神(主神)の、お使者彗星(従神)説唱える
銅鏡文化へと変換 → 雨乞い生け贄を伴う銅鐸文化の急速な衰退
  卑弥呼・寄集めた銅鐸と銅剣類の封印(後追いになったものあり)

 以上のような位置関係構図から丑寅の方角の荒神様は要注意!
卑弥呼1700年前の当時(冬至)の日の出時の閃光(=荒神⇒御来光)は、地球の歳差運動を考えるとほぼ真東であったと思われますが、今の日出光は、時計回りに∠23° ∠24°移動しています。
卑弥呼以前にも新しく入手した銅鐸(後には銅鏡その他)へ、環状木柱列(ウッドサークル)で一番鳥鳴く<冬至の旭光を入魂>していた文化(東屋形・暗室暗幕(十方暮れ)・岩屋窟→御神輿)ありと謎解きしました^^!  従って、地球の歳差運動により入光が72年に1°∠南へずれるのでその入り口から入光しなくなると、入口を変えていました。

    【 お宝(?)関係図^^】
                  人里から“徒で半日”ほど離れた奥山
            (金)屏風岩→<※基点>←冬至の旭光の当たる山の中腹
   西方から南西方向に   ← 封印する持ち寄り銅鐸(&お宝)を!!
そこから二山越えたおよそ一里(一離)約4km離れた△山の東北方向の谷間に銅剣を!
(亀石)重石岩(×千木)
大量の剣類(その剣二度とその荒神に持たせてはならない!)勾玉は首根っこ押さえの為
後には銅剣・銅鐸を一緒に埋めたり土中保管説・単体放置の出土もあるようです。

卑弥呼さまの云うように銅鐸を銅鏡に換えたが欲しい雨は降るとは限らないと歴史は続く・
【その関連キーワード】
△形山頂・剣山・ダイヤモンド富士→【封印場所】→燈明・飯盛り仏飯・「お陰さまで^^」とつづく
・このように、今の私たちの慣習風習にもその謎解きの鍵は潜んでいる。それに気づくのは明日の貴方かも知れないし、はるか先の貴方かも知れない(笑い)。
  「地名は、先人達の合意でなり、祖先からの確たる伝言だ!!」   平 素人

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



544管理人:2021/09/24(金) 23:41:38
彗星群接近と卑弥呼の時代
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000551M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/卑弥呼



545史実探偵: 平 素人:2021/09/25(土) 07:33:56
Re: 彗星群接近と卑弥呼の時代
管理人さまへのお返事です。

> 十分にお話のほう、私には理解できない感じですが、隕石落下や彗星の件は、卑弥呼の時代にもあったのでしょうかね・・・。

お気遣いありがとうございます。いろいろと頭には浮かぶのですが、文にはならず朝になってしまいました^^! 長年つづけてきた広報ですが、実績のない素人の中二(症)程度の学識にくわえて作文能力まで衰えてきた今。現学になかったことを「世間」に伝えようとする無理をかんじます。人それぞれ、議論・口論はあって当然と考えています。むしろそれを楽しむ部分もありました。(笑い)

 人それぞれの“役分”があると感じます。わたしは、地名や伝承を祖先からの伝言として謎解きをしてきました。少年心と遊び心から始まったそれ等が学問的に明かされたり出土したりする日がくるのを望んでいます。

  > ただ、卑弥呼の没年に日食があったという話は有名です。

 そうですか。知りませんでした(汗~)。それがあると彗星退散祈祷を??した、卑弥呼のカリスマ性はより増したでしょうね^^。銅鐸文化から銅鏡文化への移行は何人も否定できず、その変換点に魏から“いち時に”100枚の銅鏡があり、卑弥呼がいる。  平 素人

のこりの方が少ないこの命、今日と明日があんねいで。あさってのことは明日考えよう^^。
殆んど無い遺品ですが~~! 先様の会報と岩淵先生のご本は交友の証に「とっといて」と^^。


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



546史実探偵: 平 素人:2021/09/26(日) 17:55:31
荒神になった巨大隕石・BC2001/12/24・25/am6:00未明
管理人さまへのお返事です。 コメントありがとうございます。
  一度に消化しきれないので <前につづき考えています。

> 十分にお話のほう、私には理解できない感じですが、隕石落下や彗星の件は、卑弥呼の時代にもあったのでしょうかね・・・。

 筆者と岩淵先生が提唱しているその巨大隕石は、卑弥呼より、約2200年ほど前ですが、その畏怖を歴史が覚え語り継ぎ、卑弥呼の代はもとより、今の私たちも「地名」や、神社「竜・水神・滝行」としてそれ等を受け継いでいます。現存する(中学社会科地図)で地名伝言^^! をもとにそれ等を探っていきたいと思いますので、皆さんも<これは!?>と思い当たるものがあったら教えてください^^1

【その巨大隕石に関係する地名】
思いつくままに上げますので、・・・後日編集あり・・・~~!
イースター島→ ペルー・ナスカ→ ドーバー海峡→ (シベリア??)→ 日本(落下地は東北)

【北海道】 色・衝撃波・音  に関係するもの
  空知郡(そらち) 美唄町(ビバイ) 忍路(オショロ)

  疑わしいもの!?
  乙部(おとべ)轟音飛散弾? 檜山(ひやま)火の山? 木無山(きなしやま)火災
  白神岬(しらかみみさき)

【東 北】 飛翔体と・衝突閃光・分散発光
                           奥 <陸 奥>
  龍飛崎(たっぴざき) 青森白神岳
  秋田岩手県境真昼岳(まひるだけ)秋田県側からみて未明東が真昼のように光った
                           羽 <陸 中> 大 槌
  牡鹿半島・金華山 分散弾が金華のように見えたのか?
  岩手黒森山(くろもりやま)火災で炭化した
    毛無山(けなしやま)毛も無いほどに焼けつくした  山
    白髭山(しろひげやま)立ち枯れて幹だけのこり白色化した
               羽 後 (大隕石=飛竜=火の鳥の飛翔した後)
  秋田山形県境丁岳(ひのとだけ)丁岳山地と奥羽山脈の丁字形で"衝突光”を止めた
               羽 前 (大隕石=飛竜=火の鳥の着地点)
  宮城面白山(おもしろやま)表おもてが明らんだ
                           脈 <陸 前>

       つづきます・・・・^^! 

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



547史実探偵: 平 素人:2021/09/27(月) 23:54:58
Re: 彗星群接近と卑弥呼の時代
管理人さまへのお返事です。朝貢・拝受のおはなしありがとうございます。
 魏の天子と卑弥呼との贈答品のやりとりを素人なりの考えで・・^~!

 魏の天子は、「遠くの国から、私への贈り物をようしてくれた。 汝(卑弥呼)を、倭の国の国王と認め、その金印を贈る。 そして、返礼として、汝の “好物”を 使いの者に託したから受け取ってくれ」と、云っている。(魏志倭人伝:より要旨概略)

 myブログより↓
日本人と中国人の儀礼的な贈り物にたいする考え方の違いに言及しておきたい。
日本のお中元とか、お歳暮とかは、目下のものが目上のものに「色々とお世話になり、ありがとう御座いました。今後ともよろしく」との意味合いをもつ。下の者がお上(神)へ贈り物やお供えをして、その代わりにお引き立てを期待したり、おかげの慈雨を貰いたいという “物々交換” の思想がその底流にある。

中国での贈り物は、日本の逆で、その徳と富を表すためだと思うが、目上のものが目下のものへ贈り物をする。個人から個人へ、上から下へと、おすそ分けしてゆく “権威の文化” であり、人様から物をいただいて「はい、ありがとね」で済ますと、その人の下に下ったことになり、そのようになりたくない場合はそれ以上の返礼品をかえすのは既知のとおり^^?。

米国では"スモールプレゼント"とあるように “互いに対等” で相手の負担にならないような贈り物をする。このように贈り物に対する考え方は、国によって、こもごもで、それ等をふまえての謎解きに入りたい。当然、魏の天子は卑弥呼の<軍か>には下りたくないからびっくりする程の返礼品をもたせている^^。

そして、皇帝は『汝(卑弥呼)の“好物”』をと云っているから、使いの者に卑弥呼の欲しいものは「何か」と問うている。卑弥呼のその時は、銅鐸文化が真っ盛りであり、より立派な銅鐸への思いがあり、銅鐸?か銅材料でよかったはずだ!! それが何故銅鐸や銅材料でなくて銅鏡にしたかは前述していますので・・・^^!
 myブログより、
 ?魏から、卑弥呼への数多くの贈り物のなかに (Yahoo!魏志倭人伝 参照) 金印は別として、特に目を引くものがある。 五尺刀が2口と、 銅鏡の100枚である。 何故 銅剣が、1振りでなくて2振りなのか? 何故 100個もの銅鏡なのか??
 卑弥呼は、女である。 その女の卑弥呼が、100枚もの銅鏡を並べて、身の丈もあるような大刀の二本を腰にぶら下げて、己の姿形を眺めている場面が想像出来ない。(笑い)
 この “数”には意味がある。

 ?まず五尺の大刀が、なぜ2本なのか!!
五尺もの銅製の大刀を腰にぶら下げる分けにはいかないから、これは、飾り物でありそれを有する者の権威とか地位を“象徴”するものだとすぐ分かる。 だがまてよ! これを有する者は、その最高位であるから1本でいい。 2本あったら困る。 中国の皇帝が贈り物をする相手を困らすようなことはしない。衆知が認める卑弥呼と同等な者が、もう一人いたのである。 魏志倭人伝に、卑弥呼は、「鬼道に事へ、能く衆を惑わす」 そして、「男弟あり、佐けて国を治む」 とあるから、通常は、男(弟)が国を治めていて、何か“困り事”があったら、その都度、卑弥呼に御祈祷をお願いして神やご先祖からの“付託を聞き”それぞれを決める社会制度が整っていたのである。 □

 以上のように、当時の列島には中国(社会学)でいう「国・税制」の概念はなく、むしろ物や人力の「寄進・供出」の制度であり、一つの群落に代表の一人、あるいはその助手の拝み屋(例えば神楽太夫とか、お太鼓太夫)がいて、病気はもとより、もろもろの困り事の処理をしていたと考えています。だから、ことあるごとに上座から序列をつくって座する大陸人と異なり、集会では≪(荒神)神の下に平等≫の考えのもとに、てんでバラバラに座することが大陸人には“異に見えた”のではないでしょうか!?

その群落を「国」と呼んだのは大陸人がかってに呼んだことであり、国の体裁がととのっていくのは ≪初代≫ の卑弥呼 以後だと思っています。ちなみに「ヒミコ」とは列島人が “お祀り時” に呼んでいた一般名であると解しています。したがって、卑弥呼を語るとき「あなたの云うヒミコは何時の、どこのヒミコさまですか??」となります(汗〜)。

「金印・邪馬台国・卑弥呼・鬼道・生口」については、先様方のほうがぁ〜〜^^。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



548管理人:2021/09/29(水) 23:27:39
Re: 彗星群接近と卑弥呼の時代
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。



>  ?まず五尺の大刀が、なぜ2本なのか!!
> 五尺もの銅製の大刀を腰にぶら下げる分けにはいかないから、これは、飾り物でありそれを有する者の権威とか地位を“象徴”するものだとすぐ分かる。 だがまてよ! これを有する者は、その最高位であるから1本でいい。 2本あったら困る。 中国の皇帝が贈り物をする相手を困らすようなことはしない。衆知が認める卑弥呼と同等な者が、もう一人いたのである。 魏志倭人伝に、卑弥呼は、「鬼道に事へ、能く衆を惑わす」 そして、「男弟あり、佐けて国を治む」 とあるから、通常は、男(弟)が国を治めていて、何か“困り事”があったら、その都度、卑弥呼に御祈祷をお願いして神やご先祖からの“付託を聞き”それぞれを決める社会制度が整っていたのである。 □
>
>

平さん、わかちあいありがとうございます。
確かに二本というのは不思議ですね。

皇帝や天皇の剣の場合、護身剣が二本セットということが知られてます。
玉まき太刀と、スガル太刀 とか・・・。

しかし、また卑弥呼と男弟との二つだとすると、それは興味深い見解です。

男の弟は、誰だったのか? 必ず歴史上の記録に記されているはずです・・・

549管理人:2021/09/29(水) 23:35:14
Re: 荒神になった巨大隕石・BC2001/12/24・25/am6:00未明
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

>
>
> 【北海道】 色・衝撃波・音  に関係するもの
>       空知郡(そらち) 美唄町(ビバイ) 忍路(オショロ)
>
>       疑わしいもの!?
>       乙部(おとべ)轟音飛散弾? 檜山(ひやま)火の山? 木無山(きなしやま)火災
>       白神岬(しらかみみさき)
>
> 【東 北】 飛翔体と・衝突閃光・分散発光
>                                奥 <陸 奥>
>       龍飛崎(たっぴざき) 青森白神岳
>       秋田岩手県境・真昼岳(まひるだけ)秋田県側からみて未明東が真昼のように光った
>                                羽 <FONT


東北北海道の縄文地名ですよね、平さんご指摘の隕石落下の時代とも重なりますが・・・。

近いうちに二風谷というアイヌの資料館がある遺跡へ向かう予定です。その語源がいまいちよくわからないんですよね・・。どういう意味があるのか、アイヌ語も調べないといけませんね・・・。

550史実探偵: 平 素人:2021/09/30(木) 05:47:02
Re: 荒神になった巨大隕石・BC2001/12/24・25/am6:00未明
 管理人さまへ> お返事ありがとうごさいます。

> 東北北海道の縄文地名ですよね、平さんご指摘の隕石落下の時代とも重なりますが・・・。

 そうなのですね。それ等が縄文地名とは知りませんでした^^!。わたしの地名(伝言)捜しの方法ですが、わたし的に^^?どうしてその地名が付いたのか理解できない地名があったとします。そのひとつが「竜(龍)飛崎」です。地名が地名として定着するには皆がその名づけを認めなければなりません、この私ひとりが、そこを「たっぴみさき」と言おうが二人以上の同意者がいなければ地名としては定着しません。
「竜飛」とは、地名付のセオリーから外れていて、実に不思議な地名です。
地名の始まりは自分住家の前、後ろ、隣、方角、から地名が付いていったと思われます。そして、いちど付けた地名を変えると、「あんたの云うそこは、どこ?」と会話に混乱が生じます。・・・、川の名は、その小流域から広い流域へと変わっているようですが、山(や岬)の名は当て字には変わることがあっても変える必要はないと思います。いちど定着した地名は、地元名が優先され国土地理院においても簡単に変えることは出来ないときいております。もちろん例外はあります。・・・あとは学者へ^^。

しかし、素人のように竜飛崎が「竜は(大)隕石、竜は神!」と気づけば、あとは簡単^^。 "芋づる式"で捜していくと・・・あるわ、あるは^^・・・、

「忍路」 大隕石の飛翔路、恐ろしいモノの通り道
「空知」 その大飛塊は血のような赤色であった。しかし地名に血の色はねえ^^!
「美唄」ビリバリと空気を震わす音。竜口が大は大音量(モンタージュが大変^^!)
「竜」リュウ〜と遠ざかる音。竜頭蛇尾。耳に聞こえない衝撃波もあるかもです。
「白神」 ご先祖さまよう、赤神さまではだめなのですかぁ?
「いや、その時は未明だったが真昼のように明るくなったんだ」と・聞いて捜しました^^! まだまだ探し足りないでしょうから、あとは皆さま方へ・・~~!

> 近いうちに二風谷というアイヌの資料館がある遺跡へ向かう予定です。その語源がいまいちよくわからないんですよね・・。どういう意味があるのか、アイヌ語も調べないといけませんね・・・。

 北海道の地名表記には、国土地理院も苦心をされているようですね。先様や岩淵先生には机上探偵にない知力や行動力をもっておられるのが魅力でした。です^^。わたしの場合は、それがないので<時空をこえて>地図のなかに入り込み、もてるもののすべてを働かせて「もし、その時その場にいたら・・」と考えています。しかしながら、その祖先から受けた伝言ですが、現学にあう学識や数理的で説明しなければ、世間や学者には通用しません。少年心(こどもごころ)と遊び心で始まって30余年がすぎました・・・> 楽しみにしています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-5.html



551管理人:2021/10/12(火) 01:57:23
二風谷ラインとチャシ伝承
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000558M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000558_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000558_3M.png

http://kakei-joukaku.la.coocan.jp/siro/chasi-l.htm#biratori



552史実探偵: 平 素人:2021/10/20(水) 07:17:40
Re: 二風谷ラインとチャシ伝承
http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-date-200810.html

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



553史実探偵: 平 素人:2021/10/04(月) 09:22:26
Re: 二風谷ラインとチャシ伝承
管理人さまへ>
  四千年前の大事変を基軸に自然関係」につづき人関係」について素人の見解を^^!

> これから北海道の平取町の二風谷に向かう予定があるのですが、その下調べをしております。

二風谷・人の関係」
 二風谷の「ぶ」が、なぜ「風」なのかは解りませんが、沙流川と鵡川のあいだに何かの分断事由があったのでしょうか?? もちろん、四千年前の大事変の前の年平均気温は少なくとも今より10℃以上高かった(独論)としていますから人々は住んでいました。
  先様のあげて下さった「伝承」から、気になるワードをあげていきます^^!。

> なお、このアベツチャシの伝承が、今手元にある宇田川洋氏の『アイヌ伝承と砦』に記されているのですが、その伝承をOCRで起こすと下記のようになります。

平取町アベッ川上流のチャシ (その抜粋です^^!)
神々の雪合戦…:太古、シーカントコロカムイ (造物主)が、神々を集めて、モシ
界)とこれに棲む人間を造って、お仕舞ひになったので、その祝宴を催した。
祝賀の余興として、神々の雪合戦が始まったが、その真っ最中、どうしたはずみか一つの雪玉がそれてモシリの地上に落下した。
〜中略〜~
この最終の神が、矢を弓につがへるときにこは、多くの神々はみな息を殺して、れと雪玉とを見比べていたが、ねらひはくるはず、弓を引きしぼってひょうと「タえんた時は美事であった。雪玉は二つに射切られて東と西に飛んだ。

不思議なことには東に飛んだのは白い鳥、 西に飛び出したのは白い獣と化って歩き出したので、みな驚いた。美事に射当た神は、オイナカムイといひ、カンナカムイ (雷神)とアベフチカムイ (火の神)との間に、お生まれになったカムイであった。東と西とに分れた白い鳥の方はアイヌサチリといひ、射白く鳩に似た鳥で頭上に羽毛のある鳥で、白い獣の方はイソボといひ、兎であったが、いづれもアイヌ達に大した益を与へたのであった。斯様にしてオイナカムイは、シーカントコロカムイから命ぜられて、アイヌモシリ(人の世界)に降ったが、アイヌを友としていろ~の事業と施設を行った。その主なるものは、アイヌの祭るべく神々の名をあまねく知らしたこと、 イノン (祈祷)の法、 着物をつくる法、 魚獣を捕る法、 家を建てる法、 器具を製作する法等で、すべてアイヌとして必要な事を教へられたのであった。

故に、モシリを守護するモシリの為めになる神々を言仰せねば、大なる神罰を受ると孫子の末まで伝へられたのである。オイナカムイは、日高サル川の支流アーベツ川の上、一段と小高い上にザーショ そこに住んでいたが、 すべての事業を終へると神国にお帰りになったと伝へられている。(初出 : 工藤梅次郎一九二六)   □

      すみません。用事がありますので、この続きはのちどに〜〜^^!
 雪合戦」
このワードがよくわかりませんが、大事変前の気候は今の南九州あたりの気温(前述)であったので、雪を見ることなど滅多になく、12月25日ではあったが時ならぬ大雪(前述した1・2年の内に隕石の冬による気温が急降下したため)がふった!? このことは大隕石の飛翔や、巨大地震の伝達や、巨大津波の来襲が、人々の心に大きな衝撃を与え、おおきな『トラウマの歴史』となって語り続けられた。

 どうしたはずみか、一つの雪玉がそれてモシリの地上に落下した」
雪玉」と素人のいう隕石の分散弾」とは相矛盾しますが、それをゆるして下さると話が先へすすみます^^!。この北の方にも環状列石の遺跡があったのですね。ちなみに環状列石は隕石弾の記念碑としています。

 矢を弓につがへる」
このことは、この地の人々の生活は、後にもありますが狩りを主とするものと推察されます。東に飛んだのは白い鳥」西に飛び出したのは白い獣と化けて歩き出した。それを白鳥と白兎とすると、ともに冬に対して強い生き物であり、隕石の冬の急激な気温降下による食糧難にも生き残り人々の糧となったのではないでしょうか^^!。

 次に」
シーカントコロカムイを 主神・飛翔した 巨大隕石
      カンナカムイを   父・雷神  分散弾
      アベフチカムイを  母・火の神  地上火災
         その子 オイナカムイが 彼の地 アイヌモシリに 降った!!

このように、その伝承を今の言葉に置き換えるとその時の大事変が見えてきます。
あとはアイヌ語の意味を確かめたいですね(^^?)。
          ながくコン気が、作文が、つづきませんのでので・・つづく                                                                                                

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



554管理人:2021/10/04(月) 23:31:22
ウポポイ・二風谷ツアー
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000561M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000561_2M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/靺鞨



555史実探偵: 平 素人:2021/10/05(火) 00:49:52
Re: ウポポイ・二風谷ツアー
管理人さjまへのお返事です。
 > 白老のウポポイと二風谷のほうにバスツアーで行ってきました。

コロナ明け」よい息抜きができましたね^^。
当方は、一日がかりで書きあげた「二部谷の続き」の送信にしっぱいしてパァになりました。あーぁ またまた書き起こすのがたいへんです。あ〜〜ぁ^^!

556史実探偵: 平 素人:2021/10/05(火) 16:56:33
Re: 二風谷ラインとチャシ伝承・続
管理人さまへ> 皆さまへ、
  四千年前の大事変が、人に与えた影響」について、わたしの見解の続きです。^^!

> なお、このアベツチャシの伝承が、今手元にある宇田川洋氏の『アイヌ伝承と砦』に記されているのですが、その伝承をOCRで起こすと下記のようになります。

以下、先様のあげて下さった「伝承」から、気になるワードをあげていきます^^!。
 平取町アベッ川上流のチャシ (からの抜粋です^^!)
> 〜前略〜~
> 斯様にしてオイナカムイは、シーカントコロカムイから命ぜられて、アイヌモシリ(人の世界)に降ったが、アイヌを友としていろ~の事業と施設を行った。その主なるものは、アイヌの祭るべく神々の名をあまねく知らしたこと、 イノン (祈祷)の法、 着物をつくる法、 魚獣を捕る法、 家を建てる法、 器具を製作する法等で、すべてアイヌとして必要な事を教へられたのであった。
> 故に、モシリを守護するモシリの為めになる神々を言仰せねば、大なる神罰を受ると孫子の末まで伝へられたのである。オイナカムイは、日高サル川の支流アーベツ川の上、一段と小高い上にザーショ そこに住んでいたが、 すべての事業を終へると神国にお帰りになったと伝へられている。(初出 : 工藤梅次郎一九二六)□

 斯様にしてオイナカムイは、シーカントコロカムイから命ぜられて、アイヌモシリ
(人の世界)に降ったが、アイヌを友としていろ~の事業と施設を行った」
 わたし素人は、この伝承のカムイ(神)を『始皇帝に命ぜられた、徐福の列島分散隊の誰かが、探索のために、北海道へ来た』 と置き換えると歴史のつじつまが合うと思います。ご存知のように卑弥呼の代は、今から約1700年ほど前、徐福隊は、それよりさらに、6・700年前ですから、列島と大陸の文明差は大なるものがあります。アイヌの人たちが異様なその人達を見て神だと思うのは無理からぬこと。

つぎに重要なワードは 『アイヌを友として』 です。
徐福達の主目的は(不老不死)の仙薬を探し求めることであり、徐福たちに<限って >いえば、多くの歴史家が云うような列島支配や大陸逃亡ではありません。もちろん列島人が攻撃してくれば戦うための兵はいますが、列島人はその人達を神と思っていますから戦う意思はありません。それよりなにより仲良くして、加治の法、着物をつくる法、 魚獣を捕る法、 家を建てる法、器具を製作する法等を教え与えたほうがはるかにいい関係ができる。

代わりに」
船の修理はもとより、現地の随行案内、人手の確保手伝い、食料物資の提供等々、なにかと易く手に入る。しかし、自分たちが仙薬を求めて居ることと、文字(無文字土器)と言葉を教えることは、あとで中国の見知らぬ誰かと遭遇しても列島人と 区別ができるように、決してしなかった( Dr,いずも氏談→秘密結社)。不老不死の薬石は専売特許、べらべらしゃべるわけにはいかないよね^^。それと長生き実証用に連れてきた子達を全国七ヶ所(?)の<養父>に分散隔離して育て、血液の混交や情報の漏洩をさけた。しかし、始皇帝や徐福たちが亡くなり代替わりして歴史が今に至っているのは先様方のほうがぁ^^!。

すべての事業を終へると神国にお帰りになった」
徐福たちの主目的は、(大陸にはない)薬石探しのサバイバルですから!! (集荷目的の)本部・支所以外には長く定住できない。導通様、お薬師様、ヤブ(養父)医者、の伝承は各地に残っています。筆者は北海道には入山をはばみ熊をもたおすアイヌの人達がいる。それに地形は大陸に似ているし「珍しい薬石はないなぁ^^??」と思ったかどうかは徐福達に聞かないと分からない^^?。それに今より寒かったからね<隕石の冬→拙論:塵の沈降→温暖化>等々と考えていましたが、ザーショ」に一部の人が住んでいたのですね。その他の人達は、津軽海峡をぬけて巨大隕石・雷神の行く手・岩手県のほうへと・・。

特筆したいことは」
銅鐸・銅剣を商用品として列島に拡布したこと。年に一回の神無月に、列島の珍品珍宝を(出雲?)に、集荷し大陸に送り届ける交通網をつくったこと。(今でも年末にお土産もっての大移動^^)それには、道に迷わぬようにと先さまの線引き(測量)や列島に多数ある目印「鏡山」が要りますよね^^? そして、現在の学論は「徐福個人」にスポットが当てられていますが、(話半分や渡航没があったとしても)子供たち三千人を有した大編隊ですから、必ず徐福に準ずる人達(方士・百工たち)がいるのに “列島文化に影響を及ぼさない筈がない” とするのが素人の考えです^^!。
 さらに、」
チャシや、塁(土や石で固め高くする・砦)の遺跡は、大陸や半島人の影響と考えていいのではないでしょうか^^? このように、その伝承や地名を素人流に置き換え、それ等を祖先からの伝言とするのも面白い^-^♪。でも、それでは世間様や専門家はあいてにしてくれなかった(笑い)。 ↓この詳しくは、myブログ・カテゴリー「徐福達が日本史に与えた影響」に、                                                                      

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-77.html



557史実探偵: 平 素人:2021/10/07(木) 05:02:33
北海道 チャシ
【追 記 この記事を見て下さる皆様へ 10/07】
チャシ北海道」 はじめて知る言葉なので色々に検索しました^^!
・・・色々とありますねぇ・・・、なかでいちばん困るのがチャシ遺跡を中世とすること。わたし(素人)のいう、徐福達の<来・北海道>が紀元前〇〇ですから大きく違います。これを見て専門家は即、否定するでしょう。(「専門家は相手にしないでしょう」といわれて三十余年^^!) この間、専門家のおおくは、ご自分の論説・研究が一番正しく相手を認めない傾向がありました。その点、私は、ドがつく素人ですから「すべての論説が正しい」としてことを進めてきました。統計学でいう端々の5%さえ、奇跡、偶然、例外、のパセンテージの内としてとらえてきました。だってそんなことどこでも何んでもあるでしょ。この考えを持ったのは、東大の時代検証のチョウ有名な先生が『アイソトープと炭素年代のどちらか一方に統一して論議を交わさなければ』と知った時からです。“歴史は永続”している。貴方のいわれているのは『何時の、どこの場所の、誰のことですか?』朝鮮式山城にしても、北海道チャシにしても、徐福の代から,中世まで?の長いあいだ色々な人が色々に使われてきたでしょうね。いまでは謎遺跡として使っている。(笑い)

558管理人:2021/10/08(金) 00:17:26
オキクルミ伝承と義経
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000565M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000565_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000565_3M.jpg

https://www.e-rumoi.jp/syougaigakusyu/page29_00025.html



559史実探偵: 平 素人:2021/10/09(土) 03:59:59
Re: 北海道 チャシ 続: 素人の見解
管理人さまへ> 皆さまへ、
【追 記 】
> チャシ北海道」 はじめて知ることなので色々に検索しました^^!

NHK北海道の取材チーム「シラベルカ」
チャシの目的は▼砦や城、▼見張り台、▼祭祀の場、▼狩猟の拠点など諸説あるそうです。
チャシ - Wikipedia
現在では、チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は変化していったのではないかと考える研究者が多い。

塁・砦・円山、に注目」
塁は、土に石や瓦の破片等をまぜて、高く突き固める工法で、塀や、土手、古くは、岡山・総社鬼ノ城の頂部に海がみえる高台として築かれていたそうです。この市街を見渡せる小高い山は擂鉢(すりばち)のかたちをしています。円山(まるやま)は、前述した鏡山とともに各地に散在しています。これ等の共通点は市街地のちかくにあり周囲を見渡せることにあります。北海道のチャシにしてもこのような条件に合うところにあるのではないでしょうか。

チャシの意」
アイヌ語で、塀(へい)とか囲いの意があるそうで、総社市の鬼ノ城(きのじょう)にもスリ鉢山の頂部を囲うように土塁が築かれていたそうです。また瀬戸内にあった朝鮮式山城にも神籠石(こうごいし)なる同様なものがありました。チャシにも囲いの意があるように、割り木をたてて囲ったとありました。これと関係する列島の「境内」、大陸の「百家」については、話が長くなりそうなので・・・~~!

何故に割り木なのでしょうか?」
丸太を立てるほうが簡単なのに、ストーンサークルの囲いでも太い栗の木を二つに割ったものが使用されていました。「これは、木を割るほどの荒神に関係している」と考えています。弥生以前の<縄文代の列島>に、以上のような共通認識を持った遺跡や、地名や、伝承が残っている。このような認識が、思いつくところで~~!、北九州、瀬戸内、北陸、そしてこの度、北海道にもありました。このように広範囲にあるということは、「徐福達・列島探索隊」が関係しているのではないでしょうか^^。それに「北海道・小人伝承」の蕗(ふき)の葉の下とか孔(あな)に住んでいたとかは、徐福達が多数、連れてきた子供達(養父と同様?)のことかな^^?  徐福達は、その子達を囲っておきたいところだが相手はこどもだからね(笑い)。

でも、これだけで話は、解決しません」
徐福たちは、前述したように「薬石探しの列島サバイバルが主目的!!」歴史をきざむほど北海道に長居はしていない。そして、列島住人には『荒神に変身した(4000年前)巨大隕石』の歴史の継続がある。そして、ウィキにあるように「チャシの用途は複数あり、時代を経るにつれてチャシの主用途は、変化していった」のではないでしょうか。義経逃避の話で^^!その兜の形が円山の形で、星の飾りは天空を飛んだ大隕石に、なにか関係しているのでしょうか。

560青面金剛:2021/10/13(水) 06:38:33
星田妙見宮
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000567M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000567_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000567_3M.jpg

https://www.hoshida-myoken.com/



561青面金剛:2021/10/14(木) 11:18:24
西暦535年の星空
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000568M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000568_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000568_3M.jpg

http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm



562管理人:2021/10/14(木) 23:41:07
Re: 西暦535年の星空
青面金剛さんへのお返事です。


> 『 交野には金属が取れる鉱脈もないのに昔から鍛冶屋がたくさんあったという話も、ここに隕鉄が落ちたということであれば説明がつきます。隕鉄を使えば、刀をも切ってしまうような、丈夫で鋭い刀を作ることが可能です。だから、隕鉄が落ちた後、しばらく後に急遽、刀鍛冶が集められ、ここで“秘密の武器”が作られていた可能性が高い。
>
>  文献によれば、その頃この地に疫病が流行ったという記録もありますから、その時の権力者が人を寄せ付けないようにして、こっそりと作らせていたとも考えられます。この隕鉄で作られた刀が例えば、後世に名を残すような“伝説の剣”と呼ばれるものであったとしたら歴史も非常に面白いですね。
>  因縁めいていますが、私の再発見したスイフト・タットル彗星のかけらの鉄の部分が星田妙見宮に落ちた可能性が非常に高いんです。 』
>
HREF="http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm&quot;&gt;http://murata35.chicappa.jp/soranokioku/index.htm
>


お知らせありがとうございます!
この隕鉄のお話と、そのころに流行ったという疫病の話が興味深いですね。

隕石落下と疫病発生の相関性は以前から私も指摘しているところですが、天然痘がはやるんですよね。

隕石落下に伴う放射性災害が、天然痘などのウイルスに変異をもたらし、新種のウイルスへと変異するとともに、それが周囲へと蔓延する可能性を考えますが、青面さんもご注目の福島の放射能災害とウイルスの変異の件などのデータはないでしょうか・・・。




563管理人:2021/10/14(木) 23:58:57
Re: 星田妙見宮
青面金剛さんへのお返事です。



>  535年にクラカタウ火山が大噴火したと推測しているのは、イギリスのジャーナリストであるデイヴィド・キーズ氏です。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fameblo.jp%2Fcalseed%2Fentry-10917743982.html
>
> 『西暦535年の大噴火―人類滅亡の危機をどう切り抜けたか(2000/02)デイヴィッド キーズ』
>
> この本の序章では、
> 「535年ないし536年に、人類最大級の天災が発生した。いちばん可能性が高いのは巨大な火山爆発だが、あるいは、小惑星が地球に衝突したのかもしれない。ともあれ、この出来事を出発点として、近代・現代に至る世界史の流れが始まったのである。」と始まっています。
>
> 紀元536年に起こった彗星衝突?
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.astroarts.co.jp%2Fnews%2F2004%2F02%2F20nao701%2Findex-j.shtml
>

535年の大災害は、やはり隕石落下でしょうね。その隕石落下がマントル層にまで至ったものは、それ誘発されて火山噴火もあったのでしょう。複数の地点に隕石が落下していたはずで、日本への落下可能性もありうるでしょう・・。




> 『 イギリス・カーディフ大学のリグバイ(E. Rigby)らは、この現象がクレーターを作らないような小粒の彗星の衝突によって説明できるという研究結果を発表しました。小さな天体だと、地上に達する前に、上空で大爆発を起こします。
>  すると、エアーバーストという強烈な爆風が衝突地点付近を襲って、かなりの面積を焼き払います。その代わりにクレーターはできません。年輪を調べると、どうやらその衝突地点はヨーロッパ北部であったようです。
>  同時に、その爆風と共に彗星に含まれている塵などが大きなきのこ雲となって大気圏を越えて広がります。これらは冷えると再び地球に落下しますから、塵が地球全体を覆ってしまい、太陽光線を遮断する役目をして、地球が冷えてしまうわけです。 』
>



そうですね、クラカタウ火山のあるインドネシアのみならず、この際にはヨーロッパ北部にも落下もしくは空中爆発があったのでしょう。複数に地点に落下しているはずです。隕石落下をもたらす小天体が北欧からインドネシア方面へと周回していったのでしょうね。



> ☆ 星田妙見宮を中心として、半径数十キロの圏内は、廃墟と化すので、奈良県庁約15キロ、京都府庁約25キロ、檜隈廬入野宮(ひのくまのいおりののみや. 第28代 宣化天皇宮. 奈良県高市郡明日香村檜前)約38キロ。大和の都は壊滅的な損害を被ったと推察される。これが元で、大きな政変に繋がった。
>
>  この復興のために、当時、最も財力を有していたのは、日本海交易で栄えていた、越前蘇我三国国造家で、出雲や古志との経済連携もあった。大和の地で、蘇我氏が復興の中心的な役割を担ったと、考えられる。
>
> 『妙見大菩薩はたたら製鉄の神だった?』
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fkntryk.blog.fc2.com%2Fblog-entry-766.html%3Fsp
>
>

星田の歴史も興味深いですね・・・。

564史実探偵: 平 素人:2021/10/15(金) 06:32:12
Re: 西暦535年の星空
管理人さまへ、皆さまへ>

「西暦535年」の周回をいわれてましたね。大隕石は大気圏内に入ると分散弾になるかもですね^^! わたしは、その主塊が→(速玉)伊勢の沖に!?とひそかに思っています。そうすると西暦536年の○○火山噴火はタイムラグで列島ストレス解消に起因したかと^^? つごうのよいように・・・(汗~)  いずれにしても、先が楽しみです・・・、

565管理人:2021/10/15(金) 22:15:17
Re: 西暦535年の星空
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000572M.jpg

https://www.hinet.bosai.go.jp/?LANG=ja



566史実探偵: 平 素人:2021/10/17(日) 04:50:54
西暦535年の(大)飛翔隕石!?
管理人さまへ、皆さまへ>

「西暦535年」の大飛翔隕石について考えています。<編集中^^!>
どうやら、その大飛翔塊の<主核>は北極の方向(或は 前述の出雲伊勢ライン)から、分弾を撒きながら列島の中央あたりを飛んで伊勢湾から遠くない海上に落下・衝突したもようです。

以下は<中坊程度の思いつき段階ですから、どうぞのご修正を!
まず北極の方向からですが、先様方の報告にプラスして、北斗信仰や妙見信仰があります。その大飛翔隕石が人心に恐怖や畏怖を与え 大被災 を伴わなければ、唯の天体ショーに終わり、信仰という永続した歴史にはならないと思います。

妙見については字のあらわすとおり「妙なる光」を見たということであり、その飛翔体が彗星軌道をとったと推察されます。ここで彗星についてですが「彗星は汚れた水玉論」が発表されて以来、それが主流となっているようですが太陽を周回する惑星や、その惑星を周回する衛星、小惑星の大きさや形態はじつに様々~~。前述しましたが、それはパーセンテージの問題であり『我がだけよ!』論のみでは解決しないと思うのが素人の考えです。彗星軌道をとった天体ならば朝夕に見え、極方向からの衝突は考えにくく「これが」一番の難題 だとおもっています。

飛翔体のサイズについて」
その飛翔体を(大)としたのは、ある程度の大きさがないと、その飛翔塊には様々な“温度”や、“力”が働き、それによって細分化されれば各衝突の威力が小さくなるので、ある程度の大きさは必要かと。その巨魁は太陽を離れたところであれば低温であり。太陽に近づくとケプラーの法則で急速に接近し急速に離れる。その塊が大きければ表層のみが炙られ内部まで温度がとどかず、外側だけが柔らかく芯が固い状態なので表層だけが剥がれやすくなる。次に力だが、思いつくところで、引力、ロシュ限界、潮汐力、それに小さいと思うけど遠心力もかな?、そして大気圏突入!! その衝突が地球の自転方向であれば相対速度は小さくなる^^?? それ等に耐えうるだけの剛体とサイズがなければ、次の巨大津波の発生や隕石の冬には進めない。

筆者がその<主核>の衝突を『伊勢沖』としたのは、この海岸が、そのとき発生した津波大泥流によってリアス化したかと思っていること(~~汗)。記憶が四国と混同してるかもしれませんが、ここにも五色石(御敷・津波成因)があったのかな~~!。それと御柱伝承(みはしら→巨魁落下による巨大水柱→海柱・見柱→御柱へ^^!) それと「なぜ伊勢半島が重要視されるのか?」の歴史的背景もあり、当時のこの地方は、交通の便も良いとはいえないし、平野も広くないと思うのが子供心です。

なぜ、速玉大社が出雲大社と並び称されるのか?」
出雲には、四千年前の大事変で浮沈した島根半島・巨大竜(別紙)があり、(伊勢)・速玉神社の朱色柱は、その出雲から飛翔してきた真っ赤な巨魁竜があったからではないでしょうか・・・~~! その飛翔塊が赤ければ、その温度は7・800℃と思われますから、小さいと1000℃以上になり、黄色か白色となり“ある程度以上”のおおきさがなければと思います・・・・、難しい計算は専門家に~~!。                                                                            

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-17.html



567史実探偵: 平 素人:2021/10/20(水) 06:04:49
Re: 西暦535年の大飛翔隕石!?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000574M.jpg

      太陽系誕生モデル(拙:絶版報告書より)
皆さまへ>
> 「西暦535年」の大飛翔隕石(!?)について引き続き考えています。
  当方、思考力と検索力が極端に落ちてますので々・、その点をお含みおき下さい~~!
> どうやら、その大飛翔塊の<主核>は北極の方向(或は 前述の出雲伊勢ライン)から、分弾を撒きながら列島の中央あたりを飛んで伊勢湾から遠くない海上に落下・衝突したもようです。

この二つを検索すると、
 北斗は、信州と、北海道に北斗市がありました。
 妙見は、〇〇、三丹地方、岡山(妙見山12ヶ所最多)、に関係しているようです。
北斗(北辰)が主神で、妙見が菩薩のようですが、わたし的の考えを<大隕石衝突>にからめて考えると妙見・彗星衝突・被災が先で、天空に動かない主座の星、北極星をさす北斗は、後づけではないかと考えてみました。これに似た考えで地球に落下する星は、「天空中央のスバルからすべての星が誕生した」との考えもあるようです。

妙見検索で、「○○、三丹地方、岡山」から、飛翔大隕石!?の通り道とした列島中央の <出雲→淡路→伊勢沖>ライン がみえてきましたが^^?? ・・・ごめんなさい作文がつづきません。

「西暦535年」の大飛翔隕石(!?)のルートは次のどちらか??
太陽系誕生で横軸・黄道ラインの衝突合体と、縦軸・北辰南十字星軸の衝突合体を考えていますが、地名や祖先からの伝言ではどちらとも判じえません・・・
ちなみに、「妙見信仰は大陸から伝来した」は、その大隕石の飛翔を 「中国→出雲→伊勢沖」とすれば、その飛翔隕石の行方を追った人たちが列島へ渡来したと考えれば良いのですが、・・・北辰ラインも捨てがたい・・・^^!。

                    

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



568青面金剛:2021/10/21(木) 06:16:15
安閑天皇元年(534年)6月、神石「雷斧石(らいふいし)」三柱の御出現
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000575M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000575_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000575_3M.jpg

http://www.sakisaki.net/index.html



569管理人:2021/10/21(木) 23:09:57
Re: 安閑天皇元年(534年)6月、神石「雷斧石」三柱の御出現
青面金剛さんへのお返事です。

> 管理人さんへのお返事です。
>
> ☆ 咲前神社(群馬県安中市鷺宮) /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=http%3A%2F%2Fwww.sakisaki.net%2Findex.html
>
> 《 安閑天皇元年(534)6月、初の申の日に神石「雷斧石」

なるほど、この名前は興味深いですね・・!


>
> 第27代 安閑天皇 勾金橋宮(まがりのかなはしのみや:金橋神社 奈良県橿原市曲川町)
>
> 『 安閑天皇(西暦466〜535)は継体天皇の第一皇子で勾大兄廣國押武金日天皇(まかりのおほえひろくにおしたけかなひのすめらみこと)の



なるほど、今まで、この天皇と宮の名に隠された意味に気づきませんでした・・・・。


>
> ☆ 飛鳥時代、敏達天皇(585年)の頃にも流行しており、これも痘瘡(天然痘)と考えられており、政権争いの元にもなっていてます。
>
>  安閑天皇が蔵王権現と同体と考えられています。
>

そうですね、隕石落下と天然痘の組み合わせ・・・、そしてそこに絡んで政変や国の興亡が起こるメカニズムを解明していく必要がありますね。



>  福島第一原発事故、等に因る、放射性トリチウムの大量放出は、大気圏高層のイオンを激変させ、オゾンホールが北半球にも、空く様に成りました。今年の初頭に、日本各地で、「夜空が紫色に光ってる。」「雲空に穴が空いてる。」は、その前兆現象です。オゾンホールは、冬場に発生し易い。
>
>  チェルノブィリ原発事故の翌年にはエイズ(AIDS)が流行し始め、原子力産業側が放射能の内部被曝に因る症状を、新型感染症と偽る事で摩り替え、責任逃れを図っている構図が有ります。
>
>  炭そ菌やエボラや川崎病も、内部被爆に因る症状と思われます。オゾンホールが空き、有害な紫外線が、地表に降り注ぐと、皮膚ガンや白内障も増加します。外を歩くときは鍔の広い帽子を被り、冬場の雪道では、雪面からの反射を避ける為に、登山用の被せ式のサングラスも必要と成ります。
>
>

情報ありがとうございます!

放射線量が大きくなると被ばく症状が出て、免疫力の低下から、普段はかからないはずの疫病にかかったり、伝染病の発生に至る可能性を感じます。そして、放射線によりウイルスなどの遺伝子も微妙に変異して、新種として猛威を振るうのかもしれません。


そのメカニズムを解明しないと、隕石落下と伝染病の蔓延の関係性を明らかにできないかもしれませんね。医学的な知識も必要でしょう・・・。



570青面金剛:2021/10/22(金) 03:29:39
水銀公害の原点は奈良大仏
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000577M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000577_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000577_3M.jpg

https://bishogai.com/msand/powder/naradaibutu.html



571管理人:2021/10/23(土) 23:06:05
Re: 水銀公害の原点は奈良大仏
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000578M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000578_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000578_3M.png

https://bishogai.com/msand/powder/naradaibutu.html



572管理人:2021/10/25(月) 23:34:00
黄金山・川下チャシ・冷水遺跡
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000579M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000579_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000579_3M.jpg

https://www.google.com/search?q=定山渓天狗岳&client=firefox-b-d&sa=X&stick=H4sIAAAAAAAAAONgFuLWT9c3LMkzMM1JT1PiBXEMk8otsnKrjMy1BIMzU1LLEyuL_VIrSoJLUguKF7EKPV036-nGjc92TH66ZOXz7ulPN23ewcoIAJDmLLtJAAAA&biw=1409&bih=687&sxsrf=AOaemvJgfzOwRh9_YXmSwyLU54QSgh-m8A:1635165863710&tbm=isch&source=iu&ictx=1&fir=duLHjNEdgaDg0M%2C6LVF_16Ju09JjM%2C_%3BYz6HL9_5SZFzeM%2CTIOuhjLlS3qamM%2C_%3BAcTkK66uniLUYM%2CzBIlPVDKM6yLSM%2C_%3BUOTXbaDNWGx-KM%2CtQ1qFn7yngU-7M%2C_&vet=1&usg=AI4_-kT6C0So0ANlc4zu0rRSZXJ4ghBkTQ&ved=2ahUKEwi1zNHDy-XzAhUVMd4KHYKzDO8Q_h16BAg1EAE#imgrc=WVAhahZiPWdSPM



573管理人:2021/10/28(木) 00:21:50
新旧石器・ピラミッドライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000580M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000580_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000580_3M.png

昨晩お知らせした黄金山に関するラインですが、その黄金山を起点として縄文時代の遺跡やアイヌのチャシ等を結ぶラインとは別に、黄金山そのものを造営?整形した旧石器時代の遺跡と結びつくラインがあることを以前もお知らせしたとおりです。

それでさらに分析を進めていくと、図1とその拡大図の図2のラインが浮かび上がってきました。

すなわち、黄金山⇔朝里天狗岳⇔羊蹄山⇔剣山へと伸びる60度偏角のラインと、黄金山⇔定山渓天狗岳⇔貴気別岳⇔洞爺湖(中島)⇔位山を結ぶ65度偏角のラインです。

その位山については、すでに人工ピラミッド?として黒又山などとともに注目されているところですね。
剣山の形もよくみてみると整形されたような形状をしてます。

それで、今回探索した黄金山についてその形状を確認していくと、図3のように、そのラインに対して反対側に、図で白く塗りつぶした領域が楕円形になっていることがわかります。この形状は、以前も指摘した朝里天狗岳などにみられる変形ピラミッド型の構造と同類です。

この意味するところは、その領域において爆発があり、それによってその部分が削り取られるか吹っ飛んだ結果として、その残骸部分が黄金山の急斜面を構成したであろうことが予想されます。

その爆発によって、いわゆるクレーターやカルデラといったものが仕上がったはずですが、隕石落下によるものならばクレーター、火山噴火によるものならばカルデラとなるわけですね。

仮に先の60度もしくは65度ラインに沿っているならば、後者のクレーターの可能性があり、その延長線上にある羊蹄山などもその隕石落下に誘発された火山となるのかもしれませんが、ただ第三の可能性についても考慮しておくべきでしょうか・・・。

つまり、人工的な爆破によりこれらの火山・山岳が意図的な位置に造営されたということですね。

その件については、このライン上にある丘陵地帯や島地を分析していくことで明らかにできそうですが、また追ってお知らせします。特に先の60度偏角のライン上にある天橋立の構造がその解明に役立ちそうです。



574史実探偵: 平 素人:2021/10/31(日) 07:20:00
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
管理人さまへ、 皆さまへ>
  おはようございます^^。<人工ピラミッド?> について考えてました^^!

> その位山については、すでに人工ピラミッド?として黒又山などとともに注目されているところですね。
> 剣山の形もよくみてみると整形されたような形状をしてます。

> それで、今回探索した黄金山についてその形状を確認していくと、図3のように、そのラインに対して反対側に、図で白く塗りつぶした領域が楕円形になっていることがわかります。この形状は、以前も指摘した朝里天狗岳などにみられる変形ピラミッド型の構造と同類です。

以前の話ですが、久米宏さん>のテレビ番組で鹿角市黒又山が「造形ピラミッドか!?」がありました。この話題は、当方(と故岩淵先生)が提唱する「四千年前・釜石へ飛来した巨大隕石」の軌跡を定める発端になりました。後に、信州の<皆神山・みなかみやま>が世界で最大級の造形ピラミッドのニュースもありました。

その一端をmyブログでも転載させて頂きましょう。
  「世界最大で最古の皆神山ピラミッド」
◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最古のウルム氷期の終末期で東、南信の氷解水よる)となっており、その岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ、空間移動させるというダイナミックな方法でした。(従って現在でも皆神山塊だけが非常に軽く負の重力異常となっております)

◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮 = ねじれ摩擦現象 =
起電 = 電流発生 といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ磁力と重力制御(反動)により物体(電磁反発飛翔体)が離着陸するようになったのです。
古文書に出てくる<天の羅魔舟(アマノカガミブネ)>等がこの飛翔体です。

以上のように学者連さまは、素人には難しすぎることを仰いますので素人なりに、その造形方法を考えてみます。その前に誰が何んの為にを考えてみました。

 誰が何んの為に?」
これは前にも上げていますが「先さまのラインは“徐福団”の薬石探索ラインに重なる」としました。徐福達は童男童女3千人?や百工を引き連れた大捜索隊。編隊に準備をかけたとはいえ“互いに面識のない”この人達が列島に分散し年末に一度、出雲に集まり(この詳しくはmyブログに^^!)『彼の地、この地には、こんなものが有りました』の情報の交換や共有をし “代々継続して” 霊薬や珍宝を収集・集荷し本国へ送るラインをつくる分けですから、誰もが知らない見知らぬ土地へ再度おとずれるとき、地名は現地住民に聞けるが過疎地においては自分たちで分かり合える(東北地方に多い)番号付けの地名や "何かの目印が要る" それが△山や、造形ピラミッドではないでしょうか^^?  蛇足ながら、その位置決めや測量の三角点(基点)は貴家であった「列島に散らばる鏡山」だったとしました。

 そのような、高度な測量が二千二百年ほど前の縄文代に出来るとは、貴家の<歴史掲示板>で習いました^^。でも、徐福達方士は、オールマイティではないので“星座やピラミッド”を識る(中東・西欧の?)人達を 『この者達も連れていけ!!』と始皇帝が命じたと。どこやらで前述しました^^!。このように考えると、貴家で色々に議論されている異邦人埴輪やDNAの散らばりにも ツジツマ が合うような気がします(汗〜^^!)。

素人が考えた「ピラミッド形の造山方法」
 まず、それと思しき形状した山の、いち麓(ふもと)ちかくを底辺として、
?思うだけの直線を削り取り、上部が雨水や雪解けで土砂崩れするのを待つ。
?前後して、表土の植生を焼き払い土砂崩れや土石流を誘引する。
?一様には崩れ落ちないので、残った所へ雨水や雪解けが集まるように、
 溝を切ったり、土塁を積んだり、神籠石の工法で崩しながら整形してゆく。
?これ等の工法や人力を組み合わせながら整形をかさねてゆく。
 (図3の頂部近くにある富士山様のギザギザ模様がこの謎解きのヒントになりました^^)

でも、このような「お天道さま頼み^^」の方法では何年かかるのでしょうか^^?
30年? 50年? それとも短い・?、 こんな話を聞いたことがあります。「住家の前に日差しを遮る山がある。日本人は日当たりの良い方へ移住するが、気の長い中国人はたとえ何代かかろうとも、その山を取り崩し取り除く^^?」さて、貴方さまは^^(笑い)。

<筆者のピラミッド造山方法には、つぎの三つが要る>
山の斜度が急なこと。崩れやすい土質(ごろた石?)であること。継続した意思(例えば信仰心)やその人物が要ること。このどれ一つが欠けても造形ピラミッドはなしえない。それと降雨、降雪頼みもかな^^? そのいう山が上記の方法で成したのであれば大きな岩石が氷河のように下部に集まる傾向があります。さらに言い添えれば、大陸人は山の頂上に社寺を囲い、列島では山の中腹に社屋をたてるとの違いがあるとみています。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-5.html



575管理人:2021/11/12(金) 03:45:37
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さまへ、 皆さまへ>

> その一端をmyブログでも転載させて頂きましょう。
>   「世界最大で最古の皆神山ピラミッド」
> ◎皆神山の造山方法はエジプトのピラミッドのように人の労力ではなく初歩的な重力制御技法(部分的干渉波動抑圧)により、当時長野盆地が遊水湖沼(最古のウルム氷期の終末期で東、南信の氷解水よる)となっており、その岸のゴロタ石等堆積土砂石を浮遊させ、空間移動させるというダイナミックな方法でした。(従って現在でも皆神山塊だけが非常に軽く負の重力異常となっております)
>
> ◎この皆神山の盛土的山塊が自重により不均衡凝縮 = ねじれ摩擦現象 =
> 起電 = 電流発生 といったダイナモ機能山塊となり、電磁波が生じ磁力と重力制御(反動)により物体(電磁反発飛翔体)が離着陸するようになったのです。
> 古文書に出てくる<天の羅魔舟(アマノカガミブネ)>等がこの飛翔体です。
>
> 以上のように学者連さまは、素人には難しすぎることを仰いますので素人なりに、その造形方法を考えてみます。その前に誰が何んの為にを考えてみました。
>

何か重力関係かもしれませんね。。。ピラミッドも高度な重力技術を応用しているみたいですし・・・。



>  誰が何んの為に?」
>り合える "何かの目印が要る" それが△山や、造形ピラミッドではないでしょうか^^?  蛇足ながら、その位置決めや測量の三角点(基点)は貴家であった「列島に散らばる鏡山」だったとしました。
>


徐福の時代は新しすぎるとおもいますが、別に先ほど古代史掲示板に投稿した天神山チャシのラインのように、縄文中期あたり、つまりエジプトのピラミッド現れるころの造営の可能性はあるとおもいますよ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12358


> 素人が考えた「ピラミッド形の造山方法」
>  まず、それと思しき形状した山の、いち麓(ふもと)ちかくを底辺として、
> ?思うだけの直線を削り取り、上部が雨水や雪解けで土砂崩れするのを待つ。
> ?前後して、表土の植生を焼き払い土砂崩れや土石流を誘引する。
> ?一様には崩れ落ちないので、残った所へ雨水や雪解けが集まるように、
>  溝を切ったり、土塁を積んだり、神籠石の工法で崩しながら整形してゆく。
> ?これ等の工法や人力を組み合わせながら整形をかさねてゆく。
>  (図3の頂部近くにある富士山様のギザギザ模様がこの謎解きのヒントになりました^^)
>
> でも、このような「お天道さま頼み^^」の方法では何年かかるのでしょうか^^?
> 30年? 50年? それとも短い・?、 こんな話を聞いたことがあります。「住家の前に日差しを遮る山がある。日本人は日当たりの良い方へ移住するが、気の長い中国人はたとえ何代かかろうとも、その山を取り崩し取り除く^^?」さて、貴方さまは^^(笑い)。
>

古代ローマの金鉱で、山頂付近に川の水をためて、一気に水圧で山頂ごと壊す方法があったとテレビでやってましたから、ありえない話ではないです。



576史実探偵: 平 素人:2021/11/20(土) 05:42:52
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
管理人さま> おはようございます。またまた朝になってしまいました^^!。

 歴史版 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12358
> こちらは紅葉の季節ともなり、市内の天神山チャシを再度見に行きました。チャシの上に庭園があります。チャシの周りは石列が囲んでいるのですが、いつの時代のものかわかりません。変な岩がありましたので、写真添付します

 池に映った紅葉きれいですね。今年の紅葉は、山頂と平野部、全国一斉に紅葉がすすんでいるような気がします^^。歴史版のほうすべてを読解することは叶いませんが、そのなかで気になったことを・・^^!

気になられた「変な岩」の写真から
 一見して “定礎” =観測の基点石かと思いました。上部の“水平面”は地震等での傾きもあるかも知れませんが、側面の角度づけ掘り込みの部分は、太陽か星座方向か????そして、その側面(トランシット!?)の狙い先はどちらを見ているのでしょうか^^???尾道市の千光寺の二つの岩石スリットは冬至の日の出方向とかでしたが^~!。ちなみに、今私たちが両の手を合わしているのは、そのスッリトの先の神や日の出の方向を拝んでいるとしました。
チャシの周りの石列囲い」 どのようなものか気になります。
 位置仕様がわからないので、全くの仮定想像ですが、もしその「変な岩」が筆者のいう「定礎」ならば、その石列囲いにも方向性の意味をもたせていますから、時計の文字盤のように北・東・南・西の要所の位置にすこし大き目の石を使います。大湯の環状列石に似たような配置をみています。

> 徐福の時代は新しすぎるとおもいますが、別に先ほど古代史掲示板に投稿した天神山チャシのラインのように、縄文中期あたり、つまりエジプトのピラミッド現れるころの造営の可能性はあるとおもいますよ。 /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12358

ゴメンナサイ^^! ピラミッド代と徐福代はおおきく違いますが、それに関連した星座観測→方位決めのような永続した何かがあるのでしょうか???? 近ごろの私は、日々のたしかめを新聞で確認するほどにぃなりました・・・汗〜^^!

> 古代ローマの金鉱で、山頂付近に川の水をためて、一気に水圧で山頂ごと壊す方法があったとテレビでやってましたから、ありえない話ではないです。

実際の方法が思い浮かびませんが、思いもよらないことがあったのでしょうねキット^^。

総社市の鬼ノ城・キノジョウの全体をみれば、すり鉢状の山頂をしているのですが、その頂部ちかくの端部に溜め池をつくり水門(ダム??)を設えていたところが幾つかありました。これも何かの考えがあってのことでしょうか・・?  飲み水だけなら溜井で十分なのにと思ったことがありました。そして不思議なことに、その溜め池(A面)方向に、違う向き斜面(B面)の雨水までもが流れ込むように土塁(跡)を築いてありました。

崖崩れを誘発させるためには、その溜め池が土石流を起こすような工夫(耕土?)と水量が必要かとおもいます。天神山チャシにある“山頂の池”も何かの考えがあってのことでしょうか・・・??

577管理人:2021/11/03(水) 23:37:00
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
史実探偵:?? 平 素人さんへのお返事です。

> 管理人さま> おはようございます。またまた朝になってしまいました^^!。
>
>
> 気になられた「変な岩」の写真から
>  一見して “定礎” =観測の基点石かと思いました。上部の“水平面”は地震等での傾きもあるかも知れませんが、側面の角度づけ掘り込みの部分は、太陽か星座方向か????そして、その側面(トランシット!?)の狙い先はどちらを見ているのでしょうか^^???尾道市の千光寺の二つの岩石スリットは冬至の日の出方向とかでしたが^~!。ちなみに、今私たちが両の手を合わしているのは、そのスッリトの先の神や日の出の方向を拝んでいるとしました。
> チャシの周りの石列囲い」 どのようなものか気になります。
>  位置仕様がわからないので、全くの仮定想像ですが、もしその「変な岩」が筆者のいう「定礎」ならば、その石列囲いにも方向性の意味をもたせていますから、時計の文字盤のように北・東・南・西の要所の位置にすこし大き目の石を使います。大湯の環状列石に似たような配置をみています。
>


そうですね、星見のための何かかもしれませんね・・・。環状列石はカレンダーが組み込まれているようですからね。



が思い浮かびませんが、思いもよらないことがあったのでしょうねキット^^。
>
> 総社市の鬼ノ城・キノジョウの全体をみれば、すり鉢状の山頂をしているのですが、その頂部ちかくの端部に溜め池をつくり水門(ダム??)を設えていたところが幾つかありました。これも何かの考えがあってのことでしょうか・・?  飲み水だけなら溜井で十分なのにと思ったことがありました。そして不思議なことに、その溜め池(A面)方向に、違う向き斜面(B面)の雨水までもが流れ込むように土塁(跡)を築いてありました。
>
> 崖崩れを誘発させるためには、その溜め池が土石流を起こすような工夫(耕土?)と水量が必要かとおもいます。天神山チャシにある“山頂の池”も何かの考えがあってのことでしょうか・・・??



そういわれてみると、神籠石の水門の意味も気になるところですね。

天神山くらいだと低地で小さいなので、人力でも比較的簡単にピラミッド型に整形できそうですが、山頂部にも同様な地形が多数見えるのが気になってます。黄金山も700m以上ありますからね、そこに大人数が登っていったとも考えにくいことがあります。

岩という意味では、先日のラインにありました下赤岩山の動画がありましたので、お知らせします・・・。いけるかな・・・自然造詣の岩なのでしょうか・・


/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FEkePFMOpU0c





578史実探偵: 平 素人:2021/11/08(月) 06:57:28
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
  管理人さま> 今日はおすすめの動画をみています。・・ながいのですね^^。
>
> 岩という意味では、先日のラインにありました下赤岩山の動画がありましたので、お知らせします・・・。いけるかな・・・自然造詣の岩なのでしょうか・・
> /shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fyoutu.be%2FEkePFMOpU0c

 徐福隊が、神仙・日本列島に仙薬や珍品をもとめ、本国へそれ等を送るために年一に出雲に集まり互いに情報交換していたとは前述しました。彼らの移動は、陸路の目印として△山を用いましたが彼らの主な移行は船でしたから海からも見える必要があります。西日本に散在している朝鮮式山城と呼ばれているものは海が見えることから敵の来襲を早くしるための見方もありますが、後世でそのような使われ方があったとしても、当初の目的は双方の確認であったと思われます。動画では巨船でしたがご存じのように小舟がいったん海上にでると“上陸したい場所”への見定めは大変むつかしいことがあります。<下赤岩山>は海からではどのように見えるのでしょうか^^。永続して行き来するようになると、新大陸で一日の駅馬車の移行によって宿場町ができたように、日本海側では一日の航行時間により寄港地が決まり、それが発達したのが今の隔県の県庁所在地ではないかと別紙(myブログ)でしました。そこでのDr.izumoとのやりとりで、氏は混血美人は隔県に多いとされていましたが、そうなのでしょうかぁ?(笑~~!)

> 下赤岩山・・自然造詣の岩なのでしょうか・・

この動画の突針した岩姿。とても興味があります。どのようにしたら、このような「造形」になるのでしょうか?? まったく見当も及びません。南極大陸大隕石の大泥流波で周囲を削られた岩姿や、中国・桂林等にみえる石灰堆積地や、小豆島にある浸食奇勝等のでき方とはまったく違うように思います。動画の海岸線には、その(火山岩??)崩落あとも見えますが崩落だけでこのような奇勝ができるとはとても思えません。どなたさまかご教示を!!

579管理人:2021/11/10(水) 22:48:45
Re: 新旧石器・ピラミッドライン
史実探偵: 平 素人さんへのお返事です。

>   管理人さま> 今日はおすすめの動画をみています。・・ながいのですね^^。
> >

>  徐福隊が、神仙・日本列島に仙薬や珍品をもとめ、本国へそれ等を送るために年一に出雲に集まり互いに情報交換していたとは前述しました。彼らの移動は、陸路の目印として△山を用いましたが彼らの主な移行は船でしたから海からも見える必要があります。西日本に散在している朝鮮式山城と呼ばれているものは海が見えることから敵の来襲を早くしるための見方もありますが、後世でそのような使われ方があったとしても、当初の目的は双方の確認であったと思われます。


ちょうど昨晩、徐福の時代?にあたる北海道の続縄文時代の遺跡を結ぶラインを、歴史掲示板のほうにアップしておきましたので、よろしくご確認ください。
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F12365


> この動画の突針した岩姿。とても興味があります。どのようにしたら、このような「造形」になるのでしょうか?? まったく見当も及びません。南極大陸大隕石の大泥流波で周囲を削られた岩姿や、中国・桂林等にみえる石灰堆積地や、小豆島にある浸食奇勝等のでき方とはまったく違うように思います。動画の海岸線には、その(火山岩??)崩落あとも見えますが崩落だけでこのような奇勝ができるとはとても思えません。どなたさまかご教示を!!



確かに海岸沿いには奇形の岩が多くありますが、あそこまでとなると興味深いですね。
おそらくは、積丹半島付近は相当荒い波が来るのではないかと予想しますが、どうなんでしょうね・・・。

580史実探偵: 平 素人:2021/12/22(水) 05:35:09
故:岩淵國人先生<旭日双光章>受章!
管理人さま・皆さま> へのお知らせです。
わたしの敬愛する <故・岩淵國人先生奥州市'21/5/17没>が、この度(12/22)に、
 内閣府から <旭日双光章> を受章されます。

先生は「歴史掲示板」の以下にも投稿されています。
[2831] 4000年ほど前の津波はノアの洪水ではありません
投稿者: 岩淵國人(医師) 投稿日:2015年 6月17日(水)22時09分7秒

[3274] 4000年ほど前の彗星デブリ衝突
投稿者: 岩淵國人(医師) 投稿日:2016年 4月 6日(水)19時41分11秒
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2F8220.teacup.com%2Ftoraijin%2Fbbs%2F3274
  彗星衝突による「縄文超々巨大津波」文芸社 2013/1/15初版第1刷発行

581管理人:2022/01/12(水) 02:41:33
謹賀新年
昨年も大変お世話になりました。

平さん、岩淵先生のご受賞に関するお知らせありががごうざいました。
先生にお会いできなくなったのはショックでしたが、また引き続きご遺志を引き継いでいきたいところですね。

今年もよろしくお願いいたします。

582史実探偵: 平 素人:2022/01/31(月) 01:45:25
卑弥呼の生涯を仮説する?
管理人さま・皆さまへ> 本年もよろしくお願いいたします。

> 先生にお会いできなくなったのはショックでしたが、また引き続きご遺志を引き継いでいきたいところですね。

・・・ですね。しかしながら喪に服したい気持ちもあり、いまだに脱力状態がつづいています。岩淵先生の主は医学方面の顕彰なのでしょうが、私たちの方面でも <ご遺志を引き継いでいきたいところですね>・・めげず噴気します・・・~~!

 <卑弥呼の生涯> (自分的にも暴論の思いがあり控えていたのですが~~!、)
倉敷市船穂町(ふなおちょう)に、縄文の(里木)貝塚があり人骨や土器(倉敷考古館・間壁氏)が出土しています。ここを前にした小高い丘の中腹に「里木神社」があります。その立て看板に、この祭神を父とする稲田姫が出雲の素戔嗚尊に嫁いだとあります。櫛稲田姫については多説あるようなので素人が確たることは言えませんが、ここの北谷地区の地図に<后王>という大そうな地名をみつけました。高梁川の河口にあり今は海抜5〜6mで陸地化していますが船穂町(ふなお)には大舟尾(おおぶなお)という地名もあるからその昔は舟が着岸していたのでしょう。<后王>の読みや意味はわかりませんが余りにも大そうすぎます。そこでこれを稲田姫の母の住所として仮想話~~!を組み立ててみました。
? ここ船穂(尾?)町は、徐福代からの交易があり里木の祭神はこの地の長であった。
? その父と大陸人との交わり(交易の主は大サンショウウオ)からその進んだ知識の影響をうけた。
? それをみて育ったヒミコ(穂?⇔稲田姫?)は、美しく聡明で“予知予見能力”もある娘へと・。
? それが先進の出雲にも知れわたり現在の斐伊川界隈にすむ素戔嗚尊へ嫁いだ。
? ・・・、??? ・・・
? ヒミコは太陽が主神で彗星従神説をとなえ彗星(荒神)退散祈祷(ニアミス)を行った。
冬至(1700年前)の鼻突峠からの日の出(荒神)入光を、出雲市猪ノ目峠茶屋跡上(徒歩で7分)斜面に奥行十丈!?の未発見の洞窟内へ封印している!(後に、木柱環柱列ウッドサークルや東屋やお神輿へ)
? 出雲・岩倉・荒神谷で大量の銅鐸銅剣を封印し!!銅鐸荒神文化から銅鏡太陽神文化へと、
? 銅鐸銅剣を封印行脚→総社市・岩屋→姫路→神戸・いわや→滋賀野洲町・大岩山→帰路へ

この「封印行脚」を思いついたのは、吉備の地の銅鐸銅剣は未掘ですが大量の銅鐸出土地には<岩>の字があることと<姫路>付名の特異性からで、道中にはかなりの付き人があったと思われます。後の姫街道(浜松)や花嫁行列へと・・、

? →長旅の疲れで箸墓で死去埋葬 → → 分骨は出雲で(後に円墳!?)が築かれた。

 このように考えると魏から得た金印は出雲(その円墳内!?)にあるかも!?
当時の列島には、紙はいたって無くて、その慣習もなく印鑑は無用の長物であり持ち歩くものではない。・であるならば、卑弥呼はその印鑑は出雲に置いて出立している!!

その昔、出雲半島には銅鋼石ゴロゴロ、斐伊川には砂鉄があったが、水稲を作る広い平野がなかった。大陸や半島から推力の弱い当時では流れの速い津島海流にながされ出雲に着岸するのがやっとであった。そして大陸へ戻るには沿岸沿いに西進し唐津あたりから半島や大陸へ渡っていった航路の形成が考えられる。このことから大船団の食料米を得るために広大な北九州(吉野ヶ里)へと文化の中心地が移っていったのではないでしょうか。
( 管理人さまは邪馬台国・吉野ヶ里説でしたよね^^。)

10. 壱与・台与は、ヒミコの呼称を継いだ北九州への二・三代目ではないでしょうか~~?

この歴史の根には二千二百年以上まえに神仙列島を探訪した徐福団が関わっている。そしてその根源には四千年ほど前(岩淵先生は汚れた水玉彗星衝突説)東北巨大隕石がもたらした大事変があり。巨大地震と北上高地越えの泥流と大陸にまでとどいた巨大津波は外せない。そして、その直後の1・2年におきたであろう(半球平均気温10℃以上降下と推定)隕石の冬。さらに、当時の真北(北極星)と磁北(風水)は先様方のご専門^^。72年に1度角、時計方向に日の出位地がずれるんでしたっけ~~!。緯度によっても異なるのかな?
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.excite.co.jp%2Fnews%2Farticle%2FTocana_201710_post_14827%2F

583青面金剛:2022/01/05(水) 07:51:03
Re: 卑弥呼の生涯を仮説する?
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000590M.jpg

https://www.nitamai.com/about/14



584管理人:2022/01/06(木) 00:12:30
札幌の油田と隕石落下
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000591M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000591_2M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000591_3M.jpg

https://rekishinoashiato-east.amebaownd.com/posts/7719275/



585管理人:2022/01/07(金) 01:35:16
世界油田ライン
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000592M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000592_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000592_3M.jpg

昨晩の続きで、世界の油田の立地的な共通性を考えていくうえで、図1のような世界の油田を結ぶラインを考えてみました。

こう結んでいくと、綺麗に3点以上の油田が載るラインが複数現れることに気づきます。
そしてそれらが平行になっているケースも出てきます。

まず、?E⇔O⇔Pラインと、?D⇔K⇔Qライン、そして?F⇔G⇔Mラインが、西10度偏角で平行関係になります。

また、?D⇔E⇔Nラインが東10度偏角。

そして、?H⇔M⇔Rラインは、偏角無し(0度)の同緯度東西ラインです。

その他、?A⇔B⇔Lラインがあり、32度くらいの偏角ですが、中東のイラン南岸あたりを通過してますね。
同じく?C⇔I⇔J⇔Pの西5度偏角のラインもありそうです。

これらは、特に?の同緯度ラインの存在は、赤道軌道上を周回した小天体とその隕石落下によってこれらの油田が形成された可能性を示すのではないでしょうか。

同様に、?、?、?の西10度偏角の平行ラインも、地球が時点を1周する間に複数回小天体が10度偏角で地球の周囲を巡り、その間に隕石を落下していったことを示すでしょうし、?の東10度偏角のラインも同時期に反対側から侵入した小天体によるものではないでしょうか。

そうすると隕石落下と油田とがかかわってきそうですが、単に地層が造山運動で湾曲しているというだけなら、世界中どこからでも石油が湧き出るわけでして、それとは異なるメカニズムで隕石落下とそれにともなうマグマ刺激→噴火への過程で、石油層から石油が湧き出すメカニズムがあることも予想しうるでしょう。

思うに、隕石落下の際に、地下深くまで穴が貫通するんじゃないですかね。鉄とニッケルの塊の数トンの隕石が地表に突き刺さる際に、表面は高温で融解してますが、内部は固体のままでしょうから、はんだごてみたいにして、土層を溶解しながら、地下深くへと斜めに潜り込んでいく過程で、石油の層を貫通し、そこから地表へと石油が噴出していくようなイメージです。

それが深く潜り込みすぎると、マグマ層へと至って噴火を起こし、昨晩お話したような山々がライン上に連なる形で形成されてしまうわけですね。

マグマ層に至らないあたりで隕石の潜り込みがストップし、かつ石油層を貫通すると、油田ができるのではないでしょうか??

あと、これらのラインと日本列島とのかかわりでいけば、ライン?が日本の富山から新潟南部・関東あたりを、?が青森周辺を通過してますから、このあたりに大規模な油田ができる可能性があるでしょうか。

図2の油田・ガス田の分布図をみると、?の件については、その新潟周辺の青い分布とも関係しそうですが、ただ思うに、隕石が貫通して石油層に開けた穴は1か所だけで、そこから大量の石油が周囲の地層へと流れ込んだ結果として、こういう分布となっているとすると、その大元の穴の部分を突き止めれば、もっと効率的に石油を取り出すことができるのかもしれません。

一番新潟周辺で噴出量が多いのはやや南方・内陸の長岡ですから、ここから噴出した石油が下流の新潟方面の土層へと流れ込んでいったのではないかと感じます。ライン?が通過するのもそのあたりでしょう。

北海道周辺域をみると、勇払の油田(青色領域)がありますが、この大規模な油田の湧き出しの中心点が、やや内陸となっており、そこから苫小牧方面の海岸沿いへと東南へと流れ込んでいるようにもみえます。

図3は、その油田分布図と昨晩お知らせした赤岩山⇔藻岩山⇔焼山などを結ぶラインを重ねたものですが、こうみると、このラインの延長線上にある三日月沼あたりから、ラインに沿って東南へと油田が重なって伸びていることがうかがえます。

このライン上には、昨晩もお話した札幌南部の石油が出たという油沢も載っており、このライン上に石油を噴出する油田が複数ある可能性が見えてくるでしょう。

このラインをもっと調べていくと、赤岩山⇔銭函天狗山⇔手稲金山⇔宮の森シャンツェ⇔藻岩山⇔油沢⇔焼山⇔高山⇔三日月沼⇔三石天狗山が載ることがあり、三日月沼などは中心点をとおることから見ても、隕石落下によるクレーターと考えるべきでしょうし、金山などが見えてくるのも隕石落下ルートによくみえてくる特徴ですね。

したがって、勇払油田の中心点を三日月沼周辺の当たりとみなして、そのあたりを掘削すれば、さらに効率よく石油を取り出すことができるかもしれません。




586史実探偵: 平 素人:2022/01/07(金) 05:08:45
Re: 世界油田ライン
管理人さま・青面金剛さま> 本年もよろしくお願いいたします^^。

情報&コメントありがとうございます。 当方、近時、とみに作文能力や根気の衰えがあり、あれこれ思うも中途半端になり、編集に時間がかかり、いっかんした記事にならず、とちゅうであきらめてしまいます~~!。

管理人さま>
北海道の油田探索の件は<素人探偵局>でも、たいへん興味^^があるところです。わたしも遠いむかしに日本の採掘油田は新潟と習いました(~-~!)・・コメント少々お時間をください。

青面金剛さま>
わたしの「仮想・卑弥呼の生涯 ?項目」については、あくまで素人の仮想であり専門家の学問的裏付けがなければ「事」がなりません。私の役分は「ここ掘れワンワン^^」のわんこです。?項目めの出雲の円墳で??、卑弥呼の金印の出土があれば 「十(とう)でとうとうおしまいじゃあ〜」になるのですが。なにか心当たりはありませんか・・・^^?


http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



587管理人:2022/01/09(日) 00:30:47
世界油田ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000594M.png

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000594_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000594_3M.png

https://ja.wikipedia.org/wiki/マラカイボ湖



588青面金剛:2022/01/12(水) 05:57:19
日倉神社:島根県雲南市三刀屋町乙加宮
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000595M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000595_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000595_3M.jpg

https://omouhana.com/2017/11/14/三屋神社:八雲ニ散ル花 18/



589史実探偵: 平 素人:2022/01/12(水) 06:06:45
Re: 卑弥呼の生涯を仮説する?
青面金剛さまへ> コメントありがとう御座います。

> > その昔、出雲半島には銅鋼石ゴロゴロ、斐伊川には砂鉄があったが、水稲を作る広い平野がなかった。
> ★ 一つだけ大間違いを指摘します。奥出雲の仁多米は、西日本のトップブランドで、特Aに指定されています。棚田で昼夜の寒暖差が大きく、ミネラル豊富な雪解け水が、注ぎ込むからです。

 卑弥呼の生涯・仮説?項目をたてました。
なかで旗艦の徐福は出雲へ着岸した。海流にながされ日本海沿岸にバラバラに漂着した徐福の部下たちは、そこで一応の生活が落ち着くと徐福や仲間をさがしあう。そして出雲で再会した。いずも風土記だったかな。おおぜいの神々が集いて「酒」をくみ交わしたとありましたか^^。筆者は、これを再会をよろこび情報交換と珍宝集荷の地へと<出雲>が発展していった理由のひとつにあげています。(詳しくはmyブログ徐福達が日本史へ与えた影響へどうぞ~~!)
一方、列島住民の目には、異様ないでたちをした徐福達のことを1800年ほど前(BC2001)巨大津波(竜)にのって西進した荒神さまが帰って御座ったと思い込んだ。列島に本格的な水稲の栽培を持ち込んだのは徐福達・秦(列島住民の端ハタに住んだ人たち)だったのではないでしょうか。

 うまい酒は、うまい米とうまい水からですよね^^。
今では、その収穫量より味の方に重きをおくようになりましたが、コメの増産については、沼沢地から山間へ、干拓地の造成、冷害や品種改良、戦後の食糧難等々はすでに知るところです。わたしは、地球温暖化の原因は、四千年まえの東北大隕石が成層圏まで舞い上げ太陽光をさえぎった『粉塵が雨とともに徐々に沈下し澄んでいく』を氷河記要件のひとつにあげていますから、今よりその昔のほうがもっと寒かったと思っています。

八百万の神たちが、年一に集結するほどに発展した出雲から北九州(吉野ヶ里)に遷都していったとの仮説をたてたのは、コメの味ではなくその収穫量と大陸に近いことからです。出雲平野と北九州平野とではその広さが違います。大陸との交易がますにつれ大船団を組むようになり、出帆地唐津?で旅路の食料の調達をしたほうがより易いですからね。

この仮説に正答がなければ「仮説」は成り立ちません。今後ともよろしくお願いいたします^~。管理人さま「油田」のほうお待ちいただいております(汗)。

  ↓徐福たちは、神仙列島に不老不死の薬石を探索治験

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-43.html



590青面金剛:2022/01/13(木) 07:11:20
鍬山(くわやま) 神社:京都府亀岡市
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000597M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000597_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000597_3M.jpg

https://www.komenet.jp/nandemobook/documents/_04-14w.pdf



591史実探偵: 平 素人:2022/01/17(月) 01:39:03
”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000598M.jpg

This is Anzu.You must dig here. bow wow^^ 「ここ掘れワンワン^^♪」

青面金剛さまへのお返事です。
数々の情報ありがとう御座います。それを消化しきれないことを残念に思います。

わたしは『一事は万事へ繋がり、万事は一事よりなる』一事を追求すれば万事がみえてくる。
又『自然界には、偶然とか奇跡の確立(%)不条理が用意されている』my絶版報告書より、
とも思っています。子ども心の<何故>を四つも重ねると<神>という領域に突き当たってしまいます。皆さんのいう神ってなに?? それぞれのいう神様が異なることが問題なのだ。列島住人は「徐福たち、西方(浄土)から薬石探求にきた渡来人達のなかの方士を、道祖神とか、お薬師さまとか、はたまた(武人)を金剛さまだと呼んでいる」と私がいえば、それと受け入れられないお人は必ずいますよね~~!。

卑弥呼以前の列島には、税を徴収して統理「国」という考えはなく、むしろ祈祷寄進でなる「郡」と呼ぶほうがあたっているのではと思っています。そして、国引き神話の「現世は(税制は)大和にやるが、あの世は(寄進制度は)出雲がとる」との政教分離で落ち着いたのではとも思います!?。さらに、卑弥呼の呼称にしても邪馬台国にしても劣字(正しくが思い出せない~~)で記されていて、「国」とか「王」とかは大陸人がかってに付けたのではないでしょうか。

“親魏倭王”の金印は、紙の行きわたっていない列島では、無用の長物と申し上げました。かといって、卑弥呼なきあとも粗末には出来ない。仮説・卑弥呼は箸墓で亡くなり遺体は腐敗するので出雲には持ち帰れない。仮説では分骨としましたが、晩年のヒミコは、「鬼道に能へ」おかっぱ頭(耳削ぎ→禊)で、前歯(抜歯の風習)がなく、入れ墨(歌舞伎クマドリ)がしてあったと別紙で推んでいたことから「斬髪」があたっているように思います。お相撲さんの髷きりは今にのこっています。

 これ等のことから、以前に、出雲の斐伊川支流の赤川あたりだったかな? 卑弥呼が魏から得た100枚の鏡のうちの一枚ではとの説があるお宮の所在地あたりを地図で調べたことがありまたが、今は検索力も衰えてその自分の記事や地図さえ捜しだせない^^!。金印は3cm前後??と小さく、斬髪は小量だ。円墳内と考えたのは誤りだったかもしれない。岡山の県北の神社の裏手と本堂の間にさほど大きくない石?岩?の下に何やらが埋められていて『これを掘ると罰(バチ)があたる』との話を聞いたことがあるから、その後先は分かりませんが出雲でもその神社に “そのような形態” があると、その可能性があるかもね。その形態は勾玉と銅戈が出土した出雲の命主社でもありました。
  「ここ掘れワンワン^^♪」わたしは「ワンコ」バチはあたりたくありません^^!。

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



592青面金剛:2022/01/19(水) 03:50:22
Re: ”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000599M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000599_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000599_3M.jpg

https://xn--u9jta474uoyc71cky0m6xj.jp/category11/entry50.html



593史実探偵: 平 素人:2022/01/19(水) 13:19:42
Re(続1): ”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://unnan-shoko.jp/sp/spot/7

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



594史実探偵: 平 素人:2022/01/23(日) 01:11:20
Re(続2): ”親魏倭王”卑弥呼の金印はいずこ??
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000601M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000601_2M.jpg

  ↑ 神原神社と隣接古墳、Google Earthで捜しました。

> 「神原神社」の社殿・拝殿と→ 〇〇 → 本堂の間にその金印や髪(神)を埋めるだけのスペースがなければ話にもなりません。神社の建物には略式形態もありますからね。・・・

 赤い丸印の所が、そのスペースですが、そのスペースは無いように見えます。
1700年も経っている。その長い間には幾度かの改築があったはずだが、それにしても・・残念・・~~!、 東に隣接する神原古墳との方向性と関係性は・・・???

土地の私有化が進んでいないその昔、そこに信仰の対象を設営したり、その向きを決めたりするのは何かの理由(わけ)や考えがある。 (my絶版報告書より

 以前に、この「神原」の地名を見たとき、列島の神社多くは山の中腹で住家より高い場所かな!?と思っていましたが、この神原はそれにあたらず、不思議に思っていました。本殿のすぐ後ろに<赤川>が流れいます。川に鉄分が含まれていると川底が赤くなることがありますが、それでしょうか? それとも、出雲と吉備には似たような地名を見かけることがあります。総社市・鬼ノ城に<血吸川>があります。何かの共通性があるのかなと思ったりしたもんでした。

??神社とかお寺の数は、一集落に一つが基本だが、この地に神社の数が多いのは何故??



595青面金剛:2022/01/27(木) 04:30:08
伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000602M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000602_3M.jpg

https://www.izm.gr.jp/izumoru/readmore.php?gid=196&amp;tno=-1



596史実探偵: 平 素人:2022/01/30(日) 03:46:35
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://www.izm.gr.jp/izumoru/readmore.php?gid=196&amp;tno=-1

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



597青面金剛:2022/02/09(水) 03:15:25
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000604M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000604_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000604_3M.jpg

http://ajiteiseruna.blog.fc2.com/blog-entry-124.html?sp



598史実探偵: 平 素人:2022/02/10(木) 01:51:48
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000605M.jpg

https://omouhana.com/2018/03/11/神原神社:八雲ニ散ル花 59/

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-0.html



599史実探偵: 平 素人:2022/02/12(土) 23:06:11
Re: 伎比佐の大岩(斐川町阿宮)
 引続いて「仮想;出雲に卑弥呼が住んでいたとする」場所について考えています。

金印の埋め場所として卑弥呼の銅鏡説がある雲南市神原古墳を考えていたが、神原神社の千木が男神であったことから、そのセンは薄れた。加茂岩倉に大量の銅鐸出土。荒神谷に大量の銅剣類の出土。これは、(拙論)卑弥呼が魏から得た銅鏡にかえて封印したとしている(別紙)。(卑弥呼=櫛稲田姫が、仮想;備中倉敷市 船穂町 里木から出雲の素戔嗚尊に嫁いだ←里木神社の立て看板)

当時は “一夫多妻” があったと思われる。平安時代の和歌やら、桃山・江戸時代の側室とか、近時でも〇号さんとか、別宅とか本宅とかの話には聞く。赤川から下流の斐川町に<阿宮>がある。「阿」は、あいうえおの「あ」や、あ子様にも通じることから、一番目の婦人<一ノ宮>とした。そして、他ではあるが<三ノ宮>の地名ものこっている。

卑弥呼は、魏から得た残りの銅鏡をたずさえ、総社市岩屋→姫路→神戸桜ヶ丘(いわや)→野洲大岩山へ、それまで使用していた銅鐸や銅剣類を封印するべく、大勢のお供をつれ輿に乗って出張った。キーワードは<姫路>である。野洲町での封印を終え帰路についたが長旅の疲れから<箸墓>で没したと仮想した。

当時の列島では印鑑のシキタリは無くて金印は無用の長物とした。卑弥呼は、その「親魏倭王」の金印を出張りに持ち歩いたか否かが問題である。どちらにしても粗末に扱う分けにはいかないから、卑弥呼の斬髪とともに、お供した従者が出雲のどこかに埋めたと仮想した。神原古墳の銅鏡に刻まれている制作年代が卑弥呼が魏へ献上した年代に合うことから神原神社を思ったが、そこは男神を祀っていた。その男神が卑弥呼の従者でその者が保管していたかも知れない?? 同じ敷地内に?ある写真の小さい社にしては、灯篭が不釣り合いなほど立派すぎるのはなぜか~~! そして、印鑑をおす紙はなくても木簡はあると仰っていたが、今でも木製お札に御朱印がありますからそのセンも捨てがたい。しかし、印鑑は卑弥呼個人のものだからやたら目ったら押すわけにはいかない~~!

  もし、印鑑を埋めたのならば、目印や盗掘を避けるための重石は置きたい??
   阿宮には<伎比佐の大岩>があるのですか・・・、つぎへうつります~~!

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-entry-72.html



600青面金剛:2022/02/14(月) 01:11:31
阿吾神社(あぐじんじゃ:斐川町阿宮)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000607M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000607_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000607_3M.jpg

http://www.usajinguu.com/guide/



601青面金剛:2022/02/14(月) 06:34:39
赤猪岩神社と清水井(南部町)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000608M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000608_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000608_3M.jpg

https://www.town.nanbu.tottori.jp/akaiiwa/



602青面金剛:2022/02/19(土) 05:46:22
薦(こも)神社の御神体は三角池(御澄池)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000609M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000609_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000609_3M.jpg

https://omouhana.com/2018/02/10/行幸会-八幡奈多宮:親魏倭王ノ都 11/



603青面金剛:2022/02/25(金) 00:15:06
お亀明神とお亀イチョウ
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000610M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000610_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000610_3M.jpg

http://www.kameyamagu.com/index.htm



604青面金剛:2022/02/27(日) 20:47:13
宇原神社(苅田町)と石塚山古墳
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000611M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000611_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000611_3M.jpg

http://uhara-jinja.jp/publics/index/18/



605青面金剛:2022/04/10(日) 07:03:32
妻垣神社(ともかき:つまがき)神社
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000612M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000612_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000612_3M.jpg

http://tumagakijinjya.com/index.html



606青面金剛:2022/05/11(水) 01:39:42
八幡鶴市神社(大分県中津市)
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000613M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000613_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000613_3M.jpg

https://nakatsuyaba.com/?introduce=tsuruichi



607青面金剛:2022/05/26(木) 02:16:32
「逃げる者は射殺」 中国のウイグル族「再教育施設」内部資料が流出
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000614M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000614_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000614_3M.jpg

https://mainichi.jp/articles/20220524/k00/00m/030/019000c



608青面金剛:2022/06/10(金) 03:49:36
地球の誕生から現在までの概要を5分でざっくり解説
Saitoon妄想ちゃんねる
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fwatch%3Fv%3DhxEN0DwoGVw

 皆さま、新日本共和国、新不・公正労働省のセミナーへようこそ。本日は、異星人、異世界人、別次元の存在の皆さま向けに、地球の歴史を5分程度で、お伝えする試みです。アカシックレコードにアクセスできるかたは、対象外です。そちらを直接ご覧ください。なお、言語は、日本語または、宇宙語になっておりますので、翻訳機の設定をお間違えないようご注意下さい。

 地球誕生から、現代までの数十億年の歴史を5分程度で妄想解説。異星人、異世界人、のかた向けの地球の歴史概要です。一部、仏典や聖書だけしか受け付けないかたもいらっしゃいますので、そういったかたは、このセミナーには参加しないほうが良いでしょう。

億単位の歴史を7ステップでお送りする予定です。


■配信メモ
2022/03/25:アップロード
妄想シリーズ403本目。

ラジオドラマシリーズの再生リストはこちら
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fchannel%2FUCw6abs_vGw6EFJ3qN_zSlnQ


■2ndチャンネル
/shimoeda/bbs?M=JU&;JUR=https%3A%2F%2Fwww.youtube.com%2Fchannel%2FUCeiR...




609青面金剛:2022/06/20(月) 04:22:04
忌宮(いみのみや)神社
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000616M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000616_2M.jpg

https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000616_3M.jpg

http://iminomiya-jinjya.com/



610史実探偵: 平 素人:2022/07/10(日) 04:20:33
Re: 世界油田ライン2
https://img.shitaraba.net/migrate1/8023.shimoeda/0000617M.jpg

        My name is Anzu. You must dig here. bow wow^^.
               「ここ掘れワンワン^^♪」
管理人さまへのお返事です。この掲示板も'22/8/01.で閉鎖されますね。
いろいろと長い間の御厚情ありがとう御座いました。あつく御礼を申しあげます。
 わたしは、30数年来、世界大半の石油石炭の成因は『6500万年前に南極に端を発し地球の90%以上を覆った高さ数千m〜200mの大泥流津波・数波〜10波により運ばれた動植物が埋没熟成した』との論を展開してきましたが、このような“子ども”染みた論が世に受け入れられる筈もなく、ならば『四千年前の(BC2001/12/25/am6:00頃)に、巨大彗星が地球を半周し東北釜石辺りに!』。さらに『卑弥呼が封印した大量の銅剣と銅鐸!!』を世に問うて参りましたが力及ばず今に至っています。

 頂いていた釧路平原の油田探索の件は、「同緯度・同標高の米大陸の油田に類推するか??」と考えていましたが課題として残ってしまいました。ご高察をお祈りいたします・・・。

「我啼けど、未だ闇夜の時鳥、春告ぐ鳥ぞ、何時に鳴くらん」 「MY粗茶室」より、
 そのホトトギスの鳴いた口内は、血を吐くような赤い色をしている。
                       史実探偵:平 素人

http://fujorinokuukan.blog108.fc2.com/blog-category-3.html



611史実探偵:平 素人(ヒイラ モト):2022/12/20(火) 05:37:59
管理人さま>
'22の年も押し迫ってきました。列島 例年にない豪雪のようです。
前の掲示板からこの掲示板への移設と編集のご多労を思うと感謝の気持ちでいっぱいです。
全てを読み終えていませんが、スパイスや調味料も効いてとても面白く仕上がっています。
わたし(達^^)の成している「巨大惑星・隕石の衝突」は、今の科学では受け入れられては
いません。でも、必ず認めざるを得ない時は来ます。特に、四千年ほど前BC2001の年末に
地球を半周して東北釜石あたりに落下したものは、地名や荒神伝承として残されています。
この彗星軌道をとった巨大隕石は、日本史のみならず、世界史にも影響を与えています。
そのひとつ「竜飛崎」の地名が何故についたかを深く追求すれば素人でも解ります。それを
「巨大隕石」というか「竜」と云うかの違いに ''気付けば" あとは芋づる式・・・^^!
しかしながら、素人の貧弱な知識で現科学を説き伏せるのは、とうてい無理・・・・^^!
こうした大論は没後に認められるが世の常。あとは次代に!! ありがとうございました。


新着レスの表示


名前: E-mail(省略可)

※書き込む際の注意事項はこちら

※画像アップローダーはこちら

(画像を表示できるのは「画像リンクのサムネイル表示」がオンの掲示板に限ります)

掲示板管理者へ連絡 無料レンタル掲示板